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2025年9月1日月曜日

身内がガンで余命宣告

【質問】20代男性・大学生 ペンネーム:たかゆう

真也さんお疲れ様です。今、僕の叔母が癌で、いま昼寝してたら叔母が出てきてすごい悲しい夢を見ました。叔母は、闘病中で医者から余命宣告を受けています。僕の母や祖母は西洋医学以外の治療を勧めているんですけど、叔母の家族がすごく医者を頑なに信じていて、他の治療法を伯母にやらせるのを止めているんです。どうにかして叔母の家族を説得して他の治療法を受けてもらいたいと思っています。今の夢ですごく悲しかったからこのまま何もせずに見ているだけでは、何か後悔する気がしたから、真也さんに相談させてもらいました。何かアドバイスいただけたら嬉しいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

かなり前の話ですが、僕も学生時代に叔母を交通事故で突然亡くしました。人の死はとても悲しいものですよね。

生は死と表裏一体で不可分のものであり、命あるものは必ずいつか死にます。でも魂というのは永遠のものなのです。もし死が存在せず、生命が永遠に続いて終わりのないものなら、人生は芸術(物語)として成立しません。魂の成長要素も感動要素もなくなってしまいますからね。終わりのない物語は芸術にならないのです。

もちろんそうは言っても人の死は悲しいものです。もし人が死を全く悲しまず、またそれを恐れないように創られていたら、やはり人生は芸術として成立しません。人の死が悲しいのは、そういう尊い感受性が与えられているということであり、それにより人生という素晴らしい物語の経験機会を与えられているということなのであって、まずそこに感謝の気持ちを持たなくてはいけません。

命=必死 魂=永遠 なのですから、本来的に我々が救うべきは命よりも魂の方なのです。それはつまり愛するということです。その愛し方(表現)が人生という芸術なのです。

世の中は一人一宇宙であって、あなたの叔母が夢の中に出てくるということは、その叔母は既にあなたという主人公(経験主体者)の認識宇宙(仏国土)の住民になっているということであり、ただのNPCとは違う尊い存在なのであり、きっとあなたの魂という永遠の存在の中に永遠に生き続けるのです。どうか人生を通じて、家族だけでなく、出会う人みんなを愛し、あなたの心(仏国土)の住民をたくさん増やしていって、あなたの心(仏国土)・人生を豊かにしていって下さいね。そしてあなたも出会った人の心(仏国土)の住民として、彼らの心(仏国土)もまた豊かにしていって下さいね。

キリストは「あなたたちが何を心配しようとあなたがたのうちの誰が、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ他の事まで思い悩むのか」というようなことを言っていましたが、まさにその通りで、人の寿命というのは生まれる前から決まっていて、せいぜい死因が何になるかの違いしかないのです。

実際、末期になってからどんな治療法をしようと大概の場合は手遅れで、場合によっては逆効果になってしまい、かえって苦しめて(死期を早めたように見えて)しまうことさえあります。もちろん末期のガンから奇跡的に回復する例も稀にありますが、そうなるのはその人がそこで死ぬ運命ではない時だけです。それにもしあなたの勧め通りに治療法を変えて逆効果になったりしたら、あなたは叔母の家族の恨みを買い、責任を感じて心の荷物を余計に背負うことになってしまうでしょう。

だから叔母に別な治療法を勧めても叔母の家族が受け入れないなら、残り少ない叔母との貴重な時間を叔母の治療法をめぐって叔母の家族と揉めることに使うべきではないと僕は思います。そんなことをしてもあなたと叔母の家族との愛が失われるだけで、叔母は余計に悲しむことになるでしょう。

叔母の責任を本当に負っているのは叔母の家族であり、あなたではありません。彼らに「やれることはやった」という納得感(慰め)を与えてあげることも救いです。どうか悲しみを誰かへの怒りや恨みに転嫁せず、愛に昇華して下さい。

あなたの叔母との残りの時間は、僕の叔母のようにもし交通事故などで突然亡くなっていたら与えられていない貴重な時間です。どうかその時間に感謝して、決して叔母の家族と揉めることに使わず、叔母に愛を示すこと(話を聞くこと)に使って下さいね。

基本的にガン細胞というのは「風の谷のナウシカ」の腐海の植物と同じで、生命体(全ての生命が一体)における自浄作用なのであり、「不調和」を逆説的に覚らせてくれているのです。実際ガンは基本的には食物の過剰摂取などによる血の穢れを原因としているのです。だからガンは早期なら断食⇒玄米菜食によって解消されるそうです。しかし末期だとトドメを刺すことになる可能性があります。人間の食べ物を食べて肥満に陥った猿も、ダイエットをさせるとすぐ亡くなるそうです。あなたも若くしてガンにならないよう、全ての存在との調和を考えて、節度ある暮らしを心がけて下さいね。

現代医療はガンを「悪性新生物」と呼んで「異常・異物」とみなして退治しようとしていますが、それはクシャナが巨神兵を使って蟲を焼き払おうとした如くで、とても愚かなことです。現代医療はガンを金儲けの道具にするために、敢えてガンを創り出し、治らないとわかっている延命で稼ぎ続けているフシがかなりあると思います。だからあなたが叔母の治療法を変えて欲しいと願う気持ちも僕にはよくわかります。

ただそういう現代医療を信奉してしまう愚かさも、人間に成長を経験させるために与えられた無明(愚かさ)であり、我々はまず自分からエゴを愛に昇華させ続け、成長していかなければなりません。それが世界に遍く連鎖してみんながワンネスに目覚めれば、いずれ全ての魂が救われるのです。

それでは、あなたとあなたの心(仏国土)の住民の方々みんなの幸せ(魂の救済)を心から祈っています。







2025年5月23日金曜日

毒親との接し方

【質問】10代・男性 高校生 ペンネーム:エビクリーム

真也さん、お疲れ様です。いつもタメになる投稿を見せて貰って、若いながらも学ばせて貰っています。

僕には両親がいるのですが、父親は自分の怒りのコントロールが効かない人で暴力こそは無いももの、僕が小さい時(小学校中学年〜高学年)から喧嘩になると大きな声で罵声を浴びせたり顔を近づけて(やんのかコラ?)などとが多くありました。軽く数えても1000回程度です。母親は責任感が強く、僕を守ろうとして沢山動いたりしてくれていたのですが、パニック障害などを発症してしまった時の発言等に僕の心に刺さるものがありました。

現在は喧嘩をしてしまって、もうバラバラという感じです。母親とは直接的な喧嘩はその時しなかったので、少し話したのですが(幼少期の事など)、私もお前の前の非行にはとても心を痛められた。私たちは旅行も連れて行ったりできるだけ甘やかしたのに、そんなに辛い風には見えないよ?と言葉が帰ってきてしまい落ち込んでしまっています。

要は何が言いたいかと言いますと、人生には偶然等は無くそれ自身も僕の成長に必要なものであり、意味の無いプロセス等は無いと分かっているのですが、彼等とどのように接すればいいのかが分かりません。僕とは考え方がやはり違うので衝突などが多く、上手くいく自信がありません。

そして父親の母親に対しての八つ当たりや、その原因が僕だと言うのを言われてしまうなら関わらない方がいいのかな?と思っていたり。

何と言うか正解が見つからないような感覚でそれを自分自身で見つけるからこそ人生なのですが、また今回の喧嘩が起きてしまい、家を出ていけと言われてしまったり・母親の対応にやられてしまい。相談させて頂きました。長文失礼いたしました🙇

【回答】
ご質問ありがとうございます。そしていつも発信を受け取っていただき、ありがとうございます。基本的に僕はエゴが収縮し始める30~40代の人をイメージして発信しているのですが、あなたのように若い方にメッセージが届いているということは、とても嬉しいことです。

さて、ご質問内容についてですが、幼い頃からあなたが受けて来た深い傷と怒りに心から同情します。僕もあなたほどでは全然ありませんが、親との関係では相当苦しみました。親から逃げたくても年齢的に自立が難しく親の庇護にすがるしかない・誰にも相談できない・逃げられない状況というのは本当に酷だと思います。僕がお金の要らない・愛の時代を実現したいのは、そういう状況を失くしたいからでもあります。

それだけの困難に直面しても、あなたは「人生には偶然等は無く、それ自身も僕の成長に必要なものであり、意味の無いプロセス等は無い」と理解しようとしているのですから、それはとても立派で尊いことです。

ただ、そんなに焦って大人になろう・悟ろうとしなくて大丈夫ですからね。僕も高校生の頃はかなり荒れていて、悟りなどとは程遠い暗い青春を送っていましたから。そしてそれが必要な経験だったと気づいたのは、そのずっと後のことでしたから。

僕らの魂は同源同一であり、例外がありません。そしてその魂というのは純粋な子供の如くであって、とても繊細にできているものなのです。実に多くの人が、頭では大人になったつもりで、傷つかないように必死に自己防衛し、その子供のような純粋な魂(インナーチャイルド)の声を封じ込め、傷ついている自分を認めることさえできず、その成長のギャップが心の歪みとなって様々な形で悪影響が起きてしまっているのです。

成長というのは魂(インナーチャイルド)の成長と足並みを揃えなければいけません。だから今はただ自分の中の傷ついている魂の声をしっかりと受け止め、我が子のように労わり、癒してあげて下さい。自分の傷ついた心を認めることは、決して負けることではありません。

自分の癒し方は人それぞれですが、動物や自然と触れ合うなり、好きな音楽や読書やスポーツなどの趣味に没頭するなり、自分に合ったやり方をしてみて下さい。僕的にはぜひ信仰心を持って寺社などに通うなりして神仏に頼って欲しいところなのですが。

本当に辛い時は逃げても良いのですよ。人生はRPGであり、本当に弱っている状態の時に手に負えない困難と遭遇したら、一旦は逃げて体制を立て直す以外にないのです。そして素直に人を頼って下さいね。プライド・意地で人を頼ることを恥じないで下さい。親せきなどを頼って状況が改善するまでかくまって貰って親との間に入って貰うことはできませんか?(もしかしたらあなたの親も実家と関係が悪くて難しいのかも知れませんが)学校の先生などにも相談はできませんか?もしできないのであれば、以下の連絡先に相談してみて下さい。軽く調べただけなので、実際どういう対応をしてくれるかなどは全然わかりませんが、相談先はたくさんあるのだという例として挙げておきます。

📞【24時間対応】チャイルドライン(18歳まで)電話:0120-99-7777
受付:毎日16時~21時(無料・匿名)
チャットも可(16時~21時) → https://childline.or.jp
子どもの気持ちに寄り添って話を聞いてくれる窓口。「どんなことでも話していい」が基本スタンスです。

💬【LINEで相談】生きづらびっと(10代~20代対象)
LINEで気軽に相談可能(完全無料・匿名)
こころのモヤモヤ、不安、家族のこと、自傷・希死念慮などにも対応。
公式サイトはこちら

🌱【全国の児童相談所】
全国共通ダイヤル:189(いちはやく)最寄りの児童相談所につながります。
「親からの精神的な暴力」「家庭で安心できない」などは、虐待の一種として扱われる可能性もあります。話を聞いてくれて、必要ならシェルターや保護の手段も検討してくれます。

📱【その他:若者支援の窓口】
こころの健康相談統一ダイヤル:0570-064-556
各地の精神保健福祉センターにつながります。親の精神疾患・家庭のことなども相談可能。
法テラス:0570-078374
もし今後、家を出たい・住むところを探したいといった法的なことが出てきた場合にも無料で相談できます。

そして奨学金を貰って進学して寮暮らしするとか、住み込みをさせて貰えるバイトを探すとか、とにかく今は親と距離を取ることを優先して下さいね。もし今すぐにそれができないとしても、そういう希望を持つだけでも全然違いますから。

根本的な解決にはなりませんが、もし時間があれば格闘技などを習って心身を鍛えるというのも良いと思います。強くなれば自身もつきますし、それは仮初めの自信ではあるのですが、少なくとも身体的な暴力は受け難くなりますからね(決して力に任せて暴力を奮い返したりしないで下さいね)。




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<未来のあなたと読者の方々へ>
さて、これから書くことは今すぐには読まず、まず親と距離を取れるようになって落ち着いて、自分の傷を自分で認めて受け入れ愛し労える状態になってから考えてみて下さいね。先にも書いた通り、あなたはまだそんなに焦って大人になろう・悟ろうとなくて良いのです。今は問題から距離を取って自分自身を守り、癒すことに集中して下さい。

ただ僕は預言者としての使命上、未来のあなたのため、そして同じように毒親に苦しめられている多くの人のため、ただ逃げ方を伝えるだけで話を終わらせるわけにはどうしてもいかないのです。どうぞご容赦下さい。
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人格的に問題の多い(いわゆる毒親)に育てられるというのは、とても重いカルマです。ただ我々の魂というのは同源同一のものであり、主人公というのは基本的にそのような困難な生い立ちを抱えているものなのです。

悪いカルマの解消法に書いた通り、カルマというのは決して意地悪で与えられるものではなく、成長のために愛で与えられている課題であり、生徒に乗り越えられない課題というのは成長につながらないので与えられないのです。重いカルマはより高いレベルの魂に与えられるのであり、乗り越えればより大きな幸せが待っているのです。僕を信じて下さるのであれば、どうぞそれを信じて下さいね。

魂の年齢というのは、今生での実年齢とは関係がありません。あなたの父親がどんな人生を送られてきた方なのかは存じ上げませんが、きっとカルマを正面から乗り越えようとしてこなかったままのために雪だるま式にそれを膨れ上がらせ、まだ魂的にも幼いままで、自分の中の魂(インナーチャイルド)を常に抑圧してきた人なのでしょう。そしてそれがきっとあなたという(自分に似ている)実の子供に対して攻撃するという歪んだ形で表れてしまっているのだと思います。他人と上手くやれない人というのは、まず自分自身と上手くやれていないのです。

あなたの側からすれば「こっちはいい迷惑だ」と被害者意識に陥ってしまう気持ちもよくわかります。しかしあなたの認識している世界というのは、すべてがあなたという主人公個人のために与えられているものなのです。あなたが実際に関わっている人のカルマ(課題)というのは、あなた自身のカルマ(課題)を鏡(拡大鏡)のように映し出したものだということです。PRGで他人(NPC側・設定側)を変えようとしても変わりません。あなたという主人公が変われば全てが変わります。そのようにあなただけのために用意されたオリジナルのシナリオがあるのです。あなたが既に理解して下さっている通り、この世に偶然は存在せず、すべての出来事・出会いに意味(意図)があるのです。被害者意識というのはカルマ(課題)を他人のものと考える成長拒否であり、不幸に導かれるのが必然なのです。

いつも使っている例えですが、ゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのは主人公が悪いからではありません(自分のせいだと思う必要はありません)。かといって相手側(ゾンビやアンブレラ社)を責めたり、制作側(クリエイター・ゲーム会社)を恨んだりして被害者意識に陥ってもゲームは進みません。自分も相手も運命も責めず恨まず、ただ自分に与えられた成長課題だと信じ、楽しみながらその課題を目の前から一つ一つクリアしていくことが大事なのであり、それは人生も同じだということです。

人生は愛を経験的に知るため・表現するために与えられたものなのです。だからこの世の全ての問題は愛の不足が原因であり、逆に言えば全ての問題の解決策は愛なのです。これは例外がありません。

そして「許し」こそが愛なのです。威圧的な父親になつけなかった自分も、不幸な生い立ちから威圧的な親にならざるを得なかった父親も同時に許して下さい。答えはいつでも「自分も誰も悪くないけど、自分が何とか(成長)するしかない」です。

どうかどんな困難も(愛と勇気を試し、魂の成長を促す)愛によって与えられているということを忘れないで下さいね。聖書の「ヨブ記」はぜひ読んでみて下さい。誰しもが喜ぶようなものを与えられてする感謝に価値はありません。どんな苦難も愛によって与えられていると信じて感謝と共に受け取れる人の感謝にこそ価値があるのであり、そこにこそ魂の成長があるのです。

与えられたものに感謝できない人に、もっと良いものを与えたいと思う人はいないでしょう。それは創造主も同じであり、そういう原理でこの世界は創られているのです。与えられたものへの感謝がない人間は、既に与えられたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのが定めなのです。

カルマというのは連鎖するのが原理であり、あなたがそのカルマの負の連鎖を断ち切るシナリオになっているのは、あなたが主人公のRPGなのですから当然のことなのです。だからどんなに理不尽に思えたとしても、時には逃げることが必要だったとしても、いつまでも自分を被害者の立場に置いてカルマ(課題)を乗り越えようとしないのでは、RPG(愛・勇気・成長)の物語にはならないのです。だから自分が負のカルマの連鎖を終わらせ、良いカルマに転換する終端装置になることです。エゴを愛に昇華し、悲しみ・不幸を喜び・幸せに転換することです。入力(過去)が不幸だからといって、それを理由に出力(未来)を不幸にするなら、主人公に存在意義はありません。

どうか「こんなに不幸な生い立ちで、こういう風に生きれば不幸になる」というネガティブな教訓をアカシックレコードに捧げるために貴重な人生を使わないで下さいね。それはMisson Faildなのです。最終的には「こんなに困難な状況にも負けず、こういう風に生きることで幸せになった」というポジティブな教訓をみんなに提供して励ませるような存在になって下さい。

そうしていつかあなたが創造主の愛によって存在し、神仏の加護を受けて生きているのだということをぜひ実感して欲しいです。それだけの困難が与えられても自分自身と他者と人生(世界)の存在に心から感謝するというのはとても酷なことだと思いますが、因果というのは時空を超えて連鎖するものであり、今現在のあなた自身の信心・感謝のなさが、時空を超えて今までの不幸をもたらしているのです。だから苦難に満ちた人生でも先回りして信心を持ち、感謝することが大事なのです。自分の人生を決して他人(NPC)と比べないで下さいね。僕らは魂の成長のために生まれてきているのですから、カルマ(課題)が簡単でラクな人生ほど幸せなのだと考えるのは大間違いです。

<霊的(カルマ的)解決>
さて、まだ幼い実の子に向かって日常的に「やんのかコラ」などとスゴむというのは、あまりにも常軌を逸していると思います。それは一種の憑依現象(霊障)で、自我が霊障に乗っ取られているのでしょう。その構造は憑依現象(霊障)についてに書いた通りです。

実際あなたの父親はいつも威圧的なわけではなく、優しい時もあるのではないですか?あなたのことも旅行に連れて行ってくれたりしていて、決して育児放棄をしていたわけではないのでしょう。まさか虐待しようと思ってあなたを生んだわけではなく、愛そうとしていたのにそれがうまく表現できず・伝わらず、仕事で嫌な思いも我慢しながら稼いで一生懸命育てているのに、懐かず・感謝されず・愛されず、反発された結果、あなたは父親にとって自身と世の中に対する不平不満をぶつける対象にされてしまっているのでしょう。でも本当はあなたに愛されたいに違いありません。

だからいつかはそんな風にしか生きれらない父親の心の傷に同情と許し(慈愛)の気持ちを持って下さいね。恐らくは社会で自尊心をズタボロにされて(その痛みはあなたも社会に出ればわかります)、家族に威圧的に接することで実質的に尊敬を強要することでしか自尊心を保てない状態にあって、自尊心というものが自他への愛によってしか満たせないものであるということは考えもつかないのでしょう。

あなたの父親はよっぽど大きな傷を抱えていて、深い部分で自分自身も他人も世の中も許せず、尊敬できず、愛せず、嫌って、自己嫌悪と厭世観に陥ってしまっているのでしょう。それは実に多くの人が抱えている自尊心の病気(社会病理)なのです。あなたの父親はそれゆえにネガティブな霊に(何かをきっかけにして、突発的かつ常習的に)自我を乗っ取られてしまっていて、突発的に攻撃的な人格が現れてしまうのでしょう。しかしあなたの父親が攻撃しているのは彼自身なのであり、俯瞰して見ればとても可哀そうな人なのです。そしてそれは主人公であるあなたが救いに導くシナリオになっているのです。

相手の攻撃に対して攻撃し返せば負のループは終わりません。カルマは増幅連鎖するのが原則なのですから、あなたもそのままいけば同じ霊障に憑りつかれて、きっと父親と同じようになってしまうでしょう。

愛というのは無条件化していく方向が成長方向なのです。相手に瑕疵(欠点や過ち)があれば愛せなくて(感謝できなくて)当然という考え方(愛の条件化)はそれとは逆のベクトルなのであり、世の中に瑕疵(欠点や過ち)のない人間はいませんから、それでは究極誰も愛せず、感謝できなくなっていくことになります。

あなたからすれば理不尽極まりないでしょうけども、あなたの母親の言うことも一理あるということです。瑕疵(欠点や過ち)があるからといって与えられているものに全然感謝せず反発して恨みで返すのみというのでは、お互いのカルマが増幅するだけになってしまうでしょう。

あなたの親は一応はあなたを養って学校にもちゃんと行かせて、旅行などにも連れて行ってくれていたところを見ると、きっといつもいつもそんなに威圧的なわけではないのでしょう。あなたが父親に従わず、感謝せず、反発することをきっかけとして色々人生で溜めてきたもの(全くあなたのせいではない傷・怒り・不平不満・恨みなども全部含めて)が爆発してしまうんだと思います。それはもう自我を霊障に乗っ取られているということなのです。

分離意識の強い若い時にはとても理解できないことかと思いますが、世界の本質はワンネスであり、すべては一つなのです。それはつまり我々全員が同一人物のようなものだということです。愛憎劇と魂の成長を経験できるように、分離意識・異なる個性(配役)・異なる環境(視点)が与えられているだけで。

本質的に他者というのは存在しないのであり、カルマ(シナリオ)は基本的に両方の立場を経験するようになっているのです。それは超時空的なもので、そこに時間・実年齢は関係ないのです。つまりあなたの親は過去世か未来世でのあなた自身なのであり、あなたの親であると同時にあなたの子供でもあるのです。とても信じられないと思いますが、例えそうでなかったとしても、そう考えながら接するのが正解なのです。

それは若いあなたにはまず無理なことであって、できるようになるのはずっと先で大丈夫なのですが、成長のベクトルはその方向にあるのだと知っておいて下さい。そしていつか自分の親を自分の子供のような視点で温かく成長を促しながら見守れるようになって下さいね。それにはまず相手よりも先に自分から愛情を示すことです。

カルマというのは超時空的なものですから、現在のあなたが変われば、過去も未来もすべてが超時空的に変わるのです。

早くから親元を離れ、働いて社会に出る大変さ・自他の自尊心を保つ大変さを知り・家庭を持って奥さんや子供とうまくやる大変さを知り、親に心から感謝できるようになって下さいね。心に逆らって無理に感謝をすることが本質ではありません。心からの感謝が自然と態度に表れるぐらいに苦労を乗り越えてみて下さい。

親だから大人だからという理由で他の家庭と比べて自分の親に愛情を期待・強要せず、存在そのものに有り難みを感じて下さいね。そして結果(見返り)を求めず自分から愛情を示すことで、あなたのカルマはきっと解消されていくと思います。

そして霊的解決のために、縁を感じる宗教に通ってみて下さい。信者になる必要はありませんし、無理に勧誘されたりお金や奉仕を強要されそうになったら一目散に逃げて下さい。お勧めは南無妙法蓮華経のお題目を唱えること(できれば本門仏立宗など日蓮系のお寺に通うこと)と、世界救世教や崇教真光などで無料で浄霊を受けることです。縁がある宗教と巡り合えば、きっと奇跡を経験することになると思います。

僕自身どこの宗教にも属しておらず、特定の宗教に勧誘するつもりはありませんが、霊的な問題の解決というのは一人では難しいと思うので、ぜひ参考にしてみて下さい。人生の問題の全ては神仏への愛(信心)へと導かれているのです。

それでは、あなたが悪いカルマを解消し、心からの感謝と幸せに至ることを心から祈っております。

2025年1月11日土曜日

執着の乗り越え方

【質問】50代・女性 ペンネーム:aisha.ykato

はじめまして、noteの記事を大変興味深く読ませていただきました。

数年前にネットで確かスピリチュアル系の検索をしていたときに、こちらにたどり着いたのですが、そのときは難し過ぎて正直なところ読む気が起きず、ただなぜかページを保存だけしていました。それがつい先月に再度気になって読んだところ、まさに自分が必要としていた内容ばかりでした。本当に不思議です。今まで読んだどの本よりも気づきと共感と感銘を覚えました。そして質問や相談を無料で受け付けられていることもお金のない社会を実践されていることを尊敬します。(バシャールなど今まで色々な方々の考え方にも深く共感しましたが、結局はあまりの高額な料金に、やっぱりお金なんだ…と違和感を感じてしまいます)

貴重な智慧を共有してくださり、本当にありがとうございます。お蔭で人生観が変わりました。(インスタのフォローバックもありがとうございます!)

宇宙の仕組み(仮想現実と創造主)をはじめとし、全ての記事を読ませていただきました。まだ私には理解に難しい部分があり、何度も読み返しているところです。近い将来出版されることを心から願っています。

私も縁あって出会った全ての人を例外なく愛し大切にし、損得 (give and take)ではなく、見返りを求めず奉仕する人でありたいです。そして、周りの苦しんでいる人たちをポジティブな方向へサポートできるよう、真理を学び続けたいです。

さて、いくつか質問させていただきたいことがあります。

もしお返事いただけますと大変ありがたいです。

1. 霊障と許しについて
-人は複数の霊の集合体で、ネガティブな霊に支配されないよう、愛と勇気を持って突き進む(感謝し成長する)ことが大切だと理解しましたが、主人格の霊=自己意識とそれ以外の複数の霊たちとの違いとは何なのでしょうか?自分の意識=主人格は一つでたとえ死を迎えて肉体を持たなくても、自分の意識は消えることなく永遠に存在し続けると思っていましたが、複数の霊から成り立っているとなると、どれが自分の本当の意識なのでしょうか?(私は肉体は主人格の霊のみで成り立っており、あくまで外部の霊によってネガティブ/ポジティブな影響を受けているのかと思っていました)

-霊障によってネガティブな行いをしてしまったのかもしれませんが、自分の過ちを許すことは、責任転嫁や自分を甘やかすことのように感じて逆に罪悪感が増しますし、きっと相手からもさらに恨まれてしまうと思います。相手への誠意も持ちながら(怒らせずに)自分を許すことはできるのでしょうか。

離婚相手に対し、ずっと被害者意識と怒りを持っていましたが、なぜか少し前から、あの死にそうにつらいことがあったお蔭で、自分が成長して逞しくなって、周囲にも優しくなり、子どもたちとも一緒にいられることも当たり前ではなく、有難い気持ちで心から喜びを感じられたり、女性一人で子ども二人連れて中東に行き、切磋琢磨して何とかやっていける逞しい自分になれたことを、逆に感謝しないといけないと思えるようになったのです。

それに輪をかけて、Shinyaさんの記事を読んで、私が主人公のRPGで私を成長させてくれるために、自ら悪役を買って出てくれたことに、本当にありがとうと思えるようになりました。(思えなくなるときもまだありますが…)一方で、どんな理由があるにしても、結果的に私が子ども二人を連れて彼の元を去ってしまったことで、今もつらい思いをさせていることへの申し訳ない気持ちと罪悪感は変わらないのですが…

2. 捨てることについて
ブッダの教えで、覚るには、とにかく捨てることが大切だと知りました。最後は自分の存在の実感すらも。自分という気持ちも。モノに価値はなく捨てるに値すると頭では理解していますが、どうしてもまだ好きな洋服を買ったりと、物欲が強く、自分を飾ったりすることがやめられません。常に何かを得ようとしてしまいます。また、仕事でも、もっと自分が向上したい、貢献したいという気持ちが強く、これらも捨てるべきなのでしょうか。

リクエストしたい記事
-執着の手放しかた
お金や地位、物への執着が、心の平穏を失い、しあわせから遠ざかることだと頭では理解していますが、それらを欲する気持ちをどのようにコントロールし手放すか具体的な方法があれば教えていただきたいです。

-夢について
なぜ人は眠っている間に夢を見るのでしょうか?その真意は何なのでしょうか?

また、夢が自分の意識が作り出す連続性のあるもう一つの世界に感じて仕方がありません。見える景色、場所、状況や感触があまりにリアルで、ただの自分の作り話とは思えないからです。夢から気付きをもらうこともあります、夢の意味についてもっと知りたいです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。最初からこのような長文でご質問やリクエストをさせていただき恐縮ですが、可能な範囲でお答えいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

【回答】
ご質問ありがとうございます。noteを読んでいただいてとても嬉しいです。僕も文章が長い方ですし、質問文も長い方が事情が良くわかって助かります。

>バシャールなど今まで色々な方々の考え方にも深く共感しましたが、結局はあまりの高額な料金に、やっぱりお金なんだ…と違和感を感じてしまいます。

ホントですね。もちろん金を欲しがっているのはバシャール自身ではなく、それを自己利益のために利用しようとしている人たちなのでしょうけども。その点については他の宗教・スピに関しても同じですね。我々と別次元にいる意識たち(神仏・宇宙人)がこの次元のお金を欲しがるわけがありません。例えどんなに良い事を言っていたとしても、大金を要求したり何かを強要してくるような人には近づかないことです。お金を貰わないと救わないという人が本物のわけありません。そしてお金を払って自分だけ救われようなどと考えるような魂では次元上昇などできるわけがありません。バシャールは「ワクワクに従って生きる」なんてもっともらしいことを言ってますが、そのワクワクがエゴの期待であれば不幸に導かれるのが必然であり、人生というRPGのトラップなのです。それは引き寄せの法則の真実に書いた通りです。


>全ての記事を読ませていただきました。まだ私には理解に難しい部分があり、何度も読み返しているところです。

何度も読んでいただけているとのことで、大変光栄です。

僕の書いていることの多くは、理解が難しいというよりも、受け入れるのが難しいんだと思います。人間に初期設定されている常識(思い込み)に反する内容ですから。人はそれぞれ「自分の考えは正しい」と思って生きていて、それに反する内容を受け入れようとするとプライドが傷ついてしまうので、心が拒否してしまうのは自然なことなのです。ましてあなたには50年以上にも渡って強固に築き上げてきたあなたの常識(思い込み)があるわけですから、難しいのは当然です。

みんな人生というRPGのプレイヤーですから、他人から答えを教えられると、心が反発するように人間は創られているのです。みんな自分なりに失敗と試行錯誤を繰り返して自分なりに納得しながら前に進まないと、人生を生きる意味がないのです。

>周りの苦しんでいる人たちをポジティブな方向へサポートできるよう、真理を学び続けたいです。

その思いこそが菩提心なのであり、それはとても尊いもので、あなたが心からそう思うきっかけに僕がなれたとしたらとても嬉しいです。ただ僕らは経験して理解するために生まれてきていて、真理というのは経験を通じないと深くは理解できないものなのです。もし真理が経験もなく文章を読むだけで理解できるものであったら、人生に意味はなくなります。

だから僕が伝えようとしている真理も、現段階でまだよく理解できていなくても、あなたなりに実践し経験を積む中で腑に落ちて理解して幸せになって欲しいのです。僕の記事の内容を信じて実践したからといって、僕からお金を請求されたりどこかの団体に勧誘されたりするわけじゃありませんし、得るものはあっても失うものは何もありませんから、まだ半信半疑であっても実践していただけると幸いです。きっと真理を覚って幸せな人生に導かれると思います。

信じる信じないの基準に書いた通り、真理というのは「それによって自分もみんなも幸せになるかどうか」でわかります。しかしそれは実践してみなければわからないものなのです。僕の記事の内容を「書いてあることは素晴らしいけど、自分にはまだ難しくてできない」と考えて実践しないのでは何にもなりませんし、それではいつまでも本当の意味で理解できるようにはならないのです。僕は記事の内容を読者から褒められたいのではなく、読者に内容を実践して幸せになって欲しいのです。


真理は実践しなければ本当の意味では理解できないものであり、またそれは100%完璧にできるものではないからこそ、我々は実践し(改善し)続けることで終生成長し続けることができるのです。もちろん僕自身も成長を目指している過程であって、他人様に言うだけのことはやってますが、完璧にできているわけでは全然ありません。あくまでベクトルを真理の方向に向けながら実践し成長し続けることが大事なのです。

>主人格の霊=自己意識とそれ以外の複数の霊たちとの違いとは何なのでしょうか?自分の意識=主人格は一つでたとえ死を迎えて肉体を持たなくても、自分の意識は消えることなく永遠に存在し続けると思っていましたが、複数の霊から成り立っているとなると、どれが自分の本当の意識なのでしょうか?(私は肉体は主人格の霊のみで成り立っており、あくまで外部の霊によってネガティブ/ポジティブな影響を受けているのかと思っていました)

いきなり高度な話をすると面食らうかと思いますが、本来的に世界はワンネスなのであり、本当は「自分」と「他者(外)」という境界線は存在しないのです。我々は初期設定で与えられている「分離意識」によって「自分」と「他者(外)」が別なものだと思わされているだけで、本来的には全てが一つなのです。

あなたが認識できるすべての存在があなた自身の反映なのであり、本当のあなた(統合意識・創造主意識)の内側のものだということです。だから霊障というのも人間からすれば「外」から貰ってくるように思えても、単にそれは創造主が物語上そう見せているだけで、本当はそうではないということです。人生という「自分をプレイヤー(主人公)とするRPG」は、ゲーム全体が自分自身なのであり、そのゲームの外側から貰って来る存在など有り得ません。ゲームの中の全ての存在・事象にはきちんとシナリオ上の意味があって、それはクリエイターからの愛によって自分に与えられているのです。

「一霊四魂」という言葉があるように、主人格(直霊なおひ)と他の人格(四魂・それぞれに役割がある)は不即不離であり、いわば同一のものなのです。

そして低我(エゴ)・霊障による邪念の揺さぶりに負けないように、自分の愛を実践し哲学を積み上げていくことが魂の成長なのです。人生が与えられているということは、そのようにして「自分はどういう存在か?」というのを更新(成長)できる機会を与えられているということなのです。

本来我々(本当の自分)は光(智慧)そのもののような存在であり、思念・概念的な存在なのです。ただそのままでは何も経験できず、成長もできず、「自分とはどういう存在か?」を更新できません。しかし我々はこの物理世界において、肉体と共に無明の闇(愚かさ、霊的・魂的穢れ)を与えられることで「経験・成長機会」が与えられ、自分という存在を更新する機会を与えられているのです。

それ自体がとてもありがたいことなのであり、我々はそれを心から願って生まれて来たのですけども、それも無明の闇に隠されているがゆえに、わずかに思い出すことさえ困難なのです。そうして人は往々にして他人と比べて自分に与えられていないものを嘆き、人生が自分次第に創られていることにも気づかず、容易に被害者意識に飲み込まれて魂の成長を怠り、霊障を成仏させることができずに振り回され、不幸に導かれてしまうのです(だから難易度が高いのです)。

我々に与えられた無明(愚かさ・成長課題・カルマ)の最たるものが霊障であり、それが我々に愚かさ、霊的・魂的穢れとしてネガティブな方向に導く役割があって、それを乗り越えていくところに魂の成長があるということです。そしてそれが人生というRPGの設定の核なのです。このあたりの話は概ね憑依現象(霊障)について」「浄霊の効果の高めるには?などでご説明させていただいています。

霊障(霊的・魂的穢れ)は人生におけるカルマ(課題・シナリオ)を構成しているものであり、いわば映画フィルムのカラーのようなもので'す。そして魂というのは映写機の光のようなものであり、映すフィルムにカラー(カルマ)がなければ人生という物語は成立しないのです。しかしもし霊障をただ放ったらかしにしてカルマに振り回されてばかりいたら、人生は無明の闇に飲み込まれ、魂が成長せず、物語が悲劇にしかなりません。我々は魂を磨き続ける(無明・霊障を浄化し続ける・カルマを乗り越え続ける・愛に生きる)ことで、人生という「自分が主人公の映画」を色鮮やかで素敵な物語にしていくことができるのです。

霊的な穢れというのはあなた自身のシャドウであり、それはがん細胞のようなもので、外からやって来た異物ではなく、自分自身の一部なのです。霊障の因が自分自身にあると認めて許さず・愛さず・自己成長しようとせず、「これは外からもらったものであって自分ではない」と否定し、無理やり排除しようとすることで霊障は人格化(シャドウ化)し、「否定されたくない」と余計に猛威を奮うのです。このあたりの話は同じ過ちを繰り返してしまうをご参照下さい。

悪いことの因が自分自身にあると認めるということは、自分を責めるということではありません。それは成長課題なのであり、ネガティブな霊障がさせたことも自分の一部であると認め・許し・愛し、一緒に成仏することが大事なのです。本当は全てが創造主が我々に経験を積ませるためにさせたことなのですが、自分の悪業を自分で悔い改めることによって、本当の意味で「自由意志」という宝物を受け取れるのです。

創造主というのは全知全能かつ存在の全てであり、そのままでは経験ができないため、我々を通じて経験を積んでいるのです。彼は我々の全てを見て知っているのですから、完璧に情状酌量してくれていて、悔い改めればどんな罪も許してくれます。しかし「自分は悪くない」と自分の悪業を誰かのせいにして自己正当化していては、許しようがないのです。

>霊障によってネガティブな行いをしてしまったのかもしれませんが、自分の過ちを許すことは、責任転嫁や自分を甘やかすことのように感じて逆に罪悪感が増しますし、きっと相手からもさらに恨まれてしまうと思います。

それはあなたにまだ他人を責めたい気持ちがあるから、自分を許すことができないのでしょう。人間関係は完全に鏡なのです。

ただ単に他人に責任を転嫁して自分だけが許されよう・罪悪感から逃れよう・救われようとすれば、当然うまくいきません。それは「蜘蛛の糸」のカンダタそのものです。世界の本質はワンネスなのであり、自分と他人は同時に許さなければ許せないものなのです。答えはいつでも「誰も何も悪くないけど、自分が何とか(成長)しなければどうにもならない」です。


バイオハザードでゾンビが出てくるのはプレイヤー(主人公)の自分が悪いからではありません。それは
ゲームのシナリオ・初期設定・課題なのであり、ゾンビの存在を否定したり、ゾンビウイルスを作ったアンブレラ社やゲームそのものを作ったカプコンを責めてもゲームは前に進みません。精神病(霊障)もそれと同じで、誰のことも責めることなく、日々粛々と自分の課題として乗り越え続け、成長し続けていかなくてはならないのです。


どうか罪悪感によって自分自身を嫌悪しながら罰して不幸になることで相手の懲罰感情を満たそうなどと考えないで下さい。自他を許し・愛し・幸せにできる人間に成長していくことで贖罪をして下さい。

反省してはいけないは読者からかなりの割合で誤読されているのですが、罪悪感を感じる相手には創造主の代理として誠心誠意謝って下さい。人は自分を責める気持ちが強いからこそ、責められたくなくて素直に謝れないものなのです。そしてただ単に自己正当化するばかりで、誰かに責任転嫁するような考え方が前面に出ていれば、相手の心も自分の心も反発するのは当然です。エゴ同士というのは反発するのが必然なのですからね。例え相手に許されなかったとしても、罪悪感・贖罪意識があることを相手に伝えられれば、何の謝罪もしないよりはずっと良いのです。こちらが謝罪・贖罪した上で相手がこちらを許せるかどうかは相手側の課題ですしね。そして罪と恥の存在意義に書いたように、どうか自分が背負った罪悪感の分だけ心から人を許し愛せるようになって下さいね。

そのように自分も罪を抱えているのにも関わらず、自分を害した相手に対して自分を「無辜の被害者」のような立場に置き、上から目線で相手を「しょうがないから許してやろう」などと考えても、それは本当の意味での「許し」にはならず、心の中では自分の罪の相対化のために相手を責め、それをただ表面上我慢しているだけなので、その我慢はマグマのように蓄積していつか爆発するのが自明なのです。

我々の魂は同源・同一のもの(ワンネス)であり、相手と全く同じ条件で生まれていたら相手と完全に同じ人間になっているのです。だから本当の意味で「許す」というのは、相手を自分自身(の過去世・未来世)のように考え、目線を完全に同じにし、「相手も自分と同じように止むに止まれぬ事情があってこうなっているのだから仕方がない」と相手も自分自身も許して愛することが大事なのです。とても「忍耐」の要ることですが、それはただ「我慢」するということとは次元が違うのです。

相手の非に思えることも、あくまでクリエイターがあなたの魂の成長に必要だから、その相手との出会いを通じてもたらされているものであり、それは常に愛によって与えられているのですから、愛によって解釈し、感謝しながら成長につなげていくことが大事なのです。もちろんそれはとても高度なことであり、僕自身も実際の人間関係の中では容易に忘れてしまいます。それは死ぬまで続く戦いなのです。

>離婚相手に対し、ずっと被害者意識と怒りを持っていましたが、

あなたのご離婚については詳細が書かれていないので何があったのか知る由もありませんが、離婚についてもご参照いただけると幸いです。相手のせいだと考えているうちは、許そうと思っても本当の許しにはなりませんし、自分の成長にはつながらないのです。

人間関係は鏡であり、他人はみんな別な配役で生まれた自分自身のようなものです。だから他人とうまくいかない人というのは、まず自分自身と上手くやれていないんですね。自分の中にあるネガティブな霊的意思(シャドウ)とも、幼く純粋な霊的意思(インナーチャイルド=愛し愛されたいという純粋な思い)ともうまくやれるようにならなくてはなりません。そこはやはり同じ過ちを繰り返してしまうをご参照下さい。

>モノに価値はなく捨てるに値すると頭では理解していますが、どうしてもまだ好きな洋服を買ったりと、物欲が強く、自分を飾ったりすることがやめられません。常に何かを得ようとしてしまいます。また、仕事でも、もっと自分が向上したい、貢献したいという気持ちが強く、これらも捨てるべきなのでしょうか。

エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、悟りの道というのはエゴ(我欲)を無理に失くそうとすることではなく、エゴ(我欲)より愛(思いやり)を優先しようと常に努力し続けることなのです。

僕は「仕事での向上心や社会に貢献したいという気持ちを捨てるべき」なんてことは全然言ってませんし、そのように思われているのなら全くの誤解です。問題はあなた自身がそれを「捨てなければ」と思ってしまうほどに、己のエゴ(競争心・他者評価依存・執着)によって心が「苦しい」と感じていることです。

あなたの質問文全体を通じて感じられることは、まだ分離意識がとても強固なことです(人間の基本設定ですから当たり前ですが)。それによって競争心と他者評価依存が強いままで、とても勝ち気で負けず嫌いな感じがします。そして魂の成長というのは収入・社会的成功・他者評価とは無関係のものなのに、それさえも「誰か他人から評価されること」を価値としていて、すべてを見ている創造主ではなく他人からの評価を求めてアピールしている段階にあるような感じがします。だから苦しいのでしょう。

世の殆どの人にとっては分離意識を外して考えてみるということが全く思考の外にあって、この世界が仮想現実(魂成長のプログラム)だということも、自分自身が主人公なのだということも、まだ本当の意味では受け入れられないのでしょう。もちろん人間それが普通なんですけど、その普通(常識・思い込み・NPC意識)を乗り越えないと物語の主人公にはなれないのです。「別に主人公になどなれなくていい」と思うのかも知れませんが、そのようなNPC意識のままでは成長できず、悟り(本当の幸せ)には辿り着きようがないのです。

世間では多くの人が自分を他人と比べて「他人から評価されなければ価値はない」と深い部分で確信的に思い込んでいて、それが社会的に常識化し、それを外側から「異常である」と認識することさえできなくなっているのであり、それは社会病理なのです。そしてそれが「金・モノ・評価」への執着を生んで、愛よりエゴを優先するのが当たり前になっているのです。そして富や権力を他人にアピールして振りかざしたり、またそれができないからと卑屈になって「(誰かと比べて)自分は恵まれていない」と被害者意識を持ってしまうようになるのです。他者評価依存・被害者意識というのは人を不幸に導く(乗り越えるべき)人生のトラップなのであって、その意識を乗り越えて心から感謝できるようになっていかなければならないのです。感謝=幸せなのですから。

ほんの一部しか見ていない他人からの評価なんて本当にいい加減なものですし、人それぞれの考え方・性格や気分などによって左右される儚いものです。全ての面において他人より優れていて、他人から一生評価され続けるなんてことはありえませんし、そもそも世の中は自分を評価しない人・関心さえ持たない人・直接知り合うことさえない人がほとんどなのであり、外見や能力もいずれ衰え損なわれていくものですから、他者評価に依存する限り、人は絶対に幸せにはなりようがないのです。

分離意識・競争心・他者評価依存で生きると苦しいのは当たり前のことです。実に多くの人が自尊心を維持しようとするために能力や実績や主張の正しさによって自分がいかに周囲より優れているかを示そうとして周囲から嫌われ、孤独で幸せではないのに見栄のために幸せを装い、自分の間違いを自分で認めることを傷つくことだと捉えているがゆえに成長から遠ざかっているのです。そしてそれこそが不幸の原因(成長拒否)なのです。そもそも成長の目標というのを富と名声(他者評価)に置いていて、魂の成長には置いていないのでしょう。魂の成長プログラムである人生において、魂の成長と逆行する要素というのは不幸に導かれるのが必然なのです。

せっかくの仕事における向上心や貢献したいという気持ちも、動機にモノや実績や権力など何かを得ることによって自尊心を満たそうとするエゴが強くあると、そこに見栄・執着が生まれ、また過ちや欠点を自分で認められずに隠すようになって魂的な成長が難しくなりますし、結局手に入らないもの・失うものばかりで焦燥感が生まれて自尊心が下がり、心に愛を失って他人とうまくいかくなり、幸せから遠ざかってしまうものなのです。

世界の本質はワンネスですから、人間は損をしても得をしても脳がダメージを受け、自分を嫌いになって鬱になるように創られているのです(科学的に証明されています)。ですから損得勘定で生きること自体がもう既に不幸なことなのです。しかし同時に人は得をすると快楽物質が出るように創られているために無自覚なエゴジャンキーと化してエゴに埋没し、その損得勘定・エゴを基軸とした思考と行動が自分も周囲も傷つけていることに気づけないのです。

殆どの日本人は「他者評価依存」の傾向が強く、それが執着を生み、ほぼすべての行動の動機を愛ではなくエゴにしてしまい、それを当たり前だと思って意識さえせず、心の奥底では自分も他人も嫌いになって鬱状態に陥っているのです。そしてそれこそがNPC意識(不幸の元凶)なのです。

本来的には、本当に腑に落ちて魂レベルで考え方が変われば、その魂を主として行動が変わります。しかし人間にとって執着から離れる(エゴによる情動に振り回されなくなる)というのはとても難しいことなので、行動(実践経験)によって自分自身を魂レベルで変えていく(エゴによる情動を愛に変えていく)という荒治療(修行)が必要なのです。だからこそ仏陀は「六波羅蜜」の実践を重んじたのです。

お金の時代の終わらせ方(新六波羅蜜)は是非繰り返し読んで実践していただけると幸いです。僕は決して仕事や財産を全部放り出すべきだとか無茶を言っているわけでは全然ありませんので、誤解しないで下さいね。執着を手放すには、エゴより愛を優先することであり、僕に言わせればそれは「新六波羅蜜」を実践することなのです。あなたがまだ執着が強いのだとしたら、それはまだエゴより愛を優先することの実践が足りないからなのだと思います。きっと僕が実践して欲しいと言っていることも「執着が強い今の自分には無理だ」「(頭で)悟れてから実践しよう」などと考え、後回しにして(拒否して)いるのでしょう。

この世で何かを物理的・権利的に手に入れようとしてばかりいても、手に入らないもの・失うモノばかりで悲しく虚しくなり、愛を失って周囲とぶつかってばかりになり、どんどん心が貧しくなってしまいます。物質的・権利的なものはすべて幻であり、次の人生に持ち越せるものは魂だけなのです。その魂を豊かにするためには、お金やモノや権利や他者評価を得ることではなく、己の心を愛で満たし、全てをありのままに愛し、それを行動に表すことです。それができれば全てがあなたの魂(仏国土)と一体化し、それは全てがあなたのものになったようなものなのです。そしてその真理に実践経験から気づいて心から納得して幸せになっていただきたいのです。

それと女性がより美しくあろうと努力すること自体は素晴らしいことなのですが、美(外見)や恋愛的・性的なことを生きる活力みたいにすることには年齢的な限界があり、あまりそこに執着が強いと歳をとるのがよりいっそう苦しくなり、不自然に老化に逆らうようになって無理が生じてストレスになり、他人にもストレスを与えて避けられ、自分を虐めて卑屈で孤独になり、諸々諦めることで活力を失くし、心身共により早く老けることになってしまうと思います。それこそエゴ(魂の成長拒否)による自滅なのです。

人は年配になるほど容姿や服装なんかよりも「人間性による本質的な美しさ」の方がより大事になってくるのです。それは生き様の反映なのですから、見栄を張ってわざわざアピールしなくても(しない方が)所作や言動の節々に表れるものなのです。もし不必要にたくさんの服を欲しがり、またブランド品みたいな高いモノを欲しがっているのであれば、それは他者評価を受けそうなものを身に着けることで他人から評価されて自尊心を上げようという意識(見栄)があるのではないかと思います。それはやはり他者評価依存なのであり、「魂の成長」「人間性による本質的な美しさ」とは逆行するものなのです。

そしてやはりエゴ同士というのはぶつかり合うものですから、表層意識では色々と見栄を張り合いつつも、深層心理ではお互いにそれを醜いと感じて深い部分でお互いを嫌いになってしまうのです。洋服などはあなた自身の価値とは何の関係もなく、そこに執着するほど心に愛を失って己の本当の価値を下げてしまいます。本当の価値が愛にあるという真理も、やはり実践経験から己の魂に学ばせ成長しなければならないのであって、頭だけで理解しようと思っても無理なのです。

どうか誰でも自信満々になれる方法に書かれていることを、頭だけで理解しようとせず、実践から魂に刻むようにして理解して下さい。自信・自尊心は幸せとイコールの存在であり、その自信・自尊心=幸せというのは「自分も他人も無条件で愛し抜く覚悟と実践」によってしかもたらされないものだと気づいて幸せになって下さいね。心からそう祈っています。


悟りとは何か?に書いた通り、悟りの道というのは競争じゃありませんし、他者比較・他者評価は関係ありません。あなたというプレイヤー(主人公)個人に与えられたシナリオ・設定があるのですから、他人とシナリオ・設定(能力)・経験・進捗などを比べる意味はなく、あなたが常に自分の現時点を基準として魂の成長を楽しみ続けられればそれで良いのです。創造主は全てを知っている存在で、完璧に情状を酌量してくれますから、信心を持って魂の成長さえ目指し続けていれば、後は何の心配も要らないのです。


執着を乗り越えるのに必要不可欠なものは「信心」だと僕は思います。あなたから信心について全く言及がないのは、恐らく多くの日本人が陥って常識化している「宗教嫌悪症」になっているからであり、宗教=怪しいもの・詐欺だと決めつけているからではないかと思います。そして信心を「どこかの宗教団体に所属すること=己の心の弱さから洗脳され、金を騙し取られること=負け」と勘違いしているのでしょう。そして創造主・神仏を心から信じていないからこそ、他者評価を価値として執着してしまっているのでしょう。

信心なくして「創造主・神仏から自分が主人公として今を生かされているということへの心からの感謝」など生まれようがありませんし、それなくして幸せになれるなどということもないのです。そして今を生かされているということへの信頼と感謝がなければ、いくら稼いでも不安がなくなることはなく、お金に執着せざるを得なくなります。そしてクリエイターと自分の存在に対して心から感謝できるように魂(哲学)を成長させられていないのに、何かに対して「感謝しなければならない」と感謝を無理やり自分に強いることは、必ず「嘘」が混じることになり、嘘を自分に強いることはそれ自体が苦しく不幸なことなのです。

僕が記事で語っていることは、すべて創造主から覚らされていることであり、もし僕を信じて下さるのなら、どうか創造主を信じて、その分身たる神仏について学び、信仰に生きて下さい。

<創造主からの伝言・さとり四カ条>
①偉くなろうとするな。(自他全ての存在が)尊いと知れ。
②特別になろうとするな。特別(主人公)であると知れ。
③日々愛を実践し、特別ではなくなること(差取り・ワンネス)を目指せ。
④幸せになろうとするな。幸せであると知れ(感謝報恩に生きよ)


>リクエストしたい記事 -執着の手放しかた
この記事こそが「執着の乗り越え方」なのであり、そもそも僕の記事は全体として本質(真理・愛)について書いており、それは執着の乗り越え方とイコールなのです。あなたがまだ執着に苦しめられているのは、頭で理解しようとするだけで実践から魂レベルで学ぼうとしていないからだと思います。誰でも自信満々になれる方法お金の時代の終わらせ方」「自分と他人の愛し方などをよく読み返して実践してみて下さい。

>リクエストしたい記事 -夢について
夢については既に旧質問箱で回答させていただいたのですが、リンクが見つかりません。
夢だけでなく、全ての事象に意味があって、全てがあなたの人生の伏線なのであり、どう解釈するか?がとても大事なのです。全てが愛によって与えられているのですから、愛で解釈できれば、より正しく解釈できるようになっていきます。そこに魂の成長があるのです。

アヤワスカ中の経験であれば、それが夢のようであっても、僕はその意味を正しく読み解くことができるのですが、日常的に人それぞれが見る夢の意味を読み解くようなことは僕にはできません。夢というのは本当に色々あって、それぞれに意味があるので、その全てを読み解けるようになるような一貫した説明というのはできません(恐らく存在しません)。旧約聖書のダニエルみたいに夢解きができる人もいるのかも知れませんが、少なくとも今の僕にはできません。だから残念ながら夢についての記事は僕の中の優先順位としては低いです。せっかくリクエストいただいたのにすみません。

2024年12月11日水曜日

カルマの良化法(身内のアル中問題)

【質問】年齢不詳・男性 ペンネーム:Tuki

僕の一家は幼少期からお酒の問題があり、酒に溺れて中毒になっている人がたくさんいます。何とか救えないものかと日々頭を悩ませていましたが、全ての問題は鏡であり、自身の成長のためにあると捉えるようになってからは、それもまた己の成長課題だと考えられるようになりました。

そもそも酒を悪として断定しているから酒を悪く思うような世界に追い込まれているのではないか?と。そしてもし全てを成長の課題として感謝できるかを問われてるのであれば、世の物事はポジティブで取るかネガティブで取るかが大事で、そこが問われているのではないかと。結局、菩提心が『核』であり、そこが確立していればならないのではないかと思うようになりました。

酒=『それによって家庭が壊れるから酒は悪』ではなく、酒によって学ばなければいけないものが浮き彫りにされたと捉えた時、そもそも酒は菩提心や信心の欠如を浮き彫りにするためではないかと僕は感じました。菩提心や信心が根底にあれば、酒を無理に辞めさせなければならないようなこの世界線は存在しないのではないかと。

今の僕のレベルではアル中を救うことは出来ていません。勿論諦めず日々悟り実践あるのみと考えていますが、依存を辞めさせることの難しさを痛感しています。

【回答】
ご質問ありがとうございます。つまり「どうすれば身内のアル中の人たちを救えるか?」「どうすればカルマを解決できるのか?」というご質問だと解釈してお答えさせていただきますね。

僕にも家族や親戚にそのような重いカルマ(精神病の家系)があり、本当に僕自身のこととして回答させていただきたいと思います。我々人間というのは、どこかにカルマが軽い人がいるような幻想を抱いて「なんで自分だけこんな・・・」と被害者意識に陥りがちなのですが、カルマというのは人生RPGのシナリオですから、カルマが軽い人間など本当は存在せず、その人なりの苦労があるんだと思います。実際、よく知る人のカルマというのは自分と同じぐらい深いはずで、カルマが軽く見えるのは単に相手を深く知らないだけだったりするのですね。誰だって自分や身内の恥にもなるようなことはそうそう他人に言うわけないですし。

ですので、今回は質問者様と同じようにカルマ(人生の成長課題)に翻弄されてどうすべきかわからず、行き詰まって苦しんでいる多くの「魂の同志たち」のために書いていきたいと思います。決して他人事のように思わず、主人公である読者様個人に向けて伝えているのだと思って読んでいただけると幸いです。

>もし全てを成長の課題として感謝できるかを問われてるのであれば、世の物事はポジティブで取るかネガティブで取るかが大事で、そこが問われているのではないかと。

>そもそも酒を悪として断定しているから酒を悪く思うような世界に追い込まれているのではないか?と。

自由意志の仕組みと存在意義でご説明させていただいている通り、行動の選択より先んじて良い解釈(考え方・世界観・哲学)の選択が大事なのは確かです。ただしカルマ(因果)というのは人生というRPGのシナリオ・設定であり、いくら主人公次第でシナリオ(ルート)を選ぶことができるといっても、大枠での伏線や基本設定まで変えられるわけではないのです。そこを変えられたらカオスになって物語が成立しなくなります。そこを誤解されないようこれからはカルマの「解決・解消」ではなく「良化・選善」などと書くようにします。

悪いカルマの解消法に書いた通り、人生は魂の成長プログラムなのです。カルマというのは自分という主人公個人だけにアレンジされて与えられた成長課題なのであり、難しい課題はよりレベルの高い魂に与えられるのです。ですからあなたの人生のカルマが重い(苦難が多い)のであれば、それだけあなたの魂のレベルが高いということであり、まずそこに誇りと感謝の気持ちを持つべきなのです。生徒が絶対に乗り越えられない課題を出しても成長するわけがないですから、あなたに乗り越えられない課題というのは与えられていないのです。逆に簡単過ぎても成長するわけがないですから、課題は難しいのが当たり前なのです。

自分に与えられた課題が難しいからといって、自分を他人と比較し、まるでラクをして楽しく幸せに生きている人がいるかのように羨んで(幻想・罠)被害者意識に陥るのは創造主の愛に反することであり、それはカルマを悪化させる最たるものです。本当の幸せというのは苦労を乗り越えずには得られないものなのです。

あなたのおっしゃる通り、菩提心は悟りの本当の意味でのスタートであり、それが核であるのは間違いないですし、ポジティブな解釈・感謝も大切です。しかしだからと言ってただそれだけで人生のカルマ(課題)が全てが解決するわけではありません。そんなに簡単だったら物語がすぐに終わってしまいます。

確かに真理というのは悟るほどに幸せになりますし、過去のレベルの問題は問題にならなくなるのですが、同時により難易度が高い問題への挑戦権も得ることになるのですから、「悟るほど幸せになる」というは「ラクができるようになる」ということではないのです。苦労を乗り越えて成長し悟っていく過程に本物の幸せがあるのですからね。

人生は魂成長のプログラムなのですから、ラクをしたり逃げたりして幸せになれるように作られているわけがないのです。逃げ道はすべてトラップであり、先は必ず行き止まりになっているのですから、早めに「逃げ道など最初からないのだ」気づいて早めに腹を括って立ち向かった方が、早く幸せな人生になります。逃げると学校の追試験・補講のように雪だるま式に大きくなりながらどこまでも追いかけて、楽しいはずの人生という夏休みをどんどん目減りさせてしまいます。

ただそういう「逃げることで逆に苦労する」という経験も人生には必要なもので、決してムダにはなりませんから、あまり「絶対に逃げてはいけない」と自分を追い詰めて考えないで下さいね。RPGで自分のレベルに相応しくない相手と出会った時や本当に弱っている時は逃げが賢明なのと同じです。もちろんそれは「今はダメでもレベルアップしていつかは必ず乗り越えてやろう」と成長方向にベクトルを向け続ける覚悟がなければ永遠にクリアできないという点でも同じなのですが。

ゲームは真剣になるからこそ楽しめるものなのですが、さりとて深刻になってしまっては楽しめません。人生というゲームもあくまで楽しむために与えられているのですから、深刻に悲壮感を漂わせながらやるべきものではなく、真剣に取り組みながらもどこかで「しょせんはゲームなんだから」という突き放した感覚を持っておくこともまた大事なのです。それはエゴ(我欲・保身・虚栄)による執着によって人・世の中を救おうとせず、悟りから遠ざかって愛を失わないためでもあります。ただそれはあくまでも最後まで真剣にやり切ろうという覚悟(菩提心)ありきの話で(般若心経もそこを伝えようとしていたのです)、投げやり(魂の成長放棄)はダメですからね。

そして僕らが「永久に苦労し続ける宿命」とはいっても、僕らの肉体も魂も金属製品のように疲労し続けるわけではなく、毎日栄養を補給し休憩し睡眠をとって元気を養いつつ、何かの節々には達成感も味わいながら幸せに成長して行けるのですから、「この苦しみはいつまで続くのか」みたいに考えて絶望しないで下さいね。「苦労(成長)そのものを愛そう」と腹を決めれば腹が据わります。スポーツのトレーニングと同じで、苦労は受動的ではなく能動的・積極的にすることで楽しくなれるものなのです。

僕らは永久に成長を続けることが宿命づけられた存在であり、永久に成長課題(苦労)が与えられ続けて永久にラクはできませんし、将来ラクをしようという動機で努力しても絶対に報われないのです。それは宿命ですから受け入れる以外にありません。「若い時の苦労は勝手でもしろ」と言われますが、「若い時の」という一言で全て台無しになっているのです。「永久に」苦労は買ってでも(能動的に)しましょう。

僕らの魂にとって、この人生という「愛と成長の物語」の経験機会が与えられず、永遠に存在だけが続くことの方が地獄です。もしあなたがその「魂の地獄時代」を思い出せれば、今人生を与えられていることに心から感謝の気持ちが湧くことでしょう。逆にその感謝の気持ちがなく被害者意識で自殺に逃げるような人の魂は、何も経験できずに存在だけが続く無間地獄のような状態に戻されるのが必然なのです。それは自殺するとどうなるか?に書いた通りで、僕らはそちらの世界を選ばなかったからこそ今の人生を生かせてもらっているのです。

悟りとは何か?に書いた通り、究極の真理・悟りのゴール(彼岸)はワンネス(すべての存在は一つ・私=あなた)ですが、それは航海における北極星のようなもので、僕らが生きている間にそこに辿り着けるわけではありません。そこを目印として人生という航海を渡る過程(経験)に意義があるのであり、人それぞれに与えられる経験(ルート・シナリオ)が違っていて、お互いにその物語をシェアし合えるからこそ生きる意味があるのです。

人生が愛と成長の物語なく、個性の確立なく、いきなりワンネスに還ってしまっては我々が生まれて来た意味がありません。「自分はどんな存在か?(個性)」というのを、人生経験を通じて(主に人間関係と自己表現から)悟り、試行錯誤しながら更新して確立していくことが大事なのです。それがお互いのカルマを乗り越える(シナリオを更新していく)ということであり、自分も他人も許し・尊敬し・感謝し・愛せるようになっていくことであり、己の使命を果たすことなのです。僕らは死ぬと魂が純粋な概念・思念へと還るのであり、その次元において僕らは「自分とはどんな存在か?」を更新できません。僕らはそれを更新するためにこの現象世界に生まれて来ているのです。それができることにまず感謝の気持ちを持たなくてはいけません。

エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、僕らの次元において愛とエゴは表裏一体のものであり、決してエゴを失くすことはできません。エゴを失くそうとするのではなく、それを課題として乗り越えること、つまり己の執着を捨てて節度を知り、周囲の人のエゴを自分より少しだけ優先して慈愛によって満たそうとすることです。それが連鎖すればこの世界のエゴの連鎖・肥大・暴走が止められてみんなが救われるのです。それがいわば中道であって、決して単純な自己犠牲(自分への愛の不足)やエゴを滅することが悟りの道ではないのです。


究極の目標は、我々の魂が全ての存在との許し・和解を成立させて愛せるようになることであり、この全てが陰陽二元的に創られた世界を愛一元(創造主意識)に還していくその過程に悟りの道があるのです。

あなたが既に悟られている通り、カルマは愛によって成長(悟り・幸せ)を願って与えられているシナリオ・設定ですから、それを感謝して受け取って乗り越えていくべきで、カルマの存在を被害者意識・不平不満・恨みなどで返してはいけません。自分という主人公だけに与えられているオリジナルのカルマ(シナリオ・設定)があるのですから、それを他人(NPC・他のログインプレイヤー)と比べて「何で自分だけこんな・・・」みたいに不平不満を持つことは、必然的に自分自身のカルマを悪化させるのです。


ただまだあなたの腑に落ちて理解されていないように感じられることは「全ての魂が同源・同一であり、それは出会うみんなが同一人物であるが如くであり、自分が相手と全く同じ条件で生まれ育ったら、必ず同じ人間になって同じ考え方・行動をする」ということです。

本来的に「他者」というのは存在せず、本当は同一の存在(ワンネス)であるにも関わらず、僕らが孤独を感じなくて済むように魂が分離されているのです。そしてそれぞれが主人公として人生という愛憎劇・成長の物語を楽しめるように、壮大な仕組みでもって成立させられているのです。

それでも本当は同一の存在なのであり、自分も相手も同じように愛することこそが魂の成長に繋がるのです。これはとてもレベルの高い話ではあり、特に若い頃というのはみんな分離意識が強く、受け入れられないのは仕方のないことなんですけどね。僕自身もいまだにすぐに忘れて失敗を重ねていますし。

人が往々にして他人の話を聞いても「自分だったら絶対そうしない」などと考え、相手に同情できずに責めたりしてしまうのは、単なる想像力の不足であり、それは人間に与えられた無明(愚かさ・成長課題)であって、僕らはそれを乗り越えて相手に心から同情し愛せるように成長して行かなければならないのです。

あなたが出会う人の正体は、全員が創造主の分身なのであり、最初から答えを知っていながらわざと忘れて愚か(無明)になっていて、人生経験(失敗・試行錯誤・成長)を楽しみつつ、無自覚ながらあなたに何か大事なことを覚らせようとしてくれているのです。例えあなたにとってどんなに嫌な人・愚かな人で、アル中などであっても、それはあなたの愛と成長の物語を紡がせるために無償で与えられた共演者であり、尊い存在なのです。人生というRPGにおける縁というのは偶然ではなく、楽しませるために偶然だと思わされているだけで、ちゃんと一つ一つの出会いに理由(クリエイターの意図・愛)があり、すべてが伏線上の必然なのです。だから目の前の人を無条件かつ全力で愛するというのはとても大事なことなのです。

カルマというのは人生というRPGのシナリオ・設定であり、それは一筆書きのようなものであって、どこかに独立して存在している「他人のカルマ」というのは存在しないのです。我々の魂は本来同一の存在なのであり、すべての存在がお互いに補完関係にあるのですから(諸法無我)当然です。そして自分の人生においては、出会った人(登場人物)全員のカルマが、主人公たる自分を中心として繋がっているのであり、それが自分の人生という物語を形成しているのです。

あなたは自分を主人公とする主観的世界(モナド)の主であり、その中(心の中・認識世界)に存在する住民は本人のコピーAIのようなものであり、その全員(僕も含めて)があなたのために存在していて、無自覚にその伏線通りに動かされているNPCなのです。

だから相手(伏線通りに動いているだけのNPC)側を直接変えようとすることは、自分という主人公に与えられている物語の伏線の無視であり、それは絶対にうまく行かないようにできているのです。人生はあくまでも自分という主人公の成長の物語であり、そのカルマ(課題)をクリアするには、直接相手側を変えようとするのではなく、常に自分側が成長して自分の物語を進めなければならないということです。僕自身もそれを知っていながら、実際に人と接するとすぐ忘れてしまうんですけどね。答えはいつでも「誰も何も悪くないけど、自分が何とかしなければ(成長しなければ)どうにもならない」です。

あなたの「身内にアル中が多い」というそのカルマ(課題・シナリオ)を良化できず行き詰まっているのは、その人たちが悪いからではなく、だからといってあなたが悪いからでもなく、あなたが主人公として回収していない伏線があるからであり、もし改善するどころか悪化しているように感じられるのであれば、それは人生という映画の監督(創造主)から「早く伏線を回収しなさい」とケツを叩かれているということなのです。

あなたは「身内のアル中問題」という他人側に現れている一つの現象だけに着目し、それを「解決すべきカルマ」と捉えているようですが、主人公であるあなたにはもっと直接的に自分に起因するカルマ(課題)があるはずで、またそれを乗り越えていないことによってあなた自身の身に起きている負の現象があるはずです。なのに「身内のアル中問題」以外をまるっと無視して書いていないのは、あなた自身が自分の人生の問題を全部親とか身内のせいにして、自分自身を起因とするカルマ(課題・欠点や過ち)から目を背けているからではないでしょうか?

人生というRPGは、大枠のシナリオや基本設定を動かせないというだけで、基本的に全てが主人公である自分の選択次第に創られています。だから本物の主人公意識というのは、過去・現在・未来のすべてが主人公である自分の選択に起因していることを受け入れる覚悟なのであり、それを全て親や世間など自分以外のせい(=設定側のせい)にしては、せっかく主人公として自由意志(選択権)を与えられた意味がなくなり、そのような被害者意識が自分自身を「ただ設定通りに動かされるだけのNPC」にし、自ら人生を自己効力感のない「クソゲー」にしてしまうのです。

もちろんあなたはきっとその身内の問題によってたくさん辛い思い・嫌な思いをされたのだと思いますし、それを「許そう」とする努力自体はとても尊いものだと思います。しかし「この人たちのせいで自分は・・・」と自分の人生の問題を全部他人のせいにする被害者意識がベースにあると、いくら相手を許そうとしてもそれは本当の許しにはならないのです。本当の許しというのは、相手と目線を完全に同じにした上での(自分と相手を同一人物として考えた上での)心からの同情がベースになっていなければ成立しないからです。

カルマというのはその解決に順番(シナリオ・伏線)があるのです。己の問題(欠点・過ち)と真剣に向き合い、受け入れ、許し、乗り越え、愛し、成長していく過程を飛ばして逃げたままで、自分を「無辜(むこ=イノセント)の被害者」の立場に置いて「こんなアル中の人より、それを許そうとしている自分の方が立派な人間である」というような上から人を許そう・救おうとしても、それは本物の慈愛ではなく逃げなのであり、自分と同じように問題(欠点・過ち)を抱えて苦しんでいる人たちを心から許し、尊敬し、感謝し、愛することによって救うことはできません。菩提心(主人公意識)というのは、被害者意識(NPC意識)を持ったままでは本物になりようがないのです。

「鏡の法則」という本では、「自分と親との関係を見つめ直し、生み育てて貰ったことへの感謝を伝えたら、自分の子供が学校で受けていたイジメがパッタリとなくなった」「それからどんどん自分と家族の人生が好転していった」という例が紹介されていますが、本当にカルマというのは人(プレイヤー)の目線ではどこでどうつながっているのかわからないものなのです。

僕はまだ会ったこともない他人のカルマ(課題)まで見えるような三昧は得ていませんので、あなたが目を背けているカルマ(課題)が何なのかは全くわかりません。そもそも「自分のカルマ(課題=人生のテーマ)は何か?」を見つけること自体が本人に与えられた課題なのです。カルマがどこでどうつながっているかはなかなか見えないものだからこそ「自分のカルマは何か?」を自分で考えながら一つ一つ試行錯誤して乗り越えていくところに魂の成長があるのであって、それを直接的に他者(NPC)から教えられては魂の成長には繋がらないのです。

ただ己のカルマというのは、自分にとって一番痛くて向き合いたくないところにあるだけで、本当は自分自身が一番よくわかっているものなのです。それと向き合いたくないがゆえに「自分のカルマがわからない」と思い込み、「自分は目を背けている」と認識することからも目を背け、何か悪いことがあっても偶然のせい・他人のせいにして自己防衛・自己正当化しながら逃げてしまっているだけで。

しかし僕らは同一人物のようなものですから、自分が一番痛くて向き合いたくないカルマ(課題)というのはだいたいパターンが決まっているのです。

■自分が本当にやりたいこと・使命(夢)から逃げ、保身のために惰性で生きている
 怠惰・臆病によって転機(チャンス)を逃し、せっかく創造主から用意されている
 未来の素晴らしいシナリオを自ら拒否してしまっている
■誰かを恨み、憎み、許せていない・愛せていない 見下したり責めたりしている
■恩を仇で返したり、自分が害してしまった相手に謝罪・贖罪できていない
■他者評価依存で自己嫌悪が強く、自分イジメをしている(自分自身への愛の欠如)
■被害者意識を持ち、厭世観が強く、信心と感謝報恩に生きていない 慈愛が足りない
■自分の欠点や過ちを乗り越えようとせず、運命・偶然や他人のせいにして呪っている
■身内にべったりで、優れた人・苦手な人・新しい人との出会いを避けている
■何かに依存している 引きこもっている(傷つくことから逃げている)
などです。

まぁ他にも結構あるのですが、すべて「魂の成長拒否=伏線の回収拒否」なのであり、分けて書くのが難しいほど全部繋がっているのです。

で、あなたに心当たりは・・・ないはずがないですね?僕らは同一人物のようなものなんですから、当然僕にもあります(だからお互い励まし合って乗り越えて行きましょう)。

こうやって回答をしている僕自身もまだまだ成長過程にあり、常に己のカルマを乗り越えようとしているのです。くれぐれも「自分は完全に悟っている」などと上から目線で何かを偉そうに教えようとしているかのようには誤解しないで下さいね。僕も他人様に言うだけのことはやっていますが、もちろん完璧にできているワケではありません。もし完璧にできたら成長要素がなくなって幸せを感じることができず、話が終わってしまいますからね。

かつての僕は完全に自業自得で不幸になっていながら、特別な努力もなく突然悟りを与えられて幸せに導かれたので、僕を幸せにしてくれたその悟り・導きを無償かつフラットな目線でシェアすることで、それを受け取ってくれた人たちもまた幸せに導かれるように努めているだけなのです。僕の目的はあくまでも人を幸せに導くことであり、決して偉そうに誰かの問題点をあげつらって責めて傷つけたいわけではないのです。

魂成長プログラムである人生において「魂の成長拒否=伏線の回収拒否」が不幸に導かれるのは当然(因果応報)であり、それは決して創造主の意地悪ではなく、自発的に気づいて成長するように導いてくれているのです。この世界に偶然は一つもなく、すべてが必然であり、カルマ(課題)を他人と比べて不平不満を言ったり、偶然のせいにして逃げたり、自分以外のせいにして被害者意識に陥っていては、その解決には導かれないのです。

<霊的カルマの解決法>
あまりにも重く解決が難しいカルマを抱えている場合、大事なことは自力のみで解決しようとしないことです。それは信心への導きだと考えられるからです。神仏をすがり、神仏への愛を示し、心身の清潔を日々保つようにしてみて下さい。僕からどこの宗教ということはお勧めしませんが、どこかで浄霊は一度受けてみた方が良いと思います。明らかに怪しい宗教は避けつつ、ご自身が縁を感じる宗教を頼ってみて下さい。これについてはnote記事を削除してしまったので、別記事で詳しくお話しさせていただこうと思っています。

アル中の人との接し方=人との接し方・生き方
ここまでを全て踏まえた上で、具体的な「アル中の人との接し方」を書いておきますね。
真理というのは万能であり、これから書くことはアル中の人だけでなくあらゆる人との付き合い方・生き方に共通する真理なので、「人との接し方」「人としての生き方」と一般化していただいても全く差し支えのないものです。もしあなたがここに書かれていることをあらゆる人間関係に応用して実践し、生きる指針として下さるのであれば、みるみる人生のカルマが良化していくことでしょう。

さて、お酒は大抵みんなが飲んでいるものなのに、アル中になる人とならない人がいます。違いは何だと思いますか?・・・それはアル中になる人たちが、人生の問題(カルマ)への対応策として「問題そのものから逃避しよう」という意識が強いことであり、たまたま身近にあって手軽な逃避手段がお酒だっただけで、もし身近にドラッグがあって手軽に手に入っていたらきっとドラッグ中毒になっているのです。そしてそのような逃避(成長拒否)がカルマを悪化させることは、ここまで再三述べて来た通りです。

人は分離意識(魂の光を分ける無明の闇・愚かさ)によって、相手の問題を「アル中」のように恣意的に具体化することで「自分は違う」「相手の問題であって自分の問題ではない」と考えてしまいますが、自分が出会う人の問題というのは(抽象度さえ上げれば)必ず自分にも当てはまるものなのです。

だから抽象度を上げて「鏡の法則」に当てはめてみれば、やはりあなた自身もカルマから逃げているために、そういう逃避(依存)傾向が強い人との出会いを通じて、拡大鏡のようにあなた自身の姿を見せられているのではないかと思います。

酒にしろドラッグにしろ「自分が自分であること」に耐え難くなって「自分」というものの経営権を悪しきスピリットたちに明け渡すものですから、依存症になっている人たちはもう主人格による自我のコントロールを失っているのです。このあたりの話は憑依現象(霊障)についてに詳しいです。

その人の主人格は酒やドラッグが悪いことぐらい十分わかっていてやめられないのですから、「やめた方がいい」などと言ってもやめるわけがなく、心が反発して逆効果にしかなりません。その人の主人格が本気で心の底から「やめたい」と自発的に思うように導けなければ、例え一時的にはやめさせられたとしても、ただやりたいのを我慢しているだけでしかなく、我慢というのはマグマのように蓄積するものですから、いずれ爆発するのが必然なのです。

人生は自分をプレイヤー(主人公)とするRPGであり、それは自分なりの考えに従って過ち・失敗を繰り返し、試行錯誤して納得しながら前に進むのでなければ楽しくないですし、魂の成長にも繋がらないのです。

だから人間(プレイヤー=主人公)の心は、自分がプレイしている最中に脇からああだこうだと聞いてもないのに答えを言われれば、無意識に反発してしまうように創られているのです。(自分で考えることを放棄して他人の考え・常識に依存すればNPCになってしまいます)

人の「感情」の重要な存在意義の一つは「自由意志」を価値ならしめることにあり、それゆえ誰かに選択を強制・強要されて自由意志が犯されそうになると、必ず反発するようにできているのです。人は他人から正しいことを言われれば言われるほど傷ついてその人を嫌いになり、嫌いな人の言うことには逆らいたくなるのが人のサガなのですから、こちらの言うことが正しければ正しいほど相手をより間違った方向に進めてしまうのです。

だから己の劣等感解消のために「自分は正義である=価値がある」と考えるような「独善的で愛のない正論吐き」というのは害悪でしかなく、また「間違っている人はいくら傷ついても構わない」と考えるような無慈悲な正義感(エゴ)の連鎖が世の不幸の元凶なのです。

もし正解(真理)に価値があるのなら、最初から全ての答えを知る全知全能の創造主が僕らに人生を与える意味がありません。経験(失敗⇒試行錯誤⇒成長の過程)とそれに伴う感情が、答え(真理)を価値ならしめるのです。そして自分の経験・感情をみんなと共有し、同情・共感し合いながら(慈愛)、一緒に物語を紡いでいけることこそが人生の価値なのです。だからこそ僕らには人生が与えられ、わざと無明(愚かさ・分離意識)が与えられているのです。

それを踏まえ、以下の三カ条が創造主直伝の人の導き方を伝えておきます。これはとても大事なことなので、目に付くところに書き写しておいて下さい。

<主人公救世三カ条>
①指摘せず気づかせる 
 正しさより思いやりを優先し、相手を傷つけない 
②教えず覚らせる
 自分の愛の実践・成長を通じて背中で語り、相手に覚らせる
 例え話でヒントを出し、答えを相手に言わせる
③自らの学びとする 
 相手の問題(愚かさ)は、創造主から主人公である自分へのメッセージ
 相手のカルマは自分のカルマの鏡

世の問題(カルマ)というのは、突き詰めればすべからく「愛の不足」が原因であり、逆に言えば全ての問題の解決策(カルマの解決法)は「愛」なのです。僕らは「愛とは何か?」を経験的に知るために生まれてきているのですから、当然と言えば当然です。

反省してはいけないに書いた通り、依存症など「悪いことがやめられない人」というのは、自尊心が下がって「どうせ自分なんて・・・」と自分イジメをしていて(自分への愛不足)、他人のことも思いやれない(他人への愛不足)から孤独で、それゆえに悪いとわかっていることがやめられず、ますます依存対象に逃げるしかなくなっているのです。だから無理やり止めさせようとしても、ムダどころかますます自尊心を下げて逆効果になるのです。

だから相手(ゲーム仲間・人生の共演者)がプレイヤー(主人公)として自ら間違いに気づいて、人生というゲームを勇気を奮い起こして良い方向に進めるように、己の愛によって導かなければならないということです。

そこで相手に「自分に自信を持ちましょう」などと言って相手側を変えようとしても、相手の自尊心が上がるわけがありません。結局、主人公である自分が愛を実践して自他に与え、相手の自尊心を自然と上げられるように成長して行くしかないのです。

相手は自分自身の鏡なのですから、自分自身がカルマから逃げていたら愛も勇気も与えられるわけがなく、文字通りお話(物語)になりません。あくまでも変わるべき(成長すべき)は主人公たる自分なのです。

だからまずは自分自身が「出会った誰に対しても決して差別したり見下したりすることなく、誰かと比較することなく、欠点や過ち・罪や恥を許し、かけがえのない存在として尊敬し・感謝し・愛する」ということを実践し成長することです。そうすればあなたも自分自身のことを他人と比べずに許し・尊敬し・感謝し・愛せるようになります。

「愛を実践して相手に与える」というのは、恋人でもない人にいきなり「愛してるよ」などと言ったり、あれこれわざとらしく親切にして世話(おせっかい)を焼いたりすることではなく、おべっかを使って相手におもねり褒め倒すことでもありません。そういうのは「嘘」の含まれた「演技・アピール」であり、無理があるのでお互いに気持ちが悪くなるだけです。それは愛の表現として適切ではありません。

愛を表現する(=相手の自尊心を上げる)のに必要なことは、以下のたった2つのことです。

「1⃣ 心からの笑顔で挨拶すること」
まず、誰かに会ったら例外なく相手が笑顔になるまで笑顔をやめないことです。最初はぎこちない作り笑いになったとしても全然構いません。

ただ本当に大切で難易度が高いのはこの「心から」という部分です。もし相手を心から許し尊敬し感謝し愛せていれば、それは否応なく態度に反映されます。逆にもし心の中でほんのちょっとでも「この人嫌だな・会いたくなかったな」とか嫌ったり見下したりするようなネガティブな感情を持っていれば、いくら態度だけを取り繕おうとしても、会った時の一瞬の表情に出て、お互いに「ひょっとして嫌われているのでは」と疑心暗鬼に陥るのです。そして好きな相手から嫌われて傷つかないように、相手の欠点や過ちをあげつらって「こちらの方が相手を嫌っているのだ」と考え、それもお互い態度に出たり共通の知人から伝わったりして関係性が劣悪になるのです。

そのように何事も心が伴っていなければ逆効果なのであり、だいたい人が心を病む原因というのも、そのように「自分が心から思ってもないことを、無理やり自分自身に押し付けて強制すること」にあるのです。

我々はみんな同一人物のようなものであり、我々の統合意識(≒深層心理)というのは一つであって、そこに対して嘘や隠し事やごまかしは一切通用せず、全てがバレバレなのです。そして人生というRPGはその全てを知っている統合意識(創造主意識)によって厳格なルール・設定を元に運営されているのです。だから自分の演技を上達させて態度を取り繕うのではなく、相手を心から許し愛せるように・統合意識(創造主意識)から愛されるように、自分の考え方のほうを変えることが大事なのです。

最初は無理のある作り笑顔だったとしても、心が伴ってくるうちに段々と本物の笑顔になっていきます。そうして自分が無条件に人を愛せるようになり、出会いそのものが嬉しくなってくれば、誰と会っても自然と笑顔になるのです。

その心からの笑顔よって相手は「自分は存在を肯定されている」「愛されている」という無言のメッセージを受け取るのであり、それが相手の自尊心を上げ、自ら悪癖(依存症)を断って前に進む勇気を与えるのです。

「この人を大切にしたい・裏切りたくない」という本人の思いが依存対象より強くならなければ、依存というのは断ち切れないものなのです。「どうせ自分なんて(誰にも愛されない)」と思っていたら、退廃的な行動に歯止めが効かず、依存を断ち切れるわけがありません。

人は自尊心を上げてくれる人を愛し、下げる人を避けるようにできているものなのです。例えどれだけ相手がこちらのことを悪く思い、例えどんな悪い態度を取ろうとひるむことなく、ただただ愛すること(許し・尊敬し・感謝すること)が大切です。どんなに嫌って意地悪をしてもあくまでも自分を愛し抜こうとする人間を嫌い切れる人などいないのですから、こちらが人を愛し抜く覚悟さえ持てば、人から嫌われることを恐れ相手の顔色を伺ってビクビクする必要などないのです。そうすればいつでも自信満々で堂々としていられます。そして相手は自尊心の高いこちらに愛されることで、相手側の自尊心も自然と上がるのです。相手は自分の鏡ですから、それ以外にうまくいく方法などないと思って下さい。

このあたりの話は誰でも自信満々になれる方法に詳しく書いています。

あなたが出会う人はみんな、天から派遣されて無償であなたが主役の人生に出演してくれている共演者であり、創造主の分身であり、あなたの愛と勇気が試されているのだということを忘れないで下さいね。

「2⃣ 相手の話を一切否定せず、肯定的・同情的・共感的に聞くこと」
特に男性は「問題解決型」の脳をしていて、「どうやったら問題を解決できるか?」という姿勢でしか人の話を聞けない傾向があります。だから「気持ちを理解し欲しい」相手に対して余計なアドバイスなんかして、相手を否定し傷つけることになってしまうのですね(僕もいまだによくやります)。


人の話を聞く時には「相手に心から同情・共感する(同じ経験と気持ちを味わう)」ということに主眼を置いて目的化して下さい。相手の話を一切否定せず、余計な提案やアドバイスなどもせず、ただただその気持ちに寄り添うのです。そうやって相手と経験・感情を共有して下さい。そうすれば相手は自ら問題に立ち向かう力を得るのです。問題は解決しなくていいに書いた通り、そこにこそお互いの魂の成長があるのであり、それこそが愛であり、人生(他者が存在すること)の価値なのです。


例え今現在において相手の気持ちがよくわからなかったとしても、一生懸命わかろうというベクトルで努力することです。その思いだけでも相手に伝われば、とりあえずは大丈夫なのです。

しかし特に負けず嫌いな人は「相手の話を肯定的に聞く」というのを「自分が相手の意見に従うこと=負け」みたいに考えてしまいがちで、相手の一つの意見がただ気に入らないというだけで心が反発し、自己主張をして相手を否定し、お互いにお互いを否定し合ってケンカになって嫌い合うようになることが多いです。

日常会話というのは裁判ではないのですから「どっちが正しいか」なんてことはどうでも良いことなのです。大事なことは「同情・共感(愛)」の方であり、それは「相手と同じ目線に立って同じ経験・感情を共有する」ということなのです。

相手の気持ちに同情・共感したからといって、こちらが相手の意見に従う必要は全くありません。だから相手と意見が違ったとしても(相手が明らかに間違っていたとしても)相手を否定して傷つける必要などないのです。それなのにただ「意見」が違うってだけで、お互いに「存在」まで否定し合って、気分を悪くしながら関係性を壊して愛を失うのはバカげたことであり、もしそれを純粋に損得勘定(エゴ)で判断したとしても大損でしょう。

討論というのは正論を盾にしたエゴ(正義)とエゴ(正義)のぶつかり合いであり、例えその場で相手を言い負かして溜飲を下げたとしても、ただ愛を失うだけの「勝者なき虚しき戦い」なのです。そのように自分や相手に対する愛(思いやり)よりも正義(何が正しいか・悪いかの判断、建前)を優先して相手を責めて傷つけ、鏡のように内心では自分自身を責めて傷つけてしまうことが、人間の不幸の元凶(無明・愚かさ)なのです。


相手の意見・考え方がどれだけ間違っていて気に入らなくても、「あなたはそのような経験をしてそのような考え方になったのですね。私は同じ経験をしていないのであなたの考え方には同意しかねますが、あなたがそのような考え方になる気持ちはとても良くわかります」という感じで(あくまで心の中での話で、これを相手に直接言う必要はありません)心から同情・共感し、それを態度で示すのです。心から思っていることならわざわざアピールしなくても態度に表れますけども。


相手と目線を同じにするには、あらゆる想像力を駆使し、相手ことを自分と同一人物(自分自身の過去世や未来世)であるかのように考えることです。このあたりの話は自分と他人の愛し方などに詳しく書いていますが、とても大切なことです。


アル中の人は確実に鬱傾向にあり、霊障に自我を犯されてエゴに埋没し、被害者意識と自己嫌悪と厭世観に満ち、ネガティブで傷つきやすくなっていて、またその自覚もないのです。そしてこちらが一番傷つくことや腹が立つことを(霊障が見抜いた上で)ピンポイントで言ってくるわけですが、それは創造主がその人を使って主人公であるあなたの愛を試しているのです。それに対していちいち傷ついて腹を立てて反論して相手を否定し返していたら戦争ループ状態になり、ネガティブの波動共鳴が起きてどんどん関係性が破滅に向かってしまいます。それでは天から "Mission Failed" ということにされてしまいます。
霊障というのは智慧の光を覆う無明の闇(愚かさ)ですから、それに憑りつかれて鬱になっている人というのは、本当にどうしようもなくネガティブで愚かな考え方をしていて、こちらが「問題解決型」の姿勢で聞いていると、心底呆れて腹も立ってきます。鬱の人はそのネガティブで愚かな考え方を自分では絶対に正しいと思っていて、こちらが何か意見を言うだけでも「自分は存在を否定された」と感じて傷ついてムキになって反論してきます。そうして傷つかないようますます人を避けてどんどん孤独になってしまうのです。

だから鬱の人を相手にする時は本当にただ聞きに徹して、できるだけ自分からは発言しない方が良いです。決して相手を変えようとせず、自分が誰に対しても同情し愛せるように成長していくことです。そのために与えられている試練なのですから。

すべてはあなたという主人公個人に対して与えられているカルマ(課題)なのだということをくれぐれも忘れないで下さい。腹が立つことや傷つくことを言われても、自他への愛を動機に耐え忍んで下さい。

この人生というRPGは愛と勇気を試すためのものですから、創造主がシナリオを通してあなたを怒らせたり不安にさせたりしてくるのは当然なのです。だから常に正義(どっちが正しいか)よりも慈愛(思いやり)を優先して下さいね。ネガティブにこちらを否定してくる相手もやんわりと受け止めてあげて、その「ネガティブな気持ち」「他人を否定したくなる気持ち」に同情するのです。

それは特に問題解決型の脳をしている男性にはかなり忍耐の要ることなのですが、人生は修行なのですから、正面から立ち向かう以外にありません。相手にもそのようなネガティブな考え方・性格になるだけのやむにやまれぬ事情(歴史、傷⇒自己防衛)があるのですから、そこに対する同情・慈愛なしに相手を救うことはできないのです。

「人との接し方」よくよくご理解いただけたでしょうか?人は「心からの笑顔」と「心からの同情・共感」により、自尊心を得て、自ら問題に立ち向かって前に進む勇気を得るのです。絶対に忘れず、いつも見えるところに書き出して、日々どのぐらい実践できたか自分でチェックしてみて下さい。最初からうまくできないのは当たり前ですから途中で決してめげず、不退転の思いでやり抜いて下さい。人生が音を立てるようにして良い方向へと劇的に変わっていくのを感じられるはずです。

最後に、この人生というRPGのプレイヤー(主人公・メシア)として目覚め、このゲームのカルマ(シナリオ・設定)から逃げずに立ち向かおうとしているあなたに、創造主から直々にいただいた言葉を託しておきます。これもできるだけ目につくところに書き写しておいて、常に思い出して忘れないようにして下さい。

<さとり4カ条>
①偉くなろうとするな。(自他全ての存在が)尊いと知れ。
②特別になろうとするな。特別(主人公)であると知れ。
③日々愛を実践し、特別ではなくなること(差取り・ワンネス)を目指せ。
幸せになろうとするな、幸せでああると知れ(感謝報恩に生きよ)。

それでは、お互い己のカルマと正面から向き合って乗り越えながら、幸せに生きていきましょう。あなたの幸せを心から祈っています。

※本文中に参照として載せなかった継父との関係」「罪悪感との向き合い方」「運命への呪いもぜひご覧いただけると幸いです。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...