2022年6月20日月曜日

彼に隠れて新しい恋をしてしまいました

【質問】
満四年付き合ってるパートナーがいて、お互い体質に難があることから唯一無二の存在で切り離せない繋がりがありましたが、悲しくも隠れて新しい恋をしてしまいました。苦しいです。責任などないのですがやはりどうしても感じてしまう部分は大きく、それらを放棄して移行して良いものか悩んでいます。お話お聞かせ下さい。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

自分と他人を責めるのを同時に止めることを実践しつつ人様に提唱している僕の答えはいつでも「誰も何も悪くない」です。

あなた自身もパートナーも世間もきっとあなたを責めるかも知れませんが、全ては止むにやまれぬ事情があって起きるべくして起きた事です。誰も悪くありません。お互いの魂の成長のために必要な経験だったのだと思います。常に過去は必然であって、ゲームの設定のようなものです。そこを起点に現在どのようにして未来をよりよく変えて行くかを考えなくてはいけません。

お二人の関係はお二人にしかわからないことですが、きっとかつては傷を癒し合い励まし合う関係が必要だったのでしょうけども、長く続いてしまうと慰め合いみたいで成長を妨げる関係になってしまい、お互い卒業しなければならない時期に来ていたのでしょう。

全くの部外者である僕に許されても救いにはならないでしょうけども、もしあなたが苦しんでいるのなら、僕は既に許しています。人の自意識というのは幻であり、常に霊的意思に翻弄され、その実全ては創造主がさせていることなのです。

松下幸之助は「雨が降ったら傘を差す」と表現しました。起きた事で自分や誰かを責めて悩んだりするより、そっと素直に対策を講じれば良いのです。

あなたには心から幸せになって欲しいですが、一切誰も犠牲にならない幸せというのはあり得ません。ただ感謝の気持ちを忘れないことと、出来るだけ犠牲を減らして出来るだけみんなが幸せになれるように考えてベストを尽くすことが大事です。

ただもし自分の気持ちも相手の気持ちも誤魔化して長引かせてから態度を翻すことで相手が自暴自棄にでもなったら悲惨な結末になるかも知れませんので、勇気を出して、無駄に傷口を広げないようにして下さいね。だから決断はもちろんあなた次第なのですが、新しい恋が実ったのなら、しかるべき時にきちんとパートナーに伝えて欲しいと願います。

共働きの夫の愚痴不満

 【質問】
こんにちは。夫と清掃業を生業にして3年目です。夫は26年目です。

一日中夫と一緒にいて、あまりにも愚痴不満、当たり前にある幸せへ目を向けない姿にこちらが苦しくなる時があります。対処法はありますか?

【回答】
こんにちは。ご質問ありがとうございます。

僕は母親がそのような人だったのでお気持ちは良くわかります。鬱で精神的に限界で帰省しているというのに、その度に愚痴と説教ばかり聞かされて余計に鬱が悪化して帰ったことを後悔していました。愚かにも自分の不幸の原因を親に求めていたのですね。

ただ配偶者は自分で選べるわけで、なぜあなたはそのような人と結婚したのでしょうか?それを帳消しにするような魅力があるのか、それともたった数年で別人のようになってしまったのか、いただいたご質問からは分かりません。

まぁ全てはカルマ(シナリオ・課題)であり、この世界に偶然は存在せず全て運命ですから、それを言っても仕方がないのですけどね。RPGの設定に文句を言ってもゲームは進みません。

この人生というRPGは自分を主人公とし、全ては自分次第に作られています。そして人間関係はすべからく鏡であり、夫婦は常に一番近くにして最大の鏡です。

「あの人は愚痴ばかり言う」という愚痴。「あの人は悪口ばかり言う」という悪口。・・・人は往々にして自分を除外して考えて被害者意識に陥るのが常ですが、相手を見て自分の課題解決に向けた気づきとしなくてはなりません。かつての僕も含めて大多数の人はそれが全く出来ていませんから、最初から出来なくても自分を責めて落ち込まないで下さいね。気づきさえすれば自然と出来るようになる事ですし、自分と他人を責めることを同時にやめることが真の幸せの必須条件ですので。

あなたは不幸の原因を旦那さんに求めて責めて(説得して考えを改めさせようと)対策を考えていらっしゃるようですが、そういう基本姿勢でいる限りはきっと上手くはいかないでしょう。旦那さんの人生観を否定しプライドを傷つけて益々意固地にさせて逆効果になる絵しか浮かびません。あなたが出会った人はみんな主人公であるあなたのカルマ(課題・物語の伏線)を映し出す鏡であり、全てはあなた次第なのです。

アドラーの言う「課題の分離」など信じないで下さい。相手の課題(カルマ)を自分の課題(カルマ)のヒントとして自分が成長していかなければならないのです。厳しい話ですが、創造主曰く人生とはそのように作られているそうですよ。

もしあなたが本当に与えられているものの価値に気づいて些細な事にも感謝して幸せに生きている人なのなら、旦那さんはそれだけで「自分は最愛の人を幸せにしている」と生き甲斐を感じて幸せなはずです。そうでないなら結婚などしないでしょう。

清掃、特にトイレ掃除などは、誰でもできる仕事でありながら、一般的にみんなが嫌がり人に押し付けたくなる仕事です。でもそれを決して罰ゲームのように考えてお金のために嫌々やっているようではいけません。清掃・介護こそが神事であり、最も神の意思に適った仕事なのです。

全知全能である創造主は、本来唯一の存在であり、全部完璧に自分でできるので、他の存在を必要としません。つまりそこに愛は存在しません。創造主は敢えて個性(欠点や過ち・罪と恥)のある人間というアバターをたくさん作ってその中に入り込み、敢えてお互い助けが必要なようにして許し合い補い合わせて愛を生み出しているのです。だから人に尽くすということは神に尽くすことなのです。愛で人に尽くさずエゴによって対価を貰うためにしか人に尽くさないというのは本来醜いことなのです。

あなたのRPG世界はあなたが主人公です。主人公は世間的に有名で評価されている人間ではありません。この世界にログインしている人間は例外なく自分の世界の主人公なのです。出会った人を次々に幸せにしてその連鎖で世界を救う=幸せにするのが主人公です。

どうか清掃業という仕事に誇りを持って下さい。私の仕事も広義では清掃のみです。常に環境だけでなく心身も含めて清掃しているのです。人の生む汚れ(欠点と過ち・罪と恥)が清掃に明け暮れる僕の存在意義を生み、愛を生んでくれているのです。汚れはありがたいものなのです。

多くの人は物質的にしかものを見れませんから、スピリチュアルな穢れ(悪い思念)の悪影響がいかに大きいかが全く分からず、穢れを祓うことを全く意識していません。そして魂に汚れを溜め、心が一度も掃除をしたことのないトイレのようになって不幸に陥っているのです。

物理的に綺麗にしても、その分だけかえって心に汚れを溜めているようでは不幸になるのは当然なのです。カルマ=穢れなのです。だから清掃で物理的に綺麗にすることを通じて、心も綺麗にしてカルマを浄化していかなければならないのです。他人の穢れを清めることで自分を清めさせてもらえる清掃という仕事はありがたいものであり、それを嫌々やって他人の穢れまで貰ってはいけません。

本当に清掃業という仕事に誇りを持って心から愛しているのなら、あなたは心身ともに清潔を保ち、身体や衣服や掃除道具や自分の家が汚れているということはあり得ないでしょう。清掃業に疲れて心も体も道具も環境も汚いままになっていませんか?それが世界を生み出すあなたの魂の光を汚して不幸に導いているのです。

清掃で対価を得ることを目的としてお金を愛するのではなく、お金に関係なくただ純粋に汚れたものがどんどん綺麗になって喜んで貰える事が嬉しいという過程を愛して下さい。そうでなければ清掃業は単に嫌な事を我慢して駄賃を貰うだけの辛くてつまらないものになり、人生そのものが罰ゲームのようになってしまうでしょう。あなたが清掃業という仕事に誇りを持って心身と環境を綺麗にして心から幸せになるのなら、旦那さんはきっと幸せになって愚痴などこぼさなくなるはずです。

そして心から信じられる宗教を見つけ、信心を持って下さい。またできれば世界救世教など手かざし浄霊をしてくれる宗教に通って浄霊を身に着け、お互いを清めあって下さい。特に清掃業をする人は穢れを貰いやすいので必要です。(医療・介護などの人もご注意下さい)。お経・マントラなどを唱えて神々の御名と偉業を讃えてその守護を受けることも大事です。

今回大分手厳しく説教臭い回答になってしまいましたが、あなたに本当に幸せになって欲しいという僕の愛が伝わっていると幸いです。

先祖供養について

【質問】
いつもツイートやノートで勉強させていただいています。貴重な教えに感謝申し上げます。

先祖供養について質問させて下さい。以前、霊能者に先祖のカルマを背負っていると言われ、お祓いを勧められました。霊感商法だと思い、そのお祓いは受けなかったのですが、「先祖のカルマ」というのが本当にあるのか、もしそうなら先祖供養のために何が出来るのか教えていただきたいです。よろしくお願い致します。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

はい、全く心配しないで大丈夫です。その人に祓ってもらわなくて正解です。

何事も基本的に相手を不安にさせることでお金を取ろうとすることはマッチポンプであり、そんな手段を使う人はRPGにおける悪役であり悪魔の使いみたいなものだと思って下さい。今の世の中そんな人ばかりですけどね。資本主義は限界に達し、何とかして必要もないものを売りつけないとお金を稼げないのですから。(資本主義は早く終わらせなければいけません)そもそも先祖のカルマを背負ってない人なんていませんしね。

本物の霊能力っていうのは人を救うため(安心させるため・幸せに導くため)にあるのであって、仮にその人に本当に霊能力があったとしても、それを金という自己利益の為に使うのはその能力者自身のカルマを深めます。だから自称霊能者ってだいたい人を脅かす悪霊そのものみたいなドヨンとしたオーラを纏っているでしょう?幸せに導くための本物の霊能力を持っているのならばその人は幸せオーラ全開なはずで、不幸オーラ全開の人はあなたを不幸に導こうとしているのです。

キリストやその使者たちが人を救うのにその対価を見返りとして求めたでしょうか?それを考えればわかることです。「お金を貰えれば救うけど、お金をくれないなら救わない」という人間が本物の霊能者である訳がありません。もし本当に霊能力を与えられていたとしたら、それでお金を稼ぐことは壮大にカルマを積み上げることになり、破滅へのフラグを一生懸命立てているようなものです。

相手を脅し悪い暗示をかけて不幸に導くのは同じ霊能力であっても「呪い」なのです。あなたがそういうものと出会うのは人生というRPGにおいて愛と勇気を試されているからなのですから、決して負けないで下さいね。

「幸せですか?という愚問」に書きましたが、僕が鬱だった頃、やたらと宗教詐欺集団の人たちから「あなたは幸せですか?」と声をかけられましたが、鬱が治ったら全く声をかけられなくなりました。そういうRPGの悪役(悪魔の使い)たちは、エゴにまみれて不幸な人間を嗅ぎつけて喰らいついてくるのです。

不安や恐れはすべてエゴ由来です。実際あなたはエゴゆえに不安や恐れがあるから、その自称霊能者の脅しがずっと気になっているのでしょう。不安で何かを恐れながら幸せというのはありえないのです。できるだけエゴを放棄して出会ったみんなを幸せにして幸せになって下さい。そうすればより創造主から愛されて様々な存在を通じて守られ、魂の永遠性を確信し、何も恐れないで良くなります。

森羅万象は因果でひとつなぎに繋がっており、それをあなたという主人公目線で見たものがカルマです。カルマは「呪い」のようなものではなく、RPGにおける課題であり伏線のようなものです。それを乗り越えることでクリアを目指して己の魂を成長させるのが基本設定であって、その存在に恐れおののいて霊能者に解決を依頼してお金を騙し取られるというのはバカげたことです。RPGで魔物を恐れて誰かにお金を払って倒して貰っていたらゲームが進みません。まず主人公であることに目覚めて下さい。そうすればレベルに応じてあなたに霊能力が与えられます。

そして先祖供養に限らず全ての行動の動機をエゴ(不安や恐れ)ではなく純粋な愛にして下さい。全ての存在は一つ(ワンネス)です。だから先祖供養も逆の立場で考えてみて下さい。あなたは死んだ後も霊として子孫たちの世界に生きるとして、子孫たちにどのように供養して欲しいですか?まるで自分が不幸の元凶である悪霊のように忌み嫌われ、恐れや不安を動機に供養されて嬉しいでしょうか?あなたはまず子孫たちに幸せになって欲しいはずです。だからまずあなたが出会った人たちみんなと一緒に幸せになることなのです。

ですからまずは自分を愛し、人を愛し、人生を愛しましょう。そうすれば自然とそれを与えてくれた神々と命をつなげてくれた先祖たちに心からの感謝の気持ちが湧くはずです。それを自分なりに考えて形にするなら、どんな形であってもそれが本物の先祖供養なのです。神我や先祖たちの存在を心に念じ、その名前と偉業を讃えましょう。そして彼らが経験した痛み・苦しみ・不幸に同情しましょう。それが本当の先祖供養であり、宗教で供養の形式を学んで従うことも大事ですが、形式そのものより愛を形にすることの方がずっと大事なのです。

先祖のカルマなど恐れる必要は全くないのですが、気を付けなければならないことがあります。それは実際に最後まで不幸なままの人生を歩んだ霊というのは、自分に近しい人間に自分と同じ痛みを味あわせることで同情されようとする方向に力を持つということです。それが霊障の正体なのです。

あなたが人生で痛み・苦しみ・不幸を味わった分だけ、みんなの痛み・苦しみ・不幸に同情できる優しい人間になり、みんなを救う主人公(メシア・菩薩)として目覚めないのなら、霊障は執拗にあなたを追いかけ続けて自分と同じ痛み・苦しみ・不幸をもたらし続けるでしょう。

それはこのRPGの基本設定であり、行く手を阻むモンスターを恐れたり、ゲームの設定についてクリエイターに文句を言っていてもゲームは進みません。NPCが何億人いようとあなたが主人公であることに変わりはありません。どうかNPCである他人の言うことやることを一切言い訳にせず、主人公として目覚めて世界を救う決意をもって下さい。いきなり一人で世界を救う必要はありません。一人一人に主人公(メシア・菩薩)であることに自覚させて救いを連鎖させていって下さい。そうすればそれはいつか世界の果てまで連鎖して必ず世界は救われるのです。

自分の過去の罪や恥が許せない

【質問】
過去にしてしまった失言や恥ずかしい行為、間違った選択に対しての羞恥や後悔が止まりません。色んな心の教えを学んだり、「大切なのは過去より未来」と自己暗示したりしてもあまり効果はなく、「今までダメだったからこれからもダメだ」と自暴自棄になります。これ以上恥ずかしい思いをしたくありません。他人の罪は許せそうですが、自分に対してどうしても許せないです。どう心を前向きに持っていったらいいですか。ウジウジしていて自分でも情けないです。



【回答】
僕も幼い頃からとても罪と恥を感じやすかったのでお気持ちはすっごくよくわかります。それが長年の鬱の主原因の一つでもありましたしね。

目覚めた今でさえも過去の罪や恥によるトラウマが突然フラッシュバックして叫びそうになる事がたまにあります。でもそうやって一つ一つ自分と他人を許して乗り越えることが成長なのです。

まず、罪と恥(罪悪感と羞恥心)が何のために存在しているのかを知って下さい。

「罪と恥の存在意義」

僕が創造主からいただいている教えの中でも中核を成す大事な教えです。

この世界は仮想現実であり、聖書のアダムとイブの話は精神世界における実話なのです。そしてそういう基本設定の元に我々の人生というRPGはプログラムされているのです。人間は罪悪感と羞恥心ゆえに創造主に対して心を隠し、それによって我々は全ての存在たる創造主から仮想的に分離し、客体として・新たな主体者として成立させられているのです。

我々は罪と恥が辛く死後の裁きを恐れるため、全てを見ている創造主の存在すら否定して科学・唯物論・進化論を信じてしまうのです。

しかし本当は人間とは創造主自身であり、創造主が人間として経験を積んでいるのですから、罪や恥を理由に創造主を恐れて存在まで否定する必要などないのです。自分や他人の罪や恥を許さないという事は創造主の罪や恥を許さないという事です。

この人生というRPGにおいて、AIキャラである僕らはクリエイターに許されていない事は一切できませんし、思いつく事すらできないのです。全ては創造主に許されています。例え世間や法律が許されなくても、創造主には許して欲しいと願った瞬間に許されるのです。許していないのは人間の方です。

自意識というのは基本的にお互いを責め合うために存在しています。人間は多面的かつ不連続な存在であるにも関わらず、肉体を単位として過去の行動に責任を持たなくてはいけません。それゆえに何か悪いことがあったら誰かを責めて責任を取らせて心を整理しようとするのです。でもそういう基本設定があるからこそ許しには価値があるのです。

あなたはどんな時に罪や恥を感じますか?道徳的に悪い事をしてしまったり、排泄や性行為を人に見られてしまったりした時でしょう。そのように我々は誰でもやる可能性のある事でしか罪や恥を感じる事はできないのです。人間には例外なく個性があり、それは不完全性・欠点や過ちと不可分であり、罪と恥は誰にでもあるものです。それを許せないというのなら当然自分も他人も許せなくなります。

排泄や性行為を人に見られたら恥ずかしいですがみんなやる事です。勿論それは公衆の面前でするのは醜い事です。でもその羞恥心があるからこそ、愛し合っている人とお互いの恥を許し合う事は尊いのです。性器や性行為が本当に醜く恥ずかしいものなら、例外なくそこから生まれてきた我々は何なのだという話です。

創造主は我々を罪や恥へと誘います。失敗させ、ドジを踏ませ、調子に乗せておいて急に落としたりします。それは我々からするとひどく悪趣味にも思えますが、本来唯一の存在で全知全能で完全無欠であるがゆえに究極に孤独で退屈な創造主からすれば、人間としてその欠点や過ち、罪や恥を経験できる事は喜びなのです。

「こんな事をしたら罪深い、恥ずかしい」という思いが人間を自発的に美しくしてくれています。でも罪と恥の本当の存在意義は、お互いを許しあってより深く愛し合うためのものなのです。お互いに許しを乞い、許し合う事。それこそが本当の美であり人生という芸術なのです。

ですから人間は罪を犯さず・恥をかかずに生きる事はできないように基本設定されています。そりゃ罪や恥は痛みを伴いますから、できるなら誰でも罪は犯したくないですし恥もかきたくありません。でも人生というのはそれを避けては通れないのです。

全てはワンネスであり、自分=他人です。あなたは「他人の罪は許せそう」と書いていますが、そんなにも自分の罪や恥が許せない人が他人を許せる訳がありません。あなたは己の罪と恥に埋没して臆病になり、自分を許して心を開けないために、他人もあなたに対して安心できず構えてしまって己の罪と恥を晒して心を開けないのです。だからあなたは一人で殻に閉じこもり、自分の罪や恥がまるで自分だけにしかないものかのように思い悩んでいるのでしょう。

僕らは人生という物語の役者であり、臆病と怠惰が最大の罪です。物語の設定やシナリオや配役に文句を言って引き籠っているような役者では使い物にならないのです。この物語は愛と勇気がテーマだということを忘れないで下さい。

基本的に人間は臆病で怠惰に作られているからこそ、愛と勇気を発揮したら価値が生まれるのです。最初から何も恐れない人の勇気に価値はありません。あなたの臆病さも創造主の愛によって与えられているものだと知って下さい。愛と勇気を発揮して出会ったみんなを例外なく許して愛して下さい。

笑いの基本は恥の開示であり、人は恥を自ら開示されると自分が救われた気がして安心して笑うのです。笑われたら人を笑顔にした事を喜びつつ一緒に笑って下さい。バカにされたと思って怒ってはいけません。バカにされたら「違う!」と思っても「その通りです!よろしくお願いします!」って自分でも笑うのが一番簡単に爆笑を取れる方法なのです。

世の中臆病で恥をかく事を嫌い、人に愛のないツッコミばかり入れて他人をバカにした笑いを取ろうとする人ばかりですから、自ら笑われに行くだけで愛されるのです。日常会話は裁判ではありません。事実なんかより笑顔の方が大事です。そもそも人は思いたいようにしか思いませんから、他人が自分に対して抱く印象を本人が否定したところで意味がありませんし、かえって逆効果です。

傷つきやすくてキレやすくてツッコミ難い人というのは付き合いづらく愛され難いものです。欠点も過ちもない人間なんていませんし、欠点や過ちを必死で隠して気張っている人は付き合い難いのです。

だからと言って変に露悪的になったり、露骨に恥を晒して他人を共恥心で苦しめる必要はありません。それは醜い事です。ただ心の中で自分と他人の罪や恥を許し、いつでも晒せるようにしておけば良いのです。そうすれば自分も他人も肯定できて心穏やかに生きる事ができます。

仕事がつまらない

【質問】
目の前にある仕事に集中したいと思うのですが難しいです。働くということに喜びを見出せず自分が何をすればいいのかわかりません。目の前にあることに全力で取り組み、起こる流れに身を任せようと思い環境を変え転職しましたが、喜びや楽しさを見出せずに何となく仕事をしています。勇気が必要なのかなと思いますが出し方がわかりません。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

まぁ僕も長年実につまらないサラリーマン生活を送っていたのでお気持ちはよくわかります。

僕が目覚めたのは40歳を過ぎてからなので、決して焦る必要はないと思います。あなたに起きることは全て必然なのです。

あなたの人生はきっと僕と同じようにやりたいことがなかなか見つからない分、見つかった時の喜びが大きいというシナリオなのでしょう。だから焦らなくても大丈夫なので、まずは落ち着いてこれからについてポジティブに考えていきましょう。

愛と勇気は不可分のものであり、勇気を伴わない愛は欺瞞に過ぎず、愛を伴わない勇気は蛮勇に過ぎず、どちらも存在意義がありません。だから「何が勇気か」というのは、瞑想でもして深く自分を内観し「自分にとってどうするのが愛か」「自分がなぜ、何から逃げているのか」を考えればわかるでしょう。

あなたの人生はあなただけに与えられたあなたを主人公とする物語であり、他の人と同じように見えても、すべてがあなた個人に向けてアレンジされたシナリオがあるのです。それなのに無意識に他人と自分を比較し、他者評価に依存することで自ら脇役(社会・常識・世間体の奴隷)に成り下がり、目的が見えなくなってしまうのです。

森羅万象は因果で繋がっていて、それを主人公であるあなた目線で見たものがあなたのカルマです。この仮想現実RPGに偶然など一つも存在しないのに、そんなものがあると思うから自分の人生のカルマ(伏線・シナリオ・課題・必然性)が見えずに、自分の意思で選択するのではなくただただ流されてしまっているのでしょう。

目の前の仕事を全力でやることはとても大事です。創造主は我々の全てを見ています。人が必要とし、なおかつ人が嫌がるような仕事を一生懸命やる人間というのは必ず誰かが見ていて(創造主がそういう設定にして)、あなたをきっとより良いシナリオへと導いてくれることでしょう。必ず転機が訪れますから、それまで頑張って下さい。

ただし、目の前のことに全力を尽くすというのは、単に考えるのをやめて忙殺されることで盲目的になり魂の声に耳を塞ぐこととは違います。社会的意義が低い仕事・エゴのために人を騙し損をさせることで儲けるような仕事・サービスする側される側がお互い見下し合っている仕事・お客さんが感謝の印としてお金を払うのではなく不平不満や恨みと共に仕方なく払うような仕事は、例えその場凌ぎにもやるべきではありません。例えそれで大金を得られたとしても、続ければ続けるほどあなたの自尊心は下がり、カルマを積み、より悪いシナリオへと導かれることになるからです。

そして自分の魂が本当に望んでもいないことなのであれば、どんなに一生懸命やろうとしても魂側から拒否され、それを無理やり抑え込めば心が病んでしまい、重篤になれば仕事どころではなく転職も難しくなります。

魂が元気な状態であれば、人は子供のように自分の興味をどんどん追求していくものなのです。逆に魂に元気がなければ何にも興味がわかなくなってしまうので、好きな仕事も趣味も見つけられず、見つけても続ける気力がなくなり、能力もアップせず、どんどん鬱になっていってしまいます。

仕事がつまらないのに趣味を心から楽しむなんてことは不可能です。それは単なる逃げであり、カルマというのは逃げれば逃げるほど雪だるま式に増幅しながら追いかけてくるものなのです。どうかお金の損得に捉われず、魂の損得で考えてみて下さい。そして自己利益にとらわれず人の役に立ち喜んでもらえる仕事をしてカルマを刈り取り続けて下さい。お金も他者評価も自分とみんなの魂が元気になることをしていれば自然と後からついてくるものです。

繰り返しますがこの世界に偶然はなく、悪いカルマを積めば例えどんなに賢い選択をしようとしても悪い結果しか待っていないのです。カルマを積み続ける人の人生というのはヤクザの夜店のクジのようにアタリは幻で、何を引いてもハズれという状態になっているのです。

決してあなただけでなく基本的に我々日本人はみんな嫌なことの我慢代で駄賃を貰って生きる自発的な奴隷になるように洗脳教育されているのです。人から嫌われること・常識に逆らうことで社会から排除されることを恐れ、やりたいことよりやらなければならないことを優先して特別やりたくもないことに青春を費やし、自分の魂を押さえつけてそれをまるで自分の意思でやっているかのように思い込むことを社会的圧力によって強制され続けてきたのです。そのように洗脳された状態で社会人になる時になってからいきなり「ハイ、どうぞやりたいことをやって下さい(やりたいことをやらないのは自己責任です)」と言われても、結局やりたくないことを嫌々やって駄賃を貰う奴隷に自ら成り下がってしまうのは当然のことです。それは本人個人のせいではないのです。

ただそれは我々の大半の人生に共通したRPGの舞台設定であり、我々一人一人が乗り越えるべき課題(カルマ)なのです。銀河鉄道999の星野哲郎が永遠に生きるために(「安定・安心」のために)機械の体を手に入れようとしてアンドロメダを支えるネジにされ、人の心を失おうとしていたように。そして自分だけの人生を手に入れるために新たな冒険へと旅立ったように。

繰り返しますが、決してあなた個人が悪いのではありません。でも主人公であるあなたが変わらなければ何も変わらないのです。あなたを主人公とするRPGはすべからくあなた次第で変わるようにプログラムされているのです。

できること(安定して楽にお金が稼げること)ではなく、待遇に一切関係なく、最初から他者評価を得られると思わず、他人と比較せず、常識に捉われず、本当にやりたいことをやって下さい。ミニマリストになってどんな少額な収入にも満足し、人が喜んでくれて幸せになって感謝されるような仕事をして下さい。目に見えないだけで、自分と相手の感謝の波動こそが最大の収入なのです。実際あなたはやりたくないことをして人から感謝されず心の波動をお互いに下げ合って心を病んでいるのですから、そこはよくわかるはずです。

やりたくないことの知識やスキルなど伸びるわけがありませんし、伸びたところでどんどん奴隷化して自分のやりたいことから(幸せから)遠ざかっていくだけです。

やりたいことをやっていれば、あっという間に能力は伸びるのです。最初は稼げなくても何年か全力でやっていれば食べれるぐらいにはすぐなります。やりたいことに時間と労力を使わなければいつまでも得意にはなりません。例え食べれなくても日本には生活保護があるから大丈夫なのです。僕なんか無職ですが、生活保護も受けず人に愛され支えられて幸せに生きながら、エセ霊能者などぶっちぎりで能力を伸ばしています。だから焦る必要はないのです。

逆にいくら自分が器用にできることでも、やりたくないことをやっていたら、それを本気でやっている人には絶対に勝てません。あなたや僕のよう不器用というのは幸いな事であり、やりたくないことを器用にできて下手に稼げたら、本当にやりたいことをやるのが困難になります。

この仮想現実世界にログインしている全員が主人公であり、世界を救うという目的は同じでも、「どのように」という手段・シナリオは一人ひとり違います。どうか大好きで得意なことを通じて人を喜ばせ笑顔にして幸せにして救って下さい。直接的には救えなくても、あなたの夢に向かう勇気ある一歩がたくさんの人に勇気を与え、それは必ず連鎖するのです。この世界はすべてフラクタル(相似形)にできていますから、連鎖は必然なのです。

愛と勇気がこの人生というRPGのテーマであり、退路を確保することに一生懸命になっていたら、退路を断って夢に向かう勇者に勝てるわけがありません。貧困や嘲笑など恐れず愛と勇気を持って夢に立ち向かって下さい。

夢に向かえない恐れ・不安は全てエゴ由来です。エゴに捉われているから恐れ・不安に捉われ、ただ保身に走り人生を敗走し続けるしかなくなるのです。行動の動機を恐れ・不安(保身)ではなく純粋な愛にして、そのために勇気を発揮して下さい。ここは仮想現実に過ぎず、魂は永遠なのです。他人の死を悼む心は大事なものですが、自らの死など恐れるに足りないのです。

いただいた質問内容だけではあなたの特性もカルマもまるで見えないため、具体的にあなたにどんな仕事が向いているか僕にはわかりようがないですが、前述したような魂の波動が下がる仕事は全部避けて下さい。

そして例え収入が高くてもその分いきなり高い能力が必要とされるような仕事では、やる気のないような人はすぐ落ちこぼれててしまうでしょうし、育成期間が長くなるために常に上司の監視下にある時間が必然的に長くなり、逐一ミスを指摘されたり他人と比較されるので、心が病みやすい人には良くないです。自尊心・魂の波動が下がって公私ともにうまくいかなくなり、無気力になって何にも興味がわかなくなり、転職どころではなくなってしまいます。

まぁとりあえずはどれだけ収入が低くても、もっと喜ぶ人の笑顔が直に見えるような仕事をした方が良いと思います。お互いの魂の波動が上がりますからね。そしてとりあえず一人立ちするるのが能力的に難しくはなく、すぐに覚えられる仕事で、なおかつ誠意さえあれば頑張った分だけしっかり結果として表れて、他人とすぐ差がつく仕事が良いと思います。

というわけで、僕なら具体的には清掃業や介護業をお勧めします。世間的には見下してくる人も多くいるかも知れませんが、清掃や介護はそれらこそが神に仕える尊い仕事なのです。しかもこれからどれだけ仕事がAI化・自動化されてもそれらの仕事がなくなることは考えにくく、むしろ高齢化によってどんどん需要が増すことが考えられる仕事です。もしそれらの仕事をあなたが好きになれたのなら、食べるに困るようなことはもう一生ないでしょう。もしあなたがそういう仕事を見下しているのなら、なおさら一度やってみて根本から考えを改めるべきです。みんな他者比較・他者評価なんてつまらないことに捉われるから、そういう仕事を見下して構想から外してしまうのでしょう。どうしても自分でやりたいことを見つけられないのなら、とりあえずやってみるべきかと思います。

もしそれでもやっぱり別な仕事が良いというのでしたら、本当に何でもいいので、元手を極限まで小さくして、あなたが少しでも興味のあることで小売業などのスモールビジネスをやってみてはいかがでしょうか?誰にも干渉されず、ただ自分とお客さん双方の心からの笑顔をコンパスにして一生懸命頑張り続ければきっと結果につながることでしょう。

あなたの人生というRPGの主人公はあなたであり、あなたを評価できるのはあなた自身と創造主だけです。主人公とは愛と勇気を世界に連鎖させる存在であり、世間的に知られて評価されている人が主人公なのではありません。常に一対一で全てを見られているっていうことを意識して頑張って下さい。

自傷行為が止められない

【質問】
毎日、自傷行為をしてます。辛いです。
人には言い訳・怠惰だと言われてしまいます。
急に、前の職場や部活の、昔の嫌だった記憶が連続で出てきて、みじめさで、自傷行為をしてしまいます。
社会復帰は不可能でしょう。生活保護も受けられないでしょう。貯金も、ほとんどないです。餓死するでしょう。


【回答】
ご質問ありがとうございます。

僕は長年鬱の経験があり、それを乗り越えた上で断言しますが、鬱は決して甘えではありません。あなたの状態は言い訳だとか怠惰ではないのです。例え他人からそう言われても気にしないで下さい。あなたが自分自身を許すことが肝心です。

まず、そのように病んだ状況で生活保護が受けられないって事はないと思います。自分を責めずに行政を頼ってみて下さい。

そしてとりあえずは休む事を最優先して下さい。これから書くことは休んで少し元気が出てから読んで下さいね。

今は他人が見えない状態だと思いますが、あなたと同じように苦しんでいる人はたくさんいます。決してあなただけだと思わず、早く良くなって、同じように苦しんでいる人を救うメシア・菩薩として目覚めて下さい。

万が一生活保護が受けられなくても変なプライドは捨てて頼れる人を諦めずに探して下さいね。

あなたの家族はあなたの将来を心配して「人様に迷惑をかけるな」と自立を促しているのでしょうが、死んでしまったら何にもなりませんから、本気でヤバい時はちゃんと頼りましょう。今から社会復帰(就職)なんて目指したり諦めたりしなくて良いですよ。僕も(お金稼ぎの為には)働いてなくて無職・無一文ですから。

「人の価値とは?」これを読んでみて下さい。人の価値は金を稼ぐ能力ではありません。そのように考えて働けない自分を責めないで下さい。あなたは尊い存在です。創造主に愛され、ちゃんと意味があって生まれて来たのです。決して自分を傷つけて命を粗末にしてはいけません。それは全ての存在の源である創造主を傷つける行為です。どんな試練も創造主によってあなたの魂の成長にとってベストなものが与えられているのであり、感謝せず恨みで返せば創造主の愛が受け取れなくなります。

あなた自身が能力のない人・迷惑をかける人には価値がないかのように考えているから、自信を失って自分自身を攻撃し、人から責められるのを恐れて一人ぼっちになっているのでしょう。

僕が鬱の頃はまるで世界がみんな僕に対して閉じているように感じていました。でも鬱が治って気づいたことは、僕自身が世界を嫌って感謝の気持ちがなく、心を閉ざしてどんどん閉じこもっていたということです。

まず与えられたものに感謝し、無条件で出会った人を許して愛する努力をしてみて下さい。嫌な事ばかり・自分や他人の欠点や過ちばかり思い出して責める認識の歪みを自覚できていない今のあなたには難しい事でしょうが、だからこそそれができたら価値があるのです。そしてそれ以外に真に幸せになる道はありません。個性は欠点や過ちと不可分であり、それは補い合い許し合い愛し合うためのマテリアルです。それなのに欠点や過ちを理由に自分や他人を嫌うなら、自己嫌悪に陥って愛すべき人が一人も存在しなくなるのは当然です。

「誰でも自信満々になれる方法」

あなたの周囲の人も嫌な仕事を我慢して生きている人ばかりだから、あなたも嫌な仕事に耐えてないと責めたくなるのでしょう。その人たちは全員マトリックスのエージェント・スミスなので、主人公であるあなたは目覚めるまでは逃げまわらなければいけないかも知れませんが、目覚めたらきっと彼らのことも救う存在となるでしょう。あなたが出会う人は全員あなたの鏡であり、あなたがあくまでも愛し抜く覚悟さえ持てば、恐れる必要など一切ありません。

あなたの臆病さも天からの贈り物(課題・カルマ)です。臆病なほど勇気には価値があるのです。最初から何も恐れない人の勇気に価値はありません。

あなたの自尊心の低さもそうです。それを乗り越えて自分も他人も神々も尊敬出来るようになるから尊敬には価値があるのです。

と、「今溺れている人に水泳を教えるな」という創造主の教えに逆らって思いっきり説教してしまいましたが、病んでいるならまず休む事が大事です。遠慮は要りません。将来あなたはきっと人を救う菩薩になるのですから。抱えた困難が困難であればあるほど、乗り越えたらより多くの人に勇気を与えて救う事になるのです。

【再質問】
以前、昔イヤだった事を思い出して、自傷行為をしてしまうと書いた者です。
質問に答えて頂き、自傷行為をしなくなりました。ありがとうございました。
現実は、まだまだ厳しいですが、まだ生きているので、より良い考えを持つように心がけたい(←それが出来なくて憂鬱になってしまう時もあるのですが)と思います。

【再回答】
どうもありがとうございます。質問箱はなかなか反応がわかりにくいので、こうして伝わっていることを実感するととても嬉しくなります。

いきなり無理にポジティブになろうとしなくて良いですからね。それではかえって反動が強くなるのは当然です。嫌なことが思いついたらそっとそれを手放して別なことを考えるだけで良いのです。

「反省してはいけない」

目覚める直前の僕は、両手のポケットにカウンターを持って、ポジティブなことを考えたら右手、ネガティブなことを考えたら左手でカウントして、常にポジティブなことを考えるように、なんてやってました(笑)

とにかく自分と他人を責めるのを同時にやめて許し、過去は一旦すべて水に流すことです。無呼吸ダッシュの如くものの一か月も良い思念しか持たないようにすれば、体の水は入れ替わってすっかりポジティブに切り替わります。

「音と水の存在意義」

すべての物事には恒常性があり、慣性の法則が働きます。だから止まっているものが動き出すとき、新しい習慣を手に入れるときは、最初が一番きついのです。過去の状態に引き戻そうとする力が強く働きますからね。でも決してそれに負けないで下さい。

既に先に進んでいる人というのはものすごく遠いところにいるように感じられますが、実際はそれほど遠くにいるわけではありません。僕も目覚めてからたったの二年半であり、それまではあなたと同じように長年鬱で希死念慮が強く、反引きこもりでずっと社会から逃げていましたから。

慣性の法則で、一度スピードにさえ乗ってしまったらあとはもうラクチンなのです。全く停滞しているところから踏み出したあなたの勇気ある一歩の方がずっと大変で偉大なことなのです。その勇気が実った時、どれほど多くの人に勇気を与えることでしょうか?その連鎖がきっと世界を救うでしょう。どうか日々神の子としての自尊心を回復してメシアとして目覚めて同じように苦しんでいる人を救って下さいね。

引きこもりで社会に進出するのが怖い

【質問】
引きこもりです。社会に進出するのが怖いです。どうすればいいでしょうか。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

具体的なアドバイスを求めていらっしゃる場合は、もうちょっと詳しく状況を書いて下さいね。こういう感じでは本当に汎用的な回答しかできず、助けになりづらいですから。

現在、引きこもりは日本だけで100万人超だそうです。あなたはきっと鬱で他人が全く見えなくなっていると思いますが、引きこもりは決してあなただけの問題ではなく、社会病理・社会問題であり、あなた個人が悪いわけではありません。でもあなたが変わらない限り何も変わらないのです。

人生はRPGであり、社会問題とはゲームの基本設定で因果なのです。そして主人公であるあなた目線でみればそれがカルマなのです。あなたの人生はあなた個人のために完璧にアレンジされた物語であり、すべてはあなた次第であるようにデザインされています。ゲームの設定やシナリオに文句を言ってもゲームが進まないだけです。

この世界の存在は本当は全て創造主自身であり、ワンネスなのです。それでは究極に退屈で孤独で愛が生まれないので、創造主は敢えて我々を作ってそれぞれに自意識と個性とシナリオ上の役割を与えているのです。しかし我々はいわば同一人物であり、それを恐れるのは鏡に映った自分を恐れるが如くなのです。相手も本当は自分自身だと知れば人など恐れる必要は全くないのです。

恐れが我々を分ける自意識(エゴ)の中核を成すものであり、人を恐れることは自然なことです。それが愛と勇気を価値ならしめているのです。臆病な人の愛と勇気ほど価値があるのであり、最初から何も恐れない人がいたら、その勇気には価値がないでしょう。あなたの人一倍の臆病さ傷つきやすさも創造主の愛によって与えられたものであり、あなたが愛と勇気をもってその恐れに立ち向かうことを期待されているのです。僕自身も長年半ひきこもり状態でしたが、人一倍臆病な人間の勇気ある一歩がどれほどの人を勇気づけると思いますか?

しかしあなたはかつての僕と同じように全くそれに気づかず、与えられた課題から逃げ続けることでカルマを雪だるま式に膨れ上がらせているのでしょう。それは逃げれば逃げるほど落第に追い込まれるまで追試のように追いかけてきます。

カルマは立ち向かう勇気さえ持てば、恐れるに足りないものです。あなたは逃げ続けることでカルマをまるで歯が立たないように見えるほど膨れ上がらせているのでしょう。しかしそれは幻に過ぎないと知って下さい。

まずいきなり働いてお金を稼ごうなどと考えないで下さい。お金を稼ぐ仕事場は競争の場で戦場のようなものであり、今の傷つきやすいあなたがいきなり行ってもあなたが恐れている通りにズタボロにされる可能性が高いと思います。

最初はボランティアで、介護や清掃などの現場に行って無償で手伝って下さい。無償ならただ善意で一生懸命やりさえすれば評価され感謝されるでしょう。

そしてそこでお年寄りの話をいっぱい聞いて下さい。老人にほぼ例外なく人に話を聞いてもらえないという悩みを持っていますから、あなたが真剣に話を聞くだけで確実に愛されます。自分の話をする必要はありません。またどんなことを言われようと決して相手の話を否定してはいけません。ただひたすら一生懸命真剣に話を聞いて下さい。そしてお年寄りから愛されれば、あなたの心に大応援団ができてあなたは人間関係に自信が持てるようになるでしょう。多少人に嫌われたところで気にならなくなります。

鬱は霊障であり、エゴまみれ・不安まみれにして周囲を見えなくします。(不安・恐怖はエゴ由来です)そして人を無気力にし、他人に関心すら持たないようになってしまいます。だから人の話など聞けなくなってしまうのです。

あなたはお年寄りの話を聞くだけで生きた智慧が身について魅力的になり、人に寛容になって人から好かれるようになるでしょう。そうして「今まで人に愛されなかったのは、単に自分が人を心から排除して人の話を真剣に聞いていなかっただけ」ということにきっと気づかされるでしょう。あなたに対してみんなが心を閉ざし社会から排除されているように感じていたのは、あなた自身が心を閉ざし社会を排除していただけということに気づいて下さい。

「誰でも自信満々になれる方法」

長いですし、最初からは受け入れ難いかも知れませんが、どうか信じて一つ一つ実践し、本物の自信を身に着けて下さい。どれだけ嫌っても愛し抜いてくれる人を嫌い抜ける人などいません。あなたが無条件で人を愛し抜く覚悟さえ持てば、人から嫌われることを恐れる必要など微塵もないのです。どうか無条件で人を愛し自分を愛し人生を愛して下さい。

小さなことにイラついてしまう

【質問】
最近小さなことにイラついてしまうことが多いです。妬みや失敗、本当に些細なことです。

調子のいい時はイラつくこともなく、仰っているような「これも人生を楽しむ為の試練や経験」と捉えることが出来るのですが、調子の悪い時はその考えを押し殺すようにイライラしてきてしまいます。

抑える方法が分からずとても苦しいです。そしてその後はそれに反省し、辛く悲しくなります。他人にイライラしていることを悟られない様に抑えるのも苦しいです。考え方を変えなければいけないことは分かるのですが、非常に難しく感じます。どうしたら良いのでしょうか…?

【回答】
ご質問ありがとうございます。※9月7日更新

僕も鬱の頃は長年まさにそんな感じでしたよ。嫌な考えがどうしようもなく沸き起こってグルグル頭を巡って、どうやっても止められない感じでした。いつもイライラして、自己嫌悪で落ち込むことの繰り返しで(自分自身とその運命に対する苛立ちを他人に投影してイラついていたのですね)人を避けて孤独に陥っていました。そういう人は今とても多く、あなたが気づかないだけであなたの周囲にもたくさんいると思います。

しかしそれは本人が悪いのではなく、霊障の仕業なのです。鬱が治ったからこそそれがわかります。スピリチュアルなことを信じていない人にはとても信じられないことだと思いますが、本当に本当なのです。鬱=霊障です。

魂とは全て創造主の分け御霊であり、智慧の光そのもの如き善なる存在なのです。そのままではすぐ創造主と一つになってしまって簡単に成長ができないために、我々分け御霊達はこの世界に無明(愚かさ・迷い・エゴ)を与えられ、カルマ(課題・シナリオ)の中を生きているのです。

もともと一つの光だった我々の魂は無明の闇によって分けられ、個性・エゴを与えられ、簡単に一つに戻らないように同じ磁石のように反発するのです。簡単に一つになっては愛が生じず個性の存在意義がなくなるのでそのようにしているわけです。その反発力がエゴであり、それを乗り越えてまた一つになろうとする引力が愛なのです。エゴ同士は反発し合い、愛同士は引かれ合うのです。磁石の極と全く同じように、片側だけでは存在できません。基本的にこの世界の存在はすべてこのようにポジティブとネガティブの両極で二元的に作られています。そうでないと位置が確定できないので、価値(存在意義)も確定することができないのです。

無明(愚かさ・迷い・エゴ)というのは基本的に霊障(霊的思念の穢れ)によって構成されているもので、我々が考えるよりはずっとデジタルかつシンプルな存在であり、悪い思考・行動は全部霊障がもたらしているものなのです。あなたのイラつきもこれを原因としています。霊障はこの人生というRPG(愛と勇気の物語)において悪役を担ってくれているわけです。それはひとえにあなたに成長を願って与えられているものなので、決して恨まないで下さいね。

イラつきの直接的な原因は、お互いの個性(欠点や過ち)・エゴ同士が反発するからであり、基本的には自分が成長することなく、相手の側の個性を変えようとするために生じるものです。あなたの人生というあなたを主人公とするRPGはすべからくあなた次第に作られており、あなたが変われば(時間差はあっても)必ず相手も変わるのです。あなたの認識世界において他人はNPCのような存在であり、あなた自身を映し出した鏡であり、主人公の物語を盛り上げて成長を促すために、クリエイターのプログラムした通りに動かされているのです。(実はあなた自身も他の人にとってそうなのですけどね)

このあたりの話は他の方への質問「憑依体質の存在意義」に詳しく書きましたので、ぜひご一読いただけると幸いです。

あなたが「自分のせいだ」と思っていることでも、悪いことはすべて霊障がさせていることなのです。自我は幻の如きもので、人は霊の集合体であり、肉体は霊の入れ物のようなものなのです。そして人はすべて霊的意思によって動かされているのです。「人は常に無意識(霊的意思)によって動かされている」これは受動意思仮説における様々な実験でも明らかになっていることです。

これは当然と言えば当然の話で、もし意思が脳により作られるものなら、脳のない単細胞生物やウイルスがあれだけ意思をもって複雑な活動ができるわけがないのです。世界はすべて超弦でできており、それは波動を伝えるものであり、波動は霊的思念の乗り物であり、細胞はその塊なのです。血液細胞も腸内細菌もウイルスもみんな意思を持って宿主に影響を与えているのです。

人間は霊の集合体であり多面的な存在なのに、常に自意識によって「全部自分である」と自動的に自己統一化するので、自分の中に意識が多数あることを自覚できません。霊障のせいであっても「自分のせいだ」と自責の念にかられます。そして鬱になると悪いことだけを選択して思い出して「ダメな自分」で自己統一化しようとし、良い部分があっても全く見えなくなります。鬱になると何でも出来事を悪く解釈し、その「悪い」出来事を何度も何度も反芻して嫌な気持ちを追体験するような高速循環回路が頭の中にできあがってしまうんですね。そしてどんどん自己嫌悪・厭世観に陥ってしまう悪循環から抜け出せなくなるのです。しかしあなたが自己嫌悪に陥れられる時点で、自分の中の意識とは一つではないことに気づいて下さい。

我々は冷静に自分の良いところ・良い思い出を思い出し「ダメな自分の自己統一化」を一つ一つ外していく必要があります。もし自分の良いところ・良い思い出が一つも思い出なくなっているとしても、これから作れば良いだけです。宇宙の仕組みに書いた通り、時間は幻で因果(過去と未来)は常に更新されているものなのです。今あなたが変われば過去も未来も変わるのです。

単に悪いものを排除すれば良くなるという発想は短絡的過ぎます。善に価値を与えているのは悪なのです。この世界のすべては二元的(陰陽)で相対的にできているのです。腸内の悪玉菌を全部排除したら人はかえって病気になるのです。心も同じです。この世界は絶妙なバランスで成り立っているのです。悪は排除するのではなく、許すことなのです。許しは愛そのものであり、我々は許しを経験するために生まれてきたとも言えるのです。

悪い考えを「自分自身のせいだ」と考えて一度深い自己嫌悪に陥ると、自分が自分であることに耐えきれなくなり、自意識が乖離しはじめて無数の霊を魂でコントロールできなくなり、どんどん自我の主体者を霊障に明け渡してしまうことになります。そして鬱を通り越して統合失調症や多重人格症など様々な重い精神病を患うことになります。

だから悪い考えを無理に抑えたり排除したりしようとするのではなく、まず自分と他人を責めるのを同時にやめて「悪いことは全部霊障のせいだから仕方がない」と許して下さい。もし悪い考えが浮かんでイライラしたり、過去にした悪いことを思い出したりしたら、「これは私の魂ではなく霊障がさせていることなのだ」と客観的に見て許すのです。

そしてただただ霊的に清めることを考えて実行し続ければいいのです。過去の自分を自分で責めたり他人から責められたりしたら「ごめん、悪霊に憑りつかれてたから」ということで自分を自分で許せればいいのです。相手に許されるかどうかは重要ではありません。あなたが自分自身と相手を許せるかどうかが大事です。

霊障によってエゴに埋没して不幸なまま亡くなった人の霊的思念の塊というのは、同じように霊障としてネガティブな思念体として憑りついて、同じ痛み・苦しみ・不幸を味合わせようとしてきます。そしてエゴに埋没して他人の気持ちがわからないようにして、周囲から嫌われて自己嫌悪・厭世観に陥るように仕向け、自我の主体者としての地位を自発的に明け渡させて乗っ取ろうとしてきます。主人格であるあなたは主人公としてそれを止めなければなりません。

だからあなたがエゴを手放し、他人の痛み・苦しみ・不幸に心から同情できる優しい人間になり、出会った人を例外なく尊敬し感謝し許し補い愛せる主人公・メシアとして目覚めたら、悪霊たちはお役御免で成仏して去っていきます。逆にいつまでも主人公・メシアとして目覚めないなら、これでもかというほど霊障があなたに不幸をもたらすことでしょう。

霊障(霊的な穢れ)というのはトイレと同じで毎日汚されるものであり、毎日心身と環境を清め続ける必要があるのです。どうすれば霊的に清められて悪いカルマを解消できるかは、こちらをご参照下さい。「悪いカルマの解消法」まずは信心を起こして日々霊的浄化・成長に努めることです。

悪いカルマの解消はとても大事なことです。冒頭に書いた通り、カルマ(人生のシナリオ・課題)は霊障によって作られていて、それを乗り越えることで我々は成長できるのです。

人生というRPGは愛と勇気を試すためのものであり、そのために世界はありとあらゆる手段であなたを怒らせ、そして怖がらせてきます。決してそれに屈してはいけないのです。愛と勇気を試すためのRPGにおいてエゴ(我欲と保身)による選択が最終的に正解だというシナリオはありえません。エゴは愛・勇気とは対極にあるものだからです。どんな選択・試練も愛と勇気を試されているのだとわかれば、ブレーキが壊れたかのようにひたすら前に進めるはずです。

神とつながる方法

【質問】
神様や守護霊、ハイヤーセルフとの繋がりを体感したり、対話できるようにはどうしたらいいでしょうか?能力は生まれる前に発現するか決めてきている、と話している方がいて決めてきていない人には無理なのかと考えています。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

僕が人生がRPGというのは、例えではなくそのものズバリです。あなたがあなた自身だと意識しているものはAIキャラであり、自我を与えられたアバターに過ぎないもので、本当はあなたを操作してプレイしている上位次元のプレイヤーがいるのです。それがハイヤーセルフ(=神我)です。

人生というRPGをあなたというアバター目線ではなくプレイヤー(神我)目線で見てみましょう。例えばドラゴンクエストで、世界を救おうとせず、町でずっとエゴ(我欲と保身)のために商売をやっているような脇役のキャラを「自分」としてプレイしたいと思いますか?そんな脇役はNPCとして下位次元の存在に任せて自動運転にしておけばいいのです。

その自動運転でプレイヤーの操作を受けられていないのが今のあなたであり、目覚める前の僕であり、世の中の大半の人間です。主人公だと目覚めていない、世界を救おうとしない、臆病で怠惰な脇役NPCだから、より上位の存在があなたを操作したがらないのです。

あなたは自分のレベルが低いから主人公になれないと思っているのでしょうが、世界を救う勇者になる気がないならレベルが上がるわけがありません。世界を救うという思いが実践を通じてクリエイターの意思とより通じ合っていくことで自分のレベルは上がっていくのです。ちょうどドラクエでレベルアップと共に強力な呪文を使えるようになるように。目覚める前のあなたの力があなたの本当の力ではないのです。

本来、主人公でない人間はいません。目覚めれば誰でも主人公なのです。主人公・勇者として目覚めて途中で何機失ってでもクリア(世界救済)を目指し続けるか、いつも周囲を気にして自分を他人と比較しながら「まぁみんな脇役なんだから自分も脇役でエエか」とエゴ(我欲と保身)にまみれて臆病・怠惰な脇役NPC人生を繰り返すか、選択はあなた次第であり、ここが人生最大の分かれ目です。クリエイターとあなたとの関係は一対一であり、あなたの世界であなた以外は全員脇役NPCであり、その言うことやること(常識)は一切言い訳に使えないのです。

創造主は超時空で辻褄を合わせられるので、あなたが何を選択しようと「最初からそう決まっていた」ということになります。主人公として目覚めれば最初から主人公だったことになりますし、主人公として目覚めなければ、最初から脇役だったということになります。

「最初から決まっているのだから何をしても同じだ」と諦めて退廃的な人生を送るのは愚かなことです。あなたの人生というRPGにはあなただけのためにアレンジされたシナリオがあり、すべては自分次第に作られているのです。

自尊心の低い今のあなたは「自分などそんなに大した存在ではない」と思っているのでしょう。それは現在あなたの認識世界にいるNPC全員がそうなのです。それはこのRPGに共通した設定(カルマ)であり、その臆病さ・怠惰さを乗り越えて自分こそが主人公であり偉大な神のアバターであることに気づき(神我に目覚め)それを世界のNPCたちにも連鎖させるところがこのRPG共通のシナリオなのです。みんなが主人公・メシアとして目覚めれば世界が救われるのは自明です。

最初から何も恐れない人の勇気に価値はありません。臆病さが勇気を価値ならしめるのです。そして勇気のない愛に価値はありません。勇気が愛を価値ならしめるのです。

最初っからレベル最大で装備も完璧に揃っていて謎解きが全部わかっていたらRPGを楽しめるわけありません。何の成長もありませんし、愛も勇気も試されませんし、素敵な物語になりようがありません。レベル1で何も持たず何もわからない所からスタートしているのは有難いことなのです。そもそもこのRPGの存在理由の発端は、全知全能で唯一の存在であるという創造主の究極の孤独と退屈にあるのです。

自分が主人公なのだから、NPCである他プレイヤーのゲーム進捗など気にする必要はありません。自分を他人と比較するのをやめ、自分をレベルアップさせ続けて自分のゲームを進めましょう。自分より能力の高そうな他人ばかりを見て「自分は能力が低いからダメだ・主人公であるわけがない」などと考えていたら、いつまでも目覚められず、神我の導きなど受けられないでしょう。

あなたが出会うどんな困難も、自分の成長に必要だから天より与えられたのだと感謝して受け取って下さい。人生を世界を救うためのメシア修行と思うことができれば、どんな困難が来ても「さぁ来い!」とポジティブに乗り越えて行けるようになります。

<神我・創造主と繋がる方法(例)>

◆世界を救う主人公として目覚める
これなしではゲームが始まりません。エゴをできるだけ手放し、執着をやめ、出会った人に無償で尽くして、次々に幸せにしていって、それぞれ主人公であることに目覚めさせ、それを世界の隅々まで連鎖させていって世界を救って下さい。あなたの認識世界がまるごとあなたなのです。人生が愛と勇気を試すためのRPGなのだということを意識し、選択時には必ず愛と勇気がより必要とされる方を選んで下さい。必ずそちらが正解です。我欲と保身(臆病・怠惰)ゆえの選択が最終的に正解であるという主人公のシナリオはありえません。その選択が人を脇役NPCにするのです。

◆信心に生きる
信じてもいない神と繋がろうとすること自体が愚かなことだと気づいて下さいね。神視点でも自分を見てみて下さい。一つの宗教にこだわらず色んな宗教を学んで、自分の好きな神・縁の深い神を探し、その神のために尽くしましょう。また各宗教に共通する真理を探ってみましょう。

◆瞑想
瞑想により自分が感じていることをただ素直に深く内観してみましょう。自分の感覚を客観的に見ているその意識は誰のものか?それが神我でありハイヤーセルフなのです。それこそが本当の自分自身だと気づくことが神我と通じ合うために必須な過程なのです。

◆断食
食欲という我執の大元から離れることというのは、神我と通じ合うのに大事なプロセスです。僕も最長1カ月ほどやりました。今思えばそこから神秘体験が多くなり、目覚めへと繋がったんだと思います。ただ断食には準備が必要なので、いきなり長期間の断食は行わないで下さい。予め菜食主義にして、腸内環境を草食動物のようにしておく必要があります。

◆無償奉仕
人に無償で尽くすことはとても大事です。出会う人はみんな創造主の分身であり、あなたに何か大事なメッセージを伝えるための使いなのです。創造主に尽くすことは、出会った人みんなに尽くすことなのです。創造主は全知全能ですから、直接創造主のために何かできることは感謝する事以外にないのです。あなたの救いを必要とするよう敢えて欠点や過ちのある姿であなたの前に現れてくれているのです。出会いに感謝して、誰一人ぞんざいに扱わないように努力してみて下さい。創造主は存在の全てであり、どこか遠くにいるわけではありません。全ての存在と和解できた時に、創造主と深く対話できるようになるのです。

総じて、エゴから離れ愛に近づくための修行です。仏教では六波羅蜜・十波羅蜜などを教えていますから、そちらも調べて参考にしてみて下さい。理屈ではなく、日々続けることで心の深い部分から浄化されて導かれ、無意識に良い思念・行動をとれるようになり、人生がどんどん改善されていきます。

エゴによって上位次元の存在とつながろうとすると悪い存在とコネクトしてしまうので、そういう黒魔術みたいなものは信じないようにして下さいね。エゴによる願いは例え一時的に叶って成功したとしても、壮大な負のカルマを積んで最終的には必ず悪い結果が待っています。

臆病、怠惰とは?

【質問】
真也さんの思う臆病、怠惰は何だと思いますか?


【回答】
ご質問ありがとうございます。

人間にとって最大の臆病・怠惰、それはやはり「世界を救う主人公として目覚めず、脇役NPCとしてエゴに埋没した人生に逃げること」ですね。

目覚めさえすれば、主人公でない人間なんていないんですけどね。みんなどうしてもそれを信じたくないみたいです。僕のnoteや質問箱をいつも見てくれて応援してくれている方々でさえも。「頑張って下さい。応援しています」と言われるのは嬉しい事ではありますけども、一番嬉しいのは「一緒に頑張りましょう」と言われることです。

小さい頃は誰でも世界を救うヒーローに憧れていたはずが、他者評価に依存し、このマトリックス内で次々に現れる「お前なんか大した存在ではない。大人しく社会の奴隷(脇役)になれ」というエージェント・スミスに簡単に屈して自尊心を失い、自分をつまらない社会の脇役のように考えます。

仏教は菩薩(覚り・真理)を目指す心、つまり菩提心を起こすのがスタート地点です。菩薩って何ですか?辞書で調べれば「仏の位の次にあり、悟りを求め、衆生を救うために多くの修行を重ねる者」とあります。つまり世界を救うメシアとして修行するってことです。(仏教に携わる人たちでもこの菩薩=メシアっていうことをあまり理解していません)

人生というRPGの本当のスタートもそこ(菩提心・衆生救済への決意)にあるのであって、世界を救う覚悟を持たないならレベルアップ(覚り)もゲームクリア(彼岸・解脱)もあり得ないのです。

魔物を恐れ、自分の力を見限り、町に引きこもって我欲・保身のために金もうけに勤しみ、いつも不安で何かにおびえながら、他人や社会問題に対してネットで批判を書いて「自分も正義のために戦っているのだ」という気分だけを味わっていても、レベルアップはありえず意味がないのです。

それどころかそうやって自分が正義の立場に立つためにいつも誰かを批判し、争いばかりになってしまいます。実は世界中の争いというのはそういうエゴ同士の反発の連鎖上で起きているものなのです。(だから常に正義より愛を優先することが大切で、それが万能の解決策なのです)そしてそのネガティブな言葉・思念によってそれを発した自分が本人が汚れ、鬱状態になって霊障に侵されまくるようになります。

そしてどんどん嫌な人間になり、他人の幸せに嫉妬し、まるで社会は暗いから社会問題について真剣に悩んで暗くなるのが同然でそうならない人は能天気で現実逃避のバカであるかのような・幸せになってはいけないかようなプレッシャーをかけて引きずり下ろすという、悪霊そのものみたいな存在になってしまうのです。

繰り返しますが、この人生という世界救済RPGの本当のスタートは世界を救う主人公(メシア・菩薩)として目覚める覚悟(菩提心)を持つところにあります。あなたの世界にNPCである他人が何億人いようと、その言う事やる事(つまり常識)は一切言い訳には使えないのです。「他人が全員脇役だから自分も脇役でいいや」は通用しません。どうか脇役NPCとしてつまらない・エゴにまみれて愛のない人生を送らないで下さい。主人公に目覚めて下さい。創造主と一対一で向き合う勇気を持って下さい。

宗教を利用した詐欺師がいることを理由に神を信じる勇気を持たないことは愚かなことです。現代の日本人の人生の多くはカルマにより神を信じないように初期設定されているのです。しかしそういう状況があるからこそ信心には勇気が要るのです。その状況を乗り越えて信心を持つところにより価値が生じるということです。

この人生というRPGが愛と勇気を試すためのものであることを忘れないで下さい。選択肢があるなら、愛と勇気がより必要な方が必ず正解です。我欲と保身ゆえの選択が最終的に正解だという主人公のシナリオは一切あり得ません。

そして僕や誰かを嘲笑して、主人公から逃げている自分が救われた気にならないことです。嘲笑は常に負けのフラグなのです。嘲笑する側が最終的にヒーローになるシナリオを見たことがありますか?それは絶対にありえないのです。

2022年6月19日日曜日

自分に興味がない相手に執着してしまう

【質問】
もっと愛すればよかったと後悔するのは嫌だからと、こちらに興味がない相手に対してもしつこく食い下がってずっと好きでいてしまいます。でも私からの愛を必要としていない人に、愛し足りないからと押し付けるのは愛じゃないと気付きました。これはただの執着で、手放せたなら愛でしょうか。

いつも気付きをありがとうございます。何度救われたかわかりません。そして何度教えていただいてもまだ間違ってしまいます。どうかお許しください。

【回答】
いつも読んでいただいてありがとうございます。

お気持ち、よくよくわかります。程度の差こそあれ、特に男性はみんな結構そういうものなのではないでしょうか?

僕は出会う前から人を許すと決めていますので、出会って許して欲しいと言われた瞬間に既に許しています。まぁ僕はあくまでも代理の人間ですし、あなたから何一つ実害を受けていないのであなたを許す・許さないという立場にはありませんが、あなたが僕に許されることで心が救われるのであれば幸いです。

僕が書くことはあなたを責めて説教しているように思われるかも知れませんが、あなたの幸せを純粋に心から願っての事であり、誤解のないようにお願いします。あなたの人生はあなたを主人公とするRPGであり、あなたに起きたことはすべて必要だから起きている「設定・伏線」であり、そこを起点に未来をどうするか、このRPGはすべてあなた次第に作られているのです。だからあなたは何も悪くないのですが、結局自分が変わらなければ何も変わらないのです。

まず、他の方の質問への回答をぜひご参考下さい。「片思いの存在意義

もっと無償かつ無条件で自分と他人を愛して下さいね。欠点や過ち・罪や恥を許し、存在に感謝し、尊敬し、欠けたものがあるなら補って下さい。

愛というものは与えられる前に自分から無償で与えるのが基本であり、そこに関してあなたは間違ってはいないと思います。ただ自分に都合の良いものだけを偏執的に愛そうとするから相手から拒否される力が働くのでしょう。元々すべての存在は一つですからね。自分にとって外見や性格が愛らしい人とか能力が高い人とか自分に都合の良い人だけを愛そうとしていませんか?出会った人をみんな無条件で愛していたら、相手が鬱陶しく感じるほど一人に愛情を集中する余裕はないはずです。

自尊心が低い人間は愛され難く、そういう人間からの愛情(親切)は、本人は見返りを求めていないようでも相手からすると愛や尊敬や感謝などの感情を見返りとして強要されているように感じられ、受ければ受けるほど追い詰められていくような息苦しい気持ちにさせられるのです。自尊心の低い(自分を愛していない)人間は相手も価値が低いと感じますから、そういう人間の愛情というのは価値が低く、むしろ鬱陶しくさえ感じられるのです。野良犬や野良猫に「ホラ、このエサをやるから私に懐きなさい」と残飯を与える感じで人に愛情を与えてはいけません。それはあなたにとっては愛情でも、相手にとっては感情の強要であり、相手をバカにした行為なのです。

僕は経験上あなたの気持ちもあなたの周囲の人の気持ちもよくわかります。そしてあなたも冷静に相手の立場に立って考えればわかるはずです。鬱状態の時は他人が見えなくなりますから、相手の立場に立って考えるというのがひどく難しくなるのですが、瞑想や読経でもして冷静になって考え直し、日々できるだけ我執から離れる修行を積んで下さい。焦らなくても大丈夫です。しっかり自分を見つめて課題に気づくことさえできれば、ごく短期間で自然にわかるようになります。

とにかくもっと無条件で出会った人・出来事を愛することです。そうすれば人に愛され、自尊心も自然と上がっていきます。人間関係は完全に鏡ですから、自分で自分自身を価値が低いように見ていたら、相手からも価値が低いように扱われるのは当然です。自分の人生というRPGの主人公として、神の子としての自尊心を手に入れて下さい。また同じく神の子である他人を尊敬して下さい。

そして例え何があろうと、例えどれだけ相手から嫌われても、ひたすら愛し抜くことです。それは相手の気持ちを無視してストーカーのように執着することではありません。相手の気持ちを大事にし、お互いに心地よい距離感を保って下さい。決して相手から求められてもいない親切を無理強いしませんように。そっと手を貸す感じで相手から求められたことだけを自然・素朴に無償でしてあげればいいのです。そして先に相手の方から求められるような人間になって下さい。

「誰でも自信満々になれる方法」

多分この記事は既に読んでいただけていると思いますが、ご質問の内容から察するにまだまだ自分に都合よく解釈してしまっていて内容を深く理解されていないと思います。あなたの問題の根源は自尊心の欠如であり、他者評価依存に陥っていることだと思います。この記事の内容は心から信じて実践を続けることでしか理解できないものですから、ぜひ信じて実践を続けてみて下さい。

人と接する時、極度に緊張する

【質問】
人からよく見られたいという気持ちが幼少期よりとても強く、執拗に容姿にこだわったり、どうみられてるかが怖くて人と接する時にいつも緊張して頭が真っ白になったりします。どうすれば、このようなことは改善していきますでしょうか。

【回答】
まずこれを読んでいただきたいです。「誰でも自信満々になれる方法」これはもう人間関係の万能のソリューションです。

「人目なんか気にしないで下さい」と言いたい所ですが、気にしいの人に気にするなというのはアル中の人が酔っている時に酒を飲むなというようなもので意味がありませんね(笑)。

しかし同調圧力の強い現代の日本で育てられるとみんな他者評価依存になり、気にしいになるのは普通のことなのです。「こんなに気にしいで悩んでいるのは自分だけだ」と思って悩んでいるみたいですが、程度の差こそあれそこはみんな同じなのですよ。もちろん僕自身も覚醒前は思いっきりそうでした。だからよくわかります。

それはいわゆる社会病理であり、あなた個人ではなく社会全体が病んでいるのです。決して自分だけだと思って悩まないで下さい。そして早く乗り越えて、同じように悩んでいる人を救って、救いを連鎖させて世界を救って下さい。

気にしいは広義の精神疾患で、自尊心の病気なのです。なぜみんなそうなっているかというと、適者生存・不適合者排除の価値観の中で育てられ「人に嫌われたら社会から排除されて生きていけなくなる」という恐れにより、他者評価依存にさせられているからです。そうやって人に嫌われて傷つくのを過剰に恐れ、他者評価に振り回されてばかりいると、主体性を失って人生が自分のものではなくなります。

主体性を失った人間というのは権力に対して従順になり、感情を押し殺すことでその場凌ぎをすることに慣れ、自分の魂が何を求めているのかさえわからなくなり、自分を尊敬し愛することができなくなってしまうのです。そして嫌なことの我慢代で駄賃を稼ぐ奴隷に自分から自発的になってしまうのです。基本的に日本の教育はこういう自発的な奴隷を量産するためにあります。しかしそれは我々日本人に共通したRPGの基本設定であり乗り越えるべき課題なのです。

自尊心が下がると行動レベルも下がりますから、悪いとわかっていることがやめられず、余計に自分はダメな奴だと落ち込む悪循環に陥ります。

自尊心の低い人が一番恐れるのは、自分が好きな人から嫌われることです。だから自分を好きになってくれる人だけを好きになり、自分を嫌いそうな人を先回りして嫌ったり避けたりします。だから人の顔色をうかがわざるを得なくなり、人目ばかり気になるのです。

そして相手のちょっとした機嫌の悪さも自分のせいで嫌われているのではないかと過剰に恐れるようになります。だからいつも疑心暗鬼になり、予め相手の嫌なところ悪い所を探しまくっておいて、嫌われた時の保険として抱え、陰口を言って予防線を張っておくような嫌な人間になってしまいます。「喧嘩になったのは私が悪いからではなく、相手が悪いからだ」と。

こんなことをしていては当然人とうまくいかなくて自信が持てず、人間関係が恐れる必要のない家族や幼馴染だけといった感じでとても狭くなり、当然恋愛の機会も少なくなって性的にも自信を築けないでしょう。そのように自信がないままではプライベートでも職場でも人間関係がストレスばかりになって人生がうまくいかなくなります。

基本的に人を恐れる人間というのは、疑心暗鬼によって他人と深い関係が築けず、人を表面的にしか見られなくなっていて、自分や他人の外見やちょっとした立ち振る舞いが過剰に気になり、うまくいかないのを全部外見などのせいにしたりしがちです。

自分の外見を気にして心を開かず、相手のことも外見でしか判断しないのなら、当然誰からも心を開れなくなります。そういう認識の歪みが性格となって外見や立ち振る舞いにも表れて人から自然と避けられるのであって、純粋に外見が良くないから嫌われているわけではないのです。そしていくら自信があるような演技をしようとおしゃれをしようと整形をしようと、人を恐れていては人にモテないのです。

自尊心の低い人というのは、相手からも「この人は価値が低い」と感じ取られます。だから安く扱われてしまうのです。「毎日人への気遣いは疲れるけど、こんな価値の低い人には気遣う必要はないからラクをしよう。価値が低いんだからバカにして適当に扱っても大丈夫だ。気が弱い人間だからどうせこちらがどれだけこの人を傷つけてもこちらが傷つけられることはない。自分はダメな人間だが、この人よりは絶対マシな存在だ」という感じで、同じように自尊心が低くて人間関係にストレスを抱えている人たちのストレス解消と偽りの自尊心回復のためのスケープゴート(イジメの対象)にされてしまいます。

絶対に忘れないで下さい。あなた=世界であり、あなたの人生はあなたを主人公とするRPGだということを。あなたの認識世界の住民は全員がNPCのようなものであり、あなた自身でもあるのです。だから人間関係は完全な鏡なのです。人を恐れるのは鏡の中の自分を恐れるようなものでバカげたことなのです。他人を恐れることは本来世界に唯一の存在であるという究極に孤独な創造主が、独りぼっちを感じないように人間の自我に与えた基本設定であり、乗り越えるべき課題なのです。

「自分も嫌いな人がいるのだから、誰かが私を嫌うのは仕方がない」などと最初から諦めないで下さい。どれだけ嫌っても愛で返してくるような人間を嫌い抜ける人間などいません。あなたさえ出会った人を例外なく何があっても最後まで愛し抜く覚悟を持ちさえすれば、人を恐れる必要など何もないのです。

あなたさえ主人公として目覚めれば、みんなもあなたを価値のある人間として主人公のように扱うようになり、人間関係に自信が持てるようになります。あなたが主人公なのですから、世界は当然すべてがあなた次第にデザインされているのです。だから他人から変えようと思ってもダメです。変わるなら常に自分からです。

詳しくは「誰でも自信満々になれる方法」をご覧下さい。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...