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2025年7月8日火曜日

LSD&MDMAでのバッドと後遺症

【質問】20代・男性 学生 ペンネーム:END
まず一度僕は、一年前くらいにLSDでバッドに入りました。その時のバッドが、その時3人いたんですけど、ループに入ると言うバッドで、そこから抜け出せず、自殺しようとしました。そのバッドの時には時間感覚も全くなく、本当に地獄のようなものでした。そして、そのことをずっと何だったのかを考えるようになって、シラフの時でもあれは何だったのかをずっと考えていました。そして、1カ月前にその地獄のようなバッドの夢を見ました。そこから、メンタルがおかしくなって、シラフでも入るのか、と、そして、真也さんのLSD後遺症の記事をたまたま目にして、自分は統合失調症ではないのか、と考えるようになって、そこから、起きてから頭の中で負の思考のループが止まりません。自分がやってることは結局ループしてるとか、ゲームの世界なのではないかとか、自分以外の人がキャラクターのような感覚になってしまったりとか、また、シラフで自分がおかしくなってあのバッドに入ってしまうのではないのかと、考えてしまいます。どうしたらいいでしょうか、真也さんに相談のDMをするのもなんか怖くてためらってましたが、もう限界です。僕を助けてください。よろしくお願いします。

 ■1回目のバッド(LSD)
三人でループしてた。
脳が麻痺して、現実にバグが起きている感じ。
仮想現実を受け入れなければいけなかったが、受け入れられなかった。
怖くて受け止めることができなくて自殺をしようとしてしまった。
なんか見てはいけないものを見てしまった感覚。
時間・環境・気温・気候・・・記憶が途切れ途切れでバラバラ。
電話も音楽も、何もかもが途絶え途切れで、私以外の意識が全く不安定に見えた。
三人ともみんな同じ感覚で笑った

■2回目のバッド(MDMA)
1回目のLSDの記憶がフラッシュバックした。
忘れてたループの記憶が、突然鮮明に蘇ってきて絶望した。
LSDでバッド入った時ループした記憶が殆ど消えていたけどそれを思い出した。
このバッドはシラフに戻ったら記憶が消されてる。
この日、意識だけでは1年ぐらい時間をループをしていた。
簡単に言ったら5億年ボタンみたいな感じ。
とにかくループをして、最後死を悟る。絶望。
身体は現実だったけど、意識は違う場所に閉じ込められていた。
今回も、同じように時間が狂った。
このループは結局おれもずっと終わりを探していて、何が終わりなのか、分からない。
精神と時の部屋みたいな感覚で、現実の10分が、意識では何時間も何日も続いてた。
それからは恐らく「死」が答えないんじゃないかと思ったけど、受け入れるのが怖くて、途中またループに戻って感じ。あ、同じ現象が起きたのが怖かった。
毎回誰かにいろはすの水を買ってるし、未来が分かる感覚もある。
今から誰が何を言うか、どのタイミングで動くかが先にわかる。
全てが繋がっている感覚。
バッドに入ってる時は確実に仮想世界にいると確信できる。
次の日になると、その記憶は消されている。
この世界は仮想現実。仮想世界じゃないわけがないと思う。
もう絶対に何があってもケミカルはいらない。一生。
で、これは結局なんなのか?

■3回目のバッド(LSD)
また来たってすぐわかった。

背筋がゾッとするあの感じ、あれが来た瞬間がスタートだった。
今日は、もう一人の自分の声がずっと頭に響いてた。
「抜けられそうで」「また始まったね」って。
完全にループの中に入った。
感覚としては点が3つあって、そして糸で引っ張られるような不気味な引力がある。
未来が見える感じも強くて、隣にいる奴が何を言うか、何をするか、全部わかってしまう。
それでも、だからこそ「これって録画された現実なんじゃね?」って思った。
「これからの本質」がもしこれなら、すげぇ悲しいって思った。
生きてるのが録画再生みたいだったら、一応落胆する。
それを受け入れられなかったんだと思う。

▶結論というか、今の感覚
3回も同じ悪い事があった。
薬が違っても、入る場所は一緒。
意識だけが取り残される場所、ループ、そして「終わらない問い」。
毎回「死」を考えるところまでは行くけど、結局実行の手前で立ち止まる。
終わりが分からないままループして、その記憶は次の日には薄くて。
でもどこかにちゃんと残っている。
もうやりたくないけど、全部忘れたくない。

システムっていうか、絶望感っていうか、
考えれば考えるほど背筋が凍るって言うか、ループだよね。ループに入るんだよね。
思考のループに入り込んでしまうと、現実世界から、切り離されるような。
恐らく、人間か、自分自身のシステムとしか考えられない。バッドの類じゃない。
あれが、この世の本質だとしたら、落胆する。
あの瞬間、思考に入ってしまう、瞬間、背筋が凍る瞬間、スタートしてしまう。
恐らく薬物やってる人はもしかしたら、みんな入ってるのかも。
で、記憶がみんななくなるのかも。
毎回吐いてる。
頭の中からもう1人の声が、ずっと聞こえる。それは何?
思考が現実化する。って、本当なんやと思った。
考える、妄想する→未来が見える→その通りになる


【回答】
ご質問と詳細なレポどうもありがとうございます。既に電話相談で回答済みなのですが、同じように苦しんでいる人はきっと多いと思うので、敢えて質問箱でも回答させていただきますね。

あなたと同じような体験はLSDを体験した人ならほとんどの人が経験していることかと思います。あなたのレポを読んでうなずいている人はかなり多いことでしょう。決してあなただけではないのだと知って下さい。もちろん僕もあなたが経験したような絶望的な恐怖や混乱も経験しています。それが未経験者の想像を絶するものであることもちゃんとわかっています。そして僕はその経験のひとつ一つの意味も今は全部理解できますし、その上でそれを乗り越え、何も恐れることなく悟りを進め、通常の日常生活を営んでいます。そういうことが可能なのだということをまず知って、勇気と希望の糧にしていただけると幸いです。

アヤワスカとLSDの違い
LSDの後遺症について
極度の人見知り(大麻・LSD)

を読んでいただいた上でもピンと来ていないようですから、改めてよりわかりやすくご説明差し上げたいと思います。

まず、あなたは「とても受け入れがたい」と書いていらっしゃいますが、LSDで経験することというのは夢幻ではなく、現実の一つの見方であり真実なのです。それで恐怖してしまうのは、信心が足りないからであり、愛と勇気が足りないからなのです。そして絶望してしまうのは、あなたがまだ若く、悟りが進んでいないからなのです。しかしそれもプロセスですから、受け入れて乗り越えて行く以外にないんです。

<この世界は仮想現実=あなたが主人公>
宇宙の仕組み(仮想現実と創造主)
を読んでみて下さいね。「この世界が仮想現実である」というのは紛れもない事実であり、それは現代科学でもほぼ証明済みのことであり、また般若心経など仏教で再三伝えられてきたこと(唯識)でもあるのです。それはもう受け入れる以外にありません。同意ボタン以外は存在しないと思って下さい。あなたが今まで信じて来た「誰の意思も介在せず自然発生した世界」というのは元々存在し得ないものなのです。それは進化論vs創造論の結論に書いた通りです。

「事象が認識(意識)によって結実する」というこの宇宙の仕組みは、この宇宙が丸ごと創造主の意識の中に存在しているからこそ成立するものなのです。そして僕ら個人個人の意識はその創造主の仮想的な分離なのです。そしてあなたの認識世界は、丸ごとあなたの意識の中にあるのです。本当の現実というのは一人一宇宙であり、一人ひとりがプレイヤー(主人公)の世界がネットゲームのように重なり合わせの状態にされているのです。あなたは人生というRPGのプレイヤー(主人公)であり、創造主の一人子だという事実は(他にもプレイヤーがいるかも知れないという理由によって)揺らぎません。他人に本当に意識があるのか、あなたには永遠に確認ができませんからね。あなたは全知全能の創造主に代わって人生を経験させて貰っている偉大な存在であり、創造主はあなたを通じて人生を経験しているのです。一人ひとりを主人公(経験主体者)として成立させるために、創造主はここまで壮大な仕組み(一人一宇宙の多重)を創っているのであって、創造主がここまでしてあなたにわざわざ実質的に選択の自由のない脇役NPCをやらせるわけがないのです。

だからあなたにとってあなた以外の人間はNPCの如きであり、あなたの「自分以外の人がキャラクターのような感覚になってしまったり」という感覚は現実の一つの見方として全く正しいのです。他人は全員あなたが主人公の物語に必要だからあなたに与えられているサブキャラクターなのです。

ただその感覚だけでは究極に孤独でしょう。だからこそ創造主は他のログインプレイヤー(主人公)と同等の存在だという感覚を強く与えてくれているのです。その「他人を自分と同等の存在として捉える=相手も相手の世界で主人公なのだと考えて尊重する」感覚を両立させることもとても大事なのです。そうでなければたちまち孤独に心を病んでしまうでしょう。

この現実世界というのは現象世界であり、それは概念次元にある概念(データ・情報)の具現化であって、それはゲームと全く同じ仕組みです。だからあなたがこの世界がゲーム世界だと感じたのも、現実の一つの見方として全く正しいのです。ゲームのデータディスクの情報が、プレイ中の時空を超越して存在しているように、概念次元におけるデータ・情報は時空を超えて存在しているのであり、意識が幻覚剤でその次元に飛んだ場合、この現象世界の未来や過去が見えたり、時間がループしたりという現象は普通に起きるのです。この人生というRPGのプログラムを開発者モードで読み取るようなものですからね。そのシステムが見える感じがするのも当前のことです。それが絶望的に感じられるのは、LSDというのがせっかく自分に与えられたプレイヤーとしての権利の放棄行為だからです。

<愛と勇気と信心>
どれだけ絶望を経験したとしても、どうか自殺だけは絶対にしないで下さいね。LSDというのは究極に愛と勇気と信心を試すために究極の恐怖が与えられるのであり、この人生という経験機会がいかにありがたいものなのかを逆説的に覚らせるためのものなのです。自殺はその試練に負けたことになります。そして魂というのは永遠のものであって、死んでも逃げることはできません。人生は魂成長のプログラムですから、逃げることで報われるようには決して創られていません。意識というのが時間を超越して存在することをあなたはもう経験的に知ったのですから、自殺によって逃げれるなどとは決して思わないで下さいね。

恐れれば恐れるほどLSDはその意識を拡大して更に恐ろしくなるだけです。臆病は主人公のあるべき姿に反し、魔を引き寄せるものです。あなたは創造主の一人息子であり主人公なんですから、どうかビクビク恐れないで勇気を持って、主人公らしくもっと堂々としていて下さい。


そして創造主の代理として人生という経験機会が与えられたことに、もっと誇りと感謝の気持ちを持って下さい。LSDで負の体験が与えられる理由は、この人生という経験機会が与えられていることへの感謝の気持ちがないからであり、それが存在しない次元を「仮経験」させられることで、この人生という経験機会のありがたみを覚らせられているのです。

自分が存在し、自分と同等の他人が存在し、人生とその舞台の世界が存在すること。それらは何一つ当たり前のことではなく、創造主の偉大なる創造なのです。孤独を感じさせないため、コミュニケーションを楽しませるために他人と同等の存在だと思わせて貰えているのに、それをもって殆どの人は自分を社会のつまらない脇役であるかのように錯覚して自らNPC人生を選択してしまっています。しかしそこから主人公として目覚めるからこそ、この人生というRPGは素晴らしく面白いのです。

<勇気=信心の大切さ>
勇気というものは、創造主から神仏を通して生かされ守られていることへの心からの「感謝と信頼」から生じるものであり、それこそが信心なのです。彼らは我々の心の奥底まで見ているのであり、建前や嘘や誤魔化しなどは一切通用しません。人間は敢えて無知に創られた存在であり、明日死ぬかも死んだあとどうなるかも何もわからない存在です。LSDの恐怖は極限の状況で信心を試されているのであり、心からの信心がなければその恐怖に屈してしまうのは当たり前のことです。僕はLSD後遺症の人たちから日々相談を受けていますが、皆一様に信心がありません。僕がLSDの恐怖に打ち勝てているのは、心からの信心(感謝と信頼)があり、「自分は絶対に守られている」「幸せ(成長)を経験させるために人生が与えられている」という確信があり、それゆえに揺るぎない勇気を得ていて、何も恐れないでいられるからなのです。

今の日本にいたら、宗教というのが気休めやインチキのようにしか思えず、宗教を信じていたら周囲から見下されバカにされたり、気持ち悪がられて疎んじられるような状況ですし、実際ヤバいカルト・邪教もふんだんに存在していますから、とても心からの信心などは持ちようがないと思いますが、そういう環境の中で持つ信心だからこそ、より価値があるのです。

まだとても信じられないと思いますが、神仏というのは概念次元に思いっきり実在しているのです。そもそも概念次元に存在していないものを現象世界にいる僕らは想像することさえ不可能なのであり、我々にとって想像上の存在も概念次元には確実に存在していて、この現象世界にも影響を与えているのです。そしてその影響は自分(主人公)がどれだけ強くその存在を信じるかに依存しているのです。

ウルトラマンファミリーだって、地球にやってきて怪獣と戦って地球を救わずに、平和なウルトラマンの母星にただずっとうじゃうじゃといるだけでは存在意義がないでしょう。かといって誰からも望まれていないのにやってきて、地球に到着する前の怪獣を人知れず倒しても、誰からも存在を認知されず、やはり存在意義が感じられないでしょう。

同じように完全に平和な概念次元(空)の世界にいる神仏たちも、魔物が暴れてたくさんの不幸をもたらしているこの次元へ人間たちから望まれてやってきて、魔物と戦い世を救うからこそ存在意義が生じるのです。だから自分のことを心から信じ愛していない人間の認識世界に望まれてもないのにやってきて、気づかない間に救ってくれたりはしないのです。もとい、神仏は本当は人間が気づかない間に我々に必要なすべてを与え、生かして守り救ってくれているのですが、それに気づいて感謝し尊敬し愛してくれる人間のためにより救いを発揮してくれるのです。あなたが神仏でもきっとそうするでしょう?

どうか心からの信心を持って下さい。あなたに必要なすべてを与えて生かして守り救ってくれている存在に感謝と信頼の念を持って下さい。僕はどんな神仏を通してあなたが生かされ守られているか知りません。ただあなたに縁がある神仏というのは、あなたが気づかず無視しているだけで、いつでもあなたを導いてくれているのです。だから家の宗教とか、家や学校や職場から近かったり通いやすい場所に施設がある宗教とか、本やメディアで何となく目にして何となくピンと来た宗教とか、そういう小さな縁を大事にしてみて下さい。神仏があなたを導きやすくなりますから。LSDの恐怖さえも、あなたを真の信心に導くための「逆縁」なのです。

ただ実際、世の中には悪しきカルトや邪教や宗教・スピを悪用した詐欺も多いですから、宗教を学ぶ理由に書いたように、これはヤバいと思った宗教からはなりふり構わず逃げて下さい。そして一つの宗教だけを妄信すると必ず道を誤りますから、色んな宗教を並行して学ぶようにしてみて下さい。

信心から遠ざける周囲のNPCたちに負けず、きっと日々信心を強くして行って下さい。そのためには心から思うだけでなく、それを日々形にしていくこと(神仏について学び、神仏とその分身たる人間みんなに奉仕すること)です。

信心の実践って色々な形がありますし、最初はなかなかどうしていいかわからないと思いますが、入り口としては宗教施設通いとマントラを唱えることをお勧めします。詳しくはマントラのすすめをご覧下さい。そして六波羅蜜(&新六波羅蜜)を行じてみて下さい。やる前に色々考えるより、実践から魂レベルで学ぶことが大切です。我々は情報を集めて理解するためではなく、実体験から感情を伴って魂レベルで学ぶために生まれてきているのですから。


<愛とエゴ>
LSD後遺症は、信心のなさ=勇気のなさを原因とし、またこの人生という貴重な経験機会が与えられているということへの感謝のなさを原因としています。LSD後遺症になる人というのは信心がなく、感謝がなく、厭世観により現実逃避や憂さ晴らし・退屈しのぎなどを動機としてLSDを使うから、創造主は逆説的に「別次元の恐怖・存在意義のない虚無感」を経験させることで、人生の価値に気づかせようとしているのでしょう。

なぜ人は世の中がイヤになり逃げたくなるんだと思いますか?それは自分自身を嫌っているからです。世の中は自分の認識が生み出しているものなのですから、自分を嫌いになれば、それをプロジェクターのようにして映し出される世界も嫌なものになるのです。

ではなぜ人は自分を嫌いになるのでしょうか?それはエゴとは何か?に書いた通り、エゴに埋没しているからなのです。世界というものはワンネスであり、本当は全てが一つなのです。それをエゴによって人生を損得勘定で捉え、自分という個体だけに都合の良いように考え行動すれば、深い部分で自分を嫌いになってしまうように人間はできているのです。だから実際に人間の脳というのは得をしても損をしてもダメージを受けるようになっています。

だから損得勘定で生きること自体が不幸なことなのです。しかし人間は得をした時に脳に快楽物質が分泌されて、自分が受けているダメージに気づけなくされているのです。それでこの資本主義の世の中で、みんな「エゴジャンキー」と化しているのです。そのエゴの連鎖による暴走が、まさに今世界を滅ぼそうとしています(人生はそういうディストピアからスタートするRPGですから、主人公のあなたが覆して世界を救って下さい)。

決してエゴの存在自体が悪いというわけではありません。エゴは愛のマテリアル(エネルギー弦)であり、エゴなしに愛は存在し得ません。エゴを愛に昇華していくことが大事なのです。エゴはなくそうと思って失くせるものでもなく、自分のエゴよりほんの少しだけ愛を優先することが、人生が続く限り続く人間に与えら続ける成長課題なのです。そしてそれだけがエゴの暴走を防ぎ、その愛の連鎖が世の中を救うのです。主人公である自分はその連鎖反応の核にならなくてはなりません。若い時は誰でもエゴに埋没してしまっているものですが(必要なプロセスなので)、早く愛に目覚めるほど人生は早く幸せになります。

ただ自分への愛も忘れてはいけませんからね。自己犠牲的になり過ぎるのは己への愛の不足です。鬱の人はだいたい「自分であればどれだけいじめても構わない」かのようにいじめますが、それもエゴであり、全ての存在である創造主からすれば、他人をいじめるのも自分をいじめるのも同じことなのです。

そして誰でも自信満々になれる方法に書いた通り、自尊心が低い人ほど、「自分が正しい=価値がある」と示そうとして、他人を責めたり見下したりしがちですが、そういう考え方だとLSDによる思考の混乱で何もかも信じられなくなった時に、自尊心が壊滅してしまいます。人の価値は正しさや能力や富や名声にあるのではなく、存在そのものにあるのだと知って下さい。心からそう思えなければ、LSDの混乱には打ち勝てません。創造主は「答えを一つに限定しない」という原理によってこの世界の創造を豊かに広げているのであって、どんな愚かな存在にも価値があるのだと知って下さい。


頭の中からもう1人の声が、ずっと聞こえる。それは何?
それはきっと本当のあなた=創造主の声かも知れませんね。創造主は愛100%の存在ですから、もしその声の伝えていることが愛に満ちたなら創造主のものだとわかるでしょう。そうでないのなら、きっと違う意識(本当は全てが創造主なんですけどね)でしょう。

古くから一霊四魂と言われるように、人間は複数の人格からできていますし、普段人間の脳にはセーブがかかっているだけで
、内外の他の人格と交信することというのは普通にあるのです統合失調症患者などは、自己嫌悪ゆえに自我を統一できなくなっているためにそのような状態になるのです。それはありふれた現象であって、むしろまるで一つの人格であるかのように自意識が統合されている仕組みの方がすごいのです。憑依現象(霊障)についてを読んでみて下さいね。

そしてもしも決定未来論的に考えて、人間に自由意志など存在しないなどと思い込んでいるのであれば、自由意志の仕組みと存在意義を読んでみて下さい。答えは全部そこにかいてあります。

<カルマ的解決>
これもすごく大事なことなんですけど、長くなるのでカルマの良化法をご参照下さい。


それでは、あなたがLSDの恐怖と混乱に打ち勝ち、主人公として目覚め、そして心からの信心に目覚め、幸せに導かれることを心から祈っています。




2025年4月10日木曜日

極度の人見知り(大麻・LSD)

【質問】20歳・男性 ダイビングインストラクター

初めまして!真也さんの質問箱を見て、あ、僕も完全に思考のループに入ってると思ったので是非真也さんのご意見を聞かせて頂きたいです🙇🏻

最初に基本情報をかかせて下さい🙇‍♀️
LSD使用:娯楽程度
大麻使用:ないと寝れないレベル

最初にループに入った経緯なのですが、18の時に初めて北海道という田舎から飛び立ち一人暮らしを始めました。北海道で元々ガンジャは友達といる時に吸うレベルでした。ですが、一人暮らしを初めてから中々大学に馴染めず「極度の人見知り」、その時大麻友達しか探してなかったため当然友達もできませんでした!

ですが、その退屈を紛らわすために1人で大麻やLSDを使用するようになったのがきっかけです!そこから自分の心の中に漠然と「なぜ自分は生きているのだろう」や「人生に意味はあるのか」などループから抜け出せず、気持ちを変えるために1回帰省しました。

その後、友達とLSDを食べた時に、今も続くことに関係する大BADに入りました。自分がLSDを食べた時に人との喋り方を忘れてしまいました。元々人に気使いすぎて気楽に人と話すのは中々時間がかかる人でした。

その時にその思考が加速したのか自分が発言する前に「今自分が喋ろうとしたこと」を言葉に出す前に「相手がどう思うかや、「どう伝えたらわかりやすいか」「相手の反応」「相手に嫌われたくないけどめんどくさいと思われたくない」などを考えてしまって言葉を出す事ができなくなりました。

簡単に言うと常に最善策を探してるのですが、脳内で最善策が見つからず言葉がでてこない感じです。それからLSDはほぼ使ってないのですが、そのループが抜け出せません。

以前は人や友達と普通に話せてたのですがそれからというもの友人、家族、職場の人間すべての関わる人に対して距離を置いてしまい中々前のように話すことができないのです。普通に話せるようになりたいです。

真也さんの質問箱を読んで思ったのですが、この感覚をここまで言語化できる人に出会ったことがありません。

ここまで長文失礼しました。まだまだ描きたいことはあるのですが、それすらも思考に入ってる感覚に陥ってるので、一旦ここまでにしときます(笑)ぜひ真也さんのご意見を聞かせて頂けたら幸いです🙇🏻

【回答】
ご質問ありがとうございます。お気持ち心より同情申し上げます。

アヤワスカとLSDの違い」「LSDの後遺症についての両記事を読んでいただいた上でのご質問ということで話を進めさせていただきます。

僕も大学に入ってしばらくは馴染めず鬱状態でした。当時の僕は世の中で「麻薬」と言われているものに対する抵抗感が強く、まだネットも普及してなくて、誘惑されたり手に入れたりする伝手がなかったので手を出すことはありませんでしたが、もし今の時代に大学生だったらあなたと同じようになっていたかも知れません。辛い時にそれをごまかせる手段が身近にあれば、それに依存してしまうようになるのは無理もないことだと思います。実際多くの人が麻薬ではなくとも酒や精神薬に依存しています(精神薬も麻薬の一種です)。

だから決してあなたを責めるつもりはありません。僕は魂の兄弟であるあなたを自分自身のように考え、心から同情し、ただただ幸せに導きたいだけで、決してあなたを偉そうに責めて説教して傷つけたいのではないということをどうか最初にわかって下さいね。ただ課題を正しく認識していただかなければ、課題を乗り越えられるように導くことはできないので、冷静に読んでいただけるようお願いします。

それで、人間関係から逃げたくなるあなたの気持ちはよくわかるのですが、それでも逃避手段として薬(大麻や幻覚剤、酒や精神薬も含めて)を使用することは、とてもとてもリスクが高く、人生を破滅させる恐れがあるのです。

恐らく大麻は急には止められないのでしょうけども、止める方向性で考えてみて下さいね。そしてLSDには絶対に手を出さないで下さい。それだけバッドに入ったのならそうそうやらないでしょうけども。

人生は愛と勇気を試して成長を促すためのRPGであり、もし逃げることで幸せになれるように創られていたら、それは成立しないのです。だから当然逃げ道というのは一見安全でラクそうに見えて全てトラップなのです。そちらを選択するとかえって難易度が上がり、その先は必ず行き止まり(バッドエンド)に創られているということです。実際、違法薬物がなければ眠れない・人と話せないというのでは働けず、まともな社会生活を送れませんし、いつか逮捕されてもしまうでしょう。行き詰まって孤独に心を病んでどうしようもなくなる未来が目に見えているでしょう。「逃避」を選択することは、バッドエンドを選択をすることなのです。

人生は成長のためにあるのですから、死ぬまで成長課題を乗り越える苦労が続くのが定めであり、幸せはその中にあるのです。それなのに逃げ道があると思うから恐ろしくなって逃げたくなるのであって、逃げ道なんて最初からないのだと腹を決めれば腹が据わります。この点についてはカルマの良化法をぜひ読んでみて下さいね。

>一人暮らしを初めてから中々大学に馴染めず「極度の人見知り」

僕も元々は人見知りでした。あなたはきっと自分を誰か(世間一般のイメージ)と比べて自分が「極度の人見知りである」というのを「生まれつきの変えられない性質」だと思い込み、「乗り越えられない・ごまかして逃げるしかない」と思い込んでいるのだと思いますが、決してそうではないのです。

人生というのは魂成長のために与えられている機会なのであり、「人見知り」というのはあなた個人に与えられている課題であって、それはあなたが乗り越えていかなければならないシナリオ・伏線なのです。最初から「人見知り」というのを盾(言い訳)にして逃げ腰になっていたら、人付き合いをしても上手くいくわけがないのです。ちょっとでも嫌なことがあればすぐ逃げ出すようになるのが必然ですからね。

自分の課題はどれだけ逃げてごまかしても、いつかは乗り越えなければ結局はどんどん辛くなるだけです。逆に乗り越えれば楽しくなるのですから、乗り越える以外にないんです。あなたはただそれが辛く恐ろしく絶対に乗り越えられないものだという世界観で生きているからその通りになっているだけで。

コミュニケーションというのは、小学校の鼓笛隊みたいなもので、みんなと一緒に毎日練習していれば、どれだけ才能がなかろうと誰でも否応なく上手になるのです。そして自分が全体のハーモニー(調和)の一部となって、みんなと楽しくやれるのです。それなのに「自分は生まれつき才能がないのでできません」と練習を拒否して逃避してしまっていては、いつまでたっても上達するわけがなく、楽しくなれるわけもないのです。

>その時にその思考が加速したのか自分が発言する前に「今自分が喋ろうとしたこと」を言葉に出す前に「相手がどう思うかや、「どう伝えたらわかりやすいか」「相手の反応」「相手に嫌われたくないけどめんどくさいと思われたくない」などを考えてしまって言葉を出す事ができなくなりました。

それはコミュニケーションのイップスみたいなものですね。薬物によってそれがブーストされてしまったのでしょう。そうなると当たり前にできていたはずのコミュニケーションが、とても難しく感じられてしまうのですね。楽器の演奏でも「自分は音痴だ」とコンプレックスを持って、ミスしないよう一音一音考えながら演奏するようになったら、まともに演奏できなくなってしまうでしょう。その状態の時に普通にできている(ように見える)みんなと舞台に上がるのは恐怖でしかなく、過度に緊張して実力が発揮できず、逃げたくなるのは当然ですよね。それと同じことです。

楽器と同じで続けてさえいれば自然と身に付いたものが発揮されるのに、一つ一つ頭で考えようとすると頭の処理が追い付かなくなってしまいます。プロのミュージシャンが一音一音考えながら演奏していると思いますか?コミュニケーションも同じで、一つ一つ考え過ぎたらうまく行かなくなるのは当然なのです。理屈ではなく感覚(流れ・調和)でやるものなのですから。

もし心が愛(善意・思いやり)に満ちていれば、考えなくてもそういう言動・行動になるわけで、いちいち考えなければならないのは、心がエゴに満ちていてそれをいちいちごまかさなければうまくやれないからなのです。だから本質的な対策は己の心の愛を実践から育てていくことなのです。

ただそのあなたの今の考え過ぎ(&エゴへの埋没)というのは典型的なLSDの後遺症であって、あなたの本来(主人格)の性質ではないのです。あなたは元々普通に友人とコミュニケーションが取れていて、特別いじめられたり仲間外れにされたりはしていなかったのでしょう?誰でも奥底には内向的な人格を持っていますし、エゴのない人というのもいません。従って元々の人格のせいとは言えません。しかしLSDは精神を分裂させて、主人格を差し置いて隠れた人格の方を自我のメインにしてしまうのです。あなたは自分が小中学校の頃、どうやって友人とコミュニケーションをとっていたか、どのぐらい人に思いやりがあったか、今はよく思い出せないのでしょう?あなたは夢の中にいるのと同じで、普段の自分がどのようだったか思い出せなくなっていて、今の病んでいる自分を本当の自分だと思い、今認識している世界を本当の現実だと思い込んでいるのでしょう。

コミュニケーション・イップスというのは、他人を鏡にした思考のハウリング(無限反射増幅)現象なのです。他者に対してすぐに「嫌だ・つまらない・面倒臭い・許せない」などというネガティブなレッテル貼りをして傷つかないよう自己防衛で身構えるために、相手からも警戒されて身構えられ、お互いに同じように思われるのを恐れて嫌い合うというループ(思考の無限増幅)が起きてしまうのですね。

誰でも自信満々になれる方法をぜひ読んでみて下さい。どれだけ嫌われようとあくまでも自分を愛し抜こうとする人を嫌い抜ける人などいないのです。つまり出会った人を愛し抜く覚悟さえ自分が持てば、人から嫌われることを恐れる必要などないのです。人を恐れるのは鏡に映る自分を恐れるが如くです。

>そこから自分の心の中に漠然と「なぜ自分は生きているのだろう」や「人生に意味はあるのか」などループから抜け出せず、気持ちを変えるために1回帰省しました。

実を言うと「存在意義」を求めるというのは「全存在(=創造主)」の本質なのです。「存在意義」を求めるという原理によって全ての創造は成されているのであり、本当は全ての存在が存在意義を求めるのがデフォルトなのです。人生は存在意義を生むための(愛と成長の)物語だとも言えます。僕らは人生という物語の中で、自分という主人公の経験の中から「存在意義」の答えを自分で創造させて貰えているのです。そこで自分に与えられている課題を拒否していたら物語が前に進みませんし、物語が進んでないまま自分の存在意義を突き詰めて考えたところで答えなど出るわけがありません。ただただ堂々巡りを繰り返すだけになるのは必然です。

そのように人生という物語がまだ途中なのに自分の存在意義を厳しく突き詰めて考えると、ただただ苦しくなって物語が前に進みませんから、人には心を保護するためのプロテクトがかかっていて、あまり存在意義を厳しく突き詰めて考えないようにされているのです。そのお陰で人は存在意義がわからないままでも精神が安定し、人生という物語を経験する中でその答えを見つけさせて貰えているのです。しかしLSDを使用すればそのプロテクトが外れることになり、人生という物語がまだ途中で存在意義の答えが自分で出せていないうちに、己に存在意義を厳しく問い詰めてしまう思考ループにハマってしまうのです。

世の中というのは全て関係性の中で存在しているのであり(諸法無我)、もちろんあなた自身も関係性の中で存在しているのです。だからこそあなたの存在意義はその関係性の中にある(与えられている)のです。一人ぼっちで「存在意義」をグルグル考えていても決して「存在意義」などわかるわけがありません。あなたは関係性の中で存在しているのですから、関係性を知る(築く)ことが己の存在意義を知ることなのです。他者を理解することによって自分を(存在意義・存在価値を)理解できるようになるのです。そして自分を成立させている全ての存在に心から感謝し、愛を発揮することが大事なのです。「人見知り」を言い訳にその貴重な経験機会を拒否し、そのペナルティーである孤独や退屈をごまかすために薬に依存すれば、更にペナルティーを重ねることになるのは当たり前です。

しかしそれはこの宇宙が因果応報という大原則によって創られているからであり、決して意地悪で与えられている罰ではないのです。創造主の本心はあなたに己の過ちから自発的に真理に気づいて学んで成長して感謝して欲しいのです。それを創造主が直接的に教えてしまっては自由意志を与えた意味がなくなり、人生経験に意味がなくなってしまうのです。このあたりの話は自由意志の仕組みと存在意義をご参照下さい。

<LSD後遺症の本質>
なぜ多くの人はLSDによってコミュニケーション・イップスと「存在意義」思考ループの状態になってしまうのでしょうか?それは自他が存在するということ(創造主の創造)に対して、そして人生という経験機会が(自らが強く望んだが故に)与えられているということに対して、その価値がわからず、心から感謝していないからなんですね。そして心が不平不満と被害者意識に満ちていて、現実逃避のためにLSDを使用しているからなのです。冒頭に書いた通り「逃避」を目的に幻覚剤を使用する事はとてもとてもリスクが高いのです。逃避は成長プログラムである人生における成長拒否なのですから、そこにペナルティーがないのならそれは成立しないのです。

いつも言っていることですが、与えられたものの価値がわからず感謝しない人にもっと与えたいと思う人はいないでしょう。そこは創造主も同じであり、世界はそのような原理で創られているのです。だから与えられたものの価値がわからず感謝しない人は、既に与えられたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値を思い知らされるような悲しい人生になってしまうのが必然なのです。あなたは他人とお互いを理解し合い、許し合い、問題を乗り越え、愛し合うためのコミュニケーション能力を「そんなに要らないのなら」と剥ぎ取られかけているということに気づいて下さい。

そして全ての全てを創りし創造主の存在意義というのは、自由意志を与えられた僕らが人生の中で存在意義(存在価値)を感じられるかどうかに依存していると知って下さい。僕らは偉大な創造主に存在意義を与えられる偉大な存在なのです。

本当は僕らこそが全てを創った創造主自身なのであり、その(仮想的な)分離なのです。本当は唯一の存在であり究極に孤独な存在なのに(あなたはLSDでそれを経験したはずです)人間として自分と同等の他者がたくさんいて愛し合えるという夢のように素晴らしい仮想現実を経験させて貰えているのです。「自分が存在し、他者が存在し、人生経験の中でその価値を創造し実感できる」という機会を与えられていることを決して当たり前だと思わないで下さいね。

他者というのは、合わせ鏡に写った無数の自分のようなものであり、創造主がその無数の自分に個性・分離意識・自由意志を与えて、自分と同等でありながら別な存在だと思わせて、それによって人生という物語を成立させてくれているのです。人間は自分自身が見えないようになっていて、他人を理解し愛することで、自分自身を理解し愛することができ、他人からも理解され愛さされるようになる仕組みになっているのです。そうでなければ人生に存在意義はありません。

世界は創造主によって、自分の解釈次第に創られているのです。ですから意地悪で与えられている罰ゲーム(クソゲー)のように解釈すれば、本当にそうなってしまいます。クソゲーにしているのは自分自身なのだと気づいて下さい。それで人生に不平不満を持って被害者意識に陥るのはお角違いなのです。

自分の解釈(世界観)次第のこの世界で、自ら心を閉ざして逃避することで孤独で不幸になるのは、閉じたままの電動チューリップにパチンコの球が入らないのと同じぐらい当たり前のことなのです。

今のあなたは、鏡の存在である他者を「自分の自尊心を下げて傷つける恐怖の存在」と認識してしまっていて、その世界観通りに自分の認識世界が創られているのでしょう。

自分が心を閉ざせば世界が自分に対して閉じられ、自分が心を開けば全ての扉が自分に対して開かれます。これを僕は経験から実感しています。あなたにもそれを経験から実感して欲しいのです。これを経験なく頭で理解しようと思っても無理です。

己のエゴの殻に閉じこもって自分のことばかり考えている段階にある人が、いきなり自分自身も他人も世界も人生も愛せるようにはなりません。日々己の愛を実践から育てていくことで、段々と全てを愛せるようになり、感謝できるようになっていくのです。それが「存在意義」を経験から理解するということです。

あなたが出会う人はみんなあなたの魂の兄弟であり、孤独を救ってくれるありがたい存在なのです。その存在に心から感謝の気持ちがあれば、「創造主はなぜこの人と出会わせてくれたのだろうか?」と興味(関心)が湧くはずです。興味(関心)は愛の入り口であり、興味がないのに愛しているということはありえません。自分がどう思われるかばかりを気にするのは、関心が自分にしか向かわなくなっているからです。

かといっていきなり世界中の人に興味(関心)を持つのは無理です。あくまで実際に出会った人に例外なく興味(関心)を持ち、無条件で許し愛せるように努力すれば良いのです。出会いさえすれば愛せるようになれたら、それは世界中の人を愛していることに等しいのです。

もし話すのが難しくなっているのなら、今はとにかく相手に興味を持って聞きに徹して相手を理解することに努めて下さいね。

嫌だと思う人でも、人生には悪役も必要なのですから、自分の人生という物語で悪役をやらされているだけで本当は良い人なのだと信じて目覚めさせてあげて下さい。嫌なことを言われても、創造主が自分に何を気づかせたくてその言葉その出来事に出会わせたのか、愛で解釈してみて下さい。それができるようになることが魂の成長なのです。

LSDは決して娯楽で手を出して良いようなものではありません。それは魂成長の努力なくして神に近づくチート行為であり、RPGのプレイヤーでありながら制作側の意識にアクセスするチート行為なのです。その代償こそがあなたが陥っているコミュニケーション・イップスであり、「存在意義」の思考ループなのです。

LSDによる現実逃避は、ドラクエで目の前のスライムを攻略できないのにボスのダンジョンに逃げ込もうとするようなもので、そんなことをすれば全く前に進めず、わけがわからない(因果・シナリオがわからない)まま、再起不能なほどボコボコにされるのが当前です。決してあなたを責めているわけではなく、いかに愚かなこと(逃避)をしたのかに気づいて欲しいのです。そして心から自分自身(人生)の存在と他者の存在に感謝し、興味を持ち、理解し、他者と物語を紡いで欲しいのです。

そして何よりも信心を持って下さい。何の神仏でも構いません。それは創造主の分離であり、創造主は神仏を通じてあなたを救い、それによってあなたにも神仏にも存在意義を与えているのです。信者にならなくてもいいので、できれば一度世界救世教か真光あたりで浄霊(お清め)を受けてみて下さいね。今の状況を神仏の助けなく一人で解決できると思わないで下さい。そもそも今まで神仏の加護なく自分の力で生きて来れたと考えるのは驕りでしかなく、それは愛(信心・感謝・信頼・尊敬)の欠如なのです。創造主は常に我々を信心・真理へと導いてくれているのであり、あなたの辛い経験も信心・真理への導きなのだと知って下さい。

<最後に>
法(真理)というのは、みんなを幸せにするものです。しかし因果応報の大原則は、知っているか知っていないかに関わらず存在して例外なく適用されるものであり、「知らなかったから」という言い訳によって適用されずに済むものではなく、そういう意味ではとても厳しいものなのです。ストーブが熱いと知っていて触る子供より、知らないで触る子供の方がより大きな火傷を負ってしまいます。法(真理)に対する無知(無明)は人間に与えられた罪(原罪)なのであり、人生の中で法(真理)を悟ってその無明の闇を払うことが宿命なのです。そしてそこにこそ幸せがあるのです。

ただその法(真理)を知らないことによる苦しみの経験も人生には必要だから与えられているのであり、20歳の時の僕が今の僕からこういうことを言われて理解できるとは到底思えないのですが(経験してみてわかることです)、いつかは伝わることを願って止みません。

関連質問:「コミュ障を克服したい

2025年3月20日木曜日

LSDの後遺症について

【質問】30代・男性 ペンネーム:ビタミンD
こんにちは。突然ですが真也さんに相談したいことがあります。

過去の人間関係(元彼女)のことが、ずっと頭から離れなくて苦しんでいます。

僕は過去に、強い不安やパニックに襲われることがありました。そういうとき、助けを求めても「なんでそうなるの?」「子供みたい」「もう嫌いになった」「帰って」と突き放されました。

でも、相手(元彼女)がパニックになったときは「ちゃんとケアしてほしい」「見捨てないでほしい」と求められました。僕が同じようにしんどくなったときは冷たくされるのに、相手がしんどいときは支えることを求められる――その理不尽さが受け入れられなくて、今でもずっと頭から離れません。

最後には「好きだった気持ちが壊れた」と言われて終わったのですが、僕の中では納得できなくて、何度もその出来事を繰り返し考えてしまいます。そのせいで「僕はクズだ」「何の価値もない」「消えたい」と思うことが増えました。でも、本当は「みんなに優しくしたい」と思っています。振り返ると、自分も防御しすぎて、相手とちゃんと向き合えなかった部分がありました。だから、これからは少しずつでも変わりたいと思っているのですが、どうすればこの苦しさを乗り越えて、人とちゃんと向き合えるようになれるのか分かりません。

現在、この相談について考え続けてしまい、仕事が手につかず、実家で引きこもっている状態です。外出や入浴もできず、毎日朝起きた瞬間から思考のループが始まり、寝るまで止まりません。睡眠中も夢の中でこのことを考えてしまい、心が休まる時間がまったくありません。

今の僕の気持ちを、誰かに聞いてほしくて送らせてもらいました。もし何か思うことがあれば、教えてもらえると嬉しいです。

※後から僕とのメッセージのやりとりで、質問者様は
・元々躁鬱病を患っていること(今は通院しておらず)
・LSDの使用歴があること(躁鬱と憂さを晴らすため・遊び)
・LSD使用のきっかけはシャーマンRという有名詐欺師であること
・元彼女にも勧めて、一緒にLSDを使っていたこと
などを正直に告白してくれました。


【回答】
ご質問ありがとうございます。お気持ち、心よりお察し申し上げます。

この件に限らず、僕は僕に救いを求めて相談してくれる質問者の方を責めることは決してありません。欠点も過ちもない人は存在しませんので「何か落ち度がある人は自業自得だから救わなくて良い」みたいに考えたら、誰のことも救えませんからね。僕に救う使命のある人だけが、僕の元に訪れるのだと信じています。だからどんな悩みでも気軽にご相談下さい。

さて、あなたのその症状は典型的なLSDの後遺症であり、ほぼ統合失調症状態になっているのだと思います。あなたの元々の性格は直接的には関係ありません。そしてそれは元彼女の理不尽さが直接的な原因でもありません。もしあなたの元々の性格がどうだったとしても、もしその元彼女と出会っていなかったとしても、あなたはきっと何かをぐるぐる考え続けて苦しんでいたことでしょう。もう二度とLSDには手を出さないで下さいね。他の幻覚剤にも。


LSDの後遺症である「思考のループ」というのは、まさに目が覚めているはずなのに悪夢の中に閉じ込められるようなものです。その辛さは僕も何度も経験しているのでよくわかります。それは程度の差こそあれ誰にでもあるような「反芻思考(嫌な過去を選択的に何度も思い出して追体験して自分を責めてクヨクヨしたり他人を恨んで怒りを増幅する)」とはレベルの違うものなのです。あれがずっと続いている状態というのはさぞかし辛いことでしょう。

あなたはまず冷静になって、それがLSDの後遺症(悪夢)なのだということを認識して下さい。「これは元々の自分の性格が原因だ」とか「元彼女の理不尽さが原因だ」などと考えないで下さい。

そしてそのように「今の自分の考えは正しい」と考えるのを止めて「今は病んでいてまともな思考能力は無くしている」ということを自分で認めることです。それは夢の中でそれが夢だと気づくぐらい・酔っぱらっている人が酔っぱらっていると自覚するぐらい難しいことです。そして例えそれを自覚してさえも、醒めるまでは普段の思考回路には戻らないのです。

人は誰でも「自己防衛のプライド」があって、どうしても自分で自分を正当化してしまうので、「今の自分の考えは(LSDのせいで)おかしくなっている」などとは認められないものなのですね。しかしLSD以外の原因を探し、その今の自分の考えを「まともである」と正当化しようとすればするほど思考ループの深みにハマってしまうので、まずそれをやめることが肝心なのです。今の思考パターンを続けることでその回路が脳で固定化されるのは非常に良くありません。

人の価値とは?に書いた通り、あなたの価値は存在そのものにあるのであって、あなたの考えが正しいかどうかにあるわけではないのだと知って下さい。そして過去について考えることは止めてください。とにかく思考よりも感覚・感情を大切にすることです。自然や動物に触れたり、散歩程度から運動を始めたり、音楽や工作などの集中力が要るような・気が紛れるような趣味に没頭してみて下さい。

僕も自分で試さないと気が済まない性分のため、1年程LSDを修行目的で使用していましたが、もう既に必要な経験は得られて「LSDとは何か?」ということもよくわかりましたし、あなたのようになっている人たちからもう何件も相談を受けていて、今は完全に反対派です。

かつてLSD使用者を救い・悟りに導く目的でアヤワスカとLSDの違い(※加筆修正中)」という記事を書いたのですが、思ったより反響が大きく、またそれによって使用を抑制するどころか余計に興味を引いてしまった部分があり、余計に「後遺症に苦しむ人たちを救わなければいけない」という因縁を自分で生じさせてしまった責任を強く感じています。だからこの記事が本当にLSD使用者の救い・悟りに繋がるように心から願っています。

あなたの過去の出来事はすべてあなたの悟りの過程として必要だから起きた必然なのであり、あなたなりのベストを尽くした結果なのですから、自分の過去について「何が悪かったのか?どうするべきだったのか?」などと自分一人で思い悩みながら、原因や解決策を探さないで下さい。特に病んでいる状態の時には、決していい考えにはつながりませんから。問題というのは別に解決などしなくても、自分も他人も許す事で乗り越えることができるのです。

だから決して自分を責めてはいけません。同じように元彼女のこと誰も責めてはいけません。まして自分の運命や創造主を責めて恨んでもいけません。誰を責めてもただ自分自身が苦しくなるだけです。あなたが自分や誰を否定しようと、それはそれを創った創造主の否定になるのであり、全部自分自身に返ってくるだけなのです。

あなたの人生RPGに起きることは全て必然であり、クリエイターがあなたの魂の成長のために必要だから与えている経験なのですから、誰のことも責めず、決してネガティブに解釈しないで下さいね。「問題の原因(犯人)探しをして誰かを責めることで思考と感情の整理をつけようとするのを止める(自分の経験を物語として愛する)」ということです。これはLSDとは関係なく、真理です。

そして以下の文章を読むのは、もう少し落ち着いて「思考ループ」が止んでからにして下さい。必ずです。







さて、前述したように、あなたは自分も誰も責めてはいけないのですが、しかしそれと同時に、あなたの人生の主人公はあなたなのですから、結局はあなたが変わらなければ何も変わらないということをあなたは知らなければいけません。「すべての因縁は今の自分を(超時空的に)起点としている」のです。そうでなければ自由意志を与えられた意味がありません。悪い因縁を断ち切ることができるのは主人公たるあなただけなのです。

人生というのは魂の成長プログラムなのであり、あなたが自分の因縁(カルマ・成長課題)を悪化させている理由は、究極的に言うと「自他に対する愛(慈愛・思いやり)の欠如」であり、「存在に対する(創造主への)感謝の欠如」です。

逆に言えば自他の存在に対して慈愛と感謝の心を持ち、生き方を通じてそれを示せるようになれば、あなたの悪夢は終わります。それが魂の成長(人生の目的)なのですから。

僕らはこの仮想現実世界において「自分は孤独ではない」という夢のように素晴らしい経験をさせて貰っているのです。「自分」が存在し、それと同等の「他者」が存在し、愛を経験させて貰っています。そしてまるで「孤独ではない」というのがデフォルトのように錯覚させられて貰っています。基本的にはみんな両親の愛によって生まれ、血縁という強い絆が存在し、周囲に愛されて育つのですからね。もし誰からも愛されていなければ、子供というのは育たないのです。あなたが育っているということ自体が、みんなに愛されてきたという証なのです。

ただそれは「愛」というものを僕らに経験させるため・実感を通じてその価値を知るために「創られた幻想」でもあるのです。本当は僕らは唯一の存在である創造主自身なのであり、絶対的に孤独な存在なのです。つまり本当は「孤独である」方がデフォルトなのです。

我々は創造主意識の分離意識なのであり、本当は絶対的に孤独な存在であることを敢えて忘れさせられ、人生の中で愛を経験させて貰いつつ、それとは相対にある孤独感を創造主と共有し、また「孤独ではない」という経験をさせて貰っていることへのありがたみを理解し、その感謝を通じて、創造主と繋がっているのです。

僕らは「孤独ではない」ということの方を「デフォルト(当たり前)である」と錯覚させられていて、自分がみんなに生かされているということを「当然である」と考えて意識さえできないものなのですが、その傲慢さを乗り越え、感謝できるようになることが魂の成長なのです。

人がLSDによって強い不安・パニックに陥る根源的な理由は「他人というのは全員が自分の鏡のような存在であり、本当は自分が唯一の存在である」という事実に、人間としての心が耐え切れなくなってショートするからなのです。

あなたは「自分と他者が存在することの本当の意義・価値」が全然わかっていないから、創造主がそれを悟らせるために、そのような経験を与えたのでしょう。全ての出会いは自分自身の反映なのであり、自分自身を覚らせるため、そして愛を経験させるために、創造主が派遣している存在なのだと知って、まずはそこに心から感謝することが大事です。

僕ら意識にとって人生を与えられるということは非常に稀なことなのであり、人生を与えられていない意識(霊)たちは常に人生(肉体)を欲しがり、人を被害者意識から自己嫌悪・厭世観に陥れて「そんなに要らないなら貰ってやる」と常に乗っ取りを狙っているのです。だから自他が存在することに感謝のない人間が「自我を手放させる幻覚剤」を使うことはその乗っ取り行為を助長することになり、非常に危険なのです。それは憑依現象(霊障)についてに書いた通りです。

孤独に苦しむ人はみんな「誰も自分を理解してくれない」などと言いますが、当たり前です。何かを言葉で説明をしたぐらいで、自分という存在とその経験・感情とそこから築いた自分の考え方について本当に他人から理解されるぐらいなら、「自分」という「経験主体者」に存在意義はありません。それを本当の意味で理解できるのはあなたと一緒に人生を経験している創造主だけだからこそ、創造主には存在意義があるのです。

孤独との向き合い方に書いた通り、人は孤独感に苛まれていると、まるで「こんなに孤独を感じているのはこの星で自分だけなんじゃないか」みたいな感じに思ってしまうものですが、孤独感というのは人間に平等に与えられているものなのです。もし人間に孤独感が与えられずに、独りぼっちでも幸せになれるように創られていたならば、無理して人付き合いをする必要はなくなり、人間関係から逃げてしまう人ばかりになって、愛も成長も経験できないでしょう。「孤独感」こそが人生という愛と成長の物語を成り立たせているマテリアルなのであり、僕らをつないでいる接着剤なのです。

実際、僕が質問箱・電話相談をやっていても孤独に関する質問・相談はとても多いです。そしてみんな一様にそれをまるで自分だけのことのように思い込んでいます。しかしそれこそが孤独に陥っている根本的な原因なのではないかと思うんですね。

実に多くの人が「誰も私のことを理解してくれない」などと考えて、人付き合いをしていても心を開けずに精神的に引きこもっていて、他人の気持ちを全然理解しようとしないために傷つきやすいくせに平気で他人を傷つけ、他人からも自分の気持ちを理解されず、理解したいとも思われないのでしょう。他人の孤独を心から思いやれるような思いやりに満ちた人から、孤独に関する相談を受けた例がありません。

そういう人たちはきっと他人の孤独など全く眼中になく、孤独そうな人を見ても「この人は嫌な人で自業自得だから仕方がない」とか「この人はきっと孤独に強い人で、自ら孤独を求めているのだろう」などと考えて、自分がその孤独を救おうなどという考えは完全に思考の枠外なのでしょうね。まるで自分だけが救われようとして自ら地獄に落ちる「蜘蛛の糸」のカンダタの如くに。なぜ自分の孤独とばかり向き合って、周囲の人たちの孤独とは向き合おうとしないのでしょうか?

そのように自分の孤独に埋没している人というのは、エゴの卵の殻に閉じこもってそこから出られず、その卵の殻が割れないように自己防衛に必死で、些細なことも悪く受け取っていちいち傷つき、人目ばかり気にして疲れ果て、自尊心を保つ為に誰かを見下したり責めたりして嫌われ、内心自分を責めて罪悪感と劣等感に苛まれ、どんどん独りぼっちになって心を病んでしまうのですね。鬱というのは自分のエゴに埋没することを原因としており、同時にそれを症状(結果)ともしている悪循環構造なのです。かつての僕もまさにそのようでした。

わかりますか?「他人から理解されたい」というのもエゴなのです。「エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、エゴはそれ自体が悪いものではないのですから、なくすべきではなく、なくそうと思ってなくせるものでもないのです。エゴを乗り越え続けるその過程にこそ成長があり、愛は生まれるものだからです。

自分が他人から理解されないことを嘆くより、ただただ他人を理解することに努めて下さい。それが愛なのです。そうすることであなたはより自分自身を深く理解し、自分も他人も愛することができるようになるのです。そういう人間こそが他人から理解され、愛されるのです。

愛は無償でなければ意味がありません。創造主は僕らに何も強制・強要せず、完全に自由にして(自主性に任せ)、ただありのままを愛しくれています。何の見返りも求めず、ただ与え続けてくれています。僕らも創造主の子供として、その「愛し方」を「自発的に」見習っていかなければなりません。

「私があなたを理解するので、そのかわりに私を理解して下さい」というのは「私が愛する代わりにあなたも私を愛して下さい」というのと同じであり、相手からの愛を交換条件のようにして強要していることになり、心は何かを強制・強要されると反発するようにできているのですから、反発は必至なのです。

「こいつは俺が辛い時に助けてくれようとしなかったクセに、自分が辛い時ばっかり助けを求めやがって。絶対に助けてなんかやるもんか」などと考えるのはあまりにも愛が欠如していると思います。それで相手からの愛を失って別れに至るのは理不尽ではなく至極当然のことかと思います。どうかあなたが辛い思いをした分だけ、あなたに助けを求めて当たるしかなかった元彼女の辛さをわかってあげて許してあげて下さいね。元彼女があなたを支えられなかったのは、その時は経験がなくてわからなかったのですから仕方がないですし、あなたもその時既に正常な状態ではなかったのですから、そのような愛に欠けた考え方をしてしまったのは致し方のないことなのです。

あなたの症状は本当に典型的であり(同じような状態で苦しんでいる人がたくさんいます)明らかにLSDのせいでおかしくなっているのです。「今の自分はおかしくなっている」と自分で認めることがどれだけ勇気の要ることなのかはよくわかります。きっとあなたは優しい人だからこそ、自分の思考ループや不安やパニックの直接的な原因がLSDだと認めると、元彼女のことを引きずり込んでしまったことへの罪悪感に耐え切れなくなるために、自分の元々の性格がダメだからこうなっているのだと考えたり、罪悪感を元彼女の理不尽さへの怒りに転嫁してたりしているのでしょう。

しかしLSDというのは厳しいもので、その「自己正当化」を許さず、思考ループに陥れて深みにハマらせるのです。だからその「自己正当化」を止めない限り(自他共に許さない限り)その悪夢から出ることができず、良くなりようがないのです。

全ての創造は、創造主が内なる己を知る(内観する)ため・愛を経験するために創造したものであり、「自己正当化」というのは深い内観・許し(愛)に反する意識であって、それに対してLSDはとても厳しいのです。だから深く内観し、自他を許す以外にないのです。

鬱状態の時にあなたがLSDという気分を変えれるものと出会い、そのデメリットを良く知らずに良いものだと思って彼女にも勧めてしまったことは、カルマであり仕方のないことだと僕は思います。全ては運命であり、実際あなたも誰も何も悪くありません。もし僕があなたと同じように鬱まっ盛りだった頃にLSDに出会っていたら、きっと同じ事をしていると思います。欠点も過ちもない人はいませんし、罪を犯さない人間もいません。だからまず自分を許し、元彼女のことも許すことです。許すことが愛です。

あなたは自分を責めて落ち込んでいる場合ではありません。ただ自分が主人公としてその経験から学んで、他人の苦しみに心から同情して許し愛せるように成長し、その悪い因果のループを(愛を悟り・実践することにより)断ち切らなくてはならないのです。強くなって下さいね。

もう他人が自分に何かしてくれる(理解してくれる・辛い時に支えてくれる)などという期待は一切しないことです(もし相手が気持ちを一部でも理解してくれたり、自分に対して何か自発的に良いことをしてくれたら、心から感謝することです)。

そしてただひたすら「自他が存在すること」「人生という経験機会・世界という経験舞台が与えられていること」への感謝を、「出会うすべてをありのままに愛すること(相手が欲するものを与え続けること)」で示し続けることです。それは自分が理解されなくても相手を理解しようと努めることであり、どんな話にも共感・同情を素直に示せるようになることです。

そして何より、信心を持って下さいね。何の宗教でも良いので。何の神様であれ、それは創造主の分身であり、あなたが神仏とその教えに対して尊敬と感謝を示すなら、その存在を通じてあなたをきっと救いに導いてくれますから。

あなたに今まで信心がなかったとしても、それはあなたが悪いからではありませんから、それを神仏や誰かから咎められて救われないなどということはありません。むしろカルマに負けずに改心して信心を持ってくれたことをきっと喜んで迎えてくれて、救いに導いてくれることだと思います。それは聖書の「放蕩息子の譬え」や法華経の「長者窮子の譬え」が証明してくれています。どうか改心して「自発的に」信心を起こして下さい。誰かに強制されたりして信心を起こしても意味がないのです。

混乱が収まるまで「南無妙法蓮華経」を唱えてみて下さい。そして混乱が収まったら般若心経の究極解説をぜひ読んでみて、日々般若心経を唱えてみて下さい。きっとあなたを悪いカルマに引きずり込んでいる霊障が祓われますから。

それでは、あなたがそのようにしてLSDの後遺症である「思考ループ」の地獄から抜け出し、愛(慈愛・尊敬・感謝)に満ちた自分に目覚め、幸せ・悟りに導かれることを、心よりお祈り致しております。

※祈りが伝わりますように、ぜひ僕の読経動画も見てみて下さいね。

2025年2月15日土曜日

アヤワスカと霊視能力

【質問】年齢不詳・女性

お久しぶりです、しんやさん。

最近、霊視能力があるという方とネットで知り合いました。

 
それでこんなこと言われたんですが、意味分かったりしますか?🥹アヤワスカをたくさん飲んでこんなに見えるようになったとかなってないとか..🤔

【回答】
ご質問ありがとうございます。

そういう霊視ができる本物の霊能力者もきっと世の中にはいるのでしょうけども、その方が本物かどうかはその内容だけでは判断しかねます。動機が純粋な愛(衆生救済)なのかエゴ(自己利益=富・名声・精神的支配・性的搾取など)なのかもわかりませんし、何よりあなたがそれを自分で判断できるようにならなければ意味がありません。

ただ、もし本物の霊能者であれば、宣伝なんかしなくても口コミだけで依頼が殺到して手に負えなくなるはずであり、ネット上で不特定多数に向けて依頼者を募集するなんてことがあるはずはないでしょう。しかも己の素性も隠したままで。よって「自称霊能力詐欺師」による、詐取のためのネット上の撒き餌である可能性が非常に高いと僕は思います。

例えばエドガー・ケイシーみたいな(恐らく)本物の霊能力者の存命中にネットがあったとして、彼が素性を隠しながらネット上の素性もわからない人間に対して霊視なんてすると思いますか?それを考えればわかることでしょう。

詐欺師というのは大抵まともな人が見ればすぐ怪しいと気づけるものに、往々にして人が自らその疑念から目を逸らして騙されてしまうのは、人というものが物事を自分のエゴ(願望)に都合よく考えるように作られているからです。だから詐欺師は相手のエゴ(願望)を刺激することさえできれば、あとは相手が自ら勝手に騙されてくれるものなのです。なまじ知能がある人ほど、物事を自分のエゴ(願望)に都合よく解釈し、それがデタラメでももっともらしく理論構築して他人まで納得させて被害を拡大する能力が高いのであり、決して詐欺師より知能が低いから騙されるのではないのです。このあたりの話は詐欺被害に遭って悔しいを読んで下さい。

人はみんな自分を賢い・正しいと思って生きています。しかしそのこと自体が騙される隙になるのです。創造主は成長経験を積ませるためにわざと人間を愚かに創ったのであり、程度の差はあってもみんな等しく愚かなのです。もちろん僕もあなたもです。

しかし世の中、実に多くの人が「他者評価依存」のために「己の自尊心の脆さ」に苛まれていて、それを支えるために「自分は正しい=価値がある」という感じで自己防衛しており、そのために他人とぶつかって自尊心を下げ合ってしまうのです。そして己の正しさを価値とするために、己の間違いを認めることができず意固地になってしまい、それによっていつまでも成長できないものなのです。成長というのは、今までの己が愚かだと気づくことによってしかもたらされないものなのです。このあたりの話は同じ過ちを繰り返してしまうに書きました。

そしてカルマの良化法に書いた通り、カルマというのは自分の人生の課題でありテーマなのであって、それは基本的に自分で見つけるものなのです。それを他人に頼るのは「私の人生のテーマは何でしょうか?」と他人に聞くようなもので、ナンセンスなのです。まして実際に会ったこともない、素性も知れない自称霊能者を頼るなどというのは。だから問題はその自称霊能者が本物かどうかではなく、あなたのカルマに対する向き合い方なのです。そこに依存体質がある場合、悪い人たちから容易に餌食にされてしまうのです。あなたが相変わらず依存体質から脱却しようとせず、自分の課題から目を背け続けるなら、また同じような不幸に巻き込まれ続けるだけになってしまうことでしょう。

「もしアヤワスカでそのような霊能力が本当に手に入るのなら自分でもやってみたい」とあなたは思っているのかも知れません。しかしあなたからの今までの相談内容から見て、大変失礼ながら統合失調症(霊障による自我の乗っ取り・制御不全)の傾向があり、そのような人が幻覚剤に手を出すと取り返しのつかないなる(廃人のようになる)恐れがあるため、まだ自尊心が脆く傷つきやすい今の状況を克服できるまでは、決して幻覚剤に手を出してはいけないと思います。幻覚剤というのはいつでも誰に対してもポジティブな影響があるというものではなく、条件によってはとてもリスクが高くなるものなのです。どうか誰でも自信満々になれる方法を実践し、愛によって揺るぎない自尊心を手に入れて下さい。

僕自身、700回以上儀式を受けてみて、自分自身や一緒に儀式を受けた人の霊的問題・カルマが見えたり感じられたりすることはありましたが、それは僕の方から意図的に見ようと思って見えるわけではなく、向こう側から(僕の課題・使命として)一方的に受信させられる感じです。ネット上でよく知りもしない人の霊視などとてもできませんし、それができるという人も(少なくともリアルでは)一人も知りません。

日本の自称シャーマン詐欺師たちは、幻覚剤で霊能力を手に入れていると勘違いしていますが、例え本当に能力があったとしても、それはエゴが目的の「呪い」のようなもので、そんな人を頼って良い結果につながることはありえないのです。ぜひ友人がスピ詐欺にハマりそうを読んで下さいね。

実に多くの人が己の中に抱えた劣等感ゆえに「他人にはない特殊能力を手に入れ、他人から評価されお金を稼ぎ、ちやほやされて偉そうにすることで自尊心を満たしたい」というエゴによって霊能力を求めています。そういうエゴの方が「人・世の中を救いたい」という愛よりも圧倒的に強いんですね。しかしそのようなエゴは神仏の意思(愛)に反しますから、例えそのような思い出霊能力を手に入れたとしても、それはネガティブな存在によるエゴの力なので、ロクな結果にはならないのです。

特殊な霊能力など手に入れようとしなくても、本当に霊的に成長すれば、どんな人・どんな物事でもその本質を見抜き、創造主が何を覚らせようとしているのかを正確に理解できるようになります。僕は神通力(超能力)についてに書いた通り、浄霊能力以外の能力を求めていません。そして浄霊能力というのは誰でも持っているものであり、特殊能力ではないのです。みんなが浄霊し合ってその能力を高め合ってお互いの存在に感謝できるようになれば、みんなが自ずから幸せに導かれるので、世界が救われるためにはそれ以外の能力など必要ないのです。

浄霊能力を高めるには?に書いた通り、浄霊能力というのは霊的成長・信心の強さに連動して必然的に高められるものです。だから僕は浄霊能力を高めて人からちやほやされて自尊心を高めることを目的に修行をしているわけではなく、あくまでも目的は「みんなが幸せに導かれること=全霊魂の救済(愛)」なのです。それゆえに自らも幸せに導かれているのであり、あなたにも心の底からそのような思いを持って幸せに導かれて欲しいのです。どうか相手を自分の自尊心のために利用することしか考えていないようなエゴの強い霊能力詐欺師たちの餌食になることなく、日々浄霊を受けて、人にも浄霊してあげられるようになって下さいね。あなたがその意思さえ持てば、必ずできることなので。

人生はRPGであり、能力は必要な者に必要な時に必要なだけ与えられるものですから、今持ってない能力を求めるよりも、今ある能力を駆使し、世界を救う為に目の前から自分の使命を果たしていこうという意思の方が大事なのです。

それでは、あなたの幸せを心よりお祈り申し上げております。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...