2022年11月8日火曜日

生まれの格差について(陰謀論)

【質問】20代前半・男性

初めまして。最近真也さんの発信を見させていただいている20代前半の男です。

答えづらい質問かもしれませんが、現在、世界では悪魔崇拝をしているグローバルエリート達による世界支配体制樹立が行われようとしています。彼らは戦争や食糧危機で人々に恐怖を煽ったり、個人情報を管理して言論統制や民衆の監視を行う社会体制を作ろうとしています。戦争や食糧危機等で人々に恐怖を煽り、個人情報管理等で監視社会に向かわせようとしています。この一連の流れも、この過程で失われる命や苦しむ大勢の人々も創造神のシナリオによるものなのでしょうか?

聞くところによると、彼らは資本主義のシステムによって人々を搾取するだけでなく、人身売買や違法取引、紛争等あらゆる悪行を裏で操り、それを数千年前から😈の啓示を受けて行ってきたらしいです。その過程で不条理に奪われた大勢の命の存在もシナリオ通りなのかなと気になりました。

また、ブラジル在住とのことでお聞きしますがブラジルでは貧富の差が激しく、多くの貧民がスラム街(ファベーラ)に住み着き、生きるために盗みを働いたりギャングになって人を殺したりするような現状があると思います。一方、私は日本人として少なくとも衣食住に困った経験はありません。このような明らかな生まれの差というのも、意図的に作られてるということなのでしょうか?

この世界は愛と勇気を試すフィールドであるのは理解しておりますが、流石に私のような日本で普通に暮らす日本人と、ブラジルで生きるか死ぬかの毎日を送ってる人間に同じ使命を課すのは中々酷ではないかと感じてしまいました。

駄文を失礼しました。

【回答】※2024年9月1日更新
ご質問ありがとうございます。発信を見ていただいてとても光栄です。

>この一連の流れも、この過程で失われる命や苦しむ大勢の人々も創造神のシナリオによるものなのでしょうか?

はい。全て創造主のシナリオ通りです。世界は我々人間からするとあまりに理不尽に感じられ、文句を言いたくなる気持ちはよくよくわかるのですが、それは設定でありプロセスであって、結果ではないのです。

人生(=世界)はRPGですから、冒険を始める前からシナリオが用意されているのは当前です。すべての存在は全知全能たる創造主の一部であり、この創られた仮想現実のRPG世界に創造主が意図せず生み出された存在は一切ありませんし、意図せずに起きることも一切ありません。ドラゴンクエストのようなRPGの世界に、クリエイターが意図していない存在が出て来たり、意図していない出来事が起きたりすると思いますか?それを考えればわかることです。

答えにくいどころか、noteでも他の方からの同様のご質問悲惨な世界も創造主の計画通りですか?」「愛の力の弱さに反吐等でも既に再三お答えしていることなのですが、どうしてもご納得いただけないようですね。まぁ人間は基本的にそのように目覚め難くプログラムされているのですから無理もないことです。ですので今回は陰謀論的内容にもお答えする形で、創造主が創りし壮大かつ偉大なシナリオ(各プレイヤーのRPG世界に共通の設定)をより詳しくわかりやすく解説したいと思います。いまだに全く目覚めようとしない魂の兄弟たちのために。

「完全無欠・全知全能の神がこの世界を創ったのなら、なぜこの世界には悪があるのか?」というのはライプニッツの時代より遥か昔からある哲学的命題であり、それが無神論の根拠にもなってきたわけですが、人がそのような考えに陥るのももちろん全ての全てを創りし創造主のシナリオ通りであり、予定調和なのです。


僕らは「完全性」というものを欠け(欠点・過ち・問題)がないことのようにイメージしてしまいますが、しかしそのような単純な完全性からは何の必要性も生じず、何も経験できず、何も創造できず、感情(面白さ・楽しさ・ドラマ性・芸術性)も何も生じず、何の存在意義も生じないのです。だからこそ真に完全である創造主は意識を分離して個性(欠点や過ちと不可分)を与え、全ての存在に僕らからすると不完全性としか認識できない欠け(欠点・過ち・問題)を創り出し、お互いを必要とさせ、経験的にお互いの存在意義を感じさせてくれているのです。そのように「創造主とは何者で、どんな意図で創造しているのか?」というところを説明できれば答えは明白なのですが、超長文になってしまうため、追々別記事にてご説明差し上げたいと思っています。


みんな創造主という存在をいわゆる善神のようにイメージするから理解を誤るのでしょう。善神も悪神も本当に全ての全てが創造主の創造であり、創造主の現れであり、創造主の分身なのです。そしてそれは全て人生というRPGにおいて必要だから存在しているのです。

例えばドラクエのようなRPGの世界において、あなたは「魔物たちはクリエイターの意図なしに自然発生してしまったもので、クリエイターが退治できないために野放しになっており、そのために世界が悪に支配され格差社会になっている」などと考えるでしょうか?あなたのおっしゃることはそれと全く同じことです。もしそうなら創造主は全知全能ではないでしょうし、そんな非力な存在が世界自体を創ったということもありえず、世界は創造主が意図せず自然発生したものだということになります。しかし仮想現実が理由もなく勝手に自然発生するわけがありません。

RPGの魔物と同じく、この世界の悪魔・霊障も、プレイヤー(主人公)の冒険のためにクリエイターが創造した創造物であり、物語の都合(シナリオ・伏線)上、与えられた役目を(無自覚に)果たしているに過ぎません。あなた自身も、僕も、世界を完全に支配しようとしているグローバリストたちも、この宇宙のあらゆる存在が創造主の一部であり、理由(役割)があって生まれてきているのです。そのように世の中(自分の中)の悪というのは、決してその存在自体を憎むべきものではなく、ましてその存在ゆえに創造主を恨んだり否定したりするのではなく、ありがたい成長課題として乗り越えていくべきものだということです。彼らはRPGの魔物たちと同じで、クリエイター側からすれば物語を成立させて存在意義を生んでいる愛すべき創造物(キャラクター)たちなのです。そのように見ることがクリエイター(創造主)視点で見るということなのです。


人生はクリエイター(創造主)・プレイヤー(主人公)・常識(脇役NPC)それぞれの視点で見れるようになることが大事なのですが、ほとんどの人は脇役(NPC)視点でしか見ることができず、被害者意識に陥って魂の成長を自ら拒否してしまっているのです(それも予定調和です)。

宇宙の仕組みに書いた通り、客観的世界というものは存在しないのですが、そこをほとんどの人が誤解しているのです(それも予定調和ですが)。本当はネットゲームと同じように、ログインプレーヤー一人一人それぞれに自分を主人公とする世界・物語(シナリオ)が与えられているのです。それが世界線によりP2Pのネットゲーム世界のように重なりあっているから一つの世界のように見えているだけで、本当はみんな別々の自分の主観的世界にいるのです(一人一宇宙)。


そしてクリアするまでは誰も自分の脳というパーソナルコンピューターのゲーム世界(認識宇宙・仮想現実)から外には出れないのです。ただ我々は牢獄のような世界に閉じ込められているのではなく、自ら望んでこのゲーム世界にいるのであり、クリアできるまで輪廻転生(コンティニュー)を繰り返せるようになっているのです。

認識者の認識により事象が結実するという量子の仕組みは、ログインプレイヤー一人ひとりを主人公として成り立たせるために必要不可欠なシステムなのです。もし客観的世界が存在するなら成立し得ませんし、仮に成立すると考えたとしても、その仕組みに存在意義はなく、創造主は存在意義のないものは創らないのです。そもそも人生(=世界)というのは創造主がそれを経験してみたいと思ったから創ったものであり、自分を脇役とするためにこんなに手間暇かけて人生(=世界)を創るワケがないのです。そしてもちろんそれは愛が動機であり、決して意地悪で創っているのではないのです。それを意地悪だと被害者意識で解釈する人の世界は本当にそのようになってしまうのですが。

人類は既に「人間の認識により現実が決定する」とわかっているのに、いまだに「人間が生まれる百数十億年前に宇宙が生まれた(客観的世界が存在する)」かのように思わされているのは、クリエイターがNPCたちを物質主義・無神論に陥れるためにこの仮想現実をそのように設定しているのです。それにまんまと騙されて周囲と同じように物質主義・無神論に陥り、客観的世界が存在すると考えて自分を周囲と同じ世界の脇役のように考えるのは典型的な無明(顛倒夢想)であり、主人公はそこから目覚めなければならないのです。客観的世界というのは存在せず、自分は自分の認識世界の主人公なのです。そしてこの世界のあらゆる創造(物質も法則も)は、創造主なしには存在し得ないと知って下さい。


他人はみんな自分が主人公の世界のNPCであり、自分自身の鏡のような存在です。この「自分の認識(事象の結実)が世界線を共有する他人(他のログインプレーヤー)の世界に瞬時に連動する」という仕組みによって、みんな自分を一つの客観的世界にいるかのように錯覚させているのです。本当は暗い部屋で独りぼっちでゲームをしているのに、そのことに気づかせず孤独を感じさせないよう、世界線(インターネットのようなもの)で他のプレイヤーとフィールドを共有させてくれているということです。そのお陰で僕らは孤独な存在にならず愛を経験できるのですが、同時にそれによってみんな自分を社会の脇役のような無力でつまらない存在だと思いながら生きてしまっているのです。

あなたは意識というものが他人にも当たり前に与えられていると無意識に思っていてその価値に気づいていないと思いますが、他人に意識(主人公資格)が与えられているかどうかをあなたに確認することは絶対にできません。彼らがみんなあなたの人生という物語を盛り上げるために役割りを与えられて自動で動いている脇役AI・NPC(哲学ゾンビのような存在)であり、世界で主人公はあなた一人であるという可能性は決してゼロには成り得ないのです。それどころかあなたの意識以外の存在が本当に実在しているのか、あなたの意識が生み出している幻なのかも確証はありません。あなたが主人公として・経験主体者として意識が与えられ、人生というRPG・物語が与えられているということの価値に気づいて下さい。

意識が創り出している世界を経験しているという意味で、夢と(仮想)現実は本質的に同じものなのです。インド神話に「世界はヴィシュヌ神の見た夢だった」とある通りで、あなたはヴィシュヌのアヴァターラ(化身)なのです。その夢の中において直接知りもしない他人は完全に幻であり、ゲームの設定(伏線)みたいなもので、その不幸や悪事をあげつらって創造主を恨み世を嘆き、人(世界)を救おうともしない自分を正当化する理由に使うのはナンセンスです。そして直接知る人の不幸は主人公であるあなたが救うべきものです。

夢の中でお金や権力や他者評価を得ても意味はないでしょう。そこはこの仮想現実世界も同じなのです。あの世に持っていけるのは魂だけなのですから、それを愛で満たすことのみが価値なのです。RPGの世界でどれだけお金を稼いでどんな素晴らしい能力やアイテムを手に入れても、エゴ(我欲の充足と保身の確保・虚栄)にまみれて愛を発揮せず世界を救おうとしないのなら、永遠にクリアに辿り着くことはないのです。

この人生というRPGにおけるすべては、主人公の愛と勇気を試すため・魂の成長を促すためにあります。あなたはそれを既に理解しているようにおっしゃっていますが、ご質問内容から察するにまだ全く理解されてないように感じます。ニュースも歴史も神話も、あなたが認識できるすべてはあなたを主人公とする物語の伏線なのです。だから実際それが本当に起きたかどうかではなく、あなたの物語にとってどういう意味を持つかを考えることが重要なのです。history(his story)のhisとはどこかの権力者などではなく、主人公であるあなたのことですからね。今までの歴史はすべて主人公たるあなたの物語の伏線であり、これからの歴史はあなたが創るのです。そして君が代の「君」も天皇のことなどではなく、主人公たるあなたのことです。この世界で出会うあらゆる人物が自分の鏡であり、自分が主人公の世界に他人事は存在しないのです。

人間は「何の問題もなく、ただみんな幸せな世界」を望み、「創造者はなぜこんなひどい世界を創ったのか?」と被害者意識に陥り、社会・時代など自分以外のものを言い訳にして、より良い人生・世界にすることを簡単に諦めるように基本設定されているので、あなたのような考えになることは予定調和です(もちろん僕もかつてはそのように考えていました)。しかし最初から何の問題もない幸せな世界が初期設定だったら、我々は幸せを感じることもできませんし、誰も問題を乗り越えて成長しようとしないでしょう。それでは「主人公が世界を救う成長の物語」というRPGの基本設定が成立せず、話が始まらないのです。そういう「みんなが幸せな世界」というのはRPGのゴールであり、エンドロールみたいなものなのです。せっかく始めたRPGが最初からエンドロールで何のプレイ要素もなかったらどう思いますか?何の障害・苦難・困難もなく、それを努力して乗り越えて成長することもなく、最初からずっと幸せというのはありえないことであり、もしありえたらそれはとても無意味で退屈で不幸なことなのです。


例えばドラクエの世界の中に生きている人が、クリエイターに対して「なんでこんなひどい世界を創ったのですか?世界は魔王に支配され、部下の魔物たちが暴れまわっています。戦いの中で悲惨な死に方をしている人たちもいっぱいいます。私は非力なので魔物たちに勝てるわけがなく、ただ従うしかありません。社会は差別と争いばかりで暗く、未来は絶望的です」などと設定やシナリオに文句を言いながら、結局は日常に埋没して世界を救おうとせずにいたら、プレイヤー(主人公)として成立せず、ゲームが進まないでしょう。


そのように世界を救うべく愛と勇気を発揮することなく、魔物に怯えてその支配に甘んじながら、ネットで魔物の批判ばかり書いては自分も戦っているという気分だけを味わい、その辛辣かつ汚い言葉で自らを汚し傷つけて自分(=世界)を暗くしながら、街でエゴ(我欲と保身)のためのお金儲けに一生を費やそうとするようなキャラだったら、クリエイター(創造主)はそのキャラを主人公にしたいと思うでしょうか?そしてその分身たる神々はそのキャラクターを主人公としてプレイしたい(導きたい)と思うでしょうか?


そのように、設定に文句を言って今生で主人公として目覚めて人(世界)を救う気のないキャラたちは、他人が主人公の物語の脇役NPCとして自動運転のAI状態にさせられるは当然なのです。NPCの自由意志は幻であり、自ら選択している気分だけ味合わせてもらっていますが、その選択肢はヤクザの夜店の宝くじと同じで全部ハズレ(大同小異)であり、NPCとしてリスタート(輪廻転生)を果てしなく繰り返すことになります。ゴール(クリア)の設定が間違っているからこそのNPCということです。

あらゆる存在・事象に対する不平不満は、それを創った創造主への不平不満と同じであり、それは必ず悪業として自分自身に返ってくるのです。そして誰か別の主人公の物語の単なる伏線の奴隷となり、退屈で不幸な人生になるのが必然なのです。RPGの世界においては、菩提心(真理を覚り、衆生を救う存在になる決意)を起こすことがすべてのスタートなのです。力がなくてもお金やアイテムがなくても仲間がいなくても、まずは決意することが始まりなのです。最初からレベル最高でアイテムや謎の答えなどが全部与えられていたら愛も勇気も智慧も試されずゲーム要素がなくなります。非力で無知で何も持ってない時に起こす菩提心だからこそ尊いのです。そして必要なものは必要な時に与えられるのがこのゲームの醍醐味であり、何も心配は要らないのです。

僕らは創造主の創った壮大な神話の中を生きているのです。RPGというものは魔物に完全に支配される一歩手前のディストピアから始まって、そこから主人公が大逆転を起こして世界を救うシナリオになっているのが当前のことであり、僕はそういうシナリオ以外のRPGを見たことがないです。あなたというプレイヤー(主人公)のRPGもまさにそのようなシナリオになっているのです。

設定やシナリオに不平不満を言って被害者意識に陥ることは典型的なNPC思考であり、自分が世界を救う主人公であることに目覚めない限り、創造主の愛を十分に受け取れないのです。自分(=世界)に与えられている課題なのに「もしクリエイターがいるのなら、クリエイターが問題を解決すれば良いのではないでしょうか?もしできないならクリエイターの存在など信じません」などと考えることがいかにナンセンスなことかに気づいて下さいね。課題を与えている側が課題を解決してしまったら課題にはならないのです。ドラクエでもしクリエイターの堀井雄二さんがゲーム制作時点で魔物を全部倒して平和で幸福な世界を実現してしまったら、プレイヤーは課題がなくてゲームにならないでしょう。


あなたはブラジルなど遠い異国の地の貧困問題について心を痛めるほど優しい方なのかも知れませんが、結局はそういう不幸な人を救う為に恐らくは何もしていないわけで、それで「どうして創造主はこの問題を解決してくれないのでしょうか?酷くないですか?」と設定に文句を言いながら、他のNPCたちと同じように自ら社会システム・常識の奴隷となり、自分はきっと支配体制の最下層に落ちることはないだろうと安全圏にいることに安堵を感じつつ、エゴ(我欲と保身)のために嫌な仕事をし、グローバリストたちの支配体制に文句を言いながらも、結局はそれを支える脇役NPCの一人となっているのでしょう。

まず、あなたが今現時点で直接知らず直接救うこともできない人のことで思い悩むより、今あなたの目の前にいる人を救うことに集中して下さい。そうやってあなたが主人公のシナリオを前に進めるのです。いつも使っている例えですが、ゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのは主人公が悪いからではありません(自分のせいだと思う必要はありません)。かといって相手側(ゾンビやアンブレラ社)を責めたり、制作側(クリエイター・ゲーム会社)を恨んだりして、被害者意識に陥ってもゲームは進みません。自分も相手も運命も責めず・恨まず、ただ自分に与えられた成長課題だと信じ、楽しみながらその課題を目の前から一つ一つクリアしていくことが大事なのであり、それは人生も同じだということです。


人それぞれ自分の人生の因果(カルマ・課題)ですらよくわからないのですから、見ず知らずの他人がどんな因果(カルマ・課題)故に苦しんでいるのかは知りようがありません。大切な事は、直接知り合った人のカルマを自分のカルマを写し出したものと考え、それを乗り越えることです。直接知りもしない人がどんな苦難に遭っていようとも、今現在それを気にして世を嘆いて創造主を恨むより、直接知っている人を救う事に集中して下さい。そして直接知りもしない(存在すら確かめられない)人の不幸を理由に「創造主は非道だ・神仏など存在しない」などと考え、人生を創造主からの意地悪や罰ゲームのように解釈してはいけません。世界は主人公たる自分の認識が創るのですから、そのように解釈すれば本当にそのようになってしまいます。


そしてあなたが「日本はブラジルより状況が恵まれている」などと考えるのは幻想です。日本人のように衣食住は足りていても他者評価に依存させられているがゆえに劣等感・自己否定感に苦しんで自尊心を病み、孤独で不幸なのにプライドが傷つきやすくて他人に助けを求められず、頑固で人の話を聞かないような人たちを救って幸せにする方が、貧しさに苦しんでいる人を救うより難易度は高いのです。このRPGはそんなに簡単じゃないのです。

あなたはブラジルの貧民街に住む人たちがみんな不幸だと勝手な自分の常識で思い込んでいるようですが、日本よりは遥かに平均的な幸福度は高いのです。なぜなら多くのブラジル人は子供を無条件の愛で育て、子供は他者比較に関係なく思いっきり自尊心高く育てられるからです。そして貧民街の人達はみんなが貧しい分みんなが助け合って生きていて、多くの日本人のように他者評価に依存して富を奪い合ったり罪や過ちを責め合ったりマウントを取り合ったりする意識が低く、孤独な人が少ないのです。あなたが考えているほどお金と幸福度に相関関係はありません。


強盗になるのは全体の割合からすればごくごく一部の人達です。大部分の人は貧しくても強盗になどなりません。特にブラジルではどれだけ貧しかろうと生きるのには十分な食料が与えられますからね。強盗になるのは貧しいからではなく、強盗が貧しさを言い訳に使っているだけです。人間のあらゆる悪い行動の元凶は自尊心の傷であり、一部分の親から十分に愛されず虐待を受けるなどして自尊心低く育った人が、傷ついた自尊心の回復のための手段としてギャングになってお金と力を手に入れようとしたり、暴力やドラッグや酒などで自分自身から逃避しようすることが原因なのです。


そしてそのように他人を責めたり傷つけたり支配したりして「自分は彼らよりマシな存在である」と傷ついた自尊心を愛によってではなくエゴによって回復しようとする人ばかりなことが、人類に共通した課題なのです。しかし日本人も含めて多くの人が、自分が自分より悪い・劣った人間を責めて蹴落とそうとして自ら地獄に落ちる「蜘蛛の糸」のカンダタになっていることに気づいていません。

実際、僕はブラジルでホームレスをしていてお金もまったくないので衣食住に事欠いておりますが、周囲の人に愛されて助けられ、とても幸せに生活しています。もしあなたが貧しい人を下に見て不幸だと決めつけているのなら、根本から考えを改めて欲しいです。あなたが直接経験して知らないことを自分の勝手な常識で決めつけていることに気づいて下さい。そして貧困や死などを過剰に恐れるから支配体制に追従せざるを得なくなっていることに気づいて下さい。

ネットゲームのごとくこのRPGはログインしている時点で主人公なのであり、他のログインプレイヤーのゲームの進捗(どこまで進んでいるか、どれだけ能力・アイテム・他者評価を持っているかなど)は一切関係ありません。基本的に他人との比較に意味はないのです。困難な環境が与えられているのはそれだけその主人公のゲームの難易度が高い(魂のレベルが高い=カルマが深い)というだけで、それを理由に創造主に不平不満を言うのはナンセンスです。

そして他のログインプレイヤーとは協力関係にあるのですから、自分のゲームクリアのために自分にはない高い能力を持っている人間からうまく協力してもらい、現在何かに困って行き詰まっている不幸なプレイヤーがいれば、自分の知識・能力で補ってあげるのがこのRPGのプレイ要綱です。他人に嫉妬して劣等感を持ったり、他人の罪や過ちを責めたり、能力の低い他人を見下したりしているような主人公では、世界を救ってみんなで幸せになること(ゲームクリア)などできるはずがありません。

あなたは衣食住が足りているという環境であるが故に、他人の不幸にも心を痛める割にはそれを救おうとすることなく創造主に不満を言い、支配者たちに反感を持ちつつも自分の衣食住を充実させながら安穏に暮らしたいというエゴのために自らその社会システムの奴隷となって、世界を救う主人公として目覚めようとはしていないのでしょう。

「そんなのみんなが同じで、それが常識なんだからしょうがないじゃないか!」と、そのように他人の思考や行動を勝手に常識化して言い訳にするのがNPC思考なのです。創造主と主人公の関係は一対一であり、他人(全員NPC)の言う事やる事(常識)は一切言い訳に使えないと知って下さい。宇宙の仕組みで読者に一番伝えたかったことは「人生(世界)は自分を主人公とするRPGであり、客観的世界が存在すると考えることは幻想である」ということです。あなたはまだ気づいていないだけで、あなたの世界の主人公(プレイヤー)はあなたなのです。

このRPGにおいて、自分が主人公として目覚めることはとても困難に設定されています。みんな自尊心が低くさせられているからです。ネットゲームであれば、ログインした時点で自分が主人公だとわかっているわけですから数週間でクリアできてしまいますが、この人生という物語はそうはいきません。世界を救う主人公として目覚めないまま(菩提心を起こさないまま)輪廻転生を繰り返す魂の方が圧倒的多数です。

出会う人はみんなNPCであり、マトリックスのエージェントのようにあなたが主人公として目覚めることを妨害してきます。そしてみんな自分を客観的世界の脇役だと思って常識を疑うことさえせず、自分や他人の欠点や過ちを責めて大した存在ではないと考え、自分が世界を救う偉大な存在だということに目覚めようとはしません。しかしそれこそが創造主の用意したシナリオであり、そこからの逆転劇だからこそ人生というRPGは難易度が高く面白いのです。

さて、世界を救う主人公ってどんな存在でしょうか?イーロン・マスクのように現時点で有能かつ有名でお金持ちで権力を持っている人間でしょうか?そうではありません。そういう人間はエゴに埋没して金や名声や権力を追い求め、世界を救おうなんて本気で考えはしませんし、よしんば本気で考えていたとしても権力(強制力)を使って世界を救おうとしても絶対に救えないようにこのRPGは創られているのです。魂の成長のために生まれてきているのですから、真理を覚りそれを連鎖させていく以外に世界は救われないようにできているのです。

NPCたちはみんな「有能かつ有名でお金持ちで権力を持っている人間」が幸せで、「無能かつ無名で貧乏で何の権力もない人間」が必ず不幸せだと思っているのでしょう。また悲惨な生い立ち・環境で生きている人間が世界を救えるわけがないと考えているのでしょう。しかしそれは違います。僕らが自分など大した存在ではないと思わされているのは、そこから自分とすべての存在の価値に気づいていく過程が物語として美しく面白いからです。そのためには愛と勇気が最大限試されるからです。

NPCたちはみんな自分には世界を救うような能力もなく、そのキャパシティーもなく、その義務もないから誰も救わないのが当然(逆に足りないからと他人から奪ってでもキリなくお金を稼ぎ続けようとする)という考えになっていますが、自分に与えられている能力とキャパシティーの中で人を救うという考え方が連鎖しなければ、世界はただお互い奪い合うだけでどれだけあっても足りないようになり、いつまでも救えません。

あなたが人生で愛と勇気により目の前の二人の人間を救う事ができたなら、その二人もきっと他の二人の人を救うでしょう。それがたった50連鎖するだけで1000兆という途方もない数字になります。連鎖反応というのはそのように指数関数的に広がっていくものであり、一度火が付いてしまったらスチールウールの酸化反応のように誰にも止めることはできないのです。そしてその火付け役があなたという主人公の使命です。目の前の人と無償の愛で助け合う連鎖を世界の隅々まで行き渡らせるのです。メシアとはこの世の人間たちから救世主だと称賛される存在ではなく、創造主から称賛される存在なのです。メシアというのは他者評価ではなく自分の覚悟だということです。


そのためには特別な能力も大金も巨大な権威・権力も要りません。それらが多く与えられていないことを世界を救わない言い訳に使わないで下さいね。僕らは成長を楽しむため・お互いが助け合うためにわざと能力低く・欠点多く・愚かで過ちを犯すように作られているのです。最初からレベルMAXだったら成長の物語にはならないのです。そして一人ひとりがそれぞれの世界の主人公なのですから、あなたがたった一人でも本当の意味で救いに導ければ、それは世界を救ったことになるのです。そしてそれは必ず連鎖するのです。

そしてあなたはグローバリストたちを悪魔そのもののように思っているようですが、この世界の魂はすべて同源(創造主の分け御霊)であり、いわば全員が同一人物です。つまりあなたも彼らとして生まれていれば確実に彼らと全く同じことをするということです。実際彼らを批判している今現在のあなたでも、彼らから大金と権力を餌に仲間に加わるように言われたら加わってしまうことでしょう。もしそうでないならとっくに世界を救う冒険へ旅立っているはずです。(僕は既にそうしていますし、例え何兆円積まれようと、どんな権力者にしてやると言われようと、僕の意思は微塵も変わりません)不幸な支配者を救うのが主人公の使命であり、支配者を絶対に幸せなものと考えて羨み、お金持ち・権力者を目指し、貧乏人を不幸と考えて貧困を恐れているようでは、無自覚に支配構造に協力していることになり、ただ支配者たちの餌食にされているだけで、誰のことも救うことはできないのです。


人間というものは上位次元の存在のアバターであり、グローバリストたちも普通の人間に過ぎません。実際に対等な立場として会ってみれば彼らは拍子抜けするぐらい普通に良い人達でしょう。あなたの周囲に屠殺場で働く人はいますか?彼らは家畜動物からすれば極悪人ですが、彼らの友人から見れば普通に良い人達でしょう。それと同じ事なのです。

屠殺場で働く人は「家畜は人間に食べられるために生まれているのだから、殺されても仕方がない」と仲間意識から切り離すことで罪悪感から逃れ、そして美味しい肉をみんなにたくさん食べてもらうことで「みんな肉を食べたがっているのだから、もし動物を犠牲にすることが罪だというのなら、肉を食べる人間は(及び動物実験による医薬品に頼る人間は)みんな同罪だ」と考えることで精神を保っているのでしょう。そしてそこはグローバリストたちも同じなのです。

現時点で悪役をやらされているというだけで、グローバリストたちも我々と同源同一の魂を持った人間であり、罪悪感から逃れるために無能な人たちを家畜と認識することで精神的に切り離しているのです。更に、エゴによって自分より無能な人を餌食にして富を得る社会システムにみんなを参加させることにより「みんな同じじゃないか」と罪悪感から逃れ、精神を保っているのです。しかしそれはとても不幸なことであり、彼らも主人公の救いの対象なのです。ですからもしあなたが主人公に目覚めるのなら、まず彼らの家畜になるのをやめるべきです。

ロスチャイルド家の現総代はインタビューにおいて(正確な内容は覚えていませんが)深刻な面持ちで「私は莫大な資産を持っても、ただ将来まで生活の不安がないというだけでみなさんと同じだ。少しも幸せではない。先代からの資産を減らしたら無能ということで一族から排除されるから仕方なく働いているだけだ」というようなことを言っていました。

現在の支配システム(時代・価値観)を作ったのは彼らではありません。支配者(悪役)としての宿命を持ってそういう家に生まれただけです。そして彼らはどれだけ途方もない資産を持っていても、先代の資産を減らさないためには先代よりも更に悪どいことをやらねばならなず、心が苦しんでいるのです。

もしあなたがパチンコ連盟の長である最大手のパチンコチェーンの社長の息子として生まれたら、より収益を拡大すべくありとあらゆる手を尽くすはずです。できなければ無能として排除されますからね。絶対儲かるように出玉を管理し、あらゆる媒体を通じて宣伝し、ギャンブル性を高め、人気アニメを導入するなどして悪魔性を目立たなくして、店内を気軽に入れる雰囲気づくりに気を配り、流行らせて街中に出店拡大し、より多くの人を遊戯の中毒にさせ、サラ金業者と組んで高金利で金を貸し付け借金奴隷にするでしょう。そしてまた本来自分たちを取り締まるべき政治家や警察の上層部を要職に天下りさせたり裏社会の力で脅したりして逆に自分たちの操り人形にするでしょう。

グローバリストたちがやっていることも基本はそれと同じです。陰謀論は荒唐無稽な話も多いですが、陰謀自体は資本主義社会においてあるのが当然です。今の資本主義経済は完全にギャンブルなのに、その胴元による大規模な不正(イカサマ・我田引水的なコントロール)が全くないと考えるのは頭がお花畑なのであり、ただの賭博場のカモです。しかしあなたのように陰謀論にハマって支配者たちやシステム(設定)に文句を言いながらも、結局彼らの運営するギャンブル(経済・金稼ぎ)に人生を費やす気なのなら、カモであることに違いはありません。むしろ陰謀論によって被害者意識に陥って人生が不幸に導かれるぐらいなら、陰謀の存在を全く信じない頭がお花畑なNPC達の方がまだ幸せかも知れません。


現代経済は椅子取りゲームであり、支配者たちはお金(ギャンブル)の仕組みを知らない・知っても逆らえない人達をそのゲームに強制参加させています。僕らは世の中がどんどん便利になっていくことに酔わされ、音楽(便利さ)に踊らされている間にどんどん椅子が抜かれて社会が貧しくなっていることに気づきもしません。IT化などで世の中が10倍便利になっても、我々の仕事量が時間が10分の1になったわけでもなく、収入が10倍に上がったわけでもありません。逆に仕事量は増え幸福度は下がっているでしょう。社会の利便化によって富の独占が正当化され、貧困化がごまかされていることに気づいて下さい。


そして愚かな支配者たちはこの矛盾が一気に露呈してゲームが終了することを恐れ、椅子を戻すのではなく人を減らすことでゲームを続行させることしか考えられないのです。コロナワクチンなど様々な人口削減施策はそのためにあるものです。彼らはRPGの設定上創造主からそういう役割をやらせられているのですから仕方のないことなのですが、とても愚かなことです。しかし本当に愚かなのは、彼らの言いなりになってその陰謀にも気づかず、気づいていても文句を言うだけでレジスタンスを最初から諦め、残されたわずかな椅子を醜く奪い合って彼らのゲーム存続に貢献しているNPCたちです。

支配者たちはもし僕らがみんな同じ人間であること(ワンネス)に目覚めたら罪悪感に耐えられなくなりますし、罪を暴かれたらみんなから絶対に許されないだろうと確信しているので、自分たちではこの流れを止められないのです。「もし家畜動物たちが高い知性を手に入れて真実に気づき、勇気を持って我々に反乱を起こしたら」と考えれば、彼らの恐怖がイメージできるでしょう。だから支配者たちは大衆を常に無知で臆病にしておかなければならないのです。

そして彼らは罪悪感に耐え切れず死後の裁きを恐れているからこそ、悪魔を崇拝し悪魔に心を売ったことにして、同じグローバリスト同士で悪魔崇拝を流行らせて仲間意識を高めて協力し合っているのです。グローバリストというのはあまり表に出ないだけで、世の現実主義者たち(皮肉)にはとても信じがたいほどオカルティックなのです。そして彼らは世界中の人々のエゴを刺激してマネーゲームに陥れ、富を醜く争わせている間にお金をかき集めながら「お前たちも結局エゴのために他人を犠牲にしているのだから我々と同じじゃないか」ということで罪悪感を払拭し、あらゆる手段を通じてみんなのワンネスへの目覚めを全力で阻止しているのです。


しかしその彼らの意思は幻であり、悪魔がそのシナリオ通りに自分たちを崇拝させるように導いているのです。そしてそれも実際、創造主のシナリオ通りなのです。数十年で死ぬような人間・個性があって分離意識が強く言葉でしかコミュニケーションを取れないような人間に、こんなにうまく世界中を長年支配し続けることなど不可能です。グローバリストたちも悪魔も、みんな創造主の創ったシナリオ上、自分の役割を無自覚かつ忠実に果たしているだけなのです。悪魔が本気で世界を支配する気ならもっと秘密裏にやるでしょう。それなのにこれでもかってぐらい情報を公開して存在をアピールしながら世界征服を目指しているのは、悪魔の正体も悪役を演じている創造主自身であり、本当は主人公に支配を止めて欲しいと願っているからです。


そうでなければジョージア・ガイドストーンなど出現するわけがありません。シナリオを知っている僕からすれば、滑稽過ぎていつも笑ってしまいます。


本当に賢い世界のトップエリートが自分の意思で世界を支配しようとしているのだとしたら、911のようなまるで自分たちの存在を堂々とアピールしているかのような大胆で杜撰極まりない犯行を主謀すると思いますか?彼らは無自覚に集団で悪魔に操られているNPCなのです。

グローバリストたちは生まれた環境が我々と違うだけで普通の人間であり、彼ら自身も悪魔に操られて苦しんでいて、それは主人公による救いの対象なのです。彼らが本当に幸せなら悪魔などに頼って崇拝するわけがありません。メシア(主人公)の使命は、彼らを悪事とその罪悪感から救うことです。

彼らと権力や武力など力で戦おうとしても逆効果であり無駄です。ますます力で押さえつけられ暴力による支配が正当化されて体制が強化されることになるでしょう。この世のすべては自分自身の鏡なのですから、投げかけたものが自分に返ってくるのです。例え彼らの権力をテロなどの力で倒したとしても、また新たな権力支配が生まれるだけで何も解決しません。

「権力」というのは相手に望まないことを強制する力です。その根源は人間みんなの中にフラクタル(相似形)に巣食う「他人を支配したい」という悪魔であり、それは悪魔崇拝者の祭壇だけにいるわけではありません。僕ら一人ひとりみんながお金という権力分譲券を欲しがり奪い合う連鎖によってその悪魔は力を増すのです。誰もお金を欲しがらなくなればお金に力などなくなります。つまり敵はグローバリストたちではなく僕らみんなの中にいる悪魔なのです。僕らのRPGは天使と悪魔の代理戦争であり、とてもスピリチュアルな戦いなのです。だから力によって権力を打ち倒そうとしたりシステムから変えようとするのではなく、みんなが自分の中にあるエゴを乗り越えて無償で助け合い愛し合う(権力によって他人に何かを強制し、支配しようとしない)価値観革命を世界の隅々まで行き渡らせなければならないのです。


エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、愛が天使であり、エゴが悪魔なのです。そしてそのエゴの連鎖(利害関係の一致)が正義を装った巨大な悪魔を生んでいるのです。もしみんながイメージするような純粋な悪が存在するならそれはみんなが嫌がるので決して連鎖しません。エゴと愛は磁石の両極のように不可分であり、どちらか一方だけを失くすことはできません。僕ら一人一人が自分のエゴを乗り越えて愛を実践するようになり、それが連鎖することで世界は救われるのです。グローバリストたちから奴隷・家畜扱いされている僕らが、彼らから奪われて残されたわずかな富でも分け合って助け合って幸せに暮らせることを実践して見せ、グローバリストたちの罪を許し、彼らをその悪事と罪悪感から救うことで、僕らがみんな同じ人間であることに目覚めさせなければならないのです。


わかりますか?主人公はみんなに「本当は我々全員が同一の魂(ワンネス)であり、みんなを幸せにしない限り、決して自分も幸せになれない」ということに目覚めさせなければならないのです。我々がみんな尊い神であるということに目覚めさせるということです。そうすれば彼らはその富を等しく分配するに違いありません。それが古事記の「岩戸隠れ」の神話が教えているところであり、堕天使ルシファーは天照の荒魂ってことです。天使(愛)と悪魔(エゴ)は裏表一体であり不可分のものだと知って下さい。


今はまだお金(権力の分譲券)の力は絶大です。その力はみんながお金を欲しがり、嫌な事を我慢してでも・他人から奪ってでも稼ぎたいと考えることにより増していくのです。そしてどれだけ稼いでも我欲も保身も満たされず不満かつ不安で、そうしている間にどんどんお金というシステムを牛耳っている支配者たちの力は高まり、ますます人々がお金に支配されるようになっているのです。悪魔は人を常に不安にさせる(お金に依存させる)ことで世界を支配しているのです。不安にさせる存在が悪魔軍で、安心させる存在が天使軍なのだと覚えておいて下さい。

お金がなければ生きていけない。お金を稼いで楽をしたい・欲望を果たしたい、他人に嫌な事を強制し、他人より優越的な立場にいたい・他人から見下されたくない・老後や病気や事故が不安だ・・・。そのように誰にでもあるエゴ(自己保存本能による不安)を刺激することで彼らは支配力を高めているのであり、僕らがそのエゴを乗り越えて愛に生きるということを世界中に連鎖させていかなければ、世界は救えないようになっているのです。そしてそれが創造主の創りし壮大なる神話のシナリオなのです。キリストの言う通り、人は金と神の両方に仕えることはできないのです。神の加護に心から感謝しそれを信じないで不安になるからこそ金を信じてすがり、金稼ぎに生涯を費やさなくてはならなくなるのでしょう。

みんなが愛を大切にして無償で助け合い、お金がなくても生活・将来の不安がなくなり、過剰にお金を欲しがらなくなれば、お金の価値は相対的にどんどん下がっていき、たくさん持っていても他人に何も強制できないので意味がなくなり、いずれ必要とされなくなるのです。そしてお金は氷河が溶けて水になるかの如くになくなっていき、この狂ったマネーゲームは人類を破滅させずにソフトランディングしていくのです。

真理は他人に強制しなくとも、自らが実践する勇気を見せるだけで、みんなが自発的に従います。ガンジーの非暴力不服従運動が良い例です。人を動かすのに政治や法律や金などの強制力が必要なのは、それが真理ではないからです。僕らは真理(=愛)を日々自ら実践し、ありとあらゆる権力(強制力)への非暴力不服従運動を展開し、権力(強制力)ではなく真理(=愛)が世界を修める真に自由な社会を築かなければならないのです。それはみんなが自発的に真理(=愛)に従う社会、神が治める社会ということです。その実現が人類のマニフェスト・デスティニー(明白なる使命・運命)なのです。


多くの人は信心がないために命を一度限りのものと思い「全ての存在が本当は一つであり、魂は永遠である」と信じず、エゴによって死を恐れるから、悲惨な死に方をした人を見て「この世に救いはない・創造主や神仏などいるわけがない」などと考えるのでしょう。しかし魂は永遠であり死は幻なのです。そしてこの仮想現実世界における死の苦痛も幻であり、臨死体験者たちが例外なく言っているように、本当に死ぬ時っていうのは痛くも苦しくもなくできているのです。

この世界は意地悪や嫌がらせのためではなく愛と成長を経験させるために創られているのです。そしてこの世界は夢と同じであり、悲惨な死に方をしているように感じられる他人はNPCであり、創造主自身でもあるのです。それを見てこの世界に神も仏もないと考えて世界を救おうとしないのではいつまでも主人公になれず、ゲームクリア(覚り・世界平和・地上天国の実現)は有り得ません。

この世界は愛と勇気を試すためのRPGです。能力が低く臆病だからこそ愛と勇気を発揮して戦う姿は尊いのです。最初から能力が高くて何も恐れない人の愛と勇気には価値がありません。不平不満・言い訳ばかりですぐエゴ(我欲と保身)に逃げる臆病なNPCが絞り出す一滴の愛と勇気にこそ価値があるのであり、それがNPCを主人公にするのです。

誰が見てなくても創造主はあなたのすべてを見ています。だから他人に言い訳したり嘘をついたり、他人に評価されることを目指して努力する必要などないのです。誰が主人公(メシア)なのか誰に知られずとも創造主はちゃんと知っていて、必ずそれを讃えてくれます。他者評価より創造主の評価を考えて下さいね。


陰謀論者たちはプロビデンスの目を支配者層が目指す管理社会の象徴のように思っていますが、違います。創造主は悪役も含めて全ての役を自らの分身を使って演じさせながら、主人公であるあなたの成長を常に見守っているということです。行動だけでなく心の中まで全部、一秒も休むことなくです。主人公であるあなたとクリエイターである創造主の関係は一対一であり、世界に何十億人NPCがいようと、あなたはその背中に隠れることはできないのです。

どっちにしても創造主に全部見られているというのに、監視社会になって何が悪いのでしょうか?犯罪や事故が減って色々便利になって良いじゃないですか?自分の心がエゴにまみれていて、自分や他人のエゴを許し愛さず、お互いのエゴを責め合っているから「他人に監視されたくない」という意識が働くのでしょう。「誰かに見られて責められたくない」と隠したくなるのでしょう。もし心が愛に満ちていたら、本心を人に見られるほど愛されますから、どんどん本心を見て欲しくなるはずです。

今の監視社会の問題は、他人のエゴを自分のエゴに利用するために情報が使われるために監視システムが息苦しくなっていることであり、監視社会そのものが問題なのではないのです。監視する目的が愛に変われば、それは治安・医療・社会保障を隈なく行き渡らせるために使われることでしょう。資本主義が終わってお金の要らないワンネス社会が実現されれば、わざわざ人々のプライベート情報を膨大に集めて分析して自己利益につなげようとする愚者はいなくなります。

このRPG世界はみんながワンネスに目覚める連鎖が世界の隅々まで行き渡り、みんなが無償で助け合う世界が実現し、みんなが救われるというフィナーレに向かっているのです。今の社会は、その大逆転劇前の(エゴ・分離意識による)最後の苦難を経験しているのです。その苦難故に創造主を恨まないで下さい。記憶を消されているだけで、本当はこのシナリオを描いたのはあなた自身(=我々の集合意識=創造主)です。

支配者層がエゴの為に目指していた世界政府が、価値観革命によりみんなを救う為の政府に変わるのです。我々はみんなそういう創造主の創りし壮大な神話の中を生きていて、そのワンネスに目覚める連鎖反応を自分に与えられた才能でもって自分から起こしていくことが主人公である自分の使命なのです。

ただ決して世界救済を焦る必要はありませんからね。この人生というRPGはあくまでも僕らを楽しませるために創られているものであって、焦れば楽しみが目減りしてしまいます。それでは周囲から浮いて人間関係がうまくいかなくなるでしょうしね(愛を経験するためには常識的感覚も大事です)。創造主は僕らにできないことは期待していません。僕らには常にギリギリ乗り越えられる課題しか与えられないのです。

そして世界救済というのは、今生で完全に達成できなければ意味がないというものではありません。本当に完全に達成されてしまえばゲームが成立しなくなってしまいます。かといってクリアをハナから諦めてNPC人生を送っていては魂が成長せず、いつまでたっても幸せにはなれないでしょう。目指すべきはあくまでも自分の認識世界の全員(出会った人・心の住民)を救えるようになることです。価値があるのは、世界救済という揺るぎないベクトルで僕らが生きる中で生じる物語であり、経験なのであり、今生でクリアを達成できるかどうかは重要ではありません。一人一宇宙で、人=世界なのですから、人生を通じて目の前の人をたった一人でも救えるようになって下さい。それは必ず連鎖していつか本当にみんなが救われるのですから。それを信じて自分にできることをすることが真の信心なのです。

大分長くなりましたが、ご質問の回答、ご納得いただけましたでしょうか?与えられたゲームの設定・シナリオ(フィナーレ前の苦難)に文句を言わず、認識できるすべては自分の魂の成長にベストだから与えられているものなのだと信じ、全ての存在に感謝して、目の前の人から救って幸せにしてそれを世界に連鎖させて下さい。この世界はすべてが主人公(メシア)である自分次第に作られているのです。


最後に創造主の思いをあなたに伝えるべく、ゾロアスター教三大呪の一つ「イェンゲー・ハーターム」を贈ります。世界を救う物語の主人公(メシア)であることにきっと目覚めて下さることを願いながら。


ýenghê hâtãm âat ýesne
イェンゲェー ハーターム  アーァテ イェスネー
paitî vanghô mazdå ahurô vaêthâ
パイティ ワングホー  マズダー アフロー ウェイター
ashât hacâ ýånghãmcâ
アシャート ハチャー  ヤォングハムチャー
tãscâ tåoscâ ýazamaide.
タスチャー タオスチャー イェザメイデーイ

この世に存在する者たちの中で、
誰が主の遣い(主人公・メシア)として最も優れた者であるか、
主に与えられた悟りによりアフラ・マズダー(善神)は知り給う。
神の遣い(主人公・メシア)として目覚めた男や女を
我々は拝み祀るのである。

【関連質問】未来に絶望したくなる

2022年11月7日月曜日

友人の統合失調症を改善するべきか?

【質問】25歳・男性
はじめまして。

友人B(25、男)の統合失調症を改善するべきなのか?ということをお伺いしたいです。

彼に出ている妄想に関してお伝えすると「自分は巫病にかかっている」「シャーマンの素質がある」「八咫烏(秘密結社)の一員である」「日本は神の国で世界の中心である。富士山に守られている」という発言が出てきております。根拠を聞いたところ、友人B自身の内面の世界が伝えてくれるということで、あまりうまく対話することが難しいです。

友人Bは大麻やLSDを何度か使用しており、その度に上記の妄想が激しくなっているイメージがあります。(恐らく所持はしておらず、友人等からもらっているようです)

現在まで波はあるもののあまり回復してるようには見えておりません。記憶力も極端に低くなっており、昨日話したこともあまり覚えていない状況が続いております。

私自身も精神世界や哲学は好きなのですが、根拠も教養もない友人Bの発言に悲しくなってしまいます。友人Bとはビジネスパートナーでもあり、10年以上の付き合いなので何とか自分を取り戻して欲しいと勝手ながら思っていますが、真也様の知見をお借りしたくご連絡しました。よろしくお願いします。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

友人が急に変わってしまった経験は僕にもあるので、心配する気持ちはとてもよくわかります。

一般的に統合失調症とされているものは、霊障であり憑依現象なのです。まずこれを読んで下さいね。「憑依体質の存在意義

ご友人の症状も霊障による自我の乗っ取りの典型だと思います。記憶が苦手になっているのは脳の記憶力の問題ではなく、その人の主人格がコロコロ切り替わる状態にあるからです。

記憶喪失の人は大抵の場合はトイレに行ったり着替えたり普通に生活できます。失われているのは記憶ではなく主人格と記憶の連絡だからです。人間というのは霊的意思の乗り物でありアバターのようなもので、主人格がいなくても霊的意思がその人の脳にある記憶や自分の記憶を使って思考し行動することが可能なのです。

しかし人間の「自分は自分である」という自意識(自己同一化)が強く働くため、霊障がさせている思考や行動でも本人は自分が思考し行動していると思って疑うことすらできません。霊障による自我乗っ取りを自覚することは不可能なのです。霊障が自分自身になっているのですからね。酔っ払いは例え自分が酔っていることに気づけたとしても、酔いが覚めるまでいつもの自分の思考に戻ることはできませんし、夢の中の自分がいつもの自分と違っていることを目が覚めるまでは自覚できません。それと同じことです。

対策ですが、まずあなたが認識しなければならないことは、「宇宙の仕組み」に書いた通り客観的世界は存在せず、あなたはあなたを主人公とするRPGの世界を生きているのだということです。あなたにはあなただけに用意されたシナリオがあり、それはすべてがあなた次第に創られているのです。

あなたにとってあなた以外の人間はNPCのような存在であり、あなた自身の鏡です。そして「悪いカルマの解消法」に書いた通り、出会った人のカルマはあなた自身のカルマを写し出したものなのです。創造主が偶然に見せているだけで、このRPGの世界に偶然など何一つないのです。

カルマを構成するものが霊障であり、それがどんどん悪い方向にシナリオを選択させるので、まず日々自分の霊障を祓わなければいけません。その方法も「悪いカルマの解消法」に書いていますが、まずあなた自身が信心を日々強くして神々に尽くし、人々に奉仕し、心身と環境を清潔・善良に保つことです。そして宗教的・スピリチュアル的知識を身に着けて日々実践して下さい。

浄霊は無料でしてくれるところがたくさんあります。大本教・世界救世教・真光などです。入信したり無理に献金や奉仕活動をする必要はないですから、ただ毎日のように浄霊を受け、その友人を浄霊してあげたり浄霊に連れて行ってあげたりしてみて下さい。

大事なことは、宗教に依存せずに信心を持つことです。宗教は欠点があり過ちも犯す人間が運営するものですから、腐敗は必然です。でもそれを理由に信心を持たないのなら、いつまでも神々について学ぶことができませんし、神々の守護を得ることはできません。それでは霊障に犯され放題になってしまいます。

僕は様々な神々を信じていますが、どこの宗教にも入信はしていませんし、どこの宗教が絶対良いなんてことを無責任に言うつもりはありません(宗教・神々との出会いも縁です)ので、無理に勧誘されたり献金や奉仕活動を強制してくるような宗教があったらすぐ逃げて下さい。

>何とか自分を取り戻して欲しいと勝手ながら思っています

あなたはご自分で「勝手ながら」とおっしゃっているので、本当は自覚されているのでしょう。相手を変えよう(改善しよう)などと考えるのは自分勝手でありエゴなのです。ただ「欲は悪いものですか?」に書いた通り、人間にエゴがあるのは当たり前であり、エゴの存在が悪いのではなく、エゴの存在を前提に、エゴを愛によって乗り越えていくことが課題なのであり、それが魂の成長につながるということです。そしてそれが生まれてきた意味なのです。

友人を心配する気持ちは自然なものであり決して悪いことではないのですが、あなたが友人に「自分を取り戻して欲しい」というその「自分」というのは、あなたの勝手なイメージに過ぎません。その友人は普通に生活できていて、自分がおかしいとも思っておらず、あなたに改善して欲しいなどとも望んでいないはずです。それなのに勝手に病気・妄想だと決めつられて「過去に引き戻そう・改善しよう」などと試られたら、反発されるのは必至です。

出会いというのはすべからく自分という主人公の成長のために与えられているもので、自分が変わらず(成長せず)に相手の側を変えようとするとうまくいかないようにできているのです。相手には相手を主人公とするRPGのシナリオがあるのであり、他人に勝手にコントローラーを奪われそうになると無意識に反発してしまうように人間はできているのです。人は自分なりに失敗や試行錯誤も通じて自分でゲームを進めたいものなのであり、求めてもいないのに勝手に答えを教えられたくないのです。あなたの出す答えが真理とは限りませんし、むしろ真理に近ければ近いほど相手を逆にその真理から遠ざけてしまうのです。

いきなり正解を教えられるクイズ番組など面白いわけがないですからね。正解を見つけるまでの過程(失敗と試行錯誤)の中に人生という物語・芸術があるのです。真理に価値があるのではなく、自分だけの答えを見つける過程・経験に価値があるのです。それがなければ真理とは概念に過ぎません。

反省してはいけない」にも書いた通り、人の心はとても天邪鬼にできています。人が悪い行動を繰り返すのは、それを悪いと知らないからではないのです。幼い頃から他者比較に晒されて自信がなくて自己イメージが低くなり、それに応じて行動のレベルが下がり、それを自他ともに責めることで自己イメージが更に下がり、悪い思考や行動がやめられなくなり、更に悪い出来事を引き寄せるという悪循環に陥っているのです。

だからあなたが相手の悪い所を指摘したり、改善策を教えたところで、逆に相手の自己イメージを下げてしまって悪循環に陥らせるだけです。「指摘せず気づかせる」「教えず導く」「自らの学びとする」がメシア流救世三原則です。(あなたも主人公=メシアです)

さて、その友人に写し出されたあなたのカルマはなんでしょうか?それは本来自分で考えるべきことです。僕はあなたにもその友人にも会ったことがないのでわかりません。だからこれから書くことはあくまで僕の経験則による想像に過ぎないのですが、ヒントになれば幸いです。

まず少年時代からの親友がビジネスパートナーでもあるっていうのは、あまり良くないことなのです。基本的に友情も含め愛というのは無償が基本なのであり、ビジネスでは損得勘定が発生するのが自明です。愛と金(エゴ)は磁石の両極のような関係で、エゴ同士はいつか反発するのが必然なのです。利害が完全に一致し続ける限りはくっついていられますが、いつかズレが生じて反発し合うのは時間の問題なのです。

古くからの友人を大切にすることは素晴らしい事なのですが、人間関係というのは基本的にどんどん広げていくべきものであり、環境の変化と共に自らの時間を多く捧げる友人というのは変わっていきます。

旧友というのはたまに会うだけでも、昨日までも会っていたかのように仲良くできるからこそ素晴らしいのです。そういう親友を自分の心の世界に何人住ませられるかが人生の価値でもあります。大人になっても歳をとっても同じ友人と頻繁に会い続けて、他の人間関係が広がって行かないことは良くない事なのです。

RPGで(地理的にも人間関係的にも)スタートの街に籠っていたら冒険は進まないので、ずっとそこに居ようとするとお尻を蹴られるような出来事が起こるものなのです。繰り返しますが、このRPG世界に偶然は存在しないのです。

あなたが旧友との関係に執着し過ぎているのは、人の好き嫌いが激しかったり自分に自信がなくて傷つきやす過ぎたりするために新たな人間関係を積極的に広げていけず、環境の変化を恐れているからではないでしょうか?そしてあなたは「教養がない」と見下している人と親友なのですから、正直に言ってあなたは自分より優れていて劣等感を感じる相手とは積極的に関わらない(出会い・成長を拒否している)人なのではないかという印象を僕は受けてしまいます。

世のほとんどの人がそうですから、傷ついて凹んで自己イメージを下げないで下さいね。そうすると前述のように思考・行動のレベルが下がる悪循環に陥りますから。自分の問題に気づいたら、直せばいいだけなのです。というか気づけば勝手に直っているものなのです。自分を守ろうとして自分の課題を自覚することから逃げないで下さいね。それ(自覚の拒否)をしているのがその友人なのですから、それを鏡として自らの学びとしなくてはいけません。創造主と主人公であるあなたの関係は一対一であり、他人(NPC)の思考や行動(常識)は一切言い訳には使えないのです。

誰でも自信満々になれる方法」は必ず読んで下さい。あなたの課題(カルマ)が何かがよくわかるはずです。みんなあなたの鏡なのですから、あなたが心を閉ざせば世界があなたに対して閉じてしまいます。あなたが例外なく無償で愛し抜く覚悟さえ持てば、人を恐れる必要など微塵もないのです。そうすれば世界があなたに開かれます。まるですべてがあなたのものであるかのように。だからただひたすらありのままを愛して下さい。

>「自分は巫病にかかっている」
>「シャーマンの素質がある」
>「八咫烏(秘密結社)の一員である」
>「日本は神の国で世界の中心である。富士山に守られている」

あなたがこれを妄想だと決めつけるような方なら、僕のことも統合失調症だと言いかねないでしょう。あなたが絶対だと思っているご自分の世界観・常識も、僕からすれば妄想に過ぎません。僕はこのご友人の発言内容だけから判断して、完全に妄想だと決めるつけることはできませんし、もし霊に言わされているのなら、あながち悪い霊とも思えません。もし僕の友人だったらどんな霊に言わされているのか興味を持つと思います。そして発言内容が事実であることを前提として一切否定せず真剣に話を聞くと思います。

一般的に統合失調症と言われるものは、ほぼ確実に被害妄想(いつもバカにされ笑われているのが聞こえる、常に誰かに狙われ嫌がらせをされている、いつも誰かに監視されている、など)を伴うものであり、あなたは友人が急に変わってしまったというだけで、統合失調症が何かも良く知らずに統合失調症による妄想であると勝手に決めつけるのは、僕はナンセンスだと思います。

ゲームにおいてクリエイターの意思(導き)というのは基本的に出会うNPCを通じて与えられるものであり、それを気に入らないからといって拒否していたら事故るか行き詰まるしかなくなります。出会う人とその発言・出来事の良し悪しを判断するのではなく、クリエイターがどういう意図を持ってそれと出会わせたのかを考えるべきなのです。

>根拠も教養もない友人Bの発言に悲しくなってしまいます

その友人は彼なりに自分のカルマ(課題)に取り組んでいるのですから、友人であるあなたにできることは、常に心からの笑顔で承認し「根拠も教養もない」などと否定せずにリスペクトを示しながら真剣に話を聞くだけです。そうするだけで相手の自尊心は上がり、今は行き詰まっていても気力を失わず、いつか自分なりに答えを出して自分だけのゲームを前に進めていくのです。

基本的に統合失調症状態になるのは、自己肯定感の低さ・自己嫌悪心と厭世観により、自分が自分であることに耐えがたくなって逃げたくなっていることが原因で、その隙をついて自我を少しずつ乗っ取られ、ある日突然会社の株価を半分取得されたかのように自分というものの経営権を奪われてしまうのです。もちろんある日突然に見えるのは他人目線であり、本当はそこに至るまで気づかない間に少しずつ主人格が主体者としての地位を奪われていたのです。そしてあなた自身も自覚がないだけで自我を少しずつ霊障に犯されているのです。だからお互いの自尊心がどうやったら上がるかを考えて日々実践することが大事なのです。

統合失調症状態の人に幻覚剤は厳禁ですし(より霊障に犯されやすくなります。だからこそ霊障は宿主に幻覚剤を求めさせます)日本では違法なのでやらない方が良いのは言うまでもないことです。でも友人の立場でそれを止めることは難しいでしょう。やりたいものはいくら他人がやるなと言ってもやります。本人が心からもうやりたくないと思えるようにならなければ、他人がやめるように強制したところで逆効果です。そもそも幻覚剤の多くはあなたが考えているような麻薬とは別物であり、僕自身も連日アヤワスカを飲んでいる人間なので、幻覚剤を悪いと決めつけたりはしません。

繰り返しますが、あなたは自分が主人公のRPGの世界を生きているのであり、それ以外の人は僕も含めて全員NPCです。その友人が霊障に犯されているのはその友人のカルマなのですが、あなたが出会った人のカルマはあなたのカルマでもあるのです。それはどこでどうつながっているかわからないのです。

鏡の法則」のページに「息子が学校でいつもいじめられていたのが、自分がずっと連絡をとっていなかった親に自分を生み育ててくれたことへの感謝を伝えたら、いじめがぱったりとなくなった」という実話のエピソードがあります。そのようにカルマ・因果というのはどこでどうつながっているか人間には知り得ないものなのです。だから出会った人のカルマを直接的に解決しようとするのではなく、あなたのカルマ(人生の課題・使命)が何かを考えて、ひとつひとつ乗り越えて行くことを考えて下さい。

それでは、あなたとご友人の人生の幸せを心から祈っています。

2022年10月29日土曜日

嫉妬・劣等感で苦しい

【質問】20代・男性
僕の周りには夢のために頑張っている人が少数ですがいます。彼らは音楽やビジネスなどで大成し、地位と名誉と富を得たい・認められたいという思いが強く、そのための努力を怠らないような人達です。僕からみると眩しく、自分なんかよりよほど輝いて充実しているように見えます。結果を残し始め、周りよりお金を持っていたりする人も中にはいます。当然彼らはビジネスや音楽の分野で素晴らしい功績を挙げて素晴らしいものを作っていたりします。僕はそういう友達や知り合い、もっと言えばメディアに登場する同世代、そういう人にとてもジェラスを感じます。

自分の好きなことや得意なことでお金を稼ぎ裕福な生活を送っている彼らと、好きなこともなく、朝から夜まで働いても固定給で刺激のない日々を過ごす自分というギャップに、「他人と比べるものではない」とわかっていてもどうしてもやるせない想いが溢れてきます。それを才能の違いと言って片付けられるほどまだ僕はそう言った人たちのようになりたいという思いを諦めきれていないのです。

家族や恋人など、お金を持ってるわけでも特別な才能があるわけでもない僕を愛してくれる人がいて、それでも僕は満たされません。

こうやって文字を打っていて気が付いたのですが、お金が欲しいわけではないのかもしれないです。自分らしい生き方、自分の輝ける生き方、そういうものに憧れているのかもしれません。こんな僕に少しでも生きやすくなるようなアドバイスをお願いします。

【回答】※10月30日更新
ご質問ありがとうございます。お気持ち、よくわかりますよ。僕も覚醒前はそうでしたから。というか、それを言うと惨めになるから誰も言わないだけで、世の殆どの人が本音ではあなたと同じように感じていて、それでも何とか自分を慰め誤魔化しながら生きているのではないかと思います。全知全能の創造主は、ちゃんと理由があって人生をそのように初期設定しているのであり、それはみんなが共通して乗り越えるべき課題なのです。

映画撮影において、与えられた役やシナリオに不平不満ばかり言って真剣にやらないような俳優に、監督がより良い役・より良いシナリオを用意してくれるなどということが在り得るでしょうか?そこは人生も同じなのです。

人生はまさに映画でありRPGです。そしてあなたという主人公だけに用意されたシナリオがあるのです。あなたのその「劣等感に苦しむ」という経験も、魂の成長に必要だから与えられているものなのです。最初から満たされているようでは誰も成長しませんし、物語にはなりえません。

まず、嫉妬する人間・劣等感を抱えている人間というのは確実に「人に序列をつける考え方」をしていて、他者評価に依存し、それを自覚もしていないことが問題(課題)なのです。「人の価値とは?」「誰でも自信満々になれる方法」の二つは必ず読んで下さいね。

多くの人は誰にでもある欠点や過ちを責め、存在に序列をつけて他人に嫉妬したり見下したりして「こういう人間は尊敬しない・感謝しない・愛さない」という判断を無意識にいつもしているから、それらすべての存在の源である創造主からの愛を受け取れず、他人から嫌われ、自分自身(人生)をも愛せなくなるのでしょう。嫉妬・劣等感に苦しむ人というのは、その自分と同じような人間に対しても「価値が低い」と判断して無意識に貶めていることに気づいていません。言わなければバレないと思っているのでしょうが、それは常に宇宙意思(全体意思)に筒抜けなのです。そしてそれは必ず態度にも表れ、相手に伝わっているものなのです。

今現在のあなたのような人は、例えどんな才能を与えられても、どんどん他人を見下すような嫌な人間になり、人に嫌われて不幸になり、能力が衰えればより落差の大きい劣等感に苦しむようになるだけです。現在成功しているように見える人たちも、もしエゴ(我欲や保身)・他者評価の為に努力しているようであれば、恐らくはそうなってしまうことでしょう。

あなたは才能があって努力もしていて早くから評価されている人間が必ず幸せだと思い込んでいるようですが、そういう人たちにはそういう人たちなりのシナリオがあり苦しみがあるのです。あなたはまだ聖書を読んではいないでしょうが、世の栄華を極めたサウル王でさえダビデへの嫉妬のために身を滅ぼしたのです。才能があって努力して成功して他者評価を得て裕福になれば必ず幸せになって誰にも嫉妬しなくなると考えるのは幻想です。

世界のすべては二元的に存在していますから、不幸を乗り越えずに感じられる幸せなどないのです。「なかなかやりたいことが見つからず劣等感に苦しむ」という経験も、あなたの成長に必要だから与えられているのです。

このすべてがプログラムされたRPGの世界に偶然など何一つなく、あなたと僕との出会いや、あなたの家族・恋人との出会いも含めて、あなたはすべからくベストな存在とベストなタイミングで出会っているのです。「世の中にはもっと素敵な人がいる」「自分には才能も運もない」などという感じで、与えられた才能や人・出来事との出会いに感謝の気持ちが薄いから、創造主からの愛が受け取りにくくなっているのでしょう。

創造主そんなあなたでも愛してくれる人に出会わせてくれているのに、あなたは心から尊敬し感謝し愛せないから満たされないのでしょう。それは出会いを与えてくれた創造主への最大の不敬なのです。大切なことは出会った人を自分が主役の人生の共演者として例外なく尊敬し、感謝し、愛することです。人・出来事との出会いに偶然はなく、すべて自分の魂の成長にとってベストなものが与えられているのですから、「どこかにもっと素敵な人がいるに違いない」などと考えて目の前の人・出来事を全力で愛さない人が、すべての存在の根源である創造主からの愛を受け取れるわけがなく、不幸に導かれるのは当然なのです。我々はそこに気づいて出会いに感謝して自発的に全力で目の前の人・出来事を愛するべきなのです。

そして「宇宙の仕組み」に書いた通り、あなたが「客観的世界」の中に生きているという思い込みを捨てなければいけません。ネットゲームでログインしている人が全員主人公であるが如くです。主人公であるあなた以外の人は、どれだけ有能で有名だろうと、あなたの世界の一部でありNPCのような存在です。NPCたち・同じ世界線にログインしている他のプレーヤーのゲームの進捗(どこまで進んでいるか、才能・権力・金・他者評価をどれだけ持っているかなど)はあなたに全く関係ないのです。あなたはあなただけに用意されたシナリオのRPGをただ思いっきり楽しめば良いのです。

あなた=あなたの認識世界です。才能がある人がいたら、あなたの世界の一部が素晴らしいということですから、その存在に心から感謝して愛することです。例えばあなたの好きな曲は創造主がそのアーティストというアバターを通じてあなたを喜ばせ元気づけるためにあなた個人に与えてくれたものなのです。アーティストの才能に嫉妬なんかしていたら、創造主からのせっかくのプレゼントが受け取れません。

どうかすべての存在をただありのままに愛してみて下さい。才能であれ性格であれ「このようでなければ愛せない」と自分に対しても他人に対しても愛情に条件をつけないことです。ただありのままを愛することができたなら、その存在はあなたの心に写し取られ、本当にあなた(=あなたの認識世界)の一部となるのです。この物理世界において何かを物理的・権利的に手に入れようとすれば、あなたの手にするわずかな固定給などではほとんど何も手に入らず苦しくなるだけでしょう。

この世界は夢の中と同じです。あなたは夢の中で夢であることに気づいたら、何かを得ようとか残そうとかするでしょうか?それは無意味であるとすぐにわかるでしょう。この現実世界は仮想現実世界であり、夢と全く同じなのです。実際次の旅には「魂の記憶」以外に何も持っていけませんからね。あなたが現実だと思っている世界はあなたが死ぬ時にきれいに消え、次の旅には何一つ持っていく事も残すこともできないのです。だからあなたの精神世界(=魂の記憶)を愛で満たして下さい。この世界をどれだけ愛せたか、どれだけあなたの精神世界を愛で満たせたかがあなたの人生の価値です。

あなたは「平々凡々で何の才能もない自分のことなど世の中の人は誰も気にしない」と思っているかも知れませんが、あなたの人生という映画を、創造主も諸神諸仏も楽しみに見ています。一秒たりとも止むことなく全てを、です。彼らが有名人・金持ち・権力者だけを見ていると思ったら大間違いです。必要のない存在など何一つこの世界に生じることはないのです。

「男はつらいよ」の渥美清さんは、映画の中ではしがない庶民「寅さん」の役であり、誰も彼に対し有名人に対するようなチヤホヤした態度は取りません。でも現実世界において渥美さんは超有名人であり、浅草などを歩こうものなら街がパニックになってしまってまともな生活などは営めなかったでしょう。あなたも同じであり、この現実という映画の中でしがない庶民役をやっているだけで、天界では超有名人なのです。諸神諸仏もあなたと同じように人として生きて劣等感に苦しんだ記憶があるわけで、きっとあなたに同情・共感して応援しながらあなたの人生を見守っていることでしょう。あなた自身も人間界での苦労を経験しているだけで、本当は神仏と同じ存在なのです。未来のメシアであり菩薩なのです。

あなたはまだ自分の存在の尊さに気づかず、自分など大した存在ではないと思って、世界を救うなどということは考えもしないのでしょう。しかし世界を救うのに有名人・金持ち・権力者になる必要はありません。あなた=世界であり、あなたの肉体(アバター)が一体で世界を救うのではないのです。あなたが目の前の人を愛し、救い、それを連鎖させるだけで良いのです。あなたがたった二人の人間を無償で救ったなら、その二人もきっと無償で二人の人間を救う事でしょう。それがたった50連鎖するだけで1000兆という途方もない数字になります。連鎖反応というのはそのように指数関数的に広がっていくもので、最初はひどくゆっくりに見えても末にはとんでもないペースで進んでいくものなのです。

どうか有名人・金持ち・権力者になること(他人に評価されること)を目指さないで下さい。それは多くの日本人が陥っている病理「他者評価依存」であり、他人に評価されなければ自分を評価できないようでは常に他者評価に振り回されて結局は嫉妬・劣等感に陥り、幸せになどなりようがないのです。

「どれだけ世間的に無名だろうと、全知全能たる創造主はそのすべてを見通し、誰が世界を救っているのかを知り給う」
創造主があなたに譲渡した「自分を評価する」という最大の権限を易々と他人に譲ることなかれ。

とにかくエゴ(我欲と保身)を動機にやりたいことを見つけようとしないことです。そんなことをするからあなたは本気でやりたいことが見つからず、貧困・孤独などを恐れて保身に走り、やりたくもないことの我慢代を貰う為に時間という素材を空費するような人生になっているのでしょう。

そんなあなたでも愛してくれる存在を与えてくれている創造主が、あなたをどれだけ愛しどれだけ成長を期待しているかわかるでしょうか?そしてその価値を感じられず満たされないなどという事がどれだけ愚かなことか、失ってみて取り返しのつかない後悔をする前にわかって下さいね。

与えられているものの価値に気づかず感謝できない人間に創造主はもっと与えたいとは思わないのです。そして与えられたものの価値に気づかず感謝できない人間は、既に与えられたものまではぎ取られ続け、失う事でその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのです。だから自分に与えられた配役やシナリオに対して決して不平不満を言わず、常に自分の魂の成長にベストなものが与えられていると信じて感謝して下さい。

この人生というRPGは愛と勇気を試すためのものですから、思考・行動の選択において、より愛と勇気が必要な方が最終的には必ず正解です。エゴ(我欲と保身)による選択が最終的に正解であるなどという主人公のRPGや映画を見たことがありますか?世界を救わないRPGなんて何も面白くありません。自分と創造主の関係性は常に一対一であり、他人(世間)=NPCの思考・行動は一切言い訳には使えないのです。

どうかすべての存在を愛し、世界を救う覚悟を持って下さい。あなたの夢やそのための才能は、世界を救おうという覚悟に付随して与えられるものです。

あなたはまだ20歳という若さで「自分には何の才能もない」などと思い込んで自分を蔑み、それを好きでも得意でもない仕事をして生きる言い訳にして、もう人生を諦めようとしているのでしょう。一日の大半を全然やりたくない仕事に空費していたら、人生の大半がやりたくないことに満たされることになります。ただエゴ(我欲と保身)のためにやりたくないことを我慢してやっていたら、やりたいことなど見つかりませんし、あなたの中に例えどんな才能が眠っていても見つかることも伸びることもありませんし、成長などしようがありません。そしてそんな人生で人が、存在することに心から感謝して幸せになれるはずがありません。

退路を確保するために人生を使っていたら、退路を断って前に進んでいる勇者たちに太刀打ちできるわけがないでしょう。それで彼らへの嫉妬・劣等感から逃げ続けていつか追い詰められるような人生が楽しいわけがありません。あなたの「少しでも生きやすくなるように=少しでも楽に生きられるように」という発想が既に逃げなのです。エゴ(我欲と保身)を乗り越えるためには=世界を救うためには、自分を放り投げるほどの勇気がいるのです。それが簡単でないのは当たり前です。人生は愛と勇気を試すためのRPGなのですから。最初から何も恐れない人の勇気に何の価値もありません。臆病なあなたが振り絞る一握りの勇気にこそ価値があるのです。

自分の人生をよくよく振り返ってみて下さい。あなたが人を笑顔にして嬉しくなった経験はどんなものですか?例えば料理や清掃や介護やイベントの企画運営など、それが無償のボランティアで一円にもならず、どんなにあなたや他の誰かからつまらなく見えたとしても、それがあなたの才能なのです。他人と比べたりすることなく、最初は全くお金が儲からなくて家族や生活保護を頼ることになっても、人を笑顔にする才能を伸ばすことに一日を使って下さい。お金は必ず後からついてきます。部活だって中学高校で6年もやっていたら、それをやっていない人達とは雲泥の差ができるでしょう。人を喜ばせるために10年20年努力してお金を稼げないレベルで終わるわけがありません。そして創造主の分身たる人々を笑顔にすることに全力を注いでいる人間が創造主から見放されるわけがありません。

実際僕はいつも人を笑顔にするために生きて自分も笑顔になっているため、働かなくても何の不安もなく幸せに生きています。才能もどんどん与えられて開花しています。たった3年でです。まだお金など全然稼げていませんし稼ごうともしていませんが、人を幸せにする人生ほど幸せなものはありません。

最初からものすごく興味が出てものすごくやる気になってからでないと行動できない、というのでは何もできません。何かの才能なんかより「ちょっと興味が出た程度のことでも全力で突っ込んでいける勇気」の方が大事です。年齢は関係ないですが、特に若い人には大事なことかと思います。それによってあなたの人生はとてつもなく面白いものになるよう導かれていく事でしょう。それは早くから才能に目覚めて簡単にやるべき事に導かれた人達の人生よりずっと面白いはずです。

お金がないことで人から見下されてみじめな思いをするのではないかと臆病になっているようでは何もできません。RPGの主人公なのに世界を救おうともせず、やりたくないことの奴隷になっている脇役NPCでは、上位次元の存在達があなたというキャラクターをプレイしたいとは思わないのです。

人生はしょせん仮想現実のRPGです。他者評価も貧困も死も何も恐れるに足りません。全ての存在を愛し愛されていれば、すべての存在の源たる創造主がみんなを通じて助けてくれます。やりたくないことに人生を使って才能ある人たちに嫉妬して劣等感に苛まれ、自分や他人を愛せず、「自分の精神世界を愛で満たせない事」をこそ恐れて下さい。精神世界だけが次の旅に持ち越されるものなのですから。

何より信心を持って下さいね。すべての存在・事象の源である創造主を愛し、その使いである神々と人々を愛することです。全知全能の創造主に対して僕らができることは、ただただ全ての存在(出会い)に感謝し、創造主の分身(欠点も過ちもある神々と人々)を愛し、無償で奉仕することだけなのです。

社会的成功(他者評価・お金)によって人は決して幸せにはなりません。人生というのは魂の自発的成長のために与えられているもので、真理(=愛)を覚ってそれを世界に連鎖させていく以外の方法で幸せにはなれない仕組みになっています。

まぁ20歳の時の自分にこんなことを言っても伝わる気が全くしないのですが、何とか伝わってあなたとあなたの周囲の方々の人生が幸せなものになることを心から祈っています。

2022年10月27日木曜日

どんな神仏を信じればいい?

【質問】
「信仰を持つことが大事で、信じられる神様を見つけるべき」とのことですが、仏様でもいいでしょうか?

自分は不動明王様が昔から初詣で参拝していて、ご縁があるように感じました。炎や剣で恐れやエゴを焼き尽くす、荒療治ですがみんなを救おうとするのがかっこいいと感じました。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

様々な神仏を信仰し、ベースは仏教徒(法華経信仰)である僕が「神様がOKで仏様はダメ」なんて言うわけないでしょう・・・。これからは「神仏」と言うようにします。

自分に縁が近いと感じる神仏から信じれば良いと思います。そう言う僕の真意は、まずは信仰によって具体的な功徳を経験して信心を深めてもらいたいのと、そこを入り口に様々な神仏についてたくさん学んでいってもらいたいということです。

不動明王は日本で多くの信仰を集めるとても力の強い神様です。力のない神仏が多くの信仰を集めるということは基本的にあり得ません。宗教(人間が運営するため腐敗が必然)を信じるのではなく、宗教を通じて神仏について学ぶことが大事です。

不動明王を入り口に、仏教について学んでみて下さいね。不動明王を特に重んじているのは真言宗ですから、本佛である大日如来を始め、そこで祀られている様々な神仏について学び、真言を唱えるなど様式を学んで日々実践してみて下さい。

個人的には浄霊の際に不動明王真言を使うことがあります。特に極悪でしつこい低級霊を成仏させるには有効で、きっと霊障多くカルマの深い(大きな困難から大きな成長を期待されている)あなたに縁の近い存在なのだと思います。エゴを乗り越えて愛(真理)に生きて欲しいという創造主の願いでしょう。

本当はすべて創造主の化身なのですから、万教同根なのは当然であり、どんな神仏を信じようと本質的には同じ事です。一神教と多神教は矛盾しません。

本当は全ての神仏がすべての人にフラクタルに存在しているのであり(三千大千世界)、違いは縁が近いかどうか、心の世界のその存在を心から信じて呼び覚ましてその加護が得られるかどうかです。

2022年10月12日水曜日

精神病・精神医学について

【質問】20代・女性
現在以下のような状況になっています。

・予定が入っても遂行できない。
・昼間起きていられず、外に出られない。 
・衝動を抑えられない(過食、暴力)。 
・自転車乗っている時など考え事に集中してしまってぶつかりそうになる
・何事も続かず、ずっと横になってしまっている。
・眠れないことがよくある。
・よく眠れた時でも日中どうしようもなく眠くなって寝てしまい、夜寝つけずそのまま昼夜逆転し、自律神経も乱れていく、という流れが多い。

などの悩みから、メンタルクリニックへの受診、投薬を検討しておりましたが、真也さんはメンタルクリニック(精神医学)についてどのような見解をお持ちでしょうか。

【回答】2025年10月10日更新
ご質問ありがとうございます。

<鬱について>
あなたが挙げた症状は鬱の症状の典型だと思います。僕もかつてはほぼ同じ状況だったのでよくわかります。それはあなたが悪いわけでも、家族や他の人が悪いわけでもありませんから、自分も他人も責めないで下さいね。答えはいつでも「自分も誰も悪くないけど、自分が何とかしなければどうにもならない」です。

鬱というのは、人生という魂成長プログラムにおいて、悟り(真の幸せ)へ至るために必要な過程であって、程度の差こそあれ誰しもが経験するものなのです。不幸を経験せずに幸福は感じることができませんし、ただただ幸福で不幸がないような人生では成長しようという動機も生まれません。より大きな不幸は、より大きな幸せを感じるため・より大きな成長を期待されて与えられているものなのです。

人生という魂成長の経験機会が与えられていることに感謝できず、己のカルマの重さから被害者意識に陥って我が身の不幸を嘆いてばかりの人は多いと思いますが、それは成長に反するベクトルであり、より不幸に導かれるのが必然なのです。それは運命への呪いに書いた通りです。

世界の本質はワンネスであり、僕らは分離意識によって同一人物が違う役を演じているだけのようなものなのです。そして僕らの脳というのは自分という個体が損をしても得をしても全体利益に適わず、深い部分で自分を嫌いになり、ダメージを受けて鬱になるようにできています。だから損得勘定で生きること自体が鬱の直接的な原因であり、それが不幸の元凶なのです。

しかし人間は「得をした」と感じる時には快楽物質が出るために、そのダメージに気づけないようになっているのです。そして今の資本主義社会においては、エゴのために損得勘定で生きることがあまりにも当たり前になっていて、気づかない間に鬱になっているエゴジャンキーばかりになってしまっているのです(それが我々に共通した人生というRPGの初期設定であり、それを乗り越えて愛を発揮していくという成長課題があるのです)。


鬱というのは基本的に「エゴへの埋没➡自己嫌悪」を原因としており、それが自信のなさ・自尊心の低さ・強い罪悪感と羞恥心と繋がって慢性化し、心がグレて生きる気力を無くしている状態なんですね。そうなると他人のことを考える余裕がなくなって(心に愛をなくして)自分自身も他人も世の中もみんな嫌いになって、仕事でもプライベートでも人間関係が上手くいかなくなり、どんどんエゴに埋没して自分を嫌い人生がイヤになる悪循環に陥ってしまうのです。

鬱の人は何か問題がある度に「これは自分が生まれつき(あるいは親・環境・不運な出来事などのせいで)ダメだからダメなのだろう=努力してもムダだ」と結論付けることで気持ちに整理をつけ、まるで自分ならどれだけイジメてもOKであるかのように自分をイジメまくっているものなんですね。総じて人生の問題というのは「(自他への)愛の不足」が原因であり、逆に言えば全ての問題の解決策は「愛」なのだと思います。

鬱の症状というのは「自分の考え方に歪みがあり、自他に対して愛が足りずエゴに埋没していること」を脳が教えてくれているのであり、自発的に魂の成長を促すための「脳の正常反応」なのです。だから鬱というのは考え方の歪みを治して魂的に成長し、エゴを乗り越えて愛に生きるようにならない限り、決して乗り越えることはできないものなのです。

<現代の精神医学について>
ところが現代医療は鬱の症状を「脳の異常」だと考え、薬などの科学的な手段によって症状(結果)の方を物理的に無理やり抑え込んでねじ伏せようとします。現代の精神医学はそのように事後対処的であり、精神というものを物質的に捉え、精神病による脳機能障害を結果ではなく原因と捉えているため、現代医学が精神病を治すことは不可能なのです。鬱になる原因になっている「個々人の人生の問題・考え方の歪み・愛の不足」の解決(魂の成長)に対して精神医学側が踏み込むわけありませんからね。

もちろん統合失調症や精神錯乱など症状が急性かつ重篤な場合には、現代精神医学の対処療法が必要な場合もあり、症状を緩和させている間に自然と快方に向かうこともあるでしょう。しかし薬物などによる対処療法に依存し続けさせていれば、「脳の正常反応」を妨害して魂的な成長経験機会を奪ってしまい、逆に根治を遅らせて余計に悪化させてしまうことになると思います。

あなたがもし休みが必要な精神状態なら、仕事で休暇を貰うにしても退職して生活保護を受けるにしても、精神科医に診断書を書いて貰う必要があるわけですが、僕は精神の問題に対する薬物治療には否定的な立場です。

精神病を「雨漏り」に例えれば、現代医学はバケツ(薬)で対処するのみです。そして雨が止んだら「ホラ、私のお陰で治ったでしょ?」って感じで患者をバケツ(薬)に依存させますが、実際は見えないところでどんどん原因が悪化して、また雨が降ったらより多くのバケツが必要になり、バケツ屋(製薬会社と精神科医)が儲け続けるだけです。


上記の動画を見ていただいたら「精神医療業界の本質」がどういうものなのかがよくわかるかと思います。

精神薬の開発において、治験なんてまともには行われていないのです。もしあなたが治験のバイトに登録しても、精神薬の治験なんてまず募集はないでしょう。精神薬は実際の患者をモルモットにして治験し、しかも半年という短期ですぐに認可が下りるので、高いコストをかけて治験を募集する必要がないのです。

そして一度認可された後は余程大きな副作用が多数報告されて因果関係が証明されなければ差し止めにはなりません。アメリカの銃乱射事件など猟奇的・破滅的な事件の犯人の多くも事件前に精神科で投薬治療を受けていてその因果関係が強く疑われていますが(特にSSRI)、投与されていた薬が販売停止・回収になったという話は聞きません。

精神薬と事件との因果関係の立証は困難ですし、例え立証されたとしても、せいぜいその対象の薬だけが注意の対象になるだけで、投薬治療全体が見直されるということはありえず、危険な薬を開発・販売した製薬会社も・認可した国も・処方した精神科医も一切責任は負わされません。政官民が利権でつながるのは現代の価値観・社会システム上の必然なのです。


世間的には精神病に対する投薬治療が科学的なものだと思われているのでしょうが、精神科で科学的な検査が行われていると思いますか?血液検査や脳波検査や脳内物質のPET検査やX線やMRIによる検査など、精神科では科学的な検査を一切やってません。まず機材さえ置いてないでしょう。


ただ単にどこかの研究者の「もっともらしい説明」を妄信し、精神科医がマニュアルを元にして経験則で問診して科学的な検査などは全く行わず、精神科医の匙加減一つで適当に薬を出し、効果が全くなかったり副作用が強く出れば薬を変え、症状が抑えられるまで次々に色んな薬を投薬するのみです。だから投薬治療というのはほとんど対処療法にすらなり得ておらず、精神医学業界というのは科学を装ったカルトの世界なのです。


製薬会社と精神科医にとって、とりあえず患者の目前の症状(気分)さえ誤魔化すことができたら儲けられるんですから、実際その後のことなどどうでもいいんです。余程ひどい過失がなければ責任を負わされることもありませんからね。むしろ患者が根治してしまったら儲かりませんから、製薬会社も精神科医も(少なくとも立場上は)患者の根治など望んではおらず、依存を続けたまま症状が良くなったり悪くなったりを繰り返してくれるのが一番良いのです。それで製薬会社の人も精神科医たちも収入・社会的地位・自尊心を保つことができるのですから。

患者の側も「自分の精神病は脳機能障害である」と考えれば「自分のせいではない」「薬で脳の機能障害さえ治れば問題は解決する」と救われた気持ちになります。しかしそれによって易々と薬に逃避・依存するようになり、「苦しい思いをしながら自分自身と向き合い、カルマ(課題)を乗り越えて魂を成長させよう」などとは絶対に考えなくなります。現代精神医学に頼ること自体が魂の成長とは逆のベクトルにあるのですから、カルマ(課題)が悪化するのは必然なんです。


人間誰しも個性があってどこか未熟ですから、とことん適用範囲を広げれば精神を病んでない人などいません。だからちょっとでも性格に難点があれば誰でも精神病と診断されかねないのです。例えばADHDとか発達障害なんていうものは、本来は人それぞれに与えられた個性(特性)であり、成長課題なのです。魂の成長というのは人によって進捗の差が激しく人それぞれなのに、より多くの人を病人扱いして養分にしたい製薬会社・精神科医と、自分のカルマを他人のせいにして逃避したい本人やその家族たちのニーズが見事にマッチして、人々がどんどん薬漬けにされて何も良くならないまま養分にされ続けているのが現状です。


断言しますが、精神薬で精神病は治せません。精神病というのはあくまでも魂の成長を促すための「脳の正常反応」であり、「人生の課題を乗り越えて成長しようとすることなく、雪だるま式にカルマ(霊障)を蓄積すること」によって悪化するものだからです。人生というのは成長を経験するために与えられているものであり、精神病というのは魂の成長(カルマの解消)を怠ったが故に陥るものなのです。それなのに「薬によって症状(気分)だけを胡麻化すこと(成長拒否)」によって精神病が根治するなどということはありえないのです。


本質的に精神薬は麻薬と一緒なのです。依存性があり離脱症状(禁断症状)が大きいのです。だから患者が「もう十分良くなった」「副作用の害の方が大きい」と自分で判断して急に断薬しようものなら、反動が大きく出て自殺したりするのです。この事実は断薬を求める患者や意見者たちを封殺するのに役立ち、製薬会社・精神科側は合法的に患者を薬物中毒にして自らの養分にしているのです。



<精神科医のカルマ>
精神科医の多くは、きっと「精神について学んで自分が救われたい、そして自分が救われたら精神を病んでいる他の人達を救うために生きたい」という純粋な気持ちで精神医学を志すのだと思います。しかし現代精神医学では自分自身も患者も全く救われず、根治できないことを知りながらその場凌ぎのために投薬し、根治(魂的成長)を遅らせて中毒に陥れて悪化させているのです。そして心の弱さゆえに自身の貧困と自尊心の崩壊を恐れ、生きていくためにはそうやってお金を稼ぎ続けざるを得ないと思い込まされ、結果的には苦しんでいる人を養分にする悪魔の僕(しもべ)となり果てているのです。精神科医っていうのはカルマの深い仕事だなと思います。それは人生という悪魔・霊障との精神的(霊的)戦いにおいて、神仏・真理を信仰せず、科学・資本主義に頼り魂的成長を怠ったことで深めたカルマです。


プライベートで精神科医を何人か知っていますが、みんな一様に病んでいます(僕の勝手な判断ではなく、本人が自覚しています)。自分の職能によって患者も自分自身も救えていないのですから無理もありません。でもそれがバレたら商売にならない(収入も社会的地位も自尊心も保てない)ので、己の病んだ心を隠しながら、いつも健常者であるように装わざるを得ず、知識(本質からズレた方法論)ばかりを必死に仕入れ、それによって病気が良くなるかのように宣伝し、患者を募ることばかり上手になっているだけなのです。それを「患者に希望を持たせる」という建前によって自己正当化しながら。


良心的な精神科医ほど当然患者に同情的になるわけで、毎日のように患者からネガティブな思念を受け取ることで病んでしまうのでしょう。それで多くの精神科医は患者に心から同情する余裕など失くしていて、何とか患者に引きずられないよう、職業・商売として切り離して考え、ただマニュアル通りに問診して薬を出すだけの冷酷な自動販売機みたいになりがちなのです。それで患者は「わかってもらえない」と次々に病院を変えるわけですが、精神科医もほとんど「話をする・聞くのがうまいかそうでないか」の違いだけで、大概の精神科医というのは投薬する以外に治療手段を持っていないのです。


精神科医でも信心があって宗教やスピリチュアルなことに詳しく、霊的知識と研鑽を積んでいて、親身になって患者の相談に乗って良い方向に導ける人もいるのでしょうけども(そういう方々のご活躍に個人的に期待しています)、大半は信心も霊的知識・研鑽もなく、現代医学的な考えで精神を扱い、宗教・スピリチュアルなことには疎く、自覚のない間に自分自身と患者お互いのカルマを増幅し悪化させているのです。それゆえ精神科医の自殺率というのは非常に高く、霊障が原因で他人まで巻き込んで大きな事件に発展するケースも多々あり、「すすきのホテル殺人事件」などはその氷山の一角に過ぎません。


自分自身も家族も救えない現代精神医学で患者が救えるでしょうか?現代科学は「意識とは何か?」ということすら皆目わかっていないのに。もし精神医学が本当に精神病患者を救えるのなら、統計的に精神病患者は減っていくはずですが、精神病患者の数も精神科医の数も精神薬の売り上げも右肩上がりに増え続けていて巨大産業になり、一向に減少傾向が見えないのです。

精神科医になる人も製薬会社で働く人もきっとカルマが深いのだと僕は思います。みんな本当は人を救いたくて努力してその業界に入ったのでしょう。しかし現場での「利益至上主義」という悪魔に支配され、利益のためなら有害な薬をバラまくことも平気になり、せっせとカルマを積むことになってしまっているのしょう。資本主義はお金を(合法的に)儲けるのが正義なのですから、現代の価値観・社会システムを変えない限り何も変わらないのです。誰か個人や特定の会社を責めても全く意味がありません。


<精神病について人類が知るべきこと>

大原則:世の中の全ての問題は究極「愛の不足」が原因であり、逆に言えば全ての問題の解決策は「愛」であるということ。それはもちろん精神病という問題も例外ではないということ。

1.精神病は魂の成長を促す脳の正常反応であり、それは霊障(精神的・霊的穢れ)という形で表れ、
カルマの解消(魂の成長)の拒否することで蓄積し、重篤化していくものであるということ。

2.霊障(精神的・霊的な穢れ)はカルマ(成長課題)を構成するものであり、誰にでも例外なく与えられているということ。(広義では病んでいない人はいない)

3.カルマは成長経験のために乗り越えるべき課題であり、人それぞれにアレンジされた人生のシナリオ・伏線であるということ。(不幸・絶望を経験せずに本当の幸せは感じられないし、本当の愛(慈悲)は育くまれない)

4.カルマは自発的な信心と、自発的な成長を促すためのものである。(成長は自発的でなければ意味がない・医者や誰かに依存して成長はない)

5.霊障に犯されると誰でもエゴに埋没して自己嫌悪状態・鬱状態になり、放っておくと症状は悪化する。(逆にエゴを乗り越え愛に昇華する実践修行の日々を送っていれば自然と良くなる)

人生はまさにオンラインRPGのような仕組みなんですね。体の病はアバター(肉体)側の病であり、精神の病はプレイヤー(意識)側の病であり、精神的=霊的な病なのです。肉体側への薬物治療では治りようがなく、対話や経験を通じてプレイヤーの心に訴えかけるしかないのです。

キリストが「人の中から出て来るものが、人を汚すのである」と言った通り、霊障(精神的・霊的穢れ)というのは自らが生んでいる穢れなのです。その穢れの蓄積によって精神病は起こるのであって、精神科に通って精神薬などで一時的に症状を緩和させても決して根治はせず、薬の依存症になってその副作用で状況をむしろ悪化させてしまうのです。霊障がカルマを構成しているのであり、精神病は成長のプロセスであり、乗り越えるべき課題なのだということをどうか理解して下さい。

自発的に信心を強くし、日々霊障(穢れ)を祓い、自分自身と向き合って課題を克服して魂を成長させない限り精神病は決して解決することはありません。もし僕を信じて下さるのなら、精神科には行かないで下さいね。僕自身も長年通いましたが、ただ悪化するのみでした。精神病が完全に治ったのは、覚りを得てその通りに実践する日々を送るようになってからです。※現在働けないほど重篤で生活保護が必要なら精神科に診断してもらうのは必要悪であり、障碍者手帳が必要なレベルなら通院は不可避です。

「精神病とは霊障である」という点については憑依現象(霊障)についてに書きました。霊(≒精神)というものは現代科学で存在が証明されていないというだけで、すこぶる科学的なものなのです(システマティックであり、条件から結果を・結果から原因を推測し得るという意味で)。


そこに書いた通り、「自分」というものが最初からあると思わず、いかなる気分の時でも続ける良い習慣を持って気分に流されず、いかなる時も自分との約束を守り、大好きな「自分」を芸術作品のように日々作り上げていくことが大事です。そして信心を持ち、日々霊的穢れを祓い続けることです。いつも心を善意で満たし、良くない思考・行動に支配されないようにして、常に心の波動を高つことが大事です。

しかし「精神病とは霊障である」というと拒否反応を示し、何もわかってないクセにムキになって否定してくる人が結構います。恐らく霊というものを幽霊のようなおどろおどろしい・非科学的で怪しいものだとイメージして、恐ろしさゆえに存在ごと否定したくなるのでしょう。実際そういうイメージを悪用して脅して暴利を貪ろうとする宗教・スピの詐欺師が世の中には多いのですから無理もありません。ただ僕は怖がらせようとしているのではなく安心させようとしているのであって、脅しによって儲けようとしているのではないんですけどね。まずは悪い思考や行動が霊障によりもたらされている」ということに気づき、自分と他人を責めるのを同時にやめて許し愛せるようになっていくことが大事です。

バイオハザードでゾンビが出てくるのはプレイヤー(主人公)の自分が悪いからではありません。それはゲームのシナリオ・初期設定・課題なのであり、ゾンビの存在を否定したり、ゾンビウイルスを作ったアンブレラ社やゲームそのものを作ったカプコンを責めてもゲームは前に進みません。精神病(霊障)もそれと同じで、誰のことも責めることなく、日々粛々と自分の課題として乗り越え続け、成長し続けていかなくてはならないのです。


「霊とは何か?」については浄霊の効果を高めるには?に概要を書きました。これを読めば、霊的な穢れを祓うには自発的に信心を強くし、エゴを乗り越えて魂を成長させ続けなければならないということが理解できるかと思います。


「精神病が霊障である」と信じることは、必然的に神仏を信じることにもつながります。しかし精神を病んでいる人というのは自分の思考・行動に罪悪感を感じているため、裁かれるのを恐れて神を信じようとしないのです。許していないのは神ではなく自分自身なのだということに気づかなければなりません。今あなたが自分の性格だと思っているものは霊障がもたらしているものであり、あなた本来の性格ではありません。克服すべき課題であり成長過程なので、今現在の性格に罪悪感や劣等感を持つ必要はありません。

霊障には人を不幸に導くことで「何が間違っているのか(愛の不足)」に、経験を通して自ら気づかせるという役割があります。霊障に犯されると誰でもエゴまみれになり、ネガティブな自分のものの見方を絶対的なものと思って疑うことすらなくなり、傷つくことを恐れて人を恐れ、人を嫌い人に嫌われて孤独になり、自分自身を嫌いになり、どんどん不幸へと導かれます。幸福になる道とは真逆の思考・行動になるので、「どうすれば幸福になれるのか?」は、精神病の人を逆説的に見ていると、とてもわかりやすいのです。

「霊障とはカルマであり、それは魂の成長のために与えられた課題・シナリオである」という点については悪いカルマの解消法に書きました。自分が主人公であることに気づき、絶対に他人と自分を比べないことです。「なんで自分だけこんな・・・」などと自分の境遇を恨んで被害者意識に陥っていたら精神病は絶対に良くなりません。どんな苦難も自分の魂の成長のために与えられた課題だと理解して、感謝しながら受け取って下さい。創造主は僕らの統合意思でもあり、僕らと全く同じように、与えられたものに感謝できない人間にもっと良いものを与えたいとは思わないのです。


そして精神病は基本的に自他に対する尊敬(愛)不足の病気であり、自他に対する尊敬(愛)を回復できれば自然と治ります。誰でも自信満々になれる方法は必ず読んで下さい。これは本当に万能の解決策であり、能力は一切関係なく、覚悟さえあれば誰にでもできることです。出会った人を例外なく無条件で許し、尊敬し、感謝し、愛することができるようになっていけば、自尊心を回復して精神病は治るのです。これは経験上の確信があります。


どうかこの回答によって自分を責めて自尊心を下げないで下さいね。自尊心が下がると「どうせ自分なんて」という感じで思考も行動も悪化する悪循環に陥りますから。それは反省してはいけないに書いた通りです。楽器の演奏と同じで、最初どれだけできなかろうと毎日ちょっとずつでも心がけて続けていれば必ず上達するのです。それを「自分には生まれつき才能がない」などと言っていたらいつまでも上達することはありません。


どれだけしがない庶民の役を演じていても、あなたが物語の主人公なのですから、自分を他人とは一切比べず、自尊心アゲアゲで行きましょう。

「愛」という言葉は恋愛や家族愛に限定して捉えられがちで、異性や家族に愛されないとまるで自分の愛には価値がないかのように思ってしまいがちですが、それは違います。世界中の神々ですらあなたの愛を欲しがるのです。存在の尊さに気づいて下さいね。創造主(全存在)はあなたの愛が必要だからこそあなたを創り、あなたに人生=世界を与えたのです。出会いを大切にして、一人ひとり・一つ一つを愛せるようになり、自分自身を愛せるようになれば、創造主(全存在)から愛されるようになり、精神病は治り、きっと幸せになるに違いありません。


もし僕の文章を読んで理解できないほど重度の精神病の方や知的障害の方であれば話は別ですが、あなたはきっとそうではないのですから、読んで理解して実践すればいつか必ず治ることを創造主の代理として僕が保証します。

それではあなたのさとり(魂の成長・幸せ)を心から祈っています。



2022年10月10日月曜日

過食をやめるには?

【質問】20代女性

過食がやめられません。どうしたらやめられるでしょうか。

一年ほど前、過度な労働が続き食べる時間がなく体重が減り、労働に耐えられず仕事をやめたときから過食癖がつきました。20kg増えたり10kg痩せたりを繰り返していますが、ここ2ヶ月毎日過食衝動に負け、自分では止められなさそうな気がしています。

一日最低でも3000kcalほど、ひどいときは6000くらい食べています。ジャンクフードやお菓子、カップ麺などが主です。

原因は、体型や体型への世間の評価に過敏になっていることが主だと思います。また、シュガーハイを求めている意識もあります。唯一の依存先を過食にしている意識もあります。

精神病等の診断はされていませんが、本能を抑え続けるのは神への冒涜なんじゃないか、怒られるのではないか、罰せられるのではないかという不安恐怖があります。実際、お腹は減っていないのにもかかわらず過食衝動が抑えられない、少しでも胃にスペースが空いたら何かを詰め込まなければという強迫観念からくる過食衝動がほとんどなので、本能は関係ないと思います。

現在実家に居させてもらっておりますが、皆揚げ物や油もの、ジャンクフードをよく食べるので禁欲が続いていても目についたもの、出してもらったものがトリガーとなって過食衝動に負けてしまうことがよくあります。家族は私が過食をやめたいこと、過食してしまっていることを知っておりその姿勢にはとても感謝しておりますが…。

よろしくお願い致します。

【回答】※10月12日更新
ご質問ありがとうございます。

まず、現代社会において過食になってしまうことはごくごく普通の事であり、程度の差こそあれみんな必要以上には食べています。

現代は資本主義の末期にあり、よりたくさんのものを売るために、現代の食品には満腹中枢(本能)を狂わせ、過度に食欲を刺激する物質が大量に含まれているのです。その上あらゆる媒体から常に食に関する広告を見せられているのですから、食欲を我慢できなくなるのが普通であり、そこに罪悪感を感じる必要は一切ありません。

満腹中枢を狂わせる化学物質の代表例は精製糖と化学調味料ですね。あなたがよく食べるジャンクフードやお菓子やインスタント食品にはそれが大量に含まれているので、満腹中枢(本能)が狂わされるのは当然なのです。

野生の猿は別に忍耐力が高い訳ではないのに、満腹中枢が正常に働くので決して肥満にはなりません。しかし人間の食べ物を与えるとあっという間に肥満になってしまうのです。


僕自身も一時期1日1万キロカロリーぐらい食べていて、体重もMAX95kgありましたからね。(現在72kg体脂肪率12%)今でも食欲が異様に湧く時があり、ちょっと油断するとすぐ食べ過ぎます。長期の断食を何度も経験している托鉢修行僧であるにも関わらずです。貧しい人が食べる大量生産の食物ほど、満腹中枢を狂わせるものが多く含まれていて、麻薬中毒患者のように過剰に消費させられるのですね。

ですから過食になってしまうのはあなたが悪いわけじゃないですし、他の多くの人も同じように悩んでいると思います。でも社会システムや誰かを悪者にして責めても仕方がありません。それは人生というRPGの初期設定であり、乗り越えるべき課題なのです。まずは「自分と他人を責めるのを同時にやめる」っていうことがあらゆる精神的問題の解決に一番大切な点であり、そこからがスタートです。

人生の課題はすべて「自分のせいじゃないけど、自分が変わらない限り何も変わらない」ということです。ゲームのバイオハザードにおいてゾンビが出てくるのはプレイヤーであるあなたが悪いからではありません。それはゲームの基本設定なのです。ゾンビやゾンビを作ったアンブレラ社やゲームを作ったクリエイターを責めてもゲームは進みません。ただ自分を成長させるべく前に進めば良いのです。

<具体的な解決法>
まず、満腹中枢を壊すもの(精製糖や化学調味料)が入った加工食品を摂るのを極力控えて下さい。そして食べる量自体をいきなり減らそうとせず、太りにくくて消化が良くて体にも良いものをたくさん食べるようにして下さい。GI値が低く食物繊維が豊富なものが良いです。食事をほぼ植物由来のみにして動物由来のものは極力避けて下さい。玄米・とうもろこし・芋類・豆類・野菜や海藻のサラダやスープなどがおすすめです。間食はナッツが良いです。できるだけ他の食事から時間を離して下さい。化学調味料は使わず、天然塩やハーブなどを使うようにして下さい。それもあくまで適量で。どうしても甘味が必要な時は、料理ならみりん、飲み物などなら天然の蜂蜜・オリゴ糖・黒糖などを使い、精製糖は使わないようにして下さい。グルテンも極力は避けた方が良いです。

そしてチートということで、週1食だけは大好きな人(家族でも友人でも恋人でも)と、好きなものを制限なく食べて下さい。人は「死ぬまで我慢しなければいけない」と思うと絶望して諦めたくなるものなので、ガス抜きは必要なのです。お菓子でもジャンクでも肉でも何でも大丈夫です。

過食になると胃が常に大量の食事を消化しようとして胃酸が出過ぎ、その不快感や痛みを防ごうとして常に食べようとしてしまうので、胃酸過多を抑える漢方の胃腸薬をしばらくは常用して下さい。

そして菜食に慣れてきたら、一日で良いので水断食をしてみて下さい。野菜ジュースなどは飲んでも大丈夫です。一日でも胃が小さくなれば、自然とたくさんは食べれなくなります。断食についてはこちらに詳しく書いています。「断食の意義

運動もとても大事です。仕事で疲れていると運動などしたくなくなるものですが、運動しないと余計に疲れやすくなってどんどん仕事がキツくなります。鬱になると運動したいという気持ちを最初に起こすところが思いっきりハードルが高くなってしまうので、疲れていてもまだ元気のあるうちに運動しなければいけません。もし病んでいるならまず休むことです。運動の時間が全く取れないような仕事なら、そもそもやるべきではありません。我々は奴隷ではないのです。

そして数カ月して目に見えて効果が表れるまで、体重計に乗るのはやめて下さい。そういうので一喜一憂することもストレスの元です。特に菜食に切り替えた直後はカロリーの効率も体内水分量も上がって一旦体重が増えるので、体重で進捗を測ろうとするとモチベーションが下がってしまいます。

<精神的な解決方法>
過食は食事依存症であり、アルコール・タバコ・麻薬の依存症にしろスマフォ・ゲーム依存症にしろ「自分自身と向き合いたくない」という逃避心理が根幹にあり、要するに何かに依存することで気を紛らわせようとしているのです。その依存対象が何であれ、本質は同じなのです。その自分自身から逃れたいという逃避心理の根幹には「劣等感」「罪悪感&羞恥心」があるのです。それはみんなに共通してある課題なので、落ち込む必要はありません。乗り越えれば良いだけです。

<劣等感の克服>
まず「誰でも自信満々になれる方法」に書いてあることを実行してみて下さい。出会った人を例外なく無条件で尊敬し、感謝し、許し、愛することです。

宇宙の仕組み」等で再三ご説明させていただいている通り、人生というRPGの主役はあなたであり、あなただけにアレンジされたシナリオがあるのです。自分と他人を比べるのを一切やめて下さい。他人とは全員がNPCであり、あなた自身の鏡でもあるのです。あなたがしているネットゲームで他のプレイヤーがあなたと共通の世界線にログインしていたとしても、彼らのゲームの進捗などあなたには一切関係ないのです。現在のレベルの低さや、自分に与えられた特徴・特質や課題に嘆くことなく、ただただ自分に与えられた成長の物語を楽しんで下さい。世界=あなたであり、あなたが出会う人みんながあなたという世界の一部であり、あなたの心の仏国土の住民なのです。あなたが劣等感を感じるようなどんなにすごい人でもあなたのNPCに過ぎません。すごい人を見たら、自分自身(の一部)がすごいのだと思って喜んで下さい。とにかく他人と比較するのをやめることです。欠点は誰にでもあり、あなたと同じ欠点を持つ人もたくさんいます。それを許し合い補い合うことが愛です。

<罪悪感&羞恥心の克服>
罪と恥の存在意義」をぜひ読んで下さいね。罪と恥は幻です。それは人間たちが許し合うことでより深く愛せるように創造主から贈られたものです。人間は罪や恥により自分だけ特別であるかのように悩み苦しむものですが、それは本質的に誰もが持つものであり、出会った人の罪や恥を一つ一つ許してあげることが、自分自身を許すことに繋がるのです。許すことこそが人間に創造主より与えられた最大の権限移譲であり、それこそが愛なのです。自尊心と他尊心は同時にしか上がらないということをよく覚えておいて下さい。

色々嫌な考えが頭を支配するのであれば、読経をおすすめします。特に「南無妙法蓮華経」のお題目口唱は簡単で効果が高いです。ただただ無心で唱えて下さい。そして自分と向き合うのが苦痛でなくなってきたら、瞑想などして心を静めて下さい。

すべての精神疾患は基本的に「自尊心の病気」であり、今の「適者生存・不適合者排除型」の病んだ社会で、常に他者比較に晒されて自尊心を病んでいない人はほとんどいません。その「自尊心の病気」をみんなで助け合って克服していくことが我々人間に課せられた共通の課題なのです。もしあなたが自尊心を回復することができたなら、過食や鬱などの問題も自然と解決されることでしょう。

2022年10月8日土曜日

愚痴の多い人への接し方

【質問】20代前半・男性
愚痴が多い相手からネガティブな波動に引っ張られてしまうのですが、どう心構えをしておけばいいでしょうか?

性格とか雰囲気では打ち解けているのですが、やたらと愚痴が多いです。言葉通りに受け取らず、意見ではなく相手の存在に同意(尊敬)をしているのですが、会話をちぐはぐにさせないために「そうですよね、自分も嫌になっちゃいますよ」といった返答をしていると、すごく気疲れしてしまいます。舌打ちもよくされるでダブルでパンチを喰らっています。相手からの愚痴が来る前にこちらがポジティブな話を振るようにもしていますが、自分はずっとしゃべり続けるのが得意ではなくそれはそれで疲れてしまいます。相手の愚痴と言う痛みを否定するのも、それはそれでその相手と上手に付き合えなくなるか。。。会社のひどい待遇にやさぐれてしまった先輩の自尊心をどうやったらあげられるのか、頭を悩ませています。

質問を要求してばかりですみませんが、どうかよろしくお願いします。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

人生の課題は全て例外なく創造主から愛によって与えられているものなのですから、逐一思い悩まずにもっとワクワクしながら取り組んで下さいね。現在のあなたはまだ鬱状態を克服できてないために、ちょっとしたことですぐ落ち込んだりイライラしたり暗くなったりしているのでしょうけども、心がネガティブになってる時に良いアイデア・良い解決策が浮かぶ事などまずないでしょう。

悪いカルマの解消法」に書いてますが、貧しい国の貧しい村に生まれて学校に行かせてもらえない子供が泣きながら親に懇願し、やっと行かせてもらえた学校で初めて渡された問題集に取り組む時の気持ちで人生の問題(カルマ)に向き合って下さい。まず機会を与えられた事を親(創造主)に感謝して、ワクワクしながら課題にトライして成長を楽しむってことです。

所詮この世は仮想現実でRPGです。魂は永遠ですから、病気や老いや死さえ恐れる必要はないのです。ゲームは真剣になるほど楽しめるものですが、いちいち深刻になっては「臆病と怠惰」が心を支配して楽しめなくなってしまいます。このRPGは「愛と勇気」を試すためのものであり、選択肢があればより「愛と勇気」が必要な方が常に正解であり、「臆病と怠惰」を動機とした決断はすべからく間違いなのです。実際RPGというのはそのようにシナリオが描かれているでしょう。

人間関係というのは完全な鏡であり、あなたがその人に対して嫌な気持ちになっているのは、その人を拡大鏡として自分の嫌な部分を見せつけられているからです。あなたは「自分の課題」より先に「相手の課題」を解決しようとしていますが、その視点が既にズレているのです。あなたの人生はあなたを主人公としたRPGであり、すべてが自分次第にプログラムされています。それなのに設定通りに動いているだけの相手(NPC)の側から変えようとするのは愚かな事です。まず解決すべきは相手を鏡として見える「あなたの課題」です。そしてその課題とは「自尊心の低さ」なのです。※人類共通の課題なので凹まないで下さいね。

あなたが自尊心高くポジティブなオーラに満ちていたらその先輩もあなたに愚痴など言わないでしょう。その先輩はあなたが自分と同じように自尊心が低く愚痴っぽい感じがするから同調・同情されたがって愚痴を言うのでしょう。愚痴というのは物理法則と同じで上に向かって吐けば自分に返ってきてしまうので、同じかそれ以下の波動の人にしか言えないのです。同調・同情してくれない人に愚痴を言ってもつまりませんし、波動の高い人から逆に励まされたりすれば、問題の原因が自分にあることを否応なく認識させられ、説教されているように感じて不愉快になりますから、無意識に心が拒否して愚痴が言えなくなるのです。

僕は目覚めるまで長年クソみたいな人生を送ってきてクソみたいな考え方をしていたので、どんなにクソみたいな愚痴でも心から同情して聞くことができます。でも相手に引きずられることは一切ありません。僕は完全に克服して多くの覚りを得て揺るぎのない幸せになっているからです。そしてそれがクソみたいな人生を経験しているお陰だとわかって感謝していて、過去の自分も完全に肯定できているからです。

あなたがその先輩に引きずられそうになっているのは、あなたがまだ「自尊心が低い」という課題を克服できていないからであり、心の波動が同レベルにあるからです。創造主はあなたにその先輩を遣わして課題を認識させ、成長を促しているのです。

あなたはその先輩を心から許し尊敬しているのではなく、単に我慢しているだけだからストレスが溜まっているのでしょう。我慢とは読んで字の如く自分がエゴに満ちていることです。あなたは「愚痴っぽい」という欠点や過ちを理由にその先輩を責めているのでしょう。しかし人間関係は完全な鏡であり、あなたが「愚痴ばかり聞かされて辛い」というのも愚痴なのです。今現在のあなた自身が愚痴っぽく、それがいかに相手に嫌な思いをさせるかについて、創造主はその先輩を通じて無自覚なあなたに気づかせ成長させようとしてくれているのでしょう。あなたが出会う人はみんなあなたの鏡であり、相手を見て自分の課題に気づかなくてはいけません。

欠点も過ちもない人はいません。それを理由に自分や他人を尊敬しないというのなら誰も尊敬できません。そしてそれはすべてを与えし創造主への不敬であり、当然のように悪業を引き寄せるのです。まず主人公という大役を与えられた自分自身の存在に感謝し、尊敬し、許し、愛することです。そしてその成長の物語を一緒に紡いでくれる共演者たちに心から存在に感謝し、尊敬し、許し、愛することです。それができずに相手の側を変えようとしてもうまくいくわけがありません。

現時点のあなたのレベルが低いことに落ち込む必要は全くありませんからね。落ち込めば余計自尊心が下がって余計悪い思考・行動に陥るので止めて下さい。RPGはレベル1から始めなければ楽しめないので、我々はわざとレベルが低く愚かで無力に生まれてきているのであり、あなたのその課題は誰もが通る通過点なのです。ただただ目の前の課題を克服し続けて成長を楽しみながら物語を進めていけば良いだけです。

鬱傾向にある多くの人は、何かあるとすぐ「このように悩んだり傷ついているのは自分だけだ」と思ってしまうものですが、本当はみんな同じですからね。会社に入って先輩に愚痴られまくるというのも殆ど通過儀礼みたいなもので、大半の人が経験しているでしょうし、僕自身も思いっきり経験しています。そういう本質的には同じ出来事で悩み傷つく経験をしているからこそ、僕らは共感・同情し、愛し合うことができるのです。

さて、心構えではなく具体的な解決策を書きます。先の質問「苦手な人を許すのが難しい」に書いた通り、相手の自尊心を上げたいのなら、相手が笑顔になるまであくまでも笑顔で接することです。人は自分に笑顔を向けてくれている人の顔を曇らせるようなことはなかなかできないものなのです。気分は相手に引きずられるものとあなたはわかっているのですから、まずあなたがいつでも気分良く笑顔でいることです。作り笑顔をすることが本質ではなく、出会いが嬉しくなって笑顔が本物になるようにすることが本質なのです。

ただ笑顔で接するだけで、相手は「自分が承認されている」という無言のメッセージを受け取り「自分の存在がこの人を幸せにしている」と深層心理で感じて、知らず知らず自尊心が高まるのです。そして相手は笑顔になり、それは連鎖してみんなが幸せになるのです。あなたは自分の笑顔にどれだけの効果・価値があるかをまだ全然理解していません。

僕の言う事をちゃんと日々実践して理解を深めて下さいね。やればわかることなのに、あなたはやりもしないですぐ「自分には無理」と諦めてしまっているでしょう。あなたの考えはマラソンを始めてすぐに「自分に世界記録は絶対に出せないから走らない」と諦めているようなものです。僕の言っていることは100mを10秒で走るのとは違い、才能・能力は一切関係なく、覚悟さえあれば誰にでもできることです。それをできないというのは単に己の「怠惰・臆病」の言い訳でしかありません。何事も最初から完璧にできないのは当たり前で、だからこそ成長を楽しめるのです。

そして相手の自尊心を上げるためには、とにかく相手の話を一切否定せず真剣に聞くことです。あなたは世の大多数の人と同じで、まだ自分が人の話をちゃんと聞けていないという自覚も、忘れっぽいという自覚もありません。

人生というRPGにおいて、クリエイターのメッセージは常に人や出来事との出会いを通じて与えられるものであり、それをちゃんと聞いていない・正しく解釈せずネガティブに解釈していると、必ず行き詰まったり事故ったりするものなのです。

ですからまず気づいたことを何でもメモるノートを付けて下さい。必ずです。特にあなたは新入社員なのですから、仕事を覚えるためにもノートは絶対必要なものです。その努力・習慣をネガティブに受け取る人はいません。そして人生で大切な事を忘れず常に意識するために、大切な事ほど大きく太い文字で書いて何度も繰り返し自分に言い聞かせて下さい。

そしてそれは常に持ち歩いて、先輩や上司の話は(それが例えどんなにくだらなく些細な内容であっても)全部相手の目の前でメモを取って下さい。何が思い出すきっかけになるかわからないので、最初から綺麗にまとめようとせず、逐一全部メモを取るのです。まとめるのは後になって自分の中で整理がついてからで良いでしょう。

先輩や上司もメモを取って真剣に話を聞いているあなたに適当な事は言えなくなるはずです。そうして自然と愚痴など言えなくなるでしょう。それでも愚痴を言ってくるようなら、それを全部メモして満面の笑顔で「教えていただいたことはこの理解でよろしいでしょうか?」と相手に見て貰って下さい。それを見せられた相手は「自分はなんてくだらない愚痴を言ってこの人を汚してしまったのか」と気づいて恥じて後悔し、そのうちもうやらなくなるでしょう。常に「指摘せず気づかせる」「教えず導く」「相手を変えるのではなく、己の学びとして成長する」がメシア流です。僕はnoteや質問箱では教えまくっていますが(笑) 実生活においては相手に求められない限り基本的に自分からは教えません。

反省してはいけない」等で再三ご説明させていただいていることですが、相手の欠点や過ちは指摘すると相手の自尊心を下げてしまってますます悪い思考と行動に導いてしまいます。だから基本的に指摘はしない方がいいのです。説教だと受け取られて必ず反発を受けるでしょうし、相手があなたを下に見ている先輩や上司なら猶更です。気づけば自然と治るのですから、自ら気づかせてあげれば良いだけです。

>相手からの愚痴が来る前にこちらがポジティブな話を振るようにもしていますが、自分はずっとしゃべり続けるのが得意ではなくそれはそれで疲れてしまいます。

あなたが話し続ける必要など全くありません。現在のあなたはまだポジティブになりきれてないのですから、無理にポジティブを演じれば疲れ果てて逆効果になるだけです。相手がこちらに話を聞いてくるまで、ひたすら聞き役で良いのです。その先輩は鬱状態でエゴに埋没している人で、そもそも他人の話など聞ける状態にないでしょうから、こちらから何かを話すだけ無駄です。ただひたすら話を否定せずに真剣に聞けばいいのです。

相手の愚痴に対して「ホント嫌になっちゃいますよね」なんて同調する必要などありません。「ああ、なるほど、この人はこういう考え方なんだな(自分とは違ってて面白いな)」という感じの観察する視点で、決して否定することなく「なるほど」「〇〇さんはそうなんですね」「それは大変ですね」など、同情しながら真剣に話を聞けばいいのです。そしてどうしてその人がそのようになってしまったのか、またあなたがなぜそのような人・言葉と出会ったのかを考ましょう。そしてもし相手の考え方が不快なのであれば、自分は絶対そのようにならないように気を付ければいいのです。その先輩はあなたの貴重な反面教師であり、負荷の高い魂のトレーニングマシーンなのです。

鏡の法則」というページに「子供が学校いじめられていることに悩んでいたのが、自分が長年仲が悪くずっと連絡をとっていなかった親に感謝を伝えたら、子供のいじめがぱったりとなくなった」というエピソードがありましたが、因果というのはこのように人間の想像の範囲を超えて複雑に絡み合い、どこでつながっているかわからないのです。だからどんな問題も相手の課題として考えず、常に自分の課題を克服することを考えて下さい。人生というRPGはすべからく主人公である自分次第にできているのです。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...