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2025年10月7日火曜日

自分の天命を知りたい

【質問】16歳男性 半学生 ペンネーム:ペンシル

真也さん、はじめまして。いつもツイッターの投稿と文章を楽しく拝見しています。切れ味のある比喩と、現場の温度が伝わる言葉にたびたび背中を押されてきました。

私は昔から「自分の天命は何か」が気になっていました。ただ、仕事や学び、創作や人の相談にのることなど、関心の向く方へ手を伸ばしては続ける——ということを重ねるうちに、一定の手応えはあっても「これだ」と言い切れる芯が掴み切れないままでした。

振り返ると、何度か節目もあり、そのたびに方向を定めようとしては、また次の可能性が見えてくる。そんな逡巡を繰り返す中で、真也さんの言葉に触れ、「天命は肩書きではなく、内側で静かに続いている動きに名前を与えることなのかもしれない」と感じ、思い切ってご連絡しています。

もしよろしければ、第三者の視点から、私の天命について一言いただけないでしょうか。

方向性の仮説や、考えるための問いの形でもかまいません。必要であれば、これまでの経緯や現在の関心、日々無理なく続いていることなど、追加でお伝えします。ご負担のない範囲でお返事をいただけたら嬉しいです。

ちなみに、韓国出身です。

【回答】
ご質問ありがとうございます。そして僕の発信を受け取ってくれていてありがとうございます。16歳で僕の言葉の価値がわかるというのは、相当早熟な方だとお見受けします。そしてあなたは韓国のご出身とのことで、それなのにこれだけ自在に母国語ではない日本語が使えているのですから、きっと知性も高い方なのでしょう。僕は何かと韓国の方と縁があるみたいです。

>天命は肩書きではなく、内側で静かに続いている動きに名前を与えることなのかもしれない

それは誠に素晴らしい覚りだと思います。あなたが覚っている通り、本質的に天命・カルマというのは自分で名付けて(覚って)こそ意味のあるものなのです。それなのにあなたが他人にそれを求めてしまうのは自己矛盾ではないでしょうか?僕には会ったこともない他人の天命・カルマが見えるような特殊能力は与えられていませんし、あなたからどんなに詳しくお話を伺って答えたところでそれは他人の推測に過ぎません。天命・カルマは自分の人生のテーマでありタイトルなのですから、他人が「あなたの人生のテーマはこれでしょう」などと言えるものではないのです。

創造主がなぜ我々に直接天命・カルマ(人生のテーマ・タイトル)を教えてくれないかというと、それを教えたら答えを強制しているのと同じになって、人間に自由意志を与えた意味がなくなるからです。創造主は人生という芸術の素材を提供し、どんな作品にするのか?(どんな名前をつけるのか?どんな存在意義=天命・カルマがあるのか?)も本人次第で自由にしてくれているのです。それなのに他人にその答えを求めてしまうのは、厳しく言うと「天から与えられた主人公(主体者)意識の放棄」なのです。結果責任は本人が負うものなのですから、選択責任も本人が持つべきなのは自明でしょう。どんなに苦しくてもそこから逃げたら文字通りお話にならないのです。


>私は昔から「自分の天命は何か」が気になっていました。ただ、仕事や学び、創作や人の相談にのることなど、関心の向く方へ手を伸ばしては続ける——ということを重ねるうちに、一定の手応えはあっても「これだ」と言い切れる芯が掴み切れないままでした。

天命・カルマ(何のために生きているのか?)がわからず、迷い・苦しみ・悲しむ日々の経験にも意味・価値があるのであって(それも天命・カルマの一部です)、それを乗り越えるからこそ天命がわかる喜びもひとしおになるのです。そしてみんなに迷い・苦しみ・悲しみがあるからこそ我々は同情し合い・助け合い・愛し合うことができるのです。だからその過程をすっ飛ばして天命を求めても覚れないように人生は創られているのです。僕が天命を覚ったのは散々迷い・苦しみ・悲しんだ挙句40歳もとうに超えてからであり(それも突然)、あなたがまだ16歳で天命を覚ろうなどと考えるのは時期尚早だと思います。僕らは経験して実感を通して覚り、魂を成長させるために生まれて来ているのであり、「頭だけで覚ろうとしても無理」に創られているのです。天命も、経験から実感を通して覚らされるように創られているのであり、それは未来に見えてくるものではなく、過去の経験の蓄積によって見えてくるものなのです。つまり気づいたら「これが自分の天命だった」と過去形で覚らされるようにできているのです。自分の人生をズームアウトして見たら、その一歩一歩をドットとしていつの間にか一枚の絵の完成に向かっているのが見えるイメージです(まだ若くてドットが少ないうちはどういう絵になるか見えなくて当然です)。

例えば「運命の人との出会い」にしても、いきなり理想的な人を探しても出会えないのです。今の彼女との出会いを天より与えられた運命だと信じ、それを「当たり前」と考えてしまって感謝どころか意識もしなくなってしまう本能と日々戦って意図的にその存在と愛情に感謝しながら、一切見返りを求めず無償で相手に尽くし続けることを積み重ねる中で、後になって相手が自分にとって「運命の人」だったのだと覚らされる(名付ける)のであり、天より与えられた出会いを自分が自分の意思と行動で能動的に「運命の人との出会い」にするのです。天命とはそういうものなのです。

天命というのは例外なく誰でも最初から与えられているのです。それを覚れる人と覚れない人がいるだけで。人生はRPGなのであり、シナリオ・結末は当然クリエイターによって最初から用意されています(マルチエンディングシステム)。逆にクリエイターが用意していないシナリオ・結末のRPGなどは創りようがないのです。ましてこのRPG世界(物語)のクリエイターは全知全能なのですから。僕らはそのシナリオを選択し、どういう意義付けをするかの自由を与えられているのです。

世界は一人一宇宙であり、人生はRPGなのですから、プレイヤー(主人公)一人ひとりに「世界を救う」という本来的な天命があります(そこに目覚めている人は圧倒的少数ですが)。ただし「どのように(How)救うか?」は人それぞれ違い、その違い(個性)にこそ存在意義があるのです。そして「どのように(How)救うか?」は、人(世の中)を救おうとしている過程で見えてくるものなのです。この点は目標がないをご参照下さい。

とはいえ「ヒントだけでも」とおっしゃる気持ちもよくわかりますので、ヒントを差し上げますね。先に僕が「天命・カルマ」と書いた通り、それらは不即不離の関係にあります。天命を知りたいのであれば、自分のカルマは何なのか?を知ることです。そしてカルマは自分が一番目を背けたいところにあるものです。カルマの良化法をどうぞご参照下さい。そこに目を向けることこそが、あなたが天命を覚るヒントになることでしょう。

そしてあなたが一番自他を笑顔にできた時は、どんなことをした時でしょうか?それがまたあなたが天命を覚るヒントになることでしょう。いつだって自他みんなの笑顔が人生のコンパスなのです。

これまでの人生・自分の個性を踏まえた上で、あなたは将来的にどんな存在になりたいですか?それがわかったら、その存在に既になったかのように思考・行動してみて下さい。スラムダンクの井上雄彦先生が「キャラクター設定さえきちんとしていれば、ストーリーは自動的に展開されていく」というようなことをおっしゃっていましたが、人生も物語(創作)なのであり、そのストーリーは「自分とはどんな存在か?」次第で天によって展開されるものなのです。そしてそれは自由意思によって自分で更新していける自由を与えられているからこそ、僕らは生まれた時から「自分とはどんな存在か?」がわからないのです。

我々には「自己受容」というとても難しい共通課題(天命)があるのです。それはつまり「自他をどう愛するか?」ということです。真に自分を愛するということは、自分を存在ならしめている全ての存在を愛することです(諸法無我)。どうか天命を職能(能力)とイコールのように考え、それによって自尊心を満たそうと考えないで下さいね。本当の自尊心は自他を許し愛する日々の中で満たされていくものなのです。天命は幸せ(自尊心)の特急券のようなものではなく、早く覚れるほど素晴らしいわけではないのです。だから焦って天命を求めないで下さいね。焦って良いことは何一つありませんから。

あなたに一番伝えたいことは、例え今あまり充実感がなくて本気で自他を愛せずそれほど幸せを感じられてなかったとしても、その理由を天命がわからないことに求めて焦らず、もっと自他を愛して欲しいということです。そして何かを生きる目的にしようとするのではなく、結果は天に預け、「今ここにしかないこの時」を全力で愛して欲しいということです。そうすればきっと幸せを感じられますから。そしてそれに対する心からの感謝報恩(愛)を動機に人に・社会に貢献したいという思いで生きられるようになって下さい。その積み重ねがきっとあなたの人生を素敵な天命の覚りへと導くに違いありませんから。

■創造主直伝「さとり四カ条」
1.偉くなろうとするな、(自他すべての存在が)尊いと知れ。
2.特別になろうとするな、特別(主人公)であると知れ。
3.日々愛を実践し、特別ではなくなること(ワンネス)を目指せ。
4.幸せになろうとするな、幸せであると知れ。

「ただありのままに見つめるだけでいい。ただありのままに愛するだけでいい。」

それでは、あなたの幸せ(覚り)を心から祈っています。


2025年6月18日水曜日

世界の救い方

【質問】 30代前半・女性 ペンネーム:Tipoo 
     職業:ピアノ・絵画講師 、アーティスト、フリースクールスタッフ
             アヤワスカチャレンジャー

真也さん、こんにちは。

エゴによる悩み苦しみはかなり訂正されてきたんですが、今1つだけ願いがあります。それは、悟り(一瞥体験でも)を広げる事で人の認識を変え、助けたいのです。(誤解を恐れずに言えば、地球が愛の星になればと思っています)

私は元々、大いなるものなんて信じてなかったのですが、アヤワスカで認識が変わりました。他人の言葉や、神秘的な絵などを見て信じられる人は良いのですが、この身で決定的な体験をしないと分からない私のようなタイプも多くいると思います。

特に、エゴで苦しんで、世界が嫌になってしまった人に選択肢として提示できたらと思っています。例えば年に数ヶ月、儀式のお手伝いとして関わるのもいいし(国外になりますが)YouTubeかSNSでアヤワスカやその後の考えを広めるのもありかな?と思っています。

さて、この願い、大丈夫でしょうか?これさえも自分の無明から来ていないかと、たまに思います。日本で今やっている仕事をそのまま続けるだけでも周りを一時、笑顔に出来ますが、果たしてこれで良いのだろうかと、よぎります。悟りだけが根本的な救いなのではと、思ってしまいます。

何かアドバイスあればお願いいたします⋯! 

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【回答】
ご質問どうもありがとうございます。素晴らしいご質問で感動しています。回答が遅くなって申し訳ございません。あなたがエゴによる無明から愛に目覚め、心から世界を救いたいと思うようになって下さったこと、同志としてとても嬉しく思います。

毎回、説教臭くならずにアドバイスを送るっていうのはとても難しいことなのですが、質問箱は常に自分自身に言い聞かせるようにして書いています。あなたなら誤解なく受け取って下さると信じて回答させていただきますね。メシアとして目覚めてかけている同志たちのためにも。 

僕も目覚めてしばらくはとても焦っていました。考え方を変えるだけでこんなにも幸せになれるのに、この考えが世界中に広がればきっとみんなが救われるはずなのに、なぜこんなにも伝わらないものなのか?と。

しかし焦りは禁物です。時間(人生)というものは我々に成長を楽しませるために創造主が与えてくれているものであり、焦るとせっかく与えられた時間(人生)の楽しみ・幸せを目減りさせてしまうことになってしまいますので。世界救済というのは「今生で完全達成できなければ意味がない」というものではなく、あくまでそれを目指すベクトルで生きる我々の人生経験(物語・芸術)に価値があるのです。


<信心(愛)の大切さ>
僕らには創造主からそれぞれに与えられた役割とシナリオがあって、それぞれに役割・シナリオを全うすることによって、いずれはみんなが救われる全体シナリオになっているということが、この人生というRPGが創られた時点で決まっているのです。

それなのに「焦る」ということはその創造主を信用せず「結局、この人生(この世界)は救われないのでは?」「この人生(世界)を意地悪で創ったのでは?」と疑っている(与えられたものに感謝していない)ということになり、それは己のカルマを悪化させることになってしまうのです。

世界を救うために一番大事なことは、己の信心を強くすることです。この世界は何もかも創造主が創ったものであり、その意思と掛け違いがあっては世界を救うことなどできません。「感応道交」という仏教用語があるのですが、己の意思と天と意思が通じ合い、己が天の意思に合った生き方をすることが、ひいてはみんながご利益を受け取り(哀愍納受)、みんなが救われることになるのです。

他人(世界)を救おうと思うこと自体はとても尊いことですが、それ以前に大事なことは、まず与えられているものの価値に気づいて心から感謝し、与えられているものをみんなと分かち合い、そして何より創造主を信頼することなのです。聖書のヨブ記のように、どれだけ自分や他人に困難が与えられていても、です。それは信心(愛)を試されているのだと思って下さい。我々は創造主の愛なしには一秒たりとも存在できないのです。

<2つの救い方> 
人生というのはまさにRPGであり、多くの人がまだプレイヤー(主人公)として目覚めていませんが、プレイヤー(主人公)には「世界を救うという使命」があるのです。ただしその使命の果たし方(世界の救い方)には2種類あるんですね。

①自分の個性・才能を生かした救い方(自分ならでは)
②日々の愛の実践による救い方(普遍的・万人に共通)

もちろん両方が大切なんですけど、もし②だけしかなければ、自分という存在が個性・才能を与えられて生まれて来た意味がありません。だから基本的には①の救い方のほうを優先しなければならないのです。あなたは類稀な芸術の才能を与えられているのですから、基本的にはそれを活かした救い方を優先すべきであるように僕は思うわけです。※実際には常にケースバイケースで、緊急で家族や最愛の人を救わなければならない時などは②を優先すべきかと思いますが。

アヤワスカによって友人を救おうとすることも素晴らしいことかと思いますが、それは②の救い方になります。アヤワスカというのはあなたや誰かの個性・才能ではないのですからね。あなたほどの芸術の才能が与えられている人が、①の救い方を年に数か月も犠牲にして②の救い方をするというのは、僕的にはちょっと違う気がします。もちろん世界の救い方は究極は主人公であるあなた自身が決めることですが。 

<あなたの才能の尊さと、創造主の意図>
>日本で今やっている仕事をそのまま続けるだけでも周りを一時、笑顔に出来ますが、果たしてこれで良いのだろうかと、よぎります。

そのお気持ち、とてもよくわかります。

「周りの人を一時笑顔にできる」ということだけでもとても尊いことです。ただもしあなたが自分の才能の価値をその程度だとものだと認識しているのなら、それはとんでもない過小評価だと思います。 

あなたが空(概念世界)の存在たち(神仏など)をこの次元に降ろし(具現化し)、それぞれの存在意義(使命)を存分に果たさせてあげることこそが、この世界の物語を豊かにしつつ、最終的にはみんなを救いに導くのです。そんなことができる素敵で偉大な才能が、あなたには与えられているのです。 

世界救済というのは、(神仏を含めて)みんながそれぞれに使命を果たし、自分の存在意義を実感する形でなければ、果たすことができないように世界は創られているのです。どうか日々信心を強くして、たくさんの神話・宗教を学び、その姿をこの次元に降ろして彼らにもある「世界を救う」という使命(存在意義)を果たさせて下さい。それは友人をアヤワスカに導くこと(あなたでなくてもできること)よりもずっと偉大で大切なことなのです。

人生は映画のようでもあり、僕ら主人公は自由に演じることが許されているのですが、それでも監督(創造主)にはきちんと意図があって用意しているシナリオがあるのです。それを汲み取りながら生きた方が、監督(創造主)の愛をより多く受け取ることができ、より素敵な物語にしていけくことができるのです。

もちろん僕も創造主の意図が完全にわかるわけではなく、そっちゅう取り違えをして失敗します(だから面白いのです)。創造主の意図は直接的に創造主から教えられるものではなく、主人公である自分にはそれを汲み取る自由が与えられているのであり、自分で解釈する以外にないのです。
 
ただ創造主の意図を推測するのに重要なヒントがあります。創造主というのは全知全能であるがゆえに直接的には経験をすることができない(失敗・過ちを犯すことができない)存在なのです。だからこそ創造主は我々人間や神仏などとして経験を積んでいるのです。そうすることでそれぞれの立場から個性ある存在として「存在意義」を感じようとしているのです。そして創造主本体は全知全能ゆえに想像=創造を広げられないからこそ、我々に無明と想像力とを与えてくれているのです。それを存分に発揮させるために創造主は我々に対して決して常に答えを一つに限定せず、自由にしてくれているのです。

ならば我々は人生という「経験」と「想像=創造」の機会を大事にすべきですよね?そして自分が本当の意味で「存在意義」を実感するためには、自分個人に与えられたシナリオを全うするだけでなく、自分に関わるみんなも与えられた「シナリオ・使命」を全うして「存在意義」を実感できるように導かなければならないのです。それはつまり出会った人のカルマを他人事だと思わずに、愛をもって一緒に乗り越えて行くってことです。

わかりますか?この人生というRPGの世界というのは、あなた個人だけではなく、それぞれの存在がみんなそれぞれに個性・才能が与えられていて、その存在意義を果たす(シナリオ・使命を全うする)ことによってみんなが救われる仕組みになっているのです。カルマの良化法に書いた通り、カルマ(シナリオ)は自分を中心として一筆書きのようにひとつながりだということを忘れないで下さい。全てが一つ(ワンネス)なんですから、カルマ(シナリオ)もとことん辿ればひとつながりになっていることは自明なのです。

あなたは世界の主人公です。しかしみんなにもそれぞれが主人公として与えられている世界があり、みんなに「世界を救う」という使命があるのです(殆どの人がそれを自覚せずNPCやってますが)。自分も他人もみんなそういう創造主の代理の主人公なのですから、あなたが前述の①より②を重んじることは、他人の「存在意義」を奪うことにつながり、それは創造主の意図(シナリオ)に反すること(越権行為)になってしまうのです。そしてそれは創造主視点で見た場合、せっかく与えられた①の使命・存在意義・存在価値をあなた自身が軽くみているということになってしまうのです。
 
あなたはアヤワスカで見た世界が、あなたの想像力で作ったものだと思いますか?違いますね?ではあなたの作品のアイデア・イメージというのは果たしてあなたがゼロから生み出したものでしょうか?違いますね。全ては創造主から概念次元(アカシックレコード)を通じてインスピレーションという形で与えられているものなのです。しかしそれをこの世界に具現化できる能力というのは、みんなに与えられているわけではありません。
 
もし僕があなたなら、世界の宗教・神話についてより広く深く学び、イマジネーションを広げて作品にしていくと思います。それが救いにつながるということを、あなたはまだ理解していないのでしょう。神仏というのは我々に知られず、その使命を果たせないのなら、存在意義はないのです。あなたが神仏を知り、信じ、祈り、イメージとしてこの世界に顕現させ使命を果たせられるということは、創造主とその分身である神仏に存在意義を与える尊い才能(使命)なのです。
 
いつも言っているように、「与えられたものの価値に気づいて感謝していない人にもっとあたえたいと思う人はいない」という原理でこの世界は創られていて、価値がわからない・感謝しない人間は、既に与えられたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのが定めなのです。どうか自分の才能・使命を当たり前のものだと思わずに、その価値に気づき、感謝し、フルに生かして活躍して下さいね。
 
 
<救いへの導き方>
>さて、この願い、大丈夫でしょうか?これさえも自分の無明から来ていないかと、たまに思います。
あなたがそのような観点で自分を見ることができるというのは、とても尊いことだと思います。 
 
僕もみんながアヤワスカを飲んだら世界は救われるのではないかと考えていた時期がありましたが、アヤワスカを飲めば誰でも良い方向に導かれるというわけではありません。だからこそガイドが大切なのですが(それで僕はやっているわけですが)あなたにそれをする使命があるかどうかは僕にはわかりません。

ただあなたが友人を(本人が望んでいないのに)無理にアヤワスカに導くという救い方で頑張らなくても、アヤワスカが必要な人には、必要な時にアヤワスカの神が導いてくれるものなのです。そしてそれを信じることが信心なのです(だから僕も無理に他人に勧めたりはしません)。

友人がかつての自分と同じようにエゴによって苦しんでいるのを見て、もどかしい気持ちになるのは僕も同じなのでよくよくわかるのですが、あなたの友人にも創造主から用意された人生のシナリオがあり、「己のエゴによって苦しむプロセス」も必要だから与えられているのです。

人間はみんなが人生というゲームのプレイヤー(主人公)で、みんな自分なりに失敗もして試行錯誤して納得しながら前に進みたい生き物なのであり、脇から答えを教えられると無意識に反発してしまうようにできているのですね。 

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ピアノの指導などはまさにそうかと思いますが、相手に答えを教えることよりも楽しさに気づかせることの方がもっと大事なのです。やる気にさえなれば、本人が自分で練習して勝手にうまくなっていくのですから。悟りもそれと同じなのです。まずは自分が心から楽しみながら日々悟りを実践しているのでなければ、他人にその楽しさを覚らせてやる気にさせることなどできないのです。

だからあまり焦って無理に他人を覚らせようとせず、自分がまず覚りを進め、それを実践し、夢を持って生き生きと幸せに生きている背中を見せることで「どうやったらあなたみたいに幸せになれるのか」と相手側から自発的に教えを求められるぐらいになることが大切です。逆に聞く気になっていない人にいくら伝えようとしてもそれは無理なのです。あくまでも主人公は自分なのであって、そういう自分の覚りの過程を飛ばして「相手側をアヤワスカで悟らせよう」とすることは(善意であっても)創造主視点から見れば傲慢・怠慢なのです。相手を変えようとしても変わりませんが、主人公である自分が変わればすべてが変わるように世界は創られているのです。

「メシア救世三原則」
1.指摘せず気づかせる
 (傷つけない)
2.教えず覚らせる
 (例え話などでヒントを与える・背中で示す)
3.自らの学びとする
 (相手のカルマは自分のカルマの鏡・相手を変えようとせず自分を変える)

あまり無理に相手を救おう(相手のコントローラーを奪おう)とするのではなく、相手の存在を心から承認することで、自ら課題(カルマ)に立ち向かって行く心の元気を与えることが救いの本質です。そのやり方は基本的に二つだけです。


⭐相手の自尊心を高め、自ら前に進む勇気と元気を与える方法

①心からの笑顔で挨拶する

②相手の話を否定せず(ジャッジせず)、同情・共感的に聞く

この点については長くなるのでカルマの良化法などをご参考下さい。

 

>YouTubeかSNSでアヤワスカやその後の考えを広めるのもありかな?と思っています。

インターネットを使って「自分がどうして幸せになれているのか」を伝えるのはとても良いことだと思います。きっとあなたの才能も活かされることでしょう。

ただ忘れてはならないことは、あなたは絵画と音楽(非言語)のアーティストであって、思いを言葉で器用に説明できるようになることよりも、芸術を通じて伝えることの方がより大事なんじゃないかと僕は思います。どうかその「言葉ではうまく伝わらないもどかしさ」を創作のエネルギーに変えて作品にぶつけて下さいね。それは僕や他の多くの人にはできないことなのですから。


<愛の無条件化=世界救済>
世界を救うためには己の愛を無条件化していくベクトルで成長していかなければなりません。
それこそが我々がいつかワンネスへと還る道だからです。そして世界の問題は究極「愛の不足」が原因であり、逆に言えば全ての問題の解決策は愛なのです。

 愛」とは何か?恋との違いや愛を育む6つの考え方、名言特集を紹介

しかし人には好き嫌いで世界を二分することで「それをする主体者としての自分(自我)を確認したい(輪郭を保ちたい)」という隠れた強い欲求が与えられているのです。それを意識せずその本能のままに生きてしまうと、不快なものを嫌悪し遠ざけて意識から排除し、興味を持たず・理解しようとせず、好きな人・モノにだけ囲まれて生活しようとしてしまいます。そして自分に都合の良い人・モノだけ愛し、都合の悪い人・モノを愛さないという「愛の条件化」をしてしまうようになるのです。そのような条件付きの愛はエゴなのであり、愛(融和・ワンネス)に反する要素であって、己の人生も世界もネガティブな方向に導いてしまうのです。

普通の人は好きなものに囲まれて好きなことだけして生きるなんてことはできないので、仕事もプライベートも人間関係全体が厳しい修行の場になるのですが、あなたの場合は才能があって、恐らく好きな人・モノにだけ囲まれて生活するということがほとんど実現できてしまっているのが、逆にちょっと厄介なんですね。

自分に都合の良い人・モノだけ愛しても、人生は魂の成長修行にならない(成長しない)のです。この世界に偶然はなく、全ての出会い(人・出来事)が自分にとって必要だから与えられているのであり、創造主が与えてくれた出会いの中で、許し難きを許し、愛し難きを愛することが魂修業なのです。それなのに人間側の意思で意図的に嫌なものを避けようとし過ぎると、大きな弊害(落とし穴)が2つ出てくるのです。

①愛情が条件化(エゴであり、魂の成長とは逆行)の方向に進む(世界救済が遠ざかる)
②好きな人・モノがあまり好きではなくなる(飽きる・嫌いになる・無感動になる)

①については前述の通りなので、②について。 

嫌な人(興味のない人)との出会いも、自分の魂の成長にとって必要だから創造主が与えてくれている出会いなのであり、 それを意図的に排除するということは、人生という映画の監督たる創造主の意図(シナリオ)を無視しているということになるのです。どうか出会った人一人ひとりにもっと関心を持って下さいね。それが愛情を無条件化していくことに繋がるのです。出会った人一人ひとりを無条件に愛することができるようになれば、それは(まだ出会っていないというだけで)世界中の人を愛していることになるのです。興味は愛の入り口であり、興味はないけど愛しているということはあり得ません。だから興味がない人・嫌いな人は表面的にテキトーに扱っておけば良いという考えでは、世界に愛が連鎖するわけがありません=救えるわけがありません。全ての出会いは運命であり、相手がどんなに悪役・端役に見えても、それは創造主が「あなたが主人公の物語」にシナリオ上の意味があって、何か大切なことに気づかせるために遣わした尊い共演者なのです。

嫌な人(興味のない人)を避けて意識の外に置くことで存在しないかのように扱う癖は逃げ癖であり成長拒否なので、成長プログラムである人生に置いて不幸に導かれてしまう定めなのです。嫌な存在・言葉・出来事との出会いも大切な何かに覚らせ成長させるために与えられているのであり、嫌な人を避けるとその役割(悪役・端役)を好きな人が負わなければならなくなり、結果的に好きな人も嫌いになって孤独に陥ることになってしまいます。 

そして好きなものに囲まれ、好きなことだけしていると、段々好きなことでも楽しさを感じられなくなってしまい(感性の鈍化)その価値を感じられなくなり、心から感謝もできなくなって不幸に導かれてしまうのです。これが最大の弊害(落とし穴)かも知れません。 好きなモノだけで人生を構成しようとすることは、メジャーコードだけで曲を作ろうとするようなもので、そのうち飽きて退屈になっていくことは自明なのです。

悟りというのはワンネスへの融和(愛)のベクトルであり、分離(エゴ)とは逆のベクトルなのです。嫌いなものを分離し排除していくというのは磁石の片極だけを切り落していくようなものであり、どんどん己(世界)を小さくし、好きだったものまで心から楽しめなくなっていくんですね。

そして瞑想などを通じて心を鎮めることを悟りの道だと勘違いしている人が多いですが、それも違います。例えば己の愛が不足しているがゆえに人間関係をうまくやれていない人が、瞑想などで心を鎮めたところで、魂が成長するわけがなく、幸せになれるわけもないのです。それは単に心の針の動きを鈍化させているだけですからね。


実態を伴わない努力に効果はあるか?に書いたように、嫌な事があっても創造主から自分の成長のために与えられた課題なのだとポジティブに解釈して、悪い感情(不協和音)を起こさずに(自分自身とも他人ともぶつからずに)乗り越えていけるようになることが魂成長のための修行なのです。己の心の調律と演奏が上達し、心の針を出来事に合わせて指揮者のタクトのように上手に振れるようになれば、人生をオーケストラのように楽しめるようになります。嫌な人やモノ(都合の悪い・興味のない人やモノ)との出会いも大事にして、まず興味を持ち、許し難きを許し、愛し難きを愛するというベクトルで考えてみて下さい。

人は誰しも臆病に創られていて、傷つかないように人それぞれ様々な形で予防線を築いてしまっているものです。それで愛することより傷つかないことを優先してしまうのですね。それでも出会った相手にもっと興味を持ってみて下さい。興味を持つことが愛の入り口であり、興味がないのに愛している、ということは有り得ません。この世界に偶然はなく、全ての出会い(人・出来事)は意味があって与えられている贈り物(運命)なのですから、出会い(人・出来事)を無条件で愛せるようになっていくことが悟りの道なのです。

そして生まれの格差について(陰謀論)未来に絶望したくなるなどに書いているように、その愛(悟り)の連鎖が、ひいては世界救済に繋がるのです。だからお互い焦らず日々愛を実践して行きましょうね。まず自分自身も目の前の人も許し愛し幸せにできる人間になれるように一歩一歩成長して行きましょう。連鎖反応は倍々ゲームであり、自分と目の前の人を幸せにできるようになれば、あとは勝手にものすごいスピードで広がっていくのです。しかしその連鎖反応の起点である主人公の自分がブレていたら、それは決して広がらないのです。

人生はエゴを乗り越えて愛を発揮する修行なのであり、もちろんそれは僕にとっても同じで、日々戦いです。世界の本質はワンネス(愛)であって、分離意識を乗り越えないことには、世界は救われるわけがないのです。全ては愛によって創造されているのであり、好き嫌いを乗り越えて存在そのものに感謝し、尊敬し、許す(心で和解する)ことです。それが愛するということです。愛は相手を自由にするものであり、離れていく人を無理に追う必要はありません。ただ悟り(世界救済)というのは愛を無条件化する方向にベクトルが向いていなければならないのです。誰でも自信満々になれる方法に書いた通り、自分があくまでも愛し抜く覚悟さえ持てれば、相手から嫌われ傷つけられることなど恐れる必要はないのです。

それでは、長くなりましたが、あなたの素敵な覚りと幸せを心からお祈り致しております。


2025年4月3日木曜日

悟りと営業職

【質問】31歳・男性 ペンネーム:オガ 職業:営業職

初めまして。2ヶ月ほど前から記事や発信を見させております。

質問なのですが、結果主義や競争をせざるを得ない環境はやはり悟り、ワンネスとは相性が悪いのでやめるべきでしょうか?

私は3年ほど前から収入UPを狙うという完全なるエゴ動機で人材、広告系の営業をしています。業務としては、毎月のノルマを達成しなければ当たり前のようにネチネチ詰められたり、残業続きの環境なのでキツ目ではありますがなんとか続いており、日本人の平均年収以上の収入を稼げるようになりつつある状態です。

ただ最近自分のやっている仕事が本当に顧客に納得してもらった上で成り立っているのか疑問に思い始めて(私の職場、ひいては営業では数字、利益を取ってくるのが何より至上命題なので時にはお客さんにとって不都合な状況や契約内容になってでも数字を作らざるを得ないことがあります)色々考えたり、ネットサーフィンをしている中で真也さんの発信を見つけました。私の本心とまさに共鳴するような内容で感動しました。

本音としては自分や会社の都合、利益云々よりももっとお客さんに深く向き合って、先方にとって本当に必要な商品だけを最適なタイミングで提案してお互い心から笑い合える仕事をしたいと思ってます。その働き方の方が結果としてパフォーマンスも上がり収入も増えるのでは?とすら思います。

人の立場や心情を想像したり、人の話を引き出すのは比較的得意な方だと自負しているので営業の仕事自体は好きだし続けたいと思っています。

ただ前述した通りで、ご存知とは思いますが営業は何よりも結果が全ての仕事なので、本当の意味でお客さんのためになる(タイミング、勧める商品等)ように仕事をしようとすると自分の毎月の目標数字が未達になることが頻発することが予想されます。当然未達は許されず、あり得ないという空気があるので詰められたり、会社に居づらくなってしまう未来も見えます。

人生において結果や見返りを求めず、ただ自分と周りの人の幸せのために生きること自体を愛するという悟りや真理とはかなり相性が悪い仕事なのではないかとも感じてしまいます。

また、こんなことを言っておきながらまだエゴ(旅行に行ったり車を買うためにお金が欲しい)に塗れているので営業でないにしても何かしら仕事をしてお金は稼いで行きたいと思いますが、同時並行で少しずつでも悟りの実践を取り入れていきたいとも考えています。

ただ、他責思考の言い訳かもしれませんが今の環境ではなかなか難しさも感じています。

そこで選択肢として
・今の仕事を辞めてもう少し悟りと相性の良さげな仕事に就く。
・仕事のパフォーマンスを圧倒的に高めてお客さんに寄り添いながらも自身の数字を達成し続けられるようにスキルアップをする。
・お客さん志向を徹底して、未達で詰められたり村八分にされるのを前提に(その内慣れるのを見越して)今の仕事を続ける。

どの手段が最適かご意見をいただきたく存じます。

正直、自分のエゴの強さが今の状況を招いていると言えばそれまでかも知れませんが、まだお金を稼いでそれで旅行に行ったり欲しい物を買いたいという気持ちがどうしても捨てきれません。

世界を救う主人公として命を与えられている身として自分よりも他人のエゴを満たすべきと頭では分かっていても、まだ31歳だしもう少し自分も楽しみたいな…と思ってしまう部分もあります。

30も越えて何言ってんだとか、言い訳するなと言われればその通りですが、いつか本気で自分よりも他人の心を救うために人生を生きたいと思えるようになる瞬間を見据えてまずは全力で後悔のないようにエゴを楽しみ、満たし切りたいと思っています。

また、男は稼いで結果出してなんぼという風にどこかで思っている自分もいまして、これについてはどう思いますでしょうか。

男として、30超えたらこれぐらいやって当然という価値観も捨てるべきでしょうか。

情けないまでにエゴが強く、自分勝手ではありますがアドバイス願います。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

お気持ち、大変よくわかります。まさに過去の自分を見ているようです(笑)僕らの魂って本当に同源・同一のものなのだなと痛感させられます。


僕がいた職場はかなりホワイトだったので、そこまで結果主義・競争原理が強い職場で働いていたわけではありませんが(ノルマみたいなものも殆どありませんでした)、営業・企画部門のサラリーマンだったので、本質的には全く同じだと思います。

基本的にあなたに言いたいことは、同種の質問カッコいい車が欲しい執着の乗り越え方と同じです。

今はみんなにとって物質的に必要なものはもう十分に行き渡っている時代で、本当に必要なものを売っているわけではなく、お客さんの側からすれば大して必要でもなければ、別に他所の商品・サービスでも良いのに、自社の利益ため・自己利益のために何とか売らなければならず、興味のない人にまで必要だと思わせるように必死で欲望や不安を煽り、そのためには嘘や隠し事も当たり前って感じになって、それができなければ無能扱いされて必要とされず、自尊心を保てなくなるわけですしね。サラリーマン時代は僕も出世・保身のために人の醜い部分をいっぱい見せられました。今では「営業」だの「人材」だの「広告」だのといったワードを聞くだけで吐き気がしてしまいます(笑)

ただ僕が過去の自分に対して何か言うとしても、それはとても難しいというか、言えないことが多過ぎるんですね。なぜかというと、全てが自分に必要な経験だから与えられているってことが今は確信的にわかるからです。そして自分の人生をトータルに愛しているので、過去の自分に何かを伝えることで自分の人生を変えたいなどいう願望はないんです。経験しなければ理解できないことを経験させてもらえたのですから、過去に遡ってその経験を避けさせたいとは思いません。だから過去の自分と同じような状況にいるあなたに今の僕の考えをダイレクトに言ってしまえば、せっかく天から与えられている経験機会を邪魔することになってしまう気がして、すごく難しく感じてしまうんですね。

悟りとは何か?に書いた通り、悟りというものは競争ではありません。先に悟ったから偉い(高得点)というゲームではないのです。答えに価値があるのではなく、それを追い求めるあなたの経験(感情)に価値があるのです。そしてあなたがどういう考え方・行動を選択するかが、あなたという存在を形作るのであり、人生というのはそういう芸術であって、それこそが価値なのです。あなたの価値は存在そのものにあるのであって、あなたの考えや行動の選択が正しいかどうかにあるわけではありません。


>結果主義や競争をせざるを得ない環境はやはり悟り、ワンネスとは相性が悪いのでやめるべきでしょうか?

人生は人それぞれにシナリオがあって、全ては悟りに向かう過程(プロセス)なのです。覚る前に「悟りとはきっとこういうものだろうから」という勝手なイメージを創り上げ、それを無理やり自分自身に押し付けないで下さいね。「自分の経験を通じ、現時点で自分の魂が納得できていない考え方・行動に、無理やり自分を従わせて生きること」こそが不幸の元凶であり、鬱の人はほぼ確実にそれをやっているのです。その「自分自身に無理やり強制している考え方・行動」の内容が正しいか間違っているかは関係ありません。自分の魂が納得していない考え方・行動を自分自身に押し付けて生きること自体が不幸なことなのです。

まぁただいくらあなたにとって今の仕事経験が必要な過程だとしても、「社会の利益より自己利益が完全に優先(目的化)になっている営利活動」を奴隷のようにずっと続けたままでは真理(=愛)なんて悟れるわけがありませんし(=主人公になれるわけがありませんし)、どんどん自分を嫌いになってしまうと思います。自分を嫌いなのに幸せというのはありえません。

しかしそれだけの自己矛盾を抱えているあなたが、今の仕事をそのまま一生続けるわけはないでしょう(そのまま続けたらきっと病気になってしまうでしょう)。最終的には正しい決断を下せる自分自身を信じ、天の導きを信じて下さい。人生には人それぞれシナリオが用意されていて、どんな経験にも無駄はなく、今後何をしようと必ず今までの経験が生かされますから、何も心配は要りません。

そして本当にやめるべき時には続けるという選択肢はなくなっているはずで、他人に「やめるべきでしょうか?」などと尋ねてしまっているうちは、きっとまだ魂がその環境での経験を欲しがっている(シナリオを知っている自分の魂が辞めることに同意していない)ということですから、きっとまだやめるべき時ではないのではないかと思います(きっと「辞めるんじゃなかった」と後悔すると思います)。


その「自己矛盾に苦しむ」という経験もとても大事なものなのです。もしその苦しみが全くなく自己実現できてしまったら、自己を実現することの価値を実感を通して知ることができなくなってしまいます。僕も仕事で散々嫌な思いをしましたし、自分らしく生きられない苦しみを経験しているからこそ、自分らしく生きられる今の喜びを心から味わえているのです。

人生というのは、あなたをプレイヤー(主人公)とするRPGなのであり、ドラクエで「道具屋」として何の自己矛盾も感じず社会にビシっとハマれるぐらいだったら、NPCとして一生を送ることが確実で、主人公には成り得ません。だからその自己矛盾を胡麻化さず、いつか目覚めるその日まで大事にして下さい。


そして世の中とても多くの人がその自己矛盾に苦しんでいるのですから、それに対して心から同情できる優しい人になって下さいね。そしていつかその自己矛盾を解消し、主人公として目覚め、みんながそうできるように導ける存在になって下さいね。今はまだそこまで考える必要はありませんが、これは僕からの祈りです。


>情けないまでにエゴが強く

あなたはまだエゴを悪者のように思っている感じがしますが、エゴは愛のマテリアルなのであり、それ自体が悪いわけではありません。悪いのはエゴを暴走させてキリなく求めて愛を失うことです。エゴを無くすことではなく、エゴのエネルギーをいかに愛に昇華できるかが悟りの道なのです。それはエゴ(欲)とは何か?に書いた通りです。エゴの存在を理由に自分や他人を嫌って責めないで下さいね。

基本は、目の前のことをただ全力でやって、全力で楽しんで、そのことに心から感謝できれば良いんです。あなたは経験するために生まれてきたのであり、経験したいことを今まさに経験しているのですから。ただあなたの価値はいくら稼げたかとか、どれだけ他人から評価されたかとか、どれだけ正しい考え方をしているかではなく、存在そのものにあるということは絶対に忘れないで下さい。人生という経験機会を与えられていること自体が尊いことなのだと知って下さい。


>他責思考の言い訳かもしれませんが今の環境ではなかなか難しさも感じています。

お金の時代の終らせ方(新六波羅蜜)はぜひ読んで実践してみて下さいね。今の仕事を辞めなくてもできる事ばかりです。大事なのはいきなり変な正義心で社会をひっくり返そうとすることではなく、自分の中の愛を実践から育てていくってことです。


そしてどうか自分自身と深く向き合って下さいね。どうすればその自己矛盾を解決できるのか、自分で考えるからこそ価値があるのです。


>30も越えて何言ってんだとか、言い訳するなと
>男として、30超えたらこれぐらいやって当然

僕がそんなこと思うわけない・言うわけないですよ。人生のシナリオは人それぞれで、少なくとも悟りの進捗に関して、年齢なんか気にして焦る必要は全くありません。僕なんて30代でドロップアウトして海外に逃亡し、40代も半ばから4年近く乞食をやっていて、今も実質無職ですからね。世間からすれば「何やってんだ?」って感じでしょう。

でも僕はもう世間の人からどう思われどう言われるかによって自分の信念を曲げたりはしません。自分には自分だけのオリジナルのシナリオが与えられているのであり、他人と比べ、自分の魂が納得していないのに「こうあるべき」なんて頭で魂を無理やり押さえつけるのは良くないと思います。自分で気づいた時、魂レベルで覚悟が決まった時がベストタイミングなのです。どうか勇気を持って下さい。


>自分のエゴの強さが今の状況を招いていると言えばそれまでかも知れませんが

僕自身がかつてそうだったからよくわかるのですが、きっとあなたは欲が深いわけではなく、本来愛情深い魂を持った人なのに、他者評価依存によって自尊心が低くなっていて、自己防衛手段として今のエゴ優先の生き方(魂が納得していない自己利益優先の仕事での金稼ぎ・保身・虚栄)を自分に強いてしまっていることが苦しみの原因なのではないかと思います。

きっとあなたはそういう世界観の中に生きていて、周囲も同じ世界観の人ばかりで、それ以外の世界観で生きるなどということはきっと思考の枠外なのでしょう。まだあなたは自分の世界観が自分の世界を創っているということに気づかれていないのだと思います。その世界観はその外に出てみないと客観的に見ることは不可能なのですけどもね。

実に多くの人が当たり前のように他者評価依存症に陥っていて(社会病理です)、あまりにも「世間・他人からどう思われるか」を気にし過ぎていて、それが心の本音を押しつぶすブロックになっているのです。あなたは本当は人の役に立ちたいという愛が心の底から湧き上がってきているのに、この(嫌な)仕事でお金を稼がないと世間体が悪い、他人から見下されバカにされる、旅行したり良い車に乗ったりして豊かさを他人に誇示することで自尊心を維持できないと考え、エゴ(損得勘定・執着)から離れられず、自己矛盾に苦しんでいるのでしょう。世界の本質はワンネス(愛)なのですから、エゴを優先すればするほど人間は深い部分で自分を嫌いになるようにできているのです。そして人生で自分を嫌いになるほど、苦しく不幸なことはないのです。脳は得をしても損をしてもストレスダメージを受け、自分を嫌いになるという最大の損をするのであり、損得勘定で生きること自体が不幸の元凶なのです。実際、そんな風にして心に愛を失って嫌な奴になってしまえば、自分で自分を愛せず、人からも愛されず、心を病んで人生自体を投げ出してしまったら、それは最大の損だとは思いませんか?

旅行とか車とか、それはあなたが本当に欲しいものなのでしょうか?それは世間体を気にして保身のために嫌な仕事を我慢している自分を納得させるための口実・自己正当化なのではないでしょうか?実際大してお金なんかなくても旅行はできますし車も買えます。他人より贅沢な旅行や車を欲しがるから他人よりお金が必要になるだけで。

またそれらが本当に好きならそれらを提供することを仕事にして人に貢献しながら自らが楽しむこともできます。でもあなたはそれを選択肢として考えないのはなぜでしょうか?つまり、あなたはなぜ本当にやりたい仕事で自己実現(=愛を実現)しようとしないのでしょうか?自分が本当にやりたいことを通じて人の役に立ちたいと思いませんか?そんなことをしても稼げない・そんな自信はない・そんなことは綺麗事だ・・・などと考えているのでしょうか?だとしたらそれはやはり他者評価依存による自尊心の低さ・自信のなさが原因なのだと思います。

もう一度言いますが、あなたの価値はあなたの存在そのものにあるのです。あなたがどんな考え・行動を選択するか、いくら稼げるか、どれだけ他人から評価されるかは関係ありません。もっと自分を許し、愛し、真の自尊心を手に入れて下さい。そうすれば世間・他人がどう思うかから離れて本当に自分が納得できる決断を下すことができるようになりますから。この辺りの話は誰でも自信満々になれる方法をご参照下さい。


>男は稼いで結果出してなんぼという風にどこかで思っている自分もいまして、これについてはどう思いますでしょうか。

そのように思っているのはあなたの世界観ゆえであり、多くの人の常識でもあるのでしょうけども、僕は全くそのようには思いません。みんながそんな風に考えて「稼げない男は情けない」などと見下し、同時に貧困によって見下されることを恐れるから、お金の為に嫌な仕事で奴隷のように働かなければならなくなるのでしょう。

僕は存在するだけで無条件で尊敬することを心がけていますし、誇りを持ちながら幸せな乞食生活を経験しているので、貧困など全く恐れませんし、お金のために嘘や隠し事で人を騙して自己利益に繋げようなんて全く考えません。そんなことをすれば自分で自分を嫌いになってしまいますから、そんなに損なことはありません。そんな風にして稼いだお金と、人に喜んで貰って感謝の気持ちでいただくお金とでは同じように見えても価値が全く違うと思いますし。

他人よりお金を稼がないと自尊心を保てないという考え方では不幸になるのが必至だと思います。あなたはそうしてエゴ(我欲・保身・虚栄)のためにお金をキリなく求め、そのために社会・他人の利益に反することをして、そのせいでどんどん自分を嫌いになって、あなたの心は悲鳴を上げているのでしょう。


あなたはその他大勢のNPC同様、この世の幻の如き物質主義的な価値観に捉われ過ぎているのだと思います。しかしそれは成長課題なのであって、乗り越えて行くべきものなのだと思います。

あなたの言う「結果」って何ですか?お金?他者評価?そこに何の価値があるのですか?もしあなたが今死んだらそれらは全部失われて、ただ「自分で自分を嫌う魂」だけが取り残されてしまうのですよ?

結局、信心がないことが一番の問題で、それゆえに「自分はお金がなければ自尊心が保てず確実に不幸になる」と考えて必然的に拝金主義(悪魔崇拝)になり、キリなく稼ぎ続けなければならなくなって、心に愛を失い、自分自身も人生も嫌になってしまうのでしょう。それは魂の成長に必要な人生のトラップなのです。神とお金の両方に仕える事はできない、というのはキリストの語った通りです。


>どの手段が最適かご意見をいただきたく存じます。

今すぐに仕事を辞める必要はないと僕は思います。なぜなら覚悟が決まっている感じがしないからです。もし覚悟が決まっていれば、他の選択肢は実質的になくなっていて他人に意見を求めるまでもなくなっているものなのです。

そしてそのぐらいに覚悟を決めるためには、その前に逃げることなく自分自身と向き合う過程が必須なんですね。それなしに覚悟なんて決まるわけがないですし、覚悟が決まっていれば、どうすべきかはもう自明なのです。逆に先に書いたように、決して自分で魂レベルで納得できていない考え方に無理やり自分を従わせようとしないで下さいね。人生が自分のものではなくなってしまいますから。

だから「目の前のことを一生懸命全力でやる」というのは基本なんですけども、さりとて残業代で稼ぐためにプライベートの時間を犠牲にし、自分と向き合うことから逃げるために今の仕事に埋没し過ぎないで下さいね。

人は成長を経験するために生まれてくるのですから、ラクをするための苦労は報われない定めです。どっちにしろ苦労するのなら、好きなことで苦労した方が楽しく幸せに成長できます。能動的に苦労するのと受動的に苦労するのとどちらが楽しく成長できるかは自明だと思います。人生は愛と勇気を試すRPGなんですから、より愛と勇気が必要な方が正解なんじゃないかと思います。

今の僕はあなたの問いに対して明確な答えを持っていますが、それはあくまで僕が経験から得た僕の答えであり、もしあなたがそれに影響されて心から納得できてないまま決断を下すなら、僕はせっかく天からあなたに与えられた経験を邪魔して自由意志の価値を下げてしまったことになってしまうでしょう。

僕はあなたに、例え相手が誰であれ「他人がどういうか?他人からからどう思われるか?」によって自分の人生の決断を下して欲しくないのです。自分なりにたくさん失敗して、たくさん悩んで、たくさん試行錯誤して、魂レベルで納得しながら前に進んで下さい。

それでは、あなたの悟り・幸せを心から祈っています。






2025年2月14日金曜日

双極性障害など

【質問】30代・男性 ペンネーム:つる  無職 双極性障害 生活保護

突然のご連絡失礼いたします。私は現在、グループホームに住んでおり、生活保護を受けながら生活しています。双極性障害を患っており、過去にはいくつかの困難な経験がありました。借金を抱えたり、宗教に没頭したり、ネットワークビジネスや自己啓発に強く影響される時期がありました。介護福祉士として人との交流が好きだったのですが、ある日、酒と睡眠薬を摂取したことで飛び降り未遂を起こし、その後、仕事を辞めて生活保護を受けるようになりました。金銭的にも非常に苦しい状況で、部屋も片付けられず、ゴミ屋敷のようになってしまいました。

現在のグループホームに住み始めてから約7年が経ちました。しかし、スタッフとの関係があまり良好ではなく、些細な行動や仕草が気になり、イライラしてしまいます。そのせいで仕事にも集中できずに困っています。

私としては、このような状況は自分のカルマとして受け入れ、好かれようとせず、淡々と生活した方が良いのか、それとも前の行動が今に影響しているのかについて、ご助言をいただければと思います。

どうか、よろしくお願いいたします。

【回答】
ご質問ありがとうございます。とてもお辛い状況のようで、心より同情申し上げます。

私としては、このような状況は自分のカルマとして受け入れ、好かれようとせず、淡々と生活した方が良いのか、それとも前の行動が今に影響しているのかについて、ご助言をいただければと思います。

恐らくあなたはカルマというものを前世から背負った罪や今生の罪に対する罰のように考え、ただただ粛々と受け入れなければいけないもののように思い込んでいる感じがしますが、そうではないのです。悪いカルマの解消法」「カルマの良化法をよく読んでいただけると幸いです。僕たちは魂の成長のために生まれてきているのであり、カルマというのはその成長に必要だからこそ与えられている課題なのです。そしてこの世界は苦難を乗り越えず・成長せずに幸せになれるようには創られていないのです。あなたはとても重いカルマ(課題)を抱えておいでのようですが、重いカルマ(課題)というのはレベルの高い魂にこそ与えられるものなのです。そしてカルマ(課題)というものは重ければ重いほど、乗り越えた時に感じられる幸せも大きいのです。

僕らは成長を経験するために生まれてきたのであり、成長すればするほど幸せを感じられるように自分も世界も創られているのです。辛いことを「罰を受け入れること」のように考えてただ我慢するというのはカルマ(課題)の先送りであり、それはどんどん雪だるま式に大きくなっていってしまうものなのです。

創造主というのは、あなたが生まれた時から行動だけでなく心の中まですべてを見てすべてをわかった上で完全に情状を酌量してくれていますから、決して自分を他人と比べることなく、今よりほんの少しずつでも成長を続け、ほんの少しずつでも幸せを感じられるようになって下さいね。

きっと他者比較によって自尊心が下がり、不幸な経験から被害者意識に陥っているのではないかとお察ししますが、あなたは全知全能である創造主の代理として(プレイヤー・主人公として)人生を経験しているのであり、ちゃんと理由があって全力の愛によって存在させられているのだということをどうか信じて、忘れないで下さい。

あなたのカルマ(課題)が具体的にどのようなものか僕にはわかりませんし、そもそもカルマ(課題)というのは、自分の人生のテーマを構成するものでもあって、「あなたの人生のカルマ(テーマ)はこれです」と他人から直接教えられるようなものではなく、最終的には自分で判断しなければならないのです。あなたの人生はあなたの芸術作品なのですから。

人生というのはすべからく自分次第に創られているので、あなたが今のような状況になっているのはあなたに原因があるのです。だからといって自分で自分を責めることはありません。それは「反省してはいけない」に書いた通りです。

いつも言っていることですが、バイオハザードでゾンビが出てくるのは主人公が悪いからではありません。だからといってゾンビやゾンビウイルスを作ったアンブレラ社やゲームそのものを作ったカプコンを責めてもゲームは進みません。今の困難の原因が自分であろうと他人であろうと結局それは天から与えられた課題であることに変わりはなく、目の前の課題を一つ一つクリアして自分のゲーム(人生)を前に進めるしかないのです。あなたにはあなただけに与えらたオリジナルのシナリオがあるのであり、違うシナリオのゲームをしている他人とその進捗を比べる必要はなく、自分がプレイヤー(主人公)の人生というRPGの成長過程を楽しめればそれで良いのです。

「全ての問題の原因が自分にある」というのはとてもありがたいことで、自分に原因があるからこそ自分次第で状況を打開できるのであり、自分が変われば全てが変わるのです。逆にもし問題の原因が自分以外にあるのならどうしようもありません。この世界は直接的に他人を変えることはできないように創られているのですから。そしてすべての問題の原因は究極「(自他に対する)愛の不足」にあるのであり、すべての解決策は「愛」なのだと知って下さい。

「人から好かれようとする」のではなく、あなたが出会った一人ひとりを無条件で愛せるように努力して下さいね。誰でも自信満々になれる方法に書いた通り、あなた側があくまでも相手を愛し抜く覚悟を持つなら、人から嫌われることを恐れてビクビクし、相手の顔色を伺ってどんな態度・対応をするかあれこれと思い悩み、相手から好かれるために自分を偽ったりする必要はないのです。

>過去にはいくつかの困難な経験がありました。借金を抱えたり、宗教に没頭したり、ネットワークビジネスや自己啓発に強く影響される時期がありました。

そのような類のものにハマってしまったのは、あなたの中にいくつもある人格(霊的意思)の中で、エゴの強い人格(霊的意思)に主導されていたからでしょう。どうか愛(慈愛)に目覚めて下さいね。そのために仏教の六波羅蜜を行じてみて下さい。そうして毎日少しずつ自分のエゴより愛を優先する体験を増やしていって下さい。そうすれば段々と自分を好きになっていきます。世界の本質はワンネスであり、エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、人は損をしても得をしてもダメージを受けるようにできているのです。だから逆に損得勘定抜きで愛を発揮する経験を重ねることが、自己嫌悪心・厭世観を克服するカギになるのです。


>介護福祉士として人との交流が好きだったのですが、

この一文だけでも、本来のあなたはとても素晴らしい人なのだとわかります。介護福祉士はきっとあなたの天職なのではないでしょうか?ぜひ復帰を目指して下さいね。そして自分の生活・お金のためではなく、純粋に感謝報恩・奉仕の気持ちで頑張って下さい。その点についてはお金の時代の終らせ方の新六波羅蜜をご参照下さい。


>ある日、酒と睡眠薬を摂取したことで飛び降り未遂を起こし、

それはきっとあなたが深層心理に(普段意識していなくても)自己嫌悪心と厭世観が強くあったからでしょう。自殺するとどうなるか?に書いた通り、自殺というのは問題解決の手段の一つとして考えるだけで、そこに導かれるというペナルティーがあるのです。人生を与えられているということ自体に感謝がないということは、人生を与えた創造主にとって一番悲しいことだからです。

心の病というのは基本的に自尊心の病であり、心を病んでいる人というのは「自分は自分のものだから、どのように扱っても構わない」かのような(創造主視点で見ると)とても不遜な考え方をしているために、自分イジメが趣味になっていて、誰にでもあるような欠点や過ち・罪や恥を許せなくなっているものなのです。罪と恥の存在意義に書いたように、どうか己が抱えた罪や恥の分だけ、他人を許し愛せる人になって下さいね。すべての存在の根源である創造主からすれば、あなたが自分をイジメるのは右手が左手をイジメるようなものなのです。つまりあなたが自分を愛さないのも、他人や世界を愛さないのも、創造主を愛さないのと同じことであり、それは必ず自分自身に返って来て、まるで運命に愛されずに呪われているように不幸が続いてしまうのは当然のことなのです。どうか自分と他人の愛し方を読んで、もっと自分も他人も許し愛せるようになって下さいね。

あなたはまだ今までの己の不幸に対して被害者意識を持っている段階にあるような感じがします。自分に与えられた人や出来事との出会い・才能を愛そう・成長しようとせずに、幸せな人生を自ら拒否してその難易度を上げて来たのに、被害者意識で人生に不平不満を持って嘆いていていれば、ますます悪い方向に導かれてしまいます。因果というのは時空を超えて循環するものであり、その被害者意識が自分に不幸をもたらしているのだということに気づいて下さい(僕のかつての人生もまさにそのようでした)。ほんの少しずつでも自分も他人もみんなを許して愛し、生まれたことに心から感謝できるようになれば、存在のすべてから自然と(必然的に)愛が返って来るようになってきます。このあたりの話は人の価値とは?に書きました。

他人と比べてより素晴らしいものが与えられていなければ感謝できないという人の感謝には何の価値もありません。とても難しいこととは思いますが、どんな困難も成長を願って与えられているものだと気づいて、今を生かせて貰えていることに感謝してみて下さい。きっと人生が劇的に良い方向に変わりますから。

僕らは成長するために生まれてきているので、ずっと苦労を続ける宿命です。どうか与えられた困難を恨みで返さないで下さいね。困難を乗り越えて成長し続ける過程にこそ幸せがあるのであり、困難にただ打ちひしがれて成長せずに落ちていく一方みたいな人生が幸せなわけはないのです。スポーツなどのトレーニングと同じで苦労というのはまず主体的に受け入れ、更に能動的にしていくからこそ楽しめるものであり、やってくる苦労を受動的にするのみで「この苦労は誰のせいだろうか?」「この苦しみはいつ終わるのだろうか?」なんて考えていたら楽しめるわけがないのです。


>スタッフとの関係があまり良好ではなく、些細な行動や仕草が気になり、イライラしてしまいます。そのせいで仕事にも集中できずに困っています。

それはあなた自身(主人格)の性格ではなく、霊障がもたらす負の性格なのです。あなたの状況から察するに、霊的な問題がとても大きいように思えます。双極性障害というのも、複数ある意識をうまく統括できなくなるから起きるものであり、端的に言って霊障が原因なのです。憑依現象(霊障)についてを読んでみて下さいね。あなたを不幸に引きずりおろそうとする悪霊に同情し、一緒に成長することで成仏させてあげて下さい。脳内の様々な人格とうまくやる方法については、ネドじゅんさんの本をおススメします。

そして「浄霊」を受けてみることをお勧めします。僕はどこの宗教にも属しておらず、どこにも勧誘するつもりはありませんし、あなたが縁を感じるところから通い始めれば良いと思うのですが、あなたは「(悪い)宗教にハマっていた」と書いていて、変なところに導かれてしまう人なのかも知れないので、通おうとしている宗教がどこかを事前に僕に知らせて下さいね。詐欺要素の強い宗教に通って歪んだ信仰心を持つと信仰心を全く持たないよりもかえって良くない運命に導かれてしまいますから。そしてどうかどこの信者にもならずに(依存せずに)、淡々と日々浄霊を受けてみて下さい。最初は効果が感じられなくても、日課にして1~2か月は続けてみて下さい。そしてお題目口唱をお勧めします。毎日できるだけたくさん「南無妙法蓮華経」と唱えてみて下さい。日蓮系のお寺に通ってみるのも良いかと思います。きっと良い導きがあるかと思います。

あなたはとても酷な状況にいて、あまり他人の話を聞き入れられる状況じゃないかも知れませんが、あなたが自分自身への愛・他人への愛・創造主と神仏への愛を大事にして、今の状況を脱して幸せに導かれますよう、心からお祈りしております。

2025年1月11日土曜日

執着の乗り越え方

【質問】50代・女性 ペンネーム:aisha.ykato

はじめまして、noteの記事を大変興味深く読ませていただきました。

数年前にネットで確かスピリチュアル系の検索をしていたときに、こちらにたどり着いたのですが、そのときは難し過ぎて正直なところ読む気が起きず、ただなぜかページを保存だけしていました。それがつい先月に再度気になって読んだところ、まさに自分が必要としていた内容ばかりでした。本当に不思議です。今まで読んだどの本よりも気づきと共感と感銘を覚えました。そして質問や相談を無料で受け付けられていることもお金のない社会を実践されていることを尊敬します。(バシャールなど今まで色々な方々の考え方にも深く共感しましたが、結局はあまりの高額な料金に、やっぱりお金なんだ…と違和感を感じてしまいます)

貴重な智慧を共有してくださり、本当にありがとうございます。お蔭で人生観が変わりました。(インスタのフォローバックもありがとうございます!)

宇宙の仕組み(仮想現実と創造主)をはじめとし、全ての記事を読ませていただきました。まだ私には理解に難しい部分があり、何度も読み返しているところです。近い将来出版されることを心から願っています。

私も縁あって出会った全ての人を例外なく愛し大切にし、損得 (give and take)ではなく、見返りを求めず奉仕する人でありたいです。そして、周りの苦しんでいる人たちをポジティブな方向へサポートできるよう、真理を学び続けたいです。

さて、いくつか質問させていただきたいことがあります。

もしお返事いただけますと大変ありがたいです。

1. 霊障と許しについて
-人は複数の霊の集合体で、ネガティブな霊に支配されないよう、愛と勇気を持って突き進む(感謝し成長する)ことが大切だと理解しましたが、主人格の霊=自己意識とそれ以外の複数の霊たちとの違いとは何なのでしょうか?自分の意識=主人格は一つでたとえ死を迎えて肉体を持たなくても、自分の意識は消えることなく永遠に存在し続けると思っていましたが、複数の霊から成り立っているとなると、どれが自分の本当の意識なのでしょうか?(私は肉体は主人格の霊のみで成り立っており、あくまで外部の霊によってネガティブ/ポジティブな影響を受けているのかと思っていました)

-霊障によってネガティブな行いをしてしまったのかもしれませんが、自分の過ちを許すことは、責任転嫁や自分を甘やかすことのように感じて逆に罪悪感が増しますし、きっと相手からもさらに恨まれてしまうと思います。相手への誠意も持ちながら(怒らせずに)自分を許すことはできるのでしょうか。

離婚相手に対し、ずっと被害者意識と怒りを持っていましたが、なぜか少し前から、あの死にそうにつらいことがあったお蔭で、自分が成長して逞しくなって、周囲にも優しくなり、子どもたちとも一緒にいられることも当たり前ではなく、有難い気持ちで心から喜びを感じられたり、女性一人で子ども二人連れて中東に行き、切磋琢磨して何とかやっていける逞しい自分になれたことを、逆に感謝しないといけないと思えるようになったのです。

それに輪をかけて、Shinyaさんの記事を読んで、私が主人公のRPGで私を成長させてくれるために、自ら悪役を買って出てくれたことに、本当にありがとうと思えるようになりました。(思えなくなるときもまだありますが…)一方で、どんな理由があるにしても、結果的に私が子ども二人を連れて彼の元を去ってしまったことで、今もつらい思いをさせていることへの申し訳ない気持ちと罪悪感は変わらないのですが…

2. 捨てることについて
ブッダの教えで、覚るには、とにかく捨てることが大切だと知りました。最後は自分の存在の実感すらも。自分という気持ちも。モノに価値はなく捨てるに値すると頭では理解していますが、どうしてもまだ好きな洋服を買ったりと、物欲が強く、自分を飾ったりすることがやめられません。常に何かを得ようとしてしまいます。また、仕事でも、もっと自分が向上したい、貢献したいという気持ちが強く、これらも捨てるべきなのでしょうか。

リクエストしたい記事
-執着の手放しかた
お金や地位、物への執着が、心の平穏を失い、しあわせから遠ざかることだと頭では理解していますが、それらを欲する気持ちをどのようにコントロールし手放すか具体的な方法があれば教えていただきたいです。

-夢について
なぜ人は眠っている間に夢を見るのでしょうか?その真意は何なのでしょうか?

また、夢が自分の意識が作り出す連続性のあるもう一つの世界に感じて仕方がありません。見える景色、場所、状況や感触があまりにリアルで、ただの自分の作り話とは思えないからです。夢から気付きをもらうこともあります、夢の意味についてもっと知りたいです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。最初からこのような長文でご質問やリクエストをさせていただき恐縮ですが、可能な範囲でお答えいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

【回答】
ご質問ありがとうございます。noteを読んでいただいてとても嬉しいです。僕も文章が長い方ですし、質問文も長い方が事情が良くわかって助かります。

>バシャールなど今まで色々な方々の考え方にも深く共感しましたが、結局はあまりの高額な料金に、やっぱりお金なんだ…と違和感を感じてしまいます。

ホントですね。もちろん金を欲しがっているのはバシャール自身ではなく、それを自己利益のために利用しようとしている人たちなのでしょうけども。その点については他の宗教・スピに関しても同じですね。我々と別次元にいる意識たち(神仏・宇宙人)がこの次元のお金を欲しがるわけがありません。例えどんなに良い事を言っていたとしても、大金を要求したり何かを強要してくるような人には近づかないことです。お金を貰わないと救わないという人が本物のわけありません。そしてお金を払って自分だけ救われようなどと考えるような魂では次元上昇などできるわけがありません。バシャールは「ワクワクに従って生きる」なんてもっともらしいことを言ってますが、そのワクワクがエゴの期待であれば不幸に導かれるのが必然であり、人生というRPGのトラップなのです。それは引き寄せの法則の真実に書いた通りです。


>全ての記事を読ませていただきました。まだ私には理解に難しい部分があり、何度も読み返しているところです。

何度も読んでいただけているとのことで、大変光栄です。

僕の書いていることの多くは、理解が難しいというよりも、受け入れるのが難しいんだと思います。人間に初期設定されている常識(思い込み)に反する内容ですから。人はそれぞれ「自分の考えは正しい」と思って生きていて、それに反する内容を受け入れようとするとプライドが傷ついてしまうので、心が拒否してしまうのは自然なことなのです。ましてあなたには50年以上にも渡って強固に築き上げてきたあなたの常識(思い込み)があるわけですから、難しいのは当然です。

みんな人生というRPGのプレイヤーですから、他人から答えを教えられると、心が反発するように人間は創られているのです。みんな自分なりに失敗と試行錯誤を繰り返して自分なりに納得しながら前に進まないと、人生を生きる意味がないのです。

>周りの苦しんでいる人たちをポジティブな方向へサポートできるよう、真理を学び続けたいです。

その思いこそが菩提心なのであり、それはとても尊いもので、あなたが心からそう思うきっかけに僕がなれたとしたらとても嬉しいです。ただ僕らは経験して理解するために生まれてきていて、真理というのは経験を通じないと深くは理解できないものなのです。もし真理が経験もなく文章を読むだけで理解できるものであったら、人生に意味はなくなります。

だから僕が伝えようとしている真理も、現段階でまだよく理解できていなくても、あなたなりに実践し経験を積む中で腑に落ちて理解して幸せになって欲しいのです。僕の記事の内容を信じて実践したからといって、僕からお金を請求されたりどこかの団体に勧誘されたりするわけじゃありませんし、得るものはあっても失うものは何もありませんから、まだ半信半疑であっても実践していただけると幸いです。きっと真理を覚って幸せな人生に導かれると思います。

信じる信じないの基準に書いた通り、真理というのは「それによって自分もみんなも幸せになるかどうか」でわかります。しかしそれは実践してみなければわからないものなのです。僕の記事の内容を「書いてあることは素晴らしいけど、自分にはまだ難しくてできない」と考えて実践しないのでは何にもなりませんし、それではいつまでも本当の意味で理解できるようにはならないのです。僕は記事の内容を読者から褒められたいのではなく、読者に内容を実践して幸せになって欲しいのです。


真理は実践しなければ本当の意味では理解できないものであり、またそれは100%完璧にできるものではないからこそ、我々は実践し(改善し)続けることで終生成長し続けることができるのです。もちろん僕自身も成長を目指している過程であって、他人様に言うだけのことはやってますが、完璧にできているわけでは全然ありません。あくまでベクトルを真理の方向に向けながら実践し成長し続けることが大事なのです。

>主人格の霊=自己意識とそれ以外の複数の霊たちとの違いとは何なのでしょうか?自分の意識=主人格は一つでたとえ死を迎えて肉体を持たなくても、自分の意識は消えることなく永遠に存在し続けると思っていましたが、複数の霊から成り立っているとなると、どれが自分の本当の意識なのでしょうか?(私は肉体は主人格の霊のみで成り立っており、あくまで外部の霊によってネガティブ/ポジティブな影響を受けているのかと思っていました)

いきなり高度な話をすると面食らうかと思いますが、本来的に世界はワンネスなのであり、本当は「自分」と「他者(外)」という境界線は存在しないのです。我々は初期設定で与えられている「分離意識」によって「自分」と「他者(外)」が別なものだと思わされているだけで、本来的には全てが一つなのです。

あなたが認識できるすべての存在があなた自身の反映なのであり、本当のあなた(統合意識・創造主意識)の内側のものだということです。だから霊障というのも人間からすれば「外」から貰ってくるように思えても、単にそれは創造主が物語上そう見せているだけで、本当はそうではないということです。人生という「自分をプレイヤー(主人公)とするRPG」は、ゲーム全体が自分自身なのであり、そのゲームの外側から貰って来る存在など有り得ません。ゲームの中の全ての存在・事象にはきちんとシナリオ上の意味があって、それはクリエイターからの愛によって自分に与えられているのです。

「一霊四魂」という言葉があるように、主人格(直霊なおひ)と他の人格(四魂・それぞれに役割がある)は不即不離であり、いわば同一のものなのです。

そして低我(エゴ)・霊障による邪念の揺さぶりに負けないように、自分の愛を実践し哲学を積み上げていくことが魂の成長なのです。人生が与えられているということは、そのようにして「自分はどういう存在か?」というのを更新(成長)できる機会を与えられているということなのです。

本来我々(本当の自分)は光(智慧)そのもののような存在であり、思念・概念的な存在なのです。ただそのままでは何も経験できず、成長もできず、「自分とはどういう存在か?」を更新できません。しかし我々はこの物理世界において、肉体と共に無明の闇(愚かさ、霊的・魂的穢れ)を与えられることで「経験・成長機会」が与えられ、自分という存在を更新する機会を与えられているのです。

それ自体がとてもありがたいことなのであり、我々はそれを心から願って生まれて来たのですけども、それも無明の闇に隠されているがゆえに、わずかに思い出すことさえ困難なのです。そうして人は往々にして他人と比べて自分に与えられていないものを嘆き、人生が自分次第に創られていることにも気づかず、容易に被害者意識に飲み込まれて魂の成長を怠り、霊障を成仏させることができずに振り回され、不幸に導かれてしまうのです(だから難易度が高いのです)。

我々に与えられた無明(愚かさ・成長課題・カルマ)の最たるものが霊障であり、それが我々に愚かさ、霊的・魂的穢れとしてネガティブな方向に導く役割があって、それを乗り越えていくところに魂の成長があるということです。そしてそれが人生というRPGの設定の核なのです。このあたりの話は概ね憑依現象(霊障)について」「浄霊の効果の高めるには?などでご説明させていただいています。

霊障(霊的・魂的穢れ)は人生におけるカルマ(課題・シナリオ)を構成しているものであり、いわば映画フィルムのカラーのようなもので'す。そして魂というのは映写機の光のようなものであり、映すフィルムにカラー(カルマ)がなければ人生という物語は成立しないのです。しかしもし霊障をただ放ったらかしにしてカルマに振り回されてばかりいたら、人生は無明の闇に飲み込まれ、魂が成長せず、物語が悲劇にしかなりません。我々は魂を磨き続ける(無明・霊障を浄化し続ける・カルマを乗り越え続ける・愛に生きる)ことで、人生という「自分が主人公の映画」を色鮮やかで素敵な物語にしていくことができるのです。

霊的な穢れというのはあなた自身のシャドウであり、それはがん細胞のようなもので、外からやって来た異物ではなく、自分自身の一部なのです。霊障の因が自分自身にあると認めて許さず・愛さず・自己成長しようとせず、「これは外からもらったものであって自分ではない」と否定し、無理やり排除しようとすることで霊障は人格化(シャドウ化)し、「否定されたくない」と余計に猛威を奮うのです。このあたりの話は同じ過ちを繰り返してしまうをご参照下さい。

悪いことの因が自分自身にあると認めるということは、自分を責めるということではありません。それは成長課題なのであり、ネガティブな霊障がさせたことも自分の一部であると認め・許し・愛し、一緒に成仏することが大事なのです。本当は全てが創造主が我々に経験を積ませるためにさせたことなのですが、自分の悪業を自分で悔い改めることによって、本当の意味で「自由意志」という宝物を受け取れるのです。

創造主というのは全知全能かつ存在の全てであり、そのままでは経験ができないため、我々を通じて経験を積んでいるのです。彼は我々の全てを見て知っているのですから、完璧に情状酌量してくれていて、悔い改めればどんな罪も許してくれます。しかし「自分は悪くない」と自分の悪業を誰かのせいにして自己正当化していては、許しようがないのです。

>霊障によってネガティブな行いをしてしまったのかもしれませんが、自分の過ちを許すことは、責任転嫁や自分を甘やかすことのように感じて逆に罪悪感が増しますし、きっと相手からもさらに恨まれてしまうと思います。

それはあなたにまだ他人を責めたい気持ちがあるから、自分を許すことができないのでしょう。人間関係は完全に鏡なのです。

ただ単に他人に責任を転嫁して自分だけが許されよう・罪悪感から逃れよう・救われようとすれば、当然うまくいきません。それは「蜘蛛の糸」のカンダタそのものです。世界の本質はワンネスなのであり、自分と他人は同時に許さなければ許せないものなのです。答えはいつでも「誰も何も悪くないけど、自分が何とか(成長)しなければどうにもならない」です。


バイオハザードでゾンビが出てくるのはプレイヤー(主人公)の自分が悪いからではありません。それは
ゲームのシナリオ・初期設定・課題なのであり、ゾンビの存在を否定したり、ゾンビウイルスを作ったアンブレラ社やゲームそのものを作ったカプコンを責めてもゲームは前に進みません。精神病(霊障)もそれと同じで、誰のことも責めることなく、日々粛々と自分の課題として乗り越え続け、成長し続けていかなくてはならないのです。


どうか罪悪感によって自分自身を嫌悪しながら罰して不幸になることで相手の懲罰感情を満たそうなどと考えないで下さい。自他を許し・愛し・幸せにできる人間に成長していくことで贖罪をして下さい。

反省してはいけないは読者からかなりの割合で誤読されているのですが、罪悪感を感じる相手には創造主の代理として誠心誠意謝って下さい。人は自分を責める気持ちが強いからこそ、責められたくなくて素直に謝れないものなのです。そしてただ単に自己正当化するばかりで、誰かに責任転嫁するような考え方が前面に出ていれば、相手の心も自分の心も反発するのは当然です。エゴ同士というのは反発するのが必然なのですからね。例え相手に許されなかったとしても、罪悪感・贖罪意識があることを相手に伝えられれば、何の謝罪もしないよりはずっと良いのです。こちらが謝罪・贖罪した上で相手がこちらを許せるかどうかは相手側の課題ですしね。そして罪と恥の存在意義に書いたように、どうか自分が背負った罪悪感の分だけ心から人を許し愛せるようになって下さいね。

そのように自分も罪を抱えているのにも関わらず、自分を害した相手に対して自分を「無辜の被害者」のような立場に置き、上から目線で相手を「しょうがないから許してやろう」などと考えても、それは本当の意味での「許し」にはならず、心の中では自分の罪の相対化のために相手を責め、それをただ表面上我慢しているだけなので、その我慢はマグマのように蓄積していつか爆発するのが自明なのです。

我々の魂は同源・同一のもの(ワンネス)であり、相手と全く同じ条件で生まれていたら相手と完全に同じ人間になっているのです。だから本当の意味で「許す」というのは、相手を自分自身(の過去世・未来世)のように考え、目線を完全に同じにし、「相手も自分と同じように止むに止まれぬ事情があってこうなっているのだから仕方がない」と相手も自分自身も許して愛することが大事なのです。とても「忍耐」の要ることですが、それはただ「我慢」するということとは次元が違うのです。

相手の非に思えることも、あくまでクリエイターがあなたの魂の成長に必要だから、その相手との出会いを通じてもたらされているものであり、それは常に愛によって与えられているのですから、愛によって解釈し、感謝しながら成長につなげていくことが大事なのです。もちろんそれはとても高度なことであり、僕自身も実際の人間関係の中では容易に忘れてしまいます。それは死ぬまで続く戦いなのです。

>離婚相手に対し、ずっと被害者意識と怒りを持っていましたが、

あなたのご離婚については詳細が書かれていないので何があったのか知る由もありませんが、離婚についてもご参照いただけると幸いです。相手のせいだと考えているうちは、許そうと思っても本当の許しにはなりませんし、自分の成長にはつながらないのです。

人間関係は鏡であり、他人はみんな別な配役で生まれた自分自身のようなものです。だから他人とうまくいかない人というのは、まず自分自身と上手くやれていないんですね。自分の中にあるネガティブな霊的意思(シャドウ)とも、幼く純粋な霊的意思(インナーチャイルド=愛し愛されたいという純粋な思い)ともうまくやれるようにならなくてはなりません。そこはやはり同じ過ちを繰り返してしまうをご参照下さい。

>モノに価値はなく捨てるに値すると頭では理解していますが、どうしてもまだ好きな洋服を買ったりと、物欲が強く、自分を飾ったりすることがやめられません。常に何かを得ようとしてしまいます。また、仕事でも、もっと自分が向上したい、貢献したいという気持ちが強く、これらも捨てるべきなのでしょうか。

エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、悟りの道というのはエゴ(我欲)を無理に失くそうとすることではなく、エゴ(我欲)より愛(思いやり)を優先しようと常に努力し続けることなのです。

僕は「仕事での向上心や社会に貢献したいという気持ちを捨てるべき」なんてことは全然言ってませんし、そのように思われているのなら全くの誤解です。問題はあなた自身がそれを「捨てなければ」と思ってしまうほどに、己のエゴ(競争心・他者評価依存・執着)によって心が「苦しい」と感じていることです。

あなたの質問文全体を通じて感じられることは、まだ分離意識がとても強固なことです(人間の基本設定ですから当たり前ですが)。それによって競争心と他者評価依存が強いままで、とても勝ち気で負けず嫌いな感じがします。そして魂の成長というのは収入・社会的成功・他者評価とは無関係のものなのに、それさえも「誰か他人から評価されること」を価値としていて、すべてを見ている創造主ではなく他人からの評価を求めてアピールしている段階にあるような感じがします。だから苦しいのでしょう。

世の殆どの人にとっては分離意識を外して考えてみるということが全く思考の外にあって、この世界が仮想現実(魂成長のプログラム)だということも、自分自身が主人公なのだということも、まだ本当の意味では受け入れられないのでしょう。もちろん人間それが普通なんですけど、その普通(常識・思い込み・NPC意識)を乗り越えないと物語の主人公にはなれないのです。「別に主人公になどなれなくていい」と思うのかも知れませんが、そのようなNPC意識のままでは成長できず、悟り(本当の幸せ)には辿り着きようがないのです。

世間では多くの人が自分を他人と比べて「他人から評価されなければ価値はない」と深い部分で確信的に思い込んでいて、それが社会的に常識化し、それを外側から「異常である」と認識することさえできなくなっているのであり、それは社会病理なのです。そしてそれが「金・モノ・評価」への執着を生んで、愛よりエゴを優先するのが当たり前になっているのです。そして富や権力を他人にアピールして振りかざしたり、またそれができないからと卑屈になって「(誰かと比べて)自分は恵まれていない」と被害者意識を持ってしまうようになるのです。他者評価依存・被害者意識というのは人を不幸に導く(乗り越えるべき)人生のトラップなのであって、その意識を乗り越えて心から感謝できるようになっていかなければならないのです。感謝=幸せなのですから。

ほんの一部しか見ていない他人からの評価なんて本当にいい加減なものですし、人それぞれの考え方・性格や気分などによって左右される儚いものです。全ての面において他人より優れていて、他人から一生評価され続けるなんてことはありえませんし、そもそも世の中は自分を評価しない人・関心さえ持たない人・直接知り合うことさえない人がほとんどなのであり、外見や能力もいずれ衰え損なわれていくものですから、他者評価に依存する限り、人は絶対に幸せにはなりようがないのです。

分離意識・競争心・他者評価依存で生きると苦しいのは当たり前のことです。実に多くの人が自尊心を維持しようとするために能力や実績や主張の正しさによって自分がいかに周囲より優れているかを示そうとして周囲から嫌われ、孤独で幸せではないのに見栄のために幸せを装い、自分の間違いを自分で認めることを傷つくことだと捉えているがゆえに成長から遠ざかっているのです。そしてそれこそが不幸の原因(成長拒否)なのです。そもそも成長の目標というのを富と名声(他者評価)に置いていて、魂の成長には置いていないのでしょう。魂の成長プログラムである人生において、魂の成長と逆行する要素というのは不幸に導かれるのが必然なのです。

せっかくの仕事における向上心や貢献したいという気持ちも、動機にモノや実績や権力など何かを得ることによって自尊心を満たそうとするエゴが強くあると、そこに見栄・執着が生まれ、また過ちや欠点を自分で認められずに隠すようになって魂的な成長が難しくなりますし、結局手に入らないもの・失うものばかりで焦燥感が生まれて自尊心が下がり、心に愛を失って他人とうまくいかくなり、幸せから遠ざかってしまうものなのです。

世界の本質はワンネスですから、人間は損をしても得をしても脳がダメージを受け、自分を嫌いになって鬱になるように創られているのです(科学的に証明されています)。ですから損得勘定で生きること自体がもう既に不幸なことなのです。しかし同時に人は得をすると快楽物質が出るように創られているために無自覚なエゴジャンキーと化してエゴに埋没し、その損得勘定・エゴを基軸とした思考と行動が自分も周囲も傷つけていることに気づけないのです。

殆どの日本人は「他者評価依存」の傾向が強く、それが執着を生み、ほぼすべての行動の動機を愛ではなくエゴにしてしまい、それを当たり前だと思って意識さえせず、心の奥底では自分も他人も嫌いになって鬱状態に陥っているのです。そしてそれこそがNPC意識(不幸の元凶)なのです。

本来的には、本当に腑に落ちて魂レベルで考え方が変われば、その魂を主として行動が変わります。しかし人間にとって執着から離れる(エゴによる情動に振り回されなくなる)というのはとても難しいことなので、行動(実践経験)によって自分自身を魂レベルで変えていく(エゴによる情動を愛に変えていく)という荒治療(修行)が必要なのです。だからこそ仏陀は「六波羅蜜」の実践を重んじたのです。

お金の時代の終わらせ方(新六波羅蜜)は是非繰り返し読んで実践していただけると幸いです。僕は決して仕事や財産を全部放り出すべきだとか無茶を言っているわけでは全然ありませんので、誤解しないで下さいね。執着を手放すには、エゴより愛を優先することであり、僕に言わせればそれは「新六波羅蜜」を実践することなのです。あなたがまだ執着が強いのだとしたら、それはまだエゴより愛を優先することの実践が足りないからなのだと思います。きっと僕が実践して欲しいと言っていることも「執着が強い今の自分には無理だ」「(頭で)悟れてから実践しよう」などと考え、後回しにして(拒否して)いるのでしょう。

この世で何かを物理的・権利的に手に入れようとしてばかりいても、手に入らないもの・失うモノばかりで悲しく虚しくなり、愛を失って周囲とぶつかってばかりになり、どんどん心が貧しくなってしまいます。物質的・権利的なものはすべて幻であり、次の人生に持ち越せるものは魂だけなのです。その魂を豊かにするためには、お金やモノや権利や他者評価を得ることではなく、己の心を愛で満たし、全てをありのままに愛し、それを行動に表すことです。それができれば全てがあなたの魂(仏国土)と一体化し、それは全てがあなたのものになったようなものなのです。そしてその真理に実践経験から気づいて心から納得して幸せになっていただきたいのです。

それと女性がより美しくあろうと努力すること自体は素晴らしいことなのですが、美(外見)や恋愛的・性的なことを生きる活力みたいにすることには年齢的な限界があり、あまりそこに執着が強いと歳をとるのがよりいっそう苦しくなり、不自然に老化に逆らうようになって無理が生じてストレスになり、他人にもストレスを与えて避けられ、自分を虐めて卑屈で孤独になり、諸々諦めることで活力を失くし、心身共により早く老けることになってしまうと思います。それこそエゴ(魂の成長拒否)による自滅なのです。

人は年配になるほど容姿や服装なんかよりも「人間性による本質的な美しさ」の方がより大事になってくるのです。それは生き様の反映なのですから、見栄を張ってわざわざアピールしなくても(しない方が)所作や言動の節々に表れるものなのです。もし不必要にたくさんの服を欲しがり、またブランド品みたいな高いモノを欲しがっているのであれば、それは他者評価を受けそうなものを身に着けることで他人から評価されて自尊心を上げようという意識(見栄)があるのではないかと思います。それはやはり他者評価依存なのであり、「魂の成長」「人間性による本質的な美しさ」とは逆行するものなのです。

そしてやはりエゴ同士というのはぶつかり合うものですから、表層意識では色々と見栄を張り合いつつも、深層心理ではお互いにそれを醜いと感じて深い部分でお互いを嫌いになってしまうのです。洋服などはあなた自身の価値とは何の関係もなく、そこに執着するほど心に愛を失って己の本当の価値を下げてしまいます。本当の価値が愛にあるという真理も、やはり実践経験から己の魂に学ばせ成長しなければならないのであって、頭だけで理解しようと思っても無理なのです。

どうか誰でも自信満々になれる方法に書かれていることを、頭だけで理解しようとせず、実践から魂に刻むようにして理解して下さい。自信・自尊心は幸せとイコールの存在であり、その自信・自尊心=幸せというのは「自分も他人も無条件で愛し抜く覚悟と実践」によってしかもたらされないものだと気づいて幸せになって下さいね。心からそう祈っています。


悟りとは何か?に書いた通り、悟りの道というのは競争じゃありませんし、他者比較・他者評価は関係ありません。あなたというプレイヤー(主人公)個人に与えられたシナリオ・設定があるのですから、他人とシナリオ・設定(能力)・経験・進捗などを比べる意味はなく、あなたが常に自分の現時点を基準として魂の成長を楽しみ続けられればそれで良いのです。創造主は全てを知っている存在で、完璧に情状を酌量してくれますから、信心を持って魂の成長さえ目指し続けていれば、後は何の心配も要らないのです。


執着を乗り越えるのに必要不可欠なものは「信心」だと僕は思います。あなたから信心について全く言及がないのは、恐らく多くの日本人が陥って常識化している「宗教嫌悪症」になっているからであり、宗教=怪しいもの・詐欺だと決めつけているからではないかと思います。そして信心を「どこかの宗教団体に所属すること=己の心の弱さから洗脳され、金を騙し取られること=負け」と勘違いしているのでしょう。そして創造主・神仏を心から信じていないからこそ、他者評価を価値として執着してしまっているのでしょう。

信心なくして「創造主・神仏から自分が主人公として今を生かされているということへの心からの感謝」など生まれようがありませんし、それなくして幸せになれるなどということもないのです。そして今を生かされているということへの信頼と感謝がなければ、いくら稼いでも不安がなくなることはなく、お金に執着せざるを得なくなります。そしてクリエイターと自分の存在に対して心から感謝できるように魂(哲学)を成長させられていないのに、何かに対して「感謝しなければならない」と感謝を無理やり自分に強いることは、必ず「嘘」が混じることになり、嘘を自分に強いることはそれ自体が苦しく不幸なことなのです。

僕が記事で語っていることは、すべて創造主から覚らされていることであり、もし僕を信じて下さるのなら、どうか創造主を信じて、その分身たる神仏について学び、信仰に生きて下さい。

<創造主からの伝言・さとり四カ条>
①偉くなろうとするな。(自他全ての存在が)尊いと知れ。
②特別になろうとするな。特別(主人公)であると知れ。
③日々愛を実践し、特別ではなくなること(差取り・ワンネス)を目指せ。
④幸せになろうとするな。幸せであると知れ(感謝報恩に生きよ)


>リクエストしたい記事 -執着の手放しかた
この記事こそが「執着の乗り越え方」なのであり、そもそも僕の記事は全体として本質(真理・愛)について書いており、それは執着の乗り越え方とイコールなのです。あなたがまだ執着に苦しめられているのは、頭で理解しようとするだけで実践から魂レベルで学ぼうとしていないからだと思います。誰でも自信満々になれる方法お金の時代の終わらせ方」「自分と他人の愛し方などをよく読み返して実践してみて下さい。

>リクエストしたい記事 -夢について
夢については既に旧質問箱で回答させていただいたのですが、リンクが見つかりません。
夢だけでなく、全ての事象に意味があって、全てがあなたの人生の伏線なのであり、どう解釈するか?がとても大事なのです。全てが愛によって与えられているのですから、愛で解釈できれば、より正しく解釈できるようになっていきます。そこに魂の成長があるのです。

アヤワスカ中の経験であれば、それが夢のようであっても、僕はその意味を正しく読み解くことができるのですが、日常的に人それぞれが見る夢の意味を読み解くようなことは僕にはできません。夢というのは本当に色々あって、それぞれに意味があるので、その全てを読み解けるようになるような一貫した説明というのはできません(恐らく存在しません)。旧約聖書のダニエルみたいに夢解きができる人もいるのかも知れませんが、少なくとも今の僕にはできません。だから残念ながら夢についての記事は僕の中の優先順位としては低いです。せっかくリクエストいただいたのにすみません。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...