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2025年9月7日日曜日

自分の浮気で失恋

【質問】23歳・男性

真也さん!こんばんは!23歳の大学生です。昨日彼女に振られてすごく悲しいです。交際歴は1年くらいでした。振られた原因は、僕のせいだと思っています。その理由は、僕が別の女の子とヤってしまったことです。その時、初めて彼女にめちゃくちゃ怒られて泣かれてすごく反省し罪悪感でいっぱいでした。彼女は、こんな未熟な僕をしっかってくれたりして、とても良い子だと思います。すごくこの1年で色々学びも楽しいことや悲しいことも沢山ありました。もうヨリが戻ることはないと思いますし、前を向かないといけないのは分かっているのですが、今はただただ悲しいです。こんな女々しい僕に何かアドバイスや喝を入れてくれたら嬉しいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。回答が遅くなって申し訳ありません。

質問箱をしていると本当に人の悩みというのは共通で、僕らの魂は同源同一のものなのだと実感します。今回も「お前は俺か!?」って言いたくなるぐらい、僕も全く同じような経験があります。だから質問者さんの心の痛みはよくわかりますし、本当に心から同情申し上げます。 


誰でも若い時にはエゴまみれなのが普通です。僕もあなたと同じ歳の頃は完全にそうでした。僕は「みんな(程度の差こそあれ)同じだよ」とあなたに心から同情して元気づけたいのであり、偉そうに上から目線で喝を入れる(叱る?)ようなことをするつもりは毛頭ありません(ハゲなだけに)。だからどうか今回の失恋を自分だけのことのように思い悩まないで下さいね。大事な人からの愛を失えば落ち込むのは自然なことであって、それで落ち込まない方が問題であり、僕は女々しいなどとは全く思いません。逆に別れても全然落ち込まず「これ幸い」と女遊びをしまくるような人ではどうしようもないですからね。あなたが今感じているその痛みこそあなたが元来愛情深い人間であることの証しなのです。

この質問箱を客観的に見ている読者様(特に女性)は「自業自得だ」とあなたを責めたくなっているかも知れませんが、僕は決してそのようにあなたを責めたりはしません。他人に相談できずに孤独に苦しむ人というのは、自業自得だと思っているからこそ他人に相談できないのであり、そういう人たちを救いに導けなければ世界(全霊魂)は救いに導けません。

あなたが浮気して彼女を傷つけ、別れられて自分自身を傷つけてしまったのも、あなたの魂成長にとって必要な経験だったのであり、僕らはそのようにして「愛とは何か?」を人生経験によってより深く学んでいるのです。ネガティブな経験と感情も、幸せを感じるためには必要なことですから、逃げたり胡麻化したりせず、正面から感じ切って下さい。それも大事な人生の味なのです。別れがそんなにも痛いと感じるほど誰かと愛し合えたことはとても貴重な財産だと思います。 

きっと心の痛みは時間が解決してくれることでしょう。しかし時間が問題(課題)そのものを勝手に解決してくれるわけではありません。人生の全ての問題は全て創造主から与えられた成長課題なのですから、きちんと正面から向き合って乗り越えない限り同じ失敗を繰り返すばかりでいつまでも幸せにはなれないのです。

課題というのは何が問われているのかを正確に把握できなければ解決しようがありませんから、大変僭越ながらあなたが正確に課題を把握して解決できるようにお手伝いさせていただきたいと思います。それが幸せ(成長・悟り)に導くということですから。 

我々は愛を知るために生まれて来ているのですから、人生の問題は全て「愛の不足」が原因であり、逆に言えば全ての問題の解決策は「愛」なのです。

 

誤解している人が非常に多いのですが、何があっても(失恋しても)痛みや悲しみや怒りなどの感情を感じず(心の針が振れず)平然としていられるようになることが悟りではありません。「無執着」というのが傍から見ればそのように見えてしまうのでしょうけどもね。

 

僕らは経験を通じて実感を伴って悟る(成長する)ために生まれてきたのであり、それこそが人間の存在意義なのです。創造主というのは全知全能であり、真理など全部最初から知っているのであって、そのままでは経験ができないからこそ、創造主はわざと人間を無明(愚か)に創り、その人間に自らの意識を分離して宿し、創造主としての記憶を無明の闇に隠し、人間を通して成長経験を積んでいるのです。だから人間は経験・実感もなく頭だけで悟れるようには創られていないのです。

恋愛・人間関係の問題も全て自他への愛情不足(成長不足)が原因なのであり、それによって起きるネガティブな出来事と感情は、経験と実感を通じて成長課題を覚らせてくれているのです。それなのに精神薬や酒・ドラッグや瞑想などで負の感情を誤魔化して逃げたり我慢して無理に抑え込もうとしたりすることは実感・成長の拒否なのであり、悟りのベクトルとは逆行しているのであって、不幸に導かれるのが必然なのです。そのように負の感情だけを無理やり抑え込もうとすると、感情が鈍くなって「経験を通じて実感を伴って悟る(成長する)」ということが困難になってしまい、人生が無感動で空虚で不幸なものになってしまいます。だからどうかネガティブな経験・感情から逃げようとせずに、しっかり感じきって成長を目指して下さいね。それ以外に幸せになる方法はないのですから。 

決して自分を責めて自尊心を下げないで下げないで下さいね。あなたを浮気願望があるように創ったのも、あなたを気に入る浮気相手を創ったのも、浮気する機会を創ったのも、それによって傷ついて別れを決意してしまうように彼女を創ったのも、全て創造主なのです。そして人生はRPGであり、答えはいつでも「誰も何も悪くないけど、自分が何とかするしかない」です。すべては自分の成長課題なのですから。

男女というのは成長課題としてデフォルトですれ違うように創られているのです。もし男女がデフォルトで何の問題も生じず何の努力もなく死ぬまで愛し合えるように創られていたら、成長要素がなくなってしまうでしょう。だから男女が良好な関係性を維持するにはお互いのたゆまぬ成長努力が不可欠なように創られているのです。そのあたりがわかっていない人は、結婚をゴール(安泰)のように考えて成長努力を怠り、恋愛初期のラブラブ状態をデフォルト(基準)として考え、どちらかの(あるいはお互いの)恋愛感情が冷めたら関係性がすぐに破綻してしまうのでしょう。まるで自分の愛情に見返りを求めるように、義務のように愛情を強要して逆効果になるのですね。愛は無償で自由でなければならないものであり、相手の愛情を見返りのように求めて自分の愛情を押し売りして相手を束縛すれば(それは愛ではなくエゴ)、逆効果になるのが必然なのです。

離婚についてに書いた通り、全ては自分に与えられた成長課題なのに、問題を全部相手のせいにするのは成長拒否・主人公意識の拒否であり、魂成長のためにあるRPGにおいて不幸に導かれるのは必然なのです。実際、離婚する人はほぼ確実に相手側を変えようとしてうまくいかず、離婚原因が相手側にあると考えて被害者意識に陥っているものです。成長拒否は運命への呪いに書いた通り、怠惰・臆病・被害者意識・自己正当化・依存(逃避)で、分けて書くのが難しいほど全部繋がっているのです。

 

今回は男性からの相談なので男性主人公目線で書いていますが、女性の読者様は「やっぱり男が悪い」 などと考えないで下さいね。人生は自分が主人公のRPGなのですから、相手(設定)側を変えようとしても決してうまくいきませんし、相手(設定)側に文句を言ってもゲームは進みません。今回は男性の本能を良く知り、自分がどう成長していくべきかを考えるきっかけにしていただければ幸いです。女性向けには女性から相談があったら回答しますね。

男性がパートナーにすぐ飽きて次々に女性を求めてしまう播種本能も、成長課題として創造主が男性に与えたものであり、基本的にあなただけでなくみんなが持っているものです。だから浮気願望があること自体によって自分を責める必要はありませんが、だからといってもし開き直って欲望(エゴ)のままに次々に女性に手を出して良いわけではありません。それは課題の無視であり、成長とは真逆のベクトルで、不幸に導かれるのが必然なのですから。

次々に女性を求める人というのは、性欲・播種本能が異常に強くて常に性的に飢えているというよりも自尊心に飢えているのであり、次々に女性を踏み台にし続けないと自尊心を保てず、梯子を上るように次々と女性を求める病的状態なのです。そして自分が抱いた女性はすぐ用済みになって飽きてぞんざいに扱うようになり、また相手からの愛情を計り優位を感じるためにどんどん露悪的になったりもして、浮気して捨てたり捨てられたりするわけです。しかしそんなことを続けていてもキリがないのは予めわかりきっていることであり、永遠に満たされることなく、そのうち加齢などでそういうこともできなくなって、自尊心が壊滅的になり、悲惨な老後が待っているだけです。 「エゴとは何か?」に書いた通り、人はエゴで行動すればするほど深い部分で自分を嫌いになるのであり、浮気をすればするほど逆に自尊心は深い部分で下がり続けてしまうのです。その自尊心を無意識に埋めようとして浮気するのでは本当にキリがありません。

自尊心というのは自他への無条件の愛によってしか満たされないものであり、本当の愛というのは対等に向き合うことでしか感じられないものなのです。女性を次々と性欲のはけ口と自尊心の踏み台にしている男性というのは性欲と自尊心の「餓鬼」なのであり、モテているつもりで永遠に満たされることがないのです。そして男性というのはなまじモテるとエゴのままに次々女性を求めても得られてしまい、男女が真剣に向き合えば当然生じるはずの成長課題から逃避し続け、相手を運命の人と信じて愛を育てる努力を怠りがちなので、不幸に導かれやすいんですね。だいたいこうなる人というのは、思春期に女性から相手にされないことで自尊心を傷つけられてきたために、大人になってもその心の隙間を埋めようとして彷徨い続けている場合が多いですね。それはより多くの女性から性的に求められることを通じてしか自尊心を感じられない病気であり、本物の愛を育てられるわけもなく、将来的な破綻は目に見えています。

我々はあくまでも魂成長のために生まれて来ているのであり、それが我々の存在に存在意義を生んでいるのです。それがわかれば、成長努力を怠ることによって不幸に導かれるように人生が創られているのは至極当然だとわかるでしょう。そして僕ら人間は、成長を経験できるように、わざと無明(愚かさ・迷い・エゴ・霊的穢れ・カルマなど)を与えられているのです。だから僕らはただ失敗経験から学んで、一歩一歩でも成長を目指していけばいいだけのことです。 もし人生というRPGが失敗経験なく初見でクリアできるような容易なものなら何も面白くなく、存在意義がありません。

僕らに与えられている無明の最たるものが「何でもすぐに『当たり前』と考えて感謝もしなくなる本能」です。 それが成長課題として与えられているからこそ、感謝には価値が生じるのです。「有難い」の対義語は「当たり前」なんです。当たり前だと思ってしまう本能と戦って、意図的に「有難い」と思えるように、日々感謝に生きられるようになっていくことが魂の成長なのです。

創造主は我々が生まれてから一秒も休むことなく我々の心の中まで見ているのであり(我々を通して人生を経験しているのであり)、誤魔化しは一切効きません。エゴにまみれているために深い部分で自分(人生・世界)を嫌っている人間というのは、心から感謝の気持ちなどわきようがないのです。そんな人間の感謝というのは「相手から嫌われないように」「常識に反して社会から排除されないように」「もっと自己利益を得られるように」というエゴによって形だけやっているだけなのであり、そんな感謝では魂が成長するわけがなく、幸せになれるわけがないのです。創造主は我々を、心から感謝できるように成長し続けることによって幸せを感じ続けられるように創っているのですからね。

 

いつも言っている通り、与えられたものに感謝できない人間に、より良いものを与えたいと思う人間はいないでしょう。 そこは創造主も同じなのであり、彼は世界をそのような原理(因果応報)によって創って運営しているのです。エゴにまみれた人間は、どれだけ与えられても他人と比べて不平不満に感じて感謝しないのが自明であり、既に与えられているものまではぎ取られ続け、失い続けることでその価値に気づかされるような悲しい人生になるのが自明なのです。

あなたは彼女の存在を(与えられた初期設定のままに)「当たり前」だと思い、日々意識して「有難い」と思う努力を怠り、「釣った魚に餌はやらない」という感じで本気で大切には扱っていなかったのでしょう。そして飽きて浮気願望が抑え切れず、別な女性に手を出したくなり、実際に手を出して「失うことでその価値に気づかされる」を実体験から実感を通して学んでしまったのでしょう。僕もあなたと同じ失敗を経験しているので、あなたの心の痛みはよくわかるのですが、どうか逃げずに正面から受け止めて成長に繋げて下さいね。恋愛に限らず、日々「当たり前」のように感じてしまうことに対して一つ一つ意図的に感謝し、日常を「あたりまえ体操」ではなく「ありがたい体操」に変えて下さい。

彼女のことを自尊心の糧にするタイプの自尊心の低い男性は、女性と対等に向き合おうとせず、常に優位を示そうとします。女性は自尊心の高い男性を好む(&他人が欲しがるものを価値があると思って欲しがる本能がある)ためにそういう男性がモテたりもするのですが、その自尊心は仮初めのものであり、その自尊心の土台になっている彼女と別れると、自尊心が壊滅的になって急にモテなくなったりします。あなたがもしそうなったとしたら、それはあなたが成長できるように覚らせてくれているのであり、もしそれでもモテモテだったら成長機会が失われて不幸に導かれてしまいます。誰でも自信満々になれる方法自分と他人の愛し方を参考に、自他をありのままに愛し、本物の自尊心(愛)を育てて下さい。 

この人生という創られたRPGの世界に「偶然」は一切存在しません。自由意志の仕組みと存在意義に書いた通り、人間に「偶然」が存在しているように感じさせられないと自由意志の存在意義がなくなるので、創造主は全力でこの世界に「偶然」が存在すると我々に思わせるように「演出」しているだけです。だから「因果応報」という宇宙の大原則に時間差を設けて、わざと因果を見えにくくしているのです。

わかりますか?「確率」は創造主による「演出」であり、実際「確率」によって(偶然・自然に)世界も我々の人生も生じ得ないのです。全てがそういうありえない奇跡を土台にして創られているのであり、その上にある「確率」によって世界と我々の人生が偶然・自然に(無意味に)存在しているなどと考えてしまうのは人間に成長課題として与えられた「無明」なのです。くれぐれも「たまたま浮気してしまった」「たまたまバレてしまった」などと考えて成長を拒否して不幸に導かれないで下さいね。


さて、あなたに用意された選択肢は二つだけです。

①今後も自他の存在を当たり前のように考えて心から感謝せず(意識もせず・成長せず)、失い続けることでその有難みに気づかされるような不幸な人生を選択するのか。

②今回の痛い失敗経験を糧にし、「何に対しても当たり前だと感じてしまう本能(無明)」と戦って有難みを噛みしめ、日々心から自他の存在に感謝し(=愛し)、それを実践し続けることで成長し続ける「信心と感謝報恩」の幸せな人生を選択するのか。

・・・です。よくよく考えて、あなたに与えられた自由意志によって選択して下さいね。


それでは、あなたの幸せ(成長・覚り)を心から祈っています。 

2025年7月4日金曜日

宗教を学ぶ理由

【質問】20代前半男性 ペンネーム:そら

お久しぶりです。

真也さんにとって、宗教団体の人と関わったり、儀式に参加したりする理由って何ですか?

僕はオーストラリアに来てから色んな人と会ってそれぞれの出会いに理由があると信じていて、実際に学べたこともたくさんあります(新しい人との出会いや、その人の視点を知ることはシンプルに楽しいです)。オーストラリアに来てから出会う人で無宗教の人はほぼいなく、どの宗教かに関わらず僕はその人に目覚めてもらう役割にあると思っています。実際に宗教を盲信して、うまく愛を受け取れずに苦しんでいる人、自分を受け入れられずに自分も他人も傷つけてしまっている人など様々ですが、順風満帆な人とは深い縁にはなっていません。

僕は真也さんのノートの考え方で幸せになれたので、その考え方をあわよくばシェアしたい(相手に気づかせる形で)のですが、なかなかうまくいきません。相手には僕の信念はある程度定まっているんだけど、まだまだ色々な宗教から学べると思っているよって伝えています。

例えばキリスト教だと創造主(キリスト)を裁判官のように捉えていて、恐怖からくる愛だったり、敬虔なクリスチャンだと罪の意識が強過ぎて自分を愛せなかったりがあります。最近だとモルモン教(キリスト教から派生したもので死後はみんな天国に行けると説かれているけれど、そこには階層があってそこにいくには厳しいルールを守り、教会を拡大することに貢献しなければならない。結果構造自体はわかりやすいピラミッド型)を学んでいます。

そこでミッショナリーの人(若い世代で一定の期間積極的に宗教を広める役割を担う人)たちと何回か話すのですが、英語で色々考えて、相手がハッとするような質問をしたと思っても、いい質問ありがとう!これはこうこうかこういうことだよと、ロボットのようにモルモンの教えから抜粋してきて、説明してきます。この人たちとは日常での関わり合いがなく、僕が誘われた時に集まりに行ったり、形式的な話し合いの場に行くような感じで、少し特殊な関係性です。正直言って、それだけキリストを尊敬していて、キリストについて学んでいるのに、何故キリストのように生きないで、キリストと契約を結ぶ形になるのかよくわかりません。色々な宗教を学んでいく中で、様々な発見があってそれは楽しいのですが、たまに自分の考え方が伝わらな過ぎて、あれなんで学んでるんだっけ?とか、フリをしながら質問を続けることで自分で何してるかわからなくなります。真理を知った上で宗教を学ぶ理由はなんですか?また、メシアの三原則として相手に気づかせてあげるというのがあると思いますが、どこまで伝えていいのですか?

【回答】
ご質問ありがとうございます。オーストラリアでとても貴重な経験をされているようですね。あなたの御質問は僕もいつか話したいと思っていたことで、とてもありがたいことです。

ただ、「宗教を学ぶ意味」の話以前に、あなたにはもの凄く云いづらい厳しいことを言わなければならなりません。それで回答がずっと遅くなってしまっていました。ごめんなさいね。もちろん僕はいつも100%の愛で回答しているのですが、今回はどう言葉を取り繕おうにもあなたを傷つけて反感を買うのは不可避な内容なので。

まずあなたにはお伝えしたいことは、「もっと本質を見抜く目を持って欲しい」ということです。そのために、とても難しいことなのですが、「己に都合の良く現実を捻じ曲げて解釈してしまっている自分のエゴを見つめる」ということを心がける必要があると思います。

僕は宗教を悪用した詐欺・カルトを「学ぶべき宗教」とは考えていません(反面教師として以外に)。そこをゆめゆめ勘違いしないで下さい。詐欺・カルト集団で宗教は学べません。だいたいそういうところは他の宗教を同時に信仰するということを認めるわけがありませんので、そこ以外で学ぶということができなくなります。あなたが学んだ通り、自由意志を放棄したAI(NPC)みたいにされて利用されるだけです。

はっきり言いますが、モルモン教というのはモロにカルト詐欺集団なのであり、それをキリスト教の一派などと考えるのはキリスト教に対する侮辱でしかありません。そしてキリストについても聖書についてもモルモン教で正しく学ぶことなどできるわけがありません。論外です。

<絶対に避けるべき宗教(カルト・詐欺)の特徴>
■考え方や行動を強制・強要される(寄付・奉仕・勧誘活動)
■信者を脅したり不安にさせて精神的に支配しようとする
■霊感商法をやっている(心霊現象などをトリックで見せる)
■囲い込みが強く、他の宗教を同時に信じる事を禁止される
■外部に悪い実情(犯罪など)がバレないよう口止めをしている
■集めたお金の大部分が何に使われているか一般信者に知らされていない
■聖典を勝手に都合よく捻じ曲げて解釈し、大手宗教の権威を悪用する
■天啓などと言って教祖や幹部が教義を都合よく変えている
もちろんモルモン教はこの基準でも真っ黒です。

何よりあなたがそのコミュニティーに入り込んで真理を説いて目を覚まさせようとするなどというのはあまりにも無謀だと思います。そして更に無謀に思われるのは、あなたがモルモン教徒の女性を彼女にして洗脳を解いて自分の考えに染めようなどと考えていることです。それはまるで渋谷の駅前でラッセンの絵とかを法外な値段で売るエウリアンのお姉さんのギャラリーに行って仕事を辞めさせて彼女にしようとするようなもので、あまりにも無謀過ぎます。

モルモン教徒は結婚するまで性行為はご法度であり、あなたがモルモン教徒の彼女とそういう関係になりたいとしたら、あなたがモルモン教徒になって彼女と結婚して一生モルモン教徒としてやっていく以外にありません。そしてたくさんの理不尽な規制を受けながら、一生搾取され続けることになるのです。あなたの未来の子供もです。それでいいのですか?あなたの魂は「他人からルールと考え方を強制されるロボット人間になること」を受け入れるのですか?恋は盲目と言いますが、あなたのソレは愛ではなく完全にエゴだと思います。一度自分をゆっくり見つめ直して、価値の優先順位をはっきりしましょうね。

ただでさえ僕がいつも「メシア救世三原則」と言っている通り、相手を変えようとしないのが大原則なのであって、まして相手がカルト組織の人間では変えられるわけがありません。それを変えられるなどと思うのは(厳しいですが)傲慢であり、それは「自分のエゴで都合よく現実を捻じ曲げて解釈している」ということなのです。

とにかくあなたは一刻も早くモルモン教から離れるべきです。普段僕はこんな押し付けるようなことは言いません。それでも言ってるんですから、相当なことなのだと認識して下さい。


>正直言って、それだけキリストを尊敬していて、キリストについて学んでいるのに、何故キリストのように生きないで、キリストと契約を結ぶ形になるのかよくわかりません。

「それを言っちゃあおしめぇよ」って感じです。それはエウリアンの女性に「ラッセンの絵がそんなに素晴らしいなら、なぜラッセンみたいな絵を描かないで、ラッセンと契約を結ぶ形になるのでしょうか?」って言っているようなもので、ナンセンスです。


英語がまだ上達しないうちに、積極的に会話に付き合ってくれる彼らの存在はあなたにとってとてもありがたいことなのはとてもよくわかります。でもあなたがそれに依存するのは得策ではありません。彼らは誰彼構わず勧誘していて、別にあなた個人に興味を持っているわけではありません。ただ単に一人でも多く勧誘しなきゃいけないから、まだ語学ができないあなたにも積極的に絡んでいるだけです。そういう人たちとばかり関わっていたら、コミュニケーションの感覚がおかしくなりますし、あなたに入信する気がないのなら関係性が続くわけもないのです。そんな人たちのために時間を浪費し、本物の人間関係を築く機会を目減りさせるのはひどく無駄なことだと思いませんか?


>たまに自分の考え方が伝わらな過ぎて、あれなんで学んでるんだっけ?とか、フリをしながら質問を続けることで自分で何してるかわからなくなります。

彼らにとってあなたは勧誘の獲物(カモ)なのであり、あなたを教化するつもりはあっても、あなたから何かを学ぼうとするつもりなどあるわけがありません。あなたが何かに気づかせよう・目覚めさせようなんてどんなに頭をひねったところで土台無理な話であり、相手側があなたを勧誘するのが無理だとわかったら捨てられるだけです。


>真理を知った上で宗教を学ぶ理由はなんですか?

そもそもにおいて信仰というのは純粋な愛によるべきものであって、理由を求めることは目的化・見返りを求めることにつながり、純粋な愛ではなくなってしまうと思います。一言でいえば理由は愛であり、あなたが純粋な気持ちで神仏を愛せないのであれば、他人に理由を聞いて無理に愛そうと思っても愛せるようにはならないと思います。

そして人を目覚めさせられる存在になるには、当然人より目覚めていなければなりません。あなたは何かあなたや僕がもう真理に到達しているかのような書き方をしているように見えてしまうのですが、僕らが生きている限り真の悟りというものは遥か先であり、だからこそ僕らは永遠に成長を目指すことができるのです。(悟りの完成とは、世界救済の完遂・地上天国の建設の完遂なのです)。

僕にしても「自分はまだまだだ」と心から思っているからこそ、謙虚な気持ちで様々な宗教を意欲的に学び、儀式などにも参加したりしているわけです。それが僕の「様々な宗教を学び続ける理由」の根源です。

創造主は我々が人間のままでは決して真の悟りには辿り着けないよう無限に悟りのステージを用意してくれているお陰で、我々は何度も輪廻転生を繰り返して人生を楽しませて貰えているのであり、それによって我々は真の悟りを求めて知識欲・経験欲を維持することができるのです。

あなたがもし「既に自分は真理を悟っている」と思っているのであれば、それは法華経における仮城宝処を本当のゴールだと勘違いしているということです。僕はまだまだ知りたいこと・経験したいことが尽きなくあります。まだまだ真の悟りからは遠いからこそ、まだまだ経験し学ぶ意欲を得る事ができるのです。もう既に究極の悟りに至ったと思ったらそれ以上の成長は楽しめません。

あなたは僕のnoteや質問箱をヒントに自分の経験を通じて悟りを進めて下さっていることと思いますが、僕がnoteや質問箱に書いている内容は、僕が既に悟らされていることの中でも1%にも満たないのです(エッセンスではありますが)。

そしてあなたは僕がそれぞれの宗教で教えを説いたり、洗脳されている人たちを目覚ませようとしたりしているなどと思っているのだとしたら、それは甚だ見当違いです。僕はひたすら学ばせていただいているだけです。そして僕はいわゆるカルト・宗教詐欺団体には近寄りません。僕が直接的に教えを説いているのはこの質問箱とnoteのみであり、日常において他人様に向かって直接的に「教えを説こう・目覚めさせよう」などということは全くしていないのです。

悟りというのは、知識として真理(正解)知るだけでは意味がなく、経験と実感を通じて(間違いと試行錯誤を繰り返して)悟ることに意味があるのです。創造主は全知全能ゆえにそのままでは何も経験できないので、無明である僕らを通じて経験をし、それによって想像=創造を豊かに広げているのです。

あなたはまだまだ若く、経験が足りず、真の悟りは程遠いのだ(みんなから学ばせていただこう)という謙虚な自覚を持たなくては成長しようがありません。そして「自分と考え方の違う他人を言葉で説得して自分と同じ考えに目覚めさせよう」などと考えるのは本来的に傲慢なことですし、もしやろうと思ってもきっとうまくはいかないでしょう。まず他人をどうこうしようとする前に、自分の覚りを前に進めることを考えて下さい。そして日々愛を実践するのみです。

人はみんな、経験したいことを経験するために生まれてきています。一人ひとりみんな自分がプレイヤー(主人公)なのです。人間は誰でも自分なりに失敗・過ちも犯して試行錯誤しながら納得しつつ前に進みたい生き物なのであり、頼んでもないのに横から答えなど教えられたくないのです。それを無理に教えようとするのは越権行為であり、相手がしたい経験(シナリオ)を妨害する行為なので、基本的にはやるべきでないのです。正解を教えることが正解ではないということです。創造主とその分身である相手を信じ、辛抱強く待ち、耐え忍ぶことも愛です。

僕らは情報(正解・真理)を集めるために生まれてきたのではありません。経験をするために生まれてきたのです。正解・真理に価値があるのではなく、それを求めて生きる我々の経験が正解・真理を価値ならしめるのです。

創造主は全知全能であり、全てを知っています。それゆえにそのままでは何も経験できず、何も想像できず、何も創造できないのです。だから創造主は我々人間として経験を積んでいるのであり、わざと愚かに生まれて想像性(=創造性)を発揮しているのです。知らない事を補う力が想像力なのであり、全知全能のままでは発揮しようがないのです。

そして「存在」というものは元々は真理しか存在せず、全ての答えが一つに限定された状態でした。それは究極に退屈で存在意義のない状態だったのです。創造主はそこで「愚かな者に智慧を求めさせ、想像性=創造性を発揮させるという原理」と「答えを一つに限定しないという原理」によって、つまり愚かな人間の想像を実現することによって、この世の想像=創造を豊かに広げ続けているのです。

どんな愚かな考えや行為(過ち・失敗)であっても、少なくともそれは創造主にとって創造の種になるのであり、正解(真理)よりも価値があるのです。もちろんそれは揺るがない真理というものが元々存在しているからこそですが。

創造主というのは意味そのものであって、その創造の全てには意味があり、意味のないものは存在し得ないのです。悪魔や、邪教・カルト・宗教&スピ詐欺などでさえも、ちゃんと存在意義があって、創造主より善悪を超えて創造されて存在しているのです。

そして全ての存在には個性があるのであり、それは欠点や過ちと不可分です。それは神仏や宗教であっても例外ではありません。完璧な宗教などがあれば、みんながそれを信じ、試練も何もなく、信心に意味も価値もなくなります。だから良い所を学び、悪い所は反面教師としなければなりません。

人間の存在意義というのは物語の中で生じるものであり、この世に善しか存在しなければ物語など生まれようがありません。だからこの世のあらゆる存在は陰陽二元的に創られているのです。

人間に存在意義を生じさせているものこそが宗教・神話(物語)であり、そこに登場する神仏たちキャラクターなのです。我々はそれらを謙虚に学び・讃え・奉仕し、彼らに救いを発動して貰ってそれらに存在意義を与えることで、我々も存在意義を得ることができるのです。そして自分とはどんな役割(キャラクター)なのか、人生(現在進行形の物語)の中で他者と関わる中で悟り、それを更新・具現化して行く中で、主人公として自らの存在意義を能動的に掴み取ることができるのです。それが僕が日々様々な宗教・神話を学び、神仏を讃え・奉仕し、儀式などにも参加する理由の核です。

ただそれだけが理由ではありませんので、一つに限定しようとしないで下さいね。こうやって信心の理由を考えてみても、やはり後付け感しかありません。僕はそういう理由ありきで信心を持っているわけではありませんからね。

もし一つの宗教を妄信し、または宗教・神話自体を嫌悪して学ばないなら、ただ無自覚に流されて生きるだけのNPCになってしまい、主人公にはなり得ません。日本人の多くは自分を無宗教だと考えていますが、それは常識教・唯物主義・資本主義教・悪魔教に無自覚なまま堕しているだけなのです。厳密な意味で無宗教を選択するということは不可能だということです。我々は人生というRPGの物語の中で生きているのですからね。人間にとって世界はわからないことだらけであり、何も信じないで生きるということはできないのです。自分の勝手な常識・思い込みを信じているということにも無自覚な人ばかりですが。

「自分は既に真理を悟っている」などと考え、宗教・神話について知る必要はないなどと考えることは、ナンセンス極まりないことなのです。世界・人生は物語(芸術)であり、どんな宗教・神話も、物語(芸術)としての尊さがあり、我々は尊重しながら学ぶべきなのです。それが己自身の存在・人生・世界に存在意義を与えるのですから。

それでは、あなたがカルト(邪教)・宗教&スピ詐欺から一刻も早く離れ、多くの宗教・神話を学び・讃え・奉仕し、他者との健全な関わり合いの中で日々愛を発揮し、人生を素敵な物語にして、己の存在意義を確たるものとし、存在として幸せになることを、自らも実践しつつ心から祈っています。


<関連質問>
なぜ創造主教を創らないのか?
創造主というのは存在のすべてであり、神仏(宗教・神話)も人間も森羅万象が創造主の偉大な創造物(物語・芸術)であり、創造主自身でもあるのです。神仏(宗教・神話)も人間も、自他全てに価値があるのであり、それを否定することは創造主を否定することになります。彼の創造した物語の中を思いっきり楽しませていただきましょう。

2025年3月20日木曜日

LSDの後遺症について

【質問】30代・男性 ペンネーム:ビタミンD
こんにちは。突然ですが真也さんに相談したいことがあります。

過去の人間関係(元彼女)のことが、ずっと頭から離れなくて苦しんでいます。

僕は過去に、強い不安やパニックに襲われることがありました。そういうとき、助けを求めても「なんでそうなるの?」「子供みたい」「もう嫌いになった」「帰って」と突き放されました。

でも、相手(元彼女)がパニックになったときは「ちゃんとケアしてほしい」「見捨てないでほしい」と求められました。僕が同じようにしんどくなったときは冷たくされるのに、相手がしんどいときは支えることを求められる――その理不尽さが受け入れられなくて、今でもずっと頭から離れません。

最後には「好きだった気持ちが壊れた」と言われて終わったのですが、僕の中では納得できなくて、何度もその出来事を繰り返し考えてしまいます。そのせいで「僕はクズだ」「何の価値もない」「消えたい」と思うことが増えました。でも、本当は「みんなに優しくしたい」と思っています。振り返ると、自分も防御しすぎて、相手とちゃんと向き合えなかった部分がありました。だから、これからは少しずつでも変わりたいと思っているのですが、どうすればこの苦しさを乗り越えて、人とちゃんと向き合えるようになれるのか分かりません。

現在、この相談について考え続けてしまい、仕事が手につかず、実家で引きこもっている状態です。外出や入浴もできず、毎日朝起きた瞬間から思考のループが始まり、寝るまで止まりません。睡眠中も夢の中でこのことを考えてしまい、心が休まる時間がまったくありません。

今の僕の気持ちを、誰かに聞いてほしくて送らせてもらいました。もし何か思うことがあれば、教えてもらえると嬉しいです。

※後から僕とのメッセージのやりとりで、質問者様は
・元々躁鬱病を患っていること(今は通院しておらず)
・LSDの使用歴があること(躁鬱と憂さを晴らすため・遊び)
・LSD使用のきっかけはシャーマンRという有名詐欺師であること
・元彼女にも勧めて、一緒にLSDを使っていたこと
などを正直に告白してくれました。


【回答】
ご質問ありがとうございます。お気持ち、心よりお察し申し上げます。

この件に限らず、僕は僕に救いを求めて相談してくれる質問者の方を責めることは決してありません。欠点も過ちもない人は存在しませんので「何か落ち度がある人は自業自得だから救わなくて良い」みたいに考えたら、誰のことも救えませんからね。僕に救う使命のある人だけが、僕の元に訪れるのだと信じています。だからどんな悩みでも気軽にご相談下さい。

さて、あなたのその症状は典型的なLSDの後遺症であり、ほぼ統合失調症状態になっているのだと思います。あなたの元々の性格は直接的には関係ありません。そしてそれは元彼女の理不尽さが直接的な原因でもありません。もしあなたの元々の性格がどうだったとしても、もしその元彼女と出会っていなかったとしても、あなたはきっと何かをぐるぐる考え続けて苦しんでいたことでしょう。もう二度とLSDには手を出さないで下さいね。他の幻覚剤にも。


LSDの後遺症である「思考のループ」というのは、まさに目が覚めているはずなのに悪夢の中に閉じ込められるようなものです。その辛さは僕も何度も経験しているのでよくわかります。それは程度の差こそあれ誰にでもあるような「反芻思考(嫌な過去を選択的に何度も思い出して追体験して自分を責めてクヨクヨしたり他人を恨んで怒りを増幅する)」とはレベルの違うものなのです。あれがずっと続いている状態というのはさぞかし辛いことでしょう。

あなたはまず冷静になって、それがLSDの後遺症(悪夢)なのだということを認識して下さい。「これは元々の自分の性格が原因だ」とか「元彼女の理不尽さが原因だ」などと考えないで下さい。

そしてそのように「今の自分の考えは正しい」と考えるのを止めて「今は病んでいてまともな思考能力は無くしている」ということを自分で認めることです。それは夢の中でそれが夢だと気づくぐらい・酔っぱらっている人が酔っぱらっていると自覚するぐらい難しいことです。そして例えそれを自覚してさえも、醒めるまでは普段の思考回路には戻らないのです。

人は誰でも「自己防衛のプライド」があって、どうしても自分で自分を正当化してしまうので、「今の自分の考えは(LSDのせいで)おかしくなっている」などとは認められないものなのですね。しかしLSD以外の原因を探し、その今の自分の考えを「まともである」と正当化しようとすればするほど思考ループの深みにハマってしまうので、まずそれをやめることが肝心なのです。今の思考パターンを続けることでその回路が脳で固定化されるのは非常に良くありません。

人の価値とは?に書いた通り、あなたの価値は存在そのものにあるのであって、あなたの考えが正しいかどうかにあるわけではないのだと知って下さい。そして過去について考えることは止めてください。とにかく思考よりも感覚・感情を大切にすることです。自然や動物に触れたり、散歩程度から運動を始めたり、音楽や工作などの集中力が要るような・気が紛れるような趣味に没頭してみて下さい。

僕も自分で試さないと気が済まない性分のため、1年程LSDを修行目的で使用していましたが、もう既に必要な経験は得られて「LSDとは何か?」ということもよくわかりましたし、あなたのようになっている人たちからもう何件も相談を受けていて、今は完全に反対派です。

かつてLSD使用者を救い・悟りに導く目的でアヤワスカとLSDの違い(※加筆修正中)」という記事を書いたのですが、思ったより反響が大きく、またそれによって使用を抑制するどころか余計に興味を引いてしまった部分があり、余計に「後遺症に苦しむ人たちを救わなければいけない」という因縁を自分で生じさせてしまった責任を強く感じています。だからこの記事が本当にLSD使用者の救い・悟りに繋がるように心から願っています。

あなたの過去の出来事はすべてあなたの悟りの過程として必要だから起きた必然なのであり、あなたなりのベストを尽くした結果なのですから、自分の過去について「何が悪かったのか?どうするべきだったのか?」などと自分一人で思い悩みながら、原因や解決策を探さないで下さい。特に病んでいる状態の時には、決していい考えにはつながりませんから。問題というのは別に解決などしなくても、自分も他人も許す事で乗り越えることができるのです。

だから決して自分を責めてはいけません。同じように元彼女のこと誰も責めてはいけません。まして自分の運命や創造主を責めて恨んでもいけません。誰を責めてもただ自分自身が苦しくなるだけです。あなたが自分や誰を否定しようと、それはそれを創った創造主の否定になるのであり、全部自分自身に返ってくるだけなのです。

あなたの人生RPGに起きることは全て必然であり、クリエイターがあなたの魂の成長のために必要だから与えている経験なのですから、誰のことも責めず、決してネガティブに解釈しないで下さいね。「問題の原因(犯人)探しをして誰かを責めることで思考と感情の整理をつけようとするのを止める(自分の経験を物語として愛する)」ということです。これはLSDとは関係なく、真理です。

そして以下の文章を読むのは、もう少し落ち着いて「思考ループ」が止んでからにして下さい。必ずです。







さて、前述したように、あなたは自分も誰も責めてはいけないのですが、しかしそれと同時に、あなたの人生の主人公はあなたなのですから、結局はあなたが変わらなければ何も変わらないということをあなたは知らなければいけません。「すべての因縁は今の自分を(超時空的に)起点としている」のです。そうでなければ自由意志を与えられた意味がありません。悪い因縁を断ち切ることができるのは主人公たるあなただけなのです。

人生というのは魂の成長プログラムなのであり、あなたが自分の因縁(カルマ・成長課題)を悪化させている理由は、究極的に言うと「自他に対する愛(慈愛・思いやり)の欠如」であり、「存在に対する(創造主への)感謝の欠如」です。

逆に言えば自他の存在に対して慈愛と感謝の心を持ち、生き方を通じてそれを示せるようになれば、あなたの悪夢は終わります。それが魂の成長(人生の目的)なのですから。

僕らはこの仮想現実世界において「自分は孤独ではない」という夢のように素晴らしい経験をさせて貰っているのです。「自分」が存在し、それと同等の「他者」が存在し、愛を経験させて貰っています。そしてまるで「孤独ではない」というのがデフォルトのように錯覚させられて貰っています。基本的にはみんな両親の愛によって生まれ、血縁という強い絆が存在し、周囲に愛されて育つのですからね。もし誰からも愛されていなければ、子供というのは育たないのです。あなたが育っているということ自体が、みんなに愛されてきたという証なのです。

ただそれは「愛」というものを僕らに経験させるため・実感を通じてその価値を知るために「創られた幻想」でもあるのです。本当は僕らは唯一の存在である創造主自身なのであり、絶対的に孤独な存在なのです。つまり本当は「孤独である」方がデフォルトなのです。

我々は創造主意識の分離意識なのであり、本当は絶対的に孤独な存在であることを敢えて忘れさせられ、人生の中で愛を経験させて貰いつつ、それとは相対にある孤独感を創造主と共有し、また「孤独ではない」という経験をさせて貰っていることへのありがたみを理解し、その感謝を通じて、創造主と繋がっているのです。

僕らは「孤独ではない」ということの方を「デフォルト(当たり前)である」と錯覚させられていて、自分がみんなに生かされているということを「当然である」と考えて意識さえできないものなのですが、その傲慢さを乗り越え、感謝できるようになることが魂の成長なのです。

人がLSDによって強い不安・パニックに陥る根源的な理由は「他人というのは全員が自分の鏡のような存在であり、本当は自分が唯一の存在である」という事実に、人間としての心が耐え切れなくなってショートするからなのです。

あなたは「自分と他者が存在することの本当の意義・価値」が全然わかっていないから、創造主がそれを悟らせるために、そのような経験を与えたのでしょう。全ての出会いは自分自身の反映なのであり、自分自身を覚らせるため、そして愛を経験させるために、創造主が派遣している存在なのだと知って、まずはそこに心から感謝することが大事です。

僕ら意識にとって人生を与えられるということは非常に稀なことなのであり、人生を与えられていない意識(霊)たちは常に人生(肉体)を欲しがり、人を被害者意識から自己嫌悪・厭世観に陥れて「そんなに要らないなら貰ってやる」と常に乗っ取りを狙っているのです。だから自他が存在することに感謝のない人間が「自我を手放させる幻覚剤」を使うことはその乗っ取り行為を助長することになり、非常に危険なのです。それは憑依現象(霊障)についてに書いた通りです。

孤独に苦しむ人はみんな「誰も自分を理解してくれない」などと言いますが、当たり前です。何かを言葉で説明をしたぐらいで、自分という存在とその経験・感情とそこから築いた自分の考え方について本当に他人から理解されるぐらいなら、「自分」という「経験主体者」に存在意義はありません。それを本当の意味で理解できるのはあなたと一緒に人生を経験している創造主だけだからこそ、創造主には存在意義があるのです。

孤独との向き合い方に書いた通り、人は孤独感に苛まれていると、まるで「こんなに孤独を感じているのはこの星で自分だけなんじゃないか」みたいな感じに思ってしまうものですが、孤独感というのは人間に平等に与えられているものなのです。もし人間に孤独感が与えられずに、独りぼっちでも幸せになれるように創られていたならば、無理して人付き合いをする必要はなくなり、人間関係から逃げてしまう人ばかりになって、愛も成長も経験できないでしょう。「孤独感」こそが人生という愛と成長の物語を成り立たせているマテリアルなのであり、僕らをつないでいる接着剤なのです。

実際、僕が質問箱・電話相談をやっていても孤独に関する質問・相談はとても多いです。そしてみんな一様にそれをまるで自分だけのことのように思い込んでいます。しかしそれこそが孤独に陥っている根本的な原因なのではないかと思うんですね。

実に多くの人が「誰も私のことを理解してくれない」などと考えて、人付き合いをしていても心を開けずに精神的に引きこもっていて、他人の気持ちを全然理解しようとしないために傷つきやすいくせに平気で他人を傷つけ、他人からも自分の気持ちを理解されず、理解したいとも思われないのでしょう。他人の孤独を心から思いやれるような思いやりに満ちた人から、孤独に関する相談を受けた例がありません。

そういう人たちはきっと他人の孤独など全く眼中になく、孤独そうな人を見ても「この人は嫌な人で自業自得だから仕方がない」とか「この人はきっと孤独に強い人で、自ら孤独を求めているのだろう」などと考えて、自分がその孤独を救おうなどという考えは完全に思考の枠外なのでしょうね。まるで自分だけが救われようとして自ら地獄に落ちる「蜘蛛の糸」のカンダタの如くに。なぜ自分の孤独とばかり向き合って、周囲の人たちの孤独とは向き合おうとしないのでしょうか?

そのように自分の孤独に埋没している人というのは、エゴの卵の殻に閉じこもってそこから出られず、その卵の殻が割れないように自己防衛に必死で、些細なことも悪く受け取っていちいち傷つき、人目ばかり気にして疲れ果て、自尊心を保つ為に誰かを見下したり責めたりして嫌われ、内心自分を責めて罪悪感と劣等感に苛まれ、どんどん独りぼっちになって心を病んでしまうのですね。鬱というのは自分のエゴに埋没することを原因としており、同時にそれを症状(結果)ともしている悪循環構造なのです。かつての僕もまさにそのようでした。

わかりますか?「他人から理解されたい」というのもエゴなのです。「エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、エゴはそれ自体が悪いものではないのですから、なくすべきではなく、なくそうと思ってなくせるものでもないのです。エゴを乗り越え続けるその過程にこそ成長があり、愛は生まれるものだからです。

自分が他人から理解されないことを嘆くより、ただただ他人を理解することに努めて下さい。それが愛なのです。そうすることであなたはより自分自身を深く理解し、自分も他人も愛することができるようになるのです。そういう人間こそが他人から理解され、愛されるのです。

愛は無償でなければ意味がありません。創造主は僕らに何も強制・強要せず、完全に自由にして(自主性に任せ)、ただありのままを愛しくれています。何の見返りも求めず、ただ与え続けてくれています。僕らも創造主の子供として、その「愛し方」を「自発的に」見習っていかなければなりません。

「私があなたを理解するので、そのかわりに私を理解して下さい」というのは「私が愛する代わりにあなたも私を愛して下さい」というのと同じであり、相手からの愛を交換条件のようにして強要していることになり、心は何かを強制・強要されると反発するようにできているのですから、反発は必至なのです。

「こいつは俺が辛い時に助けてくれようとしなかったクセに、自分が辛い時ばっかり助けを求めやがって。絶対に助けてなんかやるもんか」などと考えるのはあまりにも愛が欠如していると思います。それで相手からの愛を失って別れに至るのは理不尽ではなく至極当然のことかと思います。どうかあなたが辛い思いをした分だけ、あなたに助けを求めて当たるしかなかった元彼女の辛さをわかってあげて許してあげて下さいね。元彼女があなたを支えられなかったのは、その時は経験がなくてわからなかったのですから仕方がないですし、あなたもその時既に正常な状態ではなかったのですから、そのような愛に欠けた考え方をしてしまったのは致し方のないことなのです。

あなたの症状は本当に典型的であり(同じような状態で苦しんでいる人がたくさんいます)明らかにLSDのせいでおかしくなっているのです。「今の自分はおかしくなっている」と自分で認めることがどれだけ勇気の要ることなのかはよくわかります。きっとあなたは優しい人だからこそ、自分の思考ループや不安やパニックの直接的な原因がLSDだと認めると、元彼女のことを引きずり込んでしまったことへの罪悪感に耐え切れなくなるために、自分の元々の性格がダメだからこうなっているのだと考えたり、罪悪感を元彼女の理不尽さへの怒りに転嫁してたりしているのでしょう。

しかしLSDというのは厳しいもので、その「自己正当化」を許さず、思考ループに陥れて深みにハマらせるのです。だからその「自己正当化」を止めない限り(自他共に許さない限り)その悪夢から出ることができず、良くなりようがないのです。

全ての創造は、創造主が内なる己を知る(内観する)ため・愛を経験するために創造したものであり、「自己正当化」というのは深い内観・許し(愛)に反する意識であって、それに対してLSDはとても厳しいのです。だから深く内観し、自他を許す以外にないのです。

鬱状態の時にあなたがLSDという気分を変えれるものと出会い、そのデメリットを良く知らずに良いものだと思って彼女にも勧めてしまったことは、カルマであり仕方のないことだと僕は思います。全ては運命であり、実際あなたも誰も何も悪くありません。もし僕があなたと同じように鬱まっ盛りだった頃にLSDに出会っていたら、きっと同じ事をしていると思います。欠点も過ちもない人はいませんし、罪を犯さない人間もいません。だからまず自分を許し、元彼女のことも許すことです。許すことが愛です。

あなたは自分を責めて落ち込んでいる場合ではありません。ただ自分が主人公としてその経験から学んで、他人の苦しみに心から同情して許し愛せるように成長し、その悪い因果のループを(愛を悟り・実践することにより)断ち切らなくてはならないのです。強くなって下さいね。

もう他人が自分に何かしてくれる(理解してくれる・辛い時に支えてくれる)などという期待は一切しないことです(もし相手が気持ちを一部でも理解してくれたり、自分に対して何か自発的に良いことをしてくれたら、心から感謝することです)。

そしてただひたすら「自他が存在すること」「人生という経験機会・世界という経験舞台が与えられていること」への感謝を、「出会うすべてをありのままに愛すること(相手が欲するものを与え続けること)」で示し続けることです。それは自分が理解されなくても相手を理解しようと努めることであり、どんな話にも共感・同情を素直に示せるようになることです。

そして何より、信心を持って下さいね。何の宗教でも良いので。何の神様であれ、それは創造主の分身であり、あなたが神仏とその教えに対して尊敬と感謝を示すなら、その存在を通じてあなたをきっと救いに導いてくれますから。

あなたに今まで信心がなかったとしても、それはあなたが悪いからではありませんから、それを神仏や誰かから咎められて救われないなどということはありません。むしろカルマに負けずに改心して信心を持ってくれたことをきっと喜んで迎えてくれて、救いに導いてくれることだと思います。それは聖書の「放蕩息子の譬え」や法華経の「長者窮子の譬え」が証明してくれています。どうか改心して「自発的に」信心を起こして下さい。誰かに強制されたりして信心を起こしても意味がないのです。

混乱が収まるまで「南無妙法蓮華経」を唱えてみて下さい。そして混乱が収まったら般若心経の究極解説をぜひ読んでみて、日々般若心経を唱えてみて下さい。きっとあなたを悪いカルマに引きずり込んでいる霊障が祓われますから。

それでは、あなたがそのようにしてLSDの後遺症である「思考ループ」の地獄から抜け出し、愛(慈愛・尊敬・感謝)に満ちた自分に目覚め、幸せ・悟りに導かれることを、心よりお祈り致しております。

※祈りが伝わりますように、ぜひ僕の読経動画も見てみて下さいね。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...