2022年10月29日土曜日

嫉妬・劣等感で苦しい

【質問】20代・男性
僕の周りには夢のために頑張っている人が少数ですがいます。彼らは音楽やビジネスなどで大成し、地位と名誉と富を得たい・認められたいという思いが強く、そのための努力を怠らないような人達です。僕からみると眩しく、自分なんかよりよほど輝いて充実しているように見えます。結果を残し始め、周りよりお金を持っていたりする人も中にはいます。当然彼らはビジネスや音楽の分野で素晴らしい功績を挙げて素晴らしいものを作っていたりします。僕はそういう友達や知り合い、もっと言えばメディアに登場する同世代、そういう人にとてもジェラスを感じます。

自分の好きなことや得意なことでお金を稼ぎ裕福な生活を送っている彼らと、好きなこともなく、朝から夜まで働いても固定給で刺激のない日々を過ごす自分というギャップに、「他人と比べるものではない」とわかっていてもどうしてもやるせない想いが溢れてきます。それを才能の違いと言って片付けられるほどまだ僕はそう言った人たちのようになりたいという思いを諦めきれていないのです。

家族や恋人など、お金を持ってるわけでも特別な才能があるわけでもない僕を愛してくれる人がいて、それでも僕は満たされません。

こうやって文字を打っていて気が付いたのですが、お金が欲しいわけではないのかもしれないです。自分らしい生き方、自分の輝ける生き方、そういうものに憧れているのかもしれません。こんな僕に少しでも生きやすくなるようなアドバイスをお願いします。

【回答】※10月30日更新
ご質問ありがとうございます。お気持ち、よくわかりますよ。僕も覚醒前はそうでしたから。というか、それを言うと惨めになるから誰も言わないだけで、世の殆どの人が本音ではあなたと同じように感じていて、それでも何とか自分を慰め誤魔化しながら生きているのではないかと思います。全知全能の創造主は、ちゃんと理由があって人生をそのように初期設定しているのであり、それはみんなが共通して乗り越えるべき課題なのです。

映画撮影において、与えられた役やシナリオに不平不満ばかり言って真剣にやらないような俳優に、監督がより良い役・より良いシナリオを用意してくれるなどということが在り得るでしょうか?そこは人生も同じなのです。

人生はまさに映画でありRPGです。そしてあなたという主人公だけに用意されたシナリオがあるのです。あなたのその「劣等感に苦しむ」という経験も、魂の成長に必要だから与えられているものなのです。最初から満たされているようでは誰も成長しませんし、物語にはなりえません。

まず、嫉妬する人間・劣等感を抱えている人間というのは確実に「人に序列をつける考え方」をしていて、他者評価に依存し、それを自覚もしていないことが問題(課題)なのです。「人の価値とは?」「誰でも自信満々になれる方法」の二つは必ず読んで下さいね。

多くの人は誰にでもある欠点や過ちを責め、存在に序列をつけて他人に嫉妬したり見下したりして「こういう人間は尊敬しない・感謝しない・愛さない」という判断を無意識にいつもしているから、それらすべての存在の源である創造主からの愛を受け取れず、他人から嫌われ、自分自身(人生)をも愛せなくなるのでしょう。嫉妬・劣等感に苦しむ人というのは、その自分と同じような人間に対しても「価値が低い」と判断して無意識に貶めていることに気づいていません。言わなければバレないと思っているのでしょうが、それは常に宇宙意思(全体意思)に筒抜けなのです。そしてそれは必ず態度にも表れ、相手に伝わっているものなのです。

今現在のあなたのような人は、例えどんな才能を与えられても、どんどん他人を見下すような嫌な人間になり、人に嫌われて不幸になり、能力が衰えればより落差の大きい劣等感に苦しむようになるだけです。現在成功しているように見える人たちも、もしエゴ(我欲や保身)・他者評価の為に努力しているようであれば、恐らくはそうなってしまうことでしょう。

あなたは才能があって努力もしていて早くから評価されている人間が必ず幸せだと思い込んでいるようですが、そういう人たちにはそういう人たちなりのシナリオがあり苦しみがあるのです。あなたはまだ聖書を読んではいないでしょうが、世の栄華を極めたサウル王でさえダビデへの嫉妬のために身を滅ぼしたのです。才能があって努力して成功して他者評価を得て裕福になれば必ず幸せになって誰にも嫉妬しなくなると考えるのは幻想です。

世界のすべては二元的に存在していますから、不幸を乗り越えずに感じられる幸せなどないのです。「なかなかやりたいことが見つからず劣等感に苦しむ」という経験も、あなたの成長に必要だから与えられているのです。

このすべてがプログラムされたRPGの世界に偶然など何一つなく、あなたと僕との出会いや、あなたの家族・恋人との出会いも含めて、あなたはすべからくベストな存在とベストなタイミングで出会っているのです。「世の中にはもっと素敵な人がいる」「自分には才能も運もない」などという感じで、与えられた才能や人・出来事との出会いに感謝の気持ちが薄いから、創造主からの愛が受け取りにくくなっているのでしょう。

創造主そんなあなたでも愛してくれる人に出会わせてくれているのに、あなたは心から尊敬し感謝し愛せないから満たされないのでしょう。それは出会いを与えてくれた創造主への最大の不敬なのです。大切なことは出会った人を自分が主役の人生の共演者として例外なく尊敬し、感謝し、愛することです。人・出来事との出会いに偶然はなく、すべて自分の魂の成長にとってベストなものが与えられているのですから、「どこかにもっと素敵な人がいるに違いない」などと考えて目の前の人・出来事を全力で愛さない人が、すべての存在の根源である創造主からの愛を受け取れるわけがなく、不幸に導かれるのは当然なのです。我々はそこに気づいて出会いに感謝して自発的に全力で目の前の人・出来事を愛するべきなのです。

そして「宇宙の仕組み」に書いた通り、あなたが「客観的世界」の中に生きているという思い込みを捨てなければいけません。ネットゲームでログインしている人が全員主人公であるが如くです。主人公であるあなた以外の人は、どれだけ有能で有名だろうと、あなたの世界の一部でありNPCのような存在です。NPCたち・同じ世界線にログインしている他のプレーヤーのゲームの進捗(どこまで進んでいるか、才能・権力・金・他者評価をどれだけ持っているかなど)はあなたに全く関係ないのです。あなたはあなただけに用意されたシナリオのRPGをただ思いっきり楽しめば良いのです。

あなた=あなたの認識世界です。才能がある人がいたら、あなたの世界の一部が素晴らしいということですから、その存在に心から感謝して愛することです。例えばあなたの好きな曲は創造主がそのアーティストというアバターを通じてあなたを喜ばせ元気づけるためにあなた個人に与えてくれたものなのです。アーティストの才能に嫉妬なんかしていたら、創造主からのせっかくのプレゼントが受け取れません。

どうかすべての存在をただありのままに愛してみて下さい。才能であれ性格であれ「このようでなければ愛せない」と自分に対しても他人に対しても愛情に条件をつけないことです。ただありのままを愛することができたなら、その存在はあなたの心に写し取られ、本当にあなた(=あなたの認識世界)の一部となるのです。この物理世界において何かを物理的・権利的に手に入れようとすれば、あなたの手にするわずかな固定給などではほとんど何も手に入らず苦しくなるだけでしょう。

この世界は夢の中と同じです。あなたは夢の中で夢であることに気づいたら、何かを得ようとか残そうとかするでしょうか?それは無意味であるとすぐにわかるでしょう。この現実世界は仮想現実世界であり、夢と全く同じなのです。実際次の旅には「魂の記憶」以外に何も持っていけませんからね。あなたが現実だと思っている世界はあなたが死ぬ時にきれいに消え、次の旅には何一つ持っていく事も残すこともできないのです。だからあなたの精神世界(=魂の記憶)を愛で満たして下さい。この世界をどれだけ愛せたか、どれだけあなたの精神世界を愛で満たせたかがあなたの人生の価値です。

あなたは「平々凡々で何の才能もない自分のことなど世の中の人は誰も気にしない」と思っているかも知れませんが、あなたの人生という映画を、創造主も諸神諸仏も楽しみに見ています。一秒たりとも止むことなく全てを、です。彼らが有名人・金持ち・権力者だけを見ていると思ったら大間違いです。必要のない存在など何一つこの世界に生じることはないのです。

「男はつらいよ」の渥美清さんは、映画の中ではしがない庶民「寅さん」の役であり、誰も彼に対し有名人に対するようなチヤホヤした態度は取りません。でも現実世界において渥美さんは超有名人であり、浅草などを歩こうものなら街がパニックになってしまってまともな生活などは営めなかったでしょう。あなたも同じであり、この現実という映画の中でしがない庶民役をやっているだけで、天界では超有名人なのです。諸神諸仏もあなたと同じように人として生きて劣等感に苦しんだ記憶があるわけで、きっとあなたに同情・共感して応援しながらあなたの人生を見守っていることでしょう。あなた自身も人間界での苦労を経験しているだけで、本当は神仏と同じ存在なのです。未来のメシアであり菩薩なのです。

あなたはまだ自分の存在の尊さに気づかず、自分など大した存在ではないと思って、世界を救うなどということは考えもしないのでしょう。しかし世界を救うのに有名人・金持ち・権力者になる必要はありません。あなた=世界であり、あなたの肉体(アバター)が一体で世界を救うのではないのです。あなたが目の前の人を愛し、救い、それを連鎖させるだけで良いのです。あなたがたった二人の人間を無償で救ったなら、その二人もきっと無償で二人の人間を救う事でしょう。それがたった50連鎖するだけで1000兆という途方もない数字になります。連鎖反応というのはそのように指数関数的に広がっていくもので、最初はひどくゆっくりに見えても末にはとんでもないペースで進んでいくものなのです。

どうか有名人・金持ち・権力者になること(他人に評価されること)を目指さないで下さい。それは多くの日本人が陥っている病理「他者評価依存」であり、他人に評価されなければ自分を評価できないようでは常に他者評価に振り回されて結局は嫉妬・劣等感に陥り、幸せになどなりようがないのです。

「どれだけ世間的に無名だろうと、全知全能たる創造主はそのすべてを見通し、誰が世界を救っているのかを知り給う」
創造主があなたに譲渡した「自分を評価する」という最大の権限を易々と他人に譲ることなかれ。

とにかくエゴ(我欲と保身)を動機にやりたいことを見つけようとしないことです。そんなことをするからあなたは本気でやりたいことが見つからず、貧困・孤独などを恐れて保身に走り、やりたくもないことの我慢代を貰う為に時間という素材を空費するような人生になっているのでしょう。

そんなあなたでも愛してくれる存在を与えてくれている創造主が、あなたをどれだけ愛しどれだけ成長を期待しているかわかるでしょうか?そしてその価値を感じられず満たされないなどという事がどれだけ愚かなことか、失ってみて取り返しのつかない後悔をする前にわかって下さいね。

与えられているものの価値に気づかず感謝できない人間に創造主はもっと与えたいとは思わないのです。そして与えられたものの価値に気づかず感謝できない人間は、既に与えられたものまではぎ取られ続け、失う事でその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのです。だから自分に与えられた配役やシナリオに対して決して不平不満を言わず、常に自分の魂の成長にベストなものが与えられていると信じて感謝して下さい。

この人生というRPGは愛と勇気を試すためのものですから、思考・行動の選択において、より愛と勇気が必要な方が最終的には必ず正解です。エゴ(我欲と保身)による選択が最終的に正解であるなどという主人公のRPGや映画を見たことがありますか?世界を救わないRPGなんて何も面白くありません。自分と創造主の関係性は常に一対一であり、他人(世間)=NPCの思考・行動は一切言い訳には使えないのです。

どうかすべての存在を愛し、世界を救う覚悟を持って下さい。あなたの夢やそのための才能は、世界を救おうという覚悟に付随して与えられるものです。

あなたはまだ20歳という若さで「自分には何の才能もない」などと思い込んで自分を蔑み、それを好きでも得意でもない仕事をして生きる言い訳にして、もう人生を諦めようとしているのでしょう。一日の大半を全然やりたくない仕事に空費していたら、人生の大半がやりたくないことに満たされることになります。ただエゴ(我欲と保身)のためにやりたくないことを我慢してやっていたら、やりたいことなど見つかりませんし、あなたの中に例えどんな才能が眠っていても見つかることも伸びることもありませんし、成長などしようがありません。そしてそんな人生で人が、存在することに心から感謝して幸せになれるはずがありません。

退路を確保するために人生を使っていたら、退路を断って前に進んでいる勇者たちに太刀打ちできるわけがないでしょう。それで彼らへの嫉妬・劣等感から逃げ続けていつか追い詰められるような人生が楽しいわけがありません。あなたの「少しでも生きやすくなるように=少しでも楽に生きられるように」という発想が既に逃げなのです。エゴ(我欲と保身)を乗り越えるためには=世界を救うためには、自分を放り投げるほどの勇気がいるのです。それが簡単でないのは当たり前です。人生は愛と勇気を試すためのRPGなのですから。最初から何も恐れない人の勇気に何の価値もありません。臆病なあなたが振り絞る一握りの勇気にこそ価値があるのです。

自分の人生をよくよく振り返ってみて下さい。あなたが人を笑顔にして嬉しくなった経験はどんなものですか?例えば料理や清掃や介護やイベントの企画運営など、それが無償のボランティアで一円にもならず、どんなにあなたや他の誰かからつまらなく見えたとしても、それがあなたの才能なのです。他人と比べたりすることなく、最初は全くお金が儲からなくて家族や生活保護を頼ることになっても、人を笑顔にする才能を伸ばすことに一日を使って下さい。お金は必ず後からついてきます。部活だって中学高校で6年もやっていたら、それをやっていない人達とは雲泥の差ができるでしょう。人を喜ばせるために10年20年努力してお金を稼げないレベルで終わるわけがありません。そして創造主の分身たる人々を笑顔にすることに全力を注いでいる人間が創造主から見放されるわけがありません。

実際僕はいつも人を笑顔にするために生きて自分も笑顔になっているため、働かなくても何の不安もなく幸せに生きています。才能もどんどん与えられて開花しています。たった3年でです。まだお金など全然稼げていませんし稼ごうともしていませんが、人を幸せにする人生ほど幸せなものはありません。

最初からものすごく興味が出てものすごくやる気になってからでないと行動できない、というのでは何もできません。何かの才能なんかより「ちょっと興味が出た程度のことでも全力で突っ込んでいける勇気」の方が大事です。年齢は関係ないですが、特に若い人には大事なことかと思います。それによってあなたの人生はとてつもなく面白いものになるよう導かれていく事でしょう。それは早くから才能に目覚めて簡単にやるべき事に導かれた人達の人生よりずっと面白いはずです。

お金がないことで人から見下されてみじめな思いをするのではないかと臆病になっているようでは何もできません。RPGの主人公なのに世界を救おうともせず、やりたくないことの奴隷になっている脇役NPCでは、上位次元の存在達があなたというキャラクターをプレイしたいとは思わないのです。

人生はしょせん仮想現実のRPGです。他者評価も貧困も死も何も恐れるに足りません。全ての存在を愛し愛されていれば、すべての存在の源たる創造主がみんなを通じて助けてくれます。やりたくないことに人生を使って才能ある人たちに嫉妬して劣等感に苛まれ、自分や他人を愛せず、「自分の精神世界を愛で満たせない事」をこそ恐れて下さい。精神世界だけが次の旅に持ち越されるものなのですから。

何より信心を持って下さいね。すべての存在・事象の源である創造主を愛し、その使いである神々と人々を愛することです。全知全能の創造主に対して僕らができることは、ただただ全ての存在(出会い)に感謝し、創造主の分身(欠点も過ちもある神々と人々)を愛し、無償で奉仕することだけなのです。

社会的成功(他者評価・お金)によって人は決して幸せにはなりません。人生というのは魂の自発的成長のために与えられているもので、真理(=愛)を覚ってそれを世界に連鎖させていく以外の方法で幸せにはなれない仕組みになっています。

まぁ20歳の時の自分にこんなことを言っても伝わる気が全くしないのですが、何とか伝わってあなたとあなたの周囲の方々の人生が幸せなものになることを心から祈っています。

2022年10月27日木曜日

どんな神仏を信じればいい?

【質問】
「信仰を持つことが大事で、信じられる神様を見つけるべき」とのことですが、仏様でもいいでしょうか?

自分は不動明王様が昔から初詣で参拝していて、ご縁があるように感じました。炎や剣で恐れやエゴを焼き尽くす、荒療治ですがみんなを救おうとするのがかっこいいと感じました。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

様々な神仏を信仰し、ベースは仏教徒(法華経信仰)である僕が「神様がOKで仏様はダメ」なんて言うわけないでしょう・・・。これからは「神仏」と言うようにします。

自分に縁が近いと感じる神仏から信じれば良いと思います。そう言う僕の真意は、まずは信仰によって具体的な功徳を経験して信心を深めてもらいたいのと、そこを入り口に様々な神仏についてたくさん学んでいってもらいたいということです。

不動明王は日本で多くの信仰を集めるとても力の強い神様です。力のない神仏が多くの信仰を集めるということは基本的にあり得ません。宗教(人間が運営するため腐敗が必然)を信じるのではなく、宗教を通じて神仏について学ぶことが大事です。

不動明王を入り口に、仏教について学んでみて下さいね。不動明王を特に重んじているのは真言宗ですから、本佛である大日如来を始め、そこで祀られている様々な神仏について学び、真言を唱えるなど様式を学んで日々実践してみて下さい。

個人的には浄霊の際に不動明王真言を使うことがあります。特に極悪でしつこい低級霊を成仏させるには有効で、きっと霊障多くカルマの深い(大きな困難から大きな成長を期待されている)あなたに縁の近い存在なのだと思います。エゴを乗り越えて愛(真理)に生きて欲しいという創造主の願いでしょう。

本当はすべて創造主の化身なのですから、万教同根なのは当然であり、どんな神仏を信じようと本質的には同じ事です。一神教と多神教は矛盾しません。

本当は全ての神仏がすべての人にフラクタルに存在しているのであり(三千大千世界)、違いは縁が近いかどうか、心の世界のその存在を心から信じて呼び覚ましてその加護が得られるかどうかです。

2022年10月12日水曜日

精神病・精神医学について

【質問】20代・女性
現在以下のような状況になっています。

・予定が入っても遂行できない。
・昼間起きていられず、外に出られない。 
・衝動を抑えられない(過食、暴力)。 
・自転車乗っている時など考え事に集中してしまってぶつかりそうになる
・何事も続かず、ずっと横になってしまっている。
・眠れないことがよくある。
・よく眠れた時でも日中どうしようもなく眠くなって寝てしまい、夜寝つけずそのまま昼夜逆転し、自律神経も乱れていく、という流れが多い。

などの悩みから、メンタルクリニックへの受診、投薬を検討しておりましたが、真也さんはメンタルクリニック(精神医学)についてどのような見解をお持ちでしょうか。

【回答】2025年10月10日更新
ご質問ありがとうございます。

<鬱について>
あなたが挙げた症状は鬱の症状の典型だと思います。僕もかつてはほぼ同じ状況だったのでよくわかります。それはあなたが悪いわけでも、家族や他の人が悪いわけでもありませんから、自分も他人も責めないで下さいね。答えはいつでも「自分も誰も悪くないけど、自分が何とかしなければどうにもならない」です。

鬱というのは、人生という魂成長プログラムにおいて、悟り(真の幸せ)へ至るために必要な過程であって、程度の差こそあれ誰しもが経験するものなのです。不幸を経験せずに幸福は感じることができませんし、ただただ幸福で不幸がないような人生では成長しようという動機も生まれません。より大きな不幸は、より大きな幸せを感じるため・より大きな成長を期待されて与えられているものなのです。

人生という魂成長の経験機会が与えられていることに感謝できず、己のカルマの重さから被害者意識に陥って我が身の不幸を嘆いてばかりの人は多いと思いますが、それは成長に反するベクトルであり、より不幸に導かれるのが必然なのです。それは運命への呪いに書いた通りです。

世界の本質はワンネスであり、僕らは分離意識によって同一人物が違う役を演じているだけのようなものなのです。そして僕らの脳というのは自分という個体が損をしても得をしても全体利益に適わず、深い部分で自分を嫌いになり、ダメージを受けて鬱になるようにできています。だから損得勘定で生きること自体が鬱の直接的な原因であり、それが不幸の元凶なのです。

しかし人間は「得をした」と感じる時には快楽物質が出るために、そのダメージに気づけないようになっているのです。そして今の資本主義社会においては、エゴのために損得勘定で生きることがあまりにも当たり前になっていて、気づかない間に鬱になっているエゴジャンキーばかりになってしまっているのです(それが我々に共通した人生というRPGの初期設定であり、それを乗り越えて愛を発揮していくという成長課題があるのです)。


鬱というのは基本的に「エゴへの埋没➡自己嫌悪」を原因としており、それが自信のなさ・自尊心の低さ・強い罪悪感と羞恥心と繋がって慢性化し、心がグレて生きる気力を無くしている状態なんですね。そうなると他人のことを考える余裕がなくなって(心に愛をなくして)自分自身も他人も世の中もみんな嫌いになって、仕事でもプライベートでも人間関係が上手くいかなくなり、どんどんエゴに埋没して自分を嫌い人生がイヤになる悪循環に陥ってしまうのです。

鬱の人は何か問題がある度に「これは自分が生まれつき(あるいは親・環境・不運な出来事などのせいで)ダメだからダメなのだろう=努力してもムダだ」と結論付けることで気持ちに整理をつけ、まるで自分ならどれだけイジメてもOKであるかのように自分をイジメまくっているものなんですね。総じて人生の問題というのは「(自他への)愛の不足」が原因であり、逆に言えば全ての問題の解決策は「愛」なのだと思います。

鬱の症状というのは「自分の考え方に歪みがあり、自他に対して愛が足りずエゴに埋没していること」を脳が教えてくれているのであり、自発的に魂の成長を促すための「脳の正常反応」なのです。だから鬱というのは考え方の歪みを治して魂的に成長し、エゴを乗り越えて愛に生きるようにならない限り、決して乗り越えることはできないものなのです。

<現代の精神医学について>
ところが現代医療は鬱の症状を「脳の異常」だと考え、薬などの科学的な手段によって症状(結果)の方を物理的に無理やり抑え込んでねじ伏せようとします。現代の精神医学はそのように事後対処的であり、精神というものを物質的に捉え、精神病による脳機能障害を結果ではなく原因と捉えているため、現代医学が精神病を治すことは不可能なのです。鬱になる原因になっている「個々人の人生の問題・考え方の歪み・愛の不足」の解決(魂の成長)に対して精神医学側が踏み込むわけありませんからね。

もちろん統合失調症や精神錯乱など症状が急性かつ重篤な場合には、現代精神医学の対処療法が必要な場合もあり、症状を緩和させている間に自然と快方に向かうこともあるでしょう。しかし薬物などによる対処療法に依存し続けさせていれば、「脳の正常反応」を妨害して魂的な成長経験機会を奪ってしまい、逆に根治を遅らせて余計に悪化させてしまうことになると思います。

あなたがもし休みが必要な精神状態なら、仕事で休暇を貰うにしても退職して生活保護を受けるにしても、精神科医に診断書を書いて貰う必要があるわけですが、僕は精神の問題に対する薬物治療には否定的な立場です。

精神病を「雨漏り」に例えれば、現代医学はバケツ(薬)で対処するのみです。そして雨が止んだら「ホラ、私のお陰で治ったでしょ?」って感じで患者をバケツ(薬)に依存させますが、実際は見えないところでどんどん原因が悪化して、また雨が降ったらより多くのバケツが必要になり、バケツ屋(製薬会社と精神科医)が儲け続けるだけです。


上記の動画を見ていただいたら「精神医療業界の本質」がどういうものなのかがよくわかるかと思います。

精神薬の開発において、治験なんてまともには行われていないのです。もしあなたが治験のバイトに登録しても、精神薬の治験なんてまず募集はないでしょう。精神薬は実際の患者をモルモットにして治験し、しかも半年という短期ですぐに認可が下りるので、高いコストをかけて治験を募集する必要がないのです。

そして一度認可された後は余程大きな副作用が多数報告されて因果関係が証明されなければ差し止めにはなりません。アメリカの銃乱射事件など猟奇的・破滅的な事件の犯人の多くも事件前に精神科で投薬治療を受けていてその因果関係が強く疑われていますが(特にSSRI)、投与されていた薬が販売停止・回収になったという話は聞きません。

精神薬と事件との因果関係の立証は困難ですし、例え立証されたとしても、せいぜいその対象の薬だけが注意の対象になるだけで、投薬治療全体が見直されるということはありえず、危険な薬を開発・販売した製薬会社も・認可した国も・処方した精神科医も一切責任は負わされません。政官民が利権でつながるのは現代の価値観・社会システム上の必然なのです。


世間的には精神病に対する投薬治療が科学的なものだと思われているのでしょうが、精神科で科学的な検査が行われていると思いますか?血液検査や脳波検査や脳内物質のPET検査やX線やMRIによる検査など、精神科では科学的な検査を一切やってません。まず機材さえ置いてないでしょう。


ただ単にどこかの研究者の「もっともらしい説明」を妄信し、精神科医がマニュアルを元にして経験則で問診して科学的な検査などは全く行わず、精神科医の匙加減一つで適当に薬を出し、効果が全くなかったり副作用が強く出れば薬を変え、症状が抑えられるまで次々に色んな薬を投薬するのみです。だから投薬治療というのはほとんど対処療法にすらなり得ておらず、精神医学業界というのは科学を装ったカルトの世界なのです。


製薬会社と精神科医にとって、とりあえず患者の目前の症状(気分)さえ誤魔化すことができたら儲けられるんですから、実際その後のことなどどうでもいいんです。余程ひどい過失がなければ責任を負わされることもありませんからね。むしろ患者が根治してしまったら儲かりませんから、製薬会社も精神科医も(少なくとも立場上は)患者の根治など望んではおらず、依存を続けたまま症状が良くなったり悪くなったりを繰り返してくれるのが一番良いのです。それで製薬会社の人も精神科医たちも収入・社会的地位・自尊心を保つことができるのですから。

患者の側も「自分の精神病は脳機能障害である」と考えれば「自分のせいではない」「薬で脳の機能障害さえ治れば問題は解決する」と救われた気持ちになります。しかしそれによって易々と薬に逃避・依存するようになり、「苦しい思いをしながら自分自身と向き合い、カルマ(課題)を乗り越えて魂を成長させよう」などとは絶対に考えなくなります。現代精神医学に頼ること自体が魂の成長とは逆のベクトルにあるのですから、カルマ(課題)が悪化するのは必然なんです。


人間誰しも個性があってどこか未熟ですから、とことん適用範囲を広げれば精神を病んでない人などいません。だからちょっとでも性格に難点があれば誰でも精神病と診断されかねないのです。例えばADHDとか発達障害なんていうものは、本来は人それぞれに与えられた個性(特性)であり、成長課題なのです。魂の成長というのは人によって進捗の差が激しく人それぞれなのに、より多くの人を病人扱いして養分にしたい製薬会社・精神科医と、自分のカルマを他人のせいにして逃避したい本人やその家族たちのニーズが見事にマッチして、人々がどんどん薬漬けにされて何も良くならないまま養分にされ続けているのが現状です。


断言しますが、精神薬で精神病は治せません。精神病というのはあくまでも魂の成長を促すための「脳の正常反応」であり、「人生の課題を乗り越えて成長しようとすることなく、雪だるま式にカルマ(霊障)を蓄積すること」によって悪化するものだからです。人生というのは成長を経験するために与えられているものであり、精神病というのは魂の成長(カルマの解消)を怠ったが故に陥るものなのです。それなのに「薬によって症状(気分)だけを胡麻化すこと(成長拒否)」によって精神病が根治するなどということはありえないのです。


本質的に精神薬は麻薬と一緒なのです。依存性があり離脱症状(禁断症状)が大きいのです。だから患者が「もう十分良くなった」「副作用の害の方が大きい」と自分で判断して急に断薬しようものなら、反動が大きく出て自殺したりするのです。この事実は断薬を求める患者や意見者たちを封殺するのに役立ち、製薬会社・精神科側は合法的に患者を薬物中毒にして自らの養分にしているのです。



<精神科医のカルマ>
精神科医の多くは、きっと「精神について学んで自分が救われたい、そして自分が救われたら精神を病んでいる他の人達を救うために生きたい」という純粋な気持ちで精神医学を志すのだと思います。しかし現代精神医学では自分自身も患者も全く救われず、根治できないことを知りながらその場凌ぎのために投薬し、根治(魂的成長)を遅らせて中毒に陥れて悪化させているのです。そして心の弱さゆえに自身の貧困と自尊心の崩壊を恐れ、生きていくためにはそうやってお金を稼ぎ続けざるを得ないと思い込まされ、結果的には苦しんでいる人を養分にする悪魔の僕(しもべ)となり果てているのです。精神科医っていうのはカルマの深い仕事だなと思います。それは人生という悪魔・霊障との精神的(霊的)戦いにおいて、神仏・真理を信仰せず、科学・資本主義に頼り魂的成長を怠ったことで深めたカルマです。


プライベートで精神科医を何人か知っていますが、みんな一様に病んでいます(僕の勝手な判断ではなく、本人が自覚しています)。自分の職能によって患者も自分自身も救えていないのですから無理もありません。でもそれがバレたら商売にならない(収入も社会的地位も自尊心も保てない)ので、己の病んだ心を隠しながら、いつも健常者であるように装わざるを得ず、知識(本質からズレた方法論)ばかりを必死に仕入れ、それによって病気が良くなるかのように宣伝し、患者を募ることばかり上手になっているだけなのです。それを「患者に希望を持たせる」という建前によって自己正当化しながら。


良心的な精神科医ほど当然患者に同情的になるわけで、毎日のように患者からネガティブな思念を受け取ることで病んでしまうのでしょう。それで多くの精神科医は患者に心から同情する余裕など失くしていて、何とか患者に引きずられないよう、職業・商売として切り離して考え、ただマニュアル通りに問診して薬を出すだけの冷酷な自動販売機みたいになりがちなのです。それで患者は「わかってもらえない」と次々に病院を変えるわけですが、精神科医もほとんど「話をする・聞くのがうまいかそうでないか」の違いだけで、大概の精神科医というのは投薬する以外に治療手段を持っていないのです。


精神科医でも信心があって宗教やスピリチュアルなことに詳しく、霊的知識と研鑽を積んでいて、親身になって患者の相談に乗って良い方向に導ける人もいるのでしょうけども(そういう方々のご活躍に個人的に期待しています)、大半は信心も霊的知識・研鑽もなく、現代医学的な考えで精神を扱い、宗教・スピリチュアルなことには疎く、自覚のない間に自分自身と患者お互いのカルマを増幅し悪化させているのです。それゆえ精神科医の自殺率というのは非常に高く、霊障が原因で他人まで巻き込んで大きな事件に発展するケースも多々あり、「すすきのホテル殺人事件」などはその氷山の一角に過ぎません。


自分自身も家族も救えない現代精神医学で患者が救えるでしょうか?現代科学は「意識とは何か?」ということすら皆目わかっていないのに。もし精神医学が本当に精神病患者を救えるのなら、統計的に精神病患者は減っていくはずですが、精神病患者の数も精神科医の数も精神薬の売り上げも右肩上がりに増え続けていて巨大産業になり、一向に減少傾向が見えないのです。

精神科医になる人も製薬会社で働く人もきっとカルマが深いのだと僕は思います。みんな本当は人を救いたくて努力してその業界に入ったのでしょう。しかし現場での「利益至上主義」という悪魔に支配され、利益のためなら有害な薬をバラまくことも平気になり、せっせとカルマを積むことになってしまっているのしょう。資本主義はお金を(合法的に)儲けるのが正義なのですから、現代の価値観・社会システムを変えない限り何も変わらないのです。誰か個人や特定の会社を責めても全く意味がありません。


<精神病について人類が知るべきこと>

大原則:世の中の全ての問題は究極「愛の不足」が原因であり、逆に言えば全ての問題の解決策は「愛」であるということ。それはもちろん精神病という問題も例外ではないということ。

1.精神病は魂の成長を促す脳の正常反応であり、それは霊障(精神的・霊的穢れ)という形で表れ、
カルマの解消(魂の成長)の拒否することで蓄積し、重篤化していくものであるということ。

2.霊障(精神的・霊的な穢れ)はカルマ(成長課題)を構成するものであり、誰にでも例外なく与えられているということ。(広義では病んでいない人はいない)

3.カルマは成長経験のために乗り越えるべき課題であり、人それぞれにアレンジされた人生のシナリオ・伏線であるということ。(不幸・絶望を経験せずに本当の幸せは感じられないし、本当の愛(慈悲)は育くまれない)

4.カルマは自発的な信心と、自発的な成長を促すためのものである。(成長は自発的でなければ意味がない・医者や誰かに依存して成長はない)

5.霊障に犯されると誰でもエゴに埋没して自己嫌悪状態・鬱状態になり、放っておくと症状は悪化する。(逆にエゴを乗り越え愛に昇華する実践修行の日々を送っていれば自然と良くなる)

人生はまさにオンラインRPGのような仕組みなんですね。体の病はアバター(肉体)側の病であり、精神の病はプレイヤー(意識)側の病であり、精神的=霊的な病なのです。肉体側への薬物治療では治りようがなく、対話や経験を通じてプレイヤーの心に訴えかけるしかないのです。

キリストが「人の中から出て来るものが、人を汚すのである」と言った通り、霊障(精神的・霊的穢れ)というのは自らが生んでいる穢れなのです。その穢れの蓄積によって精神病は起こるのであって、精神科に通って精神薬などで一時的に症状を緩和させても決して根治はせず、薬の依存症になってその副作用で状況をむしろ悪化させてしまうのです。霊障がカルマを構成しているのであり、精神病は成長のプロセスであり、乗り越えるべき課題なのだということをどうか理解して下さい。

自発的に信心を強くし、日々霊障(穢れ)を祓い、自分自身と向き合って課題を克服して魂を成長させない限り精神病は決して解決することはありません。もし僕を信じて下さるのなら、精神科には行かないで下さいね。僕自身も長年通いましたが、ただ悪化するのみでした。精神病が完全に治ったのは、覚りを得てその通りに実践する日々を送るようになってからです。※現在働けないほど重篤で生活保護が必要なら精神科に診断してもらうのは必要悪であり、障碍者手帳が必要なレベルなら通院は不可避です。

「精神病とは霊障である」という点については憑依現象(霊障)についてに書きました。霊(≒精神)というものは現代科学で存在が証明されていないというだけで、すこぶる科学的なものなのです(システマティックであり、条件から結果を・結果から原因を推測し得るという意味で)。


そこに書いた通り、「自分」というものが最初からあると思わず、いかなる気分の時でも続ける良い習慣を持って気分に流されず、いかなる時も自分との約束を守り、大好きな「自分」を芸術作品のように日々作り上げていくことが大事です。そして信心を持ち、日々霊的穢れを祓い続けることです。いつも心を善意で満たし、良くない思考・行動に支配されないようにして、常に心の波動を高つことが大事です。

しかし「精神病とは霊障である」というと拒否反応を示し、何もわかってないクセにムキになって否定してくる人が結構います。恐らく霊というものを幽霊のようなおどろおどろしい・非科学的で怪しいものだとイメージして、恐ろしさゆえに存在ごと否定したくなるのでしょう。実際そういうイメージを悪用して脅して暴利を貪ろうとする宗教・スピの詐欺師が世の中には多いのですから無理もありません。ただ僕は怖がらせようとしているのではなく安心させようとしているのであって、脅しによって儲けようとしているのではないんですけどね。まずは悪い思考や行動が霊障によりもたらされている」ということに気づき、自分と他人を責めるのを同時にやめて許し愛せるようになっていくことが大事です。

バイオハザードでゾンビが出てくるのはプレイヤー(主人公)の自分が悪いからではありません。それはゲームのシナリオ・初期設定・課題なのであり、ゾンビの存在を否定したり、ゾンビウイルスを作ったアンブレラ社やゲームそのものを作ったカプコンを責めてもゲームは前に進みません。精神病(霊障)もそれと同じで、誰のことも責めることなく、日々粛々と自分の課題として乗り越え続け、成長し続けていかなくてはならないのです。


「霊とは何か?」については浄霊の効果を高めるには?に概要を書きました。これを読めば、霊的な穢れを祓うには自発的に信心を強くし、エゴを乗り越えて魂を成長させ続けなければならないということが理解できるかと思います。


「精神病が霊障である」と信じることは、必然的に神仏を信じることにもつながります。しかし精神を病んでいる人というのは自分の思考・行動に罪悪感を感じているため、裁かれるのを恐れて神を信じようとしないのです。許していないのは神ではなく自分自身なのだということに気づかなければなりません。今あなたが自分の性格だと思っているものは霊障がもたらしているものであり、あなた本来の性格ではありません。克服すべき課題であり成長過程なので、今現在の性格に罪悪感や劣等感を持つ必要はありません。

霊障には人を不幸に導くことで「何が間違っているのか(愛の不足)」に、経験を通して自ら気づかせるという役割があります。霊障に犯されると誰でもエゴまみれになり、ネガティブな自分のものの見方を絶対的なものと思って疑うことすらなくなり、傷つくことを恐れて人を恐れ、人を嫌い人に嫌われて孤独になり、自分自身を嫌いになり、どんどん不幸へと導かれます。幸福になる道とは真逆の思考・行動になるので、「どうすれば幸福になれるのか?」は、精神病の人を逆説的に見ていると、とてもわかりやすいのです。

「霊障とはカルマであり、それは魂の成長のために与えられた課題・シナリオである」という点については悪いカルマの解消法に書きました。自分が主人公であることに気づき、絶対に他人と自分を比べないことです。「なんで自分だけこんな・・・」などと自分の境遇を恨んで被害者意識に陥っていたら精神病は絶対に良くなりません。どんな苦難も自分の魂の成長のために与えられた課題だと理解して、感謝しながら受け取って下さい。創造主は僕らの統合意思でもあり、僕らと全く同じように、与えられたものに感謝できない人間にもっと良いものを与えたいとは思わないのです。


そして精神病は基本的に自他に対する尊敬(愛)不足の病気であり、自他に対する尊敬(愛)を回復できれば自然と治ります。誰でも自信満々になれる方法は必ず読んで下さい。これは本当に万能の解決策であり、能力は一切関係なく、覚悟さえあれば誰にでもできることです。出会った人を例外なく無条件で許し、尊敬し、感謝し、愛することができるようになっていけば、自尊心を回復して精神病は治るのです。これは経験上の確信があります。


どうかこの回答によって自分を責めて自尊心を下げないで下さいね。自尊心が下がると「どうせ自分なんて」という感じで思考も行動も悪化する悪循環に陥りますから。それは反省してはいけないに書いた通りです。楽器の演奏と同じで、最初どれだけできなかろうと毎日ちょっとずつでも心がけて続けていれば必ず上達するのです。それを「自分には生まれつき才能がない」などと言っていたらいつまでも上達することはありません。


どれだけしがない庶民の役を演じていても、あなたが物語の主人公なのですから、自分を他人とは一切比べず、自尊心アゲアゲで行きましょう。

「愛」という言葉は恋愛や家族愛に限定して捉えられがちで、異性や家族に愛されないとまるで自分の愛には価値がないかのように思ってしまいがちですが、それは違います。世界中の神々ですらあなたの愛を欲しがるのです。存在の尊さに気づいて下さいね。創造主(全存在)はあなたの愛が必要だからこそあなたを創り、あなたに人生=世界を与えたのです。出会いを大切にして、一人ひとり・一つ一つを愛せるようになり、自分自身を愛せるようになれば、創造主(全存在)から愛されるようになり、精神病は治り、きっと幸せになるに違いありません。


もし僕の文章を読んで理解できないほど重度の精神病の方や知的障害の方であれば話は別ですが、あなたはきっとそうではないのですから、読んで理解して実践すればいつか必ず治ることを創造主の代理として僕が保証します。

それではあなたのさとり(魂の成長・幸せ)を心から祈っています。



2022年10月10日月曜日

過食をやめるには?

【質問】20代女性

過食がやめられません。どうしたらやめられるでしょうか。

一年ほど前、過度な労働が続き食べる時間がなく体重が減り、労働に耐えられず仕事をやめたときから過食癖がつきました。20kg増えたり10kg痩せたりを繰り返していますが、ここ2ヶ月毎日過食衝動に負け、自分では止められなさそうな気がしています。

一日最低でも3000kcalほど、ひどいときは6000くらい食べています。ジャンクフードやお菓子、カップ麺などが主です。

原因は、体型や体型への世間の評価に過敏になっていることが主だと思います。また、シュガーハイを求めている意識もあります。唯一の依存先を過食にしている意識もあります。

精神病等の診断はされていませんが、本能を抑え続けるのは神への冒涜なんじゃないか、怒られるのではないか、罰せられるのではないかという不安恐怖があります。実際、お腹は減っていないのにもかかわらず過食衝動が抑えられない、少しでも胃にスペースが空いたら何かを詰め込まなければという強迫観念からくる過食衝動がほとんどなので、本能は関係ないと思います。

現在実家に居させてもらっておりますが、皆揚げ物や油もの、ジャンクフードをよく食べるので禁欲が続いていても目についたもの、出してもらったものがトリガーとなって過食衝動に負けてしまうことがよくあります。家族は私が過食をやめたいこと、過食してしまっていることを知っておりその姿勢にはとても感謝しておりますが…。

よろしくお願い致します。

【回答】※10月12日更新
ご質問ありがとうございます。

まず、現代社会において過食になってしまうことはごくごく普通の事であり、程度の差こそあれみんな必要以上には食べています。

現代は資本主義の末期にあり、よりたくさんのものを売るために、現代の食品には満腹中枢(本能)を狂わせ、過度に食欲を刺激する物質が大量に含まれているのです。その上あらゆる媒体から常に食に関する広告を見せられているのですから、食欲を我慢できなくなるのが普通であり、そこに罪悪感を感じる必要は一切ありません。

満腹中枢を狂わせる化学物質の代表例は精製糖と化学調味料ですね。あなたがよく食べるジャンクフードやお菓子やインスタント食品にはそれが大量に含まれているので、満腹中枢(本能)が狂わされるのは当然なのです。

野生の猿は別に忍耐力が高い訳ではないのに、満腹中枢が正常に働くので決して肥満にはなりません。しかし人間の食べ物を与えるとあっという間に肥満になってしまうのです。


僕自身も一時期1日1万キロカロリーぐらい食べていて、体重もMAX95kgありましたからね。(現在72kg体脂肪率12%)今でも食欲が異様に湧く時があり、ちょっと油断するとすぐ食べ過ぎます。長期の断食を何度も経験している托鉢修行僧であるにも関わらずです。貧しい人が食べる大量生産の食物ほど、満腹中枢を狂わせるものが多く含まれていて、麻薬中毒患者のように過剰に消費させられるのですね。

ですから過食になってしまうのはあなたが悪いわけじゃないですし、他の多くの人も同じように悩んでいると思います。でも社会システムや誰かを悪者にして責めても仕方がありません。それは人生というRPGの初期設定であり、乗り越えるべき課題なのです。まずは「自分と他人を責めるのを同時にやめる」っていうことがあらゆる精神的問題の解決に一番大切な点であり、そこからがスタートです。

人生の課題はすべて「自分のせいじゃないけど、自分が変わらない限り何も変わらない」ということです。ゲームのバイオハザードにおいてゾンビが出てくるのはプレイヤーであるあなたが悪いからではありません。それはゲームの基本設定なのです。ゾンビやゾンビを作ったアンブレラ社やゲームを作ったクリエイターを責めてもゲームは進みません。ただ自分を成長させるべく前に進めば良いのです。

<具体的な解決法>
まず、満腹中枢を壊すもの(精製糖や化学調味料)が入った加工食品を摂るのを極力控えて下さい。そして食べる量自体をいきなり減らそうとせず、太りにくくて消化が良くて体にも良いものをたくさん食べるようにして下さい。GI値が低く食物繊維が豊富なものが良いです。食事をほぼ植物由来のみにして動物由来のものは極力避けて下さい。玄米・とうもろこし・芋類・豆類・野菜や海藻のサラダやスープなどがおすすめです。間食はナッツが良いです。できるだけ他の食事から時間を離して下さい。化学調味料は使わず、天然塩やハーブなどを使うようにして下さい。それもあくまで適量で。どうしても甘味が必要な時は、料理ならみりん、飲み物などなら天然の蜂蜜・オリゴ糖・黒糖などを使い、精製糖は使わないようにして下さい。グルテンも極力は避けた方が良いです。

そしてチートということで、週1食だけは大好きな人(家族でも友人でも恋人でも)と、好きなものを制限なく食べて下さい。人は「死ぬまで我慢しなければいけない」と思うと絶望して諦めたくなるものなので、ガス抜きは必要なのです。お菓子でもジャンクでも肉でも何でも大丈夫です。

過食になると胃が常に大量の食事を消化しようとして胃酸が出過ぎ、その不快感や痛みを防ごうとして常に食べようとしてしまうので、胃酸過多を抑える漢方の胃腸薬をしばらくは常用して下さい。

そして菜食に慣れてきたら、一日で良いので水断食をしてみて下さい。野菜ジュースなどは飲んでも大丈夫です。一日でも胃が小さくなれば、自然とたくさんは食べれなくなります。断食についてはこちらに詳しく書いています。「断食の意義

運動もとても大事です。仕事で疲れていると運動などしたくなくなるものですが、運動しないと余計に疲れやすくなってどんどん仕事がキツくなります。鬱になると運動したいという気持ちを最初に起こすところが思いっきりハードルが高くなってしまうので、疲れていてもまだ元気のあるうちに運動しなければいけません。もし病んでいるならまず休むことです。運動の時間が全く取れないような仕事なら、そもそもやるべきではありません。我々は奴隷ではないのです。

そして数カ月して目に見えて効果が表れるまで、体重計に乗るのはやめて下さい。そういうので一喜一憂することもストレスの元です。特に菜食に切り替えた直後はカロリーの効率も体内水分量も上がって一旦体重が増えるので、体重で進捗を測ろうとするとモチベーションが下がってしまいます。

<精神的な解決方法>
過食は食事依存症であり、アルコール・タバコ・麻薬の依存症にしろスマフォ・ゲーム依存症にしろ「自分自身と向き合いたくない」という逃避心理が根幹にあり、要するに何かに依存することで気を紛らわせようとしているのです。その依存対象が何であれ、本質は同じなのです。その自分自身から逃れたいという逃避心理の根幹には「劣等感」「罪悪感&羞恥心」があるのです。それはみんなに共通してある課題なので、落ち込む必要はありません。乗り越えれば良いだけです。

<劣等感の克服>
まず「誰でも自信満々になれる方法」に書いてあることを実行してみて下さい。出会った人を例外なく無条件で尊敬し、感謝し、許し、愛することです。

宇宙の仕組み」等で再三ご説明させていただいている通り、人生というRPGの主役はあなたであり、あなただけにアレンジされたシナリオがあるのです。自分と他人を比べるのを一切やめて下さい。他人とは全員がNPCであり、あなた自身の鏡でもあるのです。あなたがしているネットゲームで他のプレイヤーがあなたと共通の世界線にログインしていたとしても、彼らのゲームの進捗などあなたには一切関係ないのです。現在のレベルの低さや、自分に与えられた特徴・特質や課題に嘆くことなく、ただただ自分に与えられた成長の物語を楽しんで下さい。世界=あなたであり、あなたが出会う人みんながあなたという世界の一部であり、あなたの心の仏国土の住民なのです。あなたが劣等感を感じるようなどんなにすごい人でもあなたのNPCに過ぎません。すごい人を見たら、自分自身(の一部)がすごいのだと思って喜んで下さい。とにかく他人と比較するのをやめることです。欠点は誰にでもあり、あなたと同じ欠点を持つ人もたくさんいます。それを許し合い補い合うことが愛です。

<罪悪感&羞恥心の克服>
罪と恥の存在意義」をぜひ読んで下さいね。罪と恥は幻です。それは人間たちが許し合うことでより深く愛せるように創造主から贈られたものです。人間は罪や恥により自分だけ特別であるかのように悩み苦しむものですが、それは本質的に誰もが持つものであり、出会った人の罪や恥を一つ一つ許してあげることが、自分自身を許すことに繋がるのです。許すことこそが人間に創造主より与えられた最大の権限移譲であり、それこそが愛なのです。自尊心と他尊心は同時にしか上がらないということをよく覚えておいて下さい。

色々嫌な考えが頭を支配するのであれば、読経をおすすめします。特に「南無妙法蓮華経」のお題目口唱は簡単で効果が高いです。ただただ無心で唱えて下さい。そして自分と向き合うのが苦痛でなくなってきたら、瞑想などして心を静めて下さい。

すべての精神疾患は基本的に「自尊心の病気」であり、今の「適者生存・不適合者排除型」の病んだ社会で、常に他者比較に晒されて自尊心を病んでいない人はほとんどいません。その「自尊心の病気」をみんなで助け合って克服していくことが我々人間に課せられた共通の課題なのです。もしあなたが自尊心を回復することができたなら、過食や鬱などの問題も自然と解決されることでしょう。

2022年10月8日土曜日

愚痴の多い人への接し方

【質問】20代前半・男性
愚痴が多い相手からネガティブな波動に引っ張られてしまうのですが、どう心構えをしておけばいいでしょうか?

性格とか雰囲気では打ち解けているのですが、やたらと愚痴が多いです。言葉通りに受け取らず、意見ではなく相手の存在に同意(尊敬)をしているのですが、会話をちぐはぐにさせないために「そうですよね、自分も嫌になっちゃいますよ」といった返答をしていると、すごく気疲れしてしまいます。舌打ちもよくされるでダブルでパンチを喰らっています。相手からの愚痴が来る前にこちらがポジティブな話を振るようにもしていますが、自分はずっとしゃべり続けるのが得意ではなくそれはそれで疲れてしまいます。相手の愚痴と言う痛みを否定するのも、それはそれでその相手と上手に付き合えなくなるか。。。会社のひどい待遇にやさぐれてしまった先輩の自尊心をどうやったらあげられるのか、頭を悩ませています。

質問を要求してばかりですみませんが、どうかよろしくお願いします。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

人生の課題は全て例外なく創造主から愛によって与えられているものなのですから、逐一思い悩まずにもっとワクワクしながら取り組んで下さいね。現在のあなたはまだ鬱状態を克服できてないために、ちょっとしたことですぐ落ち込んだりイライラしたり暗くなったりしているのでしょうけども、心がネガティブになってる時に良いアイデア・良い解決策が浮かぶ事などまずないでしょう。

悪いカルマの解消法」に書いてますが、貧しい国の貧しい村に生まれて学校に行かせてもらえない子供が泣きながら親に懇願し、やっと行かせてもらえた学校で初めて渡された問題集に取り組む時の気持ちで人生の問題(カルマ)に向き合って下さい。まず機会を与えられた事を親(創造主)に感謝して、ワクワクしながら課題にトライして成長を楽しむってことです。

所詮この世は仮想現実でRPGです。魂は永遠ですから、病気や老いや死さえ恐れる必要はないのです。ゲームは真剣になるほど楽しめるものですが、いちいち深刻になっては「臆病と怠惰」が心を支配して楽しめなくなってしまいます。このRPGは「愛と勇気」を試すためのものであり、選択肢があればより「愛と勇気」が必要な方が常に正解であり、「臆病と怠惰」を動機とした決断はすべからく間違いなのです。実際RPGというのはそのようにシナリオが描かれているでしょう。

人間関係というのは完全な鏡であり、あなたがその人に対して嫌な気持ちになっているのは、その人を拡大鏡として自分の嫌な部分を見せつけられているからです。あなたは「自分の課題」より先に「相手の課題」を解決しようとしていますが、その視点が既にズレているのです。あなたの人生はあなたを主人公としたRPGであり、すべてが自分次第にプログラムされています。それなのに設定通りに動いているだけの相手(NPC)の側から変えようとするのは愚かな事です。まず解決すべきは相手を鏡として見える「あなたの課題」です。そしてその課題とは「自尊心の低さ」なのです。※人類共通の課題なので凹まないで下さいね。

あなたが自尊心高くポジティブなオーラに満ちていたらその先輩もあなたに愚痴など言わないでしょう。その先輩はあなたが自分と同じように自尊心が低く愚痴っぽい感じがするから同調・同情されたがって愚痴を言うのでしょう。愚痴というのは物理法則と同じで上に向かって吐けば自分に返ってきてしまうので、同じかそれ以下の波動の人にしか言えないのです。同調・同情してくれない人に愚痴を言ってもつまりませんし、波動の高い人から逆に励まされたりすれば、問題の原因が自分にあることを否応なく認識させられ、説教されているように感じて不愉快になりますから、無意識に心が拒否して愚痴が言えなくなるのです。

僕は目覚めるまで長年クソみたいな人生を送ってきてクソみたいな考え方をしていたので、どんなにクソみたいな愚痴でも心から同情して聞くことができます。でも相手に引きずられることは一切ありません。僕は完全に克服して多くの覚りを得て揺るぎのない幸せになっているからです。そしてそれがクソみたいな人生を経験しているお陰だとわかって感謝していて、過去の自分も完全に肯定できているからです。

あなたがその先輩に引きずられそうになっているのは、あなたがまだ「自尊心が低い」という課題を克服できていないからであり、心の波動が同レベルにあるからです。創造主はあなたにその先輩を遣わして課題を認識させ、成長を促しているのです。

あなたはその先輩を心から許し尊敬しているのではなく、単に我慢しているだけだからストレスが溜まっているのでしょう。我慢とは読んで字の如く自分がエゴに満ちていることです。あなたは「愚痴っぽい」という欠点や過ちを理由にその先輩を責めているのでしょう。しかし人間関係は完全な鏡であり、あなたが「愚痴ばかり聞かされて辛い」というのも愚痴なのです。今現在のあなた自身が愚痴っぽく、それがいかに相手に嫌な思いをさせるかについて、創造主はその先輩を通じて無自覚なあなたに気づかせ成長させようとしてくれているのでしょう。あなたが出会う人はみんなあなたの鏡であり、相手を見て自分の課題に気づかなくてはいけません。

欠点も過ちもない人はいません。それを理由に自分や他人を尊敬しないというのなら誰も尊敬できません。そしてそれはすべてを与えし創造主への不敬であり、当然のように悪業を引き寄せるのです。まず主人公という大役を与えられた自分自身の存在に感謝し、尊敬し、許し、愛することです。そしてその成長の物語を一緒に紡いでくれる共演者たちに心から存在に感謝し、尊敬し、許し、愛することです。それができずに相手の側を変えようとしてもうまくいくわけがありません。

現時点のあなたのレベルが低いことに落ち込む必要は全くありませんからね。落ち込めば余計自尊心が下がって余計悪い思考・行動に陥るので止めて下さい。RPGはレベル1から始めなければ楽しめないので、我々はわざとレベルが低く愚かで無力に生まれてきているのであり、あなたのその課題は誰もが通る通過点なのです。ただただ目の前の課題を克服し続けて成長を楽しみながら物語を進めていけば良いだけです。

鬱傾向にある多くの人は、何かあるとすぐ「このように悩んだり傷ついているのは自分だけだ」と思ってしまうものですが、本当はみんな同じですからね。会社に入って先輩に愚痴られまくるというのも殆ど通過儀礼みたいなもので、大半の人が経験しているでしょうし、僕自身も思いっきり経験しています。そういう本質的には同じ出来事で悩み傷つく経験をしているからこそ、僕らは共感・同情し、愛し合うことができるのです。

さて、心構えではなく具体的な解決策を書きます。先の質問「苦手な人を許すのが難しい」に書いた通り、相手の自尊心を上げたいのなら、相手が笑顔になるまであくまでも笑顔で接することです。人は自分に笑顔を向けてくれている人の顔を曇らせるようなことはなかなかできないものなのです。気分は相手に引きずられるものとあなたはわかっているのですから、まずあなたがいつでも気分良く笑顔でいることです。作り笑顔をすることが本質ではなく、出会いが嬉しくなって笑顔が本物になるようにすることが本質なのです。

ただ笑顔で接するだけで、相手は「自分が承認されている」という無言のメッセージを受け取り「自分の存在がこの人を幸せにしている」と深層心理で感じて、知らず知らず自尊心が高まるのです。そして相手は笑顔になり、それは連鎖してみんなが幸せになるのです。あなたは自分の笑顔にどれだけの効果・価値があるかをまだ全然理解していません。

僕の言う事をちゃんと日々実践して理解を深めて下さいね。やればわかることなのに、あなたはやりもしないですぐ「自分には無理」と諦めてしまっているでしょう。あなたの考えはマラソンを始めてすぐに「自分に世界記録は絶対に出せないから走らない」と諦めているようなものです。僕の言っていることは100mを10秒で走るのとは違い、才能・能力は一切関係なく、覚悟さえあれば誰にでもできることです。それをできないというのは単に己の「怠惰・臆病」の言い訳でしかありません。何事も最初から完璧にできないのは当たり前で、だからこそ成長を楽しめるのです。

そして相手の自尊心を上げるためには、とにかく相手の話を一切否定せず真剣に聞くことです。あなたは世の大多数の人と同じで、まだ自分が人の話をちゃんと聞けていないという自覚も、忘れっぽいという自覚もありません。

人生というRPGにおいて、クリエイターのメッセージは常に人や出来事との出会いを通じて与えられるものであり、それをちゃんと聞いていない・正しく解釈せずネガティブに解釈していると、必ず行き詰まったり事故ったりするものなのです。

ですからまず気づいたことを何でもメモるノートを付けて下さい。必ずです。特にあなたは新入社員なのですから、仕事を覚えるためにもノートは絶対必要なものです。その努力・習慣をネガティブに受け取る人はいません。そして人生で大切な事を忘れず常に意識するために、大切な事ほど大きく太い文字で書いて何度も繰り返し自分に言い聞かせて下さい。

そしてそれは常に持ち歩いて、先輩や上司の話は(それが例えどんなにくだらなく些細な内容であっても)全部相手の目の前でメモを取って下さい。何が思い出すきっかけになるかわからないので、最初から綺麗にまとめようとせず、逐一全部メモを取るのです。まとめるのは後になって自分の中で整理がついてからで良いでしょう。

先輩や上司もメモを取って真剣に話を聞いているあなたに適当な事は言えなくなるはずです。そうして自然と愚痴など言えなくなるでしょう。それでも愚痴を言ってくるようなら、それを全部メモして満面の笑顔で「教えていただいたことはこの理解でよろしいでしょうか?」と相手に見て貰って下さい。それを見せられた相手は「自分はなんてくだらない愚痴を言ってこの人を汚してしまったのか」と気づいて恥じて後悔し、そのうちもうやらなくなるでしょう。常に「指摘せず気づかせる」「教えず導く」「相手を変えるのではなく、己の学びとして成長する」がメシア流です。僕はnoteや質問箱では教えまくっていますが(笑) 実生活においては相手に求められない限り基本的に自分からは教えません。

反省してはいけない」等で再三ご説明させていただいていることですが、相手の欠点や過ちは指摘すると相手の自尊心を下げてしまってますます悪い思考と行動に導いてしまいます。だから基本的に指摘はしない方がいいのです。説教だと受け取られて必ず反発を受けるでしょうし、相手があなたを下に見ている先輩や上司なら猶更です。気づけば自然と治るのですから、自ら気づかせてあげれば良いだけです。

>相手からの愚痴が来る前にこちらがポジティブな話を振るようにもしていますが、自分はずっとしゃべり続けるのが得意ではなくそれはそれで疲れてしまいます。

あなたが話し続ける必要など全くありません。現在のあなたはまだポジティブになりきれてないのですから、無理にポジティブを演じれば疲れ果てて逆効果になるだけです。相手がこちらに話を聞いてくるまで、ひたすら聞き役で良いのです。その先輩は鬱状態でエゴに埋没している人で、そもそも他人の話など聞ける状態にないでしょうから、こちらから何かを話すだけ無駄です。ただひたすら話を否定せずに真剣に聞けばいいのです。

相手の愚痴に対して「ホント嫌になっちゃいますよね」なんて同調する必要などありません。「ああ、なるほど、この人はこういう考え方なんだな(自分とは違ってて面白いな)」という感じの観察する視点で、決して否定することなく「なるほど」「〇〇さんはそうなんですね」「それは大変ですね」など、同情しながら真剣に話を聞けばいいのです。そしてどうしてその人がそのようになってしまったのか、またあなたがなぜそのような人・言葉と出会ったのかを考ましょう。そしてもし相手の考え方が不快なのであれば、自分は絶対そのようにならないように気を付ければいいのです。その先輩はあなたの貴重な反面教師であり、負荷の高い魂のトレーニングマシーンなのです。

鏡の法則」というページに「子供が学校いじめられていることに悩んでいたのが、自分が長年仲が悪くずっと連絡をとっていなかった親に感謝を伝えたら、子供のいじめがぱったりとなくなった」というエピソードがありましたが、因果というのはこのように人間の想像の範囲を超えて複雑に絡み合い、どこでつながっているかわからないのです。だからどんな問題も相手の課題として考えず、常に自分の課題を克服することを考えて下さい。人生というRPGはすべからく主人公である自分次第にできているのです。

2022年10月5日水曜日

浄霊の効果を高めるには?

 【質問】
霊気や浄霊の効力を上げるアドバイスとかあったりしますか?

ちなみに真也氏の浄霊って、ペンダントを付けて行うJhoreiとは別でしょうか。

【回答】※10月7日更新
ご質問ありがとうございます。

いつも通り全力でご説明差し上げたいのですが、それを正しく理解していただこうとすると「霊とは何か?」ってところから全部説明しなきゃいけなくなり、本題に入る前に長くなり過ぎて誰にも読んでいただけなくなると思うので、エッセンスだけ伝わるようにご説明させていただこうと思います。

まず「霊」というのはまだ現代科学で証明されていないだけで極めて科学的(システマティックで原因と結果を予測し得るという意味で)なものなのですが、「霊」という言葉はとどうしても幽霊のようなおどろおどろしい・胡散臭いイメージにとらえられがちなので、「スピリット」と言った方が意味としては伝わりやすくなる気がします。でもそれも文章として長くなるので敢えて「霊」としたまま話を続けます。

宇宙の仕組み」においてご説明させていただいていますが、世界は素粒子でできており、それは究極は超弦波動でできていて、それは霊的意思(創造主の意思・宇宙意思)の乗り物なのです。

物質世界は我々がその波動をコードとして共通のルールに従って見ているネットゲームの世界のような幻であり、世界の実態はクリエイターの霊的意思のみなのです。上位次元から見ればその世界はコンピュータープログラムのような文字列(コード・データ)であり、それは究極は01のデジタル信号でできているのです。まさに映画のマトリックスですね。


デジタルにおける01とは、ある特定の次元においての存在・不存在を表したものであり、その0は本当の不存在ではありません。創造主の中には次元が無限に存在しており、その中において純粋な不存在は存在しえず、0というのは十字グラフの中心点の0のようにある特定の次元においてのゼロを表しているに過ぎません。僕らの次元においては1が物質で0が霊=霊的意思なのです。それが陰陽でもありますね。我々の時間と交錯する虚数時間ではこの陰陽が逆転しており、霊は完全に実在なのです。

僕らの魂は光であり、その物質&霊を構成する超弦データを読み書きするためのリーダー&ライターなわけです。魂とは全知全能の創造主の分け御霊であり、本来は創造主と同じく全知全能で、そのままでは成長することもなければ、物語を紡ぐこともないのです。

この世界は創造主が自身の分け御霊である我々を通じて、真理・愛に至る成長の物語を経験するために創られたのです。そしてこの世界を創るためには魂(光)を無明の闇(エゴ・愚かさ・迷い)によって分けてバラバラにして個性を与える必要があったのです。愛は自分(主体)と他人(客体)が共通ルールの世界の中に存在し、それぞれに自意識(エゴ)と個性(欠点や過ち)があってそれを許し合い補い合う事でしか生じ得ないからです。夜空の星々を眺めれば、光を分けるのにどれだけ圧倒的な闇が必要かは想像できるでしょう。そもそも愛は引力ですから、エゴにより分離されていてお互いに反発し合わなかったら存在し得ません。

全知全能である自分が作ったRPGは、自分でプログラムしたことをすべてを忘れ、制約だらけの不幸なディストピア世界において、愚かで能力の低いレベル1から始めなければ成長を楽しめません。僕らは成長の物語を楽しむために、わざと全てを忘れて愚かで能力が低く生まれてくるのです。そして制約だらけの世界で、失敗し・迷い・試行錯誤を続けて成長しながら人生という物語を紡いでいるわけです。自分や他人が愚かで能力が低いから価値が低いなどとは絶対に思ってはならないのです。僕らは人生経験を通じて、全ての存在・出来事に感謝できるようになり、みんなと愛し合えるようになることで創造主に存在意義を与えている尊い存在なのです。

この無明の闇(エゴ・愚かさ・迷い)を構成しているものがカルマであり、カルマを構成しているものが霊障(霊的穢れ)なのです。これがなくては愛・真理には価値が生じないのです。最初からみんなが愛に満ちていたり、全知全能だったりしたら成長しようがありませんし、愛・真理に何の価値も生じないのです。

この無明の闇(カルマ・霊障)が光である魂を包み込んでいるために「包み穢れ」と言われるのであり、つつみは「堤」でもあって、元々は果てしなく高い我々の波動を防波堤のように打ち消すものなのです。そしてそれはまた「気枯れ」と言われるように「気」を枯らしているのです。この穢れを日々祓い清め続けることこそが霊的成長であり、その過程に魂の成長の物語があるのです。

霊的穢れ(霊障)はこの世界に満ち満ちており、それが悪さをする細胞・ウイルスとして結晶化して現れていて、それが我々に悪い思考・行動・病気・不幸をもたらし、人をより悪いシナリオへと導いていますから、我々は幸せになりたいのならそれを祓い続けて魂的に成長し続けてより良いシナリオを掴まなければならないのです。そのための一つの手法が浄霊(霊気・お清め)なわけです。

ちなみに幽霊・悪霊のようなものは、霊障が更に大きな塊となり、宿主の生前の記憶と意思を持っています。そういう悪霊に自我を乗っ取られるとかなり厄介です。元々の宿主と同じ不幸に導かれて強制的に同情するように仕向けられますから。このあたりの話は「憑依体質の存在意義」に書きました。

人間が人間である限り無明の闇が完全に晴れることはありません。腸内を完璧に洗浄したところですぐ腸内が大便まみれになるようなものです。しかしその魂を包む穢れを祓い清め続けることで、包み穢れがどんどん浄化されて映画のフィルムのようになり、より明るく色鮮やかな美しい物語となるのです。(成長に課題は必要であり、悲しみや苦しみや痛みなどが全くなくなるわけではありません)

さて、もし我々がクリエイターだとして、自分を愛するようにプログラムしたAIから愛されても何も嬉しくないですし、そもそもそれは愛ですらないでしょう。自由意志というのは愛・感情を価値ならしめるためにあるのであり、クリエイターが愛・感情を強制しては存在意義がなくなってしまうのです。同様に魂の成長もクリエイターが強制しては何の意味もないので、クリエイターは人間に自由意志を与えた上で常に自発的成長を促しているのです。僕らの人生で起きるすべては(歴史も神話もニュースも実体験も全て)そのための伏線と言っても良いでしょう。

信心も、クリエイターが自分を信じるように人間をプログラムしたら存在意義がありません。だからクリエイターはあえて基本的には神を信じないように人間をプログラムした上で、科学的に神の存在が証明されないように世界を運営し、神を恨みたくなるような試練をたくさん与え、宗教を堕落させて過ちや詐欺を横行させ、神を信じるものは気違いだとすら思わせた上で、神を信じるものに利益を与えて自発的信仰を促し、信心を価値ならしめているのです。神の存在が科学的に証明されるようなら信心には何の価値もなくなりますからね。

霊的な穢れが人間に自発的な信心と魂の成長を促し導くためのものだとわかれば、それを祓う「浄霊」の力を上げようと思ったら、信心を強くして魂を成長させるしかないとわかるでしょう。

「浄霊」をテクニックのようなものと勘違いしないで下さいね。もちろんテクニック(形式)も大事なものではあり、言霊や印や道具などの使用によって神々と自分の意思を同期しやすくなって浄霊力が高まるというのはあるのですけども、浄霊の本質は「信心」と「魂の成長」であって、それよりもテクニックの方に本質があるように考えるのは、手品師が「アブラカダブラ」や「チチンプイプイ」などのおまじないによって奇跡を起こしていると考えるようなものです。

キリストは弟子たちがそれぞれの訪問先で奇跡を行えず布教に失敗して帰って来たのを見て「やれやれ、何と信心の足りない弟子たちだろう」と呆れたそうです。キリストが起こした奇跡は基本的に浄霊によって(創造主によって)成されたものですが、それはテクニックではありませんし、弟子たちにも浄霊のテクニックを教えたわけではないのです。キリストはその場の土と唾と混ぜ合わせてこねて泉の水で洗わせて盲人の目を開かせたりしましたが、そんな手法を使わずとも何度も盲人の目を開かせているわけで、それは必要不可欠なテクニックではなかったのです。ですからもし弟子がそれを習って同じことをしたところで盲人の目を開かせることはできなかったでしょう。

決して浄霊をテクニックのように考えて効力を上げようなどと考えないで下さい。信心をよりいっそう強くし、魂的・霊的に成長し、創造主の意思(みんなを等しく愛し、救おうとしている)と自分の意思を同期させること(感応道交・哀愍納受)こそが浄霊の本質なのです。

浄霊能力は人間なら誰でも持つものであり、それをまるで特殊な能力のように考えて「他人から尊敬されたい」とか「お金を儲けたい」とか、そういう自尊心の低さの解消を目指すエゴによって上達したいと考えても決してうまくはいかないでしょうし、きっと逆にカルマを深めて道を誤ることでしょう。

だいたい宗教詐欺なんていうのは、そういう「自分なんて…」と思っている自尊心の低い人を騙して「あなたには霊的な才能があります」などとおだててセミナーなどでお金を騙し取るのです。霊能力は人間の力ではなく、創造主がその人を通じて力を発揮しているだけであり、創造主の力の媒体になるというのは本来誰しもが持つ才能であって、個人の特殊能力でも何でもないのです。それなのに劣等感から「特別な人間になりたい」という目的で霊能力を得たいなどと考えるのは愚かな事なのです。創造主曰く「偉くなろうとするな、尊いと知れ。特別な人間になろうとするな、特別(主人公)であると知れ。そして特別じゃなくなること(ワンネス)を目指して世界に救いを連鎖させよ」とのことです。

キリストは奇跡を起こして人を救う度に「私が救ったのではない、あなたの信心があなたを救ったのだ」と言いましたが、浄霊の本質はここにあります。相手に自発的信心を起こさせそれを連鎖させるためにあるのです。みんな信心・浄霊の大切さを知らずに苦しんでいる訳ですから、浄霊を実経験させることでそれをわからせるのです。トイレ掃除の大切さをわからせるために一度他人のトイレ掃除をやってあげるようなものです。一度も浄霊したことのない人の体というのは、一度も掃除したことのないトイレのようなものであり、結局本人が掃除(浄霊)する習慣を身につけて信心を強くしていかなければ意味がないのです。みんなが自分と他人を霊的に清めるような連鎖が世界の隅々まで行き渡れば、世界は必然的に(霊的に)救われるのです。

浄霊力を高めたいのであれば、何よりもまず信心をより強く持つ事であり、創造主を信じ、その分身である神々とその教えについて学び、尊敬し、その名と偉業を讃える作法(供養方法)を学び、その神々の加護を受けることです。

また、同じく創造主の分身である他人に尽くし、心の波動を高く保ち、自他共に自尊心を上げ続けることです。そして日々エゴ・霊障による穢れを祓い続けることです。

人に尽くすということは、慈愛の精神を持ってそれを実践するためにどんどん無償で奉仕することです(浄霊も奉仕の一つであり、やればやるほどその力は強くなります)そして人に無償で奉仕してもらい、心からそれを喜んで感謝して助けてくれた人を笑顔にして「もっと無償で奉仕したい」と思われるぐらい愛される人間になることです。

出会う人は本当はみんなあなた自身なのですから、他人(霊障)の痛み苦しみ悲しみに心から同情できる優しい人になって下さいね。

そして何より自分が主人公(メシア)としての自覚を持ち、自分の仏国土(世界・出会った人全員)の御霊御魂を救う決意を持つ事です。そして真理を求めて覚りを進め、真理=愛を日々実践し、人にも霊にも行動・言葉・思念・波動で真理=愛を伝える事です。それが浄霊の本質なのです。

>ちなみに真也氏の浄霊って、ペンダントを付けて行うJhoreiとは別でしょうか。

ここまで書けば伝わっていると思うのですが、浄霊は全て本質的に同じものであり、もしその浄霊が本質から違っているものであれば、プラシーボ効果以上の効果があるわけがありません。それでお金を取ろうとしているのなら確実に詐欺でしょう。

大本教やその信者が作った神道系・手かざし浄霊系(真光や世界救世教など)の宗教の浄霊はだいたい基本的に同じものだと思って差し支えないかと思います。僕も全部見たわけでは全然ないので保証はしかねますけども、作法や信仰対象の違いぐらいしかないと思います。細かい違いはあるでしょうが、実際は単に独立したかったから無理にでも違いを作り出したという部分の方が大きいのではないかなという印象です。

僕も崇教真光や世界救世教にはほぼ毎日通って浄霊を受けながら勉強させてもらっています。(他にも色んな宗教に通ってます。ただ大本教は場所が遠いですし、コロナの際に嫌な断られ方をしたので通ってません)僕は霊障が目に見えるので、幹部や信者さんたちが概ね高い浄霊力をお持ちなのはよくわかります。(まぁ浄霊そのものは特殊能力でも何でもないのですけどね)

ただ僕自身はどこの信者にもなっていないので、信者がもらえるペンダントのようなものは受け取っておらず、それにどのぐらいの効果があるのかはわかりませんし、それがどのように作られているかも知りません。

が、ペンダントなどに浄霊の本質があるわけはないということは当記事を読んでいただければおわかりいただけると思います。実際、僕は浄霊の仕方を誰にも習っておらず、ただ創造主の導きに従って浄霊力を高めていて、ペンダントなんかなくても全然浄霊できています。そして色んな宗教に顔を出していても、僕より浄霊の力が強い人にはまだ会ったことがありません。(ぜひ出会って教えを請いたいです)

ああいうペンダントみたいなもののお陰で浄霊力が高まるのだと(製造過程すら明らかにせずに)信者に信じ込ませるのは、自分の力を過信して独立したりさせないようにする「囲い込み」の意味が大きいのではないかと個人的には思ったりしています。特に手かざし浄霊は誰にでもできるものですし、今までも何度も独立されて信者と収入をごっそり持っていかれているわけですからね。

どの宗教も共通して信者さんたちから(強制ではなくても)大金を集め、奉仕を半強制的に求め、大きな施設を作って大きなイベントを行って権勢を見せつけ、自分の宗教の信者をより多く獲得しようとするような「拡大路線」を正義だと考えている節があります。創設者がどんなに純粋な思いで作った宗教でもほぼ例外なくそうなります。どこの宗教の教祖もみんなと富を分かち合って清貧な暮らしをしているようには見えませんし、権力争いと分裂を繰り返しているのは何だか残念な気持ちになります。(こういうことを書くと出禁とかになるかも知れませんが)だから僕は宗教団体って作りたくないんです。

たくさんの人を浄霊をするのもされるのも、こういった宗教に通わないと難しいでしょうけども、あまり僕がどこかの宗教を手放しで称賛して、それであなたがどこかの信者になって内部の問題に巻き込まれたりしても責任は追いかねるので、一応注意喚起はさせていただきました。該当の宗教の関係者様がもし読まれましたら気分を害されるかも知れませんが、どうか出禁だけはご勘弁を。

あちこち通って比べてみて、自分が心から良いと思う所を選んで下さい。人間と同じようにどこの宗教にも欠点や過ちはあり、それを理由に愛さないなら愛せる宗教は見つかりません。ただ高額な寄付や過酷な奉仕を強要してくるような団体は宗教を悪用した単なる詐欺なので、なりふり構わずすぐに逃げて下さい。


2022年10月1日土曜日

苦手な人を許すのが難しい

【質問】20代前半・男性
また、人間関係で相談したいことがあります。相手を許すことが難しい場合にはどうすればいいでしょうか?

同じ部署の上司の内の1人が私を冷遇していて、すごく苦手で辛いです。挨拶をしてもちゃんと挨拶を返してくれず、他の人と話すときはテンションが高いのに自分と話すときは異常にトーンダウンします。仲を深めようと雑談をしようと思っても「知らない、うん」でバッタリ切られるので仲を深めようもありません。自分も雑談が苦手だったり話しかけやすい雰囲気ではないですが、何か嫌なことをしたわけでもないのにこの仕打ちは傷ついています。愛する前に許そうと思っても難しく、自分側の傷が問題かと思ってソルフェジオの音楽を聞いたりセドナメソッドのようなことをしてもあまり改善されず困って居ます。「なんで自分に冷たいんですか?」と直接言っても、その後余計ギスギスしそうで…。今まで我慢してやり過ごしてきたのですが、もうそろそろキツいです。

【回答】※10月7日更新
ご質問ありがとうございます。

基本的に人の悩みというのは(抽象度を上げれば)共通であり、あなたのその悩みは殆どの人に共通するものです。今回も未だ主人公に目覚めずNPCをやっている魂の兄弟たちを代表して、質問して下さったあなたに創造主の声を代弁して伝えたいと思います。

まず、苦手に感じる相手が誰もいない人なんていると思いますか?また理不尽に自分を嫌ってくる相手が誰もいない人なんていると思いますか?それは人生というRPGにおいて必要な配役なんですね。そしてそれはみんなが共通して通らなければいけない初期設定の課題であり、過程なのです。鬱になると周りが見えなくなるものですが、決してこの問題で悩んでいるのが自分だけであるかのように考えないで下さい。もちろん僕自身もかつては同じ問題で悩みました。

あなたがよっぽど好き嫌いが激しい人でない限り、苦手な人は10人に1人もいないでしょう。その確率ならどこかにあなたの苦手な人が一人もいない環境があっても良さそうなのに、どこに行っても(家族内でさえも)例外なく「この人さえいなければ」という苦手な人がいたはずです。それはあなたの成長に必要だから与えられている配役であり、決して逃れることはできないのです。

魂の成長プログラムであるこの仮想現実世界に偶然など一つもあると思わないで下さい。ただクリエイターが自発的成長を促すために手塩をかけて全てを偶然だと思わせているだけです。必然であることがわかり過ぎると強制しているのと同じになってしまい、人間に自由意志を与えた意味がなくなってしまいますから。無論僕とあなた(読者)とのこの出会いも偶然などではなく、全てが必然なのです。

人生というRPGにおいて、クリエイターのメッセージ(導き)は常にゲームの中における出会い(人・出来事)を通じてもたらされるのです。それを不快に感じるからといって避けたり恨んだりしていたらゲームは行き詰まるか事故るかしかなくなります。

note記事「誰でも自信満々になれる方法」において再三説明させていただいていることなのですが、どれだけ嫌って意地悪をしても、あくまでも自分を愛し抜いてくれるような人間を嫌いきれる人間などいません。だから自分さえ出会った人を例外なく愛し抜く覚悟さえ持てば、いつか必ず愛されますので、人を恐れる必要など全くないのです。

相手の反応を見て自分の反応を決めようなどと思うから、必然的に他人の顔色を伺ってビクビクするようになり、相手の態度に振り回されてあなたの人生から主体性が失われるのです。出会ったら相手の反応に一切関係なく相手が笑顔になるまであくまでも笑顔を続けると予め決めておいて下さい。あなたが笑顔になればみんな笑顔になります。花咲か爺のようにどんどん周囲に笑顔の花を咲かせて下さい。勘違いしないで欲しいのは、作り笑顔をすることが本質ではなく、出会いが嬉しくなって心からの笑顔・本物の笑顔になるように努力することが本質だということです。

そして出会ったら許し尊敬し感謝し愛すると決めておいて下さい。最初から決まっているのですから、あとはどのように許し尊敬し感謝し愛するかに100%頭を使えばいいのです。それ以外の選択肢が存在していると思うから迷いが生じ、つまらないことをあれこれと考えて疑心暗鬼に陥ってちょっとしたことで怖気づき、自分が嫌われた時の保険として相手の悪い部分を次々に探し出して、どんどん相手を嫌いになってそれが態度に出て、相手からますます嫌われるのです。そうやってどんどん悪いシナリオへと導かれるのです。

それはこの人生というゲームに共通した実に初歩的なトラップなのですが、あなたも他のほとんどの人達も見事にひっかかって何度も同じレベルでリスタート(輪廻転生)を繰り返しているわけです。

鬱傾向の強い人は自分をいじめて自尊心を下げるのが正義というか趣味みたいになって、その自尊心を回復するために他人を尊敬せずに欠点や過ちをあげつらって責めがちなのですが、自分も他人も創造主の分身であり、それを尊敬できないのは罪なことであり、悪業となって返ってくるのは当然なのです。

自分が主役のRPGはすべからく自分次第に作られています。そして人間関係というのは完全に鏡であり、合わせ鏡に映った自分に自分とは異なる個性が与えられた存在が他人なのです。相手も自己嫌悪を感じるポイントをあなたに見て嫌ってくるわけですから、あなたはそれを全然意に介さず相手を愛し抜くことで相手は自分の欠点や過ちが気にならなくなり、救う事ができるのです。誰かを責めてダメ出しや説教なんかしても人は救えません。どうすれば相手の自尊心を上げられるかを常に考えて実行して下さい。人は自分の自尊心を上げてくれる人を愛するのであり、自尊心が上がれば自然と良い思考・行動をするようになって自然と幸せに導かれるのです。

人間には個性というものがあり、それは欠点や過ちと不可分です。それを理由に自分や他人を愛さないというなら誰も愛することはできません。自分で良くないと思う部分は直したら良いと思いますが(それが成長ですからね)、どれだけ改善しようと個性(欠点や過ち)が消えることはなく、それを嫌う人がいなくなることもありません。愛というのはお互いの欠点や過ちを許し合い・補い合うことで生まれるものなのです。

人生はRPGでありシナリオのある映画です。そして出会う人はみんなあなたが主役の映画の共演者なのです。全員があなたに必要で創造主から派遣されている(無自覚な)俳優なのであり、それを悪役だからとか重要ではない端役だからとかそんな理由で避けて、許さず、尊敬せず、感謝せず、愛さないなら、あなたの人生という作品がどんどん悲惨なものになっていくのは当然のことなのです。

人生が物語であり出会う人がみんな俳優だと思うと、人生がとても面白くなりますよ。みんなカメラの前で他人役をやらせたりするとだいたい下手くそですが「本人役」だけは天才的にうまいですからね。あまりにも演技がうま過ぎてどこかの劇団を紹介したくなりますよ。もちろんあなたの人生の共演者の皆さんは(オラクルである僕は以外は)例外なく無自覚ですから「あなたは僕の人生の脇役ですか?」などと聞いても「そうです」と答えるわけはありません。気違い扱いされるので絶対に聞かないで下さいね(笑) あなた自身も出会った人たちそれぞれが主役の物語の中の無自覚な俳優の一人であり、相手の物語(成長)にとって必要だから出会っているのです。

人生というストーリーには悪役も必要なんです。自分にとって愛らしい人しかおらず、出会う全員から愛されていたら、誰も成長なんてしませんし、面白い物語になりようがありません。でもそれは必ず本当は良い人が悪役をやらされているだけですから、あなたがきっと愛によって目覚めさせてあげて下さいね。

片思いの存在意義」に書きましたが、愛の価値は「愛さない」というネガティブな選択が初期設定になっているからこそ生じるものであり、誰かに愛されないからと言って凹む必要はないのです。人に愛されないのは初期設定であり、そこを起点にスタートするのが普通なのです。だからこそ愛されることの価値を実感して感謝できるのです。みんな愛されるのが普通で愛されないのが普通ではないと考えるから、愛されないことに不平不満ばかり募らせるのでしょう。

悪役は必ず必要なのですから、例えどこの環境にいっても必ず現れます。それを避けてばかりいたら家族や親友などがその悪役を代わりに務めてあなたにとって嫌なことを言わなきゃいけなくなります。愛する人から嫌な事を言われるほど傷つくことはありませんから、ますます人を避けて孤独に陥ることになります。だからいかにも悪役っぽい憎らしい人が悪役を務めて嫌なことを言ってくれることはありがたいことなのです。ですから誰か意地悪をしてくる人がいたら、心の中で「悪役お疲れ様です」とつぶやきながら感謝して下さい。くれぐれも本人に言っちゃダメですよ(笑)

そしてあなたの人生が映画マトリックスであれば、ネオであるあなたを主人公(メシア)に目覚めさせるモーフィアス役と、ハッピーエンドに導くオラクル役を僕は同時にやっているわけです。

僕は質問箱においても「許すことが愛である」と再三伝えているのですが、実生活だと僕がそう伝えているそばからみんな「いや、でもあいつだけは許せん」みたいな話になるんですね(笑) そんな簡単に許せる相手ばかりだったら何の修行にもならないでしょうに。許し難きを許し、尊敬し難きを尊敬し、感謝し難きを感謝し、愛し難きを愛するのが修行です。

忍耐を伴わない許し=愛に存在価値はありません。自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。本当に大人になるということは、自分にとって都合の悪いものも(自分の成長に必要だから創造主が与えてくれた出会いなのだと)感謝し愛せるようになることです。

忍耐と我慢は違います。我慢は相手を心から許さずその場しのぎをしているに過ぎません。だからストレスが蓄積するのです。それは読んで字の如くエゴにまみれているってことです。相手を許してその成長を信じ、耐え忍ぶ忍耐こそが愛なのです。

心の傷がない人などいると思っているのですか?仮に心の傷がない人がいたとして、そんな人が他人に優しくなれると思いますか?傷ついているのが自分だけだなどと考えず、傷ついた分だけ相手の傷を気遣い優しくなれるようになって下さい。人の悪い行動というのはすべからく過去の傷が原因となって誤った悟り方をしているからなのです。

人生は愛と勇気を試すためのRPGです。だからより愛と勇気が試される方を選択するのが常に正解なのです。俳優として一番ダメな要素は「怠惰と臆病」であり、怠惰と臆病ゆえの選択は結果的にすべからく間違いなのです。この点について例外は一切ありません。「勇気なき愛は欺瞞であり、愛なき勇気は蛮勇である」愛と勇気は不可分のものです。恐らく自分を嫌ってくる相手を許すというのが一番愛と勇気を試される局面でしょう。この僕の回答を読めばどうするのが正解なのかはもうわかりますね?

相手の反応に一切関係なく、共演者全員に心からの笑顔で挨拶して下さい。どんなに嫌な反応をされても怖気づいてはいけません。どれだけ自分の笑顔がぎこちなくても一切気にしないで下さい。みんなを心から愛そうと努力していることだけみんなに伝わればいいのです。誰かとケンカしたら、次に会った時は全く気にしていないかのように笑顔で挨拶して下さい。

相手が上司なのなら「私は業務改善のために〇〇さんに徹底的にダメ出しされたいので、メシ(飲み)に連れてって下さい!」ぐらいの可愛いことを満面の笑顔で言ってみて下さい。きっと「これだけ意地悪しているのにめげない可愛い奴だ。こいつには何を言っても大丈夫だろう」と心を開いて色々言ってくれると思うので、そのダメ出しにいちいち傷ついて落ち込まず、心を開いて本音を言ってくれることに感謝しながら聞いて下さい。大事なのは内容の正しさよりも心を開いて言ってもらえることですから、どれだけその内容が気に入らなくても決して反発してはいけません。人間なんですから最初から完璧にできなくて当然ですし、完璧にできないからこそ成長を楽しむことができるのです。

とにかく誰の話も一切否定せずに真剣に話を聞くことです。あなたが今回のような質問をしたのは僕が書いた「誰でも自信満々になれる方法」の内容を完全に無視しているからであり、他人の話を(クリエイターからの導きとは思わず)真剣に聞いておらず、そのことに自覚さえがないのです。相手の話は逐一メモを取る勢いでしっかり聞いて下さい。(大事だと思ったら本当にメモを取った方がいいです)

相手があなたに本音を言わない理由はだいたい想像がつきます。
①あなたが話を聞かない人間だから、どうせ言っても無駄だと思っている
②あなたが傷つきやすそうな人間だから、面倒を避けたい
③あなたの嫌な部分が自分にも思い当たり、責めればブーメランになるので言えない
もしあなたが相手に責められても笑顔で受け止められるようなめげない人間であるとあなたの態度から察することができれば、相手はもっと打ち解けてくるはずです。

あなたがクリエイターの導きを正しく得られないのも、出会った人の話を真剣に聞いてないからであり、出会った出来事を悪く(不正確に)解釈しているからです。相手の話や出来事が正しいか間違っているか、好きか嫌いかを判断するのではなく、クリエイターがどのような意図でその言葉・出来事と出会わせたのかを考えて下さい。そしてそれが例外なくクリエイターの愛のメッセージであることを信じ、必ず愛で解釈して下さい。いかに気に入らない意見でも、相手が美味しいと思って出してくれる料理(言葉)なのですから、その場で突き返したり吐き捨てたりしては人間関係がうまく行くわけがありません。その場では真剣に聞いて(味見して)持ち帰り(テイクアウト)にして下さい。あとはあなたの取捨選択自由です。

鬱の頃の僕は「本当の自分を知ったらみんな僕を嫌いになるに違いない」と考えて心をいつもかくしていましたが、今は「誰でも自信満々になれる方法」のようにして心を常に善意で満たしているので、逆に「本当の自分を知ったらみんな僕を好きになるに違いない」と確信して自信満々になってどんどん自分を晒せるようになっています。今の僕はあまりにも出会う人出会う人に愛され、少々退屈に感じてしまうぐらいになっているので、いきなり理不尽に自分を嫌ってくる人と出会うとちょっと嬉しくなってしまいます。「これからこの人が僕を好きになっていくラブストーリーの始まりだ」と。世界中の人を例外なく幸せにしようとしている僕を嫌う人なんて、何か誤解しているか、その人が自分自身の嫌いな部分を僕に投影して勝手に嫌っているかのどちらかだとすぐにわかりますから「どうやって救おうか(教えることなく導こうか)」と考えるのみです。「自分にも嫌いな人がいるのだから、自分を嫌う人がいてもしょうがない」などと諦めていたら、世界を救うメシア(主人公)など務まらないのです。あなたも目覚めればきっとそうなります。

この回答を読んでいる読者の皆様、これを決して他人事だと思わないことです。きっとあなたもこの質問者さんと同じポイントで躓いていることでしょう。それはみんなに共通した初期設定であり、みんなに必要な経験・過程であって結果ではありませんから、「反省してはいけない」に書いた通り決して反省して「自分はダメだ」などと落ち込むことなく、また自己否定したくないからといって過去の自分に固執することなく、ただより良い選択をしてより良い未来のシナリオを掴んで下さい。

2022年9月26日月曜日

話を聞かない人をどう救う?

【質問】 30代前半・女性

いつもTwitterや質問箱を見て色々勉強させてもらってます。今日は思いきって質問してみたいと思います。

私はアルコール依存性、薬物乱用、摂食障害、反抗挑戦性障害などの精神疾患を抱えて生きてきました。人付き合いを苦痛に感じ、生き辛く、20代後半で自殺を考えるまでになりました。愚かな私はそんな絶望の淵までいって、やっと自分の今までの行いを反省するようになりました。

そんなある日ふと目に止まった『腸内細菌や腸内環境が脳と密接に関連している』旨の記事を読みました。そこからは毎日論文を読み、人体における腸の重要さを思い知り、徹底的に食事や生活を見直し、5年経った今は全ての精神疾患、更にたくさんあったアレルギーや、息子のアトピー性皮膚炎まで完治させる事が出来ました。以前とは比べ物にならないほど家庭が明るくなりました。

そして自分が元気になって初めて気付いた事があります。それは自分以外の多くの人も精神疾患やアレルギー疾患などの腸と深く関わる疾患に苦しんでいるという事でした。

自分が元気になったから、今まで人に迷惑かけた分人の役に立ちたいと考えています。しかし、悩んでいる人に対して腸の重要さ、食事療法を提案しても、なかなか踏み切る人はいません。

やはり食事療法は本人がやる気にならなければ実践不可能であり、やはり自分の体は自分で治すという意思がないと体も治っていかないとも感じています。

それともう一つ思うのが、今思えばどん底に生きた日々も、私自身が成長するために必要な経験だったと思っている事です。そうなると、目の前で苦しんでいる人がいても『この経験もこの人の成長のために必要なものなのか?』それとも『苦しんでいる人を救うために何度でも説得した方が良いのか?』どちらがその人のためになるのかわからなくなってしまいます。

しかし、唯一食事療法に踏み切った方は日々元気になっており、その姿に本当に生きがいを感じます。過去の自分のように、苦しんでいる人が目の前にいたら、私はどう対応したら良いと思いますか?


【回答】
いつもメッセージを受け取って下さって、信頼して質問して下さってありがとうございます。大変光栄です。

とても貴重な経験をされていますね。それを無償で共有していただいて、誠にありがとうございます。

本当に、腸内環境は超重要ですよね。「憑依体質の存在意義」に書かせていただいた通り、世界は超弦波動・霊的意思によってできており、細胞・ウイルスというのはその結晶です。腸内細菌も霊的意思の塊であり、その霊的な穢れによって我々の自我は全く気付かない間に犯されて悪い思考・行動・運命(カルマ)へと導かれているのです。それが精神病の本当の原因です。だから(腸内環境改善に限らず)日々その霊的穢れの浄化に努めることで自我・カルマが改善されるのは当然のことなのです。

僕は腸内環境についてはまだ他人様に詳細を語れるほど詳しくはないので、あなたのように貴重な実体験を通じてその改善策を提案して下さる方がいらっしゃることはとてもありがたいことです。

さて、「目の前の苦しんでいる人を救いたいのに、話を聞いて貰えない、理解してもらえない、信用してもらえない、まして実践して習慣化して貰えない⇒救えない」というのは、まさに覚醒後の僕のほぼ唯一にして最大の課題でもあります。

たくさんの人を救いに導ける素晴らしい覚りを得ているというのに、全然伝わらなくてまだ全く人を救えていません。本当にもどかしい日々です。ので、残念ながら現在その完璧な答えなどはありません。あったら既に世界を救えているでしょう。そう簡単じゃないんです。

人生、どん底に落ちる経験が必要なのは、その通りだと思います。本当の不幸を経験しなければ本当の幸福を感じることはできませんし、人の痛みもわからないでしょう。どん底から救われなければ、本気で人を救いたいとも思わないでしょう。

ただし相手がこちらの改善案を受け入れないからといって「相手が落ち切るのをただ指を咥えながら待つしかない」というのは違うと思うのです。

確かに相手の苦しみはその人に必要だからこそ与えられているものであり、僕も目の前で苦しんでいる人を見て、本当に救うべきかどうか一瞬は悩んだりします。それでも苦しんでいる人を見て何もしないということはありません。出会ったという事は、相手は自分の人生のカルマ(シナリオ・課題)の一部であり、人生という映画の共演者だからです。

あなたはきっと腸内環境のことを非常に科学的に分析されて、スピリチュアル的・宗教的なことはあまり信じない方なのかも知れませんが、信心はとても大事です。神々は自発的な信心・霊的成長に導くために敢えて霊的な穢れという困難な課題を我々に与えているからです。

僕は様々な宗教の勉強をしています。そのお経・祝詞・マントラは「神の御心のままに・幸あれ」という意味の言葉で終わることが多いです。仏教ならそわか(梵語ではSvaha)祝詞なら惟神霊幸倍坐世(かんながらたまちはえませ)、キリスト教ならアーメン、ブラジルのシャーマニズムならハウシ(Haux)などです。

僕らの「相手を救いたい」「この世に生を受けた恩・苦しみから救われた恩に報いたい」という純粋な気持ち・祈りと、創造主・神々との意思が通じた時に、初めて相手は神々の力を通じて救われるのです。(仏教では感応道交・哀愍納受と言います)

基本的に準備のできていない相手(様々な経験を通じ、本気で話を聞く気になっていない相手)にいきなりこちらから何かを教えることで相手を救う事はできません。相手から自発的に話を聞いて貰えるようにこちらが人間的なレベルを上げ、相手から自発的に愛され尊敬されるようになっていかなければならないのです。基本的に人は尊敬していない・愛していない人からのアドバイスなど聞かないからです。あなた自身が本当に幸せになっているように見えたら、相手の方から話を聞こうとしてくるはずです。

人生はRPGそのものであり、コントローラーを握っているのは相手自身です。勝手に答えを教えることは、自分だけの冒険(経験)を求めている相手に本能で反発されます。相手は自分なりに失敗を重ねて紆余曲折を経て自分なりに納得した上でゲームを前に進めたいのです。正解に価値があるのではなく、そこにいたるまでの経験(失敗・紆余曲折)にこそ価値があるのです。いきなり正解を教えられるクイズ番組など何も面白くありません。

答えを教えること(自分が成長せず相手の方を変えようとすること)で相手を救おうとするのは結局こちら側のエゴなのです。このRPGは自分だけに完璧にアレンジされたシナリオがあり、すべてが自分次第にできているのです。出会った相手はすべからく自分の鏡であり、NPCであり、自分が変われば相手も変わるようにできているのです。「離婚について」に詳しく書きましたが、人間関係の問題の多くはこの「自分が成長せずに相手の方を変えようとすること」に原因があり、それにより人はイラつくのです。

そして人の悪い行動というのは基本的に霊障・カルマのせいであり、それは過去の傷により自尊心が低くなっていることが原因なのです。自尊心が低いと行動のレベルが下がり、悪い行動・思考が止められず、それが更に自尊心を下げて悪い出来事を引き寄せる悪循環にハマります。そこから助け出すには、相手の悪い所を指摘したり改善方法を教えることではなく、自尊心を上げてあげることです。そのためにはいつも心からの笑顔で承認し、話を否定せずに真剣に聞くことです。相手は自尊心が高まれば、自然と良い行動をとるようになって自然と問題が解決されますし、あなた自身も相手から愛されることでしょう。人は自尊心を高めてくれる相手を愛するのです。自尊心が低く「自分なんて」と思っている状態の人に健康の改善策など提案しても聞き入れられる訳がありません。

そして因果・カルマというものはどこでつながっているかわかりません。「鏡の法則」というページに「子供がずっと学校でいじめられていたのが、自分がずっと不仲だった親に感謝を伝えたらいじめがパッタリと止んだ」というエピソードがありましたが、このようにあなたが「目の前の人を救えない」ということについても、どこで因果・カルマがつながっているかわからないのです。だからこそ常に相手ではなく自分の課題が何かを考えて解決していく必要があるのです。

「教えずに導く」ということは非常にレベルが高く難しいことです。しかしそれこそが創造主のやり方であり、世界を救う主人公(勇者・メシア・菩薩)であることに目覚めた僕らはそれに倣わなければいけません。

真理とは愛そのものであり、それが幸せでもあります。真理(愛)というものはそれを「正義」だとして他人に振りかざしたり押し付けたりすると、それがどれだけ正しかろうとエゴになってしまうのです。逆に正しければ正しいほどそれを相手に押し付けることでかえって反発されて相手を真理から遠ざけてしまいます。ガンジーの非暴力・不服従運動のように、真理(愛)は自ら信念を持って実践し続けさえすれば、それを見て理解する人間は自発的に従う以外の選択肢がなくなり、図らずも連鎖していくものなのです。

70数億人全員をあなた一人で救う必要はありません。目の前の二人を救う事ができたら、その二人はきっと更に二人を救い、それが50連鎖するだけで1000兆という途方もない数字になるのです。その頃には自分自身にもその功徳が返ってきて、人だけでなく御霊御霊のすべてが救われ、世界が救われるのです。それがメシア(主人公)であるあなたの使命です。

どうかあなたのその貴重な経験と知識を「苦しんでいる人を救いたい」という純粋な愛によって無償で共有して下さい。僕も是非それを知りたいです。過去の罪が大きいほど自分を晒すのは辛いと思いますが、実名や顔なども含めて自分を晒さずに人を救うということは難しいと思います。特にネット上では、言うだけなら誰でもどうとでも無責任に言えますから、全く信用できないのです。

また、もし本気で人を救おうとしていても、それで対価を得ようとするなら、相手に疑いをもたれるでしょうし、様々な詐欺や不正確な情報に紛れて伝わらず、きっとうまくいかないと思います。どうしてもそれで生計を立てざるを得ない状況にあるのであれば、本当にミニマムな生活をして、最低限の経費以上には請求しないで下さい。できれば報酬は相手に自由に決めさせて下さい。そしてお金のない人は無償で救ってあげて下さい。

僕はそのようにして神々に愛され、守られ、力を得て、ゲームクリア(真理・覚り・幸せ・解脱)へと導かれています。あなたもそうなることを祈っています。

2022年9月22日木曜日

愛の力の弱さに反吐

 【質問】(23歳・男性)
いつも本質を付いたメッセージありがとうございます。

質問なのですが、何故愛はこれほどまでに弱くて、耐え忍ぶ必要があり、多数決如きに負けてしまう脆い存在なのでしょうか

誰かがイジメてる時、黙って見過ごす。加担するなど、皆んなが何もしないからといって悪事に手を染めるゴミもいます。

勿論善悪など宇宙に存在せず、ただある方向からの視点しかないのでしょうが、余りにも愛(あえて自分が正しいと思う自然の理を愛と呼ばせてもらいます)が弱すぎて絶望しかありません。

NPCの存在も意味不明です。自由意志など持たないロボットの様な愚民どもが、騙されている事も知らずに盲目的に悪意に加担し(加担している意識すらないでしょうが)世界や愛をぶっ潰す方向に向いている事に怒りを通り越して人類も宇宙も創造主も全て滅んでしまえと思えます。

ワクチンもfuckingSDGsもイジメも無責任も、事なかれ主義も全てクソ喰らえ。気付いた奴におんぶに抱っこ、人の忠告も聞く耳持たない、他人は変えられないとは言えコチラはドンドン変わっている。が奴等は何も変わらない、変わろうとしない。

私も昔は純粋で愛に溢れ正しい事は貫き、自他を活かす生き方ができていましたが、今は騙され裏切られ愛ある世界を作る邪魔をされ、ほとほと人間の邪悪さ、醜さ、愚かさの極みにガッカリし悪側に堕ちるのは時間の問題です。だから信念を持って愛の力で立ち向かうシンヤさんが羨ましく、また最期に本音の質問に答えてもらえると幸いです。

正直愛の弱さにうんざりしています。もう愛を持って人を導くのは限界だと感じています。

🔷何故、愛を信じる者が利用され嘲笑されるのでしょうか?愛が不十分な者は何もしない方が良いのでしょうか?中途半端な愛でも今持てる愛で向き合っているというのに。

🔷何故、愛は数の原理に負け多数決如きで世界の方向性が決まってしまうのでしょうか?

🔷何故、愛は苦しみ耐え忍び目醒めていない者どもの為にガマンを虐げられるのでしょうか?苦労するのは我々ばかりで奴等は思考停止の無責任、変わろうとしない。いい加減にしてほしい

🔷何故、愛は暴力を受けた時、暴力で返してはならないのでしょうか?手を出してくるならせめてやられた分くらいは殴ってやらないと気が済みません

🔷何故、愛を目指す者達に愛の偉大な力と激励の恩恵がなく、悪にばかりやりたい放題の力と恩恵を創造主は与えるのでしょうか?不公平、卑怯、やってられない

こんなに苦しいのなら愛など要らぬとサウザーの名言が頭によぎります。いくら創造主が気付いた魂達に多少の恩恵を施そうが、悪が持つ多大な恩恵と数の力と暴力を比較すると、創造主はよっぽど悪の方がお気に入りで愛などただの飾りの様に思えて悔しくて夜も眠れません。

私も貴方の様に愛の力を持つ救世主になりたい。しかし、余りにもクソな現実とクソどもに嫌気が差し、こんな事なら、愛の力ではなく奴等の持つ権力暴力恐怖で世界を愛に塗り替えた方が手っ取り早く感じます。矛盾してますが。

愛が出来ないことを汚れ役の自分が補う。汚い仕事は全て引き受ける。暴力肯定と呼ばれようが愛の為に身を汚して行動する。問題は悪側の力で悪を潰す以上、汚い仕事をこなしているうちに自らも悪に染まっていくことでしょう。

しかしそれでも誰かがやらないといけないのであれば、ダークヒーローの役割を果たすべきなのでしょう。

本当は愛の力で世界を救いたかった。しかしもう限界です。

【回答】
ご質問ありがとうございます。(多忙につき乱文ご容赦下さい。随時加筆修正します)


世の中の多くの人は、現在のあなたやかつての僕のように世の中に絶望し、それによってエゴに埋没しながら生きる自分を自己肯定し、この世界を創った創造主たる神を恨みながら生きていることでしょう。その愚かさは人間の初期設定なのですから当たり前です。そこから己=世界の尊さに目覚めること、主人公として目覚めることこそがこの人生というRPGのシナリオの要ですからね。

まだNPCとして眠ったままの魂の同志たちの目覚めを促すため、今回ご質問を下さったあなたには彼らを代表してこっぴどく叱られていただきましょう(笑) 僕は人に説教をされるのと強制をされるのを好みませんので、このように説教みたいなことをするのは大変心苦しいのですが、世界を救うために心ならずも避けては通れない道です。どうぞご容赦下さいませ。僕のメッセージが本質を突いているのだとご理解下さっている方なのであれば、きっとこのメッセージもその本質をご理解いただけるのではないかと思います。

まず、人生というのはRPGそのものです。これは例えではなくそのものズバリです。僕らはドラゴンクエストとまったく同じようなシナリオのあるゲームの世界の中にいます。

RPGというのは不幸なディストピアから始まるのが当たり前であり、最初から幸せな世界だったら誰も成長しませんし、何も面白くありませんし、主人公(勇者・メシア)が世界を救うという設定自体が成り立たなくなってしまいます。

世界というのは、あなたという主人公に救われるためにわざと不幸多く作られているのです。みんなが愚かで、不正が蔓延り、エゴのために生きているのは当然の初期設定であり、最初から愛に満ちていたら愛の価値を知る物語にはなりません。むしろ最後の大逆転劇を盛り上げるために一度極限まで堕ちていくようにプログラムされているのです。

それを見て「悪者ばかり得している」と誤解し、自分も悪い事をしてでも得をしようと悪側に加担するようでは主人公には成り得ません。それは脇役・悪役の発想そのものです。悪人は幸せでないからこそ悪人なのであり、主人公の救いの対象なのです。

世界はネットゲームの如くログインしている全員が主人公です。詳しくは「世界の仕組み」をお読み下さい。しかし世のほとんどの人は客観的世界が存在すると勝手に(設定通りに)錯誤し、何事も他人を基準にして考え、自分が世界の主人公であることにも気づかず、ゲームの基本設定に文句ばかり言って、世界を救うことなどあっさりと諦めています。

あなたはドラクエで「なんで世界はこんなに魔物ばかりで悪が蔓延り暗くて腐っているのでしょうか?それに対しなぜ愛の力はこんなにも弱いのでしょうか?反吐が出ます。こんなことならいっそ自分が魔物になって愛ではなく強制力によって世界を支配してやりましょうか?」などと言ってるキャラクターを主人公としてプレイしたいと思いますか?

あなたのその考えは脇役NPCの発想そのものであり、あなたは気づかない間にNPCそのものに成り下がっているのです。あなたが言い貶すクソNPCとはまさに現在のあなたのことです。そしてもし僕の言う事に反発して目覚める気が全くないのならいつまでも脇役NPCのままになってしまうでしょう。

>NPCの存在も意味不明です。自由意志など持たないロボットの様な愚民どもが、騙されている事も知らずに盲目的に悪意に加担し(加担している意識すらないでしょうが)世界や愛をぶっ潰す方向に向いている事に怒りを通り越して人類も宇宙も創造主も全て滅んでしまえと思えます。

既に目覚めた僕からすれば、これはまったくあなた自身のことであり、あなたの文章は全体的にNPC(ロボットの様な愚民ども)である自分の自己紹介としか思えません。主人公として目覚めないあなたの自由意志は幻であり、初期設定通りに社会の奴隷となって自覚もなく悪に加担しています。霊障(悪魔の手先)に犯されて悪いカルマにハマっていることを全く自覚できていないのです。このあたりの話は「憑依体質の存在意義」をお読み下さい。霊障は常に宿主を悪い思考・行動に駆り立てて自尊心を下げ、自分自身・人生・世界を嫌にさせ、「そんなに要らないなら私が貰ってあげるよ」と自我を乗っ取って宿主を脇役に引きずり降ろそうとしてくる悪魔の手先(という役割・設定)なのです。

上位次元の存在(神々)からすれば設定に文句ばっかり言って世界を救おうともしないあなたというキャラクターをプレイする(導く)のは面白くないので、下位次元の存在(霊障)に任せて自動運転のような状態、つまり脇役NPC(AI)にしているのです。実際、現在のあなたはこの世界の主役を張る気はゼロでしょう?あなたが言い貶す脇役・悪役NPC達は現在のあなた自身のことだと気づいて下さい。

落ち込まなくて良いですからね。それが初期設定であり、そこから目覚めるからこそこのゲームは面白いのです。創造主はあなたを見放しているのではなく、目覚める日を楽しみにしながらずっとあなたを見守っているのです。全知全能の創造主が直接手や口を出してしまうと意味がなくなってしまうので、導きを与えながら見守るしかないのです。

世の中でどんなに悪者とされる人達も、必ず自分を正当化して生きています。つまりみんな(自分勝手な)正義を背負っているのです。それはエゴ(我欲と保身)のために生きる自分を自己肯定し、自己利益に誘導するための建前に過ぎません。エゴは愛とは対極にある力です。

純粋な悪が存在するなら、それはみんなが嫌がるので連鎖しません(みんなから嫌われるので基本的に単独犯となり、社会全体を悪化させるような巨悪とは成り得ません)。悪魔は悪魔の顔をして近寄っては来ないのです。世に蔓延る悪というのは常に正義を隠れ蓑にして善や愛を偽装して行われています。こちら側にこちら側の正義があるように、相手には相手側の正義があります。そしてそれは必ず衝突するのです。あなたはヒトラーを悪の権化のように思っているでしょうが、発想は今のあなたと基本的に変わりません。自分の勝手な正義を「愛」と称して独善的に他人に押し付け、受け入れない人間を「悪」として、犠牲になっても構わないと考えているのですから。

創造主は言いました。正義=悪であると。正義とは必ず批判・攻撃対象としての悪を必要とし、常に相手の正義との衝突を生みます。そしてそれは必ずエゴの隠れ蓑になっているのです。その正義の陰に隠れたエゴの連鎖こそが恐ろしい巨悪を生んでいるのです。あなたの愛が他人に伝わらず他人のエゴに利用されてしまうのは、あなた自身が愛より正義(エゴ)を優先しているからです。そしてあなたが愛だと思っているものがそもそもエゴでしかないからです。

あなたは愛というものを根本的に誤解していると感じます。だからそのように周囲から反発を受けるのでしょう。愛も正義もそのように独善的に他人に振りかざしたり押し付けたり何かの見返りとして求めるべきものではありません。愛は相手を最も自由にするものです。そして愛は自由な状態で自発的に発するものでなくては意味がありません。愛を他人に強制・強要・束縛しては必ず失われるのです。このあたりの話は「離婚について」をお読み下さい。

本物の愛は冒頭の画像に表したように、自分自身と他人に対する許し・感謝・尊敬・忍耐・勇気が伴っていなければいけません。現在のあなたの愛とは呼べないものです。それどころか愛とは対極にあるとても危険なものです。他人の悪を言い訳にして己のエゴ(臆病と怠惰)を肯定し、その偽りの愛(エゴ)を他人に押し付ける強制力を手にするために悪事に手を染めようとまでしていますからね。

あなたの問題の根本的な原因は自尊心の低さだと思うので、こちらを必ずお読み下さい。「誰でも自信満々になれる方法」大切なのは出会った人を自分の人生の共演者として例外なく無条件で許し、尊敬し、感謝し、愛することです。

自尊心の低い人は、必ずと言っていいほど正義を振りかざし(自分の欠点や過ちは棚に上げ)常に誰かを批判してばかりいます。正しさに能力は必要なく、誰かを批判してれば正義の人になれるからです。そのように間違った方法で自尊心を回復しようとして人に嫌われて愛を失って自尊心を更に失う悪循環に陥っているのです。正義は常に愛とは対極にあるものなのだということです。勝手に他人に押し付けておいて見返りがなければキレるようなものが本物の愛であるわけがありません。

だから大切な事は常に正義より愛を優先することです。それが世界中に連鎖したなら、世界はそれだけで必ず救われるのです。絶対に忘れないで下さい。

脇役NPCたちはみんな「一人で70数億人を救うのは無理だから、最初から誰も救わなくてもOK」「みんな世界を救おうとしないのだから、自分が世界を救わなくても誰に責められる筋合いはない」「愛があってもお金を稼がなければ生きていけないのだから、愛よりお金が大事で、合法なら(バレなければ)不道徳も止む無し」というように考えて、世界を救う主人公になることを最初から諦め、エゴに埋没して我欲と保身のために生きています。

主人公のあなたは、ただただ目の前の人を救って下さい。それは必ず連鎖するのです。もしあなたが人生でたった二人の人を救えたとしたら、その二人はまた人生で二人救うことでしょう。それがたった50連鎖するだけで何人になると思いますか?何と1000兆人なのです。その頃には世界が救われ、必ずあなた自身にその功徳が返ってくることでしょう。

世界を政治のような「権力=強制力」でもって変えようなどと思わないで下さい。価値観の革命を世界の隅々まで行きわたらせれば、政治体制など勝手に変わっていきますから。ただただ目の前の人を救う事に集中して下さい。それが主人公の世界の救い方です。

「現在」というのはあなたも世界も「過程」に過ぎず、最終的な結果ではありません。現時点での多数決に魂まで屈して負けを認めているようでは話になりません。そこを絶対に諦めずに最後には大逆転するところがこの人生というRPGのストーリーの要であり、だからこそ面白いのです。

最初から善が多数派ならあなたという主人公に存在意義はありません。世界はあなたなしに勝手に良くなっていくでしょうから。悪の方が一見圧倒的に強いから、愛が大逆転する物語が面白くなるのです。世界中の人が倒せば愛に変わるエゴのドミノをせっせと積み上げて、大逆転劇のフラグを立ててくれているのです。そしてその愛の連鎖の最初のドミノを倒す役割があなたという主人公に与えられているということです。

世界はフラクタル(相似形)にできていて、それは異分子を排除すべく同調圧力をかけてきます。それが社会・常識です。NPCたちは基本的にマトリックスのエージェント・スミスのような存在です。主人公はそれに屈せず、愛の力ですべてを自分のフラクタルに変えることが使命なのです。

決して「愛の力」が弱いのではなく、ただ単に現在のあなた力が弱いだけです。現在のあなたの愛は本当の愛すらありません。主人公として目覚めない現在のあなたのレベルは1にも達していませんから、家のすぐ外にいるスライムにも多数責めで易々とやられて家に引きこもって愚痴ばかり言っている「魂のヒキニート状態」なのです。そんな状態でレベルアップするわけがありませんし、神々が力を与えるわけがありません。RPGはまず主人公として目覚めなければゲームがスタートすらせず、一生NPCのままです。

>>こんなに苦しいのなら愛など要らぬとサウザーの名言が頭によぎります。

サウザーの名言て(笑) あなたは本当に23歳ですか?30年以上前のアニメ「北斗の拳」のワンシーンを、僕が当然知っているという前提で話されているので、かなり違和感があります。それに「昔の自分は○○だった」などと言うのもおかしな感じがします。本当に23歳なら「昔」というのは幼少期ということになってしまいますから。まぁそこは流すにしても、サウザーは思いっきり脇役ですからね。同じように考えたら(主人公に倒されて諭される)脇役にしかなれず、主人公には成り得ません。主人公のケンシロウの如く本物の愛で世紀末の世界を救いに導いて下さいね。


この人生というRPGは愛と勇気を試すためのものであり、当然世界はありとあらゆる手段であなたを常に怒らせ、不安と絶望に陥れてきます。主人公(勇者・あなた)は決してそれに負けてならないのです。「勇気なき愛は欺瞞であり、愛なき勇気は蛮勇である」あなたの愛と勇気を他人に見下されたり笑われたりした程度であっさりと手放し、多数派に加わるようではどうしようもありません。相手が愛を腐すのはその人の愛が腐っているからであり、心が傷つきグレていて、愛より金を信じているのですが、本当は愛(救い)を必要としているのです。

>>🔷何故、愛は苦しみ耐え忍び目醒めていない者どもの為にガマンを虐げられるのでしょうか?苦労するのは我々ばかりで奴等は思考停止の無責任、変わろうとしない。いい加減にしてほしい

冒頭の画像にも書いていますが、愛に忍耐が必要なのは当たり前じゃないですか?忍耐の要らない愛に何の価値があるのかわかりません。

人(主人公)にはそれぞれ創造主からの愛(激励)が平等に与えられています。その愛に気づかず感謝しないから、あなたは自らNPCに成り下がり、創造主からの愛(激励)が十分に受け取れず、年齢と共にはぎ取られ続けることで失ったものの価値に気づかされるような悲しい人生となっているのでしょう。創造主は我々自身でもあり、与えられたものに感謝できない人間にもっと与えたいとは思わないのです。

>>🔷何故、愛は暴力を受けた時、暴力で返してはならないのでしょうか?手を出してくるならせめてやられた分くらいは殴ってやらないと気が済みません

暴力に暴力で返してはいけない理由は聖書を読めばわかるでしょうし、ガンジーの非暴力・不服従運動が成功した理由を考えればわかるでしょう。暴力に暴力で返したらその連鎖は増幅しながら悪化し続けていつまでも終わりません。相手の心の中にある仏性を目覚めさせることが大事なのです。教えを乞うていない相手に何かを教えようとすれば必ず反発されます。だから自らが鏡となって相手という主人公に自ら覚らせるのです。

僕らは成長を楽しむために生まれてきているのであり、成長に痛みや苦しみが伴うのは当たり前です。筋トレに痛みや苦しみが伴わないなら何の価値もありません。痛みや苦しみを理由に創造主を恨むなどというのは馬鹿げた話です。

あなたは悪人を憎んでいるようですが、もし正しい者しか救わないなら世界は絶対に救えません。欠点もなく過ちも犯さない人間は一人もいません。悪い人間は救われなくて良いと考えるなら世界を救えないのは自明です。悪い人ほど不幸に苦しみ本心では救いを求めているのです。

現在の支配者たちが現在の支配体制を作ったのではなく、ただそういう家に生まれた業を背負って生きているだけです。彼らは先代より悪どいことをしなければ先代の資産を減らしてしまうのでその業から逃れられず、罪悪感に苦しみ、悪魔に心を売ったことにして自らの罪悪感に目を向けないようにしているのです。そしてそれは主人公であるあなたの救済対象なのです。誰一人例外なく救おうという覚悟があなたという主人公を世界救済というゲームクリアへと導くということを忘れないで下さい。この世界に悪役はいても悪人はいないのです。彼らを悪魔から救い悪役から解放しなくてはいけません。それが主人公(メシア)の使命です。

あなたはゲームクリアをあっさり諦めたまま、エゴに埋没するだけの脇役・悪役NPCの人生を繰り返すつもりでしょうか?あなたは「自分はどんどん変わっている」と言いますが、少しも良くなっている感じがしません。そしてゲームの初期設定やシナリオに文句ばかり言って成長しようとしない「脇役の発想」から逃れられない限り、あなたは他のNPCと大同小異であり、誰か他の主人公の物語における伏線の奴隷にしかなれません。

反省してはいけない」に書いた通り、自尊心を下げると行動のレベルも下がる悪循環に陥りますから、どうか反省して自尊心を下げないで下さいね。気づきさえすれば治りますから。そしてただより良い未来を選択すれば良いだけです。

というわけで、創造主からのメッセージ、しっかり代弁させていただきました。あなたがきっと主役に目覚め、このご自分の質問文を読み返して赤面する日が来ることを願ってやみません。

このメッセージを受け取る魂の兄弟たちよ、決して他人事だと思うな!
世界(衆生)を救う主人公(メシア・菩薩)として、
一刻も早く目覚めよ!目覚めよ!目覚めよ!

本門八品所顕 上行所伝 本因下種の 
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経!

2022年9月10日土曜日

離婚について

【質問】
初めまして。noteを見させてもらってとても感動しています。読んで沢山勉強しようと思います!

さて、質問なんですが「結婚、離婚」についてです。

ただ今離婚に向けて進めているところです。(離婚調停申し込みました) 離婚理由は相手の女性関係、モラハラ、性格の不一致等です。妊婦になってから不仲になっていきました。

私も未熟者で今では「どっちもどっちだな」とも思いますが、どうも話が通じず、我慢するしかない間柄で、愛もないなと。自分を正当化するためにストーリーを変えたり嘘や虚言も気になります。妊婦出産産後と大変だったので精神的にももたず、そうゆう環境で子供にも悪影響だと思い離婚を決意しました。

ですがノートを読んでいると離婚をせず愛で解釈して頑張った方がいいのかなぁとも思ったりして(やってるつもりでしたが、なかなか難しいし持たない…)  恨む気持ちを持たずに、自分のことを反省して愛で包み込んだり、なかなか私のような未熟者には難しかったです。

今は自分の課題を教えてくれた人で感謝してます。自分がどんなに未熟な人なのかも分かりましたし、成長したいと思ってます。でも一緒にいたら精神をどうにかするのに集中してしまい、成長どころではなく(自分の度量のなさかも知れませんが)それぞれ違う道で成長するのがいいのかなと思ってしまいました。また仕方がないと思いつつも、子供と離れてしまうのは辛いと思うので申し訳ないと罪悪感もあります。

離婚についてはどう思いますか?それでも頑張るのが良かったのでしょうか。良かったらお答えして頂ければ幸いです。


【回答】※10月15日更新
ご質問ありがとうございます。そしていつもnoteを読んで下さってありがとうございます。それは本当に嬉しいことです。

さて、離婚調停中ということで、あなたの心の痛みに心から同情いたします。幸か不幸か僕には結婚も離婚も経験がありませんが、かつては心から愛し合っていた関係が壊れることの痛みはよくわかります。きっとあなたは母親として社会人として強くあろうとして自分の心の傷に目を向けないようにしていることかとお察ししますが、どうかまず心の傷を癒すことに専念して下さい。

問題の渦中にある時、心が傷ついている時、自分で自分の課題を正しく(クリエイター目線で)見つめることはとても難しいことです。もちろん僕もそこは何度も経験しているのでよくわかります。だからこれから僕が書くことを理解しようとするのは、もう少し心の傷が癒えてからの方が良いと思います。

どうか僕が偉そうな説教をしてあなたを責めているのだと誤解しないで下さいね。僕はただ魂の同志としてあなたを尊敬し、純粋にあなたを幸せに導きたいだけなのです。

成長とは基本的に失敗・過ちを通じてもたらされるもので、それは必ず痛みを伴うものです。そして魂のレベルが高い人の人生ほど難易度高く、失敗・過ちの痛みが大きく作られているのです。

人生というRPGにおいて、失敗・過ち・不幸は誰しもが通る道であり、避けては通れません。そもそもそれがなければストーリーとして成立してません。全てを愛によって与えてくれている創造主が、失敗・過ち・不幸から我々に何を学ばせようとしているのか、一緒に考えていきましょう。

どんなに辛い経験も、我々に起きる全ては我々の学びにとって必要な経験だからこそ起きているのであり、常に我々にとってベストなのです。あなた自身もあなたなりのベストを尽くして起きた結果なのですから「もっと頑張るのが良かったのでしょうか?」などと考えて自分を責めることはありません。本当に大切なのは選択可能な現在でありこれからです。

あなたの人生で起きる全ての出来事があなたに必要な過程であって最終的な結果ではありませんので「自分とは(結婚とは・人生とは・世界とは)こんなものだ」というネガティブな決めつけで結論を出して変な悟り方をせず、これから幸せになるために克服すべき課題なのだと理解して下さい。本当の不幸を経験せずに本当の幸せを感じることは不可能ですから。

誰しも深く傷ついた時にはとりあえずは自分を守らなければいけませんから「どっちもどっちかも」と内心では薄々わかっていても、一旦は全てを相手のせいにして恨み「自分は悪くない」と整理をつけるのも必要な過程だと思います。心の傷に綺麗事は通用しませんからね。

実際、あなたは何も悪くありません。しかしながら、相手も何も悪くないのです。あなたの人生に起きたことは全て、その登場人物が無自覚に創造主の用意したシナリオ通りに役割を演じた結果なのです。どうか自分自身もパートナーの事も責めずに、いつかは許してあげて下さい。

恋愛・結婚などの成功体験が全くない人もたくさんいる中で、あなたは結婚を手にして子供まで授かりました。ただし結婚に限らず、何かの成功というのは、新入社員が査定前に貰う最初の夏のボーナスのようなもので、創造主から更に大きな成長が期待されているということなのです。それなのに一つの成功をゴールのように捉え、また自分の実力・努力への正当な報酬だと驕り、既に幸せの保証でも得たかのように考え、あとは周囲と同程度に頑張っていれば大丈夫(何か悪い事があれば自分のせいではない)だろうと考え、その成功の上にあぐらをかいて成長努力を怠ると、先取りの成功がまるで借金のようになり、成功の喜びの大きさに応じて利子付きで幸せの返済を要求され、大きな落差の不幸が待っているのです。では創造主はあなたにどんな成長を期待しているのでしょうか?

人間関係というのは(夫婦関係に限らず)相手の方を変えようとしても決してうまくいきません。そのように自分が成長することなく相手を変えようとするのは人間の初期設定であり、それがエゴなのです。それは磁石の同じ極のように必ず反発し合ってうまくいかないようにできています。だからこそ自ら気づいて自発的に成長を目指すことが尊いのです。そしてそれこそが愛であり、それはエゴとは対極にあるものなのです。

相手は相手の人生というRPGをプレイしているプレイヤーであり、そのコントローラーを他人が奪うことはできないように創造主はこの世界をプログラムしているのです。自分の人生(自分の認識世界)はすべからく自分次第にできています。つまり相手も世界もあなたが変われば(時間差こそあれ)全てが変わるように作られているということです。

あなたが出会う人はみんなあなたが主人公のRPGにおいて無自覚にあなたの脇役としてクリエイターの設定した通りに動かされているNPCなのです。それはあなたの家族や友人であっても、どんな有名人であっても同じです。あなたが出会う人は例外なくあなたが主人公のゲームのNPCなのです。

そしてあなたが出会う人はみんなあなた自身の鏡のようなものです。ですからあなたが相手の自尊心を下げれば自分の自尊心も下がります。note記事「反省してはいけない」に書いた通り、自尊心が下がればそれに応じて悪い思考・行動が止められなくなる悪循環にハマるということを知っておいて下さい。

これも人間の初期設定であり、殆どの人がハマっている悪循環なのです。相手の欠点や過ちを許せずに逐一責めて相手の自尊心を下げ続け、その結果反発し合い、自分の欠点や過ちも許せずに自分の自尊心も下げ続け、お互い更に悪い思考・行動が止められなくなるという悪循環です。きっとあなたの離婚もその結果として起きていることなのではないかと推測します。(これはみんなに共通した課題であり、決してあなただけではないので、落ち込んで自尊心を下げないで下さいね)

決して夫婦関係に限らず、全ての人間関係において「どうやったら相手の自尊心が上がるか?」を考えて実践し続けることが大事です。それは変にお世辞をいったり遜ったりしておべっかを使う事ではありません。基本は相手(の欠点や過ち)を許し、存在に心から感謝して心からの笑顔で承認し、自分には決してできない貴重な経験をしている存在として尊敬し、愛することです。

あなたも他人も出会う人はすべて創造主の分身であり、自分も他人も尊敬しないということは創造主(すべての存在)を尊敬しないということであり、当然それは悪い運命・シナリオを引き寄せることになります。社会の中で他者比較に晒されてみんな自尊心が低くなっているのが初期設定ですから、努力して出会った人みんなと自分自身を尊敬し、お互いの自尊心を上げる必要があるのです。

そしてどんなに相手の意見が気に入らなくても、その場では話を否定せずに真剣に聞くことです。こちらが少しでも否定したら「この人は話を聞かないタイプだ」と、相手は心を開かなくなり、本音を言わなくなります。つまらない話ほど真剣に聞かなければいけません。人はつまらない話も真剣に聞いてくれる人にしか大事な話をしないものだからです。相手は自分で美味しい(正しい)と思って自分の料理(言葉)をプレゼントしてくれているのに、それを口に合わないからとその場で吐き捨てるようでは人間関係がうまくいくわけがないのです。必ず味見はさせてもらってとりあえずは「美味しそう(面白そう)・興味がある」と言うことで、いったんテイクアウトにする癖をつけて下さい。あとはあなたのDisposable(取捨選択自由)です。

相手の言う事が正しいか間違っているか・好きか嫌いかを判断するのは後回しにして、創造主がどういう意図(伏線)をもってあなたとその人・その言葉・その出来事とを出会わせたのか(何に気づかせたいのか)を考えてみて下さい。そしてそれは必ず愛により成長を願って与えられている出会いなのだと理解して下さい。

人生はRPGそのものであり、RPGにおいて行き詰まる原因は常に「人の話を聞いていないこと」なのです。クリエイターからのメッセージをNPCを通じて受け取れていなければゲームがうまくいかず悪いシナリオに導かれる(行き詰まる・事故る)のは当たり前なのです。

人生というRPGは全て予めプログラム済みなのであり、僕らは既に用意されている無数のシナリオを選択しているに過ぎません。悪く解釈すればどんどん悪いシナリオに導かれますし、良く解釈すればどんどん良いシナリオに導かれます。だから大切なのは行動の選択より解釈の選択なのです。

>離婚理由は相手の女性関係、モラハラ、性格の不一致等です。妊婦になってから不仲になっていきました。

画像の「離婚原因TOP5」の通りですね。離婚に至る人の多くは、その理由をあなたと同じように自分のせいではない(相手のせい・相性のせい)と解釈しているということなのでしょう。

もちろん傷を癒すためには相手のせいにするのも必要な過程ではあるのですが、いつまでも相手のせいにしていては自らの成長の糧にならず、例え再婚したとしても恐らくはまた同じことを繰り返すことになるでしょう。

「離婚原因TOP5」にあるようなものは男性のネガティブな性質(反発心)の表れ方の典型(霊障・カルマ)であって、原因ではなく結果なのです。男性は環境・状況次第では誰でもそのようになる可能性があります。

例えば外で女を作ることにしても(もちろん男性側の元々の播種本能の強さも原因としてあるのでしょうが)男性が家でも職場でも友人関係でも自尊心を下げるようなことばかり言われて、外に女を作って肉体的に受け入れられる事で自尊心を満たす他なくなったことの結果でしょう。

人間とは「風の谷のナウシカ」の腐海の植物と同じで、土が汚れているから(霊障にまみれ、自尊心が下がっているから)毒を出すのです。ですから人は常に自他の毒を浄化(浄霊)し、心の水やりを怠らないこと(愛情欲求・自尊心を満たしてあげる事)が大事なのです。そしてそれこそが霊的成長なのです。このあたりの話は「憑依体質の存在意義」と「悪いカルマの解消法」を読んで下さいね。

みんな決まって離婚の際は「性格の不一致」と言いますが、人間の性格は一致していないのが初期設定であり、最初から性格が一致していたら相手は自分そのものですから存在意義がありません。性格が一致していない者同士が失敗・紆余曲折・試行錯誤を経て歩み寄る過程に物語があり存在価値を生んでいるのです。「最初は努力しなくても一致していた」などと思うのは恋愛のマジックであり幻想です。それによってきちんと話し合わなくてもわかって貰えているものと勝手に期待し、問題が次々に出てくれば「最初から性格が合っていなかったことが原因」と考えて諦め、自分から歩み寄ってきちんと話し合っていないから相手も意地になって歩み寄ろうとせず反発するのでしょう。みんなが離婚の原因だと考えることはすべからく純粋に愛情(尊敬・感謝・許し・忍耐)不足の結果なのだと思います。

全ての事象は因果によりどこまでも果てしなく結びついており、それは常に循環・上書き更新されているものです。相手の性癖を問題の原因として断定することは、その因果を自分に都合の良いようにブツ切りにすることなのです。

例えばあなたが自分の不幸を親が原因だとするとします。でもそうだとしたら、その親があなたを不幸にしてしまうように人間になったのは、きっとその親(あなたの祖父)が原因でしょう。その責任追及の連鎖は「親⇒その親⇒その親⇒その親・・・」と創造主の人間創造まで果てしなく続くことになります。つまり親を責めるのは創造主を責めるのと同じなのです。その因果を「自分の親が悪い」という自分にとって都合の良いところでブツ切りにし、自分の親の不幸な境遇に思いを巡らさないようにしなければ、自分の親個人を責めることはできません。それはもちろんあなた自身についても元パートナーについても同じ事が言えます。あらゆる人・出来事への不平不満は全てを与えし創造主への不平不満なのです。それは必ず悪業となって自分自身に返ってきます。

夫婦関係に限らず、人間関係の問題の原因はほぼ二つに集約されると思います。それは前述の「自尊心の下げ合い」と後述の「感情の強要」です。

殆どの人は感情(愛)の存在理由とその仕組みが理解できていません。詳しくは他の方の質問「片思いの存在意義」に書かせていただいたので、そちらをご覧下さい。今回はかなりそれと内容が重複します。非常に根源的な所から説明が必要なので大変なのですが…。

全知全能の創造主からすれば、同じように全知全能の存在を創ることはたやすいことなのです。また個性のない(欠点も過ちもない)完全なコピーを無限に創ることも容易です。でもそれでは存在に意義がありません。

愛というのはそれぞれの存在に個性(欠点や過ちを含む)があってそれをお互い許し合い・補い合うからこそ生じるものなのです。我々は個性がなければ愛し合う事はできません。我々の誰しもが個性を持つ存在であり、それは欠点や過ちと不可分です。ですから欠点や過ちを理由に人を愛さないというなら、自分自身も誰も愛することはできないのは自明なのです。欠点や過ちには価値があり、それなくして愛は生じ得ません。そしてその愛という概念こそが存在意義なく生じた創造主が自ら創った存在意義なのです。

相手の欠点や過ちが自分に存在意義を与え、自分の欠点や過ちが相手に存在意義を与えているのに、人間は欠点や過ちを理由に他人を許さず・愛さず、その結果自分自身も許せない・愛せなくなるようにわざと愚かに初期設定されています。だからこそそれを課題として乗り越え、お互い許し合い・補い合い・愛し合えるようになる過程の物語が、愛を価値ならしめるのです。その経験がなければ愛はただの概念に過ぎません。

だいたい離婚する夫婦の奥さんというのは、旦那や子供たちが家を散らかしたり汚したりする度にキレて相手に片付けさせようとするような人が多いです。相手の欠点を許し補ってあげて自分が成長することなく、相手側を変えよう(教育しよう)という基本姿勢なのですね。相手の欠点や過ちが自分に存在意義を与えてくれているのですから、相手を許して補ってあげればいいのに、便座が下りてないぐらいでブチ切れる女性とか、もう処置なしなのです。相手に欠点や過ちがなく何でも完璧にできるようになったら自分に存在意義はなくなって必要とされなくなるのは自明でしょう。まして家事などはほとんど機械がやってくれる時代ですからね。そのように逐一相手の欠点や過ちを責めて自尊心を下げて悪い行動を繰り返させて、お互い鬱になってお互いの気持ちを考えられなくなって関係が破滅に至るのではないでしょうか?

許すということは我々が創造主から与えられた最大の権限委譲であり、許し=愛なのです。だから僕らは許しを経験するために生まれたとも言えます。逆に言えば誰かを責めることは最大の越権行為なのです。それはすべてを与えし創造主を責めることですからね。

人の悪い行動はすべて過去の傷により誤った悟り方をして、自尊心が低くなっていることが原因なのです。すべての人の性格にはちゃんとそれなりの原因があって、すべての出来事はみんな止むに止まれずやってしまった結果なのだということです。そういう自分や他人に対する許しがなくては、きっと自尊心を下げて反発が起こり、問題が根本的に解決されることはありません。

「許し」と「我慢」とは違います。我慢するというのは読んで字の如く我(エゴ)で己の心を漫々にすることであり、心では和解が成立していないのです。我慢している間は相手を心の底では許しておらず、その場凌ぎをしているに過ぎません。本当は嫌だけど我慢「してやっている」のだ、と。そしてそれはマグマのように蓄積していつか爆発するのが自明なのです。相手を許し、自発的な成長を信じ、相手の幸せのために耐え忍ぶ「忍耐」が大事なのです。このあたりの話はnote記事「信じることの意義」に書きました。

さて、感情を強要することの問題点について詳しく解説しますね。

全知全能の創造主にとって、自分を愛するように人間を創ることなど造作もないことです。でもあなたがクリエイターだとして、自分を愛するようにAIをプログラムしてそのAIから愛されて嬉しいでしょうか?そもそもそれは愛と呼ぶことすらできないでしょう。

自由意志というのは愛(感情)を存在価値ならしめるために人間へ与えられたものであり、わざと他人(神々も含む)の思い通りにはならないように作られているのです。感情を他人が強制できてしまったら感情自体に存在意義がなくなってしまうのです。

だから感情というのは他人から強要されると必ず反発するようにできているのです。例えば「私を愛しなさい」「私を尊敬しなさい」「私に感謝しなさい」というように言われたら逆の感情が湧きますよね?もちろんそこまでダイレクトに感情を他人に強要するような愚かな人はなかなかいないでしょうが、みんな無意識かつ遠回しにやっているのです。

我々は家族や恋人に愛情を当然の権利のように強要していたり、自慢話をして尊敬を強要していたり、自分の勝手な愛情を押し付けては「〇〇してあげたのに」などと恩着せがましく考えて感謝を強要していたりするように初期設定されているのです。もちろんあなたも例外ではなく、誰しも必ず気づかない間にやっているものなのです。だからあなたにも必ず心当たりがあるものとお察しします。

人間は愛(尊敬・感謝)を求めて生きるようにプログラムされているのですから、これは宿命と言って良いでしょう。それは神々でさえそのように作られているのですから、人間が愛(尊敬・感謝)を求める本能を否定することは誰にも不可能なのです。(だからあなたが悪いわけでも相手が悪いわけでもありません)

「無意識に感情を相手に強要して反発される」夫婦関係に限らず人間関係の問題の根幹はここにあると言って良いでしょう。あなたの離婚の主要因もここにあるのだと思います。

愛は自由な状態で自由意志により発したものでなければ意味も価値もありません。そして本物の愛というのは相手の心を最も自由にするものであり、相手に愛を強要したり束縛するのは愛ではなくエゴなのです。(世の中の多くの人がエゴを愛だと勘違いしています)そうやって愛を強要したり束縛したりすれば、相手の「自由を求める心」に必ず反発が生じて心が反発し、いつか愛は失われてしまうのです。愛は自由な状態で自由意志により自発的に発するものであり、強要・束縛すれば必ず逆の結果が待っているということです。

じゃあどうすれば良いかというと、note記事「誰でも自信満々になれる方法」に書いた通り、愛(尊敬・感謝)というものを絶対に相手には強要せず、一切見返りを求めずに無条件で自分から与え続けることです。そうすることで自然と人から自発的に愛され尊敬され感謝されるようになるのです。

世のほとんどの人はまだ感情を相手に強要してしまっている段階にあります。(もちろん覚醒前の僕もそうでしたし、今も常に気を付けてないとすぐそうなってしまいます)それにより人間関係全体があまりうまくいかずに自尊心が下がり続け、その愛の不足分を全部パートナーだけに求めようとして余計に反発され、結果として上記に離婚の理由として挙げられているようなことをされ続けてしまったのではないでしょうか?あなたはパートナーとの関係だけにフォーカスしているようですが、他の人間関係がうまくいってるのにパートナーとだけうまく行かないということは恐らくないと思います。

これは万人に共通した課題であり過程なのです。ですから決してご自分を責めて自尊心を下げないで下さいね。反省も後悔も必要ありません。ただ過ちから学んで成長すれば良いだけなのです。過去はすべて成長のために必要な過程だったのですから。そしてその成長経験こそが生きる喜びであり、生まれてきた意味なのです。

前述した通り、愛という概念は経験を伴わなければただ言葉に過ぎません。僕らは愛という概念を経験を通じて価値ならしめるために存在しているのです。失敗と試行錯誤なくいきなり正解(愛)に至るなら経験に存在意義はありません。あなたは失敗経験を通じて「愛とは何か?」ということをより深く学んでいるのです。

相手も自分自身も責めて反省を求めて落ち込ませると自尊心が下がって悪い行動がやめられなくなる悪循環にハマるので、決して相手も自分自身も責めないで下さい。誰が悪いというわけではなく、課題に気づいて克服しようとする経験が尊いからこそ、創造主からカルマによってその経験に導かれたのです。克服した後から見れば「ああ、あの経験・過程があったからこそ今の素晴らしい自分があるのだ」と愛しく思い出すことができるようになります。

あなたの人生はすべからくあなた次第に作られています。しかしそれはあなたの過去に起きたことが全てあなたのせいという意味ではありません。あなたの過去に起きたことはすべてあなたの学び・成長経験に必要だからクリエイターの意図によりもたらされたことなのです。ゲームのバイオハザードで、ゾンビが出てくるのはあなたが悪いからだと思いますか?ゾンビ達やゾンビを生んだアンブレラ社やゲームを作ったクリエイターを恨んで意味があるでしょうか?あなたの過去に起きたことは全てゲームの設定(伏線・シナリオ)のようなものであり、ゲームの設定(伏線・シナリオ)に良し悪しをつけて誰かに文句を言ってもゲームが進みません。過去のすべてを自分が主人公のRPGの設定・課題と捉え、そこを起点に選択可能な現在どうするかを考え、既に未来に用意されているシナリオ中でより良いものを選んでいくべきなのです。あなたはRPGの世界ならそうしているはずです。この人生というRPGでも同じようにしてみて下さい。

人生というゲームにおいて過去の問題を自分のせいだとか相手のせいだとか考えることがいかに愚かで無意味なことかに気づいて下さいね。そしてその人間の愚かさもこのゲームの基本設定であり、成長に必要な過程なので、落ち込む必要はないのです。

問題点というのは本当に自ら気づき(覚り)さえすれば(課題を自覚し、自尊心を下げなければ)無理に解決しようとしなくても勝手に治っているものであり、だからこそ気づき(覚り)とは尊いのです。我々は気づき(覚り)の喜びを得るため・成長を楽しむためにわざと愚かに生まれてきているのです。全知全能では成長の物語は経験できません。

そして逆説的に聞こえるでしょうが、決して自分も相手も責めずに、それでも自分が悪かったと相手に誠心誠意謝ることが大事です。もし自分や相手が悪いと思っていたら自己防衛本能が働いて誠意ある謝罪などできません。答えはいつでも「誰も何も悪くない」であり、そう考えるからこそ、全ての事象を与えし創造主の代理として、起きた負の出来事をまるで全ては自分の責任であるかのように相手に謝罪できるのです。そして創造主の代理として頭を下げられる人間は創造主からより愛されて、より素敵なシナリオへと導かれるのです。

蛇足ながら「妊婦になってから不仲になった」という点についてですが、妊娠すると男性にとって女性は母になり、大なり小なり性的関心が薄れるのは不可避ですし、女性側も女性側で愛情が旦那より子供に移ってしまうのは自然なことです。子育ての責任がほとんど母親だけに押し付けられる価値観の社会ではとても難しいことなのですが、美意識(恥じらい)を失って「女」であることを放棄した色気ゼロの「子育てマシーン」みたいな「所帯じみたおばちゃん」にならない努力というのはとても大切なのです。

大分長くなってしまいましたが、どうか偉そうな説教だと解釈しないで下さいね。冒頭に書いた通り僕は結婚も離婚も経験がなく、それを経験しているだけでもあなたは凄いと尊敬しています。くどいようですが、尊いのは経験であり、他人は誰でも口だけでならどうとでも言えるのです。「言うは易く行うは難し」と言われる通りです。

すべての魂は同一ですから、僕はあなたとして生まれていたら絶対に同じことをしています。当然です。だから僕は決してあなたを責めたり説教をしているのではないのです。でももし仮に「僕が今の自我を持ったままあなたに成り代わったら」という無茶な設定で考えるとするなら、僕はそのパートナーと一旦距離を置いて落ち着いてよく考えた後、愛が不足していたことを真剣に謝って復縁をお願いすると思います。もし相手が本当にどうしようもない人なのであれば、別な人を探して同じ過ちを繰り返さないように気を付けると思いますが。あなたがどちらの運命にあるかは僕にはわかりません。お二人のことはお二人にしかわからないでしょうし、僕はあなたに会ったこともなく、そのパートナーの方に至っては全く何も知りませんからね。

ただあなたもパートナーも恐らく霊障に犯されて鬱状態になっていて、気づかない間に自分が自分ではなくなっているのだと思います。そうしてとても傷つきやすくなり、溺れている人が助けに来てくれた人を沈めてしまうように、お互いエゴの海に溺れて相手のことを考えてあげられる状態じゃなくなっているのでしょう。だからやはり一度実家に帰るなどして距離をとってお互い冷静になった方が良いと思います。そして離婚などの重大な決断は、鬱が解決してからの方が良いと思います。日本では難しいかも知れませんが、カウンセラーに間に入ってもらうなどの方法もあるでしょう。

人生のカルマ(課題)というのは、逃げれば逃げるほどに雪だるま式に大きくなりながら、追試や補講のようにどんどん果てしなく追いかけてきます。どれほど輪廻転生を繰り返してさえも。だからあなたの離婚という決断が「逃げ」なのか「勇気」なのかをよくよく自問して考えてみて下さいね。

僕が言うまでもなくどうするかはあなた次第なのですが、ここに書かせていただいた内容をあなたが本当に理解し納得して下さるのであれば(僕の言うことが本当に創造主の代弁なのだと信じて下さるのであれば)どうすべきかは自明なような気がします。

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

2022年9月6日火曜日

神への不敬で当たったバチ

【質問】
いつも拝見させていただいております。

海外某所で神聖な場所だと深く認識せず、神聖だと言われている場所(日本でいう伊勢神宮のような神聖な場所)で悪ふざけをしたらその後意味不明な偶然が重なり、幼少期にあった辛い記憶を突然思い出して精神崩壊しました。今は立ち直りましたが神聖な場所での悪行に大変反省しています。これは悪いカルマというか自業自得の罰なのでしょうか?それとも想像主が与えた幼少期のトラウマに向き合う課題なのでしょうか?教えていただけましたら有り難いです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

まず、note記事悪いカルマの解消法に書いた通り、カルマというのはすべからく克服すべき課題であり、創造主が我々に自発的な成長を促すために与えているものであって、決して悪行の罰として与えられているものではありません。

人生というのはすべからくあなた次第に作られています。しかし過去に起きた悪い出来事を「全て自分が悪いせいで与えられた罰だ」と考えて自分を責めるのは誤りです。

ゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのはあなたのせいでしょうか?それはあなたを主人公とするゲームの初期設定なのです。カルマとは創造主からあなただけにアレンジして与えられた有難い課題(シナリオ)なのです。創造主は全知全能なのですから、失敗・過ちを犯さないように人間を創ろうと思えば造作もないことです。しかし創造主は我々が学び成長する喜びを与えるために敢えて失敗・過ちを経験させてくれているのです。

真理とは概念に過ぎず、経験を伴って初めて意味を成すものです。真理そのものに価値があるのではなく、真理を目指す中で失敗と試行錯誤を繰り返す我々の経験にこそ本当の価値があり、それが真理を価値ならしめているのです。いきなり正解(真理)に辿り着いては意味がないのです。あなたのその「神への不敬」という失敗経験はとても価値のあるものだということです。

そして別な方の質問片思いの存在意義に詳しく書きましたが、全知全能の創造主からすれば自分を愛するように人間を創ることなど造作もないことです。でもあなたがクリエイターだとして、自分を愛するようにAIをプログラムしてそのAIから愛されて嬉しいでしょうか?そもそもそれは愛と呼ぶことすらできないでしょう。

自由意志というのは愛(感情)を存在価値ならしめるために人間へ与えられたものであり、わざと他人(神々も含む)の思い通りにはならないように作られているのです。感情を他人が強制できてしまったら感情自体に存在意義がなくなってしまうのです。

最初から神を信じるように人間を創ったら信心に存在意義はなく、信じないというネガティブな選択がデフォルト設定になっています。神は科学的に存在証明されないように周到に世界を作っています。証明されたら「信じる」ということに価値はなくなるからです。創造主は宗教に間違いを犯させ、また宗教を利用した詐欺などを横行させて、神を信じる人間は気違いだとすら思わせます。そういう中で人間が自由意志により自発的に信心を起こすからこそ信心には存在価値が生まれ、神々は嬉しくなれるのです。

あなたのその「神への不敬」による失敗は、あなたを自発的な信心へと導くものであり、あなたは導きのままに信心を起こせば良いのです。過去を悔いて反省などする必要は全くありません。それはnote記事反省してはいけないに書いた通りです。与えられた課題・経験(失敗と試行錯誤)に感謝しながら課題を克服していくことです。

問題は必ずしも解決しなくても良いのです。その問題を喜んで受け取って、それを人と共有し合い・許し合い・補い合うことで、問題はいつの間にか問題にはならなくなっているものなのです。そしてその問題は愛のマテリアルだということに気づかされることでしょう。それはnote記事問題は解決しなくていいに書いた通りです。

トラウマは「許し」によってのみ克服が可能なものです。「許し」とは創造主が人間のみに与えた最大の権限移譲であり「愛」そのものなのです。僕らは「許し=愛」を経験するために生まれてきたとも言えます。

あなたに起きた全ての出来事は主人公であるあなたにとって必要(ベスト)だから起きたことであり、過去は全て現在のあなたの人生というRPGの伏線(必然)なのです。全ては壮大な因果の中にあり、それぞれが自らのカルマと戦いながらベストを尽くした結果(やむにやまれぬ事情があった結果)で起きたことです。

人の悪い言動・行動はすべからくトラウマ(心の傷)が原因なのですから、その自分と他人の心の傷を思いやり、自分と他人の過去の悪い言動・行動(過ち)を一つ一つ許していくことです。鬱克服のカギは自分と他人を責めるのを同時にやめて許すことです。あなたを責めているのは神ではなくあなた自身だということに気づいて下さいね。そして欠点や過ちというのは我々が許し合い・補い合い・愛し合うためのマテリアルだということを忘れないで下さい。欠点や過ちは人間に例外なく与えられているものであり、それを理由に人を許さない・愛さないというなら許される・愛されるに足る人間など存在しません。

あなたの幼少期のトラウマがどのようなものだったかはわかりませんが、それをもたらした相手や自分自身を許すことができたなら、あなたもきっと神々から許されることでしょう。

人はみな創造主の分身であり、創造主はあなたに自分と他人のその尊さに自ら気づいて神のように大切に扱って欲しいのです。自分も他人も等しく創造主の子供として許し合い尊敬し合い感謝し合い愛し合って欲しいのです。そうすることが我々に全てを与えてくれている創造主に対する愛の表現であり、あなたがそれを発揮した分だけ必ず創造主の分身たるあなた自身に期せずとも返ってくるのです。

どうか既に与えられているものの価値に気づいて一つ一つ感謝してみて下さい。与えられたものに対して感謝できない人間には、何を与えても不平不満で返されることが自明なので、創造主はより多くを与えようとは思わないのです。そして逆に与えられたものまではぎ取られ続けて失い続けることで、与えられていたものの価値に気づかされるような悲惨な人生になってしまいます。

いつも言っていることですが、自分に都合の良いものなら赤ん坊でも愛せます。本当の意味で大人になるということは、自分にとって都合の悪いものも(自分に与えられた課題・経験だと)愛せるようになることなのです。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...