2022年6月20日月曜日

人にどんなことをされると嬉しいですか?

【質問】
人にどんなことをされると嬉しいですか?

【回答】
心から笑顔になってくれること。
幸せになってくれること。
家族みたいに仲良くなってくれること。
主人公(メシア)として目覚め、一緒に覚り(世界救世)を目指してくれること。
信じ合い、尊敬し合い、許し合い、補い合い、愛し合えるようになること。

霊感は何のためにありますか?

【質問】
霊感ある人って何のために霊感があると考えますか?全員に霊感を与えず特定の人間だけが霊感を持つのは何故ですか?

霊感がある人が占いとかのお店をしてお金儲けに使うのはどう思いますか?



【回答】
ご質問ありがとうございます。

そもそも人間というアバターは霊の集合体であり、肉体は霊のパッケージングみたいなものです。自我を持った人間というアバターに、意志を持った無数の霊が出入りし、それを己の魂が統括しているような感じです。

だから単に現時点での感度の差だけで、霊感の全くない人というのは基本的にいないと思います。人間は肉体を持った霊なのです。

人間というアバターの松果体は上位次元との交信のアンテナのようなものであり、自我(無明の闇)がその交信をしにくくすることで、この修行の場である仮想現実世界を唯一のチャンネル・本当の現実と感じるようにできています。

そして自我(無明の闇)が濃い人ほど現実主義的でスピリチュアルなことを一切信じず、試そうともせずに否定し、意識を変容させる(チャンネルを切り替える)人間を悪者のように攻撃してきて相手を無理やりこの仮想現実世界のチャンネルに閉じ込めようと無意識にしてきます。ちょうどマトリックスのエージェント・スミスのようですね。

無明の闇が晴れるほどに上位次元との交信がしやすくなります。この仮想現実世界とは異なるチャンネルとの交信感度が強ければ霊感が強い、ということになります。そして交信する上位次元の存在の応援を受けられれば、その神通力を借りれるわけです。

でも魂のレベルによって、交信できるチャンネル・つながれる存在は異なります。そしてそれにより上位次元の存在が自分を通じて発揮する神通力も異なります。そして人それぞれ個性・役割・使命・シナリオがあるので、魂のレベルが上がっても人それぞれ発揮できる神通力は異なります。ドラクエで職業によって特性・覚える呪文が違う感じですね。最初から全員レベルMAXで同じ呪文が使えたら誰も成長しませんし、ゲームが面白くなるわけがありません。神通力は自分の役割と成長レベル次第なのです。

このRPGはあくまでもログインしているあなたが主役であり、勇者です。霊感が強く神通力を手に入れた人間が主役なのではありません。あなた以外は全員がNPCのようなもので、あなたの協力プレイヤーであったり仮想敵であったりするわけです。

主役であるあなた自身が修行を通じて感覚を研ぎ澄ませ覚りを進めていかなければいけません。自分が主役であるゲームの進捗を他のログインプレイヤーと比べる必要はないのです。ただただ楽しみながらレベルアップしてゲームクリアに向かっていけばいいのです。

でも修行の目的が神通力を手に入れる事になっていてはいけません。それはあくまでゲームクリア(世界救済)のための手段でなくてはならないのです。「お金を稼ぎたい」「他人から評価されて自尊心を高めたい」などといったエゴのために神通力を手に入れたり行使したりすれば、それはそれだけカルマを積むことになります。それは主役である勇者ではなく悪役のやることなのです。悪役が最終的に報われるRPGのシナリオはありません。破滅のフラグみたいなものです。

実際、神通力をエゴのために使う人間は最終的に必ずうまくいかなくなります。例えこの世では逃げきれてもあの世ではそうではありません。神通力を与えられた人間というのは巫女のような役割であり、本当はそれによって最低限に必要な以上の利益を得てはいけないのです。例え大きな利益を得てもそれをみんなと分かち合わなければ、自己利益を得た分だけカルマを積み、そのうち神通力を失ったり因果応報で様々なトラブルや災難に見舞われたりするのです。

神通力で人を救おうとするのは素晴らしい事ですが、それは覚りの本質ではなく、本質はあくまでも真理を実践によって伝えて人を幸せにする連鎖を起こすことです。自分のカルマと正面から戦ってゲームクリア(世界救済)を目指し、目的もわからずこの世界の問題と戦うことを最初から諦めているような臆病で怠惰な他のログインプレイヤーたちにゲームクリア(世界救済)に向けて戦う勇気を与える事です。

鯨肉を食べてしまいました

【質問】
鯨も霊感が強いですか?私は昔、鯨肉を食べてしまいました。


【回答】
海の生き物の霊感は、彼らと日常的に一緒に過ごしているわけじゃないので僕はわかなんないです(笑) まぁかなりざっくりと言って霊性と知能は比例します。だから人間や猿は霊長類なのです。

人間は菜食のみでも健康に生きれるのですが、敢えて動物の肉を食べるならば、霊の長として生態系全体のバランスを考えた上で、自分たちからできるだけ遠い種族で知能が低く、放っておくと増えすぎてしまうものを選んだ方が良いでしょう。具体的には魚介類や鶏などです。その意味では昆虫食も良いのですが、個人的には大の苦手です(笑)

現代の工場制畜産は効率的大量生産の為に大量の畜産動物をモノ以下に扱い、生命の尊厳を完全に奪っています。それは病気の蔓延や環境破壊などの形で自分たちに確実に返ってきています。地球は一つの生命体でありホメオスタシスがあるのですから当然です。現代の工場制畜産で生み出された肉を金さえ出せば手に入るモノのように考えて毎日食べるのと、生きる喜びを味わった動物たちを自然の恒常性の範囲で適度に捕獲したり養殖したりして動物と自然と神々への感謝・慰霊しながら食べるのとは訳が違うのです。

我々は肉食そのものに罪悪感を持つことよりも、今の経済システムの中で必然的に生じた悪魔的な工場制畜産を排することを考えるべきで、そのためにはまず自分の価値観から考え直さなければなりません。肉食への罪悪感から無理に菜食主義を徹底し、肉食主義を責めて自分の考えを他人に押し付けたり、それに対して「菜食主義は体に悪い、肉は健康に必要だ」などと科学的根拠のない話で菜食主義者に反発したりで、人間同士お互い責め合っているのは愛がなくバカバカしい話です。

鯨はあなたが殺したわけでもなく、虐待的に養殖されたものでもなく、むやみに乱獲されたものでもないでしょう。その肉の一部を昔食べたことがあるっていう程度で悪影響はまず考えられません。基本的に人から出されたものは神様がくれたものだと思って感謝と共にいただけば良いのです。好き嫌いを言って自分を喜ばせようとしている人をガッカリさせてはいけません。

釈迦は出家後死ぬまでほぼ托鉢(乞食)のみで生活し、自分で選択できる時は基本的に菜食主義だったようですが、人様から頂く時は肉でも何でも感謝して食べていたと聞きます。僕もそれにならっています。

罪悪感を行動の動機とすると必ず自分も他人も傷つけます。だから罪悪感ではなく慈愛を動機として人間にも動物にも自然にも神々にも慈愛を発揮することです。

肉食の是非そのものよりも、一方を悪者にして自分が正義の立場に立ち、自分自身や他人を嫌ったり傷つけることが愚かなのです。そういうことをすることで人や動物に宿る霊を怒らせ、許し・感謝・尊敬・愛の心なく、創造主の愛に自ら背を向け、霊障を溜めてカルマを悪化させてしまってはいけません。出会った存在・出来事を例外なく許し尊敬し感謝し愛することの方がずっと大事です。そして霊障をためないように心と体と生活の場を常に清く保つ努力をすることです。

カルマとは我々を罪に誘い出して罰する意地悪の為にあるのではなく、自ら過ちに気付き、自らの意志で成長を目指させるためにある課題なのです。創造主が直接強制しては人間に自由意志を与えた意味がありません。

「悪いカルマの解消法」

そしてあなたが克服すべき課題は、昔に食べた動物のことでいまだに気に病んでいるその罪悪感の強さと、報復を恐れるその臆病さです。

すべては創造主の愛によって与えられたものであり、罪悪感が存在しなければ許しに価値はありません。罪悪感が強い分だけ、そこを乗り越えて人を許し自分を許し運命に感謝することに価値があるのです。

「罪と恥の存在意義」

臆病さがなければ勇気に価値はありません。生まれた時から何一つ恐れない人間の勇気に価値などあるわけがありません。臆病さを乗り越えて愛のために勇気を発揮するからこそ勇気には価値があるのです。

人生は物語であり、あなたが主役です。役者として一番ダメな要素は臆病と怠惰です。そして与えらえれた役・シナリオに感謝せず監督に恨みで返していたら主役を降ろされて悪い配役・シナリオを掴むのは当然です。そしてそんな役者は共演者にも感謝がなく人の気持ちがわからずに人間関係で失敗を重ね、苦手な人を恐れたり嫌ったりして避けるでしょうから、どんどんシナリオが悪化するのは自明なのです。ですからやはり、出会った人や出来事に例外なく感謝し愛することの方がずっと大事なのです。

「誰でも自信満々になれる方法」

鬱の良い点はありますか?

【質問】
鬱の良いところってありますか?


【回答】
乗り越えて初めてわかることですが、鬱は真の幸せ・真の覚りに必要な成長過程(経験)であり、大人の「はしか」みたいなものです。今の僕は鬱(無明の闇)を与えられた経験にとても感謝しています。

鬱(無明=愚かさ・迷いによる不幸)を経験せずに幸せ(覚り・真理の素晴らしさ)を感じられるわけがないのです。僕は鬱を経験したお陰で今とても幸せになれています。今どんな不幸を経験しようと「鬱だった頃に比べれば全然幸せ」という感じになりますしね。

この世界のすべては二元的に存在していて、両方を経験した上で相対的に見なければその価値がわからないのです。真理は人を幸せにするものであり、鬱は真理を覚るために・真に幸せになるために必要な過程です。

覚りに向けた修行を「お坊さんが山に籠ってやる苦行」みたいにイメージして、自分には縁のない他人事だと思わないで下さい。あなたは魂の修行(成長)のために生まれてきたのであり、今までの苦しみはすべてあなたの成長のために必要な経験だったのです。ただあなたが自覚してないだけで、あなたは真理の覚りを求めて生きてきたのです。

人生はあなたが主人公のRPGであり、あなたのためだけに用意されたシナリオがあります。決して他人と比べて不平不満を言わないで下さい。他人はNPCのような存在であり、あなたと創造主の関係は一対一です。自分に与えられているものは当然他人にも与えられていると考えて、与えられていないものばかりを見て創造主を恨んではいけません。当たり前が当たり前でないことに気づいて一つ一つ感謝することで創造主に愛され、必ず導かれるようになります。他人より与えられないと感謝できない人の感謝に価値などないのです。

自分に都合の良いものは誰でも愛せます。成長するということは、自分にとって都合の悪いものも「自分の魂の修行のためにベストなものが与えられている」と信じて愛し、与えられた課題(カルマ)に立ち向かい続けることです。

何十年と苦しみ続けたので、鬱の苦しみはよくわかります。霊障に翻弄されて悪い事ばかり考えて自尊心が地に落ちて自己嫌悪の塊になり、まともな思考ができなくなるんです。でもいつまでも立ち止まって鬱にどっぷり浸からず、ただひたすら真理(覚り・幸せ)を目指し、誰が何と言おうと自分の納得のいく道を進んで下さい。他者評価依存で他人に振り回され、世間という幻の常識に捉われてやりたいことをやらず、自らの魂が納得していない常識に合わせて自分を無理やり押さえつけようとし続け、自尊心が下げ続けることが鬱の根源的な原因の一つです。

真理(真の覚り・真の幸せ)は概念に過ぎず、経験を伴わなければ価値がありません。あなたがさんざん苦しんできた真理に至る過程(経験)が真理を価値ならしめるのです。経験がなければ真理は概念に過ぎないのです。全てを知っている全知全能の創造主にとって、経験を伴わない真理に価値はないのです。真に価値があるのはあなたの経験だということです。

繰り返しますが、真の幸せを知るのに不幸の経験は必要不可欠です。鬱も経験せずに真に幸せになれるなどということは有り得ません。一過性の快楽を追求する日々の連続に幸せがあると考える愚かさが、人間を真の幸せ・真の覚りから遠ざけるのです。

鬱で心の針が下げ止まりになる苦しい経験がなければ、感情豊かに心の針を自在に振れるような日々の幸せはわかりません。覚りを「感情をなくすこと」のように勘違いしないで下さいね。喜びと同じように悲しみにも価値があり、ネガティブな感情も存在するからこそポジティブな感情は素晴らしいのです。そして考え方によってその感情はコントロールすることが可能なのです。トランプから嫌いなカードを除いたらゲームになりません。ジョーカーがいなければババ抜きはできません。苦しみや悲しみを嫌って無理に排除しようとするのではなく、人生を物語のように監督目線で見てトータルに愛することです。

とにかく悲しみや苦しみから逃げ回ろうとしないで、しっかりと受け止めて下さい。カルマというのは逃げる事で追試や補講のように追いかけてきていつか追い詰められます。鬱というものをネガティブに捉えず、自分が成長するために与えられた課題(カルマ)なのだと思って、覚悟を決めて正面から向き合うことが大事です。カルマはドラクエのモンスターやバイオハザードのゾンビと同じで、クリエーターがプレーヤーを楽しませるために作った幻なのだとわかれば怖くも何ともないものです。そしてカルマに立ち向かうことでしか魂はレベルアップしていかないのです。

「悪いカルマの解消法」こちらをご参照下さい。

秘密を隠すのが辛い

【質問】
人にどうしても言いたく無い秘密があります。その秘密を隠しながら生活するのが罪悪感で辛いのでその人達との関係を切ろうと思うのですがこれは間違った考えでしょうか?


【回答】
ご質問ありがとうございます。

まず罪(罪悪感)が何のために存在するかを知って下さい。
「罪と恥の存在意義」

キリストは「この中で一度も罪を犯した事のない者だけが石を投げなさい」と言いました。みんな多かれ少なかれ罪を犯しながら生きているのです。そしてあなた一人だけの罪など存在しません。きっと同じ罪を犯している人はたくさんいるでしょう。

そしてどれだけ隠そうと我々の人生を映画の様に見ている創造主・宇宙意志には全部バレています。

心を解放して幸せになるには、まず自分と他人を責めるのを同時に止める事が大事です。

縁は全て創造主の贈り物であり、出会いにはちゃんと意味があるのです。出会った人(共演者)を避けるのは与えられたカルマ(配役・伏線)の放棄であり、やってはいけません。

あなたが出会った人を許す度にあなたは自分で自分を許せるようになるでしょう。罪はお互いに許し合うことでより深く愛し合えるよう人間にだけ与えられた贈り物です。

まず神に許しを乞うて下さい。神はあなたが悔い改め、同じ様に罪を犯した人を許すならきっとあなたを許すでしょう。より大きい罪を犯した人間ほど、神に許された時により多く神を愛するでしょう。それは聖書の言葉でもあります。そしてあなたがより大きい罪を犯した人間を許すなら、あなたは菩薩になるでしょう。出会ったらもう無条件で許すと先に決めておいて下さい。実際に出会ってない人を許す必要はありません。

あなたがどうしても神が信じられないとしても、一人で抱え込まず僕にDM下さい。プライバシーは厳守します。あなたがどんな罪を犯したのか知りませんが、僕は必ずあなたを許します。例え世間や法があなたを許さなくても、あなたの罪が許されるよう一緒に祈ります。

罪は幻です。全ての悪業はカルマであり、悪霊がシナリオ上やらせていることです。人の悪行は基本的に全部悪霊のせいにして良いので(笑)自分や他人を責めて恨んだり運命を呪って悪役に陥らず、日々霊的浄化に努め、どうか人を救うメシア・主人公として目覚めて下さい。大きな罪を犯した人や臆病な人がメシアとして目覚めるにはよりたくさんの勇気が要ります。だからこそ大きな罪を犯した人や臆病な人ほど目覚める勇気は尊いのです。

決して自分を責めて自己イメージを下げてはいけません。また自分より罪深い人間を探し出して責めてはいけません。自尊心と行動のレベルは正比例します。

「反省してはいけない」

悔い改めるって事は過去の自分や誰かを責める事ではなく、過ちから学んで成長し、より良い未来を掴むって事です。

みんなが例外なく未来の菩薩であることを信じて、自分も他人もどんどん許して下さいね。

別宇宙は存在すると思いますか?

【質問】
太陽の黒点の先に別宇宙は存在すると思いますか?


【回答】
「宇宙の仕組み」を読んでみて下さい。これが理解できればそのあたりのことはご理解いただけるかと思います。

その冒頭に書いた通り、人間は基本的にこの世界を思い切り楽しめるように敢えてその仕組みを理解できないように作られており、理解できないのが普通です。勿論全力でご説明させていただきますが、人類に理解できるように説明するのはとても困難です。まして文章のみでは。もし僕の説明が全然意味がわからないとしても、怒ったり落ち込んだりしないで下さいね。それは現段階の貴方には必要ないというだけの事ですから。

まず貴方は別宇宙というものがどこか物理的に遠く離れた場所にあると思っているようですが、それは誤りです。別宇宙は我々の宇宙と重ね合わせの状態で並行し偏在しているのです。

我々は自分を客観的世界の中に生きていると思うように作られていますが、実際はそれぞれ自分の心の世界(仏国土)に住んでいて、肉体というのは魂の入れ物であり、アバターのごときものです。本当は貴方の認識できるすべてが貴方自身なのです。

ただ我々が自分=世界=創造主であると完全に認識できてしまったら、自分が唯一の存在であるという創造主の究極の孤独に逆戻りしてしまいますから、創造主は自分の分身である分け御霊に、それぞれ自我(自分以外の存在は自分とは別のものであるという分離意識)と個性と物語上の役割(配役)を与え、この仮想現実世界に送り込んでいるのです。

ちょうどネットゲームのようにログインしているプレイヤーは全員が主人公であり、プレイヤー同士は同じゲームをしていて一つの世界にいるように感じていますが、それは重ね合わせの状態であり、実際は一人ひとり別な部屋でそれぞれ同種のゲーム機とモニターでゲームしているのです。

我々の時間・大きさ・距離はすべてこのゲーム内(次元内)でのみで通用する共通のルールです。僕らが好きな映画のDVDをいつでも好きな時間から見始めることができるように、DVDの外側(虚数時間軸)にいる上位次元の存在からすれば、いつでも僕らの世界の時間・場所に移動できるのです。

僕らの時間も物理的な存在は全てDVDのリーダー&ライターのように我々の魂の光(認識)によって生み出される仮想的なものであり、本当は存在しないのです。時間が存在しなければどこに行くのも時間ゼロですから、全てはくっついているのと同じであり、大きさや距離に意味はないのです。意味があるのは比率(形・デザイン)であり、どういう存在か(役割・存在意義)という事です。イラストレーターの画像が拡大縮小により劣化せず大きさがユーザーの任意であるのと同じイメージです。

別宇宙というのは我々の世界と重ね合わせ状態にあるのであり、時間や距離が離れて存在しているわけではありません。超弦理論では10の500乗というとんでもない数の宇宙が存在する可能性が理論上明らかにされていますが、それが重ね合わせの状態にあるのです。つまり認識者の数だけ宇宙があるのです。その数も全知全能たる創造主の任意であり、創造主がその気になれば無限に増やせます。みんなに共通した限界(ルール)を作らないと芸術・物語は成立しないのであえて限界を作っているだけです。トランプだってみんなが違うルールだったら一緒に遊べないでしょう。

僕らは共通したルールのもとにあるゲームだからこそ一緒に楽しめているのであり、別なルールでできている別なゲーム世界(別宇宙)には、我々の次元の肉体に紐づけられたままでは行けないように作られているのです。それができたらドラクエの主人公がいきなりFFの世界にワープするようなものです。そのように自分のゲームがクリアできてないうちに他所のゲームに行こうとすること自体がナンセンスであり、今のゲームをクリアしてもまだまだ他のゲームがあって、クリアしても楽しみは終わらないのだということさえ理解できれば、現段階でそれを実際に求めることに労力を割く必要はないのです。

「宇宙の仕組み」に書いた通り、太陽の黒点は中心核の膨大な熱と核融合反応を起こしている高圧ガス層との温度差があまりに大きいために気泡の如く生み出されているものであり、そこにはガス層で冷やされて相対的に冷えたガスの塊の中にダイレクトに突き抜けきれなかった電磁波がダマになって他のガス層の表面より多く発せられているのです。

別宇宙の出入り口は太陽の黒点ではなくブラックホールであり、それがDVDのスピンドルのように宇宙を重ね合わせているのです。その強大な重力・電磁波・熱にこの物理次元の肉体を持ったままの我々が耐えきれるわけもなく、実際物理的にそこに行って真実を科学的に確かめることはまず不可能でしょう。

宇宙人(別宇宙の存在)たちは遥か未来の存在であり、我々の物理次元の法則に従う・従わないを選択できる科学を持っているからこそ、時空を超えて我々の地球に顔を出し、他の恒星や地球の火山の中など過酷な状況も無視して住めるのでしょうね。

我々の生まれてきた最大の目的は愛すること・感謝することであり、魂を成長させる経験を積む事です。そしてそれが創造主に存在意義を与えているのです。それをはき違えて感情よりも科学的に真理を探ること(興味を満たすこと・便利さ)を追求してしまうと、どれだけ科学が進んでも不幸にしかなりません。グレイなどは僕らが間違った方向に行った場合の行く末であり(だから幸せそうなグレイなんていないのでしょう笑)、並行世界から時空を超えて我々のこの次元・この時代に時空を超えてやってきているのですが、その干渉も創造主のシナリオ通りであり、干渉には限度(因果律)が設けられているので、宇宙人による地球支配など恐れる必要は微塵もないのです。

多分理解されていないと思いますが、ただ貴方の覚りが進めば僕に教わらなくても全部理解できるでしょうし、逆に覚りが進んでいなければ僕がいくら懇切丁寧に説明しても理解することはないでしょう。どうか覚り(真理)を求め続ける覚悟(菩提心)を持って下さい。

最も影響を受けた人物

【質問】
しんやさんがもっとも影響を受けた人物は誰ですか?

【回答】
そりゃ両親でしょうね。僕に人生の基本設定を与えるために創造主が遣わした人たちですから。というか、育てくれた人以上の影響を他人から受けるっていうことはまずあり得ないことだと思います。

親とは徹底して考え方が合いませんでした。でも高校卒業までずっと一緒に暮らしたわけですし、遺伝子的な意味も含めて、多大な影響を受けているのは間違いないです。

あまりにも考え方が合わないために反抗期は特に逆らいまくりましたが、今はすごく申し訳なく思ってます。考え方が合わなくても愛せれば良かったんですけどね。いつも否定され考え方を押し付けられるようで一緒にいるのが耐えがたかったのです。目覚めてからは生み育てていただいたことに感謝しかありません。あの世で会えたら謝り倒します。

もちろん僕は両親以外からも色んな人から影響を受けています。出会った人から全く影響を受けないという事は基本的にないです。出会った人はみんな僕の人生という物語の共演者であり、僕という宇宙の一部ですからね。もちろん僕は彼らの宇宙の一部でもあります。いわゆる仏教の大千三千世界の宇宙観ですね。

多分誰か有名人の名前を挙げる事を期待してのご質問なのだと思いますが、釈迦とキリストぐらいしか思いつきません。本当はみんな全員同一人物みたいなものですしね。出会った人みんなから何がしかの影響を受けてますが、両親以上に影響を受けた事は一度もないです。

「人物」に限定しなければ、もちろん創造主が一番ですが。

どうすれば自分のカルマがわかりますか?

【質問】
自分のカルマはどうやったら自覚できますか?何がカルマにあたるのか分かりません。また、解消できた時はカルマが消える感覚があるのでしょうか?



【回答】
ご質問ありがとうございます。

森羅万象は因果により結びついており、それをあなたという主人公視点で見たものがあなたのカルマです。この世界には理由もなく独立して起きる出来事も存在もないのです。人間には理解できないだけで、森羅万象には因果(原因と結果)があり、偶然など何一つ存在しないのです。

あなたが経験した全ては、あなたが見聞きした歴史や神話やニュースも含めて、すべてあなたという主人公の物語の伏線なのです。だからそれらの事実確認や良し悪しの判断よりも、自分の人生という物語にとってどういう意味を持つ伏線なのかを考えることが大事です。つまり創造主があなたにその経験・知識を通じて何に気づかせ覚らせて成長を期待しているのかということです。

創造主が我々を楽しませるためにすべてを偶然と思わせているだけで、本当は偶然などというものは存在しません。あなたは偶然が存在すると思っているから(すべてが自分次第だとは信じたくないから)カルマ(伏線)がわからないのでしょう。あなたが出会った出来事・存在がすべて必然だと考えれば、あなたの人生・世界の伏線(カルマ)が見えてくるはずです。

我々の人生は魂を成長させる喜びのために創造主から与えられたものであり、我々はわざと愚かに真理が理解できないように作られています。そうでなくては成長を喜べるわけがありません。全知全能の創造主は当然真理のすべてを知っています。でもただ知っているだけでは真理は概念に過ぎず存在価値がありません。愚かな我々が真理に至ろうと成長するその経験があるからこそ真理には価値が生まれるのです。真理(結果)に価値があるのではなく、経験(過程)が真理(結果)を価値ならしめるのです。

何が自分のカルマ(課題)かを模索して解決していくことこそがこのRPGの核なのです。もしもし我々がカルマ(因果)のすべてを最初っから全部理解できていたら、人生というRPGのキャラクター・アバターである我々はただ単にクリエーターの筋書き通りに動かされるだけのAIのようになってしまい、ゲームとして成立しません。魂が成長するわけがありません。カルマというのは成長のために与えられた、我々がギリギリ乗り越えられる課題であり、ゲームにおける敵やトラップのように我々の行く手を阻む障害がカルマなのです。

目の前にある課題から目を反らすことなく、全力で乗り越えようとする中で、その点と点がつながって伏線が見えてくるのです。ドラクエで行く手を阻むモンスターを怖がり、与えられたカルマ(課題・ゲームの設定)を神の意地悪のように考えてこの世界に生まれたことを呪いながらスタート地点の町にいつまでも引きこもっていたら、ゲームの課題・伏線が見えるわけもなく物語が進むわけもありません。

厳しい言い方になりますが、あなたは自分のカルマ(課題・伏線・シナリオ・配役)から逃げているからカルマが自覚できないのであり、本当は自覚するのを自ら拒んでいるのです。自分の身に起きたすべての出来事・出会いが必然であり、自分の成長のために与えられた課題と考えれば、カルマは間違いなく見えてくるはずです。カルマは逃げるから恐ろしくなるのであり、立ち向かえば面白いゲームになるのです。しょせん仮想現実ですよ?何ものも恐れずただひたすらゲームクリア(真理)を目指してカルマと正面から立ち向かって下さい。(それが般若心経の主旨です)

本当はすべての存在は一つであり、他人というものは存在せず、あなたは人間関係の中で出会った人を鏡として自分のカルマを見ることができるのです。あなたの家族やパートナーや友人、仕事の同僚や顧客との問題は何ですか?そういうものを一つ一つ逃げずに見直していって下さい。あなたが出会った人のカルマはあなた自身のカルマでもあり、他人事と思って見放してはカルマが見えて来ず、物語が進まないのは当然です。出会った人と複雑に絡み合ったカルマを一つ一つひも解いていく先に今生の人生のゴールがあるのです。あなたの人生・世界におけるあなたの配役・使命の全うがあるのです。どんどん出会った人とのカルマ(課題)を解消して物語の伏線を回収していって下さい。カルマが解消できた時には解消できたとはっきりわかります。悪循環が断ち切れて、その分あなたもあなたと関わった人も成長を実感して幸せになるのですからね。

この世界はネットゲームのようなもので、ログインしている全員が世界を救う主人公です。あなたもみんなも自分など大した存在ではないと思い込み、世界を救うために生まれてきたということに目覚める勇気をなかなか持とうとはしません。しかしそれはこのゲームのアバター全員に与えられた共通設定・課題であり、その卑屈さ臆病さを乗り越えるところに勇気の価値があるのです。最初から自尊心満々で何も恐れない人の勇気に価値などありません。他人の言うことやることを一切言い訳にせず、ドラクエと同じように、まず世界を救うという目的(主人公・メシアであること)に目覚め、目の前の課題と全力で向かい合って下さい。まさにThink Globaly, Act localyです。

成長することなくレベル1でいきなり敵ボスを相手にしようと思っても辿り着けることさえなく死ぬだけであり、ネットで敵ボスたちの批判など繰り広げてもボスたちからは鼻で笑われるだけで何のダメージも与えられません。それどころかそのネガティブな言葉と思念により自分も他人も腐らせ、レベルアップもせず無力なまま世の中に絶望しながら脇役AIとして死を待つだけになるでしょう。だからやはりまず主人公として目覚め、目の前の課題から逃げずに立ち向かい、成長を続けることが大事です。その先に世界救出というゲームクリアが待っているのです。

人間関係を築くのが面倒臭い

【質問】
人間関係が無い方がしがらみが無く幸せを感じると思うのですが間違いでしょうか?妻や家族がいれば友人と深い関係を築くのは面倒臭いと思ってしまいます。


【回答】
ご質問ありがとうございます。

まず人生の基本として、心から納得できないことには従わないで下さい。あなたが幸せなのなら僕の言うことになど構わず、どうぞご自分の思う通りに生きれば良いと思います。

真理とは経験を伴わなければただの概念に過ぎません。真理(正解)に価値があるのではなく、そこに至る経験にこそ価値があり、それが真理を価値ならしめるのです。

だから実際に正しいか間違っているかではなく、現在の自分が心から正しいと信じているやり方でやってみて、失敗・過ちをたくさん犯しながら経験を通して実感しながら学ばなければ意味がありません。きっと遠回りになることかと思いますが、それがあなた本人にとってはベストな選択なのです。

ただ遠回りをしている間に人生が尽きてしまえば、自分の人生を「こう考えこう行動すれば不幸になる」というネガティブな教訓をアカシックレコードに記録することに人生を浪費することになってします。僕は誰の人生もそのように浪費して欲しくないので、必死で人を幸せに導くために真理を伝えているのです。まぁ当然ほとんど理解されないんですけど、経験を積む前に真理を全部理解できたら僕らが生まれてきた意味がありません。

あなたが今本当に幸せなのなら何の問題もないのですが、もしそうなら僕が人を幸せにするために書いている内容に反応はしないはずです。本当は僕の言うことが真理だと魂ではわかっているのに、天から与えられたエゴ(臆病と怠惰)によってどうしても心が反発してしまい、それを僕にぶつけないといられなかったのでしょう。

真理とは人を幸せにするものであり、あなたが幸せでないならどこか間違えているのです。

幸せでないのに幸せだとアピールする人は、人に見下されたくないから「自分は正しい」と主張しているだけでしょう。SNSなんかそのためにあるんじゃないかと思わせるほど、幸せアピールに溢れています。それはとても不幸なことだと思います。アピールとはサッカーのシミュレーションプレーのようなもので、必ず嘘を含み、むしろ実態は逆であることを自ら告白しているようなものなのです。

「人間」とは読んで字のごとく、関係性によって成り立っているものです。もちろん奥さん・家族との関係も大切な人間関係です。特に血縁者ではない奥さんは元他人で別れれば他人に戻る関係なのですから、思いっきり大切にしてあげて下さい。でも本当に大切なのは、出会った人みんなを大切にして家族のような関係を築くことだと思います。キリストも釈迦も出会いを大切にして、血縁関係とは敢えて少し距離を置く人でした。そうでなくては内に籠ることになって人間関係が広がっていきませんし成長できませんから当然ですね。

外での人間関係を煩わしく思って家庭に引きこもっていてはきっと職場でも良い仕事はできないと思いますし、収入が上がらないどころか使えない人材としていつか解雇されるかも知れません。そして深い仲の友人がいないようでは、必然的に外でのストレスを自分で抱え込むか家庭に持ち込んで自分も家族も暗くすることでしょう。子供はそういうあなたから人生を学ぶわけで、もし子供があなたの考え方を引き継いで育って将来不幸になったらあなたを恨むことになるかも知れません。そして外での人間関係から自分を成長させないあなたは、ひょっとしたら将来家族からも嫌われて、孤独な老後を迎えるかも知れません。

多くの人は「私にも嫌いな人がいるのだから、私を嫌う人がいてもしょうがない」と最初から諦め、自分を好きでいてくれる人だけを愛し、自分を嫌う人を嫌います。だから人の顔色ばかり窺うことになり、人生に主体性がなくなり、人に振り回されて疲れ果てて煩わしくなり、外での人間関係が嫌になってしまうのでしょう。

人生において自分を嫌いだった人が揺ぎ無く好きになってくれることほど楽しいことはないのですが、それを経験せずに人生を終えるのだとしたら悲しいことですね。

自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。真に大人になるということは、自分に都合のわるいものも自分の成長に必要なものだと愛せるようになることです。

人生は映画のようなものです。監督たる創造主が与えてくれた共演者を勝手に排除してしまうような残念な役者では今生も来世も良い役を与えてもらえるわけがありません。まして勝手に降板してしまうような役者では。役者として一番ダメな要素は臆病と怠惰です。人間関係を煩わしがったり恐れたりして引きこもっているようでは良い物語にはなりません。この映画は愛と勇気を試すためのものなのですから。

「誰でも自信満々になれる方法」

ぜひこれを読んで実践してみて下さい。そしてどうか人に嫌われることを恐れず愛し抜いて下さい。どれだけ嫌っても愛してくれる人を嫌い抜ける人などいませんから、人を恐れる必要など微塵もないのです。出会った人を例外なく愛し、幸せになって下さい。

心から感謝できない

【質問】
どうやったら出会った人や出来事に心から感謝、愛することができますか?

感謝をするとき、思考や上っ面でしかできてない自覚があります。生きてることや出会った人、自然、感じる心などあらゆる価値を客観的に見てみますが、「そうかもね」くらいの感情です。特に「出会った人をみんな人生という自分が主人公の物語の共演者として例外なくその存在に感謝する」ということが難しいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

「感謝の気持ちがなければ幸せにはなれないのはわかるけど、自分が幸せになってないと心からは感謝できない」僕が鬱の頃はまさにそのような矛盾に苦しんでいたので、お気持ちは痛いほどよくわかります。

ただ、すべてを創った創造主の視点で考えてみて下さいね。全知全能の彼に我々ができることは感謝することだけであり、僕らはそのために創られたようなものなのです。誰でも喜ぶようなもので、他人にはあまり与えらえていないようなものが自分に与えられないと感謝できないというなら、そのような感謝に価値はないのです。そもそも既に与えらえたものの価値がわからない人間にどれだけ与えても感謝などされないことは自明です。

自分に都合の良いものなら赤ん坊でも愛せます。創造主は人間に「常に自分の魂の成長にとってベストなものが与えれれている」ことに気づいて感謝して欲しいのです。そしてそのような感謝にこそ本当の価値があり、創造主から喜ばれるのです。でもそれを創造主自ら言うと意味がないので、自発的に感謝するように導いているのです。僕らが自分に感謝し愛するAIを作ってそのAIから感謝され愛されても何の価値も感じないでしょう。だから我々は自由意志が与えられ、通常は「感謝しない・愛さない」という選択肢を選ぶように作られているのです。だから努力してそこを乗り越えなければならないのです。

あなたは「客観的に見て」とおっしゃっていますが、それは単に自分と他人を比べて、自分に与えられているものは当然他人にも与えられている価値のないものだと考え、自分には与えられず誰か他人に与えらえているものをうらやんで不満に感じているのでしょう。

しかし人生というのは自分だけに与えられた自分を主人公とするRPGであり、他人というのはNPC(脇役のAI)のようなものなのです。例えどんな有名人や大人物であってもです。自分以外の人間は全員自動で動いているだけのAIでないことを誰もあなたに証明できませんし、あなたも自分がAIでないとを他人に証明はできません。他人がAIでないかどうかを確かめるのは、夢の中で会った人に「これは夢ですか?」と尋ねるが如しです。

この我々のいる仮想現実世界はネットゲームのようなもので、ログインしている全員が主人公です。でも他人のゲームの進捗は自分がゲームを楽しみにながらクリアを目指す上では何の関係もないのです。他人がどんなアイテムや能力を持っているかとか、一切関係ありません。自分の成長に合わせてベストなものがちゃんと与えられていることに気づいて下さい。ゲームの設定やシナリオに文句を言っていてもゲームは進みませんし、ゲームクリア(覚り・世界救済)を目指して冒険をしないなら、レベルアップしないのは当たり前です。何よりゲームをさせてもらえていることに感謝の気持ちがないなら、クリエイターの愛を受け取れなくて当然なのです。

我々が普段使っている「客観」というのは他人目線のことです。でも自分以外がNPCの世界で、そんなものは意味がありません。あなたにはあなたに向けて完璧にアレンジされたストーリーがあり、あなたの世界で主人公資格を与えられているのはあなただけなのです。誰もあなたにはなれないのです。他人と自分を比較することがいかにナンセンスかに気づいて下さい。

あなたは目覚める前の僕と同じで、人間の価値が何かに気づいていません。それは無理もない事です。今の世界は能力を価値とされ、それはお金をいくら稼げるかで判断されるからです。でもそういう基本設定があるからこそ、人の価値に気づくことは尊いのです。「人の価値とは?」必ず読んで下さい。

あなたは主人公ですから、創造主とは一対一の関係であり、あなたの世界にNPCが何億人いようと、あなたはその背中に隠れることはできません。他人の言うことやること・常識は一切言い訳には使えないのです。

本当の客観とは、創造主(クリエイター)視点で自分という主人公(俳優・アバター)とその物語を俯瞰して全体的に見ることです。あなたが自分の人生という物語の作家だったとしたら、どんな素敵な物語を作るでしょうか?最初から何の困難もなくずっと幸せなだけの物語を作りますか?そんな物語はつまらないですし、成長もしませんし、そもそも不幸を経験せずに幸せを感じることはできないでしょう。もし人生を本当に素敵な物語にするなら、ギリギリ乗り越えられる困難を与え続けてそれを乗り越えて成長し続ける物語にするはずです。そして実際あなたは記憶を消されているだけで、自分でそのようなシナリオを描いてこの仮想現実世界に生まれてきているのです。

クリエイターである本当のあなたは、自分が作った物語の主人公から「成長させるために与えた困難」を恨まれ、少しも成長しようとせず、望むものを与えられてないことに不平不満ばかり言われたら、その主人公にもっと良いものを与えたいと思うでしょうか?どれだけ与えてもどうせ当たり前だと思われるだけなのに。

もし主人公であるあなたがクリエイターから与えられたものに心から感謝できないようなら、既に与えられたものまではぎとられ続け、失うことで価値に気づかされるような悲しい人生になるでしょう。僕がまさにそうなりかけていたので、あなたにはそのような人生を送って欲しくないのです。

我々が当たり前だと思うことは何一つ当たり前ではないのです。「感謝」の対義語は「当前」です。「ありがたい」は「有り難い」ことに気づくことなのです。既に与えられているものの価値に気づき感謝することが我々の存在価値なのです。与えられた能力を自分のもののように考えて、それを磨くことによって他人の評価とそれに付随した金銭を得るためではありません。

当たり前と思わされていることを一つ一つ感謝できるようになることで、感謝したくなる⇒幸せになる⇒もっと感謝したくなるという好循環に入ることができます。

感謝=幸せです。この公式は創造主が作った絶対的なもので、誰にも揺るがすことはできません。僕らは感謝することで創造主に存在価値を与えるために存在しているのですから、心から感謝するほどに幸せにしてもらえるのは自然なことなのです。感謝しなければいけないからといって上っ面で感謝したところであなたの心も含めて全てを見ている創造主には意味がありません。与えられたものの価値に気づき、自発的に心から感謝したくなるような素敵な哲学を構築していって下さい。

存在のありがたさに気づけたなら、愛は心から溢れ出します。それは出せば出すほど増えて連鎖していくものなのです。感謝しなければいけないから感謝する、愛さなければいけないから愛する、というのでは自分が苦しくなるだけです。どうか存在すること(この世に生まれてきたこと)のありがたさに気づいて下さい。

創造主は存在のすべてであり、好き嫌いを言っていたらその愛は受け取れません。すべての存在と和解して下さい。それは我慢することではありません。我慢は読んで字の如くエゴで自分を満たすことであり、我慢しているうちは心では和解できていないのです。まずは許すことです。僕らは全知全能の創造主に変わって、欠点や過ちを許し合い補いあって愛し合い、失敗から学んで試行錯誤しながら成長するという、創造主にはできないことをやらせてもらっているのです。

そしてどうか信心を持って下さいね。きっと救われますから。全知全能の創造主が直接手を下すとゲームにならなくなりますから、ご利益は必ず神や人を通じてもたらされます。ぜひ色んな宗教に顔を出してみて奇跡を経験してみて下さい。献金や奉仕を強制されるなどヤバいと思ったらすぐ逃げて下さい。人生に偶然は一つもないので、家や職場の近くなど、通いやすい所に必ず縁がある宗教施設があるはずです。仮でもいいから信じてみて2~4週間ほど通ってみて、何か良い奇跡が起きればあなたに縁のある宗教だと思います。

神仏だって自分を信じない人は救いたくならないでしょう。でもご利益がなければ心からの信心は持ちにくいものです。神仏はちゃんとそれをわかっていますから、半信半疑のままでも真摯な気持ちで祈れば奇跡を起こしてくれます。ただ「私を救って欲しい」「○○を与えて欲しい」などという不平不満の気持ちで祈るのではなく、既に自分が救われていることに気づいて、感謝の気持ちで祈って下さいね。人生を与えられ、何かに対して感謝の気持ちで祈ることができるということ自体がありがたいことなのです。

ヴィパッサナー瞑想とメタ認知

【質問】
ヴィパッサナー瞑想と俗に言うメタ認知は同じ事でしょうか。また、これらをすることによりどのような効果があるのでしょうか。


【回答】
ご質問ありがとうございます。

ええと、僕はツイッター及びあらゆる媒体において一度たりともヴィパッサナー瞑想やメタ認知について言及したことがないのですが、なぜたくさんいる専門家ではなく僕に聞いてみようと思われたのでしょうか? WEBにもいっぱい情報がありますし、関連書籍も山ほどあります。餅は餅屋でしょう。

それと何事も、もし興味がある(良い予感がする)のならその自分の直感を信じてまず経験してみて知るべきだと思います。僕らは何かを概念として知るためではなく、それを経験するために生まれてきているのですから。

現代はネットの発達もあり、みんなどんどん経験する前に情報集めに奔走して経験せずにわかった気になっている人が多いですが、人生は経験しなければわからない・経験すればわかることばかりなのに、あまりにも事前に情報を集めようとし過ぎることは、それは経験に向かう腰を重くし、人生において経験に費やすべき時間を目減りさせてしまいます。そうなるのは臆病と怠惰が主原因であり、それは愛と勇気を試す人生というRPGにおいて真逆の要素なのです。人生は誰にとっても目的もわからずいきなりスタートしているものであり、目的・効果がはっきりわかってからでないと行動しないというのでは前に進めません。

そして何かの修行の効果というのはその副産物みたいなものであり、経験する前からあまり効果を期待して目的化してしまうと、効果が出ないとすぐに諦めるようになります。まずは興味があることに飛び込んでみて、経験そのもの(過程)を楽しめるようになりましょう。どんな素晴らしい目標があっても、過程を楽しめないなら続くわけがありません。

瞑想などの効果は教える側によっても習う側によっても違うでしょうし、必ずこういう効果が期待できるみたいなことは言えません。そもそもヴィパッサナー瞑想は「追い求めないこと(執着しないこと・我を手放すこと)」を主としていますしね。

ヴィパッサナー瞑想には特別何のリスクもありませんし(宗教詐欺ぐらい?)、いつでもそこらじゅうで瞑想会をやっていて誰でも参加できます。もちろんオンラインでもやっていますし、料金もたいしてかからないはずです。メタ認知についてもほぼ同様でしょう。前述の通り、興味があって簡単に経験できることなのに情報のみで経験を避けようとするのは「臆病・怠惰」なのです。

ヴィパッサナー瞑想とメタ認識は被る部分(僕の解釈で言うと深い内観を通じて神我を得る感じ)も多いでしょうが、同じ事ではありません。元々すべての存在は同一(ワンネス)ですから、何事も共通点を探すことは比較的容易ですが、共通点がわかったからといって経験する前から既に理解しているかのように考えることは危険です。何かを理解するということは違い(個性)がわかるということです。「分かる」は「分けられる」なのです。それも経験すればわかることであり、経験しなければわからないでしょう。まだ経験していないあなたに僕が事細かに両者の違いを説明することに意味を感じません。

ちょっと冷たい回答になっているかも知れませんが、あなたが人生で(酸いも甘いも含め)どんどん素敵な経験を積んで欲しいという100%の愛で答えていますので、どうか誤解のありませんように。

悲惨な世の中も創造主の意図通りですか?

【質問】
この仮想現実世界。創造主のご意思の通りならば、今世界中で起きている人口を減らすという出来事も創造主の意図されている事だと解釈してもよろしいのでしょうか。

創造主はこの仮想現実での死は魂の死ではないとご存知なので、亡くなる方々は救われているということなのでしょうか。

私自身はいつでも身体を脱ぐ覚悟は出来ています。でも皆がそうではなく生きたいのに注射をしたり薬漬けになったりと亡くなられる方がおられます。心が締めつけられます。誰かがなくなるととても悲しいです。

生きとし生けるものが皆幸せであって欲しいです。私はどんなに小さな命でもありがとうって大切にしています。長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました(^^)


【回答】
ご質問ありがとうございます。

はい。この世界は善悪関係なく全ての存在が創造主自身であり、全ての出来事がシナリオ通りで、我々は経験させてもらって楽しませてもらっているだけです。そしてこのゲームの主人公はあなたです。

あなたは何かのゲームで、善人キャラだけをクリエイターが作って、ディストピアな舞台設定や魔物などの悪役は勝手に出来上がったと考えますか?プレーヤーを楽しませるため、成長させるためにクリエイターが予め全てをプログラムしているのです。一度クリエイターの目線でこの仮想現実世界を見てみて下さいね。

RPGがディストピアから始まるのは当然であり、そうでなければ成長するための要素がありません。そして世界を救うという使命が意味をなさなくなります。舞台設定やシナリオについてクリエイターに文句を言ってもゲームが進みません。

あなたは創造主に向かって「なんでこんなに世界を悲惨に作ったのですか?我々を救って下さい。そうでなければあなたを恨みます。いや、その存在すら信じません」とおっしゃるのでしょうか?それはドラクエで言えばクリエイターの堀井雄二さんに「モンスターを全部退治して下さい」とお願するようなものです。それではゲームとして成立せず存在意義がありません。

あなたの世界はあなたを主人公とするRPGであり、あなたが成長していつか世界を救うためにわざと不幸多く作られています。最初からずっと幸せなだけでは成長できませんし、そもそもゲーム(人生・世界)の存在意義がありません。

「一人で76憶人を救えるわけがない」などと考えるから、主人公として世界を救うことを最初から諦めてしまうのでしょう。そんなことは求められていないのです。ただ目の前の人を愛し抜き救い続ければ良いのです。それは必ずあなたの認識世界の住民であるNPCたちに指数関数的に連鎖し、いつか必ず世界は救われるのです。あなたは主人公としてその起点となる使命があるのです。

こう言ってもあなたはなかなかご自分が主人公(メシア)だとは信じられないと思います。しかしnoteに書いた通り、夢の中で出会った人に「これは夢ですか?」と聞くことに意味がないように、他人に自意識が本当にあるのかNPCなのかを確認する事に意味はありません。

あなたの世界にNPCが何億人いようと主人公であるあなたはその背中に隠れることはできないのです。あなたと創造主の関係は一対一で、他人の言うことやることは一切言い訳には使えません。

主人公であるあなたはこのディストピアでどう困難に立ち向かい、乗り越えて魂を成長させるのか、創造主は全部見ているのです。

愛と勇気を試すためのRPGですから、世界は当然ありとあらゆる手段であなたを脅し不安にさせ怒らせたり傷つけたり悲しませたりしてきます。でもそれに決して屈してはいけないのです。日々無数に訪れる一つ一つの選択肢が、全て愛と勇気を試されているものだとわかれば、まるでブレーキが壊れたかのようにすごい勢いで前に進めることでしょう。あなたはRPGではきっとそうしているはずです。なのにこの仮想現実世界を本当の現実だと考えてエゴに捉われるから、いつも臆病と怠惰によって正しい決断ができないのです。

この世界が仮想現実と分かれば、自らの死など恐れるに足りません。恐れるべきことはクリアに向かわずこの世界での成長を楽しめないことです。他人の死を悼む気持ちは尊いものですが、自らの死を恐れて使命から逃げたり、人の死を悲しむあまり厭世感に浸って無気力になるようではいけないのです。我々が死や死後の裁きを恐れたりするようにプログラムされているも、愛と勇気を試すための仕掛けですから、恐れずに立ち向かって下さい。

死ぬ覚悟が立派なのではありません。使命を全うするために我執を捨てることが尊いのです。命は永遠ですから何も恐れる必要はありません。

常に愛と勇気が試され、全てを神々に見られている事を意識し、どうすることが愛と勇気を発揮することになるのかをよく考えて実行し続け、ブレーキが壊れたように前に突き進んで下さいね。

【返信】
回答ありがとうございました。先程創造主の意図についてお尋ねしたものです。合点がいきました。心に染み入りました。歳のせいかとても涙もろいです。

私は私の舞台の主役として邁進して行きますね。ただ、ドラマもゲームも主役だけでは成り立たないのですから、クリエイターや脇役、スタッフの方々にも感謝して愛を伝えてサポートしていきたいです。どんな世界でも皆で楽しみたいですものね。

自分の愚かさも赦して愛し、他の愚かさも赦し愛して生ききります。愛と赦しをありがとうございます。お返事は大丈夫です(^^)

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...