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2025年6月18日水曜日

世界の救い方

【質問】 30代前半・女性 ペンネーム:Tipoo 
     職業:ピアノ・絵画講師 、アーティスト、フリースクールスタッフ
             アヤワスカチャレンジャー

真也さん、こんにちは。

エゴによる悩み苦しみはかなり訂正されてきたんですが、今1つだけ願いがあります。それは、悟り(一瞥体験でも)を広げる事で人の認識を変え、助けたいのです。(誤解を恐れずに言えば、地球が愛の星になればと思っています)

私は元々、大いなるものなんて信じてなかったのですが、アヤワスカで認識が変わりました。他人の言葉や、神秘的な絵などを見て信じられる人は良いのですが、この身で決定的な体験をしないと分からない私のようなタイプも多くいると思います。

特に、エゴで苦しんで、世界が嫌になってしまった人に選択肢として提示できたらと思っています。例えば年に数ヶ月、儀式のお手伝いとして関わるのもいいし(国外になりますが)YouTubeかSNSでアヤワスカやその後の考えを広めるのもありかな?と思っています。

さて、この願い、大丈夫でしょうか?これさえも自分の無明から来ていないかと、たまに思います。日本で今やっている仕事をそのまま続けるだけでも周りを一時、笑顔に出来ますが、果たしてこれで良いのだろうかと、よぎります。悟りだけが根本的な救いなのではと、思ってしまいます。

何かアドバイスあればお願いいたします⋯! 

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【回答】
ご質問どうもありがとうございます。素晴らしいご質問で感動しています。回答が遅くなって申し訳ございません。あなたがエゴによる無明から愛に目覚め、心から世界を救いたいと思うようになって下さったこと、同志としてとても嬉しく思います。

毎回、説教臭くならずにアドバイスを送るっていうのはとても難しいことなのですが、質問箱は常に自分自身に言い聞かせるようにして書いています。あなたなら誤解なく受け取って下さると信じて回答させていただきますね。メシアとして目覚めてかけている同志たちのためにも。 

僕も目覚めてしばらくはとても焦っていました。考え方を変えるだけでこんなにも幸せになれるのに、この考えが世界中に広がればきっとみんなが救われるはずなのに、なぜこんなにも伝わらないものなのか?と。

しかし焦りは禁物です。時間(人生)というものは我々に成長を楽しませるために創造主が与えてくれているものであり、焦るとせっかく与えられた時間(人生)の楽しみ・幸せを目減りさせてしまうことになってしまいますので。世界救済というのは「今生で完全達成できなければ意味がない」というものではなく、あくまでそれを目指すベクトルで生きる我々の人生経験(物語・芸術)に価値があるのです。


<信心(愛)の大切さ>
僕らには創造主からそれぞれに与えられた役割とシナリオがあって、それぞれに役割・シナリオを全うすることによって、いずれはみんなが救われる全体シナリオになっているということが、この人生というRPGが創られた時点で決まっているのです。

それなのに「焦る」ということはその創造主を信用せず「結局、この人生(この世界)は救われないのでは?」「この人生(世界)を意地悪で創ったのでは?」と疑っている(与えられたものに感謝していない)ということになり、それは己のカルマを悪化させることになってしまうのです。

世界を救うために一番大事なことは、己の信心を強くすることです。この世界は何もかも創造主が創ったものであり、その意思と掛け違いがあっては世界を救うことなどできません。「感応道交」という仏教用語があるのですが、己の意思と天と意思が通じ合い、己が天の意思に合った生き方をすることが、ひいてはみんながご利益を受け取り(哀愍納受)、みんなが救われることになるのです。

他人(世界)を救おうと思うこと自体はとても尊いことですが、それ以前に大事なことは、まず与えられているものの価値に気づいて心から感謝し、与えられているものをみんなと分かち合い、そして何より創造主を信頼することなのです。聖書のヨブ記のように、どれだけ自分や他人に困難が与えられていても、です。それは信心(愛)を試されているのだと思って下さい。我々は創造主の愛なしには一秒たりとも存在できないのです。

<2つの救い方> 
人生というのはまさにRPGであり、多くの人がまだプレイヤー(主人公)として目覚めていませんが、プレイヤー(主人公)には「世界を救うという使命」があるのです。ただしその使命の果たし方(世界の救い方)には2種類あるんですね。

①自分の個性・才能を生かした救い方(自分ならでは)
②日々の愛の実践による救い方(普遍的・万人に共通)

もちろん両方が大切なんですけど、もし②だけしかなければ、自分という存在が個性・才能を与えられて生まれて来た意味がありません。だから基本的には①の救い方のほうを優先しなければならないのです。あなたは類稀な芸術の才能を与えられているのですから、基本的にはそれを活かした救い方を優先すべきであるように僕は思うわけです。※実際には常にケースバイケースで、緊急で家族や最愛の人を救わなければならない時などは②を優先すべきかと思いますが。

アヤワスカによって友人を救おうとすることも素晴らしいことかと思いますが、それは②の救い方になります。アヤワスカというのはあなたや誰かの個性・才能ではないのですからね。あなたほどの芸術の才能が与えられている人が、①の救い方を年に数か月も犠牲にして②の救い方をするというのは、僕的にはちょっと違う気がします。もちろん世界の救い方は究極は主人公であるあなた自身が決めることですが。 

<あなたの才能の尊さと、創造主の意図>
>日本で今やっている仕事をそのまま続けるだけでも周りを一時、笑顔に出来ますが、果たしてこれで良いのだろうかと、よぎります。

そのお気持ち、とてもよくわかります。

「周りの人を一時笑顔にできる」ということだけでもとても尊いことです。ただもしあなたが自分の才能の価値をその程度だとものだと認識しているのなら、それはとんでもない過小評価だと思います。 

あなたが空(概念世界)の存在たち(神仏など)をこの次元に降ろし(具現化し)、それぞれの存在意義(使命)を存分に果たさせてあげることこそが、この世界の物語を豊かにしつつ、最終的にはみんなを救いに導くのです。そんなことができる素敵で偉大な才能が、あなたには与えられているのです。 

世界救済というのは、(神仏を含めて)みんながそれぞれに使命を果たし、自分の存在意義を実感する形でなければ、果たすことができないように世界は創られているのです。どうか日々信心を強くして、たくさんの神話・宗教を学び、その姿をこの次元に降ろして彼らにもある「世界を救う」という使命(存在意義)を果たさせて下さい。それは友人をアヤワスカに導くこと(あなたでなくてもできること)よりもずっと偉大で大切なことなのです。

人生は映画のようでもあり、僕ら主人公は自由に演じることが許されているのですが、それでも監督(創造主)にはきちんと意図があって用意しているシナリオがあるのです。それを汲み取りながら生きた方が、監督(創造主)の愛をより多く受け取ることができ、より素敵な物語にしていけくことができるのです。

もちろん僕も創造主の意図が完全にわかるわけではなく、そっちゅう取り違えをして失敗します(だから面白いのです)。創造主の意図は直接的に創造主から教えられるものではなく、主人公である自分にはそれを汲み取る自由が与えられているのであり、自分で解釈する以外にないのです。
 
ただ創造主の意図を推測するのに重要なヒントがあります。創造主というのは全知全能であるがゆえに直接的には経験をすることができない(失敗・過ちを犯すことができない)存在なのです。だからこそ創造主は我々人間や神仏などとして経験を積んでいるのです。そうすることでそれぞれの立場から個性ある存在として「存在意義」を感じようとしているのです。そして創造主本体は全知全能ゆえに想像=創造を広げられないからこそ、我々に無明と想像力とを与えてくれているのです。それを存分に発揮させるために創造主は我々に対して決して常に答えを一つに限定せず、自由にしてくれているのです。

ならば我々は人生という「経験」と「想像=創造」の機会を大事にすべきですよね?そして自分が本当の意味で「存在意義」を実感するためには、自分個人に与えられたシナリオを全うするだけでなく、自分に関わるみんなも与えられた「シナリオ・使命」を全うして「存在意義」を実感できるように導かなければならないのです。それはつまり出会った人のカルマを他人事だと思わずに、愛をもって一緒に乗り越えて行くってことです。

わかりますか?この人生というRPGの世界というのは、あなた個人だけではなく、それぞれの存在がみんなそれぞれに個性・才能が与えられていて、その存在意義を果たす(シナリオ・使命を全うする)ことによってみんなが救われる仕組みになっているのです。カルマの良化法に書いた通り、カルマ(シナリオ)は自分を中心として一筆書きのようにひとつながりだということを忘れないで下さい。全てが一つ(ワンネス)なんですから、カルマ(シナリオ)もとことん辿ればひとつながりになっていることは自明なのです。

あなたは世界の主人公です。しかしみんなにもそれぞれが主人公として与えられている世界があり、みんなに「世界を救う」という使命があるのです(殆どの人がそれを自覚せずNPCやってますが)。自分も他人もみんなそういう創造主の代理の主人公なのですから、あなたが前述の①より②を重んじることは、他人の「存在意義」を奪うことにつながり、それは創造主の意図(シナリオ)に反すること(越権行為)になってしまうのです。そしてそれは創造主視点で見た場合、せっかく与えられた①の使命・存在意義・存在価値をあなた自身が軽くみているということになってしまうのです。
 
あなたはアヤワスカで見た世界が、あなたの想像力で作ったものだと思いますか?違いますね?ではあなたの作品のアイデア・イメージというのは果たしてあなたがゼロから生み出したものでしょうか?違いますね。全ては創造主から概念次元(アカシックレコード)を通じてインスピレーションという形で与えられているものなのです。しかしそれをこの世界に具現化できる能力というのは、みんなに与えられているわけではありません。
 
もし僕があなたなら、世界の宗教・神話についてより広く深く学び、イマジネーションを広げて作品にしていくと思います。それが救いにつながるということを、あなたはまだ理解していないのでしょう。神仏というのは我々に知られず、その使命を果たせないのなら、存在意義はないのです。あなたが神仏を知り、信じ、祈り、イメージとしてこの世界に顕現させ使命を果たせられるということは、創造主とその分身である神仏に存在意義を与える尊い才能(使命)なのです。
 
いつも言っているように、「与えられたものの価値に気づいて感謝していない人にもっとあたえたいと思う人はいない」という原理でこの世界は創られていて、価値がわからない・感謝しない人間は、既に与えられたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのが定めなのです。どうか自分の才能・使命を当たり前のものだと思わずに、その価値に気づき、感謝し、フルに生かして活躍して下さいね。
 
 
<救いへの導き方>
>さて、この願い、大丈夫でしょうか?これさえも自分の無明から来ていないかと、たまに思います。
あなたがそのような観点で自分を見ることができるというのは、とても尊いことだと思います。 
 
僕もみんながアヤワスカを飲んだら世界は救われるのではないかと考えていた時期がありましたが、アヤワスカを飲めば誰でも良い方向に導かれるというわけではありません。だからこそガイドが大切なのですが(それで僕はやっているわけですが)あなたにそれをする使命があるかどうかは僕にはわかりません。

ただあなたが友人を(本人が望んでいないのに)無理にアヤワスカに導くという救い方で頑張らなくても、アヤワスカが必要な人には、必要な時にアヤワスカの神が導いてくれるものなのです。そしてそれを信じることが信心なのです(だから僕も無理に他人に勧めたりはしません)。

友人がかつての自分と同じようにエゴによって苦しんでいるのを見て、もどかしい気持ちになるのは僕も同じなのでよくよくわかるのですが、あなたの友人にも創造主から用意された人生のシナリオがあり、「己のエゴによって苦しむプロセス」も必要だから与えられているのです。

人間はみんなが人生というゲームのプレイヤー(主人公)で、みんな自分なりに失敗もして試行錯誤して納得しながら前に進みたい生き物なのであり、脇から答えを教えられると無意識に反発してしまうようにできているのですね。 

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ピアノの指導などはまさにそうかと思いますが、相手に答えを教えることよりも楽しさに気づかせることの方がもっと大事なのです。やる気にさえなれば、本人が自分で練習して勝手にうまくなっていくのですから。悟りもそれと同じなのです。まずは自分が心から楽しみながら日々悟りを実践しているのでなければ、他人にその楽しさを覚らせてやる気にさせることなどできないのです。

だからあまり焦って無理に他人を覚らせようとせず、自分がまず覚りを進め、それを実践し、夢を持って生き生きと幸せに生きている背中を見せることで「どうやったらあなたみたいに幸せになれるのか」と相手側から自発的に教えを求められるぐらいになることが大切です。逆に聞く気になっていない人にいくら伝えようとしてもそれは無理なのです。あくまでも主人公は自分なのであって、そういう自分の覚りの過程を飛ばして「相手側をアヤワスカで悟らせよう」とすることは(善意であっても)創造主視点から見れば傲慢・怠慢なのです。相手を変えようとしても変わりませんが、主人公である自分が変わればすべてが変わるように世界は創られているのです。

「メシア救世三原則」
1.指摘せず気づかせる
 (傷つけない)
2.教えず覚らせる
 (例え話などでヒントを与える・背中で示す)
3.自らの学びとする
 (相手のカルマは自分のカルマの鏡・相手を変えようとせず自分を変える)

あまり無理に相手を救おう(相手のコントローラーを奪おう)とするのではなく、相手の存在を心から承認することで、自ら課題(カルマ)に立ち向かって行く心の元気を与えることが救いの本質です。そのやり方は基本的に二つだけです。


⭐相手の自尊心を高め、自ら前に進む勇気と元気を与える方法

①心からの笑顔で挨拶する

②相手の話を否定せず(ジャッジせず)、同情・共感的に聞く

この点については長くなるのでカルマの良化法などをご参考下さい。

 

>YouTubeかSNSでアヤワスカやその後の考えを広めるのもありかな?と思っています。

インターネットを使って「自分がどうして幸せになれているのか」を伝えるのはとても良いことだと思います。きっとあなたの才能も活かされることでしょう。

ただ忘れてはならないことは、あなたは絵画と音楽(非言語)のアーティストであって、思いを言葉で器用に説明できるようになることよりも、芸術を通じて伝えることの方がより大事なんじゃないかと僕は思います。どうかその「言葉ではうまく伝わらないもどかしさ」を創作のエネルギーに変えて作品にぶつけて下さいね。それは僕や他の多くの人にはできないことなのですから。


<愛の無条件化=世界救済>
世界を救うためには己の愛を無条件化していくベクトルで成長していかなければなりません。
それこそが我々がいつかワンネスへと還る道だからです。そして世界の問題は究極「愛の不足」が原因であり、逆に言えば全ての問題の解決策は愛なのです。

 愛」とは何か?恋との違いや愛を育む6つの考え方、名言特集を紹介

しかし人には好き嫌いで世界を二分することで「それをする主体者としての自分(自我)を確認したい(輪郭を保ちたい)」という隠れた強い欲求が与えられているのです。それを意識せずその本能のままに生きてしまうと、不快なものを嫌悪し遠ざけて意識から排除し、興味を持たず・理解しようとせず、好きな人・モノにだけ囲まれて生活しようとしてしまいます。そして自分に都合の良い人・モノだけ愛し、都合の悪い人・モノを愛さないという「愛の条件化」をしてしまうようになるのです。そのような条件付きの愛はエゴなのであり、愛(融和・ワンネス)に反する要素であって、己の人生も世界もネガティブな方向に導いてしまうのです。

普通の人は好きなものに囲まれて好きなことだけして生きるなんてことはできないので、仕事もプライベートも人間関係全体が厳しい修行の場になるのですが、あなたの場合は才能があって、恐らく好きな人・モノにだけ囲まれて生活するということがほとんど実現できてしまっているのが、逆にちょっと厄介なんですね。

自分に都合の良い人・モノだけ愛しても、人生は魂の成長修行にならない(成長しない)のです。この世界に偶然はなく、全ての出会い(人・出来事)が自分にとって必要だから与えられているのであり、創造主が与えてくれた出会いの中で、許し難きを許し、愛し難きを愛することが魂修業なのです。それなのに人間側の意思で意図的に嫌なものを避けようとし過ぎると、大きな弊害(落とし穴)が2つ出てくるのです。

①愛情が条件化(エゴであり、魂の成長とは逆行)の方向に進む(世界救済が遠ざかる)
②好きな人・モノがあまり好きではなくなる(飽きる・嫌いになる・無感動になる)

①については前述の通りなので、②について。 

嫌な人(興味のない人)との出会いも、自分の魂の成長にとって必要だから創造主が与えてくれている出会いなのであり、 それを意図的に排除するということは、人生という映画の監督たる創造主の意図(シナリオ)を無視しているということになるのです。どうか出会った人一人ひとりにもっと関心を持って下さいね。それが愛情を無条件化していくことに繋がるのです。出会った人一人ひとりを無条件に愛することができるようになれば、それは(まだ出会っていないというだけで)世界中の人を愛していることになるのです。興味は愛の入り口であり、興味はないけど愛しているということはあり得ません。だから興味がない人・嫌いな人は表面的にテキトーに扱っておけば良いという考えでは、世界に愛が連鎖するわけがありません=救えるわけがありません。全ての出会いは運命であり、相手がどんなに悪役・端役に見えても、それは創造主が「あなたが主人公の物語」にシナリオ上の意味があって、何か大切なことに気づかせるために遣わした尊い共演者なのです。

嫌な人(興味のない人)を避けて意識の外に置くことで存在しないかのように扱う癖は逃げ癖であり成長拒否なので、成長プログラムである人生に置いて不幸に導かれてしまう定めなのです。嫌な存在・言葉・出来事との出会いも大切な何かに覚らせ成長させるために与えられているのであり、嫌な人を避けるとその役割(悪役・端役)を好きな人が負わなければならなくなり、結果的に好きな人も嫌いになって孤独に陥ることになってしまいます。 

そして好きなものに囲まれ、好きなことだけしていると、段々好きなことでも楽しさを感じられなくなってしまい(感性の鈍化)その価値を感じられなくなり、心から感謝もできなくなって不幸に導かれてしまうのです。これが最大の弊害(落とし穴)かも知れません。 好きなモノだけで人生を構成しようとすることは、メジャーコードだけで曲を作ろうとするようなもので、そのうち飽きて退屈になっていくことは自明なのです。

悟りというのはワンネスへの融和(愛)のベクトルであり、分離(エゴ)とは逆のベクトルなのです。嫌いなものを分離し排除していくというのは磁石の片極だけを切り落していくようなものであり、どんどん己(世界)を小さくし、好きだったものまで心から楽しめなくなっていくんですね。

そして瞑想などを通じて心を鎮めることを悟りの道だと勘違いしている人が多いですが、それも違います。例えば己の愛が不足しているがゆえに人間関係をうまくやれていない人が、瞑想などで心を鎮めたところで、魂が成長するわけがなく、幸せになれるわけもないのです。それは単に心の針の動きを鈍化させているだけですからね。


実態を伴わない努力に効果はあるか?に書いたように、嫌な事があっても創造主から自分の成長のために与えられた課題なのだとポジティブに解釈して、悪い感情(不協和音)を起こさずに(自分自身とも他人ともぶつからずに)乗り越えていけるようになることが魂成長のための修行なのです。己の心の調律と演奏が上達し、心の針を出来事に合わせて指揮者のタクトのように上手に振れるようになれば、人生をオーケストラのように楽しめるようになります。嫌な人やモノ(都合の悪い・興味のない人やモノ)との出会いも大事にして、まず興味を持ち、許し難きを許し、愛し難きを愛するというベクトルで考えてみて下さい。

人は誰しも臆病に創られていて、傷つかないように人それぞれ様々な形で予防線を築いてしまっているものです。それで愛することより傷つかないことを優先してしまうのですね。それでも出会った相手にもっと興味を持ってみて下さい。興味を持つことが愛の入り口であり、興味がないのに愛している、ということは有り得ません。この世界に偶然はなく、全ての出会い(人・出来事)は意味があって与えられている贈り物(運命)なのですから、出会い(人・出来事)を無条件で愛せるようになっていくことが悟りの道なのです。

そして生まれの格差について(陰謀論)未来に絶望したくなるなどに書いているように、その愛(悟り)の連鎖が、ひいては世界救済に繋がるのです。だからお互い焦らず日々愛を実践して行きましょうね。まず自分自身も目の前の人も許し愛し幸せにできる人間になれるように一歩一歩成長して行きましょう。連鎖反応は倍々ゲームであり、自分と目の前の人を幸せにできるようになれば、あとは勝手にものすごいスピードで広がっていくのです。しかしその連鎖反応の起点である主人公の自分がブレていたら、それは決して広がらないのです。

人生はエゴを乗り越えて愛を発揮する修行なのであり、もちろんそれは僕にとっても同じで、日々戦いです。世界の本質はワンネス(愛)であって、分離意識を乗り越えないことには、世界は救われるわけがないのです。全ては愛によって創造されているのであり、好き嫌いを乗り越えて存在そのものに感謝し、尊敬し、許す(心で和解する)ことです。それが愛するということです。愛は相手を自由にするものであり、離れていく人を無理に追う必要はありません。ただ悟り(世界救済)というのは愛を無条件化する方向にベクトルが向いていなければならないのです。誰でも自信満々になれる方法に書いた通り、自分があくまでも愛し抜く覚悟さえ持てれば、相手から嫌われ傷つけられることなど恐れる必要はないのです。

それでは、長くなりましたが、あなたの素敵な覚りと幸せを心からお祈り致しております。


2025年5月2日金曜日

スピ詐欺に騙されないようにするには

 【質問】20代 女性 小売店勤務・作曲家(兼業)ペンネーム:L

「正しいスピリチュアルと怪しいスピリチュアルの違いと判断基準(自称シャーマンや霊感商法等明らかにおかしいものを除く)」、「どのようにすれば怪しいスピリチュアルに騙されずに済むか」についての質問です。

私は、「この世は仮想現実である」というマトリックス的な世界観に強く惹かれています。元々不安を感じやすく、深く考え込む性格のため、「生きていくためのライフハック」のような思想や考え方を探求し、心の拠り所とすることが好きです。

しかし、世間一般で語られる「怪しいスピリチュアル」には抵抗感があります。例えば、「子宮系」「宇宙銀行」「パワーストーン」「レムリア信仰」といった思想は、私には非現実的で胡散臭いものに感じられます。また、必要以上に金銭を要求するようなスピリチュアルイベントにも不信感を抱いています。

私は、スピリチュアルには仏教や神道、東洋思想、ヨガ修行、南米の伝統的なセレモニーといった正統なものと、ニューエイジ的な流行に乗った、信頼性に欠ける霊感商法のようなものがあるのではないかと考えています。

2年前、YouTubeを通じてAさん(仮名)というスピリチュアルリーダーを知りました。Aさんは南米在住で、何回もアヤワスカの儀式を経験しており、日本人と南米のアヤワスカを繋ぐ活動をしています。彼女が南米での生活を通じて得た叡智に学びたいと思い、今月末から始まる1ヶ月間のオンラインプログラムの参加を決めました。今回が2回目の参加となりますが、昨年参加した際は、まだ「この世はマトリックスである」という気づきにすら至っておらず、活動期間中もエゴに固執してしまい、深い学びや実感を得られないま終わってしまいました。

今年に入り、リベラルの過激化やカリフォルニアの火災、財務省や増税の闇、芸能ニュースの裏で重要な法案が通されるといった出来事を知り、陰謀論や都市伝説が真実である可能性に気づきました。これにより、「この世界はバグっており、洗脳装置(人々の煩悩を量産する仕組み)で溢れている」「この世界は仮想現実であり、仮想現実であると気づかせないために洗脳装置が人々を惑わせている」という結論に至りました。

この気づきから、再びスピリチュアルへの関心が湧き、Aさんのオンラインプログラムに再参加することを決意しました。しかし、スピリチュアルを学んでいく中でAさんへの不信感も感じるようになりました。

まず、オンラインプログラムの参加費が7万円と高額であることです。期間は1ヶ月間で、その間に数回のオンラインヒーリングセッション(その中の1~2回はAさんと親交のある現地のシャーマンの方もゲスト参加)とオフ会を開催するのですが、ゲストの方がいらっしゃるとはいえ大部分がオンラインで7万円は少し高額なのではないかと感じました。またオンラインプログラムだけでなく、Aさんが案内するアヤワスカリトリートも数日間で40万~60万円と相場より高いです。

次に、コミュニティが不幸な人の溜まり場になりつあることです。参加者の中に人生における苦難や不幸の真っ只中である方々が多いことに疑問を感じています。振り返ると、前回参加した際も、仕事の過労で睡眠障害になった方、引きこもりの方など困難な状況にある方々が多かった印象があります。

今回、私の他にもう1人、2回目以上の参加の方がいらっしゃるのですが、前回参加した時から全く状況が良くなっておらず、Aさんのコミュニティに依存してしまっているのではないかと思いました。

この経験から、高額な参加費を支払ってAさんのコミュニティに参加することで、私自身もスピリチュアルジプシーになってしまっているのではないかと不安を感じています。

また、不幸な人だけでなく、「子宮系スピ信者」「宇宙銀行信者」「レムリア信者」など如何わしい思想の参加者も多いと感じました。

さらに、Aさんへの信頼に最も影響を与えたのは、日本人の自称シャーマンのBさん(仮名)とAさんの親しい関係です。男女の関係など如何わしいものではありませんが、過去に共同でイベントを開催するなど、親密な繋がりがあるようです。私は、Bさんが大学で文化人類学を専攻し、南米の土着の信仰や風習を専門的に研究したことや、アヤワスカでの気づきを創作活動で表現している点は尊敬しています。しかし、彼がまだ完全な覚醒に至っていないと感じるため、シャーマンを名乗る資格やセレモニーを主催する資格はないと考えています。また、最近Bさんがタントラやクンダリニーを誤って解釈したような性エネルギーのイベントを開催していることにも違和感を覚え、こうした活動は控えてほしいと感じています。

正しいスピリチュアルと怪しいスピリチュアルの見分け方と判断基準は何か(自称シャーマンや霊感商法、パワーストーン販売等明らかにおかしいものを除く)、今まで私が関わってきたAさんは信頼に値する人物なのか、どうすればスピリチュアルジプシーにならずに済むか、ご指導いただけますと幸いです。

何卒宜しくお願い致します。

【回答】
ご質問ありがとうございます。あなたのその問いはとても尊いものであり、僕というフィルターを通すことによって、より多くの魂の兄弟姉妹たちの尊い気づきに繋がると思います。

まずお伝えしたいのは、あなたのように「怪しいものには流されず、本質を見極めたい」と真剣に問い続ける姿勢そのものが、既に正しいスピリチュアルの入り口に立っている証だということです。あなたが探しているのは単なる癒しや快楽ではなく「真に魂が成長し、愛を実践していくための智慧」でしょう。それこそが本物のスピリチュアルが目指すものであり、僕らがこの世界に生まれてきた目的でもあります。

どうか僕が偉そうに誰かを責めて否定して説教しようとしているのと誤解しないで下さいね。僕は出会った誰に対しても、人生の苦難に立ち向かう魂の兄弟姉妹として尊敬の念を持ちながら、その幸せを願って天からいただいた真理(悟り)を共有しようとしているのです。

真理というのはみんなを幸せにするものです。だからそれが真理かどうかはそれによってみんなが幸せになるかどうかでわかります。しかし同時に、真理というのは理解し受け入れるのに痛み・苦しみ(成長痛)を伴うものなのです。それがもし簡単に受け入れられて世間で常識化するようなものであれば、人生は成長の物語にはならないのです。

全ての問題の原因は究極「愛の不足」であり、逆に言えば全ての問題の解決策は「愛」なのです。それはこの問題も例外ではなく、例外は存在しません。僕らは「愛とは何か?」を経験を通じて知るため(表現するため)に生まれて来るのであり、全ての課題はそのためのマテリアルなのです。

スピ詐欺師に対して怒りを感じるのはもちろん僕も同じです。しかしスピ詐欺師になる人たちというのは憐れむべき存在なのです。きっと社会ではまともに生きて行けず、自尊心がズタボロになり(愛の不足が原因)、何かのスピにすがって社会からドロップアウトし、スピ以外に稼ぐ手段がなく、自尊心の回復と将来の不安の解消のために無理に金や権威を得ようとしてエゴの権化と化し、詐欺的な手法にならざるを得なくなっているのでしょう。

そういう人たちに騙される人たちというのもかつての彼らと同じように社会でうまくやれずに自尊心がズタボロになり(愛の不足が原因)、スピで何か特別な人間になることで自尊心を高めたい・現実(カルマ=自分の人生の課題)から逃げ出したい・依存したいという気持ちがあるから、スピ詐欺師に依存・逃避し、騙されてカモにされてしまうという連鎖構造があるのでしょう。

騙す側は騙すようになるだけの原因を積み上げた結果騙しているのであり、騙される側は騙されるようになるだけの原因を積み上げた結果騙されているということです。その原因を無視して「こういう人は詐欺師で、こういう人は本物」などという判断基準を伝えたところで、騙される直接的な原因である自尊心の低さ(愛の不足)と依存・逃避願望がある限り、結局は騙されるので意味がありません。騙される人というのは何でも自分の都合の良いように現実をねじ曲げて解釈して自己正当化することが得意だからこそ騙されるのであり、直感で相手を「怪しい」と思っても(他人から警告されても)、簡単にそれをねじ伏せてしまうのです。そういう人はきっと騙されて覚る経験がしたくて生まれて来ているのでしょうから、基本的には本人が自分で覚る以外にないのです。

<創造主直々にいただいた、さとり四カ条>
①偉くなろうとするな。(自他全ての存在が)尊いと知れ。
②特別になろうとするな。特別(主人公)であると知れ。
③日々愛を実践し、特別ではなくなること(差取り・ワンネス)を目指せ。
④幸せになろうとするな、幸せであると知れ(感謝報恩に生きよ)。

わかりますか?スピによって偉い人間・特別な人間になろうとするのではなく、全てが創造主の愛によって存在している尊い特別な存在なのだと悟り、まだ成長過程で愚かで罪深い自分を許して愛し、自分と同じように愚かで罪深い他者も許し愛することです。そして常に今の自分にとってベストなものが与えられていると感謝し、不平不満や恨みを捨て、自分を活かしてくれている全ての存在(創造主)への報恩に生きることです。それが悟りの道なのです。


スピ詐欺に騙される人間というのは、自尊心自体を対象に依存しているのでしょう。依存対象が間違っているということを認めることはその人を信じている自分が間違っていると認めることですから自尊心が傷つきますし、何を信じて良いのかわからなくなり、誰にも理解されていない・認められていない・愛されていないと感じるのが怖いので認められないのでしょう。そして今まで貢いできたお金と労力が大きいほど、依存対象が「詐欺であって欲しくない・本物であって欲しい・自分は騙されているのではない・ここまでしたのに無駄になるのは嫌だ」という思いも強くなるので損切りが難しく、意地になって自らの疑念に抵抗してどんどん深みにハマってしまうのでしょう。それはホスト・ホステスなどにズルズルとハマるのと同じ構造なのです(僕はホスト・ホステスも詐欺だと思います)。己の心がエゴにまみれていて愛(無条件の慈愛)がないから人からも運命からも愛されていないのに、自分が惚れた人の愛だけを金を払って買おうとするからカモにされるのであり、それは己のエゴの毒による自滅なのです。

そして例え騙されていたと確信したとしても、依存・逃避願望がある限り、新たな依存先を探すだけで何も変わりません。根源的な原因は自他への愛の不足であり、神への愛(信心・感謝・信頼)の不足であり、更にそれを原因とする自尊心の低さ・先行きの不安なのです。それゆえにスピで特別な人間になりたい・ラクに生きたい・依存したい・逃げたいという気持ちが生じるのであり、そこを解決しない限り、スピ詐欺に騙される人が騙されないようにはならないんですね。

人生というのは自分をプレイヤー(主人公)とする成長の物語(RPG)であり、誰かに依存することは主人公の放棄であり成長拒否なのです。だから依存(逃避)というのは必ず不幸に導かれるように世界は創られているのです。

問題は依存(逃避)心なのですから、依存対象が詐欺師でも本物でも問題は本質的に変わりません。なので僕がスピ詐欺師を批判して晒し、「こういう人は信用できる・できない」と判断基準を伝えたところで、それは「正しい依存対象の探し方」みたいな感じになってしまい、結局は誰も救えず、単にスピ詐欺界隈で敵を増やすだけで根本的な解決にはならないでしょう。根本的な解決は己の愛(自他に対する無条件の慈愛)を自分で育てて依存心を断つこと以外にないのです。

ゴキブリというものが忌み嫌われることで人に不衛生を悟らせ自発的に衛生を心がけさせるという役割があるように、詐欺師という存在も精神的な不衛生(エゴによる穢れ・蓄積したカルマからの逃げ)を悟らせ、自発的に精神的な衛生を心がけさせる(成長させる)という役割があるのです。「ゴキブリなんて絶滅すれば良いのに」なんて言ったところで設定側(NPC側)は変えられません。同じように詐欺師も今の社会の価値観・システムがある限りいなくなりません。変わるべきは自分であり、自分(主人公)が変われば全てが変わるのです。


>私は、「この世は仮想現実である」というマトリックス的な世界観に強く惹かれています。

この世が仮想現実であることは個人的な世界観ではなくガッチガチの真実であり、それこそが般若心経が伝えているところであって、それは科学(量子力学)によってもほぼ実証されていることでもあるのです。

ただしそれはまだ世間には受け入れられていないのですから、日常生活においていきなりその感覚を前面に出してはいけません。世間とうまくやれず、NPC(エージェント・スミス)たちに叩き潰されますからね。常識的な感覚というのも大事にしなければならないのです。そしてお金の時代の終らせ方に書いた通り、主人公に目覚めた者はNPCたちに気づかれないよう己の精神の間で成長を目指さなくてはならないのです。


>元々不安を感じやすく、深く考え込む性格のため、「生きていくためのライフハック」のような思想や考え方を探求し、心の拠り所とすることが好きです。

僕も深く考え込む性格であり、かつては不安でいっぱいでしたから、ラクに生きる術を知りたい・何かにすがりたい・逃げたいという気持ちはとてもよくわかります。

それでも人生というのは愛(信心)と勇気を試すことで魂の成長を促す仮想現実RPGなのであり、臆病(不安)というのは成長課題なのです。それを自分の(変えられない)個性・性質のように誤解しないで下さいね。その点については極度の人見知りともほぼ同じです。この質問者さんは自分の人見知りを自分の(変えられない)個性・性質のように考え、誤魔化し・逃げるしかないと考えて、人間関係から逃げて孤独に陥り、それを大麻やLSDでごまかし、依存することで不幸に導かれてしまっているのです。

あなたはきっと「私はそんな風にはなっていない」とおっしゃるのでしょうけども、自分の課題を正しく認識せず、乗り越えるのではなく誤魔化そう・逃げよう・何かに依存しようととしているという部分では彼と同じであって(厳しい言い方で申し訳ありません)、もし自分の課題(依存・逃避)を認識することからも逃げるのなら、解決などしようがないのです。だから「詐欺師を見抜く判断基準を身に着け、本物に依存すれば大丈夫」という話ではないのです。自分(主人公)が他人に依存して良いことは何もないのです。

そもそも本物は依存なんてさせませんからね。必ず自分の足で歩かせます。そうしない限り幸せに導くことはできないからです。依存されることを喜ぶのはそれを金に変えようとする詐欺師と、共依存関係になっている相手だけです。

カルマの良化法もぜひご参照下さいね。生きることは苦しみを伴うものですから、ラクに生きる方法を探して拠り所にしたいと考えるのは自然なことです。しかし人生はあくまで成長の物語であって、幸せは苦労を乗り越える過程にあるのです。人生は苦労を乗り越えず成長せずに幸せになれるようには創られておらず、我々は死ぬまで苦労する定めなのです。どっちみち苦労するのなら、能動的・主体的に自分から成長を求めて苦労した方が楽しく幸せなのです。トレーニングだって苦しい思いをしなければ成長できず楽しく幸せにはなれないでしょう。それと同じことです。ラクをしようとすればかえって苦しくなるのであり、だからこそあなたはスピ詐欺師に救いを求めて逆に苦しくなるという遠回りをしてしまっているのでしょう。それは自分の経験から覚らなければいけません。カルマ(=人生の課題)というのは正面から立ち向かうのが最短ルートであり、一番ラクな道なんです。

人生というRPGは愛と勇気が試されているのですから、より愛と勇気が必要な方(苦労する方)が必ず正解なのです。RPGでラクそうな道というのは例外なくトラップであり、必ず遠回りか行き止まりになっていて、最終的にバッドエンドに繋がっているのです。ラクな道(逃げ道)など最初からないのだと腹を括れば腹が据わります。苦労を乗り越えるところ(成長過程)に幸せがあるのですから、ラクをして幸せになるということは絶対になく、ラクをするための努力が報われることも絶対にないのです。

どこかにラクをして幸せになっている人がいると考えて羨むことこそが精神的な不衛生であり、詐欺師という悪役の存在はそれを悟らせてくれているのです。彼らは成功・幸せを偽装し、羨ましがらせて依存させることで稼いでいるのですからね(彼らを羨ましがって依存する人もエゴにまみれているのです)。でも人を騙して金を稼いで幸せになれるわけないんですね。世界の本質はワンネスであり、エゴを動機に行動すると深い部分で自分を嫌いになるように人間はできているのですから。それはエゴ(欲)とは何か?に書いた通りです。


臆病(不安)はあくまでも成長課題であり、その原因は(自他に対する)愛の不足(エゴ)であって、己の愛を育てることによって乗り越えて行かなければならないのです。程度の差こそあれ、人はみんな臆病(不安)に創られているのであり、臆病(不安)なのがデフォルトです。何も恐れない赤ん坊とか見たことありますか?もし初めから何も恐れない人がいたら、その勇気には何の価値もないでしょう。それは単なる無謀であって勇気と呼ぶことさえできません。臆病(不安)な人間が振り絞る一握りの勇気にこそ価値があるのであり、臆病(不安)乗り越える過程に魂の成長があるのです。

それなのに他人と比べて自分は臆病(不安症)だからダメだとか、エゴが強いからダメだとか、そのように言い訳を先に用意して勇気を発揮せず、エゴによって常によりラクな選択ばかりしているのでは成長しようがない=幸せになりようがないのです。人生といRPGにおいて、自分というプレイヤー(主人公)個人のために、臆病(不安)という成長課題・シナリオが与えられているのですから、他人と比べずに乗り越え続けていかなければならないのです。そこにこそ成長・喜び・幸せが用意されているのですから。

あなたはスピ詐欺師たちが悪人で、それに騙される人たちが無辜の被害者であるように認識されている感じがしますが、決してそうではないのだと知って下さい。騙す方も騙される方も自分のカルマ(=人生の課題)を正しく認識せず、ごまかしたり逃げたりすることによってお互いにカルマを増幅しているのです。

人は己のエゴ(による期待)ゆえに自ら騙されるのであり、イノセントで人を疑わないから騙されるのではないのです。だからただ単に疑い深くなることによって騙されなくなるようにはなりません。もしエゴに埋没していて愛のない人間がただ単に疑り深くなっても、人を信じる心を失って余計に周囲に嫌われて孤独になって、信頼し合えるような人間関係が築きにくくなるだけでしょう。そうなればその孤独感につけこまれて余計に騙されやすくなることでしょう。疑うべきは相手よりもまず己の期待が単に自分に都合の良い思い込み(エゴによる願望)ではないかというところです。人は己のエゴ(自分に都合の良い期待・思い込み)ゆえに自ら騙されるものなのですから、詐欺師(NPC)を恨んで被害者意識に陥るのはお門違いということです。

この人生というRPGは、プレイヤー(主人公)が愛(信心)と勇気で世界を救うシナリオになっているのであり、自分に与えられた課題と向き合おうとせず、誤魔化して逃げて何かに依存しようとする者が騙されてより不幸に導かれるのは必然なのです。愛と勇気を試し成長を促すRPGなのですから、逃げようとする・自分だけが救われようとするNPCが幸せになるように世界が創られていたらそれは成立しないのです。カルマ(=人生の課題)からの逃げはバッドエンドを選択するのとイコールだということです。


愛(信心)・勇気・成長がこのRPGの核(存在意義)なのですから、それに反する要素である愛の不足=エゴへの埋没・臆病(不安→保身)には当然「不幸に導かれる」というペナルティーがあるのです。もし真理(愛・ワンネス)に目覚めようとせず、エゴに埋没して臆病で保身しか考えず、そのために平気で他人を傷つけたり何かを奪ったりして害し、魂的に全然成長しないような人が幸せになれるように世界を創ったら、成長の物語として成立しないのです。

実際この世の悪というのは、欲望よりも臆病(不安・保身)を動機としてなされているのであり、臆病(不安)を言い訳にしてエゴに埋没することは悪魔に魂を売ることなのです。臆病(不安)というのはエゴ(執着)由来だと知って下さい。逆に真理(愛・ワンネス)を悟っている人の心というのは平安なのです。自分が全体の一部であり、魂の永遠性を感覚的・経験的に理解できるからです。それは頭だけで理解しようと思っても無理なのです。

エゴ(欲)とは何か?」に書いた通り、エゴは誰にでもあるもので、エゴがあること自体が悪いのではありません。それを愛に昇華しようとせず、己のエゴに埋没すること・暴走させることでエゴは悪魔化するのです。

鬱の人は基本的に無気力で意欲がありませんが、それはエゴがないということではありません。自分の事ばかり考え、自分にとって都合の良いように(被害者意識で)この世界を認識していることがエゴに埋没しているということなのです。鬱というのはエゴの埋没を原因とし、また結果ともしている悪循環構造なのです。しかし鬱の人というのは「自分は欲がないからエゴが弱い」などと考えて己がいかにエゴに埋没しているかに気づけないのです。

世界の本質はワンネスであり、エゴで自分という個体にとって都合の良い選択ばかりしていると、どんどん自分を嫌いになるというペナルティーがあるのであり、逆に人のために無償で尽くすということは、それだけで自分を好きになるという最大のメリットがあるのです。だから損得勘定を捨てて結果(見返り)など何も期待せずに人に尽くすこと(愛)こそが「人が人を騙し騙される」という問題の解決策なのです。

>私は、スピリチュアルには仏教や神道、東洋思想、ヨガ修行、南米の伝統的なセレモニーといった正統なものと、ニューエイジ的な流行に乗った、信頼性に欠ける霊感商法のようなものがあるのではないかと考えています。

宗教や思想だけでなく何事も、本質を見ずに看板(権威)によって良し悪しを判断するのはナンセンスです。刃物を料理に使う人もいれば殺人に使う人もいるわけで、それで刃物そのものの良し悪しを判断しようとするのはナンセンスでしょう。それと同じ事です。善悪があるのはそれを利用する人の目的(動機)・使い方・人間性の方です。あなたが正統だと思っているような宗教や思想なども、今に至るまでどれだけ悪用されて来たか知れません。

看板(権威)によってその良し悪しを判断しようとする「権威主義」の人が多いからこそ、詐欺師というのはまさにその看板(権威)を偽装することによって騙すのが常套手段なのです。オウム真理教なんかも仏教やヨガの権威を巧みに利用して信者をかき集めていましたからね。だいたいスピ詐欺に騙されるというのは本質を見ずに権威(他者評価)によって価値に序列をつけ、信用(依存)できるかどうかなどを決めようとすることが原因なのです。その考え方自体がエゴなのであり、それは愛(真理)に反するものであって、不幸に導かれるのが必然なのです。

本質(愛)が理解できれば、相手がそれをする目的・動機・人間性(エゴか愛か)を見抜けるようになるので、騙されることはなくなります。その本質を見えなくしているのは、己の心のエゴなのです。騙す側からすれば相手のエゴ(願望か不安か)を刺激し、それを満たしてあげられるフリをするだけで、相手は己の勝手な期待を正当化するために理論構築して勝手に騙されてくれるのです。人は己のエゴゆえに自ら騙されるということです。だからこそ知能が高い人でもエゴが強く自己正当化する意識が強ければ簡単に騙されるのです。知能が高く高学歴・高収入の男性が、知能が高くなく美人でもない結婚詐欺師に簡単に騙されたりするのはそういう理由でしょう。


>「この世界はバグっており、洗脳装置(人々の煩悩を量産する仕組み)で溢れている」「この世界は仮想現実であり、仮想現実であると気づかせないために洗脳装置が人々を惑わせている」という結論に至りました。

この仮想現実は全知全能の存在によって完璧にプログラムされているのであり、バグ(偶然)など存在しません。僕ら人間にとってはその完全性が理解できないだけです。そしてシナリオ上の理由があってバグ(偶然)が存在するかのように思わされているだけです。

自由意志の仕組みと存在意義に書いた通り、偶然性というのはこの世界での経験を我々に楽しませるために(自由意志を成立せるために)創造主が用意している仕掛けであり、全てがガチガチの必然だったらRPGとして成立せず、映画を見ているようで自由意志・経験に存在意義がなくなるのです。そして全てが創造主の仕業だとみんなが簡単にわかってしまうようでは信心に価値がなくなってしまうのです。しかし本当は全てが必然であり、偶然も自然も存在せず、全ては創造主の意図通りであり、全ては創造主の愛によって与えられているものだと知って下さい。

この世界のありとあらゆる存在が愛(信心・感謝)と勇気を試すために、我々を不安や怒りや被害者意識に陥れようとしてきますが、それは成長課題なのですから、決して屈することなく信心を持ち、感謝し、報恩に生き、愛を発揮して行かなければ成長などしようがないのです。人生というのは成長の物語なのであり、不安・怒り・被害者意識というのは成長と逆行する要素であり、成長課題なのであって、乗り越えなければならない定めなのです。RPGの主人公というのは「勇者」のことですからね。主人公がエゴにまみれ愛がなく、不安・怒り・被害者意識に駆られているようでは、世界を救えるわけがなく、物語が成り立たないのです。

生まれの格差について(陰謀論)は必ず読んで下さい。世の中には実際に陰謀があります。それがないと考えるのも現実逃避です。しかしそれも創造主の創った仮想現実RPGの内側の話であり、シナリオ通りなのです。RPGの世界が悪魔に支配される一歩手前のディストピアからスタートするのは当たり前のことであり、あなたという主人公がそれを救わなくてはいけないのです。それなのに己の世界観を不安と被害者意識と恨みで満たすぐらいなら、陰謀など知らない方がまだマシです。

ロズウェル事件でUFOが墜落したのも、宇宙人からすれば偶発的な事故だったかも知れませんが、完璧に創造主のシナリオ通りです。その宇宙人が「地球は監獄である」と語ったのも、その宇宙人からすれば真実かも知れませんが、創造主からすれば我々を被害者意識に陥れる意図通り(トラップ)であり、本懐としては我々にそれを乗り越えて感謝して愛せるように成長して欲しいのです。

実に多くの人が「もし創造主がいるのなら、この世をこんな悲惨に創るはずがない」などと考えて被害者意識に陥り、運命を呪い、創造主を信じようとしません。しかしそれがNPC思考なのであり、それを乗り越えて全てに感謝して全てを愛し、自分が世の中を愛一元に還していく起点となる覚悟を持たない限り、本物の主人公にはなりえないのです。

いつも言っていることですが、与えらえれたものの価値に気づいて感謝せず不平不満や恨みで返してくるような人に、もっと与えたいと思う人はいないでしょう。この世界はそういう原理で創られているのであり、感謝できない人間は既に与えられたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値に気づかされるような残念な人生になってしまう定めなのです。聖書のヨブ記が教えてくれている通り、与えられた苦難も創造主の愛によって成長を願って与えられているものだと感謝して受け取ることが大事なのです。

僕らがあらゆる病気や事故で死ぬ確率を合わせたらとっくに死んでいます。純粋に確率で考えれば僕らも僕らの世界も生じておらず、僕らは創造主の愛なしには一秒たりとも存在できないのです。だから生かされているということに感謝し、信頼し、何のために生かされているかを考え、自分の使命を果たすことが大事なのです。恐れ(臆病・不安)というのは、全てが創造主から与えられたものであると感謝し信頼していないことが原因なのです。創造主など存在しないとか、己の苦難を他人と比べてそれが意地悪や嫌がらせで与えられていて自分は不幸になるかも知れないなどと考えるから、恐れ(臆病・不安)が生じ、実際に不幸に招かれるのでしょう。


>まず、オンラインプログラムの参加費が7万円と高額であることです。(中略)Aさんが案内するアヤワスカリトリートも数日間で40万~60万円と相場より高いです。

キチガイじみた料金設定ですね。60万円って、どっかヨソでも見た数字です(笑)詐欺師たちはきっとお互い参考にし合ってボッタクリ料金に「相場感」を出しているのでしょうね。

高い=それでも払う人がたくさんいて成功している=信用できる・価値が高い、などと本質も見ずに信用してしまう「権威主義」が根底にあるからこそ、明らかなボッタクリ料金でも納得して払ってしまうのでしょう。やはり権威主義の利用が詐欺師の常套手段なのです。恐らくサクラや自作自演も効果的に使っているはずです。そうやってコロッと騙される人がどんどんお金を払ってどんどん深みにハマってしまう構造は前述した通りです。

キリストや釈迦は常に無償で真理を教えて人を救っていたのであって、大金を払わなければ何も教えず誰も救わないなんて人が本物であるわけないんですね。愛というのは無償でなければ愛ではないのです。例え恋人同士でもSEXでお金(見返り)を要求したらそれは売春(エゴ)であって愛ではありません。それと同じことです。

この問題の根底には愛を価値とせず、お金を価値とするような「権威主義(エゴ)」があるのです。精神的なもの(愛)の価値を権威(金)で計ろうとするから精神(神の精)から愛されず、騙されて不幸に陥るのでしょう。

お金を払って救われようとすることは、自分だけが救われたいという思いの表れであり、お金が払えない人が救われないのは仕方がないと見捨てていることになります。それは「蜘蛛の糸」のカンダタ的思考であり、いずれ自らエゴの地獄に堕ちていくのが必然なのです。

あなたがその「自己の救いを求めて使っていたお金」をもし何の見返りも求めずに人を救うために使うのなら、きっとあなたに与えられた蜘蛛の糸は切れず、救い・幸せに導かれることでしょう。どうかお金の時代の終らせ方(新六波羅蜜)を読んで、新六波羅蜜を行じ、己の中に宿る愛を育てていって下さいね。


>次に、コミュニティが不幸な人の溜まり場になりつあることです。参加者の中に人生における苦難や不幸の真っ只中である方々が多いことに疑問を感じています。

>また、不幸な人だけでなく、「子宮系スピ信者」「宇宙銀行信者」「レムリア信者」など如何わしい思想の参加者も多いと感じました。

そう感じるのはあなたが本質を見抜く感性を持っているということです。まぁ不幸な人が依存(逃避)先を求めて来ているのであり、詐欺師はそういう人をカモにしているのですから、僕に言わせれば当たり前のことではありますけども。そして外から見ればあなた自身もそういうカモなのカモという視点を持つ事も大事だと思います。あなたが直感している通り、そこにいたら確実にあなたも同じになってしまうことでしょう。


>今回、私の他にもう1人、2回目以上の参加の方がいらっしゃるのですが、前回参加した時から全く状況が良くなっておらず、Aさんのコミュニティに依存してしまっているのではないかと思いました。

それも当たり前だと思います。本物の菩薩でさえ人を救うのは難しいことなのに、詐欺師に救えるわけがありません。そもそも本気で人を救おうなんて思ってすらいないことでしょう。単に自分に依存させて金ヅルにしたいだけ・自尊心の踏み台にしたいだけです。そうやって自分自身の魂でさえ救えていない人に、他人の魂を救えるわけがないんですね。


>この経験から、高額な参加費を支払ってAさんのコミュニティに参加することで、私自身もスピリチュアルジプシーになってしまっているのではないかと不安を感じています。

すみません、スピリチュアルジプシーって表現が面白くてつい笑ってしまいました(笑)
はい、まさにそうなっているかと思います。そう感じているのなら早くそこを離れましょう。自分の感性を大事にして下さい。そしてどうか僕のnoteや質問箱もご参考に、本質を学んで下さいね。僕は依存なんてさせませんし、質問も電話相談も無料で一円もかかりませんから。権威主義によって「お金が高いところほど価値がある」みたいに考えないで下さいね。僕はお金では換算できない価値を与えているからこそ(本気で世界を救おうとしているからこそ)無料にしているのです。


>また、最近Bさんがタントラやクンダリニーを誤って解釈したような性エネルギーのイベントを開催していることにも違和感を覚え、こうした活動は控えてほしいと感じています。

あなたが彼を誤っていると見抜けるのは幸いなことです。ただあなたが「控えて欲しい」と感じたところで相手(NPC)側は変わりません。もうその方は自我を霊障に乗っ取られているのであって、相手にしないのが一番だと思います。タントラとかクンダリニーなど、それそのものの是非はさておき、それを悪用する人がとても多いので注意が必要です。

ちなみに僕は個人的にそういう宗教・スピと性を過剰に絡め、性的快感を追求することが神仏の教えに適うとか、悟りにつながるとかみたいな教えに対して非常に嫌悪感を持っており、興味すら湧きません。釈迦もキリストもそんなことは教えてないでしょうしね(かといって僕は初期仏教みたいに禁欲主義的では全然ありませんが)。例え誰かに「それは本質を理解していない、誤解だ」と言われようと「うるせぇ、バーカ!」って感じです(笑)「恥を知りやがれ!」と。


>正しいスピリチュアルと怪しいスピリチュアルの見分け方と判断基準は何か

ここまで書いてきたように、騙される人というのは他人から「判断基準」なんかを聞いても、目的が愛ではなくエゴ(依存・逃避)なのであれば、結局は騙されるので意味がないと思います。

僕は相手を何かの基準に当てはめて判断しているのではなく、人の本質を見て真理に基づいて判断しているのであり、真理を悟り人の本質を知る過程で「こういう人は信用できない」という実例が蓄積して確信を深めているのです。僕が騙されないのは、常に本質を悟ろうとしていて、他人の考え方を参考にはしても依存しようとはしていないからであり、心を自他への愛で満たすべく日々努力しているからです。創造主の愛を心から信じているので不安がなく、自己利益を考えず全体利益しか考えいないので騙されようがないのです。決して疑い深いから騙されないのではありません。

人間の動機は愛とエゴ(我欲・不安)の2つしかないのです。エゴ(我欲・不安)なのか愛なのか、目的・動機・人間性(本質)を見て下さい。相手が本当に心からの信心を持ち、純粋な愛で純粋に相手の幸せを願ってスピをやっているのか、それともただ愛を偽装しスピをエゴ(金儲け・保身・虚栄)の道具にしているだけなのか。己のエゴから離れて相手を見ることができれば、あなたにもすぐにわかるはずです。そしたら大概の人が宗教・スピをエゴの道具にしていることに気づき、結局は自分が本物になる以外にないのだと悟ることでしょう。他人のことより自分がまずエゴ(不安)より愛を動機していくことが成長の道なのです。

判断基準などというものは日々真理を悟り判断経験を重ねている中で自分の中に事後的にできてくるものであって、自分の経験・感性を信じずに他人から判断基準を聞いて、そこに当てはめて何かを判断しようとするようでは、きっとまた騙されてしまうことでしょう。「何を信じ、何を信じないか?」という判断基準を他人に求めること自体が依存なのであり、それは主人公意識の放棄なのです。

僕ら人間にとって世界はわからないことだらけですから、何かを信じるということと無縁では生きることができません。「何も信じない」という人は、自分の勝手な常識を信じているという自覚すらないだけです。

創造主は我々に主人公として「自分は何者であるか?」を自分で決める経験をさせるために、この仮想現実RPGを与え、あえて何もわからない無明な状態で生んでくれているのです。「何を信じるか?」というその選択をする主体者こそが「自分」なのであり、それが自分自身(人生・世界)を構成しているのであり、その「何を信じるか?」の自分なりの答えこそが「自分は何者であるか?」という問いに対する答え(存在意義)なのです。

それでは、あなたが愛(信心・主人公意識)に目覚め、より本質を見抜く目を持ち、幸せになって下さることを心から祈っております。

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2025年4月15日火曜日

アヤワスカ詐欺&アナログ&性の問題

 アヤワスカ関連でいくつか質問があったので回答させていただきます。

1.シャーマンについて

まず、本物のシャーマンというのは、日々宗教的な研鑽を積み、純粋な愛と信心によって神と人とに尽くし、多くの人を救いに導いているが故に人から尊敬を込めてシャーマンだと呼ばれているのであって、自分から「私はシャーマンです」などと自称して高額な儀式の参加者を募集する人が本物のシャーマンなわけがないんですね。その時点で詐欺師だと思って差し支えありません。

もし幻覚剤で精神的におかしくなってしまったら、失うのはお金だけではなく人生全体になるので、幻覚剤を使ったスピ詐欺というのは通常のお金だけ騙し取る詐欺よりずっとタチが悪いのです。幻覚剤を使った儀式は、余程信頼のおける人が主催者でないのなら、参加するのはリスクが高過ぎると僕は思います。

そしてアヤワスカの儀式を受けるには、次のような人は絶対にやめるべきですし、ましてシャーマンなど目指すような資質ではないと知るべきです。

1.信心の薄い人(現実主義・物質主義・唯物論・無神論の人)
2.統合失調症など重篤精神病を抱え、自我を正常に保てない状態の人
 (憑依体質で邪霊・動物霊に乗っ取られやすい人)
3.エゴが強すぎる人・エゴが主目的の人(金稼ぎ・人気稼ぎなど)
4.健康に問題がある人(特に心臓・脳などの疾患)
5.臆病な人
6.自分と向き合うのを拒否している人・許せない人
 (自他に対して寛容さに欠ける人)
7.超能力・神通力などを得ようとしている人(呪術等)

詳細はアヤワスカの儀式を受ける前の心構えをご参照下さい。

やりたい人は周囲が止めてもやるでしょうから、ここで注意喚起する意味はあまりないかも知れませんが、周囲にそういう人でアヤワスカの儀式を受けたい人がいたら何とか止めてあげて下さいね。

そして上記の項目に当てはまるようなシャーマンの下では儀式を受けるべきではありません。「儀式を受けたい」という強い希望があると、「この人はマズそうだ」という自分の直感をねじ伏せてしまいがちなのでご注意下さい。

スピリチュアルなことでお金を稼ぐのは余程注意しないと、カルマを積んでロクなことになりません。それは僕の知る限り例外がありません。スピをお金儲け目的に使うと、まず家族から先に悪影響が現れるので本当に残酷です。それで現地では「結婚したいなら(自分の家族を持ちたいなら)シャーマンはやるな」って言われているぐらいです。シャーマンというのは基本的に巫女・覡(おかんなぎ)なのであり、神と結婚しているというぐらいの気持ちがなければやるべきものではないのです。「家族を養うためにもっと稼がなければ」などと考えるような人間ではダメなのです。

よく誤解されるのですが、僕は一度たりともシャーマンを自称していませんし、シャーマンになる気も全くありません。界隈で「日本人シャーマン四天王」などと呼ばれて自称シャーマン詐欺師たちと同列に語られるのは不本意でしかありません。信仰心もなく、自殺者や発狂する人が出ても平気でボッタクリ料金の儀式を続けているような詐欺師たちとは絶対に一緒にされたくないです。

僕はアヤワスカ短期修行についてに書いた通り、note&質問箱の内容に共感してくれる読者の方に限り、希望があれば基本的にアテンドさせていただいていますが、一対一でしかアテンドできませんし、今までもこれからもそれで儲けようとか生業にしようという気は全くありません。

自称シャーマン詐欺師たちは費用を公にはしないで、自分の信者にだけ「選ばれたあなただけに」みたいな感じで特別感を演出しつつ、限定で明かすようです(1、信心がない。2、シャーマンを自称。3、高額な儀式料金を一般に明かしていない。はスリーアウトです)。明らかに詐欺的な高額料金なので、公にしたら確実に叩かれますからね。そして日本人が現地のアヤワスカ儀式の相場を知らないのをいいことに、現地で一週間で60万円も請求する日本人自称シャーマンもいるそうです。往復の交通費なども入れたら100万円をゆうに超えるでしょう。現地では外国人セレブ向けのボッタクリ料金の儀式でも20~30万円程度で、その倍以上なんですから、どんな理由をつけようと詐欺としか思えません。その自称シャーマンにもそこで儀式を受けた人たちにも今後どんな悪影響があるかとても心配してます。

先住民は「信じていない」
幻覚を求める欧米人が熱狂した「アヤワスカ・ツーリズム」の実態

上のリンクの記事にある通り、現地に行けば必ず本物のシャーマンの儀式を受けられて素晴らしい経験ができるなどと考えているのなら大間違いです。現地はアヤワスカブームによって外国人から多額の金を得ることを目的とした「自称シャーマン詐欺師」だらけであり、彼らの儀式によってネガティブな経験をする人がとても多いのです。

シピボ族みたいな原住民たちがみんな「聖人である」みたいに勝手にイメージしないで下さいね。彼らの殆どはきっと「奪われ続けて来た悲しい歴史」のせいで「お金に頼るしかない」という考え方になっているのだと思いますが(同情すべきことですが)、異様にお金にがめつく、アヤワスカを受けに来る外国人など完全にカモとしか認識してなくて、それによってカルマを積んでいる人がとても多いのです。

冷静に考えて下さい。金になる外国人ばかり相手にして、金にならない現地人を相手にしていない・現地人から相手にされていないようなシャーマンが本物なワケがないんですね。

何より日本人が、確たる信心もなく、現地の神々を知ろうともせず、現地の言葉を覚えようともせず、現地の人たちと人間関係も築けていないのに、唐突にアマゾンの奥地にポッと行って本物のシャーマンに出会い、大金を払うことでその金額に見合った素晴らしい経験ができるなどと考えるのは非常に安易だと僕は思います。そんな感じでも運よく素晴らしい経験ができる人もいるかも知れませんが、リスクはとても高いと思います。例えその場では良い経験ができたとしても、カルマを積むことになって遅かれ早かれ痛い思いをすることになると思います。人が騙されるのは己のエゴに埋没して愛がないからであり、悪いのが騙す方で騙される方は無辜(イノセント)の被害者だと思うのなら大間違いです。


2.アヤワスカ・アナログ(疑似物)について

日本のアヤワスカユーザーは、日本で本物のアヤワスカが手に入らないので、ほぼ確実にアヤワスカ・アナログ(疑似物)を使っています。要するに偽物・紛い物を使っているわけです。大抵はアカシア・コンフサと市販のMAOIとの組み合わせのようです。そのように有効成分の化学式が同じなら同じものだろうと考える時点で、スピリチュアルでは全然なく、信心もアヤワスカに対するリスペクトもないのです。

アヤワスカは科学的には幻覚成分であるDMTと、その体内分解を阻害するモノアミン酸化酵素阻害薬(MAOI)の組み合わせできています。DMTというのは人間の体内で生成されているものであり、また人間だけではなく殆どの動植物に分泌されているものなのです。それが意識拡張効果を発揮するのは体内分解を阻害するMAOIの働きによるものなのです。

現地で特に神聖視されているのは、MAOIが摂れる貴重なカーピの方なんですね。ブラジルでは多くの場合アヤワスカのDMTはシャクローナと呼ばれる植物などから取られているのですが、別にシャクローナじゃなくて他の植物でも全然代用が利くので、特別に神聖視はされていません。アヤワスカはDMTよりもMAOIを何から取るかによって大きくその効果が異なるのです。

アナログユーザーというのは、その特別に神聖視されているカーピの代用として市販の薬(製薬会社による金儲けのための化学薬品)であるMAOIを使っているのですから、スピリチュアル的にとてもリスクの高い(冒涜的な)行為をしているのであり、ロクなことにならなくて当然なのです。

魂の成長プログラムである人生において、金儲けや現実逃避(エゴ)を目的に幻覚剤を使うことはバッドエンドを選択することであり、ロクなことにならないのは当然のことなのです。それは極度の人見知り(大麻・LSD)に書いた通りです。

自称シャーマン詐欺師の元で、アヤワスカ・アナログで儀式をやるなんていうのは僕から見れば狂気の沙汰であり、発狂する人や自殺する人が出るのも当然のことではないかと思います。何とか止めたいですが、今のところこうして警告を発する以外に処置なしです。

アカシア・コンフサと市販薬のMAOIの組み合わせによるアヤワスカ・アナログは材料費的にも手間的にも非常に低コストであり、知識のない人を騙して高額な儀式代をボッタクる自称シャーマン詐欺師たちに後々どれだけのカルマ清算が待っているかは想像もつきません。まともに社会でやっていけないために幻覚剤の詐欺をするしかお金を稼ぐ方法が思いつかないことには同情しますが、騙す方も騙される方も不幸になっていくのは見たくありませんし、何とか救いに導きたいので、早めに気づいて改心して貰いたいです。


3.アヤワスカと性

アヤワスカというのは自然由来の神聖なメディシン(医薬)であり、化学薬品でも毒でもありません。現地の界隈では妊婦の方やお子様も普通にアヤワスカを飲んで何の問題も起きていません。もちろん心配なら妊婦の方やお子様は避けるに越したことはありませんが。心配しながらやっても良いことはありませんし、何かあった時にアヤワスカのせいにしてしまうのは本人にとっても主催者にとっても不幸なことですので。僕の方でも「絶対大丈夫」と言って保証して結果責任を取ることはできません。何事も信じる信じないは自分次第であり、結果責任を負うのも自分です。

それとペルーの現地において、生理中の女性はアヤワスカを飲んではいけないと(ピルで儀式と生理が被らないようにと)参加希望者に伝えている日本人自称シャーマンがいるという報告を受けました(上記の一週間60万円の話と同一人物です)。しかし僕は「生理中はアヤワスカを飲んではいけない」などと言う儀式主催者に出会ったことがありません。ペルーの一部の部族では生理中の儀式参加を禁止しているところもあるらしいですが、それでもピルを使って儀式のために生理の日を調整するなんてことはさせるはずがないです。生理中にアヤワスカを飲んだことが原因で何か問題が起きたという話を僕は聞いたことがありません。そして生理を理由に儀式に参加するのを止めたという人の話も聞いたことがありません。みんな生理中でも普通に儀式に参加していると思います。

そもそも儀式というのは神(自然)との調和のためにやるものであって、ピルで生理の日を調整するなんていうのは明らかに神(自然)との調和に反している話であり、僕からすれば冒涜的にすら感じます。もちろん生理が重い人は生理中に無理に儀式に参加すべきではないと思いますが、さりとて主催者側が儀式が生理と被る可能性のある女性全員に対してピルを飲ませて調整させるなんていうのはめちゃくちゃな話だと思います。

以前僕が自分のファミリーの長に確認したところ、ピルの使用自体はアヤワスカに影響がないと言っていましたが、個人的にそんなものが身体的にもスピリチュアル的にも良いわけがないと思っています。僕は男性なのでピルとアヤワスカの薬物相互作用について自分で試すわけにもいきませんし、儀式参加者の女性に対して性に関することをあれこれ質問してその統計を取るってわけにも行きませんが、何かしらの悪影響が必ずあるはずだと思っています。

もし避妊具を使わずに性行為をするという完全な快楽目的でピルを使用するというのであれば、その考え方からして神(自然)との調和に反しているように思えてなりません。これはあくまでも僕の個人的な意見ですけどもね。もちろん皆さんそれぞれ色々事情はおありでしょうから「ピルを飲んでいるなら儀式を受けてはいけない」とまで言うつもりはないですが、わざわざ南米まで来て儀式に参加しようとしているというのに、避妊具なしの性交(エゴ)のためにあくまでもピルを飲み続ける(神・自然の意思に反する)という方を、僕は正直あんまりアテンドしたくないです。お互いにカルマを積んでしまいそうなのでね。

通常、儀式の2~3日前から性行為は禁忌になりますが、それは道徳的な理由ではなく、自分の意識を上位へと登らせるのに性のエネルギーもあった方が良いからです。短期の禁欲によって神に敬意を示す、という部分もあると思いますけどね。儀式はエネルギーを消耗するので、儀式中・儀式後は(通常)性的なことはあまり考えられなくなります。

しかし中には悪徳シャーマンがいて、性的な目的のためにアヤワスカを使う人もいるそうです。さすがに儀式中に無理やり性的行為に及ぶというような話は直接は聞いたことがありませんが(被害者以外全員がグルじゃないとまず無理ですからね)、儀式を手伝う女性たちに対して指導的(優位)な立場を悪用し、儀式外で二人きりになった時に性的行為を半ば強要してくる主催者がいるという話は結構よく耳にします(そういう加害者も被害者も知っています)。とても残念なことです。そういう噂がある主催者には関わらないのが一番です。もちろんそれは南米の現地でも日本でも同じことです。

それと僕は個人的に宗教・スピと性を過剰に絡めた教えが大嫌いで、タントラだのクンダリニーだのを性的快楽の追求のためにやるような人を信用していません。密教でも性を重視するようなものがあるみたいですが、僕は全く興味すらありません。そんなものが神仏の心に適うわけがなく、悟りに繋がるとは到底思えませんので。釈迦やキリストがそんなことを教えていたわけがありませんしね。

2025年2月15日土曜日

アヤワスカと霊視能力

【質問】年齢不詳・女性

お久しぶりです、しんやさん。

最近、霊視能力があるという方とネットで知り合いました。

 
それでこんなこと言われたんですが、意味分かったりしますか?🥹アヤワスカをたくさん飲んでこんなに見えるようになったとかなってないとか..🤔

【回答】
ご質問ありがとうございます。

そういう霊視ができる本物の霊能力者もきっと世の中にはいるのでしょうけども、その方が本物かどうかはその内容だけでは判断しかねます。動機が純粋な愛(衆生救済)なのかエゴ(自己利益=富・名声・精神的支配・性的搾取など)なのかもわかりませんし、何よりあなたがそれを自分で判断できるようにならなければ意味がありません。

ただ、もし本物の霊能者であれば、宣伝なんかしなくても口コミだけで依頼が殺到して手に負えなくなるはずであり、ネット上で不特定多数に向けて依頼者を募集するなんてことがあるはずはないでしょう。しかも己の素性も隠したままで。よって「自称霊能力詐欺師」による、詐取のためのネット上の撒き餌である可能性が非常に高いと僕は思います。

例えばエドガー・ケイシーみたいな(恐らく)本物の霊能力者の存命中にネットがあったとして、彼が素性を隠しながらネット上の素性もわからない人間に対して霊視なんてすると思いますか?それを考えればわかることでしょう。

詐欺師というのは大抵まともな人が見ればすぐ怪しいと気づけるものに、往々にして人が自らその疑念から目を逸らして騙されてしまうのは、人というものが物事を自分のエゴ(願望)に都合よく考えるように作られているからです。だから詐欺師は相手のエゴ(願望)を刺激することさえできれば、あとは相手が自ら勝手に騙されてくれるものなのです。なまじ知能がある人ほど、物事を自分のエゴ(願望)に都合よく解釈し、それがデタラメでももっともらしく理論構築して他人まで納得させて被害を拡大する能力が高いのであり、決して詐欺師より知能が低いから騙されるのではないのです。このあたりの話は詐欺被害に遭って悔しいを読んで下さい。

人はみんな自分を賢い・正しいと思って生きています。しかしそのこと自体が騙される隙になるのです。創造主は成長経験を積ませるためにわざと人間を愚かに創ったのであり、程度の差はあってもみんな等しく愚かなのです。もちろん僕もあなたもです。

しかし世の中、実に多くの人が「他者評価依存」のために「己の自尊心の脆さ」に苛まれていて、それを支えるために「自分は正しい=価値がある」という感じで自己防衛しており、そのために他人とぶつかって自尊心を下げ合ってしまうのです。そして己の正しさを価値とするために、己の間違いを認めることができず意固地になってしまい、それによっていつまでも成長できないものなのです。成長というのは、今までの己が愚かだと気づくことによってしかもたらされないものなのです。このあたりの話は同じ過ちを繰り返してしまうに書きました。

そしてカルマの良化法に書いた通り、カルマというのは自分の人生の課題でありテーマなのであって、それは基本的に自分で見つけるものなのです。それを他人に頼るのは「私の人生のテーマは何でしょうか?」と他人に聞くようなもので、ナンセンスなのです。まして実際に会ったこともない、素性も知れない自称霊能者を頼るなどというのは。だから問題はその自称霊能者が本物かどうかではなく、あなたのカルマに対する向き合い方なのです。そこに依存体質がある場合、悪い人たちから容易に餌食にされてしまうのです。あなたが相変わらず依存体質から脱却しようとせず、自分の課題から目を背け続けるなら、また同じような不幸に巻き込まれ続けるだけになってしまうことでしょう。

「もしアヤワスカでそのような霊能力が本当に手に入るのなら自分でもやってみたい」とあなたは思っているのかも知れません。しかしあなたからの今までの相談内容から見て、大変失礼ながら統合失調症(霊障による自我の乗っ取り・制御不全)の傾向があり、そのような人が幻覚剤に手を出すと取り返しのつかないなる(廃人のようになる)恐れがあるため、まだ自尊心が脆く傷つきやすい今の状況を克服できるまでは、決して幻覚剤に手を出してはいけないと思います。幻覚剤というのはいつでも誰に対してもポジティブな影響があるというものではなく、条件によってはとてもリスクが高くなるものなのです。どうか誰でも自信満々になれる方法を実践し、愛によって揺るぎない自尊心を手に入れて下さい。

僕自身、700回以上儀式を受けてみて、自分自身や一緒に儀式を受けた人の霊的問題・カルマが見えたり感じられたりすることはありましたが、それは僕の方から意図的に見ようと思って見えるわけではなく、向こう側から(僕の課題・使命として)一方的に受信させられる感じです。ネット上でよく知りもしない人の霊視などとてもできませんし、それができるという人も(少なくともリアルでは)一人も知りません。

日本の自称シャーマン詐欺師たちは、幻覚剤で霊能力を手に入れていると勘違いしていますが、例え本当に能力があったとしても、それはエゴが目的の「呪い」のようなもので、そんな人を頼って良い結果につながることはありえないのです。ぜひ友人がスピ詐欺にハマりそうを読んで下さいね。

実に多くの人が己の中に抱えた劣等感ゆえに「他人にはない特殊能力を手に入れ、他人から評価されお金を稼ぎ、ちやほやされて偉そうにすることで自尊心を満たしたい」というエゴによって霊能力を求めています。そういうエゴの方が「人・世の中を救いたい」という愛よりも圧倒的に強いんですね。しかしそのようなエゴは神仏の意思(愛)に反しますから、例えそのような思い出霊能力を手に入れたとしても、それはネガティブな存在によるエゴの力なので、ロクな結果にはならないのです。

特殊な霊能力など手に入れようとしなくても、本当に霊的に成長すれば、どんな人・どんな物事でもその本質を見抜き、創造主が何を覚らせようとしているのかを正確に理解できるようになります。僕は神通力(超能力)についてに書いた通り、浄霊能力以外の能力を求めていません。そして浄霊能力というのは誰でも持っているものであり、特殊能力ではないのです。みんなが浄霊し合ってその能力を高め合ってお互いの存在に感謝できるようになれば、みんなが自ずから幸せに導かれるので、世界が救われるためにはそれ以外の能力など必要ないのです。

浄霊能力を高めるには?に書いた通り、浄霊能力というのは霊的成長・信心の強さに連動して必然的に高められるものです。だから僕は浄霊能力を高めて人からちやほやされて自尊心を高めることを目的に修行をしているわけではなく、あくまでも目的は「みんなが幸せに導かれること=全霊魂の救済(愛)」なのです。それゆえに自らも幸せに導かれているのであり、あなたにも心の底からそのような思いを持って幸せに導かれて欲しいのです。どうか相手を自分の自尊心のために利用することしか考えていないようなエゴの強い霊能力詐欺師たちの餌食になることなく、日々浄霊を受けて、人にも浄霊してあげられるようになって下さいね。あなたがその意思さえ持てば、必ずできることなので。

人生はRPGであり、能力は必要な者に必要な時に必要なだけ与えられるものですから、今持ってない能力を求めるよりも、今ある能力を駆使し、世界を救う為に目の前から自分の使命を果たしていこうという意思の方が大事なのです。

それでは、あなたの幸せを心よりお祈り申し上げております。

2025年1月5日日曜日

儀式を受ける前の心構え

【質問】30代・女性
タイにアヤワスカのリトリートを受けに行きます。
受ける前の心構えなどがあれば教えて下さい。

【回答】
ご質問ありがとうございます。僕はタイのアヤワスカ事情を全く知らないのですが、よくよく評判を調べてから選んで下さいね。きっと良い主催者のところで素敵な経験ができますように、心より祈っています。どうぞお気をつけて。※2026年現在、基本的に僕はいわゆる幻覚剤の使用に関して非推奨派(反対派)です。僕が止めてもどうしてもやりたいという方向けにこの記事を書いています。

あなたが予見されている通り、アヤワスカは事前の心構えがとても大事なのです。そこがしっかりしていないと、良くない方向に導かれてしまう可能性が非常に高いですから。※心構え以前に、主催者による事前の注意(食事等の禁忌など)に従うことは大前提です。

アヤワスカは「修行」ですから、辛い・苦しいのが当たり前だと思って下さい。相当な覚悟が要ります。身体的・精神的に辛く苦しいのを乗り越えない限り、何も良くはなりません。生半可な気持ちでは受けない方が良いです。

興味本位で幻覚体験がしたいだけの人とか、レクリエーション感覚の人とか、SNSのネタ作り感覚の人とか、スタンプラリー(旅行のついで)感覚の人とか、ギャンブルの感性を上げて儲けたい人とか、そのように動機が軽い人・邪な人の場合、僕のところに依頼が来ても断ります。自分自身と向き合う覚悟がなければ良い影響などあるわけがないからです。

アヤワスカの効果は本当に本人次第のところが大きく、アヤワスカを飲みさえすれば素敵な神秘体験ができるとか、病気が治るとか、覚れるとか、幸せになれるとか、甘い考えの人はきっと後悔することになると思います。後悔できるならまだいい方で、無自覚に狂わされるリスクが非常に高いのです。特にきちんと良い方向に導ける指導者の下で受けるのでなければ。

アヤワスカは精神病の治療に効果があると言われていますが、統合失調症など自我を正常に保てていない人は受けてはいけません。本当に主人格が戻って来れず、精神分裂状態になる可能性が非常に高いからです(そうなっても自覚はできません)。

あなたは何のためにアヤワスカの儀式を受けに行くのでしょうか?その目的はエゴ動機なのか、愛動機なのか、「動機・目的」は非常に重要です。前者であればまず受けないことをお勧めします。アヤワスカというのは半強制的に愛に目覚めさせるためのものであり、エゴが強いと逆方向に作用して、自称シャーマン詐欺師たちのように「よりエゴに埋没した壊れた人間」になってしまったりする恐れがあるからです。

さて、前置きが大変長くなりましたが、僕がアヤワスカ・チャレンジャーに必ず事前に話す心構えについて、ここにお伝えしておきたいと思います。

1.逃げないと決めておく(自分自身と向き合う覚悟を持つ)
アヤワスカであまり良い効果が出ない人に確実に共通しているのは、自分自身に対して・自分自身のカルマ(人生の問題・課題)に対して向き合う気がなく逃げているということです。もちろん自分と向き合うということは誰にとっても辛いことですが、そこから逃げるのならアヤワスカの儀式を受ける意味がありません。何があっても逃げない・向き合うという覚悟を予め持っておいて下さい。

2.恐れないと決めておく
世界は愛と勇気を試すためのRPGですから、当然あなたを怒らせ、また不安にさせてきます。そしてアヤワスカは意識を拡張させるものですから、怖いと思ったらその意識が拡張されて際限なくどんどん怖くなってしまいます。それは神の意地悪ではなく勇気を試されているのですから、何があっても恐れないと予め決め込んでおいて下さい。そして恐れだけではなく全ての意識が拡張されるのですから、悪い意識を持たないように予め覚悟を持っておいて下さい。

3.許すと決めておく
アヤワスカでどんな体験をするかは事前にはわからないものなのですが、大概の場合、自分の過去と向き合わされることになるという点では共通しています。そこでかつて他人を害してしまったことや、他人から害されたことを追体験させられます。その時になってから許すかどうかを決めようとすれば、きっと安易に「許さない」という選択をしてしまうでしょう。しかしそれでは神からの「Misson Failed」を喰らって良くない結果に繋がってしまい、せっかく儀式を受けても逆効果になってしまいます。だから「何を思い出しても自分も相手も許す」と予め決め込んでおいて下さい。「自分は許すために来たのだ」と。

4.何が起きてもポジティブに解釈し、導きに従う覚悟を決めておく
アヤワスカの神は決して嘘を教えません。人間が解釈を間違う可能性があるだけです。全ては愛によって与えられているのですから、もしネガティブな経験をしたとしても、必ずポジティブな意味があるので(警告など)、ポジティブに解釈すると予め決め込んでおいて下さい。うまく解釈できず混乱したりしたら、ぜひ僕に相談して下さい。もし導きがあったのに従わなかった場合、ペナルティー的に良くない方に導かれることが多いので、神を信じずその導きに従う覚悟が最初からないのなら受けない方がかえって良いかも知れません。
※ウィル・スミスも青汁王子も導きに従わなかった結果、かえって悪い方向に導かれている感じがします。

5.信心・感謝報恩の気持ちを持つ
日本人は不信心な人が多いですが、アヤワスカの儀式というのは神との対話であり、何の神様でも良いのですが、信心自体がなければ話になりません。信心のない人はあっという間に魔に憑りつかれてしまったりします。そして僕がいつもnoteに書いていることですが、人生という経験機会を与えられていること自体に感謝の気持ちを持ち、他人と比べず、主人公意識を持ち、被害者意識を持たないようにして下さい。被害者意識はNPC意識であり、成長拒否であり、人を不幸に導く最たるものです。アヤワスカの儀式に招かれるというのは神の導きがあってこそのものですから、心から感謝の気持ちを持ち、それを自分なりに形にして下さい。

いかがでしたか?

1.逃げないと決めておく(自分自身と向き合う覚悟を持つ)
2.恐れないと決めておく
3.許すと決めておく
4.何が起きてもポジティブに解釈し、導きに従う覚悟を決めておく
5.信心・感謝報恩の気持ちを持つ

一言で言うなら「愛と勇気」です。これはとてもとても大事なことなので、必ず手帳か何かにメモして、事前に強く意識しておいて下さい。余程強く意識していないと、意識変性中にそれを思い出すのは困難で、己のエゴ(欲望・保身・恐怖・怒り・被害者意識)に打ちのめされてしまってあまり良い影響が出ない人をよく見かけますので。

そしてできるだけ事前に僕のnote&質問箱を読んでおいて下さいね。今はよく理解できなくても、アヤワスカを経験することでよく理解できるようになると思いますし、それが悪い方向に導かれないための防波堤になると思うので。

それでは、あなたが幸せに導かれることを心よりお祈り致しております。

2024年10月15日火曜日

アヤワスカとLSDの違い

 【質問】40代・男性 ペンネーム:Void
アヤワスカとLSDの違いについてShinyaさんのご意見を聞かせて下さい。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

回答させていただく前に、何点かご了承いただきたいことがあります。

1.私自身は2025年のみでLSDの使用を止めており、金輪際使うつもりはなく、他人様にお勧めすることは決してありません。アヤワスカも約6年間で800回以上の経験によって僕が求めていた答えに到達したので、僕にとってはもう必要はなくなりました。LSDもアヤワスカも他人様に向けてお勧めする気は全くありません。
何よりアヤワスカもLSDも日本では違法であり、そして幻覚剤の使用には法的リスク以外にも様々なリスクがあり、僕は幻覚剤全般について反対派寄りの立場です。
特に統合失調症や双極性障害・多重人格症など自我を制御できていない状態にある人は大変危険なので絶対やるべきではありませんし、決してやらせないで欲しいです。

2.この記事の内容は全て僕の個人的な感想・解釈に過ぎません。「幻覚剤とは何か?」の前に「意識とは何か?」がまだ科学では全く解明されてないわけですし、また幻覚剤は様々な条件によって影響が変わるものなので「飲めば必ずこういう経験ができる」と保証するものではありません。アヤワスカもLSDもネガティヴな影響が出るリスクが多々あります。もちろん僕の経験も解釈も絶対的なものではないので「アヤワスカ/LSDとはこういうものだ」と決めつけて他人様に押し付けるつもりは毛頭ありません(ハゲなだけに)。

3.アヤワスカの主成分はDMTでもDMT単体で摂取するのとは全然違います。本題ではないのでその違いはここでは説明しません。

4.「幻覚剤=違法=悪」だと経験もないのに決めつけるような人には、まるで内容が伝わらないと思います。アヤワスカとLSDのいずれか、または両方を経験したことがある人で、スピリチュアルなことにある程度の知識と理解がある人向けであり、そういう人がより理解を深め、考えるきっかけにしていただくことを目的として書きました。

以上

アヤワスカは数千年続いている文化であり、土着の宗教・信仰と不可分のものです。ノウハウの蓄積がしっかりあって様々な決まり事があり、伝統的にそれが守られています。「アヤワスカとは何か?」ということが、伝統的・文化的に知られているのです。

もっともブーム以降は金などのエゴ目的でやっているエセシャーマン詐欺師が急増しているので注意が必要です。彼らは「フリ」をして稼いでいるだけの「なんちゃってシャーマン」なのであり、心からの信心・霊的研鑽はなく、アヤワスカの伝統など本当は表面的にしか知らないのです。現地では「本当の伝統は既に途絶えている」という人も多くいます。シャーマンを自称して生業にしているような人間はほぼ確実に詐欺師であり、本物のシャーマンが自らシャーマンと名乗ってネットで宣伝して高額な儀式に参加させて金儲けをするわけがありません。

まして信心も宗教的な知識・研鑽もなく、ただアヤワスカのアナログ(疑似物)を用いる自称シャーマンは確実に詐欺師であり、他人を精神的配下に置いて自分を崇拝させながら金儲けをする手段に幻覚剤を使っていて、狂って自殺する人などが何人も出ているそうなので、絶対に騙されないようにして下さい。失うのはお金だけではなく人生全体なのですから、ただの詐欺師よりもずっと危険です。

LSDはアヤワスカと比較すると近年に偶然発見されたものであり、自然由来とはいっても化学薬品の部類であって、伝統的な宗教・信仰とは結びついていません。そして「LSDとは何か?」ということが実際誰もよくわからないまま、主に幻覚遊びのために使われ、ヒッピーやレイヴなどの退廃的なカルチャーと結びつき、またオウムのような悪質な新興宗教に悪用されたりもして、事故・事件が多発し、研究も進まないままにただただ悪者扱いされて厳しく取り締まられてきた経緯があり、まだまだ文化と呼べるレベルには全然達しておらず、今後も達することはないと思います(理由は後述します)。

ごく最近は幻覚剤が精神病の治療に有効であることが注目され、一部ではサイケデリック医療の研究も進められていますが、それは精神医療のメインストリームからはまだ程遠い感じがします。またその研究における科学的なアプローチ自体がスピリチュアルな文化・信仰とは相容れないものであり、僕は個人的にサイケデリック医療の進展には全く期待はしていません。特にLSDはそれが何であるかが自分なりにはっきりわかった今となっては、LSDを精神医療に使うなどというのは狂気に感じます。心の病というのは成長課題として天より与えられているものであり、基本的には対話によって本人が自分で乗り越えて行けるように導くべきものだと思います。精神病・精神医学について

そしてサイケデリクスが精神薬の一種として=医療・製薬業界のお金儲けの手段として資本主義の内側に取り込まれて矮小なものになり、またそれが神意に反することによって悪い影響が出てしまうことを僕はとても危惧しています。スピリチュアルを自己利益的に使うことが、いかにカルマを積んで後からどれだけ凄惨な清算が待っていることになるかは、僕がこの約5年間アヤワスカ・スピリチュアリズムに関わって日々見聞きして思い知らされていることですからね。

ただ、南米以外で、幻覚剤全般が覚醒剤やコカインなどと同じように扱われて一様に厳しく取り締まられている現状には憤りを感じます。アヤワスカもLSDもそれらのドラッグとは違って快感があるわけではないですから、身体的に依存症になるような心配は全くありません(精神的に依存する人はいるかも知れませんが)。使用中は性欲もなくなるのでSEXドラッグみたいにして悪用されることもまずないと思います。

特にアヤワスカは現代医学で殆ど解決できていない精神病の問題の解決に寄与する可能性を持っているものであって、意識を変性するもの=麻薬=悪と決めつけて、他の薬物と同じように取締強化&厳罰化するのはナンセンスだと思うんですね。

アヤワスカで危惧すべきことは、知識と経験と良心のある主催者(保護者)の下で使用されず、悪用・乱用されて事故に繋がることだと思います。厳罰化するとアングラに潜り込んでそのリスクは上がってしまうので、しかるべきルールの下で限定的に許可した方が良いと個人的には思うのですが、現状、そのような限定的な解禁も日本では絶望的な状況です。

アヤワスカ茶はとにかく不味いので、何度飲んでも全く慣れず、飲む前はいつも躊躇します。その強烈な味・吐き気・不快感が障壁となるので、依存症にはなりようがないと思います。

アヤワスカは事前に食事制限があって様々な禁忌があるのですが、その制限内なら摂取前に食事しても大丈夫です。むしろ何も食べてないと吐くものがなくて浄化できず苦しくなります(嘔吐&下痢は浄化であり、必要なプロセスです)。

LSDは紙でもリキッドでもごく微量で作用しますし、ほぼ無味無臭で吐き気もありません。だからアヤワスカと違って味や臭いや吐き気が摂取の障壁とはならず、アヤワスカより遥かにカジュアルに使用されていると思います。ただしLSDは摂取前に空腹で挑む必要があり、胃に食事が残っていると全く効きません。そしてLSDもハイドーズすると吐き気があります。事前に食べてないので胃酸しか吐けず内臓が結構苦しいです。吐いても浄化されているという感じはあまりありません。そしてハイドーズだと他では経験したことのない頭や内臓の不快感もあります。

アヤワスカは効き始めに寒気が生じて、口がカタカタ鳴ったりします。体内の精霊が仕事をする時はそうなるらしいです。そして顔の半分が口になるぐらい大きなあくびが出ます。この仮想現実から目覚めようとしている感じで、僕はそのあくびが好きです。LSDもハイドーズすると独特の寒気があり体が震えますが(震えというより痙攣)、それは精霊の仕事というより身体の純粋な生理反応という感じがします。LSDではあくびは出ません。アヤワスカは血中に溶けてから吸収されて意識に作用する感じですが、LSDはより意識へダイレクトに作用している感じがします。

ブラジルのアヤワスカ界隈では、妊婦や小さい子供も普通にアヤワスカを飲んでいます。日本のYouTuberでアヤワスカを「一種の毒である」と説明している人がいましたが、アヤワスカに毒性は皆無です。恐らくアヤワスカと一緒にやることが多いカンボ(蛙の毒による浄化)の情報などと混同しているのだと思います。LSDにも毒性はないと思いますが、とてもリスクが高いので(後述します)、妊婦や子供が使って良いものではないと思います。

アヤワスカは毎日やっても大丈夫なものですが、LSDは一時的に耐性がつくので、1~2週間は間を空ける必要があります。空けないといくら摂っても全く効きません。そしてLSDは脳の受容体が吸収できる量に上限があり、一回1200ドーズぐらいが限界で、それ以上摂っても作用は変わりません。マイクロドーズについてはやったことがないのでわかりません。DMTの吸収上限についてはわかりませんが、アヤワスカを大量に飲んでDMTを過剰に摂取するというのはまず無理です(大量には飲めませんし、例え飲んでもすぐ吐いちゃいますからね)。だから健常者であればアヤワスカでもLSDでも過剰摂取による死亡事故というのは(静脈注射などをしない限り)まず起こらないと思われます。ただ錯乱などによる二次的な事故は話が別ですし、他の薬物との相互作用があれば少量でも大変危険です。

正直、LSDは絶対やらない方が良いと思います。僕は何事も自分で試してみなければ気が済まない性分でLSDを試しました(覚せい剤のように依存性が強くて人生に良い影響が何もないと最初からわかっているものを試すほどバカではありません)。僕はそれまでにアヤワスカで意識変性・自我喪失状態を何百回も経験していて、また意識・世界・脳・幻覚剤の仕組みの理解が既にかなり進んでいたので、意識変性中に何が起きてもその理由を論理的に理解できたのですが、それでもLSDの使用中は気が狂いそうになりました。いわゆるバッドトリップではなしにです(後述します)。LSDの使用は素人が自分の脳というパソコンのシステムをアドミニストレーター権限で弄り回すようなものであり、ヘタすればもう二度と正常に起動しなくなって、自分にも他人にも手に負えなくなり、人生が壊滅的になる恐れがあります。実際そういう人はたくさんいるのです。

幻覚剤全般が誰にでもおすすめできるものでないのは冒頭に書いた通りですが、特にLSDについては本当におすすめしません。精神分裂のリスクが高過ぎます。やりたい人は他人から何を言われてもやるでしょうから止める方法はありませんし、止める意味はありませんが、まだ迷っている状態なのなら絶対やめるべきです。それは経験した上で確信しています。

効き始めるまでの時間はアヤワスカもLSDも30分ぐらいですが、効果の持続時間は大きく違います。アヤワスカの効果はせいぜい2時間程度と短いのですが、悪い霊に憑依されたりなど良くない反応があった人を途中で醒めさせるのは難しいです。基本、効き目が切れるまで待つしかありません。一方LSDは効果が5~6時間以上と長く続く半面、醒めたい時には食事を摂ればすぐにストンと落ちるので、その点はアヤワスカよりもラクではあります。

アヤワスカとLSDの共通のメリットを一言で表現するなら、どちらも仮経験的に人を自我から解放することで真理に気づかせる(覚らせる)ヒントを与えてくれるものだということです。そして共通のデメリットは、精神を分裂させる(霊障に自我を乗っ取られる)リスクがあるということです。

幻覚剤を経験したことのない人にとって幻覚剤のイメージというのは「一時的に頭が狂っておかしくなる」「夢のように荒唐無稽でおかしな幻覚を見る」という感じだと思いますが、幻覚剤で経験する世界というのは各個人の脳が狂って勝手に産み出している荒唐無稽なものではなく、実際に存在する別次元の世界のチャネルと松果体というアンテナを通して繋がっているのです。そこにはこの世界と同じようにきちんと設定とシナリオがあり、一つ一つの事象に意味があり、共通性・法則性があるのです。僕らにとってそれが理解し難いというだけで、決して荒唐無稽なわけではないのです。そして僕らの認識しているこの世界も無数にある共通チャネルの中の一つに過ぎないのです。統一された設定(時空・物理規格)をみんなで共有し、多くの人と世界線(チャネル)がつながっていてヴァーチャルに出会えているために、お互いにそれを現実(一つの客観的世界)だと思って疑わないだけで、いわば幻覚(仮想現実・個人が見ている夢)なのです。

アヤワスカとLSDの両方を経験した上でまず僕が感じたことは、アヤワスカとLSDは全く次元の違うものであり、一口に同じ「幻覚剤」だからということで一括りには語れないものであるということです。その次元の違いを説明しますね。

まず宇宙の仕組みに書いた通り、我々が普段「現実」として認識しているこの世界は「我々みんなの意識=創造主」がその意識の内側に「経験の場として」創り出している仮想現実です。そして我々の意識が今ログインして滞在しているこの宇宙には2種類の次元の違う起源があるのです。それはゲーム内起源(内部宇宙)とゲーム外起源(外部宇宙)です。

例えば僕はかつて「カルドセプト」というゲームが好きだったのですが、そのゲーム内において世界は「カルドラ」という神様が創造したことになっています。それがそのゲーム内における宇宙の起源なのです(ゲーム内起源)。我々のこの仮想現実世界もそのように内部宇宙における異次元の世界(実在します)で起きた神話を元にして(設定として)創られているのです。ビッグバンなどもその設定の一つであり、実際に起こったことではなく、起きたという共通設定で我々の世界が創られているのです。とても受け入れがたいと思いますが、この世界の全てはクリエイター(創造主)によって意図して作られた創作物なのです。このあたりの話はピラミッドの仕組みと存在意義に詳しいです。


そしてその「カルドセプト」というゲームは我々の現実世界(ゲームの外側)にある「大宮ソフト」というゲーム会社によって作られています(ゲーム外起源)。ゲームクリエイターが(過去のゲームのアイデアを元にして)起案し、プログラム担当者がプログラムを・デザイン担当者がデザインをという感じで、それぞれが役割通りにシコシコと書いて作っているわけです。ゲームは全てが情報(概念・データ)でできていて、それはディスクに記録されているのであり、プレイヤーのプレイデータもまたすべてメディアに保存(更新)される仕組みになっています。ゲーム機本体もまたSONYや任堂などのゲーム会社によって創られ、それは高度かつ無機質な技術データの蓄積・具現化なのです。同じ様に、我々の仮想現実世界(物質世界)も異次元の神話の世界も、内部宇宙全体がゲームの外に広がる外部宇宙の存在たちによって今までの情報(概念・データ)を蓄積・具現化して作られたゲーム世界だということです。

アヤワスカは前者の「ゲーム内起源・内部宇宙」の次元、LSDは後者の「ゲーム外起源・外部宇宙」の次元と繋がって仮経験させてくれる感じです。ゲーム内起源の内部宇宙は「愛」に価値が置かれた(善悪などに優劣のある二元的・道徳的・勧善懲悪的な)神話がベースの物語の世界であり、ゲーム外起源の外部宇宙は「経験」に価値が置かれた(善悪などに優劣のない非二元的な)世界であり、クリエイターの根源的な製作意図(ポジティヴ・ネガティヴ両方の経験を積ませること)がダイレクトにわかる世界なのです。そのどちらと繋がるかがアヤワスカとLSDの根本的な違いかと思います。

生命の樹で表現すると、アッシャー(肉体)からイエツィラー(魂)の階層までがゲーム内起源・内部宇宙であり、ブリアー(霊)からアツィルト(神)の階層がゲーム外起源・外部宇宙という感じです。ただ一口に「上位次元」といっても様々な階層があり、その境目というのはそんなにキッチリ分かれているのではなく、重なっている部分があってモヤっとしていて、それぞれの階層にいる様々な存在が行き来したり交信したりしているのです。そして我々の魂は人間界で「どれだけ成長したか?」「どんな存在であったか?」によって、どの階層に行くか・そこでどんな存在になるかが決まるのです(魂の概念化)。

そしてマルクト(人間界)からケテル(真理・創造主意識)に至る三本の柱がありますが、アヤワスカは慈悲の柱を上り下りする感じであり、LSDは峻厳の柱を上り下りする感じです(文字通りめちゃくちゃ厳しいです)。そしてこのマルクト(人間界)における修行を通して登る道が均衡の柱、という感じです。本来的には均衡の柱を上るのが王道であり、この人間界での修行を放棄して幻覚剤に頼るだけで覚った気になるのは非常に危険ですし、それは魂的な成長には繋がらないと思います。

真言密教の曼荼羅で表現するなら、アヤワスカは胎蔵界を、LSDは金剛界を上り下りする感じです。

ただし幻覚剤の体験というのはあくまでも仮経験であり、本質ではありません。僕は直接的にアヤワスカやLSDで覚らされたわけでなく、5年程前に突如としてプログラムを脳に直接インストールされるようにして覚りが与えられたのです。僕の鬱もその覚りによって寛解したのであり、サイケデリクスは関係ないのです(だからサイケデリクスによる精神医療には不支持の立場です)。アヤワスカとはその覚醒の数か月後に出会って、既に与えられていた覚りを実感を通して再確認させられ(補助的)、更に現実世界での実践を通じてより覚りを進めさせてもらっているという感じです(だから幻覚剤による経験を論理的に理解し説明できるのです)。

僕は目覚める前にかなり年齢を重ねてしまったので、より上位に進むために幻覚剤の補助は必要悪だと考えていました(今は懐疑的です)。普通に宗教修行していたらとてもケテル(真理・創造主意識)には至れないと思っていたので。僕はあくまでもこの人間界における修行(勉学・宗教修行・肉体修業・人間関係修行など)に価値を置いているのですが、そっちの話をしてもなかなか多くの人に興味を持って貰うのは難しく、どうしても幻覚剤のことばかりが注目されて「幻覚剤で悟った気になってるイタい人」みたいなレッテルが貼られ、僕が一番伝えたい「自分もみんなも共に幸せにする・魂を成長させる覚り」がなかなか伝わらないのがもどかしいところです。

幻覚剤を遊び目的で使い、神秘体験をしているのに信仰心を持とうとせず、物質主義的・無神論的な考え方をしていて、平気で道徳に反したことをする人が多いみたいですが、その物質主義的・無神論的な考え方こそが人間に与えられた無明であり、それはまさにクリフォトの樹のような仕組みになっていて(ヴィジョンでそれを見ました)、それを乗り越えて信心を持つところに価値があるのだと思います。神秘体験を与えられていながら信心に生きようとしない人は、神秘体験を与えられていないがゆえに信仰心を持てていない大勢の人と比べて、きっと壮大なカルマを積んで後から清算させられることになると思います。

アヤワスカで意識変性に至るには、その不快感と、己と向き合い許すという苦しみを乗り越えなければなりませんが、それを乗り越えるととても神聖な感覚があり、自分も儀式参加者もみんな神様のように感じたりします(実際みんなが神の使いであり、神そのものでもあるのですが)。真理を知れば知るほどこの世界・人生がいかに壮大な愛・慈悲によって創られているかを実感し、終った後に胸から溢れるような幸福感があり、全てが愛しいと感じます。アヤワスカのヴィジョン(目を閉じて見える世界)はスモークに映し出した3Dホログラムのように朧気で(とてもクッキリ見える時もありますが)全てをネオンで描いたように美しく、それによって神話の世界を見させられている感じです。実際に神仏や曼荼羅が見えることもあり「ああ、本当にいるんだな」って実感します。見える模様は幾何学的であり、世界の創造というのが幾何学を尽くした概念の具現化であることが感覚的にわかります。

一方LSDの意識変性の方は、神聖さ・愛がほとんど感じられず、ヴィジョン(目を閉じて見える世界)はいわゆるサイケデリックの世界で、VRゴーグルで3D映像を見る感じでクッキリ見えます。創造主の想像=創造領域(ゲーム制作のアイデアの世界)なので、人間の僕には意味があまり理解できずにカオスのように感じられます。その世界は美しくも無機質で、デザインが天使と悪魔の混合のようで神々しくはなく、色づかいも原色と蛍光色がベースになっていて毒々しく禍々しい感じがします。そしてLSDにより覚らされる真理というのは善悪を超えていてあまり救いが感じられず、知れば知るほど今までリアルだと信じて疑わなかったもの(自分・他人・世界)が全て創作物だったのだと実感を通じて覚らされる感じで、幸福感は全くなく寂寥感のようなものを感じます。3Dゲームの世界を本当の世界のように思って没入している最中に、ゲームの開発者(本当は自分自身)からその制作過程をゲームの中でプレゼンされるみたいな感じで、身も蓋もないような真実を無慈悲に突きつけられるような感じです。そして現実世界での経験を伴わずに、幻覚剤によって答えだけ求めることの虚しさを痛感させられる感じです。

アヤワスカでゾーンに入ると、視界のすべて(ヴィジョンではなく実際の視界)がイデア化(理想化)される感じで、すべてが光で描いたように色鮮やかになって普段よりずっと神々しく美しくなり、特に花が別物のように美しく見えます。何度か視界全体がインド神話のようになったこともあります。欠点がすべて見えなくなりパーフェクトになる感じです。祀っている神仏などの置物や絵が動いたりもしますし、曼荼羅から仏が飛び出てきたりもします。服や壁などの柄も変わります。この世ならざるものの姿や、実在しない建物などが見えたりもします。地面や空間に丸い光の紋章が無数に見えることもあります。そこには文字も書いてあるのですが、まったく解読不能です。法華経の地涌菩薩のように無数の仏が見えたこともあります。それでも視覚が歪んで狂っているわけではないので、何かものを掴み損ねたりとか歩行が困難になったりとかするようなことはなく、意識変性中も刃物や火を使って料理したりなど、普通に生活できます。

LSDでもゾーンに入ると花などが美しく見えたりはするのですが、イデア化しているというほどの感じではありません。そして視界が歪み、クラゲのようにフワフワ・グニャグニャ踊っている感じになります。神仏の像や絵なども生きてるみたいに表情や色が移り変わって見えるのですが、やはりアヤワスカの時ほど神聖な印象は受けないです。そしてハイドーズだと意識変性中は歩行すら困難なほどになり、視界が歪んでしまって何か物に対して自分が意図した通りに正確に触れることもできず、思考も混乱するので、その間は普通に生活することができません。だから特にハイドーズは一人でするべきではないですし、外では絶対にハイドーズしてはいけません(アヤワスカも外でやるのはダメですが)。

アヤワスカは自己の人生を振り返り、自分や他人を許すことを通じて己の愛を育て、魂的に成長するように促されている感じがします(道徳的・指導的)。自問自答のループがすさまじく、自らへの問いと同時に自分の深層心理・神我・ハイヤーセルフから答えが返って来る感じがします。

一方LSDはアヤワスカのように道徳的・指導的ではなく、魂的な成長に導かれているという感じは全くしません。むしろネガティヴな経験を通じて自分と他者・世界が存在するということの価値を覚らせる、という教訓的な部分が大きい感じがします。善悪などのポジティヴ・ネガティヴに優劣がない次元で、何でも経験して知ることに意義があり、それがクリエイターによる人間(人生)と宇宙の製作意図であると覚らされる感じです。

LSDはハイドーズすると自我が経験主体者である自分自身からほぼ完全に離れる感じになってしまうので「自分が今これを経験している」という感覚さえ消失し、醒めた後にその経験の記憶があまり残らなかったりするので、後から「いったい何のためにやったんだろう?」って思ったりします。LSDで峻厳の柱を登るように覚りを求めることの虚しさを経験することによって、現実世界で均衡の柱を登るように覚りを求めて経験を積めることの価値を覚らされている感じがします。

アヤワスカは道徳的真理を覚らされることで道徳的に正しい生き方・信心に導かれている感じがしますが、LSDは道徳を超えた真理を覚らされることで己の信心・存在意義が問われている感じがします。自我が失われる究極の混乱と恐怖の中で、神にすがるしかなくなりますしね(だから心からの信心のない人は特にLSDなどやるべきではないと思います)。

自分の意識が肉体から離れると、自分が他人のように感じて「もう戻って来れないかも知れない」というような恐怖を感じます。そこで自分の名前を思い出し、自分自身に対して「この人を愛している。何があっても絶対に最後まで見放さない」という覚悟を持ち「自分の魂は他の存在(世界)に良い影響を与えられる存在である」と確信することによって、魂(意識体の自分)が肉体に戻って来れる感じがします。

だから覚りが進んでおらず、信心がなく、「自他が存在する」ということに感謝がなく、エゴに埋没していて自己嫌悪心・被害者意識・厭世観が強くて逃避願望があり、自我を保って己を制御する力が弱くて既に半ば霊障に乗っ取られているような人は本当にLSDは絶対にやっちゃいけないと思います。本当に戻って来れなくなる可能性がありますから。

自分の主人格(一霊四魂の直霊)が肉体から消えたままになるというのは実質死んだも同じだと思いますし、自分の意識がないまま勝手に自分の名前と肉体を霊障に使われ、愛すべき人たちを傷つけて憎まれ、重大な犯罪や事故を起こして歴史に悪名を残されるかも知れないというのは本当に恐ろしいことだと思います。そしてアルコールや大麻など、無自覚に自我を霊障に明け渡してしまうものと一緒にLSDをやると、突発的に霊障が大暴れして衝動的に自殺したりすることもあり(飛び降り・車両への飛び込み・首つり・オーバードーズ・服毒など)、最近そういった事故が多数報告され、世界的にますますLSDへの規制が厳しくなってきています。

幻覚剤にはそうしたリスクがあるので、僕は遊び半分で幻覚剤を使える人の気が知れません。勝手な推測でファンの人を傷つけたら大変申し訳ありませんが、僕はhideの首つり自殺や窪塚洋介の飛び降り事故などもそれが原因なんじゃないかと思っています。それ以外でもミュージシャンなどの著名芸能人の前触れのない突発的な自殺は、アルコール・大麻・精神薬などと幻覚剤の組み合わせによる薬物相互作用と錯乱が原因であるケースがきっと多いと思います。そうしたケースでも社会的影響や名誉のために本当の原因は報告されないのでしょう。状況的に事件性がなさそうであれば、遺族も死体解剖を拒否するでしょうし、幻覚剤が検出されることもないでしょうからね。

幻覚剤によるインスピレーションを芸術・技術に生かすことで富と名声を得ていながら、それを十分に社会に還元できていなければ、カルマを積んで早死にすることになるのかも知れません。特に悪魔的な存在からのインスピレーションを好んで使うアーティストにはその傾向がある気がします。

hideは素晴らしい作品をたくさん残し、多くの人を励ましてとても社会に貢献した人だと思いますが(僕はファンです)、神に愛されるということは悪魔に愛されることでもあるのです。

アヤワスカが「許し=愛を経験するためのもの」であれば、LSDは全てが一つであるという感覚を通じて「許していないのは自分自身の方なのだな」と覚らされるものだと感じます。そして「個性というのは幻であり、本当は全てが一つであると同時に全てが全体の一部であり、全てが関係性の中で存在していて、僕ら全員が同一人物のようなものである」ということ(諸法無我)を実感として教えてくれている感じがします。きっと「自分も他人も同じ存在で、みんなが欠点と過ちのある存在なのだから、許す以外にない」ということを自ら「論理的に」覚らせてくれているのでしょう。そして「本当は他者など存在せず、害したのも害されたのも全部自分自身なのだから、許す以外にないんだよ」と。

でも僕はLSDによるこの「全てが一つである」という感覚に安堵感のようなものは感じず、むしろ酷なことのように感じます。それは「この世界の事象全てが最初からプログラム済みであり、人間はすべてNPCの如き存在で、自由意志など存在しない」という理由で「あなた(人間)に罪はない」と言われているように感じられるからです。創造主より贈られた「自由意志」という宝物は、自分の犯してきた罪や恥を「自分の意思が原因である」と認めることで受け取れるものなのでしょう。

この「全てが一つである」という感覚は、エゴが強い人が使えばエゴに振りきれてしまい、自殺願望がある人は衝動的に自殺してしまい、犯罪的ないし変態的な衝動を抱えた人・霊障に犯されている人が使えば狂気につながってしまいかねないのではないかという恐怖を感じます。だからそういう人には絶対に幻覚剤を使って欲しくないのです。「人生の試練(カルマ)というのは全て創造主の愛により我々を成長に導くためのものである」とポジティブに愛で解釈し「創造主の分身であるみんなに良い影響を与えるために生きていこう」と考えられる人だけに幻覚剤を使って欲しいのです。

恐らく幻覚剤で他人の人生まで狂わせながら金儲けしてる自称シャーマン詐欺師たちはこの「全てが一つである=全てが許されている」という感覚ゆえにエゴのタガが外れて霊障化してしまったのではないかと思います。我々は常識感覚(コモンセンス)があるからこそ、他人とコミュニケーションを取って共感し合う経験ができているのに、特にLSDでは常識感覚を失って狂人と化し、まともなコミュニケーションが取れなくなってしまう人がとても多いのです。それはその人が元々エゴにまみれていて、幻覚剤の体験を正しく解釈できるほど覚りが進んでいないからでしょう。

例えば日本人の自称シャーマン詐欺師Rも最初はまだ良心的なところがあったのに、「人間に自由意志は存在しない」などと言い出してからは金儲けに振り切れ、変態度も増して魔境落ちしていますからね。著書によって日本の界隈ではサイケデリクスの第一人者みたいに目されているAもどんどん邪悪さと変態度が増して似たような感じになっているように見えます。どちらも既に霊障に乗っ取られ済みな感じで、儀式後に自殺者が出ても全く立ち止まれず、こちらが何か忠告したところで聞く耳を持つような状態ではありませんので(以前再三忠告しましたが完全に逆効果でした。狂っている人は「今自分は狂っている」ということは自覚できないので当然ですが)「それもその人の宿命で仕方がない」と心の底では許しながら祈る以外にありません。どうか愛と信心の欠如した自称シャーマン詐欺師の餌食にならないで下さいね。

自由意志については自由意志の存在意義と仕組みで詳しく解説していますが、人間にはちゃんと自由意志が与えられているのです。じゃなきゃ人生に意味などありません。自由意志というのは自我に対して与えられているものなのですから、幻覚剤で自我が外れれば「自由意志は存在しない」と感じられるのは当たり前のことであり、それをもって本当に「人間に自由意志は存在しない」などと勘違いして魂の成長を放棄して魔境落ちしてはいけません。

アヤワスカの覚醒は脳の覚醒というより霊性の覚醒であり、自分自身(神我・ハイヤーセルフ)との対話という感じが強いです。この現実世界で己がエゴによって積み上げてきた罪・恥・劣等感などのゆえに、己と向き合うのはとても苦しいことなのですが、自分も他人もイコールの存在として許して乗り越えられると、しみじみと幸福感を感じます。終わった後は疲れて眠くなることが多いです(なかなか寝付けないこともあります)。逆に言うと自分自身と向き合うことを拒否している段階にある人は、アヤワスカをやるべきではありません。気持ち悪くなるだけで何も起こらないか、あるいはネガティヴな影響が起きてネガティヴな方向に導かれてしまうリスクが高いからです。

LSDの覚醒は純粋に脳の覚醒であり、ハイドーズすると脳細胞が一旦「量子もつれ状態・ニュートラルな状態」になって量子波動化する感じがします。それは脳が一旦サナギ状態になるようなもので、一時的に思考がひどく混乱して普段通りにモノを認識して思考することが全くできなくなります(確かに現実世界にいるのに夢の中に閉じ込められているような感じになります)。

LSDの覚醒では相対・論理の限界の次元に達して思考のループが起こり、論理的に考えようとすれば考えようとするほど論理がひっくり返って深みにハマる感じで混乱がひどくなり、自分は狂人になってしまったんじゃないかと恐怖します。それでも「今の自分はまともである」という自己正当化意識があり、夢の中でそれが夢だと気づけないように、今の自分がまともでないということを自覚はできません。自分の肉体は確かにみんなと同じ現実世界にあるはずなのに、意識は自分の悪夢の中に閉じ込められて出られない感じになってしまいます。狂っている時に「自分は狂っている」と認識できる意識は自分の中にないのです。それはシラフの時でも自分がおかしくなっているのを自覚できないということですから、それがひどく苦しく恐ろしく感じ、考えるのをやめたくなります。「統合失調症というのはきっとこういう感じなんだな」と覚らされます。そしていかなる時でも自分が他の存在に対して良い影響を与えられるように気を付けなければならないのだと覚らされます。無自覚に人を害してはならない、と。

恐らくこれは生命の樹の峻厳の柱の「ゲプラー(意思)」と「ホド(思考)」を繋ぐパスである「吊るされた男」を通るプロセスであり、今までの自分の信念が全部ひっくりかえされて自分で信じられなくなるような感じがします。まるで全人生・全人格を自分自身から否定されるような感覚です。

それは「創造」というものが「答えを一つに限定しない」という原理で広げられているものであり、そのためにそれまでの答えを否定させるプロセスが必要なのでしょう。全ての創造は創造主が「内なる己を知るため・愛を経験するため」に創造したものであり、「自己正当化」というのは深い内観・許し(愛)に反する意識であって、それに対してLSDはとても厳しいのだと思います。

だから深く内観し、自他を許す以外にないのです。このプロセスでは何もかもが信じられなくなり、狂気と恐怖を感じます。そして本当に神にすがりながら薬効が切れるのを待つだけになります。人の価値とは?に書いた通り、「人の価値とは、考えが正しいか間違っているかではなく、存在そのものにあるのだ」と心から思っているのでなければ、このプロセスによって自尊心は壊滅的になってしまうでしょう。

LSDの覚醒は知能が覚醒するというよりは意識の拡張によってアカシックレコードとのつながりが覚醒する感じで、混乱を超えた先には「一時的に」この人生というゲームのクリエイター側の感覚になって、何もかもを当たり前のように知っている感じになります。しかしそのようにして覚らされた宇宙の仕組みやシナリオなども、その時は「当たり前」だと感じているがゆえに何かを「覚った」という自覚がなく、現実世界に戻った時には意識が切り替わっているためにほとんど忘れてしまっていて持って帰れません。どれだけ持って帰れるかは、この現実世界においてどれだけ悟れているかに依ると思います。

それでもゲームソフトがゲームの全ての情報・可能性を網羅し内包しているように、脳は本当はアカシックレコードと直結していて、答えを全部最初から知っているのであり、
・魂が人生で失敗と試行錯誤を通じて成長を楽しめるように
・魂が想像=創造性を発揮して人生を芸術として楽しめるように
・魂が物語の中で「愛とは何か?」を経験的に覚れるように
敢えて我々の魂(意識)に対して答えを隠しているのだということには気づかされます。

LSDの覚醒が終わった後には、脳が量子コンピューターのように欲しかった答えを出してくれている感じがするのですが、そこに至るまでの混乱がひどいですし、LSDが覚らせる真理というのは善悪を越えた次元のものなので、覚らされることに幸福感が全くなく、寂寥感のようなものがあり、苦難を乗り越えてその混乱の汚泥の中から真理を手にしたという充実感もありません。それゆえ「違法だから」という理由ではなく「明らかに道徳的に良くないことをしている」「チート行為である」という罪悪感があります(アヤワスカでそれはありません)。そしてLSDもアヤワスカ同様ひどく疲れますが、LSDは脳自体の覚醒なので、終わった後は疲れているのにかなり長時間眠れなくなるのがキツいです。

アヤワスカもLSDも共に意識が虚数時間の次元と繋がるものなので、時間感覚がおかしくなり、時間が全然進まなくなることが多く、時々は逆に急激に進んでいたりします(雲があり得ないスピードで流れるのを見たりしました)。またどちらも夢のように醒めた後で記憶が残りにくく、無作為に残された動画の切り抜き画像のように断片的にしか思い出せないのですが、次の意識変性時にはまた思い出したりします。

アヤワスカの意識覚醒状態では外界の対象に対して五感(六感)が鋭敏になり、直接触れていないものの温度まで感じたりします。視覚が美しくなるのは前述した通りですが、音楽もいつもよりとても美しく聞こえます(アヤワスカでかける曲は普段聞いても素晴らしいです)。アヤワスカの意識変性中は音楽を耳で聞いているというよりは自分の意識に対して直接響き渡っているという感じで、音楽がどこから聞こえているかがわからなくなったりします。だから儀式で嫌いな曲・うるさい曲がかかるとツラいです。時々は同じ曲でも普段とは全く別な曲に聞こえたりします。一人で儀式をしている時に僕が好きな激しい音楽を聞くと脳内物質がギュルギュル脳内を巡っているのを感じます(痛快です)。そして幻聴もあり、別次元の存在の声が聞こえたりもします。臭いにも敏感になるので、儀式で自分に合わないインセンスやアロマが使われているとキツいです。また、毛布の中でする自分のオナラで鼻が曲がりそうになったりします(笑)

そしてアヤワスカでは「共感覚」が強く出ることがあります。数字・文字や音楽・思い出に色感や触感や温度感や味覚があったり、概念上の存在の形や名前が視覚的に見えたり、色々です。これはLSDでは今のところあまり感じられていないです。

僕はLSDの使用の際にはいわゆるサイケデリックな音楽と映像を使うことが多いのですが、意識変性中はそのサイケな音楽や画像・映像がとても素晴らしく心に響く感じがします。僕は個人的にそれらをシラフで視聴してもあまり素晴らしいとは感じません。そしてアヤワスカの時にLSDの時と同じサイケデリックな音楽や映像を流すと冒涜的な感じがして不快にすら感じます。

LSDのハイドーズ中は一時的に分離意識がほぼ失われ、意識(主体)が対象(客体)と一体化してしまって意識的な距離が取れなくなります。それで例えば僕が環境セッティングに使っているプロジェクターの映像なども直接心へ滝のようにズドドドと流れ込んで来る感じがします。これは恐怖を伴うものであり、勇気を試されている感じがします。

アヤワスカの場合は同じようにプロジェクターの映像を見る時でもまだ「自分」と「映像」が別の存在であるという分離意識が確実に残っているのですが、LSDのハイドーズ時にはその分離意識(自分と他の存在との境界線)がほぼ消失し、「自分」が「映像」を見ているのではなく、自分がその映像の一部になっているという感じになります。現実感(普段の思考)が完全に失われているので、臆病な人がやったらきっと気が触れるほどの恐怖を感じるだろうなと思います。それと同時に、普段は心が傷つかないように無意識に対象との距離を取っているものなのだなと覚らされます。

意識変性(拡張)中というのは思考が即視覚化される感じで、怖いと思ったら怖いという意識がどんどん拡張されて恐ろしい経験をします。だから臆病な人がやったら本当に気が触れる可能性があるので絶対やるべきじゃないと思います。僕は一度もバッドに入ったことがないですが(厳密に言うと一度だけネガティヴな経験をしていますが)、バッドに入る人は基本的に「あなたはやるべきではない」という警告だと思って下さい。


「LSDを友達に勧められてやってみたら楽しかったから量を増やしてみよう」などと安易に考えるのは非常に危険です。LSDハイドーズでの混乱と恐怖は想像を絶するものであり、一度経験したら「経験前に戻る」ということは絶対にできません。マトリックスのレッドピルのように「不可逆のものである」と事前に強く認識すべきです。この記事をアップしてから、LSDの経験後に「後遺症で幻覚と妄想に苛まれ、鬱・統合失調症・コミュニケーション障害状態になっている人」や、サイファーのように「こんなことなら目覚めなければ良かった(摂取前に戻りたい)と後悔する人」からの相談を連日のように受けています。LSDは絶対に興味本位などの安易な気持ちでは手を出してはいけないものだと思いますし、もし迷っている人がいるなら絶対やめるべきだと思います。

LSDはゲーム外起源の次元とつながるものなので、この物質世界というのが創造主の意識の内側にプログラム構築されたものであることがよくわかります。僕ら各分離意識(分け御霊)はそれぞれ別な宇宙を与えられていながら(一人一宇宙)、時空の座標と物理規格が世界線を共有する者の宇宙同士で統一されているために、僕らはネットゲームで他のログインプレイヤーに出会うようにして一つの客観的世界に一緒にいるような感覚になれているのです。だから「認識者の認識によって事象が結実し、それが各認識者の世界で連動する」という量子の仕組みは必然のものであり、それは各分離意識(分け御霊)をそれぞれ主人公として同時に成立させるためのものだとわかります。そして「本当は他者など存在しない(すべてが自分自身である)」と覚らされるのです。


「個性は幻であり、僕らはみんな同一人物のようなもの」なのですが、その「僕ら」というのは歴史上・神話上の存在なども全て含まれます。アヤワスカの場合は内部宇宙(物語の内側)の神話的存在たちと意識内で実際に会ったりします。そして宇宙人のような存在と(他者として)会ったり交信したりすることもあります。彼らはみんな人類の霊的成長を促してくれている感じなので、僕は全く恐怖を感じません。

儀式では恨みを持った悪霊や動物霊、低次元の神や邪悪な宇宙人などネガティヴな存在とつながったり憑依されてしまう人も時々いるのですが、彼らもあくまで「物語の内側(内部宇宙)」の存在なので、僕からすれば「まぁ神話なんだからそりゃ色んな役があるだろうし、悪役もいるわなぁ」って感じで、憑依されている人を見ても(人外の存在を直接見ても)僕は全く怖いとは思いませんし、それを浄霊して成仏に導き憑依を解くのが儀式における僕の役割の一部です。


一方LSDハイドーズの場合は異次元の存在に「(他者として)会う」のではなく、自分がその存在に「なる」という感覚があり、意識が外部宇宙(超高次元)の存在(ブッディー体やアートマ体)とつながるというのはそういうことなのだとわかります。例えば僕がエメラルド・タブレットで教えらえた通りにトート神の名を呼んだら(シェークェーテート・アーレーリーチ・ヴォーマーリーテス)、トート神が僕の意識内にやって来るのではなく、自分の中のトート神意識が目覚めて自分がトート神になり、トート神の思考・記憶を部分的に知っている感じになります(あくまでも「感じ」であり、仮の体験です)。

このあたりの話は詳しく話すと気違い扱いしかされないでしょうからあまり詳細を書くつもりはないですが、意識がどんどん拡張していくと分離意識が希薄になり、あらゆる存在が自分であり、誰にでも(何にでも)成り代われるという感覚があることはお伝えしておきます。仏教の現一切色身三昧ですね。人間とはNinguém(ポルトガル語で「誰も~ない=Nobody=肉体のない魂的存在」の意)であり、みんな(Gente=Everybody)の一人ひとりが我々(A Gente=We)なのです。


そのようにあらゆる情報が自分の中に引き出せるのは、脳がアカシックレコードとつながっているからであり、そのアカシックレコードというのはどこか遠くにあるのではなく、素粒子の一つ一つが全てアカシックレコードなのであり、そこには宇宙の全情報が記録されているのです。素粒子は「モナド」でもあり、モナドは物理的ではなくデータ的(概念的)存在で、それが宇宙のすべてを構成しているのです。「単一電子論」で提唱されているように、世界はたった一つの素粒子によって構成されているのであり、それがすべての経験を集めている創造主自身なのです(本体そのものではなく媒体ですが)。

だから宇宙が更新される時には超時空的に一気にすべてが更新されるのです。つまり僕らの意識が「今」経験させてもらっているこのゲーム世界は常に最新版でありベスト版だということです。僕らにその完全性が理解できないというだけで、本当は全てが完璧(成長経験の場として・ゲームとして・芸術の素材として)なのです。僕らがイメージするような完全性というのは成長性・ゲーム性・芸術性・創造性がなくて何も面白くなく、それだけが存在しても存在意義がないのです。

あなたは恐らく「モナド」などという最小単位の存在に宇宙の全情報があるなんて信じられないと思いますが、概念の次元に物理的な大きさは関係ないのです。※モナドが何かわからない方はネットで調べて下さい。

LSDハイドーズで自分と他の存在との境界線がほぼ完全になくなって一体化すると、壊れたテレビのチャンネルが勝手にグルグル回るように世界がループします。世界の認識自体をグルグル繰り返しひっくり返される感じになり、例えば現在自分が部屋の中にいるのか、自分が脳内に創り出した部屋という幻想の中に自分がいるのかわからなくなります。そういう感じの世界認識がひっくり返されるループが繰り返し繰り返しグルグル起こるのです。それは意識が次元(事象)の交差点であるブラックホールを通るからなのでしょう。一つの素粒子が一つの宇宙であり、一つの宇宙が一つの素粒子であるという感じで、物理的な大きさが意味を失ってイラストレーターの画像のように主体者である自分の任意の状態になり、その任意の主体者たる自分の自我が抜けているために、宇宙認識の基準点・位置感覚が失われて無限ループが起こるわけです。それは「モナドとは何か?」を体験的に教えられている感じがします。ただこれは本当に精神的にキツくて気が狂いそうになります。

LSD体験というのは、僕らのいる仮想現実世界の制作会社にアクセスするようなものなので、その仕組みがよくわかります(当人の元々の理解の進捗度に依りますが)。そしてそれはまさに仏教の大千三千世界そのものだとわかります。仏教の宇宙観はこの仮想現実世界の仕組みを如実に表したものなのです。下の画像の風輪がゲーム機のモーターであり、金輪が束ねられたデータディスクであり、その表面がディスクのデータを光のリーダー&ライターで読み込んで3Dホログラムのように映し出したこの現象世界であり、鉄囲山が地球の重力圏(高さ=重力で視覚化されている)であり、須弥山がブラックホールであり、それがデータ宇宙を束ねていると同時に次元の交差点でもあるのです。世界は意識の数だけフラクタルに存在しているのであり、時空の座標・物理規格が共通設定として各意識(各モナド)で世界線として共有されているために、僕らはネットゲームにおけるログインプレイヤー同士のようにして、お互いの認識世界でヴァーチャルに出会うことができているのです。

アヤワスカでもLSDでも、この現実・人生にはシナリオがあり、すべてが必然で偶然は存在せず、設定としてすべてが完璧な法則性の元に成り立っているのが感じられます。ただアヤワスカはゲーム内のシナリオ(ファンタジー)を見させられる感じで、LSDはゲームの外の次元におけるこの世界の制作過程を見せられる感じでやはり次元が違います。アヤワスカは竜宮城のようなゲーム内の神話の世界ですから、それはとても楽しく幸せや愛を感じる体験で、醒めた後は「もっとあそこにいたかった」と毎回思わされます。ところがLSDでは自我を喪失する恐怖と混乱が強く、「全知全能・完全無欠・唯一無二にして無始無終で永遠の存在である創造主の孤独・退屈・存在意義のなさ・絶望(5億年ボタンの様な状態)」の記憶を思い出させられる感じで、醒めた後には「戻って来れて良かった・現実世界って完璧に良くできていてありがたい」と毎回思わされました(僕はそのためにやっていた感じでした)。

LSDはそのように「クリエイター側の意識」を仮経験させられることで、この現実世界において僕らが当たり前のように感じている「自分がいて、他人がいて、世界がある」「自分はこの世界における庶民の一人である」「みんなとコミュニケートすることができ、共感・同情し合い、許し合い、助け合い、愛し合うことができる」という感覚と、それを支える仕組みの存在が全然当たり前のものではなく、創造主からのかけがえのない贈り物(Present:現在&Gift:才能)であり、途方もなく素晴らしく有難いものだと覚らされる感じです。そうすると本当にこのリアルの人生においてどんな苦難や不幸があろうとも、「自分」という存在と「人生」という経験機会を創造主からいただいていること自体に根源的な感謝と幸福を感じられるようになります。

上位次元をこの次元より素晴らしい世界だと思い込み、それを経験することで優越感を感じようとしている人が多いみたいですが、次元の上位下位というのは価値の上位下位ではなく、上位次元を仮経験することでわかるのは「全てが全ての構成要素である」ということです。そして上位次元というのはこの次元をより素晴らしくするために存在しているようなものであり、この次元の価値がわからず・感謝せず、自尊心の低さ・厭世観ゆえにこの次元を嫌って逃避したいと考えているような人が幻覚剤を使うとロクなことにならないと思います。

世界は決して誰の意思も介在せずに勝手に生じ、物質⇒生命・意識が誕生して進化しているのではなく、元々完全である概念⇒創造主意識が経験の場としてこの現象世界を構築しているのであり、全知全能である創造主が世界をより完全な(より成長性・ゲーム性・芸術性・創造性があって面白い)ものに進化させ続けているのです。そして無数にある次元・世界の中でも、この我々の世界(人生)が最も素晴らしい体験機会であり、もっと良い世界などどこにも存在していないのです。我々の父たる創造主は一人息子である我々分離意識たちに常に最新版で一番面白いゲームをさせてくれているのです。我々の多くはそこに全く感謝しておらず、ゲームの困難さ・苦しさゆえに怨みで返していますが、我々は最高の経験機会を与えられているのであり、それはとてもありがたいことなのです。

僕はそこに心から感謝しつつも、同時にある意味でどこか絶望に近い感覚も持っています。それはやっぱりまだどこかで「この世界が自然発生したものであり、偶然が存在する」「自分と他人は別の存在である」「死は存在の終焉であり安らぎである(魂は永遠ではない)」というところに逃げたい自分がいることと、「この世界よりもっと素晴らしい天国みたいな世界があるのではないか」と期待してしまっていることが原因かと思います。そういう天国みたいな世界はこのゲームクリアのご褒美として用意されてはいるのですが、それはただ幸せなだけで何の成長要素・ゲーム要素もないエンドロールのような世界であり、達成感を感じた後はすぐつまらなくなって、我々はわざわざこの困難多きゲーム世界にまた自分の意思で来ているのです。忘れているだけで。

僕らには「孤独で退屈で存在意義のなく絶望的な状態が永遠に続く」のと「この人生(魂の成長経験)という最高に面白いゲームを永遠にプレイし続ける(創造し続ける)」のと二つしか選択肢がなく、前者を選ぶ理由はありませんから、実質後者を選ぶ以外になく、後者を選んだからこそ我々は今こうして存在しているのです。だからやはり僕は感謝と絶望の両方を感じてしまいます。どのみち終わりはないのですから。

アヤワスカは「己の存在意義を自ら覚らせてくれる」感じがしますが、LSDは逆に創造主から「己の存在意義を問われている」感じがします。hideのeyes love youの歌詞にある通り「存在の意味を教えてくれと すがり叫ぶ 鏡の中の己」という感じです。そしてこの「己」というのはこの物理世界で肉体を持つ「自分」だけでなく「自分の意識・認識世界全体」のことであり、ひいては全存在のことであって、それが存在する意義は何なのか?と創造主(=全存在)から問われている感じです。世界はその答えを得るために永遠に創造され続けるのだということがわかります。そしてその答えは創造主の分け御霊である自分が主人公として人生を通じて自分の言葉で語れなければならないのであり、「他の分け御霊さん、お願いします」と他人にマイクを譲ろうとしては主人公として成立せず(笑)存在意義がありません。創造主と我々の関係は常に一対一であり、誰かの背中に隠れることはできないのです。

僕らは「自分」というかけがえのない存在を与えられた代わりに、「存在意義」を卒業論文のように創造主に提出しなければならないのです。ただそれは創造主から提出を強制されているのではなく、本当は僕ら自身が創造主なのであり、僕らは自らが創った「自分」と「自分の世界」が存在することの意義を自ら明確にする以外に選択肢はないのです。僕らは忘れているだけで、僕らの魂はそこに同意して生まれて来ているのであり、「自分とは(世界とは)どういう存在なのか?」を更新するために生まれて来ているのです。

「意識拡張(宇宙との一体化)の最果てには何があるか?」というと、もちろんそれはケテル(創造主意識)があるのです。創造主は僕らを通じて経験を集めているわけですから僕らの心の奥底まで全部が見えている(=一緒に経験している)のですが、僕らの側から創造主は見えません(不可逆視)。もし見えたら我々は創造主の分け御霊・経験主体者として存在し得ません。そもそも創造主というのは意識体であって姿かたちがあるわけではないので視覚的に見ることは不可能ですし、我々も含めて全ての存在が創造主意識の現れなのであり、主体者である創造主以外は何も存在しないのですから、創造主の一部である我々が創造主を客体として認識すること自体が(定義上)不可能なのです。それはピラミッドの存在意義と仕組みに書いた通り、トランプに様々な数字(個性)があっても裏返せばみんな同じ柄であるが如くであり、個性を与えられている存在の我々には、自分の背中にいる創造主(すべての個性の集合体)が見えないのです。

ケテルの前には鏡(八咫鏡)があり、波動を上げ切れていない(覚りきれていない)現在の僕らの意識では創造主意識とは一体化できないようになっています。現世での人生修行・魂の成長を終えて覚りを完成させずに(ゲームクリアせずに)そこに至ろうとするのはチート行為であり、それはRPGでまだレベルが十分でなくシナリオをちゃんと回収していないのにいきなりラスボスのダンジョンに乗り込むようなもので、ものすごく恐ろしく感じられる上に全然先には進めずボコボコにされるのは必然だとわかることでしょう。当然それを防止するための柵があり、それを超えようとした時にはペナルティーがあるのです(意地悪ではなく、それも愛です)。

だからもしあなたが幻覚剤や瞑想などでケテルの手前まで意識を拡大できたとしたら、例えそれがどれだけ心地よく感じたとしても、それ以上意識を拡大しようとしてはいけません。魂(一霊四魂の直霊)が肉体に戻って来れず、統合失調症みたいになる可能性があります(まぁその前に「帰れ」って言われて現実に戻されるでしょうけども)。

もしあなたの意識がその鏡(八咫鏡)の前まで至ったなら、自分が創造主自身であり、全てを創造したクリエイターであるということに気づかされるでしょう。あなたは自分で創ったRPGを楽しむために分離意識となって自分が創造主であることを忘れ、人間というアバターを使ってこのゲーム世界にログインし、自分がプレイヤー(主人公)としてログインしていることさえ忘れてしまっているのです。どうかこのRPG世界におけるプレイヤー(主人公)として目覚め、あなたが描いたシナリオの行く末に全責任を負い、世界を救いに導いて下さいね。そしてこのRPGの物語・創造を楽しみ、己と世界の存在意義を覚り、いつかクリア(悟り・世界救世の完成)して創造主の元に笑顔で帰ってあげて下さい。

もし幻覚剤の経験で混乱している(意味がわからなくて困っている・後遺症に悩んでいる)という人や、誰にも理解されそうになくて孤独を感じているという人は、是非僕に相談して下さいね。宿命だと思っているので、いつでもお待ちしています。

僕はアヤワスカもLSDも強烈な「人生という自作の推理小説の強烈な伏線回収剤」であり、「森羅万象が自分自身なのだと覚らされるもの」であると今は確信的に悟っています。だからエゴによるネガティブな動機(現実逃避・暇つぶし・幻覚遊び・金儲け・他者に対する精神的支配など)では、決して幻覚剤を使用しないで欲しいと心から願います。本当に狂う可能性が高いので。

「創造主(=全存在)の起源・仕組み・存在意義」については、現在記事を書いているのですが、途方もなさ過ぎて終わりが見えません。みんなに理解してもらえるようにはとても書ける気がしないのですが、いつかは書籍化したいと思っています。

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