【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン
普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。
これまでの人生、何か成し遂げたこともなく、実家も恵まれた環境であったため不自由することなく甘えてきていました。受験や就活からも逃げてきていたため自信がなく、何事に対してもはじめから諦めがちです。
そのくせにプライドは高く、昔の多少輝いていた自分を思い出しては自分は何か特別な存在だからもっとすごいことを出来るのではないかと、理想と現在とのギャップに苦しめられています。やりたいことはありつつも時間やお金のせいにしてばかりです。
後悔ばかりがつきまとい、あの時ああしてれば、と考えても仕方のないことばかり考え、無駄な時間を過ごしています。
両親に対して親孝行したくても病んでるようなメール、泣き言ばかり電話で話してしまいます。実家を出た際、何もできない自分に嫌気がさして一時期は寝れずに精神的に参ってしまっていました。
過去の後悔、なぜ生きるのか最近はそんなことばかりで頭がいっぱいです、誰に話そうにもその場はスッキリするもののものの2日もすると元通りです。
過去への後悔、未来へのとてつもない不安。目の前のことをやるしかないとは思うのですが何も手につきません、真也さんのアドバイスいただけると幸いです。
【回答】ご質問ありがとうございます。
note、読んでいただいてありがとうございます。突然削除してしまってすみません。できるだけ早く復旧できるように頑張ります。
さて、あなたのそのお気持ち、その心の痛み、本当にめっちゃくちゃよくわかります。基本的に質問箱って受ける度にいつも「おまいは俺か!?」って言いたくなるほど、僕も同じ事で悩んだことがあります。存在というのはワンネスであり、僕らは同一人物のようなもので、人の悩みというのは本当に抽象度さえ上げればみんな一緒なんだと思います。現時点で共感能力の低い人というのは、きっとまだ分離意識が強すぎて思考の抽象度が低く、他人に対する同情・慈愛が薄いプロセスにあるのでしょう。
僕もADHDとか社会不適合を言い訳にしては怠惰に陥ってばかりでした。好きじゃない事で努力するというのが極度に苦手で、学校でも就職してからもあんまり勉強せずに生きてきました。それに対する後悔と劣等感が強いために「今更努力したってどうせ・・・」などと考えてしまってなかなか身が入りません(特に語学)。格闘技でも才能に恵まれた割には鬱などを言い訳に努力を怠って大成はしませんでした。いつでも人生の問題を先延ばしにしては気を紛らわすようなことばかりしていて、後になって「あの時もっと努力していれば」と意味のない後悔ばかりしています。僕は親に対しても何一つ孝行できてなくて、親に対しても世間に対しても申し訳ないなって思いながら生きています。どうですか?同じようなものでしょう?そんな世間的にはダメ人間なのが等身大の僕なのであり、理想とは当然ギャップがあります。しかしだからこそ自己嫌悪に苦しむ人たちの気持ちがわかって慈愛の気持ちを持つ事ができているのであって、決して上から目線で「さとり」を綺麗事のように語っているのではありません。目指しているのは善人だけではなく誰しもが救われる本物の「さとり」です。
世界の本質はワンネスであり、人間というのは全員が同一人物のようなもので、一つの魂が全役をやっているのを、分離意識(自分とそれ以外は別の存在であるという意識)によって、それぞれ他人として・ドラマとして成立させられているものなのです。
それなのに悩んでいる人というのは、ほぼ確実にその悩みがまるで世界で自分だけのものだと思い込み、自分をダメな人間だと責めて自ら孤独に陥っているものなんですね。「人生とは分離意識(≒エゴ)を乗り越えて愛を発揮するためのものなのだ」ということを理解しないのです。そして何とかして傷ついた自分を守って自尊心を保とうとして、エゴの殻に閉じこもってしまい、幸せを感じる余裕・感謝する余裕・他人の気持ちを慮って許し愛する余裕がなくなり、何とかして他人が自分よりダメな理由を探して責めたり見下したりししてしまのです。そうすると人間関係も何もうまくいかず、自らのネガティブな言動や行動やイメージに人生自体が引きずられて悪い方向に導かれがちなんですね。
だからまずは問題そのものを解決しようとするよりも、「人間なんてみんなそんなものなんだ」ってことを認識して、自分も他人も許し・尊敬し・存在に感謝し、愛せるようになることを目指してみて下さい。人間みんな見栄を張ってカッコつけているだけで、本当は似たようなものなんです。みんな他人に心を開く勇気がなく、カッコ悪い自分を隠して曝け出す勇気も愛する勇気もなく、他人の欠点や過ちを責め、内心では同じ鋭さで自分自身を責めているものなんです。
あなたはご自分を「プライドが高い」と分析して責めているようですが、僕らは同一人物のようなものであり、プライドは当然誰にでもあるものであって、理想の自分と等身大の自分とのギャップなんて誰でも抱えているものなのです。そして心が劣等感で傷ついた時には、なんとかして自分を守ってリカバーしようとするように人間はできているのです。それは別にあなたが誰か他人と比べてプライドが高いということではなく、人は誰でも心の奥には傷つきやすい自分を抱え、それを必死で守っているものなのです。
それなのにその自他のプライドの傷つきやすさを許さず、欠点や過ちを理由として「この人はプライドを持つに値しない」とか「この人はダメ人間だから他人からプライドを傷つけられるのは仕方がない」などと考えてしまえば、自他共に苦しくなるのは必然なのです。
人生最大の課題は「自己受容」であって、それは当然最も難易度が高く設定されているのです。欠点や過ちを全部知っている自分を愛するというのは誰にとっても難易度の高い課題です。自殺する人というのは自己(人生)受容を諦めた人なのであり、自己受容というのは死よりも辛いぐらいの苦しみを伴うものなのだということです。
しかし完全合理存在である創造主は、乗り越えられない課題は与えません。無意味ですからね。あなたにはあなたの魂レベルに合わせて、あなたがギリギリ許し愛せる自分が与えられているということです。そしてそういう欠点や過ちを抱えている自分を受容するためには、自分に関わるみんなのことをを許し愛せるように成長していく必要があるのです。そしてそれこそが創造主が教えてくれた人生の基本設定なのです。
ところが鬱状態にある人というのは、ほぼ100%「自分ならいくらイジメても構わない」という思考回路をしていて、「自己受容」という人生課題を放棄している状態なんですね。そして何か問題がある度に「このダメな状況の原因は何か?➡自分が生まれつきダメだからダメなんだ=努力してもムダだ」という感じで「自分を責めて嫌うことでとりあえず感情を整理し、成長をハナから諦める」という思考回路が自分で自覚できないほどに常態化していて「どうせ自分はダメだ、きっと変われない」と諦めてしまっているのです。そういう人は「自分の不幸を自分以外のせいにして被害者意識に陥る人よりはマシだ」と言うことで自尊心を保とうとしているのかも知れませんが、自分をイジメるのも他人をイジメるのも、全ての存在の大元である創造主からすれば同じことあり、その自分イジメが負の形で自分自身に返って来るということなのでしょう。
欠点も過ちもない人というのはいません。それは僕らが愛し合えるように天から与えられているものなのです。それなのにもし欠点や過ちを理由に愛せないというのなら、自分も他人も誰も愛する事はできません。だからまずは許すことです。許せる前に愛そうとすると無理が出ますからね。許せないのに愛している、はありえないのです。お互いに欠点や過ちがあるからこそ、僕らはお互いに存在意義があって許し合い・愛し合えるのです。だから「相応しい理由さえあればいくら自分や他人をイジメても構わない」という愛のない考え方は本当に改めるべきだと僕は思います。
でもそんなに簡単に自分を許して愛せませんよね?当然です。だからまず「あなたが一番許せない人・愛せない人・嫌いな人」をイメージしてみて下さい。ニュースや歴史に出てくるような会ったこともない全くの他人ではなく、実際に人間関係がある人の中での一番です。そうしたらその人を許し、尊敬し、存在に感謝し、愛せる理由をありったけ考えてみて下さい。イメージの中でそれができなければ、実際に会って話してみてそれをやって下さい。・・・その人はあなたの鏡であり、その人なりにやむにやまれぬ事情があって(心の傷があって)そのように(あなたにとって)許し難い・嫌な人間になってしまっているだけなのです。あなたにとってあなた自身がそうであるように。自分が一番嫌いな人を許し・尊敬し・愛せるようになったら、自分のことも許し・尊敬し・愛せるようになっていきます。
自分の魂というものは、自分で愛さずに嫌ってイジメればイジメるほどグレて反発してきます。あなただって自分を嫌っている経営者のために一生懸命仕事したい気持ちにはならないでしょう。それと同じように、自分で自分を嫌うと、自分の魂はその主である自分のために一生懸命努力をしたくならないものなんですね。そしてそれ(自分への愛不足)こそがあなたのモチベーションが上がらずポジティブな努力ができない一番の原因かと思います。それは僕も経験的に本当によくわかります。自分を嫌っていると、「そんなに要らないなら貰ってあげるよ」という感じでネガティブな霊障に人生を乗っ取られて台無しにされてしまうのです。だからやはりまず自分の欠点や過ちを許し、良い部分をたくさん見つけて、自分を好きになれるようなエピソードを積み重ね、成長していける自分を信じて愛することが大事かと思います。
そのようにして「自分を愛せず・努力できず・苦しみながらも生きて来た自分自身をもっと許して仲直りして愛してみて下さいね。とうか自分だけは最後まで自分を見放さず、自分の一番の弁護人でありファンであって下さい。自分が世間的に批判されたり見下されたり嫌われたりしがちな人間であればあるほど「それでもなお自分を愛そうとする自分」には価値が生じ、同じように自分を愛せず苦しんでいる人の希望を与えられる存在になれるのです。
あなたはかつての僕と同じように、自分の中に「正しさ」で裁く裁判官を育ててしまっていて、自分を裁くことで「間違っている自分を裁いている本当の自分は正しく善良な存在なのだ」と無意識にプライドを保とうとしてしまっているのかも知れません。しかしそれによって自分自身をどんどん裁いて反省させて傷つけて、生きる気力すら失わせてしまうことになっているのでしょう。しかし生きる気力を失わせるような冷たい正しさに何の価値があるのでしょうか?
どうか常に正義より愛を優先させて下さい。自分を正しく裁いて反省させることよりも、自他を許し愛することを優先して下さい。それは創造主が僕に与えてくれた「さとり」の根幹です。自分の中の正しく無慈悲な裁判官よりも、苦しんでいる自他みんなを弁護する、慈愛に満ちた弁護士を育ててみて下さいね。
ここで大事なのは、ただ単に自分を自己弁護するだけでは自己正当化(エゴ)でしかなくなってしまうということです。だから自分だけでなく、他のみんなも同じように弁護できるようになっていくことです。そのためならすぐダメな人間を排除しようとする世間の常識的・良識的な考えなんてドブに捨てても構わないのです。
自分にとって一番愛し難い人(許せない人・嫌いな人)でも同じように弁護し、心から許して愛せるようになって下さいね。それは自分と他人を同時に許し愛するということです。あなたが愛し難いと思っていた人というのは、あなたが自分を深く愛せるように天が与えてくれた完璧な配材なのだといつか気づくことでしょう。
「自分を愛せず大嫌いで自尊心が低くて自信がないのに幸せ」ってことは有り得ませんし、逆に「自分を愛して大好きで自尊心が高く自信があるのに不幸」ってことも有り得ません。自信と幸せは完全にイコールのものなんですね。
自分を他人と比べる限り、そして能力や実績などを自信の根拠にしようとする限り、人は決して自尊心を保つことなどできません。自分が全ての要素で他人より生涯優れ続けるなどということは有り得ないのですからね。だからとにかく自分を他人と比べるのをやめてみて下さい。人は誰でも自分の人生という物語の主人公なのであり、人それぞれにカルマ(課題)を背負って生きています。欠点や過ちというのはカルマの一部(あなたという主人公の設定)なのです。より困難な課題はよりレベルの高い魂に与えられるのであり、自分だけに与えられた課題を不運・呪いのように解釈せず、乗り越えていって下さいね。
あなたの人生の主人公はあくまでもあなたなのだということをわかって下さい。あなたが知る誰かがどれだけあなたより素晴らしく見えようと、他人は全てあなたの夢の中に住むNPCに過ぎないのです。他人と自分を比較するのを一切止めて下さい。どれだけ地味でしがない人生を送っているように見えようと、「男はつらいよ」や「トゥルーマンショー」などと同じで、あなたは天界では超有名人なのです。
どうしても自分を愛する理由を見つけられないなら、これからでもいいので「自分で自分を大好きになれるようなエピソード」をどんどん積み重ねてみて下さい。そのヒントとしては、人はエゴを動機に行動すると深い部分で自分を嫌いになってしまうものなので、その逆に「自己利益を考えずに全くの無償で人に親切にしてみること」で自分を好きになれるのだと思います。親切は無償だからこそ、自分を好きになれるというメリットが即手に入るのです。
カルマの深さ(人生の課題の困難さ)というのは他人と比較できるものではありません。あなたは「環境的に(比較的)恵まれていたのに努力できなかった自分」を「自業自得だ」と責めているようですが、そういう環境や自分の資質など本当に全部ひっくるめてのカルマであり、今のあなたはあなたなりに自分の重い・難しいカルマに苦しめながらも自殺に逃げず一生懸命生きた結果なのです。自分にもっと誇りを持って下さい。
人生はRPGであり、他プレイヤーと自分を比べて自分を蔑んでみても意味がありません。あなたが見ている他人というものは、あなたが見ている夢の中の他人と同じなのです。あなたはあなたというプレイヤー(主人公)だけに与えられたたった一つのシナリオを楽しめればそれでいいのです。変に完璧主義になったり、自分を他人と比べて落ち込んでばかりいたら、ゲームが進まず何も楽しめないでしょう。
「努力できずに自己嫌悪と後悔で苦しんだ過去」も含めて、ダメな部分・弱い部分を許して愛し、自業自得だからと自分を責めず、人に助けを求めて良いのですよ。あなたはきっと世の中の人は誰も自分を無償では助けてくれないように思っているのでしょうけど、それはあなたが困った人を無償で助けた経験がないからです。もちろん助けを求めてもみんなが助けてくれるわけではありませんし、きっとあなたを責めて助けようとしない人が圧倒的多数でしょう。でもその出会い難さの分だけ助けてくれる人と出会えたなら、きっと心から感謝の気持ちが湧いて、その人のためにも頑張りたいと思うようになるでしょう。そして他人を責めずに助けられる慈愛に満ちた素晴らしい人間に成長していけることでしょう。
もしあなたがどうしても自分を信じられないのなら、まず神を信じてみること=信心を持ってみることからかなと思います。自分を信じるのではなく、愛と成長の経験のために自分を生んで生かしてくれている神の方を信じるのです。あなたはきちんと理由があって生まれて来ているのです。あなたは神の愛によって生かされているのであり、神の愛なしでは一秒たりとも存在することはできないのです。それはあなたが出会う他のみんなも一人一人同じで、それぞれ経験主体者・主人公として等しく価値があるのです。それに対する信頼と感謝を持ち、被害者意識を乗り越えて行けば、きっと幸せな方に導かれていくと思います。
まず宗教を毛嫌いせず、色んなところに通ってみて下さい。完璧な宗教などは存在しません。人と同じで欠点や過ちを理由に神を愛さないなら、愛せる神など見つけることはできません。ただ本気でヤバそうな宗教からはすぐ逃げて下さい。
とにかく「目的化思考」をやめてみることかなと思います。それはつまり「目的達成できない」「結果がついてこない」「何かを成し遂げられない」 ➡ 「意味がない」という考えをやめることです。結果を求めるということは、全てを与えてくれている創造主に対して「あれをするからこれを下さい」と見返りを求めることになり、結果が良くなければ被害者意識に陥って感謝しないことになります。そういう考え方は創造主の愛に反するのです。結果は天に預けて、目の前の自分のやること・できることを感謝し愛しながら一生懸命やってみて下さい。きっと道が開けてくると思います。
そしてどうか世間的な成功を目的化しないで下さいね。自分の価値を持っている金や能力や実績に対する社会的な(他人の)評価に置かないで下さい。あなたの価値はあなたにしか決められません。
あなたのご両親は、きっと純粋にあなたの幸せを願っていて「社会的な大成功者になって欲しい」なんて思っていないと思います。あなたが努力できない・社会的に成功していない自分を認められないというだけで。
個人的に、子供というのは子供のうちにかわいくて親に生き甲斐を与えていたというだけで親孝行は済んでいると思っています(笑)そう思えないのなら子供なんて作るべきではないんじゃないかと。あなたは自分の子供にどうなってくれたら嬉しいと思いますか?幸せになって欲しい以外に何か望んだりしますか?世間的に立派な人間になることを望んで子供を苦しめたいと思いますか?
そもそも努力したからといってみんなが社会的に成功できるわけではないですし、社会的に成功したからといって必ず幸せになれるわけでもないのです。前述した通り、幸せというものは自他を愛せるかどうかという一点にかかっているものなのですからね。
今のあなたはきっとまだ左脳に振り回されているような状態だと思うので、ネドじゅんさんが教えているような右脳型の思考法・瞑想法を実践してみて下さい。きっとあなたを救ってくれると思います。そうして目的化思考を止め、結果を天に預け、過去の後悔や未来の不安に捉われず、主人公としてもっと「今」に集中することが大事かなと思います。
あなたはまだ自分のことをダメ人間のように思っているのかも知れませんが、ダメ人間であればあるほど、もしそこから立ち直れば、同じように自分をダメ人間のように思って苦しんでいる人たちを救うことができるのです。ただただ世間のレールに乗って生きて来たような品行方正なだけの人間では、世間的にダメな人生を歩んできたその苦しみを理解することはできないでしょうし、きっと責めたり見下したりしてしまって、その人たちの心(自尊心)を救えるわけもないのです。どうか自分と同じように苦しんでいる人間を救おうとする慈愛に満ちた人間になって下さいね。人にはそれぞれに使命があって、それぞれ主人公なんだってことです。
若い内から目立つ才能があって世間的にもてはやされてお金持ちになっている人間が必ずしも素晴らしいわけでなければ、幸せなわけでもないと思います。世界はワンネスであり、そういう人生には(真にトータルに見れば)そういう人生なりのカルマがあり、苦しみや不幸があるのです。ラクして幸せだけ味わえる人生などというのはどこにも転がっていません。
「世間的な成功者の人生」より「みんなと同じようにごく平凡に生きて幸せになることの難しさ・苦しさ」を経験的に知り、それでも負けずにみんなが幸せになれる哲学を築き上げ、それを「みんなに連鎖させていける人間」になれたら、それはとても尊く素晴らしいことだと思いませんか?人生って若いうちが華で早々と散る人生や、老後ただ枯れて行くだけの先細り人生より、苦難を乗り越えて咲く遅咲き人生の方が幸せなのではないかと僕は思います。
※僕はバガボンドの又八を見ると自分自身に見えて仕方がありません。彼を許し愛することで僕は自分を許し愛せています。
それとも、恵まれた人生を送って来たがゆえに他人の苦しみがわからず、偉そうに他人を責めたり見下したりして周囲から愛されず、結局誰も救えないような人の人生の方が素晴らしいと思いますか?
あなたはとても苦しみながら生きてきたのでしょう。それだけ苦しみながらも生きてきた自分をもっと尊敬し愛してみて下さい。そしてもしあなたが自分と同じように苦しんでいる人を本気で救いたいという思いで慈愛を発揮するなら、きっとあなたにも創造主からさとり(幸せ)・救いが与えられることと思います。創造主は僕みたいな社会不適合のダメ人間のこともこよなく愛し、さとりを授けて救って下さったのですからね。
※上の動画のメッセージ自体は素晴らしいものなのですが、代読のファミリーインターナショナルはカルトとして危険視されている団体なのでご注意下さい。
それでは、ただの絵空事・綺麗事ではなく、僕を救ってくれたさとりが、あなたにとっても救いになりますように。あなたが関わる人たちにも連鎖していきますように。心から祈っています。