2023年1月25日水曜日

実態が伴わない努力に効果はあるか?

【質問】22歳・男性
真也さん、初めましてこんばんは。ノート、特に鬱の記事やその他ツイートを参考にさせて頂いている者です。

最近、ポジティブな思考や、感謝する事、自分に自信を持つ事などを始めました。そこで,疑問に思ったのが、とりあえず上に書いたような行動を取るのは実態が伴わなくても効果があるのでしょうか?

説明が難しいのですが、例えば、会話で面白くなくても、なんとなく自分も笑う事。頭の中の思考がネガティブだったら,ポジティブを埋め込む様にする事などです。


【回答】2024年10月21日更新
ご質問ありがとうございます。参考にしていただいてとても光栄です。

>実態が伴わなくても効果があるのでしょうか?

いえ、実態が伴わなければ全く意味がないどころか逆効果だと思います。

そのように「心から納得してないことに無理やり自分を従わせること」自体が不幸の元凶なのです。あなたはまだ考え方(解釈方法・世界観)がネガティブな段階にあり(それも覚りの一過程なのですが)、ポジティブな考え方に心から賛同できていないわけで、自分の本心とは違う行動をすれば苦しくなって続かなくなるのが必然です。逆に魂レベルで腑に落ちていることなら、無理をしなくても自然とその魂を主として行動に反映され、自分の認識世界全体に反映されることでしょう。

体というのは感情の楽器(Organ:オルガン)であり、あらゆる部分に管楽器のように管が通っていて、また打楽器のように膜が張っています。この次元において実際にその音が聞こえなくても、体は感情のバイブレーションを起こしているのです。腹がむかついたり、胸にこみ上げたり、色々です。我々はそのように常に感情のバイブレーションを発し、それを全身でありありと感じるように創られているのです。我々は感情(愛)を経験するために生まれてくるのですからね。

そして宇宙の仕組み」「音と水の存在意義に書いた通り、世界は超ひものバイブレーションでできていているのです。それは言葉(コード)であり、思念と感情の乗り物であり、音楽なのです。だから僕らの人生はオーケストラの如きものです。

そのオーケストラにおいて、僕らは人生をかけて体という楽器の扱いを上達させなければならないわけで、実態が伴っていないのに(考え方がネガティブで、演奏も調律も下手なままなのに)無意識に出してしまっている音(ネガティブな感情)の方を無理やり押さえつけて、胡麻化すこと(態度だけポジティブにする=実態の伴わない努力)ばかりしていては、ムダどころかむしろストレスが溜まって逆効果になるのは目に見えています。

感情は「感受性」という言葉がある通り「受動的」なものではあるのですが、「能動的」に楽器の取り扱い方(演奏・調律)を実践から学んで上達していかなければならないのです。

ネガティブな感情が生じてしまってから無理やり頭で抑え込むこと(我慢)ばかりやっていても、「感情音痴」は決して治らず、出てくるのは不協和音(負の感情)ばかりで、自分も周囲も常に不快にし、その抱えたストレスはいつか暴発して「やっぱり自分はダメだ」と諦めるようになるのは必然なのです。

今の時代「意識高い系」の人がとても多く(僕もかつてはそうでしたが)、彼らは実際に意識が高くなってないのに、他者評価依存のために他者評価でもって自尊心を上げることばかり考え、他人に対して意識の高さを演じてそれをアピールするのですが、それで結局は必ず息切れしてしまうのは、実態の伴わない努力をしているからなのです。そのようにまだ思考がネガティブなのに感情や行動をポジティブにしようとしても無理なのです。そしてそのような「意識高い系」の人というのは劣等感から「自分は優れた人間である」と思い思われたいがために心に愛を失くし、他人を見下したり責めたりしてマウントを取ろうとして人から嫌われ、優れた人に会えば嫉妬して劣等感に苦しみ、本心では実態が伴っていない自分を嫌悪して余計に自信を失うことになるのが必然なのです。情報商材詐欺師みたいなものは、こういう「意識高い系」をカモにしていますね。もっともらしいことばかり言って成功者・金持ちを装えば釣れるんですからチョロいもんです。

だから我々は常に「能動的」に感情を発する楽器の取り扱い(演奏・調律=考え方・愛し方)を学び実践して、経験を積んで魂レベルで納得しながら上達していく必要があるのです。どんな苦難があっても悪い音(感情)が出ず常に前向きでいられるぐらいに。それは覚りを開いて行くということとイコールです。ポジティブな考え方・愛し方になるよう成長していく方法については自分と他人の愛し方をご参照下さい。

例えば「心から感謝」できるようになるには、心から感謝できるような考え方を日々学んで実践し、魂レベルで腑に落ちるように成長していかなければならないのであり、魂レベルで感謝できていないのに頭で無理やり感謝しようと思っても心が伴わず、無理が生じて苦しくなり、またその心から感謝していないということが態度に現れ、それを相手に見抜かれて、感謝を示そうと努力しているのにも関わらず嫌われるのです。

そして「誰でも自信満々になれる方法」に書いた通り、自分に自信がない人がいきなり何の根拠もなく自信を持とうなんて思っても無理です。だから心から自信を持てるような考え方を実践から魂レベルで成長させていかなければならないということです。それをしないで自分の能力や正しさ(意見)を根拠に自信を持とうとしても上手くいくわけないのです。

「魂レベルでポジティブになれるように考え方・愛し方を成長させる」ということを全く意識しないまま大人になると、感情を無理やり押さえつけてばかりになり、結局感情に振り回されるか論理的に暗くなるかしかなくなり、感情のコントロールというのが絶望的に難しいことのように思えてしまいます。しかしそれは日々意識して訓練していれば誰でもできるようになることです。それができていないのは、今までそれを意識すらしてこなかったというだけのことなのです。まさに楽器の演奏と同じで、意識して練習していないのでは、どれだけ才能が与えられていようとも上達しようがないのは当然のことです。

心の取り扱い方(演奏・調律)の最も基本は、自分に与えられているもの(才能、環境、人・出来事との出会い)が、自分の魂の成長にとって常にベストなのだということを信じ、少しずつでも感謝できるようになることです。何事も「なぜそれが与えられたのか(どんな成長を期待されているのか・何に気づかせようとしているのか)」を「愛」で解釈することです。実際それは創造主からの「愛」で与えられているのですからね。

誰でも喜ぶようなものが与えられないと感謝できないのでは、その感謝に価値はありません。どんな苦痛・苦難も成長のために愛によって与えられているものなのだと気づいて心から感謝できるような人の感謝に価値があるのです。いつも言っていることですが、自分に都合の良いものだけ愛そうとする「エゴの愛」は、どんな悪人でも赤ん坊の頃から持っています。真に大人になるということは、自分に都合の悪いものも、自分の成長のために与えられている課題だと感謝して受け取りそれを乗り越えられるようになることです。

創造主の感情も基本は我々と同じであり、与えられたものに感謝できない人間にもっと与えたいと思わないのは当然のことです。現時点で価値に気づかず感謝できない人間なのなら、更にどれだけ与えても感謝されないことは自明だからです。そして既に与えられたものまではぎとられ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのです。

人生という楽曲を自分で作り、その素晴らしさを体感できる機会を与えられているということは本当に素晴らしいことなのです。それを自らひどい曲にしておいて創造主(が与えた運命)に文句を言うのは筋違いであり、創造主の愛を受け取り難くなるのは当然です。

特に鬱の人はまず自分も他人も責めるのをやめ、許すということを意識すべきだと思います。鬱の本質は自分や他人を責めることであり、その解決の基本は自分も他人も許すことなのです。許すというのは我慢することとは違います。我慢というのは読んで字の如く、我(エゴ)で己の心を漫々にすることであり、「嫌だけど我慢してやっているのだ」という上から目線の傲慢な一時凌ぎを続けてどんどん心の中に不平不満を蓄積していたら、いつか爆発することは自明なのです。自利を考えず相手を許し相手のためを心から思って耐え忍ぶ「忍耐」が必要なのであり、それが愛なのです。忍耐を伴わない許し=愛に何の価値もありません。


note記事「誰でも自信満々になれる方法」でも、僕は「心から笑顔になれるように考え方(哲学)を変えていかなければならない」というように書いているのですが、なぜか多くの人が「鬱などで落ち込んで笑えない時でも無理に作り笑いをすべき」というような誤った解釈をしてしまうので困っています。

出会った人は例外なく、自分が主演の映画にボランティアで友情出演してくれている役者さんたちなのですから、たとえどんな悪役だったとしても出会いに心から感謝し尊敬し愛するべきであり、それをきちんと態度(笑顔)で示すべきです。

そしてその悪役たちも最終的には「本当はいい人たちでした」というシナリオを成就していくのです。そのように感情(音)そのものではなく感情(音)を生じる思考と行動(楽器の演奏・調律)を学んで実践し上達させていくのです。

人生はオーケストラであり感情のハーモニーですから、自分の感情(音)も他人の感情(音)も宝物のように大事に扱って下さい。それは当然それを発する楽器(その人)を大事にすることです。楽器を大事にする心なく、取扱い方も学ばずに人生が良い音楽(芸術・物語)になるわけがありません。

あなたがもし著名な演奏家で、ストラディバリウスのような何億円もする高価な楽器を貸与されていたら、それはそれは大事に扱うことでしょう。しかし「そのストラディバリウスをタダであげるから、明日臓器提供のために死んで欲しい」と言われてもきっと死なないでしょう。つまりあなたは今まで何億円もする楽器よりも遥かに価値がある「自分」を創造主から貸与されていながらその価値がわからず、まるで自分のものだからどのように扱っても構わないかのように考えて少しも大事に扱わず、また同じように他人の価値もわからないために大切に扱わずに平気で傷つけ、お互いに傷つけ合ってきたのではないでしょうか?(わかっていると思いますが、これは体よりもむしろ心の話ですからね)

嫌いな人・興味のない人・見下している人の感情ならどのように扱っても構わないかのような感じで大切に扱わず平気で傷つけていれば、相手からもこちらの感情をぞんざいに扱われて傷つけられてしまうのは当然のことです。

鬱の人は「自分は自分ものだから」と平気で自分を責めて見下してイジメて落ち込ませますが、それによって自分の心が毒で満たされ、心の住民(出会った人)みんなが風の谷のナウシカの腐海の植物のように毒を出すようになります。実際鬱の人というのは傷つきやすいくせいに平気で他人が傷つくようなことを言ってしまうのです。そのようなことを繰り返しているだけでは自分と他人の「心の扱い方」がいつまでも上手くならず、人生というオーケストラがいつまでも不快で悲惨なままなってしまうのです。

人を大切にするということの基本は、話を真剣に聞くということです。それは相手の意見を一切否定せず、その気持ちに同情すること・気持ちを共有することを目的化するということです。特に男性は「問題解決型」の脳をしているために、問題を解決しようという目的で相手の話を聞いてしまって、余計な提案なんてして相手を傷つけてしまうのですが、それを止めなければならないのです。

相手の話を否定せずに聞くというのは、相手の意見に従うということではありません。そのように考えるから話を聞くのが苦しくなるのです。我々の魂は本来同一・同源であり、同じ条件で同じ人生を歩めば必ず同じ感情・同じ考え方になるのです。相手は自分にはできない経験をしている貴いな存在なのですから、相手を自分の前世や未来世のように考えて完全に同じ視点に立って話を聞くことが大事です。「あなたはそういう経験をしたのですね。私は違う経験をしているのであなたと意見は違いますが、あなたがそういう意見になる気持ちには心から同情します」と、相手には直接言わずに心から思いながら、相手の話を愛を持って真剣に聞くことです。

つまらないと感じる話ほどむしろ真剣に聞いて下さい。徳川家康の言う通り、人はつまらない話を真剣に聞いてくれる人に大事な話をするものであり、つまらない話をされたらそれはその人と本当に仲良くなるチャンスなのです。人間関係はすべからく鏡であり、あなたが他人の話を面白くないと感じているようなら、あなたの周囲の人もあなたに対してそのように感じていることでしょう。(現在のあなたにいつもそんな面白い話をしてくれるような友人がいますか?)

お笑い芸人には面白いことが毎日のように起きていると思いますか?彼らは解釈の仕方(考え方・切り口)が面白いから芸人をやれているのであり、面白いことがなければ面白いことが言えないような人なら芸人などできません。彼らも僕らと基本的に同じ日常感覚がなければ共感が生まれず笑いなど取れないのです。あなたも日常を面白く解釈できるように日々努力してみて下さい。見方を変えれば世の中は驚きと笑いに満ちているものです。

人生というRPGにおいてクリエイター(創造主)は常に人や出来事との出会いを通じて導いてくれているのであり、人の話を聞けない人というのは必ず行き詰まるか事故るかしかなくなるのです。

最終的に話を聞ける徳川家康が成功し、畏怖されることで周囲に本音を言ってもらえなくなった織田信長が裏切られ、偉くなって頑迷になり周囲の話を聞けなくなった豊臣秀吉が晩節を汚して死後に家も没落したのは歴史の必然です。

どうか自分も他人も、人間という感情の楽器を宝物のように大切にして、うまく扱えるようになって下さいね。もちろん楽器といういうものは最初からうまく演奏できないのが当然です。だから最初から完璧にできない自分を許しながら、少しずつ、考え方(哲学)から体という楽器の音(感情)の演奏・調律が上手になるように頑張って下さい。学校の鼓笛隊や合唱と同じでみんなと一緒に毎日やってれば必ず上達しますから。

人生というオーケストラにおいて、演奏者は主体者である自分なのであり、他人の演奏技術の進捗は関係ないので、比較して劣等感に陥る必要はありません。自分と他人を比較してしまっているようでは自分を大切にできるわけがないのです。まさに楽器の演奏と同じで、他人と比較してどこまで上手になるかが大事なのではなく、自分が上達を楽しめればそれで良いのです。今超えられないハードルを自分の前に置かないで下さいね。

そしてどうか「覚り」というのを悲しみを感じなくなることのように勘違いしないで下さい。「覚り」というのは楽器の取り扱い(演奏・調律)が上手くなることであり、喜びも悲しみもありありと全身で感じ取れるようになることなのです。そうして楽器の取り扱いがうまくなれば、どんな曲(出来事)でも感情のタクトを自在に振れるようになり、人生を素晴らしいオーケストラのように楽しめるようになるでしょう。実際僕はそのようにして人生を楽しんでいます。



2022年12月26日月曜日

コロナワクチンは危険ですか?

【質問】40代男性
どれだけ考えても分かりませんので真也さんに単刀直入に聞きます。創造主が何と答えているか教えてもらえると助かります。

コロナウイルスは存在しますか?また、コロナワクチンは陰謀論で言われている様な危険なものですか?

自分は3回接種済ですが、報道とネットの情報がかけ離れていて不安です。

【回答】ご質問ありがとうございます。お気持ちお察しします。

まず、誤解している人が多いようですが、創造主は僕が質問すれば何でもすぐ答えを教えてくれる存在ではありません。覚醒後数カ月はかなり直接的に教えてくれていましたが、これ以上直接的に教えると人生が魂を成長させるためのRPGとして成立しなくなってしまうので(成長は自発的でないと自由意志と経験機会を与えた意味がなくなるので)、その後は常に人や情報や出来事との出会いを通じて僕に自ら覚らせるようにしてくれています。そしてそれはきっと僕だけでなくあなたや他の誰に対しても、創造主はその人の魂にとって必要な時に必要なだけ、導く形で間接的に教えてくれているのだと思います。

コロナウイルスとそのワクチンのことで不安になるお気持ちはわかりますが、既にワクチンを打ってしまったのなら不可逆なのですから今更それを心配しても仕方がありません。

人生は愛と勇気を試すためのRPGなのですから、創造主はあらゆる手段を通じて我々を脅して不安にさせたり怒らせたりしてきますが、決してそれに屈してはいけないのです。

どんな出会い・出来事も魂の成長にとってベストなものが創造主の愛に与えらえているのであり、僕らはそれを愛で解釈してその真意を知り感謝しなくてはいけません。僕は創造主の愛を心から信じて感謝しているので、何事からも本質を見抜けますし、何があっても不安になったりはしません。

エゴ(我欲・保身・虚栄)に埋没し、臆病・怠惰に陥っている姿は愛と勇気を試すためのRPGにおける主人公の姿と反するものであり、「常識や権力者・権威者の言うことにただ従っていれば安全でラクだと考えるNPCになってしまってはいけないこと」「人生の主人公は自分であり、自分と創造主の関係は誰にとっても一対一であって、他人の言う事やる事は一切言い訳には使えないということ」など、そういうことを創造主は我々に経験的に教えてくれているのだと僕は思います。

人生は誰にとってもわからないことだらけであり、生きるということは何かを信じるということなのです。そして「何を信じるか」の選択主体者があなたなのであり、その結果責任を負うのもあなた自身なのです。疑り深く「何も信じてない」という人は、自分の勝手な常識を信じていることにさえ無自覚なだけです。そして「信じることの意義」に書いた通り、神は存在が証明不可能だからこそ信心には価値があるのです。

僕らは医学研究者ではなく、ウイルスやワクチンについて自分で詳しく科学的に検証できるわけではなく、素人が検証もなしにいくら考えたところでわかるわけがありません。特に今はまだ医学研究者でもよくわかっていない段階ですから、何も確実なことはわかりようがないです。だから僕は情報を自分の経験に根差した哲学と信心に従って判断するのみです。

冒頭に書いた通り、そういうことは創造主に聞いたところで直接的には答えてくれません。僕にとって必要なことは必要な時に必要な分だけ人や情報や出来事との出会いを通じて導かれ自ら覚らされるのです。

僕はコロナワクチンについてネガティヴな情報とばかり出会いますし、コロナやコロナワクチンの僕の人生の伏線上の役割も僕なりに理解しているので、僕はまだワクチンを打ってませんし、今後も打つつもりもないですし。実際、打つという選択を迫られる状況にもなっていませんので、打つべきか打たないべきか、導かれている方向は明らかだと思います。

僕は一度死んでいますし、自分の運命(寿命と使命)を受け入れていますので、基本的にいつ死んでも構わないと思っています。ですからワクチンが死期を早める可能性があったとしても別に気にしません。ワクチンが精子や性欲を弱体化させるとしても、僕は特に子供を作りたいと思ってはいませんので、個人的にはどうでもいいことです。ので、例え既にワクチンを打っていたとしても特に不安になる要素はありません。ただワクチンによりかえって免疫が下がって病気にかかりやすくなって長く医者や薬の助けが必要となって、わずかな富も健康も奪われ続けるような人生になる可能性があるとしたら、それは嫌なので断固拒否します。

僕がコロナワクチンについて何かを「創造主からこう聞きました」などと言ったところで、僕には科学的証明ができるわけではありませんから、あなたにとって僕の言う事はネットでの伝聞情報であることには変わりがなく、「信じるか信じないかはあなた次第」という都市伝説の如きものにしかなり得えません。そして何を信じるにせよ信じないにせよ、その結果責任を負うのがあなた自身であることにも変わりはありません。

情報を判断する核になるのは自分の経験に根差した哲学と信心です。そして主体者として自分が信じたことによるいかなる結果も受け入れるという覚悟がなくては、今後も不安に怯え続け、他人からの伝聞情報に振り回されるだけになるでしょう。我が身の安全・自己利益を期待して権威権力側の言うことや世間の多数派の意見を信じ、その結果が悪ければ「騙された・裏切られた」と被害者意識に陥るだけになるでしょう。結局、あなた自身が変わらない限り、伝聞情報によってあなたの不安が解消されることはありえないのです。真理(覚り・心の平安)というものは情報に対して疑り深くなるだけ(懐疑主義)では決して得られないのです。

キリストも言っていた通り、人間の寿命は最初から決まってますから、臆病になる必要などないのです。どっちみち人間はいつか死にますし、何が死因になろうといつ死ぬかはだいたい既に決まっているのです。そして死の苦痛は幻であり、魂は永遠です。

もしあなたがそういう僕からの伝聞情報を信じないとしても、あなたがコロナワクチン以外の原因で死ぬ確率の方がずっと高いことだけは間違いありません。そして事故や病気で死ぬ確率を全部足したら僕らはとっくに死んでいますし、確率で考えるなら生まれてすらいません。というかこの世界自体が生じていません。自分と世界が存在し、今を「生かされている」ってことにどうか信頼と感謝の念を持って下さい。

そして自分の使命が何かを考え、そのために命がけになり、エゴ(我欲と保身)を乗り越えるために少しずつでも信心を持って六波羅蜜を行じ続ければ、死に対する不安も乗り越えられるでしょう。恐れというのはすべからくエゴ由来なのですから、エゴを乗り越える日々を送っていれば不安は解消されていきます。実際、僕はまったく不安にはなりませんからね。

ワクチンについては販売している製薬者側も、打つことを強制している政府側・支配者側も、陰謀論でささやかれているような確信的な悪意がある人もいるかもしれませんが、それでもその大多数はきっとよくわからないまま立場上コロナワクチンを推進しているのでしょうでしょう。己のエゴ(我欲・保身・虚栄)のために。

陰謀論についてはこちらの「この世の生まれの格差について」をご覧下さい。コロナワクチンを推進している側は、僕らが主人公の人生において、シナリオ通りに動かされているNPCに過ぎないのです。

シナリオ通りに霊障を通じて人々を操り世界を牛耳ろうとしている悪魔たちは、常に人間をエゴ(我欲と保身)に埋没させ臆病にさせ不安に陥れることで醜く争い奪い合い・責め合愛・蹴落とし合うようにしているのであり、僕らはそのカルマ(課題)を乗り越えて、無償で助け合う社会を作っていかなければならないのです。人生というRPGのシナリオ・基本設定はそのようにできているのです。

今の社会は利益(エゴ)至上主義ですから、医療も当然「どうやったらより多く利益があげられるか」が人命より大事になるのは当然です。ワクチンも当然そういう価値観の中で作られているものです。だから僕らは社会の価値観から変えて行かなければなりません。それにはまず主人公である自分の価値観から変えて行かなければならないのです。そしてそれは必ず連鎖していつか世界は必ず救われるのです。

真理は愛であり、他人に押し付けるようなものではなく、ガンジーの非暴力不服従運動のように、自ら実践すればそれは必ず連鎖するのです。あなたが目の前の二人を救えたなら、それが50連鎖するだけで1000兆人という途方もない数の人が救われるのです。連鎖反応というのはそのように指数関数的に広がるものであり、一度始まったら火をつけたスチールウールのように誰にも途中で止めるようなことはできないのです。支配者がどんな権力を駆使してそれを止めようとしたところで無駄なのです。


資本主義経済の本質は椅子取りゲームであり、便利さを提供する能力の高い人間にどんどん合法的・合理的に富が集中し、我々は便利さに踊らされている間にどんどん貧しくなり、どんどん残り少なくなっていく椅子を醜く争い合うようになっているのです。社会が10倍便利になろうと10倍豊かになるわけでも仕事量が10分の1に減るわけでもなく、10倍幸せになるわけでもありません。むしろ逆であり、階級支配・奴隷支配がより強化され、それが正当化されるのみです。自由競争・適者生存という価値観が変わらない限り、世界が救われることはありません。

支配者たちは椅子を戻すのではなく人を減らすことでこのゲームをまだ継続させようとしています。コロナワクチンも当然その施策(人口削減計画)の一環です。ただそれはこのRPGのシナリオ通りであり、打たせている側のNPCたちもシナリオ通りに動かされていることには(あなたと同様に)無自覚です。本当にまったく悪意なく人々を救おうという正義心でワクチンを開発したり販売したり勧めたりしたいる人達もいっぱいいるでしょう。RPGなんですから、基本的に主人公であるあなた以外はNPCであり、みんな自分の意思でやっているつもりで、設定通りに思考・行動させらされているだけなのです。だから誰かを責めたところで意味はありません。この世界に主人公の救いの対象でない人はいないのです。

バイオハザードでゾンビが出てくるのは主人公が悪いからではありません。ウイルスを開発したアンブレラ社やゲーム自体を開発したカプコンを責めてもゲームが進みません。自分に与えられている課題が何かを考え、楽しみながらそれを一つ一つクリアしていくのみです。

あなた自身が主人公として目覚めないなら彼らと同じNPCのままです。他のNPCと同じように資本主義を絶対だと思って、エゴのために生きるのが当然という価値観・常識の社会の中で、その支配体制を支える一員となってしまっていては、このゲームのクリアは望めません。

僕は3年ほど前にNPCをやめました。そしてこの社会の価値観を変え、この狂ったマネーゲームをソフトランディングさせ、みんなが愛によって無償で助け合う世界を実現する主人公として立ち上がりました。

NPCというのは、自分で選んでいる気分だけ味合わせてもらいつつ、設定通りに動かされているだけのAIに過ぎないのです。あなたは主人公として愛と勇気を発揮して世界を救う冒険に出るのか、それとも常識に従ってエゴに埋没し・損得勘定で生き・コロナやワクチンなど色んなものに怯えて情報に振り回されながら支配され続け、富を奪われ続ける脇役NPC人生を今後も続けるのか、まさに「今」その選択を迫られているのです。

2022年12月25日日曜日

人間関係で仕事を辞めたい

【質問】年齢・性別不明
匿名ですみません。今日、人間関係のことで完全に心が折れてしまい、退職を考えました。「誰でも自信満々になる方法」は拝見して、実践していましたが、もう逃げ出したくなってしまいました。

とはいえ、転職を何回も繰り返していると経歴に傷がついて仕事に就けないと思うと、がんじがらめになって、もうどうするべきかもわからなくなってしまいました。

会社で立派に働いて、親孝行をして家庭を作るという理想像とはかけ離れた現状で、みじめでとてもつらいです。

【回答】
ご質問どうもありがとうございます。

ええと、匿名は全然良いのですが、年齢や性別がわからないと具体的に状況をイメージして対策を考えるのが難しくなってしまいます。精神的に余裕がない時でしょうから無理もないことなのですが、ご質問内容も長文になってかまいませんから、もう少し具体的に書いていただけると助かります。

さてご質問の内容についてですが、僕もそのような経験をしているので、お気持ちは非常によくわかります。僕のダメリーマン時代は酷かったですよ。瞬間記憶が苦手で(特に興味のない事は)仕事が覚えられず、ありえないミスを連発し、契約社員たちからもバカにされまくり(なんであいつの方が正社員で給料が高いのかとスケープゴートのようにされ)、ナルコレプシーのため大事な会議でもすぐ寝落ちし、鬱が悪化してエゴに埋没して周囲が全く見えず、うまくコミュニケーションを取れませんでした。それで職場の人間関係も仕事もうまくいくわけがなく、ひどいいじめに遭い、それでも自分が悪いとしか思えないので心の中でさえいじめに反抗する事もできず、自分ばかりを責めていました。すっかり自信を喪失し、こんなホワイトな職場で何のスキルも身につかず人間関係うまくいかないようなら他所に行っても絶対に無理だと思って転職を諦めていましたし、大企業での安定した職を捨てる勇気がなく、また就職を喜んでくれた親をがっかりさせたくなく、会社にしがみ付いている社畜奴隷で、長年付き合っていた彼女も呆れて僕を見放し、いつも死ぬことばかり考えていました。

でも今では良い経験をさせてもらったなと、創造主にも出会ったすべての人にも感謝しかありません。お陰で他人の気持ちがよくわかるようになりましたし、この社会で何が問題でどう解決すべきかもよくわかるようになりましたから。あの時死なずにいてくれた自分も褒めてあげたいです。

人生で起きることはすべて魂の成長の為に必要なことで必然ですから、あなたが悪いのではありません。どうかご自分を責めないで下さいね。そして創造主と与えられた運命を呪わないで下さい。周囲の人達もあなたが主人公のRPGにおいてプログラムされた通りに役割をこなしているNPCであり、あなた自身でもあるので、恨んだりしないで下さい。

鬱状態の時は誰でもエゴに埋没してしまって周囲が見えなくなり、まるでその問題で悩んでいるのが世界で自分だけであるかのように感じられてしまいますが、職場の人間関係で悩んでいるのは決してあなただけではなく、むしろ普通のことであり、あなたの職場の他の人達だって同じように悩んでいるはずです。人間関係というのは一人でできているわけではありませんから当然です。周囲の人も同じように嫌な気持ちで悩んでいることでしょう。

とりあえず今はまだ親孝行なんて考えないで下さいね。親孝行ができないなんてことで悩んで鬱になっていずれ自殺してしまうようになったら何にもなりません。親孝行など直接的には僕もまだ何もできてないですし、まだ心配しなくて大丈夫です。子供の頃可愛いかったっていうだけで親孝行の責任は果たしてますし、親がそう思えないのなら子供など作るべきではなく、それは親の側の問題なので気にしないで下さい。そんなことよりあなたが幸せになってくれることが一番の親孝行であり、あなたが親なら子供に対してそう思うはずです。だからあなたが幸せになれば良いのです。そして苦難を伴わず不幸を経験せずに本当の幸せを感じることはできないのですから、今の苦難はそのための伏線だと信じて下さい。

あなたはかつての僕と同じできっととても不器用な人なのでしょう。不器用っていうのはとても素晴らしい資質であり、得意でも好きでもないことでそこそこうまくやれてしまうと、自分に合っていない仕事を定年まで続けるハメになってしまいます。

あなたがもし本当に自分の適職・使命だと思っている仕事で、純粋に人間関係の問題で辞めたいのなら耐え忍ぶべきだと思いますが、もしそうでないなら職歴なんて気にせずにさっさと辞めてどんどん色んな職業を経験してみれば良いと僕は思いますよ。それは簡単に適職・天職に導かれてしまった人間の人生より面白いと思います。ただ自信を失い続けるような時間が続くだけなら、例えお金が稼げても大事な人生がマイナスになってしまいます。

職歴とか生涯収入なんてつまらないことにこだわらなくて良いのですよ。簡単に辞めないという我慢強さを最重要視するような企業はブラックな状況を押し付けられる奴隷を求めている企業ですから、就職しても幸せになれるわけがありません。本当に良い条件でやりがいのある仕事をしている企業なら社員はそんなに辞めませんから、前職を短期間で辞めたことなどそれほど気にしないでしょう。だから気にしなくて全然大丈夫です。もしあなたが人間関係のことを相談できるような人が周りに全くいないほど殺伐とした職場なら、さっさとやめた方が良いです。

あなたにはあなたという主人公だけに用意されたシナリオがあるのです。社会的な成功(他者評価)や生涯収入やどのぐらい親孝行できているかなどを他人と比べず、まずは仕事のストレスによって憂さ晴らしをするかのようなお金の使い方をしたり、見栄でお金を使うのをやめて下さい。生活保護でも十二分に暮らせるぐらいに生活をミニマムにして下さい。断捨離して物も徹底的に減らし、ラピュタのパズーのように40秒で冒険に旅立てるぐらいに身軽になって下さい。できれば鬱で休職してでも借金してでも長期の旅に出て、今の人間関係から一度離れてみて今までとは全く違う人たちと交流してみて下さい。

さて、あなたは「誰でも自信満々になれる方法」を読んで実践して下さったそうですが、恐らく実践した「つもり」で全くできていないと思います。もし出会った人をいつも心からの笑顔で承認し、感謝し、尊敬し、許し、愛するっていうことを実践して人間関係がうまくいかないのだとしたら、かつての僕と同じでよっぽど仕事が向いてないか、よっぽど深いカルマを背負っているかのどちらかです。

悪いカルマの解消法」を読んでみて下さいね。あなたのその重いカルマを解消すべく、自発的に信心を起こし、日々浄霊(霊的浄化)を心掛けて下さい。鬱状態の時には難しいことですが、心身と環境を綺麗に保ち、無料で浄霊してくれる宗教に通ってみて下さい。寄付や奉仕を強制してくるような宗教だったらそれは詐欺なので一目散に逃げて下さい。

鏡の法則」にあるように、カルマというのはどこでどう絡まっているか人間にはわからないものです。あなたは何か解決しないまま目を向けないようにしている問題はありませんか?出会った人で困っている人を助けたりしていますか?職場以外でも出会った人をいつも例外なく笑顔で承認し、人生の共演者として無条件で尊敬し、感謝し、許し、愛せていますか?謝るべき人に謝り、愛を伝えるべき人に会いを伝えられていますか?

今は視野がものすごく狭くなっていると思うので、一度鬱病ということで長期で休んでも良いですし、鬱病で退職ということで三カ月ぐらい生活保護で暮らしても良いですから、一旦落ち着いて自分の人生を振り返ってみた方が良いのではないかと僕は思います。

それと鬱の時はなかなか長文を読むのはキツいでしょうけども、少しづつでいいので他の記事も読んでみて下さい。きっと救いに繋がるはずです。

僕の言う事は陸上で世界記録を作るのとは違い、一切才能は要らず、覚悟さえあれば誰にでもできることです。最初から完璧にできない・結果がすぐ出ないから諦める、というのでは何もできません。それは「自分には世界記録は出せないから走らない」と言っているようなものです。

今はまだ精神的に引きこもっている状況でしょうから、まずはそこから出てたくさん歩くこと・歩くのを楽しんで好きになることから始めなくてはいけません。ベクトルをポジティブな方にさえ向けていれば、あとは自然に導かれるのです。それを「自分にはできない」とネガティブな方に向けていたらいつまでも与えられた課題を乗り越えることができなくなってしまいます。

あなたの問題の根源はきっと自尊心・自信の低さだと思うので、まずボランティアでもして無償で人に尽くしてみて下さい。仕事をすぐに辞められないのなら空いた時間だけでもいいので。そうしてまず人に存在を喜ばれる経験を積んで下さい。ただそれは人に評価され感謝されることが本質ではなく、あなたが「自分は絶対に悪い人間ではない」という確信を持てる経験を積むことが本質です。

鬱の時というのは、自己嫌悪の高速回路が脳にできてしまう感じで、悪い思い出ばかりを中質して思い出して「ネガティブな自己統一化」をしてしまい、自分も人生もどんどん嫌いになってしまいます。そういう時に一つでも「いや、それでも自分は良い事もしてきた」と、その高速回路を断ち切り「ネガティブな自己統一化」を外せるようなエピソードを積み重ねていくことが大事です。エゴに埋没したままではそれはできません。

自己嫌悪の元になっているのは罪と恥の意識だと思うのですが、「罪と恥の存在意義」に書いた通り、罪や恥は幻であり、許し合い愛し合うためのマテリアルですから、出会った人の罪や恥をどんどん許し、自分自身を許せるようになって下さい。他人を責めたり見下したりしなくなれば、自分を責めたり蔑んだりもしなくなります。

何より「反省してはいけない」に書いた通り、自分を責めないで下さいね。自己イメージと行動のレベルは正比例しますので、自己イメージは絶対に下げてはいけません。あなたに起きた悪い事はすべて魂の成長に必要な試練であり、あなたが悪いのではなく、あなたを自分と同じ不幸に陥れて同情されようとしている霊障のせいですから、同じような状況にあるたくさんの人に同情しつつ日々浄霊して下さい。主人公である己の尊さに目覚め、出会う人の尊さ・創造主や神々の尊さに気づいて下さい。

あなたはまだ天職に巡り合えていないのだと思いますが、天職というのは「世界を救うメシア・菩薩(主人公)」として目覚める覚悟(菩提心)を持ち、その上で「では自分には何ができるのか?」という形で見えてくるものであり、将来を恐れて臆病になり「職歴に傷が・・・」などと保身ばかり考えて仕事を辞めれず奴隷的な状況に甘んじているようでは見えてきません。愛はエゴ(我欲と保身)とは真逆にある概念なのだと知って下さい。あなたが今までの人生で人を笑顔にした経験はどんなことですか?それがヒントになるはずです。

あなたが主人公なのですから、他人と比べて「お金にならないから価値がない」と己の存在や才能をつまらないもののように考えないで下さいね。「男はつらいよ」の寅さんと同じで、映画の中ではどれだけつまらない・しがない庶民役だろうと、あなたが主役なのであり、上位次元の存在達はあなたの人生を一秒も休むことなく心の中まで全部見ているのです。

世界はワンネスであり、あなたは僕自身であり、僕はあなた自身なのです。ですから魂の兄弟として尊敬し感謝し愛しています。そして名も知らぬあなたの幸せを心の底から祈っています。

2022年12月4日日曜日

自由意志は存在するか?

この記事はnoteに移転しました。
かなり加筆修正しているので、こちらの方をご覧いただけると幸いです。

https://note.com/shinyays/n/n7ee35a94d1c4


【質問】
自由意志は存在するのでしょうか?それとも全てが予め決まっているのでしょうか?

最近の話で自由意志は存在せず、元からある肉体に外部の環境が情報として伝わり、ただ反応しているだけ。つまり全部あるべくしてあるだけなんて話もあるそうです。そうなると、この先も今までも、関数が多すぎて予測ができないだけで決まった人生を歩くのかなぁ、と半ば諦めのような気持ちになってしまいます。どうお考えでしょうか?


2022年11月30日水曜日

父親の自殺と母の事故死

【質問】30代後半・女性
いつもお世話になっております。お疲れのところ突然のDM失礼いたします。

わたしの父親は私が14歳の時に自殺し、その5年後母親が車の事故で亡くなりました。そのことは私を今も苦しめ悲しい気持ちでいっぱいにし、手に負えない感情に振り回されて困ることが多々あります。

真也さんの言葉を読み、真理に近付きたいと(それは意識するものではなく、必然そうなってしまうようにできてるかなと思う時があります。道の途中ですので未熟な表現が多々ありすみません)生きているつもりですが、何度も同じ間違いを繰り返しています。

私は確かに父親に愛されていた、今も愛されている、そう思えるようになったら変われるような気がしていますが、とても難しいです。

【回答】12月6日更新
ご質問どうもありがとうございます。とても悲しい、大変な経験をして来られたのですね。

人の悲しみや大変さは他人と比較できるものではないのですが、それでも明らかに自分よりハードな人生を送って来られている方からご質問を受けると、自分の想像力を最大限に発揮してもそのお気持ちは本当の意味ではわかりようがないのですが、ただただその悲しみとご苦労に同情します。

普段僕は「創造主は常に本人(の魂の成長)にとってベストなものを与えている」「与えられたもの一つ一つに感謝しなければならない」と語っていますが、とても深いカルマを背負い、それに値するような悪い事など明らかに何もしていないのにとても辛い経験をされている方に対してそれを言うのは、創造主の思いの代弁を任されている身としてとても心苦しいです。

ただ「人生はRPGで、自分という主人公にだけ与えられたシナリオがあり、他人とは一切比較してはいけない」というのは本当に事実なのです。大変なカルマを背負っている人ほど、魂のレベルが高く、より大きな成長を期待されているということなのです。みんなカルマを人と比べて欠点のように解釈して我が身を呪い、イージーな人生を送っていそうな他人を羨んだりしてしまいがちですが、人生というのは魂の受験のようなものであり、難易度が高いほど価値が高いのです。もちろん逃げる方向ではなく乗り越える方向にベクトルが向いていれば、ですけども。

反省してはいけない」に書いた通り、自尊心が下がると、悪いとわかっていても悪い行動がやめられなくなり、更に自尊心が下がる悪循環にハマるのです。自己イメージと行動のレベルは正比例します。多くの人の問題の根幹は自尊心が子供の頃から下げ合うように社会的に洗脳されているためであり、みんなの自尊心の低さは社会病理なのです。そしてそれは個人の欠点ではなくみんなに与えられた乗り越えるべき課題なのです。だから自分のことも親のことも誰のことも責めないで許してあげて下さいね。鬱の主原因は「自分や他人を責めること」であり、鬱の解決法は「自分と他人を責めるのを同時にやめること」です。答えは常に「誰も何も悪くない」です。

人間の行動というのは、意志がそれを選択する前に既に脳が決めているのですから、普段から良い解釈(世界観・価値観・哲学)を選択することが大事です。解釈が自分自身(世界・人生)を創っているのであり、選択肢もその解釈が運んでくるものですから、選択肢が目の前にやってきた時に行動を選択することで人生を変えようと思っても無理であり、人が自分で悪いとわかっていることをやめられないのは当たり前なのです。「自由意志は存在するか?」に書きましたが、自由意志(選択の自由)とは行動の選択ではなく解釈(世界観・価値観・哲学)の選択なのです。それが自分の人生=世界を作るのです。

誰でも自信満々になれる方法」これは本当に人生・人間関係の万能薬なので、ぜひ読んで実行してみて下さいね。そして自信満々になって下さい。自尊心が上がれば行動のレベルも上がってどんどん自分自身もみんなも人(人生・世界)が好きになる好循環に入れます。

質問後のDMでご結婚生活も色々問題があるとのことなので「離婚について」もぜひご参照下さい。良くない結末を迎える前にどうか立て直して下さいね。

そして血縁関係なんかに捉われず、また自分に都合の良い人だけを愛して追いかけまわしたり、苦手な人を嫌ったり攻撃したり避けたりしようとせず、出会ったみんなを例外なく家族のように(自分自身のように)愛して仲良くなって下さい。愛情は無条件でなければなりません。「こういう人は愛せるけど、こういう人は愛せない」というのは愛ではなくエゴなのです。日々少しずつでも愛情の条件(エゴ)を外していくことが人生の修行です。そうして自分の心の仏国土を愛で満たし、出会った人を心に写し取ることでみんなをその住民として迎え入れ、例外なくみんなを愛し、その愛をこの世界中に連鎖させて下さい。それがあなたという主人公(メシア)の使命です。

メシアになるのに必要なのは覚悟(愛)だけであり、有名人や権力者になる必要は全くありません。すべては波動で出来ていて、それは指数関数的に連鎖するものなのですから、あなたが心を愛で満たしてそれを出会った人に遍く連鎖させていくなら、世界はいつか必ず救われるのです。

カルマ(その人に初期設定された課題)の重さは人それぞれ違っても、それは本人にとってはギリギリのとても重いものですから、逃げ出したくなる気持ちも僕にはよくわかります。実際僕は自殺した経験がありますからね。(そこから創造主に救われて、次々に真理に導かれて幸せになっているので、彼の代理で真理を伝え人を救うという使命を果たす以外の選択肢は僕にはありません)

霊障に深く犯されて重い鬱になると、本当にエゴにまみれになって他の人のことなど全く考えられなくなってしまうのです。例え愛する家族を置き去りにすることになろうと、とにかく今の苦しみから逃れることしか考えられないようになってしまうんです。溺れて苦しんでいる人が、助けに来てくれた人を本能的に(本人の意思とは関係なく)沈めてでも助かろうとしてしまうが如くです。でもそれは決してあなたを愛していなかったということではないと僕は思います。あなたの父親がどんな方だったのか僕にはわかりませんが、人がするどんなネガティブな思考や行動も運命(カルマ)であり、本人には止むに止まれぬ事情があってやってしまったことなのです。

あなたが今とても辛い状況にあるのも、止むに止まれぬ事情があって、自分なりにベストを尽くした上でそうなっているのですから、自業自得・自己責任だなどと考えて自分を責めないで下さいね。いままでのことはすべてRPGの設定であり、それを最終的に幸せになるための伏線として考えて、人生=世界をより良く解釈して幸せになって下さい。人生はRPGですから、困難からスタートするのは当たり前ですからね。そしてそこからの大逆転劇は必然であり、困難をいつまでも続くと解釈して不平不満を言って我が身を呪えば本当に最後までそのような人生になってしまいます。

日本人は「自業自得」「自己責任」って言葉が大好きですが、「本人が悪いんだから不幸になっても仕方がない」っていう考え方はすごく冷たいんです。そういう考え方の人ばかりだから鬱になると「自分のせいだから不幸になっても仕方がない」と考え、誰にも相談したり助けを求めたりできずに自殺したりするんです。僕らは誰一人自業自得で生まれてきていません。壮大な因果の中でちゃんと理由(使命)があって必然として生まれてくるのです。罪と恥(=自業自得)は幻だと知って下さい。メシア(主人公)の使命は相手の善悪に関係なく、例外なく出会った人から救っていくことです。自分より悪い人を責めて蹴落とし自ら地獄に落ちる「蜘蛛の糸」のカンダタにならないで下さいね。人には例外なく欠点があり過ちを犯します。相手の良し悪しを判断せず、愛情に条件を付けず、助け・救いが必要な人と出会ったらどんどん助けて救って行って下さい。

因果は循環するものであり、常に過去に遡って上書き更新されています。「悪い事があったのだから、自分が悪い思考・行動をするのは仕方ない」と考えて悪い思考・行動をやめれないでいると「そういう言い訳をして悪い思考・行動をする人間だからこそ過去に悪い事が起きた」ということになり、また悪い出来事を引き寄せて繰り返してしまいます。悪い事があっても悪く解釈して悪い思考・行動がやめられなくなって、人生を自ら台無しにしてしまうのです。だから悪い出来事も悪く解釈してはいけません。自分の魂の成長に必要だったから起きたと考えてどうか乗り越えて下さい。この点は理解が難しいと思いますが「自由意志は存在するか?」を読んで下さいね。未来と同じように過去は可変なのです。

きっとあなた自身も自殺を考えるほど辛い経験をされてきたのですから、どうかその父親の苦しみに心から同情し、カルマから逃げてしまったその過ちを赦してあげて下さい。「罪と恥の存在意義」に書いた通り、あなたが出会う全ての罪と恥は、あなたに許されるのを待っているのです。そして「音と水の存在意義」に書いた通り、今からでもご両親に愛の波動を言葉と思念にして送ってあげて下さい。それは決して無意味で無駄な事ではありません。そしてあなたはどうか自分のカルマから逃げないで下さい。

人の悲しみというのは他人と比較できるようなものではないのですが、僕も叔母を(その旦那さんと共に)交通事故で亡くしました。実の両親は僕が経済的に自立するまで健在でしたが、性格が全く合いませんでした。親は基本的に常識人で、僕に愛情を持ってきちんと育てようとしてくれていたにも関わらず、僕は小さい頃からいつも逆らってばかりで、人生のことを相談したりしたことは全くありませんでした(今は心から尊敬し感謝していますけど)。そのカルマをまだ解消できてないせいか、今でもブラジルで独身修行中で(血縁的には)天涯孤独の身です。まぁ今の僕の考え方や行動を常識的な人たちはまだ理解し受け入れられるわけもないですからね。創造主から直々に教えをいただけるなんて幸せは恐らく他の誰にも与えられていませんし、僕は周囲のみんなに愛されてとても幸せに生きています。それでもブラジルは家族をすごく大事にする国民性で、仲睦まじい姿を見せられると、時々羨ましく感じそうになることもあります。僕は実の親を自殺や事故で亡くしているわけではないので、あなたのお気持ちがわかるとまではとても言えませんが、少しだけは想像できます。

すべての存在は同源でありワンネスです。我々は同一の魂(創造主の魂)であり、そこから分け御霊を与えられ、肉体と個性と個別の使命・シナリオを与えられ、欠点や過ちを許し合い、個性を尊重し合う事でまたひとつなぎに一つになれるという神話の中を生きているのです。本当はすべての人間の魂が創造主の分け御霊であり、同一人物のようなものなのです。

「一番大切なものは家族」そのように僕らは血縁関係に捉われ過ぎる価値観が初期設定(常識)です。でもその常識的価値観ゆえに、震災や交通事故などで家族を亡くして天涯孤独になってしまった人の多くが自殺してしまうのです。それはとても悲しく残念なことです。「家族(血縁関係)が一番大事=家族以外には助けを求められない・助けなくても別に何の責任もない=家族がいなかったり仲が悪かったり負担にしかなっていない人は将来絶望的」という価値観が社会的にたくさんの人を不幸に陥れて殺しているんです。子育てや介護や借金などが家族だけに押し付けられる価値観は常識ですが、僕らはそれを覆してみんなで無償で助け合う世の中を実現していかなければなりません。それが主人公(メシア)一人一人の使命です。

キリストも釈迦も、血縁関係を特別扱いはしない人でした。釈迦は家族を捨てて出家した人ですし(最終的には奥さんや子供も弟子にしていますが)キリストは「出会った人が兄弟だ」と公言していて、やはり若い時から出家し(13歳から29歳まで聖書に彼に関する記述がないのは、エッセネ派のクムラン宗団で修行していたからだと目されています)人を救うために俗世に戻ってきてからも、彼は親が遠くから訪ねてきた時でさえ、信者たちを優先して家族には会おうとせず冷遇したこともありました。

常識とは何か?」に書きましたが、もし常識が全部正しいのなら、我々に生まれて来た意味はありません。僕らが生まれて来なくても世の中は勝手に良くなっているはずだからです。それでは主人公が世界を救うというRPGの基本設定が成立しません。常識のほとんどは主人公に与えられた初期設定の課題であり、基本的には人を不幸にするものなのです。そしてその常識に当てはまらない個性や経験を与えられている主人公は、その常識を覆すことが使命なのです。

誤解して欲しくないのは、決して常識に価値がないということではないということです。闇雲に常識に逆らえば良いという話をしているのではありません。常識(コモンセンス≒共通ルール)があるからこそ我々は人生というRPGをみんなと一緒に楽しめるのであり、それゆえコミュニケーションが取れて一緒に経験を積んで共感し合うことができるのですから。常識に何の理もなければそれは常識には成り得ません。常識は常識でちゃんとわきまえていることが大事です。ただ常識にはそれなりの理があるのですが、それは初期設定であり課題(間違い)が含まれているのです。だから常識が正しいとか間違っているとかということではなく、自分にとっては良くない・合わせられない常識と戦う姿が、常識に縛られて合わせられず苦しんでいる人たちに勇気を与えるということです。自分がどうしても合わせられない常識があれば、それはそれを覆す使命が与えられているということなのです。「やりたいことが見つからない」「生まれて来た意味がわからない」という人は多いですが、そこを考えれば突破口になると思います。

親を早くに失くしたり、または虐待されていたり、またそこまでは行かなくても親と仲が悪い人というのは、世の中には我々の思いの他たくさんいるのです。「家族が一番大事・幸せの条件」みたいな価値観の社会から排除されたくないから、世間体を取り繕って見下されないように幸せアピールしているだけで、実際は多くの人が家族愛を感じられず、家族仲睦まじい(様に見える)人達を羨ましがって、我が身を呪い落ち込んでいるのです。

しかしそれは課題(カルマ)であり、出会った人と例外なく家族のように助け合い愛し合うことで、世の中がワンネスに目覚めていく神話の過程において重要な使命を担っているということに気づかなければなりません。

世界中の人が鬱の海で溺れているところを想像してみて下さい。みんな人に迷惑をかけないこと(自立)・人の役に立つことを人生目標に掲げ、その海で他人と争って泳ぎ(働き)、いつか沈んでいくのです。僕らがどんなに必死で泳いでも、他人を抱えて泳ぐのには限界があります。「家族(血縁関係)が一番大切」という価値観で、家族だけで助け合って抱えて泳ごうとしても、共倒れになって共に沈んでしまうのです。僕らは泳ぎを競い合うのを止めて、ただ出会った人と家族の様に手を取り合って助け合えば、みんなで楽しく浮かび上がることができるのです。主人公(メシア)にはその連鎖を推し進めていく使命があるのです。

「こういう人は絶対不幸になる」という世間の悪しき常識通りに自分も幸せを諦めて不幸になるのではなく、あなたという主人公(勇者)が幸せになってその常識を覆さなければなりません。そして同じように不幸にあえいでいるたくさんの人たちが、本当はあなたの救いを待っているのです。悩んでいる時は他人が見えずエゴにまみれて、まるで「こんなに悩んでいるのは自分だけだ」というように考えてしまいがちですが、本当は人の悩み(課題)というのは抽象度を上げて行けば同じなのです。質問箱をやっているとそれを痛感します。

そして「憑依体質の存在意義」に書いた通り、カルマ=霊障であり、それが魂の成長のために我々に与えられた課題なのです。あなたからいただいたメッセージを読ませていただくと、本当に深く霊障に犯されているのを感じます。僕は決して霊感商法みたいなことをしてお金を取ったりして自己利益には絶対につなげないので、どうか騙されたと思って浄霊は毎日受けるようにしてみて下さい。霊障も悲しい経験があって霊障はあなた自身と同じように、悲しくて辛くて苦しくて、それがわかってくれそうなあなたに同じ経験をさせ、同情を求め許され共に幸せになって成仏することを求めているのです。だからあなたが自分自身を許し、自分と同じ経験をしているような人を同情し許すのであれば、その正体も知れぬ霊障を許してあげることになるのです。どうか霊障を成仏させてあげて成仏して下さいね。罪とは幻であり、今までやってきたあなたのあらゆる悪事は霊障のせいであり、他人の悪事もすべて霊障のせいです。だからすべての悪事を霊障のせいにさせてもらいつつ同情し、なおかつ霊障も自分も他人も許してあげて下さい。

浄霊をするためにも、どうか信心を持って下さいね。どんな宗教でも、縁があると感じたら逃さないで下さい。お金や奉仕を強制してくるような宗教は宗教ではなく宗教を悪用した詐欺なので、一目散に逃げて下さい。宗教団体は欠点があり過ちを犯す人間が運営するものですから、腐敗が必然であり、それは例外がありません。でもそれを乗り越えて信心を起こすからこそ信心には価値があるのであり、世間の常識通り「宗教=怪しい・騙される」などと思い込んで決めつけて、神々について信じ学ぶことを放棄しないで下さいね。できれば原典から宗教を学びつつ、宗教団体からは形式・実践方法を学んで下さい。宗教=悪という日本人の多くが持っている常識もまた多くの人に共通した初期設定の課題なのです。

真理は経験なしに手に入るものではありませんから、どうか六波羅蜜を行じて、日々実践を通じてあなたの覚りを開いていって下さい。六波羅蜜はネットで調べればすぐわかりますし、理解も実践も覚悟さえあればそんなに難しいものではありません。常に改善しながら実践し続けるのは大変ですけど、それが人生という修行ですからね。我々は成長を楽しむために生まれて来たのです。

悪いカルマの解消法」もぜひ読んで下さいね。日々浄霊し、信心を強くし、カルマを解消して下さい。どうかあなたのその深いカルマを「魂のレベルが高いからこそより大きな成長を期待されて与えられたものなのだ」ということをどうか理解して下さい。そしてきっと幸せになって下さいね。心からそれを祈っています。

2022年11月13日日曜日

アヤワスカで頭がおかしくなる人がいるのはなぜ?

【質問】
アヤワスカを摂取する上で、悟りを開けずに精神状態が狂ってしまう人が稀にいますが何が原因だと思われますか。

Connor Murphyという私が筋トレを始めるきっかけになった立派なボディビルダーのYouTuberがいたのですが、彼は2年前にアヤワスカを摂取してから支離滅裂な言動を繰り返すようになり、今までの健全なフィットネス動画を削除して、自分の精○を飲んだり、自分が神だと信じて街中で叫んだり、ゴルフの世界シリーズで優勝できると本気で信じてコースに乱入して逮捕されたり、めちゃくちゃに散らかった無残な家で痩せ細った体で電源の切れた携帯電話に延々話し続けたり、頭がおかしくなってしまいました。

最終的に自分自身がおかしいことに気づき助けを求めて生配信で現住所を晒して駆けつけた救急隊により精神病院へ強制入院されましたが、退院後は少しずつ元の彼に戻ってきてるようです。彼が狂ったのは何が原因だと思われますか?

彼はもともとマッチョで女性にモテて自尊心が高かったのですが、アヤワスカは元々個々のポリシーや固定観念が確立されている人物には逆効果なのでしょうか?経験を踏まえて解説していただけると嬉しいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

>アヤワスカを摂取する上で、悟りを開けずに精神状態が狂ってしまう人が稀にいますが

まず「通常はアヤワスカを摂取すれば覚りが開ける」と思われているのなら、その時点で誤解だと思います。アヤワスカを飲んだだけで覚れるのならブラジルやペルーは覚者だらけになっているでしょう。アヤワスカは本人にとってその時に必要な導きがあるというだけで、全員にいつでも必ずポジティブな影響を与えてくれるものではなく、ネガティブな反応が出てアヤワスカを嫌いになる人もたまにいます。そして儀式中にネガティブな霊に憑依されて錯乱する人などはそっちゅう出ますし、それを浄霊して介抱するのが僕の儀式における役割みたいなものです。

ただ儀式後も憑依状態が続いて日常生活に支障をきたしているという例は、僕がのべ数万人と儀式をしても一件もありません。儀式中にどれだけおかしくなっていた人も、儀式が終わったらいつものその人に戻ります。

しかし最近日本でシャーマンを自称し、アヤワスカなどの幻覚剤を用いてお金儲けをしたり、人をコントロールし支配するために危険な人体実験を行っている人たちがいると知りました。そしてそういう人たちの元で儀式を受けて発狂したり自殺したりした人が複数人いるとも聞いています。アヤワスカの儀式には知識と敬虔さが不可欠のものであり、それらがない人の元では絶対に儀式を受けてはいけません。

基本的にシャーマンというのは資格のある肩書ではなく、幻覚剤さえ手に入れて儀式を行えば誰でもシャーマンを自称することはできます。でもブラジルで「私はシャーマンです」なんて言う人に僕は会ったことがありません。「あなたはシャーマンですか?」と聞かれれば、自負のある人は「そうです」と答えるでしょうけども、そういう仕事をしていれば相手はすぐシャーマンだとわかるわけで、わざわざ聞く機会もありません。わかりやすく言うと、例えば「良い人」というのは受け手側の印象であって本人の特質ではないでしょう。それを他人から言われるのは結構な事ですが、自分で「自分は良い人です」などと自称すれば、その時点で「何かを企んでいる・怪しい」と思われるでしょう。そこは「シャーマン」も同じだって事です。実際シャーマン自称者というのは金・エゴ(他人を意のままに操るなど)を目的としているのでしょうから、近寄らない方が無難です。純粋な思いでシャーマンをやっているような人が自称するわけないのです(僕は絶対自称しません)。

そもそも日本でアヤワスカは違法ですし、日本で行われている儀式はアカシア茶のようなアヤワスカ・アナログ(疑似物)とケミカルのMAOIによるものですから、ナチュラルかつ伝統ある現地のアヤワスカとは別物であって、とても危険なものだと認識していただきたいです。

そして元々カルマがあまりに重すぎる人は、アヤワスカによって返ってカルマを重くしてしまって悪い方に振れたりすることもあるようです。通常、アヤワスカの儀式を受けた人というのは愛に目覚めて自己超越性が高くなるのですが、元々のエゴが強すぎる人の元で儀式を受けると、エゴが更に強まってエゴの権化みたいになったりするようです。最近、そういう日本人数名をネット上で知りました。

それと日本人はシピポ族などのインディオがみんな敬虔で共存共栄の社会を築いている聖人であるかのような幻想を抱きがちですが、実際は奪われ続け虐げられ続けてきた悲しい歴史ゆえにお金にすがりがめつくなっている人がほとんどで、そこに加えて現地ではアヤワスカバブルが起きていて、お金を持った外国人たちから多額の儀式料を得られるために、お金目的のエセシャーマンが溢れ返ってる状態なのです。

そういうエゴにまみれたお金目当てのエセシャーマンの元で1週間で何十万円というボッタクリ料金を支払って儀式を受けることはとても危険です。そういう事情がわからず、現地料金とは逸脱した主催者の下で初心者が儀式を受けることは、お互いにカルマを悪化させることになるのです。

僕はアメリカのシャーマニズムの現状を全く知りませんが、日本と似たり寄ったりの状況になっていることは想像に難くありません。

僕はConnor Murphyという方を全く存じ上げませんから、少しだけ彼の情報をネットで見てみて想像で語るしかないわけですが、彼の様にそういう人が急に変わったようになる現象は、霊障・憑依によるものだと僕は経験上確信しています。詳しくは「憑依体質の存在意義」「浄霊の効果の高め方」をご覧下さい。

人間は霊の集合体ですから、基本的に霊障に犯されていない人というのはいません。霊障というのは常に自我を乗っ取ろうとしているのであり、敵対的M&Aのようなもので、ジリジリと株式を取得するように宿主の自我を奪い続け、過半数の取得に成功した時に宿主の経営権がほぼ完全に霊障に奪われる感じになるのです(本人に自覚はありません)。他人から見てそれが突然でも、実際それは全然突然ではありません。その霊障による宿主乗っ取り達成の直接的なきっかけになる出来事(この場合はアヤワスカ)に全ての原因を求めるのは、僕はナンセンスだと思います。それはトリガーであって本当の原因ではないのです。霊障が宿主の自我を乗っ取るために幻覚剤のような自我を手放させるようなものを求めさせるのです。

アヤワスカは本来苦しみの元になっているエゴから一時的に離れさせて神我(真我)の視点から自分を見つめさせてくれるものですが、エゴから離れるということは自我から離れるということとほぼイコールですから、既に霊障に過半数近くの自我を乗っ取られている人がやれば、ほぼ完全に自分というものの経営権を奪われることになります。だから統合失調症など深く霊障に犯されて自我が揺らいでいる人にアヤワスカは禁忌とされているのでしょう。

本物のアヤワスカは数千年受け継がれる伝統文化であり、もしメリットよりデメリットの方が大きければそんなに長く受け継がれるわけがありません。圧倒的にポジティブな影響が出る人の方が多いです。しかしエセシャーマン&エセアヤワスカの儀式により精神錯乱や死亡などネガティブな結果が出る人がいたからといって、アヤワスカを悪者にしてそのリスクを過剰に恐れるのはナンセンスだと僕は思います。日本だって餅を喉に詰まらせて死ぬ人が毎年数百人いますが「餅は危険だから法律で禁止しよう」なんて話は聞いたことがありません。こんにゃくゼリーは歴史が浅いために悪者にされて規制が入りましたけどね。

あなたはいかにも「彼は立派な人だったのにアヤワスカ(単体)によって頭がおかしくなった」というような書き方をしていますが、実際に会ったことさえないんですからわかりようがありません。彼のファンであるあなたが元々の彼を立派だったと思うことは自然なことですが、彼が元々本当に精神的に立派な人だったかどうかは、少なくとも彼を直接知らない人・表面的にしか見ていない外野には全くわからないことでしょう。特に人気商売をしている人たちは自分を実際以上に良く見せようとする意識が強いでしょうから、本当のところは全くわかりません。

まずもって欧米のボディービルダーっていう時点で真っ先にステロイドの影響が疑われます。欧米のプロのボディービルダーで薬物を使用していないナチュラル派の人って殆どいませんからね。現状、ナチュラルでは大会で勝ったり人気者になったり稼いだりはとても難しい業界です。

ステロイドが心身に及ぼす悪影響については様々言われていますが、結局のところ学術的にはまだ全然よくわかっていないのです。クリス・ベノワというステロイド依存症のプロレスラーの一家無理心中事件は知っていますか?死亡解剖して、彼の脳の萎縮が激しかったことはわかったのですが、結局何が原因かは想像の域を出ません。ステロイドかも知れませんし、他の薬物の影響もあったのかも知れません。ただ僕に分析させるのであれば、僕はステロイドにも霊障に少しずつ自分を明け渡すという影響があると思っています。だから多くのステロイドユーザーにロイドレイジのような症状が現れるのでしょう。

そしてこれはあくまでも僕がこのConnor Murphyという方から個人的に受けた印象であり、ファンであるあなたを傷つけてしまったら大変申し訳ないのですが、彼はステ以外にも色々な薬物をやっている感じがします。経験上、そういう臭いを感じ取ってしまうのです。そもそもアヤワスカ単体でこんなにおかしくなるってことは見たことも聞いたこともないです。他の薬物が主要因か、その薬物とアヤワスカとの相互作用が強く疑われます。人気商売をやっている人が自ら違法薬物をやっているとはあまり言わないでしょう。彼はきっと他人から今の自分はおかしいと思われているという程度の自覚はあって、他の薬物中毒を疑われないように全てをアヤワスカのせいにしているっていう可能性も考えられます。アメリカなどでは儀式上の使用のみ合法なので、彼は宗教上の理由でアヤワスカを使用していると強調しているのでしょう。でも彼の言動や行動からはアヤワスカの儀式による神聖さが微塵も感じられません。だいたいここまでおかしくなっている人にアヤワスカを飲ませるシャーマンがもしいるなら、その人も絶対まともじゃないです。

そしてアヤワスカは他の薬物と深刻な薬物相互作用を起こす可能性があります。だからちゃんとしたシャーマンは事前に麻薬や精神薬など禁忌の薬物を使用していないか必ず確認します。アヤワスカは薬物依存症にも効果が期待されるものですが、同時に使用したらかなり危険なのです。僕がネットで探したアヤワスカ関連の重大事故はすべて、シャーマンの指示・禁忌に従わず破って麻薬や精神薬などの薬物を併用したと見られるケースや、ちゃんとしたシャーマンの元ではなく悪徳シャーマンによる洗脳などを目的にした儀式だったり、知識・経験のない人達だけで幻覚目的で勝手に他の薬物と共に乱用したと見られるケースのみで、アヤワスカ単体での重大事故というのは(現地では)まずあり得ないことなのです。

そもそもアヤワスカの幻覚主成分であるDMTは人間の体内でも常に分泌されているもので、カーピだけでなく多くの植物に微量含まれており、非常にナチュラルかつありふれたものなのです(我々が現実と思っているものも幻覚の一種です)。薬物相互作用を起こすのは、DMTを分解する酵素を抑えるための物質(モノアミン酸化酵素阻害物質)と麻薬・精神薬なのです。

では「彼がなぜそのような霊障(カルマ)に犯されるようになったのか?」それは僕にもあなたにも知りようがありません。すべての存在・事象(森羅万象)は因果により果てしなく複雑に結びついており、それを本人の視点で見たものがカルマです。しかし自分のカルマでもよくわからないものなのに、見ず知らずの他人のカルマなどとても追いきれるものでないのです。

それでも人間というのは起きたネガティブな出来事に対して、直接的な原因を探してそれに全ての責任を押し付けて責めて精神的に整理をつけられさえすれば一見落着と考えます。ただ原因には必ずまたその原因があるのであり、それを人間が遡るのは限界があるのです。

例えば自分の不幸の原因が親にあると考えるとして、そのような問題ある親になったのはその親の親が原因でしょう。そのように原因というのは遡っていけば究極創造主の天地開闢・人間創造にまで至ることになってしまいます。でも人間は「親が悪い」と自分に都合の良い所でその因果の連鎖をぶつ切りにして原因だと決めつけて全責任を押し付けて心の整理をつけたい生き物なのです。でもそれでは何の解決にもならず、カルマを自分の学び・成長の糧としなければ、かえって更なるカルマを積むことになるのです。(結局自分の親と同じことを子供にしてしまう、など)

何かの犯罪事件が起きると、ほとんどの人はそれをニュースで見て犯人とその手口と動機がわかって裁判でしかるべき判決が出て裁かれれば一件落着と考えます。でも犯人や被害者がどういう因果でその事件に至ったのかをとことん遡って調べて考える人はまずいませんし、調べたところでどこまでも追いきれるものではなく、また追ったところで影響のあったすべての人を裁くことなどできませんし、既に亡くなっている人に責任を取らせることはできません。とりあえず「犯人が悪い(憎い・処罰を受けるべきだ)・被害者は可哀そう(謝罪・補償を受けるべき)」と考え、裁判結果が出て精神的に整理がつけばOKであり、またそのようにインスタントに整理をつけなければ犯罪事件のニュースなんか見てられません。いちいち見ず知らずの他人のカルマの追求にまで時間と労力を割いていたら、自分の人生を生きれなくなってしまいます。

それは犯罪だけでなくあらゆるネガティブな出来事についても言えることで、例えばお風呂が体に良いのは現代日本の常識ですが、日本だけで年間何千何万という人がお風呂で亡くなっており(ソース)、その中には健康に何の問題もなく突然死した人も多数含まれます。死亡解剖しても全く原因がわからないのです。僕の大学時代の同級生もそうして突然亡くなりました。でもだからといってお風呂を悪者にして、お風呂に入らないなどという人はあまりいないでしょう。またやはり健康に何の問題もないのに、就寝中に亡くなる人もいます。だからといって睡眠を死の原因と考えて寝ないようにしたら、余計に死のリスクが高くなるだけでしょう。

我々はカルマを背負って生きているのであり、例え我々が何をしようと(何もしまいと)意識していないだけで必ず何がしかのリスクが生じているのです。でも我々が何かの事象の原因と考えるものはトリガーに過ぎないもので、直接トリガーとなった出来事を全ての原因と考えることは短絡的だということです。もしそのトリガーがなかったとしても、きっと別なものがトリガーになっていたはずで、結局運命というのはカルマを解消しない限り結果は殆ど変わらないものなのです。全ては偶然を装って起きているだけで、この創られた仮想現実RPGの世界に偶然など一つもないのです。そして何の事象でも、人間はその表層しか見ることができず、本当の原因はもっとずっと深い所にあるのです。件のボディービルダーがなぜおかしくなったのか?その原因をアヤワスカだけに求めるのは短絡的過ぎるということです。

そのように我々が原因だと分析するものはいつも非常に浅く、本当の原因ではありません。我々がその責任を事件の直接的なトリガーになったものに押し付けて裁き、精神的に整理をつけたいだけです。しかし何かの事象というのは壮大な因果が氷山の一角のように表に出ただけものであり、原因には更にその原因があります。そしてそれは創造主の天地開闢まで果てしなく続いているのです。

人生というのは成長プログラムであり、実際に知り合った人のカルマを鏡としながら自分に与えらたカルマ(課題)を探求し、その複雑に絡み合った糸を解きほぐすように解決して乗り越え、自発的意思により成長していかなければならないのです。つまり大切なのは件のボディービルダーのカルマではなく、彼のカルマを通して見えるあなたのカルマは何かということです。

「自分のカルマ(課題・使命)とは何か?」それは本来自分で考える事であり、それが人生の醍醐味だとも言えます。そして僕はあなたのことも件のボディービルダーの事もまったく知らないのであくまで想像に過ぎませんが、ご参考にしていただければ幸いです。

まずあなたには信心がなく、それゆえに霊的知識もない感じがするということです。詳しくは「悪いカルマの解消法」をご覧下さい。僕らが生まれてきたのは自発的に信心を起こすことですから、それを起こさなければ霊障により様々なネガティブな出来事がやってきます

それと今の時代、ネットで情報を集めるのは当たり前のことでそれ自体は全然悪くないのですが、それにより経験しなければわからないことを既に理解したような錯覚に陥って経験を避けるようになるリスクがあるということです。これは現代人に共通した課題・カルマと言えるでしょう。経験しないリスクより経験するリスクを恐れ、経験を積まず情報に振り回されるのでは何のために生まれてきたかわかりません。我々は経験をするために生まれてきたのです。

>彼はもともとマッチョで女性にモテて自尊心が高かったのですが、アヤワスカは元々個々のポリシーや固定観念が確立されている人物には逆効果なのでしょうか?

彼の問題は純粋に霊障(カルマ)であり、本人の元々の個々のポリシーや固定観念の確立は関係ないと思います。また件の彼が狂う前に「自分」というものをしっかり持った素晴らしい人物だったとも僕には思えません。善良な信心を持っておらず、アヤワスカの摂取前に既に霊障にかなり犯されていたことが原因でしょう。

そしてあなたが「イケメンマッチョで異性にモテて自尊心が高く立派で幸せな人のはずなのになぜ狂ったのか?」みたいな書き方をされているところに、僕は多くの日本人が陥っている「他者評価依存」という社会病理を見て取ってしまいます。それが多くの日本人に共通したカルマ(課題)なのです。

幸せとは主体者たる自分が感じるものであり、他人から評価されて幸せそうに見られることには何の意味もないのに、日本人は幸せを感じる事より他人から評価されて他人から幸せそうだと羨ましがられること(他人から見下されて傷つかないこと)に心血を注いでいて、それが生きる目的のようになり、いつも自分を偽って生きている感じがします。

そして日本人の多くは「自信・自尊心というものは能力(他者評価)の上に築くべきものだ」という常識を植え付けられて疑うこともできなくなっている感じがします。詳しくは「誰でも自信満々になれる方法」を読んで下さい。

あなたが彼の影響で筋トレを始めたこと自体は素晴らしいことだと思います。ぜひ続けて下さい。僕自身もトレーニング好きで平日はほぼ毎日欠かしません。でもそれは純粋に好きでやっていて、大会で勝とうとか、マッチョになって他人から褒められたりモテたり羨ましがられたりしようとか、そのように他者評価を得ることで自信をつけ、それによって自尊心を上げようなんて目的ではやっていません。

能力(他者評価)の上に築こうとする自信なんていうものは幻であり、例え今はあるように見えても加齢などでいつかは失われるのが自明です。そういう仮初めの自信は躁うつ病の躁状態みたいなもので、失われた時の落差をかえって大きくするだけです。そしてみんなそれが薄々わかっているから、自信満々に見える人でも内心はいつかその自信を失うのを恐れているのです。しかし何かを恐れながら本物の自信など身に着くわけがありません。

真の自信をもたらすものは、出会った人を例外なく尊敬し、感謝し、許し、愛し抜く覚悟だけだと僕は確信しています。

2022年11月8日火曜日

生まれの格差について(陰謀論)

【質問】20代前半・男性

初めまして。最近真也さんの発信を見させていただいている20代前半の男です。

答えづらい質問かもしれませんが、現在、世界では悪魔崇拝をしているグローバルエリート達による世界支配体制樹立が行われようとしています。彼らは戦争や食糧危機で人々に恐怖を煽ったり、個人情報を管理して言論統制や民衆の監視を行う社会体制を作ろうとしています。戦争や食糧危機等で人々に恐怖を煽り、個人情報管理等で監視社会に向かわせようとしています。この一連の流れも、この過程で失われる命や苦しむ大勢の人々も創造神のシナリオによるものなのでしょうか?

聞くところによると、彼らは資本主義のシステムによって人々を搾取するだけでなく、人身売買や違法取引、紛争等あらゆる悪行を裏で操り、それを数千年前から😈の啓示を受けて行ってきたらしいです。その過程で不条理に奪われた大勢の命の存在もシナリオ通りなのかなと気になりました。

また、ブラジル在住とのことでお聞きしますがブラジルでは貧富の差が激しく、多くの貧民がスラム街(ファベーラ)に住み着き、生きるために盗みを働いたりギャングになって人を殺したりするような現状があると思います。一方、私は日本人として少なくとも衣食住に困った経験はありません。このような明らかな生まれの差というのも、意図的に作られてるということなのでしょうか?

この世界は愛と勇気を試すフィールドであるのは理解しておりますが、流石に私のような日本で普通に暮らす日本人と、ブラジルで生きるか死ぬかの毎日を送ってる人間に同じ使命を課すのは中々酷ではないかと感じてしまいました。

駄文を失礼しました。

【回答】※2024年9月1日更新
ご質問ありがとうございます。発信を見ていただいてとても光栄です。

>この一連の流れも、この過程で失われる命や苦しむ大勢の人々も創造神のシナリオによるものなのでしょうか?

はい。全て創造主のシナリオ通りです。世界は我々人間からするとあまりに理不尽に感じられ、文句を言いたくなる気持ちはよくよくわかるのですが、それは設定でありプロセスであって、結果ではないのです。

人生(=世界)はRPGですから、冒険を始める前からシナリオが用意されているのは当前です。すべての存在は全知全能たる創造主の一部であり、この創られた仮想現実のRPG世界に創造主が意図せず生み出された存在は一切ありませんし、意図せずに起きることも一切ありません。ドラゴンクエストのようなRPGの世界に、クリエイターが意図していない存在が出て来たり、意図していない出来事が起きたりすると思いますか?それを考えればわかることです。

答えにくいどころか、noteでも他の方からの同様のご質問悲惨な世界も創造主の計画通りですか?」「愛の力の弱さに反吐等でも既に再三お答えしていることなのですが、どうしてもご納得いただけないようですね。まぁ人間は基本的にそのように目覚め難くプログラムされているのですから無理もないことです。ですので今回は陰謀論的内容にもお答えする形で、創造主が創りし壮大かつ偉大なシナリオ(各プレイヤーのRPG世界に共通の設定)をより詳しくわかりやすく解説したいと思います。いまだに全く目覚めようとしない魂の兄弟たちのために。

「完全無欠・全知全能の神がこの世界を創ったのなら、なぜこの世界には悪があるのか?」というのはライプニッツの時代より遥か昔からある哲学的命題であり、それが無神論の根拠にもなってきたわけですが、人がそのような考えに陥るのももちろん全ての全てを創りし創造主のシナリオ通りであり、予定調和なのです。


僕らは「完全性」というものを欠け(欠点・過ち・問題)がないことのようにイメージしてしまいますが、しかしそのような単純な完全性からは何の必要性も生じず、何も経験できず、何も創造できず、感情(面白さ・楽しさ・ドラマ性・芸術性)も何も生じず、何の存在意義も生じないのです。だからこそ真に完全である創造主は意識を分離して個性(欠点や過ちと不可分)を与え、全ての存在に僕らからすると不完全性としか認識できない欠け(欠点・過ち・問題)を創り出し、お互いを必要とさせ、経験的にお互いの存在意義を感じさせてくれているのです。そのように「創造主とは何者で、どんな意図で創造しているのか?」というところを説明できれば答えは明白なのですが、超長文になってしまうため、追々別記事にてご説明差し上げたいと思っています。


みんな創造主という存在をいわゆる善神のようにイメージするから理解を誤るのでしょう。善神も悪神も本当に全ての全てが創造主の創造であり、創造主の現れであり、創造主の分身なのです。そしてそれは全て人生というRPGにおいて必要だから存在しているのです。

例えばドラクエのようなRPGの世界において、あなたは「魔物たちはクリエイターの意図なしに自然発生してしまったもので、クリエイターが退治できないために野放しになっており、そのために世界が悪に支配され格差社会になっている」などと考えるでしょうか?あなたのおっしゃることはそれと全く同じことです。もしそうなら創造主は全知全能ではないでしょうし、そんな非力な存在が世界自体を創ったということもありえず、世界は創造主が意図せず自然発生したものだということになります。しかし仮想現実が理由もなく勝手に自然発生するわけがありません。

RPGの魔物と同じく、この世界の悪魔・霊障も、プレイヤー(主人公)の冒険のためにクリエイターが創造した創造物であり、物語の都合(シナリオ・伏線)上、与えられた役目を(無自覚に)果たしているに過ぎません。あなた自身も、僕も、世界を完全に支配しようとしているグローバリストたちも、この宇宙のあらゆる存在が創造主の一部であり、理由(役割)があって生まれてきているのです。そのように世の中(自分の中)の悪というのは、決してその存在自体を憎むべきものではなく、ましてその存在ゆえに創造主を恨んだり否定したりするのではなく、ありがたい成長課題として乗り越えていくべきものだということです。彼らはRPGの魔物たちと同じで、クリエイター側からすれば物語を成立させて存在意義を生んでいる愛すべき創造物(キャラクター)たちなのです。そのように見ることがクリエイター(創造主)視点で見るということなのです。


人生はクリエイター(創造主)・プレイヤー(主人公)・常識(脇役NPC)それぞれの視点で見れるようになることが大事なのですが、ほとんどの人は脇役(NPC)視点でしか見ることができず、被害者意識に陥って魂の成長を自ら拒否してしまっているのです(それも予定調和です)。

宇宙の仕組みに書いた通り、客観的世界というものは存在しないのですが、そこをほとんどの人が誤解しているのです(それも予定調和ですが)。本当はネットゲームと同じように、ログインプレーヤー一人一人それぞれに自分を主人公とする世界・物語(シナリオ)が与えられているのです。それが世界線によりP2Pのネットゲーム世界のように重なりあっているから一つの世界のように見えているだけで、本当はみんな別々の自分の主観的世界にいるのです(一人一宇宙)。


そしてクリアするまでは誰も自分の脳というパーソナルコンピューターのゲーム世界(認識宇宙・仮想現実)から外には出れないのです。ただ我々は牢獄のような世界に閉じ込められているのではなく、自ら望んでこのゲーム世界にいるのであり、クリアできるまで輪廻転生(コンティニュー)を繰り返せるようになっているのです。

認識者の認識により事象が結実するという量子の仕組みは、ログインプレイヤー一人ひとりを主人公として成り立たせるために必要不可欠なシステムなのです。もし客観的世界が存在するなら成立し得ませんし、仮に成立すると考えたとしても、その仕組みに存在意義はなく、創造主は存在意義のないものは創らないのです。そもそも人生(=世界)というのは創造主がそれを経験してみたいと思ったから創ったものであり、自分を脇役とするためにこんなに手間暇かけて人生(=世界)を創るワケがないのです。そしてもちろんそれは愛が動機であり、決して意地悪で創っているのではないのです。それを意地悪だと被害者意識で解釈する人の世界は本当にそのようになってしまうのですが。

人類は既に「人間の認識により現実が決定する」とわかっているのに、いまだに「人間が生まれる百数十億年前に宇宙が生まれた(客観的世界が存在する)」かのように思わされているのは、クリエイターがNPCたちを物質主義・無神論に陥れるためにこの仮想現実をそのように設定しているのです。それにまんまと騙されて周囲と同じように物質主義・無神論に陥り、客観的世界が存在すると考えて自分を周囲と同じ世界の脇役のように考えるのは典型的な無明(顛倒夢想)であり、主人公はそこから目覚めなければならないのです。客観的世界というのは存在せず、自分は自分の認識世界の主人公なのです。そしてこの世界のあらゆる創造(物質も法則も)は、創造主なしには存在し得ないと知って下さい。


他人はみんな自分が主人公の世界のNPCであり、自分自身の鏡のような存在です。この「自分の認識(事象の結実)が世界線を共有する他人(他のログインプレーヤー)の世界に瞬時に連動する」という仕組みによって、みんな自分を一つの客観的世界にいるかのように錯覚させているのです。本当は暗い部屋で独りぼっちでゲームをしているのに、そのことに気づかせず孤独を感じさせないよう、世界線(インターネットのようなもの)で他のプレイヤーとフィールドを共有させてくれているということです。そのお陰で僕らは孤独な存在にならず愛を経験できるのですが、同時にそれによってみんな自分を社会の脇役のような無力でつまらない存在だと思いながら生きてしまっているのです。

あなたは意識というものが他人にも当たり前に与えられていると無意識に思っていてその価値に気づいていないと思いますが、他人に意識(主人公資格)が与えられているかどうかをあなたに確認することは絶対にできません。彼らがみんなあなたの人生という物語を盛り上げるために役割りを与えられて自動で動いている脇役AI・NPC(哲学ゾンビのような存在)であり、世界で主人公はあなた一人であるという可能性は決してゼロには成り得ないのです。それどころかあなたの意識以外の存在が本当に実在しているのか、あなたの意識が生み出している幻なのかも確証はありません。あなたが主人公として・経験主体者として意識が与えられ、人生というRPG・物語が与えられているということの価値に気づいて下さい。

意識が創り出している世界を経験しているという意味で、夢と(仮想)現実は本質的に同じものなのです。インド神話に「世界はヴィシュヌ神の見た夢だった」とある通りで、あなたはヴィシュヌのアヴァターラ(化身)なのです。その夢の中において直接知りもしない他人は完全に幻であり、ゲームの設定(伏線)みたいなもので、その不幸や悪事をあげつらって創造主を恨み世を嘆き、人(世界)を救おうともしない自分を正当化する理由に使うのはナンセンスです。そして直接知る人の不幸は主人公であるあなたが救うべきものです。

夢の中でお金や権力や他者評価を得ても意味はないでしょう。そこはこの仮想現実世界も同じなのです。あの世に持っていけるのは魂だけなのですから、それを愛で満たすことのみが価値なのです。RPGの世界でどれだけお金を稼いでどんな素晴らしい能力やアイテムを手に入れても、エゴ(我欲の充足と保身の確保・虚栄)にまみれて愛を発揮せず世界を救おうとしないのなら、永遠にクリアに辿り着くことはないのです。

この人生というRPGにおけるすべては、主人公の愛と勇気を試すため・魂の成長を促すためにあります。あなたはそれを既に理解しているようにおっしゃっていますが、ご質問内容から察するにまだ全く理解されてないように感じます。ニュースも歴史も神話も、あなたが認識できるすべてはあなたを主人公とする物語の伏線なのです。だから実際それが本当に起きたかどうかではなく、あなたの物語にとってどういう意味を持つかを考えることが重要なのです。history(his story)のhisとはどこかの権力者などではなく、主人公であるあなたのことですからね。今までの歴史はすべて主人公たるあなたの物語の伏線であり、これからの歴史はあなたが創るのです。そして君が代の「君」も天皇のことなどではなく、主人公たるあなたのことです。この世界で出会うあらゆる人物が自分の鏡であり、自分が主人公の世界に他人事は存在しないのです。

人間は「何の問題もなく、ただみんな幸せな世界」を望み、「創造者はなぜこんなひどい世界を創ったのか?」と被害者意識に陥り、社会・時代など自分以外のものを言い訳にして、より良い人生・世界にすることを簡単に諦めるように基本設定されているので、あなたのような考えになることは予定調和です(もちろん僕もかつてはそのように考えていました)。しかし最初から何の問題もない幸せな世界が初期設定だったら、我々は幸せを感じることもできませんし、誰も問題を乗り越えて成長しようとしないでしょう。それでは「主人公が世界を救う成長の物語」というRPGの基本設定が成立せず、話が始まらないのです。そういう「みんなが幸せな世界」というのはRPGのゴールであり、エンドロールみたいなものなのです。せっかく始めたRPGが最初からエンドロールで何のプレイ要素もなかったらどう思いますか?何の障害・苦難・困難もなく、それを努力して乗り越えて成長することもなく、最初からずっと幸せというのはありえないことであり、もしありえたらそれはとても無意味で退屈で不幸なことなのです。


例えばドラクエの世界の中に生きている人が、クリエイターに対して「なんでこんなひどい世界を創ったのですか?世界は魔王に支配され、部下の魔物たちが暴れまわっています。戦いの中で悲惨な死に方をしている人たちもいっぱいいます。私は非力なので魔物たちに勝てるわけがなく、ただ従うしかありません。社会は差別と争いばかりで暗く、未来は絶望的です」などと設定やシナリオに文句を言いながら、結局は日常に埋没して世界を救おうとせずにいたら、プレイヤー(主人公)として成立せず、ゲームが進まないでしょう。


そのように世界を救うべく愛と勇気を発揮することなく、魔物に怯えてその支配に甘んじながら、ネットで魔物の批判ばかり書いては自分も戦っているという気分だけを味わい、その辛辣かつ汚い言葉で自らを汚し傷つけて自分(=世界)を暗くしながら、街でエゴ(我欲と保身)のためのお金儲けに一生を費やそうとするようなキャラだったら、クリエイター(創造主)はそのキャラを主人公にしたいと思うでしょうか?そしてその分身たる神々はそのキャラクターを主人公としてプレイしたい(導きたい)と思うでしょうか?


そのように、設定に文句を言って今生で主人公として目覚めて人(世界)を救う気のないキャラたちは、他人が主人公の物語の脇役NPCとして自動運転のAI状態にさせられるは当然なのです。NPCの自由意志は幻であり、自ら選択している気分だけ味合わせてもらっていますが、その選択肢はヤクザの夜店の宝くじと同じで全部ハズレ(大同小異)であり、NPCとしてリスタート(輪廻転生)を果てしなく繰り返すことになります。ゴール(クリア)の設定が間違っているからこそのNPCということです。

あらゆる存在・事象に対する不平不満は、それを創った創造主への不平不満と同じであり、それは必ず悪業として自分自身に返ってくるのです。そして誰か別の主人公の物語の単なる伏線の奴隷となり、退屈で不幸な人生になるのが必然なのです。RPGの世界においては、菩提心(真理を覚り、衆生を救う存在になる決意)を起こすことがすべてのスタートなのです。力がなくてもお金やアイテムがなくても仲間がいなくても、まずは決意することが始まりなのです。最初からレベル最高でアイテムや謎の答えなどが全部与えられていたら愛も勇気も智慧も試されずゲーム要素がなくなります。非力で無知で何も持ってない時に起こす菩提心だからこそ尊いのです。そして必要なものは必要な時に与えられるのがこのゲームの醍醐味であり、何も心配は要らないのです。

僕らは創造主の創った壮大な神話の中を生きているのです。RPGというものは魔物に完全に支配される一歩手前のディストピアから始まって、そこから主人公が大逆転を起こして世界を救うシナリオになっているのが当前のことであり、僕はそういうシナリオ以外のRPGを見たことがないです。あなたというプレイヤー(主人公)のRPGもまさにそのようなシナリオになっているのです。

設定やシナリオに不平不満を言って被害者意識に陥ることは典型的なNPC思考であり、自分が世界を救う主人公であることに目覚めない限り、創造主の愛を十分に受け取れないのです。自分(=世界)に与えられている課題なのに「もしクリエイターがいるのなら、クリエイターが問題を解決すれば良いのではないでしょうか?もしできないならクリエイターの存在など信じません」などと考えることがいかにナンセンスなことかに気づいて下さいね。課題を与えている側が課題を解決してしまったら課題にはならないのです。ドラクエでもしクリエイターの堀井雄二さんがゲーム制作時点で魔物を全部倒して平和で幸福な世界を実現してしまったら、プレイヤーは課題がなくてゲームにならないでしょう。


あなたはブラジルなど遠い異国の地の貧困問題について心を痛めるほど優しい方なのかも知れませんが、結局はそういう不幸な人を救う為に恐らくは何もしていないわけで、それで「どうして創造主はこの問題を解決してくれないのでしょうか?酷くないですか?」と設定に文句を言いながら、他のNPCたちと同じように自ら社会システム・常識の奴隷となり、自分はきっと支配体制の最下層に落ちることはないだろうと安全圏にいることに安堵を感じつつ、エゴ(我欲と保身)のために嫌な仕事をし、グローバリストたちの支配体制に文句を言いながらも、結局はそれを支える脇役NPCの一人となっているのでしょう。

まず、あなたが今現時点で直接知らず直接救うこともできない人のことで思い悩むより、今あなたの目の前にいる人を救うことに集中して下さい。そうやってあなたが主人公のシナリオを前に進めるのです。いつも使っている例えですが、ゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのは主人公が悪いからではありません(自分のせいだと思う必要はありません)。かといって相手側(ゾンビやアンブレラ社)を責めたり、制作側(クリエイター・ゲーム会社)を恨んだりして、被害者意識に陥ってもゲームは進みません。自分も相手も運命も責めず・恨まず、ただ自分に与えられた成長課題だと信じ、楽しみながらその課題を目の前から一つ一つクリアしていくことが大事なのであり、それは人生も同じだということです。


人それぞれ自分の人生の因果(カルマ・課題)ですらよくわからないのですから、見ず知らずの他人がどんな因果(カルマ・課題)故に苦しんでいるのかは知りようがありません。大切な事は、直接知り合った人のカルマを自分のカルマを写し出したものと考え、それを乗り越えることです。直接知りもしない人がどんな苦難に遭っていようとも、今現在それを気にして世を嘆いて創造主を恨むより、直接知っている人を救う事に集中して下さい。そして直接知りもしない(存在すら確かめられない)人の不幸を理由に「創造主は非道だ・神仏など存在しない」などと考え、人生を創造主からの意地悪や罰ゲームのように解釈してはいけません。世界は主人公たる自分の認識が創るのですから、そのように解釈すれば本当にそのようになってしまいます。


そしてあなたが「日本はブラジルより状況が恵まれている」などと考えるのは幻想です。日本人のように衣食住は足りていても他者評価に依存させられているがゆえに劣等感・自己否定感に苦しんで自尊心を病み、孤独で不幸なのにプライドが傷つきやすくて他人に助けを求められず、頑固で人の話を聞かないような人たちを救って幸せにする方が、貧しさに苦しんでいる人を救うより難易度は高いのです。このRPGはそんなに簡単じゃないのです。

あなたはブラジルの貧民街に住む人たちがみんな不幸だと勝手な自分の常識で思い込んでいるようですが、日本よりは遥かに平均的な幸福度は高いのです。なぜなら多くのブラジル人は子供を無条件の愛で育て、子供は他者比較に関係なく思いっきり自尊心高く育てられるからです。そして貧民街の人達はみんなが貧しい分みんなが助け合って生きていて、多くの日本人のように他者評価に依存して富を奪い合ったり罪や過ちを責め合ったりマウントを取り合ったりする意識が低く、孤独な人が少ないのです。あなたが考えているほどお金と幸福度に相関関係はありません。


強盗になるのは全体の割合からすればごくごく一部の人達です。大部分の人は貧しくても強盗になどなりません。特にブラジルではどれだけ貧しかろうと生きるのには十分な食料が与えられますからね。強盗になるのは貧しいからではなく、強盗が貧しさを言い訳に使っているだけです。人間のあらゆる悪い行動の元凶は自尊心の傷であり、一部分の親から十分に愛されず虐待を受けるなどして自尊心低く育った人が、傷ついた自尊心の回復のための手段としてギャングになってお金と力を手に入れようとしたり、暴力やドラッグや酒などで自分自身から逃避しようすることが原因なのです。


そしてそのように他人を責めたり傷つけたり支配したりして「自分は彼らよりマシな存在である」と傷ついた自尊心を愛によってではなくエゴによって回復しようとする人ばかりなことが、人類に共通した課題なのです。しかし日本人も含めて多くの人が、自分が自分より悪い・劣った人間を責めて蹴落とそうとして自ら地獄に落ちる「蜘蛛の糸」のカンダタになっていることに気づいていません。

実際、僕はブラジルでホームレスをしていてお金もまったくないので衣食住に事欠いておりますが、周囲の人に愛されて助けられ、とても幸せに生活しています。もしあなたが貧しい人を下に見て不幸だと決めつけているのなら、根本から考えを改めて欲しいです。あなたが直接経験して知らないことを自分の勝手な常識で決めつけていることに気づいて下さい。そして貧困や死などを過剰に恐れるから支配体制に追従せざるを得なくなっていることに気づいて下さい。

ネットゲームのごとくこのRPGはログインしている時点で主人公なのであり、他のログインプレイヤーのゲームの進捗(どこまで進んでいるか、どれだけ能力・アイテム・他者評価を持っているかなど)は一切関係ありません。基本的に他人との比較に意味はないのです。困難な環境が与えられているのはそれだけその主人公のゲームの難易度が高い(魂のレベルが高い=カルマが深い)というだけで、それを理由に創造主に不平不満を言うのはナンセンスです。

そして他のログインプレイヤーとは協力関係にあるのですから、自分のゲームクリアのために自分にはない高い能力を持っている人間からうまく協力してもらい、現在何かに困って行き詰まっている不幸なプレイヤーがいれば、自分の知識・能力で補ってあげるのがこのRPGのプレイ要綱です。他人に嫉妬して劣等感を持ったり、他人の罪や過ちを責めたり、能力の低い他人を見下したりしているような主人公では、世界を救ってみんなで幸せになること(ゲームクリア)などできるはずがありません。

あなたは衣食住が足りているという環境であるが故に、他人の不幸にも心を痛める割にはそれを救おうとすることなく創造主に不満を言い、支配者たちに反感を持ちつつも自分の衣食住を充実させながら安穏に暮らしたいというエゴのために自らその社会システムの奴隷となって、世界を救う主人公として目覚めようとはしていないのでしょう。

「そんなのみんなが同じで、それが常識なんだからしょうがないじゃないか!」と、そのように他人の思考や行動を勝手に常識化して言い訳にするのがNPC思考なのです。創造主と主人公の関係は一対一であり、他人(全員NPC)の言う事やる事(常識)は一切言い訳に使えないと知って下さい。宇宙の仕組みで読者に一番伝えたかったことは「人生(世界)は自分を主人公とするRPGであり、客観的世界が存在すると考えることは幻想である」ということです。あなたはまだ気づいていないだけで、あなたの世界の主人公(プレイヤー)はあなたなのです。

このRPGにおいて、自分が主人公として目覚めることはとても困難に設定されています。みんな自尊心が低くさせられているからです。ネットゲームであれば、ログインした時点で自分が主人公だとわかっているわけですから数週間でクリアできてしまいますが、この人生という物語はそうはいきません。世界を救う主人公として目覚めないまま(菩提心を起こさないまま)輪廻転生を繰り返す魂の方が圧倒的多数です。

出会う人はみんなNPCであり、マトリックスのエージェントのようにあなたが主人公として目覚めることを妨害してきます。そしてみんな自分を客観的世界の脇役だと思って常識を疑うことさえせず、自分や他人の欠点や過ちを責めて大した存在ではないと考え、自分が世界を救う偉大な存在だということに目覚めようとはしません。しかしそれこそが創造主の用意したシナリオであり、そこからの逆転劇だからこそ人生というRPGは難易度が高く面白いのです。

さて、世界を救う主人公ってどんな存在でしょうか?イーロン・マスクのように現時点で有能かつ有名でお金持ちで権力を持っている人間でしょうか?そうではありません。そういう人間はエゴに埋没して金や名声や権力を追い求め、世界を救おうなんて本気で考えはしませんし、よしんば本気で考えていたとしても権力(強制力)を使って世界を救おうとしても絶対に救えないようにこのRPGは創られているのです。魂の成長のために生まれてきているのですから、真理を覚りそれを連鎖させていく以外に世界は救われないようにできているのです。

NPCたちはみんな「有能かつ有名でお金持ちで権力を持っている人間」が幸せで、「無能かつ無名で貧乏で何の権力もない人間」が必ず不幸せだと思っているのでしょう。また悲惨な生い立ち・環境で生きている人間が世界を救えるわけがないと考えているのでしょう。しかしそれは違います。僕らが自分など大した存在ではないと思わされているのは、そこから自分とすべての存在の価値に気づいていく過程が物語として美しく面白いからです。そのためには愛と勇気が最大限試されるからです。

NPCたちはみんな自分には世界を救うような能力もなく、そのキャパシティーもなく、その義務もないから誰も救わないのが当然(逆に足りないからと他人から奪ってでもキリなくお金を稼ぎ続けようとする)という考えになっていますが、自分に与えられている能力とキャパシティーの中で人を救うという考え方が連鎖しなければ、世界はただお互い奪い合うだけでどれだけあっても足りないようになり、いつまでも救えません。

あなたが人生で愛と勇気により目の前の二人の人間を救う事ができたなら、その二人もきっと他の二人の人を救うでしょう。それがたった50連鎖するだけで1000兆という途方もない数字になります。連鎖反応というのはそのように指数関数的に広がっていくものであり、一度火が付いてしまったらスチールウールの酸化反応のように誰にも止めることはできないのです。そしてその火付け役があなたという主人公の使命です。目の前の人と無償の愛で助け合う連鎖を世界の隅々まで行き渡らせるのです。メシアとはこの世の人間たちから救世主だと称賛される存在ではなく、創造主から称賛される存在なのです。メシアというのは他者評価ではなく自分の覚悟だということです。


そのためには特別な能力も大金も巨大な権威・権力も要りません。それらが多く与えられていないことを世界を救わない言い訳に使わないで下さいね。僕らは成長を楽しむため・お互いが助け合うためにわざと能力低く・欠点多く・愚かで過ちを犯すように作られているのです。最初からレベルMAXだったら成長の物語にはならないのです。そして一人ひとりがそれぞれの世界の主人公なのですから、あなたがたった一人でも本当の意味で救いに導ければ、それは世界を救ったことになるのです。そしてそれは必ず連鎖するのです。

そしてあなたはグローバリストたちを悪魔そのもののように思っているようですが、この世界の魂はすべて同源(創造主の分け御霊)であり、いわば全員が同一人物です。つまりあなたも彼らとして生まれていれば確実に彼らと全く同じことをするということです。実際彼らを批判している今現在のあなたでも、彼らから大金と権力を餌に仲間に加わるように言われたら加わってしまうことでしょう。もしそうでないならとっくに世界を救う冒険へ旅立っているはずです。(僕は既にそうしていますし、例え何兆円積まれようと、どんな権力者にしてやると言われようと、僕の意思は微塵も変わりません)不幸な支配者を救うのが主人公の使命であり、支配者を絶対に幸せなものと考えて羨み、お金持ち・権力者を目指し、貧乏人を不幸と考えて貧困を恐れているようでは、無自覚に支配構造に協力していることになり、ただ支配者たちの餌食にされているだけで、誰のことも救うことはできないのです。


人間というものは上位次元の存在のアバターであり、グローバリストたちも普通の人間に過ぎません。実際に対等な立場として会ってみれば彼らは拍子抜けするぐらい普通に良い人達でしょう。あなたの周囲に屠殺場で働く人はいますか?彼らは家畜動物からすれば極悪人ですが、彼らの友人から見れば普通に良い人達でしょう。それと同じ事なのです。

屠殺場で働く人は「家畜は人間に食べられるために生まれているのだから、殺されても仕方がない」と仲間意識から切り離すことで罪悪感から逃れ、そして美味しい肉をみんなにたくさん食べてもらうことで「みんな肉を食べたがっているのだから、もし動物を犠牲にすることが罪だというのなら、肉を食べる人間は(及び動物実験による医薬品に頼る人間は)みんな同罪だ」と考えることで精神を保っているのでしょう。そしてそこはグローバリストたちも同じなのです。

現時点で悪役をやらされているというだけで、グローバリストたちも我々と同源同一の魂を持った人間であり、罪悪感から逃れるために無能な人たちを家畜と認識することで精神的に切り離しているのです。更に、エゴによって自分より無能な人を餌食にして富を得る社会システムにみんなを参加させることにより「みんな同じじゃないか」と罪悪感から逃れ、精神を保っているのです。しかしそれはとても不幸なことであり、彼らも主人公の救いの対象なのです。ですからもしあなたが主人公に目覚めるのなら、まず彼らの家畜になるのをやめるべきです。

ロスチャイルド家の現総代はインタビューにおいて(正確な内容は覚えていませんが)深刻な面持ちで「私は莫大な資産を持っても、ただ将来まで生活の不安がないというだけでみなさんと同じだ。少しも幸せではない。先代からの資産を減らしたら無能ということで一族から排除されるから仕方なく働いているだけだ」というようなことを言っていました。

現在の支配システム(時代・価値観)を作ったのは彼らではありません。支配者(悪役)としての宿命を持ってそういう家に生まれただけです。そして彼らはどれだけ途方もない資産を持っていても、先代の資産を減らさないためには先代よりも更に悪どいことをやらねばならなず、心が苦しんでいるのです。

もしあなたがパチンコ連盟の長である最大手のパチンコチェーンの社長の息子として生まれたら、より収益を拡大すべくありとあらゆる手を尽くすはずです。できなければ無能として排除されますからね。絶対儲かるように出玉を管理し、あらゆる媒体を通じて宣伝し、ギャンブル性を高め、人気アニメを導入するなどして悪魔性を目立たなくして、店内を気軽に入れる雰囲気づくりに気を配り、流行らせて街中に出店拡大し、より多くの人を遊戯の中毒にさせ、サラ金業者と組んで高金利で金を貸し付け借金奴隷にするでしょう。そしてまた本来自分たちを取り締まるべき政治家や警察の上層部を要職に天下りさせたり裏社会の力で脅したりして逆に自分たちの操り人形にするでしょう。

グローバリストたちがやっていることも基本はそれと同じです。陰謀論は荒唐無稽な話も多いですが、陰謀自体は資本主義社会においてあるのが当然です。今の資本主義経済は完全にギャンブルなのに、その胴元による大規模な不正(イカサマ・我田引水的なコントロール)が全くないと考えるのは頭がお花畑なのであり、ただの賭博場のカモです。しかしあなたのように陰謀論にハマって支配者たちやシステム(設定)に文句を言いながらも、結局彼らの運営するギャンブル(経済・金稼ぎ)に人生を費やす気なのなら、カモであることに違いはありません。むしろ陰謀論によって被害者意識に陥って人生が不幸に導かれるぐらいなら、陰謀の存在を全く信じない頭がお花畑なNPC達の方がまだ幸せかも知れません。


現代経済は椅子取りゲームであり、支配者たちはお金(ギャンブル)の仕組みを知らない・知っても逆らえない人達をそのゲームに強制参加させています。僕らは世の中がどんどん便利になっていくことに酔わされ、音楽(便利さ)に踊らされている間にどんどん椅子が抜かれて社会が貧しくなっていることに気づきもしません。IT化などで世の中が10倍便利になっても、我々の仕事量が時間が10分の1になったわけでもなく、収入が10倍に上がったわけでもありません。逆に仕事量は増え幸福度は下がっているでしょう。社会の利便化によって富の独占が正当化され、貧困化がごまかされていることに気づいて下さい。


そして愚かな支配者たちはこの矛盾が一気に露呈してゲームが終了することを恐れ、椅子を戻すのではなく人を減らすことでゲームを続行させることしか考えられないのです。コロナワクチンなど様々な人口削減施策はそのためにあるものです。彼らはRPGの設定上創造主からそういう役割をやらせられているのですから仕方のないことなのですが、とても愚かなことです。しかし本当に愚かなのは、彼らの言いなりになってその陰謀にも気づかず、気づいていても文句を言うだけでレジスタンスを最初から諦め、残されたわずかな椅子を醜く奪い合って彼らのゲーム存続に貢献しているNPCたちです。

支配者たちはもし僕らがみんな同じ人間であること(ワンネス)に目覚めたら罪悪感に耐えられなくなりますし、罪を暴かれたらみんなから絶対に許されないだろうと確信しているので、自分たちではこの流れを止められないのです。「もし家畜動物たちが高い知性を手に入れて真実に気づき、勇気を持って我々に反乱を起こしたら」と考えれば、彼らの恐怖がイメージできるでしょう。だから支配者たちは大衆を常に無知で臆病にしておかなければならないのです。

そして彼らは罪悪感に耐え切れず死後の裁きを恐れているからこそ、悪魔を崇拝し悪魔に心を売ったことにして、同じグローバリスト同士で悪魔崇拝を流行らせて仲間意識を高めて協力し合っているのです。グローバリストというのはあまり表に出ないだけで、世の現実主義者たち(皮肉)にはとても信じがたいほどオカルティックなのです。そして彼らは世界中の人々のエゴを刺激してマネーゲームに陥れ、富を醜く争わせている間にお金をかき集めながら「お前たちも結局エゴのために他人を犠牲にしているのだから我々と同じじゃないか」ということで罪悪感を払拭し、あらゆる手段を通じてみんなのワンネスへの目覚めを全力で阻止しているのです。


しかしその彼らの意思は幻であり、悪魔がそのシナリオ通りに自分たちを崇拝させるように導いているのです。そしてそれも実際、創造主のシナリオ通りなのです。数十年で死ぬような人間・個性があって分離意識が強く言葉でしかコミュニケーションを取れないような人間に、こんなにうまく世界中を長年支配し続けることなど不可能です。グローバリストたちも悪魔も、みんな創造主の創ったシナリオ上、自分の役割を無自覚かつ忠実に果たしているだけなのです。悪魔が本気で世界を支配する気ならもっと秘密裏にやるでしょう。それなのにこれでもかってぐらい情報を公開して存在をアピールしながら世界征服を目指しているのは、悪魔の正体も悪役を演じている創造主自身であり、本当は主人公に支配を止めて欲しいと願っているからです。


そうでなければジョージア・ガイドストーンなど出現するわけがありません。シナリオを知っている僕からすれば、滑稽過ぎていつも笑ってしまいます。


本当に賢い世界のトップエリートが自分の意思で世界を支配しようとしているのだとしたら、911のようなまるで自分たちの存在を堂々とアピールしているかのような大胆で杜撰極まりない犯行を主謀すると思いますか?彼らは無自覚に集団で悪魔に操られているNPCなのです。

グローバリストたちは生まれた環境が我々と違うだけで普通の人間であり、彼ら自身も悪魔に操られて苦しんでいて、それは主人公による救いの対象なのです。彼らが本当に幸せなら悪魔などに頼って崇拝するわけがありません。メシア(主人公)の使命は、彼らを悪事とその罪悪感から救うことです。

彼らと権力や武力など力で戦おうとしても逆効果であり無駄です。ますます力で押さえつけられ暴力による支配が正当化されて体制が強化されることになるでしょう。この世のすべては自分自身の鏡なのですから、投げかけたものが自分に返ってくるのです。例え彼らの権力をテロなどの力で倒したとしても、また新たな権力支配が生まれるだけで何も解決しません。

「権力」というのは相手に望まないことを強制する力です。その根源は人間みんなの中にフラクタル(相似形)に巣食う「他人を支配したい」という悪魔であり、それは悪魔崇拝者の祭壇だけにいるわけではありません。僕ら一人ひとりみんながお金という権力分譲券を欲しがり奪い合う連鎖によってその悪魔は力を増すのです。誰もお金を欲しがらなくなればお金に力などなくなります。つまり敵はグローバリストたちではなく僕らみんなの中にいる悪魔なのです。僕らのRPGは天使と悪魔の代理戦争であり、とてもスピリチュアルな戦いなのです。だから力によって権力を打ち倒そうとしたりシステムから変えようとするのではなく、みんなが自分の中にあるエゴを乗り越えて無償で助け合い愛し合う(権力によって他人に何かを強制し、支配しようとしない)価値観革命を世界の隅々まで行き渡らせなければならないのです。


エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、愛が天使であり、エゴが悪魔なのです。そしてそのエゴの連鎖(利害関係の一致)が正義を装った巨大な悪魔を生んでいるのです。もしみんながイメージするような純粋な悪が存在するならそれはみんなが嫌がるので決して連鎖しません。エゴと愛は磁石の両極のように不可分であり、どちらか一方だけを失くすことはできません。僕ら一人一人が自分のエゴを乗り越えて愛を実践するようになり、それが連鎖することで世界は救われるのです。グローバリストたちから奴隷・家畜扱いされている僕らが、彼らから奪われて残されたわずかな富でも分け合って助け合って幸せに暮らせることを実践して見せ、グローバリストたちの罪を許し、彼らをその悪事と罪悪感から救うことで、僕らがみんな同じ人間であることに目覚めさせなければならないのです。


わかりますか?主人公はみんなに「本当は我々全員が同一の魂(ワンネス)であり、みんなを幸せにしない限り、決して自分も幸せになれない」ということに目覚めさせなければならないのです。我々がみんな尊い神であるということに目覚めさせるということです。そうすれば彼らはその富を等しく分配するに違いありません。それが古事記の「岩戸隠れ」の神話が教えているところであり、堕天使ルシファーは天照の荒魂ってことです。天使(愛)と悪魔(エゴ)は裏表一体であり不可分のものだと知って下さい。


今はまだお金(権力の分譲券)の力は絶大です。その力はみんながお金を欲しがり、嫌な事を我慢してでも・他人から奪ってでも稼ぎたいと考えることにより増していくのです。そしてどれだけ稼いでも我欲も保身も満たされず不満かつ不安で、そうしている間にどんどんお金というシステムを牛耳っている支配者たちの力は高まり、ますます人々がお金に支配されるようになっているのです。悪魔は人を常に不安にさせる(お金に依存させる)ことで世界を支配しているのです。不安にさせる存在が悪魔軍で、安心させる存在が天使軍なのだと覚えておいて下さい。

お金がなければ生きていけない。お金を稼いで楽をしたい・欲望を果たしたい、他人に嫌な事を強制し、他人より優越的な立場にいたい・他人から見下されたくない・老後や病気や事故が不安だ・・・。そのように誰にでもあるエゴ(自己保存本能による不安)を刺激することで彼らは支配力を高めているのであり、僕らがそのエゴを乗り越えて愛に生きるということを世界中に連鎖させていかなければ、世界は救えないようになっているのです。そしてそれが創造主の創りし壮大なる神話のシナリオなのです。キリストの言う通り、人は金と神の両方に仕えることはできないのです。神の加護に心から感謝しそれを信じないで不安になるからこそ金を信じてすがり、金稼ぎに生涯を費やさなくてはならなくなるのでしょう。

みんなが愛を大切にして無償で助け合い、お金がなくても生活・将来の不安がなくなり、過剰にお金を欲しがらなくなれば、お金の価値は相対的にどんどん下がっていき、たくさん持っていても他人に何も強制できないので意味がなくなり、いずれ必要とされなくなるのです。そしてお金は氷河が溶けて水になるかの如くになくなっていき、この狂ったマネーゲームは人類を破滅させずにソフトランディングしていくのです。

真理は他人に強制しなくとも、自らが実践する勇気を見せるだけで、みんなが自発的に従います。ガンジーの非暴力不服従運動が良い例です。人を動かすのに政治や法律や金などの強制力が必要なのは、それが真理ではないからです。僕らは真理(=愛)を日々自ら実践し、ありとあらゆる権力(強制力)への非暴力不服従運動を展開し、権力(強制力)ではなく真理(=愛)が世界を修める真に自由な社会を築かなければならないのです。それはみんなが自発的に真理(=愛)に従う社会、神が治める社会ということです。その実現が人類のマニフェスト・デスティニー(明白なる使命・運命)なのです。


多くの人は信心がないために命を一度限りのものと思い「全ての存在が本当は一つであり、魂は永遠である」と信じず、エゴによって死を恐れるから、悲惨な死に方をした人を見て「この世に救いはない・創造主や神仏などいるわけがない」などと考えるのでしょう。しかし魂は永遠であり死は幻なのです。そしてこの仮想現実世界における死の苦痛も幻であり、臨死体験者たちが例外なく言っているように、本当に死ぬ時っていうのは痛くも苦しくもなくできているのです。

この世界は意地悪や嫌がらせのためではなく愛と成長を経験させるために創られているのです。そしてこの世界は夢と同じであり、悲惨な死に方をしているように感じられる他人はNPCであり、創造主自身でもあるのです。それを見てこの世界に神も仏もないと考えて世界を救おうとしないのではいつまでも主人公になれず、ゲームクリア(覚り・世界平和・地上天国の実現)は有り得ません。

この世界は愛と勇気を試すためのRPGです。能力が低く臆病だからこそ愛と勇気を発揮して戦う姿は尊いのです。最初から能力が高くて何も恐れない人の愛と勇気には価値がありません。不平不満・言い訳ばかりですぐエゴ(我欲と保身)に逃げる臆病なNPCが絞り出す一滴の愛と勇気にこそ価値があるのであり、それがNPCを主人公にするのです。

誰が見てなくても創造主はあなたのすべてを見ています。だから他人に言い訳したり嘘をついたり、他人に評価されることを目指して努力する必要などないのです。誰が主人公(メシア)なのか誰に知られずとも創造主はちゃんと知っていて、必ずそれを讃えてくれます。他者評価より創造主の評価を考えて下さいね。


陰謀論者たちはプロビデンスの目を支配者層が目指す管理社会の象徴のように思っていますが、違います。創造主は悪役も含めて全ての役を自らの分身を使って演じさせながら、主人公であるあなたの成長を常に見守っているということです。行動だけでなく心の中まで全部、一秒も休むことなくです。主人公であるあなたとクリエイターである創造主の関係は一対一であり、世界に何十億人NPCがいようと、あなたはその背中に隠れることはできないのです。

どっちにしても創造主に全部見られているというのに、監視社会になって何が悪いのでしょうか?犯罪や事故が減って色々便利になって良いじゃないですか?自分の心がエゴにまみれていて、自分や他人のエゴを許し愛さず、お互いのエゴを責め合っているから「他人に監視されたくない」という意識が働くのでしょう。「誰かに見られて責められたくない」と隠したくなるのでしょう。もし心が愛に満ちていたら、本心を人に見られるほど愛されますから、どんどん本心を見て欲しくなるはずです。

今の監視社会の問題は、他人のエゴを自分のエゴに利用するために情報が使われるために監視システムが息苦しくなっていることであり、監視社会そのものが問題なのではないのです。監視する目的が愛に変われば、それは治安・医療・社会保障を隈なく行き渡らせるために使われることでしょう。資本主義が終わってお金の要らないワンネス社会が実現されれば、わざわざ人々のプライベート情報を膨大に集めて分析して自己利益につなげようとする愚者はいなくなります。

このRPG世界はみんながワンネスに目覚める連鎖が世界の隅々まで行き渡り、みんなが無償で助け合う世界が実現し、みんなが救われるというフィナーレに向かっているのです。今の社会は、その大逆転劇前の(エゴ・分離意識による)最後の苦難を経験しているのです。その苦難故に創造主を恨まないで下さい。記憶を消されているだけで、本当はこのシナリオを描いたのはあなた自身(=我々の集合意識=創造主)です。

支配者層がエゴの為に目指していた世界政府が、価値観革命によりみんなを救う為の政府に変わるのです。我々はみんなそういう創造主の創りし壮大な神話の中を生きていて、そのワンネスに目覚める連鎖反応を自分に与えられた才能でもって自分から起こしていくことが主人公である自分の使命なのです。

ただ決して世界救済を焦る必要はありませんからね。この人生というRPGはあくまでも僕らを楽しませるために創られているものであって、焦れば楽しみが目減りしてしまいます。それでは周囲から浮いて人間関係がうまくいかなくなるでしょうしね(愛を経験するためには常識的感覚も大事です)。創造主は僕らにできないことは期待していません。僕らには常にギリギリ乗り越えられる課題しか与えられないのです。

そして世界救済というのは、今生で完全に達成できなければ意味がないというものではありません。本当に完全に達成されてしまえばゲームが成立しなくなってしまいます。かといってクリアをハナから諦めてNPC人生を送っていては魂が成長せず、いつまでたっても幸せにはなれないでしょう。目指すべきはあくまでも自分の認識世界の全員(出会った人・心の住民)を救えるようになることです。価値があるのは、世界救済という揺るぎないベクトルで僕らが生きる中で生じる物語であり、経験なのであり、今生でクリアを達成できるかどうかは重要ではありません。一人一宇宙で、人=世界なのですから、人生を通じて目の前の人をたった一人でも救えるようになって下さい。それは必ず連鎖していつか本当にみんなが救われるのですから。それを信じて自分にできることをすることが真の信心なのです。

大分長くなりましたが、ご質問の回答、ご納得いただけましたでしょうか?与えられたゲームの設定・シナリオ(フィナーレ前の苦難)に文句を言わず、認識できるすべては自分の魂の成長にベストだから与えられているものなのだと信じ、全ての存在に感謝して、目の前の人から救って幸せにしてそれを世界に連鎖させて下さい。この世界はすべてが主人公(メシア)である自分次第に作られているのです。


最後に創造主の思いをあなたに伝えるべく、ゾロアスター教三大呪の一つ「イェンゲー・ハーターム」を贈ります。世界を救う物語の主人公(メシア)であることにきっと目覚めて下さることを願いながら。


ýenghê hâtãm âat ýesne
イェンゲェー ハーターム  アーァテ イェスネー
paitî vanghô mazdå ahurô vaêthâ
パイティ ワングホー  マズダー アフロー ウェイター
ashât hacâ ýånghãmcâ
アシャート ハチャー  ヤォングハムチャー
tãscâ tåoscâ ýazamaide.
タスチャー タオスチャー イェザメイデーイ

この世に存在する者たちの中で、
誰が主の遣い(主人公・メシア)として最も優れた者であるか、
主に与えられた悟りによりアフラ・マズダー(善神)は知り給う。
神の遣い(主人公・メシア)として目覚めた男や女を
我々は拝み祀るのである。

【関連質問】未来に絶望したくなる

2022年11月7日月曜日

友人の統合失調症を改善するべきか?

【質問】25歳・男性
はじめまして。

友人B(25、男)の統合失調症を改善するべきなのか?ということをお伺いしたいです。

彼に出ている妄想に関してお伝えすると「自分は巫病にかかっている」「シャーマンの素質がある」「八咫烏(秘密結社)の一員である」「日本は神の国で世界の中心である。富士山に守られている」という発言が出てきております。根拠を聞いたところ、友人B自身の内面の世界が伝えてくれるということで、あまりうまく対話することが難しいです。

友人Bは大麻やLSDを何度か使用しており、その度に上記の妄想が激しくなっているイメージがあります。(恐らく所持はしておらず、友人等からもらっているようです)

現在まで波はあるもののあまり回復してるようには見えておりません。記憶力も極端に低くなっており、昨日話したこともあまり覚えていない状況が続いております。

私自身も精神世界や哲学は好きなのですが、根拠も教養もない友人Bの発言に悲しくなってしまいます。友人Bとはビジネスパートナーでもあり、10年以上の付き合いなので何とか自分を取り戻して欲しいと勝手ながら思っていますが、真也様の知見をお借りしたくご連絡しました。よろしくお願いします。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

友人が急に変わってしまった経験は僕にもあるので、心配する気持ちはとてもよくわかります。

一般的に統合失調症とされているものは、霊障であり憑依現象なのです。まずこれを読んで下さいね。「憑依体質の存在意義

ご友人の症状も霊障による自我の乗っ取りの典型だと思います。記憶が苦手になっているのは脳の記憶力の問題ではなく、その人の主人格がコロコロ切り替わる状態にあるからです。

記憶喪失の人は大抵の場合はトイレに行ったり着替えたり普通に生活できます。失われているのは記憶ではなく主人格と記憶の連絡だからです。人間というのは霊的意思の乗り物でありアバターのようなもので、主人格がいなくても霊的意思がその人の脳にある記憶や自分の記憶を使って思考し行動することが可能なのです。

しかし人間の「自分は自分である」という自意識(自己同一化)が強く働くため、霊障がさせている思考や行動でも本人は自分が思考し行動していると思って疑うことすらできません。霊障による自我乗っ取りを自覚することは不可能なのです。霊障が自分自身になっているのですからね。酔っ払いは例え自分が酔っていることに気づけたとしても、酔いが覚めるまでいつもの自分の思考に戻ることはできませんし、夢の中の自分がいつもの自分と違っていることを目が覚めるまでは自覚できません。それと同じことです。

対策ですが、まずあなたが認識しなければならないことは、「宇宙の仕組み」に書いた通り客観的世界は存在せず、あなたはあなたを主人公とするRPGの世界を生きているのだということです。あなたにはあなただけに用意されたシナリオがあり、それはすべてがあなた次第に創られているのです。

あなたにとってあなた以外の人間はNPCのような存在であり、あなた自身の鏡です。そして「悪いカルマの解消法」に書いた通り、出会った人のカルマはあなた自身のカルマを写し出したものなのです。創造主が偶然に見せているだけで、このRPGの世界に偶然など何一つないのです。

カルマを構成するものが霊障であり、それがどんどん悪い方向にシナリオを選択させるので、まず日々自分の霊障を祓わなければいけません。その方法も「悪いカルマの解消法」に書いていますが、まずあなた自身が信心を日々強くして神々に尽くし、人々に奉仕し、心身と環境を清潔・善良に保つことです。そして宗教的・スピリチュアル的知識を身に着けて日々実践して下さい。

浄霊は無料でしてくれるところがたくさんあります。大本教・世界救世教・真光などです。入信したり無理に献金や奉仕活動をする必要はないですから、ただ毎日のように浄霊を受け、その友人を浄霊してあげたり浄霊に連れて行ってあげたりしてみて下さい。

大事なことは、宗教に依存せずに信心を持つことです。宗教は欠点があり過ちも犯す人間が運営するものですから、腐敗は必然です。でもそれを理由に信心を持たないのなら、いつまでも神々について学ぶことができませんし、神々の守護を得ることはできません。それでは霊障に犯され放題になってしまいます。

僕は様々な神々を信じていますが、どこの宗教にも入信はしていませんし、どこの宗教が絶対良いなんてことを無責任に言うつもりはありません(宗教・神々との出会いも縁です)ので、無理に勧誘されたり献金や奉仕活動を強制してくるような宗教があったらすぐ逃げて下さい。

>何とか自分を取り戻して欲しいと勝手ながら思っています

あなたはご自分で「勝手ながら」とおっしゃっているので、本当は自覚されているのでしょう。相手を変えよう(改善しよう)などと考えるのは自分勝手でありエゴなのです。ただ「欲は悪いものですか?」に書いた通り、人間にエゴがあるのは当たり前であり、エゴの存在が悪いのではなく、エゴの存在を前提に、エゴを愛によって乗り越えていくことが課題なのであり、それが魂の成長につながるということです。そしてそれが生まれてきた意味なのです。

友人を心配する気持ちは自然なものであり決して悪いことではないのですが、あなたが友人に「自分を取り戻して欲しい」というその「自分」というのは、あなたの勝手なイメージに過ぎません。その友人は普通に生活できていて、自分がおかしいとも思っておらず、あなたに改善して欲しいなどとも望んでいないはずです。それなのに勝手に病気・妄想だと決めつられて「過去に引き戻そう・改善しよう」などと試られたら、反発されるのは必至です。

出会いというのはすべからく自分という主人公の成長のために与えられているもので、自分が変わらず(成長せず)に相手の側を変えようとするとうまくいかないようにできているのです。相手には相手を主人公とするRPGのシナリオがあるのであり、他人に勝手にコントローラーを奪われそうになると無意識に反発してしまうように人間はできているのです。人は自分なりに失敗や試行錯誤も通じて自分でゲームを進めたいものなのであり、求めてもいないのに勝手に答えを教えられたくないのです。あなたの出す答えが真理とは限りませんし、むしろ真理に近ければ近いほど相手を逆にその真理から遠ざけてしまうのです。

いきなり正解を教えられるクイズ番組など面白いわけがないですからね。正解を見つけるまでの過程(失敗と試行錯誤)の中に人生という物語・芸術があるのです。真理に価値があるのではなく、自分だけの答えを見つける過程・経験に価値があるのです。それがなければ真理とは概念に過ぎません。

反省してはいけない」にも書いた通り、人の心はとても天邪鬼にできています。人が悪い行動を繰り返すのは、それを悪いと知らないからではないのです。幼い頃から他者比較に晒されて自信がなくて自己イメージが低くなり、それに応じて行動のレベルが下がり、それを自他ともに責めることで自己イメージが更に下がり、悪い思考や行動がやめられなくなり、更に悪い出来事を引き寄せるという悪循環に陥っているのです。

だからあなたが相手の悪い所を指摘したり、改善策を教えたところで、逆に相手の自己イメージを下げてしまって悪循環に陥らせるだけです。「指摘せず気づかせる」「教えず導く」「自らの学びとする」がメシア流救世三原則です。(あなたも主人公=メシアです)

さて、その友人に写し出されたあなたのカルマはなんでしょうか?それは本来自分で考えるべきことです。僕はあなたにもその友人にも会ったことがないのでわかりません。だからこれから書くことはあくまで僕の経験則による想像に過ぎないのですが、ヒントになれば幸いです。

まず少年時代からの親友がビジネスパートナーでもあるっていうのは、あまり良くないことなのです。基本的に友情も含め愛というのは無償が基本なのであり、ビジネスでは損得勘定が発生するのが自明です。愛と金(エゴ)は磁石の両極のような関係で、エゴ同士はいつか反発するのが必然なのです。利害が完全に一致し続ける限りはくっついていられますが、いつかズレが生じて反発し合うのは時間の問題なのです。

古くからの友人を大切にすることは素晴らしい事なのですが、人間関係というのは基本的にどんどん広げていくべきものであり、環境の変化と共に自らの時間を多く捧げる友人というのは変わっていきます。

旧友というのはたまに会うだけでも、昨日までも会っていたかのように仲良くできるからこそ素晴らしいのです。そういう親友を自分の心の世界に何人住ませられるかが人生の価値でもあります。大人になっても歳をとっても同じ友人と頻繁に会い続けて、他の人間関係が広がって行かないことは良くない事なのです。

RPGで(地理的にも人間関係的にも)スタートの街に籠っていたら冒険は進まないので、ずっとそこに居ようとするとお尻を蹴られるような出来事が起こるものなのです。繰り返しますが、このRPG世界に偶然は存在しないのです。

あなたが旧友との関係に執着し過ぎているのは、人の好き嫌いが激しかったり自分に自信がなくて傷つきやす過ぎたりするために新たな人間関係を積極的に広げていけず、環境の変化を恐れているからではないでしょうか?そしてあなたは「教養がない」と見下している人と親友なのですから、正直に言ってあなたは自分より優れていて劣等感を感じる相手とは積極的に関わらない(出会い・成長を拒否している)人なのではないかという印象を僕は受けてしまいます。

世のほとんどの人がそうですから、傷ついて凹んで自己イメージを下げないで下さいね。そうすると前述のように思考・行動のレベルが下がる悪循環に陥りますから。自分の問題に気づいたら、直せばいいだけなのです。というか気づけば勝手に直っているものなのです。自分を守ろうとして自分の課題を自覚することから逃げないで下さいね。それ(自覚の拒否)をしているのがその友人なのですから、それを鏡として自らの学びとしなくてはいけません。創造主と主人公であるあなたの関係は一対一であり、他人(NPC)の思考や行動(常識)は一切言い訳には使えないのです。

誰でも自信満々になれる方法」は必ず読んで下さい。あなたの課題(カルマ)が何かがよくわかるはずです。みんなあなたの鏡なのですから、あなたが心を閉ざせば世界があなたに対して閉じてしまいます。あなたが例外なく無償で愛し抜く覚悟さえ持てば、人を恐れる必要など微塵もないのです。そうすれば世界があなたに開かれます。まるですべてがあなたのものであるかのように。だからただひたすらありのままを愛して下さい。

>「自分は巫病にかかっている」
>「シャーマンの素質がある」
>「八咫烏(秘密結社)の一員である」
>「日本は神の国で世界の中心である。富士山に守られている」

あなたがこれを妄想だと決めつけるような方なら、僕のことも統合失調症だと言いかねないでしょう。あなたが絶対だと思っているご自分の世界観・常識も、僕からすれば妄想に過ぎません。僕はこのご友人の発言内容だけから判断して、完全に妄想だと決めるつけることはできませんし、もし霊に言わされているのなら、あながち悪い霊とも思えません。もし僕の友人だったらどんな霊に言わされているのか興味を持つと思います。そして発言内容が事実であることを前提として一切否定せず真剣に話を聞くと思います。

一般的に統合失調症と言われるものは、ほぼ確実に被害妄想(いつもバカにされ笑われているのが聞こえる、常に誰かに狙われ嫌がらせをされている、いつも誰かに監視されている、など)を伴うものであり、あなたは友人が急に変わってしまったというだけで、統合失調症が何かも良く知らずに統合失調症による妄想であると勝手に決めつけるのは、僕はナンセンスだと思います。

ゲームにおいてクリエイターの意思(導き)というのは基本的に出会うNPCを通じて与えられるものであり、それを気に入らないからといって拒否していたら事故るか行き詰まるしかなくなります。出会う人とその発言・出来事の良し悪しを判断するのではなく、クリエイターがどういう意図を持ってそれと出会わせたのかを考えるべきなのです。

>根拠も教養もない友人Bの発言に悲しくなってしまいます

その友人は彼なりに自分のカルマ(課題)に取り組んでいるのですから、友人であるあなたにできることは、常に心からの笑顔で承認し「根拠も教養もない」などと否定せずにリスペクトを示しながら真剣に話を聞くだけです。そうするだけで相手の自尊心は上がり、今は行き詰まっていても気力を失わず、いつか自分なりに答えを出して自分だけのゲームを前に進めていくのです。

基本的に統合失調症状態になるのは、自己肯定感の低さ・自己嫌悪心と厭世観により、自分が自分であることに耐えがたくなって逃げたくなっていることが原因で、その隙をついて自我を少しずつ乗っ取られ、ある日突然会社の株価を半分取得されたかのように自分というものの経営権を奪われてしまうのです。もちろんある日突然に見えるのは他人目線であり、本当はそこに至るまで気づかない間に少しずつ主人格が主体者としての地位を奪われていたのです。そしてあなた自身も自覚がないだけで自我を少しずつ霊障に犯されているのです。だからお互いの自尊心がどうやったら上がるかを考えて日々実践することが大事なのです。

統合失調症状態の人に幻覚剤は厳禁ですし(より霊障に犯されやすくなります。だからこそ霊障は宿主に幻覚剤を求めさせます)日本では違法なのでやらない方が良いのは言うまでもないことです。でも友人の立場でそれを止めることは難しいでしょう。やりたいものはいくら他人がやるなと言ってもやります。本人が心からもうやりたくないと思えるようにならなければ、他人がやめるように強制したところで逆効果です。そもそも幻覚剤の多くはあなたが考えているような麻薬とは別物であり、僕自身も連日アヤワスカを飲んでいる人間なので、幻覚剤を悪いと決めつけたりはしません。

繰り返しますが、あなたは自分が主人公のRPGの世界を生きているのであり、それ以外の人は僕も含めて全員NPCです。その友人が霊障に犯されているのはその友人のカルマなのですが、あなたが出会った人のカルマはあなたのカルマでもあるのです。それはどこでどうつながっているかわからないのです。

鏡の法則」のページに「息子が学校でいつもいじめられていたのが、自分がずっと連絡をとっていなかった親に自分を生み育ててくれたことへの感謝を伝えたら、いじめがぱったりとなくなった」という実話のエピソードがあります。そのようにカルマ・因果というのはどこでどうつながっているか人間には知り得ないものなのです。だから出会った人のカルマを直接的に解決しようとするのではなく、あなたのカルマ(人生の課題・使命)が何かを考えて、ひとつひとつ乗り越えて行くことを考えて下さい。

それでは、あなたとご友人の人生の幸せを心から祈っています。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...