2023年4月16日日曜日

未来に絶望したくなる

【質問】10代男性
ここ最近真也さんの発信を見始めさせていただきました。自分はTwitterやYouTubeでよく情報収集をするのですが、最近の日本の状況に関して不安でネガティヴなことばかり目にします。

例えば、日本は今後数年の内に中国と戦争をする、憲法改正による余波で国民を縛り付けてより搾取出来るような体制を整える(マイナンバーカードで個人情報把握、預金封鎖でお金を取られるなど)、物価や生活コストがどんどん上がり続ける反面自分達の給料は上がらず国民がどんどん圧迫されていく等暗い情報をよく目にします。これらの情報のいくつかにはいわゆる陰謀論と言われるものも混ざってると思いますが、個人的には上記に記したような状態になる可能性は否定出来ないと考えています。

真也さんの以前の質問で答えていらしたグローバリスト達の凄まじい資産と権威性、各国政府や財閥との繋がりを考えればあり得る話です。私的には陰謀論そのものに対して興味はないのですが、日本を巻き込んでの戦争や憲法改正による圧政ひいては国民の奴隷化は自分の生活にも関わってくるので無視できない問題だと思ってます。

でも、陰謀論の大元や勢力図的なものを知っていく内に、どう考えても個人が何かして変えられるものではないという現実ばかり見えて来てしまいます。しかしこのような情報を知ってしまったのでここ最近は自分の人生はこれから暗いものになってしまうのかとネガティブな気持ちになってしまいます。

もちろん自分の解釈次第ではあるとは思っていますが、流石に戦争が起きたり、預金封鎖されて問答無用でお金を取られたりする圧倒的な専制政治下では明るく生きるのがかなり難しそうです。

このように自分ではどうすることもできない世の中や現実ばかり考えてしまうことに関して真也さんから助言を頂けたら幸いです。それとも、もしそういう暗い未来が待っていたとしても、それもまた自分に課されたカルマなのでしょうか。長い文章で申し訳ありません。


【回答】
ご質問ありがとうございます。

うーん、「生まれの格差について(陰謀論)」をもう一度しっかり読んでいただきたいですね。その上でそのようにおっしゃっるのなら、僕が伝えようとした意図とは全く違った読み方をされているということです。きっとあなたには「【再質問】優生思想も創造主のシナリオですか?」の質問者さんと同じように、僕の言うことを理解したくない動機があるのではないかと思います。

「人生はRPGそのものである」という点だけはご納得いただけていますでしょうか?それは例えではなくそのものズバリなのです。それはオンラインゲームの如く、ログインしている時点(自意識が存在していると自覚できる時点)で主人公なのであり、あなたが認識できる世界はあなたというたった一人の主人公の為に創られたRPGなのです。当然そのシナリオはあなただけにアレンジされたオリジナルのものです(だから他人との比較に意味はありません)。


認識者それぞれの物語で共通のフィールド(設定)が使われ、それがP2Pのようなメインサーバー(客観的世界)不在のネットワークにより重層しているために我々からすると世界は一つに見えているのですが、それによって自分を「他人と同じように客観的世界に生きている脇役の一人である」と錯覚してしまうところが、人間に与えられた無明(課題・愚かさ・迷い)の最たるものであり、それはまるで無数にあるアミダくじを真横から見て一本の線だ(自分がどんな選択をしようと未来は変わらない)と思い込むようなものなのです。


あなたの文章を読むと「自分は客観的・中立的な立場で情報を集めて適正に判断した上で暗くなっている」と思い込んでいるようですが、自分が主人公の世界に客観など存在しないのです。RPGはあなたという主人公次第に作られているということを決して忘れないで下さい。

RPGにおいて情報というのは前に進みながら(経験を積んでレベルアップしながら)目的に対する必要性に応じて集めていくべきものです。そこはこの人生というRPGも同じであり、パソコンの前に座って情報を集めているだけでは物語(覚り・幸せ)が進んでいくわけがありません。僕らは経験するために生まれてきたのであって、情報を集めるために生まれてきたのではありませんからね。

行動しようとしない後ろ向きな姿勢で情報を集めていたら、更に後ろ向きになるような情報ばかりが集まり、行動する気が失せるのはのとても自然なことです。それは「エゴ(我欲と保身)のために生きる臆病で怠惰な自分を正当化するために世の中に絶望したい」という動機ありきで「自分みたいな大したことのない人間が個人で何をしたところで世の中が変わるわけがない。努力するだけ無駄だ」というネガティブな思い込み(常識)を強化するような情報ばかりを集めているわけですから、実際に自分の世界が絶望的になるのは当然でしょう。創造主は我々に自発的成長を促すためにそう人生をプログラムしているのです。

前述した通り、人間というNPCは皆とても(主人公として)目覚めがたく初期設定されているのであり、僕も目覚めるまではあなたと全く同じように思いっきりNPC思考で自分を社会のつまらない脇役の一人と考えて生きてきました。まして僕が10代の頃なんて鬱で超根暗で勉強も全くせず女と格闘技のことぐらいしか考えてないようなどうしようもないバカで自分と世界の未来に絶望していましたから、絶望することに逃げたい・目覚めを拒否したいあなたの気持ちもよくわかります。でもどうか、いつかは目覚めて大逆転劇を起こして下さいね。

結局のところ人生は何事もまず自分でやってみて、たくさん過ちや失敗も経験し試行錯誤しながら、自分なりに納得してストーリーを進めなければ意味がありません。答え(結果)に価値があるのではなく、過程(経験)が答え(結果)を価値ならしめるのです。そして絶望も人生には必要な過程であり、本当の希望は絶望の淵のほんの少しだけ向こう側にあるのです。きっとあなたには絶望の経験が必要だから与えられているのでしょうから、もし僕の言うことが全く理解できないのなら、今は無理に理解しなくて良いってことだと思います。

僕は常に質問者さんと読者の皆さんを覚り・幸せ・救いに導こうと全力で説明していますが、ひょっとしたらあなたは既に鬱で他人の話を聞いて受け入れられる状態じゃないのかも知れませんし、どれだけ一生懸命説明しようとあなたをただ傷つけたり怒らせたりしてしまうだけになるかも知れません。文章で伝えるにはどうしても限界がありますしね。

まぁただそれで話を終わらせては質問箱の回答にはなりませんし、僕は使命を放棄するのと同じことになってしまいますから、あなたと同じように「生まれの格差について(陰謀論)」を読んでもまだ世の中に絶望し、主人公としての目覚めを拒否していてそれを自覚さえしない魂の兄弟たちに向けて、今一度よりわかりやすくご説明を試みたいと思います。

あなたが主人公であるRPGにおいて、家族や友人のような身近な人であろうと、どんなに有名人であろうと、またあなたが嫌いな人や価値が低いように見える人であっても、他人は例外なく全員があなたの世界のNPCであり、あなたが縁あって出会う人はみんなあなたの人生という物語を盛り上げるために天から派遣された共演者なのです。



クリエイターからプレイヤーに対するメッセージは基本的にNPCや出来事を通じて覚らされるのですから、NPCの言うことや起きた出来事をネガティブに解釈していたら物語が進むわけがなく、行き詰まるか事故るかしかなくなります。

そして人や出来事に出会ったら例外なく「創造主から自分のために贈られた出会いである」と信じて、例外なく愛する(許し・感謝し・尊敬する)ことが大事です。そしてあなた自身も他人の世界においてはNPCでありその人が主役の人生の共演者だということを忘れないで下さいね。


あなたが簡単に主人公であることに目覚めてしまってはゲーム性がなくなるので、あなたの周囲の人たちもマスコミなどもNPCはみんなこぞってみんなあなたの目覚めを阻もうとしてきます。様々な悲観的情報を与えてあなたを不安に陥れ、自分勝手な常識を押しつけてバカにして怒らせたり傷つけたりして、あなたの夢を「そんなこと無理だからやめておけ」と否定してきます。それは映画マトリックスのエージェント・スミスと同じなのです。エージェントというのは誰にでも成り代われるので、あなたの周囲の人はみんな「あなたが主人公などであるわけがない」「私もあなたもみんな同じように大した人間ではないのだから大人しく支配者に従い、社会の奴隷としてただ真面目に堅実に生きるべきだ」と脇役NPCのコピーにしてこようとしてきます。それはこのPRGの初期設定通りであり、主人公であるあなたはそれに立ち向かわなければならないという避けられない(inevitable)運命にあるのです。


あなたという主人公と創造主の関係は一対一であり、世界に何十億人のNPCキャストが用意されていようと、彼らの言う事・やる事・考える事(常識)は創造主に対して一切言い訳には使えないのです。そして主人公であるあなたを捉えるカメラは常にオンであり、創造主はあなたの物語を一秒も休むことなく(心の中まで)常に記録しながら、神々と共に見ているということを忘れないで下さい。(映画トゥルーマンショーはまさに真実に気づかせるための創造主からのメッセージです)


もちろん僕もあなたの世界のNPCの一人です。ただし、あなたの世界においてみんながあなたのために自分の役を「無自覚に」演じているのに対し、僕だけが「意図的に」あなたを主人公として目覚めさせる役割(映画マトリックスのモーフィアスやオラクルの役)を演じているのです。


あなたがこの話を信じようと信じまいと、あなたが他人に自意識があるかどうかを実際に確認することは永遠に不可能であることだけは確実です。他人に対して「あなたに自意識はありますか?」と尋ねても「あるにきまってるじゃないか?バカじゃない?」みたいに答えるようにプログラムされているAIだという可能性は決してゼロには成り得ませんからね。それは宇宙の仕組みに書いた通り、夢の中で出会った人に「これは夢ですか?」と尋ねるが如くですからね。あなただけに自意識がある(主人公である)という仮説を否定証明することはあなたにとって不可能です。それはあなたが「水槽の中の脳」で仮想現実の中を生きているのだとしても、自分で気づくことは絶対に不可能なのと同じ事です。


実際、この世界は魂成長のための仮想現実プログラム(RPG)であり、創造主があなたという自分の分身(分け御霊)に対し「愛と勇気」を試すことを通じて成長を促すようプログラムしているものなのです。もしこのレベルから納得ができないのなら話になりませんので、これ以上読み進める必要はありません。時間の無駄です。


人間というのは魂(=神・プレイヤー)のアバターなのです。あなたはドラゴンクエストのような(主人公が世界を救うシナリオの)RPGの世界において、生まれた街にひきこもってネットや本などでボスキャラたちの悪事の情報集めばかりして「自分ではまるで敵いっこない」と絶望してエゴ(我欲と保身)に埋没して生きているようなキャラクターを主人公としてプレイしたいと思いますか?そんなキャラではゲームにはなりませんから、そのように目覚めを拒否するのが常識だと信じて疑わないアバターたちは、自動運転状態のAI・脇役NPCとしての人生を繰り返すだけになってしまうのです。NPCの自由意志は幻であり「自分の道は自分で選択している」という気分だけ味合わせてもらっているに過ぎず、主人公に目覚めないNPCは他の主人公の脇役・伏線上の受動的な奴隷にしかなれず、大同小異のつまらない未来しかありません。ゲームの本当のスタートは「主人公として目覚め、世界を救う覚悟(菩提心)を持つところ」なのです。


このRPGの世界において、未来のシナリオも最初から既に存在しており、死の苦痛は幻で、死んでも永遠にリスタートがありますから、本当はすべてが大丈夫なのであり、何も恐れるべきではないのです。どっちにしても大丈夫なのなら、やりたいことをやるべきでしょう。


ただしアバター(プレイヤー)の目線で全部が大丈夫だと完全にわかってしまったら、いたずらに死を恐れなくなって自分や他人の時間・命・資源の全てを大切にしないようになり、成長の物語・芸術として成立しません。みんな「世界は創造主により勝手に救われるから大丈夫だ」ってことで、エゴに埋没して自堕落的・退廃的に生き、誰一人主人公として目覚めて成長努力をせず、祈りさえしないことになるでしょうからね。それでは我々がこの世界に生まれてきた意味がなくなります。だから創造主はあらゆる手段を通じてまるで大丈夫じゃないかのように敢えて我々を不安に陥れているのです。

そして創造主は因果(善因善果・悪因悪果)というルールによってこの世を支配し、良いことをすれば幸せになり、悪いことをすれば不幸になるよう人生をプログラムしているのです。これは因果は創造主の天地開闢以来の絶対不変(普遍)の法則であり、あらゆる魂に対して公平なのです。

ただあまりに善因善果・悪因悪果がダイレクトに反映され過ぎると、創造主が人間に善行を強制しているに等しくなり、自由意志を与えた意味がなくなってしまいます。それでは人々は善果を期待して善行をするようになり、動機がエゴになってしまいますからね。もし人に親切にすれば必ず見返りが得られるのなら、親切の動機がエゴになるのは容易に想像できるでしょう。見返りを求めない親切だからこそ美しいのです。それゆえ創造主は因果に時間差などのギャップを設けてわざとわかりにくくしています。

そのために今現在だけを見れば良い事をしていても全く報われず不幸な人がいたり、悪い事をしているのに得をしたりしているように見える人がいたりしますが、それはこのRPGにおける必要悪のトラップのようなものであり、設定の要なのだと気づいて下さい。

これらの仕組みは決して我々に対する意地悪や嫌がらせで作られたものではなく、あくまでも創造主がその愛により、我々の自発的な成長を願って作り上げたシステムなのです。自由意志とは自発的な成長のために与えられているものなのです。世界は自分の解釈次第に創らていますから、その創造主からの愛を悪く解釈すれば、本当に罰ゲームみたいな人生になってしまいますし、不安に捉われればきっと本当にその不安が実体化してしまうのは当然なのです。あなたは「もちろん自分の解釈次第ではあるとは思っていますが」とおっしゃっていますが、ご質問内容から察するに、まるで理解されているようには思えません。

僕らは創造主の分け御霊であり、彼自身でもあります。創造主が自分に対する意地悪や嫌がらせでこの世界を創るわけがないのです。もちろん創造主には全人類、全霊魂の救済計画・メシア(菩薩・仏陀)化計画のシナリオがあるのです。でもそのシナリオ通りに創造主が全てを直接やってしまったり、プレイヤーたちに直接答えを教えて半ば選択を強制したりしたら、ゲーム要素(成長要素・芸術要素)がなくなります。それは美術の先生が生徒の課題をやってしまうようなものですからね。だから創造主は世界を本人次第に創っているのであり、あなたが世界を絶望的だと思うのは、信心・感謝の気持ちを持たず不平不満や恨みで解釈しているから、実際にそのようになってしまっているだけです。

創造主が世界をその主人公次第に創っているのは、自分の分身である我々に「願いが叶った」「祈りが通じた」「努力が実った」という経験をさせたいからです。なぜならそれは全知全能の「思っただけですべてが実現する」創造主には直接的には経験できないことだからです。だからこそ創造主は人間の能力を大幅に抑制し、因果の法則をはじめとしてたくさんの法則(ルール=制約)を設けて、簡単には人間の思い通りにならないよう、願わない・祈らない・成長しない人間は不幸に陥るようにプログラムし、様々な人や出来事との出会いを通じて、我々に自発的に気づかせ成長努力をさせようと導いているのです。ですから当然ながら創造主は世界が救われるよう本気で願わない・祈らない(神を信じない)・成長努力もしない人間をその意思とは無関係に勝手に救って幸せにすることはありません。世界はあなたという主人公が救わずとも勝手に救われるようにはプログラムされていないのです。逆にあなたが救おうとしなければ世界は悪くなっていく一方になるでしょう。

人生は「愛と勇気」を試して成長を促すためのRPGなのですから、このRPGの世界全体があらゆる手段を通じてあなたを怒らせ、また脅して不安にさせ、絶望させ、エゴ(我欲と保身)に埋没して堕落するように差し向けてきます。そうしなきゃ「愛と勇気」は試されませんから、至極当然のことです。

例えばあなたに巨大なプールの水を運び出すという課題が与えられたとしましょう。ところが最初はおちょこのような小さな器しか与えられていません。今のあなたはとりあえずその小さな器で水を運び出し始めるのではなく、一生懸命に情報を集め、プールの水の量と自分の現在の排水能力を計算・推測し「時間的にも労力的にも絶対に無理だ」と何も始める前から絶望しているようなものです。


しかし人間の器というのは成長と共にどんどん大きくなっていくものなのです。RPGというのは主人公の成長に合わせてシナリオ上必要な時に必要なものが必要なだけ与えられるようにできていて、それは人が冒険を始める前に計算・推測できるようなものではないのです。そしてドラゴンクエストと全く同じ様にあなたの人生というすべてがプログラムされたこのRPGの世界において、やり始めればいつか成長して目標を達成できることはシナリオ上最初から確定しているのです。

ドラゴンクエストだって初期設定のレベル1ではボスキャラとは途方もない実力差があるのは当前であり、最初からボスを倒せるだけの能力・アイテム・仲間・情報が与えられていて見込みが完全に立っていたら何の成長要素も芸術要素もなく何も面白くないでしょう。それらを冒険して経験を積みながら得て行き、その圧倒的な差を覆す大逆転劇を起こすところがRPGの醍醐味なのです。それなのにあなたは初期設定である「自分とボスキャラたちとの実力差」を嘆いて「自分が何をしても無駄だ」と勝手に絶望しているわけで、それがいかにナンセンスなのかってことに気づいて下さいね。

「自分なんて能力も価値もなく大した人間じゃないから世界なんて救えるわけがない」「最初から幸せな世界が実現されてないならゲームをしたくない」というのは典型的なNPC思考であり、そこを改めなければ決して主人公になれませんし、成長も覚りも幸せもないのです。RPGで課題を用意している側のクリエイターが自分で用意した課題を自分でクリアして、最初から平和で幸せな世界を実現してしまったら、ゲームの電源を入れた瞬間にエンドロールになるようなもので、ゲームとして成立しないのです。


どんなRPGも世界が悪者に支配される一歩手前の絶望的なディストピアから始まって、そこから主人公を起点に大逆転を起こすシナリオになっているのは当たり前のことであり、だからこそ面白いのです。そしてあなたの人生のシナリオもきっとそうなっているのです。あなたが主人公なのであり、すべてがあなた次第という点において、夢と現実に本質的な差はないのです。もちろん「信じる信じないはあなた次第」ですけども、自分を主人公だと信じないことが典型的なNPC思考なのです。


さて、ボスキャラの実力に絶望し、主人公としてどうやって世界を救えば良いか見当もつかないあなたに、重要なヒントを差し上げましょう。まぁこれも既に「生まれの格差について(陰謀論)」で書いていることなのですけど、あなたは全く理解できずスルーしている感じなので、よりわかりやすく説明します。

世界は創造主により、すべてがフラクタル(相似形)に創られています。フラクタルというのは異分子の存在を許さず、すべてを自分と同じ型にしようとするフラクタル連鎖を起こします。ただし全部が最初から一つの型のフラクタルなのでは物語は生まれませんから、創造主はこの世界を陰陽二元的に作り、その覇権を争わせているのです。つまり天使と悪魔を作り、その代理戦争をこの次元においてやらせることで物語を生み出しているのです。それは磁石の両極のようなもので、この次元においてはどちらか一方がなくなるということはありません。RPGで敵がいなくなったらゲームにはなりませんからね。ゾンビの出て来ないバイオハザードはゲームになりません。だからこそこの世界のNPCたちはエージェント・スミスのようにみんなを自分たちと同じ脇役NPCのコピーにすべく迫ってくるのであり、それもフラクタル連鎖なのです。だから主人公であるあなたは決してそれに屈せず、みんなを主人公として目覚めさせるフラクタル連鎖を起こさなくてはならないのです。

我々の目には見えないだけで、世界は本当に天使(光・愛・智慧・真理・ワンネス)と悪魔(無明の闇・エゴ・愚かさ・迷い・我欲・保身・分離意識)の戦いの場なのです。そしてそのフラクタルの覇権争いが、それが我々の心や体の中でも地球上でも全宇宙でもフラクタルに行われているのであり、まさにそこに「このRPGのシナリオの核」があるのです。


オンラインゲームのように、あなたは他の人と重ね合っているフィールドは共有していても、別な世界に生きています。ただしそれはフラクタルに創られており、あなたが出会った人はみんなあなたの世界の住民であり、あなたは他のログインプレイヤーの世界の住民なのです。だからあなたが主人公として目覚め、自分の中の悪魔と闘い、自分の世界の住民たちも目覚めさせて幸せに導くことができたら、それはフラクタルに連鎖していつか世界が目覚め、必ずみんなの世界が救われる時代が来るのです。

このフラクタル連鎖というのは指数関数的に広がるもので、最初はゆっくりに見えても、果てはとんでもないスピードで広がっていくものなのです。この指数関数的な倍々ゲームの増え方というのは我々の感覚と全く違い、例えば新聞紙を50回折るとその厚みは月に到達し、100数回も折るともう観測宇宙の限界460億光年すら軽く超えてしまうのです。(細菌・ウイルス・がん細胞などの増え方も倍々ゲームだから凄まじいのです)


あなたはどこか遠くに巨悪が存在して自分にはどうしようもない存在だと思っているようですが、巨悪というのはすべからく我々みんなの心に住む悪魔(無明の闇・エゴ・愚かさ・迷い・我欲・保身・分離意識)がフラクタル連鎖することによりなされているものなのです。

あなたが現在恐れて絶望している巨悪もまさにそのように一人ひとりの悪魔が連鎖して生まれているものなのであり、もし我々がイメージするような純粋な悪が存在するならそれはみんなに嫌われて連鎖せず基本的に単独犯になり、巨悪には成り得ないのです。

この世界の巨悪はとてつもなく強大に見えてとても太刀打ちできそうになく絶望的なように感じますが、元々は一人ひとりの心に住む悪魔(エゴ)がフラクタル連鎖してできたものですから、一人一人が自分の心に住む天使(愛)をフラクタル連鎖させていけばいつか巨悪も必ず倒せるのです。そしてその大逆転劇の起点となるのが主人公であるあなたの使命なのです。

例えばあなたという主人公がゴミを拾えば、それが最初は全然見えなくても世界にフラクタル連鎖するのです。寄付などもそうです。現時点でお金をいくら出せるかは関係ありません。現時点で持っているお金から何パーセント出せるかというのが大事で、それが世界にフラクタル連鎖するのです。わかりやすい例を挙げましたが、実際はあなたのありとあらゆる思考・行動が、最初からは見えないだけで必ずフラクタル連鎖するのですから、今現在のあなたのネガティブな思考・行動がどれだけ世界に悪影響を与えているか考えて、ポジティブな思考・行動に切り替えて下さいね。

この戦いはとてもスピリチュアルであり、すべてが他人事ではなく主人公である自分の戦いなのだと理解して下さい。自分が成長せずに他人を変えようとしても変わらないようにこの世界はプログラムされているのです。そして物質世界において権力(強制力)でもって権力者(他人)に立ち向かおうとしても、相手の力は強大ですから必ず潰され、余計に権力者は権力を増してしまうのです。

お金は権力(強制力)の分譲券であり、今の世の中みんなお金という見返り・強制力によって安易に他人を動かす権利を得ようとして、それが常識(仕方のない事)として正当化されています。それはこのRPGの初期設定であり乗り越えるべき課題ですから。そしてお金を多く得てエゴ(我欲と保身)を満たすために嫌な事・悪い事でも平気でやる悪魔になります。でもそこまでしてみんながお金を欲しがれば欲しがるほど、お金とお金を牛耳っている人たちの権力を増してしまうだけになるのは当然でしょう。だからまず自分からエゴを乗り越えて、お金の為に働くというのをやめ、ミニマムな生活をして、本当に人の役に立ててお互いに嬉しくなれることを、どれだけ収入が低くてもやるべきなのです。そしてお金に困っている人と出会ったらどんどん無償で助けてあげることです。お金を取ったら愛は伝わらないのです。セックスでお金を取ったら売春になって愛が伝わるわけがないのと同じ事です。

だから僕は常に無料で人助けをしています。いくらお金がなくても生活なんてどうにかなるのがわかってますからね。もちろん今の社会のシステムの中では最低限お金がないと生きることは非常に難しいのですが、僕は断食・乞食・ホームレスをして過ごしましたから、お金がまるで空気のように必要不可欠なものであり一番大切なものであるという金拝主義的(悪崇拝的)な価値観からは脱しています。最低限の収入で僕は幸せに生きてますし、もし国民の大半がその最低限の収入以下になるほど体制側が国民を圧迫するのなら暴動が起きて支配体制は転覆するでしょう。資本主義は限界を迎えており、みんながワンネスに目覚めて完全な共存共栄の世界が実現する日を楽しみにしているぐらいなので、僕は何も心配していません。

キリストが「神と富の両方に使えることはできない」と言った通りで、お金というのは悪魔が人を悪魔にするフラクタル連鎖を起こすためのツールであり、悪魔そのものともいえるものなのです。もちろんそれは磁石の片極のようなものであり、このRPGにおいてはゴールに至るまで完全になくすことはできませんが、だからといって主人公であるあなたが最初から諦めて、エゴ(我欲と保身)のために生きる脇役NPCとして生きてはいけないのです。

あなたが世界の平和と幸福を願い、神を信じて祈り、そして六波羅蜜を行じてエゴを乗り越えて目の前の人を無償で助け、許し・尊敬し・感謝し・愛することができるよう日々実践を通じて成長努力を続けるなら、それは指数関数的にフラクタル連鎖し、いつか強大な悪魔にも勝てるのです。(仏教の修行を全て出家が必要な厳しいものであるかのようにイメージしないで下さい。人生そのものが修行なのです)

楽器の演奏と同じで最初からうまくできないのは当たり前ですから、最初からうまくできないからといってすぐ諦めないで下さいね。どんな困難に直面しても、ゲームクリア(真の覚り・アセンション・地上天国実現)を簡単に諦め、ベクトルを後ろに向けてはならないのです。

世界を救うのに最初から権力者や有名人になる必要はありませんし、最初から高い能力は必要ありません。それぞれにシナリオがあって、能力や富や名声などはそのシナリオ上必要な時に必要なだけ与えられる副産物のようなものであって、主人公が課題クリアする上での絶対条件ではありません。むしろそのように能力を価値だと勘違いし、権力を目指せば必ず他人を見下すようになり、より大きな権力と能力を持つ者のエゴの餌食にされる(フラクタル連鎖に取り込まれる)だけです。権力(強制力)そのものが悪魔だとも言えます。世の中を良くしようと理想に燃えて政治家や実業家になった人たちはほとんどが権力欲(金銭欲・名誉欲)という悪魔に憑りつかれるのです。そうでなければ世界はとっくに救われているでしょう。今の世界が不幸なのはあなたが主人公の物語の伏線なのだと気づいて下さい。

大切なのは実際に出会った人の許し難き罪・欠点・過ちを許し、補い、愛し難き人も愛することです。あなたはただ目の前の人と愛により無償で助け合う連鎖を目の前から起こしていけばいいのです。エゴ(我欲・保身・分離意識)を乗り越え、日々実践を通じて愛(真理・ワンネス)に目覚めて行く連鎖です。それを起こした人間は、例え世間的にまるで何の権威・権力もなく有名人ではなくても、世界を救うメシア(主人公)なのです。

そして常に正義より愛を優先させることです。みんながそれをしたなら世界が救われるのは容易に想像ができるでしょう。逆に真理(愛)の実践の連鎖を通じてしか世界は決して救われないのです。実際に出会ってもない人の不幸や悪事を言い訳にして絶望して諦めないで下さいね。

ガンジーの非暴力・不服従運動と同じで、真理(愛)というのは他人に強制しなくても、自ら実践するだけで連鎖してくものなのです。


この世界は魂の成長プログラムなのですから、成長方向と逆のことをすればどんどん不幸になっていくようにできています。そういう世界で創造主は我々に自発的に気づいて思考と行動を改めて成長して欲しいと願っているのです。創造主はそのために我々に自由意志と無明(愚かさ・迷い・課題・試練・カルマ)を与えているのですからね。だから成長すればするほど、真理に近づけば近づくほど自分も周囲も幸せになるように創造主は世界を作っているのであり、今あなたが不幸なのなら、それはどこか考え方が間違っていることに創造主が気づかせようとしているということなのです。

あなたが僕の言うことを創造主からのメッセージだと信じて受け入れてくれるかはわかりませんが「信じる信じないの基準」に書いた通り、その思考・行動によって自分も周囲も幸せになるかどうかでそれが真理に近いかどうかは判断できるのです。

覚りとはまず与えられた人や出来事との出会いを縁(運命)だと信じ、自分の成長にベストなものが与えられていると心から感謝し、全力で愛することです。もっと良い人・出来事と出会えるのでは?とか縁に対して不平不満に思っって目の前の人を全力で愛さなかったり、今までの自分がしてきたことや自分に起きたことを「自分の成長に必要な過程だった」と愛せずに後悔し、また誰かを恨んだりしているようでは幸せにはなりようがないのです。

何かを感じ、愛し、そういう経験ができる「存在」として「現在」が与えられていること。そういうことに心から感謝できるようになることです。あなたはそれが他人にも与えられている当たり前のものだと考えているのでしょうが、それが他人に本当に与えられているかどうかは究極わかりません。そしてすべてを与えし創造主にとって、そのように他人と比較してより良いものが与えられなければ感謝できないという人の感謝には価値がないのです。今与えられているものに不平不満ばかりで感謝できない人間にもっと与えたところで不平不満しか返ってこないのは目に見えていますしね。「当たり前」は「有難い」の反対であり、何事も意識して当たり前だと考えないことが大事なのです。

臆病さ・怠惰さというのもエゴ由来であり、自己保存本能(保身)ゆえなのです。分離意識を乗り越えて愛に目覚めみんなが無償で助け合い補い合い愛し合うワンネス連鎖が世界の隅々まで行き渡れば、戦争・貧困など世界の大きな問題はすべて解決して地上天国が実現(ゲームクリア)するのです。

決してあなただけでなく、人間というのはみんなとても臆病かつ怠惰に初期設定されています。なぜなら最初から何も恐れずどんどん前に進めるような人の勇気には価値がないからです。臆病者が振り絞る一握りの勇気にこそ価値があるのです。そして創造主はあなたが愛と勇気を振り絞って前に進み成長するところが見たいのです。

「勇なき愛は欺瞞であり、愛なき勇は蛮勇である」真也(創造主の代弁)
彼女を愛してると言いながら彼女が暴漢に襲われている時に一目散に逃げ出すような男性の愛は欺瞞であり、しかるべき準備もなく名声目的で冬季のエベレスト登山にチャレンジするような単に無謀で愛が動機ではない勇気は蛮勇だということです。

もし今後何かの選択肢が目の前に現れたら、常に「より愛と勇気が必要な方」を選んで下さい。必ずそちらが正解ですから。そのことに経験的に気づいていければ、あなたはブレーキが壊れたかのようにものすごい勢いで前に進めるはずです。

それでは、あなたの目覚めと幸せを心から祈っています。

2023年4月4日火曜日

優生思想も創造主のシナリオですか?(再質問)

【質問】20代後半・男性
先の質問優生思想も創造主のシナリオ通りですか?において、優生思想(人に上下をつけて序列付ける考え)は乗り越えるべき課題であると仰られていたと思いますが、個人的には優生思想は人間及び全ての生き物の本質なので完全瓦解は不可能だと考えています。

人類も今まで優生思想で相対的により良い遺伝子を残し、そうでない者は排除(積極的に虐げる訳でなく、受胎者である女性が遺伝子を受け入れないため自滅)して来たために、ここまで人類は発展したと考えています。どこの国でもどの時代でも人間は階級制を築いて序列を築いて国家やコミュニティを運営して争いや悲劇を繰り返して来ました。このような本能的な部分が人類に与えられた無明(課題)であるというのは肌感で理解しています。

しかし、社会性においても人間の本質そのものでもある子孫繁栄にも優生思想はかなり深く関わっているので、優生思想を乗り越える=人間の存在そのものの否定に繋がるのではと思いました。

また、子孫繁栄そのものが人間の愚かさや無明の象徴であり、乗り越えるべき課題で共栄共存社会を目指すなら人類という種が子孫を繋がずに滅ぶことも受容するということでしょうか?

個人的に人間が子孫繁栄という行為で種を繋ぐ以上、仕組み的にどうやっても人の優劣というものを無くすのは不可能であると思いますが、そこに関しては真也さんはどのような意見を持っていますか?

そもそも私たちが生きている現世での勝敗には大した価値は無く、全て魂の成長を促す過程でしかないという認識でしょうか?

批判ではなく、単純な疑問ではありますが気を悪くされたら申し訳ありません。

【回答】2024年9月1日更新
ご質問ありがとうございます。このように感想や再質問など反応をいただけることはとてもありがたいことです。反応がないと質問者さんにちゃんと伝わったかどうかがわからず、こちらも説明の仕方を改善しようがないので。

ただ、僕が前回あれだけ一生懸命ご説明したことがあなたには何一つ伝わってないようで、とても残念に思います。あなたには僕の言うことを理解し受け入れようとする姿勢が全くなく、認めたくない・反論したい動機が先にあって、意図的に曲解・誤解しているようですし、あなたがおっしゃってることは僕からするとあなた個人の理不尽な思い込みの産物であって全く論理的ではないと感じます。

>>個人的には優生思想は人間及び全ての生き物の本質なので完全瓦解は不可能だと考えています。

あなたがあくまでも個人的にそう考えたいのでしたらご自由にどうぞ。あなたの世界はあなたの世界観・価値観(解釈)が創っているんですから、あなたの人生はきっとその通りになるでしょう。まさにこれ↓です。

「世の中は自分の思い通りにならない」と思う人にとって、実際世の中は思い通りにはならないのであり、それはやっぱり「世の中は自分の思い通りにならない」という思いの通りになっているということです。

しかしあなたはそのような世界観・価値観(解釈)で生きていて幸せなのでしょうか?「人の価値に序列をつけるような考え方」では、あなた自身も周囲の人もきっと幸せにはならないでしょう。

信じる信じないの基準に書きましたが、真理というのはそれを覚り実践する人を幸せにするようにできているのです。だからその考え方が真理かどうかは、それを覚り・実践することにより、みんなが幸せになるかどうかでわかります。もしあなたの考え方や行動によってあなた自身も周囲の人たちも幸せにならないのなら、それはどこかが間違っているってことだと僕は思います。そのレベルからあなたが信じたくないというのでしたら、まぁそれもご自由にどうぞ。

しかしもしあなたの考えが正しくて真理なのなら、きっと幸せに生きているはずであり、なぜわざわざ僕に質問をされるのかわかりません。僕がどう考えるかも僕の自由であり、僕は幸せに生きていて、討論など望んでいません。ここは質問箱であって、討論箱ではありません。あなたがあくまで自分の考えの方が正しいという前提で、こちらの話を受け入れる気が最初からないのなら、わざわざ僕に質問・相談をする意味がないと思います。

どうやってもあなたを傷つけずに伝える手段が見つからないので単刀直入に言いますが、あなたが「優生思想」を「覆すことが不可能な本質・真理」だと頑なに主張する動機は、異性から愛されずにやさぐれて「どうせ自分なんかダメだ」と考えて、大した努力もしない自分を被害者として自己正当化し、世を憂いて自己憐憫したいからかと思います。しかし創造主は我々に自発的な成長を願ってこの世界の仕組みを創っているのであり、そのように被害者意識で成長を拒否すると不幸に陥るようにこの人生というRPGをプログラムしているのです。

人のネガティブな思考・行動というのはすべからく過去の傷から逃避するために誤った悟り方をしているからであり、あなたにはきっと「異性から受け入れられず愛されない」という心の傷を世の中のせいにしたいという動機があるわけで、それが変わらない限りいくら僕が「世界は自分の解釈次第にできている」と論理的にあなたを諭して「覚り(幸せ)」に導こうとしてもきっと無駄でしょう。あなたは「どうせ自分は努力しても無駄だ」と自分の「成長努力の放棄」を自己正当化したいのですから。

それでも僕はあなたの理不尽な質問にあらためてきちんと全力で論理的に回答させていただこうと思います。それが使命ですからね。

全ての存在の根源は創造主なのですから、あなたのようにネガティブな世界観(解釈)で生きていれば、異性も含めみんな(人・神々・運命・縁)から愛されなくなるのは当然であり、あなたの容姿や能力などがその直接的な原因ではないと思います。

あなたは「人が容姿や能力で優劣をつけるのは当然のことで、生物の本質である」と考えているわけですから、仮にあなたと一緒になってもいつか年老いて容姿や能力が衰えればあなたから愛されなくなり、あなたも自分自身を愛せなくなるのは確実であり、そのように暗い未来が目に見えているのですから、異性から避けられるのは当然でしょう。(落ち込まずに考え方を改めて明るい未来を選択して下さいね)

この世界はすべてが陰陽二元的に存在しているのであり、磁石のようにポジティブもネガティブも片極だけでは存在し得ないのです。ネガティブ(課題)側だけが「完全瓦解」してしまっては、人生という魂成長のゲームは成立しません。

例えばゲームする前からゾンビが完全瓦解していて出て来ないバイオハザードに存在意義はないでしょう。バイオハザードにおいてゾンビは克服すべく与えらえれた課題であり、世界がゾンビウイルスに支配されることが「完全瓦解は不可能な真理」ではありません。人生も無明の闇(課題・愚かさ・迷い・エゴ)があるからこそ光(智慧・真理・愛)は存在でき、存在意義(価値)が生じているということです。優生思想というのはその無明の闇の最たるものであり、進化論という虚構を根拠とした、人類が克服すべき課題なのです。

無明というのは般若心経に「無無明 亦無無明尽」とある通りであり、それを僕に解説させるならば「我々の魂は元々光(智慧・真理・愛)そのもののような存在であり、本来は無明(課題・愚かさ・迷い・エゴ)など存在しないのですが、そのままでは魂は成長できないので、あえて無明という幻が尽きることなく存在するこの仮想現実世界へ魂の成長修行のために来ている」ということです。だからこそ般若心経は「我々の人生にどれだけ苦しいことがあっても、何も恐れたり迷ったりせず、ただひたすら真の覚りを目指すべきである」という主旨で書かれているお経なのであり、我々を真の覚りに導く応援歌なのです。

ですから、あなたが「無明(課題)は尽きることがなく、完全瓦解は不可能である」と決めつけて「優生思想は全ての生き物の本質である」「優生思想を否定することは人間を否定することにつながる」などと主張するのは論理が破綻していると思います。無明がない世界は目指すべきゴール(エンドロール)であり、それ(真理・悟り・彼岸)は航海における北極星のように目印にして進むべきものであって、実際に我々の次元において無明(課題)のない世界が実現されてしまったら、魂の成長の物語は成立しません。あなたのおっしゃることは「北極星には辿り着けるわけがないから北極星は目指さない」と言っているようなものです。真理(覚り)というものが我々の次元で完全に実現することは不可能だからって、初期設定として与えられている無明(課題)の方が真理だと考えるのはナンセンスだってことです。

どうか主人公として真理(愛)に目覚めて下さいね。他人(NPC)を基準にして考え、思い込みに過ぎない「常識(課題・初期設定)」を「絶対に変えられない真理」だと誤解し、人間はこういう生き物できっと変わらないから、自分もそれに合わせて生きていこう、みたいに考えていたのでは、いつまでもNPCを脱することができず、ゲームが始まりさえしないのです。

>>また、子孫繁栄そのものが人間の愚かさや無明の象徴であり、乗り越えるべき課題で共栄共存社会を目指すなら人類という種が子孫を繋がずに滅ぶことも受容するということでしょうか?

「子孫繁栄が無明の象徴である」なんて僕は一言も言ってません。あなたは何とか僕に反論したいという感情・動機が先にありきで、勝手に僕の主張を無理やり捻じ曲げて明らかな嘘を書いています。

僕は「子孫繁栄がみんなに共通する人生の絶対的な目標と考え、人の価値に優劣をつけ、異性から受け入れられない・子供が作れない人には価値がないと考えるその差別的な考え方こそが人類の乗り越えるべき無明(課題)である」と言っているのです。

人(主人公)それぞれにシナリオ・課題が与えられているのであり、子孫繁栄がその一部だという人もいれば、そうではない人もいるのです。しかし人の価値とは?に書いた通り、人にはそれぞれ等しく価値があるのです。人の価値に能力で序列をつけるような考え方を我々はまず主人公である自分自身から乗り越えて行かなければならないということです。

あなたは「共存共栄の社会を目指すと(優生思想よりも早く)子孫を繋げなくなって人類は滅ぶ」と考えているのでしょうか?おっしゃってることがあまりに理不尽過ぎて殆ど意味不明です。あなたは本当は僕の言うことが心の奥底では真理だと気づいているのに受け入れられないから、僕の言うことをわざと無理やりに曲解し・論理を放り捨ててまで反論してくるのでしょう。

>>個人的に人間が子孫繁栄という行為で種を繋ぐ以上、仕組み的にどうやっても人の優劣というものを無くすのは不可能であると思いますが、そこに関しては真也さんはどのような意見を持っていますか?

これも、あなたは「無明(課題)」というものを「無くすのが不可能である」ということを大前提として、それを乗り越える努力を最初から諦め、無明(乗り越えるべき課題)を「本質・真理」のように決めつけていますが、前述した通り、その論法自体が論理的に破綻しているのです。

何かの優劣というのは人それぞれが勝手に判断・解釈していることであり、絶対的な優劣が人それぞれの判断・解釈なしに最初から独立して存在しているわけではなく、優劣の絶対的な基準などどこにも存在していません。

能力などで「人の存在価値」にまで優劣を決めることこそが無明(課題)であり、それは人類が乗り越えるべき課題であって、実際に僕はその課題を自ら実践を通じて乗り越える修行の日々を送っているのです。それを他人であるあなたから一方的に「不可能」と決めつけられて否定されるのは心外です。

僕は優生思想・進化論が誤った解釈であり虚構であることについては、あなたの先の質問優生思想も創造主のシナリオですか?の中でとても論理的にご説明差し上げているのですが、それでもあなたがまだそれを理解し受け入れられないために、あなたを救いに導けないのはとても残念なことです。

>>人類も今まで優生思想で相対的により良い遺伝子を残し、そうでない者は排除(積極的に虐げる訳でなく、受胎者である女性が遺伝子を受け入れないため自滅)して来たために、ここまで人類は発展したと考えています。

それも単なるあなたの解釈であって客観的事実ではありません。あなたのおっしゃることはすべてにおいてそのように「客観的事実」ではなく「あなた個人の思い込み」を前提・根拠にしているからお話にならないのです。

あなたは世の女性がみんな優生思想によって常に男性を容姿や能力などで序列をつけ、その中で相対的に一番優秀そうな男性から順番に愛することでより優秀な遺伝子を残していると思っているのでしょうか?そして遺伝的に劣る男性は絶対に女性から愛されずみんなハブられると思っているのでしょうか?そしてそれが生物の本質であり、どの生物もみんなそうだと思っているのでしょうか?

もしそれが正しいのだとしたら、今生き残っている人たちはみんなそのような厳しい生存競争を何万年と勝ち抜いて進化してきた勝ち組の遺伝子を持つ優秀な者ばかりということになるでしょう。もちろんあなた自身も含めて。それではなぜ人間より能力が劣る猿が世界中でこんなに多種多様に栄えているのでしょうか?そして勝ち残ってきた遺伝子を持つはずのあなたが異性から受け入れられない理由は何でしょう?たまたま不運で容姿や能力や財力などが人類最低レベルに生まれたからですか?

もしそのように考えているのなら、あなたは本当に不幸な考え方をされていますね。それでは異性から避けられるも無理はないでしょう。(クドいようですが、落ち込まずに考え方を改めて明るい未来を選択して下さいね)

確かに世の中にはあなたが考えているように、男性を容姿やステータスなど表面的なもので判断する女性もそれなりにいるにはいるのでしょうが、僕はそういうタイプの人が本当に幸せになっているのを見たことがありません。愛のない結婚は、例えどれだけ他の面で恵まれていても地獄ですから。

女性は実際に結婚するとなったら、運命(縁)・感性(直感・相性)を最も大事にする人が圧倒的に多数派だと僕は思いますよ。もし優生思想が生物の本質だというなら、誰かと結ばれても常に「もっと他に良い人がいるのではないか」と考えることにつながり、それは当然「出会った人を全力では愛さない」ということに繋がります(まぁそういう人は世の中に結構いるんでしょうけどねw)。そのような考え方は愛(真理)とは相反するものであって、そのような考え方では結婚などしても幸せになるわけがなく、いつか破綻するのは目に見えています。

全ての人や出来事との出会いは天より与えられし縁であり、あなたはネガティブな思い込みが強過ぎるために何でもネガティブに解釈し、それゆえに天の愛を受け取れず、良縁を自ら遠ざけているのでしょう。人の価値に序列をつけるのが当たり前だと思っているような人は、どれだけ容姿や能力や財力に恵まれていても心から愛されるわけがないのです。あなたが女性から愛されないのは、決して容姿や能力や財産などが原因ではなく、単にあなたのネガティブな考え方が原因でしょう。

人にはそれぞれ個性が与えられています。個性というのは必ず長所と短所を含むものであり、それは補い合い・助け合い・愛し合うためのマテリアルなのです。僕は個性(長所や短所)をなくそうなんて考えていません。自分や他人の価値に優劣をつけ、蔑んだり排除しようとしたりする差別主義的な価値観をなくし、みんながお互いの個性を尊重し合える世の中を実現したいのです。(僕はこういう考え方をしているからブサイクでハゲでお金も仕事も語学能力も全くないオッサンでもモテちゃうんでしょうねw)

>>そもそも私たちが生きている現世での勝敗には大した価値は無く、全て魂の成長を促す過程でしかないという認識でしょうか?

仕事やスポーツなどで勝敗を競い合う勝負事も人間に与えられた楽しみの一つであり、多くの人の人生に共通したシナリオ(カルマ)の一部です。どんな勝負事も本来は我々が鎬を削り合い、またチームで協力し合い、みんなで応援し合い、お互いの成長を楽しめるように与えられたものです。そのような「能力×努力×協力」の勝負は、人の存在価値の優劣まで決めるものではありません。何かの勝敗によって存在価値まで左右されると考える愛のなさが不幸の元だと僕は思います。真理はワンネス(すべての存在は一つ=創造主)であり、価値があるのは存在(感情・経験)であり、それは真理に至るべく試行錯誤を続ける道の途中にあるのです。

それにしても「魂の成長を促す『程度でしかない』」とは、まるで魂の成長になど大した価値はないと言わんばかりですね。ではあなたが生きる上での最大価値は何ですか?あなたは自分がいったい何のために生まれてきたと思っているのですか?

「半身の英雄」ザイオンさんの背中には「No Excuses(言い訳はしない)」と書かれています。これを見たら生まれを言い訳にすることは恥ずかしいことだとわかるでしょう。


>>批判ではなく、単純な疑問ではありますが気を悪くされたら申し訳ありません。

いえ、こちらこそ気を悪くされたら申し訳ありません。せっかく創造主が僕を通じてあなたに真理を伝えて救おうとしているのに、僕の未熟さゆえにきっとあなたを傷つけてしまって意地でも理解したくなくなるような書き方をせざるを得ず、結局全く伝わらないであろうことはとても残念に思います。どうかあなたに神仏の導きと救いがありますように。

僕自身も長年鬱の経験があるので、あなたのお気持ちも考え方もよくよくわかるのですが、今のあなたの考え方は鬱状態に陥る人(霊障に犯されている人)に見られる典型的なもののように感じます。そして鬱状態の人というのは他人の話が聞ける状態にはないのです。だからなたがもしリアルで出会った友人であるなら、僕はあなたの言うことを否定せず、真剣に聞いてあなたの存在を承認し(許し・感謝し・尊敬し・愛し)、あなたの自尊心を上げることだけに徹していたでしょう。

ただネット上の「質問箱」ではその性質上、僕が意見を言わずに相手の話を聞くだけでは成立しません。鬱状態の人は、相手の意見が自分と違うというだけで自分の存在まで否定されたと感じて傷ついてしまいますから、鬱状態の人を傷つけずに僕が意見を言うことはできないのです。どうぞご容赦下さいませ。

僕はただあなたを幸せに導きたいだけで、決してあなたを論破して勝ち誇りたいわけではないのです。あなたは議論を勝ち負けと捉え、自分の考え方が否定された=自分は劣っていると感じてプライドが傷つき、無理やり曲解・誤解して論理をかなぐり捨ててでも僕を否定せずにはいられなくなっているのでしょうけども。

しかしあなたの本体は魂であり、あなたの意見=あなた自身ではありません。今までの考え方の間違いに気づいたらどんどんそれを更新して魂を成長させていけばいいだけのことです。自分の今までの考え方を更新し、成長する経験こそが人生の醍醐味なのですから。今までの自分の考え方に固執しそれを自分自身であるかのように考えて常に防衛しようとし続けたら、いつまでも成長できなくなってしまいます。成長を目指すことは過去の自分を否定することではなく、過去の自分も成長を経験するのに必要な過程だったと愛することです。蝶を愛でることは芋虫を否定することを意味しません。

ただ単に現在のネガティブな自分の思い込み(常識)を守ってそれをより強化していくだけで更新することがない人生なんてつまらないですよ。この人生というRPGは愛と勇気を試し成長を促すためのものなのですから。

もしよろしければ他の質問生まれの格差について(陰謀論)」「未来に絶望したくなる」「ルックスに対する劣等感」「どうしたらモテますか?の回答もご覧いただけると幸いです。

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

2023年4月2日日曜日

ルックスに対する劣等感

 【質問】20代前半・男性
初めまして。

不幸自慢ではありませんが、自分は生まれつき体の線が細く、身長も160cm代と低く学生の頃からかなり揶揄われて来ました。中高生の時は自分が好きになった女子が陰で自分の体についてバカにしてたり、クラスの男たちからチビなのは男としてダサいwwみたいに言われたりしました。

こういう経験をしたからか、自分は今でも人から見下されるのがめちゃくちゃ怖いです。行動や意思決定の際に自分がしたいかどうかより人から見てどう映るのか、馬鹿にされたりしないか?ということばかり気にしてしまいます。気にしても仕方ないのは分かっていますが、どうしても人から見下されたくないという気持ちを改善することができません。自分の悪癖に対するシンヤさんのアドバイスをお聞かせ願いたいです。

また、男として〜〜みたいな意見に縛られるのは良くないと思いますか?


【回答】
ご質問ありがとうございます。僕もコンプレックスによって目覚める前までの人生の大半をスポイル(台無しに)してきた人間なので、お気持ちはよくよくわかります。

まず、特にあなたはまだ若いので、もう少し自身のコンプレックスというものに対して反発心を持ってもらいたいです。

コンプレックスに苛まれている時は、己の不幸をすべてそのせいにしてしまい、自然と孤独になって周囲が見えなくなるものですが、世の中にコンプレックスが何もない人間というのはいないのです。それはあなたがうらやましいと思うような世の成功者たちにも必ずあるのです。実際、政界・経済界・芸能界などを見ても、世の成功者というのは背が低い人がかなり多いですし、そうでなくても貧困など何らかの理由で恵まれない幼少期を過ごしてきた人がとても多いのです。

悪いカルマの解消法」にも書きましたが、コンプレックスは創造主が人それぞれみんなに与えているプレゼントであり、それがカルマ(=魂の成長のために与えられた課題)なのです。世の成功者の多くはコンプレックスに負けないようそれをエネルギー(原動力)に変えて努力を続けてきた人であり、逆にコンプレックスが弱くてそういう反発エネルギーがない人はきっと成功しないでしょう。コンプレックスは創造主から成長を期待されて与えられている宝物なのです。だから己のコンプレックスをポジティブなエネルギーに変えられず、バカにされる度に傷ついて気落ちし、我が身の不幸を嘆くばかりで努力しない自分をコンプレックスを理由に正当化し、最初から負けを認めて諦めているような人は、そういう人生になる定めなのです。


ボールは圧力をかけられることで反発して前に飛ぶものであり、凹んだまま穴が開いて空気が抜けてしまうボールの様になってはいけません。そしてあなたをバカにしてくる人はたいまつのように火をつけてくれているのであり、湿気ってばかりで全く燃えないのでは時代の暗闇は照らせません。

ポジティブさ・明るさってものすごく大事ですよ。あなたは無自覚にいわゆる鬱状態に陥っていて、自分が暗くてダメな人間だと思っているかも知れませんが(僕も鬱の頃は自分をそう思っていました)生まれつきネガティブで暗い人間などいないのです。もしあなたがネガティブで誤った考え方を積み上げてきたことに気づいてそれを乗り越えて赤子のように屈託のない明るさを取り戻すのなら、きっと同じようにネガティブで暗くなっている人を明るくして救えるメシアになれるでしょう。というか、そうなることが使命なのであり、今までコンプレックスにスポイルされ残念な青春を過ごしてきたのも、あなたなりに衆生を救うという使命を果たすために与えられたカルマ(課題・設定)なのだと愛で解釈して下さい。

宇宙の仕組み」に書いた通り、世界はP2Pのネットゲームのようなもので、ログインしている時点(自意識が存在する時点)で、自分が世界の主人公なのです。それがぴったり重なり合っているためにみんな客観的世界が存在すると錯覚し、自分をその世界のわき役のように思っていますが、その錯覚こそが人間に与えらえた無明なのです。そしてその無明による劣等感・無価値感を乗り越えて自分が主人公であること・自他の存在にとてつもない価値があることに目覚めるところが尊く素晴らしいのであって、それがこの人生というRPGのシナリオの核なのです。人生というRPGはすべからく主人公である自分次第にデザインされているのですから、変わるならまず自分からです。

創造主は因果応報という法が支配している世界を作り、あなたの魂が自分に与えられた自由意志により自発的に成長しようとする姿を一秒も休むことなく見守っているのです。あなたのことを表面的にしか見えていない他人の評価を気にして自分を偽るのではなく、あなたのすべてを見ている創造主が自分をどう評価するかを考えて下さい。そして創造主があなたに移譲した「自分自身を評価する」という最も尊い権限を、易々と他人に譲り渡さないで下さい。

人生はRPGであり、また映画でもあります。主演の自分を勝手に端役だと勘違いし、自分に与えられた配役・シナリオに不平不満ばかり言って全力で演じようとしない俳優に、監督(創造主)がより良い配役・シナリオを用意してくれるなどということはありえないのです。

自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。真に大人になるということは、自分に与えられた困難も、自分の魂の成長に必要だから与えられたのだと感謝しながら乗り越えられるようになることなのです。他人が羨ましいと思うものが与えられなければ感謝できないという人の感謝に価値はありません。既に与えられているものに感謝できない人間に、創造主はもっと与えようとは思わないのです。それどころか既に与えられたものまではぎとられ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうことでしょう。まず何かを経験し、感じることができる主体者として人生を与えられていることに感謝できるようになって下さい。「そんなの他人にも与えられている当たり前のものじゃないか」と他人との比較で幸不幸を判断し、感謝するかしないか決めようとすることが不幸の元凶だと気づいて下さいね。「当たり前」は「有難い(感謝)」の対義語なのです。

あなたにはあなたという主人公だけにアレンジされた魂の成長のためのシナリオがあるのであり、自分を他人と比べて不平不満に思うこと自体が贈与者たる創造主への不義なのですから、それは当然その分身たる自分に返ってくるのです。

主人公のあなたにはそのシナリオ上で最もふさわしい外見が衣装のように与えられているのですから、それに文句を言うのではなく愛で解釈し、感謝しながら、未来に用意されているシナリオの中で、よりよいシナリオを掴んでいくことが大事です。「自由意志は存在するか?」に書いた通り、人生は行動の選択ではなく解釈の選択(世界観)により創られるのですからね。愛で解釈するか恨みで解釈するかでシナリオは全く違ったものになります。

外見を誰かにバカにされても、それは衣装のようなものであなた自身(魂)ではありません。与えられた衣装が面白いなら一緒に笑えば良いだけです。自分の人生を俳優目線ではなく創造主目線で見られるようになって下さいね。「詐欺被害に遭って悔しい」にも書いていますが、自分を笑う視点を持つことは幸せに生きる上でとても大切なことなのです。外見に対する他者評価ぐらいでいちいち傷ついているようでは幸せになりようがないです。

特に日本人は幼少期から常に他者評価に依存するように洗脳されています。「人の価値とは?」に書いていますが、世の中みんな他者評価依存で、人間の価値が「存在」にではなく「能力」にあると思って人の価値に序列をつけるような差別主義者だらけになっています。それがあまりに常識になり過ぎていて、誰もそれを疑う視点すら持てていないのです。そしてそれこそが我々に共通した乗り越えるべきカルマ(課題)なのです。

人生というRPGにおいて、他人はすべからく脇役のNPCであり、タチの悪い常識を押し付けて、映画マトリックスのエージェント・スミスのようにみんなを自分のコピーのようにして脇役に引きずり下ろし、主人公として目覚めることを阻止してきます。そしてこのRPGはあなたの愛と勇気を試し、魂の成長を促すためのものなのですから、世界はありとあらゆる手段であなたを脅し、傷つけ、怒らせ、失望させ、堕落させてきます。しかし主人公であるあなたは、決してそれに屈してはいけないのです。思考・行動の選択肢があるのなら、常により愛と勇気が必要な方を選んで下さい。最終的には必ずそれが正解になりますから。

あなたは体が小さく華奢な男には価値がないかのように思い、自分を蔑むのが趣味みたいになっているようですが、それは世の中に山ほどいる体が小さく華奢な男みんなを蔑んでいるのと同じなのです。まずあなた自身が「能力などにより人に序列をつける考え方」をしている差別主義者になっていることに気づかなくてはいけません。あなたも他人も等しく創造主の分身であり、自分を蔑むのも他人を蔑むのも同じ事で、それは全部自分自身に返ってくるのです。

他人から評価されなければ価値がないと思って傷つき、自分を偽ってまで他人に評価されようとするのは社会病理です。このあたりの話は「嫉妬・劣等感で苦しい」にも書きました。特に日本人は幸せでさえもステータス(他者評価)と誤解し、見下されて傷つかないために幸せを装い、幸せそうに見られることで幸せを感じようとし、いつも他者評価を気にして自分を偽るために逆に本当の幸せからどんどん遠ざかっています。

どうかもっと自分自身も他人も無条件で許し愛せるようになって下さい。「反省してはいけない」にも書いてますが、人が良い思考・行動をし、悪い思考・行動に自ら歯止めをかけるのは自尊心が原動力なのであり、自尊心が高まれば自然と人は自分をもっと好きになるように思考・行動するようになり、嫌いになるような思考・行動は自重するようになるのです。だから自尊心を育てることが何よりも大事で、自分の自尊心も他人の自尊心も下げてはいけないのです。世界はすべてが同一の存在(ワンネス)なのであり、自尊心と他尊心は同時にしか上がりません。

あなたをバカにした同級生たちは誰かの欠点や過ちをバカにして相手の自尊心を下げることによって自尊心を上げようとし、いつかそれが自分に返ってきて傷つき不幸になることになるのが必然なのであり、他人をバカにする人は可哀そうなNPCなのです。人の価値に外見や能力で序列をつけるような考え方をする限り、幸せになることはありえないのです。あなたは嘲笑する側が最終的に幸せになるシナリオの物語を見たことがあるでしょうか?嘲笑は負けのフラグなのです。本当に自信があって幸せな人は他人をバカにして偽りの安心感にすがる必要はないのです。だからあなたは決して他人からの嘲笑に屈せず、また決して嘲笑する側にならず、あなたを嘲笑する人たちにも慈愛の気持ちを持って幸せに導いて救って下さい。あなたが主人公のRPGに、あなたの救いの対象でない人はいないのです。

コンプレックスというのは自分で受け入れられれば、相手を安心させる長所になるのです。逆に自分で受け入れられず身構え、バカにされたら傷つきビクつくようでは益々バカにしてくるような人を引き寄せてしまうことでしょう。これも僕はよく容姿をバカにされて傷ついてきたのでよくわかります。今はイジられても一緒に笑うだけで、バカにされているとは全く感じません。

自分のコンプレックスを自分で受け入れてありのままを愛せない人が、こちらのコンプレックスを受け入れてありのままを愛してくれるわけがないことは確実なので、自然と人から避けられて孤独に陥り、気づかない間に自分の人生の物語をどんどんつまらなくしてしまうのです。

相手は自分のコンプレックスゆえにあなたをバカにしてくるのでしょうから、あなたがバカにされてもあなたがいつも自分のコンプレックスを受け入れ、堂々としていてバカにされても気にせず、むしろ乗っかって笑いに変えれるような人間になれば、相手も自分のコンプレックスが気にならなくなるでしょう。それが救いなのです。

体が小さいことをバカにされたら「時代は省エネなんだよ」「長生きするのはみんなチビや。200まで生きたるわ!」「誰がリトルグレイやねん?お前アダプションしたろか?」って感じで、いっぱい持ちネタを増やしていって下さい。それができるようになれば、ずっと周囲から愛され、また幸せにもなるでしょう。逆にせっかく容姿や能力に恵まれ、たゆまぬ努力によって世間的に成功している人でも、それをひけらかして周囲をバカにするような人間は愛されませんし、不幸に吸い寄せられる定めなのです。

人生というRPGにおいて常識というのは初期設定であり、必ず過ちを含んでいます。常識(初期設定)がそのまま真理ならそのRPGにプレイ要素はありません。間違った常識に立ち向かって真理に向かうところにこのRPGのプレイ要素はあるのです。ただ我々は常識(コモンセンス)があるから他人と気持ちを共有できるのですから、闇雲に常識に逆らえば良いというものではありません。真理というのは人を幸せにするものであり、ある常識があなたの心を苦しめ不幸にするのなら、その常識はあなたが乗り越え覆すべき課題なのだと理解して下さい。容姿で人の価値を判断しようとすること自体が人間に与えられた無明なのであり、たった数人にバカにされただけで「背が低く華奢な男はダメ男」などと勝手に常識化して己を蔑むようでは自分の魂のレベルを下げるだけです。

世界はあなたの解釈(世界観)が創っているのですから、もっと素敵な世界観を持って下さいね。今はあなたがネガティブな解釈によりネガティブな世界・物語を創り出しているために、人からも神様からも愛されず、みんなが無意識にあなたの世界の住民になりたくない・あなたの物語には出演したくないと拒否されている状態なのでしょう。それはあなたのルックスが原因なのではなく、あなたの解釈がネガティブさが原因なのです。ですからみんながあなたに会いたい(あなたの世界の住民になりたい・あなたの物語に出演したい)と無意識に感じて引き寄せられるぐらいに、すべてを愛で解釈し、素敵な世界を創り出して下さい。

リンクが多くて恐縮なのですが「誰でも自信満々になれる方法」は必ず読んで欲しいです。そこに書いたようにあなたが出会った人を例外なく許し、尊敬し、感謝し、愛せるようになっていけば、どんどん自分を許し、尊敬し、感謝し、愛せるようになります。欠点や過ちがない人間はいませんから、それを理由に自分や他人を愛さないというなら、誰も愛することはできません。欠点や過ちは許し合い・補い合い・助け合うことで愛し合えるためのマテリアルだということを忘れないで下さい。

というわけで、不幸自慢は不幸を乗り越えて幸せになってからにしましょう。

>また、男として〜〜みたいな意見に縛られるのは良くないと思いますか?

ここまで書けば言わずもがなと思いますが、他人の意見・常識に縛られること自体がナンセンスです。そんなことをしているから人生が自分のものではなくなり、脇役NPCとしてつまらない人生を送らなければならなくなるのです。早く主人公であることに目覚め、タチの悪い常識を覆し、大逆転劇を起こして人生を素晴らしいものにして下さい。

最後に、クドいようですが最も大切なのは自尊心なのですから、今までの自分を責めて落ち込んではいけません。あなたの魂の成長の為に必要な過程だったのだと愛しながら、よりよい自分に既になったかのように思考・行動し、より良い未来のシナリオを選択することを心がけて下さいね。

2023年3月22日水曜日

デジャブの存在理由

【質問】
「デジャブ」前にもどこかで見たことある気がする光景を見る等の出来事は、どんな理由だと考えていますか?

【回答】
ご質問ありがとうございます。

お手数ですが、できればご質問は基本的に新質問箱の方にメールで送って下さい。そしてご説明するにはせめてご質問者さんの年齢(年代)・性別ぐらいはわからないと、例え話などを用いて的確に説明することが難しくなります。どうしても素性を完全に隠しておきたいような深い悩みであれば、旧質問箱でも受け付けていますが、今回はそういう質問内容でもないわけですしね。

さて、ご質問の「デジャブの存在理由」について、「どのような理由だと考えていますか?」というあなたの尋ね方は「相手が真実を知らないことを前提とした尋ね方」ではあるのですが、実際自分の世界は自分の解釈が創っているものなので、その尋ね方は決して間違ってはいません。そしてあなたがデジャブの「仕組み」ではなく「存在理由」を知ろうとしているのであれば、それはとても賢明なことです。

世の殆どの人が受け入れられていないのですが、この世界はクリエイターによって完全に「意図されて」創られた仮想現実であり、存在理由のないものなど一つもありはしないのです。

クリエイターは全知全能であり、我々が認識しうるすべての存在・事象は超弦をスクリーンのようにしてあたかも実体があるかのように映し出されたものです。超弦はバイブレーションであり、クリエイターの意思の乗り物です。つまりクリエイターは思うだけですべてを実現させてしまう全知全能の存在です。何でも思うだけで実現するのですから、我々が「どのようになっているか(仕組み)」を知ることにあまり意味はありません。我々が認識できる世界における何かの仕組みというのはすべてアニメやRPGにおける後付けの設定のようなものですから。大事なのはやはりあなたが認識されている通り「なぜそれが存在するか(理由)」の方です。

アニメやRPGの世界にどっぷりと浸かって心から楽しんでいる子供たちは、主人公の必殺技の仕組みなどを知りたがるでしょうし、大抵の場合クリエイターは作品の中でそれを説明しているでしょう。しかしそれはそのアニメやRPGにおける後付け・つじつま合わせの設定のようなものであって、本当の仕組みではありません。本当はクリエイターのイメージの世界ですべてが予め創られた上で、後から様々な独自のルール(制約・基本設定)のあるアニメ・RPGの作品として再現されているのです。我々の認識できる世界における何かの仕組みというのはすべて物語の伏線上必要な後付け・つじつま合わせの設定であり、本当の仕組みではないということです。

例えばワンピースでは「悪魔の実」や「覇気」など作中で仕組みや存在理由の説明がされていると思いますが、それは後付けで考えられた設定であり、実際は作者が「この方が(主人公の成長の物語として)より面白い(美しい・感動的だ)」と思って既にイメージの世界の中で創作したものを作品において再現しただけであり、それはこの我々のいる仮想現実も同じだということです。そしてその設定は基本的にその作品の中でだけ通用するものなのです(もちろん面白い設定は他の作品にも応用されていることでしょうが)。

だからすべての設定(制約)の本当の存在理由は、非常に大ざっぱに言えば「その方がより物語として面白いから(芸術として美しいから・成長を楽しめるから)」なのです。

本当の「存在」とは、創造主(自分)の思念・概念のみでそれ以外の「もの」は一切存在せず、創造主は全知全能で、すべての構成要素が無限で一切の制約がなく、また事象が何一つ結実しない世界であり、そこは芸術の素材だけが無限にあって芸術が存在しないような、無限が無限にあるだけの完全で退屈な世界です。そこでは芸術・物語は生まれようがないのです。全知全能で唯一の存在というのはかくも退屈で孤独なものなのです。制約・制限なしには「存在」の輪郭すら描けないのですから。

芸術・物語とは、事象の結実(それをデータとして再現可能な形で残す)・独自に自意識と個性(必ず有限性・欠点を含む)と感情(感性)を持った自分以外のものの存在(分離意識を持ったものの存在)・設定(共通ルール・制約・共感手段)などがあって初めて成立するものなのです。そして芸術には全体を通じてクリエイターが訴えたいメッセージがあるのです。

この僕らがいる仮想現実もクリエイターの作品であり、この物語(神話RPG)全体を通じてクリエイターが訴えたいメッセージがあるのです。そしてすべての存在・事象は、全知全能たるクリエイターがイメージの中でありとあらゆる試行錯誤・上書き更新を重ねた結果、一番面白い(美しい・楽しい)と思ったから選び取られ、また更新され続けている設定(制約・仕組み)なのです。

RPGにおいてそのクリエイターがプレイヤーに答えを直接的に教えてしまうと、それは思考や行動を強制しているのと同じになってしまいますから、それではゲーム要素がなくなり、プレイヤーに対して自由意志と選択肢を与えた意味がなくなってしまいます。だからクリエイターはあくまでもプレイヤーに対し作品中の存在・事象を通じて、自ら気づかせ自発的に覚らせようとこれでもかってぐらいヒントを与え続け導き続けているのです。つまりすべての存在・事象がクリエイターからのメッセージだということです。当然デジャブもその伝達手段の一つです。我々にとっては何かの「仕組み」や「答え(真理)」そのものよりも(失敗)経験からもたらされる「気づき」が重要なのであって、自分なりに答えを出して行く過程(経験)に物語が生まれているのです。そしてそれこそが創造主=我々の存在意義なのです。

デジャブだけでなく、あなたが認識できる存在・事象の全てがクリエイターから何かを気付かせ覚らせるためのあなた個人宛てのメッセージであり、その存在理由はクリエイター目線で大雑把に言えばやはり前述の通り「その方がより物語として面白いから(芸術として美しいから・成長を楽しめるから)」なのです。そしてあなたというプレイヤー自身が様々な存在・事象を通じて気づきを得ながら、自発的に覚って行かなければならないということなのです。つまり今回の話であればデジャブという事象に対してあなたが「どのように解釈するか」が大事だってことです。

我々プレイヤー目線で見ればデジャブは様々な仕組み(後付けの設定)でもたらされ、その個々に様々な意味があります。デジャブだけでなく、あなたの身に起きることは全て物語の主人公であるあなた個人へのクリエイターからのメッセージなのですから、そのすべての意味を他人である僕が読み解いてしまうことに意味はありません。主人公であるあなた自身が認識できる存在・事象からどのような気づき・覚りを得て、自分に与えられた自由意志によってどのように解釈し、どのように自発的に思考・行動をより良くしていく(カルマの解消・伏線の回収)か、試行錯誤するところにゲーム(成長・芸術)の楽しみがあるのです。

しかし「全てあなたの解釈次第です」だけで回答を終わらせてしまってはほとんど何も答えていないのと同じになってしまいますから、今回はあなたに起きたデジャブやその他すべての存在・事象の存在意義をよりうまく読み解けるようにヒントを差し上げたいと思います。

宇宙の仕組み」でご説明させていただいている通り、時間というのは本来存在せず、映画のDVDでリーダー&ライターの光を当てたところが「現在時間」を生み出すように、僕らの認識が現在時間という体験を生み出しているのであり、DVDの外側(虚数時間軸)の存在(クリエイター)からすれば、DVDの中の時空に捉われることなくいつでも好きなように上書きしてつじつまを合わせることができるのです。しかし僕らは「現在時間に張り付いている存在」のために、基本的には現在時間しか上書き行為ができないという制約が(人生というRPGの設定・伏線上)あるのです。

ただ実際は現在に連動して未来だけでなく過去もつじつまを合わせるようにして変わります。つまり過去から未来へ・過去から未来へ循環する因果を、現在あなたが更新することが可能だということです(マンデラ効果などはそれに気づかせるための一手段なのです)。そしてその因果更新・カルマ解消・成長の物語が我々の存在意義なのです。


虚数時間軸から見れば過去も現在も未来も前世もメディア(アカシックレコード)にデータ(魂の記憶)として記録されており、一度に存在しているのです。そして我々人間はアバターであり松果体はアンテナのごときものですから、前世や未来の情報が我々の認識する現在に送られてくることなどは(伏線上必要であれば)当たり前の様に日常的に起きるのです。

伏線上なぜデジャブや予知夢が必要になるかというと、やはりそれは前述の通り「その方が物語として面白いから(芸術として美しいから・成長を楽しめるから)」です。

人生というのは、創造主の一つの魂から分離された分け御霊が、今の自分の人生も他人の人生も繰り返し生きているのです。だから仏教では一人の人生を「一生」ではなく「一劫」と表現します。そのキャラクターとしてミッションクリアするまでが一劫(一ゲーム)であり、できなければ当然リスタートとなるのです。

リスタートの際は記憶の殆どを消されるため、そのままでは何度でも同じ過ちを繰り返してしまい、因果(カルマ)の更新ができません。だからデジャブや予知夢は基本的に一歩前に進むため、因果更新のためのターニングポイントで起きることが多いと思います。

なぜ前世の記憶が殆ど消されるかというと、記憶が残ったままではゲームが簡単になり過ぎて魂の成長につながらないからであり、因果があまりにも簡単に上書きできるとひっちゃかめっちゃかになって人生の存在意義が薄れてしまうからでもあり、あまりにも繰り返しが多いので記憶が残っていると飽きてしまうからでもあり、いたずらに死を恐れなくなってドラマが成立しなくなるからでもあります。記憶を殆ど全て消された上で、あくまでデジャブや予知夢など様々な手段を通じてヒントを与えられて導かれるぐらいがちょうど良いのです。全知全能の存在が途方もない試行錯誤を繰り返した上でこうなっているのですから、本当はすべてがベストなのです。

プレイヤー目線でデジャブや予知夢を個別に解釈すればその意味するところは様々であり、(すべての存在・事象に意味があるのです)前述の様に因果を更新(成長)させるための気づきを与えるためであったり、因果・輪廻転生・カルマ(シナリオ・課題・運命・神の導き)の存在そのものに気づかせるためであったり、これから起きることの精神的なショックを和らげるためであったり、深い郷愁を味合わせるためであったりします。本当にただの気のせいってこともあるかも知れませんが、この創られたRPG世界に偶然は存在せず、何がしかの意味を持った創造主からのメッセージであることに違いはありません。それらをどのように解釈するかはあなた次第であり、その解釈があなたの世界(あなた自身)を作り上げているのです。

ただそれらの様々なデジャブ・予知夢の存在理由も、やはりクリエイター目線で大雑把に言えば「その方が物語として面白いから(芸術として美しいから・成長を楽しめるから)」です。「悪いカルマの解消法」に書いてますが、与えられた困難(カルマ・課題)を決して悪く解釈せず、すべての存在・事象はあなたの魂の成長に必要だから与えられていると感謝しながら乗り越えていくことを忘れないで下さい。そして我々は過去も未来も同時に変えられるのですから、タチの悪い常識・他人の意見・価値観や、自分や誰かの過去の罪や恥に引きずり込まれず、より良い未来を選択して下さい。

2023年3月16日木曜日

アルコール・薬物依存

【質問】58歳・男性
今日ツイッターで拝見し、世界の仕組みを読み、この世界が仮想現実だと言うことが分かりました。今まで悶々としていて、この世界おかしいぞ!と思っていましたがやはり神様が世界を創ったことが自分の中で確定しました。

私は教会には通っていませんがイエス様を信じています。最高神であり宇宙も全て神がかかわっていることが良くわかりました。

私は結婚して子供ももうけましたが、20年ほど前に離婚し、今は身体障害者年金と、生活保護を受給しながら生活しています。アルコール、薬物依存のため今も完全に止めることが出来ず、苦しんでいます。妻との離婚の原因も同じ問題です。

ご指導、いい案、対策があれば教えて下さい。よろしくお願いします!

【回答】
ご質問ありがとうございます。そして世界の仕組みを読んでいただいてありがとうございます。

とてもお辛い状況にあるのですね。心より同情申し上げます。僕はアルコールは苦手ですが、鬱の末期(自殺直前の一年間)は完全に薬物依存になっていた経験があります。また日本にいた頃はギャンブル(麻雀)依存症で、注意力欠陥障害でド下手なくせに毎日のように寝ぼけながら打ってお金だけでなく膨大な時間を無駄にしました。あなたが薬物よりアルコール依存症を先に書いているあたり、きっとそれほど強い薬物には手を出していないのでしょう。それはとても幸いなことです。

あなたは依存症になった直接のきっかけ・原因を書いていませんが、実際それは重要ではありません。抽象化すれば依存症の原因はすべからく自己嫌悪と厭世観による逃避ですから。あなたはきっと自責の念にかられ、他人や世の中を恨む気持ちを持ちながらも自責の念によってそれを封じ込めているのでしょう。もちろん僕もかつてはそうでした。

大切なことは、今の状況はあなたのせいではなく、誰のせいでもないということです。全てはみんながそれぞれ与えられた役割をこなした結果であり、それぞれにやむにやまれぬ事情があって起きた必然のことなのです。あなたのアルコール・薬物依存もそうして与えられたカルマであり、乗り越えるべき課題なのです。だからまず自分の事も親やその他の人の事も責めず許すことが肝心です。そのためなら一切他人の考え・常識に捉われず、どんなに自分にとって都合の良い言い訳・屁理屈を考えても構いません。またそれを他人に説明して自己弁護する必要もありません。他人から許されずとも、自分自身が自分とみんなを許すことができればそれで良いのです。決して自尊心も他尊心も失ってはいけません。我々は一つ(ワンネス)ですから、自尊心と他尊心は連動してしか上がらないものなのです。

人間の悪い思考・行動はすべて霊障のせいであり、それがカルマを構成しているのです。詳しくは「憑依体質の存在意義」を読んで下さい。あなたのアルコール・薬物依存もまさに霊障の仕業なのです。だから自分がやってしまったことも他人がやってしまったことも責めずにただ全部霊障のせいにさせてもらえば良いのであり、あなたが罪悪感や自己嫌悪心を持つ必要はないのです。どうぞ自分を罪悪感と自己嫌悪の檻から解放して下さい。他人を許した分だけ自分も許せるようになりますから。

霊障とは生命が積み重ねてきた悲しみの集合体であり、本人の自我を乗っ取るべく、考えや行動をネガティブにして徐々に自分自身と世の中を嫌いにさせ、「そんなに要らないならもらってあげるよ」と言わんばかりに自我を乗っ取り、その人の人生を使って自分の悲しみを表現し、強制的に同じ気持ちを味合わせ、同情させようとしてきます。だから霊障に犯されて悪いことをやってしまった自分自身も他人も創造主の見地から見て同情し許し愛することが大事なのです。

できれば浄霊は極力毎日受けるようにしてみて下さい。世界救世教や真光では毎日無料で浄霊を受けることができます。信者になる必要は無いですので、ただ浄霊だけ受けに通って下さい。万が一無理に勧誘されたり寄付や奉仕を強制されるようでしたらすぐ逃げて下さい。「浄霊効果の高め方」に書いた通り、キリストが起こした奇跡も基本的には浄霊によるものです。あなたもぜひ浄霊がもたらす奇跡を実感してみて下さい。

あなたの思考・行動は深く霊障に犯され、自分が本当の自分から遠ざかっているのです。しかし夢の中で自分がいつもの思考とは違っていることを自覚できないように、あなたは自分の意識が顛倒していることを自覚できず、自分を責めているわけです。

依存症になったのは決してあなたのせいではありませんが、それはあなたに与えられた乗り越えるべき課題であり、あなたが変わらなければ何も変わりません。あなたの人生はあなただけに与えられたシナリオがあり、課題(カルマ・困難)があるのです。決して他人と比べてはいけません。

より大きな困難はよりレベルの高い魂に与えられているのであり、乗り越えた時の報酬(幸せ)もより大きいのです。自分に与えられた困難を他人と比べて欠点のように考えてはいけません。レベルの高い学校の入学試験ほど難易度が高いのと同じことです。

反省してはいけない」に書いた通り、決して自尊心を下げず、自分と他人を責めるのを同時にやめて下さい。自分や誰かを責めて問題が解決するということは決してなく、かえって逆効果なのです。自尊心が下がれば人はいくらダメだと自分でわかっていても悪い思考・行動がやめられなくなる悪循環に入ってしまうのですから。

決してあなただけではなく、多くの人がアルコールや薬物などの依存症になっています。競争社会・適者生存的な価値観の社会の中で、多くの人が自分も世の中も嫌いになり、自己嫌悪と厭世観の中で、大なり小なり何がしかの逃避手段というものに依存しているのです。

自己嫌悪と厭世観で死にたい気分になっている時に、それを忘れさせてくれるものと出会ってしまったら、誰でも手を出してしまうことでしょう。そして一度それを逃避手段にしてしまったら、誰にとってもそれを止めることは困難なのです。まずそこに対する自分や他の依存症の人たちに対する許しが必要です。あなたがもし許しを望むのであれば、少なくとも僕は創造主の代理としてあなたを許しています。

「一体あなたに何の権限があってそんなことを言うのか?」と思われるでしょうが、「罪と恥の存在意義」に書いた通り、許しというのは創造主から我々に与えられた最大の権利移譲であり、逆に人を責めることは最大の越権行為なのです。森羅万象は創造主の意図により生み出されているものなのですから。

あなたが聖書を読んでいるのでしたらご理解いただけると思うのですが、この人生という壮大な神話のストーリーの最も根源的な部分には「罪と許し」というテーマがあり、許しこそが愛なのです。創造主は人が過去を悔い改め、許しを願った瞬間に許してくれます。そして許された罪の大きさの分だけ人を許し、愛して下さい。あなたの罪を責めて許さないような人たちでさえも。

あなたが自分のせいだと思っている依存症も、ちゃんと理由があって創造主があなたに与えた課題なのですから、自分や誰かを責めるよりもまず許すことが大事なのです。

ゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのはプレイヤーのせいではありません。あなたが過去にやってしまったことは、あなたの人生というゲームの設定・伏線のようなものであり、必然であり、課題なのです。だから自分のせいだと考えて過去を嘆いたり責めたりするよりも、そこを起点にどうすればより良い未来(シナリオ)を選択できるか(ゴールに近づけるか)を考えなくてはいけません。この人生のゴールというのは覚りであり、幸せであり、解脱・アセンション(次元上昇)なのです。あなたが今どんな状況にあろうと、そこを目指さなければなりません。

そしてあなたの人生という映画の主役はあなたであり、すべてがあなた次第に創られています。「男はつらいよ」の寅さんのように、映画の中においてはしがない庶民でどうしようもない落ちこぼれのように思えても、それはそういう設定・配役なのであり、すべて(心の中まで)常に見られ記録されているのです。シナリオや配役に文句を言って全力で使命を果たさないようでは、監督である創造主の愛は受け取れません。例えどれだけみじめなストーリーになろうと最後の最後まで演じ切る覚悟が、あなたをきっと悪いカルマから解放してくれることでしょう。「自殺・安楽死するとどうなるか?」に書きましたが、決して自殺など考えないで下さいね。

信心がない人に創造主の存在を信じてもらうことはとても難しいことなのですが、あなたが既に神を信じていらっしゃることは非常に幸いなことです。

そしてあなたが既に生活保護を受けていることも幸いなことです。「人様に迷惑はかけてはいけない」という洗脳により変なプライドに捉われて他人の力を借りることを恥だと思うような人を救う方が難しいですから。実際、日本のホームレスは他人の力を借りることを恥だと思って生活保護すら頼れない人が多いのです。そういう人たちに僕の言葉を伝えることは困難を極めます。あなた=世界なのであり、すべての存在は支えあって関係性の中で生じているのですから(仏教の縁起思想)、自立など目指さず、人を頼り人から頼られるような人間になることを目指して下さい。あなたが依存症を克服したら、いったいどれだけの人が勇気を与えられることでしょう?

また、徹底して断捨離して生活をミニマムにして下さい。生きるのにお金がほとんど要らなくなれば、生活・将来の不安は軽減されます。そして今はアルコールや薬物を買うお金がなくなるまで、どんどん他人のために寄付したりしてお金を使って下さい。そのようにして仏教における六波羅蜜を日々実践することです。他人のためにどんどん無償で奉仕して下さい。そうしているうちにエゴを少しずつ乗り越えられるようになります。苦しみの根源がエゴなのですから、そこから離れることができたらどんどん幸せに導かれていきます。

そうして「自分大好きエピソード」をどんどん積み上げていって下さい。鬱の時は自分の嫌な部分や嫌な思い出だけを選択的に思い出して何度も反芻して追体験し、自分を大嫌いになる高速回路が出来上がってしまいます。エゴに捉われれば捉われるほど人は段々と自分を嫌いになるのです。そうなればアルコールや薬に逃げたくなるのは当然のことです。カンダタが蜘蛛を助けたように、あなたが他人の為に無償で尽くし「自分大好きエピソード」を積み上げれば、自己嫌悪の高速回路を断ち切ることができます。そして神の視座から自分を見た時に「この人には欠点が多くたくさんの過ちを犯してきたけど、今はこんな良いこともしてきたのだから、絶対に悪い人間ではない。どんな欠点や過ちがあっても許してあげたい」と自分で思えるようになっていきます。

いきなり完全に断酒・断薬しようとしても恐らくうまくいかないでしょうから、まずは曜日を決めて、飲むのを週1回にして下さい。それから隔週⇒月一ぐらいに減らしていって下さい。期限の決まっていない「死ぬまでの我慢」というのは誰にとっても耐え難いものです。だからまず最初は断酒・断薬状態に体を徐々に慣らしていく必要があるのです。

結局、薬物にせよ何にせよ依存症というのは、本人が本気でやめたいと思わなければやめることはできないものなのだと思います。坂口安吾の「堕落論」の如く、堕ちきらなければ這い上がれないものなのです。あなたが既にもう堕ちきって本気でお酒や薬物が嫌になったのなら、きっとやめることができることでしょう。逆にまだやりたい気持ちがあるのなら、今はまだやめることが難しいかも知れません。

ダルクのような更生施設は実際に見たことがないのでおすすめしていいかどうかはわからないのですが、同じ悩みを抱えた人同士で許し合い励まし合うのは良いことだと思います。なかなかまだ依存症から抜け切れていないうちに健常者と良いコミュニケーションを取ることは難しいでしょうからね。でもめげずに人とコミュニケーションをとって「誰でも自信満々になれる方法」に書いた通り出会った人を例外なく無条件で心からの笑顔で接し、尊敬し、感謝し、許し、愛せるように日々努力してみて下さい。

アヤワスカはアルコール・薬物の依存症に対して効果があるケースが非常に多く、私の友人の何人かもアヤワスカによって深刻なアルコール・薬物依存症から立ち直っています(時間がかかった場合が多いですが)。だから本当はあなたにブラジルまでアヤワスカの儀式を受けに来ていただきたいのですが、生活保護受給中で旅費を貯めるのはきっと難しいでしょうから、内密にアヤワスカ・アナログ(疑似物)を提供してくれる人を探すか、作り方を調べて自作してみて下さい。そしてできれば信頼できる人に見て貰いながら決して無理のない量から始めて下さい。現在の日本ではアヤワスカは違法なのですが、既に違法薬物に手を出している人なのですから抵抗はないでしょう(笑)。

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

詐欺被害に遭って悔しい

【質問】40代・男性
突然失礼いたします。いつもツイッターとノートでシンヤさんのありがたいお話を読ませていただいています。今回は質問があります。

最近ネットの取引き(合法ドラッグ)で2万円ほど詐欺に遭いました。詐欺られるのは初めてのことでショックで結構メンタルが落ちます。金銭面は落としたものと思って諦めれますが、精神的な悔しさやもどかしさが残ります。

そこで業者に対して返還を求めて抗議したりネット上で相手を晒したり報復じみた行為をすべきか、それとも「まあいいか」「よくあることで仕方ない」と許し、忘れる方がよいか(実際に郵送の詐欺は多いです)思案しています。

詐欺されたお金やモノが返ってくることはまずありません。怒って詐欺師を相手に交渉することが無為なことなのはわかっているのですが、今後被害者を増やさないためにも皆に周知させた方がいいのかなとも思ってしまいます。

心の持ちようをどうすればいいか、アドバイスよろしくお願いします。

【回答】ご質問ありがとうございます。心中お察しします。

人から騙されて悔しい経験っていうのはきっと誰にでもあると思います。もちろん僕自身も何度もあります。今の世の中、40代まで一度も詐欺に遭わずに生きている人なんてまずいないでしょう。

そう、あなたも絶対に今まで何度も騙された経験があるはずです。あなた自身「実際に郵送の詐欺は多いです」「詐欺されたお金やモノが返ってくることはまずありません」などと書いているのは、きっと実際に騙された経験があるからでしょう。

なのになぜあなたは「詐欺られるのは初めて」などと書いたのでしょうか?そこにあなたの「心の持ちよう」の課題が見て取れます。

恐らくあなたには自分の愚かさを認め「自分を笑う視点」というのが欠けているのでしょう。誰かにバカにされて傷つきたくない自己防衛本能・「自分は賢い」と思いたいし思われたいという願望が強いために、今まで騙されてきたことすら自分で認められないのではないでしょうか?

もちろんそういう本能・願望は人間のデフォルトとして共通して設定されているのであり、我々はそこを乗り越えて自分の愚かさを笑える心の余裕が持てるようにならなければならないのです。

普段から人に序列をつけるような考え方をして、人の愚かさを本気でバカにして嘲笑していると、自分がドジを踏んだ時にそれが全部そのまま自分に返ってきて本気で傷つき凹むことになります。だからまずそこから改めていかなければなりません。(自分と他人に無条件のリスペクトを持つということです)

創造主は全知全能であるがために超絶に退屈であるがゆえ、分け御霊たちを通じて愚かさを楽しむ(楽しませる)ために愚かさを与えているのですから、「愚か=価値がない」などと考えず、己の愚かさを楽しみ、自分で笑ってみて下さい。

そして「罪と恥の存在意義」に書いた通り、罪や恥(愚かさ)は我々が許し合い補い合うことで愛し合えるように与えられたものであり、自分と他人の罪や恥(愚かさ)を責めず同時に許すことが大事です。

あなたは「騙される人はバカ」で「賢い人は騙されない」みたいな感じに思っているようですが、日々ニュースになっているような巨額の詐欺に遭っている人たちは、たった2万円のことでそんなにも悔しがるあなたよりきっと遥かに賢いからこそ巨額の投資ができる資産を持っているのでしょう。それでも騙されているんです。また学歴も職歴も収入も高くて「賢い人」が、高校もまともに出ていないような知能の女性による結婚詐欺にひっかかったなんていうのはよくある話です。なぜだと思いますか?

いわゆる知能の高い人というのは、エゴによって自分に都合よく解釈し理屈を構築する能力も強く、特に何かの成功体験があったりすると自分を「賢い成功者」だと思い込んで持論に自信を持ち過ぎるために他人の意見を聞けなくなり、例え「ひょっとしたら騙されているかも」と感じていても、その自分の直感すらエゴでねじ伏せて自分に都合よく考える傾向が強いからです。

そのように知能が高い人の多くは、猜疑心が強くて他人を疑う割には自分自身を疑うということができないのです。そして前述の通り知能の高い人ほどその「自分に都合の良い見方」が絶対正しいと理屈づける能力が高いので、騙す側からすれば相手のエゴ(我欲と保身⇒期待と不安)を刺激してやるだけでよく、後は相手の方から勝手に自ら騙されてくれるのです。そして知能の高い人ほどプライドが高い=傷つきやすいことが多く、最後の最後まで自分が騙されているということを認めたがりません。だから実は知能の高い人の方が騙しやすいのです。

逆に知能が低くてもバカにされた時に一緒に笑える・他人の話に耳を傾けられる「心に余裕がある人」というのは自然と人から愛されますし、騙されにくいのです。

・自分を笑う視点を持てない
(プライドが脆く、傷つきやすい・怒りやすい・凹みやすい)
・猜疑心が強くて人を信じることができない、人の話を聞かない
・エゴが強くいつも自分に都合よく考え、自分を疑うことができない

このような性格を放置すると自然と人から避けられて孤独に陥り、寂しさ故に更に騙されやすくなるのです。あなたは自分が現在そうなっているということを認めて改められないなら、きっとまた騙されてしまうか、余計に猜疑心が強くなってまた騙されないため・バカにされないために人を信じられず精神的に引きこもってより消極的な人格になり、更に孤独に陥って結局は余計に騙されやすくなってしまうことでしょう。

人の価値とは?」に書いた通り、人の価値は「能力(賢さ)」ではなく「存在」だということを忘れないで下さい。そして「誰でも自信満々になれる方法」に書いたように、本物の自尊心を手に入れて下さい。

そしてエゴの強さが騙される根本原因の一つなのですから(自己利益より他人の利益を優先できる人間はそうそう騙されません)六波羅蜜を行じて、エゴを乗り越える修行をして下さいね。無償で人に奉仕するってことです。

さて、本当に詐欺被害に遭ったのなら警察に訴えるべきだと僕は思いますが、あなたがそれを考えもしないのはなぜでしょうか?それはあなたが購入しようとしたのがいわゆる脱法ドラッグで、後ろめたいからではないかと思います。相手はそれ(罪悪感・共犯者意識)を利用し、相手が訴えてこないのを見越した上で詐欺をやっているのであり、あなたはそれにまんまとひっかかったのですから、あっぱれってことで良いのではないでしょうか?思いっきり「身から出た錆」ってヤツです。錆猫ちゃんです。

脱法ドラッグを売っているようないかがわしいサイトに、実際の人間関係や過去の取引実績もないのにいきなり大金を突っ込むのは、飢えた野良猫の溜まり場で魚を無人販売するようなものです。あなたは「お金をただ持っていかれるだけかも知れない」とわかった上で取られてもそんなに痛くない金額「2万円」にしたはずで、それで案の定持っていかれただけなのに、そんなにも執着して悔しがるのはおかしな話です。

あなたは「金銭面は落としたものと思って諦めれますが」と書かれていますが、諦められてないからこそ悔しくてたまらず僕にご相談までなさっているわけで、やはりそういう自分のおかしい部分を認められない・笑えないあなたの心の余裕のなさが一番の課題かと思います。

はい、歌ってみましょう。
♪お魚咥えたドラ猫 追っかけて 裸足で駆けてく 陽気なサザエさん みんなが笑ってる お日様も笑ってる ルールルルル・ルー 今日は良い天気

あなたが主人公の物語において他人は全員NPCであり、ストーリー上必要な役割を無自覚に果たしているに過ぎないのです。詐欺師は役割通り詐欺をやっているのです。彼らは決してあなた個人を特別バカにしているわけではなく、自己保存(エゴ)のためにAIの如く自動的にやっていて、そこには悪意・罪悪感すらがないのです。そして詐欺師がお金を騙し取るのは、猫が目の前の魚を取るのと変わらず自然の摂理であり、それに文句を言っても何にもなりません。

現在の社会システムにおいてはお金が最上価値であり、騙し取ったお金でも普通に働いて稼いだお金と同じように機能するのですから、詐欺が横行するのは当然です。だから主人公であるあなた=僕はみんなをワンネスへと目覚めさせ、人が無償で助け合えるように・お金というシステムが要らなくなるように価値観から社会を変えていかなければならないのです。2万円程度のお金を騙し取られてそんなにも凹んでいるようでは主人公は務まりません。もっとどっしりと構えて下さい。

あなたが既に理解している通り、相手に文句を言ったところでお金が戻ってくるわけはないですし、相手を晒して誰かに注意喚起なんてしたところで、恐らくは現在世間的に無名のあなたが無料で手間暇かけてやってもほとんど訴求力はなく(有料なら更に傷口を広げ)、そのおかげで救われる人がいるかどうかなんて全くわかりません。(そもそも脱法ドラッグを購入しようとする人自体が割合から言えばかなり少数派です)仮に救われた人がいたとしてもそれであなたの怒りが収まるわけじゃないでしょう。

だいたい相手はネット上の素性もまるでわからない野良猫なのですから、そのような行為はやるだけ無駄です。例え詐欺サイトであることがバレてもサイトを変更するだけでOKなのですし、いくらでも逃げようがあります。万が一逮捕につながったとしても、社会が変わらない限りそのような野良猫は次々と湧いて出て来るだけでしょう。

あなたが素性を晒さずネット上で不特定多数の人に注意喚起をしても見ている人はライバルサイトへの攻撃と見分けがつきませんし、もしあなたが素性を晒して攻撃すればあなたはより大きな痛手を被るでしょう。あなたの会社や家族などに脱法ドラッグに手を出していることがバレても大丈夫なのですか?特に相手は反社なんですから、もしあなたからの反撃に効果があったらあったで下手すれば報復されて大変なことになるかも知れません。

思いっきり身から出た錆なのに、たかが2万円のことに執着してそこまでムキになって報われるはずのない反撃をして、我が身を危険に晒すのはバカバカしいことです。大人しく諦めましょう。

あなたは詐欺師が得をしていると思っているのでしょうが、詐欺師が幸せなわけはありません。人からお金を騙し取らないと生きていけないというのは哀れですし、カルマを更に深くしているという意味でも哀れです。この世界は完全な因果応報ですから、遅かれ早かれ報いを受けるのはかわいそうなことなのです。

でも彼らが報いを受けることを祈らないで下さいね。今回は可哀そうな飢えた野良猫たちに美味しい高級魚を大盤振る舞いしてあげた(良いことをした)と考えて下さい。そう考えることであなたの魂は成長するのです。

それなのに今のあなたは恨むことにより魂のせっかくの成長のチャンスを棒に振り、イライラして凹んで波動を下げて自分自身だけでなく周囲の人間まで不幸にしようとしています。魂の成長において大切なのはすべての存在に対する慈愛であり、相手がいつか成仏することを願う気持ちです。

あなたが今回の事から学ばなければ将来きっとまた騙されて、また「初めて詐欺に遭った」などと言いかねません。常に「小事は大事を防いでくれている」のであり、すべての出来事は「成長する為に与えられた課題」であり、偶然は存在せず、それは創造主からのメッセージなのですから、どうぞしっかり学んで下さい。2万円、本当に初めての詐欺被害なのでしたらめちゃくちゃ安い勉強料です。

今回のように騙されていたという結果がすぐわかる少額の詐欺ならまだ全然マシで、投資やスピリチュアル系の詐欺だったら騙されていたと気づけるまでに時間がかかり、被害がもっと甚大かつ継続的で、場合によっては人格・人生を破壊されてやり直しが効かなくなることもあります。

今回かなり厳しかったかも知れませんが、人は失敗を通じて学び成長するものであり、それには必ず痛みを伴うのです。失敗を経験せずに学べるのなら、僕らは生まれてきた意味がありません。経験を伴わない真理は概念に過ぎず、価値がありません。真理そのものに価値があるのではなく、失敗経験が真理を価値ならしめるのであり、本当に価値があるのは失敗経験なのです。初めから答えを教えられるクイズ番組など何も面白くありません。

僕はちゃんとあなたを魂の兄弟として尊敬していますから、どうかバカにされたとキレず己の愚かさを笑って下さい。もちろん僕も含め、人はみなどこか愚かなのですから。

最後にご質問の「心の持ち方」をまとめると

1.自分を笑う視点を持つこと
(バカにされたら一緒に笑う 己のバカさを楽しむ 愚かさも天からのプレゼント)

2.自分を疑う視点を持つこと
(人を例外なく尊敬し、話を真摯に聞く 己のエゴの強さに気づく 
現実を自分に都合よく考えず物事の本質を捉える)

3.自分と他人の罪と恥(愚かさ)を責めるのをやめて同時に許すこと
(罪と恥は許し合い補い合うことで愛を生むために与えられたマテリアル)

4.無償で人に奉仕し、エゴを乗り越えること

5.主人公意識と信心を持つこと
(全ての存在・出来事は主人公である自分の魂の成長の為に創造主から与えられたもの)

6.全ての存在に慈愛の心をもつこと
(悪いことをする人は哀れ。慈しみの心を持って成仏を願うこと)

ということです。それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

2023年3月8日水曜日

不安でたまらない

【質問】
はじめまして。

父親が3月で職を失います。それで母も仕事をしていないため、全員無職になってしまい、収入源が絶たれてしまい不安です。僕は発達障害を持っていて就労移行支援事業所に通ってます。一応祖父母の実家はありますが、収入源をなんとかしなくちゃと考えると、不安でどうしょうもなくなってしまいます。

あんまりまとまってないですが、どうするのが最善だと思いますか?

【回答】
不安なお気持ち、お察しします。僕も目覚める前は将来がとても不安でした。しかし現在は不安など全くなく、とても幸せに暮らしています。

ただ僕は目覚めてからすぐに資産をすべて貧しい人に配り、それから三年以上も無職で収入の見込みもなく、ホームレスで乞食をして暮らしていました。ここ1か月は何となく流れで若干働くことになってしまいましたが、月収は4万円ほどで、それもいつクビになるかわかりません(別になっても全然良いんですけど)。

それでも全く不安がなく本当に幸せなんです。なぜだと思いますか?決して頭がおかしくなったわけではありません。

もし世の中の病気や事故で死ぬ確率を全部足し合わせたら、我々はとっくに死んでいますし、確率で考えるならそもそもこの世界も我々も生まれていません。天に「生かされている」ってことに信頼と感謝がなく、エゴに捉われて自分の使命にも目覚めていないから不安になるのでしょう。鳥は稼ぎも蓄えもしませんが、明日の糧を心配したりはしません。天に養われていることを疑いなく確信していて、己の命を完全に天に預けて運命を受け入れているからです。結局不安に陥るのは、信心と感謝の欠如が原因なのです。

人生というのはRPGであり、それは愛と勇気を試すためのものです。ですから当然世界はあなたを不安にさせ、また怒らせてきます。しかし決してそれに屈してはいけないのです。そんなに心配しなくても、本当はすべて大丈夫なのですよ。大丈夫じゃないと思わせないと愛と勇気を試せないから大丈夫じゃないと思わされているだけなのです。

ここまできたらもう「なるようになれ!」とふっきれて下さい。しょせんこの世界は仮想現実でありRPGです。真剣になっても深刻になるべきではありません。これまで何とかなってきたのですから、これからも何とかなるのです。どっちみち何とかなるのなら、やりたいことをやるべきです。

どんな映画やRPGでも、心配性で疑り深く・常にリスクを避け・それでも不安に苛まれながら生きているような主人公が幸せになるシナリオはまずありません。主人公は常に愛と勇気の持ち主が務めるものです。

ただし最初から愛に溢れて何も恐れない人の愛と勇気には価値がありません。あなたのようにエゴに捉われ(不安・恐れは全てエゴ由来です)臆病になり不安に陥っている人間が振り絞る一握りの愛と勇気にこそ価値があるのです。

そして自分を主人公とする世界はすべて自分次第にできているのであり、いつも不安になっていたら不安材料をどんどん引き寄せてしまい、不安が実体化してしまいます。

与えられた困難はすべて課題であり、克服可能だから与えられているのです。それはあくまでも成長を期待して愛によって与えられているのであり、創造主はその人に絶対乗り越えられないような課題を与えて潰すようなことはしません。創造主がそういうつもりなら我々は今日まで生きられてはいません。

そしてあなたもご家族もつまらないプライドは捨てて、実家や生活保護を頼るべきだと思います。世界=あなたなのすから、他人の力を借りることを恥だと思わないで下さい。

人の価値とは?」に書きましたが、人の価値は能力や自立ではありません。仏教の縁起思想の通り、すべての存在は支え合って存在しているのです。あなたもあなたの親も自立を目標として「人の役に立ちなさい、人に迷惑をかけてはいけません」と育てられたのでしょうが、そこを乗り越える必要があります。自立より、素直に人を頼り・人から頼られる人間になることを目指して下さい。

人は決して貧困では死にません。その点は三年以上もホームレス乞食をして確信してます。人を素直に頼って感謝できない愛のない人間が将来を悲観して自殺したりするのです。人に迷惑をかけたくないという人は、人から迷惑をかけられたくない人であり、愛がないんです。

日本の生活保護があれば月収は僕の3倍以上にはなるでしょう。それでも生活が不安なようなら、きっと無自覚に生活レベルを周囲に無理やり合わせ、本来要りもしないものにお金をかけているのでしょう。まずは徹底して断捨離し、生活をミニマムにすることです。

食生活も粗食にして菜食主義的生活をして、それに慣れたら数日で良いから断食をしてみて下さい。「そんなに食べなくても生きていける」と実感できれば、生活の不安はぐっと減りますし、生きとし生けるものに対する愛情も湧いてきます。

スターシードというのは基本的に発達障害だったりADHDやASPなどの傾向があり、脳のCPUの能力が高いのにメモリは極端に少なく、余計なモノや思考をできるだけ持たないようにしないとすぐにメモリがいっぱいになってバグってしまうのです。だからモノや思考・課題は目の前からすぐ片付けるように癖をつけておかなければいけません。物事を決して先延ばしにせず、またダラダラ夜更かしせずたくさん寝て朝型の生活を心がけることです。

そしてどうか信心を持って下さい。とりあえずでおススメするのは世界救世教や真光などに通って、浄霊(お清め)を受けることです。お金はかかりません。信者になる必要も無理に寄付をする必要もないので、できるだけ毎日通って、あなたの人生のカルマを重くしている霊障を日々浄化して下さい。体も家も常にきれいに保って下さい。物質と精神はリンクしていますから。

そして無理に働かなくていいですから、人に無償で奉仕して下さい。(仏教の六波羅蜜を実践してみて下さい)

以上のことを実行したら、あなたはきっと幸せに導かれるはずです。

また僕のnote・質問箱もよく読んで下さいね。自殺にまで至った男が短期間で幸せになった哲学ですから、もし素直に読んで理解し受け入れて下さるなら、きっとあなたのことも救えると思います。

今回の回答はきっとあなたの期待した通りの答えではないでしょうが、もしあなたの方が正しいのならあなたの方が幸せになっているはずです。半信半疑のままでもいいので、まずは僕の言うことを一旦は愚直なまでに・無呼吸ダッシュのように実行してみて下さい。ほんの数か月で人生が変わりますから。

天国は不安のない場所であり、自分の精神世界を天国に変えられた人間の行くところです。それはどんな状況に陥っても安心していられる勇気と信心のある人ってことです。天国に「地獄に落ちたらどうしよう」なんて不安にかられている人は招かれないのです。この世においてエゴ(我欲と保身)のために生きて不安に苛まれリスクを避けて生きることは当たり前のことで称賛こそされ誰にも非難はされませんが、天界において臆病は最大の罪なのです。人生とは己の愛と勇気を養い、魂の成長を促すためのものなのですから当然です。

2023年3月2日木曜日

陰謀論は知るべきか?

 【質問】40歳男性
スピリチュアル業界のバシャールという人が『陰謀論や嫌な事に意識を向けるとそのような事実が引き起こされるのでワクワクした方がいい、彼らは自然に消えていく』と話していて混乱します。

バシャール抜粋
『ちなみに、陰謀説を知識として入れる必要があると信じる人は、『針の目(穴)』の向こう側の世界で陰謀説が存在する世界にシフトすることになります。その事だけは覚えておいてください。また、バシャールや他の高次の存在との面会が起こる『針の目(穴)』の向こう側の世界は、古い世界のトラップから抜け出た世界になります。つまり、ネガティブ螺旋から抜けた世界ですから、陰謀説と関係のない世界にシフトしてゆく事になります。』

この言葉がどうも引っかかるのです。自分を守る為に陰謀論と思われている情報を調べれば事実としか思えず、ですが調べる事で恐怖の現実を自分で引き寄せているのでしょうか。彼のいう様に知りたくない情報は無かったことにして調べず、自分がワクワクする事だけしていれば世界は平和になるのでしょうか。はっきり言えば陰謀に溢れた世界で生きたくなく怖気付いています。だから頭の中お花畑にしてワクワクを追求すれば世界は勝手に平和になると信じたくなってしまいます。ですが創造主が私にそれを望んでいるなら仕方のない事と受け止めるべきでしょうか。

自分としては臭い物に蓋をしたり、自分の意識が楽しいと思える事だけに集中した程度で世界の闇は消えないと思っています。真也さんは陰謀論(事実?)とどう向き合っていますか、教えてもらえると幸いです。


【回答】
ご質問ありがとうございます。

ただこの件に関して僕は「生まれの格差について(陰謀論)」において既に全力で回答済みであり、あなたがこれを読まれた上で上記の質問をなさっているのであれば、文章であなたに伝えることは不可能であり、番組作成を待つか、ブラジルにアヤワスカの儀式を受けるかして下さい。

人生は魂の成長を目的として創造主に与えられたRPGであり、主人公として目覚めてもいない段階にある人が陰謀について(ボスの強さについて)詳しく知ってもただ被害者意識に陥って絶望するだけで、自発的にその体制を支える手下(構成員・奴隷)となってしまうだけです。バシャールの言うトラップとはそういうことでしょう。

支配者はこのRPGのラスボスであり、彼らとまともに闘えるだけのレベルに達するのは容易なことではありません。エゴ(自己保存)のために生きているだけの臆病なNPCがいきなりラスボスである支配者を相手にしてもまともに戦えるわけがありません(戦うどころか辿り着きさえしません)。

あなたがどれだけ支配者たちをネットで批判したところで彼らに届くわけもなく、例え届いたところで鼻で笑われるだけで微塵もダメージを与えられず、何も変わることはありません。

それどころか批判の言葉で自らを傷つけ(世界はワンネスであり、他人は自分の鏡であることは相手が支配者たちでも変わりがありません)、陰謀論について真実を追求することで自分のように絶望感に苛まれない人間を頭の悪い楽天家であるかのように見下し、自分も周囲も暗くネガティブにして、世の中に絶望し周囲も絶望させる悪魔の一員になってしまうだけでしょう。バシャールの言う「嫌なことに目を向けるな」というのは、僕に説明させればそういうことです。

まず戦うべきは自分の中にフラクタルに存在する悪魔・霊障であり、エゴ(我欲・保身・虚栄など)による臆病と怠惰であり、それに対して戦う気概さえ持たずにあっさり負けているようでは文字通り話になりません(RPGのストーリーになりません)。

悪魔・霊障=エゴであり、悪魔・霊障は常にあらゆる手段を通じて僕らをエゴまみれにしてきます。支配者たちが悪魔なのではなく、悪魔はフラクタルに我々の心の中にいるのです。だから決してそれに負けてはいけないのです。支配者たちでさえ、主人公の救いの対象であることに変わりはありません。力によって問題は決して解決しません。かえって悪化するのみです。万能の解決策は愛であり許しなのです。これはとてもスピリチュアルな戦いなのです。

まずは自分の覚りを進めることです。それはエゴを乗り越えることなのです。それは「欲は悪いものですか?」に書いた通り、エゴをなくすことではなく、出会った人を例外なく尊敬し・感謝し・許し・愛することで、人のエゴ(特に承認欲求)を無条件・無差別に満たしてあげることです。そのためには信心を持ち、知識を深め、祈り、六波羅蜜を行じて神々や人に奉仕することで信心を形にして、真理(愛)を実践の中で経験的に知ることが大事です。

そうすれば必ず自分自身を愛せるようになり、周囲の人からも愛され、心の波動が高まることでしょう。そうやってどんどん心の波動を高めて下さい。バシャールはそれを「ワクワクすることに集中して下さい」と表現していますが、言っていることは僕と同じです。すべては波動でできているのですから、あなたが自分の心の波動を高めることができたなら、それはいつか必ず世界の隅々まで連鎖して世界は救われるのです。

あなたの人生というRPGはすべからくあなた次第に創られています。自分が主人公としてその与えられた才能を使って世界を救う起点になるのだとしたら、ワクワクしないわけがないのです。それなのに多くの人は欲望が満たされる期待でのワクワクしか知らず、己のエゴに埋没して不満と不安に苛まれ、己を過小評価して自己保存(保身)のために生きることしか考えていないから人生がうまくいかず心の波動が下がり、世界を救うことを最初から諦めてただ絶望しているのでしょう。もちろん僕もかつてはそうでした。

繰り返しますが人生というRPGは魂の成長のためのものであり、それは愛と勇気を試すためのものなのです。恐れというのはすべからくエゴ由来だと知って下さい。エゴを乗り越えることでしか勇気というのは培われないのです。僕は自殺を決行するまでエゴを乗り越えることができませんでしたが、あなたにはそんな経験をしなくてもエゴを乗り越えられるようになって欲しいです。

自分はエゴが強く臆病だからと言って最初から諦めてはいけません。人間はそのように初期設定されているのであり、人それぞれの魂のレベルにあった課題・シナリオ・カルマ・特性が与えらえているのです。

初めから愛にあふれ何も恐れない人の愛と勇気より、エゴにまみれて臆病な人が振り絞る愛と勇気にこそ価値があるのです。楽器の演奏と同じで、最初からうまくなどできるわけがないのです。水泳を頭で理解しても実際に泳がなければ泳げるようにはならないのと同じで、覚り(真理・愛)というものを頭でわかったような気になっても意味がありません。

厳しいようで申し訳ないのですが、僕がどれだけ一生懸命回答してもあなたはわかったつもりでほとんど理解できておらず、またその自覚がないように(質問内容から)感じられます。ただそれは無理もないことなのです。人間は成長を楽しむためにあえて愚かに創られているのであり、夢を見ている間に夢の中にいることを自覚するのは困難なのと同じことで、目が覚めた後に眠っていたことを自覚するのみなのです。結局、日々実践する中で覚り(真理・愛)を開いていくしかないのです。決してあなたが愚かだということではなく、単に現段階で僕の説明していることを理解するには目覚めの経験が足りてないだけなのです。覚りの道・進捗は人それぞれですから、他人と比べる必要はないのです。

覚りとは科学的に完全証明できるようなものではありません。しかしあなた自身も周囲の人もみんなが幸せになる考え方・行動なのであれば、それがきっと真理なのです。

2023年2月25日土曜日

優生思想も創造主のシナリオですか?

【質問】20代男性
初めまして。いつも発信見させていただいております。

質問ですが、人の本能(優生思想)というのも創造主が考えたシナリオですか?

私は人間含め、全ての動物の生きる目的は子孫繁栄だと思っています。野生動物の世界では、厳しい自然界を生き抜くため強いオスがメスから求められ、弱いオスは子孫を残せず淘汰される現象がよく見られます。

この傾向は間違いなく人にも存在しており、相対的価値の男性(イケメン・高身長・金持ち等)は比較的モテ相対価値が低い男性(不細工・低身長・貧乏等)はあまりモテないという事実は紛れもないと思います。

そしてそれは相対的価値なのでどうしても序列が出来てしまい、女性に選ばれない男性が必ず発生してしまうのも紛れもない事実です(今の日本人男性は3人に1人が童貞というデータがあります)。

ならば性愛以外の分野で幸せを感じればいいという意見が出そうですが、性愛は子孫繁栄と直結しており人間という生き物の根幹にあたる部分なので、避けて通るのはほぼ不可能だと思います。

このように性愛の軸では資本主義と同じようにどれだけ頑張っても相対評価で除外されて淘汰される層が出てきてしまいます。このように絶対に幸せになれない人が確実に存在するのも創造主の意思でしょうか?それとも子孫繁栄や性愛の本能そのものがエゴであり、乗り越える対象ということでしょうか?他の方の質問と被る部分もあるかもしれませんが、回答を頂ければ幸いです。

【回答】2024年9月1日更新
ご質問ありがとうございます。

(特に日本人は)愛というものを男女の愛とイコールであるかのように限定して考え、意中の人に愛されなかったり、恋愛対象からモテないというだけで、自分(の愛)には価値がないと考えるほどに他者評価依存になっているのです。

ただそのような「愛」は我々に与えられた初期設定の課題である「エゴ」であり、本当の愛というのは「森羅万象(=すべての存在・事象)に対する慈愛と感謝」なのです。

愛とエゴとは真逆の概念であるにも関わらず、多くの人が「愛」を「すごく好き」ぐらいの意味に捉えていて、「すごく嫌い」の対義語のように考えています。そうしてエゴを愛だと勘違いし、満たされないことに苦悩しているのです。このあたりの話は自分と他人の愛し方で回答しています。

僕が愛について語ろうとすると、多くの人は「クサい」という感じの反応をして聞く耳を持とうとしませんが、それはその人の愛が腐っているからです。愛を醜いもののように感じてしまうのは、きっとエゴを愛だと勘違いしているからでしょう。

本当はすべての存在・事象が創造主なのであり、すべての存在・事象を許し愛することで創造主(=森羅万象)から愛を受け取れるのです。自分に都合の良いものだけを愛するのは赤ん坊でもできます。自分に都合の悪いものも、自分の魂の成長に必要だから与えられた課題なのだと感謝して受け取り、乗り越えて成長しようとすることが本当に大人になるということなのです。

あなたが愛を感じられないのは、自分に都合の良いものだけを愛そうとしているからだと思います。異性にモテない自分や他人は価値がなく不幸だと決めつけているようでは、すべての存在の根源たる創造主の愛を受け取れるわけがありません。あなた自身が心を閉ざしているから、世界はあなたに対して閉じているのです。あなたが心を開けば世界があなたに開かれます。これは僕が経験上確信していることです。

創造主は僕らの愛を求めて愛によって僕らを作ったのであり、自分や誰かの愛に価値がないと考え、この人生というRPGの設定に不平不満・文句を言うことはその愛と逆行することであり、不幸に導かれるのは当然なのです。そこに僕らは自発的に気づいて愛を無条件化していかなければならないのです。

僕らは世界を好き嫌いで二分することにより、その主体者としての「自分(自らの存在は他の存在と分かれたものであるという分離意識)」というものを実感しようという本能が与えられています。それがエゴの本質の一つです。

しかし嫌いなものが存在しなければ僕らは好きという感情も経験できません。そういう好き嫌い・喜びと悲しみのような相反する感情を感じ経験を積んで成長の喜びを味わえる存在として人生を与えらえれたことに自発的に感謝して森羅万象を愛することが大事なのであり、愛というのは好き嫌いや喜怒哀楽を超えたところにあるのです。そして自分自身が無意識に好き嫌い・善悪などで二元化してしまっている自分の認識世界を愛一元に変えていくことがこの人生というRPGにおけるみんなに共通したストーリー設定なのです。

>>人の本能(優生思想)というのも創造主が考えたシナリオですか?

そうですね、基本的には生まれの格差について(陰謀論)等に回答させていただいている通りです。この仮想現実RPGにおいてクリエイターが意図しない存在・出来事は一切ありません。そして本当は僕らも創造主の一部であり、記憶を消されているだけで、このシナリオの共通初期設定は僕らみんなの総意で作られているのです。自分で作ったRPGはすべてを忘れた上でレベル1から始めなければ楽しめないのです。

このRPGのシナリオにおける初期設定というのは全て解決すべき課題であり、人生という物語の伏線なのです。初期設定が完璧な真理で完全に幸せな世界であれば、それはもはやエンドロールであり、ゲームとして成立しませんので、我々に生きる意味はなくなってしまいます。

真理というのは初期設定の常識(思い込み)の中に巧妙に隠されているからこそ見つける喜びがあり魂の成長があるのです。ゲームにおいて初期設定は必ず課題(困難)を伴っているものであり、常識が間違っているのは伏線上当たり前のことなのです。

あなたは勝手に常識化していますが、僕らは子孫繁栄のために生まれてきたのではありません。もしそうなら結婚できない・しない人や、子供を作らない・作れない人には価値がないということになります。(それは確実に同性愛者差別ですよね)しかしもちろんそれは課題であって真理ではないのです。太陽も地球も人間もいずれは滅びることが確実なのに、子孫繁栄にそんな価値があると思いますか?そして子孫繁栄が目的のRPGなど見たことがありますか?

僕らは永遠たる魂の成長を経験するために生まれてきているのであり、意識している・していないに関わらず、主人公それぞれに用意された設定・課題・シナリオの中で修業し経験を積み成長を続けているのです。全知全能の創造主がちゃんと意味があって愛によって課題を与えてくれているのですから、創造主が我々にどういう成長を望んでいるのか愛で解釈し、感謝しながら乗り越えていかなければならないのです。

それなのにあなたはまるでその初期設定(常識)は変えられないということを前提にして、それを課題として乗り越えて魂を成長させることを放棄し、課題に対して不平不満を言っている感じがします。それはわき役NPCの典型的な思考なのです。ゲームの設定に文句を言う主人公ではゲームが進みませんし、映画の設定に文句を言う主人公では監督に愛されません。「愚痴・泣き言・不平不満」と「嘲笑」はシナリオ上「負けのフラグ」であり、自分を脇役NPCとして確定させる行為だと覚えておいて下さい。

人それぞれ自分を主人公とする、自分の魂のレベルに合ったシナリオ・カルマ(課題・経験)が与えられているのですから、他のプレイヤーと比べて難易度が高いからと言って不平不満を言うことはナンセンスなのです。レベルの高い生徒が通う学校ほど課題の難易度は高いのと同じであり、自分や他人に与えられた課題(カルマ)を比較して文句を言っているようでは成長するわけがないのです。創造主は我々に魂の成長を願って生んでいるのであり、その人に乗り越えられない課題など与えるわけがないのです。あなたがそれを信じられないのなら、あなたに信心が足りないということです。

この世界の初期設定(常識)である適者生存(≒弱肉強食)型の価値観を覆して共存共栄型の社会を実現して世界を救うのが主人公(メシア)であるあなた(=僕)の使命なのです。日々愛(真理)を実践し、ワンネス(あなた=私)であることにみんなが目覚める連鎖を起こし、無償で助け合い愛し合う社会を実現していくことなのです。

宇宙の仕組みに書いた通り、あなたは客観的世界に住んでいるのではなく、夢の中と同じようにあなたの主観的世界に住んでいるのであり、あなたこそが主人公なのです。そしてあなたの世界はあなたの解釈(世界観)が作り出しているものなのです。あなたはまだそれを全く理解することも受け入れることもできていないのでしょうが、あなたの人生というRPGはすべからくあなた次第に作られているのです。

この世界が確率・偶然性に左右されていると考えるのは幻想であり、本当はすべてが0次元である創造主の意思とあなたの意思との相関関係で起きています。会ったこともさえない他人は完全なNPCであり(いわんや動物をや)、その不幸や悪事をニュースやデータから持ちだして創造主を恨み世を嘆くのはナンセンスです。それは環境設定・伏線のようなものであり、あなたはあくまで実際に出会った人(あなたの心の世界=仏国土の住民)を救うことに全力を注ぐべきなのです

この世界は愛と勇気を試すためのRPGであり、当然世界はそのためにあなたを脅して不安にさせ、また怒らせてきます。(様々なニュースやデータは基本的に人を不安にさせるために存在しているのです)しかし決してそれに屈してはいけないのです。本当は全て大丈夫なのに、大丈夫じゃないと思わせるのは愛と勇気を試すためであり、本当は何の心配も要らないのです。それを心配したり不平不満を言って感謝しないから、その不安・その世界観が現実化してしまうのです。鳥は蓄えもしませんが、明日の糧を心配して自殺する鳥はいません。天に養われ守られているのを確信しているからです。

あなたは初期設定(NPC思考)通りに適者生存の価値観を絶対的なものだと認識し、自分もみんなもそれに服従する以外にないと考えているから、実際にあなたの認識世界はそのようになってしまっているのでしょう。あなたには信心がないために、この世界を非常に表面的にしか見ておらず、この世界のすべての存在が支え合って関係性(因果・縁起)の中で存在している(共存共栄)ということに全く気付いておらず、殺伐とした適者生存の競争社会としてしか認識できていないのです。

優生思想の根拠になっているダーウィンの進化論は虚構です。あれは支配者層が「この世界は適者生存である」と自分たちの支配を正当化するのに便利だから常識として学校も社会でも常識(正義)として教えさせているのです。

進化論を信じるのは人間の無明(愚かさ)の最たるものです。遺伝子の突然変異で新種(元種と交配不能)が誕生するなら、たった一世代の間に寸分違わずピッタリ同じDNAの突然変異(しかも元種より進化的で環境に適応した変異)を起こしたつがいがお互いを見つけて惹かれあい生殖しないと無理なわけで、そんなことは天文学的確率でもありえません。実際そんな証拠は一つも見つかってないのに、世界中の雌雄異体の全生物でそれが起きたと考えるのでしょうか?

しかも地球上のほぼ全種で近親交配によるデメリットが生じるのに、たった一つのつがいから新種が広がっていくと考えるのは無理があり過ぎます。進化の中間種も一切見つかっていませんし、今の生物の系統はすべてカンブリア大爆発の時期に生じていることがわかっています。つまり最初から分けて創られたということです。

今生きている全ての人間には例外なく2人の親がいて、4人の祖父母がいて、8人の祖父母がいます。そのように世代を遡ると、たった50世代で1000兆人の祖先がいることになります。今を生きるすべての生命一つ一つに、それだけの祖先がいるのです。ほぼすべての種において近親交配には遺伝子劣化が伴うのですから、いくらダブりがあったとしても知れています。少なくとも一つのつがいから種が広がっていくという考えは理論上破綻していることだけはわかるでしょう。

人間がたった数十数百万年の間に猿から進化したというのもあり得ません。「適者生存」が事実なら、なぜ今もたくさんの種類の猿が栄えているのか誰も説明できないでしょう。

この世に創造主が作っていないものなど存在しはしません。すべてが創造主の一部として形を現しているに過ぎないのです。仮想現実が自然・偶然に発生するなわけがありません。すべての存在の根源は創造主であり、この世界に存在意義のないものなど存在しないのです。もちろんあなた自身も、あなたが嫌いな人や価値がないと思う人たちにも。

あなたはまだ若く、性欲に振り回されている時期でしょうから、性愛や結婚を幸福の絶対条件のように考えてしまうのは無理もありませんが、そのように幸福を勝手に条件付けして自分自身だけでなく他人の幸不幸まで決めつけるような考え方が不幸の元凶なのです。あなたは覚りが開ける中で感じ取れる幸せというのを全く経験していないようですからわからないのも無理はありませんが、性的な快楽といういのは一過性のものであり、満たされ続けることはないのです。「性愛・結婚=幸せ」「それを得られない人は不幸(幸福から除外されている層)」などと勝手に決めつけるような考えがあなた自身の認識世界を本当に不幸にしているのです。

あなたの解釈・世界観があなたの認識世界(仏国土)を作っているのであり、あなたの人生という映画を作っているのです。ところが今現在のあなたの世界観は非常にネガティブで差別的で不安と不平不満と厭世観に満ちており、あなたの仏国土には住みたくない・同じ映画に共演したくないと深層心理で倦厭されていることが、恋愛に限らず人にも神々にもモテない根本的な原因であり、容姿や能力やステータスが直接的な原因ではないと思います。(落ち込まないで下さいね。それに気づいて直せば良いだけであり、それこそが魂の成長で、人生のシナリオの大事な要素ですので。)

因果は循環するものであり、あなたが本当に容姿や能力やステータスに恵まれないのだとしたら、それはあなたが世の中を悲観していて感謝の気持ちがなく不平不満と恨みで解釈しているからだと思います。僕自身も前はそうだったのでよくわかります。「自分は容姿が悪く何の才能もないから努力しても無駄だ」などと考えてネガティブな解釈をしているからこそ、努力する意欲もなくなりいつもネガティブなオーラを発して天の愛を受け取れず、才能からも素晴らしい出会いの運命からも見放され、ますますネガティブになるという悪循環を繰り返していたのです。

幸せの条件付けは不幸の根本的原因であり、ステータスなど表面的なもので条件付けして相手を決めるような女性はその時点で不幸決定のようなものなのです。そして世の中ステータスだけで相手を選ぶような女性ばかりではありません。あなたがそう解釈しているから、そう見えているだけです。フィーリング・人生観や世界観の一致の方を大事にしている女性があなたの周囲にいるように思えないのなら、それはあなた自身が女性を容姿やステータスなど表面的なものだけで判断しているからではないでしょうか?

異性というのは、あなたが心を開いてみんなとちゃんとコミュニケーションを取れる人なのであれば、あなたの現時点での容姿も能力もステータスも関係なく、創造主がちゃんとしかるべき相手と出会わせてくれてうまくいくようになっているのです。なのに出会いに対して心からの感謝の気持ちがなく、目の前の人を容姿や能力やステータスで判断して全力で愛さず、不平不満ばかり言い、世を嘆いてばかりいるから、すべての存在の根源たる創造主からの愛を受け取れないのでしょう。

どうしたらモテるか?については旧質問箱で回答させていただいておりますので、こちらもご参考下さい。あなたはきっとモテる人をうらやんでいるのでしょうが、一度に結婚できるのは一人までですし、意中の人に愛されないならどれだけモテても意味がありません。そして自然体でモテるならそれは素晴らしいことですが、不特定多数にモテようとしてそれにより自分の価値を感じようとすることは日本の社会病理「他者評価依存」であり、それは目の前の人を全力で愛そうとしないことにつながり、きっと人生がうまくいかなくなると思います。

人の価値とは?に書きましたが、人間の価値は能力ではなく存在なのです。能力を価値と考えるから「優生思想」のようなデタラメを真理と勘違いするのでしょう。

そして嫉妬・劣等感で苦しいで回答しましたが、自分自身が人間に優劣をつける考え方をしているから嫉妬・劣等感に苦しむことになるのです。誰でも自信満々になれる方法に書いた通り、出会った人を例外なく尊敬し・感謝し・許し・愛する努力を日々重ねていれば、嫉妬や劣等感に苦しむことはなくなります。常に正義より愛を優先する連鎖を目の前の人から起こし続けて世界を救って下さいね。

あなたは結婚や出産をまるで幸せの保証でも得ることのように考えている感じがしますが、結婚してもすぐパートナーとのセックスに飽きてセックスレスになったり、浮気などが原因で夫婦仲が険悪で、離婚したり一家離散状態になっている家庭というのはとても多いのです。結局性愛というのは一過性のものに過ぎず、それを幸せの本質であるかのように勘違いして追い続けても永遠に満たされることはないのです。

そして結婚や出産に限らず何かの成功というのは、その人なりの成長を期待されて与えられる査定前の新入社員のボーナスみたいなものであり、その上にあぐらをかいて今まで以上の努力を怠ると、ボーナスが借金のようになって多大な利子付きで強制返済させられるのです。それは離婚についてに書いた通りです。

今回ちょっと厳しい回答に受け取られてしまっているかも知れませんが、僕は常に100%の愛で回答していますし、あなたの幸せを心から祈っています。

※再質問が来たのでこちらに回答しています。

2023年2月5日日曜日

NPCはみんな私の幻?世界線とは何?

【質問】
自分の人生に無関係な人がNPCなのは理解し易いのですが、身近にいる人々や真也さんも私の脳が作った幻で、実は存在しないのでしょうか?

「別々の自分の主観的世界にいるがP2Pのネットゲーム世界のように重なりあっているから一つの世界に見える」と言う説明が本当なら、真也さんや私が出会ってきた全ての人々は私の鏡で本当は存在せず(別の世界線にいる?)

コロナ禍というシナリオの中で学んでいるのは実は私ひとりだけなのでしょうか。それとも、このコロナに翻弄される世界がデフォルトでみんな似た様な世界線にいるのでしょうか?

もしも私だけの世界であるなら、コロナ禍を引き起こして私の世界にいる住人たちに迷惑をかけて申し訳なく思ってしまいます。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

我々は世界の仕組みを理解できないように作られているのですから当然と言えば当然なのですが、まだあなたはほとんど理解されていません。僕自身、目覚める前に「宇宙の仕組み」について読んだとしても、ほとんど理解はできなかったでしょう。結局経験を通してしか理解できないものなのです。だから決してまだ理解できないあなたを見下しているのではありません。あなたがまだ理解できないのは、あなたの人生というRPGにおける現段階での進捗を遥かに超えた内容だからです。

大事なことは目の前の自分のRPG(覚り)を進めることです。僕がnoteで一番伝えたい内容は「誰でも自信満々になれる方法」であり、「宇宙の仕組み」はその論理的根拠のようなもので、「自分が主人公であること」さえ理解していただければ十分なのです。他にも「人の価値とは?」「反省してはいけない」「問題は解決しなくていい」あたりに書かれていることを日々その内容を実践していれば、無理に世界の仕組みを理解しようとしなくても、経験的に理解できるように導かれます。逆に実践・経験なしに深く理解しようと思っても無理です。

だから一応いつも通り全力でご説明しますが、今現在のあなたに説明してもきっとご理解はいただけないと思います。RPGにおいて必要なものは必要な時に必要なだけ与えられるのであり、今現在理解できないことは理解しなくても良いので、焦らないで下さい。僕の世界観をあなたの現段階で無理に全部理解しようとすると混乱して統合失調症のようになってしまうでしょう。

>>自分の人生に無関係な人がNPCなのは理解し易いのですが、身近にいる人々や真也さんも私の脳が作った幻で、実は存在しないのでしょうか?

関係があろうとなかろうと、実際に出会っていようといまいと、自分以外の人間は基本的にNPCです。そしてあなたも他人にとってはNPCなのです。

自分の世界は自分次第に作られていますが、そのような仕組みに作ったのは創造主であり、あなた個人の脳ですべてを作り出しているということではありません。既にある無数の可能性の中からあなたが人や出来事との出会いを選択している(引き寄せている)ということです。だから人生はRPGと同じだと再三お伝えしています。僕も他の人もあなた個人の脳が作り出した幻ではありません。統合意思(僕らの深層意識全体の総意)=創造主(クリエイター)が作り出したものをあなたという主人公の深層意識が引き寄せたのです。人はそのように自分が選択したシナリオの必要性に応じて必要な人に出会うのです。

あなたが出会う相手が完全自動で動いているAIの如きNPCなのか、それともそれをアバターとしてログインしている別のプレイヤーなのか、あなたには見分けることができませんし、見分ける意味もありません。それらは実質同じものであり、自分自身と同じように主人公として尊重し、愛する以外にないからです。

他人の存在が幻だというのなら、あなたが自分だと思っている自意識自体が幻に等しき仮象のものです。すべての存在は同一(ワンネス)なのであり、自意識(自分は自分である)分離意識(自分は他のものとは別の存在である)自己同一意識(自分はこういう人間である)この3つが「自分」という仮象を形成しているのです。

そしてそれぞれの存在には個性が与えられ、それは欠点や過ち(不完全性)と不可分なのです。個性=不完全性がなくては僕らは愛の物語を経験できません。しかし不完全性というのは幻であり、本当はすべてが完全なのです。愛(お互いが補い合い許し合うこと)を生むために完全たる創造主は個性・不完全性という幻を作り出したのです。

僕が全ては「幻」だというのは存在しないという意味ではなく、本来存在し得ないものが仮の形で実体化しているのです。ちょうど電源を落とせばデータだけ残してすべてが消えてしまうRPGと同じです。

このRPGは魂を成長させるためのものであり、そのために常に愛と勇気が試されています。そのためにあらゆる存在があらゆる手を尽くしてあなたを不安にさせ、怒らせてきます。しかし決してそれに屈してはいけないのです。

ゲームだから・相手はNPCだから何をしても構わないというものではありません。出会った人を自分自身のように愛し、大切にして下さい。ゲームは真剣になるほど楽しめるものですが、深刻になり過ぎては楽しめないものなのです。「しょせんゲーム、されどゲーム」です。そして「勇気なき愛は欺瞞であり、愛なき勇気は蛮勇である」と覚えておいて下さい。それは創造主からの大切なメッセージなので。

>>真也さんや私が出会ってきた全ての人々は私の鏡で本当は存在せず(別の世界線にいる?)

あなたはまだ世界線について全く理解されていません。世界線というのはネットゲームにおけるインターネット回線のようなもので、それは他のログインプレイヤーと世界を共有させているものなのです。

しかしシナリオ上必要なプレイヤーとだけつながっていれば良く、存在するすべてのプレイヤー全員と常時接続するのは無駄でしかないのです。だから僕らは70数億人がみんな一つの世界を共有しているように見せられていますが、実は全員とつながってはいないのです。

深層意識が選択しているシナリオのゴール(目的地)が変われば、それに合わせてルートも変化します。それはちょうどあみだくじのような感じで、主人公であるプレイヤーが別の世界線に移動したりすることは(特に主人公に目覚めようとしているプレイヤーには)気づかない間にも頻繁に発生しているのです。

しかし僕らはこのあみだくじを真横からしか見れないような感じになっていて、まるで一本の線であるかのように世界を認識しているのです。ただ実際は頻繁にルートは変化しています。これはまさにRPGと同じ仕組みであり、僕らは深層意識によってシナリオを選択し、それに合わせてルートは常に変化しているのです。それによって未来だけでなく過去も(現実そのものが)変化するのです。(マンデラ効果)

過去・未来というのも僕らの意識が作り出す幻の如きもので、本当はすべてが「現在」として存在しており、それが変化し続けている(因果を更新し続けている)のです。DVDの映画で、リーダーの光を当てて作り出した世界を視聴者が「現在」として認識しているのと同じように、僕らは本当の世界(データ宇宙)の中のほんの一点を「現在」として認識しているだけであり、本当は世界・人生は既にデータ(可能性)として全て一度に存在しているのです。

そしてこのみんなの意識が重なり合ってできている世界には、宇宙人のように他のルールのゲームをしているプレイヤー(意識体)もたくさんいるのですが、それらとモロに世界線がつながったらゲームがめちゃくちゃになってしまうので、通常はつながらないようになっています。つまり直接的な干渉はできないようになっています。しかし物語を面白くするために別次元の存在が主人公であるプレイヤーのシナリオ上の必要に応じて(宇宙法則の制限内で)僕らの世界線のアバターにログインして干渉してきたりするのです。稀には完全に別なゲーム世界(世界線)のアバターがこちらのゲーム世界(世界線)に交錯して出てくることもあります。それが僕らが物質世界において認識する宇宙人ですね。それは幻のように現れたり消えたりします。

無限に重なり合って存在しているルービックキューブを想像してみて下さい。その縦横の分割線を世界線・時間軸だと思って下さい。出会いというのはその世界線・時間軸が他の人のルービックキューブとピッタリ同じに揃ったときに一つの面(フィールド)を共有するようなイメージです。(あくまでイメージであり、厳密に例えれば世界線の数・面の数は無限に近いほどあって表現不可能です)

ピラミッドなどはそのルービックキューブの回転の基準点として存在しているのであり、命が尽きた後に転生してまた会いたい人にもう一度会うための仕組みだと「宇宙の仕組み」でご説明させていただいた通りです。ピラミッドは「ワンネス=本当はすべてが一つである」ことに目覚めた上位次元の存在の愛によって作られたものなのです。我々の世界線上において奴隷への強制労働などによってあのような高度な建造物を作ることは不可能ですし、王墓などの今まで考えられてきた建設理由はこのとてつもなくコストがかかる大事業の動機として不十分です。

余計に理解を難しくしてしまっていたら申し訳ないのですが(苦笑)、読者の方で理解できる方もいらっしゃるかも知れないので一応書きます。僕らの世界の大元は0次元の存在であり、それが創造主です。そして我々が認識できるすべての存在は01のデジタルデータが元なのであり、二次元の平面データなのです。どんな多次元世界もそのデジタルデータを投影したホログラムのような世界なのです。そしてすべては因果により結びついていて、それが常にスパイラルに循環・更新されているのです。そして時間軸も世界線もルービックキューブのようにグルグル循環しているのです。

宇宙人も存在しますし、レムリア・アトランティス・ムーのような幻の大陸も実在しています。それは僕らが通常認識できる世界線上にはないというだけで、それらの世界も僕らの世界線・時間軸と交錯し、僕らの世界のシナリオの伏線に影響を与えているのです。

前述の通り因果というのは循環するものであり、過去が現在に影響を与えるように、現在は過去にも影響を与えているのです。それはまるでゲームやアニメで後からどんどん設定が付け足されるような感じで、つじつま合わせに無理が生じ、特定の世界線・時間軸上にいる僕らから見ると、矛盾点やミッシングリンクだらけになるのです。

宇宙や人間の出現もまさにそうで、我々の世界線でいくら過去を遡っても真実には辿り着きません。宇宙の全てを作っているのは世界線も時間軸も超越した上位次元の世界の存在なのです。ウィニングイレブンの試合時間をいくら遡ってもウィニングイレブンそのものが作られた時間には至らないのと同じことです。我々から見て上位次元の存在の時間は虚数なのです。宇宙も人間もピラミッドも、虚数時間軸・別の世界線で作られたものであり、我々の時間軸・世界線上において考古学的な調査をしたところで、研究が進めば進むほど後付けのつじつま合わせのような証拠が見つかるだけであり、矛盾点やミッシングリンクが多数見つかって、真実には辿り着けないのです。



>>もしも私だけの世界であるなら、コロナ禍を引き起こして私の世界にいる住人たちに迷惑をかけて申し訳なく思ってしまいます。

あなたはゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのは自分のせいだと思いますか?またウイルスを作ったアンブレラ社や、ゲームを作ったクリエイターを恨んで意味がありますか?

歴史や神話上のことであれ、あなたの身に起きたことであれ、過去に起きたことはすべてクリエイターがあなたの成長のために用意した伏線であり、乗り越えるべき課題なのです。それを自分のせいだと考えて申し訳なく思ったり、誰かを恨んだりしていてはゲームは進まないのです。

ただ、まだ主人公として目覚めてさえいない=レベル1にも達していないNPCであるあなたがいきなりダンジョンボスレベルを相手にしようとしても無理なのです。だからといって最初から諦めてNPC人生に逃げないで下さいね。

まず主人公として目覚めることです。つまり菩提心(真理を求め、衆生を救う覚悟)を持つことです。それがゲームの本当のスタートなのです。あとは神々に(自動的に)導かれるのです。今どんなにレベルが低くて何もわからなくても、世界を救うべく愛と勇気を持って突き進んでいけば大丈夫なのです。


それがなければあなたはただ「自分が選択している」という気分だけ味合わせてもらっているだけのわき役AIであるNPCに過ぎません。

繰り返しになりますが、人生はネットゲームなんですから、当然同じ設定・ルールでプレイしている人(意識)たちはいっぱいいます。世界線というのはネット回線のようなもので、それを共有するということは、同じゲームでなおかつ同じルームで共同プレイしているようなものです。

この世界とネットゲームとの主な違いは、モニターで見る目線ではなく、自分の意識がパソコンの中のアバターに入り込んでそのアバター目線でゲームの世界に入り切っているというところです。

あなたの認識世界(=あなたの仏国土)があなたのパソコンの中という感じです。あなたの認識できるすべてはそのパソコンの中にあって、その外側は認識できません。つまり他人のパソコンの中はわかりません。

あなたが出会う他のログインプレイヤーは、そのプレイヤーそのものではなく、お互いそれぞれのパソコンの中で連動して動くアバターなのです。

つまり他人はあなたの認識世界(仏国土)の住民であり、あなたは他人の認識世界(仏国土)の住民だということです。それは同時に両立するんです。カタカムナにある通り「カタチサキ」であり、物理的な大きさや距離などは関係ないのです。

だからあなたの仏国土の全員(出会った人の全て)が幸せになるように導き、他のプレイヤーと交錯する自らのカルマ解消(悪い因果の解消・課題クリア)に向けて正面から立ち向かい、NPCたちからの嘲笑・誹謗中傷などの抵抗に屈することなく、主人公として目の前の人から覚り・愛を実践によって連鎖させ、きっと世界を救って下さいね。



2023年1月25日水曜日

原因不明の鬱状態から抜け出せない

【質問】
 ①失恋→哀しみ、喪失感、絶望感(当時は良く分からず、ただ不快でした)今振り返ると、当時は自他を激しく責める、自己肯定感の低さ等、真也さんのノートに記載されてる内容がかなりあてはまりまります。心身共に悪い状態でした。

このままで大丈夫だったはずが

②その後、私は大麻、特にインディカにハマっていきました。最初はなんだか楽しく、欲求も磨きが掛かった様に増加していきました。心身共に健康体に戻った気がしていました。

③その後、バットを経験したりするうちに、気づいたら、不安や焦りに呑まれていました。この頃から、自分が鬱だと思う様になりました。(大麻は悪いものではないと思いますが、鬱の引き金を引いた事は事実だと思います)大麻は気分を上げる為に使ってる事に気付いたのでやめました。

今の状態としては、[無]に近い感じがしています。欲がほぼ無く、感情が薄いと言う感じです。しかし昔の様に自他を責めたり、不快な気分に呑まれている事はありません。気になる事は①の状態は不快な感情に呑まれて、鬱状態だったのは分かるのですが、今は何で鬱状態にいるのか良く分からない事です。何となくインディカのせいか、お陰か内向性に磨きがかかりその興味の対処が自分の体調、気分に全てのベクトルが向いてしまっています。これは、心身の状態が大きな不安案件だから意識が向いてしまっていて、結局今は、[不安]と言った不快な感情に呑まれていると言う事でしょうか。

最近は、原因を知る必要が無いと言う真也さんのノートを参考に、この様な事は考えてません。今回は質問と言う事で、よく考えていた事を記載させていただきます。しかし、自分を内観する特に、心身の体調を気にする事は今でも続けています。今思うと③の段階から数年続けてる気がします。長く行いすぎて癖になっていました。最近、これは悪癖で、この行為含めて、今は自分で勝手に鬱状態にいる気がします。何か外部でのトラブルや、問題は無いのに、自分で自分の後ろ髪を引っ張っている気がします。書きながら、何と無く意味ないどころか逆効果な気もします。内観が悪い訳でも無い事を理解していますし、人生を豊かにする行為であるとと思います。ただ自分がやってる内観は病的なものなのでしょうか。真也さんに逆効果と言っていただければ頑張って止めたいのですが。

【回答】※1月27日更新
ご質問ありがとうございます。

僕もあなたと同じぐらいの歳の頃はあなたと全く同じような感じだったのでお気持ちはよくわかります。当時の僕には大麻のような自己逃避の手段が身近にありませんでしたが、自分自身も世の中も大嫌いで鬱だったので、もしその頃の僕にも何か逃避手段があったらきっとハマっていたに違いありません。

実際鬱の末期(自殺決行直前の1年間ぐらい)は心のタガが外れてドラッグにハマってしまっていましたし、今でも誘惑に負けそうになることはたまにあり(僕を聖人君子のように勘違いしないで下さいね)100%完全に克服したというわけではありません。人を救うという使命を投げ出したくないという思いがあり、またせっかく日々鍛えている体を失いたくないとの思いもあって、それが心の支えになっているので易々と誘惑に負けたりはしませんが、今後も戦いは続くと思います。それはもうカルマなので仕方がありません。だからこそ僕は誰の弱さも責めません。

僕は「反省してはいけない(より良い未来を掴むことに全力をかけるべき)」と書いていますが、原因を知る必要は無いとは書いてはいません。内観というのは瞑想などを通じて神我(ハイヤーセルフ)の視点から行うべきものであり、小我に捉われたネガティブな今現在のあなたの視点で自分自身の過去を眺めれば当然ネガティブな結論しか出ないでしょう。そして自分を守るためにそこにはブロックがかかっているので、結局内観したところで原因はよくわからないことでしょう。それは原因ではなく結果なのです。

あなたが大麻をやめたのは正解だと思います。大麻を全否定するつもりはありませんが、酒と同じで自己逃避の手段として癖になれば悪い影響が大きいです。気づかない間に自我を霊障に明け渡すことになってしまうからです。

いきなり完全にやめようとするのではなく、もっと大切なものを育てることに血心を注いで下さい。ダイエットや菜食などと同じで、死ぬまでずっと我慢が続くと考えると耐え切れなくなってしまいます。少しずつ減らしていって下さい。快楽・逃避行為に対する我慢は長く続かないように人間は作られています。我慢するのではなくもっと大切なものを育てることが大事なのです。蛇足ですが今の政府の麻薬対策は中毒者を社会から締め出すことで大切なものを育てさせないから厳しく取り締まるほど結果は逆効果なのです。

心の苦しみを知っているあなたこそが、それを乗り越えて人を導く使命があるのです。あなたにしか救えない人がいるってことです。善人を救うのではなく、自分より悪い人を許して救うことでいつの間にかあなた自身が救われるのです。

まずあなたが理解しなければいけないことは、精神病は霊障であるということです。あなたは自覚がない間に深く霊障に犯され、本当の自分ではなくなっているのです。詳しくは「憑依体質の存在意義」に書きました。

自分が自分であることに耐え切れず逃げ出したくなる「自己嫌悪」と世の中が嫌になって逃げだしたくなる「厭世観」が強くなり、自分自身を許せないために内省することに対して無意識にブロックがかかっているのでしょう。そういうところに霊障はつけこんで「そんなに要らないなら私がもらってあげるよ」とあなたの自我を乗っ取ってくるのです。

夢の中で自分がいつもの自分ではなくなっていることには気づけませんし、気づいたところでいつもの思考回路には戻れません。しかしその「いつもの自分」というのも、夢の中の自分と同じで気づかない間に意識が顛倒しているのが無明という闇を与えられた人間という存在なのです。そうでなくては魂は成長・愛を深く経験できないのです。

確かに鬱になったその入り組んだ複雑な理由を深く分析することにあまり意味はありません。僕が「反省してはいけない」で伝えたかったことは、自分の罪も他人の罪も幻であり、すべてを霊障のせいにして許すべきってことです。実際それは事実ですからね。そう考えると心が楽になるでしょう?そして霊的な穢れを日々祓い、本来の自分(神我・ハイヤーセルフ)へと立ち返っていくことが大事なのです。反省することよりよりよい未来を掴むことに全力を注いで下さい。


悪いカルマの解消法」もよくよく読んで、書かれていることを実行してみて下さい。すべてはあなたの魂の成長に必要だから起きていることなので、誰のことも責めず感謝の気持ちを持つことが大事です。そしてまずは真光でも世界救出教でも良いので無料で浄霊してもらえるところに通って浄霊してもらって下さい。その効果がわかれば、自然と信心もわいてきてより神々の加護が受けられるはずです。

もし借金してでも40万円ほどの資金と10日ほどの休みが用意できるのであれば、ブラジルにアヤワスカの儀式を受けに来て下さい。きっと良い導きが得られると思います。途中で逃げ出さなければ、ですが。元気になれば40万円程度の借金はすぐ返せます。できるだけ消費者金融などを頼らず、身内に借りて下さいね。

実態が伴わない努力に効果はあるか?

【質問】22歳・男性
真也さん、初めましてこんばんは。ノート、特に鬱の記事やその他ツイートを参考にさせて頂いている者です。

最近、ポジティブな思考や、感謝する事、自分に自信を持つ事などを始めました。そこで,疑問に思ったのが、とりあえず上に書いたような行動を取るのは実態が伴わなくても効果があるのでしょうか?

説明が難しいのですが、例えば、会話で面白くなくても、なんとなく自分も笑う事。頭の中の思考がネガティブだったら,ポジティブを埋め込む様にする事などです。


【回答】2024年10月21日更新
ご質問ありがとうございます。参考にしていただいてとても光栄です。

>実態が伴わなくても効果があるのでしょうか?

いえ、実態が伴わなければ全く意味がないどころか逆効果だと思います。

そのように「心から納得してないことに無理やり自分を従わせること」自体が不幸の元凶なのです。あなたはまだ考え方(解釈方法・世界観)がネガティブな段階にあり(それも覚りの一過程なのですが)、ポジティブな考え方に心から賛同できていないわけで、自分の本心とは違う行動をすれば苦しくなって続かなくなるのが必然です。逆に魂レベルで腑に落ちていることなら、無理をしなくても自然とその魂を主として行動に反映され、自分の認識世界全体に反映されることでしょう。

体というのは感情の楽器(Organ:オルガン)であり、あらゆる部分に管楽器のように管が通っていて、また打楽器のように膜が張っています。この次元において実際にその音が聞こえなくても、体は感情のバイブレーションを起こしているのです。腹がむかついたり、胸にこみ上げたり、色々です。我々はそのように常に感情のバイブレーションを発し、それを全身でありありと感じるように創られているのです。我々は感情(愛)を経験するために生まれてくるのですからね。

そして宇宙の仕組み」「音と水の存在意義に書いた通り、世界は超ひものバイブレーションでできていているのです。それは言葉(コード)であり、思念と感情の乗り物であり、音楽なのです。だから僕らの人生はオーケストラの如きものです。

そのオーケストラにおいて、僕らは人生をかけて体という楽器の扱いを上達させなければならないわけで、実態が伴っていないのに(考え方がネガティブで、演奏も調律も下手なままなのに)無意識に出してしまっている音(ネガティブな感情)の方を無理やり押さえつけて、胡麻化すこと(態度だけポジティブにする=実態の伴わない努力)ばかりしていては、ムダどころかむしろストレスが溜まって逆効果になるのは目に見えています。

感情は「感受性」という言葉がある通り「受動的」なものではあるのですが、「能動的」に楽器の取り扱い方(演奏・調律)を実践から学んで上達していかなければならないのです。

ネガティブな感情が生じてしまってから無理やり頭で抑え込むこと(我慢)ばかりやっていても、「感情音痴」は決して治らず、出てくるのは不協和音(負の感情)ばかりで、自分も周囲も常に不快にし、その抱えたストレスはいつか暴発して「やっぱり自分はダメだ」と諦めるようになるのは必然なのです。

今の時代「意識高い系」の人がとても多く(僕もかつてはそうでしたが)、彼らは実際に意識が高くなってないのに、他者評価依存のために他者評価でもって自尊心を上げることばかり考え、他人に対して意識の高さを演じてそれをアピールするのですが、それで結局は必ず息切れしてしまうのは、実態の伴わない努力をしているからなのです。そのようにまだ思考がネガティブなのに感情や行動をポジティブにしようとしても無理なのです。そしてそのような「意識高い系」の人というのは劣等感から「自分は優れた人間である」と思い思われたいがために心に愛を失くし、他人を見下したり責めたりしてマウントを取ろうとして人から嫌われ、優れた人に会えば嫉妬して劣等感に苦しみ、本心では実態が伴っていない自分を嫌悪して余計に自信を失うことになるのが必然なのです。情報商材詐欺師みたいなものは、こういう「意識高い系」をカモにしていますね。もっともらしいことばかり言って成功者・金持ちを装えば釣れるんですからチョロいもんです。

だから我々は常に「能動的」に感情を発する楽器の取り扱い(演奏・調律=考え方・愛し方)を学び実践して、経験を積んで魂レベルで納得しながら上達していく必要があるのです。どんな苦難があっても悪い音(感情)が出ず常に前向きでいられるぐらいに。それは覚りを開いて行くということとイコールです。ポジティブな考え方・愛し方になるよう成長していく方法については自分と他人の愛し方をご参照下さい。

例えば「心から感謝」できるようになるには、心から感謝できるような考え方を日々学んで実践し、魂レベルで腑に落ちるように成長していかなければならないのであり、魂レベルで感謝できていないのに頭で無理やり感謝しようと思っても心が伴わず、無理が生じて苦しくなり、またその心から感謝していないということが態度に現れ、それを相手に見抜かれて、感謝を示そうと努力しているのにも関わらず嫌われるのです。

そして「誰でも自信満々になれる方法」に書いた通り、自分に自信がない人がいきなり何の根拠もなく自信を持とうなんて思っても無理です。だから心から自信を持てるような考え方を実践から魂レベルで成長させていかなければならないということです。それをしないで自分の能力や正しさ(意見)を根拠に自信を持とうとしても上手くいくわけないのです。

「魂レベルでポジティブになれるように考え方・愛し方を成長させる」ということを全く意識しないまま大人になると、感情を無理やり押さえつけてばかりになり、結局感情に振り回されるか論理的に暗くなるかしかなくなり、感情のコントロールというのが絶望的に難しいことのように思えてしまいます。しかしそれは日々意識して訓練していれば誰でもできるようになることです。それができていないのは、今までそれを意識すらしてこなかったというだけのことなのです。まさに楽器の演奏と同じで、意識して練習していないのでは、どれだけ才能が与えられていようとも上達しようがないのは当然のことです。

心の取り扱い方(演奏・調律)の最も基本は、自分に与えられているもの(才能、環境、人・出来事との出会い)が、自分の魂の成長にとって常にベストなのだということを信じ、少しずつでも感謝できるようになることです。何事も「なぜそれが与えられたのか(どんな成長を期待されているのか・何に気づかせようとしているのか)」を「愛」で解釈することです。実際それは創造主からの「愛」で与えられているのですからね。

誰でも喜ぶようなものが与えられないと感謝できないのでは、その感謝に価値はありません。どんな苦痛・苦難も成長のために愛によって与えられているものなのだと気づいて心から感謝できるような人の感謝に価値があるのです。いつも言っていることですが、自分に都合の良いものだけ愛そうとする「エゴの愛」は、どんな悪人でも赤ん坊の頃から持っています。真に大人になるということは、自分に都合の悪いものも、自分の成長のために与えられている課題だと感謝して受け取りそれを乗り越えられるようになることです。

創造主の感情も基本は我々と同じであり、与えられたものに感謝できない人間にもっと与えたいと思わないのは当然のことです。現時点で価値に気づかず感謝できない人間なのなら、更にどれだけ与えても感謝されないことは自明だからです。そして既に与えられたものまではぎとられ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのです。

人生という楽曲を自分で作り、その素晴らしさを体感できる機会を与えられているということは本当に素晴らしいことなのです。それを自らひどい曲にしておいて創造主(が与えた運命)に文句を言うのは筋違いであり、創造主の愛を受け取り難くなるのは当然です。

特に鬱の人はまず自分も他人も責めるのをやめ、許すということを意識すべきだと思います。鬱の本質は自分や他人を責めることであり、その解決の基本は自分も他人も許すことなのです。許すというのは我慢することとは違います。我慢というのは読んで字の如く、我(エゴ)で己の心を漫々にすることであり、「嫌だけど我慢してやっているのだ」という上から目線の傲慢な一時凌ぎを続けてどんどん心の中に不平不満を蓄積していたら、いつか爆発することは自明なのです。自利を考えず相手を許し相手のためを心から思って耐え忍ぶ「忍耐」が必要なのであり、それが愛なのです。忍耐を伴わない許し=愛に何の価値もありません。


note記事「誰でも自信満々になれる方法」でも、僕は「心から笑顔になれるように考え方(哲学)を変えていかなければならない」というように書いているのですが、なぜか多くの人が「鬱などで落ち込んで笑えない時でも無理に作り笑いをすべき」というような誤った解釈をしてしまうので困っています。

出会った人は例外なく、自分が主演の映画にボランティアで友情出演してくれている役者さんたちなのですから、たとえどんな悪役だったとしても出会いに心から感謝し尊敬し愛するべきであり、それをきちんと態度(笑顔)で示すべきです。

そしてその悪役たちも最終的には「本当はいい人たちでした」というシナリオを成就していくのです。そのように感情(音)そのものではなく感情(音)を生じる思考と行動(楽器の演奏・調律)を学んで実践し上達させていくのです。

人生はオーケストラであり感情のハーモニーですから、自分の感情(音)も他人の感情(音)も宝物のように大事に扱って下さい。それは当然それを発する楽器(その人)を大事にすることです。楽器を大事にする心なく、取扱い方も学ばずに人生が良い音楽(芸術・物語)になるわけがありません。

あなたがもし著名な演奏家で、ストラディバリウスのような何億円もする高価な楽器を貸与されていたら、それはそれは大事に扱うことでしょう。しかし「そのストラディバリウスをタダであげるから、明日臓器提供のために死んで欲しい」と言われてもきっと死なないでしょう。つまりあなたは今まで何億円もする楽器よりも遥かに価値がある「自分」を創造主から貸与されていながらその価値がわからず、まるで自分のものだからどのように扱っても構わないかのように考えて少しも大事に扱わず、また同じように他人の価値もわからないために大切に扱わずに平気で傷つけ、お互いに傷つけ合ってきたのではないでしょうか?(わかっていると思いますが、これは体よりもむしろ心の話ですからね)

嫌いな人・興味のない人・見下している人の感情ならどのように扱っても構わないかのような感じで大切に扱わず平気で傷つけていれば、相手からもこちらの感情をぞんざいに扱われて傷つけられてしまうのは当然のことです。

鬱の人は「自分は自分ものだから」と平気で自分を責めて見下してイジメて落ち込ませますが、それによって自分の心が毒で満たされ、心の住民(出会った人)みんなが風の谷のナウシカの腐海の植物のように毒を出すようになります。実際鬱の人というのは傷つきやすいくせいに平気で他人が傷つくようなことを言ってしまうのです。そのようなことを繰り返しているだけでは自分と他人の「心の扱い方」がいつまでも上手くならず、人生というオーケストラがいつまでも不快で悲惨なままなってしまうのです。

人を大切にするということの基本は、話を真剣に聞くということです。それは相手の意見を一切否定せず、その気持ちに同情すること・気持ちを共有することを目的化するということです。特に男性は「問題解決型」の脳をしているために、問題を解決しようという目的で相手の話を聞いてしまって、余計な提案なんてして相手を傷つけてしまうのですが、それを止めなければならないのです。

相手の話を否定せずに聞くというのは、相手の意見に従うということではありません。そのように考えるから話を聞くのが苦しくなるのです。我々の魂は本来同一・同源であり、同じ条件で同じ人生を歩めば必ず同じ感情・同じ考え方になるのです。相手は自分にはできない経験をしている貴いな存在なのですから、相手を自分の前世や未来世のように考えて完全に同じ視点に立って話を聞くことが大事です。「あなたはそういう経験をしたのですね。私は違う経験をしているのであなたと意見は違いますが、あなたがそういう意見になる気持ちには心から同情します」と、相手には直接言わずに心から思いながら、相手の話を愛を持って真剣に聞くことです。

つまらないと感じる話ほどむしろ真剣に聞いて下さい。徳川家康の言う通り、人はつまらない話を真剣に聞いてくれる人に大事な話をするものであり、つまらない話をされたらそれはその人と本当に仲良くなるチャンスなのです。人間関係はすべからく鏡であり、あなたが他人の話を面白くないと感じているようなら、あなたの周囲の人もあなたに対してそのように感じていることでしょう。(現在のあなたにいつもそんな面白い話をしてくれるような友人がいますか?)

お笑い芸人には面白いことが毎日のように起きていると思いますか?彼らは解釈の仕方(考え方・切り口)が面白いから芸人をやれているのであり、面白いことがなければ面白いことが言えないような人なら芸人などできません。彼らも僕らと基本的に同じ日常感覚がなければ共感が生まれず笑いなど取れないのです。あなたも日常を面白く解釈できるように日々努力してみて下さい。見方を変えれば世の中は驚きと笑いに満ちているものです。

人生というRPGにおいてクリエイター(創造主)は常に人や出来事との出会いを通じて導いてくれているのであり、人の話を聞けない人というのは必ず行き詰まるか事故るかしかなくなるのです。

最終的に話を聞ける徳川家康が成功し、畏怖されることで周囲に本音を言ってもらえなくなった織田信長が裏切られ、偉くなって頑迷になり周囲の話を聞けなくなった豊臣秀吉が晩節を汚して死後に家も没落したのは歴史の必然です。

どうか自分も他人も、人間という感情の楽器を宝物のように大切にして、うまく扱えるようになって下さいね。もちろん楽器といういうものは最初からうまく演奏できないのが当然です。だから最初から完璧にできない自分を許しながら、少しずつ、考え方(哲学)から体という楽器の音(感情)の演奏・調律が上手になるように頑張って下さい。学校の鼓笛隊や合唱と同じでみんなと一緒に毎日やってれば必ず上達しますから。

人生というオーケストラにおいて、演奏者は主体者である自分なのであり、他人の演奏技術の進捗は関係ないので、比較して劣等感に陥る必要はありません。自分と他人を比較してしまっているようでは自分を大切にできるわけがないのです。まさに楽器の演奏と同じで、他人と比較してどこまで上手になるかが大事なのではなく、自分が上達を楽しめればそれで良いのです。今超えられないハードルを自分の前に置かないで下さいね。

そしてどうか「覚り」というのを悲しみを感じなくなることのように勘違いしないで下さい。「覚り」というのは楽器の取り扱い(演奏・調律)が上手くなることであり、喜びも悲しみもありありと全身で感じ取れるようになることなのです。そうして楽器の取り扱いがうまくなれば、どんな曲(出来事)でも感情のタクトを自在に振れるようになり、人生を素晴らしいオーケストラのように楽しめるようになるでしょう。実際僕はそのようにして人生を楽しんでいます。



後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...