ラベル カルマ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル カルマ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年10月7日火曜日

自分の天命を知りたい

【質問】16歳男性 半学生 ペンネーム:ペンシル

真也さん、はじめまして。いつもツイッターの投稿と文章を楽しく拝見しています。切れ味のある比喩と、現場の温度が伝わる言葉にたびたび背中を押されてきました。

私は昔から「自分の天命は何か」が気になっていました。ただ、仕事や学び、創作や人の相談にのることなど、関心の向く方へ手を伸ばしては続ける——ということを重ねるうちに、一定の手応えはあっても「これだ」と言い切れる芯が掴み切れないままでした。

振り返ると、何度か節目もあり、そのたびに方向を定めようとしては、また次の可能性が見えてくる。そんな逡巡を繰り返す中で、真也さんの言葉に触れ、「天命は肩書きではなく、内側で静かに続いている動きに名前を与えることなのかもしれない」と感じ、思い切ってご連絡しています。

もしよろしければ、第三者の視点から、私の天命について一言いただけないでしょうか。

方向性の仮説や、考えるための問いの形でもかまいません。必要であれば、これまでの経緯や現在の関心、日々無理なく続いていることなど、追加でお伝えします。ご負担のない範囲でお返事をいただけたら嬉しいです。

ちなみに、韓国出身です。

【回答】
ご質問ありがとうございます。そして僕の発信を受け取ってくれていてありがとうございます。16歳で僕の言葉の価値がわかるというのは、相当早熟な方だとお見受けします。そしてあなたは韓国のご出身とのことで、それなのにこれだけ自在に母国語ではない日本語が使えているのですから、きっと知性も高い方なのでしょう。僕は何かと韓国の方と縁があるみたいです。

>天命は肩書きではなく、内側で静かに続いている動きに名前を与えることなのかもしれない

それは誠に素晴らしい覚りだと思います。あなたが覚っている通り、本質的に天命・カルマというのは自分で名付けて(覚って)こそ意味のあるものなのです。それなのにあなたが他人にそれを求めてしまうのは自己矛盾ではないでしょうか?僕には会ったこともない他人の天命・カルマが見えるような特殊能力は与えられていませんし、あなたからどんなに詳しくお話を伺って答えたところでそれは他人の推測に過ぎません。天命・カルマは自分の人生のテーマでありタイトルなのですから、他人が「あなたの人生のテーマはこれでしょう」などと言えるものではないのです。

創造主がなぜ我々に直接天命・カルマ(人生のテーマ・タイトル)を教えてくれないかというと、それを教えたら答えを強制しているのと同じになって、人間に自由意志を与えた意味がなくなるからです。創造主は人生という芸術の素材を提供し、どんな作品にするのか?(どんな名前をつけるのか?どんな存在意義=天命・カルマがあるのか?)も本人次第で自由にしてくれているのです。それなのに他人にその答えを求めてしまうのは、厳しく言うと「天から与えられた主人公(主体者)意識の放棄」なのです。結果責任は本人が負うものなのですから、選択責任も本人が持つべきなのは自明でしょう。どんなに苦しくてもそこから逃げたら文字通りお話にならないのです。


>私は昔から「自分の天命は何か」が気になっていました。ただ、仕事や学び、創作や人の相談にのることなど、関心の向く方へ手を伸ばしては続ける——ということを重ねるうちに、一定の手応えはあっても「これだ」と言い切れる芯が掴み切れないままでした。

天命・カルマ(何のために生きているのか?)がわからず、迷い・苦しみ・悲しむ日々の経験にも意味・価値があるのであって(それも天命・カルマの一部です)、それを乗り越えるからこそ天命がわかる喜びもひとしおになるのです。そしてみんなに迷い・苦しみ・悲しみがあるからこそ我々は同情し合い・助け合い・愛し合うことができるのです。だからその過程をすっ飛ばして天命を求めても覚れないように人生は創られているのです。僕が天命を覚ったのは散々迷い・苦しみ・悲しんだ挙句40歳もとうに超えてからであり(それも突然)、あなたがまだ16歳で天命を覚ろうなどと考えるのは時期尚早だと思います。僕らは経験して実感を通して覚り、魂を成長させるために生まれて来ているのであり、「頭だけで覚ろうとしても無理」に創られているのです。天命も、経験から実感を通して覚らされるように創られているのであり、それは未来に見えてくるものではなく、過去の経験の蓄積によって見えてくるものなのです。つまり気づいたら「これが自分の天命だった」と過去形で覚らされるようにできているのです。自分の人生をズームアウトして見たら、その一歩一歩をドットとしていつの間にか一枚の絵の完成に向かっているのが見えるイメージです(まだ若くてドットが少ないうちはどういう絵になるか見えなくて当然です)。

例えば「運命の人との出会い」にしても、いきなり理想的な人を探しても出会えないのです。今の彼女との出会いを天より与えられた運命だと信じ、それを「当たり前」と考えてしまって感謝どころか意識もしなくなってしまう本能と日々戦って意図的にその存在と愛情に感謝しながら、一切見返りを求めず無償で相手に尽くし続けることを積み重ねる中で、後になって相手が自分にとって「運命の人」だったのだと覚らされる(名付ける)のであり、天より与えられた出会いを自分が自分の意思と行動で能動的に「運命の人との出会い」にするのです。天命とはそういうものなのです。

天命というのは例外なく誰でも最初から与えられているのです。それを覚れる人と覚れない人がいるだけで。人生はRPGなのであり、シナリオ・結末は当然クリエイターによって最初から用意されています(マルチエンディングシステム)。逆にクリエイターが用意していないシナリオ・結末のRPGなどは創りようがないのです。ましてこのRPG世界(物語)のクリエイターは全知全能なのですから。僕らはそのシナリオを選択し、どういう意義付けをするかの自由を与えられているのです。

世界は一人一宇宙であり、人生はRPGなのですから、プレイヤー(主人公)一人ひとりに「世界を救う」という本来的な天命があります(そこに目覚めている人は圧倒的少数ですが)。ただし「どのように(How)救うか?」は人それぞれ違い、その違い(個性)にこそ存在意義があるのです。そして「どのように(How)救うか?」は、人(世の中)を救おうとしている過程で見えてくるものなのです。この点は目標がないをご参照下さい。

とはいえ「ヒントだけでも」とおっしゃる気持ちもよくわかりますので、ヒントを差し上げますね。先に僕が「天命・カルマ」と書いた通り、それらは不即不離の関係にあります。天命を知りたいのであれば、自分のカルマは何なのか?を知ることです。そしてカルマは自分が一番目を背けたいところにあるものです。カルマの良化法をどうぞご参照下さい。そこに目を向けることこそが、あなたが天命を覚るヒントになることでしょう。

そしてあなたが一番自他を笑顔にできた時は、どんなことをした時でしょうか?それがまたあなたが天命を覚るヒントになることでしょう。いつだって自他みんなの笑顔が人生のコンパスなのです。

これまでの人生・自分の個性を踏まえた上で、あなたは将来的にどんな存在になりたいですか?それがわかったら、その存在に既になったかのように思考・行動してみて下さい。スラムダンクの井上雄彦先生が「キャラクター設定さえきちんとしていれば、ストーリーは自動的に展開されていく」というようなことをおっしゃっていましたが、人生も物語(創作)なのであり、そのストーリーは「自分とはどんな存在か?」次第で天によって展開されるものなのです。そしてそれは自由意思によって自分で更新していける自由を与えられているからこそ、僕らは生まれた時から「自分とはどんな存在か?」がわからないのです。

我々には「自己受容」というとても難しい共通課題(天命)があるのです。それはつまり「自他をどう愛するか?」ということです。真に自分を愛するということは、自分を存在ならしめている全ての存在を愛することです(諸法無我)。どうか天命を職能(能力)とイコールのように考え、それによって自尊心を満たそうと考えないで下さいね。本当の自尊心は自他を許し愛する日々の中で満たされていくものなのです。天命は幸せ(自尊心)の特急券のようなものではなく、早く覚れるほど素晴らしいわけではないのです。だから焦って天命を求めないで下さいね。焦って良いことは何一つありませんから。

あなたに一番伝えたいことは、例え今あまり充実感がなくて本気で自他を愛せずそれほど幸せを感じられてなかったとしても、その理由を天命がわからないことに求めて焦らず、もっと自他を愛して欲しいということです。そして何かを生きる目的にしようとするのではなく、結果は天に預け、「今ここにしかないこの時」を全力で愛して欲しいということです。そうすればきっと幸せを感じられますから。そしてそれに対する心からの感謝報恩(愛)を動機に人に・社会に貢献したいという思いで生きられるようになって下さい。その積み重ねがきっとあなたの人生を素敵な天命の覚りへと導くに違いありませんから。

■創造主直伝「さとり四カ条」
1.偉くなろうとするな、(自他すべての存在が)尊いと知れ。
2.特別になろうとするな、特別(主人公)であると知れ。
3.日々愛を実践し、特別ではなくなること(ワンネス)を目指せ。
4.幸せになろうとするな、幸せであると知れ。

「ただありのままに見つめるだけでいい。ただありのままに愛するだけでいい。」

それでは、あなたの幸せ(覚り)を心から祈っています。


2025年9月1日月曜日

身内がガンで余命宣告

【質問】20代男性・大学生 ペンネーム:たかゆう

真也さんお疲れ様です。今、僕の叔母が癌で、いま昼寝してたら叔母が出てきてすごい悲しい夢を見ました。叔母は、闘病中で医者から余命宣告を受けています。僕の母や祖母は西洋医学以外の治療を勧めているんですけど、叔母の家族がすごく医者を頑なに信じていて、他の治療法を伯母にやらせるのを止めているんです。どうにかして叔母の家族を説得して他の治療法を受けてもらいたいと思っています。今の夢ですごく悲しかったからこのまま何もせずに見ているだけでは、何か後悔する気がしたから、真也さんに相談させてもらいました。何かアドバイスいただけたら嬉しいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

かなり前の話ですが、僕も学生時代に叔母を交通事故で突然亡くしました。人の死はとても悲しいものですよね。

生は死と表裏一体で不可分のものであり、命あるものは必ずいつか死にます。でも魂というのは永遠のものなのです。もし死が存在せず、生命が永遠に続いて終わりのないものなら、人生は芸術(物語)として成立しません。魂の成長要素も感動要素もなくなってしまいますからね。終わりのない物語は芸術にならないのです。

もちろんそうは言っても人の死は悲しいものです。もし人が死を全く悲しまず、またそれを恐れないように創られていたら、やはり人生は芸術として成立しません。人の死が悲しいのは、そういう尊い感受性が与えられているということであり、それにより人生という素晴らしい物語の経験機会を与えられているということなのであって、まずそこに感謝の気持ちを持たなくてはいけません。

命=必死 魂=永遠 なのですから、本来的に我々が救うべきは命よりも魂の方なのです。それはつまり愛するということです。その愛し方(表現)が人生という芸術なのです。

世の中は一人一宇宙であって、あなたの叔母が夢の中に出てくるということは、その叔母は既にあなたという主人公(経験主体者)の認識宇宙(仏国土)の住民になっているということであり、ただのNPCとは違う尊い存在なのであり、きっとあなたの魂という永遠の存在の中に永遠に生き続けるのです。どうか人生を通じて、家族だけでなく、出会う人みんなを愛し、あなたの心(仏国土)の住民をたくさん増やしていって、あなたの心(仏国土)・人生を豊かにしていって下さいね。そしてあなたも出会った人の心(仏国土)の住民として、彼らの心(仏国土)もまた豊かにしていって下さいね。

キリストは「あなたたちが何を心配しようとあなたがたのうちの誰が、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ他の事まで思い悩むのか」というようなことを言っていましたが、まさにその通りで、人の寿命というのは生まれる前から決まっていて、せいぜい死因が何になるかの違いしかないのです。

実際、末期になってからどんな治療法をしようと大概の場合は手遅れで、場合によっては逆効果になってしまい、かえって苦しめて(死期を早めたように見えて)しまうことさえあります。もちろん末期のガンから奇跡的に回復する例も稀にありますが、そうなるのはその人がそこで死ぬ運命ではない時だけです。それにもしあなたの勧め通りに治療法を変えて逆効果になったりしたら、あなたは叔母の家族の恨みを買い、責任を感じて心の荷物を余計に背負うことになってしまうでしょう。

だから叔母に別な治療法を勧めても叔母の家族が受け入れないなら、残り少ない叔母との貴重な時間を叔母の治療法をめぐって叔母の家族と揉めることに使うべきではないと僕は思います。そんなことをしてもあなたと叔母の家族との愛が失われるだけで、叔母は余計に悲しむことになるでしょう。

叔母の責任を本当に負っているのは叔母の家族であり、あなたではありません。彼らに「やれることはやった」という納得感(慰め)を与えてあげることも救いです。どうか悲しみを誰かへの怒りや恨みに転嫁せず、愛に昇華して下さい。

あなたの叔母との残りの時間は、僕の叔母のようにもし交通事故などで突然亡くなっていたら与えられていない貴重な時間です。どうかその時間に感謝して、決して叔母の家族と揉めることに使わず、叔母に愛を示すこと(話を聞くこと)に使って下さいね。

基本的にガン細胞というのは「風の谷のナウシカ」の腐海の植物と同じで、生命体(全ての生命が一体)における自浄作用なのであり、「不調和」を逆説的に覚らせてくれているのです。実際ガンは基本的には食物の過剰摂取などによる血の穢れを原因としているのです。だからガンは早期なら断食⇒玄米菜食によって解消されるそうです。しかし末期だとトドメを刺すことになる可能性があります。人間の食べ物を食べて肥満に陥った猿も、ダイエットをさせるとすぐ亡くなるそうです。あなたも若くしてガンにならないよう、全ての存在との調和を考えて、節度ある暮らしを心がけて下さいね。

現代医療はガンを「悪性新生物」と呼んで「異常・異物」とみなして退治しようとしていますが、それはクシャナが巨神兵を使って蟲を焼き払おうとした如くで、とても愚かなことです。現代医療はガンを金儲けの道具にするために、敢えてガンを創り出し、治らないとわかっている延命で稼ぎ続けているフシがかなりあると思います。だからあなたが叔母の治療法を変えて欲しいと願う気持ちも僕にはよくわかります。

ただそういう現代医療を信奉してしまう愚かさも、人間に成長を経験させるために与えられた無明(愚かさ)であり、我々はまず自分からエゴを愛に昇華させ続け、成長していかなければなりません。それが世界に遍く連鎖してみんながワンネスに目覚めれば、いずれ全ての魂が救われるのです。

それでは、あなたとあなたの心(仏国土)の住民の方々みんなの幸せ(魂の救済)を心から祈っています。







2025年7月4日金曜日

宗教を学ぶ理由

【質問】20代前半男性 ペンネーム:そら

お久しぶりです。

真也さんにとって、宗教団体の人と関わったり、儀式に参加したりする理由って何ですか?

僕はオーストラリアに来てから色んな人と会ってそれぞれの出会いに理由があると信じていて、実際に学べたこともたくさんあります(新しい人との出会いや、その人の視点を知ることはシンプルに楽しいです)。オーストラリアに来てから出会う人で無宗教の人はほぼいなく、どの宗教かに関わらず僕はその人に目覚めてもらう役割にあると思っています。実際に宗教を盲信して、うまく愛を受け取れずに苦しんでいる人、自分を受け入れられずに自分も他人も傷つけてしまっている人など様々ですが、順風満帆な人とは深い縁にはなっていません。

僕は真也さんのノートの考え方で幸せになれたので、その考え方をあわよくばシェアしたい(相手に気づかせる形で)のですが、なかなかうまくいきません。相手には僕の信念はある程度定まっているんだけど、まだまだ色々な宗教から学べると思っているよって伝えています。

例えばキリスト教だと創造主(キリスト)を裁判官のように捉えていて、恐怖からくる愛だったり、敬虔なクリスチャンだと罪の意識が強過ぎて自分を愛せなかったりがあります。最近だとモルモン教(キリスト教から派生したもので死後はみんな天国に行けると説かれているけれど、そこには階層があってそこにいくには厳しいルールを守り、教会を拡大することに貢献しなければならない。結果構造自体はわかりやすいピラミッド型)を学んでいます。

そこでミッショナリーの人(若い世代で一定の期間積極的に宗教を広める役割を担う人)たちと何回か話すのですが、英語で色々考えて、相手がハッとするような質問をしたと思っても、いい質問ありがとう!これはこうこうかこういうことだよと、ロボットのようにモルモンの教えから抜粋してきて、説明してきます。この人たちとは日常での関わり合いがなく、僕が誘われた時に集まりに行ったり、形式的な話し合いの場に行くような感じで、少し特殊な関係性です。正直言って、それだけキリストを尊敬していて、キリストについて学んでいるのに、何故キリストのように生きないで、キリストと契約を結ぶ形になるのかよくわかりません。色々な宗教を学んでいく中で、様々な発見があってそれは楽しいのですが、たまに自分の考え方が伝わらな過ぎて、あれなんで学んでるんだっけ?とか、フリをしながら質問を続けることで自分で何してるかわからなくなります。真理を知った上で宗教を学ぶ理由はなんですか?また、メシアの三原則として相手に気づかせてあげるというのがあると思いますが、どこまで伝えていいのですか?

【回答】
ご質問ありがとうございます。オーストラリアでとても貴重な経験をされているようですね。あなたの御質問は僕もいつか話したいと思っていたことで、とてもありがたいことです。

ただ、「宗教を学ぶ意味」の話以前に、あなたにはもの凄く云いづらい厳しいことを言わなければならなりません。それで回答がずっと遅くなってしまっていました。ごめんなさいね。もちろん僕はいつも100%の愛で回答しているのですが、今回はどう言葉を取り繕おうにもあなたを傷つけて反感を買うのは不可避な内容なので。

まずあなたにはお伝えしたいことは、「もっと本質を見抜く目を持って欲しい」ということです。そのために、とても難しいことなのですが、「己に都合の良く現実を捻じ曲げて解釈してしまっている自分のエゴを見つめる」ということを心がける必要があると思います。

僕は宗教を悪用した詐欺・カルトを「学ぶべき宗教」とは考えていません(反面教師として以外に)。そこをゆめゆめ勘違いしないで下さい。詐欺・カルト集団で宗教は学べません。だいたいそういうところは他の宗教を同時に信仰するということを認めるわけがありませんので、そこ以外で学ぶということができなくなります。あなたが学んだ通り、自由意志を放棄したAI(NPC)みたいにされて利用されるだけです。

はっきり言いますが、モルモン教というのはモロにカルト詐欺集団なのであり、それをキリスト教の一派などと考えるのはキリスト教に対する侮辱でしかありません。そしてキリストについても聖書についてもモルモン教で正しく学ぶことなどできるわけがありません。論外です。

<絶対に避けるべき宗教(カルト・詐欺)の特徴>
■考え方や行動を強制・強要される(寄付・奉仕・勧誘活動)
■信者を脅したり不安にさせて精神的に支配しようとする
■霊感商法をやっている(心霊現象などをトリックで見せる)
■囲い込みが強く、他の宗教を同時に信じる事を禁止される
■外部に悪い実情(犯罪など)がバレないよう口止めをしている
■集めたお金の大部分が何に使われているか一般信者に知らされていない
■聖典を勝手に都合よく捻じ曲げて解釈し、大手宗教の権威を悪用する
■天啓などと言って教祖や幹部が教義を都合よく変えている
もちろんモルモン教はこの基準でも真っ黒です。

何よりあなたがそのコミュニティーに入り込んで真理を説いて目を覚まさせようとするなどというのはあまりにも無謀だと思います。そして更に無謀に思われるのは、あなたがモルモン教徒の女性を彼女にして洗脳を解いて自分の考えに染めようなどと考えていることです。それはまるで渋谷の駅前でラッセンの絵とかを法外な値段で売るエウリアンのお姉さんのギャラリーに行って仕事を辞めさせて彼女にしようとするようなもので、あまりにも無謀過ぎます。

モルモン教徒は結婚するまで性行為はご法度であり、あなたがモルモン教徒の彼女とそういう関係になりたいとしたら、あなたがモルモン教徒になって彼女と結婚して一生モルモン教徒としてやっていく以外にありません。そしてたくさんの理不尽な規制を受けながら、一生搾取され続けることになるのです。あなたの未来の子供もです。それでいいのですか?あなたの魂は「他人からルールと考え方を強制されるロボット人間になること」を受け入れるのですか?恋は盲目と言いますが、あなたのソレは愛ではなく完全にエゴだと思います。一度自分をゆっくり見つめ直して、価値の優先順位をはっきりしましょうね。

ただでさえ僕がいつも「メシア救世三原則」と言っている通り、相手を変えようとしないのが大原則なのであって、まして相手がカルト組織の人間では変えられるわけがありません。それを変えられるなどと思うのは(厳しいですが)傲慢であり、それは「自分のエゴで都合よく現実を捻じ曲げて解釈している」ということなのです。

とにかくあなたは一刻も早くモルモン教から離れるべきです。普段僕はこんな押し付けるようなことは言いません。それでも言ってるんですから、相当なことなのだと認識して下さい。


>正直言って、それだけキリストを尊敬していて、キリストについて学んでいるのに、何故キリストのように生きないで、キリストと契約を結ぶ形になるのかよくわかりません。

「それを言っちゃあおしめぇよ」って感じです。それはエウリアンの女性に「ラッセンの絵がそんなに素晴らしいなら、なぜラッセンみたいな絵を描かないで、ラッセンと契約を結ぶ形になるのでしょうか?」って言っているようなもので、ナンセンスです。


英語がまだ上達しないうちに、積極的に会話に付き合ってくれる彼らの存在はあなたにとってとてもありがたいことなのはとてもよくわかります。でもあなたがそれに依存するのは得策ではありません。彼らは誰彼構わず勧誘していて、別にあなた個人に興味を持っているわけではありません。ただ単に一人でも多く勧誘しなきゃいけないから、まだ語学ができないあなたにも積極的に絡んでいるだけです。そういう人たちとばかり関わっていたら、コミュニケーションの感覚がおかしくなりますし、あなたに入信する気がないのなら関係性が続くわけもないのです。そんな人たちのために時間を浪費し、本物の人間関係を築く機会を目減りさせるのはひどく無駄なことだと思いませんか?


>たまに自分の考え方が伝わらな過ぎて、あれなんで学んでるんだっけ?とか、フリをしながら質問を続けることで自分で何してるかわからなくなります。

彼らにとってあなたは勧誘の獲物(カモ)なのであり、あなたを教化するつもりはあっても、あなたから何かを学ぼうとするつもりなどあるわけがありません。あなたが何かに気づかせよう・目覚めさせようなんてどんなに頭をひねったところで土台無理な話であり、相手側があなたを勧誘するのが無理だとわかったら捨てられるだけです。


>真理を知った上で宗教を学ぶ理由はなんですか?

そもそもにおいて信仰というのは純粋な愛によるべきものであって、理由を求めることは目的化・見返りを求めることにつながり、純粋な愛ではなくなってしまうと思います。一言でいえば理由は愛であり、あなたが純粋な気持ちで神仏を愛せないのであれば、他人に理由を聞いて無理に愛そうと思っても愛せるようにはならないと思います。

そして人を目覚めさせられる存在になるには、当然人より目覚めていなければなりません。あなたは何かあなたや僕がもう真理に到達しているかのような書き方をしているように見えてしまうのですが、僕らが生きている限り真の悟りというものは遥か先であり、だからこそ僕らは永遠に成長を目指すことができるのです。(悟りの完成とは、世界救済の完遂・地上天国の建設の完遂なのです)。

僕にしても「自分はまだまだだ」と心から思っているからこそ、謙虚な気持ちで様々な宗教を意欲的に学び、儀式などにも参加したりしているわけです。それが僕の「様々な宗教を学び続ける理由」の根源です。

創造主は我々が人間のままでは決して真の悟りには辿り着けないよう無限に悟りのステージを用意してくれているお陰で、我々は何度も輪廻転生を繰り返して人生を楽しませて貰えているのであり、それによって我々は真の悟りを求めて知識欲・経験欲を維持することができるのです。

あなたがもし「既に自分は真理を悟っている」と思っているのであれば、それは法華経における仮城宝処を本当のゴールだと勘違いしているということです。僕はまだまだ知りたいこと・経験したいことが尽きなくあります。まだまだ真の悟りからは遠いからこそ、まだまだ経験し学ぶ意欲を得る事ができるのです。もう既に究極の悟りに至ったと思ったらそれ以上の成長は楽しめません。

あなたは僕のnoteや質問箱をヒントに自分の経験を通じて悟りを進めて下さっていることと思いますが、僕がnoteや質問箱に書いている内容は、僕が既に悟らされていることの中でも1%にも満たないのです(エッセンスではありますが)。

そしてあなたは僕がそれぞれの宗教で教えを説いたり、洗脳されている人たちを目覚ませようとしたりしているなどと思っているのだとしたら、それは甚だ見当違いです。僕はひたすら学ばせていただいているだけです。そして僕はいわゆるカルト・宗教詐欺団体には近寄りません。僕が直接的に教えを説いているのはこの質問箱とnoteのみであり、日常において他人様に向かって直接的に「教えを説こう・目覚めさせよう」などということは全くしていないのです。

悟りというのは、知識として真理(正解)知るだけでは意味がなく、経験と実感を通じて(間違いと試行錯誤を繰り返して)悟ることに意味があるのです。創造主は全知全能ゆえにそのままでは何も経験できないので、無明である僕らを通じて経験をし、それによって想像=創造を豊かに広げているのです。

あなたはまだまだ若く、経験が足りず、真の悟りは程遠いのだ(みんなから学ばせていただこう)という謙虚な自覚を持たなくては成長しようがありません。そして「自分と考え方の違う他人を言葉で説得して自分と同じ考えに目覚めさせよう」などと考えるのは本来的に傲慢なことですし、もしやろうと思ってもきっとうまくはいかないでしょう。まず他人をどうこうしようとする前に、自分の覚りを前に進めることを考えて下さい。そして日々愛を実践するのみです。

人はみんな、経験したいことを経験するために生まれてきています。一人ひとりみんな自分がプレイヤー(主人公)なのです。人間は誰でも自分なりに失敗・過ちも犯して試行錯誤しながら納得しつつ前に進みたい生き物なのであり、頼んでもないのに横から答えなど教えられたくないのです。それを無理に教えようとするのは越権行為であり、相手がしたい経験(シナリオ)を妨害する行為なので、基本的にはやるべきでないのです。正解を教えることが正解ではないということです。創造主とその分身である相手を信じ、辛抱強く待ち、耐え忍ぶことも愛です。

僕らは情報(正解・真理)を集めるために生まれてきたのではありません。経験をするために生まれてきたのです。正解・真理に価値があるのではなく、それを求めて生きる我々の経験が正解・真理を価値ならしめるのです。

創造主は全知全能であり、全てを知っています。それゆえにそのままでは何も経験できず、何も想像できず、何も創造できないのです。だから創造主は我々人間として経験を積んでいるのであり、わざと愚かに生まれて想像性(=創造性)を発揮しているのです。知らない事を補う力が想像力なのであり、全知全能のままでは発揮しようがないのです。

そして「存在」というものは元々は真理しか存在せず、全ての答えが一つに限定された状態でした。それは究極に退屈で存在意義のない状態だったのです。創造主はそこで「愚かな者に智慧を求めさせ、想像性=創造性を発揮させるという原理」と「答えを一つに限定しないという原理」によって、つまり愚かな人間の想像を実現することによって、この世の想像=創造を豊かに広げ続けているのです。

どんな愚かな考えや行為(過ち・失敗)であっても、少なくともそれは創造主にとって創造の種になるのであり、正解(真理)よりも価値があるのです。もちろんそれは揺るがない真理というものが元々存在しているからこそですが。

創造主というのは意味そのものであって、その創造の全てには意味があり、意味のないものは存在し得ないのです。悪魔や、邪教・カルト・宗教&スピ詐欺などでさえも、ちゃんと存在意義があって、創造主より善悪を超えて創造されて存在しているのです。

そして全ての存在には個性があるのであり、それは欠点や過ちと不可分です。それは神仏や宗教であっても例外ではありません。完璧な宗教などがあれば、みんながそれを信じ、試練も何もなく、信心に意味も価値もなくなります。だから良い所を学び、悪い所は反面教師としなければなりません。

人間の存在意義というのは物語の中で生じるものであり、この世に善しか存在しなければ物語など生まれようがありません。だからこの世のあらゆる存在は陰陽二元的に創られているのです。

人間に存在意義を生じさせているものこそが宗教・神話(物語)であり、そこに登場する神仏たちキャラクターなのです。我々はそれらを謙虚に学び・讃え・奉仕し、彼らに救いを発動して貰ってそれらに存在意義を与えることで、我々も存在意義を得ることができるのです。そして自分とはどんな役割(キャラクター)なのか、人生(現在進行形の物語)の中で他者と関わる中で悟り、それを更新・具現化して行く中で、主人公として自らの存在意義を能動的に掴み取ることができるのです。それが僕が日々様々な宗教・神話を学び、神仏を讃え・奉仕し、儀式などにも参加する理由の核です。

ただそれだけが理由ではありませんので、一つに限定しようとしないで下さいね。こうやって信心の理由を考えてみても、やはり後付け感しかありません。僕はそういう理由ありきで信心を持っているわけではありませんからね。

もし一つの宗教を妄信し、または宗教・神話自体を嫌悪して学ばないなら、ただ無自覚に流されて生きるだけのNPCになってしまい、主人公にはなり得ません。日本人の多くは自分を無宗教だと考えていますが、それは常識教・唯物主義・資本主義教・悪魔教に無自覚なまま堕しているだけなのです。厳密な意味で無宗教を選択するということは不可能だということです。我々は人生というRPGの物語の中で生きているのですからね。人間にとって世界はわからないことだらけであり、何も信じないで生きるということはできないのです。自分の勝手な常識・思い込みを信じているということにも無自覚な人ばかりですが。

「自分は既に真理を悟っている」などと考え、宗教・神話について知る必要はないなどと考えることは、ナンセンス極まりないことなのです。世界・人生は物語(芸術)であり、どんな宗教・神話も、物語(芸術)としての尊さがあり、我々は尊重しながら学ぶべきなのです。それが己自身の存在・人生・世界に存在意義を与えるのですから。

それでは、あなたがカルト(邪教)・宗教&スピ詐欺から一刻も早く離れ、多くの宗教・神話を学び・讃え・奉仕し、他者との健全な関わり合いの中で日々愛を発揮し、人生を素敵な物語にして、己の存在意義を確たるものとし、存在として幸せになることを、自らも実践しつつ心から祈っています。


<関連質問>
なぜ創造主教を創らないのか?
創造主というのは存在のすべてであり、神仏(宗教・神話)も人間も森羅万象が創造主の偉大な創造物(物語・芸術)であり、創造主自身でもあるのです。神仏(宗教・神話)も人間も、自他全てに価値があるのであり、それを否定することは創造主を否定することになります。彼の創造した物語の中を思いっきり楽しませていただきましょう。

2025年6月18日水曜日

世界の救い方

【質問】 30代前半・女性 ペンネーム:Tipoo 
     職業:ピアノ・絵画講師 、アーティスト、フリースクールスタッフ
             アヤワスカチャレンジャー

真也さん、こんにちは。

エゴによる悩み苦しみはかなり訂正されてきたんですが、今1つだけ願いがあります。それは、悟り(一瞥体験でも)を広げる事で人の認識を変え、助けたいのです。(誤解を恐れずに言えば、地球が愛の星になればと思っています)

私は元々、大いなるものなんて信じてなかったのですが、アヤワスカで認識が変わりました。他人の言葉や、神秘的な絵などを見て信じられる人は良いのですが、この身で決定的な体験をしないと分からない私のようなタイプも多くいると思います。

特に、エゴで苦しんで、世界が嫌になってしまった人に選択肢として提示できたらと思っています。例えば年に数ヶ月、儀式のお手伝いとして関わるのもいいし(国外になりますが)YouTubeかSNSでアヤワスカやその後の考えを広めるのもありかな?と思っています。

さて、この願い、大丈夫でしょうか?これさえも自分の無明から来ていないかと、たまに思います。日本で今やっている仕事をそのまま続けるだけでも周りを一時、笑顔に出来ますが、果たしてこれで良いのだろうかと、よぎります。悟りだけが根本的な救いなのではと、思ってしまいます。

何かアドバイスあればお願いいたします⋯! 

小説投稿サイトで人気を博した転生・転移小説四作品 「戦国統一オフライン」「時限式平成転生~馬事津々~」  「月降る世界の救いかた」「転生魔王渡世録」の電子書籍について、 Amazonでの無料キャンペーンが開催 | アイオリア株式会社 

【回答】
ご質問どうもありがとうございます。素晴らしいご質問で感動しています。回答が遅くなって申し訳ございません。あなたがエゴによる無明から愛に目覚め、心から世界を救いたいと思うようになって下さったこと、同志としてとても嬉しく思います。

毎回、説教臭くならずにアドバイスを送るっていうのはとても難しいことなのですが、質問箱は常に自分自身に言い聞かせるようにして書いています。あなたなら誤解なく受け取って下さると信じて回答させていただきますね。メシアとして目覚めてかけている同志たちのためにも。 

僕も目覚めてしばらくはとても焦っていました。考え方を変えるだけでこんなにも幸せになれるのに、この考えが世界中に広がればきっとみんなが救われるはずなのに、なぜこんなにも伝わらないものなのか?と。

しかし焦りは禁物です。時間(人生)というものは我々に成長を楽しませるために創造主が与えてくれているものであり、焦るとせっかく与えられた時間(人生)の楽しみ・幸せを目減りさせてしまうことになってしまいますので。世界救済というのは「今生で完全達成できなければ意味がない」というものではなく、あくまでそれを目指すベクトルで生きる我々の人生経験(物語・芸術)に価値があるのです。


<信心(愛)の大切さ>
僕らには創造主からそれぞれに与えられた役割とシナリオがあって、それぞれに役割・シナリオを全うすることによって、いずれはみんなが救われる全体シナリオになっているということが、この人生というRPGが創られた時点で決まっているのです。

それなのに「焦る」ということはその創造主を信用せず「結局、この人生(この世界)は救われないのでは?」「この人生(世界)を意地悪で創ったのでは?」と疑っている(与えられたものに感謝していない)ということになり、それは己のカルマを悪化させることになってしまうのです。

世界を救うために一番大事なことは、己の信心を強くすることです。この世界は何もかも創造主が創ったものであり、その意思と掛け違いがあっては世界を救うことなどできません。「感応道交」という仏教用語があるのですが、己の意思と天と意思が通じ合い、己が天の意思に合った生き方をすることが、ひいてはみんながご利益を受け取り(哀愍納受)、みんなが救われることになるのです。

他人(世界)を救おうと思うこと自体はとても尊いことですが、それ以前に大事なことは、まず与えられているものの価値に気づいて心から感謝し、与えられているものをみんなと分かち合い、そして何より創造主を信頼することなのです。聖書のヨブ記のように、どれだけ自分や他人に困難が与えられていても、です。それは信心(愛)を試されているのだと思って下さい。我々は創造主の愛なしには一秒たりとも存在できないのです。

<2つの救い方> 
人生というのはまさにRPGであり、多くの人がまだプレイヤー(主人公)として目覚めていませんが、プレイヤー(主人公)には「世界を救うという使命」があるのです。ただしその使命の果たし方(世界の救い方)には2種類あるんですね。

①自分の個性・才能を生かした救い方(自分ならでは)
②日々の愛の実践による救い方(普遍的・万人に共通)

もちろん両方が大切なんですけど、もし②だけしかなければ、自分という存在が個性・才能を与えられて生まれて来た意味がありません。だから基本的には①の救い方のほうを優先しなければならないのです。あなたは類稀な芸術の才能を与えられているのですから、基本的にはそれを活かした救い方を優先すべきであるように僕は思うわけです。※実際には常にケースバイケースで、緊急で家族や最愛の人を救わなければならない時などは②を優先すべきかと思いますが。

アヤワスカによって友人を救おうとすることも素晴らしいことかと思いますが、それは②の救い方になります。アヤワスカというのはあなたや誰かの個性・才能ではないのですからね。あなたほどの芸術の才能が与えられている人が、①の救い方を年に数か月も犠牲にして②の救い方をするというのは、僕的にはちょっと違う気がします。もちろん世界の救い方は究極は主人公であるあなた自身が決めることですが。 

<あなたの才能の尊さと、創造主の意図>
>日本で今やっている仕事をそのまま続けるだけでも周りを一時、笑顔に出来ますが、果たしてこれで良いのだろうかと、よぎります。

そのお気持ち、とてもよくわかります。

「周りの人を一時笑顔にできる」ということだけでもとても尊いことです。ただもしあなたが自分の才能の価値をその程度だとものだと認識しているのなら、それはとんでもない過小評価だと思います。 

あなたが空(概念世界)の存在たち(神仏など)をこの次元に降ろし(具現化し)、それぞれの存在意義(使命)を存分に果たさせてあげることこそが、この世界の物語を豊かにしつつ、最終的にはみんなを救いに導くのです。そんなことができる素敵で偉大な才能が、あなたには与えられているのです。 

世界救済というのは、(神仏を含めて)みんながそれぞれに使命を果たし、自分の存在意義を実感する形でなければ、果たすことができないように世界は創られているのです。どうか日々信心を強くして、たくさんの神話・宗教を学び、その姿をこの次元に降ろして彼らにもある「世界を救う」という使命(存在意義)を果たさせて下さい。それは友人をアヤワスカに導くこと(あなたでなくてもできること)よりもずっと偉大で大切なことなのです。

人生は映画のようでもあり、僕ら主人公は自由に演じることが許されているのですが、それでも監督(創造主)にはきちんと意図があって用意しているシナリオがあるのです。それを汲み取りながら生きた方が、監督(創造主)の愛をより多く受け取ることができ、より素敵な物語にしていけくことができるのです。

もちろん僕も創造主の意図が完全にわかるわけではなく、そっちゅう取り違えをして失敗します(だから面白いのです)。創造主の意図は直接的に創造主から教えられるものではなく、主人公である自分にはそれを汲み取る自由が与えられているのであり、自分で解釈する以外にないのです。
 
ただ創造主の意図を推測するのに重要なヒントがあります。創造主というのは全知全能であるがゆえに直接的には経験をすることができない(失敗・過ちを犯すことができない)存在なのです。だからこそ創造主は我々人間や神仏などとして経験を積んでいるのです。そうすることでそれぞれの立場から個性ある存在として「存在意義」を感じようとしているのです。そして創造主本体は全知全能ゆえに想像=創造を広げられないからこそ、我々に無明と想像力とを与えてくれているのです。それを存分に発揮させるために創造主は我々に対して決して常に答えを一つに限定せず、自由にしてくれているのです。

ならば我々は人生という「経験」と「想像=創造」の機会を大事にすべきですよね?そして自分が本当の意味で「存在意義」を実感するためには、自分個人に与えられたシナリオを全うするだけでなく、自分に関わるみんなも与えられた「シナリオ・使命」を全うして「存在意義」を実感できるように導かなければならないのです。それはつまり出会った人のカルマを他人事だと思わずに、愛をもって一緒に乗り越えて行くってことです。

わかりますか?この人生というRPGの世界というのは、あなた個人だけではなく、それぞれの存在がみんなそれぞれに個性・才能が与えられていて、その存在意義を果たす(シナリオ・使命を全うする)ことによってみんなが救われる仕組みになっているのです。カルマの良化法に書いた通り、カルマ(シナリオ)は自分を中心として一筆書きのようにひとつながりだということを忘れないで下さい。全てが一つ(ワンネス)なんですから、カルマ(シナリオ)もとことん辿ればひとつながりになっていることは自明なのです。

あなたは世界の主人公です。しかしみんなにもそれぞれが主人公として与えられている世界があり、みんなに「世界を救う」という使命があるのです(殆どの人がそれを自覚せずNPCやってますが)。自分も他人もみんなそういう創造主の代理の主人公なのですから、あなたが前述の①より②を重んじることは、他人の「存在意義」を奪うことにつながり、それは創造主の意図(シナリオ)に反すること(越権行為)になってしまうのです。そしてそれは創造主視点で見た場合、せっかく与えられた①の使命・存在意義・存在価値をあなた自身が軽くみているということになってしまうのです。
 
あなたはアヤワスカで見た世界が、あなたの想像力で作ったものだと思いますか?違いますね?ではあなたの作品のアイデア・イメージというのは果たしてあなたがゼロから生み出したものでしょうか?違いますね。全ては創造主から概念次元(アカシックレコード)を通じてインスピレーションという形で与えられているものなのです。しかしそれをこの世界に具現化できる能力というのは、みんなに与えられているわけではありません。
 
もし僕があなたなら、世界の宗教・神話についてより広く深く学び、イマジネーションを広げて作品にしていくと思います。それが救いにつながるということを、あなたはまだ理解していないのでしょう。神仏というのは我々に知られず、その使命を果たせないのなら、存在意義はないのです。あなたが神仏を知り、信じ、祈り、イメージとしてこの世界に顕現させ使命を果たせられるということは、創造主とその分身である神仏に存在意義を与える尊い才能(使命)なのです。
 
いつも言っているように、「与えられたものの価値に気づいて感謝していない人にもっとあたえたいと思う人はいない」という原理でこの世界は創られていて、価値がわからない・感謝しない人間は、既に与えられたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのが定めなのです。どうか自分の才能・使命を当たり前のものだと思わずに、その価値に気づき、感謝し、フルに生かして活躍して下さいね。
 
 
<救いへの導き方>
>さて、この願い、大丈夫でしょうか?これさえも自分の無明から来ていないかと、たまに思います。
あなたがそのような観点で自分を見ることができるというのは、とても尊いことだと思います。 
 
僕もみんながアヤワスカを飲んだら世界は救われるのではないかと考えていた時期がありましたが、アヤワスカを飲めば誰でも良い方向に導かれるというわけではありません。だからこそガイドが大切なのですが(それで僕はやっているわけですが)あなたにそれをする使命があるかどうかは僕にはわかりません。

ただあなたが友人を(本人が望んでいないのに)無理にアヤワスカに導くという救い方で頑張らなくても、アヤワスカが必要な人には、必要な時にアヤワスカの神が導いてくれるものなのです。そしてそれを信じることが信心なのです(だから僕も無理に他人に勧めたりはしません)。

友人がかつての自分と同じようにエゴによって苦しんでいるのを見て、もどかしい気持ちになるのは僕も同じなのでよくよくわかるのですが、あなたの友人にも創造主から用意された人生のシナリオがあり、「己のエゴによって苦しむプロセス」も必要だから与えられているのです。

人間はみんなが人生というゲームのプレイヤー(主人公)で、みんな自分なりに失敗もして試行錯誤して納得しながら前に進みたい生き物なのであり、脇から答えを教えられると無意識に反発してしまうようにできているのですね。 

2022年小学生の人気ゲームが満載!学年別おすすめゲーム機やソフト、ボードゲーム・カードゲームまで | HugKum(はぐくむ)

ピアノの指導などはまさにそうかと思いますが、相手に答えを教えることよりも楽しさに気づかせることの方がもっと大事なのです。やる気にさえなれば、本人が自分で練習して勝手にうまくなっていくのですから。悟りもそれと同じなのです。まずは自分が心から楽しみながら日々悟りを実践しているのでなければ、他人にその楽しさを覚らせてやる気にさせることなどできないのです。

だからあまり焦って無理に他人を覚らせようとせず、自分がまず覚りを進め、それを実践し、夢を持って生き生きと幸せに生きている背中を見せることで「どうやったらあなたみたいに幸せになれるのか」と相手側から自発的に教えを求められるぐらいになることが大切です。逆に聞く気になっていない人にいくら伝えようとしてもそれは無理なのです。あくまでも主人公は自分なのであって、そういう自分の覚りの過程を飛ばして「相手側をアヤワスカで悟らせよう」とすることは(善意であっても)創造主視点から見れば傲慢・怠慢なのです。相手を変えようとしても変わりませんが、主人公である自分が変わればすべてが変わるように世界は創られているのです。

「メシア救世三原則」
1.指摘せず気づかせる
 (傷つけない)
2.教えず覚らせる
 (例え話などでヒントを与える・背中で示す)
3.自らの学びとする
 (相手のカルマは自分のカルマの鏡・相手を変えようとせず自分を変える)

あまり無理に相手を救おう(相手のコントローラーを奪おう)とするのではなく、相手の存在を心から承認することで、自ら課題(カルマ)に立ち向かって行く心の元気を与えることが救いの本質です。そのやり方は基本的に二つだけです。


⭐相手の自尊心を高め、自ら前に進む勇気と元気を与える方法

①心からの笑顔で挨拶する

②相手の話を否定せず(ジャッジせず)、同情・共感的に聞く

この点については長くなるのでカルマの良化法などをご参考下さい。

 

>YouTubeかSNSでアヤワスカやその後の考えを広めるのもありかな?と思っています。

インターネットを使って「自分がどうして幸せになれているのか」を伝えるのはとても良いことだと思います。きっとあなたの才能も活かされることでしょう。

ただ忘れてはならないことは、あなたは絵画と音楽(非言語)のアーティストであって、思いを言葉で器用に説明できるようになることよりも、芸術を通じて伝えることの方がより大事なんじゃないかと僕は思います。どうかその「言葉ではうまく伝わらないもどかしさ」を創作のエネルギーに変えて作品にぶつけて下さいね。それは僕や他の多くの人にはできないことなのですから。


<愛の無条件化=世界救済>
世界を救うためには己の愛を無条件化していくベクトルで成長していかなければなりません。
それこそが我々がいつかワンネスへと還る道だからです。そして世界の問題は究極「愛の不足」が原因であり、逆に言えば全ての問題の解決策は愛なのです。

 愛」とは何か?恋との違いや愛を育む6つの考え方、名言特集を紹介

しかし人には好き嫌いで世界を二分することで「それをする主体者としての自分(自我)を確認したい(輪郭を保ちたい)」という隠れた強い欲求が与えられているのです。それを意識せずその本能のままに生きてしまうと、不快なものを嫌悪し遠ざけて意識から排除し、興味を持たず・理解しようとせず、好きな人・モノにだけ囲まれて生活しようとしてしまいます。そして自分に都合の良い人・モノだけ愛し、都合の悪い人・モノを愛さないという「愛の条件化」をしてしまうようになるのです。そのような条件付きの愛はエゴなのであり、愛(融和・ワンネス)に反する要素であって、己の人生も世界もネガティブな方向に導いてしまうのです。

普通の人は好きなものに囲まれて好きなことだけして生きるなんてことはできないので、仕事もプライベートも人間関係全体が厳しい修行の場になるのですが、あなたの場合は才能があって、恐らく好きな人・モノにだけ囲まれて生活するということがほとんど実現できてしまっているのが、逆にちょっと厄介なんですね。

自分に都合の良い人・モノだけ愛しても、人生は魂の成長修行にならない(成長しない)のです。この世界に偶然はなく、全ての出会い(人・出来事)が自分にとって必要だから与えられているのであり、創造主が与えてくれた出会いの中で、許し難きを許し、愛し難きを愛することが魂修業なのです。それなのに人間側の意思で意図的に嫌なものを避けようとし過ぎると、大きな弊害(落とし穴)が2つ出てくるのです。

①愛情が条件化(エゴであり、魂の成長とは逆行)の方向に進む(世界救済が遠ざかる)
②好きな人・モノがあまり好きではなくなる(飽きる・嫌いになる・無感動になる)

①については前述の通りなので、②について。 

嫌な人(興味のない人)との出会いも、自分の魂の成長にとって必要だから創造主が与えてくれている出会いなのであり、 それを意図的に排除するということは、人生という映画の監督たる創造主の意図(シナリオ)を無視しているということになるのです。どうか出会った人一人ひとりにもっと関心を持って下さいね。それが愛情を無条件化していくことに繋がるのです。出会った人一人ひとりを無条件に愛することができるようになれば、それは(まだ出会っていないというだけで)世界中の人を愛していることになるのです。興味は愛の入り口であり、興味はないけど愛しているということはあり得ません。だから興味がない人・嫌いな人は表面的にテキトーに扱っておけば良いという考えでは、世界に愛が連鎖するわけがありません=救えるわけがありません。全ての出会いは運命であり、相手がどんなに悪役・端役に見えても、それは創造主が「あなたが主人公の物語」にシナリオ上の意味があって、何か大切なことに気づかせるために遣わした尊い共演者なのです。

嫌な人(興味のない人)を避けて意識の外に置くことで存在しないかのように扱う癖は逃げ癖であり成長拒否なので、成長プログラムである人生に置いて不幸に導かれてしまう定めなのです。嫌な存在・言葉・出来事との出会いも大切な何かに覚らせ成長させるために与えられているのであり、嫌な人を避けるとその役割(悪役・端役)を好きな人が負わなければならなくなり、結果的に好きな人も嫌いになって孤独に陥ることになってしまいます。 

そして好きなものに囲まれ、好きなことだけしていると、段々好きなことでも楽しさを感じられなくなってしまい(感性の鈍化)その価値を感じられなくなり、心から感謝もできなくなって不幸に導かれてしまうのです。これが最大の弊害(落とし穴)かも知れません。 好きなモノだけで人生を構成しようとすることは、メジャーコードだけで曲を作ろうとするようなもので、そのうち飽きて退屈になっていくことは自明なのです。

悟りというのはワンネスへの融和(愛)のベクトルであり、分離(エゴ)とは逆のベクトルなのです。嫌いなものを分離し排除していくというのは磁石の片極だけを切り落していくようなものであり、どんどん己(世界)を小さくし、好きだったものまで心から楽しめなくなっていくんですね。

そして瞑想などを通じて心を鎮めることを悟りの道だと勘違いしている人が多いですが、それも違います。例えば己の愛が不足しているがゆえに人間関係をうまくやれていない人が、瞑想などで心を鎮めたところで、魂が成長するわけがなく、幸せになれるわけもないのです。それは単に心の針の動きを鈍化させているだけですからね。


実態を伴わない努力に効果はあるか?に書いたように、嫌な事があっても創造主から自分の成長のために与えられた課題なのだとポジティブに解釈して、悪い感情(不協和音)を起こさずに(自分自身とも他人ともぶつからずに)乗り越えていけるようになることが魂成長のための修行なのです。己の心の調律と演奏が上達し、心の針を出来事に合わせて指揮者のタクトのように上手に振れるようになれば、人生をオーケストラのように楽しめるようになります。嫌な人やモノ(都合の悪い・興味のない人やモノ)との出会いも大事にして、まず興味を持ち、許し難きを許し、愛し難きを愛するというベクトルで考えてみて下さい。

人は誰しも臆病に創られていて、傷つかないように人それぞれ様々な形で予防線を築いてしまっているものです。それで愛することより傷つかないことを優先してしまうのですね。それでも出会った相手にもっと興味を持ってみて下さい。興味を持つことが愛の入り口であり、興味がないのに愛している、ということは有り得ません。この世界に偶然はなく、全ての出会い(人・出来事)は意味があって与えられている贈り物(運命)なのですから、出会い(人・出来事)を無条件で愛せるようになっていくことが悟りの道なのです。

そして生まれの格差について(陰謀論)未来に絶望したくなるなどに書いているように、その愛(悟り)の連鎖が、ひいては世界救済に繋がるのです。だからお互い焦らず日々愛を実践して行きましょうね。まず自分自身も目の前の人も許し愛し幸せにできる人間になれるように一歩一歩成長して行きましょう。連鎖反応は倍々ゲームであり、自分と目の前の人を幸せにできるようになれば、あとは勝手にものすごいスピードで広がっていくのです。しかしその連鎖反応の起点である主人公の自分がブレていたら、それは決して広がらないのです。

人生はエゴを乗り越えて愛を発揮する修行なのであり、もちろんそれは僕にとっても同じで、日々戦いです。世界の本質はワンネス(愛)であって、分離意識を乗り越えないことには、世界は救われるわけがないのです。全ては愛によって創造されているのであり、好き嫌いを乗り越えて存在そのものに感謝し、尊敬し、許す(心で和解する)ことです。それが愛するということです。愛は相手を自由にするものであり、離れていく人を無理に追う必要はありません。ただ悟り(世界救済)というのは愛を無条件化する方向にベクトルが向いていなければならないのです。誰でも自信満々になれる方法に書いた通り、自分があくまでも愛し抜く覚悟さえ持てれば、相手から嫌われ傷つけられることなど恐れる必要はないのです。

それでは、長くなりましたが、あなたの素敵な覚りと幸せを心からお祈り致しております。


2025年6月11日水曜日

この世界に意味はあるのか?

【質問】20代・男性 ペンネーム:ラガー
お久しぶりです。

この世界に意味はあるのでしょうか?幸せや快感、悲しい気持ちも全て脳内の情報が変わるだけで僕が死んでも何も変わらないし、この世界が無くなっても何も変わらない。まさにこの世界って虚なんだと思うんですけど。生きる意味ってあるのでしょうか?僕が死ぬと悲しむ友達、家族がいて80億人の中の100人程度の脳内の情報が変わるだけ。仏教の勉強をしていても全ては虚であると書いてありますし、辛いことがあったわけでは無いですが生きる意味を見失っています。友達と飲みに行って楽しいと思うし、運動をして気分が良くなるのも全ては本能で脳内のホルモンの変化に過ぎなくて、やはり人に価値なんてないと思ってしまいます。でも本能には抗えず、死のうと思えずに苦しいです。

【回答】 
先日の継父との関係に引き続き、ご質問ありがとうございます。

「この世界(人生)に意味はあるか?」 それは本当に究極の問いですね。そしてそのように考えてしまうお気持ちはとてもよくわかります。僕は小学校2年生ぐらいからずっとそのようなことを考えて、虚無感に浸っているような青春時代を過ごしました。だから僕はあなたに偉そうに説教がしたいわけではなくて、その苦しみがわかるからこそ、そしてその苦しみを乗り越えたからこそ、魂の兄弟であるあなたを一刻も早くその苦しみから救いに導きたいのです。

あなたは「辛いことがあったわけでは無いですが」と書いていますが、「世界(人生)に意味などない」などと考えている時点でそれは鬱状態であり不幸なのです。真理というのは自他共に幸せにするものであり、今のあなたはかつての僕と同じように真理から大きく外れていて誰も幸せにしない不幸な考え方(無明)をしているということです。

あなたに初めて彼女が出来た時とか幸せな時に「人生・世界に意味はない」などと考たりはしていなかったでしょう?筋トレ(モチベ維持)についての話と同じで、僕らは今できることをただ感謝し愛しながらやるべきであって、その意味を考えてしまうのは目的化であり害悪なのです。

あなたは不幸な考え方をしているがゆえに自己効力感が感じられず「何も面白くない・意味がない」と心がグレて虚無感に浸ってしまっているのでしょう(僕はそうでした)。だからあなたはきっと本気でこの人生・世界の意味を知りたいのではなく、要するに愚痴なんだと思います(僕もそうでした)。ただそういう不幸というのも人生に必要な経験であり、プロセスなんですね。

しかしながら大概の人は「傷つきたくない」と自己防衛するプライドのために、自分が不幸である=間違っているとは認められないものなのです。それは同じ過ちを繰り返してしまうに書いた通りです。それでも己の不幸=間違いを認められない限り、人は成長できずに同じレベルの不幸に苦しみ続けることになるのです。だからまず己の不幸=間違いを認めて、どうか謙虚かつ素直な気持ちで「真理=幸せな考え方」を受け入れて下さいね。あなたが信じようと信じまいと、僕の言葉は創造主の代弁なのです。偉いのは僕ではなく教えをくれる創造主であり、全ての存在は彼の分身なのですから、全てが尊いのです。

それで「この世界(人生)に意味はあるか?」ということですが、もちろんあります。世界(人生)というのは「概念=意味=創造主(思念体)」によって創造されているのであり、意味(意義・理由)のないものというのは存在し得ないのです。そして創造主というのは愛そのもののような存在であり、すべてはその愛によって創造されているのです。

じゃあなぜ創造主は、人生・世界を創造した意味(意義・理由)を我々に教えてくれないのでしょうか?それは創造主が我々という経験主体者(主人公)一人ひとりに対して、全ての「存在意義(価値)」を経験を通じて実感を伴いながら覚らせ、更にそれを自分で創造していける自由を与えてくれているからです。そしてそれこそが創造主の愛の形なのです。もし我々が創造主から限定された意義(答え)を先に教えられていれば、人生という物語を通じて自らの意思で経験して意義付けして創造していくという喜びが失われ、我々は自由ではなくなってしまうのです。わかりますか?あなたには自分に関わるすべてに対してその意義づけ(解釈)をして、それによって人生を創造していく自由を与えられているのです。人生(時間・世界)はあなたが自他の「存在意義」を覚り、自らそれを創造して表現するためのマテリアルとして与えられているってことです。

あなたはプレイヤー(主人公・経験主体者)としてこの人生という「全てが自分(の解釈・意義付け)次第」という素晴らしいRPG(芸術のマテリアル)が与えらえれているにも拘らず、ネガティブな解釈によって「全ては無意味である」と勝手に結論付け、その創造主からの素敵なプレゼントを無価値であるかのように言い貶し、自分の人生を自ら台無しにしているのです。あなたは人生を無意味なクソゲーのように貶めていますが(それも意義付けです)、クソゲーにしているのはあなた自身だということです。もちろん、そういう経験もあなたの人生に必要なプロセスだから与えられているのでしょうけども。

>仏教の勉強をしていても全ては虚であると書いてありますし、
これについては般若心経の究極解説を読んでみて下さい。「虚」というのは意味がなく虚しいという意味ではありません。多くの人もそのように誤解していますが、それこそが人間に与えられた無明だと思います。

仏教の真髄というのは菩提心(衆生を救う存在としての決意)に目覚めさせることであり、己という存在の真の価値に目覚めさせること(天上天下唯我独尊)なのです。自分の価値がわからない人間に他人の価値も世界の価値もわかるわけがありません。あなたは全知全能ゆえに何も経験できない創造主本体に代わって経験機会を与えられている偉大な存在なのであり、あなたという存在にもその経験にも途方もない価値があるのです。「虚」というのは今生(物質世界)が仮象のものであり、「実」である我々の魂は永遠の存在なのだから、 何も恐れずただ菩提心を起こして悟り(真理)を進めましょうということなのです。

全知全能である創造主は、敢えて意義(答え)を一つに限定しないという原理によって、豊かに世界の創造を続けているのです。我々に無明を与え、敢えて愚かに創った上で経験を与え、想像力という創造主本体にはない素晴らしい力を与えているのです。全知全能のままでは何も経験できず、想像=創造は広げようがないのです。

例えばコップというものはペン立てにしたり灰皿にしたり色んなことに使えますが「飲み物を飲むため」という一義的な存在理由があります。同じように人生・世界にも一義的な存在意義(答え)というものはちゃんとあるのです。しかし今のあなたがそれを知ったところで、ただ単に答えが限定されて自由がなくなるだけで、恐らく幸せにはならないでしょう。だから僕は既に人生・世界が創造された理由・経緯をきちんと思い出しているのですが、それを語るのはまだ先になると思います。

我々に人生・世界を与えている創造主の思いを代弁するために、こんな例え話をしましょう。あるガラス職人さんが訪れた子供たちにガラス細工の体験を無償でさせてあげていました。そのガラス職人さんは特にテーマも決めず、子供たちに何を作るか・何に使うか(それが何であるかの意義付け)も自由にしてくれました。そして子供たちは楽しそうにそれぞれ思い思いのデザインでグラスを作ったり、花瓶を作ったり、オブジェを作ったりしました。子供たちは帰った後もその作品を大事にして、思い思いの使い方で愛しました。ガラス職人さんはとても幸せでした。

ガラス職人さんにとって子供たちがどんな作品を作るか・どんな使い方(意義付け)をするかは重要ではないのです。子供たちにただただ喜んで欲しくてその機会を提供しただけで、感謝されることが目的でもないのです。

ところがこのガラス職人さんがせっかく与えてくれた経験機会の価値がわからず、感謝せず、「芸術の才能がない自分にはうまく作れるわけがないし、何の影響力もなくて面白くない。無意味なことをさせないで欲しい」と反発し、テキトー・投げやりに作品を作って素材を台無しにした挙句「こんなもの要らない!」と投げ捨ててしまう子供がいました。さて、ガラス職人さんはどんな気持ちになったでしょうか?

創造主からせっかく与えられた人生という経験機会(芸術の素材)が気に入らず、無意味だと嘆き、人生という作品を自分でつまらないものにしておいて運命を呪えば、それが悪いカルマとなって鏡のように自分に跳ね返ってきて鬱状態になるのは当前なのですね。

いつも言っていることですが、与えられたものの価値に気づいて感謝できない人間に、より良いものを与えたいと思う人はいないでしょう。創造主もそこは同じであり、そういう原理でもってこの世界は創られているのです。与えられたものに感謝できない人間というのは、既に与えられたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲惨な人生になるのが定めなのです。

わかりますか?与えられているものは「当たり前」と思い(当たり前は有難いの対義語です)、他人と比べて与えられていないものを嘆き、与えてくれている相手に対して不満点があれば恨みに思って感謝できていないなら、その「当たり前」と思って意識さえしていなかった「生きる意欲」さえも剥ぎ取られ続けてしまうのが宿命なのです。

誰もが喜ぶものを与えられなければ感謝できない人の感謝に価値などないのです。どんな苦難も自分の成長の為に与えられていると感謝しながら受け取れる人の感謝にこそ価値があるのであり、その苦難を乗り越えて行く中で人は魂的に成長し、幸せを感じることができるのです。


<カルマ的原因と解決法>
人生の一義的な存在理由は、魂の成長にあります。あなたが不幸なのは人生・世界に意味がないからではなく、あなたが魂の成長課題(カルマ)に立ち向かっていないから(己の心に愛を育てられていないから)であり、それゆえに成長課題(カルマ)がどんどん雪だるま式に膨れ上がり、ストーリーが前に進まず、人生が「嫌な仕事を我慢して駄賃を稼いで生きのびるだけのクソゲー」みたいになり、嫌なことばかりで自己効力感を失い、虚しくなって何も楽しめなくなっているのでしょう。愛で世界を救う主人公として目覚めずエゴを目的に生きる限り、この人生というRPGにおいては脇役NPCでしかなく、NPCの物語が面白くなるわけがないのです。

魂の成長(カルマの克服)こそが人生のテーマを構成するのであり、あなたのカルマ(人生のテーマ)が何であるかはあなたが自分で経験を通して悟るべきことです。他人である僕があなたのカルマ(人生のテーマ)が何であるかを決めるというのはナンセンスですし、そもそもあなたに直接お会いした事さえないので知りようがありません。

ただカルマというのは本質的に人によって大差はなく、本人が一番目を向けたくないところにあるものなのです。カルマの良化法はよくよく読んでおいて下さいね。そしてあなたのカルマは前回の質問継父との関係から察するに、継父との関係性が大きく関わっていることは容易に推察ができます。前回あれだけ言葉を尽くしても伝わっていない(カルマが良化していない)みたいですが、恐らくあなたは結局あの質問の後も継父との関係を改善させられていないのではないでしょうか?

厳しい言い方にならざるを得ないのですが、被害者意識は成長拒否であり、不幸に導かれるのが必然なのです。自分の不幸の責任を親に求めていいのは中学生までです。大人になるということは、自分の幸不幸について全責任を負うことです。全ての原因が自分の考え方にあるのですから、自分が考え方を変えれば全てが変わるのです。

好きではない親の世話になるのが辛い・早く自立したいというお気持ちは僕も同じだったのでよくわかります。しかし社会に出てみて実際どうでした?仕事はつまらない。嫌なこと・我慢しなければいけないことが常にいっぱいある。競争社会の中で常に他人と比較され、責められたりバカにされたりして自尊心をズタボロにされる。酒を飲んだりスポーツをしたりしても虚しく、何のために生きているんだかわからない。

あなたの父親もきっと同じだったのではないかと思いやりを持つことはできませんか?そしてあなたの父親はそんな中でも、家族を支えるために必死で色んなことに耐えて頑張ってきたのに、連れ子は自分に懐かず尊敬せず感謝せず反発ばかりしてくる。それでも途中で投げ出すことなく、経済的に不自由させずに社会人になるまで育て上げたのでしょう。あなたに同じ事ができますか?エゴに埋没して虚無感に陥って生きる気力さえ失くしているような今のあなたにそれができるとは到底思えません。別にそれはできなくても良いんですけど(僕もできないです)、社会の厳しさを知ったあなたは父親に対する恨みを捨て、父親の欠点や過ち(依怙贔屓や理不尽な折檻)を心の底で許し、心から感謝・尊敬の念を持って、それを素直に伝えてはいかがでしょうか?それこそが人に存在意義(価値)を与えるということです。もしあなたにそれができたなら、きっと大きなカルマが解消され、人生が音を立てるようにして良い方向に変わっていくと思いますよ。


<鬱の本質的な原因と乗り越え方>
これもいつも言っている事ですが、世の中のすべての問題は究極「愛の不足」が原因であり、逆に言えばすべての問題の解決策は究極「愛」なのです。これは例外がありません。

愛の対極にあるのはエゴです。僕もあなたの年齢の頃は思いっきりエゴに埋没して生きてきました。今それが自分で認められるのはエゴを乗り越えられるようになったからであり、その当時は自分がエゴに埋没しているなどという自覚さえ全くなく、それゆえに苦しんでいました。あなたもまだ実年齢的にも魂的にも若く、エゴに埋没していて己の中にある愛(思いやり・慈愛)を全く育てられていないという自覚がないのでしょう。

世界の本質はワンネスであり、エゴというのは分離意識・自己保存欲なのです。エゴによって自分という個体にだけ都合のいいように考え行動すると、深い部分で自分を嫌いになってしまうのです。そして自分が嫌いなのに他者(他人・世界)を愛せるわけがなく、厭世観に陥り、すべてがイヤになって鬱状態になってしまうのですね。鬱というのはエゴへの埋没を原因としており、また結果ともしている悪循環構造なのです。ただただエゴのために生きるって虚しいでしょう?だからあなたは鬱状態になっているのだと思います。そしてそれも含めて何事も経験から実感を通して知るっていうことはとても大切なことであり、あなたがその機会を与えられているということ自体が途方もない価値(存在意義)なのです。それは「当たり前」なんかじゃないんですよ。

あなたは仏教を勉強しているそうですが、理屈を頭だけで理解しようとするのではなく、六波羅蜜(&新六波羅蜜)を本気で行じてみて下さい。そうして実践によって己の中にある愛(思いやり・慈愛)の心を育てていって下さいね。そうすれば必ず実感を通して大切な事に気づかされますから。世界が関係性の中で成り立っているということ、自分はそれを愛・融和・調和のベクトルに向かわせる使命がある主人公だということ、など。自分の存在意義も世界の存在意義も関係性の中にこそあるのですが、それは説明されて理解できることではないのです。

一日一善で良いので、一切見返りを求めず、他者の為に尽くしてみて下さい。利他的な行動というのはエゴとは真逆で、やればやるほど深い部分で自分を好きになるという目に見えない素晴らしい価値が即与えられるのです。


>僕が死ぬと悲しむ友達、家族がいて80億人の中の100人程度の脳内の情報が変わるだけ。
今は無理でもいつかは自分が主人公(経験主体者)の地位が与えられているということの価値に気づいて、世界を救うという使命を果たして下さいね。それは生まれの格差について(陰謀論)未来に絶望したくなるに書いた通りです。別に有名人になる必要はなく、自分が世界に救いが連鎖する核になれれば、誰が評価しなくとも創造主はすべてを見ていてすべてをきちんと評価してくれます。連鎖反応=指数関数にとって、80億なんて大した数ではないのです。逆に目の前の人も自分自身も救えない人間に影響力があってもロクなことになりません。だから今現在の自分に影響力がないことより、目の前の人も自分自身もまだ幸せにできていないことに問題意識を持って下さいね。もしあなたが目の前の人を愛によって救える存在になり、揺るがない連鎖反応の核になれさえすれば、世界は必ず救われるのです。世界に何十億人いようと、それはあなたの鏡のような存在なのですからね。己のエゴに埋没せず、スケールの大きい・愛に溢れた人間になって下さいね。


<創造主直伝 さとり4カ条>
1.偉くなろうとするな、(自他全てが)尊いと知れ。
2.特別になろうとするな、特別(主人公)であると知れ。
3.日々愛を実践し、特別ではなくなること(差取り・ワンネス)を目指せ。
4.幸せになろうとするな、幸せであると知れ。


それでは、あなたの覚り=幸せを心よりお祈り申し上げております。

2025年5月23日金曜日

毒親との接し方

【質問】10代・男性 高校生 ペンネーム:エビクリーム

真也さん、お疲れ様です。いつもタメになる投稿を見せて貰って、若いながらも学ばせて貰っています。

僕には両親がいるのですが、父親は自分の怒りのコントロールが効かない人で暴力こそは無いももの、僕が小さい時(小学校中学年〜高学年)から喧嘩になると大きな声で罵声を浴びせたり顔を近づけて(やんのかコラ?)などとが多くありました。軽く数えても1000回程度です。母親は責任感が強く、僕を守ろうとして沢山動いたりしてくれていたのですが、パニック障害などを発症してしまった時の発言等に僕の心に刺さるものがありました。

現在は喧嘩をしてしまって、もうバラバラという感じです。母親とは直接的な喧嘩はその時しなかったので、少し話したのですが(幼少期の事など)、私もお前の前の非行にはとても心を痛められた。私たちは旅行も連れて行ったりできるだけ甘やかしたのに、そんなに辛い風には見えないよ?と言葉が帰ってきてしまい落ち込んでしまっています。

要は何が言いたいかと言いますと、人生には偶然等は無くそれ自身も僕の成長に必要なものであり、意味の無いプロセス等は無いと分かっているのですが、彼等とどのように接すればいいのかが分かりません。僕とは考え方がやはり違うので衝突などが多く、上手くいく自信がありません。

そして父親の母親に対しての八つ当たりや、その原因が僕だと言うのを言われてしまうなら関わらない方がいいのかな?と思っていたり。

何と言うか正解が見つからないような感覚でそれを自分自身で見つけるからこそ人生なのですが、また今回の喧嘩が起きてしまい、家を出ていけと言われてしまったり・母親の対応にやられてしまい。相談させて頂きました。長文失礼いたしました🙇

【回答】
ご質問ありがとうございます。そしていつも発信を受け取っていただき、ありがとうございます。基本的に僕はエゴが収縮し始める30~40代の人をイメージして発信しているのですが、あなたのように若い方にメッセージが届いているということは、とても嬉しいことです。

さて、ご質問内容についてですが、幼い頃からあなたが受けて来た深い傷と怒りに心から同情します。僕もあなたほどでは全然ありませんが、親との関係では相当苦しみました。親から逃げたくても年齢的に自立が難しく親の庇護にすがるしかない・誰にも相談できない・逃げられない状況というのは本当に酷だと思います。僕がお金の要らない・愛の時代を実現したいのは、そういう状況を失くしたいからでもあります。

それだけの困難に直面しても、あなたは「人生には偶然等は無く、それ自身も僕の成長に必要なものであり、意味の無いプロセス等は無い」と理解しようとしているのですから、それはとても立派で尊いことです。

ただ、そんなに焦って大人になろう・悟ろうとしなくて大丈夫ですからね。僕も高校生の頃はかなり荒れていて、悟りなどとは程遠い暗い青春を送っていましたから。そしてそれが必要な経験だったと気づいたのは、そのずっと後のことでしたから。

僕らの魂は同源同一であり、例外がありません。そしてその魂というのは純粋な子供の如くであって、とても繊細にできているものなのです。実に多くの人が、頭では大人になったつもりで、傷つかないように必死に自己防衛し、その子供のような純粋な魂(インナーチャイルド)の声を封じ込め、傷ついている自分を認めることさえできず、その成長のギャップが心の歪みとなって様々な形で悪影響が起きてしまっているのです。

成長というのは魂(インナーチャイルド)の成長と足並みを揃えなければいけません。だから今はただ自分の中の傷ついている魂の声をしっかりと受け止め、我が子のように労わり、癒してあげて下さい。自分の傷ついた心を認めることは、決して負けることではありません。

自分の癒し方は人それぞれですが、動物や自然と触れ合うなり、好きな音楽や読書やスポーツなどの趣味に没頭するなり、自分に合ったやり方をしてみて下さい。僕的にはぜひ信仰心を持って寺社などに通うなりして神仏に頼って欲しいところなのですが。

本当に辛い時は逃げても良いのですよ。人生はRPGであり、本当に弱っている状態の時に手に負えない困難と遭遇したら、一旦は逃げて体制を立て直す以外にないのです。そして素直に人を頼って下さいね。プライド・意地で人を頼ることを恥じないで下さい。親せきなどを頼って状況が改善するまでかくまって貰って親との間に入って貰うことはできませんか?(もしかしたらあなたの親も実家と関係が悪くて難しいのかも知れませんが)学校の先生などにも相談はできませんか?もしできないのであれば、以下の連絡先に相談してみて下さい。軽く調べただけなので、実際どういう対応をしてくれるかなどは全然わかりませんが、相談先はたくさんあるのだという例として挙げておきます。

📞【24時間対応】チャイルドライン(18歳まで)電話:0120-99-7777
受付:毎日16時~21時(無料・匿名)
チャットも可(16時~21時) → https://childline.or.jp
子どもの気持ちに寄り添って話を聞いてくれる窓口。「どんなことでも話していい」が基本スタンスです。

💬【LINEで相談】生きづらびっと(10代~20代対象)
LINEで気軽に相談可能(完全無料・匿名)
こころのモヤモヤ、不安、家族のこと、自傷・希死念慮などにも対応。
公式サイトはこちら

🌱【全国の児童相談所】
全国共通ダイヤル:189(いちはやく)最寄りの児童相談所につながります。
「親からの精神的な暴力」「家庭で安心できない」などは、虐待の一種として扱われる可能性もあります。話を聞いてくれて、必要ならシェルターや保護の手段も検討してくれます。

📱【その他:若者支援の窓口】
こころの健康相談統一ダイヤル:0570-064-556
各地の精神保健福祉センターにつながります。親の精神疾患・家庭のことなども相談可能。
法テラス:0570-078374
もし今後、家を出たい・住むところを探したいといった法的なことが出てきた場合にも無料で相談できます。

そして奨学金を貰って進学して寮暮らしするとか、住み込みをさせて貰えるバイトを探すとか、とにかく今は親と距離を取ることを優先して下さいね。もし今すぐにそれができないとしても、そういう希望を持つだけでも全然違いますから。

根本的な解決にはなりませんが、もし時間があれば格闘技などを習って心身を鍛えるというのも良いと思います。強くなれば自身もつきますし、それは仮初めの自信ではあるのですが、少なくとも身体的な暴力は受け難くなりますからね(決して力に任せて暴力を奮い返したりしないで下さいね)。




_______________________________________

<未来のあなたと読者の方々へ>
さて、これから書くことは今すぐには読まず、まず親と距離を取れるようになって落ち着いて、自分の傷を自分で認めて受け入れ愛し労える状態になってから考えてみて下さいね。先にも書いた通り、あなたはまだそんなに焦って大人になろう・悟ろうとなくて良いのです。今は問題から距離を取って自分自身を守り、癒すことに集中して下さい。

ただ僕は預言者としての使命上、未来のあなたのため、そして同じように毒親に苦しめられている多くの人のため、ただ逃げ方を伝えるだけで話を終わらせるわけにはどうしてもいかないのです。どうぞご容赦下さい。
_______________________________________

人格的に問題の多い(いわゆる毒親)に育てられるというのは、とても重いカルマです。ただ我々の魂というのは同源同一のものであり、主人公というのは基本的にそのような困難な生い立ちを抱えているものなのです。

悪いカルマの解消法に書いた通り、カルマというのは決して意地悪で与えられるものではなく、成長のために愛で与えられている課題であり、生徒に乗り越えられない課題というのは成長につながらないので与えられないのです。重いカルマはより高いレベルの魂に与えられるのであり、乗り越えればより大きな幸せが待っているのです。僕を信じて下さるのであれば、どうぞそれを信じて下さいね。

魂の年齢というのは、今生での実年齢とは関係がありません。あなたの父親がどんな人生を送られてきた方なのかは存じ上げませんが、きっとカルマを正面から乗り越えようとしてこなかったままのために雪だるま式にそれを膨れ上がらせ、まだ魂的にも幼いままで、自分の中の魂(インナーチャイルド)を常に抑圧してきた人なのでしょう。そしてそれがきっとあなたという(自分に似ている)実の子供に対して攻撃するという歪んだ形で表れてしまっているのだと思います。他人と上手くやれない人というのは、まず自分自身と上手くやれていないのです。

あなたの側からすれば「こっちはいい迷惑だ」と被害者意識に陥ってしまう気持ちもよくわかります。しかしあなたの認識している世界というのは、すべてがあなたという主人公個人のために与えられているものなのです。あなたが実際に関わっている人のカルマ(課題)というのは、あなた自身のカルマ(課題)を鏡(拡大鏡)のように映し出したものだということです。PRGで他人(NPC側・設定側)を変えようとしても変わりません。あなたという主人公が変われば全てが変わります。そのようにあなただけのために用意されたオリジナルのシナリオがあるのです。あなたが既に理解して下さっている通り、この世に偶然は存在せず、すべての出来事・出会いに意味(意図)があるのです。被害者意識というのはカルマ(課題)を他人のものと考える成長拒否であり、不幸に導かれるのが必然なのです。

いつも使っている例えですが、ゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのは主人公が悪いからではありません(自分のせいだと思う必要はありません)。かといって相手側(ゾンビやアンブレラ社)を責めたり、制作側(クリエイター・ゲーム会社)を恨んだりして被害者意識に陥ってもゲームは進みません。自分も相手も運命も責めず恨まず、ただ自分に与えられた成長課題だと信じ、楽しみながらその課題を目の前から一つ一つクリアしていくことが大事なのであり、それは人生も同じだということです。

人生は愛を経験的に知るため・表現するために与えられたものなのです。だからこの世の全ての問題は愛の不足が原因であり、逆に言えば全ての問題の解決策は愛なのです。これは例外がありません。

そして「許し」こそが愛なのです。威圧的な父親になつけなかった自分も、不幸な生い立ちから威圧的な親にならざるを得なかった父親も同時に許して下さい。答えはいつでも「自分も誰も悪くないけど、自分が何とか(成長)するしかない」です。

どうかどんな困難も(愛と勇気を試し、魂の成長を促す)愛によって与えられているということを忘れないで下さいね。聖書の「ヨブ記」はぜひ読んでみて下さい。誰しもが喜ぶようなものを与えられてする感謝に価値はありません。どんな苦難も愛によって与えられていると信じて感謝と共に受け取れる人の感謝にこそ価値があるのであり、そこにこそ魂の成長があるのです。

与えられたものに感謝できない人に、もっと良いものを与えたいと思う人はいないでしょう。それは創造主も同じであり、そういう原理でこの世界は創られているのです。与えられたものへの感謝がない人間は、既に与えられたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのが定めなのです。

カルマというのは連鎖するのが原理であり、あなたがそのカルマの負の連鎖を断ち切るシナリオになっているのは、あなたが主人公のRPGなのですから当然のことなのです。だからどんなに理不尽に思えたとしても、時には逃げることが必要だったとしても、いつまでも自分を被害者の立場に置いてカルマ(課題)を乗り越えようとしないのでは、RPG(愛・勇気・成長)の物語にはならないのです。だから自分が負のカルマの連鎖を終わらせ、良いカルマに転換する終端装置になることです。エゴを愛に昇華し、悲しみ・不幸を喜び・幸せに転換することです。入力(過去)が不幸だからといって、それを理由に出力(未来)を不幸にするなら、主人公に存在意義はありません。

どうか「こんなに不幸な生い立ちで、こういう風に生きれば不幸になる」というネガティブな教訓をアカシックレコードに捧げるために貴重な人生を使わないで下さいね。それはMisson Faildなのです。最終的には「こんなに困難な状況にも負けず、こういう風に生きることで幸せになった」というポジティブな教訓をみんなに提供して励ませるような存在になって下さい。

そうしていつかあなたが創造主の愛によって存在し、神仏の加護を受けて生きているのだということをぜひ実感して欲しいです。それだけの困難が与えられても自分自身と他者と人生(世界)の存在に心から感謝するというのはとても酷なことだと思いますが、因果というのは時空を超えて連鎖するものであり、今現在のあなた自身の信心・感謝のなさが、時空を超えて今までの不幸をもたらしているのです。だから苦難に満ちた人生でも先回りして信心を持ち、感謝することが大事なのです。自分の人生を決して他人(NPC)と比べないで下さいね。僕らは魂の成長のために生まれてきているのですから、カルマ(課題)が簡単でラクな人生ほど幸せなのだと考えるのは大間違いです。

<霊的(カルマ的)解決>
さて、まだ幼い実の子に向かって日常的に「やんのかコラ」などとスゴむというのは、あまりにも常軌を逸していると思います。それは一種の憑依現象(霊障)で、自我が霊障に乗っ取られているのでしょう。その構造は憑依現象(霊障)についてに書いた通りです。

実際あなたの父親はいつも威圧的なわけではなく、優しい時もあるのではないですか?あなたのことも旅行に連れて行ってくれたりしていて、決して育児放棄をしていたわけではないのでしょう。まさか虐待しようと思ってあなたを生んだわけではなく、愛そうとしていたのにそれがうまく表現できず・伝わらず、仕事で嫌な思いも我慢しながら稼いで一生懸命育てているのに、懐かず・感謝されず・愛されず、反発された結果、あなたは父親にとって自身と世の中に対する不平不満をぶつける対象にされてしまっているのでしょう。でも本当はあなたに愛されたいに違いありません。

だからいつかはそんな風にしか生きれらない父親の心の傷に同情と許し(慈愛)の気持ちを持って下さいね。恐らくは社会で自尊心をズタボロにされて(その痛みはあなたも社会に出ればわかります)、家族に威圧的に接することで実質的に尊敬を強要することでしか自尊心を保てない状態にあって、自尊心というものが自他への愛によってしか満たせないものであるということは考えもつかないのでしょう。

あなたの父親はよっぽど大きな傷を抱えていて、深い部分で自分自身も他人も世の中も許せず、尊敬できず、愛せず、嫌って、自己嫌悪と厭世観に陥ってしまっているのでしょう。それは実に多くの人が抱えている自尊心の病気(社会病理)なのです。あなたの父親はそれゆえにネガティブな霊に(何かをきっかけにして、突発的かつ常習的に)自我を乗っ取られてしまっていて、突発的に攻撃的な人格が現れてしまうのでしょう。しかしあなたの父親が攻撃しているのは彼自身なのであり、俯瞰して見ればとても可哀そうな人なのです。そしてそれは主人公であるあなたが救いに導くシナリオになっているのです。

相手の攻撃に対して攻撃し返せば負のループは終わりません。カルマは増幅連鎖するのが原則なのですから、あなたもそのままいけば同じ霊障に憑りつかれて、きっと父親と同じようになってしまうでしょう。

愛というのは無条件化していく方向が成長方向なのです。相手に瑕疵(欠点や過ち)があれば愛せなくて(感謝できなくて)当然という考え方(愛の条件化)はそれとは逆のベクトルなのであり、世の中に瑕疵(欠点や過ち)のない人間はいませんから、それでは究極誰も愛せず、感謝できなくなっていくことになります。

あなたからすれば理不尽極まりないでしょうけども、あなたの母親の言うことも一理あるということです。瑕疵(欠点や過ち)があるからといって与えられているものに全然感謝せず反発して恨みで返すのみというのでは、お互いのカルマが増幅するだけになってしまうでしょう。

あなたの親は一応はあなたを養って学校にもちゃんと行かせて、旅行などにも連れて行ってくれていたところを見ると、きっといつもいつもそんなに威圧的なわけではないのでしょう。あなたが父親に従わず、感謝せず、反発することをきっかけとして色々人生で溜めてきたもの(全くあなたのせいではない傷・怒り・不平不満・恨みなども全部含めて)が爆発してしまうんだと思います。それはもう自我を霊障に乗っ取られているということなのです。

分離意識の強い若い時にはとても理解できないことかと思いますが、世界の本質はワンネスであり、すべては一つなのです。それはつまり我々全員が同一人物のようなものだということです。愛憎劇と魂の成長を経験できるように、分離意識・異なる個性(配役)・異なる環境(視点)が与えられているだけで。

本質的に他者というのは存在しないのであり、カルマ(シナリオ)は基本的に両方の立場を経験するようになっているのです。それは超時空的なもので、そこに時間・実年齢は関係ないのです。つまりあなたの親は過去世か未来世でのあなた自身なのであり、あなたの親であると同時にあなたの子供でもあるのです。とても信じられないと思いますが、例えそうでなかったとしても、そう考えながら接するのが正解なのです。

それは若いあなたにはまず無理なことであって、できるようになるのはずっと先で大丈夫なのですが、成長のベクトルはその方向にあるのだと知っておいて下さい。そしていつか自分の親を自分の子供のような視点で温かく成長を促しながら見守れるようになって下さいね。それにはまず相手よりも先に自分から愛情を示すことです。

カルマというのは超時空的なものですから、現在のあなたが変われば、過去も未来もすべてが超時空的に変わるのです。

早くから親元を離れ、働いて社会に出る大変さ・自他の自尊心を保つ大変さを知り・家庭を持って奥さんや子供とうまくやる大変さを知り、親に心から感謝できるようになって下さいね。心に逆らって無理に感謝をすることが本質ではありません。心からの感謝が自然と態度に表れるぐらいに苦労を乗り越えてみて下さい。

親だから大人だからという理由で他の家庭と比べて自分の親に愛情を期待・強要せず、存在そのものに有り難みを感じて下さいね。そして結果(見返り)を求めず自分から愛情を示すことで、あなたのカルマはきっと解消されていくと思います。

そして霊的解決のために、縁を感じる宗教に通ってみて下さい。信者になる必要はありませんし、無理に勧誘されたりお金や奉仕を強要されそうになったら一目散に逃げて下さい。お勧めは南無妙法蓮華経のお題目を唱えること(できれば本門仏立宗など日蓮系のお寺に通うこと)と、世界救世教や崇教真光などで無料で浄霊を受けることです。縁がある宗教と巡り合えば、きっと奇跡を経験することになると思います。

僕自身どこの宗教にも属しておらず、特定の宗教に勧誘するつもりはありませんが、霊的な問題の解決というのは一人では難しいと思うので、ぜひ参考にしてみて下さい。人生の問題の全ては神仏への愛(信心)へと導かれているのです。

それでは、あなたが悪いカルマを解消し、心からの感謝と幸せに至ることを心から祈っております。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...