2022年10月5日水曜日

浄霊の効果を高めるには?

 【質問】
霊気や浄霊の効力を上げるアドバイスとかあったりしますか?

ちなみに真也氏の浄霊って、ペンダントを付けて行うJhoreiとは別でしょうか。

【回答】※10月7日更新
ご質問ありがとうございます。

いつも通り全力でご説明差し上げたいのですが、それを正しく理解していただこうとすると「霊とは何か?」ってところから全部説明しなきゃいけなくなり、本題に入る前に長くなり過ぎて誰にも読んでいただけなくなると思うので、エッセンスだけ伝わるようにご説明させていただこうと思います。

まず「霊」というのはまだ現代科学で証明されていないだけで極めて科学的(システマティックで原因と結果を予測し得るという意味で)なものなのですが、「霊」という言葉はとどうしても幽霊のようなおどろおどろしい・胡散臭いイメージにとらえられがちなので、「スピリット」と言った方が意味としては伝わりやすくなる気がします。でもそれも文章として長くなるので敢えて「霊」としたまま話を続けます。

宇宙の仕組み」においてご説明させていただいていますが、世界は素粒子でできており、それは究極は超弦波動でできていて、それは霊的意思(創造主の意思・宇宙意思)の乗り物なのです。

物質世界は我々がその波動をコードとして共通のルールに従って見ているネットゲームの世界のような幻であり、世界の実態はクリエイターの霊的意思のみなのです。上位次元から見ればその世界はコンピュータープログラムのような文字列(コード・データ)であり、それは究極は01のデジタル信号でできているのです。まさに映画のマトリックスですね。


デジタルにおける01とは、ある特定の次元においての存在・不存在を表したものであり、その0は本当の不存在ではありません。創造主の中には次元が無限に存在しており、その中において純粋な不存在は存在しえず、0というのは十字グラフの中心点の0のようにある特定の次元においてのゼロを表しているに過ぎません。僕らの次元においては1が物質で0が霊=霊的意思なのです。それが陰陽でもありますね。我々の時間と交錯する虚数時間ではこの陰陽が逆転しており、霊は完全に実在なのです。

僕らの魂は光であり、その物質&霊を構成する超弦データを読み書きするためのリーダー&ライターなわけです。魂とは全知全能の創造主の分け御霊であり、本来は創造主と同じく全知全能で、そのままでは成長することもなければ、物語を紡ぐこともないのです。

この世界は創造主が自身の分け御霊である我々を通じて、真理・愛に至る成長の物語を経験するために創られたのです。そしてこの世界を創るためには魂(光)を無明の闇(エゴ・愚かさ・迷い)によって分けてバラバラにして個性を与える必要があったのです。愛は自分(主体)と他人(客体)が共通ルールの世界の中に存在し、それぞれに自意識(エゴ)と個性(欠点や過ち)があってそれを許し合い補い合う事でしか生じ得ないからです。夜空の星々を眺めれば、光を分けるのにどれだけ圧倒的な闇が必要かは想像できるでしょう。そもそも愛は引力ですから、エゴにより分離されていてお互いに反発し合わなかったら存在し得ません。

全知全能である自分が作ったRPGは、自分でプログラムしたことをすべてを忘れ、制約だらけの不幸なディストピア世界において、愚かで能力の低いレベル1から始めなければ成長を楽しめません。僕らは成長の物語を楽しむために、わざと全てを忘れて愚かで能力が低く生まれてくるのです。そして制約だらけの世界で、失敗し・迷い・試行錯誤を続けて成長しながら人生という物語を紡いでいるわけです。自分や他人が愚かで能力が低いから価値が低いなどとは絶対に思ってはならないのです。僕らは人生経験を通じて、全ての存在・出来事に感謝できるようになり、みんなと愛し合えるようになることで創造主に存在意義を与えている尊い存在なのです。

この無明の闇(エゴ・愚かさ・迷い)を構成しているものがカルマであり、カルマを構成しているものが霊障(霊的穢れ)なのです。これがなくては愛・真理には価値が生じないのです。最初からみんなが愛に満ちていたり、全知全能だったりしたら成長しようがありませんし、愛・真理に何の価値も生じないのです。

この無明の闇(カルマ・霊障)が光である魂を包み込んでいるために「包み穢れ」と言われるのであり、つつみは「堤」でもあって、元々は果てしなく高い我々の波動を防波堤のように打ち消すものなのです。そしてそれはまた「気枯れ」と言われるように「気」を枯らしているのです。この穢れを日々祓い清め続けることこそが霊的成長であり、その過程に魂の成長の物語があるのです。

霊的穢れ(霊障)はこの世界に満ち満ちており、それが悪さをする細胞・ウイルスとして結晶化して現れていて、それが我々に悪い思考・行動・病気・不幸をもたらし、人をより悪いシナリオへと導いていますから、我々は幸せになりたいのならそれを祓い続けて魂的に成長し続けてより良いシナリオを掴まなければならないのです。そのための一つの手法が浄霊(霊気・お清め)なわけです。

ちなみに幽霊・悪霊のようなものは、霊障が更に大きな塊となり、宿主の生前の記憶と意思を持っています。そういう悪霊に自我を乗っ取られるとかなり厄介です。元々の宿主と同じ不幸に導かれて強制的に同情するように仕向けられますから。このあたりの話は「憑依体質の存在意義」に書きました。

人間が人間である限り無明の闇が完全に晴れることはありません。腸内を完璧に洗浄したところですぐ腸内が大便まみれになるようなものです。しかしその魂を包む穢れを祓い清め続けることで、包み穢れがどんどん浄化されて映画のフィルムのようになり、より明るく色鮮やかな美しい物語となるのです。(成長に課題は必要であり、悲しみや苦しみや痛みなどが全くなくなるわけではありません)

さて、もし我々がクリエイターだとして、自分を愛するようにプログラムしたAIから愛されても何も嬉しくないですし、そもそもそれは愛ですらないでしょう。自由意志というのは愛・感情を価値ならしめるためにあるのであり、クリエイターが愛・感情を強制しては存在意義がなくなってしまうのです。同様に魂の成長もクリエイターが強制しては何の意味もないので、クリエイターは人間に自由意志を与えた上で常に自発的成長を促しているのです。僕らの人生で起きるすべては(歴史も神話もニュースも実体験も全て)そのための伏線と言っても良いでしょう。

信心も、クリエイターが自分を信じるように人間をプログラムしたら存在意義がありません。だからクリエイターはあえて基本的には神を信じないように人間をプログラムした上で、科学的に神の存在が証明されないように世界を運営し、神を恨みたくなるような試練をたくさん与え、宗教を堕落させて過ちや詐欺を横行させ、神を信じるものは気違いだとすら思わせた上で、神を信じるものに利益を与えて自発的信仰を促し、信心を価値ならしめているのです。神の存在が科学的に証明されるようなら信心には何の価値もなくなりますからね。

霊的な穢れが人間に自発的な信心と魂の成長を促し導くためのものだとわかれば、それを祓う「浄霊」の力を上げようと思ったら、信心を強くして魂を成長させるしかないとわかるでしょう。

「浄霊」をテクニックのようなものと勘違いしないで下さいね。もちろんテクニック(形式)も大事なものではあり、言霊や印や道具などの使用によって神々と自分の意思を同期しやすくなって浄霊力が高まるというのはあるのですけども、浄霊の本質は「信心」と「魂の成長」であって、それよりもテクニックの方に本質があるように考えるのは、手品師が「アブラカダブラ」や「チチンプイプイ」などのおまじないによって奇跡を起こしていると考えるようなものです。

キリストは弟子たちがそれぞれの訪問先で奇跡を行えず布教に失敗して帰って来たのを見て「やれやれ、何と信心の足りない弟子たちだろう」と呆れたそうです。キリストが起こした奇跡は基本的に浄霊によって(創造主によって)成されたものですが、それはテクニックではありませんし、弟子たちにも浄霊のテクニックを教えたわけではないのです。キリストはその場の土と唾と混ぜ合わせてこねて泉の水で洗わせて盲人の目を開かせたりしましたが、そんな手法を使わずとも何度も盲人の目を開かせているわけで、それは必要不可欠なテクニックではなかったのです。ですからもし弟子がそれを習って同じことをしたところで盲人の目を開かせることはできなかったでしょう。

決して浄霊をテクニックのように考えて効力を上げようなどと考えないで下さい。信心をよりいっそう強くし、魂的・霊的に成長し、創造主の意思(みんなを等しく愛し、救おうとしている)と自分の意思を同期させること(感応道交・哀愍納受)こそが浄霊の本質なのです。

浄霊能力は人間なら誰でも持つものであり、それをまるで特殊な能力のように考えて「他人から尊敬されたい」とか「お金を儲けたい」とか、そういう自尊心の低さの解消を目指すエゴによって上達したいと考えても決してうまくはいかないでしょうし、きっと逆にカルマを深めて道を誤ることでしょう。

だいたい宗教詐欺なんていうのは、そういう「自分なんて…」と思っている自尊心の低い人を騙して「あなたには霊的な才能があります」などとおだててセミナーなどでお金を騙し取るのです。霊能力は人間の力ではなく、創造主がその人を通じて力を発揮しているだけであり、創造主の力の媒体になるというのは本来誰しもが持つ才能であって、個人の特殊能力でも何でもないのです。それなのに劣等感から「特別な人間になりたい」という目的で霊能力を得たいなどと考えるのは愚かな事なのです。創造主曰く「偉くなろうとするな、尊いと知れ。特別な人間になろうとするな、特別(主人公)であると知れ。そして特別じゃなくなること(ワンネス)を目指して世界に救いを連鎖させよ」とのことです。

キリストは奇跡を起こして人を救う度に「私が救ったのではない、あなたの信心があなたを救ったのだ」と言いましたが、浄霊の本質はここにあります。相手に自発的信心を起こさせそれを連鎖させるためにあるのです。みんな信心・浄霊の大切さを知らずに苦しんでいる訳ですから、浄霊を実経験させることでそれをわからせるのです。トイレ掃除の大切さをわからせるために一度他人のトイレ掃除をやってあげるようなものです。一度も浄霊したことのない人の体というのは、一度も掃除したことのないトイレのようなものであり、結局本人が掃除(浄霊)する習慣を身につけて信心を強くしていかなければ意味がないのです。みんなが自分と他人を霊的に清めるような連鎖が世界の隅々まで行き渡れば、世界は必然的に(霊的に)救われるのです。

浄霊力を高めたいのであれば、何よりもまず信心をより強く持つ事であり、創造主を信じ、その分身である神々とその教えについて学び、尊敬し、その名と偉業を讃える作法(供養方法)を学び、その神々の加護を受けることです。

また、同じく創造主の分身である他人に尽くし、心の波動を高く保ち、自他共に自尊心を上げ続けることです。そして日々エゴ・霊障による穢れを祓い続けることです。

人に尽くすということは、慈愛の精神を持ってそれを実践するためにどんどん無償で奉仕することです(浄霊も奉仕の一つであり、やればやるほどその力は強くなります)そして人に無償で奉仕してもらい、心からそれを喜んで感謝して助けてくれた人を笑顔にして「もっと無償で奉仕したい」と思われるぐらい愛される人間になることです。

出会う人は本当はみんなあなた自身なのですから、他人(霊障)の痛み苦しみ悲しみに心から同情できる優しい人になって下さいね。

そして何より自分が主人公(メシア)としての自覚を持ち、自分の仏国土(世界・出会った人全員)の御霊御魂を救う決意を持つ事です。そして真理を求めて覚りを進め、真理=愛を日々実践し、人にも霊にも行動・言葉・思念・波動で真理=愛を伝える事です。それが浄霊の本質なのです。

>ちなみに真也氏の浄霊って、ペンダントを付けて行うJhoreiとは別でしょうか。

ここまで書けば伝わっていると思うのですが、浄霊は全て本質的に同じものであり、もしその浄霊が本質から違っているものであれば、プラシーボ効果以上の効果があるわけがありません。それでお金を取ろうとしているのなら確実に詐欺でしょう。

大本教やその信者が作った神道系・手かざし浄霊系(真光や世界救世教など)の宗教の浄霊はだいたい基本的に同じものだと思って差し支えないかと思います。僕も全部見たわけでは全然ないので保証はしかねますけども、作法や信仰対象の違いぐらいしかないと思います。細かい違いはあるでしょうが、実際は単に独立したかったから無理にでも違いを作り出したという部分の方が大きいのではないかなという印象です。

僕も崇教真光や世界救世教にはほぼ毎日通って浄霊を受けながら勉強させてもらっています。(他にも色んな宗教に通ってます。ただ大本教は場所が遠いですし、コロナの際に嫌な断られ方をしたので通ってません)僕は霊障が目に見えるので、幹部や信者さんたちが概ね高い浄霊力をお持ちなのはよくわかります。(まぁ浄霊そのものは特殊能力でも何でもないのですけどね)

ただ僕自身はどこの信者にもなっていないので、信者がもらえるペンダントのようなものは受け取っておらず、それにどのぐらいの効果があるのかはわかりませんし、それがどのように作られているかも知りません。

が、ペンダントなどに浄霊の本質があるわけはないということは当記事を読んでいただければおわかりいただけると思います。実際、僕は浄霊の仕方を誰にも習っておらず、ただ創造主の導きに従って浄霊力を高めていて、ペンダントなんかなくても全然浄霊できています。そして色んな宗教に顔を出していても、僕より浄霊の力が強い人にはまだ会ったことがありません。(ぜひ出会って教えを請いたいです)

ああいうペンダントみたいなもののお陰で浄霊力が高まるのだと(製造過程すら明らかにせずに)信者に信じ込ませるのは、自分の力を過信して独立したりさせないようにする「囲い込み」の意味が大きいのではないかと個人的には思ったりしています。特に手かざし浄霊は誰にでもできるものですし、今までも何度も独立されて信者と収入をごっそり持っていかれているわけですからね。

どの宗教も共通して信者さんたちから(強制ではなくても)大金を集め、奉仕を半強制的に求め、大きな施設を作って大きなイベントを行って権勢を見せつけ、自分の宗教の信者をより多く獲得しようとするような「拡大路線」を正義だと考えている節があります。創設者がどんなに純粋な思いで作った宗教でもほぼ例外なくそうなります。どこの宗教の教祖もみんなと富を分かち合って清貧な暮らしをしているようには見えませんし、権力争いと分裂を繰り返しているのは何だか残念な気持ちになります。(こういうことを書くと出禁とかになるかも知れませんが)だから僕は宗教団体って作りたくないんです。

たくさんの人を浄霊をするのもされるのも、こういった宗教に通わないと難しいでしょうけども、あまり僕がどこかの宗教を手放しで称賛して、それであなたがどこかの信者になって内部の問題に巻き込まれたりしても責任は追いかねるので、一応注意喚起はさせていただきました。該当の宗教の関係者様がもし読まれましたら気分を害されるかも知れませんが、どうか出禁だけはご勘弁を。

あちこち通って比べてみて、自分が心から良いと思う所を選んで下さい。人間と同じようにどこの宗教にも欠点や過ちはあり、それを理由に愛さないなら愛せる宗教は見つかりません。ただ高額な寄付や過酷な奉仕を強要してくるような団体は宗教を悪用した単なる詐欺なので、なりふり構わずすぐに逃げて下さい。


2022年10月1日土曜日

苦手な人を許すのが難しい

【質問】20代前半・男性
また、人間関係で相談したいことがあります。相手を許すことが難しい場合にはどうすればいいでしょうか?

同じ部署の上司の内の1人が私を冷遇していて、すごく苦手で辛いです。挨拶をしてもちゃんと挨拶を返してくれず、他の人と話すときはテンションが高いのに自分と話すときは異常にトーンダウンします。仲を深めようと雑談をしようと思っても「知らない、うん」でバッタリ切られるので仲を深めようもありません。自分も雑談が苦手だったり話しかけやすい雰囲気ではないですが、何か嫌なことをしたわけでもないのにこの仕打ちは傷ついています。愛する前に許そうと思っても難しく、自分側の傷が問題かと思ってソルフェジオの音楽を聞いたりセドナメソッドのようなことをしてもあまり改善されず困って居ます。「なんで自分に冷たいんですか?」と直接言っても、その後余計ギスギスしそうで…。今まで我慢してやり過ごしてきたのですが、もうそろそろキツいです。

【回答】※10月7日更新
ご質問ありがとうございます。

基本的に人の悩みというのは(抽象度を上げれば)共通であり、あなたのその悩みは殆どの人に共通するものです。今回も未だ主人公に目覚めずNPCをやっている魂の兄弟たちを代表して、質問して下さったあなたに創造主の声を代弁して伝えたいと思います。

まず、苦手に感じる相手が誰もいない人なんていると思いますか?また理不尽に自分を嫌ってくる相手が誰もいない人なんていると思いますか?それは人生というRPGにおいて必要な配役なんですね。そしてそれはみんなが共通して通らなければいけない初期設定の課題であり、過程なのです。鬱になると周りが見えなくなるものですが、決してこの問題で悩んでいるのが自分だけであるかのように考えないで下さい。もちろん僕自身もかつては同じ問題で悩みました。

あなたがよっぽど好き嫌いが激しい人でない限り、苦手な人は10人に1人もいないでしょう。その確率ならどこかにあなたの苦手な人が一人もいない環境があっても良さそうなのに、どこに行っても(家族内でさえも)例外なく「この人さえいなければ」という苦手な人がいたはずです。それはあなたの成長に必要だから与えられている配役であり、決して逃れることはできないのです。

魂の成長プログラムであるこの仮想現実世界に偶然など一つもあると思わないで下さい。ただクリエイターが自発的成長を促すために手塩をかけて全てを偶然だと思わせているだけです。必然であることがわかり過ぎると強制しているのと同じになってしまい、人間に自由意志を与えた意味がなくなってしまいますから。無論僕とあなた(読者)とのこの出会いも偶然などではなく、全てが必然なのです。

人生というRPGにおいて、クリエイターのメッセージ(導き)は常にゲームの中における出会い(人・出来事)を通じてもたらされるのです。それを不快に感じるからといって避けたり恨んだりしていたらゲームは行き詰まるか事故るかしかなくなります。

note記事「誰でも自信満々になれる方法」において再三説明させていただいていることなのですが、どれだけ嫌って意地悪をしても、あくまでも自分を愛し抜いてくれるような人間を嫌いきれる人間などいません。だから自分さえ出会った人を例外なく愛し抜く覚悟さえ持てば、いつか必ず愛されますので、人を恐れる必要など全くないのです。

相手の反応を見て自分の反応を決めようなどと思うから、必然的に他人の顔色を伺ってビクビクするようになり、相手の態度に振り回されてあなたの人生から主体性が失われるのです。出会ったら相手の反応に一切関係なく相手が笑顔になるまであくまでも笑顔を続けると予め決めておいて下さい。あなたが笑顔になればみんな笑顔になります。花咲か爺のようにどんどん周囲に笑顔の花を咲かせて下さい。勘違いしないで欲しいのは、作り笑顔をすることが本質ではなく、出会いが嬉しくなって心からの笑顔・本物の笑顔になるように努力することが本質だということです。

そして出会ったら許し尊敬し感謝し愛すると決めておいて下さい。最初から決まっているのですから、あとはどのように許し尊敬し感謝し愛するかに100%頭を使えばいいのです。それ以外の選択肢が存在していると思うから迷いが生じ、つまらないことをあれこれと考えて疑心暗鬼に陥ってちょっとしたことで怖気づき、自分が嫌われた時の保険として相手の悪い部分を次々に探し出して、どんどん相手を嫌いになってそれが態度に出て、相手からますます嫌われるのです。そうやってどんどん悪いシナリオへと導かれるのです。

それはこの人生というゲームに共通した実に初歩的なトラップなのですが、あなたも他のほとんどの人達も見事にひっかかって何度も同じレベルでリスタート(輪廻転生)を繰り返しているわけです。

鬱傾向の強い人は自分をいじめて自尊心を下げるのが正義というか趣味みたいになって、その自尊心を回復するために他人を尊敬せずに欠点や過ちをあげつらって責めがちなのですが、自分も他人も創造主の分身であり、それを尊敬できないのは罪なことであり、悪業となって返ってくるのは当然なのです。

自分が主役のRPGはすべからく自分次第に作られています。そして人間関係というのは完全に鏡であり、合わせ鏡に映った自分に自分とは異なる個性が与えられた存在が他人なのです。相手も自己嫌悪を感じるポイントをあなたに見て嫌ってくるわけですから、あなたはそれを全然意に介さず相手を愛し抜くことで相手は自分の欠点や過ちが気にならなくなり、救う事ができるのです。誰かを責めてダメ出しや説教なんかしても人は救えません。どうすれば相手の自尊心を上げられるかを常に考えて実行して下さい。人は自分の自尊心を上げてくれる人を愛するのであり、自尊心が上がれば自然と良い思考・行動をするようになって自然と幸せに導かれるのです。

人間には個性というものがあり、それは欠点や過ちと不可分です。それを理由に自分や他人を愛さないというなら誰も愛することはできません。自分で良くないと思う部分は直したら良いと思いますが(それが成長ですからね)、どれだけ改善しようと個性(欠点や過ち)が消えることはなく、それを嫌う人がいなくなることもありません。愛というのはお互いの欠点や過ちを許し合い・補い合うことで生まれるものなのです。

人生はRPGでありシナリオのある映画です。そして出会う人はみんなあなたが主役の映画の共演者なのです。全員があなたに必要で創造主から派遣されている(無自覚な)俳優なのであり、それを悪役だからとか重要ではない端役だからとかそんな理由で避けて、許さず、尊敬せず、感謝せず、愛さないなら、あなたの人生という作品がどんどん悲惨なものになっていくのは当然のことなのです。

人生が物語であり出会う人がみんな俳優だと思うと、人生がとても面白くなりますよ。みんなカメラの前で他人役をやらせたりするとだいたい下手くそですが「本人役」だけは天才的にうまいですからね。あまりにも演技がうま過ぎてどこかの劇団を紹介したくなりますよ。もちろんあなたの人生の共演者の皆さんは(オラクルである僕は以外は)例外なく無自覚ですから「あなたは僕の人生の脇役ですか?」などと聞いても「そうです」と答えるわけはありません。気違い扱いされるので絶対に聞かないで下さいね(笑) あなた自身も出会った人たちそれぞれが主役の物語の中の無自覚な俳優の一人であり、相手の物語(成長)にとって必要だから出会っているのです。

人生というストーリーには悪役も必要なんです。自分にとって愛らしい人しかおらず、出会う全員から愛されていたら、誰も成長なんてしませんし、面白い物語になりようがありません。でもそれは必ず本当は良い人が悪役をやらされているだけですから、あなたがきっと愛によって目覚めさせてあげて下さいね。

片思いの存在意義」に書きましたが、愛の価値は「愛さない」というネガティブな選択が初期設定になっているからこそ生じるものであり、誰かに愛されないからと言って凹む必要はないのです。人に愛されないのは初期設定であり、そこを起点にスタートするのが普通なのです。だからこそ愛されることの価値を実感して感謝できるのです。みんな愛されるのが普通で愛されないのが普通ではないと考えるから、愛されないことに不平不満ばかり募らせるのでしょう。

悪役は必ず必要なのですから、例えどこの環境にいっても必ず現れます。それを避けてばかりいたら家族や親友などがその悪役を代わりに務めてあなたにとって嫌なことを言わなきゃいけなくなります。愛する人から嫌な事を言われるほど傷つくことはありませんから、ますます人を避けて孤独に陥ることになります。だからいかにも悪役っぽい憎らしい人が悪役を務めて嫌なことを言ってくれることはありがたいことなのです。ですから誰か意地悪をしてくる人がいたら、心の中で「悪役お疲れ様です」とつぶやきながら感謝して下さい。くれぐれも本人に言っちゃダメですよ(笑)

そしてあなたの人生が映画マトリックスであれば、ネオであるあなたを主人公(メシア)に目覚めさせるモーフィアス役と、ハッピーエンドに導くオラクル役を僕は同時にやっているわけです。

僕は質問箱においても「許すことが愛である」と再三伝えているのですが、実生活だと僕がそう伝えているそばからみんな「いや、でもあいつだけは許せん」みたいな話になるんですね(笑) そんな簡単に許せる相手ばかりだったら何の修行にもならないでしょうに。許し難きを許し、尊敬し難きを尊敬し、感謝し難きを感謝し、愛し難きを愛するのが修行です。

忍耐を伴わない許し=愛に存在価値はありません。自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。本当に大人になるということは、自分にとって都合の悪いものも(自分の成長に必要だから創造主が与えてくれた出会いなのだと)感謝し愛せるようになることです。

忍耐と我慢は違います。我慢は相手を心から許さずその場しのぎをしているに過ぎません。だからストレスが蓄積するのです。それは読んで字の如くエゴにまみれているってことです。相手を許してその成長を信じ、耐え忍ぶ忍耐こそが愛なのです。

心の傷がない人などいると思っているのですか?仮に心の傷がない人がいたとして、そんな人が他人に優しくなれると思いますか?傷ついているのが自分だけだなどと考えず、傷ついた分だけ相手の傷を気遣い優しくなれるようになって下さい。人の悪い行動というのはすべからく過去の傷が原因となって誤った悟り方をしているからなのです。

人生は愛と勇気を試すためのRPGです。だからより愛と勇気が試される方を選択するのが常に正解なのです。俳優として一番ダメな要素は「怠惰と臆病」であり、怠惰と臆病ゆえの選択は結果的にすべからく間違いなのです。この点について例外は一切ありません。「勇気なき愛は欺瞞であり、愛なき勇気は蛮勇である」愛と勇気は不可分のものです。恐らく自分を嫌ってくる相手を許すというのが一番愛と勇気を試される局面でしょう。この僕の回答を読めばどうするのが正解なのかはもうわかりますね?

相手の反応に一切関係なく、共演者全員に心からの笑顔で挨拶して下さい。どんなに嫌な反応をされても怖気づいてはいけません。どれだけ自分の笑顔がぎこちなくても一切気にしないで下さい。みんなを心から愛そうと努力していることだけみんなに伝わればいいのです。誰かとケンカしたら、次に会った時は全く気にしていないかのように笑顔で挨拶して下さい。

相手が上司なのなら「私は業務改善のために〇〇さんに徹底的にダメ出しされたいので、メシ(飲み)に連れてって下さい!」ぐらいの可愛いことを満面の笑顔で言ってみて下さい。きっと「これだけ意地悪しているのにめげない可愛い奴だ。こいつには何を言っても大丈夫だろう」と心を開いて色々言ってくれると思うので、そのダメ出しにいちいち傷ついて落ち込まず、心を開いて本音を言ってくれることに感謝しながら聞いて下さい。大事なのは内容の正しさよりも心を開いて言ってもらえることですから、どれだけその内容が気に入らなくても決して反発してはいけません。人間なんですから最初から完璧にできなくて当然ですし、完璧にできないからこそ成長を楽しむことができるのです。

とにかく誰の話も一切否定せずに真剣に話を聞くことです。あなたが今回のような質問をしたのは僕が書いた「誰でも自信満々になれる方法」の内容を完全に無視しているからであり、他人の話を(クリエイターからの導きとは思わず)真剣に聞いておらず、そのことに自覚さえがないのです。相手の話は逐一メモを取る勢いでしっかり聞いて下さい。(大事だと思ったら本当にメモを取った方がいいです)

相手があなたに本音を言わない理由はだいたい想像がつきます。
①あなたが話を聞かない人間だから、どうせ言っても無駄だと思っている
②あなたが傷つきやすそうな人間だから、面倒を避けたい
③あなたの嫌な部分が自分にも思い当たり、責めればブーメランになるので言えない
もしあなたが相手に責められても笑顔で受け止められるようなめげない人間であるとあなたの態度から察することができれば、相手はもっと打ち解けてくるはずです。

あなたがクリエイターの導きを正しく得られないのも、出会った人の話を真剣に聞いてないからであり、出会った出来事を悪く(不正確に)解釈しているからです。相手の話や出来事が正しいか間違っているか、好きか嫌いかを判断するのではなく、クリエイターがどのような意図でその言葉・出来事と出会わせたのかを考えて下さい。そしてそれが例外なくクリエイターの愛のメッセージであることを信じ、必ず愛で解釈して下さい。いかに気に入らない意見でも、相手が美味しいと思って出してくれる料理(言葉)なのですから、その場で突き返したり吐き捨てたりしては人間関係がうまく行くわけがありません。その場では真剣に聞いて(味見して)持ち帰り(テイクアウト)にして下さい。あとはあなたの取捨選択自由です。

鬱の頃の僕は「本当の自分を知ったらみんな僕を嫌いになるに違いない」と考えて心をいつもかくしていましたが、今は「誰でも自信満々になれる方法」のようにして心を常に善意で満たしているので、逆に「本当の自分を知ったらみんな僕を好きになるに違いない」と確信して自信満々になってどんどん自分を晒せるようになっています。今の僕はあまりにも出会う人出会う人に愛され、少々退屈に感じてしまうぐらいになっているので、いきなり理不尽に自分を嫌ってくる人と出会うとちょっと嬉しくなってしまいます。「これからこの人が僕を好きになっていくラブストーリーの始まりだ」と。世界中の人を例外なく幸せにしようとしている僕を嫌う人なんて、何か誤解しているか、その人が自分自身の嫌いな部分を僕に投影して勝手に嫌っているかのどちらかだとすぐにわかりますから「どうやって救おうか(教えることなく導こうか)」と考えるのみです。「自分にも嫌いな人がいるのだから、自分を嫌う人がいてもしょうがない」などと諦めていたら、世界を救うメシア(主人公)など務まらないのです。あなたも目覚めればきっとそうなります。

この回答を読んでいる読者の皆様、これを決して他人事だと思わないことです。きっとあなたもこの質問者さんと同じポイントで躓いていることでしょう。それはみんなに共通した初期設定であり、みんなに必要な経験・過程であって結果ではありませんから、「反省してはいけない」に書いた通り決して反省して「自分はダメだ」などと落ち込むことなく、また自己否定したくないからといって過去の自分に固執することなく、ただより良い選択をしてより良い未来のシナリオを掴んで下さい。

2022年9月26日月曜日

話を聞かない人をどう救う?

【質問】 30代前半・女性

いつもTwitterや質問箱を見て色々勉強させてもらってます。今日は思いきって質問してみたいと思います。

私はアルコール依存性、薬物乱用、摂食障害、反抗挑戦性障害などの精神疾患を抱えて生きてきました。人付き合いを苦痛に感じ、生き辛く、20代後半で自殺を考えるまでになりました。愚かな私はそんな絶望の淵までいって、やっと自分の今までの行いを反省するようになりました。

そんなある日ふと目に止まった『腸内細菌や腸内環境が脳と密接に関連している』旨の記事を読みました。そこからは毎日論文を読み、人体における腸の重要さを思い知り、徹底的に食事や生活を見直し、5年経った今は全ての精神疾患、更にたくさんあったアレルギーや、息子のアトピー性皮膚炎まで完治させる事が出来ました。以前とは比べ物にならないほど家庭が明るくなりました。

そして自分が元気になって初めて気付いた事があります。それは自分以外の多くの人も精神疾患やアレルギー疾患などの腸と深く関わる疾患に苦しんでいるという事でした。

自分が元気になったから、今まで人に迷惑かけた分人の役に立ちたいと考えています。しかし、悩んでいる人に対して腸の重要さ、食事療法を提案しても、なかなか踏み切る人はいません。

やはり食事療法は本人がやる気にならなければ実践不可能であり、やはり自分の体は自分で治すという意思がないと体も治っていかないとも感じています。

それともう一つ思うのが、今思えばどん底に生きた日々も、私自身が成長するために必要な経験だったと思っている事です。そうなると、目の前で苦しんでいる人がいても『この経験もこの人の成長のために必要なものなのか?』それとも『苦しんでいる人を救うために何度でも説得した方が良いのか?』どちらがその人のためになるのかわからなくなってしまいます。

しかし、唯一食事療法に踏み切った方は日々元気になっており、その姿に本当に生きがいを感じます。過去の自分のように、苦しんでいる人が目の前にいたら、私はどう対応したら良いと思いますか?


【回答】
いつもメッセージを受け取って下さって、信頼して質問して下さってありがとうございます。大変光栄です。

とても貴重な経験をされていますね。それを無償で共有していただいて、誠にありがとうございます。

本当に、腸内環境は超重要ですよね。「憑依体質の存在意義」に書かせていただいた通り、世界は超弦波動・霊的意思によってできており、細胞・ウイルスというのはその結晶です。腸内細菌も霊的意思の塊であり、その霊的な穢れによって我々の自我は全く気付かない間に犯されて悪い思考・行動・運命(カルマ)へと導かれているのです。それが精神病の本当の原因です。だから(腸内環境改善に限らず)日々その霊的穢れの浄化に努めることで自我・カルマが改善されるのは当然のことなのです。

僕は腸内環境についてはまだ他人様に詳細を語れるほど詳しくはないので、あなたのように貴重な実体験を通じてその改善策を提案して下さる方がいらっしゃることはとてもありがたいことです。

さて、「目の前の苦しんでいる人を救いたいのに、話を聞いて貰えない、理解してもらえない、信用してもらえない、まして実践して習慣化して貰えない⇒救えない」というのは、まさに覚醒後の僕のほぼ唯一にして最大の課題でもあります。

たくさんの人を救いに導ける素晴らしい覚りを得ているというのに、全然伝わらなくてまだ全く人を救えていません。本当にもどかしい日々です。ので、残念ながら現在その完璧な答えなどはありません。あったら既に世界を救えているでしょう。そう簡単じゃないんです。

人生、どん底に落ちる経験が必要なのは、その通りだと思います。本当の不幸を経験しなければ本当の幸福を感じることはできませんし、人の痛みもわからないでしょう。どん底から救われなければ、本気で人を救いたいとも思わないでしょう。

ただし相手がこちらの改善案を受け入れないからといって「相手が落ち切るのをただ指を咥えながら待つしかない」というのは違うと思うのです。

確かに相手の苦しみはその人に必要だからこそ与えられているものであり、僕も目の前で苦しんでいる人を見て、本当に救うべきかどうか一瞬は悩んだりします。それでも苦しんでいる人を見て何もしないということはありません。出会ったという事は、相手は自分の人生のカルマ(シナリオ・課題)の一部であり、人生という映画の共演者だからです。

あなたはきっと腸内環境のことを非常に科学的に分析されて、スピリチュアル的・宗教的なことはあまり信じない方なのかも知れませんが、信心はとても大事です。神々は自発的な信心・霊的成長に導くために敢えて霊的な穢れという困難な課題を我々に与えているからです。

僕は様々な宗教の勉強をしています。そのお経・祝詞・マントラは「神の御心のままに・幸あれ」という意味の言葉で終わることが多いです。仏教ならそわか(梵語ではSvaha)祝詞なら惟神霊幸倍坐世(かんながらたまちはえませ)、キリスト教ならアーメン、ブラジルのシャーマニズムならハウシ(Haux)などです。

僕らの「相手を救いたい」「この世に生を受けた恩・苦しみから救われた恩に報いたい」という純粋な気持ち・祈りと、創造主・神々との意思が通じた時に、初めて相手は神々の力を通じて救われるのです。(仏教では感応道交・哀愍納受と言います)

基本的に準備のできていない相手(様々な経験を通じ、本気で話を聞く気になっていない相手)にいきなりこちらから何かを教えることで相手を救う事はできません。相手から自発的に話を聞いて貰えるようにこちらが人間的なレベルを上げ、相手から自発的に愛され尊敬されるようになっていかなければならないのです。基本的に人は尊敬していない・愛していない人からのアドバイスなど聞かないからです。あなた自身が本当に幸せになっているように見えたら、相手の方から話を聞こうとしてくるはずです。

人生はRPGそのものであり、コントローラーを握っているのは相手自身です。勝手に答えを教えることは、自分だけの冒険(経験)を求めている相手に本能で反発されます。相手は自分なりに失敗を重ねて紆余曲折を経て自分なりに納得した上でゲームを前に進めたいのです。正解に価値があるのではなく、そこにいたるまでの経験(失敗・紆余曲折)にこそ価値があるのです。いきなり正解を教えられるクイズ番組など何も面白くありません。

答えを教えること(自分が成長せず相手の方を変えようとすること)で相手を救おうとするのは結局こちら側のエゴなのです。このRPGは自分だけに完璧にアレンジされたシナリオがあり、すべてが自分次第にできているのです。出会った相手はすべからく自分の鏡であり、NPCであり、自分が変われば相手も変わるようにできているのです。「離婚について」に詳しく書きましたが、人間関係の問題の多くはこの「自分が成長せずに相手の方を変えようとすること」に原因があり、それにより人はイラつくのです。

そして人の悪い行動というのは基本的に霊障・カルマのせいであり、それは過去の傷により自尊心が低くなっていることが原因なのです。自尊心が低いと行動のレベルが下がり、悪い行動・思考が止められず、それが更に自尊心を下げて悪い出来事を引き寄せる悪循環にハマります。そこから助け出すには、相手の悪い所を指摘したり改善方法を教えることではなく、自尊心を上げてあげることです。そのためにはいつも心からの笑顔で承認し、話を否定せずに真剣に聞くことです。相手は自尊心が高まれば、自然と良い行動をとるようになって自然と問題が解決されますし、あなた自身も相手から愛されることでしょう。人は自尊心を高めてくれる相手を愛するのです。自尊心が低く「自分なんて」と思っている状態の人に健康の改善策など提案しても聞き入れられる訳がありません。

そして因果・カルマというものはどこでつながっているかわかりません。「鏡の法則」というページに「子供がずっと学校でいじめられていたのが、自分がずっと不仲だった親に感謝を伝えたらいじめがパッタリと止んだ」というエピソードがありましたが、このようにあなたが「目の前の人を救えない」ということについても、どこで因果・カルマがつながっているかわからないのです。だからこそ常に相手ではなく自分の課題が何かを考えて解決していく必要があるのです。

「教えずに導く」ということは非常にレベルが高く難しいことです。しかしそれこそが創造主のやり方であり、世界を救う主人公(勇者・メシア・菩薩)であることに目覚めた僕らはそれに倣わなければいけません。

真理とは愛そのものであり、それが幸せでもあります。真理(愛)というものはそれを「正義」だとして他人に振りかざしたり押し付けたりすると、それがどれだけ正しかろうとエゴになってしまうのです。逆に正しければ正しいほどそれを相手に押し付けることでかえって反発されて相手を真理から遠ざけてしまいます。ガンジーの非暴力・不服従運動のように、真理(愛)は自ら信念を持って実践し続けさえすれば、それを見て理解する人間は自発的に従う以外の選択肢がなくなり、図らずも連鎖していくものなのです。

70数億人全員をあなた一人で救う必要はありません。目の前の二人を救う事ができたら、その二人はきっと更に二人を救い、それが50連鎖するだけで1000兆という途方もない数字になるのです。その頃には自分自身にもその功徳が返ってきて、人だけでなく御霊御霊のすべてが救われ、世界が救われるのです。それがメシア(主人公)であるあなたの使命です。

どうかあなたのその貴重な経験と知識を「苦しんでいる人を救いたい」という純粋な愛によって無償で共有して下さい。僕も是非それを知りたいです。過去の罪が大きいほど自分を晒すのは辛いと思いますが、実名や顔なども含めて自分を晒さずに人を救うということは難しいと思います。特にネット上では、言うだけなら誰でもどうとでも無責任に言えますから、全く信用できないのです。

また、もし本気で人を救おうとしていても、それで対価を得ようとするなら、相手に疑いをもたれるでしょうし、様々な詐欺や不正確な情報に紛れて伝わらず、きっとうまくいかないと思います。どうしてもそれで生計を立てざるを得ない状況にあるのであれば、本当にミニマムな生活をして、最低限の経費以上には請求しないで下さい。できれば報酬は相手に自由に決めさせて下さい。そしてお金のない人は無償で救ってあげて下さい。

僕はそのようにして神々に愛され、守られ、力を得て、ゲームクリア(真理・覚り・幸せ・解脱)へと導かれています。あなたもそうなることを祈っています。

2022年9月22日木曜日

愛の力の弱さに反吐

 【質問】(23歳・男性)
いつも本質を付いたメッセージありがとうございます。

質問なのですが、何故愛はこれほどまでに弱くて、耐え忍ぶ必要があり、多数決如きに負けてしまう脆い存在なのでしょうか

誰かがイジメてる時、黙って見過ごす。加担するなど、皆んなが何もしないからといって悪事に手を染めるゴミもいます。

勿論善悪など宇宙に存在せず、ただある方向からの視点しかないのでしょうが、余りにも愛(あえて自分が正しいと思う自然の理を愛と呼ばせてもらいます)が弱すぎて絶望しかありません。

NPCの存在も意味不明です。自由意志など持たないロボットの様な愚民どもが、騙されている事も知らずに盲目的に悪意に加担し(加担している意識すらないでしょうが)世界や愛をぶっ潰す方向に向いている事に怒りを通り越して人類も宇宙も創造主も全て滅んでしまえと思えます。

ワクチンもfuckingSDGsもイジメも無責任も、事なかれ主義も全てクソ喰らえ。気付いた奴におんぶに抱っこ、人の忠告も聞く耳持たない、他人は変えられないとは言えコチラはドンドン変わっている。が奴等は何も変わらない、変わろうとしない。

私も昔は純粋で愛に溢れ正しい事は貫き、自他を活かす生き方ができていましたが、今は騙され裏切られ愛ある世界を作る邪魔をされ、ほとほと人間の邪悪さ、醜さ、愚かさの極みにガッカリし悪側に堕ちるのは時間の問題です。だから信念を持って愛の力で立ち向かうシンヤさんが羨ましく、また最期に本音の質問に答えてもらえると幸いです。

正直愛の弱さにうんざりしています。もう愛を持って人を導くのは限界だと感じています。

🔷何故、愛を信じる者が利用され嘲笑されるのでしょうか?愛が不十分な者は何もしない方が良いのでしょうか?中途半端な愛でも今持てる愛で向き合っているというのに。

🔷何故、愛は数の原理に負け多数決如きで世界の方向性が決まってしまうのでしょうか?

🔷何故、愛は苦しみ耐え忍び目醒めていない者どもの為にガマンを虐げられるのでしょうか?苦労するのは我々ばかりで奴等は思考停止の無責任、変わろうとしない。いい加減にしてほしい

🔷何故、愛は暴力を受けた時、暴力で返してはならないのでしょうか?手を出してくるならせめてやられた分くらいは殴ってやらないと気が済みません

🔷何故、愛を目指す者達に愛の偉大な力と激励の恩恵がなく、悪にばかりやりたい放題の力と恩恵を創造主は与えるのでしょうか?不公平、卑怯、やってられない

こんなに苦しいのなら愛など要らぬとサウザーの名言が頭によぎります。いくら創造主が気付いた魂達に多少の恩恵を施そうが、悪が持つ多大な恩恵と数の力と暴力を比較すると、創造主はよっぽど悪の方がお気に入りで愛などただの飾りの様に思えて悔しくて夜も眠れません。

私も貴方の様に愛の力を持つ救世主になりたい。しかし、余りにもクソな現実とクソどもに嫌気が差し、こんな事なら、愛の力ではなく奴等の持つ権力暴力恐怖で世界を愛に塗り替えた方が手っ取り早く感じます。矛盾してますが。

愛が出来ないことを汚れ役の自分が補う。汚い仕事は全て引き受ける。暴力肯定と呼ばれようが愛の為に身を汚して行動する。問題は悪側の力で悪を潰す以上、汚い仕事をこなしているうちに自らも悪に染まっていくことでしょう。

しかしそれでも誰かがやらないといけないのであれば、ダークヒーローの役割を果たすべきなのでしょう。

本当は愛の力で世界を救いたかった。しかしもう限界です。

【回答】
ご質問ありがとうございます。(多忙につき乱文ご容赦下さい。随時加筆修正します)


世の中の多くの人は、現在のあなたやかつての僕のように世の中に絶望し、それによってエゴに埋没しながら生きる自分を自己肯定し、この世界を創った創造主たる神を恨みながら生きていることでしょう。その愚かさは人間の初期設定なのですから当たり前です。そこから己=世界の尊さに目覚めること、主人公として目覚めることこそがこの人生というRPGのシナリオの要ですからね。

まだNPCとして眠ったままの魂の同志たちの目覚めを促すため、今回ご質問を下さったあなたには彼らを代表してこっぴどく叱られていただきましょう(笑) 僕は人に説教をされるのと強制をされるのを好みませんので、このように説教みたいなことをするのは大変心苦しいのですが、世界を救うために心ならずも避けては通れない道です。どうぞご容赦下さいませ。僕のメッセージが本質を突いているのだとご理解下さっている方なのであれば、きっとこのメッセージもその本質をご理解いただけるのではないかと思います。

まず、人生というのはRPGそのものです。これは例えではなくそのものズバリです。僕らはドラゴンクエストとまったく同じようなシナリオのあるゲームの世界の中にいます。

RPGというのは不幸なディストピアから始まるのが当たり前であり、最初から幸せな世界だったら誰も成長しませんし、何も面白くありませんし、主人公(勇者・メシア)が世界を救うという設定自体が成り立たなくなってしまいます。

世界というのは、あなたという主人公に救われるためにわざと不幸多く作られているのです。みんなが愚かで、不正が蔓延り、エゴのために生きているのは当然の初期設定であり、最初から愛に満ちていたら愛の価値を知る物語にはなりません。むしろ最後の大逆転劇を盛り上げるために一度極限まで堕ちていくようにプログラムされているのです。

それを見て「悪者ばかり得している」と誤解し、自分も悪い事をしてでも得をしようと悪側に加担するようでは主人公には成り得ません。それは脇役・悪役の発想そのものです。悪人は幸せでないからこそ悪人なのであり、主人公の救いの対象なのです。

世界はネットゲームの如くログインしている全員が主人公です。詳しくは「世界の仕組み」をお読み下さい。しかし世のほとんどの人は客観的世界が存在すると勝手に(設定通りに)錯誤し、何事も他人を基準にして考え、自分が世界の主人公であることにも気づかず、ゲームの基本設定に文句ばかり言って、世界を救うことなどあっさりと諦めています。

あなたはドラクエで「なんで世界はこんなに魔物ばかりで悪が蔓延り暗くて腐っているのでしょうか?それに対しなぜ愛の力はこんなにも弱いのでしょうか?反吐が出ます。こんなことならいっそ自分が魔物になって愛ではなく強制力によって世界を支配してやりましょうか?」などと言ってるキャラクターを主人公としてプレイしたいと思いますか?

あなたのその考えは脇役NPCの発想そのものであり、あなたは気づかない間にNPCそのものに成り下がっているのです。あなたが言い貶すクソNPCとはまさに現在のあなたのことです。そしてもし僕の言う事に反発して目覚める気が全くないのならいつまでも脇役NPCのままになってしまうでしょう。

>NPCの存在も意味不明です。自由意志など持たないロボットの様な愚民どもが、騙されている事も知らずに盲目的に悪意に加担し(加担している意識すらないでしょうが)世界や愛をぶっ潰す方向に向いている事に怒りを通り越して人類も宇宙も創造主も全て滅んでしまえと思えます。

既に目覚めた僕からすれば、これはまったくあなた自身のことであり、あなたの文章は全体的にNPC(ロボットの様な愚民ども)である自分の自己紹介としか思えません。主人公として目覚めないあなたの自由意志は幻であり、初期設定通りに社会の奴隷となって自覚もなく悪に加担しています。霊障(悪魔の手先)に犯されて悪いカルマにハマっていることを全く自覚できていないのです。このあたりの話は「憑依体質の存在意義」をお読み下さい。霊障は常に宿主を悪い思考・行動に駆り立てて自尊心を下げ、自分自身・人生・世界を嫌にさせ、「そんなに要らないなら私が貰ってあげるよ」と自我を乗っ取って宿主を脇役に引きずり降ろそうとしてくる悪魔の手先(という役割・設定)なのです。

上位次元の存在(神々)からすれば設定に文句ばっかり言って世界を救おうともしないあなたというキャラクターをプレイする(導く)のは面白くないので、下位次元の存在(霊障)に任せて自動運転のような状態、つまり脇役NPC(AI)にしているのです。実際、現在のあなたはこの世界の主役を張る気はゼロでしょう?あなたが言い貶す脇役・悪役NPC達は現在のあなた自身のことだと気づいて下さい。

落ち込まなくて良いですからね。それが初期設定であり、そこから目覚めるからこそこのゲームは面白いのです。創造主はあなたを見放しているのではなく、目覚める日を楽しみにしながらずっとあなたを見守っているのです。全知全能の創造主が直接手や口を出してしまうと意味がなくなってしまうので、導きを与えながら見守るしかないのです。

世の中でどんなに悪者とされる人達も、必ず自分を正当化して生きています。つまりみんな(自分勝手な)正義を背負っているのです。それはエゴ(我欲と保身)のために生きる自分を自己肯定し、自己利益に誘導するための建前に過ぎません。エゴは愛とは対極にある力です。

純粋な悪が存在するなら、それはみんなが嫌がるので連鎖しません(みんなから嫌われるので基本的に単独犯となり、社会全体を悪化させるような巨悪とは成り得ません)。悪魔は悪魔の顔をして近寄っては来ないのです。世に蔓延る悪というのは常に正義を隠れ蓑にして善や愛を偽装して行われています。こちら側にこちら側の正義があるように、相手には相手側の正義があります。そしてそれは必ず衝突するのです。あなたはヒトラーを悪の権化のように思っているでしょうが、発想は今のあなたと基本的に変わりません。自分の勝手な正義を「愛」と称して独善的に他人に押し付け、受け入れない人間を「悪」として、犠牲になっても構わないと考えているのですから。

創造主は言いました。正義=悪であると。正義とは必ず批判・攻撃対象としての悪を必要とし、常に相手の正義との衝突を生みます。そしてそれは必ずエゴの隠れ蓑になっているのです。その正義の陰に隠れたエゴの連鎖こそが恐ろしい巨悪を生んでいるのです。あなたの愛が他人に伝わらず他人のエゴに利用されてしまうのは、あなた自身が愛より正義(エゴ)を優先しているからです。そしてあなたが愛だと思っているものがそもそもエゴでしかないからです。

あなたは愛というものを根本的に誤解していると感じます。だからそのように周囲から反発を受けるのでしょう。愛も正義もそのように独善的に他人に振りかざしたり押し付けたり何かの見返りとして求めるべきものではありません。愛は相手を最も自由にするものです。そして愛は自由な状態で自発的に発するものでなくては意味がありません。愛を他人に強制・強要・束縛しては必ず失われるのです。このあたりの話は「離婚について」をお読み下さい。

本物の愛は冒頭の画像に表したように、自分自身と他人に対する許し・感謝・尊敬・忍耐・勇気が伴っていなければいけません。現在のあなたの愛とは呼べないものです。それどころか愛とは対極にあるとても危険なものです。他人の悪を言い訳にして己のエゴ(臆病と怠惰)を肯定し、その偽りの愛(エゴ)を他人に押し付ける強制力を手にするために悪事に手を染めようとまでしていますからね。

あなたの問題の根本的な原因は自尊心の低さだと思うので、こちらを必ずお読み下さい。「誰でも自信満々になれる方法」大切なのは出会った人を自分の人生の共演者として例外なく無条件で許し、尊敬し、感謝し、愛することです。

自尊心の低い人は、必ずと言っていいほど正義を振りかざし(自分の欠点や過ちは棚に上げ)常に誰かを批判してばかりいます。正しさに能力は必要なく、誰かを批判してれば正義の人になれるからです。そのように間違った方法で自尊心を回復しようとして人に嫌われて愛を失って自尊心を更に失う悪循環に陥っているのです。正義は常に愛とは対極にあるものなのだということです。勝手に他人に押し付けておいて見返りがなければキレるようなものが本物の愛であるわけがありません。

だから大切な事は常に正義より愛を優先することです。それが世界中に連鎖したなら、世界はそれだけで必ず救われるのです。絶対に忘れないで下さい。

脇役NPCたちはみんな「一人で70数億人を救うのは無理だから、最初から誰も救わなくてもOK」「みんな世界を救おうとしないのだから、自分が世界を救わなくても誰に責められる筋合いはない」「愛があってもお金を稼がなければ生きていけないのだから、愛よりお金が大事で、合法なら(バレなければ)不道徳も止む無し」というように考えて、世界を救う主人公になることを最初から諦め、エゴに埋没して我欲と保身のために生きています。

主人公のあなたは、ただただ目の前の人を救って下さい。それは必ず連鎖するのです。もしあなたが人生でたった二人の人を救えたとしたら、その二人はまた人生で二人救うことでしょう。それがたった50連鎖するだけで何人になると思いますか?何と1000兆人なのです。その頃には世界が救われ、必ずあなた自身にその功徳が返ってくることでしょう。

世界を政治のような「権力=強制力」でもって変えようなどと思わないで下さい。価値観の革命を世界の隅々まで行きわたらせれば、政治体制など勝手に変わっていきますから。ただただ目の前の人を救う事に集中して下さい。それが主人公の世界の救い方です。

「現在」というのはあなたも世界も「過程」に過ぎず、最終的な結果ではありません。現時点での多数決に魂まで屈して負けを認めているようでは話になりません。そこを絶対に諦めずに最後には大逆転するところがこの人生というRPGのストーリーの要であり、だからこそ面白いのです。

最初から善が多数派ならあなたという主人公に存在意義はありません。世界はあなたなしに勝手に良くなっていくでしょうから。悪の方が一見圧倒的に強いから、愛が大逆転する物語が面白くなるのです。世界中の人が倒せば愛に変わるエゴのドミノをせっせと積み上げて、大逆転劇のフラグを立ててくれているのです。そしてその愛の連鎖の最初のドミノを倒す役割があなたという主人公に与えられているということです。

世界はフラクタル(相似形)にできていて、それは異分子を排除すべく同調圧力をかけてきます。それが社会・常識です。NPCたちは基本的にマトリックスのエージェント・スミスのような存在です。主人公はそれに屈せず、愛の力ですべてを自分のフラクタルに変えることが使命なのです。

決して「愛の力」が弱いのではなく、ただ単に現在のあなた力が弱いだけです。現在のあなたの愛は本当の愛すらありません。主人公として目覚めない現在のあなたのレベルは1にも達していませんから、家のすぐ外にいるスライムにも多数責めで易々とやられて家に引きこもって愚痴ばかり言っている「魂のヒキニート状態」なのです。そんな状態でレベルアップするわけがありませんし、神々が力を与えるわけがありません。RPGはまず主人公として目覚めなければゲームがスタートすらせず、一生NPCのままです。

>>こんなに苦しいのなら愛など要らぬとサウザーの名言が頭によぎります。

サウザーの名言て(笑) あなたは本当に23歳ですか?30年以上前のアニメ「北斗の拳」のワンシーンを、僕が当然知っているという前提で話されているので、かなり違和感があります。それに「昔の自分は○○だった」などと言うのもおかしな感じがします。本当に23歳なら「昔」というのは幼少期ということになってしまいますから。まぁそこは流すにしても、サウザーは思いっきり脇役ですからね。同じように考えたら(主人公に倒されて諭される)脇役にしかなれず、主人公には成り得ません。主人公のケンシロウの如く本物の愛で世紀末の世界を救いに導いて下さいね。


この人生というRPGは愛と勇気を試すためのものであり、当然世界はありとあらゆる手段であなたを常に怒らせ、不安と絶望に陥れてきます。主人公(勇者・あなた)は決してそれに負けてならないのです。「勇気なき愛は欺瞞であり、愛なき勇気は蛮勇である」あなたの愛と勇気を他人に見下されたり笑われたりした程度であっさりと手放し、多数派に加わるようではどうしようもありません。相手が愛を腐すのはその人の愛が腐っているからであり、心が傷つきグレていて、愛より金を信じているのですが、本当は愛(救い)を必要としているのです。

>>🔷何故、愛は苦しみ耐え忍び目醒めていない者どもの為にガマンを虐げられるのでしょうか?苦労するのは我々ばかりで奴等は思考停止の無責任、変わろうとしない。いい加減にしてほしい

冒頭の画像にも書いていますが、愛に忍耐が必要なのは当たり前じゃないですか?忍耐の要らない愛に何の価値があるのかわかりません。

人(主人公)にはそれぞれ創造主からの愛(激励)が平等に与えられています。その愛に気づかず感謝しないから、あなたは自らNPCに成り下がり、創造主からの愛(激励)が十分に受け取れず、年齢と共にはぎ取られ続けることで失ったものの価値に気づかされるような悲しい人生となっているのでしょう。創造主は我々自身でもあり、与えられたものに感謝できない人間にもっと与えたいとは思わないのです。

>>🔷何故、愛は暴力を受けた時、暴力で返してはならないのでしょうか?手を出してくるならせめてやられた分くらいは殴ってやらないと気が済みません

暴力に暴力で返してはいけない理由は聖書を読めばわかるでしょうし、ガンジーの非暴力・不服従運動が成功した理由を考えればわかるでしょう。暴力に暴力で返したらその連鎖は増幅しながら悪化し続けていつまでも終わりません。相手の心の中にある仏性を目覚めさせることが大事なのです。教えを乞うていない相手に何かを教えようとすれば必ず反発されます。だから自らが鏡となって相手という主人公に自ら覚らせるのです。

僕らは成長を楽しむために生まれてきているのであり、成長に痛みや苦しみが伴うのは当たり前です。筋トレに痛みや苦しみが伴わないなら何の価値もありません。痛みや苦しみを理由に創造主を恨むなどというのは馬鹿げた話です。

あなたは悪人を憎んでいるようですが、もし正しい者しか救わないなら世界は絶対に救えません。欠点もなく過ちも犯さない人間は一人もいません。悪い人間は救われなくて良いと考えるなら世界を救えないのは自明です。悪い人ほど不幸に苦しみ本心では救いを求めているのです。

現在の支配者たちが現在の支配体制を作ったのではなく、ただそういう家に生まれた業を背負って生きているだけです。彼らは先代より悪どいことをしなければ先代の資産を減らしてしまうのでその業から逃れられず、罪悪感に苦しみ、悪魔に心を売ったことにして自らの罪悪感に目を向けないようにしているのです。そしてそれは主人公であるあなたの救済対象なのです。誰一人例外なく救おうという覚悟があなたという主人公を世界救済というゲームクリアへと導くということを忘れないで下さい。この世界に悪役はいても悪人はいないのです。彼らを悪魔から救い悪役から解放しなくてはいけません。それが主人公(メシア)の使命です。

あなたはゲームクリアをあっさり諦めたまま、エゴに埋没するだけの脇役・悪役NPCの人生を繰り返すつもりでしょうか?あなたは「自分はどんどん変わっている」と言いますが、少しも良くなっている感じがしません。そしてゲームの初期設定やシナリオに文句ばかり言って成長しようとしない「脇役の発想」から逃れられない限り、あなたは他のNPCと大同小異であり、誰か他の主人公の物語における伏線の奴隷にしかなれません。

反省してはいけない」に書いた通り、自尊心を下げると行動のレベルも下がる悪循環に陥りますから、どうか反省して自尊心を下げないで下さいね。気づきさえすれば治りますから。そしてただより良い未来を選択すれば良いだけです。

というわけで、創造主からのメッセージ、しっかり代弁させていただきました。あなたがきっと主役に目覚め、このご自分の質問文を読み返して赤面する日が来ることを願ってやみません。

このメッセージを受け取る魂の兄弟たちよ、決して他人事だと思うな!
世界(衆生)を救う主人公(メシア・菩薩)として、
一刻も早く目覚めよ!目覚めよ!目覚めよ!

本門八品所顕 上行所伝 本因下種の 
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経!

2022年9月10日土曜日

離婚について

【質問】
初めまして。noteを見させてもらってとても感動しています。読んで沢山勉強しようと思います!

さて、質問なんですが「結婚、離婚」についてです。

ただ今離婚に向けて進めているところです。(離婚調停申し込みました) 離婚理由は相手の女性関係、モラハラ、性格の不一致等です。妊婦になってから不仲になっていきました。

私も未熟者で今では「どっちもどっちだな」とも思いますが、どうも話が通じず、我慢するしかない間柄で、愛もないなと。自分を正当化するためにストーリーを変えたり嘘や虚言も気になります。妊婦出産産後と大変だったので精神的にももたず、そうゆう環境で子供にも悪影響だと思い離婚を決意しました。

ですがノートを読んでいると離婚をせず愛で解釈して頑張った方がいいのかなぁとも思ったりして(やってるつもりでしたが、なかなか難しいし持たない…)  恨む気持ちを持たずに、自分のことを反省して愛で包み込んだり、なかなか私のような未熟者には難しかったです。

今は自分の課題を教えてくれた人で感謝してます。自分がどんなに未熟な人なのかも分かりましたし、成長したいと思ってます。でも一緒にいたら精神をどうにかするのに集中してしまい、成長どころではなく(自分の度量のなさかも知れませんが)それぞれ違う道で成長するのがいいのかなと思ってしまいました。また仕方がないと思いつつも、子供と離れてしまうのは辛いと思うので申し訳ないと罪悪感もあります。

離婚についてはどう思いますか?それでも頑張るのが良かったのでしょうか。良かったらお答えして頂ければ幸いです。


【回答】※10月15日更新
ご質問ありがとうございます。そしていつもnoteを読んで下さってありがとうございます。それは本当に嬉しいことです。

さて、離婚調停中ということで、あなたの心の痛みに心から同情いたします。幸か不幸か僕には結婚も離婚も経験がありませんが、かつては心から愛し合っていた関係が壊れることの痛みはよくわかります。きっとあなたは母親として社会人として強くあろうとして自分の心の傷に目を向けないようにしていることかとお察ししますが、どうかまず心の傷を癒すことに専念して下さい。

問題の渦中にある時、心が傷ついている時、自分で自分の課題を正しく(クリエイター目線で)見つめることはとても難しいことです。もちろん僕もそこは何度も経験しているのでよくわかります。だからこれから僕が書くことを理解しようとするのは、もう少し心の傷が癒えてからの方が良いと思います。

どうか僕が偉そうな説教をしてあなたを責めているのだと誤解しないで下さいね。僕はただ魂の同志としてあなたを尊敬し、純粋にあなたを幸せに導きたいだけなのです。

成長とは基本的に失敗・過ちを通じてもたらされるもので、それは必ず痛みを伴うものです。そして魂のレベルが高い人の人生ほど難易度高く、失敗・過ちの痛みが大きく作られているのです。

人生というRPGにおいて、失敗・過ち・不幸は誰しもが通る道であり、避けては通れません。そもそもそれがなければストーリーとして成立してません。全てを愛によって与えてくれている創造主が、失敗・過ち・不幸から我々に何を学ばせようとしているのか、一緒に考えていきましょう。

どんなに辛い経験も、我々に起きる全ては我々の学びにとって必要な経験だからこそ起きているのであり、常に我々にとってベストなのです。あなた自身もあなたなりのベストを尽くして起きた結果なのですから「もっと頑張るのが良かったのでしょうか?」などと考えて自分を責めることはありません。本当に大切なのは選択可能な現在でありこれからです。

あなたの人生で起きる全ての出来事があなたに必要な過程であって最終的な結果ではありませんので「自分とは(結婚とは・人生とは・世界とは)こんなものだ」というネガティブな決めつけで結論を出して変な悟り方をせず、これから幸せになるために克服すべき課題なのだと理解して下さい。本当の不幸を経験せずに本当の幸せを感じることは不可能ですから。

誰しも深く傷ついた時にはとりあえずは自分を守らなければいけませんから「どっちもどっちかも」と内心では薄々わかっていても、一旦は全てを相手のせいにして恨み「自分は悪くない」と整理をつけるのも必要な過程だと思います。心の傷に綺麗事は通用しませんからね。

実際、あなたは何も悪くありません。しかしながら、相手も何も悪くないのです。あなたの人生に起きたことは全て、その登場人物が無自覚に創造主の用意したシナリオ通りに役割を演じた結果なのです。どうか自分自身もパートナーの事も責めずに、いつかは許してあげて下さい。

恋愛・結婚などの成功体験が全くない人もたくさんいる中で、あなたは結婚を手にして子供まで授かりました。ただし結婚に限らず、何かの成功というのは、新入社員が査定前に貰う最初の夏のボーナスのようなもので、創造主から更に大きな成長が期待されているということなのです。それなのに一つの成功をゴールのように捉え、また自分の実力・努力への正当な報酬だと驕り、既に幸せの保証でも得たかのように考え、あとは周囲と同程度に頑張っていれば大丈夫(何か悪い事があれば自分のせいではない)だろうと考え、その成功の上にあぐらをかいて成長努力を怠ると、先取りの成功がまるで借金のようになり、成功の喜びの大きさに応じて利子付きで幸せの返済を要求され、大きな落差の不幸が待っているのです。では創造主はあなたにどんな成長を期待しているのでしょうか?

人間関係というのは(夫婦関係に限らず)相手の方を変えようとしても決してうまくいきません。そのように自分が成長することなく相手を変えようとするのは人間の初期設定であり、それがエゴなのです。それは磁石の同じ極のように必ず反発し合ってうまくいかないようにできています。だからこそ自ら気づいて自発的に成長を目指すことが尊いのです。そしてそれこそが愛であり、それはエゴとは対極にあるものなのです。

相手は相手の人生というRPGをプレイしているプレイヤーであり、そのコントローラーを他人が奪うことはできないように創造主はこの世界をプログラムしているのです。自分の人生(自分の認識世界)はすべからく自分次第にできています。つまり相手も世界もあなたが変われば(時間差こそあれ)全てが変わるように作られているということです。

あなたが出会う人はみんなあなたが主人公のRPGにおいて無自覚にあなたの脇役としてクリエイターの設定した通りに動かされているNPCなのです。それはあなたの家族や友人であっても、どんな有名人であっても同じです。あなたが出会う人は例外なくあなたが主人公のゲームのNPCなのです。

そしてあなたが出会う人はみんなあなた自身の鏡のようなものです。ですからあなたが相手の自尊心を下げれば自分の自尊心も下がります。note記事「反省してはいけない」に書いた通り、自尊心が下がればそれに応じて悪い思考・行動が止められなくなる悪循環にハマるということを知っておいて下さい。

これも人間の初期設定であり、殆どの人がハマっている悪循環なのです。相手の欠点や過ちを許せずに逐一責めて相手の自尊心を下げ続け、その結果反発し合い、自分の欠点や過ちも許せずに自分の自尊心も下げ続け、お互い更に悪い思考・行動が止められなくなるという悪循環です。きっとあなたの離婚もその結果として起きていることなのではないかと推測します。(これはみんなに共通した課題であり、決してあなただけではないので、落ち込んで自尊心を下げないで下さいね)

決して夫婦関係に限らず、全ての人間関係において「どうやったら相手の自尊心が上がるか?」を考えて実践し続けることが大事です。それは変にお世辞をいったり遜ったりしておべっかを使う事ではありません。基本は相手(の欠点や過ち)を許し、存在に心から感謝して心からの笑顔で承認し、自分には決してできない貴重な経験をしている存在として尊敬し、愛することです。

あなたも他人も出会う人はすべて創造主の分身であり、自分も他人も尊敬しないということは創造主(すべての存在)を尊敬しないということであり、当然それは悪い運命・シナリオを引き寄せることになります。社会の中で他者比較に晒されてみんな自尊心が低くなっているのが初期設定ですから、努力して出会った人みんなと自分自身を尊敬し、お互いの自尊心を上げる必要があるのです。

そしてどんなに相手の意見が気に入らなくても、その場では話を否定せずに真剣に聞くことです。こちらが少しでも否定したら「この人は話を聞かないタイプだ」と、相手は心を開かなくなり、本音を言わなくなります。つまらない話ほど真剣に聞かなければいけません。人はつまらない話も真剣に聞いてくれる人にしか大事な話をしないものだからです。相手は自分で美味しい(正しい)と思って自分の料理(言葉)をプレゼントしてくれているのに、それを口に合わないからとその場で吐き捨てるようでは人間関係がうまくいくわけがないのです。必ず味見はさせてもらってとりあえずは「美味しそう(面白そう)・興味がある」と言うことで、いったんテイクアウトにする癖をつけて下さい。あとはあなたのDisposable(取捨選択自由)です。

相手の言う事が正しいか間違っているか・好きか嫌いかを判断するのは後回しにして、創造主がどういう意図(伏線)をもってあなたとその人・その言葉・その出来事とを出会わせたのか(何に気づかせたいのか)を考えてみて下さい。そしてそれは必ず愛により成長を願って与えられている出会いなのだと理解して下さい。

人生はRPGそのものであり、RPGにおいて行き詰まる原因は常に「人の話を聞いていないこと」なのです。クリエイターからのメッセージをNPCを通じて受け取れていなければゲームがうまくいかず悪いシナリオに導かれる(行き詰まる・事故る)のは当たり前なのです。

人生というRPGは全て予めプログラム済みなのであり、僕らは既に用意されている無数のシナリオを選択しているに過ぎません。悪く解釈すればどんどん悪いシナリオに導かれますし、良く解釈すればどんどん良いシナリオに導かれます。だから大切なのは行動の選択より解釈の選択なのです。

>離婚理由は相手の女性関係、モラハラ、性格の不一致等です。妊婦になってから不仲になっていきました。

画像の「離婚原因TOP5」の通りですね。離婚に至る人の多くは、その理由をあなたと同じように自分のせいではない(相手のせい・相性のせい)と解釈しているということなのでしょう。

もちろん傷を癒すためには相手のせいにするのも必要な過程ではあるのですが、いつまでも相手のせいにしていては自らの成長の糧にならず、例え再婚したとしても恐らくはまた同じことを繰り返すことになるでしょう。

「離婚原因TOP5」にあるようなものは男性のネガティブな性質(反発心)の表れ方の典型(霊障・カルマ)であって、原因ではなく結果なのです。男性は環境・状況次第では誰でもそのようになる可能性があります。

例えば外で女を作ることにしても(もちろん男性側の元々の播種本能の強さも原因としてあるのでしょうが)男性が家でも職場でも友人関係でも自尊心を下げるようなことばかり言われて、外に女を作って肉体的に受け入れられる事で自尊心を満たす他なくなったことの結果でしょう。

人間とは「風の谷のナウシカ」の腐海の植物と同じで、土が汚れているから(霊障にまみれ、自尊心が下がっているから)毒を出すのです。ですから人は常に自他の毒を浄化(浄霊)し、心の水やりを怠らないこと(愛情欲求・自尊心を満たしてあげる事)が大事なのです。そしてそれこそが霊的成長なのです。このあたりの話は「憑依体質の存在意義」と「悪いカルマの解消法」を読んで下さいね。

みんな決まって離婚の際は「性格の不一致」と言いますが、人間の性格は一致していないのが初期設定であり、最初から性格が一致していたら相手は自分そのものですから存在意義がありません。性格が一致していない者同士が失敗・紆余曲折・試行錯誤を経て歩み寄る過程に物語があり存在価値を生んでいるのです。「最初は努力しなくても一致していた」などと思うのは恋愛のマジックであり幻想です。それによってきちんと話し合わなくてもわかって貰えているものと勝手に期待し、問題が次々に出てくれば「最初から性格が合っていなかったことが原因」と考えて諦め、自分から歩み寄ってきちんと話し合っていないから相手も意地になって歩み寄ろうとせず反発するのでしょう。みんなが離婚の原因だと考えることはすべからく純粋に愛情(尊敬・感謝・許し・忍耐)不足の結果なのだと思います。

全ての事象は因果によりどこまでも果てしなく結びついており、それは常に循環・上書き更新されているものです。相手の性癖を問題の原因として断定することは、その因果を自分に都合の良いようにブツ切りにすることなのです。

例えばあなたが自分の不幸を親が原因だとするとします。でもそうだとしたら、その親があなたを不幸にしてしまうように人間になったのは、きっとその親(あなたの祖父)が原因でしょう。その責任追及の連鎖は「親⇒その親⇒その親⇒その親・・・」と創造主の人間創造まで果てしなく続くことになります。つまり親を責めるのは創造主を責めるのと同じなのです。その因果を「自分の親が悪い」という自分にとって都合の良いところでブツ切りにし、自分の親の不幸な境遇に思いを巡らさないようにしなければ、自分の親個人を責めることはできません。それはもちろんあなた自身についても元パートナーについても同じ事が言えます。あらゆる人・出来事への不平不満は全てを与えし創造主への不平不満なのです。それは必ず悪業となって自分自身に返ってきます。

夫婦関係に限らず、人間関係の問題の原因はほぼ二つに集約されると思います。それは前述の「自尊心の下げ合い」と後述の「感情の強要」です。

殆どの人は感情(愛)の存在理由とその仕組みが理解できていません。詳しくは他の方の質問「片思いの存在意義」に書かせていただいたので、そちらをご覧下さい。今回はかなりそれと内容が重複します。非常に根源的な所から説明が必要なので大変なのですが…。

全知全能の創造主からすれば、同じように全知全能の存在を創ることはたやすいことなのです。また個性のない(欠点も過ちもない)完全なコピーを無限に創ることも容易です。でもそれでは存在に意義がありません。

愛というのはそれぞれの存在に個性(欠点や過ちを含む)があってそれをお互い許し合い・補い合うからこそ生じるものなのです。我々は個性がなければ愛し合う事はできません。我々の誰しもが個性を持つ存在であり、それは欠点や過ちと不可分です。ですから欠点や過ちを理由に人を愛さないというなら、自分自身も誰も愛することはできないのは自明なのです。欠点や過ちには価値があり、それなくして愛は生じ得ません。そしてその愛という概念こそが存在意義なく生じた創造主が自ら創った存在意義なのです。

相手の欠点や過ちが自分に存在意義を与え、自分の欠点や過ちが相手に存在意義を与えているのに、人間は欠点や過ちを理由に他人を許さず・愛さず、その結果自分自身も許せない・愛せなくなるようにわざと愚かに初期設定されています。だからこそそれを課題として乗り越え、お互い許し合い・補い合い・愛し合えるようになる過程の物語が、愛を価値ならしめるのです。その経験がなければ愛はただの概念に過ぎません。

だいたい離婚する夫婦の奥さんというのは、旦那や子供たちが家を散らかしたり汚したりする度にキレて相手に片付けさせようとするような人が多いです。相手の欠点を許し補ってあげて自分が成長することなく、相手側を変えよう(教育しよう)という基本姿勢なのですね。相手の欠点や過ちが自分に存在意義を与えてくれているのですから、相手を許して補ってあげればいいのに、便座が下りてないぐらいでブチ切れる女性とか、もう処置なしなのです。相手に欠点や過ちがなく何でも完璧にできるようになったら自分に存在意義はなくなって必要とされなくなるのは自明でしょう。まして家事などはほとんど機械がやってくれる時代ですからね。そのように逐一相手の欠点や過ちを責めて自尊心を下げて悪い行動を繰り返させて、お互い鬱になってお互いの気持ちを考えられなくなって関係が破滅に至るのではないでしょうか?

許すということは我々が創造主から与えられた最大の権限委譲であり、許し=愛なのです。だから僕らは許しを経験するために生まれたとも言えます。逆に言えば誰かを責めることは最大の越権行為なのです。それはすべてを与えし創造主を責めることですからね。

人の悪い行動はすべて過去の傷により誤った悟り方をして、自尊心が低くなっていることが原因なのです。すべての人の性格にはちゃんとそれなりの原因があって、すべての出来事はみんな止むに止まれずやってしまった結果なのだということです。そういう自分や他人に対する許しがなくては、きっと自尊心を下げて反発が起こり、問題が根本的に解決されることはありません。

「許し」と「我慢」とは違います。我慢するというのは読んで字の如く我(エゴ)で己の心を漫々にすることであり、心では和解が成立していないのです。我慢している間は相手を心の底では許しておらず、その場凌ぎをしているに過ぎません。本当は嫌だけど我慢「してやっている」のだ、と。そしてそれはマグマのように蓄積していつか爆発するのが自明なのです。相手を許し、自発的な成長を信じ、相手の幸せのために耐え忍ぶ「忍耐」が大事なのです。このあたりの話はnote記事「信じることの意義」に書きました。

さて、感情を強要することの問題点について詳しく解説しますね。

全知全能の創造主にとって、自分を愛するように人間を創ることなど造作もないことです。でもあなたがクリエイターだとして、自分を愛するようにAIをプログラムしてそのAIから愛されて嬉しいでしょうか?そもそもそれは愛と呼ぶことすらできないでしょう。

自由意志というのは愛(感情)を存在価値ならしめるために人間へ与えられたものであり、わざと他人(神々も含む)の思い通りにはならないように作られているのです。感情を他人が強制できてしまったら感情自体に存在意義がなくなってしまうのです。

だから感情というのは他人から強要されると必ず反発するようにできているのです。例えば「私を愛しなさい」「私を尊敬しなさい」「私に感謝しなさい」というように言われたら逆の感情が湧きますよね?もちろんそこまでダイレクトに感情を他人に強要するような愚かな人はなかなかいないでしょうが、みんな無意識かつ遠回しにやっているのです。

我々は家族や恋人に愛情を当然の権利のように強要していたり、自慢話をして尊敬を強要していたり、自分の勝手な愛情を押し付けては「〇〇してあげたのに」などと恩着せがましく考えて感謝を強要していたりするように初期設定されているのです。もちろんあなたも例外ではなく、誰しも必ず気づかない間にやっているものなのです。だからあなたにも必ず心当たりがあるものとお察しします。

人間は愛(尊敬・感謝)を求めて生きるようにプログラムされているのですから、これは宿命と言って良いでしょう。それは神々でさえそのように作られているのですから、人間が愛(尊敬・感謝)を求める本能を否定することは誰にも不可能なのです。(だからあなたが悪いわけでも相手が悪いわけでもありません)

「無意識に感情を相手に強要して反発される」夫婦関係に限らず人間関係の問題の根幹はここにあると言って良いでしょう。あなたの離婚の主要因もここにあるのだと思います。

愛は自由な状態で自由意志により発したものでなければ意味も価値もありません。そして本物の愛というのは相手の心を最も自由にするものであり、相手に愛を強要したり束縛するのは愛ではなくエゴなのです。(世の中の多くの人がエゴを愛だと勘違いしています)そうやって愛を強要したり束縛したりすれば、相手の「自由を求める心」に必ず反発が生じて心が反発し、いつか愛は失われてしまうのです。愛は自由な状態で自由意志により自発的に発するものであり、強要・束縛すれば必ず逆の結果が待っているということです。

じゃあどうすれば良いかというと、note記事「誰でも自信満々になれる方法」に書いた通り、愛(尊敬・感謝)というものを絶対に相手には強要せず、一切見返りを求めずに無条件で自分から与え続けることです。そうすることで自然と人から自発的に愛され尊敬され感謝されるようになるのです。

世のほとんどの人はまだ感情を相手に強要してしまっている段階にあります。(もちろん覚醒前の僕もそうでしたし、今も常に気を付けてないとすぐそうなってしまいます)それにより人間関係全体があまりうまくいかずに自尊心が下がり続け、その愛の不足分を全部パートナーだけに求めようとして余計に反発され、結果として上記に離婚の理由として挙げられているようなことをされ続けてしまったのではないでしょうか?あなたはパートナーとの関係だけにフォーカスしているようですが、他の人間関係がうまくいってるのにパートナーとだけうまく行かないということは恐らくないと思います。

これは万人に共通した課題であり過程なのです。ですから決してご自分を責めて自尊心を下げないで下さいね。反省も後悔も必要ありません。ただ過ちから学んで成長すれば良いだけなのです。過去はすべて成長のために必要な過程だったのですから。そしてその成長経験こそが生きる喜びであり、生まれてきた意味なのです。

前述した通り、愛という概念は経験を伴わなければただ言葉に過ぎません。僕らは愛という概念を経験を通じて価値ならしめるために存在しているのです。失敗と試行錯誤なくいきなり正解(愛)に至るなら経験に存在意義はありません。あなたは失敗経験を通じて「愛とは何か?」ということをより深く学んでいるのです。

相手も自分自身も責めて反省を求めて落ち込ませると自尊心が下がって悪い行動がやめられなくなる悪循環にハマるので、決して相手も自分自身も責めないで下さい。誰が悪いというわけではなく、課題に気づいて克服しようとする経験が尊いからこそ、創造主からカルマによってその経験に導かれたのです。克服した後から見れば「ああ、あの経験・過程があったからこそ今の素晴らしい自分があるのだ」と愛しく思い出すことができるようになります。

あなたの人生はすべからくあなた次第に作られています。しかしそれはあなたの過去に起きたことが全てあなたのせいという意味ではありません。あなたの過去に起きたことはすべてあなたの学び・成長経験に必要だからクリエイターの意図によりもたらされたことなのです。ゲームのバイオハザードで、ゾンビが出てくるのはあなたが悪いからだと思いますか?ゾンビ達やゾンビを生んだアンブレラ社やゲームを作ったクリエイターを恨んで意味があるでしょうか?あなたの過去に起きたことは全てゲームの設定(伏線・シナリオ)のようなものであり、ゲームの設定(伏線・シナリオ)に良し悪しをつけて誰かに文句を言ってもゲームが進みません。過去のすべてを自分が主人公のRPGの設定・課題と捉え、そこを起点に選択可能な現在どうするかを考え、既に未来に用意されているシナリオ中でより良いものを選んでいくべきなのです。あなたはRPGの世界ならそうしているはずです。この人生というRPGでも同じようにしてみて下さい。

人生というゲームにおいて過去の問題を自分のせいだとか相手のせいだとか考えることがいかに愚かで無意味なことかに気づいて下さいね。そしてその人間の愚かさもこのゲームの基本設定であり、成長に必要な過程なので、落ち込む必要はないのです。

問題点というのは本当に自ら気づき(覚り)さえすれば(課題を自覚し、自尊心を下げなければ)無理に解決しようとしなくても勝手に治っているものであり、だからこそ気づき(覚り)とは尊いのです。我々は気づき(覚り)の喜びを得るため・成長を楽しむためにわざと愚かに生まれてきているのです。全知全能では成長の物語は経験できません。

そして逆説的に聞こえるでしょうが、決して自分も相手も責めずに、それでも自分が悪かったと相手に誠心誠意謝ることが大事です。もし自分や相手が悪いと思っていたら自己防衛本能が働いて誠意ある謝罪などできません。答えはいつでも「誰も何も悪くない」であり、そう考えるからこそ、全ての事象を与えし創造主の代理として、起きた負の出来事をまるで全ては自分の責任であるかのように相手に謝罪できるのです。そして創造主の代理として頭を下げられる人間は創造主からより愛されて、より素敵なシナリオへと導かれるのです。

蛇足ながら「妊婦になってから不仲になった」という点についてですが、妊娠すると男性にとって女性は母になり、大なり小なり性的関心が薄れるのは不可避ですし、女性側も女性側で愛情が旦那より子供に移ってしまうのは自然なことです。子育ての責任がほとんど母親だけに押し付けられる価値観の社会ではとても難しいことなのですが、美意識(恥じらい)を失って「女」であることを放棄した色気ゼロの「子育てマシーン」みたいな「所帯じみたおばちゃん」にならない努力というのはとても大切なのです。

大分長くなってしまいましたが、どうか偉そうな説教だと解釈しないで下さいね。冒頭に書いた通り僕は結婚も離婚も経験がなく、それを経験しているだけでもあなたは凄いと尊敬しています。くどいようですが、尊いのは経験であり、他人は誰でも口だけでならどうとでも言えるのです。「言うは易く行うは難し」と言われる通りです。

すべての魂は同一ですから、僕はあなたとして生まれていたら絶対に同じことをしています。当然です。だから僕は決してあなたを責めたり説教をしているのではないのです。でももし仮に「僕が今の自我を持ったままあなたに成り代わったら」という無茶な設定で考えるとするなら、僕はそのパートナーと一旦距離を置いて落ち着いてよく考えた後、愛が不足していたことを真剣に謝って復縁をお願いすると思います。もし相手が本当にどうしようもない人なのであれば、別な人を探して同じ過ちを繰り返さないように気を付けると思いますが。あなたがどちらの運命にあるかは僕にはわかりません。お二人のことはお二人にしかわからないでしょうし、僕はあなたに会ったこともなく、そのパートナーの方に至っては全く何も知りませんからね。

ただあなたもパートナーも恐らく霊障に犯されて鬱状態になっていて、気づかない間に自分が自分ではなくなっているのだと思います。そうしてとても傷つきやすくなり、溺れている人が助けに来てくれた人を沈めてしまうように、お互いエゴの海に溺れて相手のことを考えてあげられる状態じゃなくなっているのでしょう。だからやはり一度実家に帰るなどして距離をとってお互い冷静になった方が良いと思います。そして離婚などの重大な決断は、鬱が解決してからの方が良いと思います。日本では難しいかも知れませんが、カウンセラーに間に入ってもらうなどの方法もあるでしょう。

人生のカルマ(課題)というのは、逃げれば逃げるほどに雪だるま式に大きくなりながら、追試や補講のようにどんどん果てしなく追いかけてきます。どれほど輪廻転生を繰り返してさえも。だからあなたの離婚という決断が「逃げ」なのか「勇気」なのかをよくよく自問して考えてみて下さいね。

僕が言うまでもなくどうするかはあなた次第なのですが、ここに書かせていただいた内容をあなたが本当に理解し納得して下さるのであれば(僕の言うことが本当に創造主の代弁なのだと信じて下さるのであれば)どうすべきかは自明なような気がします。

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

2022年9月6日火曜日

神への不敬で当たったバチ

【質問】
いつも拝見させていただいております。

海外某所で神聖な場所だと深く認識せず、神聖だと言われている場所(日本でいう伊勢神宮のような神聖な場所)で悪ふざけをしたらその後意味不明な偶然が重なり、幼少期にあった辛い記憶を突然思い出して精神崩壊しました。今は立ち直りましたが神聖な場所での悪行に大変反省しています。これは悪いカルマというか自業自得の罰なのでしょうか?それとも想像主が与えた幼少期のトラウマに向き合う課題なのでしょうか?教えていただけましたら有り難いです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

まず、note記事悪いカルマの解消法に書いた通り、カルマというのはすべからく克服すべき課題であり、創造主が我々に自発的な成長を促すために与えているものであって、決して悪行の罰として与えられているものではありません。

人生というのはすべからくあなた次第に作られています。しかし過去に起きた悪い出来事を「全て自分が悪いせいで与えられた罰だ」と考えて自分を責めるのは誤りです。

ゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのはあなたのせいでしょうか?それはあなたを主人公とするゲームの初期設定なのです。カルマとは創造主からあなただけにアレンジして与えられた有難い課題(シナリオ)なのです。創造主は全知全能なのですから、失敗・過ちを犯さないように人間を創ろうと思えば造作もないことです。しかし創造主は我々が学び成長する喜びを与えるために敢えて失敗・過ちを経験させてくれているのです。

真理とは概念に過ぎず、経験を伴って初めて意味を成すものです。真理そのものに価値があるのではなく、真理を目指す中で失敗と試行錯誤を繰り返す我々の経験にこそ本当の価値があり、それが真理を価値ならしめているのです。いきなり正解(真理)に辿り着いては意味がないのです。あなたのその「神への不敬」という失敗経験はとても価値のあるものだということです。

そして別な方の質問片思いの存在意義に詳しく書きましたが、全知全能の創造主からすれば自分を愛するように人間を創ることなど造作もないことです。でもあなたがクリエイターだとして、自分を愛するようにAIをプログラムしてそのAIから愛されて嬉しいでしょうか?そもそもそれは愛と呼ぶことすらできないでしょう。

自由意志というのは愛(感情)を存在価値ならしめるために人間へ与えられたものであり、わざと他人(神々も含む)の思い通りにはならないように作られているのです。感情を他人が強制できてしまったら感情自体に存在意義がなくなってしまうのです。

最初から神を信じるように人間を創ったら信心に存在意義はなく、信じないというネガティブな選択がデフォルト設定になっています。神は科学的に存在証明されないように周到に世界を作っています。証明されたら「信じる」ということに価値はなくなるからです。創造主は宗教に間違いを犯させ、また宗教を利用した詐欺などを横行させて、神を信じる人間は気違いだとすら思わせます。そういう中で人間が自由意志により自発的に信心を起こすからこそ信心には存在価値が生まれ、神々は嬉しくなれるのです。

あなたのその「神への不敬」による失敗は、あなたを自発的な信心へと導くものであり、あなたは導きのままに信心を起こせば良いのです。過去を悔いて反省などする必要は全くありません。それはnote記事反省してはいけないに書いた通りです。与えられた課題・経験(失敗と試行錯誤)に感謝しながら課題を克服していくことです。

問題は必ずしも解決しなくても良いのです。その問題を喜んで受け取って、それを人と共有し合い・許し合い・補い合うことで、問題はいつの間にか問題にはならなくなっているものなのです。そしてその問題は愛のマテリアルだということに気づかされることでしょう。それはnote記事問題は解決しなくていいに書いた通りです。

トラウマは「許し」によってのみ克服が可能なものです。「許し」とは創造主が人間のみに与えた最大の権限移譲であり「愛」そのものなのです。僕らは「許し=愛」を経験するために生まれてきたとも言えます。

あなたに起きた全ての出来事は主人公であるあなたにとって必要(ベスト)だから起きたことであり、過去は全て現在のあなたの人生というRPGの伏線(必然)なのです。全ては壮大な因果の中にあり、それぞれが自らのカルマと戦いながらベストを尽くした結果(やむにやまれぬ事情があった結果)で起きたことです。

人の悪い言動・行動はすべからくトラウマ(心の傷)が原因なのですから、その自分と他人の心の傷を思いやり、自分と他人の過去の悪い言動・行動(過ち)を一つ一つ許していくことです。鬱克服のカギは自分と他人を責めるのを同時にやめて許すことです。あなたを責めているのは神ではなくあなた自身だということに気づいて下さいね。そして欠点や過ちというのは我々が許し合い・補い合い・愛し合うためのマテリアルだということを忘れないで下さい。欠点や過ちは人間に例外なく与えられているものであり、それを理由に人を許さない・愛さないというなら許される・愛されるに足る人間など存在しません。

あなたの幼少期のトラウマがどのようなものだったかはわかりませんが、それをもたらした相手や自分自身を許すことができたなら、あなたもきっと神々から許されることでしょう。

人はみな創造主の分身であり、創造主はあなたに自分と他人のその尊さに自ら気づいて神のように大切に扱って欲しいのです。自分も他人も等しく創造主の子供として許し合い尊敬し合い感謝し合い愛し合って欲しいのです。そうすることが我々に全てを与えてくれている創造主に対する愛の表現であり、あなたがそれを発揮した分だけ必ず創造主の分身たるあなた自身に期せずとも返ってくるのです。

どうか既に与えられているものの価値に気づいて一つ一つ感謝してみて下さい。与えられたものに対して感謝できない人間には、何を与えても不平不満で返されることが自明なので、創造主はより多くを与えようとは思わないのです。そして逆に与えられたものまではぎ取られ続けて失い続けることで、与えられていたものの価値に気づかされるような悲惨な人生になってしまいます。

いつも言っていることですが、自分に都合の良いものなら赤ん坊でも愛せます。本当の意味で大人になるということは、自分にとって都合の悪いものも(自分に与えられた課題・経験だと)愛せるようになることなのです。

2022年8月28日日曜日

この世界は人間農場?

【質問】
真也さんはヴォイニッチ手稿についてご存知ですか?こちらのブログで言っているような上位世界やプラグが抜けた感覚はありますか?(二十代前半男性)
「人間電池コードのつながる先」
https://ameblo.jp/nadarra0835/entry-12751560910.html
https://ameblo.jp/nadarra0835/entry-12751518042.html

【回答】
ヴォイニッチ手稿の存在は知っています。プラグが抜けた感じとかはないです。

大変失礼ですが、基本的に僕の質問箱は「悩み相談室」であって、暇つぶしではないのです。とりあえず「〇〇についてどう思いますか?」と聞くのなら、「質問者さんがどう思うのか」「どこがどうわからないのか」がわからないと、こちらも何を切り口にどう語っていいかがわかりません。言い方が悪くて大変申し訳ないですが、なぜいきなり僕がそのスピ系妄想ブログを読まされて一方的に感想を求められるのか意味がわかりません。

何度も書いてますが、この人生というRPGは愛と勇気を試すためのものであり、ありとあらゆる存在があなたを脅し不安にさせ、また怒らせてきます。そうでなくては愛と勇気は試せないからです。

主人公(メシア)の仕事は、人を安心させること・勇気づけることです。(他人事みたいに思わないで下さい。この世界はログインしている時点であなたも主人公です)

件のブロガーのように不安を煽る人はマトリックスのエージェント・スミスのような脇役・悪役を無自覚にやらされているのであって、それに影響されて不安に陥るということはもうその一員になってしまっているも同然なのです。ヴォイニッチ手稿の内容は誰も全く解読できていないのに、勝手な妄想で「この世界は人間農場である証拠」みたいに不安を伝染するのですから。

人生、辛い事が多いからって不平不満ばかり言って恨みで返して、この世界を牢獄・罰ゲームみたいに解釈するから、実際あなたの世界は本当にそうなってしまっているのでしょう。あなたの世界はあなたの解釈が作っているのです。

実は新約聖書にも人間に対して「収穫の時が来た」などという表現よく出てきます。それって「人間農場」そのものですよね?神はいったい我々を育てて何を収穫しようとしているのでしょうか?それはエネルギーではありません。自分でエネルギーを生むことなど造作もない全知全能の神が、人間を電池にしてエネルギーを得るなんて非効率で意味のないことをするわけがないのです。

全知全能の創造主は当然全ての真理を知っています。真理に価値があるのなら全ての真理を知っている創造主にとってこの世界を創る意味はありません。経験を伴わない真理は単なる言葉であり何の存在価値もないのです。愛も経験しなければ概念に過ぎないのです。

真理・愛に至るまでの様々な経験(失敗・紆余曲折・試行錯誤・成長)こそがドラマ・芸術であり、存在価値があり、創造主に存在意義を与えているのです。つまり創造主は我々の経験を自らの存在意義として収穫しようとしているのです。

あなたがクリエイターなら、自分を愛するようにプログラムしたAIから愛されて嬉しいでしょうか?それは愛と呼ぶことすらできないでしょう。全知全能の創造主が強制的にやらせたら人間に感情や自由意志を与えた意味はありません。そしてデフォルトで「愛さない」というネガティブな選択をするように作られているからこそ、愛には価値が生じるのです。愛だけでなく、人間はデフォルトでネガティブな感情を選択してしまうように作られているからこそ、それを乗り越えてポジティブな感情を選択することに価値があるのです。

体は感情の楽器です。腹は立ったりムカついたり、胸はつかえたり締め付けられたりして人間は出来事に対して感情を音のように波動で感じます。当然放っておけばネガティブな出来事があればネガティブな波動(感情)を生じます。感情は受動的なものです。放っておけばどんどんネガティブな方向に感情が流され、どんどんネガティブな出来事を引き寄せる悪循環にハマってしまいます。そのような感情に流される「出来事の奴隷」になってはいけないのです。

だからこそ我々は普段から自分なりにネガティブな事が起きても自分の成長の為に与えられた試練なのだとポジティブに解釈して乗り越えるように、能動的に自分を日々作り上げていく必要があるのです。自分という楽器を調整し、どんな時も美しい旋律を奏でられるようにいつも調律しておくことです。何が起きてもいつでも心からの笑顔でいられるように考え方の方を修正していくことが、成長するということなのです。

毎回言ってますが、自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。真に大人になるということは、自分に都合の悪いものも自分の成長のために与えられたものだと愛せるように成長していくことなのです。

実際、支配者層が金という手段で人々からエネルギーを吸い上げる世界のピラミッド化・人類奴隷化が究極まで進んでいるのは事実ですが、それはこの人生というRPGの設定なのです。世界を救うRPGはディストピアから始まらなければ成立しません。人類奴隷化計画が完成一歩前まで進むことは、大逆転劇(アセンション)前に必要なフラグなのです。あなたが目の前の人を救いそれが連鎖することで世界は救われるようにこのRPGは作られているのです。

「人間農場」結構じゃないですか?人生を与えられたことに感謝し、創造主に存在意義を与えて喜ばせるため、最後の一瞬まで人生経験・成長の物語を楽しみましょう。それが我々自身の存在価値を高めるのです。我々は創造主の一部なのですから当然です。

2022年8月27日土曜日

人生は自分で決めてきたの?

【質問】
数年前から喋る事が出来なくなってしまいました。喋れないというよりも喋ろうとすると舌に力が入って上手く言葉を発する事が出来ません。仕事も出来なくなり、一時は生きているのが凄く辛くて波動もかなり下がっていました。(今はこの出来事のお陰で目覚められたので感謝しています) 

これは自分で引き寄せてしまったのか?カルマなのか?自分でブループリントに書いてきたのか?…と頭の中をグルグルしています。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

僕も一時的ではありますが究極にストレスが溜まった時に声が出せなくなりました。きっと思ったことが言えず、心が納得していないことに無理やり自分を従わせなきゃいけない環境に長くいることで魂が抑圧されてストレスが限界に来ていたのでしょう。僕も結局鬱で仕事も止めました。ので、お気持ちお察しします。そして今は目覚められたとのことで、それに貢献できたのであればとても嬉しいです。

>自分で引き寄せてしまったのか?カルマなのか?自分でブループリントに書いてきたのか?
はい。全部正解です(笑)

(アバターである今生の)自分が引き寄せることも含めて、(高位自己である)自分が青写真を描いて来たのであり、それはカルマ(今生で克服すべき課題・シナリオ)でもあるのです。

創造主は存在意義もなく生じた思念体であり、唯一の存在のために究極に孤独で、全知全能のため究極に退屈です。そこで創造主の作り出した存在意義は愛なのです。愛は経験を伴わなければ概念に過ぎず存在意義がありません。

創造主は愛を経験するために敢えて自分が創造主であることを忘れ、自分が作ったRPGをアバター(主人公)に入り込んで、それぞれの見地からそのシナリオ・経験を楽しんでいるのです。

一度クリエイター目線であなたの人生を見てみて下さい。あなたが小説のシナリオを描くとして、最初から最後までただ幸せなだけのシナリオを描くでしょうか?そんなの少しも面白くないですし、そもそも不幸を経験せずに幸せを経験することはできません。だからあなたは自分という主人公に困難な課題(カルマ)を与え、それを乗り越え続ける成長の物語にするはずです。そして実際にそうなっているということです。

人生というRPGは成長の物語ですから、愚かで何もわからず最弱のレベル1の状態から始まるのは当たり前です。最初から賢く強く答えが全部わかっていたら答えを見つける喜びも成長する喜びもありません。最初から視聴者全員が正解を全部知っているクイズ番組には存在意義がありません。解答者がいきなり答えを出したら何も面白くありません。みんなが自分なりの答えに至るまでのたくさんの失敗・紆余曲折・試行錯誤の経験にこそ価値があるのです。

人生はネットゲームの如くログインしている時点で主人公なのであり、そのプレイヤーであるハイヤーセルフは創造主の分け御霊なのです。与えられたものに不平不満ばかり言い、様々な困難を恨みで返すような主人公がクリエイターやプレイヤーに愛されるわけがありません。プレイしたいと思われるわけがありません。脇役として下位次元の存在に任せて自動運転状態にされてしまいます。でもそこからの逆転劇だからこそ人生は面白いのです。僕の人生はまさにそうなっています。不幸が大きければ大きいほど乗り越えた時に感じられる幸せは大きいのです。カルマが重ければ重いほど、それは乗り越えれば大きな財産となるのです。それは「悪いカルマの解消法」に書いた通りです。

カルマがとても重く、現在大きな不幸に直面している人に「それも幸せになるために必要な過程なのです」「すべては創造主の愛によって与えられたものです」「すべては自分次第にできています」などと言うのはとても心苦しいのですが、それは思いっきり事実なので創造主の代弁者(預言者)としてそう伝えないわけにはいかないのです。

実際に会っていない・直接知らない人はNPCのようなものです。あなたが主役のゲーム上でNPCに起きることは設定であり、仮想であり、「そういう物語の設定なのだ」と思って下さい。そして実際に出会った人の幸せに貢献することに全力を尽くして下さい。乗り越えた不幸の大きさの分だけ出会った人に優しくなれる素敵な人でいて下さい。それは必ず指数関数的に連鎖していつか世界が救われますから。この世界が不幸なディストピアなのはRPGなのですから当たり前であり、あなたが幸せにするためにわざと不幸多く作られているのです。

プログラムされたこのRPG世界に偶然は一切なく、あなたに起きたこともすべて必然であり、設定であり、必要な過程なのです。自分自身も他人も一切責める必要はありませんし、後悔する必要もありません。すべてベストなことが起きているのです。自分の欠点や過去の失敗などつらい体験も全部成長の為に必要だから起きたことだと自分を許し、他人も許し、運命に感謝し、お互い前を向いて生きて行きましょう。

どこまでが仮想現実?

 【質問】
仮想現実は、この地球だけなのでしょうか?
それとも死後の世界や、他の星に生まれた所も全て仮想現実なのでしょうか?

【回答】
ご質問ありがとうございます。

仮想現実が何かという定義にもよりますが、「存在」の本当の姿は全て思念体である創造主のみであり、そこは僕らが目を閉じた時に垣間見れるような、思念・概念しか存在しない世界です。僕らはその創造主の思念・意識を分離された分け御霊です。それが人間というアバターを与えられて仮想現実を経験させてもらっているのであり、我々分け御霊の分離意識(自分というものが存在し、他の存在とは違うものだという意識)・自意識自体が仮想のものですから、その僕らが経験しうる全ては(僕の定義上)他の銀河でもあの世でも丸ごと仮想現実ということになります。

我々の分離意識がなくなれば我々は創造主そのもの(完全なワンネス)に戻ってしまいます。その創造主の思念・概念のみの世界こそが本物の現実と言えるでしょうが、全ての存在が完全に一つに戻ることはありえないことなので、本当の現実がどういう世界かを考えることにあまり意味はありません。創造主は唯一の存在で全知全能であることが究極に退屈で孤独で存在意義がないからこそ我々(分離意識)とこの物質世界を創ったのであり、また完全なワンネスに戻るようなことをわざわざすることはありえないのです。

分離意識はそれぞれ個性を与えられ、欠点があり過ちを犯す存在だからこそ、それを補い合うことで愛は生まれます。創造主の思念しかない状態では愛は生じ得ません。元々の姿は創造主の魂であり光そのもののような存在です。それは完全な智慧の光です。それは細かく砕かれ、磁石のように極性と波動を持ち、お互い引かれたり反発したりします。その引力こそが愛であり、それは反発力があることにより存在意義が生まれているのです。だから通常人は反発するのがデフォルトなのです。

分離された我々にはちょうど一つの小麦粉の塊を製麺してから粉をまぶして簡単には一つにならないようにする感じで無明の闇(エゴ・愚かさ・迷い・霊障・不完全性)が与えられています。簡単に一つに戻ったら分離した意味がなくなるのです。

我々が砕かれた磁石のように個性を保ちながら数珠つなぎにまた一つ(ワンネス)に戻っていく過程が物語であり芸術であり我々の存在意義なのです。完全なワンネスには戻れませんし戻る意味もありません。与えられた自分と他人の個性を尊重し、許し合い補い合い愛し合うことが我々の存在意義です。そしてそれは流れる砂絵の如く永遠に繰り返されるのです。

我々がまた一つになるためには無明の闇(エゴ・愚かさ・迷い・霊障・不完全性)を乗り越えることです。エゴが完全になくなったら分離意識がなくなり完全なワンネスになってしまいますから、それはありえません。エゴなくして愛は生じ得ないということです。だから完全にエゴがなくなることはありません。だからこそ我々は全力でエゴとは反対方向に向かうことができます。それが愛なのです。己のエゴを極力下げて他人のエゴを満たしてあげることです。その連鎖が我々を数珠つなぎにまた一つにするのであり、その過程に生まれる物語こそが、存在意義なく生まれた創造主に存在意義を与えられているのです。我々は創造主に存在意義を与えている偉大な存在なのです。

だから我々はこの世界に自分として生まれたことに感謝しながら、成長の物語・愛の物語を楽しむことです。感謝するほど、成長するほど、愛し合うほど、創造主により存在意義を与えてより愛されて、自分自身も出会ったみんなもより幸せになるのです。全ての存在は一つであり創造主なのに好き嫌いを言えば創造主の愛から離れることになります。それで人生がうまくいくわけがないのです。あなたが出会い認識し思考・想像できるすべてが(あなた自身も含めて)その正体は創造主なのであり、例外なく愛することです。

あなたが嫌だと思うものもあなたの成長のために与えられている課題であり、それを経験させてもらえていることに感謝しながら愛することです。全ては創造主の愛によりあなたにベストなものが与えられているのです。それを不平不満で返すと創造主の愛が受け取りにくくなるのです。創造主は僕ら自身でもあり、与えられたものに感謝できないような人間に、もっと与えたいとは思わないのです。今あるものに感謝できないなら、既に与えられたものまではぎ取られてその価値を思い知らされるような悲しい人生になってしまうでしょう。

いつも言っている事ですが、自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。真に大人になるということは、自分に都合の悪いものも愛せるように成長していくことなのです。

2022年8月25日木曜日

霊と憑依体質の存在意義

 【質問】10代女性
憑依体質で低級霊に憑かれやすい人はどうしたらいいのでしょうか?
また憑依体質とはなぜ存在するのですか?

この記事はnoteに移行しました。
https://note.com/shinyays/n/na570d764e0ab

2022年8月20日土曜日

片思いの存在意義

 【質問】
真也さん、いつもありがとうございます! note、ツイッター、質問箱を繰り返し読ませていただいてます。色々な気づきがあって、起こる現象を前向きに捉えられるようになりました! 

質問があるのですが、片思いはどのような意味があるのでしょうか?

【回答】※9月5日更新
ご質問ありがとうございます。

それを理解してもらうためには創造主がどういう存在なのか・感情とはどのような仕組みになっているのかをかなり深く理解してもらわないといけなくなるため、説明がとても大変な上に伝わるかどうか全くわからないのですが、いつも通り全力でトライしてみます。

創造主は存在の全てであり、全知全能で全てが思い通りになる存在です。それがどれほど退屈なことかを我々に想像することは難しいのですが、例えば何かのRPGにおいて主人公であるあなたが全知全能だったらどれほど退屈でしょうか?すべてのルール(設定・制約)やシナリオや登場人物などすべてが無意味になり、結局それらを一から自分で再構築しなければならなくなります(つまり自分がプレイヤーではなくクリエイターになります)。それを考えれば少しはイメージできることでしょう。

僕らは創造主の分け御霊であり創造主の一部なのですから、深く瞑想したり明晰夢を見ればそのような全知全能の魂の記憶を垣間見ることができたりします。また臨死体験で何でも思い通りになってすぐつまらなくなるという経験を話す人は結構多いです。何でも思い通りになることが楽しめるのは思い通りにならない経験を思い出せるうちだけです。我々の「思い」自体が、思い通りにならないこの世の経験を起点にして構成されているものであり、それがなければ思いは生まれないのです。

僕らは思い通りにならない人生を経験し、魂の成長を楽しむために生まれてきているのであり、そのためにわざと世界は制約だらけになっており、人間には能力に制限があって、欠点が多く必ず過ちを犯すようにできています。それが個性の基盤です。「宇宙の仕組み」の冒頭に書いた通り、自分で作ったRPGは全てを忘れた上でレベル1から始めなければ楽しめないのです。

唯一の存在である創造主にとって他の存在は存在しないので、そのままでは愛したり愛されたりはできません。そもそも欠点がなく過ちを犯さない存在なので、愛を必要ともしません。欠点や過ちは愛の必要条件なのです。創造主は自らの存在意義として愛という概念を生み出し、それを経験するためにこの世界を創ったのです。

そして意識を無数に分離し、神々や人間などのアバターを創って自分が創造主であることを忘れ、欠点がたくさんあってたくさん過ちを犯す次元の低い存在として、そしてそれらを許し合い助け合い愛し合う存在として、それぞれの見地から愛・成長の物語を楽しんでいるのです。もちろんそれはあなた自身もあなたが出会う人々もあなたの知る神々も同じです。

どんな概念も経験が伴わなければそれは言葉に過ぎません。愛も経験が伴わなければただの言葉です。創造主は自らが生み出した愛という概念を自ら経験するために人間と世界を生み出したのです。あなたの人生=愛であり、世界はあなたが自分=愛を経験するためにあるってことです。

決して次元が低い=存在価値が低いということではなく、すべての存在がひとつなぎで等しく価値があるのだということは大事な点なので忘れないで下さい。神々に存在価値があるのはそれを尊敬し感謝し愛する人々がいるからであり、それは人間同士の関係においても同じだということです。

さて、インド神話にこんな話があります。宇宙の創造主であるブラフマーがサラスバティーを創り、そのあまりの美しさに妻に娶ろうとしたのですが、父親と結婚などしたくないサラスバティーは逃げ続けます。しかしブラフマーは自らの顔を四方に増やし、常にサラスバティーを見れるようにして地の果てまで追いかけます。そしてついにサラスバティーは観念してブラフマーの求婚を受け入れたのでした。

全知全能の創造主からすれば自分を愛するように人間を創ることなど造作もないことです。でもあなたがクリエイターだとして、自分を愛するようにAIをプログラムしてそのAIから愛されて嬉しいでしょうか?そもそもそれは愛と呼ぶことすらできないでしょう。

自由意志というのは愛(感情)を存在価値ならしめるために人間へ与えられたものであり、わざと他人(神々も含む)の思い通りにはならないように作られているのです。感情を他人が強制できてしまったら感情自体に存在意義がなくなってしまうのです。(だから誰かに愛されなくてもそれが初期設定であり起点なのですから凹む必要はないのです)

最初から神を信じるように人間を創ったら信心に存在意義はなく、信じないというネガティブな選択がデフォルト設定になっています。だから神は科学的に存在証明されないように周到に世界を作っています。宗教に間違いを犯させ、また宗教を利用した詐欺などを横行させて、神を信じる人間は気違いだとすら思わせます。そういう中で人間が自由意志により自発的に信心を起こすからこそ信心には存在価値が生まれ、神々は嬉しくなれるのです。

そして我々は先ほどのサラスバティーの例のように「愛さない」という選択がデフォルト設定に作られているからこそ愛には価値があるのです。尊敬や感謝などポジティブな感情というのは全てそのようになっています。やはり「尊敬しない」「感謝しない」というネガティブな選択がデフォルトなのです。

繰り返しますが他人が感情を強制できたら感情に存在意義はありません。だから感情というのは他人から強制されると必ず反発するようにできているのです。例えば「私を愛しなさい」「私を尊敬しなさい」「私に感謝しなさい」というように言われたら逆の感情が湧きますよね?もちろんそこまでダイレクトに感情を他人に強要するような愚かな人はなかなかいないでしょうが、みんな無意識かつ遠回しにやっているのです。我々は家族や恋人に愛情を当然の権利のように強要していたり、自慢話をして尊敬を強要していたり、「〇〇してあげたのに」などと恩着せがましく考えて感謝を強要していたりするように初期設定されているのです。人間は愛(尊敬・感謝)を求めて生きるようにプログラムされているのですから、これは宿命と言って良いでしょう。それは神々でさえそのように作られているのですから、愛(尊敬・感謝)を求める本能を否定することは誰にも不可能なのです。「無意識に感情を相手に強要してしまう」多くの人間関係の問題の根幹はここにあると言って良いでしょう。

じゃあどうすれば良いかというと「誰でも自信満々になれる方法」に書いた通り、愛(尊敬や感謝などのポジティブな感情)というものを絶対に相手には強要せず、一切見返りを求めずに無条件で自分から与え続けることです。そうすることで自然と人から自発的に愛され尊敬され感謝されるようになるのです。

あなたが出会う人はきっと許しがたい人、尊敬しがたい人、感謝しがたい人、愛しがたい人が多いことでしょう。でもそれはあなたの成長のために与えられた課題であり、それを一人ひとり克服するのが魂の成長なのです。あなたが出会う人の正体はすべて創造主の分身であることを忘れないで下さい。そしてあなた自身も本当は創造主の分身なのですから、自尊心を高く持つと同時に、出会った人を同じように尊敬して出会いに感謝して愛して下さい。

反省してはいけない」に書いた通り、「どうせ自分なんて」などと考えると行動のレベルが下がってますます自己嫌悪に陥るので、決して自分の自尊心も相手の自尊心も下げずに、どうやったら自分と相手の自尊心が上がるかを考えて実行・改善し続けて下さい。そうすれば必ず人から愛されますし、自分でも自分を好きになります。

片思いというのが過剰に苦しくなる理由は他者評価依存による自尊心の低さなのです。自分自身を愛せていないのに自分の好きな人に愛されることによって自分の自尊心を満たそうとしても決してうまくいかないのです。エゴによって自分に都合の良いものだけを愛そうとし、出会うすべての存在・出来事を許し愛せないなら、すべての存在の根幹たる創造主の愛を十分には受け取れないのです。

創造主曰く、この世界は自分で自分に都合の良い相手を探して選ぼうとするとうまくいかず、ただ無条件で人を愛した方が自然にベストな人から選ばれ結ばれるようにできているそうです。すべての縁は創造主が与えているものですから当然ですね。だから創造主(すべての存在)に愛されるような生き方をした方が素敵な縁に恵まれるのでしょう。このあたりは今独身で修行中の僕が言うと全く説得力がありませんけども。

恋がうまくいくかいかないかは最初から決まっていて、成就する時は(わざとダメにするようなことをしなければ)どうやっても成就しますし、成就しない時はどうやっても成就しないなのです。でも向こうから来ない場合はこちらから行かない限り確実に成就しません。だからウジウジ悩むよりとりあえず行くべきなのです。それはいきなり告白するという意味ではなく、コミュニケーションを取るという意味です。それだけでどうやったって好意は伝わりますから。

存在の全ては創造主であり、ひとつなぎ(ワンネス)なのです。なのに自らの愛情に条件をつけて身勝手に好き嫌いを言うから逆に他人から条件を付けられて愛から弾かれるのでしょう。創造主の愛は基本的に人を通じて与えれるものであり、自分に都合の良いものだけを愛そうとすると創造主の愛が十分に受け取れなくなるのです。

全ての存在の大元(デフォルト)は無限の可能性が無限にあるだけの、まるで芸術の素材だけが無限にあって芸術が存在しないような、とてつもなく退屈で無意味な世界です。可能性というのは結実点があって初めて意味を成すものであり、それを意味によってつなげたものが芸術なのです。

この世界は芸術を創るためのものだとも言えます。芸術が世界の存在意義を成しているのです。人生とは芸術そのものであり、全ての要素が無限では芸術には成り得ません。芸術とは人々に共通して与えられたルール(制約・可能性の制限)と可能性の結実によって作られるものなのです。これは素材を削って作る彫刻のような芸術を思い浮かべればわかるはずです。ただ素材(可能性)が無限にあるだけでは意味がないのです。

物質世界というのは人々に共通した制約(ルール)を与えて、可能性を結実・事象を具現化することで様々なドラマを生み出し、そこを起点に更に想像を広げさせて精神世界を豊かにするためにあるマテリアルなのです。

人々に共通ルールがなくてはドラマは生まれませんし、他者と何も伝達・共有することができません。トランプにしても共通のルールがあるから楽しめるのであって、一方がポーカーをやってもう一方がブラックジャックをやるというのでは成立しません。そして制約(ルール)がなく全知全能のままでは、思い(想像)を広げる起点すらがなく、存在意義のない無限のカオスになってしまいます。

だから前述の通り、元々の世界は思い通りになるのがデフォルトであり、そのままでは全ての存在に意義がなく退屈なだけなので、思い通りにならないように作られているのです。片思い(思い通りにならない経験)があることにより、両想い(願いが叶う経験)に価値が生まれているのです。この世界のすべては陰陽のように二元的に存在するものであり、両想いに価値があるなら片思いにも価値があるのです。片恋の痛みにはちゃんと意味があり、両想いになった相手をより大切にするようになるとか、人の悲しみや痛みに同情してより愛し合うことができるようになるとか、成長の為に与えらえているものなのです。そしてそれゆえに人生は芸術として成立しているのです。

そして人間はみんな個性(欠点と過ち)のある存在であり、憧れの人であればあるほど実際に付き合ったら大なり小なりそのギャップに失望するものです。片恋で終われば相手が年老いて醜くなっていく姿も見ないで済むわけで、それは自分に都合の良いものしか愛せないような人にとってある意味では幸いなこととも言えます。

片思いをしていれば実際のその人を起点に様々な想像を広げることができます。それが人の精神世界を美しく豊かにしているのであり、憧れには価値があるのです。それは「相手を自分にとって都合よく理想化して勝手に憧れる気持ち」というただのエゴのようでも、実は価値があるものなのです。思いが叶うばかりが幸せなことではありません。失恋すればそれと引き換えに憧れ(豊かな精神世界)が手に入ると考えて下さい。現実のその人よりあなたのイメージの方が絶対に美しいのですから。

そして現実のパートナーを創造主が与えてくれたベストな運命の人だと信じ、ひたすら尽くして相手と自分の自尊心を同時に上げ、相手を世界で最高のパートナーにして下さい。そうすればきっとお互いに世界一幸せになります。決して身勝手に現実のパートナーと憧れの人(自分の勝手な想像の産物)を比べて不平不満を言いませんように。「恋敵 譲れば良かった 今の妻」というサラリーマン川柳みたいな人生になりませんように。相手の欠点や過ちはあなたがそれを許し補い愛するためにあり、あなたに存在意義を与えているのです。

何度も言いますが、全ての存在はワンネスなのであり、パートナーはまさに自分の鏡であり、その人に段々幻滅したりするのは自分の成長が足りないからです。人間は歳をとって醜くなるほどより純粋な愛情を必要とする生き物であり、決してSEXや結婚などをゴールだなどとは考えず、成長を続けなければならない(愛を与え続けなければならない)定めなのです。

因果は時空を超えたものであり、常に上書き更新が行われています。もしあなたの恋がずっと実っていないのだとしたら、過去や未来で現実のパートナーと勝手な憧れ像を比較して欠点や過ちを責めて不平不満ばかり募らせて不幸にするような人だからかも知れません。

もしそれを悲しい事だと思うのであれば、魂のトレーニングだと思って出会った人を(恋愛とは関係なく)無条件で例外なくひたすら愛する日々を重ねて下さい。すべての正体は創造主であり、好き嫌いを言っていると全ての存在から愛されなくなります。周囲の人から愛されないことで自尊心が下がっているのを全部恋人に補ってもらおうとしても無理があるのです。

愛情に条件をつけて自分に都合の良いものだけを愛そうとすると、自分も他人から条件付きでしか愛されなくなり、いつか都合が悪くなれば捨てられて孤独に陥るのです。自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。真に大人になるということは、自分に都合の悪いものも含めてすべてを愛せるように成長していくことなのです。

実るばかりが恋ではありませんし、片思い・失恋も価値がある経験なのですが、あなたは年齢を重ねてもただ単にエゴで己の想像をたくましくしてよく知りもしない異性に勝手な妄想で憧れ、拒絶され失望させられ孤独になるために生まれてきたのか、欠点も過ちもある現実の人間(他人=自分)を心から愛し抜いて幸せになるために生まれてきたのか、よくよく考えて、幸せな人生にして下さいませ。

2022年8月14日日曜日

自然災害の予言

【質問】
富士山は最近爆発の兆しがあると聞きましたが、それは本当ですか?

【回答】
ご質問ありがとうございます。

まず僕は預言者(神の言葉を預けられている者)であって予言者(占い師・予想屋)ではありません。

災害の日時の予言なんてまったく意味がないのです。なぜなら人の寿命というのは生まれる前から決まっていて、せいぜい死因が何になるかの違いしかないからです。キリストも「あなたたちが何を心配しようとあなたがたのうちの誰が、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ他の事まで思い悩むのか」というように言っていましたが、まさにその通りなのです。

僕らがあらゆる病気や事故などで死ぬ確率を全部合わせたらとっくに死んでいます。というか確率で考えたら生まれていませんし、この世界自体が生じていません。我々は創造主の愛なしには一秒たりとも存在できないのです。それなのに信心を持たず、理由(使命・存在意義)があって「生かされている」ってことに対して感謝と信頼の念がないから不安になるのでしょう。

もちろん災害対策というのは必要なものではありますが、災害以外の理由で明日死ぬかも知れませんし、どっちみち人間は例外なくいつか死ぬわけで、当たるか外れるかわからないたくさんの占い師や予想屋を頼って恐れおののいて右往左往しながら対策を講じるなどいうのは馬鹿げた話です。

僕は決して占いなどを否定しているわけではありません。ただ占いっていうのは本来人を幸せに導くためにあるべきもので、ネガティブな出来事を予想してそこに導かれるように暗示をかけるようなものは「呪い」であって占いではありません。もしその暗示通りに悪い出来事が起きたら、その後は常にその人の思いつきに振り回され、エゴに利用されることになるだけでしょう。

災害の予言というものは、「この人の過去の予言が的中していたことがわかった」と過去形でしか世間に知られないものであり、「この人の過去の予言の多くが的中していたから、この人の未来予言についても的中するに違いない」という安易な予想は人生というRPGのトラップであって、愛と勇気と信心のない人間を散々惑わせた挙句、結果的には必ずハズれるようにできているのです。この世界はRPGであり、愛と勇気と信心を試すためのものであって、エゴにまみれて臆病で信心のない人間が報われるシナリオなど有り得ないのです。実際「この人の予言が事前に世間に知られていたおかげで多くの人が難を逃れた」という例は一つたりともないでしょう。「世間に知られた災害予言は絶対に当たらない」と覚えておいて下さい。

世間に知られた予言者の予言より、予言者として世間に知られていない一般人の予感の方がよっぽど当たる可能性の方が高いのです。それは人生というRPGのプレーヤー(主人公)個人に向けて与えられる啓示なのですから、自分に与えられる直感の方を信じて下さい。

僕は天に対して災害の(具体的な日時や場所の)予言が与えられることを拒絶しています。なぜならもし災害のようなネガティブな出来事の予言なんてして実際にそれが起きなかったら、僕は結果的に嘘で人々を惑わしたことになり、オオカミ少年みたいに人々の信頼を失い、もっと大切な覚りの内容をみんなに伝えても信じてもらえないようになってしまうからです。それで僕自身は災害など起きて欲しくないのに、起きて欲しいような願いを深層心理で持つことになってしまうようになってしまうでしょう。そしてそのような願いがカルマを積むことになり、別な形でネガティブな出来事を具現化してしまうことになるでしょう。この世界の全ては我々の認識・解釈により生じているのですから、僕はただただ災害などの惨事が起きないように祈っています。ただ災害は遅かれ早かれ必ず起きるものですから、それによって大切な人が失われないように祈り、過去の災害で被災された方々の成仏を祈っています。

神通力についてに書いていますが、僕は「神通力」によってではなく「覚りの連鎖」によって世界は救われると思っています。浄霊以上の過度な神通力は、かえって人々を覚りから遠ざけます。それは奇跡ばかり求められて結局は弟子全員に裏切られたキリストの事例を見ればわかりますし、釈迦もいたずらに神通力を使うなと弟子をたしなめていたことからもわかります。人々がみんな他人である覚者の神通力だけを他力本願的に求めるようになったら、当人の覚りに向けた魂の成長を妨げてしまうのです。

例えば僕がキリストのように死者を生き返らせるような神通力を得てしまったら、今生きている70数億人がいつか必ず死ぬわけですから、大挙して人々が押し寄せて蘇生ばかりしなければいけなくなりますし、対応しきれなくて死んだ人全員が僕が見殺しにしたから死んだということになってしまいます。同様に僕が災害予言のような神通力を得てしまったら、僕が予言を伝えないことで被災した人は全員僕が見殺しにしたことが原因ということになってしまいます。そんなの僕個人で耐えきれるわけがありません。だから僕はそういう神通力を与えられることは拒絶していますし、例え与えられても人に言うことは決してありません。

僕の使命は奇跡によって一過性の命を救うことではなく、覚りによって永遠の魂を救うことです。死を過度に恐れるのは、信心がなく、魂の永遠性を信じず、命を一度限りのものだと思っているからでしょう。しかし何かに怯えながら「本当の幸せ」というのはありえません。だから僕の使命は人々の不安を取り除くことであり、愛と勇気と信心に導き、不安の元になっているエゴ・執着から離れせしめることだと言えます。

安心させることが天使側の仕事であり、不安に陥れるのが悪魔側の仕事です。人生は愛と勇気と信心を試すためのRPGであり、ビクビクして恐れ波動を出すことは無自覚に悪魔側に加担することになり、自分自身を主人公としての地位から遠ざけてNPCにするのです。

仏教では臆病を人間の最大の罪の一つとしていますが、それはやはり人生というのが愛と勇気と信心を試すためのRPGであり、主人公意識=菩提心(衆生を救う菩薩になる覚悟)を持つことがこの人生というRPGの本当のスタートだからです。

覚りが開けてくれば執着がなくなり、死だけでなく老いや病や別れや失敗など何も恐れなくなり、心に平安がもたらされます。恐れとは例外なくエゴ(我欲と保身)が根本原因なのです。僕らは真理(覚り)を求めて魂を成長させるために生まれてきています。そして人生というRPGはそのために愛と勇気と信心が試されるようにプログラムされているのです。だから僕は自分の覚りを進め、人の覚りを手助けすることしか考えていません。災害の予言なんかして人を惑わすことはそれと逆行する道なので、決してすることはありません。

どうか自然災害などネガティブな出来事が起きても、神の愛により我々の魂の成長のため・愛と勇気を試すために与えられているのだと愛で解釈して下さい。全ては神から与えられたものであり、与えられたものに不平不満や恨みで返すとより悪いものが与えられ、既に与えられたものまではぎとられる人生になってしまいます。全てを愛で解釈して感謝の気持ちで受け取れば、より素晴らしいものが与えられることでしょう。

自然災害は我々がどれだけ祈ろうと遅かれ早かれいつか必ず起きるものです。もしそれが起きたなら、勇気をもって無償の愛によってみんなで助け合うことです。そしてそれを試練だと信じて乗り越えることです。人生というRPGは全て愛と勇気と信心が試されているのですからね。

ですから最善の災害対策とは、エゴに埋没して「いつ大災害が起きて巻き込まれるだろうか」とビクビクして伝聞情報に振り回されながら対策を講じることではなく、愛と勇気と信心を発揮し、覚りを求めて魂を成長させ続けることであり、みんなで助け合い愛し合って、最後の最後まで悔いなく幸せに生きることです。

それでは、あなたの悟りの進捗=幸せを心から祈っています。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...