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2026年5月10日日曜日

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン

普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。

これまでの人生、何か成し遂げたこともなく、実家も恵まれた環境であったため不自由することなく甘えてきていました。受験や就活からも逃げてきていたため自信がなく、何事に対してもはじめから諦めがちです。

そのくせにプライドは高く、昔の多少輝いていた自分を思い出しては自分は何か特別な存在だからもっとすごいことを出来るのではないかと、理想と現在とのギャップに苦しめられています。やりたいことはありつつも時間やお金のせいにしてばかりです。

後悔ばかりがつきまとい、あの時ああしてれば、と考えても仕方のないことばかり考え、無駄な時間を過ごしています。

両親に対して親孝行したくても病んでるようなメール、泣き言ばかり電話で話してしまいます。実家を出た際、何もできない自分に嫌気がさして一時期は寝れずに精神的に参ってしまっていました。

過去の後悔、なぜ生きるのか最近はそんなことばかりで頭がいっぱいです、誰に話そうにもその場はスッキリするもののものの2日もすると元通りです。

過去への後悔、未来へのとてつもない不安。目の前のことをやるしかないとは思うのですが何も手につきません、真也さんのアドバイスいただけると幸いです。

【回答】ご質問ありがとうございます。

note、読んでいただいてありがとうございます。突然削除してしまってすみません。できるだけ早く復旧できるように頑張ります。

さて、あなたのそのお気持ち、その心の痛み、本当にめっちゃくちゃよくわかります。基本的に質問箱って受ける度にいつも「おまいは俺か!?」って言いたくなるほど、僕も同じ事で悩んだことがあります。存在というのはワンネスであり、僕らは同一人物のようなもので、人の悩みというのは本当に抽象度さえ上げればみんな一緒なんだと思います。現時点で共感能力の低い人というのは、きっとまだ分離意識が強すぎて思考の抽象度が低く、他人に対する同情・慈愛が薄いプロセスにあるのでしょう。

僕もADHDとか社会不適合を言い訳にしては怠惰に陥ってばかりでした。好きじゃない事で努力するというのが極度に苦手で、学校でも就職してからもあんまり勉強せずに生きてきました。それに対する後悔と劣等感が強いために「今更努力したってどうせ・・・」などと考えてしまってなかなか身が入りません(特に語学)。格闘技でも才能に恵まれた割には鬱などを言い訳に努力を怠って大成はしませんでした。いつでも人生の問題を先延ばしにしては気を紛らわすようなことばかりしていて、後になって「あの時もっと努力していれば」と意味のない後悔ばかりしています。僕は親に対しても何一つ孝行できてなくて、親に対しても世間に対しても申し訳ないなって思いながら生きています。どうですか?同じようなものでしょう?そんな世間的にはダメ人間なのが等身大の僕なのであり、理想とは当然ギャップがあります。しかしだからこそ自己嫌悪に苦しむ人たちの気持ちがわかって慈愛の気持ちを持つ事ができているのであって、決して上から目線で「さとり」を綺麗事のように語っているのではありません。目指しているのは善人だけではなく誰しもが救われる本物の「さとり」です。

世界の本質はワンネスであり、人間というのは全員が同一人物のようなもので、一つの魂が全役をやっているのを、分離意識(自分とそれ以外は別の存在であるという意識)によって、それぞれ他人として・ドラマとして成立させられているものなのです。

それなのに悩んでいる人というのは、ほぼ確実にその悩みがまるで世界で自分だけのものだと思い込み、自分をダメな人間だと責めて自ら孤独に陥っているものなんですね。「人生とは分離意識(≒エゴ)を乗り越えて愛を発揮するためのものなのだ」ということを理解しないのです。そして何とかして傷ついた自分を守って自尊心を保とうとして、エゴの殻に閉じこもってしまい、幸せを感じる余裕・感謝する余裕・他人の気持ちを慮って許し愛する余裕がなくなり、何とかして他人が自分よりダメな理由を探して責めたり見下したりししてしまのです。そうすると人間関係も何もうまくいかず、自らのネガティブな言動や行動やイメージに人生自体が引きずられて悪い方向に導かれがちなんですね。

だからまずは問題そのものを解決しようとするよりも、「人間なんてみんなそんなものなんだ」ってことを認識して、自分も他人も許し・尊敬し・存在に感謝し、愛せるようになることを目指してみて下さい。人間みんな見栄を張ってカッコつけているだけで、本当は似たようなものなんです。みんな他人に心を開く勇気がなく、カッコ悪い自分を隠して曝け出す勇気も愛する勇気もなく、他人の欠点や過ちを責め、内心では同じ鋭さで自分自身を責めているものなんです。

あなたはご自分を「プライドが高い」と分析して責めているようですが、僕らは同一人物のようなものであり、プライドは当然誰にでもあるものであって、理想の自分と等身大の自分とのギャップなんて誰でも抱えているものなのです。そして心が劣等感で傷ついた時には、なんとかして自分を守ってリカバーしようとするように人間はできているのです。それは別にあなたが誰か他人と比べてプライドが高いということではなく、人は誰でも心の奥には傷つきやすい自分を抱え、それを必死で守っているものなのです。

それなのにその自他のプライドの傷つきやすさを許さず、欠点や過ちを理由として「この人はプライドを持つに値しない」とか「この人はダメ人間だから他人からプライドを傷つけられるのは仕方がない」などと考えてしまえば、自他共に苦しくなるのは必然なのです。

人生最大の課題は「自己受容」であって、それは当然最も難易度が高く設定されているのです。欠点や過ちを全部知っている自分を愛するというのは誰にとっても難易度の高い課題です。自殺する人というのは自己(人生)受容を諦めた人なのであり、自己受容というのは死よりも辛いぐらいの苦しみを伴うものなのだということです。

しかし完全合理存在である創造主は、乗り越えられない課題は与えません。無意味ですからね。あなたにはあなたの魂レベルに合わせて、あなたがギリギリ許し愛せる自分が与えられているということです。そしてそういう欠点や過ちを抱えている自分を受容するためには、自分に関わるみんなのことをを許し愛せるように成長していく必要があるのです。そしてそれこそが創造主が教えてくれた人生の基本設定なのです。

ところが鬱状態にある人というのは、ほぼ100%「自分ならいくらイジメても構わない」という思考回路をしていて、「自己受容」という人生課題を放棄している状態なんですね。そして何か問題がある度に「このダメな状況の原因は何か?➡自分が生まれつきダメだからダメなんだ=努力してもムダだ」という感じで「自分を責めて嫌うことでとりあえず感情を整理し、成長をハナから諦める」という思考回路が自分で自覚できないほどに常態化していて「どうせ自分はダメだ、きっと変われない」と諦めてしまっているのです。そういう人は「自分の不幸を自分以外のせいにして被害者意識に陥る人よりはマシだ」と言うことで自尊心を保とうとしているのかも知れませんが、自分をイジメるのも他人をイジメるのも、全ての存在の大元である創造主からすれば同じことあり、その自分イジメが負の形で自分自身に返って来るということなのでしょう。

欠点も過ちもない人というのはいません。それは僕らが愛し合えるように天から与えられているものなのです。それなのにもし欠点や過ちを理由に愛せないというのなら、自分も他人も誰も愛する事はできません。だからまずは許すことです。許せる前に愛そうとすると無理が出ますからね。許せないのに愛している、はありえないのです。お互いに欠点や過ちがあるからこそ、僕らはお互いに存在意義があって許し合い・愛し合えるのです。だから「相応しい理由さえあればいくら自分や他人をイジメても構わない」という愛のない考え方は本当に改めるべきだと僕は思います。

でもそんなに簡単に自分を許して愛せませんよね?当然です。だからまず「あなたが一番許せない人・愛せない人・嫌いな人」をイメージしてみて下さい。ニュースや歴史に出てくるような会ったこともない全くの他人ではなく、実際に人間関係がある人の中での一番です。そうしたらその人を許し、尊敬し、存在に感謝し、愛せる理由をありったけ考えてみて下さい。イメージの中でそれができなければ、実際に会って話してみてそれをやって下さい。・・・その人はあなたの鏡であり、その人なりにやむにやまれぬ事情があって(心の傷があって)そのように(あなたにとって)許し難い・嫌な人間になってしまっているだけなのです。あなたにとってあなた自身がそうであるように。自分が一番嫌いな人を許し・尊敬し・愛せるようになったら、自分のことも許し・尊敬し・愛せるようになっていきます。

自分の魂というものは、自分で愛さずに嫌ってイジメればイジメるほどグレて反発してきます。あなただって自分を嫌っている経営者のために一生懸命仕事したい気持ちにはならないでしょう。それと同じように、自分で自分を嫌うと、自分の魂はその主である自分のために一生懸命努力をしたくならないものなんですね。そしてそれ(自分への愛不足)こそがあなたのモチベーションが上がらずポジティブな努力ができない一番の原因かと思います。それは僕も経験的に本当によくわかります。自分を嫌っていると、「そんなに要らないなら貰ってあげるよ」という感じでネガティブな霊障に人生を乗っ取られて台無しにされてしまうのです。だからやはりまず自分の欠点や過ちを許し、良い部分をたくさん見つけて、自分を好きになれるようなエピソードを積み重ね、成長していける自分を信じて愛することが大事かと思います。

そのようにして「自分を愛せず・努力できず・苦しみながらも生きて来た自分自身をもっと許して仲直りして愛してみて下さいね。とうか自分だけは最後まで自分を見放さず、自分の一番の弁護人でありファンであって下さい。自分が世間的に批判されたり見下されたり嫌われたりしがちな人間であればあるほど「それでもなお自分を愛そうとする自分」には価値が生じ、同じように自分を愛せず苦しんでいる人の希望を与えられる存在になれるのです。

あなたはかつての僕と同じように、自分の中に「正しさ」で裁く裁判官を育ててしまっていて、自分を裁くことで「間違っている自分を裁いている本当の自分は正しく善良な存在なのだ」と無意識にプライドを保とうとしてしまっているのかも知れません。しかしそれによって自分自身をどんどん裁いて反省させて傷つけて、生きる気力すら失わせてしまうことになっているのでしょう。しかし生きる気力を失わせるような冷たい正しさに何の価値があるのでしょうか?

どうか常に正義より愛を優先させて下さい。自分を正しく裁いて反省させることよりも、自他を許し愛することを優先して下さい。それは創造主が僕に与えてくれた「さとり」の根幹です。自分の中の正しく無慈悲な裁判官よりも、苦しんでいる自他みんなを弁護する、慈愛に満ちた弁護士を育ててみて下さいね。

ここで大事なのは、ただ単に自分を自己弁護するだけでは自己正当化(エゴ)でしかなくなってしまうということです。だから自分だけでなく、他のみんなも同じように弁護できるようになっていくことです。そのためならすぐダメな人間を排除しようとする世間の常識的・良識的な考えなんてドブに捨てても構わないのです。

自分にとって一番愛し難い人(許せない人・嫌いな人)でも同じように弁護し、心から許して愛せるようになって下さいね。それは自分と他人を同時に許し愛するということです。あなたが愛し難いと思っていた人というのは、あなたが自分を深く愛せるように天が与えてくれた完璧な配材なのだといつか気づくことでしょう。

「自分を愛せず大嫌いで自尊心が低くて自信がないのに幸せ」ってことは有り得ませんし、逆に「自分を愛して大好きで自尊心が高く自信があるのに不幸」ってことも有り得ません。自信と幸せは完全にイコールのものなんですね。

自分を他人と比べる限り、そして能力や実績などを自信の根拠にしようとする限り、人は決して自尊心を保つことなどできません。自分が全ての要素で他人より生涯優れ続けるなどということは有り得ないのですからね。だからとにかく自分を他人と比べるのをやめてみて下さい。人は誰でも自分の人生という物語の主人公なのであり、人それぞれにカルマ(課題)を背負って生きています。欠点や過ちというのはカルマの一部(あなたという主人公の設定)なのです。より困難な課題はよりレベルの高い魂に与えられるのであり、自分だけに与えられた課題を不運・呪いのように解釈せず、乗り越えていって下さいね。

あなたの人生の主人公はあくまでもあなたなのだということをわかって下さい。あなたが知る誰かがどれだけあなたより素晴らしく見えようと、他人は全てあなたの夢の中に住むNPCに過ぎないのです。他人と自分を比較するのを一切止めて下さい。どれだけ地味でしがない人生を送っているように見えようと、「男はつらいよ」や「トゥルーマンショー」などと同じで、あなたは天界では超有名人なのです。

どうしても自分を愛する理由を見つけられないなら、これからでもいいので「自分で自分を大好きになれるようなエピソード」をどんどん積み重ねてみて下さい。そのヒントとしては、人はエゴを動機に行動すると深い部分で自分を嫌いになってしまうものなので、その逆に「自己利益を考えずに全くの無償で人に親切にしてみること」で自分を好きになれるのだと思います。親切は無償だからこそ、自分を好きになれるというメリットが即手に入るのです。

カルマの深さ(人生の課題の困難さ)というのは他人と比較できるものではありません。あなたは「環境的に(比較的)恵まれていたのに努力できなかった自分」を「自業自得だ」と責めているようですが、そういう環境や自分の資質など本当に全部ひっくるめてのカルマであり、今のあなたはあなたなりに自分の重い・難しいカルマに苦しめながらも自殺に逃げず一生懸命生きた結果なのです。自分にもっと誇りを持って下さい。

人生はRPGであり、他プレイヤーと自分を比べて自分を蔑んでみても意味がありません。あなたが見ている他人というものは、あなたが見ている夢の中の他人と同じなのです。あなたはあなたというプレイヤー(主人公)だけに与えられたたった一つのシナリオを楽しめればそれでいいのです。変に完璧主義になったり、自分を他人と比べて落ち込んでばかりいたら、ゲームが進まず何も楽しめないでしょう。

「努力できずに自己嫌悪と後悔で苦しんだ過去」も含めて、ダメな部分・弱い部分を許して愛し、自業自得だからと自分を責めず、人に助けを求めて良いのですよ。あなたはきっと世の中の人は誰も自分を無償では助けてくれないように思っているのでしょうけど、それはあなたが困った人を無償で助けた経験がないからです。もちろん助けを求めてもみんなが助けてくれるわけではありませんし、きっとあなたを責めて助けようとしない人が圧倒的多数でしょう。でもその出会い難さの分だけ助けてくれる人と出会えたなら、きっと心から感謝の気持ちが湧いて、その人のためにも頑張りたいと思うようになるでしょう。そして他人を責めずに助けられる慈愛に満ちた素晴らしい人間に成長していけることでしょう。

もしあなたがどうしても自分を信じられないのなら、まず神を信じてみること=信心を持ってみることからかなと思います。自分を信じるのではなく、愛と成長の経験のために自分を生んで生かしてくれている神の方を信じるのです。あなたはきちんと理由があって生まれて来ているのです。あなたは神の愛によって生かされているのであり、神の愛なしでは一秒たりとも存在することはできないのです。それはあなたが出会う他のみんなも一人一人同じで、それぞれ経験主体者・主人公として等しく価値があるのです。それに対する信頼と感謝を持ち、被害者意識を乗り越えて行けば、きっと幸せな方に導かれていくと思います。

まず宗教を毛嫌いせず、色んなところに通ってみて下さい。完璧な宗教などは存在しません。人と同じで欠点や過ちを理由に神を愛さないなら、愛せる神など見つけることはできません。ただ本気でヤバそうな宗教からはすぐ逃げて下さい。

とにかく「目的化思考」をやめてみることかなと思います。それはつまり「目的達成できない」「結果がついてこない」「何かを成し遂げられない」 ➡ 「意味がない」という考えをやめることです。結果を求めるということは、全てを与えてくれている創造主に対して「あれをするからこれを下さい」と見返りを求めることになり、結果が良くなければ被害者意識に陥って感謝しないことになります。そういう考え方は創造主の愛に反するのです。結果は天に預けて、目の前の自分のやること・できることを感謝し愛しながら一生懸命やってみて下さい。きっと道が開けてくると思います。

そしてどうか世間的な成功を目的化しないで下さいね。自分の価値を持っている金や能力や実績に対する社会的な(他人の)評価に置かないで下さい。あなたの価値はあなたにしか決められません。

あなたのご両親は、きっと純粋にあなたの幸せを願っていて「社会的な大成功者になって欲しい」なんて思っていないと思います。あなたが努力できない・社会的に成功していない自分を認められないというだけで。

個人的に、子供というのは子供のうちにかわいくて親に生き甲斐を与えていたというだけで親孝行は済んでいると思っています(笑)そう思えないのなら子供なんて作るべきではないんじゃないかと。あなたは自分の子供にどうなってくれたら嬉しいと思いますか?幸せになって欲しい以外に何か望んだりしますか?世間的に立派な人間になることを望んで子供を苦しめたいと思いますか?

そもそも努力したからといってみんなが社会的に成功できるわけではないですし、社会的に成功したからといって必ず幸せになれるわけでもないのです。前述した通り、幸せというものは自他を愛せるかどうかという一点にかかっているものなのですからね。

今のあなたはきっとまだ左脳に振り回されているような状態だと思うので、ネドじゅんさんが教えているような右脳型の思考法・瞑想法を実践してみて下さい。きっとあなたを救ってくれると思います。そうして目的化思考を止め、結果を天に預け、過去の後悔や未来の不安に捉われず、主人公としてもっと「今」に集中することが大事かなと思います。

あなたはまだ自分のことをダメ人間のように思っているのかも知れませんが、ダメ人間であればあるほど、もしそこから立ち直れば、同じように自分をダメ人間のように思って苦しんでいる人たちを救うことができるのです。ただただ世間のレールに乗って生きて来たような品行方正なだけの人間では、世間的にダメな人生を歩んできたその苦しみを理解することはできないでしょうし、きっと責めたり見下したりしてしまって、その人たちの心(自尊心)を救えるわけもないのです。どうか自分と同じように苦しんでいる人間を救おうとする慈愛に満ちた人間になって下さいね。人にはそれぞれに使命があって、それぞれ主人公なんだってことです。

若い内から目立つ才能があって世間的にもてはやされてお金持ちになっている人間が必ずしも素晴らしいわけでなければ、幸せなわけでもないと思います。世界はワンネスであり、そういう人生には(真にトータルに見れば)そういう人生なりのカルマがあり、苦しみや不幸があるのです。ラクして幸せだけ味わえる人生などというのはどこにも転がっていません。

「世間的な成功者の人生」より「みんなと同じようにごく平凡に生きて幸せになることの難しさ・苦しさ」を経験的に知り、それでも負けずにみんなが幸せになれる哲学を築き上げ、それを「みんなに連鎖させていける人間」になれたら、それはとても尊く素晴らしいことだと思いませんか?人生って若いうちが華で早々と散る人生や、老後ただ枯れて行くだけの先細り人生より、苦難を乗り越えて咲く遅咲き人生の方が幸せなのではないかと僕は思います。

※僕はバガボンドの又八を見ると自分自身に見えて仕方がありません。彼を許し愛することで僕は自分を許し愛せています。

それとも、恵まれた人生を送って来たがゆえに他人の苦しみがわからず、偉そうに他人を責めたり見下したりして周囲から愛されず、結局誰も救えないような人の人生の方が素晴らしいと思いますか?

あなたはとても苦しみながら生きてきたのでしょう。それだけ苦しみながらも生きてきた自分をもっと尊敬し愛してみて下さい。そしてもしあなたが自分と同じように苦しんでいる人を本気で救いたいという思いで慈愛を発揮するなら、きっとあなたにも創造主からさとり(幸せ)・救いが与えられることと思います。創造主は僕みたいな社会不適合のダメ人間のこともこよなく愛し、さとりを授けて救って下さったのですからね。

※上の動画のメッセージ自体は素晴らしいものなのですが、代読のファミリーインターナショナルはカルトとして危険視されている団体なのでご注意下さい。

それでは、ただの絵空事・綺麗事ではなく、僕を救ってくれたさとりが、あなたにとっても救いになりますように。あなたが関わる人たちにも連鎖していきますように。心から祈っています。







2025年9月7日日曜日

自分の浮気で失恋

【質問】23歳・男性

真也さん!こんばんは!23歳の大学生です。昨日彼女に振られてすごく悲しいです。交際歴は1年くらいでした。振られた原因は、僕のせいだと思っています。その理由は、僕が別の女の子とヤってしまったことです。その時、初めて彼女にめちゃくちゃ怒られて泣かれてすごく反省し罪悪感でいっぱいでした。彼女は、こんな未熟な僕をしっかってくれたりして、とても良い子だと思います。すごくこの1年で色々学びも楽しいことや悲しいことも沢山ありました。もうヨリが戻ることはないと思いますし、前を向かないといけないのは分かっているのですが、今はただただ悲しいです。こんな女々しい僕に何かアドバイスや喝を入れてくれたら嬉しいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。回答が遅くなって申し訳ありません。

質問箱をしていると本当に人の悩みというのは共通で、僕らの魂は同源同一のものなのだと実感します。今回も「お前は俺か!?」って言いたくなるぐらい、僕も全く同じような経験があります。だから質問者さんの心の痛みはよくわかりますし、本当に心から同情申し上げます。 


誰でも若い時にはエゴまみれなのが普通です。僕もあなたと同じ歳の頃は完全にそうでした。僕は「みんな(程度の差こそあれ)同じだよ」とあなたに心から同情して元気づけたいのであり、偉そうに上から目線で喝を入れる(叱る?)ようなことをするつもりは毛頭ありません(ハゲなだけに)。だからどうか今回の失恋を自分だけのことのように思い悩まないで下さいね。大事な人からの愛を失えば落ち込むのは自然なことであって、それで落ち込まない方が問題であり、僕は女々しいなどとは全く思いません。逆に別れても全然落ち込まず「これ幸い」と女遊びをしまくるような人ではどうしようもないですからね。あなたが今感じているその痛みこそあなたが元来愛情深い人間であることの証しなのです。

この質問箱を客観的に見ている読者様(特に女性)は「自業自得だ」とあなたを責めたくなっているかも知れませんが、僕は決してそのようにあなたを責めたりはしません。他人に相談できずに孤独に苦しむ人というのは、自業自得だと思っているからこそ他人に相談できないのであり、そういう人たちを救いに導けなければ世界(全霊魂)は救いに導けません。

あなたが浮気して彼女を傷つけ、別れられて自分自身を傷つけてしまったのも、あなたの魂成長にとって必要な経験だったのであり、僕らはそのようにして「愛とは何か?」を人生経験によってより深く学んでいるのです。ネガティブな経験と感情も、幸せを感じるためには必要なことですから、逃げたり胡麻化したりせず、正面から感じ切って下さい。それも大事な人生の味なのです。別れがそんなにも痛いと感じるほど誰かと愛し合えたことはとても貴重な財産だと思います。 

きっと心の痛みは時間が解決してくれることでしょう。しかし時間が問題(課題)そのものを勝手に解決してくれるわけではありません。人生の全ての問題は全て創造主から与えられた成長課題なのですから、きちんと正面から向き合って乗り越えない限り同じ失敗を繰り返すばかりでいつまでも幸せにはなれないのです。

課題というのは何が問われているのかを正確に把握できなければ解決しようがありませんから、大変僭越ながらあなたが正確に課題を把握して解決できるようにお手伝いさせていただきたいと思います。それが幸せ(成長・悟り)に導くということですから。 

我々は愛を知るために生まれて来ているのですから、人生の問題は全て「愛の不足」が原因であり、逆に言えば全ての問題の解決策は「愛」なのです。

 

誤解している人が非常に多いのですが、何があっても(失恋しても)痛みや悲しみや怒りなどの感情を感じず(心の針が振れず)平然としていられるようになることが悟りではありません。「無執着」というのが傍から見ればそのように見えてしまうのでしょうけどもね。

 

僕らは経験を通じて実感を伴って悟る(成長する)ために生まれてきたのであり、それこそが人間の存在意義なのです。創造主というのは全知全能であり、真理など全部最初から知っているのであって、そのままでは経験ができないからこそ、創造主はわざと人間を無明(愚か)に創り、その人間に自らの意識を分離して宿し、創造主としての記憶を無明の闇に隠し、人間を通して成長経験を積んでいるのです。だから人間は経験・実感もなく頭だけで悟れるようには創られていないのです。

恋愛・人間関係の問題も全て自他への愛情不足(成長不足)が原因なのであり、それによって起きるネガティブな出来事と感情は、経験と実感を通じて成長課題を覚らせてくれているのです。それなのに精神薬や酒・ドラッグや瞑想などで負の感情を誤魔化して逃げたり我慢して無理に抑え込もうとしたりすることは実感・成長の拒否なのであり、悟りのベクトルとは逆行しているのであって、不幸に導かれるのが必然なのです。そのように負の感情だけを無理やり抑え込もうとすると、感情が鈍くなって「経験を通じて実感を伴って悟る(成長する)」ということが困難になってしまい、人生が無感動で空虚で不幸なものになってしまいます。だからどうかネガティブな経験・感情から逃げようとせずに、しっかり感じきって成長を目指して下さいね。それ以外に幸せになる方法はないのですから。 

決して自分を責めて自尊心を下げないで下げないで下さいね。あなたを浮気願望があるように創ったのも、あなたを気に入る浮気相手を創ったのも、浮気する機会を創ったのも、それによって傷ついて別れを決意してしまうように彼女を創ったのも、全て創造主なのです。そして人生はRPGであり、答えはいつでも「誰も何も悪くないけど、自分が何とかするしかない」です。すべては自分の成長課題なのですから。

男女というのは成長課題としてデフォルトですれ違うように創られているのです。もし男女がデフォルトで何の問題も生じず何の努力もなく死ぬまで愛し合えるように創られていたら、成長要素がなくなってしまうでしょう。だから男女が良好な関係性を維持するにはお互いのたゆまぬ成長努力が不可欠なように創られているのです。そのあたりがわかっていない人は、結婚をゴール(安泰)のように考えて成長努力を怠り、恋愛初期のラブラブ状態をデフォルト(基準)として考え、どちらかの(あるいはお互いの)恋愛感情が冷めたら関係性がすぐに破綻してしまうのでしょう。まるで自分の愛情に見返りを求めるように、義務のように愛情を強要して逆効果になるのですね。愛は無償で自由でなければならないものであり、相手の愛情を見返りのように求めて自分の愛情を押し売りして相手を束縛すれば(それは愛ではなくエゴ)、逆効果になるのが必然なのです。

離婚についてに書いた通り、全ては自分に与えられた成長課題なのに、問題を全部相手のせいにするのは成長拒否・主人公意識の拒否であり、魂成長のためにあるRPGにおいて不幸に導かれるのは必然なのです。実際、離婚する人はほぼ確実に相手側を変えようとしてうまくいかず、離婚原因が相手側にあると考えて被害者意識に陥っているものです。成長拒否は運命への呪いに書いた通り、怠惰・臆病・被害者意識・自己正当化・依存(逃避)で、分けて書くのが難しいほど全部繋がっているのです。

 

今回は男性からの相談なので男性主人公目線で書いていますが、女性の読者様は「やっぱり男が悪い」 などと考えないで下さいね。人生は自分が主人公のRPGなのですから、相手(設定)側を変えようとしても決してうまくいきませんし、相手(設定)側に文句を言ってもゲームは進みません。今回は男性の本能を良く知り、自分がどう成長していくべきかを考えるきっかけにしていただければ幸いです。女性向けには女性から相談があったら回答しますね。

男性がパートナーにすぐ飽きて次々に女性を求めてしまう播種本能も、成長課題として創造主が男性に与えたものであり、基本的にあなただけでなくみんなが持っているものです。だから浮気願望があること自体によって自分を責める必要はありませんが、だからといってもし開き直って欲望(エゴ)のままに次々に女性に手を出して良いわけではありません。それは課題の無視であり、成長とは真逆のベクトルで、不幸に導かれるのが必然なのですから。

次々に女性を求める人というのは、性欲・播種本能が異常に強くて常に性的に飢えているというよりも自尊心に飢えているのであり、次々に女性を踏み台にし続けないと自尊心を保てず、梯子を上るように次々と女性を求める病的状態なのです。そして自分が抱いた女性はすぐ用済みになって飽きてぞんざいに扱うようになり、また相手からの愛情を計り優位を感じるためにどんどん露悪的になったりもして、浮気して捨てたり捨てられたりするわけです。しかしそんなことを続けていてもキリがないのは予めわかりきっていることであり、永遠に満たされることなく、そのうち加齢などでそういうこともできなくなって、自尊心が壊滅的になり、悲惨な老後が待っているだけです。 「エゴとは何か?」に書いた通り、人はエゴで行動すればするほど深い部分で自分を嫌いになるのであり、浮気をすればするほど逆に自尊心は深い部分で下がり続けてしまうのです。その自尊心を無意識に埋めようとして浮気するのでは本当にキリがありません。

自尊心というのは自他への無条件の愛によってしか満たされないものであり、本当の愛というのは対等に向き合うことでしか感じられないものなのです。女性を次々と性欲のはけ口と自尊心の踏み台にしている男性というのは性欲と自尊心の「餓鬼」なのであり、モテているつもりで永遠に満たされることがないのです。そして男性というのはなまじモテるとエゴのままに次々女性を求めても得られてしまい、男女が真剣に向き合えば当然生じるはずの成長課題から逃避し続け、相手を運命の人と信じて愛を育てる努力を怠りがちなので、不幸に導かれやすいんですね。だいたいこうなる人というのは、思春期に女性から相手にされないことで自尊心を傷つけられてきたために、大人になってもその心の隙間を埋めようとして彷徨い続けている場合が多いですね。それはより多くの女性から性的に求められることを通じてしか自尊心を感じられない病気であり、本物の愛を育てられるわけもなく、将来的な破綻は目に見えています。

我々はあくまでも魂成長のために生まれて来ているのであり、それが我々の存在に存在意義を生んでいるのです。それがわかれば、成長努力を怠ることによって不幸に導かれるように人生が創られているのは至極当然だとわかるでしょう。そして僕ら人間は、成長を経験できるように、わざと無明(愚かさ・迷い・エゴ・霊的穢れ・カルマなど)を与えられているのです。だから僕らはただ失敗経験から学んで、一歩一歩でも成長を目指していけばいいだけのことです。 もし人生というRPGが失敗経験なく初見でクリアできるような容易なものなら何も面白くなく、存在意義がありません。

僕らに与えられている無明の最たるものが「何でもすぐに『当たり前』と考えて感謝もしなくなる本能」です。 それが成長課題として与えられているからこそ、感謝には価値が生じるのです。「有難い」の対義語は「当たり前」なんです。当たり前だと思ってしまう本能と戦って、意図的に「有難い」と思えるように、日々感謝に生きられるようになっていくことが魂の成長なのです。

創造主は我々が生まれてから一秒も休むことなく我々の心の中まで見ているのであり(我々を通して人生を経験しているのであり)、誤魔化しは一切効きません。エゴにまみれているために深い部分で自分(人生・世界)を嫌っている人間というのは、心から感謝の気持ちなどわきようがないのです。そんな人間の感謝というのは「相手から嫌われないように」「常識に反して社会から排除されないように」「もっと自己利益を得られるように」というエゴによって形だけやっているだけなのであり、そんな感謝では魂が成長するわけがなく、幸せになれるわけがないのです。創造主は我々を、心から感謝できるように成長し続けることによって幸せを感じ続けられるように創っているのですからね。

 

いつも言っている通り、与えられたものに感謝できない人間に、より良いものを与えたいと思う人間はいないでしょう。 そこは創造主も同じなのであり、彼は世界をそのような原理(因果応報)によって創って運営しているのです。エゴにまみれた人間は、どれだけ与えられても他人と比べて不平不満に感じて感謝しないのが自明であり、既に与えられているものまではぎ取られ続け、失い続けることでその価値に気づかされるような悲しい人生になるのが自明なのです。

あなたは彼女の存在を(与えられた初期設定のままに)「当たり前」だと思い、日々意識して「有難い」と思う努力を怠り、「釣った魚に餌はやらない」という感じで本気で大切には扱っていなかったのでしょう。そして飽きて浮気願望が抑え切れず、別な女性に手を出したくなり、実際に手を出して「失うことでその価値に気づかされる」を実体験から実感を通して学んでしまったのでしょう。僕もあなたと同じ失敗を経験しているので、あなたの心の痛みはよくわかるのですが、どうか逃げずに正面から受け止めて成長に繋げて下さいね。恋愛に限らず、日々「当たり前」のように感じてしまうことに対して一つ一つ意図的に感謝し、日常を「あたりまえ体操」ではなく「ありがたい体操」に変えて下さい。

彼女のことを自尊心の糧にするタイプの自尊心の低い男性は、女性と対等に向き合おうとせず、常に優位を示そうとします。女性は自尊心の高い男性を好む(&他人が欲しがるものを価値があると思って欲しがる本能がある)ためにそういう男性がモテたりもするのですが、その自尊心は仮初めのものであり、その自尊心の土台になっている彼女と別れると、自尊心が壊滅的になって急にモテなくなったりします。あなたがもしそうなったとしたら、それはあなたが成長できるように覚らせてくれているのであり、もしそれでもモテモテだったら成長機会が失われて不幸に導かれてしまいます。誰でも自信満々になれる方法自分と他人の愛し方を参考に、自他をありのままに愛し、本物の自尊心(愛)を育てて下さい。 

この人生という創られたRPGの世界に「偶然」は一切存在しません。自由意志の仕組みと存在意義に書いた通り、人間に「偶然」が存在しているように感じさせられないと自由意志の存在意義がなくなるので、創造主は全力でこの世界に「偶然」が存在すると我々に思わせるように「演出」しているだけです。だから「因果応報」という宇宙の大原則に時間差を設けて、わざと因果を見えにくくしているのです。

わかりますか?「確率」は創造主による「演出」であり、実際「確率」によって(偶然・自然に)世界も我々の人生も生じ得ないのです。全てがそういうありえない奇跡を土台にして創られているのであり、その上にある「確率」によって世界と我々の人生が偶然・自然に(無意味に)存在しているなどと考えてしまうのは人間に成長課題として与えられた「無明」なのです。くれぐれも「たまたま浮気してしまった」「たまたまバレてしまった」などと考えて成長を拒否して不幸に導かれないで下さいね。


さて、あなたに用意された選択肢は二つだけです。

①今後も自他の存在を当たり前のように考えて心から感謝せず(意識もせず・成長せず)、失い続けることでその有難みに気づかされるような不幸な人生を選択するのか。

②今回の痛い失敗経験を糧にし、「何に対しても当たり前だと感じてしまう本能(無明)」と戦って有難みを噛みしめ、日々心から自他の存在に感謝し(=愛し)、それを実践し続けることで成長し続ける「信心と感謝報恩」の幸せな人生を選択するのか。

・・・です。よくよく考えて、あなたに与えられた自由意志によって選択して下さいね。


それでは、あなたの幸せ(成長・覚り)を心から祈っています。 

2025年9月1日月曜日

身内がガンで余命宣告

【質問】20代男性・大学生 ペンネーム:たかゆう

真也さんお疲れ様です。今、僕の叔母が癌で、いま昼寝してたら叔母が出てきてすごい悲しい夢を見ました。叔母は、闘病中で医者から余命宣告を受けています。僕の母や祖母は西洋医学以外の治療を勧めているんですけど、叔母の家族がすごく医者を頑なに信じていて、他の治療法を伯母にやらせるのを止めているんです。どうにかして叔母の家族を説得して他の治療法を受けてもらいたいと思っています。今の夢ですごく悲しかったからこのまま何もせずに見ているだけでは、何か後悔する気がしたから、真也さんに相談させてもらいました。何かアドバイスいただけたら嬉しいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

かなり前の話ですが、僕も学生時代に叔母を交通事故で突然亡くしました。人の死はとても悲しいものですよね。

生は死と表裏一体で不可分のものであり、命あるものは必ずいつか死にます。でも魂というのは永遠のものなのです。もし死が存在せず、生命が永遠に続いて終わりのないものなら、人生は芸術(物語)として成立しません。魂の成長要素も感動要素もなくなってしまいますからね。終わりのない物語は芸術にならないのです。

もちろんそうは言っても人の死は悲しいものです。もし人が死を全く悲しまず、またそれを恐れないように創られていたら、やはり人生は芸術として成立しません。人の死が悲しいのは、そういう尊い感受性が与えられているということであり、それにより人生という素晴らしい物語の経験機会を与えられているということなのであって、まずそこに感謝の気持ちを持たなくてはいけません。

命=必死 魂=永遠 なのですから、本来的に我々が救うべきは命よりも魂の方なのです。それはつまり愛するということです。その愛し方(表現)が人生という芸術なのです。

世の中は一人一宇宙であって、あなたの叔母が夢の中に出てくるということは、その叔母は既にあなたという主人公(経験主体者)の認識宇宙(仏国土)の住民になっているということであり、ただのNPCとは違う尊い存在なのであり、きっとあなたの魂という永遠の存在の中に永遠に生き続けるのです。どうか人生を通じて、家族だけでなく、出会う人みんなを愛し、あなたの心(仏国土)の住民をたくさん増やしていって、あなたの心(仏国土)・人生を豊かにしていって下さいね。そしてあなたも出会った人の心(仏国土)の住民として、彼らの心(仏国土)もまた豊かにしていって下さいね。

キリストは「あなたたちが何を心配しようとあなたがたのうちの誰が、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ他の事まで思い悩むのか」というようなことを言っていましたが、まさにその通りで、人の寿命というのは生まれる前から決まっていて、せいぜい死因が何になるかの違いしかないのです。

実際、末期になってからどんな治療法をしようと大概の場合は手遅れで、場合によっては逆効果になってしまい、かえって苦しめて(死期を早めたように見えて)しまうことさえあります。もちろん末期のガンから奇跡的に回復する例も稀にありますが、そうなるのはその人がそこで死ぬ運命ではない時だけです。それにもしあなたの勧め通りに治療法を変えて逆効果になったりしたら、あなたは叔母の家族の恨みを買い、責任を感じて心の荷物を余計に背負うことになってしまうでしょう。

だから叔母に別な治療法を勧めても叔母の家族が受け入れないなら、残り少ない叔母との貴重な時間を叔母の治療法をめぐって叔母の家族と揉めることに使うべきではないと僕は思います。そんなことをしてもあなたと叔母の家族との愛が失われるだけで、叔母は余計に悲しむことになるでしょう。

叔母の責任を本当に負っているのは叔母の家族であり、あなたではありません。彼らに「やれることはやった」という納得感(慰め)を与えてあげることも救いです。どうか悲しみを誰かへの怒りや恨みに転嫁せず、愛に昇華して下さい。

あなたの叔母との残りの時間は、僕の叔母のようにもし交通事故などで突然亡くなっていたら与えられていない貴重な時間です。どうかその時間に感謝して、決して叔母の家族と揉めることに使わず、叔母に愛を示すこと(話を聞くこと)に使って下さいね。

基本的にガン細胞というのは「風の谷のナウシカ」の腐海の植物と同じで、生命体(全ての生命が一体)における自浄作用なのであり、「不調和」を逆説的に覚らせてくれているのです。実際ガンは基本的には食物の過剰摂取などによる血の穢れを原因としているのです。だからガンは早期なら断食⇒玄米菜食によって解消されるそうです。しかし末期だとトドメを刺すことになる可能性があります。人間の食べ物を食べて肥満に陥った猿も、ダイエットをさせるとすぐ亡くなるそうです。あなたも若くしてガンにならないよう、全ての存在との調和を考えて、節度ある暮らしを心がけて下さいね。

現代医療はガンを「悪性新生物」と呼んで「異常・異物」とみなして退治しようとしていますが、それはクシャナが巨神兵を使って蟲を焼き払おうとした如くで、とても愚かなことです。現代医療はガンを金儲けの道具にするために、敢えてガンを創り出し、治らないとわかっている延命で稼ぎ続けているフシがかなりあると思います。だからあなたが叔母の治療法を変えて欲しいと願う気持ちも僕にはよくわかります。

ただそういう現代医療を信奉してしまう愚かさも、人間に成長を経験させるために与えられた無明(愚かさ)であり、我々はまず自分からエゴを愛に昇華させ続け、成長していかなければなりません。それが世界に遍く連鎖してみんながワンネスに目覚めれば、いずれ全ての魂が救われるのです。

それでは、あなたとあなたの心(仏国土)の住民の方々みんなの幸せ(魂の救済)を心から祈っています。







2025年7月29日火曜日

逃げ癖への対処法

【質問】アラフォー:男性 無職 ペンネーム:日月

しんやさん、お久しぶりです。
アヤワスカのセッションやその後のメッセージを通じて、希死念慮がなくなり、「まだやり残したことがある」と気づけました。サンパウロではご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。アヤワスカや様々な体験を通じて救われ、心から感謝しています。

2年前の相談をきっかけに、苦手だった母と向き合い、関係を改善できました。現在も親子で話し合いを続け、問題を解決中です。最近は母と一緒に食事や映画を楽しみ、心から幸せを感じています。被害者意識や義務感、罪悪感が減り、母の喜ぶ姿を見て純粋に幸せを感じられるようになりました。しんやさんとの出会いがなければ、この変化はなかったです。

私はADHD、双極性障害I型、コミュニケーション障害、人間関係リセット症候群、軽度の閉所恐怖症、高所恐怖症、パニック障害、左右識別困難を抱えています。現在、薬は服用していませんが、しんやさんのおかげで病気と向き合い、症状が軽減していると感じています。

質問です。

1.やりたいことができない課題

やりたいことは小説執筆、写経、筋トレ、瞑想、断食、絵を描くことです。
一方で、創作に不要な読書、ネットサーフィン、ジャンクポルノ、ジャンクフード、酒、タバコをやめたいです。
特に小説執筆は幼い頃からの夢ですが、最近はスラスラ書けず、書いては消すを繰り返しています。執筆意欲も高くありません。書きたい理由は、自分を理解し向き合うこと、言語化能力を高めてコミュニケーションを改善すること、そして本や映画、漫画、絵画に救われた恩を返すことです。
◦執筆意欲を高め、没頭するにはどうすればいいですか?
◦自分と向き合うのが怖く、意図と異なる解釈をされる不安もあります。どうすれば克服できますか?
◦しんやさんのように難しい内容を言語化する能力を身につけるにはどうすればいいですか?
◦おすすめの書籍や文章術の参考があれば教えてください(現在、好きな小説の読み直しや文章技術の本を読んでいます)。

2.計画通りに行動できない課題

コツコツ努力することが苦手で、試験や論文は一夜漬けで対応し、いつもギリギリでした。教授には「もっと面白いものを期待していた」と言われ、後悔しました。夏休みの宿題も計画は立てるものの、生活リズムが崩れて中だるみし、クオリティが低下します。
◦計画通りに行動し、納得のいく作品を作るにはどうすればいいですか?

3.自制心と周囲の影響への対処

過剰な睡眠、飲酒や自慰行為に走りがちで、周囲の影響を受けやすいです。食の嗜好や飲酒量も周囲に流されます。現在、友人に現状を説明し、飲み会や連絡を断っていますが、断りきれず長電話になることもあります。
◦自制心を高め、過剰な欲望を抑える方法はありますか?
◦周囲に流されないためにはどうすればいいですか?

4.文章のわかりやすさ

質問文をよりわかりやすくするにはどうすればいいですか?気になった点があれば教えてください。

5.カルマについて

しんやさんから見て、私のカルマはどのようなものだと思いますか?
喫緊の悩みではないので、お時間のあるときにお答えいただければ幸いです。いつも言いづらいことを指摘していただきありがとうございます。厳しめのご意見いただけたら嬉しいです。

長くなりましたが、アヤワスカや仏縁、しんやさんとの出会いに心から感謝します。

大変な状況の中で、僕のところを選んでブラジルまでアヤワスカを受けに来てくれて本当にありがとうございました。良い方向に導けているみたいで、導き手としてとても嬉しく思います。そして天より与えられた重いカルマを乗り越えようという覚悟を持ったあなたを心より尊敬し、また誇りに思います。

さて、ご質問の回答です。

【回答】
>1.やりたいことができない課題


酒・タバコはともかく、その他の悪癖は僕にもあり、そういうのは程度の差こそあれ誰にでもあるものだと思いますので、それを自分や誰かを責めたり嫌ったりする理由にしないで下さいね。自分への許しと愛が全ての根幹です。自分を許し愛せないのに、他者は許し愛せません。自分と他人の愛し方はとても大切なことなので、読んでみて下さいね。

そして同じ過ちを繰り返してしまうもぜひご参照下さい。あなたの文章から、とても良い方向に進んでいるのは感じられるのですが、それでもまだあなたは自分を許し愛せる段階まで来ていないのだと思います。あなたは嫌いな経営者のために一生懸命仕事をしたいと思いますか?あなたの肉体も霊魂もあなたからの愛を感じられないから、全力で仕事をせず、ますます自分自身を嫌いになるような行動を繰り返すのでしょう。それが「ポジティブな意欲がわかず、逃避してしまう」ことの根本的な原因かと思います。それは僕も長年経験しているのでよくよくわかります。

自分を他人と比較することなく、大きなカルマを乗り越えようとしている自分をもっと心から褒めて尊敬し、欠点や過ちを許し愛して下さい。それは出会った人ひとり一人を心から許し愛することで可能になっていきます。出会う人はみんな自分の鏡であり、拡大鏡です。嫌いな人であればあるほど、許し愛せるようになっていくことで、その拡大率で自分をより許し愛せるようになっていきます。だから嫌な人にあったらチャンスです。その人を許し愛せるようになっていくことで(克服することで)、人生というRPGの経験値は一気に高まり、レベルアップして、物語がどんどん前に進んで行きます。それこそが魂の成長なのです。苦手な人を許すのが難しいも読んでみて下さいね。

さて、今あなたはそれらのやりたいことがすべてできる環境にありますよね?それなのにできないのは、きっとそれらが本当にやりたいことではないからか、まだ本当にやりたいところまで気持ちが高まっていない段階にあるからなのでしょう。

あなたが創作の邪魔になると思っているそれらの悪癖は純粋に逃避なのであって、やりたくないことをやろうとしているから逃げたくなるのだと思います。いつも言っていることですが、与えられているものに感謝の気持ちがなければ、それをはぎ取ら続け失い続けることでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうことでしょう。まずあなたにやりたいことがあって、それがやれる環境にあることに心から感謝の気持ちを持ってみて下さいね。そうすれば恩返ししたいと意欲が湧くようになりますから。

聖書の「ヨブ記」のように、どんな試練を与えられても被害者意識に陥らず、自分個人へ成長を期待されているがゆえに与えられた贈り物だと感謝して受け取り、乗り越えて行くことが大事です。そうすればその試練はきっとあなたにとって宝物となります。どんな試練があろうと、人生という経験機会が与えられていること自体が、とても尊く有難いことなのだと気づいて下さいね。

そして読書にしても、あなたが純粋に読みたい本を読めばよいのであって、創作に役立つかどうかなんて考えながら他者の評価を気にして見栄を張って強迫観念で読んでも楽しいわけないですよ。だから僕から本のおすすめなどはしません。好きな本を読んで行けば、数珠つなぎ的にもっと読みたい本が必ず出てくるはずです。そしてそこにこそあなたの個性が表れるのであって、それこそがあなたという存在を意義(価値)ならしめているのだと思います。

とにかく純粋に今大好きなこと・それをしている自分を好きになれることに時間を使うことが大事です。それができることに感謝の気持ちを感じながら。逆に他者評価に依存し、他人から評価されなければ自分を好きになれない・価値がないなどと考えて脅迫観念を持ちながら嫌々やっているようでは何をするにも意欲など湧きようがないと思います。

>◦しんやさんのように難しい内容を言語化する能力を身につけるにはどうすればいいですか?

僕は「文章術」なんてものは意識したことがありませんので、当然それを得ようとか高めようとか考えたこともありません。一生懸命伝えようと努力しているだけです。もし僕にあなたが言ってくれているような能力があるのだとしたら、それを得ようとして与えられたものではなく、人を救いたいという純粋な思いに応じて天から与えられているものだと思います。もしあなたもそういう思いを高めて行くことができたら、きっとあなたにも与えられるものではないかと思います。能力も、創作意欲もです。

ただ僕にとって違和感があるのは、よく僕の能力を「文章力」「言語化能力」という風に(小手先の「述」のように)捉えられてしまうことです。しかし自分が正しく深く理解できていないことは、他人に対して正しくわかりやすく言語化することはできません。「理解力・論理的思考能力」が「言語化能力」に先立ってあるのであって、それらは不可分のものなのです。そこが見えずに「言語化能力」と切り離して捉えてしまう人というのは、本質が理解できていないのだと思います。

そして僕は僕に与えられた経験を通して説明しているのであって、違う経験をしているあなたが何かを言語化すれば当然別な形になるでしょう。だからこそ(あなただけの)経験・存在に価値があるのです。それと同時に、多くの人は本質的に同じような経験をしているからこそ、共感・同情し合ってわかり合うことができるのです。

大事なのは「文章力」「言語化能力」ではなく、他者に対する「慈愛」であり、「共感能力(同情能力)」の方です。それが養われれば「文章力」「言語化能力」などは自動的についてくるものであり、逆にそれが養われていないのに文章(術?)がうまくなったところで誰も感動させることはできないでしょう。だから「文章力」「言語化能力」ではなく、他者に対する「慈愛」「共感能力(同情能力)」の方を養ってみて下さいね。それはコミュ障を克服したいに書いた通り、お年寄りインタビューをしてみることが一番の近道じゃないかと思います。

魂が若く分離意識(自分と他人は違う存在であるという意識)が強過ぎるプロセスにある人というのは、他人に慈愛をもってその気持ちを慮ることができていないのです。特にADHDの人というのはその傾向が強く、他人の気持ちに対してまるで壁が存在しているかのように相手の立場に立って考える事ができず、エゴに埋没し、人間関係がうまく行かずに孤独と自己嫌悪に陥ってしまうものなのですが(以前の僕は完全にそうでした)、それはADHDの人が極端なだけで人間は基本的にそのようにできているのですから、落ち込む必要はありませんからね。他人と比較することなく、ただそれを自分個人に与えられた課題として乗り越えて行けば良いのです。成長の物語のシナリオ・プロセス・速度も、キャラクターの個性・特性も、人それぞれなのですから。

>2.計画通りに行動できない課題
それはまさに僕も同じですよ(笑)やらなきゃいけないことでもやりたい気持ちがないと本当にギリギリになるまでできません。

ただこれも基本は1.と同じで、やはり自分で自分を心から愛せていないから、自分の肉体や霊魂が逆らってしまっているのだと思います(僕も自分を愛せているつもりで、まだまだのレベルにあるのでしょう)。

やりたくないけどやるべきことは、やってしまってスッキリしている自分の快感を先に想像しながら、最初のハードルを5分だけとか思いっきり下げてやることが大事かと思います。何事も最初が一番エネルギーがいるのであって、最初の一歩と最後の一歩ではエネルギーが指数関数的に異なるのです。慣性の法則はどこにでも働くものであり、一度勢いに乗ればどんどんスピードが上がって止めるのが難しいぐらいになります。それが習慣化してやるのが当たり前になっている頃には、やりたくなかったこともやりたいことになっていたりします。

>3.自制心と周囲の影響への対処
とても正直ですね。ただそれもやはり逃避ゆえの悪癖であり、基本的には1.への回答と同じになります。

逃げは最も安易な選択であり、RPGというのは基本的に愛と勇気を試し成長を促すベクトルで創られていますから、逃げれば逃げるほどかえって遠回りになり苦しくなってしまいます。そしてその先は全て行き止まりになっているのです。最初から「逃げ道などない」と腹を括れば腹が据わります。

ただ心は天邪鬼に出来ていますから「絶対に逃げてはいけない」と自分を追い詰めると、逆に逃げてしまいやすくなります。だから時には逃げることで逆に遠回りしてしまう自分も許し愛することです。人生はRPGと同じで、時には逃げも必要なものではありますが、例え逃げる時でも気持ちを「いつか乗り越えよう」というベクトルに向け続けていなければ、いつまでも人生というゲーム(ストーリー)が進まないのです。

そして同調圧力に屈してしまいやすいのは、やはり自分も他人もありのままに愛せていないというところが大きいと思います。同調しないと嫌われる⇒自分が無価値に思える・自己嫌悪に陥るという不安があるのでしょう。

自己嫌悪の強い人というのは、価値のない自分から褒められても嬉しくなれないために、自尊心を上げるための手段として他者評価を必要としますが、基本的に他者はこちらを表面的にしか知らないんですから、その評価なんていうのはいい加減かつ気まぐれなものです。そんなものに左右されていたらいつまでたっても自分を評価できず好きにはなれません。他者評価は関係なく、誰も見ていなくても無償で利他的な行動をして、自分で自分を褒められるように・揺るぎなく自分を好きになれるようになって下さいね。

誰でも自信満々になれる方法は僕に与えられた悟りの核ですから、何度も読んで実践してみて下さいね。あくまでも自分を愛し抜こうとしている人を嫌い切れる人などいないのですから、あなたの側が相手を愛し抜く覚悟さえ持てば、人から嫌われることを恐れ、顔色を窺ってビクビクする必要などないのです。だから大切なのは、自分の愛情から「出会うこと」以外の条件を外して無条件化していくことです。条件付きの愛というのはエゴであって愛ではないのです。自分も他人も無条件で愛せるようになったら、無条件で必ず幸せになります。

4.文章のわかりやすさ

あなたの質問は僕からすればとてもわかりやすいですよ。他の人にとってどうかはわかりませんが。

5.カルマについて

カルマというのは人生の課題であり、それこそが人生のテーマ・シナリオを構成しているものなのです。他人に自分のカルマが何であるかを尋ねるのは「私の人生のテーマは何ですか?」と他人に尋ねるのと同じであり、それは主人公であるあなたが自分で覚っていくべきものなのです。

ただカルマの良化法に書いた通り、僕らの魂は同源同一なので、抽象化して見れば人のカルマ(課題)というのは本質的に同じなのです。それは自分が一番目を背けたいところにあるのであって、みんな自分のカルマがわからないのではなく、わかりたくなくて目を逸らしてしまっているものなのです。そこは人間ならほぼ誰でもそうで、自分のカルマに正面から向き合えている人というのはそうそういるものではありません。だからカルマから逃げている自分を責める必要はありません。でも主人公たるあなたがいつまでもカルマと向き合わないのなら、最後まで脇役(被害者)の人生になってしまいます。

世界の本質はワンネスであり、自尊心と他尊心は同時にしか上がらないものだと知って下さいね。会ったこともない他人ではなく、出会いを大事にして、出会った一人ひとりを許し、人生の共演者として存在に感謝・尊敬し、愛せるようになって行って下さい。そうすれば自分自身もより深く愛せるようになります。自他共に愛せるようになれば、それは単なるナルシストとは違うのです。ナルシストは嫌われますが、自他共に愛せる人が嫌われるわけがありません。人に嫌われて幸せなんてことは有り得ません。しかし人に好かれようとして自分のエゴをごまかすのではなく、お互いのエゴを許して愛し、エゴのエネルギーを愛に昇華できるように日々実践を頑張ってみて下さい。そこはエゴとは何か?に書いた通りです。

それでは、あなたの幸せを心よりお祈り申し上げております。


後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...