2024年11月27日水曜日

主人公として生きる勇気

【質問】20代?男性? ペンネーム:新石川

いつもnote拝見させて頂いております。自殺するとどうなるか?という記事を見ての質問があります。

昨年の9月に合法のLSDを摂取し、自分はこの世界がRPGだということに気づきました。以前の自分だと真也さんのnoteを見ても理解ができなかったと思います。目覚めたのはいいのですが、急に当事者意識に目覚めたために、自分のやりたいことと今の現状に大きくギャップがあることに気付いて鬱病を患い、今は仕事を辞めて音楽をしています。覚悟がないまま目覚めてしまったため、日々説明のできない不安で心が埋め尽くされており、いっそ死んだほうが楽なのではないかと毎日思っています。自殺するとどうなるか?という記事にもある通り、今ある苦しみは必要な過程であり、自殺をするということは逃げだということは理解できます。ただ、この苦しみに終わりが見えなく、例え逃げだとしても今ある苦しみが永遠に続くなら、創造主からの試練だとしても死んでしまった方がいいのではないかと思ってしまいます。

苦しみとは具体的に以下のような感じです。
・急に全てが自分事になったことによるプレッシャー
・音楽で自分が何かを成し遂げられるのかという不安(何も成し遂げられなくても楽しければいいと思って飛び込みましたが、やはりこの不安は感じてしまいます)。

この苦しみに終わりはあるのでしょうか?何をすればこの苦しみから逃れられるのでしょうか?ご回答いただけると幸いです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。僕も長らく鬱を患っていたので、お気持ちは心からお察しします。

ですが敢えて・・・

です。

覚悟がないまま目覚めたのなら、覚悟を持てばいいだけです。そもそもその覚悟を持てていないのなら、それは目覚めたことにはなりません。まだ愛も勇気も伴わず、エゴに埋没し、我が身のことしか考えられていないあなたは、今のところただ目覚めたつもりになっているだけです。本当の目覚めというのは「衆生を救う主人公としての目覚め(愛と勇気)」であり、それは仏教の菩提心とイコールなのです。

まず自殺するとどうなるか?に書いた通り、あなたはまだ逃げ道があると思っているから恐ろしくなって逃げたくなるのでしょう。しかし逃げ道なんていうものは全部幻(罠)であり、最初から存在しないのだと思って腹を決めることです。そうすれば腹が据わります。逃げ道は全て行き止まりになっているのだと知って下さい。

そして目覚めというのは不可逆のものであり、「いっそ目覚めなければ良かった」「これなら死んだ方がマシだ」などと考えても無駄です。宿命なのですから受け入れる以外にありません。

>>この苦しみに終わりが見えなく、例え逃げだとしても今ある苦しみが永遠に続くなら、創造主からの試練だとしても死んでしまった方がいいのではないかと思ってしまいます。

①自殺は選択肢として考えるだけでも自殺に導かれるというペナルティーがあること
②自殺して楽になることなんて絶対にないということ
自殺するとどうなるか?の記事で僕が必死に伝えようとしたことを、あなたはまだ理解する気がないのでしょうか?人生は魂成長のプログラムであり、逃げることで楽になれる仕組みだったら誰も成長なんてしないでしょう。

主人公というのは勇者です。「この先うまく行くか不安だ」「この苦しみが続くぐらいなら死んだ方がマシだ」などと思って真剣に物語を先に進める気のない臆病者は勇者ではありません。一度視点をアバター目線からプレイヤー目線に切り替えてみて下さい。あなたはエゴに埋没して自分のことばかり考えているから不安になり鬱になっているのです。みんなに愛と勇気・感動を与えるつもりで、本気で人生・音楽と向き合って下さい。

人生の全ては愛と勇気が試されているのです。そしてその試練に打ち勝ち続けることで、他の人の目覚めを促し、夢を追う人に勇気を与えることができるのです。鬱病だからって不安なんかに負けててどうするのですか?愛と勇気を試すRPGなのですから、当然世界はあなたを不安にさせ怒らせてきます。それに負けていたら主人公(勇者)にはなれないのです。

元々臆病で弱い人・才能がないフツー以下の人だからこそ、勇気を持って立ち上がれば他の多くのフツー以下の人にも立ち上がる勇気を与えられるのです。そしてそれが連鎖することで世界は救われるのです。逆に元々精神的に強くて才能に溢れた人が成功して富や名声を積み上げても、みんなに立ち上がる勇気は与えられません。あなたが鬱を乗り越えたら、今鬱を患っている人達にどれほどの勇気を与えることでしょうか?

>>この苦しみに終わりはあるのでしょうか?何をすればこの苦しみから逃れられるのでしょうか?

僕らは苦労を経験するために生まれてきているのですから、死ぬまで(死んでも・永遠に)苦労を乗り越え続けるのが定めです。だから将来ラクをするために苦労しても絶対報われません。そして苦しみから逃れようとすればするほどどんどん苦しくなるだけです。トレーニングだと思って腹を括って苦労そのものを楽しむ以外にありません。苦労は受動的にではなく自ら能動的にすることで己の成長を楽しめるものなのです。マラソン選手が「どうやったらこの苦しみから逃れられるか」なんて考えながら走ってたら速くなるわけがなく、楽しくなるわけもありません。学校の課題が苦しいからといって退学する事ばかり考えながら逃げ続ければいつまでも成長できませんし卒業もできません。それと同じことです。そして自分の苦しみに捉われず、人の苦しみを思いやれる優しい人になって下さいね。

とにかくあなたは先のことを考え過ぎだと思います。どっちにしろ何とかなるのですから、先のことなど考えるのをやめて、もっと「今」に集中することです。ネドじゅんさんの本でも買って、ぜひ瞑想(呼吸)法・右脳優位の生き方を学んで、脳内のネガティヴな声に振り回されないようになって下さい。

そして心身の健康のためにも、最初は毎朝30分からで良いので散歩⇒ジョギングでもしてみて下さい。良いアイデアというのはだいたい動いている時に生まれるものです。あなたはきっとあなたは鬱&引きこもり&運動不足のせいで、「今日も一日頑張った」という充足感とともに夜幸せな眠りについて疲れが取れるという休息・回復の喜びを味わえず、朝スッキリ起きれていないから、苦しみがずっと続いているかのように感じてしまっているのでしょう。何事も、良いと思うことはやる気になってから始めるのではなく、とりあえずやってみることです。少し辛抱して続けていれば、やる気は後からついてきます。

大事なことは、与えられたものに感謝し、自分を他人と比較せず、努力の結果に期待・執着せず、「今」自分のやること自体を愛することです。与えられているものに感謝せず、努力の結果に期待・執着することは、全てを与えし創造主に向かって「あれをやるからこれを下さい」と見返りを求めているのと同じであり、それは不遜なことなのです。一日中音楽に打ち込める状況を与えられていながら「音楽の仕事で成功して豊かになれなかったら、主人公として目覚めず死んだ方がマシだった」などと考えるようでは創造主から応援されるわけがありません。あなたはもう「一度自殺して死んだつもりで」残りの人生はおまけだと思って執着せず、創造主(全ての存在)への感謝報恩のために生きて下さい。

あなたはつい最近まで音楽と関係ない仕事をしていたのですから、そんなにいきなり成功なんてできるわけがありません。ミュージシャンという多くの人が憧れる職業をナメないで下さいね。一度やると決めたのなら、全く売れなくても最低10年は頑張って下さい。

あなたはゴッホについてどう思いますか?彼は絵が全く売れず、誰にも評価されないまま不安に精神を狂わせて自殺しました。あとほんの数年頑張っていれば成功していたに違いないのに、です。本当の希望というのはいつでも絶望のほんの少しだけ向こう側にあるものなのです。現在彼の絵が何百億円という値段で取引されているのを、あの世の彼はどういう気持ちで見ているのでしょうね?

どうか貧困を恐れないで下さい。僕は長期の断食もしてきましたし(今も短期ではやってます)、乞食も三年半もやりながら幸せに暮らしていたので、貧困への恐れが全くありません。あなたがそこまでする必要はありませんが、まずは生活を徹底してミニマムにして下さい。そうするだけでも不安は大分解消されるでしょう。

あなたはきっと貧困そのものより、夢が叶わずに貧困にあえいで卑屈になっているのを周囲から見下されバカにされることを恐れているのでしょう。それはあなた自身が他人と自分を比べ、他者評価に依存し、夢破れて貧しい生活をしている人を見下してバカにしているからです。そして社会的に成功できないなら人生に価値などないという不遜な考えを抱いているからです。人間関係というのは鏡であり、あなたが認識する全てはあなたの心の反映なのです。まずはあなたが他人と自分を比べるのを止めて、自分で自分を評価し、他人の失敗をバカにせず、貧しい人にも心からの尊敬を示し、助けが必要な人がいたら(できる範囲でいいので)助けることです。それができれば他人から見下されバカにされることを恐れる必要はなくなり、素直に人の助けを借りることができるようになります。あなたが主人公のRPGなんですから、他のログインプレイヤーのゲームの進捗など気にしないことです。

実際、僕は自ら乞食をやりながら、他の乞食たちにもリスペクトを示しつつ、毎日お金や食べ物を恵み与え、宗教施設にもお布施をしていました。世界を救うために釈迦やキリストと同じことをしていると思っていたので、全く卑屈になることはなく、目を輝かせながら堂々とみんなに助けられて心から感謝し、みんなを助けて存在に感謝され、幸せに生活していました。

もしあなたと同じように夢を追う人がいたら応援して下さいね。そしてもしあなたの夢を応援してくれる人がいたら、カッコつけて遠慮せずに助けて貰って、心から感謝してそれを素直に表現することです。親や彼女の脛をかじれるならかじっても良いですし、精神を病んでいるのならコレ幸いと診断書を書いて貰って生活保護を受けたって良いのです。ただし誰か一人に依存して、その人にとって重くならないように気を付けて、助け・助けられるつながりを広げて下さい。そして助けられることで助けてくれた人を幸せにできるような魅力のある人間になって下さい。そのためには自分と他人の愛し方に書いた通り、もっと自分と他人を許してありのままで純粋に愛することです。成功しなければ愛されないなどと考えて焦ってしまうのは、それは自分が他人の事も自分自身の事も条件付きでしか愛していない証拠です。もっと無条件に自分も他人も愛せるように努力して下さい。

そして最も肝心なことは信心を持つことです。神に守られているという確信がなければ不安になるのは当たり前です。あなたが病気や事故で死ぬ確率を考えたらとっくに死んでいますし、確率上はこの世界もあなたも生じていないのです。今を生かされているっていうことに、もっと感謝と信頼の念を持って下さい。あなたは自分を他人と比べてばかりで、与えられているものの価値がわからず感謝の気持ちがないから、せっかく与えられた人生をまるで無価値なもののように「もう投げ出してしまおう」などと考えて、それによって不幸な人生を自ら選択しているのです。神に奉仕し、神の分身である人達みんなに奉仕することで、創造主(存在の全て)への感謝報恩のために生きて下さい。どこかの信者になる必要はありませんが、良い宗教と出会って一生懸命奉仕していれば、きっと応援して貰えることでしょう。

そして人間関係について。本来的に「出会い」は天が与えてくれた「縁」ですから、例外なく大切にすべき(愛すべき)ものなのですが、夢を追いかけるなら「つまらない常識に捉われ、臆病と怠惰によって己を安く見積もって夢を諦め、他人の失敗や貧困をバカにして見下し、他人の夢まで諦めさせようとしてくるエージェント・スミスみたいなNPCだらけの人間関係」は例え親族や親友でも一時的には(自分が夢を叶えて他人の夢を叶える手助けができるようになるまで)断ち切って、周囲を業界の人・夢を追う人・夢を応援してくれる人でいっぱいにして下さい。

もしバイトするなら業界人とのつながりを作れるような仕事が良いですが、そうでなくても目の前のことを手を抜かずに神々への奉仕だと思って一生懸命にやって下さい。何事にも一生懸命でない人は応援されませんし、逆に何事にも一生懸命な人は必ず応援されます。応援してくれる人はほんの一握りだからこそ、出会いが嬉しくなり心から感謝できるものなのです。そして誰も見ていなくても、もとい誰も見ていない時こそ一生懸命やって下さい。創造主は全部見て知っているのですから。

家に引きこもって曲なんか作っても良いものはきっとできないでしょう。街で流しをやるとか、オーディションやコンクールなどに応募するとか、お店で演奏させてもらうとか、動画をアップしまくるとか、ゲームとかCMとか音楽の仕事なら何でも引き受けるとか、とにかくカッコつけようとするのはやめて、他人の酷評を恐れず、誰に「才能がない」などと貶されても決してめげず、クヨクヨ考える間もないほど泥臭くがむしゃらに頑張って、できるだけ多くの人と関わって、できるだけ多くの人に曲を聞いて貰い、一人でも多くのファンを獲得して下さいね。純粋に音楽の才能だけで成功できるものではありませんから。

そして良い音楽を作りたいなら、人と関わり、自然に触れたり、遊んだり、恋をしたり、とにかく色んな経験を積んで感性を磨くことが大事です。

これから世界はどんどんスピリチュアルな方向に向かって行くでしょう。あなたの音楽の方向性は全くわかりませんが、今までのような曲はどんどん売れなくなって行き、今までの日本では売れなかったスピリチュアルな曲がだんだん売れるようになって行くと思います。そうでなくてもあなたが今までと同じような曲・他の人と同じような曲を作っても売れないことはまず間違いないでしょう。日本のフツーの人(NPC)たちが聞かないような世界の色んな曲を聴き、良い所をどんどん取り入れて、世界の平和と幸福を祈るような愛と勇気に満ちた素晴らしい曲を作って下さいね。自己正当化・自己防衛ではなしに、自分が心の底から良いと思うものを他の誰も良いと思わないことはありえないので、自分が本当に心から満足の行く曲を作って下さい。そして夢を諦めた無数の人たちの無念を背負っていると思って頑張って下さい。応援しています!

創造主よりの伝言(覚りの真髄)
1️⃣ 偉くなろうとするな。(全ての存在が)尊いと知れ。
2️⃣ 特別になろうとするな。特別(主人公)であると知れ。
3️⃣ 日々愛を実践し、特別ではなくなること(差取り・ワンネス)を目指せ。

最後に。あなたの人生は、創造主があなたを通してそれを経験したいと思ったから存在しているのであり、あなたが途中で投げ出しさえしなければ、ハッピーエンドは約束されているのです。ネガティブな経験も必要だから与えられているのであって、全ては意地悪ではなく100%愛ゆえなのです。ですから何も心配せずに、今を精一杯楽しんで生きて下さいね。

2024年11月26日火曜日

幻覚剤による妄想か真実か

【質問】19歳・男性 ペンネーム:内山
突然質問失礼します🙇
紙を食べた時の体験が妄想か本当なのかわからなくなってしまったので質問させて下さい。

クラブで紙を食べてるのが周りから分かるような状態になった時に、気分が落ちて休んでいたところある客のグループが意識に入り込んできて軽く思考を読まれた後、コントロールされて遊ばれたのですが、これは本当にそういうことができる人たちがいるのか、私の妄想なのかがわからなくて苦しいです。

もう一つ質問したいことがあって、ハイドーズをした時に自分の中の生命のレイヤーを一通り巻き切った後に個としてのレイヤーが現れてきたのですが、そのレイヤーがとにかく不気味かつ不穏で体の先端がレイヤーの中心でした。これを巻き切ると容姿は美しくなるものの爬虫類のような形相になり、他者への加害性が増してしまうことに気づきました。これは私の妄想の中の出来事に過ぎないのですかね?

長々と失礼しました。🙇お答えくださると嬉しいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

幻覚剤に興味があるのは普通のことで、遊び目的で使っている人はたくさんいますし、決してあなた個人を責めているのではなく、心底お救いしたいと思っています。ただアヤワスカとLSDの違いに書いた通り、幻覚剤の多くは日本では違法ですし、僕は特に遊び目的・現実逃避目的での幻覚剤の使用を推奨していません。実際とても危険だからです。もちろん逮捕される危険もありますが、事故や精神異常になる危険の方が恐ろしいです。

僕が止めたところでやりたい人はやりますから、止めることは無意味ですので、僕は「推奨しません」としか書いていませんが、本心では止めたいのです。あなたの症状は端的に言って統合失調症的であり、本当にそうなってしまう可能性もあるので、少なくともまだ今は使用すべきではないと感じます。主人格(一霊四魂の直霊)で自我をコントロールできなくなってしまうと本当に大変ですから。

>>私の妄想なのかがわからなくて苦しいです。

お気持ちはとてもわかるのですが、自分が見た幻覚を「妄想かそうでないか」という問いを他人にするのは、夢の中で出会った人に「これは夢ですか?」と尋ねるが如くであり、本質的に無意味であって、それを決めて結果責任を負うのは主体者であるあなた自身なのです(だから勇気が要るのです)。

幻覚剤による幻覚というのは象徴的であって、真実(概念・思念次元での実在)が含まれているのであり、本当は「それは妄想です」と言って安心させてあげたいのところではあるのですが、僕の側からそれが全くの妄想だとは言い切れませんし、言い切る意味もありません。

意識変性中に心に現れるものは、自分の心の反映なのです(本当はこの仮想現実世界自体もそうなのですが)。それゆえ「解釈」が大事なのであり、うまく読み解けない人がやってはいけないのです。「アヤワスカとLSDの違い」に書いた通り、それはパソコンの知識がないのに自分の脳というパソコンのシステムをアドミニストレーター権限で弄り回すようなものであって、とても危険なのです。

幻覚剤により別次元を経験し、それも実在であると認め、この現実世界も仮想現実であり幻想のようなものであると認めることはとても勇気の要ることです。だからその勇気がないのなら、つまり覚りが進んでいないのであれば、LSDのような強い幻覚剤に手を出すべきではないのです。もしあなたがやるならマジックマッシュルームとかにしておいた方がいいと思います。

まだ己の愛・倫理観をしっかり育てられておらず、信心によって神に守られているという確信・勇気がない人がLSDをやれば、たちまちエゴによって飲み込まれてしまい、また恐怖によって気が狂ってしまうことになるでしょう。LSDっていうのは究極に愛・勇気・信心を試される修行なのです。

若い時は心がエゴに満ちているのは誰でも(程度の差こそあれ)同じで当たり前のことです。しかし人の深層心理というのはその己のエゴを醜いから隠したいと思っているのです。その「エゴにまみれた己の本心を他人に見られたくない」という思いが統合失調症的な「自分の思考が他人に漏れているかも知れない」などという恐怖を引き起こすのです。

この次元においては、お互いの思考というのはよく見えません。トランプゲームや麻雀を考えてみていただければわかるかと思いますが、カードや牌が相手に丸見えではゲームは楽しめないので、敢えて見えないように工夫がされていて、切ったカードや牌・表情などから思考を読むところにゲーム(ドラマ)が生じるようになっているのです。人生自体も基本はそれと同じだということです。

しかし創造主というのは我々の統合意識であり、それが個々の意識を通じて経験を集めているのであって、当然我々は常に心の中まで全部見られているのです。だから我々が創造主=統合意識に対して心を隠すというのは不可能であり無意味なのです。

自分と他人のエゴを許し、己の心を愛で満たしたなら、心を相手に見られれば見られるほど愛されますから、隠す必要などなくなるのです。実際僕は創造主と心で会話しているのであり、心が隠せないことを十分に知っていますし、人に対しても相手に真心が伝わらないことの方が辛いことなので、どんどん心を見られたいと思っています。だから「思考が漏れている」などという恐れは全くありません。隠すことがあるとすればそれは相手を傷つけてしまわないようにするためだけです。本来幻覚剤というのはそのようになってから修行・覚りを進める目的で使うべきものなのです。

>>ハイドーズをした時に

今のあなたは少なくともLSDハイドーズだけは絶対にやるべきではないと思います。もう戻って来れない可能性があるからです。もしどうしてもやりたいのであれば300ドーズ以内にして、ハイドーズはもっともっと覚りが進んでからにすべきかと思います。

>>自分の中の生命のレイヤーを一通り巻き切った後に個としてのレイヤーが現れてきたのですが、そのレイヤーがとにかく不気味かつ不穏で体の先端がレイヤーの中心でした。これを巻き切ると容姿は美しくなるものの爬虫類のような形相になり、他者への加害性が増してしまうことに気づきました。

レプティリアン(爬虫類型宇宙人)というのは概念・思念次元におけるエゴの象徴的存在(実在する思念体)であり、それによって自我を奪われてレプティリアン化して無自覚にコントロールされている人間というのは実際この世界にたくさんいるのです。「だらけ」と言ってもいいかも知れません。そして世界が彼らに実質支配されているのは映画「ゼイリブ」の如くです。しかしそれは我々が乗り越えるべき課題なのであり、被害者意識に陥ってはいけません。

エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、この世界は磁石のように愛とエゴの二極によって成立していて、どちらか一方だけでは存在し得ないのです。エゴは我々の愛・エネルギーのマテリアル(材料・課題)なのであり、なくせば良いというものではなく、それを乗り越えて愛を発揮しなければならないのです。

あなたのその幻覚は、あなたが無自覚な間にレプティリアン意識にコントロールされかかっているということであり、このまま行けば何度生まれ変わっても(美しく生まれ、社会的に成功しても)エゴにまみれて他人を傷つけるレプティリアン人間になってしまうというカルマを垣間見たのであり、警告ではないかと僕は解釈しますが、実際どう解釈するかは主人公であるあなた次第です。

そうならないよう己のエゴを乗り越え、自分の心を愛(思いやり)で満たすこと(心を浄化すること)が覚りの過程であり、それを目指さずにエゴにまみれたまま幻覚剤をやるのは神の意思(愛・善意)に反することであり、当然それを予防するペナルティー的な障壁があるのです。つまりそれは他人の人生の悪役として使い回しにされるということです。

幻覚剤の恐怖を味わったあなたは、現実(感)というのがいかによくできていてありがたいものかが実感としてよくわかったはずです。だからこの現実世界での人生・覚りの道を大事にして下さい。愛(思いやり・許し・尊敬・感謝・奉仕・勇気)を大切にして、己のエゴを乗り越え、信心を持って真心で神と対話し、たくさん勉強し、たくさん経験し、たくさんの気づきを得て悟りを進め、主人公として人生を素晴らしいものにして下さい。


後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...