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2026年5月10日日曜日

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン

普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。

これまでの人生、何か成し遂げたこともなく、実家も恵まれた環境であったため不自由することなく甘えてきていました。受験や就活からも逃げてきていたため自信がなく、何事に対してもはじめから諦めがちです。

そのくせにプライドは高く、昔の多少輝いていた自分を思い出しては自分は何か特別な存在だからもっとすごいことを出来るのではないかと、理想と現在とのギャップに苦しめられています。やりたいことはありつつも時間やお金のせいにしてばかりです。

後悔ばかりがつきまとい、あの時ああしてれば、と考えても仕方のないことばかり考え、無駄な時間を過ごしています。

両親に対して親孝行したくても病んでるようなメール、泣き言ばかり電話で話してしまいます。実家を出た際、何もできない自分に嫌気がさして一時期は寝れずに精神的に参ってしまっていました。

過去の後悔、なぜ生きるのか最近はそんなことばかりで頭がいっぱいです、誰に話そうにもその場はスッキリするもののものの2日もすると元通りです。

過去への後悔、未来へのとてつもない不安。目の前のことをやるしかないとは思うのですが何も手につきません、真也さんのアドバイスいただけると幸いです。

【回答】ご質問ありがとうございます。

note、読んでいただいてありがとうございます。突然削除してしまってすみません。できるだけ早く復旧できるように頑張ります。

さて、あなたのそのお気持ち、その心の痛み、本当にめっちゃくちゃよくわかります。基本的に質問箱って受ける度にいつも「おまいは俺か!?」って言いたくなるほど、僕も同じ事で悩んだことがあります。存在というのはワンネスであり、僕らは同一人物のようなもので、人の悩みというのは本当に抽象度さえ上げればみんな一緒なんだと思います。現時点で共感能力の低い人というのは、きっとまだ分離意識が強すぎて思考の抽象度が低く、他人に対する同情・慈愛が薄いプロセスにあるのでしょう。

僕もADHDとか社会不適合を言い訳にしては怠惰に陥ってばかりでした。好きじゃない事で努力するというのが極度に苦手で、学校でも就職してからもあんまり勉強せずに生きてきました。それに対する後悔と劣等感が強いために「今更努力したってどうせ・・・」などと考えてしまってなかなか身が入りません(特に語学)。格闘技でも才能に恵まれた割には鬱などを言い訳に努力を怠って大成はしませんでした。いつでも人生の問題を先延ばしにしては気を紛らわすようなことばかりしていて、後になって「あの時もっと努力していれば」と意味のない後悔ばかりしています。僕は親に対しても何一つ孝行できてなくて、親に対しても世間に対しても申し訳ないなって思いながら生きています。どうですか?同じようなものでしょう?そんな世間的にはダメ人間なのが等身大の僕なのであり、理想とは当然ギャップがあります。しかしだからこそ自己嫌悪に苦しむ人たちの気持ちがわかって慈愛の気持ちを持つ事ができているのであって、決して上から目線で「さとり」を綺麗事のように語っているのではありません。目指しているのは善人だけではなく誰しもが救われる本物の「さとり」です。

世界の本質はワンネスであり、人間というのは全員が同一人物のようなもので、一つの魂が全役をやっているのを、分離意識(自分とそれ以外は別の存在であるという意識)によって、それぞれ他人として・ドラマとして成立させられているものなのです。

それなのに悩んでいる人というのは、ほぼ確実にその悩みがまるで世界で自分だけのものだと思い込み、自分をダメな人間だと責めて自ら孤独に陥っているものなんですね。「人生とは分離意識(≒エゴ)を乗り越えて愛を発揮するためのものなのだ」ということを理解しないのです。そして何とかして傷ついた自分を守って自尊心を保とうとして、エゴの殻に閉じこもってしまい、幸せを感じる余裕・感謝する余裕・他人の気持ちを慮って許し愛する余裕がなくなり、何とかして他人が自分よりダメな理由を探して責めたり見下したりししてしまのです。そうすると人間関係も何もうまくいかず、自らのネガティブな言動や行動やイメージに人生自体が引きずられて悪い方向に導かれがちなんですね。

だからまずは問題そのものを解決しようとするよりも、「人間なんてみんなそんなものなんだ」ってことを認識して、自分も他人も許し・尊敬し・存在に感謝し、愛せるようになることを目指してみて下さい。人間みんな見栄を張ってカッコつけているだけで、本当は似たようなものなんです。みんな他人に心を開く勇気がなく、カッコ悪い自分を隠して曝け出す勇気も愛する勇気もなく、他人の欠点や過ちを責め、内心では同じ鋭さで自分自身を責めているものなんです。

あなたはご自分を「プライドが高い」と分析して責めているようですが、僕らは同一人物のようなものであり、プライドは当然誰にでもあるものであって、理想の自分と等身大の自分とのギャップなんて誰でも抱えているものなのです。そして心が劣等感で傷ついた時には、なんとかして自分を守ってリカバーしようとするように人間はできているのです。それは別にあなたが誰か他人と比べてプライドが高いということではなく、人は誰でも心の奥には傷つきやすい自分を抱え、それを必死で守っているものなのです。

それなのにその自他のプライドの傷つきやすさを許さず、欠点や過ちを理由として「この人はプライドを持つに値しない」とか「この人はダメ人間だから他人からプライドを傷つけられるのは仕方がない」などと考えてしまえば、自他共に苦しくなるのは必然なのです。

人生最大の課題は「自己受容」であって、それは当然最も難易度が高く設定されているのです。欠点や過ちを全部知っている自分を愛するというのは誰にとっても難易度の高い課題です。自殺する人というのは自己(人生)受容を諦めた人なのであり、自己受容というのは死よりも辛いぐらいの苦しみを伴うものなのだということです。

しかし完全合理存在である創造主は、乗り越えられない課題は与えません。無意味ですからね。あなたにはあなたの魂レベルに合わせて、あなたがギリギリ許し愛せる自分が与えられているということです。そしてそういう欠点や過ちを抱えている自分を受容するためには、自分に関わるみんなのことをを許し愛せるように成長していく必要があるのです。そしてそれこそが創造主が教えてくれた人生の基本設定なのです。

ところが鬱状態にある人というのは、ほぼ100%「自分ならいくらイジメても構わない」という思考回路をしていて、「自己受容」という人生課題を放棄している状態なんですね。そして何か問題がある度に「このダメな状況の原因は何か?➡自分が生まれつきダメだからダメなんだ=努力してもムダだ」という感じで「自分を責めて嫌うことでとりあえず感情を整理し、成長をハナから諦める」という思考回路が自分で自覚できないほどに常態化していて「どうせ自分はダメだ、きっと変われない」と諦めてしまっているのです。そういう人は「自分の不幸を自分以外のせいにして被害者意識に陥る人よりはマシだ」と言うことで自尊心を保とうとしているのかも知れませんが、自分をイジメるのも他人をイジメるのも、全ての存在の大元である創造主からすれば同じことあり、その自分イジメが負の形で自分自身に返って来るということなのでしょう。

欠点も過ちもない人というのはいません。それは僕らが愛し合えるように天から与えられているものなのです。それなのにもし欠点や過ちを理由に愛せないというのなら、自分も他人も誰も愛する事はできません。だからまずは許すことです。許せる前に愛そうとすると無理が出ますからね。許せないのに愛している、はありえないのです。お互いに欠点や過ちがあるからこそ、僕らはお互いに存在意義があって許し合い・愛し合えるのです。だから「相応しい理由さえあればいくら自分や他人をイジメても構わない」という愛のない考え方は本当に改めるべきだと僕は思います。

でもそんなに簡単に自分を許して愛せませんよね?当然です。だからまず「あなたが一番許せない人・愛せない人・嫌いな人」をイメージしてみて下さい。ニュースや歴史に出てくるような会ったこともない全くの他人ではなく、実際に人間関係がある人の中での一番です。そうしたらその人を許し、尊敬し、存在に感謝し、愛せる理由をありったけ考えてみて下さい。イメージの中でそれができなければ、実際に会って話してみてそれをやって下さい。・・・その人はあなたの鏡であり、その人なりにやむにやまれぬ事情があって(心の傷があって)そのように(あなたにとって)許し難い・嫌な人間になってしまっているだけなのです。あなたにとってあなた自身がそうであるように。自分が一番嫌いな人を許し・尊敬し・愛せるようになったら、自分のことも許し・尊敬し・愛せるようになっていきます。

自分の魂というものは、自分で愛さずに嫌ってイジメればイジメるほどグレて反発してきます。あなただって自分を嫌っている経営者のために一生懸命仕事したい気持ちにはならないでしょう。それと同じように、自分で自分を嫌うと、自分の魂はその主である自分のために一生懸命努力をしたくならないものなんですね。そしてそれ(自分への愛不足)こそがあなたのモチベーションが上がらずポジティブな努力ができない一番の原因かと思います。それは僕も経験的に本当によくわかります。自分を嫌っていると、「そんなに要らないなら貰ってあげるよ」という感じでネガティブな霊障に人生を乗っ取られて台無しにされてしまうのです。だからやはりまず自分の欠点や過ちを許し、良い部分をたくさん見つけて、自分を好きになれるようなエピソードを積み重ね、成長していける自分を信じて愛することが大事かと思います。

そのようにして「自分を愛せず・努力できず・苦しみながらも生きて来た自分自身をもっと許して仲直りして愛してみて下さいね。とうか自分だけは最後まで自分を見放さず、自分の一番の弁護人でありファンであって下さい。自分が世間的に批判されたり見下されたり嫌われたりしがちな人間であればあるほど「それでもなお自分を愛そうとする自分」には価値が生じ、同じように自分を愛せず苦しんでいる人の希望を与えられる存在になれるのです。

あなたはかつての僕と同じように、自分の中に「正しさ」で裁く裁判官を育ててしまっていて、自分を裁くことで「間違っている自分を裁いている本当の自分は正しく善良な存在なのだ」と無意識にプライドを保とうとしてしまっているのかも知れません。しかしそれによって自分自身をどんどん裁いて反省させて傷つけて、生きる気力すら失わせてしまうことになっているのでしょう。しかし生きる気力を失わせるような冷たい正しさに何の価値があるのでしょうか?

どうか常に正義より愛を優先させて下さい。自分を正しく裁いて反省させることよりも、自他を許し愛することを優先して下さい。それは創造主が僕に与えてくれた「さとり」の根幹です。自分の中の正しく無慈悲な裁判官よりも、苦しんでいる自他みんなを弁護する、慈愛に満ちた弁護士を育ててみて下さいね。

ここで大事なのは、ただ単に自分を自己弁護するだけでは自己正当化(エゴ)でしかなくなってしまうということです。だから自分だけでなく、他のみんなも同じように弁護できるようになっていくことです。そのためならすぐダメな人間を排除しようとする世間の常識的・良識的な考えなんてドブに捨てても構わないのです。

自分にとって一番愛し難い人(許せない人・嫌いな人)でも同じように弁護し、心から許して愛せるようになって下さいね。それは自分と他人を同時に許し愛するということです。あなたが愛し難いと思っていた人というのは、あなたが自分を深く愛せるように天が与えてくれた完璧な配材なのだといつか気づくことでしょう。

「自分を愛せず大嫌いで自尊心が低くて自信がないのに幸せ」ってことは有り得ませんし、逆に「自分を愛して大好きで自尊心が高く自信があるのに不幸」ってことも有り得ません。自信と幸せは完全にイコールのものなんですね。

自分を他人と比べる限り、そして能力や実績などを自信の根拠にしようとする限り、人は決して自尊心を保つことなどできません。自分が全ての要素で他人より生涯優れ続けるなどということは有り得ないのですからね。だからとにかく自分を他人と比べるのをやめてみて下さい。人は誰でも自分の人生という物語の主人公なのであり、人それぞれにカルマ(課題)を背負って生きています。欠点や過ちというのはカルマの一部(あなたという主人公の設定)なのです。より困難な課題はよりレベルの高い魂に与えられるのであり、自分だけに与えられた課題を不運・呪いのように解釈せず、乗り越えていって下さいね。

あなたの人生の主人公はあくまでもあなたなのだということをわかって下さい。あなたが知る誰かがどれだけあなたより素晴らしく見えようと、他人は全てあなたの夢の中に住むNPCに過ぎないのです。他人と自分を比較するのを一切止めて下さい。どれだけ地味でしがない人生を送っているように見えようと、「男はつらいよ」や「トゥルーマンショー」などと同じで、あなたは天界では超有名人なのです。

どうしても自分を愛する理由を見つけられないなら、これからでもいいので「自分で自分を大好きになれるようなエピソード」をどんどん積み重ねてみて下さい。そのヒントとしては、人はエゴを動機に行動すると深い部分で自分を嫌いになってしまうものなので、その逆に「自己利益を考えずに全くの無償で人に親切にしてみること」で自分を好きになれるのだと思います。親切は無償だからこそ、自分を好きになれるというメリットが即手に入るのです。

カルマの深さ(人生の課題の困難さ)というのは他人と比較できるものではありません。あなたは「環境的に(比較的)恵まれていたのに努力できなかった自分」を「自業自得だ」と責めているようですが、そういう環境や自分の資質など本当に全部ひっくるめてのカルマであり、今のあなたはあなたなりに自分の重い・難しいカルマに苦しめながらも自殺に逃げず一生懸命生きた結果なのです。自分にもっと誇りを持って下さい。

人生はRPGであり、他プレイヤーと自分を比べて自分を蔑んでみても意味がありません。あなたが見ている他人というものは、あなたが見ている夢の中の他人と同じなのです。あなたはあなたというプレイヤー(主人公)だけに与えられたたった一つのシナリオを楽しめればそれでいいのです。変に完璧主義になったり、自分を他人と比べて落ち込んでばかりいたら、ゲームが進まず何も楽しめないでしょう。

「努力できずに自己嫌悪と後悔で苦しんだ過去」も含めて、ダメな部分・弱い部分を許して愛し、自業自得だからと自分を責めず、人に助けを求めて良いのですよ。あなたはきっと世の中の人は誰も自分を無償では助けてくれないように思っているのでしょうけど、それはあなたが困った人を無償で助けた経験がないからです。もちろん助けを求めてもみんなが助けてくれるわけではありませんし、きっとあなたを責めて助けようとしない人が圧倒的多数でしょう。でもその出会い難さの分だけ助けてくれる人と出会えたなら、きっと心から感謝の気持ちが湧いて、その人のためにも頑張りたいと思うようになるでしょう。そして他人を責めずに助けられる慈愛に満ちた素晴らしい人間に成長していけることでしょう。

もしあなたがどうしても自分を信じられないのなら、まず神を信じてみること=信心を持ってみることからかなと思います。自分を信じるのではなく、愛と成長の経験のために自分を生んで生かしてくれている神の方を信じるのです。あなたはきちんと理由があって生まれて来ているのです。あなたは神の愛によって生かされているのであり、神の愛なしでは一秒たりとも存在することはできないのです。それはあなたが出会う他のみんなも一人一人同じで、それぞれ経験主体者・主人公として等しく価値があるのです。それに対する信頼と感謝を持ち、被害者意識を乗り越えて行けば、きっと幸せな方に導かれていくと思います。

まず宗教を毛嫌いせず、色んなところに通ってみて下さい。完璧な宗教などは存在しません。人と同じで欠点や過ちを理由に神を愛さないなら、愛せる神など見つけることはできません。ただ本気でヤバそうな宗教からはすぐ逃げて下さい。

とにかく「目的化思考」をやめてみることかなと思います。それはつまり「目的達成できない」「結果がついてこない」「何かを成し遂げられない」 ➡ 「意味がない」という考えをやめることです。結果を求めるということは、全てを与えてくれている創造主に対して「あれをするからこれを下さい」と見返りを求めることになり、結果が良くなければ被害者意識に陥って感謝しないことになります。そういう考え方は創造主の愛に反するのです。結果は天に預けて、目の前の自分のやること・できることを感謝し愛しながら一生懸命やってみて下さい。きっと道が開けてくると思います。

そしてどうか世間的な成功を目的化しないで下さいね。自分の価値を持っている金や能力や実績に対する社会的な(他人の)評価に置かないで下さい。あなたの価値はあなたにしか決められません。

あなたのご両親は、きっと純粋にあなたの幸せを願っていて「社会的な大成功者になって欲しい」なんて思っていないと思います。あなたが努力できない・社会的に成功していない自分を認められないというだけで。

個人的に、子供というのは子供のうちにかわいくて親に生き甲斐を与えていたというだけで親孝行は済んでいると思っています(笑)そう思えないのなら子供なんて作るべきではないんじゃないかと。あなたは自分の子供にどうなってくれたら嬉しいと思いますか?幸せになって欲しい以外に何か望んだりしますか?世間的に立派な人間になることを望んで子供を苦しめたいと思いますか?

そもそも努力したからといってみんなが社会的に成功できるわけではないですし、社会的に成功したからといって必ず幸せになれるわけでもないのです。前述した通り、幸せというものは自他を愛せるかどうかという一点にかかっているものなのですからね。

今のあなたはきっとまだ左脳に振り回されているような状態だと思うので、ネドじゅんさんが教えているような右脳型の思考法・瞑想法を実践してみて下さい。きっとあなたを救ってくれると思います。そうして目的化思考を止め、結果を天に預け、過去の後悔や未来の不安に捉われず、主人公としてもっと「今」に集中することが大事かなと思います。

あなたはまだ自分のことをダメ人間のように思っているのかも知れませんが、ダメ人間であればあるほど、もしそこから立ち直れば、同じように自分をダメ人間のように思って苦しんでいる人たちを救うことができるのです。ただただ世間のレールに乗って生きて来たような品行方正なだけの人間では、世間的にダメな人生を歩んできたその苦しみを理解することはできないでしょうし、きっと責めたり見下したりしてしまって、その人たちの心(自尊心)を救えるわけもないのです。どうか自分と同じように苦しんでいる人間を救おうとする慈愛に満ちた人間になって下さいね。人にはそれぞれに使命があって、それぞれ主人公なんだってことです。

若い内から目立つ才能があって世間的にもてはやされてお金持ちになっている人間が必ずしも素晴らしいわけでなければ、幸せなわけでもないと思います。世界はワンネスであり、そういう人生には(真にトータルに見れば)そういう人生なりのカルマがあり、苦しみや不幸があるのです。ラクして幸せだけ味わえる人生などというのはどこにも転がっていません。

「世間的な成功者の人生」より「みんなと同じようにごく平凡に生きて幸せになることの難しさ・苦しさ」を経験的に知り、それでも負けずにみんなが幸せになれる哲学を築き上げ、それを「みんなに連鎖させていける人間」になれたら、それはとても尊く素晴らしいことだと思いませんか?人生って若いうちが華で早々と散る人生や、老後ただ枯れて行くだけの先細り人生より、苦難を乗り越えて咲く遅咲き人生の方が幸せなのではないかと僕は思います。

※僕はバガボンドの又八を見ると自分自身に見えて仕方がありません。彼を許し愛することで僕は自分を許し愛せています。

それとも、恵まれた人生を送って来たがゆえに他人の苦しみがわからず、偉そうに他人を責めたり見下したりして周囲から愛されず、結局誰も救えないような人の人生の方が素晴らしいと思いますか?

あなたはとても苦しみながら生きてきたのでしょう。それだけ苦しみながらも生きてきた自分をもっと尊敬し愛してみて下さい。そしてもしあなたが自分と同じように苦しんでいる人を本気で救いたいという思いで慈愛を発揮するなら、きっとあなたにも創造主からさとり(幸せ)・救いが与えられることと思います。創造主は僕みたいな社会不適合のダメ人間のこともこよなく愛し、さとりを授けて救って下さったのですからね。

※上の動画のメッセージ自体は素晴らしいものなのですが、代読のファミリーインターナショナルはカルトとして危険視されている団体なのでご注意下さい。

それでは、ただの絵空事・綺麗事ではなく、僕を救ってくれたさとりが、あなたにとっても救いになりますように。あなたが関わる人たちにも連鎖していきますように。心から祈っています。







2025年7月29日火曜日

逃げ癖への対処法

【質問】アラフォー:男性 無職 ペンネーム:日月

しんやさん、お久しぶりです。
アヤワスカのセッションやその後のメッセージを通じて、希死念慮がなくなり、「まだやり残したことがある」と気づけました。サンパウロではご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。アヤワスカや様々な体験を通じて救われ、心から感謝しています。

2年前の相談をきっかけに、苦手だった母と向き合い、関係を改善できました。現在も親子で話し合いを続け、問題を解決中です。最近は母と一緒に食事や映画を楽しみ、心から幸せを感じています。被害者意識や義務感、罪悪感が減り、母の喜ぶ姿を見て純粋に幸せを感じられるようになりました。しんやさんとの出会いがなければ、この変化はなかったです。

私はADHD、双極性障害I型、コミュニケーション障害、人間関係リセット症候群、軽度の閉所恐怖症、高所恐怖症、パニック障害、左右識別困難を抱えています。現在、薬は服用していませんが、しんやさんのおかげで病気と向き合い、症状が軽減していると感じています。

質問です。

1.やりたいことができない課題

やりたいことは小説執筆、写経、筋トレ、瞑想、断食、絵を描くことです。
一方で、創作に不要な読書、ネットサーフィン、ジャンクポルノ、ジャンクフード、酒、タバコをやめたいです。
特に小説執筆は幼い頃からの夢ですが、最近はスラスラ書けず、書いては消すを繰り返しています。執筆意欲も高くありません。書きたい理由は、自分を理解し向き合うこと、言語化能力を高めてコミュニケーションを改善すること、そして本や映画、漫画、絵画に救われた恩を返すことです。
◦執筆意欲を高め、没頭するにはどうすればいいですか?
◦自分と向き合うのが怖く、意図と異なる解釈をされる不安もあります。どうすれば克服できますか?
◦しんやさんのように難しい内容を言語化する能力を身につけるにはどうすればいいですか?
◦おすすめの書籍や文章術の参考があれば教えてください(現在、好きな小説の読み直しや文章技術の本を読んでいます)。

2.計画通りに行動できない課題

コツコツ努力することが苦手で、試験や論文は一夜漬けで対応し、いつもギリギリでした。教授には「もっと面白いものを期待していた」と言われ、後悔しました。夏休みの宿題も計画は立てるものの、生活リズムが崩れて中だるみし、クオリティが低下します。
◦計画通りに行動し、納得のいく作品を作るにはどうすればいいですか?

3.自制心と周囲の影響への対処

過剰な睡眠、飲酒や自慰行為に走りがちで、周囲の影響を受けやすいです。食の嗜好や飲酒量も周囲に流されます。現在、友人に現状を説明し、飲み会や連絡を断っていますが、断りきれず長電話になることもあります。
◦自制心を高め、過剰な欲望を抑える方法はありますか?
◦周囲に流されないためにはどうすればいいですか?

4.文章のわかりやすさ

質問文をよりわかりやすくするにはどうすればいいですか?気になった点があれば教えてください。

5.カルマについて

しんやさんから見て、私のカルマはどのようなものだと思いますか?
喫緊の悩みではないので、お時間のあるときにお答えいただければ幸いです。いつも言いづらいことを指摘していただきありがとうございます。厳しめのご意見いただけたら嬉しいです。

長くなりましたが、アヤワスカや仏縁、しんやさんとの出会いに心から感謝します。

大変な状況の中で、僕のところを選んでブラジルまでアヤワスカを受けに来てくれて本当にありがとうございました。良い方向に導けているみたいで、導き手としてとても嬉しく思います。そして天より与えられた重いカルマを乗り越えようという覚悟を持ったあなたを心より尊敬し、また誇りに思います。

さて、ご質問の回答です。

【回答】
>1.やりたいことができない課題


酒・タバコはともかく、その他の悪癖は僕にもあり、そういうのは程度の差こそあれ誰にでもあるものだと思いますので、それを自分や誰かを責めたり嫌ったりする理由にしないで下さいね。自分への許しと愛が全ての根幹です。自分を許し愛せないのに、他者は許し愛せません。自分と他人の愛し方はとても大切なことなので、読んでみて下さいね。

そして同じ過ちを繰り返してしまうもぜひご参照下さい。あなたの文章から、とても良い方向に進んでいるのは感じられるのですが、それでもまだあなたは自分を許し愛せる段階まで来ていないのだと思います。あなたは嫌いな経営者のために一生懸命仕事をしたいと思いますか?あなたの肉体も霊魂もあなたからの愛を感じられないから、全力で仕事をせず、ますます自分自身を嫌いになるような行動を繰り返すのでしょう。それが「ポジティブな意欲がわかず、逃避してしまう」ことの根本的な原因かと思います。それは僕も長年経験しているのでよくよくわかります。

自分を他人と比較することなく、大きなカルマを乗り越えようとしている自分をもっと心から褒めて尊敬し、欠点や過ちを許し愛して下さい。それは出会った人ひとり一人を心から許し愛することで可能になっていきます。出会う人はみんな自分の鏡であり、拡大鏡です。嫌いな人であればあるほど、許し愛せるようになっていくことで、その拡大率で自分をより許し愛せるようになっていきます。だから嫌な人にあったらチャンスです。その人を許し愛せるようになっていくことで(克服することで)、人生というRPGの経験値は一気に高まり、レベルアップして、物語がどんどん前に進んで行きます。それこそが魂の成長なのです。苦手な人を許すのが難しいも読んでみて下さいね。

さて、今あなたはそれらのやりたいことがすべてできる環境にありますよね?それなのにできないのは、きっとそれらが本当にやりたいことではないからか、まだ本当にやりたいところまで気持ちが高まっていない段階にあるからなのでしょう。

あなたが創作の邪魔になると思っているそれらの悪癖は純粋に逃避なのであって、やりたくないことをやろうとしているから逃げたくなるのだと思います。いつも言っていることですが、与えられているものに感謝の気持ちがなければ、それをはぎ取ら続け失い続けることでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうことでしょう。まずあなたにやりたいことがあって、それがやれる環境にあることに心から感謝の気持ちを持ってみて下さいね。そうすれば恩返ししたいと意欲が湧くようになりますから。

聖書の「ヨブ記」のように、どんな試練を与えられても被害者意識に陥らず、自分個人へ成長を期待されているがゆえに与えられた贈り物だと感謝して受け取り、乗り越えて行くことが大事です。そうすればその試練はきっとあなたにとって宝物となります。どんな試練があろうと、人生という経験機会が与えられていること自体が、とても尊く有難いことなのだと気づいて下さいね。

そして読書にしても、あなたが純粋に読みたい本を読めばよいのであって、創作に役立つかどうかなんて考えながら他者の評価を気にして見栄を張って強迫観念で読んでも楽しいわけないですよ。だから僕から本のおすすめなどはしません。好きな本を読んで行けば、数珠つなぎ的にもっと読みたい本が必ず出てくるはずです。そしてそこにこそあなたの個性が表れるのであって、それこそがあなたという存在を意義(価値)ならしめているのだと思います。

とにかく純粋に今大好きなこと・それをしている自分を好きになれることに時間を使うことが大事です。それができることに感謝の気持ちを感じながら。逆に他者評価に依存し、他人から評価されなければ自分を好きになれない・価値がないなどと考えて脅迫観念を持ちながら嫌々やっているようでは何をするにも意欲など湧きようがないと思います。

>◦しんやさんのように難しい内容を言語化する能力を身につけるにはどうすればいいですか?

僕は「文章術」なんてものは意識したことがありませんので、当然それを得ようとか高めようとか考えたこともありません。一生懸命伝えようと努力しているだけです。もし僕にあなたが言ってくれているような能力があるのだとしたら、それを得ようとして与えられたものではなく、人を救いたいという純粋な思いに応じて天から与えられているものだと思います。もしあなたもそういう思いを高めて行くことができたら、きっとあなたにも与えられるものではないかと思います。能力も、創作意欲もです。

ただ僕にとって違和感があるのは、よく僕の能力を「文章力」「言語化能力」という風に(小手先の「述」のように)捉えられてしまうことです。しかし自分が正しく深く理解できていないことは、他人に対して正しくわかりやすく言語化することはできません。「理解力・論理的思考能力」が「言語化能力」に先立ってあるのであって、それらは不可分のものなのです。そこが見えずに「言語化能力」と切り離して捉えてしまう人というのは、本質が理解できていないのだと思います。

そして僕は僕に与えられた経験を通して説明しているのであって、違う経験をしているあなたが何かを言語化すれば当然別な形になるでしょう。だからこそ(あなただけの)経験・存在に価値があるのです。それと同時に、多くの人は本質的に同じような経験をしているからこそ、共感・同情し合ってわかり合うことができるのです。

大事なのは「文章力」「言語化能力」ではなく、他者に対する「慈愛」であり、「共感能力(同情能力)」の方です。それが養われれば「文章力」「言語化能力」などは自動的についてくるものであり、逆にそれが養われていないのに文章(術?)がうまくなったところで誰も感動させることはできないでしょう。だから「文章力」「言語化能力」ではなく、他者に対する「慈愛」「共感能力(同情能力)」の方を養ってみて下さいね。それはコミュ障を克服したいに書いた通り、お年寄りインタビューをしてみることが一番の近道じゃないかと思います。

魂が若く分離意識(自分と他人は違う存在であるという意識)が強過ぎるプロセスにある人というのは、他人に慈愛をもってその気持ちを慮ることができていないのです。特にADHDの人というのはその傾向が強く、他人の気持ちに対してまるで壁が存在しているかのように相手の立場に立って考える事ができず、エゴに埋没し、人間関係がうまく行かずに孤独と自己嫌悪に陥ってしまうものなのですが(以前の僕は完全にそうでした)、それはADHDの人が極端なだけで人間は基本的にそのようにできているのですから、落ち込む必要はありませんからね。他人と比較することなく、ただそれを自分個人に与えられた課題として乗り越えて行けば良いのです。成長の物語のシナリオ・プロセス・速度も、キャラクターの個性・特性も、人それぞれなのですから。

>2.計画通りに行動できない課題
それはまさに僕も同じですよ(笑)やらなきゃいけないことでもやりたい気持ちがないと本当にギリギリになるまでできません。

ただこれも基本は1.と同じで、やはり自分で自分を心から愛せていないから、自分の肉体や霊魂が逆らってしまっているのだと思います(僕も自分を愛せているつもりで、まだまだのレベルにあるのでしょう)。

やりたくないけどやるべきことは、やってしまってスッキリしている自分の快感を先に想像しながら、最初のハードルを5分だけとか思いっきり下げてやることが大事かと思います。何事も最初が一番エネルギーがいるのであって、最初の一歩と最後の一歩ではエネルギーが指数関数的に異なるのです。慣性の法則はどこにでも働くものであり、一度勢いに乗ればどんどんスピードが上がって止めるのが難しいぐらいになります。それが習慣化してやるのが当たり前になっている頃には、やりたくなかったこともやりたいことになっていたりします。

>3.自制心と周囲の影響への対処
とても正直ですね。ただそれもやはり逃避ゆえの悪癖であり、基本的には1.への回答と同じになります。

逃げは最も安易な選択であり、RPGというのは基本的に愛と勇気を試し成長を促すベクトルで創られていますから、逃げれば逃げるほどかえって遠回りになり苦しくなってしまいます。そしてその先は全て行き止まりになっているのです。最初から「逃げ道などない」と腹を括れば腹が据わります。

ただ心は天邪鬼に出来ていますから「絶対に逃げてはいけない」と自分を追い詰めると、逆に逃げてしまいやすくなります。だから時には逃げることで逆に遠回りしてしまう自分も許し愛することです。人生はRPGと同じで、時には逃げも必要なものではありますが、例え逃げる時でも気持ちを「いつか乗り越えよう」というベクトルに向け続けていなければ、いつまでも人生というゲーム(ストーリー)が進まないのです。

そして同調圧力に屈してしまいやすいのは、やはり自分も他人もありのままに愛せていないというところが大きいと思います。同調しないと嫌われる⇒自分が無価値に思える・自己嫌悪に陥るという不安があるのでしょう。

自己嫌悪の強い人というのは、価値のない自分から褒められても嬉しくなれないために、自尊心を上げるための手段として他者評価を必要としますが、基本的に他者はこちらを表面的にしか知らないんですから、その評価なんていうのはいい加減かつ気まぐれなものです。そんなものに左右されていたらいつまでたっても自分を評価できず好きにはなれません。他者評価は関係なく、誰も見ていなくても無償で利他的な行動をして、自分で自分を褒められるように・揺るぎなく自分を好きになれるようになって下さいね。

誰でも自信満々になれる方法は僕に与えられた悟りの核ですから、何度も読んで実践してみて下さいね。あくまでも自分を愛し抜こうとしている人を嫌い切れる人などいないのですから、あなたの側が相手を愛し抜く覚悟さえ持てば、人から嫌われることを恐れ、顔色を窺ってビクビクする必要などないのです。だから大切なのは、自分の愛情から「出会うこと」以外の条件を外して無条件化していくことです。条件付きの愛というのはエゴであって愛ではないのです。自分も他人も無条件で愛せるようになったら、無条件で必ず幸せになります。

4.文章のわかりやすさ

あなたの質問は僕からすればとてもわかりやすいですよ。他の人にとってどうかはわかりませんが。

5.カルマについて

カルマというのは人生の課題であり、それこそが人生のテーマ・シナリオを構成しているものなのです。他人に自分のカルマが何であるかを尋ねるのは「私の人生のテーマは何ですか?」と他人に尋ねるのと同じであり、それは主人公であるあなたが自分で覚っていくべきものなのです。

ただカルマの良化法に書いた通り、僕らの魂は同源同一なので、抽象化して見れば人のカルマ(課題)というのは本質的に同じなのです。それは自分が一番目を背けたいところにあるのであって、みんな自分のカルマがわからないのではなく、わかりたくなくて目を逸らしてしまっているものなのです。そこは人間ならほぼ誰でもそうで、自分のカルマに正面から向き合えている人というのはそうそういるものではありません。だからカルマから逃げている自分を責める必要はありません。でも主人公たるあなたがいつまでもカルマと向き合わないのなら、最後まで脇役(被害者)の人生になってしまいます。

世界の本質はワンネスであり、自尊心と他尊心は同時にしか上がらないものだと知って下さいね。会ったこともない他人ではなく、出会いを大事にして、出会った一人ひとりを許し、人生の共演者として存在に感謝・尊敬し、愛せるようになって行って下さい。そうすれば自分自身もより深く愛せるようになります。自他共に愛せるようになれば、それは単なるナルシストとは違うのです。ナルシストは嫌われますが、自他共に愛せる人が嫌われるわけがありません。人に嫌われて幸せなんてことは有り得ません。しかし人に好かれようとして自分のエゴをごまかすのではなく、お互いのエゴを許して愛し、エゴのエネルギーを愛に昇華できるように日々実践を頑張ってみて下さい。そこはエゴとは何か?に書いた通りです。

それでは、あなたの幸せを心よりお祈り申し上げております。


2025年6月11日水曜日

この世界に意味はあるのか?

【質問】20代・男性 ペンネーム:ラガー
お久しぶりです。

この世界に意味はあるのでしょうか?幸せや快感、悲しい気持ちも全て脳内の情報が変わるだけで僕が死んでも何も変わらないし、この世界が無くなっても何も変わらない。まさにこの世界って虚なんだと思うんですけど。生きる意味ってあるのでしょうか?僕が死ぬと悲しむ友達、家族がいて80億人の中の100人程度の脳内の情報が変わるだけ。仏教の勉強をしていても全ては虚であると書いてありますし、辛いことがあったわけでは無いですが生きる意味を見失っています。友達と飲みに行って楽しいと思うし、運動をして気分が良くなるのも全ては本能で脳内のホルモンの変化に過ぎなくて、やはり人に価値なんてないと思ってしまいます。でも本能には抗えず、死のうと思えずに苦しいです。

【回答】 
先日の継父との関係に引き続き、ご質問ありがとうございます。

「この世界(人生)に意味はあるか?」 それは本当に究極の問いですね。そしてそのように考えてしまうお気持ちはとてもよくわかります。僕は小学校2年生ぐらいからずっとそのようなことを考えて、虚無感に浸っているような青春時代を過ごしました。だから僕はあなたに偉そうに説教がしたいわけではなくて、その苦しみがわかるからこそ、そしてその苦しみを乗り越えたからこそ、魂の兄弟であるあなたを一刻も早くその苦しみから救いに導きたいのです。

あなたは「辛いことがあったわけでは無いですが」と書いていますが、「世界(人生)に意味などない」などと考えている時点でそれは鬱状態であり不幸なのです。真理というのは自他共に幸せにするものであり、今のあなたはかつての僕と同じように真理から大きく外れていて誰も幸せにしない不幸な考え方(無明)をしているということです。

あなたに初めて彼女が出来た時とか幸せな時に「人生・世界に意味はない」などと考たりはしていなかったでしょう?筋トレ(モチベ維持)についての話と同じで、僕らは今できることをただ感謝し愛しながらやるべきであって、その意味を考えてしまうのは目的化であり害悪なのです。

あなたは不幸な考え方をしているがゆえに自己効力感が感じられず「何も面白くない・意味がない」と心がグレて虚無感に浸ってしまっているのでしょう(僕はそうでした)。だからあなたはきっと本気でこの人生・世界の意味を知りたいのではなく、要するに愚痴なんだと思います(僕もそうでした)。ただそういう不幸というのも人生に必要な経験であり、プロセスなんですね。

しかしながら大概の人は「傷つきたくない」と自己防衛するプライドのために、自分が不幸である=間違っているとは認められないものなのです。それは同じ過ちを繰り返してしまうに書いた通りです。それでも己の不幸=間違いを認められない限り、人は成長できずに同じレベルの不幸に苦しみ続けることになるのです。だからまず己の不幸=間違いを認めて、どうか謙虚かつ素直な気持ちで「真理=幸せな考え方」を受け入れて下さいね。あなたが信じようと信じまいと、僕の言葉は創造主の代弁なのです。偉いのは僕ではなく教えをくれる創造主であり、全ての存在は彼の分身なのですから、全てが尊いのです。

それで「この世界(人生)に意味はあるか?」ということですが、もちろんあります。世界(人生)というのは「概念=意味=創造主(思念体)」によって創造されているのであり、意味(意義・理由)のないものというのは存在し得ないのです。そして創造主というのは愛そのもののような存在であり、すべてはその愛によって創造されているのです。

じゃあなぜ創造主は、人生・世界を創造した意味(意義・理由)を我々に教えてくれないのでしょうか?それは創造主が我々という経験主体者(主人公)一人ひとりに対して、全ての「存在意義(価値)」を経験を通じて実感を伴いながら覚らせ、更にそれを自分で創造していける自由を与えてくれているからです。そしてそれこそが創造主の愛の形なのです。もし我々が創造主から限定された意義(答え)を先に教えられていれば、人生という物語を通じて自らの意思で経験して意義付けして創造していくという喜びが失われ、我々は自由ではなくなってしまうのです。わかりますか?あなたには自分に関わるすべてに対してその意義づけ(解釈)をして、それによって人生を創造していく自由を与えられているのです。人生(時間・世界)はあなたが自他の「存在意義」を覚り、自らそれを創造して表現するためのマテリアルとして与えられているってことです。

あなたはプレイヤー(主人公・経験主体者)としてこの人生という「全てが自分(の解釈・意義付け)次第」という素晴らしいRPG(芸術のマテリアル)が与えらえれているにも拘らず、ネガティブな解釈によって「全ては無意味である」と勝手に結論付け、その創造主からの素敵なプレゼントを無価値であるかのように言い貶し、自分の人生を自ら台無しにしているのです。あなたは人生を無意味なクソゲーのように貶めていますが(それも意義付けです)、クソゲーにしているのはあなた自身だということです。もちろん、そういう経験もあなたの人生に必要なプロセスだから与えられているのでしょうけども。

>仏教の勉強をしていても全ては虚であると書いてありますし、
これについては般若心経の究極解説を読んでみて下さい。「虚」というのは意味がなく虚しいという意味ではありません。多くの人もそのように誤解していますが、それこそが人間に与えられた無明だと思います。

仏教の真髄というのは菩提心(衆生を救う存在としての決意)に目覚めさせることであり、己という存在の真の価値に目覚めさせること(天上天下唯我独尊)なのです。自分の価値がわからない人間に他人の価値も世界の価値もわかるわけがありません。あなたは全知全能ゆえに何も経験できない創造主本体に代わって経験機会を与えられている偉大な存在なのであり、あなたという存在にもその経験にも途方もない価値があるのです。「虚」というのは今生(物質世界)が仮象のものであり、「実」である我々の魂は永遠の存在なのだから、 何も恐れずただ菩提心を起こして悟り(真理)を進めましょうということなのです。

全知全能である創造主は、敢えて意義(答え)を一つに限定しないという原理によって、豊かに世界の創造を続けているのです。我々に無明を与え、敢えて愚かに創った上で経験を与え、想像力という創造主本体にはない素晴らしい力を与えているのです。全知全能のままでは何も経験できず、想像=創造は広げようがないのです。

例えばコップというものはペン立てにしたり灰皿にしたり色んなことに使えますが「飲み物を飲むため」という一義的な存在理由があります。同じように人生・世界にも一義的な存在意義(答え)というものはちゃんとあるのです。しかし今のあなたがそれを知ったところで、ただ単に答えが限定されて自由がなくなるだけで、恐らく幸せにはならないでしょう。だから僕は既に人生・世界が創造された理由・経緯をきちんと思い出しているのですが、それを語るのはまだ先になると思います。

我々に人生・世界を与えている創造主の思いを代弁するために、こんな例え話をしましょう。あるガラス職人さんが訪れた子供たちにガラス細工の体験を無償でさせてあげていました。そのガラス職人さんは特にテーマも決めず、子供たちに何を作るか・何に使うか(それが何であるかの意義付け)も自由にしてくれました。そして子供たちは楽しそうにそれぞれ思い思いのデザインでグラスを作ったり、花瓶を作ったり、オブジェを作ったりしました。子供たちは帰った後もその作品を大事にして、思い思いの使い方で愛しました。ガラス職人さんはとても幸せでした。

ガラス職人さんにとって子供たちがどんな作品を作るか・どんな使い方(意義付け)をするかは重要ではないのです。子供たちにただただ喜んで欲しくてその機会を提供しただけで、感謝されることが目的でもないのです。

ところがこのガラス職人さんがせっかく与えてくれた経験機会の価値がわからず、感謝せず、「芸術の才能がない自分にはうまく作れるわけがないし、何の影響力もなくて面白くない。無意味なことをさせないで欲しい」と反発し、テキトー・投げやりに作品を作って素材を台無しにした挙句「こんなもの要らない!」と投げ捨ててしまう子供がいました。さて、ガラス職人さんはどんな気持ちになったでしょうか?

創造主からせっかく与えられた人生という経験機会(芸術の素材)が気に入らず、無意味だと嘆き、人生という作品を自分でつまらないものにしておいて運命を呪えば、それが悪いカルマとなって鏡のように自分に跳ね返ってきて鬱状態になるのは当前なのですね。

いつも言っていることですが、与えられたものの価値に気づいて感謝できない人間に、より良いものを与えたいと思う人はいないでしょう。創造主もそこは同じであり、そういう原理でもってこの世界は創られているのです。与えられたものに感謝できない人間というのは、既に与えられたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲惨な人生になるのが定めなのです。

わかりますか?与えられているものは「当たり前」と思い(当たり前は有難いの対義語です)、他人と比べて与えられていないものを嘆き、与えてくれている相手に対して不満点があれば恨みに思って感謝できていないなら、その「当たり前」と思って意識さえしていなかった「生きる意欲」さえも剥ぎ取られ続けてしまうのが宿命なのです。

誰もが喜ぶものを与えられなければ感謝できない人の感謝に価値などないのです。どんな苦難も自分の成長の為に与えられていると感謝しながら受け取れる人の感謝にこそ価値があるのであり、その苦難を乗り越えて行く中で人は魂的に成長し、幸せを感じることができるのです。


<カルマ的原因と解決法>
人生の一義的な存在理由は、魂の成長にあります。あなたが不幸なのは人生・世界に意味がないからではなく、あなたが魂の成長課題(カルマ)に立ち向かっていないから(己の心に愛を育てられていないから)であり、それゆえに成長課題(カルマ)がどんどん雪だるま式に膨れ上がり、ストーリーが前に進まず、人生が「嫌な仕事を我慢して駄賃を稼いで生きのびるだけのクソゲー」みたいになり、嫌なことばかりで自己効力感を失い、虚しくなって何も楽しめなくなっているのでしょう。愛で世界を救う主人公として目覚めずエゴを目的に生きる限り、この人生というRPGにおいては脇役NPCでしかなく、NPCの物語が面白くなるわけがないのです。

魂の成長(カルマの克服)こそが人生のテーマを構成するのであり、あなたのカルマ(人生のテーマ)が何であるかはあなたが自分で経験を通して悟るべきことです。他人である僕があなたのカルマ(人生のテーマ)が何であるかを決めるというのはナンセンスですし、そもそもあなたに直接お会いした事さえないので知りようがありません。

ただカルマというのは本質的に人によって大差はなく、本人が一番目を向けたくないところにあるものなのです。カルマの良化法はよくよく読んでおいて下さいね。そしてあなたのカルマは前回の質問継父との関係から察するに、継父との関係性が大きく関わっていることは容易に推察ができます。前回あれだけ言葉を尽くしても伝わっていない(カルマが良化していない)みたいですが、恐らくあなたは結局あの質問の後も継父との関係を改善させられていないのではないでしょうか?

厳しい言い方にならざるを得ないのですが、被害者意識は成長拒否であり、不幸に導かれるのが必然なのです。自分の不幸の責任を親に求めていいのは中学生までです。大人になるということは、自分の幸不幸について全責任を負うことです。全ての原因が自分の考え方にあるのですから、自分が考え方を変えれば全てが変わるのです。

好きではない親の世話になるのが辛い・早く自立したいというお気持ちは僕も同じだったのでよくわかります。しかし社会に出てみて実際どうでした?仕事はつまらない。嫌なこと・我慢しなければいけないことが常にいっぱいある。競争社会の中で常に他人と比較され、責められたりバカにされたりして自尊心をズタボロにされる。酒を飲んだりスポーツをしたりしても虚しく、何のために生きているんだかわからない。

あなたの父親もきっと同じだったのではないかと思いやりを持つことはできませんか?そしてあなたの父親はそんな中でも、家族を支えるために必死で色んなことに耐えて頑張ってきたのに、連れ子は自分に懐かず尊敬せず感謝せず反発ばかりしてくる。それでも途中で投げ出すことなく、経済的に不自由させずに社会人になるまで育て上げたのでしょう。あなたに同じ事ができますか?エゴに埋没して虚無感に陥って生きる気力さえ失くしているような今のあなたにそれができるとは到底思えません。別にそれはできなくても良いんですけど(僕もできないです)、社会の厳しさを知ったあなたは父親に対する恨みを捨て、父親の欠点や過ち(依怙贔屓や理不尽な折檻)を心の底で許し、心から感謝・尊敬の念を持って、それを素直に伝えてはいかがでしょうか?それこそが人に存在意義(価値)を与えるということです。もしあなたにそれができたなら、きっと大きなカルマが解消され、人生が音を立てるようにして良い方向に変わっていくと思いますよ。


<鬱の本質的な原因と乗り越え方>
これもいつも言っている事ですが、世の中のすべての問題は究極「愛の不足」が原因であり、逆に言えばすべての問題の解決策は究極「愛」なのです。これは例外がありません。

愛の対極にあるのはエゴです。僕もあなたの年齢の頃は思いっきりエゴに埋没して生きてきました。今それが自分で認められるのはエゴを乗り越えられるようになったからであり、その当時は自分がエゴに埋没しているなどという自覚さえ全くなく、それゆえに苦しんでいました。あなたもまだ実年齢的にも魂的にも若く、エゴに埋没していて己の中にある愛(思いやり・慈愛)を全く育てられていないという自覚がないのでしょう。

世界の本質はワンネスであり、エゴというのは分離意識・自己保存欲なのです。エゴによって自分という個体にだけ都合のいいように考え行動すると、深い部分で自分を嫌いになってしまうのです。そして自分が嫌いなのに他者(他人・世界)を愛せるわけがなく、厭世観に陥り、すべてがイヤになって鬱状態になってしまうのですね。鬱というのはエゴへの埋没を原因としており、また結果ともしている悪循環構造なのです。ただただエゴのために生きるって虚しいでしょう?だからあなたは鬱状態になっているのだと思います。そしてそれも含めて何事も経験から実感を通して知るっていうことはとても大切なことであり、あなたがその機会を与えられているということ自体が途方もない価値(存在意義)なのです。それは「当たり前」なんかじゃないんですよ。

あなたは仏教を勉強しているそうですが、理屈を頭だけで理解しようとするのではなく、六波羅蜜(&新六波羅蜜)を本気で行じてみて下さい。そうして実践によって己の中にある愛(思いやり・慈愛)の心を育てていって下さいね。そうすれば必ず実感を通して大切な事に気づかされますから。世界が関係性の中で成り立っているということ、自分はそれを愛・融和・調和のベクトルに向かわせる使命がある主人公だということ、など。自分の存在意義も世界の存在意義も関係性の中にこそあるのですが、それは説明されて理解できることではないのです。

一日一善で良いので、一切見返りを求めず、他者の為に尽くしてみて下さい。利他的な行動というのはエゴとは真逆で、やればやるほど深い部分で自分を好きになるという目に見えない素晴らしい価値が即与えられるのです。


>僕が死ぬと悲しむ友達、家族がいて80億人の中の100人程度の脳内の情報が変わるだけ。
今は無理でもいつかは自分が主人公(経験主体者)の地位が与えられているということの価値に気づいて、世界を救うという使命を果たして下さいね。それは生まれの格差について(陰謀論)未来に絶望したくなるに書いた通りです。別に有名人になる必要はなく、自分が世界に救いが連鎖する核になれれば、誰が評価しなくとも創造主はすべてを見ていてすべてをきちんと評価してくれます。連鎖反応=指数関数にとって、80億なんて大した数ではないのです。逆に目の前の人も自分自身も救えない人間に影響力があってもロクなことになりません。だから今現在の自分に影響力がないことより、目の前の人も自分自身もまだ幸せにできていないことに問題意識を持って下さいね。もしあなたが目の前の人を愛によって救える存在になり、揺るがない連鎖反応の核になれさえすれば、世界は必ず救われるのです。世界に何十億人いようと、それはあなたの鏡のような存在なのですからね。己のエゴに埋没せず、スケールの大きい・愛に溢れた人間になって下さいね。


<創造主直伝 さとり4カ条>
1.偉くなろうとするな、(自他全てが)尊いと知れ。
2.特別になろうとするな、特別(主人公)であると知れ。
3.日々愛を実践し、特別ではなくなること(差取り・ワンネス)を目指せ。
4.幸せになろうとするな、幸せであると知れ。


それでは、あなたの覚り=幸せを心よりお祈り申し上げております。

2025年5月23日金曜日

毒親との接し方

【質問】10代・男性 高校生 ペンネーム:エビクリーム

真也さん、お疲れ様です。いつもタメになる投稿を見せて貰って、若いながらも学ばせて貰っています。

僕には両親がいるのですが、父親は自分の怒りのコントロールが効かない人で暴力こそは無いももの、僕が小さい時(小学校中学年〜高学年)から喧嘩になると大きな声で罵声を浴びせたり顔を近づけて(やんのかコラ?)などとが多くありました。軽く数えても1000回程度です。母親は責任感が強く、僕を守ろうとして沢山動いたりしてくれていたのですが、パニック障害などを発症してしまった時の発言等に僕の心に刺さるものがありました。

現在は喧嘩をしてしまって、もうバラバラという感じです。母親とは直接的な喧嘩はその時しなかったので、少し話したのですが(幼少期の事など)、私もお前の前の非行にはとても心を痛められた。私たちは旅行も連れて行ったりできるだけ甘やかしたのに、そんなに辛い風には見えないよ?と言葉が帰ってきてしまい落ち込んでしまっています。

要は何が言いたいかと言いますと、人生には偶然等は無くそれ自身も僕の成長に必要なものであり、意味の無いプロセス等は無いと分かっているのですが、彼等とどのように接すればいいのかが分かりません。僕とは考え方がやはり違うので衝突などが多く、上手くいく自信がありません。

そして父親の母親に対しての八つ当たりや、その原因が僕だと言うのを言われてしまうなら関わらない方がいいのかな?と思っていたり。

何と言うか正解が見つからないような感覚でそれを自分自身で見つけるからこそ人生なのですが、また今回の喧嘩が起きてしまい、家を出ていけと言われてしまったり・母親の対応にやられてしまい。相談させて頂きました。長文失礼いたしました🙇

【回答】
ご質問ありがとうございます。そしていつも発信を受け取っていただき、ありがとうございます。基本的に僕はエゴが収縮し始める30~40代の人をイメージして発信しているのですが、あなたのように若い方にメッセージが届いているということは、とても嬉しいことです。

さて、ご質問内容についてですが、幼い頃からあなたが受けて来た深い傷と怒りに心から同情します。僕もあなたほどでは全然ありませんが、親との関係では相当苦しみました。親から逃げたくても年齢的に自立が難しく親の庇護にすがるしかない・誰にも相談できない・逃げられない状況というのは本当に酷だと思います。僕がお金の要らない・愛の時代を実現したいのは、そういう状況を失くしたいからでもあります。

それだけの困難に直面しても、あなたは「人生には偶然等は無く、それ自身も僕の成長に必要なものであり、意味の無いプロセス等は無い」と理解しようとしているのですから、それはとても立派で尊いことです。

ただ、そんなに焦って大人になろう・悟ろうとしなくて大丈夫ですからね。僕も高校生の頃はかなり荒れていて、悟りなどとは程遠い暗い青春を送っていましたから。そしてそれが必要な経験だったと気づいたのは、そのずっと後のことでしたから。

僕らの魂は同源同一であり、例外がありません。そしてその魂というのは純粋な子供の如くであって、とても繊細にできているものなのです。実に多くの人が、頭では大人になったつもりで、傷つかないように必死に自己防衛し、その子供のような純粋な魂(インナーチャイルド)の声を封じ込め、傷ついている自分を認めることさえできず、その成長のギャップが心の歪みとなって様々な形で悪影響が起きてしまっているのです。

成長というのは魂(インナーチャイルド)の成長と足並みを揃えなければいけません。だから今はただ自分の中の傷ついている魂の声をしっかりと受け止め、我が子のように労わり、癒してあげて下さい。自分の傷ついた心を認めることは、決して負けることではありません。

自分の癒し方は人それぞれですが、動物や自然と触れ合うなり、好きな音楽や読書やスポーツなどの趣味に没頭するなり、自分に合ったやり方をしてみて下さい。僕的にはぜひ信仰心を持って寺社などに通うなりして神仏に頼って欲しいところなのですが。

本当に辛い時は逃げても良いのですよ。人生はRPGであり、本当に弱っている状態の時に手に負えない困難と遭遇したら、一旦は逃げて体制を立て直す以外にないのです。そして素直に人を頼って下さいね。プライド・意地で人を頼ることを恥じないで下さい。親せきなどを頼って状況が改善するまでかくまって貰って親との間に入って貰うことはできませんか?(もしかしたらあなたの親も実家と関係が悪くて難しいのかも知れませんが)学校の先生などにも相談はできませんか?もしできないのであれば、以下の連絡先に相談してみて下さい。軽く調べただけなので、実際どういう対応をしてくれるかなどは全然わかりませんが、相談先はたくさんあるのだという例として挙げておきます。

📞【24時間対応】チャイルドライン(18歳まで)電話:0120-99-7777
受付:毎日16時~21時(無料・匿名)
チャットも可(16時~21時) → https://childline.or.jp
子どもの気持ちに寄り添って話を聞いてくれる窓口。「どんなことでも話していい」が基本スタンスです。

💬【LINEで相談】生きづらびっと(10代~20代対象)
LINEで気軽に相談可能(完全無料・匿名)
こころのモヤモヤ、不安、家族のこと、自傷・希死念慮などにも対応。
公式サイトはこちら

🌱【全国の児童相談所】
全国共通ダイヤル:189(いちはやく)最寄りの児童相談所につながります。
「親からの精神的な暴力」「家庭で安心できない」などは、虐待の一種として扱われる可能性もあります。話を聞いてくれて、必要ならシェルターや保護の手段も検討してくれます。

📱【その他:若者支援の窓口】
こころの健康相談統一ダイヤル:0570-064-556
各地の精神保健福祉センターにつながります。親の精神疾患・家庭のことなども相談可能。
法テラス:0570-078374
もし今後、家を出たい・住むところを探したいといった法的なことが出てきた場合にも無料で相談できます。

そして奨学金を貰って進学して寮暮らしするとか、住み込みをさせて貰えるバイトを探すとか、とにかく今は親と距離を取ることを優先して下さいね。もし今すぐにそれができないとしても、そういう希望を持つだけでも全然違いますから。

根本的な解決にはなりませんが、もし時間があれば格闘技などを習って心身を鍛えるというのも良いと思います。強くなれば自身もつきますし、それは仮初めの自信ではあるのですが、少なくとも身体的な暴力は受け難くなりますからね(決して力に任せて暴力を奮い返したりしないで下さいね)。




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<未来のあなたと読者の方々へ>
さて、これから書くことは今すぐには読まず、まず親と距離を取れるようになって落ち着いて、自分の傷を自分で認めて受け入れ愛し労える状態になってから考えてみて下さいね。先にも書いた通り、あなたはまだそんなに焦って大人になろう・悟ろうとなくて良いのです。今は問題から距離を取って自分自身を守り、癒すことに集中して下さい。

ただ僕は預言者としての使命上、未来のあなたのため、そして同じように毒親に苦しめられている多くの人のため、ただ逃げ方を伝えるだけで話を終わらせるわけにはどうしてもいかないのです。どうぞご容赦下さい。
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人格的に問題の多い(いわゆる毒親)に育てられるというのは、とても重いカルマです。ただ我々の魂というのは同源同一のものであり、主人公というのは基本的にそのような困難な生い立ちを抱えているものなのです。

悪いカルマの解消法に書いた通り、カルマというのは決して意地悪で与えられるものではなく、成長のために愛で与えられている課題であり、生徒に乗り越えられない課題というのは成長につながらないので与えられないのです。重いカルマはより高いレベルの魂に与えられるのであり、乗り越えればより大きな幸せが待っているのです。僕を信じて下さるのであれば、どうぞそれを信じて下さいね。

魂の年齢というのは、今生での実年齢とは関係がありません。あなたの父親がどんな人生を送られてきた方なのかは存じ上げませんが、きっとカルマを正面から乗り越えようとしてこなかったままのために雪だるま式にそれを膨れ上がらせ、まだ魂的にも幼いままで、自分の中の魂(インナーチャイルド)を常に抑圧してきた人なのでしょう。そしてそれがきっとあなたという(自分に似ている)実の子供に対して攻撃するという歪んだ形で表れてしまっているのだと思います。他人と上手くやれない人というのは、まず自分自身と上手くやれていないのです。

あなたの側からすれば「こっちはいい迷惑だ」と被害者意識に陥ってしまう気持ちもよくわかります。しかしあなたの認識している世界というのは、すべてがあなたという主人公個人のために与えられているものなのです。あなたが実際に関わっている人のカルマ(課題)というのは、あなた自身のカルマ(課題)を鏡(拡大鏡)のように映し出したものだということです。PRGで他人(NPC側・設定側)を変えようとしても変わりません。あなたという主人公が変われば全てが変わります。そのようにあなただけのために用意されたオリジナルのシナリオがあるのです。あなたが既に理解して下さっている通り、この世に偶然は存在せず、すべての出来事・出会いに意味(意図)があるのです。被害者意識というのはカルマ(課題)を他人のものと考える成長拒否であり、不幸に導かれるのが必然なのです。

いつも使っている例えですが、ゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのは主人公が悪いからではありません(自分のせいだと思う必要はありません)。かといって相手側(ゾンビやアンブレラ社)を責めたり、制作側(クリエイター・ゲーム会社)を恨んだりして被害者意識に陥ってもゲームは進みません。自分も相手も運命も責めず恨まず、ただ自分に与えられた成長課題だと信じ、楽しみながらその課題を目の前から一つ一つクリアしていくことが大事なのであり、それは人生も同じだということです。

人生は愛を経験的に知るため・表現するために与えられたものなのです。だからこの世の全ての問題は愛の不足が原因であり、逆に言えば全ての問題の解決策は愛なのです。これは例外がありません。

そして「許し」こそが愛なのです。威圧的な父親になつけなかった自分も、不幸な生い立ちから威圧的な親にならざるを得なかった父親も同時に許して下さい。答えはいつでも「自分も誰も悪くないけど、自分が何とか(成長)するしかない」です。

どうかどんな困難も(愛と勇気を試し、魂の成長を促す)愛によって与えられているということを忘れないで下さいね。聖書の「ヨブ記」はぜひ読んでみて下さい。誰しもが喜ぶようなものを与えられてする感謝に価値はありません。どんな苦難も愛によって与えられていると信じて感謝と共に受け取れる人の感謝にこそ価値があるのであり、そこにこそ魂の成長があるのです。

与えられたものに感謝できない人に、もっと良いものを与えたいと思う人はいないでしょう。それは創造主も同じであり、そういう原理でこの世界は創られているのです。与えられたものへの感謝がない人間は、既に与えられたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのが定めなのです。

カルマというのは連鎖するのが原理であり、あなたがそのカルマの負の連鎖を断ち切るシナリオになっているのは、あなたが主人公のRPGなのですから当然のことなのです。だからどんなに理不尽に思えたとしても、時には逃げることが必要だったとしても、いつまでも自分を被害者の立場に置いてカルマ(課題)を乗り越えようとしないのでは、RPG(愛・勇気・成長)の物語にはならないのです。だから自分が負のカルマの連鎖を終わらせ、良いカルマに転換する終端装置になることです。エゴを愛に昇華し、悲しみ・不幸を喜び・幸せに転換することです。入力(過去)が不幸だからといって、それを理由に出力(未来)を不幸にするなら、主人公に存在意義はありません。

どうか「こんなに不幸な生い立ちで、こういう風に生きれば不幸になる」というネガティブな教訓をアカシックレコードに捧げるために貴重な人生を使わないで下さいね。それはMisson Faildなのです。最終的には「こんなに困難な状況にも負けず、こういう風に生きることで幸せになった」というポジティブな教訓をみんなに提供して励ませるような存在になって下さい。

そうしていつかあなたが創造主の愛によって存在し、神仏の加護を受けて生きているのだということをぜひ実感して欲しいです。それだけの困難が与えられても自分自身と他者と人生(世界)の存在に心から感謝するというのはとても酷なことだと思いますが、因果というのは時空を超えて連鎖するものであり、今現在のあなた自身の信心・感謝のなさが、時空を超えて今までの不幸をもたらしているのです。だから苦難に満ちた人生でも先回りして信心を持ち、感謝することが大事なのです。自分の人生を決して他人(NPC)と比べないで下さいね。僕らは魂の成長のために生まれてきているのですから、カルマ(課題)が簡単でラクな人生ほど幸せなのだと考えるのは大間違いです。

<霊的(カルマ的)解決>
さて、まだ幼い実の子に向かって日常的に「やんのかコラ」などとスゴむというのは、あまりにも常軌を逸していると思います。それは一種の憑依現象(霊障)で、自我が霊障に乗っ取られているのでしょう。その構造は憑依現象(霊障)についてに書いた通りです。

実際あなたの父親はいつも威圧的なわけではなく、優しい時もあるのではないですか?あなたのことも旅行に連れて行ってくれたりしていて、決して育児放棄をしていたわけではないのでしょう。まさか虐待しようと思ってあなたを生んだわけではなく、愛そうとしていたのにそれがうまく表現できず・伝わらず、仕事で嫌な思いも我慢しながら稼いで一生懸命育てているのに、懐かず・感謝されず・愛されず、反発された結果、あなたは父親にとって自身と世の中に対する不平不満をぶつける対象にされてしまっているのでしょう。でも本当はあなたに愛されたいに違いありません。

だからいつかはそんな風にしか生きれらない父親の心の傷に同情と許し(慈愛)の気持ちを持って下さいね。恐らくは社会で自尊心をズタボロにされて(その痛みはあなたも社会に出ればわかります)、家族に威圧的に接することで実質的に尊敬を強要することでしか自尊心を保てない状態にあって、自尊心というものが自他への愛によってしか満たせないものであるということは考えもつかないのでしょう。

あなたの父親はよっぽど大きな傷を抱えていて、深い部分で自分自身も他人も世の中も許せず、尊敬できず、愛せず、嫌って、自己嫌悪と厭世観に陥ってしまっているのでしょう。それは実に多くの人が抱えている自尊心の病気(社会病理)なのです。あなたの父親はそれゆえにネガティブな霊に(何かをきっかけにして、突発的かつ常習的に)自我を乗っ取られてしまっていて、突発的に攻撃的な人格が現れてしまうのでしょう。しかしあなたの父親が攻撃しているのは彼自身なのであり、俯瞰して見ればとても可哀そうな人なのです。そしてそれは主人公であるあなたが救いに導くシナリオになっているのです。

相手の攻撃に対して攻撃し返せば負のループは終わりません。カルマは増幅連鎖するのが原則なのですから、あなたもそのままいけば同じ霊障に憑りつかれて、きっと父親と同じようになってしまうでしょう。

愛というのは無条件化していく方向が成長方向なのです。相手に瑕疵(欠点や過ち)があれば愛せなくて(感謝できなくて)当然という考え方(愛の条件化)はそれとは逆のベクトルなのであり、世の中に瑕疵(欠点や過ち)のない人間はいませんから、それでは究極誰も愛せず、感謝できなくなっていくことになります。

あなたからすれば理不尽極まりないでしょうけども、あなたの母親の言うことも一理あるということです。瑕疵(欠点や過ち)があるからといって与えられているものに全然感謝せず反発して恨みで返すのみというのでは、お互いのカルマが増幅するだけになってしまうでしょう。

あなたの親は一応はあなたを養って学校にもちゃんと行かせて、旅行などにも連れて行ってくれていたところを見ると、きっといつもいつもそんなに威圧的なわけではないのでしょう。あなたが父親に従わず、感謝せず、反発することをきっかけとして色々人生で溜めてきたもの(全くあなたのせいではない傷・怒り・不平不満・恨みなども全部含めて)が爆発してしまうんだと思います。それはもう自我を霊障に乗っ取られているということなのです。

分離意識の強い若い時にはとても理解できないことかと思いますが、世界の本質はワンネスであり、すべては一つなのです。それはつまり我々全員が同一人物のようなものだということです。愛憎劇と魂の成長を経験できるように、分離意識・異なる個性(配役)・異なる環境(視点)が与えられているだけで。

本質的に他者というのは存在しないのであり、カルマ(シナリオ)は基本的に両方の立場を経験するようになっているのです。それは超時空的なもので、そこに時間・実年齢は関係ないのです。つまりあなたの親は過去世か未来世でのあなた自身なのであり、あなたの親であると同時にあなたの子供でもあるのです。とても信じられないと思いますが、例えそうでなかったとしても、そう考えながら接するのが正解なのです。

それは若いあなたにはまず無理なことであって、できるようになるのはずっと先で大丈夫なのですが、成長のベクトルはその方向にあるのだと知っておいて下さい。そしていつか自分の親を自分の子供のような視点で温かく成長を促しながら見守れるようになって下さいね。それにはまず相手よりも先に自分から愛情を示すことです。

カルマというのは超時空的なものですから、現在のあなたが変われば、過去も未来もすべてが超時空的に変わるのです。

早くから親元を離れ、働いて社会に出る大変さ・自他の自尊心を保つ大変さを知り・家庭を持って奥さんや子供とうまくやる大変さを知り、親に心から感謝できるようになって下さいね。心に逆らって無理に感謝をすることが本質ではありません。心からの感謝が自然と態度に表れるぐらいに苦労を乗り越えてみて下さい。

親だから大人だからという理由で他の家庭と比べて自分の親に愛情を期待・強要せず、存在そのものに有り難みを感じて下さいね。そして結果(見返り)を求めず自分から愛情を示すことで、あなたのカルマはきっと解消されていくと思います。

そして霊的解決のために、縁を感じる宗教に通ってみて下さい。信者になる必要はありませんし、無理に勧誘されたりお金や奉仕を強要されそうになったら一目散に逃げて下さい。お勧めは南無妙法蓮華経のお題目を唱えること(できれば本門仏立宗など日蓮系のお寺に通うこと)と、世界救世教や崇教真光などで無料で浄霊を受けることです。縁がある宗教と巡り合えば、きっと奇跡を経験することになると思います。

僕自身どこの宗教にも属しておらず、特定の宗教に勧誘するつもりはありませんが、霊的な問題の解決というのは一人では難しいと思うので、ぜひ参考にしてみて下さい。人生の問題の全ては神仏への愛(信心)へと導かれているのです。

それでは、あなたが悪いカルマを解消し、心からの感謝と幸せに至ることを心から祈っております。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...