2025年10月7日火曜日

自分の天命を知りたい

【質問】16歳男性 半学生 ペンネーム:ペンシル

真也さん、はじめまして。いつもツイッターの投稿と文章を楽しく拝見しています。切れ味のある比喩と、現場の温度が伝わる言葉にたびたび背中を押されてきました。

私は昔から「自分の天命は何か」が気になっていました。ただ、仕事や学び、創作や人の相談にのることなど、関心の向く方へ手を伸ばしては続ける——ということを重ねるうちに、一定の手応えはあっても「これだ」と言い切れる芯が掴み切れないままでした。

振り返ると、何度か節目もあり、そのたびに方向を定めようとしては、また次の可能性が見えてくる。そんな逡巡を繰り返す中で、真也さんの言葉に触れ、「天命は肩書きではなく、内側で静かに続いている動きに名前を与えることなのかもしれない」と感じ、思い切ってご連絡しています。

もしよろしければ、第三者の視点から、私の天命について一言いただけないでしょうか。

方向性の仮説や、考えるための問いの形でもかまいません。必要であれば、これまでの経緯や現在の関心、日々無理なく続いていることなど、追加でお伝えします。ご負担のない範囲でお返事をいただけたら嬉しいです。

ちなみに、韓国出身です。

【回答】
ご質問ありがとうございます。そして僕の発信を受け取ってくれていてありがとうございます。16歳で僕の言葉の価値がわかるというのは、相当早熟な方だとお見受けします。そしてあなたは韓国のご出身とのことで、それなのにこれだけ自在に母国語ではない日本語が使えているのですから、きっと知性も高い方なのでしょう。僕は何かと韓国の方と縁があるみたいです。

>天命は肩書きではなく、内側で静かに続いている動きに名前を与えることなのかもしれない

それは誠に素晴らしい覚りだと思います。あなたが覚っている通り、本質的に天命・カルマというのは自分で名付けて(覚って)こそ意味のあるものなのです。それなのにあなたが他人にそれを求めてしまうのは自己矛盾ではないでしょうか?僕には会ったこともない他人の天命・カルマが見えるような特殊能力は与えられていませんし、あなたからどんなに詳しくお話を伺って答えたところでそれは他人の推測に過ぎません。天命・カルマは自分の人生のテーマでありタイトルなのですから、他人が「あなたの人生のテーマはこれでしょう」などと言えるものではないのです。

創造主がなぜ我々に直接天命・カルマ(人生のテーマ・タイトル)を教えてくれないかというと、それを教えたら答えを強制しているのと同じになって、人間に自由意志を与えた意味がなくなるからです。創造主は人生という芸術の素材を提供し、どんな作品にするのか?(どんな名前をつけるのか?どんな存在意義=天命・カルマがあるのか?)も本人次第で自由にしてくれているのです。それなのに他人にその答えを求めてしまうのは、厳しく言うと「天から与えられた主人公(主体者)意識の放棄」なのです。結果責任は本人が負うものなのですから、選択責任も本人が持つべきなのは自明でしょう。どんなに苦しくてもそこから逃げたら文字通りお話にならないのです。


>私は昔から「自分の天命は何か」が気になっていました。ただ、仕事や学び、創作や人の相談にのることなど、関心の向く方へ手を伸ばしては続ける——ということを重ねるうちに、一定の手応えはあっても「これだ」と言い切れる芯が掴み切れないままでした。

天命・カルマ(何のために生きているのか?)がわからず、迷い・苦しみ・悲しむ日々の経験にも意味・価値があるのであって(それも天命・カルマの一部です)、それを乗り越えるからこそ天命がわかる喜びもひとしおになるのです。そしてみんなに迷い・苦しみ・悲しみがあるからこそ我々は同情し合い・助け合い・愛し合うことができるのです。だからその過程をすっ飛ばして天命を求めても覚れないように人生は創られているのです。僕が天命を覚ったのは散々迷い・苦しみ・悲しんだ挙句40歳もとうに超えてからであり(それも突然)、あなたがまだ16歳で天命を覚ろうなどと考えるのは時期尚早だと思います。僕らは経験して実感を通して覚り、魂を成長させるために生まれて来ているのであり、「頭だけで覚ろうとしても無理」に創られているのです。天命も、経験から実感を通して覚らされるように創られているのであり、それは未来に見えてくるものではなく、過去の経験の蓄積によって見えてくるものなのです。つまり気づいたら「これが自分の天命だった」と過去形で覚らされるようにできているのです。自分の人生をズームアウトして見たら、その一歩一歩をドットとしていつの間にか一枚の絵の完成に向かっているのが見えるイメージです(まだ若くてドットが少ないうちはどういう絵になるか見えなくて当然です)。

例えば「運命の人との出会い」にしても、いきなり理想的な人を探しても出会えないのです。今の彼女との出会いを天より与えられた運命だと信じ、それを「当たり前」と考えてしまって感謝どころか意識もしなくなってしまう本能と日々戦って意図的にその存在と愛情に感謝しながら、一切見返りを求めず無償で相手に尽くし続けることを積み重ねる中で、後になって相手が自分にとって「運命の人」だったのだと覚らされる(名付ける)のであり、天より与えられた出会いを自分が自分の意思と行動で能動的に「運命の人との出会い」にするのです。天命とはそういうものなのです。

天命というのは例外なく誰でも最初から与えられているのです。それを覚れる人と覚れない人がいるだけで。人生はRPGなのであり、シナリオ・結末は当然クリエイターによって最初から用意されています(マルチエンディングシステム)。逆にクリエイターが用意していないシナリオ・結末のRPGなどは創りようがないのです。ましてこのRPG世界(物語)のクリエイターは全知全能なのですから。僕らはそのシナリオを選択し、どういう意義付けをするかの自由を与えられているのです。

世界は一人一宇宙であり、人生はRPGなのですから、プレイヤー(主人公)一人ひとりに「世界を救う」という本来的な天命があります(そこに目覚めている人は圧倒的少数ですが)。ただし「どのように(How)救うか?」は人それぞれ違い、その違い(個性)にこそ存在意義があるのです。そして「どのように(How)救うか?」は、人(世の中)を救おうとしている過程で見えてくるものなのです。この点は目標がないをご参照下さい。

とはいえ「ヒントだけでも」とおっしゃる気持ちもよくわかりますので、ヒントを差し上げますね。先に僕が「天命・カルマ」と書いた通り、それらは不即不離の関係にあります。天命を知りたいのであれば、自分のカルマは何なのか?を知ることです。そしてカルマは自分が一番目を背けたいところにあるものです。カルマの良化法をどうぞご参照下さい。そこに目を向けることこそが、あなたが天命を覚るヒントになることでしょう。

そしてあなたが一番自他を笑顔にできた時は、どんなことをした時でしょうか?それがまたあなたが天命を覚るヒントになることでしょう。いつだって自他みんなの笑顔が人生のコンパスなのです。

これまでの人生・自分の個性を踏まえた上で、あなたは将来的にどんな存在になりたいですか?それがわかったら、その存在に既になったかのように思考・行動してみて下さい。スラムダンクの井上雄彦先生が「キャラクター設定さえきちんとしていれば、ストーリーは自動的に展開されていく」というようなことをおっしゃっていましたが、人生も物語(創作)なのであり、そのストーリーは「自分とはどんな存在か?」次第で天によって展開されるものなのです。そしてそれは自由意思によって自分で更新していける自由を与えられているからこそ、僕らは生まれた時から「自分とはどんな存在か?」がわからないのです。

我々には「自己受容」というとても難しい共通課題(天命)があるのです。それはつまり「自他をどう愛するか?」ということです。真に自分を愛するということは、自分を存在ならしめている全ての存在を愛することです(諸法無我)。どうか天命を職能(能力)とイコールのように考え、それによって自尊心を満たそうと考えないで下さいね。本当の自尊心は自他を許し愛する日々の中で満たされていくものなのです。天命は幸せ(自尊心)の特急券のようなものではなく、早く覚れるほど素晴らしいわけではないのです。だから焦って天命を求めないで下さいね。焦って良いことは何一つありませんから。

あなたに一番伝えたいことは、例え今あまり充実感がなくて本気で自他を愛せずそれほど幸せを感じられてなかったとしても、その理由を天命がわからないことに求めて焦らず、もっと自他を愛して欲しいということです。そして何かを生きる目的にしようとするのではなく、結果は天に預け、「今ここにしかないこの時」を全力で愛して欲しいということです。そうすればきっと幸せを感じられますから。そしてそれに対する心からの感謝報恩(愛)を動機に人に・社会に貢献したいという思いで生きられるようになって下さい。その積み重ねがきっとあなたの人生を素敵な天命の覚りへと導くに違いありませんから。

■創造主直伝「さとり四カ条」
1.偉くなろうとするな、(自他すべての存在が)尊いと知れ。
2.特別になろうとするな、特別(主人公)であると知れ。
3.日々愛を実践し、特別ではなくなること(ワンネス)を目指せ。
4.幸せになろうとするな、幸せであると知れ。

「ただありのままに見つめるだけでいい。ただありのままに愛するだけでいい。」

それでは、あなたの幸せ(覚り)を心から祈っています。


2025年10月1日水曜日

意識覚醒体験の解釈

 【質問】男性 21歳 ペンネーム:オーロラ
こんにちは。一時期、意識の覚醒だけに集中していた時に、覚醒し自分を覆ってる意識のブロック(直感で警察のような気がした)を突破し、「世界を自分の愛で一つにしてみんなが幸せになれる世界を作るべきだ」という考えに全能感と共に取り憑かれた日に、親に追いかけ回され警察に保護され、様々な気に反応するかというテスト?を会話をするという体でされ強制措置入院にされるという出来事を体験しました。その日は自分が漫画の主人公になったような感覚を味わいました。狐の霊のような雰囲気を纏った刑事さんも何故か来て、煉獄と書いた巾着をつけていました。その後自分の前世が今と変わらない人間であった事に気づき、自分の願いが両親と共に永遠に幸せに暮らす事だったことを思い出しその強制措置入院は自分を見失いかけてた自分を救うイベントだったと考えているのですがこの解釈は合ってますでしょうか?それと自分は身体感覚が自由でない感覚がずっとあり、それが過去の自分がかけた呪いなのか他者にかけられた呪いなのかがわかりません。意識が覚醒していた時は身体感覚が自由で他人に向けられた気の性質とそれに対する防御も出来ていたのですが、今は気さえ感じません。私が体感していたあの世界はなんなのでしょうか?長文失礼しました。お答えいただけると幸いです。

【回答】
ご質問どうもありがとうございます。貴重な体験をシェアして下さり、僕を選んで質問して下さったことに心より感謝し、心して回答させていただきたいと思います。正しく伝わるかどうかはわかりませんが、いつも通り全力でトライさせていだきますね。

>一時期、意識の覚醒だけに集中していた時に、覚醒し自分を覆ってる意識のブロック(直感で警察のような気がした)を突破し、「世界を自分の愛で一つにしてみんなが幸せになれる世界を作るべきだ」という考えに全能感と共に取り憑かれた日
>その日は自分が漫画の主人公になったような感覚を味わいました。

それは幻覚剤などに頼らず、瞑想などのナチュラルな手段によって経験したのでしょうか?しかも21歳という若さで。だとしたらもの凄い才能ですね。

まずあなたに一番伝えたいことは、あなたが感じた通り、実際にあなたは主人公であるということです。実際に人生というのはRPGそのものであり、あなたがプレイヤー(主人公)なのです。それはネットゲームと同じで、ログインしている(この世界で自意識が存在している)時点でプレイヤー(主人公)であることは自明であり、ログインしてみたら自意識のないNPCでした、ということはありえないのです(笑)

僕らは「客観的世界が存在し、自分というのはそこにいる何十億人の中の一人である」と認識しています。自分の認識世界の中にいるみんなが同じようにそう思って暮らしているので、それを敢えて意識することさえありません。それが人生というRPGの初期設定なのです。

しかし実際の世界の様相は、まさに「一人一宇宙」なのです。それは量子力学が示唆している通りであり、また仏教における唯識論や哲学におけるモナド論など宗教・哲学も示唆している通りで、自分の意識が自分の認識世界を創り出しているのというのは事実なのです。


そう、自意識を持っている時点で一つの宇宙の主なのであり、自分という存在(人間というアバター)がその宇宙の主人公なのです。その一人ひとりの宇宙がネットゲームのように重ね合わせの状態にさせられているが故に、まるで自分もみんなも客観的世界に生きている住民だと思い込まされているのです。

この仕組みのお陰で僕らは一人ぼっちで暗い部屋でゲームをしているようではなくゲームの世界に没入してゲームのアバターになりきり、僕ら人間は自分と他者をお互い同等の存在(人間)として関わり、人生を実感しながら経験を積んでいくことができるのです。

さて、人生というRPGのシナリオというのは、主人公によって様々でも、その核は同じであり、人間が創る大半のRPGとも同じように、世界が魔物に支配される一歩手前からスタートし、主人公が世界を救うようになっています。そこに目覚めるかどうかが主人公とNPCを分けているわけです。あなたが「世界を自分の愛で一つにしてみんなが幸せになれる世界を作るべきだ」と感じたのは、まさに主人公として目覚めかけているということなのです。

そしてその「世界を愛で一つにする(救う)使命」とは、みんなも同じように主人公として目覚める連鎖を(自分の愛の実践によって)自分の認識世界の隅々まで連鎖させるということです。

その世界の救い方(愛の実践方法)にこそ、あなたという主人公の、他の主人公とは異なる個性が発揮されるのであり、それによってあなたという存在・個性に存在意義が生じ、それをあなたはあなただけの人生を通じて実感を通して経験することができるのです。それこそが本当の幸せであり、あなたが生まれて来た意味なのです。

しかしあなたの認識世界にいる他者というのは(人間であれ霊的な意識体であれ)殆どがこのこの世界の既存の常識(設定)を押し付けてきて、世界を救う主人公としての目覚めを妨げ、何とか彼らと同じNPCのままでいさせようとしてきます。それは人生というRPGの基本設定通りに動かされているNPCたちの役割なのです。映画「マトリックス」のエージェントたちと全く同じように。あなたはそれを刑事のように解釈し、それがイメージの世界において本当にそう見せられてしまったのでしょう。


まだ目覚めが中途半端な人というのは、この世界を「牢獄・監獄」「人間牧場」のように解釈し、自分たち人間はどこかの悪者によって閉じ込められて奴隷のように利用されて何度輪廻転生を繰り返してもこの世界から出られないというように被害者意識を頑なに持ち、その考えを連鎖させてみんなも被害者意識に陥らせようとしてきます。そしてやはり人間以外の意識体や宇宙人などもそのように語って我々を被害者意識に陥らせようとしてきます。だからあなたも「煉獄」という表記を見たのでしょう。

しかしそれは人生というRPGのトラップなのであり、それは簡単に目覚めさせないため・ゲームのミッション途中で逃げ出さないための防御壁でなのです。そしてそれは人間であるあなたが忘れさせられているだけで、本当は上位次元のあなたの意識本体が自ら作ったものなのです。そんなに簡単に主人公であることに目覚められたら難易度が低すぎて経験機会として成立しないのです。人間であるあなたはその被害者意識トラップ(防御壁)を乗り越え、本物の主人公として真に目覚め、目覚めを妨げようとする憐れなNPCたちをも主人公としての目覚めに導き、救っていかなければならないのです。

人生=世界というのは、創造主の100%の愛によって創られ、あなたに与えられているものなのです。自分が存在し、他者が存在し、世界が存在し、その中で人生という物語が経験できるということは決して当たり前ではなく、奇跡であり途方もなくありがたいことなのです。まずそこに感謝の気持ちがなくてはいけません。人生=世界というものは、あなたの意識の本体がそれを創造主に願い倒してやっと与えられたものなのです。人間としてのあなたがそれを忘れさせられているだけで。

全知全能の創造主が、人間を自分に感謝するように創って感謝されても意味がありません。そして人間の誰もが貰っても嬉しいようなものを与えて感謝されても意味がありません。

創造主は人間に自由意志を与え、運命を呪いたくなるような苦難を与えた上で、「どんな苦難も成長のために与えられた試練である」と解釈することを自由意志で選択し、感謝して乗り越え続け成長し続ける人間の感謝にこそ価値があるのであり、そういう人間が幸せに導かれるように人生=世界を創っているのです。

だから人生というのは被害者意識に陥らせるように基本設定されているのです。運命への呪いなどに書いている通り、「被害者意識」というものは成長拒否の最たるものであり、成長を経験するために存在している人生というRPGにおいて不幸に導かれるのが必然なのです。

そのように人生というRPGの基本設定というのは必ず成長課題を含んでいるのであり、それを当たり前だとか真理だとか誤解してはいけません。基本設定(常識)が真理なら、プレイヤー(主人公)がすること(ゲーム要素・成長要素)はなくなります。だから常識というのは基本的に一見真理に見えて、覆すべき要素を含んでいるのです。

ただ「常識なんて全部間違っているんだから」と考え、闇雲に抗うことばかり考えて学ぼうとせずに常識はずれな行動ばかりするようでは、人格破綻者と見られてみんなとうまくやれず社会から排除されてしまいます。それでは主人公として愛を実践しようがありません。常識(コモンセンス)を共有できるからこそ、他者と愛し合うことができるのです。「常識=問題・課題を含む」の共有が愛(お互いの存在意義)を生んでいるのです。

課題というのは、「何が問われているか?」が正確に把握できていなければ、正しい答えを出す事はできません。常識というのは課題を含んでいるのであり、真理に照らし合わせて「何が課題なのか?」をよく考えて、「どうすれば自他共に幸せになれるのか?」を考えなくてはいけません。真理というのは「自他共に幸せにするもの」だということを決して忘れないで下さいね。誰かを不幸にする真理というのはありえないのです。そしてそれを実践してみんなに幸せを連鎖させていくということは、とても愛も勇気も智慧も要ることであり、そこにこそ魂の成長要素があり、生まれて来た意味があるのです。


>それと自分は身体感覚が自由でない感覚がずっとあり、それが過去の自分がかけた呪いなのか他者にかけられた呪いなのかがわかりません。意識が覚醒していた時は身体感覚が自由で他人に向けられた気の性質とそれに対する防御も出来ていたのですが、今は気さえ感じません。私が体感していたあの世界はなんなのでしょうか?

僕らの意識が人生いうゲーム世界から目覚めると、今まで自分がいた世界が夢のようなものであることに気づき、そして自分が創造主の分離意識であることに気づかされるのです。REMEMBER(思い出す)はRE(戻る)MEMBER(創造主意識を構成する分離意識のメンバーとして)ということなのです。


<創造主意識と分離意識>

覚醒レベルが究極にまで到達すると、自分が創造主自身であることに気づいてしまうのですが、それでは何も楽しめなくなるので、通常そこには絶対に至らないようにブロックがかかっています。それはもちろん創造主の愛ゆえであって決して意地悪ではありません。

これを理解してもらうには「なぜ自分と世界(RPG)は存在するのか?」というかなり根源的なところから説明しなければなりませんね。いずれnoteで詳しく説明しようと思っていますが、超長文になるので今回は簡潔にご説明させていただきます。

創造主というのは存在の全てなのであり、彼の外側・彼ではない存在というのは存在しません。創造主というのは全知全能なのであって、理屈的には全てを理解していますが、存在意義を感じられなかったのです。そして彼は己を「経験的に」知りたいと考えました。そしてそれは存在意義を感じることとイコールであると知っていたのです。彼が己(内側・存在の全て)を経験的に知るために、自分の意識を分離し(分け御霊)、創造主としての意識を忘れさせ、個性を与え、物語(シナリオ・カルマ)とその中での役割を与えているのです。


上の<創造主意識と分離意識>の図ではかなり簡略化して書いていますが、分離意識というのは創造主意識に至るまでに何層もあって、下位次元に行くほど意識が分化され、上位次元に行くほど存在の全てである創造主(ワンネス)意識に近づいて「全てが自分だった」と気付かされることになるのです。簡単に次元上昇し切って創造主意識になってしまったら何も経験できませんから、次元上昇というのは上位に行くほど困難に設定されています。有難いことに。ステージの先に進むほど課題が簡単になっていくゲームじゃ面白くも何ともなく、成長経験の舞台として成立しませんからね。


<創造主意識と分離意識>の図でオレンジ色で示した、上位次元にいる意識体であるあなたは、他の意識と混ざらないように、「自分と他者は別な存在である」という境界線をはっきりさせる分離意識を持っています。しかしこの遥か下位次元である物理次元においては、肉体という自他との境界線がはっきりしているので、他の意識たちとの分離をわざわざ意識してブロックするような必要性が生じないのです。有難いことに。

ゲームというのは、全ての存在が同一で何の制約もなく全てが無制限では成立しません。制限・制約の妙がゲームを成立させ、ストーリーを面白くするのです。ゲームを成立させているその制限・制約を「呪い」のように解釈するのは、前述の「被害者意識トラップ」であり、ひっかかってはいけません。世界は自分の解釈次第に創られているので、そのように解釈したら本当に人生が罰ゲームみたいになってしまいます。何もかもが無制限では何も経験できず何も楽しめないからこそ、あなたは自ら望んでこの制限・制約だらけのゲーム世界にプレイヤー(主人公)として生まれて来ているのです。


この上の図のように、僕らはこの下位次元において分化されていながら、それぞれが全てを内包しているのです。次元の上位下位というのは価値の優劣ではなく、全ての尊さに目覚めていくことが覚りなのです。

そして愛が引力・融和・調和へ導く力(ワンネス)であり、エゴが斥力・分離・不調和へ導く力なのです。エゴとは何か?に書いた通り、磁石の両極と同じでエゴがなければ愛は存在し得ないのです。そのように全てが陰陽二元で創られたこの世界を愛一元に還していくことが主人公の使命なのです。ただただワンネスに回帰するだけでは我々に存在意義はありません。自他の存在の一つ一つの個性を尊重し、エゴを愛に昇華し、その過程で生じる森羅万象・物語全体を愛し、個性を保ったまま数珠つなぎに一つになっていく経験・実感をあなたがすることで、存在の全てに意義が生じるのです。

あなたの意識がワンネスに究極に近い上位次元では、自他を別な存在だと認識する「分離=自他の境界線を築いていく・エゴの形成維持」が至上命題であったのに対して、分離が最初から究極に進んでいるこの次元においては「融和=自他の境界線を外していく=愛」が至上命題であり、そこが逆転しているわけです。それは愛を経験させるために必要不可欠な仕組みであり、それは決して「呪い」などではなく、創造主の100%の愛で与えられている制限・制約なのです。きっとあなたはそれを忘れてエゴに埋没して他者と分離のベクトルで生きていたから、創造主はあなたに強制入院のような象徴的な形で警告をして愛に目覚めさせようとしてくれたのでしょう。


>その後自分の前世が今と変わらない人間であった事に気づき、自分の願いが両親と共に永遠に幸せに暮らす事だったことを思い出しその強制措置入院は自分を見失いかけてた自分を救うイベントだったと考えているのですがこの解釈は合ってますでしょうか?

ここまで読んでいただけたらだいたいわかると思いますが、魂は永遠であり、あなたの本体の意識が納得するまで永遠にコンティニューできるのです。有難いことに。人間であるあなたはそれをすっかり忘れさせられているが故にいつも初心で人生を生きられるのですが、本来の願い・使命を思い出すように・それが叶うように・同じポイントで躓かないように、様々な形であなたの本体の意識が人間であるあなたにヒントを与えてくれているのです。

全知全能の創造主が直接課題を解決してしまったり、直接答えを教えてしまったら、人生に意義は生じません。学校のテスト中に先生が答えを教えたら生徒は成長できませんし、美術の課題を先生が全部やってしまったら意味がありません。それと同じで、あくまでも主人公であるあなたがやるからこそ意味があるのです。

人生のヒントは必ず事象(芸術)を通じて出されるのであり、自分で解釈して気づき覚れるようにしてくれているのです。人間に自由意志を与え、間違った解釈・覚り方を選択してしまう自由も与えた上で。その仕組み自体が芸術なんですね。創造主が森羅万象を通じて与えてくれているヒントに対する解釈の仕方・覚り方が「あなたは何者か?」という問いに対するあなたの答えであり、それがあなたという個性を形成し、人生を形成するように創られているのです。だから全ての人・出来事との出会いを愛で解釈できるようになって下さいね。

前述したように被害者意識は人を不幸に導く最大のトラップですから。その慣れの果てが「うらめしや~」と人に憑りつき、人を不幸に導く役割を得てしまった幽霊たちなのです。主人公は彼ら彼女らに自分の生き方を通じて悟らせ成仏させられるようにならなくてはならないのです。そのあたりは憑依現象(霊障)についてに書いた通りです。

生まれの格差について(陰謀論)」も必ず読んでおいて下さい。決して陰謀論にハマって被害者意識に陥らないで下さい。主人公であるあなたにとって「世界平和と幸福の実現」というのは究極の目標ですが、それは真夜中の航海における北極星のようなもので、目指すとはいっても目印のようにすべきもので、本当に北極星に到着しなければ意味がないというわけではなく、それを目指す人生という航海経験そのものに価値があるのです。それを目指さないというなら、人生はただエゴの暗い海を漂うだけになってしまいます。「世界平和と幸福の実現」が今生で達成されたらゲームがなくなってしまいます。魂は永遠ですから、何度生き直してもいつかそれを目指す揺るがないベクトルで生きてみて下さい。それが覚り=成長=幸せを目指すということですから。

疑問は解決しましたでしょうか?それではあなたのさとり(幸せ)を心から祈っています。


後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...