2023年3月8日水曜日

不安でたまらない

【質問】
はじめまして。

父親が3月で職を失います。それで母も仕事をしていないため、全員無職になってしまい、収入源が絶たれてしまい不安です。僕は発達障害を持っていて就労移行支援事業所に通ってます。一応祖父母の実家はありますが、収入源をなんとかしなくちゃと考えると、不安でどうしょうもなくなってしまいます。

あんまりまとまってないですが、どうするのが最善だと思いますか?

【回答】
不安なお気持ち、お察しします。僕も目覚める前は将来がとても不安でした。しかし現在は不安など全くなく、とても幸せに暮らしています。

ただ僕は目覚めてからすぐに資産をすべて貧しい人に配り、それから三年以上も無職で収入の見込みもなく、ホームレスで乞食をして暮らしていました。ここ1か月は何となく流れで若干働くことになってしまいましたが、月収は4万円ほどで、それもいつクビになるかわかりません(別になっても全然良いんですけど)。

それでも全く不安がなく本当に幸せなんです。なぜだと思いますか?決して頭がおかしくなったわけではありません。

もし世の中の病気や事故で死ぬ確率を全部足し合わせたら、我々はとっくに死んでいますし、確率で考えるならそもそもこの世界も我々も生まれていません。天に「生かされている」ってことに信頼と感謝がなく、エゴに捉われて自分の使命にも目覚めていないから不安になるのでしょう。鳥は稼ぎも蓄えもしませんが、明日の糧を心配したりはしません。天に養われていることを疑いなく確信していて、己の命を完全に天に預けて運命を受け入れているからです。結局不安に陥るのは、信心と感謝の欠如が原因なのです。

人生というのはRPGであり、それは愛と勇気を試すためのものです。ですから当然世界はあなたを不安にさせ、また怒らせてきます。しかし決してそれに屈してはいけないのです。そんなに心配しなくても、本当はすべて大丈夫なのですよ。大丈夫じゃないと思わせないと愛と勇気を試せないから大丈夫じゃないと思わされているだけなのです。

ここまできたらもう「なるようになれ!」とふっきれて下さい。しょせんこの世界は仮想現実でありRPGです。真剣になっても深刻になるべきではありません。これまで何とかなってきたのですから、これからも何とかなるのです。どっちみち何とかなるのなら、やりたいことをやるべきです。

どんな映画やRPGでも、心配性で疑り深く・常にリスクを避け・それでも不安に苛まれながら生きているような主人公が幸せになるシナリオはまずありません。主人公は常に愛と勇気の持ち主が務めるものです。

ただし最初から愛に溢れて何も恐れない人の愛と勇気には価値がありません。あなたのようにエゴに捉われ(不安・恐れは全てエゴ由来です)臆病になり不安に陥っている人間が振り絞る一握りの愛と勇気にこそ価値があるのです。

そして自分を主人公とする世界はすべて自分次第にできているのであり、いつも不安になっていたら不安材料をどんどん引き寄せてしまい、不安が実体化してしまいます。

与えられた困難はすべて課題であり、克服可能だから与えられているのです。それはあくまでも成長を期待して愛によって与えられているのであり、創造主はその人に絶対乗り越えられないような課題を与えて潰すようなことはしません。創造主がそういうつもりなら我々は今日まで生きられてはいません。

そしてあなたもご家族もつまらないプライドは捨てて、実家や生活保護を頼るべきだと思います。世界=あなたなのすから、他人の力を借りることを恥だと思わないで下さい。

人の価値とは?」に書きましたが、人の価値は能力や自立ではありません。仏教の縁起思想の通り、すべての存在は支え合って存在しているのです。あなたもあなたの親も自立を目標として「人の役に立ちなさい、人に迷惑をかけてはいけません」と育てられたのでしょうが、そこを乗り越える必要があります。自立より、素直に人を頼り・人から頼られる人間になることを目指して下さい。

人は決して貧困では死にません。その点は三年以上もホームレス乞食をして確信してます。人を素直に頼って感謝できない愛のない人間が将来を悲観して自殺したりするのです。人に迷惑をかけたくないという人は、人から迷惑をかけられたくない人であり、愛がないんです。

日本の生活保護があれば月収は僕の3倍以上にはなるでしょう。それでも生活が不安なようなら、きっと無自覚に生活レベルを周囲に無理やり合わせ、本来要りもしないものにお金をかけているのでしょう。まずは徹底して断捨離し、生活をミニマムにすることです。

食生活も粗食にして菜食主義的生活をして、それに慣れたら数日で良いから断食をしてみて下さい。「そんなに食べなくても生きていける」と実感できれば、生活の不安はぐっと減りますし、生きとし生けるものに対する愛情も湧いてきます。

スターシードというのは基本的に発達障害だったりADHDやASPなどの傾向があり、脳のCPUの能力が高いのにメモリは極端に少なく、余計なモノや思考をできるだけ持たないようにしないとすぐにメモリがいっぱいになってバグってしまうのです。だからモノや思考・課題は目の前からすぐ片付けるように癖をつけておかなければいけません。物事を決して先延ばしにせず、またダラダラ夜更かしせずたくさん寝て朝型の生活を心がけることです。

そしてどうか信心を持って下さい。とりあえずでおススメするのは世界救世教や真光などに通って、浄霊(お清め)を受けることです。お金はかかりません。信者になる必要も無理に寄付をする必要もないので、できるだけ毎日通って、あなたの人生のカルマを重くしている霊障を日々浄化して下さい。体も家も常にきれいに保って下さい。物質と精神はリンクしていますから。

そして無理に働かなくていいですから、人に無償で奉仕して下さい。(仏教の六波羅蜜を実践してみて下さい)

以上のことを実行したら、あなたはきっと幸せに導かれるはずです。

また僕のnote・質問箱もよく読んで下さいね。自殺にまで至った男が短期間で幸せになった哲学ですから、もし素直に読んで理解し受け入れて下さるなら、きっとあなたのことも救えると思います。

今回の回答はきっとあなたの期待した通りの答えではないでしょうが、もしあなたの方が正しいのならあなたの方が幸せになっているはずです。半信半疑のままでもいいので、まずは僕の言うことを一旦は愚直なまでに・無呼吸ダッシュのように実行してみて下さい。ほんの数か月で人生が変わりますから。

天国は不安のない場所であり、自分の精神世界を天国に変えられた人間の行くところです。それはどんな状況に陥っても安心していられる勇気と信心のある人ってことです。天国に「地獄に落ちたらどうしよう」なんて不安にかられている人は招かれないのです。この世においてエゴ(我欲と保身)のために生きて不安に苛まれリスクを避けて生きることは当たり前のことで称賛こそされ誰にも非難はされませんが、天界において臆病は最大の罪なのです。人生とは己の愛と勇気を養い、魂の成長を促すためのものなのですから当然です。

2023年3月2日木曜日

陰謀論は知るべきか?

 【質問】40歳男性
スピリチュアル業界のバシャールという人が『陰謀論や嫌な事に意識を向けるとそのような事実が引き起こされるのでワクワクした方がいい、彼らは自然に消えていく』と話していて混乱します。

バシャール抜粋
『ちなみに、陰謀説を知識として入れる必要があると信じる人は、『針の目(穴)』の向こう側の世界で陰謀説が存在する世界にシフトすることになります。その事だけは覚えておいてください。また、バシャールや他の高次の存在との面会が起こる『針の目(穴)』の向こう側の世界は、古い世界のトラップから抜け出た世界になります。つまり、ネガティブ螺旋から抜けた世界ですから、陰謀説と関係のない世界にシフトしてゆく事になります。』

この言葉がどうも引っかかるのです。自分を守る為に陰謀論と思われている情報を調べれば事実としか思えず、ですが調べる事で恐怖の現実を自分で引き寄せているのでしょうか。彼のいう様に知りたくない情報は無かったことにして調べず、自分がワクワクする事だけしていれば世界は平和になるのでしょうか。はっきり言えば陰謀に溢れた世界で生きたくなく怖気付いています。だから頭の中お花畑にしてワクワクを追求すれば世界は勝手に平和になると信じたくなってしまいます。ですが創造主が私にそれを望んでいるなら仕方のない事と受け止めるべきでしょうか。

自分としては臭い物に蓋をしたり、自分の意識が楽しいと思える事だけに集中した程度で世界の闇は消えないと思っています。真也さんは陰謀論(事実?)とどう向き合っていますか、教えてもらえると幸いです。


【回答】
ご質問ありがとうございます。

ただこの件に関して僕は「生まれの格差について(陰謀論)」において既に全力で回答済みであり、あなたがこれを読まれた上で上記の質問をなさっているのであれば、文章であなたに伝えることは不可能であり、番組作成を待つか、ブラジルにアヤワスカの儀式を受けるかして下さい。

人生は魂の成長を目的として創造主に与えられたRPGであり、主人公として目覚めてもいない段階にある人が陰謀について(ボスの強さについて)詳しく知ってもただ被害者意識に陥って絶望するだけで、自発的にその体制を支える手下(構成員・奴隷)となってしまうだけです。バシャールの言うトラップとはそういうことでしょう。

支配者はこのRPGのラスボスであり、彼らとまともに闘えるだけのレベルに達するのは容易なことではありません。エゴ(自己保存)のために生きているだけの臆病なNPCがいきなりラスボスである支配者を相手にしてもまともに戦えるわけがありません(戦うどころか辿り着きさえしません)。

あなたがどれだけ支配者たちをネットで批判したところで彼らに届くわけもなく、例え届いたところで鼻で笑われるだけで微塵もダメージを与えられず、何も変わることはありません。

それどころか批判の言葉で自らを傷つけ(世界はワンネスであり、他人は自分の鏡であることは相手が支配者たちでも変わりがありません)、陰謀論について真実を追求することで自分のように絶望感に苛まれない人間を頭の悪い楽天家であるかのように見下し、自分も周囲も暗くネガティブにして、世の中に絶望し周囲も絶望させる悪魔の一員になってしまうだけでしょう。バシャールの言う「嫌なことに目を向けるな」というのは、僕に説明させればそういうことです。

まず戦うべきは自分の中にフラクタルに存在する悪魔・霊障であり、エゴ(我欲・保身・虚栄など)による臆病と怠惰であり、それに対して戦う気概さえ持たずにあっさり負けているようでは文字通り話になりません(RPGのストーリーになりません)。

悪魔・霊障=エゴであり、悪魔・霊障は常にあらゆる手段を通じて僕らをエゴまみれにしてきます。支配者たちが悪魔なのではなく、悪魔はフラクタルに我々の心の中にいるのです。だから決してそれに負けてはいけないのです。支配者たちでさえ、主人公の救いの対象であることに変わりはありません。力によって問題は決して解決しません。かえって悪化するのみです。万能の解決策は愛であり許しなのです。これはとてもスピリチュアルな戦いなのです。

まずは自分の覚りを進めることです。それはエゴを乗り越えることなのです。それは「欲は悪いものですか?」に書いた通り、エゴをなくすことではなく、出会った人を例外なく尊敬し・感謝し・許し・愛することで、人のエゴ(特に承認欲求)を無条件・無差別に満たしてあげることです。そのためには信心を持ち、知識を深め、祈り、六波羅蜜を行じて神々や人に奉仕することで信心を形にして、真理(愛)を実践の中で経験的に知ることが大事です。

そうすれば必ず自分自身を愛せるようになり、周囲の人からも愛され、心の波動が高まることでしょう。そうやってどんどん心の波動を高めて下さい。バシャールはそれを「ワクワクすることに集中して下さい」と表現していますが、言っていることは僕と同じです。すべては波動でできているのですから、あなたが自分の心の波動を高めることができたなら、それはいつか必ず世界の隅々まで連鎖して世界は救われるのです。

あなたの人生というRPGはすべからくあなた次第に創られています。自分が主人公としてその与えられた才能を使って世界を救う起点になるのだとしたら、ワクワクしないわけがないのです。それなのに多くの人は欲望が満たされる期待でのワクワクしか知らず、己のエゴに埋没して不満と不安に苛まれ、己を過小評価して自己保存(保身)のために生きることしか考えていないから人生がうまくいかず心の波動が下がり、世界を救うことを最初から諦めてただ絶望しているのでしょう。もちろん僕もかつてはそうでした。

繰り返しますが人生というRPGは魂の成長のためのものであり、それは愛と勇気を試すためのものなのです。恐れというのはすべからくエゴ由来だと知って下さい。エゴを乗り越えることでしか勇気というのは培われないのです。僕は自殺を決行するまでエゴを乗り越えることができませんでしたが、あなたにはそんな経験をしなくてもエゴを乗り越えられるようになって欲しいです。

自分はエゴが強く臆病だからと言って最初から諦めてはいけません。人間はそのように初期設定されているのであり、人それぞれの魂のレベルにあった課題・シナリオ・カルマ・特性が与えらえているのです。

初めから愛にあふれ何も恐れない人の愛と勇気より、エゴにまみれて臆病な人が振り絞る愛と勇気にこそ価値があるのです。楽器の演奏と同じで、最初からうまくなどできるわけがないのです。水泳を頭で理解しても実際に泳がなければ泳げるようにはならないのと同じで、覚り(真理・愛)というものを頭でわかったような気になっても意味がありません。

厳しいようで申し訳ないのですが、僕がどれだけ一生懸命回答してもあなたはわかったつもりでほとんど理解できておらず、またその自覚がないように(質問内容から)感じられます。ただそれは無理もないことなのです。人間は成長を楽しむためにあえて愚かに創られているのであり、夢を見ている間に夢の中にいることを自覚するのは困難なのと同じことで、目が覚めた後に眠っていたことを自覚するのみなのです。結局、日々実践する中で覚り(真理・愛)を開いていくしかないのです。決してあなたが愚かだということではなく、単に現段階で僕の説明していることを理解するには目覚めの経験が足りてないだけなのです。覚りの道・進捗は人それぞれですから、他人と比べる必要はないのです。

覚りとは科学的に完全証明できるようなものではありません。しかしあなた自身も周囲の人もみんなが幸せになる考え方・行動なのであれば、それがきっと真理なのです。

2023年2月25日土曜日

優生思想も創造主のシナリオですか?

【質問】20代男性
初めまして。いつも発信見させていただいております。

質問ですが、人の本能(優生思想)というのも創造主が考えたシナリオですか?

私は人間含め、全ての動物の生きる目的は子孫繁栄だと思っています。野生動物の世界では、厳しい自然界を生き抜くため強いオスがメスから求められ、弱いオスは子孫を残せず淘汰される現象がよく見られます。

この傾向は間違いなく人にも存在しており、相対的価値の男性(イケメン・高身長・金持ち等)は比較的モテ相対価値が低い男性(不細工・低身長・貧乏等)はあまりモテないという事実は紛れもないと思います。

そしてそれは相対的価値なのでどうしても序列が出来てしまい、女性に選ばれない男性が必ず発生してしまうのも紛れもない事実です(今の日本人男性は3人に1人が童貞というデータがあります)。

ならば性愛以外の分野で幸せを感じればいいという意見が出そうですが、性愛は子孫繁栄と直結しており人間という生き物の根幹にあたる部分なので、避けて通るのはほぼ不可能だと思います。

このように性愛の軸では資本主義と同じようにどれだけ頑張っても相対評価で除外されて淘汰される層が出てきてしまいます。このように絶対に幸せになれない人が確実に存在するのも創造主の意思でしょうか?それとも子孫繁栄や性愛の本能そのものがエゴであり、乗り越える対象ということでしょうか?他の方の質問と被る部分もあるかもしれませんが、回答を頂ければ幸いです。

【回答】2024年9月1日更新
ご質問ありがとうございます。

(特に日本人は)愛というものを男女の愛とイコールであるかのように限定して考え、意中の人に愛されなかったり、恋愛対象からモテないというだけで、自分(の愛)には価値がないと考えるほどに他者評価依存になっているのです。

ただそのような「愛」は我々に与えられた初期設定の課題である「エゴ」であり、本当の愛というのは「森羅万象(=すべての存在・事象)に対する慈愛と感謝」なのです。

愛とエゴとは真逆の概念であるにも関わらず、多くの人が「愛」を「すごく好き」ぐらいの意味に捉えていて、「すごく嫌い」の対義語のように考えています。そうしてエゴを愛だと勘違いし、満たされないことに苦悩しているのです。このあたりの話は自分と他人の愛し方で回答しています。

僕が愛について語ろうとすると、多くの人は「クサい」という感じの反応をして聞く耳を持とうとしませんが、それはその人の愛が腐っているからです。愛を醜いもののように感じてしまうのは、きっとエゴを愛だと勘違いしているからでしょう。

本当はすべての存在・事象が創造主なのであり、すべての存在・事象を許し愛することで創造主(=森羅万象)から愛を受け取れるのです。自分に都合の良いものだけを愛するのは赤ん坊でもできます。自分に都合の悪いものも、自分の魂の成長に必要だから与えられた課題なのだと感謝して受け取り、乗り越えて成長しようとすることが本当に大人になるということなのです。

あなたが愛を感じられないのは、自分に都合の良いものだけを愛そうとしているからだと思います。異性にモテない自分や他人は価値がなく不幸だと決めつけているようでは、すべての存在の根源たる創造主の愛を受け取れるわけがありません。あなた自身が心を閉ざしているから、世界はあなたに対して閉じているのです。あなたが心を開けば世界があなたに開かれます。これは僕が経験上確信していることです。

創造主は僕らの愛を求めて愛によって僕らを作ったのであり、自分や誰かの愛に価値がないと考え、この人生というRPGの設定に不平不満・文句を言うことはその愛と逆行することであり、不幸に導かれるのは当然なのです。そこに僕らは自発的に気づいて愛を無条件化していかなければならないのです。

僕らは世界を好き嫌いで二分することにより、その主体者としての「自分(自らの存在は他の存在と分かれたものであるという分離意識)」というものを実感しようという本能が与えられています。それがエゴの本質の一つです。

しかし嫌いなものが存在しなければ僕らは好きという感情も経験できません。そういう好き嫌い・喜びと悲しみのような相反する感情を感じ経験を積んで成長の喜びを味わえる存在として人生を与えらえれたことに自発的に感謝して森羅万象を愛することが大事なのであり、愛というのは好き嫌いや喜怒哀楽を超えたところにあるのです。そして自分自身が無意識に好き嫌い・善悪などで二元化してしまっている自分の認識世界を愛一元に変えていくことがこの人生というRPGにおけるみんなに共通したストーリー設定なのです。

>>人の本能(優生思想)というのも創造主が考えたシナリオですか?

そうですね、基本的には生まれの格差について(陰謀論)等に回答させていただいている通りです。この仮想現実RPGにおいてクリエイターが意図しない存在・出来事は一切ありません。そして本当は僕らも創造主の一部であり、記憶を消されているだけで、このシナリオの共通初期設定は僕らみんなの総意で作られているのです。自分で作ったRPGはすべてを忘れた上でレベル1から始めなければ楽しめないのです。

このRPGのシナリオにおける初期設定というのは全て解決すべき課題であり、人生という物語の伏線なのです。初期設定が完璧な真理で完全に幸せな世界であれば、それはもはやエンドロールであり、ゲームとして成立しませんので、我々に生きる意味はなくなってしまいます。

真理というのは初期設定の常識(思い込み)の中に巧妙に隠されているからこそ見つける喜びがあり魂の成長があるのです。ゲームにおいて初期設定は必ず課題(困難)を伴っているものであり、常識が間違っているのは伏線上当たり前のことなのです。

あなたは勝手に常識化していますが、僕らは子孫繁栄のために生まれてきたのではありません。もしそうなら結婚できない・しない人や、子供を作らない・作れない人には価値がないということになります。(それは確実に同性愛者差別ですよね)しかしもちろんそれは課題であって真理ではないのです。太陽も地球も人間もいずれは滅びることが確実なのに、子孫繁栄にそんな価値があると思いますか?そして子孫繁栄が目的のRPGなど見たことがありますか?

僕らは永遠たる魂の成長を経験するために生まれてきているのであり、意識している・していないに関わらず、主人公それぞれに用意された設定・課題・シナリオの中で修業し経験を積み成長を続けているのです。全知全能の創造主がちゃんと意味があって愛によって課題を与えてくれているのですから、創造主が我々にどういう成長を望んでいるのか愛で解釈し、感謝しながら乗り越えていかなければならないのです。

それなのにあなたはまるでその初期設定(常識)は変えられないということを前提にして、それを課題として乗り越えて魂を成長させることを放棄し、課題に対して不平不満を言っている感じがします。それはわき役NPCの典型的な思考なのです。ゲームの設定に文句を言う主人公ではゲームが進みませんし、映画の設定に文句を言う主人公では監督に愛されません。「愚痴・泣き言・不平不満」と「嘲笑」はシナリオ上「負けのフラグ」であり、自分を脇役NPCとして確定させる行為だと覚えておいて下さい。

人それぞれ自分を主人公とする、自分の魂のレベルに合ったシナリオ・カルマ(課題・経験)が与えられているのですから、他のプレイヤーと比べて難易度が高いからと言って不平不満を言うことはナンセンスなのです。レベルの高い生徒が通う学校ほど課題の難易度は高いのと同じであり、自分や他人に与えられた課題(カルマ)を比較して文句を言っているようでは成長するわけがないのです。創造主は我々に魂の成長を願って生んでいるのであり、その人に乗り越えられない課題など与えるわけがないのです。あなたがそれを信じられないのなら、あなたに信心が足りないということです。

この世界の初期設定(常識)である適者生存(≒弱肉強食)型の価値観を覆して共存共栄型の社会を実現して世界を救うのが主人公(メシア)であるあなた(=僕)の使命なのです。日々愛(真理)を実践し、ワンネス(あなた=私)であることにみんなが目覚める連鎖を起こし、無償で助け合い愛し合う社会を実現していくことなのです。

宇宙の仕組みに書いた通り、あなたは客観的世界に住んでいるのではなく、夢の中と同じようにあなたの主観的世界に住んでいるのであり、あなたこそが主人公なのです。そしてあなたの世界はあなたの解釈(世界観)が作り出しているものなのです。あなたはまだそれを全く理解することも受け入れることもできていないのでしょうが、あなたの人生というRPGはすべからくあなた次第に作られているのです。

この世界が確率・偶然性に左右されていると考えるのは幻想であり、本当はすべてが0次元である創造主の意思とあなたの意思との相関関係で起きています。会ったこともさえない他人は完全なNPCであり(いわんや動物をや)、その不幸や悪事をニュースやデータから持ちだして創造主を恨み世を嘆くのはナンセンスです。それは環境設定・伏線のようなものであり、あなたはあくまで実際に出会った人(あなたの心の世界=仏国土の住民)を救うことに全力を注ぐべきなのです

この世界は愛と勇気を試すためのRPGであり、当然世界はそのためにあなたを脅して不安にさせ、また怒らせてきます。(様々なニュースやデータは基本的に人を不安にさせるために存在しているのです)しかし決してそれに屈してはいけないのです。本当は全て大丈夫なのに、大丈夫じゃないと思わせるのは愛と勇気を試すためであり、本当は何の心配も要らないのです。それを心配したり不平不満を言って感謝しないから、その不安・その世界観が現実化してしまうのです。鳥は蓄えもしませんが、明日の糧を心配して自殺する鳥はいません。天に養われ守られているのを確信しているからです。

あなたは初期設定(NPC思考)通りに適者生存の価値観を絶対的なものだと認識し、自分もみんなもそれに服従する以外にないと考えているから、実際にあなたの認識世界はそのようになってしまっているのでしょう。あなたには信心がないために、この世界を非常に表面的にしか見ておらず、この世界のすべての存在が支え合って関係性(因果・縁起)の中で存在している(共存共栄)ということに全く気付いておらず、殺伐とした適者生存の競争社会としてしか認識できていないのです。

優生思想の根拠になっているダーウィンの進化論は虚構です。あれは支配者層が「この世界は適者生存である」と自分たちの支配を正当化するのに便利だから常識として学校も社会でも常識(正義)として教えさせているのです。

進化論を信じるのは人間の無明(愚かさ)の最たるものです。遺伝子の突然変異で新種(元種と交配不能)が誕生するなら、たった一世代の間に寸分違わずピッタリ同じDNAの突然変異(しかも元種より進化的で環境に適応した変異)を起こしたつがいがお互いを見つけて惹かれあい生殖しないと無理なわけで、そんなことは天文学的確率でもありえません。実際そんな証拠は一つも見つかってないのに、世界中の雌雄異体の全生物でそれが起きたと考えるのでしょうか?

しかも地球上のほぼ全種で近親交配によるデメリットが生じるのに、たった一つのつがいから新種が広がっていくと考えるのは無理があり過ぎます。進化の中間種も一切見つかっていませんし、今の生物の系統はすべてカンブリア大爆発の時期に生じていることがわかっています。つまり最初から分けて創られたということです。

今生きている全ての人間には例外なく2人の親がいて、4人の祖父母がいて、8人の祖父母がいます。そのように世代を遡ると、たった50世代で1000兆人の祖先がいることになります。今を生きるすべての生命一つ一つに、それだけの祖先がいるのです。ほぼすべての種において近親交配には遺伝子劣化が伴うのですから、いくらダブりがあったとしても知れています。少なくとも一つのつがいから種が広がっていくという考えは理論上破綻していることだけはわかるでしょう。

人間がたった数十数百万年の間に猿から進化したというのもあり得ません。「適者生存」が事実なら、なぜ今もたくさんの種類の猿が栄えているのか誰も説明できないでしょう。

この世に創造主が作っていないものなど存在しはしません。すべてが創造主の一部として形を現しているに過ぎないのです。仮想現実が自然・偶然に発生するなわけがありません。すべての存在の根源は創造主であり、この世界に存在意義のないものなど存在しないのです。もちろんあなた自身も、あなたが嫌いな人や価値がないと思う人たちにも。

あなたはまだ若く、性欲に振り回されている時期でしょうから、性愛や結婚を幸福の絶対条件のように考えてしまうのは無理もありませんが、そのように幸福を勝手に条件付けして自分自身だけでなく他人の幸不幸まで決めつけるような考え方が不幸の元凶なのです。あなたは覚りが開ける中で感じ取れる幸せというのを全く経験していないようですからわからないのも無理はありませんが、性的な快楽といういのは一過性のものであり、満たされ続けることはないのです。「性愛・結婚=幸せ」「それを得られない人は不幸(幸福から除外されている層)」などと勝手に決めつけるような考えがあなた自身の認識世界を本当に不幸にしているのです。

あなたの解釈・世界観があなたの認識世界(仏国土)を作っているのであり、あなたの人生という映画を作っているのです。ところが今現在のあなたの世界観は非常にネガティブで差別的で不安と不平不満と厭世観に満ちており、あなたの仏国土には住みたくない・同じ映画に共演したくないと深層心理で倦厭されていることが、恋愛に限らず人にも神々にもモテない根本的な原因であり、容姿や能力やステータスが直接的な原因ではないと思います。(落ち込まないで下さいね。それに気づいて直せば良いだけであり、それこそが魂の成長で、人生のシナリオの大事な要素ですので。)

因果は循環するものであり、あなたが本当に容姿や能力やステータスに恵まれないのだとしたら、それはあなたが世の中を悲観していて感謝の気持ちがなく不平不満と恨みで解釈しているからだと思います。僕自身も前はそうだったのでよくわかります。「自分は容姿が悪く何の才能もないから努力しても無駄だ」などと考えてネガティブな解釈をしているからこそ、努力する意欲もなくなりいつもネガティブなオーラを発して天の愛を受け取れず、才能からも素晴らしい出会いの運命からも見放され、ますますネガティブになるという悪循環を繰り返していたのです。

幸せの条件付けは不幸の根本的原因であり、ステータスなど表面的なもので条件付けして相手を決めるような女性はその時点で不幸決定のようなものなのです。そして世の中ステータスだけで相手を選ぶような女性ばかりではありません。あなたがそう解釈しているから、そう見えているだけです。フィーリング・人生観や世界観の一致の方を大事にしている女性があなたの周囲にいるように思えないのなら、それはあなた自身が女性を容姿やステータスなど表面的なものだけで判断しているからではないでしょうか?

異性というのは、あなたが心を開いてみんなとちゃんとコミュニケーションを取れる人なのであれば、あなたの現時点での容姿も能力もステータスも関係なく、創造主がちゃんとしかるべき相手と出会わせてくれてうまくいくようになっているのです。なのに出会いに対して心からの感謝の気持ちがなく、目の前の人を容姿や能力やステータスで判断して全力で愛さず、不平不満ばかり言い、世を嘆いてばかりいるから、すべての存在の根源たる創造主からの愛を受け取れないのでしょう。

どうしたらモテるか?については旧質問箱で回答させていただいておりますので、こちらもご参考下さい。あなたはきっとモテる人をうらやんでいるのでしょうが、一度に結婚できるのは一人までですし、意中の人に愛されないならどれだけモテても意味がありません。そして自然体でモテるならそれは素晴らしいことですが、不特定多数にモテようとしてそれにより自分の価値を感じようとすることは日本の社会病理「他者評価依存」であり、それは目の前の人を全力で愛そうとしないことにつながり、きっと人生がうまくいかなくなると思います。

人の価値とは?に書きましたが、人間の価値は能力ではなく存在なのです。能力を価値と考えるから「優生思想」のようなデタラメを真理と勘違いするのでしょう。

そして嫉妬・劣等感で苦しいで回答しましたが、自分自身が人間に優劣をつける考え方をしているから嫉妬・劣等感に苦しむことになるのです。誰でも自信満々になれる方法に書いた通り、出会った人を例外なく尊敬し・感謝し・許し・愛する努力を日々重ねていれば、嫉妬や劣等感に苦しむことはなくなります。常に正義より愛を優先する連鎖を目の前の人から起こし続けて世界を救って下さいね。

あなたは結婚や出産をまるで幸せの保証でも得ることのように考えている感じがしますが、結婚してもすぐパートナーとのセックスに飽きてセックスレスになったり、浮気などが原因で夫婦仲が険悪で、離婚したり一家離散状態になっている家庭というのはとても多いのです。結局性愛というのは一過性のものに過ぎず、それを幸せの本質であるかのように勘違いして追い続けても永遠に満たされることはないのです。

そして結婚や出産に限らず何かの成功というのは、その人なりの成長を期待されて与えられる査定前の新入社員のボーナスみたいなものであり、その上にあぐらをかいて今まで以上の努力を怠ると、ボーナスが借金のようになって多大な利子付きで強制返済させられるのです。それは離婚についてに書いた通りです。

今回ちょっと厳しい回答に受け取られてしまっているかも知れませんが、僕は常に100%の愛で回答していますし、あなたの幸せを心から祈っています。

※再質問が来たのでこちらに回答しています。

2023年2月5日日曜日

NPCはみんな私の幻?世界線とは何?

【質問】
自分の人生に無関係な人がNPCなのは理解し易いのですが、身近にいる人々や真也さんも私の脳が作った幻で、実は存在しないのでしょうか?

「別々の自分の主観的世界にいるがP2Pのネットゲーム世界のように重なりあっているから一つの世界に見える」と言う説明が本当なら、真也さんや私が出会ってきた全ての人々は私の鏡で本当は存在せず(別の世界線にいる?)

コロナ禍というシナリオの中で学んでいるのは実は私ひとりだけなのでしょうか。それとも、このコロナに翻弄される世界がデフォルトでみんな似た様な世界線にいるのでしょうか?

もしも私だけの世界であるなら、コロナ禍を引き起こして私の世界にいる住人たちに迷惑をかけて申し訳なく思ってしまいます。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

我々は世界の仕組みを理解できないように作られているのですから当然と言えば当然なのですが、まだあなたはほとんど理解されていません。僕自身、目覚める前に「宇宙の仕組み」について読んだとしても、ほとんど理解はできなかったでしょう。結局経験を通してしか理解できないものなのです。だから決してまだ理解できないあなたを見下しているのではありません。あなたがまだ理解できないのは、あなたの人生というRPGにおける現段階での進捗を遥かに超えた内容だからです。

大事なことは目の前の自分のRPG(覚り)を進めることです。僕がnoteで一番伝えたい内容は「誰でも自信満々になれる方法」であり、「宇宙の仕組み」はその論理的根拠のようなもので、「自分が主人公であること」さえ理解していただければ十分なのです。他にも「人の価値とは?」「反省してはいけない」「問題は解決しなくていい」あたりに書かれていることを日々その内容を実践していれば、無理に世界の仕組みを理解しようとしなくても、経験的に理解できるように導かれます。逆に実践・経験なしに深く理解しようと思っても無理です。

だから一応いつも通り全力でご説明しますが、今現在のあなたに説明してもきっとご理解はいただけないと思います。RPGにおいて必要なものは必要な時に必要なだけ与えられるのであり、今現在理解できないことは理解しなくても良いので、焦らないで下さい。僕の世界観をあなたの現段階で無理に全部理解しようとすると混乱して統合失調症のようになってしまうでしょう。

>>自分の人生に無関係な人がNPCなのは理解し易いのですが、身近にいる人々や真也さんも私の脳が作った幻で、実は存在しないのでしょうか?

関係があろうとなかろうと、実際に出会っていようといまいと、自分以外の人間は基本的にNPCです。そしてあなたも他人にとってはNPCなのです。

自分の世界は自分次第に作られていますが、そのような仕組みに作ったのは創造主であり、あなた個人の脳ですべてを作り出しているということではありません。既にある無数の可能性の中からあなたが人や出来事との出会いを選択している(引き寄せている)ということです。だから人生はRPGと同じだと再三お伝えしています。僕も他の人もあなた個人の脳が作り出した幻ではありません。統合意思(僕らの深層意識全体の総意)=創造主(クリエイター)が作り出したものをあなたという主人公の深層意識が引き寄せたのです。人はそのように自分が選択したシナリオの必要性に応じて必要な人に出会うのです。

あなたが出会う相手が完全自動で動いているAIの如きNPCなのか、それともそれをアバターとしてログインしている別のプレイヤーなのか、あなたには見分けることができませんし、見分ける意味もありません。それらは実質同じものであり、自分自身と同じように主人公として尊重し、愛する以外にないからです。

他人の存在が幻だというのなら、あなたが自分だと思っている自意識自体が幻に等しき仮象のものです。すべての存在は同一(ワンネス)なのであり、自意識(自分は自分である)分離意識(自分は他のものとは別の存在である)自己同一意識(自分はこういう人間である)この3つが「自分」という仮象を形成しているのです。

そしてそれぞれの存在には個性が与えられ、それは欠点や過ち(不完全性)と不可分なのです。個性=不完全性がなくては僕らは愛の物語を経験できません。しかし不完全性というのは幻であり、本当はすべてが完全なのです。愛(お互いが補い合い許し合うこと)を生むために完全たる創造主は個性・不完全性という幻を作り出したのです。

僕が全ては「幻」だというのは存在しないという意味ではなく、本来存在し得ないものが仮の形で実体化しているのです。ちょうど電源を落とせばデータだけ残してすべてが消えてしまうRPGと同じです。

このRPGは魂を成長させるためのものであり、そのために常に愛と勇気が試されています。そのためにあらゆる存在があらゆる手を尽くしてあなたを不安にさせ、怒らせてきます。しかし決してそれに屈してはいけないのです。

ゲームだから・相手はNPCだから何をしても構わないというものではありません。出会った人を自分自身のように愛し、大切にして下さい。ゲームは真剣になるほど楽しめるものですが、深刻になり過ぎては楽しめないものなのです。「しょせんゲーム、されどゲーム」です。そして「勇気なき愛は欺瞞であり、愛なき勇気は蛮勇である」と覚えておいて下さい。それは創造主からの大切なメッセージなので。

>>真也さんや私が出会ってきた全ての人々は私の鏡で本当は存在せず(別の世界線にいる?)

あなたはまだ世界線について全く理解されていません。世界線というのはネットゲームにおけるインターネット回線のようなもので、それは他のログインプレイヤーと世界を共有させているものなのです。

しかしシナリオ上必要なプレイヤーとだけつながっていれば良く、存在するすべてのプレイヤー全員と常時接続するのは無駄でしかないのです。だから僕らは70数億人がみんな一つの世界を共有しているように見せられていますが、実は全員とつながってはいないのです。

深層意識が選択しているシナリオのゴール(目的地)が変われば、それに合わせてルートも変化します。それはちょうどあみだくじのような感じで、主人公であるプレイヤーが別の世界線に移動したりすることは(特に主人公に目覚めようとしているプレイヤーには)気づかない間にも頻繁に発生しているのです。

しかし僕らはこのあみだくじを真横からしか見れないような感じになっていて、まるで一本の線であるかのように世界を認識しているのです。ただ実際は頻繁にルートは変化しています。これはまさにRPGと同じ仕組みであり、僕らは深層意識によってシナリオを選択し、それに合わせてルートは常に変化しているのです。それによって未来だけでなく過去も(現実そのものが)変化するのです。(マンデラ効果)

過去・未来というのも僕らの意識が作り出す幻の如きもので、本当はすべてが「現在」として存在しており、それが変化し続けている(因果を更新し続けている)のです。DVDの映画で、リーダーの光を当てて作り出した世界を視聴者が「現在」として認識しているのと同じように、僕らは本当の世界(データ宇宙)の中のほんの一点を「現在」として認識しているだけであり、本当は世界・人生は既にデータ(可能性)として全て一度に存在しているのです。

そしてこのみんなの意識が重なり合ってできている世界には、宇宙人のように他のルールのゲームをしているプレイヤー(意識体)もたくさんいるのですが、それらとモロに世界線がつながったらゲームがめちゃくちゃになってしまうので、通常はつながらないようになっています。つまり直接的な干渉はできないようになっています。しかし物語を面白くするために別次元の存在が主人公であるプレイヤーのシナリオ上の必要に応じて(宇宙法則の制限内で)僕らの世界線のアバターにログインして干渉してきたりするのです。稀には完全に別なゲーム世界(世界線)のアバターがこちらのゲーム世界(世界線)に交錯して出てくることもあります。それが僕らが物質世界において認識する宇宙人ですね。それは幻のように現れたり消えたりします。

無限に重なり合って存在しているルービックキューブを想像してみて下さい。その縦横の分割線を世界線・時間軸だと思って下さい。出会いというのはその世界線・時間軸が他の人のルービックキューブとピッタリ同じに揃ったときに一つの面(フィールド)を共有するようなイメージです。(あくまでイメージであり、厳密に例えれば世界線の数・面の数は無限に近いほどあって表現不可能です)

ピラミッドなどはそのルービックキューブの回転の基準点として存在しているのであり、命が尽きた後に転生してまた会いたい人にもう一度会うための仕組みだと「宇宙の仕組み」でご説明させていただいた通りです。ピラミッドは「ワンネス=本当はすべてが一つである」ことに目覚めた上位次元の存在の愛によって作られたものなのです。我々の世界線上において奴隷への強制労働などによってあのような高度な建造物を作ることは不可能ですし、王墓などの今まで考えられてきた建設理由はこのとてつもなくコストがかかる大事業の動機として不十分です。

余計に理解を難しくしてしまっていたら申し訳ないのですが(苦笑)、読者の方で理解できる方もいらっしゃるかも知れないので一応書きます。僕らの世界の大元は0次元の存在であり、それが創造主です。そして我々が認識できるすべての存在は01のデジタルデータが元なのであり、二次元の平面データなのです。どんな多次元世界もそのデジタルデータを投影したホログラムのような世界なのです。そしてすべては因果により結びついていて、それが常にスパイラルに循環・更新されているのです。そして時間軸も世界線もルービックキューブのようにグルグル循環しているのです。

宇宙人も存在しますし、レムリア・アトランティス・ムーのような幻の大陸も実在しています。それは僕らが通常認識できる世界線上にはないというだけで、それらの世界も僕らの世界線・時間軸と交錯し、僕らの世界のシナリオの伏線に影響を与えているのです。

前述の通り因果というのは循環するものであり、過去が現在に影響を与えるように、現在は過去にも影響を与えているのです。それはまるでゲームやアニメで後からどんどん設定が付け足されるような感じで、つじつま合わせに無理が生じ、特定の世界線・時間軸上にいる僕らから見ると、矛盾点やミッシングリンクだらけになるのです。

宇宙や人間の出現もまさにそうで、我々の世界線でいくら過去を遡っても真実には辿り着きません。宇宙の全てを作っているのは世界線も時間軸も超越した上位次元の世界の存在なのです。ウィニングイレブンの試合時間をいくら遡ってもウィニングイレブンそのものが作られた時間には至らないのと同じことです。我々から見て上位次元の存在の時間は虚数なのです。宇宙も人間もピラミッドも、虚数時間軸・別の世界線で作られたものであり、我々の時間軸・世界線上において考古学的な調査をしたところで、研究が進めば進むほど後付けのつじつま合わせのような証拠が見つかるだけであり、矛盾点やミッシングリンクが多数見つかって、真実には辿り着けないのです。



>>もしも私だけの世界であるなら、コロナ禍を引き起こして私の世界にいる住人たちに迷惑をかけて申し訳なく思ってしまいます。

あなたはゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのは自分のせいだと思いますか?またウイルスを作ったアンブレラ社や、ゲームを作ったクリエイターを恨んで意味がありますか?

歴史や神話上のことであれ、あなたの身に起きたことであれ、過去に起きたことはすべてクリエイターがあなたの成長のために用意した伏線であり、乗り越えるべき課題なのです。それを自分のせいだと考えて申し訳なく思ったり、誰かを恨んだりしていてはゲームは進まないのです。

ただ、まだ主人公として目覚めてさえいない=レベル1にも達していないNPCであるあなたがいきなりダンジョンボスレベルを相手にしようとしても無理なのです。だからといって最初から諦めてNPC人生に逃げないで下さいね。

まず主人公として目覚めることです。つまり菩提心(真理を求め、衆生を救う覚悟)を持つことです。それがゲームの本当のスタートなのです。あとは神々に(自動的に)導かれるのです。今どんなにレベルが低くて何もわからなくても、世界を救うべく愛と勇気を持って突き進んでいけば大丈夫なのです。


それがなければあなたはただ「自分が選択している」という気分だけ味合わせてもらっているだけのわき役AIであるNPCに過ぎません。

繰り返しになりますが、人生はネットゲームなんですから、当然同じ設定・ルールでプレイしている人(意識)たちはいっぱいいます。世界線というのはネット回線のようなもので、それを共有するということは、同じゲームでなおかつ同じルームで共同プレイしているようなものです。

この世界とネットゲームとの主な違いは、モニターで見る目線ではなく、自分の意識がパソコンの中のアバターに入り込んでそのアバター目線でゲームの世界に入り切っているというところです。

あなたの認識世界(=あなたの仏国土)があなたのパソコンの中という感じです。あなたの認識できるすべてはそのパソコンの中にあって、その外側は認識できません。つまり他人のパソコンの中はわかりません。

あなたが出会う他のログインプレイヤーは、そのプレイヤーそのものではなく、お互いそれぞれのパソコンの中で連動して動くアバターなのです。

つまり他人はあなたの認識世界(仏国土)の住民であり、あなたは他人の認識世界(仏国土)の住民だということです。それは同時に両立するんです。カタカムナにある通り「カタチサキ」であり、物理的な大きさや距離などは関係ないのです。

だからあなたの仏国土の全員(出会った人の全て)が幸せになるように導き、他のプレイヤーと交錯する自らのカルマ解消(悪い因果の解消・課題クリア)に向けて正面から立ち向かい、NPCたちからの嘲笑・誹謗中傷などの抵抗に屈することなく、主人公として目の前の人から覚り・愛を実践によって連鎖させ、きっと世界を救って下さいね。



2023年1月25日水曜日

原因不明の鬱状態から抜け出せない

【質問】
 ①失恋→哀しみ、喪失感、絶望感(当時は良く分からず、ただ不快でした)今振り返ると、当時は自他を激しく責める、自己肯定感の低さ等、真也さんのノートに記載されてる内容がかなりあてはまりまります。心身共に悪い状態でした。

このままで大丈夫だったはずが

②その後、私は大麻、特にインディカにハマっていきました。最初はなんだか楽しく、欲求も磨きが掛かった様に増加していきました。心身共に健康体に戻った気がしていました。

③その後、バットを経験したりするうちに、気づいたら、不安や焦りに呑まれていました。この頃から、自分が鬱だと思う様になりました。(大麻は悪いものではないと思いますが、鬱の引き金を引いた事は事実だと思います)大麻は気分を上げる為に使ってる事に気付いたのでやめました。

今の状態としては、[無]に近い感じがしています。欲がほぼ無く、感情が薄いと言う感じです。しかし昔の様に自他を責めたり、不快な気分に呑まれている事はありません。気になる事は①の状態は不快な感情に呑まれて、鬱状態だったのは分かるのですが、今は何で鬱状態にいるのか良く分からない事です。何となくインディカのせいか、お陰か内向性に磨きがかかりその興味の対処が自分の体調、気分に全てのベクトルが向いてしまっています。これは、心身の状態が大きな不安案件だから意識が向いてしまっていて、結局今は、[不安]と言った不快な感情に呑まれていると言う事でしょうか。

最近は、原因を知る必要が無いと言う真也さんのノートを参考に、この様な事は考えてません。今回は質問と言う事で、よく考えていた事を記載させていただきます。しかし、自分を内観する特に、心身の体調を気にする事は今でも続けています。今思うと③の段階から数年続けてる気がします。長く行いすぎて癖になっていました。最近、これは悪癖で、この行為含めて、今は自分で勝手に鬱状態にいる気がします。何か外部でのトラブルや、問題は無いのに、自分で自分の後ろ髪を引っ張っている気がします。書きながら、何と無く意味ないどころか逆効果な気もします。内観が悪い訳でも無い事を理解していますし、人生を豊かにする行為であるとと思います。ただ自分がやってる内観は病的なものなのでしょうか。真也さんに逆効果と言っていただければ頑張って止めたいのですが。

【回答】※1月27日更新
ご質問ありがとうございます。

僕もあなたと同じぐらいの歳の頃はあなたと全く同じような感じだったのでお気持ちはよくわかります。当時の僕には大麻のような自己逃避の手段が身近にありませんでしたが、自分自身も世の中も大嫌いで鬱だったので、もしその頃の僕にも何か逃避手段があったらきっとハマっていたに違いありません。

実際鬱の末期(自殺決行直前の1年間ぐらい)は心のタガが外れてドラッグにハマってしまっていましたし、今でも誘惑に負けそうになることはたまにあり(僕を聖人君子のように勘違いしないで下さいね)100%完全に克服したというわけではありません。人を救うという使命を投げ出したくないという思いがあり、またせっかく日々鍛えている体を失いたくないとの思いもあって、それが心の支えになっているので易々と誘惑に負けたりはしませんが、今後も戦いは続くと思います。それはもうカルマなので仕方がありません。だからこそ僕は誰の弱さも責めません。

僕は「反省してはいけない(より良い未来を掴むことに全力をかけるべき)」と書いていますが、原因を知る必要は無いとは書いてはいません。内観というのは瞑想などを通じて神我(ハイヤーセルフ)の視点から行うべきものであり、小我に捉われたネガティブな今現在のあなたの視点で自分自身の過去を眺めれば当然ネガティブな結論しか出ないでしょう。そして自分を守るためにそこにはブロックがかかっているので、結局内観したところで原因はよくわからないことでしょう。それは原因ではなく結果なのです。

あなたが大麻をやめたのは正解だと思います。大麻を全否定するつもりはありませんが、酒と同じで自己逃避の手段として癖になれば悪い影響が大きいです。気づかない間に自我を霊障に明け渡すことになってしまうからです。

いきなり完全にやめようとするのではなく、もっと大切なものを育てることに血心を注いで下さい。ダイエットや菜食などと同じで、死ぬまでずっと我慢が続くと考えると耐え切れなくなってしまいます。少しずつ減らしていって下さい。快楽・逃避行為に対する我慢は長く続かないように人間は作られています。我慢するのではなくもっと大切なものを育てることが大事なのです。蛇足ですが今の政府の麻薬対策は中毒者を社会から締め出すことで大切なものを育てさせないから厳しく取り締まるほど結果は逆効果なのです。

心の苦しみを知っているあなたこそが、それを乗り越えて人を導く使命があるのです。あなたにしか救えない人がいるってことです。善人を救うのではなく、自分より悪い人を許して救うことでいつの間にかあなた自身が救われるのです。

まずあなたが理解しなければいけないことは、精神病は霊障であるということです。あなたは自覚がない間に深く霊障に犯され、本当の自分ではなくなっているのです。詳しくは「憑依体質の存在意義」に書きました。

自分が自分であることに耐え切れず逃げ出したくなる「自己嫌悪」と世の中が嫌になって逃げだしたくなる「厭世観」が強くなり、自分自身を許せないために内省することに対して無意識にブロックがかかっているのでしょう。そういうところに霊障はつけこんで「そんなに要らないなら私がもらってあげるよ」とあなたの自我を乗っ取ってくるのです。

夢の中で自分がいつもの自分ではなくなっていることには気づけませんし、気づいたところでいつもの思考回路には戻れません。しかしその「いつもの自分」というのも、夢の中の自分と同じで気づかない間に意識が顛倒しているのが無明という闇を与えられた人間という存在なのです。そうでなくては魂は成長・愛を深く経験できないのです。

確かに鬱になったその入り組んだ複雑な理由を深く分析することにあまり意味はありません。僕が「反省してはいけない」で伝えたかったことは、自分の罪も他人の罪も幻であり、すべてを霊障のせいにして許すべきってことです。実際それは事実ですからね。そう考えると心が楽になるでしょう?そして霊的な穢れを日々祓い、本来の自分(神我・ハイヤーセルフ)へと立ち返っていくことが大事なのです。反省することよりよりよい未来を掴むことに全力を注いで下さい。


悪いカルマの解消法」もよくよく読んで、書かれていることを実行してみて下さい。すべてはあなたの魂の成長に必要だから起きていることなので、誰のことも責めず感謝の気持ちを持つことが大事です。そしてまずは真光でも世界救出教でも良いので無料で浄霊してもらえるところに通って浄霊してもらって下さい。その効果がわかれば、自然と信心もわいてきてより神々の加護が受けられるはずです。

もし借金してでも40万円ほどの資金と10日ほどの休みが用意できるのであれば、ブラジルにアヤワスカの儀式を受けに来て下さい。きっと良い導きが得られると思います。途中で逃げ出さなければ、ですが。元気になれば40万円程度の借金はすぐ返せます。できるだけ消費者金融などを頼らず、身内に借りて下さいね。

実態が伴わない努力に効果はあるか?

【質問】22歳・男性
真也さん、初めましてこんばんは。ノート、特に鬱の記事やその他ツイートを参考にさせて頂いている者です。

最近、ポジティブな思考や、感謝する事、自分に自信を持つ事などを始めました。そこで,疑問に思ったのが、とりあえず上に書いたような行動を取るのは実態が伴わなくても効果があるのでしょうか?

説明が難しいのですが、例えば、会話で面白くなくても、なんとなく自分も笑う事。頭の中の思考がネガティブだったら,ポジティブを埋め込む様にする事などです。


【回答】2024年10月21日更新
ご質問ありがとうございます。参考にしていただいてとても光栄です。

>実態が伴わなくても効果があるのでしょうか?

いえ、実態が伴わなければ全く意味がないどころか逆効果だと思います。

そのように「心から納得してないことに無理やり自分を従わせること」自体が不幸の元凶なのです。あなたはまだ考え方(解釈方法・世界観)がネガティブな段階にあり(それも覚りの一過程なのですが)、ポジティブな考え方に心から賛同できていないわけで、自分の本心とは違う行動をすれば苦しくなって続かなくなるのが必然です。逆に魂レベルで腑に落ちていることなら、無理をしなくても自然とその魂を主として行動に反映され、自分の認識世界全体に反映されることでしょう。

体というのは感情の楽器(Organ:オルガン)であり、あらゆる部分に管楽器のように管が通っていて、また打楽器のように膜が張っています。この次元において実際にその音が聞こえなくても、体は感情のバイブレーションを起こしているのです。腹がむかついたり、胸にこみ上げたり、色々です。我々はそのように常に感情のバイブレーションを発し、それを全身でありありと感じるように創られているのです。我々は感情(愛)を経験するために生まれてくるのですからね。

そして宇宙の仕組み」「音と水の存在意義に書いた通り、世界は超ひものバイブレーションでできていているのです。それは言葉(コード)であり、思念と感情の乗り物であり、音楽なのです。だから僕らの人生はオーケストラの如きものです。

そのオーケストラにおいて、僕らは人生をかけて体という楽器の扱いを上達させなければならないわけで、実態が伴っていないのに(考え方がネガティブで、演奏も調律も下手なままなのに)無意識に出してしまっている音(ネガティブな感情)の方を無理やり押さえつけて、胡麻化すこと(態度だけポジティブにする=実態の伴わない努力)ばかりしていては、ムダどころかむしろストレスが溜まって逆効果になるのは目に見えています。

感情は「感受性」という言葉がある通り「受動的」なものではあるのですが、「能動的」に楽器の取り扱い方(演奏・調律)を実践から学んで上達していかなければならないのです。

ネガティブな感情が生じてしまってから無理やり頭で抑え込むこと(我慢)ばかりやっていても、「感情音痴」は決して治らず、出てくるのは不協和音(負の感情)ばかりで、自分も周囲も常に不快にし、その抱えたストレスはいつか暴発して「やっぱり自分はダメだ」と諦めるようになるのは必然なのです。

今の時代「意識高い系」の人がとても多く(僕もかつてはそうでしたが)、彼らは実際に意識が高くなってないのに、他者評価依存のために他者評価でもって自尊心を上げることばかり考え、他人に対して意識の高さを演じてそれをアピールするのですが、それで結局は必ず息切れしてしまうのは、実態の伴わない努力をしているからなのです。そのようにまだ思考がネガティブなのに感情や行動をポジティブにしようとしても無理なのです。そしてそのような「意識高い系」の人というのは劣等感から「自分は優れた人間である」と思い思われたいがために心に愛を失くし、他人を見下したり責めたりしてマウントを取ろうとして人から嫌われ、優れた人に会えば嫉妬して劣等感に苦しみ、本心では実態が伴っていない自分を嫌悪して余計に自信を失うことになるのが必然なのです。情報商材詐欺師みたいなものは、こういう「意識高い系」をカモにしていますね。もっともらしいことばかり言って成功者・金持ちを装えば釣れるんですからチョロいもんです。

だから我々は常に「能動的」に感情を発する楽器の取り扱い(演奏・調律=考え方・愛し方)を学び実践して、経験を積んで魂レベルで納得しながら上達していく必要があるのです。どんな苦難があっても悪い音(感情)が出ず常に前向きでいられるぐらいに。それは覚りを開いて行くということとイコールです。ポジティブな考え方・愛し方になるよう成長していく方法については自分と他人の愛し方をご参照下さい。

例えば「心から感謝」できるようになるには、心から感謝できるような考え方を日々学んで実践し、魂レベルで腑に落ちるように成長していかなければならないのであり、魂レベルで感謝できていないのに頭で無理やり感謝しようと思っても心が伴わず、無理が生じて苦しくなり、またその心から感謝していないということが態度に現れ、それを相手に見抜かれて、感謝を示そうと努力しているのにも関わらず嫌われるのです。

そして「誰でも自信満々になれる方法」に書いた通り、自分に自信がない人がいきなり何の根拠もなく自信を持とうなんて思っても無理です。だから心から自信を持てるような考え方を実践から魂レベルで成長させていかなければならないということです。それをしないで自分の能力や正しさ(意見)を根拠に自信を持とうとしても上手くいくわけないのです。

「魂レベルでポジティブになれるように考え方・愛し方を成長させる」ということを全く意識しないまま大人になると、感情を無理やり押さえつけてばかりになり、結局感情に振り回されるか論理的に暗くなるかしかなくなり、感情のコントロールというのが絶望的に難しいことのように思えてしまいます。しかしそれは日々意識して訓練していれば誰でもできるようになることです。それができていないのは、今までそれを意識すらしてこなかったというだけのことなのです。まさに楽器の演奏と同じで、意識して練習していないのでは、どれだけ才能が与えられていようとも上達しようがないのは当然のことです。

心の取り扱い方(演奏・調律)の最も基本は、自分に与えられているもの(才能、環境、人・出来事との出会い)が、自分の魂の成長にとって常にベストなのだということを信じ、少しずつでも感謝できるようになることです。何事も「なぜそれが与えられたのか(どんな成長を期待されているのか・何に気づかせようとしているのか)」を「愛」で解釈することです。実際それは創造主からの「愛」で与えられているのですからね。

誰でも喜ぶようなものが与えられないと感謝できないのでは、その感謝に価値はありません。どんな苦痛・苦難も成長のために愛によって与えられているものなのだと気づいて心から感謝できるような人の感謝に価値があるのです。いつも言っていることですが、自分に都合の良いものだけ愛そうとする「エゴの愛」は、どんな悪人でも赤ん坊の頃から持っています。真に大人になるということは、自分に都合の悪いものも、自分の成長のために与えられている課題だと感謝して受け取りそれを乗り越えられるようになることです。

創造主の感情も基本は我々と同じであり、与えられたものに感謝できない人間にもっと与えたいと思わないのは当然のことです。現時点で価値に気づかず感謝できない人間なのなら、更にどれだけ与えても感謝されないことは自明だからです。そして既に与えられたものまではぎとられ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのです。

人生という楽曲を自分で作り、その素晴らしさを体感できる機会を与えられているということは本当に素晴らしいことなのです。それを自らひどい曲にしておいて創造主(が与えた運命)に文句を言うのは筋違いであり、創造主の愛を受け取り難くなるのは当然です。

特に鬱の人はまず自分も他人も責めるのをやめ、許すということを意識すべきだと思います。鬱の本質は自分や他人を責めることであり、その解決の基本は自分も他人も許すことなのです。許すというのは我慢することとは違います。我慢というのは読んで字の如く、我(エゴ)で己の心を漫々にすることであり、「嫌だけど我慢してやっているのだ」という上から目線の傲慢な一時凌ぎを続けてどんどん心の中に不平不満を蓄積していたら、いつか爆発することは自明なのです。自利を考えず相手を許し相手のためを心から思って耐え忍ぶ「忍耐」が必要なのであり、それが愛なのです。忍耐を伴わない許し=愛に何の価値もありません。


note記事「誰でも自信満々になれる方法」でも、僕は「心から笑顔になれるように考え方(哲学)を変えていかなければならない」というように書いているのですが、なぜか多くの人が「鬱などで落ち込んで笑えない時でも無理に作り笑いをすべき」というような誤った解釈をしてしまうので困っています。

出会った人は例外なく、自分が主演の映画にボランティアで友情出演してくれている役者さんたちなのですから、たとえどんな悪役だったとしても出会いに心から感謝し尊敬し愛するべきであり、それをきちんと態度(笑顔)で示すべきです。

そしてその悪役たちも最終的には「本当はいい人たちでした」というシナリオを成就していくのです。そのように感情(音)そのものではなく感情(音)を生じる思考と行動(楽器の演奏・調律)を学んで実践し上達させていくのです。

人生はオーケストラであり感情のハーモニーですから、自分の感情(音)も他人の感情(音)も宝物のように大事に扱って下さい。それは当然それを発する楽器(その人)を大事にすることです。楽器を大事にする心なく、取扱い方も学ばずに人生が良い音楽(芸術・物語)になるわけがありません。

あなたがもし著名な演奏家で、ストラディバリウスのような何億円もする高価な楽器を貸与されていたら、それはそれは大事に扱うことでしょう。しかし「そのストラディバリウスをタダであげるから、明日臓器提供のために死んで欲しい」と言われてもきっと死なないでしょう。つまりあなたは今まで何億円もする楽器よりも遥かに価値がある「自分」を創造主から貸与されていながらその価値がわからず、まるで自分のものだからどのように扱っても構わないかのように考えて少しも大事に扱わず、また同じように他人の価値もわからないために大切に扱わずに平気で傷つけ、お互いに傷つけ合ってきたのではないでしょうか?(わかっていると思いますが、これは体よりもむしろ心の話ですからね)

嫌いな人・興味のない人・見下している人の感情ならどのように扱っても構わないかのような感じで大切に扱わず平気で傷つけていれば、相手からもこちらの感情をぞんざいに扱われて傷つけられてしまうのは当然のことです。

鬱の人は「自分は自分ものだから」と平気で自分を責めて見下してイジメて落ち込ませますが、それによって自分の心が毒で満たされ、心の住民(出会った人)みんなが風の谷のナウシカの腐海の植物のように毒を出すようになります。実際鬱の人というのは傷つきやすいくせいに平気で他人が傷つくようなことを言ってしまうのです。そのようなことを繰り返しているだけでは自分と他人の「心の扱い方」がいつまでも上手くならず、人生というオーケストラがいつまでも不快で悲惨なままなってしまうのです。

人を大切にするということの基本は、話を真剣に聞くということです。それは相手の意見を一切否定せず、その気持ちに同情すること・気持ちを共有することを目的化するということです。特に男性は「問題解決型」の脳をしているために、問題を解決しようという目的で相手の話を聞いてしまって、余計な提案なんてして相手を傷つけてしまうのですが、それを止めなければならないのです。

相手の話を否定せずに聞くというのは、相手の意見に従うということではありません。そのように考えるから話を聞くのが苦しくなるのです。我々の魂は本来同一・同源であり、同じ条件で同じ人生を歩めば必ず同じ感情・同じ考え方になるのです。相手は自分にはできない経験をしている貴いな存在なのですから、相手を自分の前世や未来世のように考えて完全に同じ視点に立って話を聞くことが大事です。「あなたはそういう経験をしたのですね。私は違う経験をしているのであなたと意見は違いますが、あなたがそういう意見になる気持ちには心から同情します」と、相手には直接言わずに心から思いながら、相手の話を愛を持って真剣に聞くことです。

つまらないと感じる話ほどむしろ真剣に聞いて下さい。徳川家康の言う通り、人はつまらない話を真剣に聞いてくれる人に大事な話をするものであり、つまらない話をされたらそれはその人と本当に仲良くなるチャンスなのです。人間関係はすべからく鏡であり、あなたが他人の話を面白くないと感じているようなら、あなたの周囲の人もあなたに対してそのように感じていることでしょう。(現在のあなたにいつもそんな面白い話をしてくれるような友人がいますか?)

お笑い芸人には面白いことが毎日のように起きていると思いますか?彼らは解釈の仕方(考え方・切り口)が面白いから芸人をやれているのであり、面白いことがなければ面白いことが言えないような人なら芸人などできません。彼らも僕らと基本的に同じ日常感覚がなければ共感が生まれず笑いなど取れないのです。あなたも日常を面白く解釈できるように日々努力してみて下さい。見方を変えれば世の中は驚きと笑いに満ちているものです。

人生というRPGにおいてクリエイター(創造主)は常に人や出来事との出会いを通じて導いてくれているのであり、人の話を聞けない人というのは必ず行き詰まるか事故るかしかなくなるのです。

最終的に話を聞ける徳川家康が成功し、畏怖されることで周囲に本音を言ってもらえなくなった織田信長が裏切られ、偉くなって頑迷になり周囲の話を聞けなくなった豊臣秀吉が晩節を汚して死後に家も没落したのは歴史の必然です。

どうか自分も他人も、人間という感情の楽器を宝物のように大切にして、うまく扱えるようになって下さいね。もちろん楽器といういうものは最初からうまく演奏できないのが当然です。だから最初から完璧にできない自分を許しながら、少しずつ、考え方(哲学)から体という楽器の音(感情)の演奏・調律が上手になるように頑張って下さい。学校の鼓笛隊や合唱と同じでみんなと一緒に毎日やってれば必ず上達しますから。

人生というオーケストラにおいて、演奏者は主体者である自分なのであり、他人の演奏技術の進捗は関係ないので、比較して劣等感に陥る必要はありません。自分と他人を比較してしまっているようでは自分を大切にできるわけがないのです。まさに楽器の演奏と同じで、他人と比較してどこまで上手になるかが大事なのではなく、自分が上達を楽しめればそれで良いのです。今超えられないハードルを自分の前に置かないで下さいね。

そしてどうか「覚り」というのを悲しみを感じなくなることのように勘違いしないで下さい。「覚り」というのは楽器の取り扱い(演奏・調律)が上手くなることであり、喜びも悲しみもありありと全身で感じ取れるようになることなのです。そうして楽器の取り扱いがうまくなれば、どんな曲(出来事)でも感情のタクトを自在に振れるようになり、人生を素晴らしいオーケストラのように楽しめるようになるでしょう。実際僕はそのようにして人生を楽しんでいます。



2022年12月26日月曜日

コロナワクチンは危険ですか?

【質問】40代男性
どれだけ考えても分かりませんので真也さんに単刀直入に聞きます。創造主が何と答えているか教えてもらえると助かります。

コロナウイルスは存在しますか?また、コロナワクチンは陰謀論で言われている様な危険なものですか?

自分は3回接種済ですが、報道とネットの情報がかけ離れていて不安です。

【回答】ご質問ありがとうございます。お気持ちお察しします。

まず、誤解している人が多いようですが、創造主は僕が質問すれば何でもすぐ答えを教えてくれる存在ではありません。覚醒後数カ月はかなり直接的に教えてくれていましたが、これ以上直接的に教えると人生が魂を成長させるためのRPGとして成立しなくなってしまうので(成長は自発的でないと自由意志と経験機会を与えた意味がなくなるので)、その後は常に人や情報や出来事との出会いを通じて僕に自ら覚らせるようにしてくれています。そしてそれはきっと僕だけでなくあなたや他の誰に対しても、創造主はその人の魂にとって必要な時に必要なだけ、導く形で間接的に教えてくれているのだと思います。

コロナウイルスとそのワクチンのことで不安になるお気持ちはわかりますが、既にワクチンを打ってしまったのなら不可逆なのですから今更それを心配しても仕方がありません。

人生は愛と勇気を試すためのRPGなのですから、創造主はあらゆる手段を通じて我々を脅して不安にさせたり怒らせたりしてきますが、決してそれに屈してはいけないのです。

どんな出会い・出来事も魂の成長にとってベストなものが創造主の愛に与えらえているのであり、僕らはそれを愛で解釈してその真意を知り感謝しなくてはいけません。僕は創造主の愛を心から信じて感謝しているので、何事からも本質を見抜けますし、何があっても不安になったりはしません。

エゴ(我欲・保身・虚栄)に埋没し、臆病・怠惰に陥っている姿は愛と勇気を試すためのRPGにおける主人公の姿と反するものであり、「常識や権力者・権威者の言うことにただ従っていれば安全でラクだと考えるNPCになってしまってはいけないこと」「人生の主人公は自分であり、自分と創造主の関係は誰にとっても一対一であって、他人の言う事やる事は一切言い訳には使えないということ」など、そういうことを創造主は我々に経験的に教えてくれているのだと僕は思います。

人生は誰にとってもわからないことだらけであり、生きるということは何かを信じるということなのです。そして「何を信じるか」の選択主体者があなたなのであり、その結果責任を負うのもあなた自身なのです。疑り深く「何も信じてない」という人は、自分の勝手な常識を信じていることにさえ無自覚なだけです。そして「信じることの意義」に書いた通り、神は存在が証明不可能だからこそ信心には価値があるのです。

僕らは医学研究者ではなく、ウイルスやワクチンについて自分で詳しく科学的に検証できるわけではなく、素人が検証もなしにいくら考えたところでわかるわけがありません。特に今はまだ医学研究者でもよくわかっていない段階ですから、何も確実なことはわかりようがないです。だから僕は情報を自分の経験に根差した哲学と信心に従って判断するのみです。

冒頭に書いた通り、そういうことは創造主に聞いたところで直接的には答えてくれません。僕にとって必要なことは必要な時に必要な分だけ人や情報や出来事との出会いを通じて導かれ自ら覚らされるのです。

僕はコロナワクチンについてネガティヴな情報とばかり出会いますし、コロナやコロナワクチンの僕の人生の伏線上の役割も僕なりに理解しているので、僕はまだワクチンを打ってませんし、今後も打つつもりもないですし。実際、打つという選択を迫られる状況にもなっていませんので、打つべきか打たないべきか、導かれている方向は明らかだと思います。

僕は一度死んでいますし、自分の運命(寿命と使命)を受け入れていますので、基本的にいつ死んでも構わないと思っています。ですからワクチンが死期を早める可能性があったとしても別に気にしません。ワクチンが精子や性欲を弱体化させるとしても、僕は特に子供を作りたいと思ってはいませんので、個人的にはどうでもいいことです。ので、例え既にワクチンを打っていたとしても特に不安になる要素はありません。ただワクチンによりかえって免疫が下がって病気にかかりやすくなって長く医者や薬の助けが必要となって、わずかな富も健康も奪われ続けるような人生になる可能性があるとしたら、それは嫌なので断固拒否します。

僕がコロナワクチンについて何かを「創造主からこう聞きました」などと言ったところで、僕には科学的証明ができるわけではありませんから、あなたにとって僕の言う事はネットでの伝聞情報であることには変わりがなく、「信じるか信じないかはあなた次第」という都市伝説の如きものにしかなり得えません。そして何を信じるにせよ信じないにせよ、その結果責任を負うのがあなた自身であることにも変わりはありません。

情報を判断する核になるのは自分の経験に根差した哲学と信心です。そして主体者として自分が信じたことによるいかなる結果も受け入れるという覚悟がなくては、今後も不安に怯え続け、他人からの伝聞情報に振り回されるだけになるでしょう。我が身の安全・自己利益を期待して権威権力側の言うことや世間の多数派の意見を信じ、その結果が悪ければ「騙された・裏切られた」と被害者意識に陥るだけになるでしょう。結局、あなた自身が変わらない限り、伝聞情報によってあなたの不安が解消されることはありえないのです。真理(覚り・心の平安)というものは情報に対して疑り深くなるだけ(懐疑主義)では決して得られないのです。

キリストも言っていた通り、人間の寿命は最初から決まってますから、臆病になる必要などないのです。どっちみち人間はいつか死にますし、何が死因になろうといつ死ぬかはだいたい既に決まっているのです。そして死の苦痛は幻であり、魂は永遠です。

もしあなたがそういう僕からの伝聞情報を信じないとしても、あなたがコロナワクチン以外の原因で死ぬ確率の方がずっと高いことだけは間違いありません。そして事故や病気で死ぬ確率を全部足したら僕らはとっくに死んでいますし、確率で考えるなら生まれてすらいません。というかこの世界自体が生じていません。自分と世界が存在し、今を「生かされている」ってことにどうか信頼と感謝の念を持って下さい。

そして自分の使命が何かを考え、そのために命がけになり、エゴ(我欲と保身)を乗り越えるために少しずつでも信心を持って六波羅蜜を行じ続ければ、死に対する不安も乗り越えられるでしょう。恐れというのはすべからくエゴ由来なのですから、エゴを乗り越える日々を送っていれば不安は解消されていきます。実際、僕はまったく不安にはなりませんからね。

ワクチンについては販売している製薬者側も、打つことを強制している政府側・支配者側も、陰謀論でささやかれているような確信的な悪意がある人もいるかもしれませんが、それでもその大多数はきっとよくわからないまま立場上コロナワクチンを推進しているのでしょうでしょう。己のエゴ(我欲・保身・虚栄)のために。

陰謀論についてはこちらの「この世の生まれの格差について」をご覧下さい。コロナワクチンを推進している側は、僕らが主人公の人生において、シナリオ通りに動かされているNPCに過ぎないのです。

シナリオ通りに霊障を通じて人々を操り世界を牛耳ろうとしている悪魔たちは、常に人間をエゴ(我欲と保身)に埋没させ臆病にさせ不安に陥れることで醜く争い奪い合い・責め合愛・蹴落とし合うようにしているのであり、僕らはそのカルマ(課題)を乗り越えて、無償で助け合う社会を作っていかなければならないのです。人生というRPGのシナリオ・基本設定はそのようにできているのです。

今の社会は利益(エゴ)至上主義ですから、医療も当然「どうやったらより多く利益があげられるか」が人命より大事になるのは当然です。ワクチンも当然そういう価値観の中で作られているものです。だから僕らは社会の価値観から変えて行かなければなりません。それにはまず主人公である自分の価値観から変えて行かなければならないのです。そしてそれは必ず連鎖していつか世界は必ず救われるのです。

真理は愛であり、他人に押し付けるようなものではなく、ガンジーの非暴力不服従運動のように、自ら実践すればそれは必ず連鎖するのです。あなたが目の前の二人を救えたなら、それが50連鎖するだけで1000兆人という途方もない数の人が救われるのです。連鎖反応というのはそのように指数関数的に広がるものであり、一度始まったら火をつけたスチールウールのように誰にも途中で止めるようなことはできないのです。支配者がどんな権力を駆使してそれを止めようとしたところで無駄なのです。


資本主義経済の本質は椅子取りゲームであり、便利さを提供する能力の高い人間にどんどん合法的・合理的に富が集中し、我々は便利さに踊らされている間にどんどん貧しくなり、どんどん残り少なくなっていく椅子を醜く争い合うようになっているのです。社会が10倍便利になろうと10倍豊かになるわけでも仕事量が10分の1に減るわけでもなく、10倍幸せになるわけでもありません。むしろ逆であり、階級支配・奴隷支配がより強化され、それが正当化されるのみです。自由競争・適者生存という価値観が変わらない限り、世界が救われることはありません。

支配者たちは椅子を戻すのではなく人を減らすことでこのゲームをまだ継続させようとしています。コロナワクチンも当然その施策(人口削減計画)の一環です。ただそれはこのRPGのシナリオ通りであり、打たせている側のNPCたちもシナリオ通りに動かされていることには(あなたと同様に)無自覚です。本当にまったく悪意なく人々を救おうという正義心でワクチンを開発したり販売したり勧めたりしたいる人達もいっぱいいるでしょう。RPGなんですから、基本的に主人公であるあなた以外はNPCであり、みんな自分の意思でやっているつもりで、設定通りに思考・行動させらされているだけなのです。だから誰かを責めたところで意味はありません。この世界に主人公の救いの対象でない人はいないのです。

バイオハザードでゾンビが出てくるのは主人公が悪いからではありません。ウイルスを開発したアンブレラ社やゲーム自体を開発したカプコンを責めてもゲームが進みません。自分に与えられている課題が何かを考え、楽しみながらそれを一つ一つクリアしていくのみです。

あなた自身が主人公として目覚めないなら彼らと同じNPCのままです。他のNPCと同じように資本主義を絶対だと思って、エゴのために生きるのが当然という価値観・常識の社会の中で、その支配体制を支える一員となってしまっていては、このゲームのクリアは望めません。

僕は3年ほど前にNPCをやめました。そしてこの社会の価値観を変え、この狂ったマネーゲームをソフトランディングさせ、みんなが愛によって無償で助け合う世界を実現する主人公として立ち上がりました。

NPCというのは、自分で選んでいる気分だけ味合わせてもらいつつ、設定通りに動かされているだけのAIに過ぎないのです。あなたは主人公として愛と勇気を発揮して世界を救う冒険に出るのか、それとも常識に従ってエゴに埋没し・損得勘定で生き・コロナやワクチンなど色んなものに怯えて情報に振り回されながら支配され続け、富を奪われ続ける脇役NPC人生を今後も続けるのか、まさに「今」その選択を迫られているのです。

2022年12月25日日曜日

人間関係で仕事を辞めたい

【質問】年齢・性別不明
匿名ですみません。今日、人間関係のことで完全に心が折れてしまい、退職を考えました。「誰でも自信満々になる方法」は拝見して、実践していましたが、もう逃げ出したくなってしまいました。

とはいえ、転職を何回も繰り返していると経歴に傷がついて仕事に就けないと思うと、がんじがらめになって、もうどうするべきかもわからなくなってしまいました。

会社で立派に働いて、親孝行をして家庭を作るという理想像とはかけ離れた現状で、みじめでとてもつらいです。

【回答】
ご質問どうもありがとうございます。

ええと、匿名は全然良いのですが、年齢や性別がわからないと具体的に状況をイメージして対策を考えるのが難しくなってしまいます。精神的に余裕がない時でしょうから無理もないことなのですが、ご質問内容も長文になってかまいませんから、もう少し具体的に書いていただけると助かります。

さてご質問の内容についてですが、僕もそのような経験をしているので、お気持ちは非常によくわかります。僕のダメリーマン時代は酷かったですよ。瞬間記憶が苦手で(特に興味のない事は)仕事が覚えられず、ありえないミスを連発し、契約社員たちからもバカにされまくり(なんであいつの方が正社員で給料が高いのかとスケープゴートのようにされ)、ナルコレプシーのため大事な会議でもすぐ寝落ちし、鬱が悪化してエゴに埋没して周囲が全く見えず、うまくコミュニケーションを取れませんでした。それで職場の人間関係も仕事もうまくいくわけがなく、ひどいいじめに遭い、それでも自分が悪いとしか思えないので心の中でさえいじめに反抗する事もできず、自分ばかりを責めていました。すっかり自信を喪失し、こんなホワイトな職場で何のスキルも身につかず人間関係うまくいかないようなら他所に行っても絶対に無理だと思って転職を諦めていましたし、大企業での安定した職を捨てる勇気がなく、また就職を喜んでくれた親をがっかりさせたくなく、会社にしがみ付いている社畜奴隷で、長年付き合っていた彼女も呆れて僕を見放し、いつも死ぬことばかり考えていました。

でも今では良い経験をさせてもらったなと、創造主にも出会ったすべての人にも感謝しかありません。お陰で他人の気持ちがよくわかるようになりましたし、この社会で何が問題でどう解決すべきかもよくわかるようになりましたから。あの時死なずにいてくれた自分も褒めてあげたいです。

人生で起きることはすべて魂の成長の為に必要なことで必然ですから、あなたが悪いのではありません。どうかご自分を責めないで下さいね。そして創造主と与えられた運命を呪わないで下さい。周囲の人達もあなたが主人公のRPGにおいてプログラムされた通りに役割をこなしているNPCであり、あなた自身でもあるので、恨んだりしないで下さい。

鬱状態の時は誰でもエゴに埋没してしまって周囲が見えなくなり、まるでその問題で悩んでいるのが世界で自分だけであるかのように感じられてしまいますが、職場の人間関係で悩んでいるのは決してあなただけではなく、むしろ普通のことであり、あなたの職場の他の人達だって同じように悩んでいるはずです。人間関係というのは一人でできているわけではありませんから当然です。周囲の人も同じように嫌な気持ちで悩んでいることでしょう。

とりあえず今はまだ親孝行なんて考えないで下さいね。親孝行ができないなんてことで悩んで鬱になっていずれ自殺してしまうようになったら何にもなりません。親孝行など直接的には僕もまだ何もできてないですし、まだ心配しなくて大丈夫です。子供の頃可愛いかったっていうだけで親孝行の責任は果たしてますし、親がそう思えないのなら子供など作るべきではなく、それは親の側の問題なので気にしないで下さい。そんなことよりあなたが幸せになってくれることが一番の親孝行であり、あなたが親なら子供に対してそう思うはずです。だからあなたが幸せになれば良いのです。そして苦難を伴わず不幸を経験せずに本当の幸せを感じることはできないのですから、今の苦難はそのための伏線だと信じて下さい。

あなたはかつての僕と同じできっととても不器用な人なのでしょう。不器用っていうのはとても素晴らしい資質であり、得意でも好きでもないことでそこそこうまくやれてしまうと、自分に合っていない仕事を定年まで続けるハメになってしまいます。

あなたがもし本当に自分の適職・使命だと思っている仕事で、純粋に人間関係の問題で辞めたいのなら耐え忍ぶべきだと思いますが、もしそうでないなら職歴なんて気にせずにさっさと辞めてどんどん色んな職業を経験してみれば良いと僕は思いますよ。それは簡単に適職・天職に導かれてしまった人間の人生より面白いと思います。ただ自信を失い続けるような時間が続くだけなら、例えお金が稼げても大事な人生がマイナスになってしまいます。

職歴とか生涯収入なんてつまらないことにこだわらなくて良いのですよ。簡単に辞めないという我慢強さを最重要視するような企業はブラックな状況を押し付けられる奴隷を求めている企業ですから、就職しても幸せになれるわけがありません。本当に良い条件でやりがいのある仕事をしている企業なら社員はそんなに辞めませんから、前職を短期間で辞めたことなどそれほど気にしないでしょう。だから気にしなくて全然大丈夫です。もしあなたが人間関係のことを相談できるような人が周りに全くいないほど殺伐とした職場なら、さっさとやめた方が良いです。

あなたにはあなたという主人公だけに用意されたシナリオがあるのです。社会的な成功(他者評価)や生涯収入やどのぐらい親孝行できているかなどを他人と比べず、まずは仕事のストレスによって憂さ晴らしをするかのようなお金の使い方をしたり、見栄でお金を使うのをやめて下さい。生活保護でも十二分に暮らせるぐらいに生活をミニマムにして下さい。断捨離して物も徹底的に減らし、ラピュタのパズーのように40秒で冒険に旅立てるぐらいに身軽になって下さい。できれば鬱で休職してでも借金してでも長期の旅に出て、今の人間関係から一度離れてみて今までとは全く違う人たちと交流してみて下さい。

さて、あなたは「誰でも自信満々になれる方法」を読んで実践して下さったそうですが、恐らく実践した「つもり」で全くできていないと思います。もし出会った人をいつも心からの笑顔で承認し、感謝し、尊敬し、許し、愛するっていうことを実践して人間関係がうまくいかないのだとしたら、かつての僕と同じでよっぽど仕事が向いてないか、よっぽど深いカルマを背負っているかのどちらかです。

悪いカルマの解消法」を読んでみて下さいね。あなたのその重いカルマを解消すべく、自発的に信心を起こし、日々浄霊(霊的浄化)を心掛けて下さい。鬱状態の時には難しいことですが、心身と環境を綺麗に保ち、無料で浄霊してくれる宗教に通ってみて下さい。寄付や奉仕を強制してくるような宗教だったらそれは詐欺なので一目散に逃げて下さい。

鏡の法則」にあるように、カルマというのはどこでどう絡まっているか人間にはわからないものです。あなたは何か解決しないまま目を向けないようにしている問題はありませんか?出会った人で困っている人を助けたりしていますか?職場以外でも出会った人をいつも例外なく笑顔で承認し、人生の共演者として無条件で尊敬し、感謝し、許し、愛せていますか?謝るべき人に謝り、愛を伝えるべき人に会いを伝えられていますか?

今は視野がものすごく狭くなっていると思うので、一度鬱病ということで長期で休んでも良いですし、鬱病で退職ということで三カ月ぐらい生活保護で暮らしても良いですから、一旦落ち着いて自分の人生を振り返ってみた方が良いのではないかと僕は思います。

それと鬱の時はなかなか長文を読むのはキツいでしょうけども、少しづつでいいので他の記事も読んでみて下さい。きっと救いに繋がるはずです。

僕の言う事は陸上で世界記録を作るのとは違い、一切才能は要らず、覚悟さえあれば誰にでもできることです。最初から完璧にできない・結果がすぐ出ないから諦める、というのでは何もできません。それは「自分には世界記録は出せないから走らない」と言っているようなものです。

今はまだ精神的に引きこもっている状況でしょうから、まずはそこから出てたくさん歩くこと・歩くのを楽しんで好きになることから始めなくてはいけません。ベクトルをポジティブな方にさえ向けていれば、あとは自然に導かれるのです。それを「自分にはできない」とネガティブな方に向けていたらいつまでも与えられた課題を乗り越えることができなくなってしまいます。

あなたの問題の根源はきっと自尊心・自信の低さだと思うので、まずボランティアでもして無償で人に尽くしてみて下さい。仕事をすぐに辞められないのなら空いた時間だけでもいいので。そうしてまず人に存在を喜ばれる経験を積んで下さい。ただそれは人に評価され感謝されることが本質ではなく、あなたが「自分は絶対に悪い人間ではない」という確信を持てる経験を積むことが本質です。

鬱の時というのは、自己嫌悪の高速回路が脳にできてしまう感じで、悪い思い出ばかりを中質して思い出して「ネガティブな自己統一化」をしてしまい、自分も人生もどんどん嫌いになってしまいます。そういう時に一つでも「いや、それでも自分は良い事もしてきた」と、その高速回路を断ち切り「ネガティブな自己統一化」を外せるようなエピソードを積み重ねていくことが大事です。エゴに埋没したままではそれはできません。

自己嫌悪の元になっているのは罪と恥の意識だと思うのですが、「罪と恥の存在意義」に書いた通り、罪や恥は幻であり、許し合い愛し合うためのマテリアルですから、出会った人の罪や恥をどんどん許し、自分自身を許せるようになって下さい。他人を責めたり見下したりしなくなれば、自分を責めたり蔑んだりもしなくなります。

何より「反省してはいけない」に書いた通り、自分を責めないで下さいね。自己イメージと行動のレベルは正比例しますので、自己イメージは絶対に下げてはいけません。あなたに起きた悪い事はすべて魂の成長に必要な試練であり、あなたが悪いのではなく、あなたを自分と同じ不幸に陥れて同情されようとしている霊障のせいですから、同じような状況にあるたくさんの人に同情しつつ日々浄霊して下さい。主人公である己の尊さに目覚め、出会う人の尊さ・創造主や神々の尊さに気づいて下さい。

あなたはまだ天職に巡り合えていないのだと思いますが、天職というのは「世界を救うメシア・菩薩(主人公)」として目覚める覚悟(菩提心)を持ち、その上で「では自分には何ができるのか?」という形で見えてくるものであり、将来を恐れて臆病になり「職歴に傷が・・・」などと保身ばかり考えて仕事を辞めれず奴隷的な状況に甘んじているようでは見えてきません。愛はエゴ(我欲と保身)とは真逆にある概念なのだと知って下さい。あなたが今までの人生で人を笑顔にした経験はどんなことですか?それがヒントになるはずです。

あなたが主人公なのですから、他人と比べて「お金にならないから価値がない」と己の存在や才能をつまらないもののように考えないで下さいね。「男はつらいよ」の寅さんと同じで、映画の中ではどれだけつまらない・しがない庶民役だろうと、あなたが主役なのであり、上位次元の存在達はあなたの人生を一秒も休むことなく心の中まで全部見ているのです。

世界はワンネスであり、あなたは僕自身であり、僕はあなた自身なのです。ですから魂の兄弟として尊敬し感謝し愛しています。そして名も知らぬあなたの幸せを心の底から祈っています。

2022年12月4日日曜日

自由意志は存在するか?

この記事はnoteに移転しました。
かなり加筆修正しているので、こちらの方をご覧いただけると幸いです。

https://note.com/shinyays/n/n7ee35a94d1c4


【質問】
自由意志は存在するのでしょうか?それとも全てが予め決まっているのでしょうか?

最近の話で自由意志は存在せず、元からある肉体に外部の環境が情報として伝わり、ただ反応しているだけ。つまり全部あるべくしてあるだけなんて話もあるそうです。そうなると、この先も今までも、関数が多すぎて予測ができないだけで決まった人生を歩くのかなぁ、と半ば諦めのような気持ちになってしまいます。どうお考えでしょうか?


2022年11月30日水曜日

父親の自殺と母の事故死

【質問】30代後半・女性
いつもお世話になっております。お疲れのところ突然のDM失礼いたします。

わたしの父親は私が14歳の時に自殺し、その5年後母親が車の事故で亡くなりました。そのことは私を今も苦しめ悲しい気持ちでいっぱいにし、手に負えない感情に振り回されて困ることが多々あります。

真也さんの言葉を読み、真理に近付きたいと(それは意識するものではなく、必然そうなってしまうようにできてるかなと思う時があります。道の途中ですので未熟な表現が多々ありすみません)生きているつもりですが、何度も同じ間違いを繰り返しています。

私は確かに父親に愛されていた、今も愛されている、そう思えるようになったら変われるような気がしていますが、とても難しいです。

【回答】12月6日更新
ご質問どうもありがとうございます。とても悲しい、大変な経験をして来られたのですね。

人の悲しみや大変さは他人と比較できるものではないのですが、それでも明らかに自分よりハードな人生を送って来られている方からご質問を受けると、自分の想像力を最大限に発揮してもそのお気持ちは本当の意味ではわかりようがないのですが、ただただその悲しみとご苦労に同情します。

普段僕は「創造主は常に本人(の魂の成長)にとってベストなものを与えている」「与えられたもの一つ一つに感謝しなければならない」と語っていますが、とても深いカルマを背負い、それに値するような悪い事など明らかに何もしていないのにとても辛い経験をされている方に対してそれを言うのは、創造主の思いの代弁を任されている身としてとても心苦しいです。

ただ「人生はRPGで、自分という主人公にだけ与えられたシナリオがあり、他人とは一切比較してはいけない」というのは本当に事実なのです。大変なカルマを背負っている人ほど、魂のレベルが高く、より大きな成長を期待されているということなのです。みんなカルマを人と比べて欠点のように解釈して我が身を呪い、イージーな人生を送っていそうな他人を羨んだりしてしまいがちですが、人生というのは魂の受験のようなものであり、難易度が高いほど価値が高いのです。もちろん逃げる方向ではなく乗り越える方向にベクトルが向いていれば、ですけども。

反省してはいけない」に書いた通り、自尊心が下がると、悪いとわかっていても悪い行動がやめられなくなり、更に自尊心が下がる悪循環にハマるのです。自己イメージと行動のレベルは正比例します。多くの人の問題の根幹は自尊心が子供の頃から下げ合うように社会的に洗脳されているためであり、みんなの自尊心の低さは社会病理なのです。そしてそれは個人の欠点ではなくみんなに与えられた乗り越えるべき課題なのです。だから自分のことも親のことも誰のことも責めないで許してあげて下さいね。鬱の主原因は「自分や他人を責めること」であり、鬱の解決法は「自分と他人を責めるのを同時にやめること」です。答えは常に「誰も何も悪くない」です。

人間の行動というのは、意志がそれを選択する前に既に脳が決めているのですから、普段から良い解釈(世界観・価値観・哲学)を選択することが大事です。解釈が自分自身(世界・人生)を創っているのであり、選択肢もその解釈が運んでくるものですから、選択肢が目の前にやってきた時に行動を選択することで人生を変えようと思っても無理であり、人が自分で悪いとわかっていることをやめられないのは当たり前なのです。「自由意志は存在するか?」に書きましたが、自由意志(選択の自由)とは行動の選択ではなく解釈(世界観・価値観・哲学)の選択なのです。それが自分の人生=世界を作るのです。

誰でも自信満々になれる方法」これは本当に人生・人間関係の万能薬なので、ぜひ読んで実行してみて下さいね。そして自信満々になって下さい。自尊心が上がれば行動のレベルも上がってどんどん自分自身もみんなも人(人生・世界)が好きになる好循環に入れます。

質問後のDMでご結婚生活も色々問題があるとのことなので「離婚について」もぜひご参照下さい。良くない結末を迎える前にどうか立て直して下さいね。

そして血縁関係なんかに捉われず、また自分に都合の良い人だけを愛して追いかけまわしたり、苦手な人を嫌ったり攻撃したり避けたりしようとせず、出会ったみんなを例外なく家族のように(自分自身のように)愛して仲良くなって下さい。愛情は無条件でなければなりません。「こういう人は愛せるけど、こういう人は愛せない」というのは愛ではなくエゴなのです。日々少しずつでも愛情の条件(エゴ)を外していくことが人生の修行です。そうして自分の心の仏国土を愛で満たし、出会った人を心に写し取ることでみんなをその住民として迎え入れ、例外なくみんなを愛し、その愛をこの世界中に連鎖させて下さい。それがあなたという主人公(メシア)の使命です。

メシアになるのに必要なのは覚悟(愛)だけであり、有名人や権力者になる必要は全くありません。すべては波動で出来ていて、それは指数関数的に連鎖するものなのですから、あなたが心を愛で満たしてそれを出会った人に遍く連鎖させていくなら、世界はいつか必ず救われるのです。

カルマ(その人に初期設定された課題)の重さは人それぞれ違っても、それは本人にとってはギリギリのとても重いものですから、逃げ出したくなる気持ちも僕にはよくわかります。実際僕は自殺した経験がありますからね。(そこから創造主に救われて、次々に真理に導かれて幸せになっているので、彼の代理で真理を伝え人を救うという使命を果たす以外の選択肢は僕にはありません)

霊障に深く犯されて重い鬱になると、本当にエゴにまみれになって他の人のことなど全く考えられなくなってしまうのです。例え愛する家族を置き去りにすることになろうと、とにかく今の苦しみから逃れることしか考えられないようになってしまうんです。溺れて苦しんでいる人が、助けに来てくれた人を本能的に(本人の意思とは関係なく)沈めてでも助かろうとしてしまうが如くです。でもそれは決してあなたを愛していなかったということではないと僕は思います。あなたの父親がどんな方だったのか僕にはわかりませんが、人がするどんなネガティブな思考や行動も運命(カルマ)であり、本人には止むに止まれぬ事情があってやってしまったことなのです。

あなたが今とても辛い状況にあるのも、止むに止まれぬ事情があって、自分なりにベストを尽くした上でそうなっているのですから、自業自得・自己責任だなどと考えて自分を責めないで下さいね。いままでのことはすべてRPGの設定であり、それを最終的に幸せになるための伏線として考えて、人生=世界をより良く解釈して幸せになって下さい。人生はRPGですから、困難からスタートするのは当たり前ですからね。そしてそこからの大逆転劇は必然であり、困難をいつまでも続くと解釈して不平不満を言って我が身を呪えば本当に最後までそのような人生になってしまいます。

日本人は「自業自得」「自己責任」って言葉が大好きですが、「本人が悪いんだから不幸になっても仕方がない」っていう考え方はすごく冷たいんです。そういう考え方の人ばかりだから鬱になると「自分のせいだから不幸になっても仕方がない」と考え、誰にも相談したり助けを求めたりできずに自殺したりするんです。僕らは誰一人自業自得で生まれてきていません。壮大な因果の中でちゃんと理由(使命)があって必然として生まれてくるのです。罪と恥(=自業自得)は幻だと知って下さい。メシア(主人公)の使命は相手の善悪に関係なく、例外なく出会った人から救っていくことです。自分より悪い人を責めて蹴落とし自ら地獄に落ちる「蜘蛛の糸」のカンダタにならないで下さいね。人には例外なく欠点があり過ちを犯します。相手の良し悪しを判断せず、愛情に条件を付けず、助け・救いが必要な人と出会ったらどんどん助けて救って行って下さい。

因果は循環するものであり、常に過去に遡って上書き更新されています。「悪い事があったのだから、自分が悪い思考・行動をするのは仕方ない」と考えて悪い思考・行動をやめれないでいると「そういう言い訳をして悪い思考・行動をする人間だからこそ過去に悪い事が起きた」ということになり、また悪い出来事を引き寄せて繰り返してしまいます。悪い事があっても悪く解釈して悪い思考・行動がやめられなくなって、人生を自ら台無しにしてしまうのです。だから悪い出来事も悪く解釈してはいけません。自分の魂の成長に必要だったから起きたと考えてどうか乗り越えて下さい。この点は理解が難しいと思いますが「自由意志は存在するか?」を読んで下さいね。未来と同じように過去は可変なのです。

きっとあなた自身も自殺を考えるほど辛い経験をされてきたのですから、どうかその父親の苦しみに心から同情し、カルマから逃げてしまったその過ちを赦してあげて下さい。「罪と恥の存在意義」に書いた通り、あなたが出会う全ての罪と恥は、あなたに許されるのを待っているのです。そして「音と水の存在意義」に書いた通り、今からでもご両親に愛の波動を言葉と思念にして送ってあげて下さい。それは決して無意味で無駄な事ではありません。そしてあなたはどうか自分のカルマから逃げないで下さい。

人の悲しみというのは他人と比較できるようなものではないのですが、僕も叔母を(その旦那さんと共に)交通事故で亡くしました。実の両親は僕が経済的に自立するまで健在でしたが、性格が全く合いませんでした。親は基本的に常識人で、僕に愛情を持ってきちんと育てようとしてくれていたにも関わらず、僕は小さい頃からいつも逆らってばかりで、人生のことを相談したりしたことは全くありませんでした(今は心から尊敬し感謝していますけど)。そのカルマをまだ解消できてないせいか、今でもブラジルで独身修行中で(血縁的には)天涯孤独の身です。まぁ今の僕の考え方や行動を常識的な人たちはまだ理解し受け入れられるわけもないですからね。創造主から直々に教えをいただけるなんて幸せは恐らく他の誰にも与えられていませんし、僕は周囲のみんなに愛されてとても幸せに生きています。それでもブラジルは家族をすごく大事にする国民性で、仲睦まじい姿を見せられると、時々羨ましく感じそうになることもあります。僕は実の親を自殺や事故で亡くしているわけではないので、あなたのお気持ちがわかるとまではとても言えませんが、少しだけは想像できます。

すべての存在は同源でありワンネスです。我々は同一の魂(創造主の魂)であり、そこから分け御霊を与えられ、肉体と個性と個別の使命・シナリオを与えられ、欠点や過ちを許し合い、個性を尊重し合う事でまたひとつなぎに一つになれるという神話の中を生きているのです。本当はすべての人間の魂が創造主の分け御霊であり、同一人物のようなものなのです。

「一番大切なものは家族」そのように僕らは血縁関係に捉われ過ぎる価値観が初期設定(常識)です。でもその常識的価値観ゆえに、震災や交通事故などで家族を亡くして天涯孤独になってしまった人の多くが自殺してしまうのです。それはとても悲しく残念なことです。「家族(血縁関係)が一番大事=家族以外には助けを求められない・助けなくても別に何の責任もない=家族がいなかったり仲が悪かったり負担にしかなっていない人は将来絶望的」という価値観が社会的にたくさんの人を不幸に陥れて殺しているんです。子育てや介護や借金などが家族だけに押し付けられる価値観は常識ですが、僕らはそれを覆してみんなで無償で助け合う世の中を実現していかなければなりません。それが主人公(メシア)一人一人の使命です。

キリストも釈迦も、血縁関係を特別扱いはしない人でした。釈迦は家族を捨てて出家した人ですし(最終的には奥さんや子供も弟子にしていますが)キリストは「出会った人が兄弟だ」と公言していて、やはり若い時から出家し(13歳から29歳まで聖書に彼に関する記述がないのは、エッセネ派のクムラン宗団で修行していたからだと目されています)人を救うために俗世に戻ってきてからも、彼は親が遠くから訪ねてきた時でさえ、信者たちを優先して家族には会おうとせず冷遇したこともありました。

常識とは何か?」に書きましたが、もし常識が全部正しいのなら、我々に生まれて来た意味はありません。僕らが生まれて来なくても世の中は勝手に良くなっているはずだからです。それでは主人公が世界を救うというRPGの基本設定が成立しません。常識のほとんどは主人公に与えられた初期設定の課題であり、基本的には人を不幸にするものなのです。そしてその常識に当てはまらない個性や経験を与えられている主人公は、その常識を覆すことが使命なのです。

誤解して欲しくないのは、決して常識に価値がないということではないということです。闇雲に常識に逆らえば良いという話をしているのではありません。常識(コモンセンス≒共通ルール)があるからこそ我々は人生というRPGをみんなと一緒に楽しめるのであり、それゆえコミュニケーションが取れて一緒に経験を積んで共感し合うことができるのですから。常識に何の理もなければそれは常識には成り得ません。常識は常識でちゃんとわきまえていることが大事です。ただ常識にはそれなりの理があるのですが、それは初期設定であり課題(間違い)が含まれているのです。だから常識が正しいとか間違っているとかということではなく、自分にとっては良くない・合わせられない常識と戦う姿が、常識に縛られて合わせられず苦しんでいる人たちに勇気を与えるということです。自分がどうしても合わせられない常識があれば、それはそれを覆す使命が与えられているということなのです。「やりたいことが見つからない」「生まれて来た意味がわからない」という人は多いですが、そこを考えれば突破口になると思います。

親を早くに失くしたり、または虐待されていたり、またそこまでは行かなくても親と仲が悪い人というのは、世の中には我々の思いの他たくさんいるのです。「家族が一番大事・幸せの条件」みたいな価値観の社会から排除されたくないから、世間体を取り繕って見下されないように幸せアピールしているだけで、実際は多くの人が家族愛を感じられず、家族仲睦まじい(様に見える)人達を羨ましがって、我が身を呪い落ち込んでいるのです。

しかしそれは課題(カルマ)であり、出会った人と例外なく家族のように助け合い愛し合うことで、世の中がワンネスに目覚めていく神話の過程において重要な使命を担っているということに気づかなければなりません。

世界中の人が鬱の海で溺れているところを想像してみて下さい。みんな人に迷惑をかけないこと(自立)・人の役に立つことを人生目標に掲げ、その海で他人と争って泳ぎ(働き)、いつか沈んでいくのです。僕らがどんなに必死で泳いでも、他人を抱えて泳ぐのには限界があります。「家族(血縁関係)が一番大切」という価値観で、家族だけで助け合って抱えて泳ごうとしても、共倒れになって共に沈んでしまうのです。僕らは泳ぎを競い合うのを止めて、ただ出会った人と家族の様に手を取り合って助け合えば、みんなで楽しく浮かび上がることができるのです。主人公(メシア)にはその連鎖を推し進めていく使命があるのです。

「こういう人は絶対不幸になる」という世間の悪しき常識通りに自分も幸せを諦めて不幸になるのではなく、あなたという主人公(勇者)が幸せになってその常識を覆さなければなりません。そして同じように不幸にあえいでいるたくさんの人たちが、本当はあなたの救いを待っているのです。悩んでいる時は他人が見えずエゴにまみれて、まるで「こんなに悩んでいるのは自分だけだ」というように考えてしまいがちですが、本当は人の悩み(課題)というのは抽象度を上げて行けば同じなのです。質問箱をやっているとそれを痛感します。

そして「憑依体質の存在意義」に書いた通り、カルマ=霊障であり、それが魂の成長のために我々に与えられた課題なのです。あなたからいただいたメッセージを読ませていただくと、本当に深く霊障に犯されているのを感じます。僕は決して霊感商法みたいなことをしてお金を取ったりして自己利益には絶対につなげないので、どうか騙されたと思って浄霊は毎日受けるようにしてみて下さい。霊障も悲しい経験があって霊障はあなた自身と同じように、悲しくて辛くて苦しくて、それがわかってくれそうなあなたに同じ経験をさせ、同情を求め許され共に幸せになって成仏することを求めているのです。だからあなたが自分自身を許し、自分と同じ経験をしているような人を同情し許すのであれば、その正体も知れぬ霊障を許してあげることになるのです。どうか霊障を成仏させてあげて成仏して下さいね。罪とは幻であり、今までやってきたあなたのあらゆる悪事は霊障のせいであり、他人の悪事もすべて霊障のせいです。だからすべての悪事を霊障のせいにさせてもらいつつ同情し、なおかつ霊障も自分も他人も許してあげて下さい。

浄霊をするためにも、どうか信心を持って下さいね。どんな宗教でも、縁があると感じたら逃さないで下さい。お金や奉仕を強制してくるような宗教は宗教ではなく宗教を悪用した詐欺なので、一目散に逃げて下さい。宗教団体は欠点があり過ちを犯す人間が運営するものですから、腐敗が必然であり、それは例外がありません。でもそれを乗り越えて信心を起こすからこそ信心には価値があるのであり、世間の常識通り「宗教=怪しい・騙される」などと思い込んで決めつけて、神々について信じ学ぶことを放棄しないで下さいね。できれば原典から宗教を学びつつ、宗教団体からは形式・実践方法を学んで下さい。宗教=悪という日本人の多くが持っている常識もまた多くの人に共通した初期設定の課題なのです。

真理は経験なしに手に入るものではありませんから、どうか六波羅蜜を行じて、日々実践を通じてあなたの覚りを開いていって下さい。六波羅蜜はネットで調べればすぐわかりますし、理解も実践も覚悟さえあればそんなに難しいものではありません。常に改善しながら実践し続けるのは大変ですけど、それが人生という修行ですからね。我々は成長を楽しむために生まれて来たのです。

悪いカルマの解消法」もぜひ読んで下さいね。日々浄霊し、信心を強くし、カルマを解消して下さい。どうかあなたのその深いカルマを「魂のレベルが高いからこそより大きな成長を期待されて与えられたものなのだ」ということをどうか理解して下さい。そしてきっと幸せになって下さいね。心からそれを祈っています。

2022年11月13日日曜日

アヤワスカで頭がおかしくなる人がいるのはなぜ?

【質問】
アヤワスカを摂取する上で、悟りを開けずに精神状態が狂ってしまう人が稀にいますが何が原因だと思われますか。

Connor Murphyという私が筋トレを始めるきっかけになった立派なボディビルダーのYouTuberがいたのですが、彼は2年前にアヤワスカを摂取してから支離滅裂な言動を繰り返すようになり、今までの健全なフィットネス動画を削除して、自分の精○を飲んだり、自分が神だと信じて街中で叫んだり、ゴルフの世界シリーズで優勝できると本気で信じてコースに乱入して逮捕されたり、めちゃくちゃに散らかった無残な家で痩せ細った体で電源の切れた携帯電話に延々話し続けたり、頭がおかしくなってしまいました。

最終的に自分自身がおかしいことに気づき助けを求めて生配信で現住所を晒して駆けつけた救急隊により精神病院へ強制入院されましたが、退院後は少しずつ元の彼に戻ってきてるようです。彼が狂ったのは何が原因だと思われますか?

彼はもともとマッチョで女性にモテて自尊心が高かったのですが、アヤワスカは元々個々のポリシーや固定観念が確立されている人物には逆効果なのでしょうか?経験を踏まえて解説していただけると嬉しいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

>アヤワスカを摂取する上で、悟りを開けずに精神状態が狂ってしまう人が稀にいますが

まず「通常はアヤワスカを摂取すれば覚りが開ける」と思われているのなら、その時点で誤解だと思います。アヤワスカを飲んだだけで覚れるのならブラジルやペルーは覚者だらけになっているでしょう。アヤワスカは本人にとってその時に必要な導きがあるというだけで、全員にいつでも必ずポジティブな影響を与えてくれるものではなく、ネガティブな反応が出てアヤワスカを嫌いになる人もたまにいます。そして儀式中にネガティブな霊に憑依されて錯乱する人などはそっちゅう出ますし、それを浄霊して介抱するのが僕の儀式における役割みたいなものです。

ただ儀式後も憑依状態が続いて日常生活に支障をきたしているという例は、僕がのべ数万人と儀式をしても一件もありません。儀式中にどれだけおかしくなっていた人も、儀式が終わったらいつものその人に戻ります。

しかし最近日本でシャーマンを自称し、アヤワスカなどの幻覚剤を用いてお金儲けをしたり、人をコントロールし支配するために危険な人体実験を行っている人たちがいると知りました。そしてそういう人たちの元で儀式を受けて発狂したり自殺したりした人が複数人いるとも聞いています。アヤワスカの儀式には知識と敬虔さが不可欠のものであり、それらがない人の元では絶対に儀式を受けてはいけません。

基本的にシャーマンというのは資格のある肩書ではなく、幻覚剤さえ手に入れて儀式を行えば誰でもシャーマンを自称することはできます。でもブラジルで「私はシャーマンです」なんて言う人に僕は会ったことがありません。「あなたはシャーマンですか?」と聞かれれば、自負のある人は「そうです」と答えるでしょうけども、そういう仕事をしていれば相手はすぐシャーマンだとわかるわけで、わざわざ聞く機会もありません。わかりやすく言うと、例えば「良い人」というのは受け手側の印象であって本人の特質ではないでしょう。それを他人から言われるのは結構な事ですが、自分で「自分は良い人です」などと自称すれば、その時点で「何かを企んでいる・怪しい」と思われるでしょう。そこは「シャーマン」も同じだって事です。実際シャーマン自称者というのは金・エゴ(他人を意のままに操るなど)を目的としているのでしょうから、近寄らない方が無難です。純粋な思いでシャーマンをやっているような人が自称するわけないのです(僕は絶対自称しません)。

そもそも日本でアヤワスカは違法ですし、日本で行われている儀式はアカシア茶のようなアヤワスカ・アナログ(疑似物)とケミカルのMAOIによるものですから、ナチュラルかつ伝統ある現地のアヤワスカとは別物であって、とても危険なものだと認識していただきたいです。

そして元々カルマがあまりに重すぎる人は、アヤワスカによって返ってカルマを重くしてしまって悪い方に振れたりすることもあるようです。通常、アヤワスカの儀式を受けた人というのは愛に目覚めて自己超越性が高くなるのですが、元々のエゴが強すぎる人の元で儀式を受けると、エゴが更に強まってエゴの権化みたいになったりするようです。最近、そういう日本人数名をネット上で知りました。

それと日本人はシピポ族などのインディオがみんな敬虔で共存共栄の社会を築いている聖人であるかのような幻想を抱きがちですが、実際は奪われ続け虐げられ続けてきた悲しい歴史ゆえにお金にすがりがめつくなっている人がほとんどで、そこに加えて現地ではアヤワスカバブルが起きていて、お金を持った外国人たちから多額の儀式料を得られるために、お金目的のエセシャーマンが溢れ返ってる状態なのです。

そういうエゴにまみれたお金目当てのエセシャーマンの元で1週間で何十万円というボッタクリ料金を支払って儀式を受けることはとても危険です。そういう事情がわからず、現地料金とは逸脱した主催者の下で初心者が儀式を受けることは、お互いにカルマを悪化させることになるのです。

僕はアメリカのシャーマニズムの現状を全く知りませんが、日本と似たり寄ったりの状況になっていることは想像に難くありません。

僕はConnor Murphyという方を全く存じ上げませんから、少しだけ彼の情報をネットで見てみて想像で語るしかないわけですが、彼の様にそういう人が急に変わったようになる現象は、霊障・憑依によるものだと僕は経験上確信しています。詳しくは「憑依体質の存在意義」「浄霊の効果の高め方」をご覧下さい。

人間は霊の集合体ですから、基本的に霊障に犯されていない人というのはいません。霊障というのは常に自我を乗っ取ろうとしているのであり、敵対的M&Aのようなもので、ジリジリと株式を取得するように宿主の自我を奪い続け、過半数の取得に成功した時に宿主の経営権がほぼ完全に霊障に奪われる感じになるのです(本人に自覚はありません)。他人から見てそれが突然でも、実際それは全然突然ではありません。その霊障による宿主乗っ取り達成の直接的なきっかけになる出来事(この場合はアヤワスカ)に全ての原因を求めるのは、僕はナンセンスだと思います。それはトリガーであって本当の原因ではないのです。霊障が宿主の自我を乗っ取るために幻覚剤のような自我を手放させるようなものを求めさせるのです。

アヤワスカは本来苦しみの元になっているエゴから一時的に離れさせて神我(真我)の視点から自分を見つめさせてくれるものですが、エゴから離れるということは自我から離れるということとほぼイコールですから、既に霊障に過半数近くの自我を乗っ取られている人がやれば、ほぼ完全に自分というものの経営権を奪われることになります。だから統合失調症など深く霊障に犯されて自我が揺らいでいる人にアヤワスカは禁忌とされているのでしょう。

本物のアヤワスカは数千年受け継がれる伝統文化であり、もしメリットよりデメリットの方が大きければそんなに長く受け継がれるわけがありません。圧倒的にポジティブな影響が出る人の方が多いです。しかしエセシャーマン&エセアヤワスカの儀式により精神錯乱や死亡などネガティブな結果が出る人がいたからといって、アヤワスカを悪者にしてそのリスクを過剰に恐れるのはナンセンスだと僕は思います。日本だって餅を喉に詰まらせて死ぬ人が毎年数百人いますが「餅は危険だから法律で禁止しよう」なんて話は聞いたことがありません。こんにゃくゼリーは歴史が浅いために悪者にされて規制が入りましたけどね。

あなたはいかにも「彼は立派な人だったのにアヤワスカ(単体)によって頭がおかしくなった」というような書き方をしていますが、実際に会ったことさえないんですからわかりようがありません。彼のファンであるあなたが元々の彼を立派だったと思うことは自然なことですが、彼が元々本当に精神的に立派な人だったかどうかは、少なくとも彼を直接知らない人・表面的にしか見ていない外野には全くわからないことでしょう。特に人気商売をしている人たちは自分を実際以上に良く見せようとする意識が強いでしょうから、本当のところは全くわかりません。

まずもって欧米のボディービルダーっていう時点で真っ先にステロイドの影響が疑われます。欧米のプロのボディービルダーで薬物を使用していないナチュラル派の人って殆どいませんからね。現状、ナチュラルでは大会で勝ったり人気者になったり稼いだりはとても難しい業界です。

ステロイドが心身に及ぼす悪影響については様々言われていますが、結局のところ学術的にはまだ全然よくわかっていないのです。クリス・ベノワというステロイド依存症のプロレスラーの一家無理心中事件は知っていますか?死亡解剖して、彼の脳の萎縮が激しかったことはわかったのですが、結局何が原因かは想像の域を出ません。ステロイドかも知れませんし、他の薬物の影響もあったのかも知れません。ただ僕に分析させるのであれば、僕はステロイドにも霊障に少しずつ自分を明け渡すという影響があると思っています。だから多くのステロイドユーザーにロイドレイジのような症状が現れるのでしょう。

そしてこれはあくまでも僕がこのConnor Murphyという方から個人的に受けた印象であり、ファンであるあなたを傷つけてしまったら大変申し訳ないのですが、彼はステ以外にも色々な薬物をやっている感じがします。経験上、そういう臭いを感じ取ってしまうのです。そもそもアヤワスカ単体でこんなにおかしくなるってことは見たことも聞いたこともないです。他の薬物が主要因か、その薬物とアヤワスカとの相互作用が強く疑われます。人気商売をやっている人が自ら違法薬物をやっているとはあまり言わないでしょう。彼はきっと他人から今の自分はおかしいと思われているという程度の自覚はあって、他の薬物中毒を疑われないように全てをアヤワスカのせいにしているっていう可能性も考えられます。アメリカなどでは儀式上の使用のみ合法なので、彼は宗教上の理由でアヤワスカを使用していると強調しているのでしょう。でも彼の言動や行動からはアヤワスカの儀式による神聖さが微塵も感じられません。だいたいここまでおかしくなっている人にアヤワスカを飲ませるシャーマンがもしいるなら、その人も絶対まともじゃないです。

そしてアヤワスカは他の薬物と深刻な薬物相互作用を起こす可能性があります。だからちゃんとしたシャーマンは事前に麻薬や精神薬など禁忌の薬物を使用していないか必ず確認します。アヤワスカは薬物依存症にも効果が期待されるものですが、同時に使用したらかなり危険なのです。僕がネットで探したアヤワスカ関連の重大事故はすべて、シャーマンの指示・禁忌に従わず破って麻薬や精神薬などの薬物を併用したと見られるケースや、ちゃんとしたシャーマンの元ではなく悪徳シャーマンによる洗脳などを目的にした儀式だったり、知識・経験のない人達だけで幻覚目的で勝手に他の薬物と共に乱用したと見られるケースのみで、アヤワスカ単体での重大事故というのは(現地では)まずあり得ないことなのです。

そもそもアヤワスカの幻覚主成分であるDMTは人間の体内でも常に分泌されているもので、カーピだけでなく多くの植物に微量含まれており、非常にナチュラルかつありふれたものなのです(我々が現実と思っているものも幻覚の一種です)。薬物相互作用を起こすのは、DMTを分解する酵素を抑えるための物質(モノアミン酸化酵素阻害物質)と麻薬・精神薬なのです。

では「彼がなぜそのような霊障(カルマ)に犯されるようになったのか?」それは僕にもあなたにも知りようがありません。すべての存在・事象(森羅万象)は因果により果てしなく複雑に結びついており、それを本人の視点で見たものがカルマです。しかし自分のカルマでもよくわからないものなのに、見ず知らずの他人のカルマなどとても追いきれるものでないのです。

それでも人間というのは起きたネガティブな出来事に対して、直接的な原因を探してそれに全ての責任を押し付けて責めて精神的に整理をつけられさえすれば一見落着と考えます。ただ原因には必ずまたその原因があるのであり、それを人間が遡るのは限界があるのです。

例えば自分の不幸の原因が親にあると考えるとして、そのような問題ある親になったのはその親の親が原因でしょう。そのように原因というのは遡っていけば究極創造主の天地開闢・人間創造にまで至ることになってしまいます。でも人間は「親が悪い」と自分に都合の良い所でその因果の連鎖をぶつ切りにして原因だと決めつけて全責任を押し付けて心の整理をつけたい生き物なのです。でもそれでは何の解決にもならず、カルマを自分の学び・成長の糧としなければ、かえって更なるカルマを積むことになるのです。(結局自分の親と同じことを子供にしてしまう、など)

何かの犯罪事件が起きると、ほとんどの人はそれをニュースで見て犯人とその手口と動機がわかって裁判でしかるべき判決が出て裁かれれば一件落着と考えます。でも犯人や被害者がどういう因果でその事件に至ったのかをとことん遡って調べて考える人はまずいませんし、調べたところでどこまでも追いきれるものではなく、また追ったところで影響のあったすべての人を裁くことなどできませんし、既に亡くなっている人に責任を取らせることはできません。とりあえず「犯人が悪い(憎い・処罰を受けるべきだ)・被害者は可哀そう(謝罪・補償を受けるべき)」と考え、裁判結果が出て精神的に整理がつけばOKであり、またそのようにインスタントに整理をつけなければ犯罪事件のニュースなんか見てられません。いちいち見ず知らずの他人のカルマの追求にまで時間と労力を割いていたら、自分の人生を生きれなくなってしまいます。

それは犯罪だけでなくあらゆるネガティブな出来事についても言えることで、例えばお風呂が体に良いのは現代日本の常識ですが、日本だけで年間何千何万という人がお風呂で亡くなっており(ソース)、その中には健康に何の問題もなく突然死した人も多数含まれます。死亡解剖しても全く原因がわからないのです。僕の大学時代の同級生もそうして突然亡くなりました。でもだからといってお風呂を悪者にして、お風呂に入らないなどという人はあまりいないでしょう。またやはり健康に何の問題もないのに、就寝中に亡くなる人もいます。だからといって睡眠を死の原因と考えて寝ないようにしたら、余計に死のリスクが高くなるだけでしょう。

我々はカルマを背負って生きているのであり、例え我々が何をしようと(何もしまいと)意識していないだけで必ず何がしかのリスクが生じているのです。でも我々が何かの事象の原因と考えるものはトリガーに過ぎないもので、直接トリガーとなった出来事を全ての原因と考えることは短絡的だということです。もしそのトリガーがなかったとしても、きっと別なものがトリガーになっていたはずで、結局運命というのはカルマを解消しない限り結果は殆ど変わらないものなのです。全ては偶然を装って起きているだけで、この創られた仮想現実RPGの世界に偶然など一つもないのです。そして何の事象でも、人間はその表層しか見ることができず、本当の原因はもっとずっと深い所にあるのです。件のボディービルダーがなぜおかしくなったのか?その原因をアヤワスカだけに求めるのは短絡的過ぎるということです。

そのように我々が原因だと分析するものはいつも非常に浅く、本当の原因ではありません。我々がその責任を事件の直接的なトリガーになったものに押し付けて裁き、精神的に整理をつけたいだけです。しかし何かの事象というのは壮大な因果が氷山の一角のように表に出ただけものであり、原因には更にその原因があります。そしてそれは創造主の天地開闢まで果てしなく続いているのです。

人生というのは成長プログラムであり、実際に知り合った人のカルマを鏡としながら自分に与えらたカルマ(課題)を探求し、その複雑に絡み合った糸を解きほぐすように解決して乗り越え、自発的意思により成長していかなければならないのです。つまり大切なのは件のボディービルダーのカルマではなく、彼のカルマを通して見えるあなたのカルマは何かということです。

「自分のカルマ(課題・使命)とは何か?」それは本来自分で考える事であり、それが人生の醍醐味だとも言えます。そして僕はあなたのことも件のボディービルダーの事もまったく知らないのであくまで想像に過ぎませんが、ご参考にしていただければ幸いです。

まずあなたには信心がなく、それゆえに霊的知識もない感じがするということです。詳しくは「悪いカルマの解消法」をご覧下さい。僕らが生まれてきたのは自発的に信心を起こすことですから、それを起こさなければ霊障により様々なネガティブな出来事がやってきます

それと今の時代、ネットで情報を集めるのは当たり前のことでそれ自体は全然悪くないのですが、それにより経験しなければわからないことを既に理解したような錯覚に陥って経験を避けるようになるリスクがあるということです。これは現代人に共通した課題・カルマと言えるでしょう。経験しないリスクより経験するリスクを恐れ、経験を積まず情報に振り回されるのでは何のために生まれてきたかわかりません。我々は経験をするために生まれてきたのです。

>彼はもともとマッチョで女性にモテて自尊心が高かったのですが、アヤワスカは元々個々のポリシーや固定観念が確立されている人物には逆効果なのでしょうか?

彼の問題は純粋に霊障(カルマ)であり、本人の元々の個々のポリシーや固定観念の確立は関係ないと思います。また件の彼が狂う前に「自分」というものをしっかり持った素晴らしい人物だったとも僕には思えません。善良な信心を持っておらず、アヤワスカの摂取前に既に霊障にかなり犯されていたことが原因でしょう。

そしてあなたが「イケメンマッチョで異性にモテて自尊心が高く立派で幸せな人のはずなのになぜ狂ったのか?」みたいな書き方をされているところに、僕は多くの日本人が陥っている「他者評価依存」という社会病理を見て取ってしまいます。それが多くの日本人に共通したカルマ(課題)なのです。

幸せとは主体者たる自分が感じるものであり、他人から評価されて幸せそうに見られることには何の意味もないのに、日本人は幸せを感じる事より他人から評価されて他人から幸せそうだと羨ましがられること(他人から見下されて傷つかないこと)に心血を注いでいて、それが生きる目的のようになり、いつも自分を偽って生きている感じがします。

そして日本人の多くは「自信・自尊心というものは能力(他者評価)の上に築くべきものだ」という常識を植え付けられて疑うこともできなくなっている感じがします。詳しくは「誰でも自信満々になれる方法」を読んで下さい。

あなたが彼の影響で筋トレを始めたこと自体は素晴らしいことだと思います。ぜひ続けて下さい。僕自身もトレーニング好きで平日はほぼ毎日欠かしません。でもそれは純粋に好きでやっていて、大会で勝とうとか、マッチョになって他人から褒められたりモテたり羨ましがられたりしようとか、そのように他者評価を得ることで自信をつけ、それによって自尊心を上げようなんて目的ではやっていません。

能力(他者評価)の上に築こうとする自信なんていうものは幻であり、例え今はあるように見えても加齢などでいつかは失われるのが自明です。そういう仮初めの自信は躁うつ病の躁状態みたいなもので、失われた時の落差をかえって大きくするだけです。そしてみんなそれが薄々わかっているから、自信満々に見える人でも内心はいつかその自信を失うのを恐れているのです。しかし何かを恐れながら本物の自信など身に着くわけがありません。

真の自信をもたらすものは、出会った人を例外なく尊敬し、感謝し、許し、愛し抜く覚悟だけだと僕は確信しています。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...