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2026年5月10日日曜日

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン

普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。

これまでの人生、何か成し遂げたこともなく、実家も恵まれた環境であったため不自由することなく甘えてきていました。受験や就活からも逃げてきていたため自信がなく、何事に対してもはじめから諦めがちです。

そのくせにプライドは高く、昔の多少輝いていた自分を思い出しては自分は何か特別な存在だからもっとすごいことを出来るのではないかと、理想と現在とのギャップに苦しめられています。やりたいことはありつつも時間やお金のせいにしてばかりです。

後悔ばかりがつきまとい、あの時ああしてれば、と考えても仕方のないことばかり考え、無駄な時間を過ごしています。

両親に対して親孝行したくても病んでるようなメール、泣き言ばかり電話で話してしまいます。実家を出た際、何もできない自分に嫌気がさして一時期は寝れずに精神的に参ってしまっていました。

過去の後悔、なぜ生きるのか最近はそんなことばかりで頭がいっぱいです、誰に話そうにもその場はスッキリするもののものの2日もすると元通りです。

過去への後悔、未来へのとてつもない不安。目の前のことをやるしかないとは思うのですが何も手につきません、真也さんのアドバイスいただけると幸いです。

【回答】ご質問ありがとうございます。

note、読んでいただいてありがとうございます。突然削除してしまってすみません。できるだけ早く復旧できるように頑張ります。

さて、あなたのそのお気持ち、その心の痛み、本当にめっちゃくちゃよくわかります。基本的に質問箱って受ける度にいつも「おまいは俺か!?」って言いたくなるほど、僕も同じ事で悩んだことがあります。存在というのはワンネスであり、僕らは同一人物のようなもので、人の悩みというのは本当に抽象度さえ上げればみんな一緒なんだと思います。現時点で共感能力の低い人というのは、きっとまだ分離意識が強すぎて思考の抽象度が低く、他人に対する同情・慈愛が薄いプロセスにあるのでしょう。

僕もADHDとか社会不適合を言い訳にしては怠惰に陥ってばかりでした。好きじゃない事で努力するというのが極度に苦手で、学校でも就職してからもあんまり勉強せずに生きてきました。それに対する後悔と劣等感が強いために「今更努力したってどうせ・・・」などと考えてしまってなかなか身が入りません(特に語学)。格闘技でも才能に恵まれた割には鬱などを言い訳に努力を怠って大成はしませんでした。いつでも人生の問題を先延ばしにしては気を紛らわすようなことばかりしていて、後になって「あの時もっと努力していれば」と意味のない後悔ばかりしています。僕は親に対しても何一つ孝行できてなくて、親に対しても世間に対しても申し訳ないなって思いながら生きています。どうですか?同じようなものでしょう?そんな世間的にはダメ人間なのが等身大の僕なのであり、理想とは当然ギャップがあります。しかしだからこそ自己嫌悪に苦しむ人たちの気持ちがわかって慈愛の気持ちを持つ事ができているのであって、決して上から目線で「さとり」を綺麗事のように語っているのではありません。目指しているのは善人だけではなく誰しもが救われる本物の「さとり」です。

世界の本質はワンネスであり、人間というのは全員が同一人物のようなもので、一つの魂が全役をやっているのを、分離意識(自分とそれ以外は別の存在であるという意識)によって、それぞれ他人として・ドラマとして成立させられているものなのです。

それなのに悩んでいる人というのは、ほぼ確実にその悩みがまるで世界で自分だけのものだと思い込み、自分をダメな人間だと責めて自ら孤独に陥っているものなんですね。「人生とは分離意識(≒エゴ)を乗り越えて愛を発揮するためのものなのだ」ということを理解しないのです。そして何とかして傷ついた自分を守って自尊心を保とうとして、エゴの殻に閉じこもってしまい、幸せを感じる余裕・感謝する余裕・他人の気持ちを慮って許し愛する余裕がなくなり、何とかして他人が自分よりダメな理由を探して責めたり見下したりししてしまのです。そうすると人間関係も何もうまくいかず、自らのネガティブな言動や行動やイメージに人生自体が引きずられて悪い方向に導かれがちなんですね。

だからまずは問題そのものを解決しようとするよりも、「人間なんてみんなそんなものなんだ」ってことを認識して、自分も他人も許し・尊敬し・存在に感謝し、愛せるようになることを目指してみて下さい。人間みんな見栄を張ってカッコつけているだけで、本当は似たようなものなんです。みんな他人に心を開く勇気がなく、カッコ悪い自分を隠して曝け出す勇気も愛する勇気もなく、他人の欠点や過ちを責め、内心では同じ鋭さで自分自身を責めているものなんです。

あなたはご自分を「プライドが高い」と分析して責めているようですが、僕らは同一人物のようなものであり、プライドは当然誰にでもあるものであって、理想の自分と等身大の自分とのギャップなんて誰でも抱えているものなのです。そして心が劣等感で傷ついた時には、なんとかして自分を守ってリカバーしようとするように人間はできているのです。それは別にあなたが誰か他人と比べてプライドが高いということではなく、人は誰でも心の奥には傷つきやすい自分を抱え、それを必死で守っているものなのです。

それなのにその自他のプライドの傷つきやすさを許さず、欠点や過ちを理由として「この人はプライドを持つに値しない」とか「この人はダメ人間だから他人からプライドを傷つけられるのは仕方がない」などと考えてしまえば、自他共に苦しくなるのは必然なのです。

人生最大の課題は「自己受容」であって、それは当然最も難易度が高く設定されているのです。欠点や過ちを全部知っている自分を愛するというのは誰にとっても難易度の高い課題です。自殺する人というのは自己(人生)受容を諦めた人なのであり、自己受容というのは死よりも辛いぐらいの苦しみを伴うものなのだということです。

しかし完全合理存在である創造主は、乗り越えられない課題は与えません。無意味ですからね。あなたにはあなたの魂レベルに合わせて、あなたがギリギリ許し愛せる自分が与えられているということです。そしてそういう欠点や過ちを抱えている自分を受容するためには、自分に関わるみんなのことをを許し愛せるように成長していく必要があるのです。そしてそれこそが創造主が教えてくれた人生の基本設定なのです。

ところが鬱状態にある人というのは、ほぼ100%「自分ならいくらイジメても構わない」という思考回路をしていて、「自己受容」という人生課題を放棄している状態なんですね。そして何か問題がある度に「このダメな状況の原因は何か?➡自分が生まれつきダメだからダメなんだ=努力してもムダだ」という感じで「自分を責めて嫌うことでとりあえず感情を整理し、成長をハナから諦める」という思考回路が自分で自覚できないほどに常態化していて「どうせ自分はダメだ、きっと変われない」と諦めてしまっているのです。そういう人は「自分の不幸を自分以外のせいにして被害者意識に陥る人よりはマシだ」と言うことで自尊心を保とうとしているのかも知れませんが、自分をイジメるのも他人をイジメるのも、全ての存在の大元である創造主からすれば同じことあり、その自分イジメが負の形で自分自身に返って来るということなのでしょう。

欠点も過ちもない人というのはいません。それは僕らが愛し合えるように天から与えられているものなのです。それなのにもし欠点や過ちを理由に愛せないというのなら、自分も他人も誰も愛する事はできません。だからまずは許すことです。許せる前に愛そうとすると無理が出ますからね。許せないのに愛している、はありえないのです。お互いに欠点や過ちがあるからこそ、僕らはお互いに存在意義があって許し合い・愛し合えるのです。だから「相応しい理由さえあればいくら自分や他人をイジメても構わない」という愛のない考え方は本当に改めるべきだと僕は思います。

でもそんなに簡単に自分を許して愛せませんよね?当然です。だからまず「あなたが一番許せない人・愛せない人・嫌いな人」をイメージしてみて下さい。ニュースや歴史に出てくるような会ったこともない全くの他人ではなく、実際に人間関係がある人の中での一番です。そうしたらその人を許し、尊敬し、存在に感謝し、愛せる理由をありったけ考えてみて下さい。イメージの中でそれができなければ、実際に会って話してみてそれをやって下さい。・・・その人はあなたの鏡であり、その人なりにやむにやまれぬ事情があって(心の傷があって)そのように(あなたにとって)許し難い・嫌な人間になってしまっているだけなのです。あなたにとってあなた自身がそうであるように。自分が一番嫌いな人を許し・尊敬し・愛せるようになったら、自分のことも許し・尊敬し・愛せるようになっていきます。

自分の魂というものは、自分で愛さずに嫌ってイジメればイジメるほどグレて反発してきます。あなただって自分を嫌っている経営者のために一生懸命仕事したい気持ちにはならないでしょう。それと同じように、自分で自分を嫌うと、自分の魂はその主である自分のために一生懸命努力をしたくならないものなんですね。そしてそれ(自分への愛不足)こそがあなたのモチベーションが上がらずポジティブな努力ができない一番の原因かと思います。それは僕も経験的に本当によくわかります。自分を嫌っていると、「そんなに要らないなら貰ってあげるよ」という感じでネガティブな霊障に人生を乗っ取られて台無しにされてしまうのです。だからやはりまず自分の欠点や過ちを許し、良い部分をたくさん見つけて、自分を好きになれるようなエピソードを積み重ね、成長していける自分を信じて愛することが大事かと思います。

そのようにして「自分を愛せず・努力できず・苦しみながらも生きて来た自分自身をもっと許して仲直りして愛してみて下さいね。とうか自分だけは最後まで自分を見放さず、自分の一番の弁護人でありファンであって下さい。自分が世間的に批判されたり見下されたり嫌われたりしがちな人間であればあるほど「それでもなお自分を愛そうとする自分」には価値が生じ、同じように自分を愛せず苦しんでいる人の希望を与えられる存在になれるのです。

あなたはかつての僕と同じように、自分の中に「正しさ」で裁く裁判官を育ててしまっていて、自分を裁くことで「間違っている自分を裁いている本当の自分は正しく善良な存在なのだ」と無意識にプライドを保とうとしてしまっているのかも知れません。しかしそれによって自分自身をどんどん裁いて反省させて傷つけて、生きる気力すら失わせてしまうことになっているのでしょう。しかし生きる気力を失わせるような冷たい正しさに何の価値があるのでしょうか?

どうか常に正義より愛を優先させて下さい。自分を正しく裁いて反省させることよりも、自他を許し愛することを優先して下さい。それは創造主が僕に与えてくれた「さとり」の根幹です。自分の中の正しく無慈悲な裁判官よりも、苦しんでいる自他みんなを弁護する、慈愛に満ちた弁護士を育ててみて下さいね。

ここで大事なのは、ただ単に自分を自己弁護するだけでは自己正当化(エゴ)でしかなくなってしまうということです。だから自分だけでなく、他のみんなも同じように弁護できるようになっていくことです。そのためならすぐダメな人間を排除しようとする世間の常識的・良識的な考えなんてドブに捨てても構わないのです。

自分にとって一番愛し難い人(許せない人・嫌いな人)でも同じように弁護し、心から許して愛せるようになって下さいね。それは自分と他人を同時に許し愛するということです。あなたが愛し難いと思っていた人というのは、あなたが自分を深く愛せるように天が与えてくれた完璧な配材なのだといつか気づくことでしょう。

「自分を愛せず大嫌いで自尊心が低くて自信がないのに幸せ」ってことは有り得ませんし、逆に「自分を愛して大好きで自尊心が高く自信があるのに不幸」ってことも有り得ません。自信と幸せは完全にイコールのものなんですね。

自分を他人と比べる限り、そして能力や実績などを自信の根拠にしようとする限り、人は決して自尊心を保つことなどできません。自分が全ての要素で他人より生涯優れ続けるなどということは有り得ないのですからね。だからとにかく自分を他人と比べるのをやめてみて下さい。人は誰でも自分の人生という物語の主人公なのであり、人それぞれにカルマ(課題)を背負って生きています。欠点や過ちというのはカルマの一部(あなたという主人公の設定)なのです。より困難な課題はよりレベルの高い魂に与えられるのであり、自分だけに与えられた課題を不運・呪いのように解釈せず、乗り越えていって下さいね。

あなたの人生の主人公はあくまでもあなたなのだということをわかって下さい。あなたが知る誰かがどれだけあなたより素晴らしく見えようと、他人は全てあなたの夢の中に住むNPCに過ぎないのです。他人と自分を比較するのを一切止めて下さい。どれだけ地味でしがない人生を送っているように見えようと、「男はつらいよ」や「トゥルーマンショー」などと同じで、あなたは天界では超有名人なのです。

どうしても自分を愛する理由を見つけられないなら、これからでもいいので「自分で自分を大好きになれるようなエピソード」をどんどん積み重ねてみて下さい。そのヒントとしては、人はエゴを動機に行動すると深い部分で自分を嫌いになってしまうものなので、その逆に「自己利益を考えずに全くの無償で人に親切にしてみること」で自分を好きになれるのだと思います。親切は無償だからこそ、自分を好きになれるというメリットが即手に入るのです。

カルマの深さ(人生の課題の困難さ)というのは他人と比較できるものではありません。あなたは「環境的に(比較的)恵まれていたのに努力できなかった自分」を「自業自得だ」と責めているようですが、そういう環境や自分の資質など本当に全部ひっくるめてのカルマであり、今のあなたはあなたなりに自分の重い・難しいカルマに苦しめながらも自殺に逃げず一生懸命生きた結果なのです。自分にもっと誇りを持って下さい。

人生はRPGであり、他プレイヤーと自分を比べて自分を蔑んでみても意味がありません。あなたが見ている他人というものは、あなたが見ている夢の中の他人と同じなのです。あなたはあなたというプレイヤー(主人公)だけに与えられたたった一つのシナリオを楽しめればそれでいいのです。変に完璧主義になったり、自分を他人と比べて落ち込んでばかりいたら、ゲームが進まず何も楽しめないでしょう。

「努力できずに自己嫌悪と後悔で苦しんだ過去」も含めて、ダメな部分・弱い部分を許して愛し、自業自得だからと自分を責めず、人に助けを求めて良いのですよ。あなたはきっと世の中の人は誰も自分を無償では助けてくれないように思っているのでしょうけど、それはあなたが困った人を無償で助けた経験がないからです。もちろん助けを求めてもみんなが助けてくれるわけではありませんし、きっとあなたを責めて助けようとしない人が圧倒的多数でしょう。でもその出会い難さの分だけ助けてくれる人と出会えたなら、きっと心から感謝の気持ちが湧いて、その人のためにも頑張りたいと思うようになるでしょう。そして他人を責めずに助けられる慈愛に満ちた素晴らしい人間に成長していけることでしょう。

もしあなたがどうしても自分を信じられないのなら、まず神を信じてみること=信心を持ってみることからかなと思います。自分を信じるのではなく、愛と成長の経験のために自分を生んで生かしてくれている神の方を信じるのです。あなたはきちんと理由があって生まれて来ているのです。あなたは神の愛によって生かされているのであり、神の愛なしでは一秒たりとも存在することはできないのです。それはあなたが出会う他のみんなも一人一人同じで、それぞれ経験主体者・主人公として等しく価値があるのです。それに対する信頼と感謝を持ち、被害者意識を乗り越えて行けば、きっと幸せな方に導かれていくと思います。

まず宗教を毛嫌いせず、色んなところに通ってみて下さい。完璧な宗教などは存在しません。人と同じで欠点や過ちを理由に神を愛さないなら、愛せる神など見つけることはできません。ただ本気でヤバそうな宗教からはすぐ逃げて下さい。

とにかく「目的化思考」をやめてみることかなと思います。それはつまり「目的達成できない」「結果がついてこない」「何かを成し遂げられない」 ➡ 「意味がない」という考えをやめることです。結果を求めるということは、全てを与えてくれている創造主に対して「あれをするからこれを下さい」と見返りを求めることになり、結果が良くなければ被害者意識に陥って感謝しないことになります。そういう考え方は創造主の愛に反するのです。結果は天に預けて、目の前の自分のやること・できることを感謝し愛しながら一生懸命やってみて下さい。きっと道が開けてくると思います。

そしてどうか世間的な成功を目的化しないで下さいね。自分の価値を持っている金や能力や実績に対する社会的な(他人の)評価に置かないで下さい。あなたの価値はあなたにしか決められません。

あなたのご両親は、きっと純粋にあなたの幸せを願っていて「社会的な大成功者になって欲しい」なんて思っていないと思います。あなたが努力できない・社会的に成功していない自分を認められないというだけで。

個人的に、子供というのは子供のうちにかわいくて親に生き甲斐を与えていたというだけで親孝行は済んでいると思っています(笑)そう思えないのなら子供なんて作るべきではないんじゃないかと。あなたは自分の子供にどうなってくれたら嬉しいと思いますか?幸せになって欲しい以外に何か望んだりしますか?世間的に立派な人間になることを望んで子供を苦しめたいと思いますか?

そもそも努力したからといってみんなが社会的に成功できるわけではないですし、社会的に成功したからといって必ず幸せになれるわけでもないのです。前述した通り、幸せというものは自他を愛せるかどうかという一点にかかっているものなのですからね。

今のあなたはきっとまだ左脳に振り回されているような状態だと思うので、ネドじゅんさんが教えているような右脳型の思考法・瞑想法を実践してみて下さい。きっとあなたを救ってくれると思います。そうして目的化思考を止め、結果を天に預け、過去の後悔や未来の不安に捉われず、主人公としてもっと「今」に集中することが大事かなと思います。

あなたはまだ自分のことをダメ人間のように思っているのかも知れませんが、ダメ人間であればあるほど、もしそこから立ち直れば、同じように自分をダメ人間のように思って苦しんでいる人たちを救うことができるのです。ただただ世間のレールに乗って生きて来たような品行方正なだけの人間では、世間的にダメな人生を歩んできたその苦しみを理解することはできないでしょうし、きっと責めたり見下したりしてしまって、その人たちの心(自尊心)を救えるわけもないのです。どうか自分と同じように苦しんでいる人間を救おうとする慈愛に満ちた人間になって下さいね。人にはそれぞれに使命があって、それぞれ主人公なんだってことです。

若い内から目立つ才能があって世間的にもてはやされてお金持ちになっている人間が必ずしも素晴らしいわけでなければ、幸せなわけでもないと思います。世界はワンネスであり、そういう人生には(真にトータルに見れば)そういう人生なりのカルマがあり、苦しみや不幸があるのです。ラクして幸せだけ味わえる人生などというのはどこにも転がっていません。

「世間的な成功者の人生」より「みんなと同じようにごく平凡に生きて幸せになることの難しさ・苦しさ」を経験的に知り、それでも負けずにみんなが幸せになれる哲学を築き上げ、それを「みんなに連鎖させていける人間」になれたら、それはとても尊く素晴らしいことだと思いませんか?人生って若いうちが華で早々と散る人生や、老後ただ枯れて行くだけの先細り人生より、苦難を乗り越えて咲く遅咲き人生の方が幸せなのではないかと僕は思います。

※僕はバガボンドの又八を見ると自分自身に見えて仕方がありません。彼を許し愛することで僕は自分を許し愛せています。

それとも、恵まれた人生を送って来たがゆえに他人の苦しみがわからず、偉そうに他人を責めたり見下したりして周囲から愛されず、結局誰も救えないような人の人生の方が素晴らしいと思いますか?

あなたはとても苦しみながら生きてきたのでしょう。それだけ苦しみながらも生きてきた自分をもっと尊敬し愛してみて下さい。そしてもしあなたが自分と同じように苦しんでいる人を本気で救いたいという思いで慈愛を発揮するなら、きっとあなたにも創造主からさとり(幸せ)・救いが与えられることと思います。創造主は僕みたいな社会不適合のダメ人間のこともこよなく愛し、さとりを授けて救って下さったのですからね。

※上の動画のメッセージ自体は素晴らしいものなのですが、代読のファミリーインターナショナルはカルトとして危険視されている団体なのでご注意下さい。

それでは、ただの絵空事・綺麗事ではなく、僕を救ってくれたさとりが、あなたにとっても救いになりますように。あなたが関わる人たちにも連鎖していきますように。心から祈っています。







2025年10月1日水曜日

意識覚醒体験の解釈

 【質問】男性 21歳 ペンネーム:オーロラ
こんにちは。一時期、意識の覚醒だけに集中していた時に、覚醒し自分を覆ってる意識のブロック(直感で警察のような気がした)を突破し、「世界を自分の愛で一つにしてみんなが幸せになれる世界を作るべきだ」という考えに全能感と共に取り憑かれた日に、親に追いかけ回され警察に保護され、様々な気に反応するかというテスト?を会話をするという体でされ強制措置入院にされるという出来事を体験しました。その日は自分が漫画の主人公になったような感覚を味わいました。狐の霊のような雰囲気を纏った刑事さんも何故か来て、煉獄と書いた巾着をつけていました。その後自分の前世が今と変わらない人間であった事に気づき、自分の願いが両親と共に永遠に幸せに暮らす事だったことを思い出しその強制措置入院は自分を見失いかけてた自分を救うイベントだったと考えているのですがこの解釈は合ってますでしょうか?それと自分は身体感覚が自由でない感覚がずっとあり、それが過去の自分がかけた呪いなのか他者にかけられた呪いなのかがわかりません。意識が覚醒していた時は身体感覚が自由で他人に向けられた気の性質とそれに対する防御も出来ていたのですが、今は気さえ感じません。私が体感していたあの世界はなんなのでしょうか?長文失礼しました。お答えいただけると幸いです。

【回答】
ご質問どうもありがとうございます。貴重な体験をシェアして下さり、僕を選んで質問して下さったことに心より感謝し、心して回答させていただきたいと思います。正しく伝わるかどうかはわかりませんが、いつも通り全力でトライさせていだきますね。

>一時期、意識の覚醒だけに集中していた時に、覚醒し自分を覆ってる意識のブロック(直感で警察のような気がした)を突破し、「世界を自分の愛で一つにしてみんなが幸せになれる世界を作るべきだ」という考えに全能感と共に取り憑かれた日
>その日は自分が漫画の主人公になったような感覚を味わいました。

それは幻覚剤などに頼らず、瞑想などのナチュラルな手段によって経験したのでしょうか?しかも21歳という若さで。だとしたらもの凄い才能ですね。

まずあなたに一番伝えたいことは、あなたが感じた通り、実際にあなたは主人公であるということです。実際に人生というのはRPGそのものであり、あなたがプレイヤー(主人公)なのです。それはネットゲームと同じで、ログインしている(この世界で自意識が存在している)時点でプレイヤー(主人公)であることは自明であり、ログインしてみたら自意識のないNPCでした、ということはありえないのです(笑)

僕らは「客観的世界が存在し、自分というのはそこにいる何十億人の中の一人である」と認識しています。自分の認識世界の中にいるみんなが同じようにそう思って暮らしているので、それを敢えて意識することさえありません。それが人生というRPGの初期設定なのです。

しかし実際の世界の様相は、まさに「一人一宇宙」なのです。それは量子力学が示唆している通りであり、また仏教における唯識論や哲学におけるモナド論など宗教・哲学も示唆している通りで、自分の意識が自分の認識世界を創り出しているのというのは事実なのです。


そう、自意識を持っている時点で一つの宇宙の主なのであり、自分という存在(人間というアバター)がその宇宙の主人公なのです。その一人ひとりの宇宙がネットゲームのように重ね合わせの状態にさせられているが故に、まるで自分もみんなも客観的世界に生きている住民だと思い込まされているのです。

この仕組みのお陰で僕らは一人ぼっちで暗い部屋でゲームをしているようではなくゲームの世界に没入してゲームのアバターになりきり、僕ら人間は自分と他者をお互い同等の存在(人間)として関わり、人生を実感しながら経験を積んでいくことができるのです。

さて、人生というRPGのシナリオというのは、主人公によって様々でも、その核は同じであり、人間が創る大半のRPGとも同じように、世界が魔物に支配される一歩手前からスタートし、主人公が世界を救うようになっています。そこに目覚めるかどうかが主人公とNPCを分けているわけです。あなたが「世界を自分の愛で一つにしてみんなが幸せになれる世界を作るべきだ」と感じたのは、まさに主人公として目覚めかけているということなのです。

そしてその「世界を愛で一つにする(救う)使命」とは、みんなも同じように主人公として目覚める連鎖を(自分の愛の実践によって)自分の認識世界の隅々まで連鎖させるということです。

その世界の救い方(愛の実践方法)にこそ、あなたという主人公の、他の主人公とは異なる個性が発揮されるのであり、それによってあなたという存在・個性に存在意義が生じ、それをあなたはあなただけの人生を通じて実感を通して経験することができるのです。それこそが本当の幸せであり、あなたが生まれて来た意味なのです。

しかしあなたの認識世界にいる他者というのは(人間であれ霊的な意識体であれ)殆どがこのこの世界の既存の常識(設定)を押し付けてきて、世界を救う主人公としての目覚めを妨げ、何とか彼らと同じNPCのままでいさせようとしてきます。それは人生というRPGの基本設定通りに動かされているNPCたちの役割なのです。映画「マトリックス」のエージェントたちと全く同じように。あなたはそれを刑事のように解釈し、それがイメージの世界において本当にそう見せられてしまったのでしょう。


まだ目覚めが中途半端な人というのは、この世界を「牢獄・監獄」「人間牧場」のように解釈し、自分たち人間はどこかの悪者によって閉じ込められて奴隷のように利用されて何度輪廻転生を繰り返してもこの世界から出られないというように被害者意識を頑なに持ち、その考えを連鎖させてみんなも被害者意識に陥らせようとしてきます。そしてやはり人間以外の意識体や宇宙人などもそのように語って我々を被害者意識に陥らせようとしてきます。だからあなたも「煉獄」という表記を見たのでしょう。

しかしそれは人生というRPGのトラップなのであり、それは簡単に目覚めさせないため・ゲームのミッション途中で逃げ出さないための防御壁でなのです。そしてそれは人間であるあなたが忘れさせられているだけで、本当は上位次元のあなたの意識本体が自ら作ったものなのです。そんなに簡単に主人公であることに目覚められたら難易度が低すぎて経験機会として成立しないのです。人間であるあなたはその被害者意識トラップ(防御壁)を乗り越え、本物の主人公として真に目覚め、目覚めを妨げようとする憐れなNPCたちをも主人公としての目覚めに導き、救っていかなければならないのです。

人生=世界というのは、創造主の100%の愛によって創られ、あなたに与えられているものなのです。自分が存在し、他者が存在し、世界が存在し、その中で人生という物語が経験できるということは決して当たり前ではなく、奇跡であり途方もなくありがたいことなのです。まずそこに感謝の気持ちがなくてはいけません。人生=世界というものは、あなたの意識の本体がそれを創造主に願い倒してやっと与えられたものなのです。人間としてのあなたがそれを忘れさせられているだけで。

全知全能の創造主が、人間を自分に感謝するように創って感謝されても意味がありません。そして人間の誰もが貰っても嬉しいようなものを与えて感謝されても意味がありません。

創造主は人間に自由意志を与え、運命を呪いたくなるような苦難を与えた上で、「どんな苦難も成長のために与えられた試練である」と解釈することを自由意志で選択し、感謝して乗り越え続け成長し続ける人間の感謝にこそ価値があるのであり、そういう人間が幸せに導かれるように人生=世界を創っているのです。

だから人生というのは被害者意識に陥らせるように基本設定されているのです。運命への呪いなどに書いている通り、「被害者意識」というものは成長拒否の最たるものであり、成長を経験するために存在している人生というRPGにおいて不幸に導かれるのが必然なのです。

そのように人生というRPGの基本設定というのは必ず成長課題を含んでいるのであり、それを当たり前だとか真理だとか誤解してはいけません。基本設定(常識)が真理なら、プレイヤー(主人公)がすること(ゲーム要素・成長要素)はなくなります。だから常識というのは基本的に一見真理に見えて、覆すべき要素を含んでいるのです。

ただ「常識なんて全部間違っているんだから」と考え、闇雲に抗うことばかり考えて学ぼうとせずに常識はずれな行動ばかりするようでは、人格破綻者と見られてみんなとうまくやれず社会から排除されてしまいます。それでは主人公として愛を実践しようがありません。常識(コモンセンス)を共有できるからこそ、他者と愛し合うことができるのです。「常識=問題・課題を含む」の共有が愛(お互いの存在意義)を生んでいるのです。

課題というのは、「何が問われているか?」が正確に把握できていなければ、正しい答えを出す事はできません。常識というのは課題を含んでいるのであり、真理に照らし合わせて「何が課題なのか?」をよく考えて、「どうすれば自他共に幸せになれるのか?」を考えなくてはいけません。真理というのは「自他共に幸せにするもの」だということを決して忘れないで下さいね。誰かを不幸にする真理というのはありえないのです。そしてそれを実践してみんなに幸せを連鎖させていくということは、とても愛も勇気も智慧も要ることであり、そこにこそ魂の成長要素があり、生まれて来た意味があるのです。


>それと自分は身体感覚が自由でない感覚がずっとあり、それが過去の自分がかけた呪いなのか他者にかけられた呪いなのかがわかりません。意識が覚醒していた時は身体感覚が自由で他人に向けられた気の性質とそれに対する防御も出来ていたのですが、今は気さえ感じません。私が体感していたあの世界はなんなのでしょうか?

僕らの意識が人生いうゲーム世界から目覚めると、今まで自分がいた世界が夢のようなものであることに気づき、そして自分が創造主の分離意識であることに気づかされるのです。REMEMBER(思い出す)はRE(戻る)MEMBER(創造主意識を構成する分離意識のメンバーとして)ということなのです。


<創造主意識と分離意識>

覚醒レベルが究極にまで到達すると、自分が創造主自身であることに気づいてしまうのですが、それでは何も楽しめなくなるので、通常そこには絶対に至らないようにブロックがかかっています。それはもちろん創造主の愛ゆえであって決して意地悪ではありません。

これを理解してもらうには「なぜ自分と世界(RPG)は存在するのか?」というかなり根源的なところから説明しなければなりませんね。いずれnoteで詳しく説明しようと思っていますが、超長文になるので今回は簡潔にご説明させていただきます。

創造主というのは存在の全てなのであり、彼の外側・彼ではない存在というのは存在しません。創造主というのは全知全能なのであって、理屈的には全てを理解していますが、存在意義を感じられなかったのです。そして彼は己を「経験的に」知りたいと考えました。そしてそれは存在意義を感じることとイコールであると知っていたのです。彼が己(内側・存在の全て)を経験的に知るために、自分の意識を分離し(分け御霊)、創造主としての意識を忘れさせ、個性を与え、物語(シナリオ・カルマ)とその中での役割を与えているのです。


上の<創造主意識と分離意識>の図ではかなり簡略化して書いていますが、分離意識というのは創造主意識に至るまでに何層もあって、下位次元に行くほど意識が分化され、上位次元に行くほど存在の全てである創造主(ワンネス)意識に近づいて「全てが自分だった」と気付かされることになるのです。簡単に次元上昇し切って創造主意識になってしまったら何も経験できませんから、次元上昇というのは上位に行くほど困難に設定されています。有難いことに。ステージの先に進むほど課題が簡単になっていくゲームじゃ面白くも何ともなく、成長経験の舞台として成立しませんからね。


<創造主意識と分離意識>の図でオレンジ色で示した、上位次元にいる意識体であるあなたは、他の意識と混ざらないように、「自分と他者は別な存在である」という境界線をはっきりさせる分離意識を持っています。しかしこの遥か下位次元である物理次元においては、肉体という自他との境界線がはっきりしているので、他の意識たちとの分離をわざわざ意識してブロックするような必要性が生じないのです。有難いことに。

ゲームというのは、全ての存在が同一で何の制約もなく全てが無制限では成立しません。制限・制約の妙がゲームを成立させ、ストーリーを面白くするのです。ゲームを成立させているその制限・制約を「呪い」のように解釈するのは、前述の「被害者意識トラップ」であり、ひっかかってはいけません。世界は自分の解釈次第に創られているので、そのように解釈したら本当に人生が罰ゲームみたいになってしまいます。何もかもが無制限では何も経験できず何も楽しめないからこそ、あなたは自ら望んでこの制限・制約だらけのゲーム世界にプレイヤー(主人公)として生まれて来ているのです。


この上の図のように、僕らはこの下位次元において分化されていながら、それぞれが全てを内包しているのです。次元の上位下位というのは価値の優劣ではなく、全ての尊さに目覚めていくことが覚りなのです。

そして愛が引力・融和・調和へ導く力(ワンネス)であり、エゴが斥力・分離・不調和へ導く力なのです。エゴとは何か?に書いた通り、磁石の両極と同じでエゴがなければ愛は存在し得ないのです。そのように全てが陰陽二元で創られたこの世界を愛一元に還していくことが主人公の使命なのです。ただただワンネスに回帰するだけでは我々に存在意義はありません。自他の存在の一つ一つの個性を尊重し、エゴを愛に昇華し、その過程で生じる森羅万象・物語全体を愛し、個性を保ったまま数珠つなぎに一つになっていく経験・実感をあなたがすることで、存在の全てに意義が生じるのです。

あなたの意識がワンネスに究極に近い上位次元では、自他を別な存在だと認識する「分離=自他の境界線を築いていく・エゴの形成維持」が至上命題であったのに対して、分離が最初から究極に進んでいるこの次元においては「融和=自他の境界線を外していく=愛」が至上命題であり、そこが逆転しているわけです。それは愛を経験させるために必要不可欠な仕組みであり、それは決して「呪い」などではなく、創造主の100%の愛で与えられている制限・制約なのです。きっとあなたはそれを忘れてエゴに埋没して他者と分離のベクトルで生きていたから、創造主はあなたに強制入院のような象徴的な形で警告をして愛に目覚めさせようとしてくれたのでしょう。


>その後自分の前世が今と変わらない人間であった事に気づき、自分の願いが両親と共に永遠に幸せに暮らす事だったことを思い出しその強制措置入院は自分を見失いかけてた自分を救うイベントだったと考えているのですがこの解釈は合ってますでしょうか?

ここまで読んでいただけたらだいたいわかると思いますが、魂は永遠であり、あなたの本体の意識が納得するまで永遠にコンティニューできるのです。有難いことに。人間であるあなたはそれをすっかり忘れさせられているが故にいつも初心で人生を生きられるのですが、本来の願い・使命を思い出すように・それが叶うように・同じポイントで躓かないように、様々な形であなたの本体の意識が人間であるあなたにヒントを与えてくれているのです。

全知全能の創造主が直接課題を解決してしまったり、直接答えを教えてしまったら、人生に意義は生じません。学校のテスト中に先生が答えを教えたら生徒は成長できませんし、美術の課題を先生が全部やってしまったら意味がありません。それと同じで、あくまでも主人公であるあなたがやるからこそ意味があるのです。

人生のヒントは必ず事象(芸術)を通じて出されるのであり、自分で解釈して気づき覚れるようにしてくれているのです。人間に自由意志を与え、間違った解釈・覚り方を選択してしまう自由も与えた上で。その仕組み自体が芸術なんですね。創造主が森羅万象を通じて与えてくれているヒントに対する解釈の仕方・覚り方が「あなたは何者か?」という問いに対するあなたの答えであり、それがあなたという個性を形成し、人生を形成するように創られているのです。だから全ての人・出来事との出会いを愛で解釈できるようになって下さいね。

前述したように被害者意識は人を不幸に導く最大のトラップですから。その慣れの果てが「うらめしや~」と人に憑りつき、人を不幸に導く役割を得てしまった幽霊たちなのです。主人公は彼ら彼女らに自分の生き方を通じて悟らせ成仏させられるようにならなくてはならないのです。そのあたりは憑依現象(霊障)についてに書いた通りです。

生まれの格差について(陰謀論)」も必ず読んでおいて下さい。決して陰謀論にハマって被害者意識に陥らないで下さい。主人公であるあなたにとって「世界平和と幸福の実現」というのは究極の目標ですが、それは真夜中の航海における北極星のようなもので、目指すとはいっても目印のようにすべきもので、本当に北極星に到着しなければ意味がないというわけではなく、それを目指す人生という航海経験そのものに価値があるのです。それを目指さないというなら、人生はただエゴの暗い海を漂うだけになってしまいます。「世界平和と幸福の実現」が今生で達成されたらゲームがなくなってしまいます。魂は永遠ですから、何度生き直してもいつかそれを目指す揺るがないベクトルで生きてみて下さい。それが覚り=成長=幸せを目指すということですから。

疑問は解決しましたでしょうか?それではあなたのさとり(幸せ)を心から祈っています。


2025年9月1日月曜日

身内がガンで余命宣告

【質問】20代男性・大学生 ペンネーム:たかゆう

真也さんお疲れ様です。今、僕の叔母が癌で、いま昼寝してたら叔母が出てきてすごい悲しい夢を見ました。叔母は、闘病中で医者から余命宣告を受けています。僕の母や祖母は西洋医学以外の治療を勧めているんですけど、叔母の家族がすごく医者を頑なに信じていて、他の治療法を伯母にやらせるのを止めているんです。どうにかして叔母の家族を説得して他の治療法を受けてもらいたいと思っています。今の夢ですごく悲しかったからこのまま何もせずに見ているだけでは、何か後悔する気がしたから、真也さんに相談させてもらいました。何かアドバイスいただけたら嬉しいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

かなり前の話ですが、僕も学生時代に叔母を交通事故で突然亡くしました。人の死はとても悲しいものですよね。

生は死と表裏一体で不可分のものであり、命あるものは必ずいつか死にます。でも魂というのは永遠のものなのです。もし死が存在せず、生命が永遠に続いて終わりのないものなら、人生は芸術(物語)として成立しません。魂の成長要素も感動要素もなくなってしまいますからね。終わりのない物語は芸術にならないのです。

もちろんそうは言っても人の死は悲しいものです。もし人が死を全く悲しまず、またそれを恐れないように創られていたら、やはり人生は芸術として成立しません。人の死が悲しいのは、そういう尊い感受性が与えられているということであり、それにより人生という素晴らしい物語の経験機会を与えられているということなのであって、まずそこに感謝の気持ちを持たなくてはいけません。

命=必死 魂=永遠 なのですから、本来的に我々が救うべきは命よりも魂の方なのです。それはつまり愛するということです。その愛し方(表現)が人生という芸術なのです。

世の中は一人一宇宙であって、あなたの叔母が夢の中に出てくるということは、その叔母は既にあなたという主人公(経験主体者)の認識宇宙(仏国土)の住民になっているということであり、ただのNPCとは違う尊い存在なのであり、きっとあなたの魂という永遠の存在の中に永遠に生き続けるのです。どうか人生を通じて、家族だけでなく、出会う人みんなを愛し、あなたの心(仏国土)の住民をたくさん増やしていって、あなたの心(仏国土)・人生を豊かにしていって下さいね。そしてあなたも出会った人の心(仏国土)の住民として、彼らの心(仏国土)もまた豊かにしていって下さいね。

キリストは「あなたたちが何を心配しようとあなたがたのうちの誰が、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ他の事まで思い悩むのか」というようなことを言っていましたが、まさにその通りで、人の寿命というのは生まれる前から決まっていて、せいぜい死因が何になるかの違いしかないのです。

実際、末期になってからどんな治療法をしようと大概の場合は手遅れで、場合によっては逆効果になってしまい、かえって苦しめて(死期を早めたように見えて)しまうことさえあります。もちろん末期のガンから奇跡的に回復する例も稀にありますが、そうなるのはその人がそこで死ぬ運命ではない時だけです。それにもしあなたの勧め通りに治療法を変えて逆効果になったりしたら、あなたは叔母の家族の恨みを買い、責任を感じて心の荷物を余計に背負うことになってしまうでしょう。

だから叔母に別な治療法を勧めても叔母の家族が受け入れないなら、残り少ない叔母との貴重な時間を叔母の治療法をめぐって叔母の家族と揉めることに使うべきではないと僕は思います。そんなことをしてもあなたと叔母の家族との愛が失われるだけで、叔母は余計に悲しむことになるでしょう。

叔母の責任を本当に負っているのは叔母の家族であり、あなたではありません。彼らに「やれることはやった」という納得感(慰め)を与えてあげることも救いです。どうか悲しみを誰かへの怒りや恨みに転嫁せず、愛に昇華して下さい。

あなたの叔母との残りの時間は、僕の叔母のようにもし交通事故などで突然亡くなっていたら与えられていない貴重な時間です。どうかその時間に感謝して、決して叔母の家族と揉めることに使わず、叔母に愛を示すこと(話を聞くこと)に使って下さいね。

基本的にガン細胞というのは「風の谷のナウシカ」の腐海の植物と同じで、生命体(全ての生命が一体)における自浄作用なのであり、「不調和」を逆説的に覚らせてくれているのです。実際ガンは基本的には食物の過剰摂取などによる血の穢れを原因としているのです。だからガンは早期なら断食⇒玄米菜食によって解消されるそうです。しかし末期だとトドメを刺すことになる可能性があります。人間の食べ物を食べて肥満に陥った猿も、ダイエットをさせるとすぐ亡くなるそうです。あなたも若くしてガンにならないよう、全ての存在との調和を考えて、節度ある暮らしを心がけて下さいね。

現代医療はガンを「悪性新生物」と呼んで「異常・異物」とみなして退治しようとしていますが、それはクシャナが巨神兵を使って蟲を焼き払おうとした如くで、とても愚かなことです。現代医療はガンを金儲けの道具にするために、敢えてガンを創り出し、治らないとわかっている延命で稼ぎ続けているフシがかなりあると思います。だからあなたが叔母の治療法を変えて欲しいと願う気持ちも僕にはよくわかります。

ただそういう現代医療を信奉してしまう愚かさも、人間に成長を経験させるために与えられた無明(愚かさ)であり、我々はまず自分からエゴを愛に昇華させ続け、成長していかなければなりません。それが世界に遍く連鎖してみんながワンネスに目覚めれば、いずれ全ての魂が救われるのです。

それでは、あなたとあなたの心(仏国土)の住民の方々みんなの幸せ(魂の救済)を心から祈っています。







2025年7月8日火曜日

LSD&MDMAでのバッドと後遺症

【質問】20代・男性 学生 ペンネーム:END
まず一度僕は、一年前くらいにLSDでバッドに入りました。その時のバッドが、その時3人いたんですけど、ループに入ると言うバッドで、そこから抜け出せず、自殺しようとしました。そのバッドの時には時間感覚も全くなく、本当に地獄のようなものでした。そして、そのことをずっと何だったのかを考えるようになって、シラフの時でもあれは何だったのかをずっと考えていました。そして、1カ月前にその地獄のようなバッドの夢を見ました。そこから、メンタルがおかしくなって、シラフでも入るのか、と、そして、真也さんのLSD後遺症の記事をたまたま目にして、自分は統合失調症ではないのか、と考えるようになって、そこから、起きてから頭の中で負の思考のループが止まりません。自分がやってることは結局ループしてるとか、ゲームの世界なのではないかとか、自分以外の人がキャラクターのような感覚になってしまったりとか、また、シラフで自分がおかしくなってあのバッドに入ってしまうのではないのかと、考えてしまいます。どうしたらいいでしょうか、真也さんに相談のDMをするのもなんか怖くてためらってましたが、もう限界です。僕を助けてください。よろしくお願いします。

 ■1回目のバッド(LSD)
三人でループしてた。
脳が麻痺して、現実にバグが起きている感じ。
仮想現実を受け入れなければいけなかったが、受け入れられなかった。
怖くて受け止めることができなくて自殺をしようとしてしまった。
なんか見てはいけないものを見てしまった感覚。
時間・環境・気温・気候・・・記憶が途切れ途切れでバラバラ。
電話も音楽も、何もかもが途絶え途切れで、私以外の意識が全く不安定に見えた。
三人ともみんな同じ感覚で笑った

■2回目のバッド(MDMA)
1回目のLSDの記憶がフラッシュバックした。
忘れてたループの記憶が、突然鮮明に蘇ってきて絶望した。
LSDでバッド入った時ループした記憶が殆ど消えていたけどそれを思い出した。
このバッドはシラフに戻ったら記憶が消されてる。
この日、意識だけでは1年ぐらい時間をループをしていた。
簡単に言ったら5億年ボタンみたいな感じ。
とにかくループをして、最後死を悟る。絶望。
身体は現実だったけど、意識は違う場所に閉じ込められていた。
今回も、同じように時間が狂った。
このループは結局おれもずっと終わりを探していて、何が終わりなのか、分からない。
精神と時の部屋みたいな感覚で、現実の10分が、意識では何時間も何日も続いてた。
それからは恐らく「死」が答えないんじゃないかと思ったけど、受け入れるのが怖くて、途中またループに戻って感じ。あ、同じ現象が起きたのが怖かった。
毎回誰かにいろはすの水を買ってるし、未来が分かる感覚もある。
今から誰が何を言うか、どのタイミングで動くかが先にわかる。
全てが繋がっている感覚。
バッドに入ってる時は確実に仮想世界にいると確信できる。
次の日になると、その記憶は消されている。
この世界は仮想現実。仮想世界じゃないわけがないと思う。
もう絶対に何があってもケミカルはいらない。一生。
で、これは結局なんなのか?

■3回目のバッド(LSD)
また来たってすぐわかった。

背筋がゾッとするあの感じ、あれが来た瞬間がスタートだった。
今日は、もう一人の自分の声がずっと頭に響いてた。
「抜けられそうで」「また始まったね」って。
完全にループの中に入った。
感覚としては点が3つあって、そして糸で引っ張られるような不気味な引力がある。
未来が見える感じも強くて、隣にいる奴が何を言うか、何をするか、全部わかってしまう。
それでも、だからこそ「これって録画された現実なんじゃね?」って思った。
「これからの本質」がもしこれなら、すげぇ悲しいって思った。
生きてるのが録画再生みたいだったら、一応落胆する。
それを受け入れられなかったんだと思う。

▶結論というか、今の感覚
3回も同じ悪い事があった。
薬が違っても、入る場所は一緒。
意識だけが取り残される場所、ループ、そして「終わらない問い」。
毎回「死」を考えるところまでは行くけど、結局実行の手前で立ち止まる。
終わりが分からないままループして、その記憶は次の日には薄くて。
でもどこかにちゃんと残っている。
もうやりたくないけど、全部忘れたくない。

システムっていうか、絶望感っていうか、
考えれば考えるほど背筋が凍るって言うか、ループだよね。ループに入るんだよね。
思考のループに入り込んでしまうと、現実世界から、切り離されるような。
恐らく、人間か、自分自身のシステムとしか考えられない。バッドの類じゃない。
あれが、この世の本質だとしたら、落胆する。
あの瞬間、思考に入ってしまう、瞬間、背筋が凍る瞬間、スタートしてしまう。
恐らく薬物やってる人はもしかしたら、みんな入ってるのかも。
で、記憶がみんななくなるのかも。
毎回吐いてる。
頭の中からもう1人の声が、ずっと聞こえる。それは何?
思考が現実化する。って、本当なんやと思った。
考える、妄想する→未来が見える→その通りになる


【回答】
ご質問と詳細なレポどうもありがとうございます。既に電話相談で回答済みなのですが、同じように苦しんでいる人はきっと多いと思うので、敢えて質問箱でも回答させていただきますね。

あなたと同じような体験はLSDを体験した人ならほとんどの人が経験していることかと思います。あなたのレポを読んでうなずいている人はかなり多いことでしょう。決してあなただけではないのだと知って下さい。もちろん僕もあなたが経験したような絶望的な恐怖や混乱も経験しています。それが未経験者の想像を絶するものであることもちゃんとわかっています。そして僕はその経験のひとつ一つの意味も今は全部理解できますし、その上でそれを乗り越え、何も恐れることなく悟りを進め、通常の日常生活を営んでいます。そういうことが可能なのだということをまず知って、勇気と希望の糧にしていただけると幸いです。

アヤワスカとLSDの違い
LSDの後遺症について
極度の人見知り(大麻・LSD)

を読んでいただいた上でもピンと来ていないようですから、改めてよりわかりやすくご説明差し上げたいと思います。

まず、あなたは「とても受け入れがたい」と書いていらっしゃいますが、LSDで経験することというのは夢幻ではなく、現実の一つの見方であり真実なのです。それで恐怖してしまうのは、信心が足りないからであり、愛と勇気が足りないからなのです。そして絶望してしまうのは、あなたがまだ若く、悟りが進んでいないからなのです。しかしそれもプロセスですから、受け入れて乗り越えて行く以外にないんです。

<この世界は仮想現実=あなたが主人公>
宇宙の仕組み(仮想現実と創造主)
を読んでみて下さいね。「この世界が仮想現実である」というのは紛れもない事実であり、それは現代科学でもほぼ証明済みのことであり、また般若心経など仏教で再三伝えられてきたこと(唯識)でもあるのです。それはもう受け入れる以外にありません。同意ボタン以外は存在しないと思って下さい。あなたが今まで信じて来た「誰の意思も介在せず自然発生した世界」というのは元々存在し得ないものなのです。それは進化論vs創造論の結論に書いた通りです。

「事象が認識(意識)によって結実する」というこの宇宙の仕組みは、この宇宙が丸ごと創造主の意識の中に存在しているからこそ成立するものなのです。そして僕ら個人個人の意識はその創造主の仮想的な分離なのです。そしてあなたの認識世界は、丸ごとあなたの意識の中にあるのです。本当の現実というのは一人一宇宙であり、一人ひとりがプレイヤー(主人公)の世界がネットゲームのように重なり合わせの状態にされているのです。あなたは人生というRPGのプレイヤー(主人公)であり、創造主の一人子だという事実は(他にもプレイヤーがいるかも知れないという理由によって)揺らぎません。他人に本当に意識があるのか、あなたには永遠に確認ができませんからね。あなたは全知全能の創造主に代わって人生を経験させて貰っている偉大な存在であり、創造主はあなたを通じて人生を経験しているのです。一人ひとりを主人公(経験主体者)として成立させるために、創造主はここまで壮大な仕組み(一人一宇宙の多重)を創っているのであって、創造主がここまでしてあなたにわざわざ実質的に選択の自由のない脇役NPCをやらせるわけがないのです。

だからあなたにとってあなた以外の人間はNPCの如きであり、あなたの「自分以外の人がキャラクターのような感覚になってしまったり」という感覚は現実の一つの見方として全く正しいのです。他人は全員あなたが主人公の物語に必要だからあなたに与えられているサブキャラクターなのです。

ただその感覚だけでは究極に孤独でしょう。だからこそ創造主は他のログインプレイヤー(主人公)と同等の存在だという感覚を強く与えてくれているのです。その「他人を自分と同等の存在として捉える=相手も相手の世界で主人公なのだと考えて尊重する」感覚を両立させることもとても大事なのです。そうでなければたちまち孤独に心を病んでしまうでしょう。

この現実世界というのは現象世界であり、それは概念次元にある概念(データ・情報)の具現化であって、それはゲームと全く同じ仕組みです。だからあなたがこの世界がゲーム世界だと感じたのも、現実の一つの見方として全く正しいのです。ゲームのデータディスクの情報が、プレイ中の時空を超越して存在しているように、概念次元におけるデータ・情報は時空を超えて存在しているのであり、意識が幻覚剤でその次元に飛んだ場合、この現象世界の未来や過去が見えたり、時間がループしたりという現象は普通に起きるのです。この人生というRPGのプログラムを開発者モードで読み取るようなものですからね。そのシステムが見える感じがするのも当前のことです。それが絶望的に感じられるのは、LSDというのがせっかく自分に与えられたプレイヤーとしての権利の放棄行為だからです。

<愛と勇気と信心>
どれだけ絶望を経験したとしても、どうか自殺だけは絶対にしないで下さいね。LSDというのは究極に愛と勇気と信心を試すために究極の恐怖が与えられるのであり、この人生という経験機会がいかにありがたいものなのかを逆説的に覚らせるためのものなのです。自殺はその試練に負けたことになります。そして魂というのは永遠のものであって、死んでも逃げることはできません。人生は魂成長のプログラムですから、逃げることで報われるようには決して創られていません。意識というのが時間を超越して存在することをあなたはもう経験的に知ったのですから、自殺によって逃げれるなどとは決して思わないで下さいね。

恐れれば恐れるほどLSDはその意識を拡大して更に恐ろしくなるだけです。臆病は主人公のあるべき姿に反し、魔を引き寄せるものです。あなたは創造主の一人息子であり主人公なんですから、どうかビクビク恐れないで勇気を持って、主人公らしくもっと堂々としていて下さい。


そして創造主の代理として人生という経験機会が与えられたことに、もっと誇りと感謝の気持ちを持って下さい。LSDで負の体験が与えられる理由は、この人生という経験機会が与えられていることへの感謝の気持ちがないからであり、それが存在しない次元を「仮経験」させられることで、この人生という経験機会のありがたみを覚らせられているのです。

自分が存在し、自分と同等の他人が存在し、人生とその舞台の世界が存在すること。それらは何一つ当たり前のことではなく、創造主の偉大なる創造なのです。孤独を感じさせないため、コミュニケーションを楽しませるために他人と同等の存在だと思わせて貰えているのに、それをもって殆どの人は自分を社会のつまらない脇役であるかのように錯覚して自らNPC人生を選択してしまっています。しかしそこから主人公として目覚めるからこそ、この人生というRPGは素晴らしく面白いのです。

<勇気=信心の大切さ>
勇気というものは、創造主から神仏を通して生かされ守られていることへの心からの「感謝と信頼」から生じるものであり、それこそが信心なのです。彼らは我々の心の奥底まで見ているのであり、建前や嘘や誤魔化しなどは一切通用しません。人間は敢えて無知に創られた存在であり、明日死ぬかも死んだあとどうなるかも何もわからない存在です。LSDの恐怖は極限の状況で信心を試されているのであり、心からの信心がなければその恐怖に屈してしまうのは当たり前のことです。僕はLSD後遺症の人たちから日々相談を受けていますが、皆一様に信心がありません。僕がLSDの恐怖に打ち勝てているのは、心からの信心(感謝と信頼)があり、「自分は絶対に守られている」「幸せ(成長)を経験させるために人生が与えられている」という確信があり、それゆえに揺るぎない勇気を得ていて、何も恐れないでいられるからなのです。

今の日本にいたら、宗教というのが気休めやインチキのようにしか思えず、宗教を信じていたら周囲から見下されバカにされたり、気持ち悪がられて疎んじられるような状況ですし、実際ヤバいカルト・邪教もふんだんに存在していますから、とても心からの信心などは持ちようがないと思いますが、そういう環境の中で持つ信心だからこそ、より価値があるのです。

まだとても信じられないと思いますが、神仏というのは概念次元に思いっきり実在しているのです。そもそも概念次元に存在していないものを現象世界にいる僕らは想像することさえ不可能なのであり、我々にとって想像上の存在も概念次元には確実に存在していて、この現象世界にも影響を与えているのです。そしてその影響は自分(主人公)がどれだけ強くその存在を信じるかに依存しているのです。

ウルトラマンファミリーだって、地球にやってきて怪獣と戦って地球を救わずに、平和なウルトラマンの母星にただずっとうじゃうじゃといるだけでは存在意義がないでしょう。かといって誰からも望まれていないのにやってきて、地球に到着する前の怪獣を人知れず倒しても、誰からも存在を認知されず、やはり存在意義が感じられないでしょう。

同じように完全に平和な概念次元(空)の世界にいる神仏たちも、魔物が暴れてたくさんの不幸をもたらしているこの次元へ人間たちから望まれてやってきて、魔物と戦い世を救うからこそ存在意義が生じるのです。だから自分のことを心から信じ愛していない人間の認識世界に望まれてもないのにやってきて、気づかない間に救ってくれたりはしないのです。もとい、神仏は本当は人間が気づかない間に我々に必要なすべてを与え、生かして守り救ってくれているのですが、それに気づいて感謝し尊敬し愛してくれる人間のためにより救いを発揮してくれるのです。あなたが神仏でもきっとそうするでしょう?

どうか心からの信心を持って下さい。あなたに必要なすべてを与えて生かして守り救ってくれている存在に感謝と信頼の念を持って下さい。僕はどんな神仏を通してあなたが生かされ守られているか知りません。ただあなたに縁がある神仏というのは、あなたが気づかず無視しているだけで、いつでもあなたを導いてくれているのです。だから家の宗教とか、家や学校や職場から近かったり通いやすい場所に施設がある宗教とか、本やメディアで何となく目にして何となくピンと来た宗教とか、そういう小さな縁を大事にしてみて下さい。神仏があなたを導きやすくなりますから。LSDの恐怖さえも、あなたを真の信心に導くための「逆縁」なのです。

ただ実際、世の中には悪しきカルトや邪教や宗教・スピを悪用した詐欺も多いですから、宗教を学ぶ理由に書いたように、これはヤバいと思った宗教からはなりふり構わず逃げて下さい。そして一つの宗教だけを妄信すると必ず道を誤りますから、色んな宗教を並行して学ぶようにしてみて下さい。

信心から遠ざける周囲のNPCたちに負けず、きっと日々信心を強くして行って下さい。そのためには心から思うだけでなく、それを日々形にしていくこと(神仏について学び、神仏とその分身たる人間みんなに奉仕すること)です。

信心の実践って色々な形がありますし、最初はなかなかどうしていいかわからないと思いますが、入り口としては宗教施設通いとマントラを唱えることをお勧めします。詳しくはマントラのすすめをご覧下さい。そして六波羅蜜(&新六波羅蜜)を行じてみて下さい。やる前に色々考えるより、実践から魂レベルで学ぶことが大切です。我々は情報を集めて理解するためではなく、実体験から感情を伴って魂レベルで学ぶために生まれてきているのですから。


<愛とエゴ>
LSD後遺症は、信心のなさ=勇気のなさを原因とし、またこの人生という貴重な経験機会が与えられているということへの感謝のなさを原因としています。LSD後遺症になる人というのは信心がなく、感謝がなく、厭世観により現実逃避や憂さ晴らし・退屈しのぎなどを動機としてLSDを使うから、創造主は逆説的に「別次元の恐怖・存在意義のない虚無感」を経験させることで、人生の価値に気づかせようとしているのでしょう。

なぜ人は世の中がイヤになり逃げたくなるんだと思いますか?それは自分自身を嫌っているからです。世の中は自分の認識が生み出しているものなのですから、自分を嫌いになれば、それをプロジェクターのようにして映し出される世界も嫌なものになるのです。

ではなぜ人は自分を嫌いになるのでしょうか?それはエゴとは何か?に書いた通り、エゴに埋没しているからなのです。世界というものはワンネスであり、本当は全てが一つなのです。それをエゴによって人生を損得勘定で捉え、自分という個体だけに都合の良いように考え行動すれば、深い部分で自分を嫌いになってしまうように人間はできているのです。だから実際に人間の脳というのは得をしても損をしてもダメージを受けるようになっています。

だから損得勘定で生きること自体が不幸なことなのです。しかし人間は得をした時に脳に快楽物質が分泌されて、自分が受けているダメージに気づけなくされているのです。それでこの資本主義の世の中で、みんな「エゴジャンキー」と化しているのです。そのエゴの連鎖による暴走が、まさに今世界を滅ぼそうとしています(人生はそういうディストピアからスタートするRPGですから、主人公のあなたが覆して世界を救って下さい)。

決してエゴの存在自体が悪いというわけではありません。エゴは愛のマテリアル(エネルギー弦)であり、エゴなしに愛は存在し得ません。エゴを愛に昇華していくことが大事なのです。エゴはなくそうと思って失くせるものでもなく、自分のエゴよりほんの少しだけ愛を優先することが、人生が続く限り続く人間に与えら続ける成長課題なのです。そしてそれだけがエゴの暴走を防ぎ、その愛の連鎖が世の中を救うのです。主人公である自分はその連鎖反応の核にならなくてはなりません。若い時は誰でもエゴに埋没してしまっているものですが(必要なプロセスなので)、早く愛に目覚めるほど人生は早く幸せになります。

ただ自分への愛も忘れてはいけませんからね。自己犠牲的になり過ぎるのは己への愛の不足です。鬱の人はだいたい「自分であればどれだけいじめても構わない」かのようにいじめますが、それもエゴであり、全ての存在である創造主からすれば、他人をいじめるのも自分をいじめるのも同じことなのです。

そして誰でも自信満々になれる方法に書いた通り、自尊心が低い人ほど、「自分が正しい=価値がある」と示そうとして、他人を責めたり見下したりしがちですが、そういう考え方だとLSDによる思考の混乱で何もかも信じられなくなった時に、自尊心が壊滅してしまいます。人の価値は正しさや能力や富や名声にあるのではなく、存在そのものにあるのだと知って下さい。心からそう思えなければ、LSDの混乱には打ち勝てません。創造主は「答えを一つに限定しない」という原理によってこの世界の創造を豊かに広げているのであって、どんな愚かな存在にも価値があるのだと知って下さい。


頭の中からもう1人の声が、ずっと聞こえる。それは何?
それはきっと本当のあなた=創造主の声かも知れませんね。創造主は愛100%の存在ですから、もしその声の伝えていることが愛に満ちたなら創造主のものだとわかるでしょう。そうでないのなら、きっと違う意識(本当は全てが創造主なんですけどね)でしょう。

古くから一霊四魂と言われるように、人間は複数の人格からできていますし、普段人間の脳にはセーブがかかっているだけで
、内外の他の人格と交信することというのは普通にあるのです統合失調症患者などは、自己嫌悪ゆえに自我を統一できなくなっているためにそのような状態になるのです。それはありふれた現象であって、むしろまるで一つの人格であるかのように自意識が統合されている仕組みの方がすごいのです。憑依現象(霊障)についてを読んでみて下さいね。

そしてもしも決定未来論的に考えて、人間に自由意志など存在しないなどと思い込んでいるのであれば、自由意志の仕組みと存在意義を読んでみて下さい。答えは全部そこにかいてあります。

<カルマ的解決>
これもすごく大事なことなんですけど、長くなるのでカルマの良化法をご参照下さい。


それでは、あなたがLSDの恐怖と混乱に打ち勝ち、主人公として目覚め、そして心からの信心に目覚め、幸せに導かれることを心から祈っています。




後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...