2023年5月14日日曜日

私は大丈夫なのでしょうか?

【質問】40代前半・男性 既婚・妻と娘あり
初めまして。いつもTwitterやnoteを拝見させていただいております。喜捨出来る程の余力も無いのに図々しい質問で恐縮なのですが、今自分が感じている事が目覚めに近い物なのか、単なる逃避なのか、それとも精神的な病気なのか教えていただければ幸いです。

唐突に漠然とした質問ですみません。質問をしてみたものの、どこから説明をしたら良いのか悩んでいるくらいです。貴重な時間を割いて頂く状況でありながら、真也様に質問をする事で自身への理解を深めるような状況である事をお許しください。(阿呆だと感じたら、放置していただければ察します)

端的に申しますと、現状、成り行きで自営業(建設業・現場管理メイン)を営む事になったものの、思うように稼げず、税金も払えず、差押え通知がきている状況です。つまりは社会的に底の方です。

自身、お金を稼ぐ事にフォーカスすれば、稼ぐ事は難しくないはずと感じてます。ただ、不思議とそれを望んでないのです。何を根拠に?という話になってしまうのですが、気づいたら相手の望む事が分かるようになってました。

ただ、それ以上に望む事に対する本質も見えてしまうというか。目先の解決を提案するのは簡単なのですが、根本からとなると相手が嫌だと思う事をつつかなければならないという事が多くて。相手が変わりたいと望むのであれば、本腰を入れてと思うのですが、だいたいが目先の解決を目的としてる事が多く、結局は問題を先送りしているような感じがじてしまい、ただただ愚痴を聞いて終わる状況です。

お金だけを考えれば、その場限りの解決で相手に喜んでもらえばいいと思うのですが、勝手に深掘りしてしまって。。自分のエゴの押し付けなんだろうなと思っているのですが、中々難しくて。。

で、真也様の「自分はRPGの主人公」というのも良く分かっています(分かってるつもりでしたらすみません)。というのも、世界は自分の受け止め方(解釈)でどうとでもなるよなという感覚になりまして、なんといいますか、物事の善し悪しを判断しているのは自分自身で、現れる物事にはそもそも善悪が無く、ただ事実のみといいますか。全ての物事・縁が自分にとって意味があるように思えて。

おそらく、今の私の置かれた状況を10人がみれば大多数は不幸だとか、酷いとか思うのが一般的だと思う(実際にしこたま言われます)のですが、私自身は乗り越えるべき壁というか、更なる成長の糧で悪いものでは無いように感じてます。

ただ、ここに至るまでを省みると、自分の意思で決めてきたという思いがある反面、今までの意思決定の場面の一つ一つが用意されているというか、導かれているというか。決して他責にするつもりは無く、自身で選んだはずなのに、選ばされているというか。。。自分の世界のようで、自分では無いというか。。。ただ、不思議と悪い心地はしないので、ありのままを受け入れているというのが正直なところです。

そんな状況ではありますが、不思議と幸か不幸かで言えば、結構幸せです。ただ、まずは子供の為に生活は安定させたいと思っています。しかし自身に欲とか執着があまり無いので、どうしたものかと。。。勝手に、自分の器が出来れば物事もついてくるのかなと思っている(今は試されてる時)のですが、いかがでしょう?

私は大丈夫なのでしょうか?自分としては大丈夫なつもりですが、客観的な意見をいただければ幸いです。。

※無理にとは言いません。お返事が無ければ、それなりに受け止めますのでくれぐれもご無理なさらずでお願いいたします。

以上、長文を読んでいただきありがとうございました。真也様の益々の悟りを心から祈ります。願わくば、全ての人に幸せが届きますように。


【回答】
ご質問ありがとうございます。とても大変な状況にあるようですね。僕も鬱のまま成り行きで個人経営をやっていたので、お気持ち心よりお察しします。

noteや質問箱を読んでいただけていることは大変嬉しいことです。ただあなたの質問内容から察するに、きっと僕の伝えようとしていることは全然あなたに伝わっていないと思います。まぁそれはあなただけでなくほとんどの人がそうなのですから仕方のないことなのですが。本当の意味で世界を救う主人公に目覚めさせる(菩提心を起こさせる)ということは如来にとってさえも困難なことで、僕にそれができないのは当たり前のことなのでしょう。

>今自分が感じている事が目覚めに近い物なのか、単なる逃避なのか、それとも精神的な病気なのか教えていただければ幸いです。

きっとそのどれもが正解なのではないかと思います。夜明け前が一番暗いように、目覚め前が一番苦しいのです。そしてあなたの今のお考えは逃避(ネガティブな自己正当化)でもあり、それは病気(霊障)でもあるのだと思います。


それでも今回あなたが素直に人を教えを請い、頼ることができたのは(覚りにとって)とても幸いなことです。あなたが本当に素直かつ真剣に人の話を聞く気があるのであれば、ですが。

もしあなたが誰かにただ話を聞いてもらいたい・ただ同情してもらいたい・ただ現在の自分の考え方を肯定して欲しいだけなのであれば、この場は適切ではありません。僕には相手を全く傷つけないように解決策を提示したり、目覚めに導いたりということはできないのです。

心が弱っている時には厳し過ぎるかも知れませんが、100%の愛であなたの幸せを願ってのことですので、どうか悪く受け取って怒ったり落ち込んだりしないで下さいね。

自分が眠っていることを自覚できるのは目覚めた後であるのと同じように、わかってないことを自覚できるのはわかった後ですから、わかってるつもりでわかっていない人にわかってもらうことはとても困難です。人間はみんな課題を乗り越えるより自分が傷つかないことを優先するように初期設定されていますからね。それでも人を目覚めさせるのが僕の使命ですから、それを放棄するわけにはいかないのです。

>喜捨出来る程の余力も無いのに図々しい質問で恐縮なのですが

質問にお答えする前にお断りしておきたいのですが、そういうことを言うのはまるで僕がお金を貰えるか否かで質問に答えるかどうかを決めたり、回答後に金銭を要求でもしているかのような印象を与えるのでやめていただきたいです。そういうことは一切していません。

僕はあなたであり、あなたは僕なのですから、質問・悩み相談は全く遠慮する必要はありません。僕の活動は対価を得るためにやっているのではありませんし、質問には無償で100%回答させていただいています。(質問ではない、質問を装った的外れで悪意のある批判や誹謗中傷は別ですが)

あなたはただご自分が慎み深い謙虚な人間だと見せたかったのかも知れません。実際あなたはいわゆる「良い人」なのでしょう。しかし自分が悩みを相談するのに「図々しい質問で恐縮」などと言うのは、あなたが逆の立場で自分に悩みを相談してくれる人に「図々しい」と思う人間だと表明しているのと同じであり、その遠慮は卑屈さであると同時に冷酷さでもあって、決して美徳ではないのです。僕は世界を救うためだけに生きているので、悩み相談は有難いとしか思いません。

あなたの人生がうまくいかない理由もきっとそこ(遠慮・卑屈さ=冷酷さ)にあるのではないかと思います。今の世の中、お金(を稼ぐ能力)がないことで卑屈になるのは仕方のないことなのでしょうが、「人様に迷惑だけはかけるな」というのは呪いであり、それは初期設定で与えられている乗り越えるべき課題なのです。そのあたりの話は人の価値とは?」に書いているので、よくよく読み返していただけると幸いです。

>阿呆だと感じたら、放置していただければ察します。

これもですね、あなたは自分に助けを求めてくる人が阿呆だと感じたら放置するのもやむを得ないと思っているのでしょうか?人間関係はすべて鏡なのだと知って下さい。確かにあなたは阿呆だと思いますが、僕も阿呆です。人間は成長を楽しむためにあえてどこか阿保につくられているのですから当然です。それを理由に悩みを相談してくれる人を放置するのなら誰も救えません。ゆえに主人公の僕がそれを放置するわけありません。あなたも早く主人公として目覚め、課題を乗り越え、同じ課題に立ち向かう人たちを救い導く存在となって下さいね。

>客観的な意見をいただければ幸いです。

人生はRPGで、あなたがその主人公なのであり、あなたにとってあなた以外の人は(僕も含めて)全員NPCなのです。だから本当は客観など存在しないのです。世界は主人公であるあなた次第に作られていて、幸せかどうかを決めるのはあなた自身であり、他人からどう思われるか(他者評価・比較)は一切関係ありません。

客観よりも大切なことは、人生というRPGをプレイヤー目線からクリエイター目線で見てみることです。人生という映画を俳優目線から監督目線で見てみることです。すべてを与えし創造主の視点で自分の人生を見ることができるようになれば、きっとすべてがわかるようになります。今回はそのヒント・導きになれば幸いです。

>社会的に底の方

あなたが相談している相手は乞食ですよ?あなたは謙遜のつもりなのかも知れませんが、それは経済力によって序列をつける考えを無自覚に常識として受け入れ、僕を含め現在経済的に貧しい人みんなを貶めているのと同然なのです。やはり卑屈さと冷酷さというのはイコールのものであり、あなた自身が「(お金を稼ぐ能力によって)人に序列をつける考え方」によって自分自身も他人も貶めて苦しめていることに気づいて下さい。このあたりの話も人の価値とは?に書きました。

日本人の多くは自己否定的なことを言う己の卑屈さを謙遜・謙虚だと思い込んでいます。しかしそれは他人から言われて傷つきたくないことを予め先回りして自分で言っているだけです。その証拠に、その謙遜に乗じて「本当にそうですね」と言われればより深く傷つくでしょう。もし僕に「あなたは本当に社会の底辺ですね」などと言われたらどう感じますか?

本物の謙虚さというのは、自分の努力で得たものでさえも「お陰様」と考えてみんなと分かち合い奉仕する姿勢であり、それに対して他人から「本当にそうですね」と言われても傷つくわけがないのです。努力できる才能や環境も創造主からの贈り物だと知って下さいね。

結局、自分を貶めることは、同じような境遇にある他人を貶めているのと同じなのです。だから存在の全てである創造主=総合意思から疎まれ、その分身である周囲の人からも疎まれ、不幸に導かれるのです。それは創造主の嫌がらせではなく、自分の愛のなさに気づいて自発的に成長して欲しいからです。

そしてあなたは喜捨(親切)というのは余力でやるもので、自分は余裕がないから人に無償で親切にできないのだと思っておられるようですが、それは逆だと思います。人に無償で親切にしていないから余裕のない人生に導かれているのです。(僕があなたに僕への喜捨を強要していると誤解しないで下さいね。もしあなたが喜捨したいと思ったらもっと身近な本当に困っている人を助けて下さい)

一代で成功したユダヤのお金持ち達も、貧しい時から寄付に積極的で、しかも一度は破産を経験している人が多いそうです。そういう経験を乗り越えているからこそ一代で成功できているのでしょう。失敗せずに成功などできませんし「余裕がないから人を助けない」という考え方があなたを本当の幸せから遠ざけているのだと思います。

人生は修行であり、その修行の心得は釈迦がきちんと「六波羅蜜」という形で教えてくれています。その最初にあるのが「布施」であり、それを金を寄付することとイコールであるかのように曲解し、それができないことで卑屈になってはいけません。人に親切にしたり、笑顔で接するだけでも布施なのです。そう考えられず「余裕がないから人に親切にできないし、自分が悩んでいてもそれを誰かに無料で相談するのは図々しくて恐縮だ」などと考えるところがもう既に拝金主義に無自覚に陥っているということなのです。

あなたがお金が稼げないことで自らを貶めて卑屈になり、余裕がないから人を助けられないと冷酷になるのなら、あなたの奥さんと娘さんも同じように卑屈で冷酷にならざるを得ないでしょうし、同じようにお金が稼げない人たちを貶めて卑屈かつ冷酷にしていることになります。あなたの考え方が自分だけでなく周囲の人も不幸に導いていることに気づいて下さいね。

あなたが卑屈かつ冷酷になるのは、あなたが(家族のことも含め)エゴのために生き、その自覚すらがないからでしょう。もし世のため人のために生きているのなら、貧しくとも堂々と生きられるでしょうし、困った時に堂々と人を頼れるはずです。

人は困らなければ、他者を必要としません。他者を必要としなければ、愛は生まれようがありません。今は資本主義に価値観まで犯され切っているので助け合うのにお金を介するのが当たり前になっていますが、本来人は無償で助け合い愛し合うべきで、自分や誰かが「困る(欠点や過ちがある)=他者の助けを必要とする」ということは素晴らしいことであり、卑屈になる必要はないのです。それが愛のマテリアルなのですから。

人はただ己の困難に立ち向かって卑屈にならずに堂々と生き、身近にいる困っている人を助け、素直に人を頼るだけで、あなたと同じように困難に立ち向かっている人を救うことになるのです。だからあなたがどれだけ困った状況にあっても、もっと堂々としていて下さい。ふてぶてしいほどに。

僕は質問箱で収入を得てはいませんが、僕に助けられたと感謝してくれている人がたくさんいて、僕も幸せにしてもらっています。僕に質問・悩み相談をするということは、僕に人を助ける機会を与えてくれているということであり、それ自体が人助けなのです。

そして僕は無償の援助によって生きています。普段から無償で人を助けているので、僕は心から感謝しつつみんなに助けられながら堂々と幸せに生きています。

>「私は大丈夫なのでしょうか?」

本来的に言うと「大丈夫ですか?」というのは相手の安否を尋ねる言葉であり、自分の安否を「大丈夫ですか?」と他人に尋ねるのは、なんだか夢の中で出会った人に「これは夢ですか?」と聞くのと同じ感じがします。それを判断するのはあなた自身であり、その結果責任を負うのもあなた自身なのですからね。質問していただけるのは有難いのですが、どうもあなたの尋ね方からは主体性(主人公)を放棄しているような印象を受けてしまいます。

僕が何かについて「大丈夫ですか?」と聞かれれば、大抵は「大丈夫です」と答えます。なぜなら安心させることがメシアの役割ですし、実際この世に大丈夫じゃないことなど何一つないからです。すべてが創造主の意思通りであり、彼の創造した世界の内側で、その意思に反したことなど起こり得ないのです。

ただその「大丈夫」というのは「自分が何をしても・しなくても幸せになれる」という意味ではありません。なぜなら人生は愛と勇気が試すものであり、そうして魂の成長を促すためのものなのですから、「自分が何をしても・しなくても幸せになれる」ようにしてしまっては、みんな安易にエゴに埋没するようになり、我欲・保身・怠惰に陥って成長できないからです。

魂の成長とはそのエゴ(我欲・保身・怠惰)を乗り越えるところにあります。我々は魂の成長のために生まれてきたのに、エゴに埋没しては何の成長もなく、物語として面白くならないので、創造主は常に我々の愛と勇気を試し、エゴに埋没する人を不安に陥れ不幸に導くことで、我々が自発的に自分の課題に気づいてそれを乗り越えようとすることで成長させるようにしているのです。

だから自殺・安楽死するとどうなるか?に書いた通り、例え絶望するような事態に陥っても、絶対に自殺だけは選択肢として考えないで下さい。与えられた自分の役を放棄せずに最後まで全うする覚悟・最後に運命通り死ぬまで成長し続ける覚悟があれば、絶対に大丈夫なのです。逆に自殺という退路を確保しながら生きようとすると、その退路へと追い込まれる悲惨な人生となってしまいます。それは僕自身の人生がかつてそのようだったからものすごくよくわかります。

絶望は成長(覚り)にとって必要な過程であり、本当の希望は絶望のほんの少し先にあるものなのです。そしてさとり(覚り・悟り)とはまさに「主人公としての自分の役(使命)を生き切る」「魂を成長させる」覚悟から始まるものなのです。そしてさとりとは「差取り」であり、みんなを主人公として目覚めさせることにあるのです。

>自身、お金を稼ぐ事にフォーカスすれば、稼ぐ事は難しくないはずと感じてます。ただ、不思議とそれを望んでないのです。

「エゴ・執着が弱い」というあなたその素養は素晴らしいものだと思います。それは覚り(愛)にとって最も大事な素養かも知れません。

あなたはきっと僕と同じでお金儲けには向いてないのでしょう。お金への執着の少なさは欠点ではなく才能なのです。あなたはエゴのために一生懸命になれないのですから、お金(利潤追求)という価値観から離れて、もっと思いっきり全力で人に奉仕しつつ、地道に真理を追求するような生き方のほうが向いているのではないかと思います。

エゴが弱いのにエゴのために生きようとすれば、いつも「何か申し訳ない」という感じの卑屈な性格になってしまうのは必然です。そして主人公であるあなたがそのようであれば、それはあなたの家族や周囲の人間にどんどん伝染するのです。

それでこれは僕からの個人的な一案に過ぎない話ですが、今の職能を生かして海外ボランティアで現地の人に貢献してみてはいかがでしょうか?貧しさによって自尊心が下げられるような日本の環境では、娘さんや奥さんにも良くない感じがしますし。

まぁそうでなくても、最低限の収入で人に全力で奉仕して幸せになれる手段を考えた方が良いと思います。きっとそれがあなたの成功・幸せのカギになることでしょう。実際に僕はそうして幸せにやってますし。

ただもしあなたが「お金に執着してお金稼ぎにフォーカスさえできれば簡単に稼げるはず」と本気でお考えなのでしたら、それはとても甘いというか、本質が見えていないと思います。今のあなたは単にお金を稼げないのを己の金銭欲のなさのせいだと考え、怠惰で臆病な自分のプライドを守り、傷つかないことを優先して自己正当化しているだけでしょう。

お金を稼いでいる人たちというのは基本的に人を喜ばせること・世の中の役に立つことをやっているから稼げているのであり、あなたの考えるように単にお金にがめついような人間・人を不幸にすることでお金を稼いでいる人間は、例え一時的にはお金を稼げていたとしてもカルマを積んで後々落とし穴にハマり、幸せになることはまずあり得ないと思います。それは真理に反していますからね。

>目先の解決を提案するのは簡単なのですが、根本からとなると相手が嫌だと思う事をつつかなければならないという事が多くて。
>相手が変わりたいと望むのであれば、本腰を入れてと思うのですが、だいたいが目先の解決を目的としてる事が多く、結局は問題を先送りしているような感じがじてしまい、ただただ愚痴を聞いて終わる状況です。

人間関係は完全な鏡であり、周囲の人もあなたに対して同じ感情を持っているのではないでしょうか?実際あなたに対して僕も全く同じような印象を持っていますし。創造主は常に出会う人を鏡として自分の問題に気づかせようとしてくるのです。だからそれを他人事と考えてはいけません。

あなたの周囲の人もあなたから本腰を入れて問題を解決するという姿勢が感じられず、自分を守ることに執心しているように見え、本音を言えばきっとあなたを傷つけたり嫌がられたりするだけになるのが目に見えているから、本音が言えていないのではないかと思います。「類は友を呼ぶ」で、きっとあなたの周囲にはあなたと同じように相手に遠慮して本音で語り合えない人ばかりなのでしょう。しかしそれは相手を傷つけて嫌がられることで自分が傷つくことを恐れているだけなのです。

それはまさにあなたの分析通り「ただ問題を先送りにしているだけ」ですし、それでいてあなたが「家族のために生活だけは安定させたい」というのは、まさに本腰を入れて変わろうとせずに目先の解決を目的としているということではないでしょうか?

何事も自分以外(他人や環境など)のせいにしたら自分の成長はあり得ません。変わるなら自分からということです。人生というRPGは主人公たる自分次第に作られているのであり、出会う人を鏡として自分の課題(カルマ)を把握することが大事なのです。

あなたが相手の言うことを「愚痴」と認識して親身になって真剣に聞いていないのであれば、あなたの言うことも恐らくは同じように「愚痴」と認識されて親身になって真剣には聞かれていないことでしょう。

基本的にどんな悩み相談も「愚痴」だと解釈すれば愚痴に過ぎません。しかしもしそのような姿勢で人の話を真剣に聞かないなら、相手もこちらの話を真剣に聞くわけがなく、信頼関係など生まれようがありません。

人は好きじゃない・真剣に話を聞いてくれない・信頼できない人間のアドバイスは心が逆らってしまうように作られていますから、信頼関係がない人の言うことが正しければ正しいほど、相手をその正しさから遠ざけてしまうので、かえって害悪なのです。

あなたの仕事がうまく行ってない理由は、相手が根源的な解決を望んでいないからではなく、あなたが相手の話を聞いているつもりで(自分の鏡として)真剣に聞いていないために、本音で語り合える信頼関係が築けていないからでしょう。

信頼関係はすべての仕事の基本であり、特にあなたの自営業(建設業・現場管理メイン)という仕事の性質上、致命的だと思います。自分の話を真剣に聞いてくれない人・仕事がうまくいっていない人のアドバイスを相手が真剣に聞くわけがないのは道理ですからね。悪循環です。

落ち込む必要はないですからね。決して自尊心を下げないで下さい。自尊心を下げると「どうせ自分なんか」と更に思考と行動のレベルも下がることになり、ますます悪循環にはまってしまいますから。ただ相手の存在に感謝し、無条件でリスペクトし、真剣に話を聞き、欠点や過ちを許すことができるようになれば良いだけです。

この世界はRPGであり、クリエイターのメッセージというのは、人や出来事との出会いを通じてもたらされるものであり、この世界に偶然など存在しないのです。それなのに出会いを偶然と考え、油断して人の話を真剣に聞かず、他人事と考えて自分の問題と考えず、自分に起きた出来事を偶然と考えてその意味を真剣に考えないようでは、クリエイターからのメッセージ(導き)を受け取れませんから、ゲームは行き詰まるか事故るかしかなくなってしまいます。この世界のすべての存在・事象が、あなたに何か大切なことを気づかせ導くためのメッセージなのだと知って下さい。


>世界は自分の受け止め方(解釈)でどうとでもなるよなという感覚になりまして、なんといいますか、物事の善し悪しを判断しているのは自分自身で、現れる物事にはそもそも善悪が無く、ただ事実のみといいますか。全ての物事・縁が自分にとって意味があるように思えて。

それはある意味その通りではあるのですが、少し理解が浅いというかズレているような気がします。

確かにあなたの言う通り、あなたが認識できるすべての存在・事象があなたにとって意味があるものです。そして良し悪しを判断しているのはあなた自身であり、良い事しか経験したくないというのは肉体意識・顕在意識にあるエゴであって、ハイヤーセルフにはそんな良し悪しの判断はないのです。

いきなり正解を教えられるクイズ番組など何も面白くありません。ハイヤーセルフは番組のプロデューサーのようなものです。当然、答えに至るまでに様々な苦難を与えてきます。そこであなたがプロデューサーの意向を無視し、解釈のみで何でも自分に都合よく番組(現実・人生)を作れるわけではありません。彼の与えてくれるヒント・導き(意図)を正確に読み取らなくてはならないのです。

「自分に与えられている課題が何なのか?」を考えることがとても大事で、それがわからないと、せっかく成長のために与えられている試練がただ我慢するだけ・どんどん辛くなっていくだけのものになってしまいます。

僕が「人生は解釈次第」というのは、思い込みが強ければ何でも思い通りになるというような意味ではなく、自分に与えられているすべてを愛と感謝でポジティブに解釈してそれを行動につなげている人はそういう人生になり、不平不満で解釈してエゴに埋没した怠惰な生き方をしている人はそういう人生になるということです。

多くの人が引き寄せの法則などといって、エゴで自分に都合の良い現実を思い込みの強さだけで引き寄せようとしていますが、それはうまくいかないか、うまく行くことでかえって分不相応なカルマを積んで後々盛大に落とし穴に落ちるかのどちらかになることでしょう。器に合わない幸運を引き寄せることは、その分のカルマを積んでいるに等しいものなのです。今のあなたの考え方で諸々うまくいかないのは、むしろ守られているのですから、感謝すべきかと思います。


>そんな状況ではありますが、不思議と幸か不幸かで言えば、結構幸せです。

あなたが今の状況を幸せだと思っていること(不平不満や恨みで返していないこと)は幸いなことです(だから僕に導かれたのでしょう)。

ただそれが、傷つきたくないために課題を正確に理解しようとせず「答えなんかわからなくても(成長できなくても)今のままでいいや」という自己正当化・成長拒否(逃避)につながってしまっているのが難点です。

あなたは自分をエゴ・執着が弱いと思っているようですが、そういう自己正当化・成長拒否(逃避)もエゴ・執着の産物なのです。(それは人間の基本設定で、あなただけではないので落ち込まないで下さいね)

幸せに導くために不幸が与えられているのですから、何事も「創造主が何を自分に気づかせ覚らせようとしているのか?」を愛で解釈して考えてみて下さい。


ただ、まずは子供の為に生活は安定させたいと思っています。

その状況は本当に感謝すべきことだと思います。もしあなたに妻も子供もいなかったら、今の状況に甘んじたまま死ぬまで問題を先送りにし続けていたことでしょう。

あなたに家庭があるのは決して偶然やあなたの努力の結果ではなく、創造主からの贈り物なのであり、それはとてもありがたい事なのです。だから「自分は家庭があるせいで目先の金稼ぎに執着せざるを得ない」「好きなことを好きなようにできない」などというように考え、家族を「お荷物」のように思い、自分のエゴ(我欲・保身・臆病・怠惰・執着)の言い訳に使ったりはしないで下さいね。それは思うだけで家族に伝わり、家族の自尊心を下げてしまうのですから。日々家族に感謝・愛を伝えて下さい。


勝手に、自分の器が出来れば物事もついてくるのかなと思っている(今は試されてる時)のですが、いかがでしょう?

本当にそう思っているのでしたら、器を大きくすること(成長すること)に専念しなくてはなりませんね。現状に甘んじて問題を先送りにせず、本腰を入れて乗り越えて下さい。

>更なる成長の糧で悪いものでは無いように感じてます。

それも本当にその通りかと思います。ただ成長の糧は「なる(受動)」のではなく「する(能動)」のです。そして成長を実感した後から「あれが成長の糧になった」と言うべきなのです。

自己肯定というのは「困難・失敗にもめげずに乗り越えようとする自分」を肯定するべきなのであり、成長した後から過去の至らない自分を「必要な過程だった」と許し愛することが大事なのです。

「ただ現状に甘んじ、嫌な事・辛い事を我慢していれば、成長しなくても勝手に導かれるから大丈夫」というように考えていては、いつまでも本当の自己肯定(幸せ)には至りません。僕らは成長するために生まれてきているのですから、それに反する意思は必ず不幸に導かれる定めなのです。

決して今までの考え方に固執せず、過去の自分に捉われないで下さい。「あなた」=「あなたの今までの考え方や行動」ではないのです。スティーブ・ジョブズのように、間違いに気づいたら、さも最初から知っていたような顔で今正しいと思う考え方を選べば良いのです。そうして古い自分をどんどん更新していけば良いのです。

つまらないプライドに固執して今までの自分にしがみついていたら、傷つくことばかりで成長することはありません。それは創造主の意思に反していますから、雪だるま式に不運が襲ってくるようになります。でもそれを恐れる必要はありません。過去の考え方や行動に縛られず、常に考え方・行動のより良い選択をして成長し続ける覚悟を持てばいいだけですから。

反省してはいけないに書いた通り、決して落ち込んで自己イメージを下げないで下さいね。僕があなたを責めて説教していると勘違いしないで下さい。ただ過去の自分に縛られずに、よりよい未来を選択すれば良いというだけなのです。

そういう「過去に縛られずに今自分が一番正しいと思う選択が軽やかにできる素直で柔軟で変幻自在な自分」をこそ肯定してみて下さい。そうすればぐんぐん幸せに導かれるドラマティックな人生になりますから。

誰でも自信満々になれる方法これも必ず読んで実践してみて下さい。まず自分も相手ももっと心からリスペクトして、相手という存在に対し常に心からの感謝の笑顔で接し、話を真剣に聞くことが大事です。

そしてあなたの文章には信心に関する言葉が出てきていませんが、なんの宗教でも良いので信心を持つべきかと思います。霊障の問題もきっとあると思うので、真光や世界救出教などでお清め・浄霊を受けてみて下さい。基本無料ですから。ご利益を一度も経験しないようでは、信心も芽生えようがありませんので、疑いながらでも一度行ってみることをおすすめします。

>真也様の「自分はRPGの主人公」というのも良く分かっています(分かってるつもりでしたらすみません)
>真也様の益々の悟りを心から祈ります。

その祈りに悪気が全くなくご厚意であることはもちろんわかっていますし、僕のために祈っていただけることはとてもありがたいことで、心より感謝致しますが、僕からすると覚り(成長)というものをまるで他人事と考えているように聞こえてしまうのです。

ツイッターでも呟きましたが、あなたはオンラインゲームをする時に、他のログインプレイヤーに「あなたのゲームの益々の進捗を心から祈ります」などと言うのでしょうか?人生は覚り(成長・真理への到達)を目指すゲームであり、主人公はあなたなのです(あなたはまだわかっているつもりで全くわかっていません)。覚りは決して他人事ではないのです。我々は成長のために生まれてきています。成長とは覚りを進めることであって、お金を稼ぐ能力を伸ばすことではありません。誰かの覚り(成長)を祈るより、まずはあなたの覚り(成長)を進めて下さい。

また他のプレイヤーに対して「覚り(成長)の進捗を祈っている」ということを相手に直接伝えるのは「他人事」なだけでなく「上から目線」と受け取られかねません。もちろんあなたにそういうつもりが微塵もないことぐらいはわかっていますが、それは少なくとも相手より明らかにゲーム(覚り)が前に進んで、相手から教えを請われてから言うべきことで、自分が相談しようとしている相手に対してそれを言うのは失礼に当たるかも知れないと考えられるぐらいの感受性は持っていただきたいです。


今回、大分厳しかったのであなたを傷つけていたら大変申し訳ないのですが、くれぐれも悪く受け取って怒ったり落ち込んだりしないで下さいね。繰り返しますが、決して自尊心を下げないで下さい。ただ主人公として、過去に縛られずに今一番良いと思える思考・行動の選択をして下さい。いきなり最初からうまく行くわけがありません。スポーツでも楽器の演奏などでもなんでもそうです。他人と進捗を比べず、うまくできない自分も許し愛して成長を楽しみながら続けることが大事だと思います。

それでは、あなたとあなたの周囲の皆さんの幸せを心から祈っています。
お互い主人公として頑張りましょう。

2023年5月13日土曜日

諸々、世界の仕組みについて

【質問】40代前半・男性
質問だらけで恐縮ですが、自殺も考える程に悩み、死ぬ前に後悔したくないので恥を忍んで色々と質問させてください。

1.時間の進み方について
物理的に針が進む時間と、体感的に感じる時間が明らかに違う時があります。時間とは本人の意識が感じるままに常に変化しているのでしょうか?もしそうなら同じ時間を生きていても、不老の人と早老の人の様に変化が異なるのでしょうか。

2.以前、世界線?の説明をしている時に、この世界線の偉大なる指導者が亡くなったから一部の者が違う世界線から、この世界線に導かれたと説明していましたが、その偉大なる者とは誰の事ですか?また、つまり並行世界は既に誕生しているのか、試験的段階なのか、または各自の視点が異なり主観的世界に映るこの世を並行世界と表現しているのか、教えてください。

3.我々はアヴァターラを通じて、この地球という仮想現実世界に繋がっていると思いますが、我々のこのアヴァターラを操作しているのはスピ界で言われる五次元の自分自身(ハイヤーセルフ)なのでしょうか?または創造者が用意した各アヴァターラに、分離した我々の意識がどの容器(肉体)に搭乗するか選択して乗り込み映画鑑賞のように予め決まった選択を、さも自分で選択している様に錯覚しているのでしょうか。

 また、我々の本体は何処からこの仮想現実に繋がっているのでしょうか。創造者の内部(統合意思)で個に分離した幻を見ながら繋がるのか、真っ暗な部屋や何処かの惑星から地球仮想現実ゲームに繋がっているのでしょうか。

4.統合意思=創造者が作り出した物から、私の深層意識が引き寄せたと言う説明ですが、それは毎晩夢の中で必要な人や出来事を、私が選択し明日の物語の準備をしているのか、高次元の自分が誕生(分離)前に予め計画した物語なのか、創造者が私の為に引き寄せているのか、波が粒になる様に瞬間毎に私が意識で具現化しているのか、どれが1番適切な解釈だと思われますか。

5.各自が主人公である事は分かるのですが、真也さんが仰る様に世界を救い愛で地球を救う事が全プレイヤーの使命なのでしょうか。それとも各自で使命を選び、人の数だけ使命も異なるのでしょうか。少なくとも私の視点から見る世界では絶望的な位、不正、不自然が蔓延り、創造主のサポートも足りなければ自身の愛のレベルも低すぎて、とても今世で世界を救えるなどとは思えない程の闇が跳梁跋扈しています。何故自分如きにこれ程難易度が高すぎる設定が施されたのか疑問で仕方がありません。たまに創造者が愛とは思えず、むしろ闇の応援ばかりしているのではと勘繰りたくもなります。勧悪懲善的な。

死への恐れや生命の執着は無くなってきましたが、この救われていない世界は来世に引き継がれるのでしょうか。今世で学んでいる事を忘却しなければ良いのですが、また1から学び始めるとなると終わりは来るのか頭が痛いです。

真也さんが主人公の並行世界では既に世界は救われているのでしょうか、それとも誰もが同じ、この仮想現実世界の惨状を認識しているのでしょうか。

6.創造者が無償の愛を体現する者ならば、何故覚りを開いたり愛を体現するという条件が(最終的に)求められるのでしょうか。愛を体現し覚りを開いた人間を(結果的に)可愛がるのは全てを創造出来る者の無償な愛としては、何か物足りなさを感じます。それとも無償の愛を持つのが創造主で当たり前として勝手に人間が決めつけているだけなのでしょうか。

7.真也さんが創造主と会話した時のエピソードや、どんな風に語りかけてくるのか、また自殺企図した時の話も含めてお伺いしたいです。私も先にエゴが死ぬか、私の肉体が死ぬかぐらい追い詰められているので、話して頂けるのならば、その時の体験をどうしても聞きたいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

まず、もし幸せになりたいのなら、自殺なんて考えるべきじゃないです。それは「自殺・安楽死したらどうなるか?」に書いた通り、退路を確保しようとする人間は、必ずその退路へと導かれる運命だからです。そして「悪いカルマの解消法」に書いた通り、カルマを解消するには、自分の役(使命)を最後まで全うするという覚悟が必要なのです。

絶望(鬱)は覚り(成長)に必要な過程であり、夜明け前が一番暗いのです。鬱の真っ最中にある時はとてもそれを信じられないでしょうが、僕は実際長年の鬱(絶望)を乗り越えて今があるので、どうか信じて欲しいと願います。

たくさん質問して下さるのはありがたいことなのですが、僕も同じ事の説明の繰り返しに少々疲れてきているので、事前に僕のnoteや質問箱をよく読んで下さいね。

特に「未来に絶望したくなる」はぜひ読んで下さい。もしこれで通じないのなら、僕があなたに文章で説明するのは無理です。正直に言ってあなたにはこの世に絶望したい(そうすれば主人公に目覚めない・成長努力をしない自分を正当化できる)という動機ありきで、僕の言うことを本気で理解しようとしておらず、意図的に誤解しているのに、それを自覚することも無意識に拒否しているように感じられます。

質問をすること自体は全く恥だと思わないで下さい。ただ「自殺も考えている」などと言って質問攻めにして回答を急かすやり方は少しだけ恥ずかしいと思っていただけると幸いです。今回急いで回答しましたが、僕から見るとあなたの質問内容はどれも興味本位というか、緊急を要するような内容ではないように感じられましたので。

あなたはご自分の悩みが「この世のシステムがわからないこと」のせいのように考えているようですが、この世のシステムがわかったからといってあなたの悩みがなくなるわけではないでしょう。大切なのは使命を果たすことであり、魂を成長させることです。プレイヤーとしてRPGを楽しむのにプログラミングを学ぶ必要はないのと同じことです。

そもそも覚りというのは魂の成長(実践)と共にもたらされるものであって、ネットで情報として手に入れられるようなものではないのです。僕が言うことはあくまで僕の解釈であり、あなたという主人公にとってあくまでも参考(ヒント)程度にしかなりません。

あなたは「誰でも自信満々になれる方法」を読んで実践していますか?それはこの世のシステムを知るよりずっと大切なことであり、幸せに直結している(あなたの悩みを解決し得る)ものです。

1.時間の進み方について
これは既に「宇宙の仕組み」でご説明している通りです。時間は意識(認識)が作り出しているものなので、当然人によって感じ方は違いますし、基本的に歳を取るほど時間が経つのは早く感じられるようになります。パラパラ漫画をめくるように・DVDを読み書きするように・映画のフィルムを回すように、時間というものは意識が仮想的に作り出しているものなのです。

2.世界線について
残念ながらあなたはまだ自分が主人公だということの本当の意味が理解できていません。周囲を見渡して何が普通で何が常識かを意識し、また会ったこともない他人の不幸や悪事によって世を嘆いたりと、いつも他人(NPC)を基準にして物事を考えるNPC思考から抜け出せていないのです。それでは主人公は務まらないのです。

僕らは言わば全員が同一人物のようなものです。分離意識・個性・無明(エゴ・迷い・愚かさ)が与えられることにより、それぞれが別な存在だと思い込まされることで愛と成長の物語を生み出しているだけなのです。

この世界というRPGは「主人公に目覚めた者」こそが歴史を作るというシナリオになっています。だからただ「偉大なる主人公」として目覚めれば良いだけの話なのに「その偉大な主人公とは具体的に誰のことですか?」のように聞くのは、あなたはまだ主人公として目覚める気がなく、自分ではない誰か別の主人公の脇役NPCとして生きようとしているからでしょう。

あなたが目覚めさえすれば、例えばキリストも釈迦もあなたの一部であり、あなたがキリストや釈迦の一部でもあるのです。もちろんキリストや釈迦はわかりやすい例として挙げただけであり、本当は全ての存在があなたと分かれて存在しているわけではないのです。

この人生というRPGは、あなたが憧れのヒーローを目指すなら、ゲームをクリアした後にはあなた自身がその憧れのヒーローと同一人物であったことに気づかされるという素敵なシナリオになっているのです。ドラクエⅢで勇者ロトの伝説を追いかけて行ったら自分自身が勇者ロトだったのだと気づくように。

ピラミッドの存在意義と仕組み」に書いた通り、僕らの主観的世界(4次元時空)が無数に重なり合って5次元宇宙を構成しています。オンラインゲームでログインしている全員が主人公のようなもので、それぞれの世界が重なりあっている(世界線を共有する者の世界が連動している)ということです。そしてRPGの如く、主人公の選択によりシナリオは変化します。それは言い換えれば、可能性の数だけ平行して存在している自分の認識世界を選択し続ける(一つに収束させ続ける)のが人生だということです。(前者も後者も無数の平行世界の重なり合いという意味では同じですが、軸が異なります)

3.アヴァターラ、ハイヤーセルフについて
ハイヤーセルフは高次元の存在であり、より全知全能の創造主に近い存在なので、人間(アヴァターラ)をダイレクトに操作できたら何の成長要素(ゲーム要素)もありません。

先ほど説明した通り、分離意識・個性・無明(エゴ・迷い・愚かさ)が与えられている人間というアヴァターラを、僕らの意識は「自分」だと思っているのであり、ハイヤーセルフはそれを導くことが使命なのです。

当然僕らの物語はハイヤーセルフ(RPGのプログラマー)の導き通りには進みません。だからこそ困難があり、成長要素(ゲーム要素)があり、物語(芸術要素・存在意義)が生まれているのです。

僕の言う「目覚め」というのは、人間(アヴァターラ)の意識からハイヤーセルフの意識に目覚めることだとも言えます。それは人生というRPGをプレイヤー目線ではなくプログラマー目線・クリエイター目線で見ることだとも言えます。

僕らの魂は創造主の分け御霊であり、光そのもののような存在です。創造主という一つの光を分離するには圧倒的な闇=無明(エゴ・迷い・愚かさ・分離意識)で包みこむことが不可欠なのです。それがなくては存在意義(物語・芸術)が生じないのです。

夜空を見上げれば、一つの光を分離するのにどれだけ圧倒的な闇が必要かわかるはずです。僕らの魂は星を経由して(宇宙の闇を経由して)この仮想現実世界にログインしているのであり、その仕組みがなければ僕らの「自意識」は存在し得ないのです。

それは僕らの自意識が星を経由することで仮に成立・存在しているということであって、魂は物理的に「体」を成しているわけではないので「本体」は「どこ」にあるのか?などと考えても意味がありません。

元々「存在」=「創造主」であって、我々も含めてすべての存在が創造主の一部であり、その外側というのは存在しません。僕らが僕らに与えられた闇=無明(エゴ・迷い・愚かさ・分離意識)によって、「自分」は創造主や他の存在とは別な存在であると認識しているだけで、本当は全ての存在が一つ(ワンネス)なのです。

4.誰が人生のシナリオを描いているのか
RPGはクリエイターによりシナリオが最初から用意されていますが、その中でいかようにも自由に選択することが可能です。この仮想現実世界もRPGなのですからそこは同じなのです。

しかし本当は世界に創造主でないものなど存在せず、僕らも創造主の一部なのですから、当然創造主は僕らが何を選択するかも創造主(≒統合意思)は全部知っています。全知全能というのはそういう存在なのです。

創造主はわざと僕らが何を選択するのか知らないかのように自ら思い込んでそう振舞わないと人生と言う物語・芸術が成立しない(退屈である)から、そのように自ら思い込んで振舞っているだけなのです。

そのために創造主は我々のハイヤーセルフ(我々の上位次元の存在)を創り出し、それをフィルターのように通してそれぞれの主人公のシナリオを描いているのであり、僕らアヴァターラは無明(エゴ・迷い・愚かさ・分離意識)ゆえにそのシナリオがよく見えず、自意識とその自由意志(解釈)によりそのシナリオを自由に選択させてもらうことで人生という芸術・成長・愛の物語を体験させてもらっているわけです。

全知全能ゆえに完璧な最適解以外を出す理由を持たない創造主は、次元を降ろした存在に自意識・分離意識・個性(欠点や過ちを含む)を持たせ、その存在に更に下位次元の存在をフラクタルに作らせることによって、この豊かな芸術世界(お互いの不完全性を補い合うことで愛が生まれる、不完全に見えて完全な世界)を生んでいるのです。(だから僕らが仮想現実とAIを作るのはマニフェスト・デスティニーの一部です)

我々がこの世のシステム・真理・未来がわからないというのは素晴らしいことなのです。全部わかったら成長要素(ゲーム要素・芸術要素)がなくなり、それは無間地獄のようなもので本当につまらないのです。あなたが「システムを理解できないことが不幸の原因」だと考えるのは全くの誤りです。

そしてすべてが自分次第に作られているこの世界で「こんなひどいシナリオを作った奴は誰だ?」と不平不満を言う対象を探しているようでは、悪いシナリオに導かれるのは当然のことなのです。

5.自分が主人公であることについて
前述した通り、残念ながらあなたはこの点を全く理解していません。あなたはRPGの設定がわからなければ物語を進められず悩んで死ぬしかないかのように思い込んでいるみたいですが、それは大きな誤りです。

RPGの設定は物語を進めて行く(魂を成長させる)に従って理解していくものです。僕らは成長・体験するために生まれてきているのですから、システムを理解できないから行動しない、というように成長・体験を拒否すればどんどん不幸に導かれるのは当然です。それはRPGで全ての答えがわからないからプレイしたくないと言っているようなものですからね。

あなたは物語の主人公なのであり、俳優・プレイヤーとして一番ダメな要素は臆病・怠惰です。設定に文句を言っていたら物語は進みませんし、敵役の魔物を恐れて絶望して怠惰に陥り、降板(自殺)を考えているようでは話になりません。

世界は自分(の解釈)次第(でシナリオを選択できるよう)に作られているのであり、設定に対して不平不満や恨みで返して自分の使命を放棄するようではクリエイターからの愛が受け取れなくなるのも当然です。

もちろん設定(難易度)に文句を言いたくなる気持ちは僕も同じでよくわかるのですが、魂は永遠であって、何回でも再チャレンジ可能なのですから、生半可な難易度では成長の物語にならないのです。

何度も言っていますが、RPGは魔物に支配される一歩手前のディストピアから始まらなければ話にならないのです。そして愛=救いというのは指数関数的に広がるものであり、どれだけ圧倒的不利で絶望的に見えても、目の前の人を救うことに努めればいつか世界は必ず救われるのです。今のあなたは目の前の人を救うこともせず、勝手に絶望しているのでしょうが、それではあなたが主人公の物語は始まりもしません。

>死への恐れや生命の執着は無くなってきましたが
あなたのソレはただ単に生きることに対して嫌気が差しているだけであり、与えられているものの価値を理解できず、人生というRPGを「クソゲー」扱いして放り出したくなっているだけでしょう。世界を救うために死(エゴ)を超越し、執着を滅することが魂の成長なのです。

6.創造主の愛が物足りないのはなぜ?
あなたがそう解釈しているから実際そのようになっているだけで、創造主の愛は無条件かつ無限です。

我々は成長するために生まれてきているのですから、成長しなくても幸せになれるシステムでは誰も成長しようとしないでしょう。その成長のベクトルが覚りなのであり、創造主が覚りを開いた者だけを愛していると考えるのは大いなる誤解です。

成長するほど=覚りが開けるほど、より創造主の愛を知って感謝したくなる=幸せになるように創造主はこの世界=物語をプログラムし、自発的な成長を促しているのです。我々の自発的な成長と愛(感謝・尊敬・許し)こそが創造主にとっての存在価値なのですから、それは当然のことなのです。

「自分」という意識が存在する(プレイヤーとして物語が与えられている)時点で、創造主の無条件の愛を受け取っているのであり、そのありがたみがわからないから、あなたからは不平不満しか出て来ないのでしょう。

もちろんそれは人間の初期設定であって僕もかつてはそうだったのでした。しかしこの仮想現実が存在しない世界というのは、自分以外に何も存在しない世界・自分は完全無欠で愛も何も必要としない究極に孤独な世界・概念と思念が存在するだけで何も体験できない退屈な世界・何の成長要素(ゲーム要素・芸術要素)も存在しない世界であり、つまりは5億年スイッチを押したかのような無間地獄なのです。

もしその記憶が蘇れば「この世界と自分という存在が存在すること」のありがたみが身に染みてわかるのですが、多分今のあなたがそれをいきなり変性意識体験で知らされれば気が触れると思います。だから何とか文章で伝わる事を祈ります。

>今世で学んでいる事を忘却しなければ良いのですが、また1から学び始めるとなると終わりは来るのか頭が痛いです。

分離意識というのは死後忘却する事によって得られるものであり、それがなかったら全員を「自分」として認識するようになりますから、物語が生まれようがありません。こう言っては大変失礼なのですが、あなたはむしろ一旦全部忘れて一から学び直した方が良いような感じがします。あなた=僕であり、決してバカにしているわけではないですからね。また今死んで全部忘れるべきという意味でもありません。あなたがそれだけネガティブな解釈により現世でカルマを積み上げているということであり、それは現世でちゃんと解消できるようなポジティブな考え方・生き方を自発的に選択しなければならないということです。どうかネガティブに受け取らないで下さいね。

>真也さんが主人公の並行世界では既に世界は救われているのでしょうか、それとも誰もが同じ、この仮想現実世界の惨状を認識しているのでしょうか。

ですから、僕はこの仮想現実世界はRPGだと言っているのです。世界が既に救われていたらそれはエンドロールであり、成長要素(ゲーム要素)がなくなるでしょう。このRPG世界は主人公であるあなたが成長しなければ決して救われないようにできているのです。主人公の成長努力なしで勝手に救われるのであればゲームとして成立しませんし、あなたが生まれてきた意味がありません。

当然、現在の世の中に悲惨なことはたくさんありますが、僕の直接認識できる世界(周囲)は既に十分幸せです。

あなたが「自分は主人公である」ということの意味を理解しようとせず、僕というNPCを基準にして考えようとするのはナンセンスです。あなたと創造主の関係は一対一であり、他人の言う事やる事は一切言い訳には使えないのです。直接知りもしない人の不幸や悪事を言い訳にして勝手に世界に絶望し、臆病で怠惰な自分を正当化して主人公としての使命を放棄しないで下さい。

7.真也の体験エピソード
僕の体験してきたことは、あなたからのこれだけ多くの質問に対する回答の一つとして書ききれるようなものではありません。追々noteで記事にしようとは思っていますが、僕はあなたにとってNPCなんですから、それを基準にして考えようとしないで下さい。あくまで参考です。

創造主が直接的に教えてくれることは本当に本質的なことだけで、あとは経験から気づかせ自ら覚らせてくれるのです。そうでなければRPGは成立しませんし、答えを全部直接的に教えられたら経験・成長することができなくなり、生まれてきた意味がなくなってしまいます。この世界のすべての存在・事象が創造主からのメッセージなのです。もちろんそれはあなたにも与えられているものであり、あなたはそれをネガティブに解釈するから正しく導かれないのでしょう。どうかすべてが成長を願って愛で与えられていることに気づいて下さい。

創造主は例えば誰かに起きる何かの未来予知とか、何かの事件の真相や真犯人とか、そういう個別具体的なことを教えてくれるわけではありません。そういうのを教えられたら、僕の人生の使命は人の運命を占うことや人を裁くことになってしまいます。僕の使命は全ての魂を救うことです。

あなたは「死への恐れや生命の執着は無くなってきました」と言っていましたが、それでは僕のように全財産を放棄してホームレス乞食になり、将来聖職を得る見込みもゼロで、他人の幸せのために無償で尽くすことができますか?僕はそれを実行できる人間だからこそ、創造主直々に覚りを与えられているのです。

そうして得た覚りを、僕はまだエゴに執着しているNPCの段階にある魂の同志たちに無償でシェアしているのですが、それでもなかなか主人公として目覚める人はいませんし、そもそも僕の伝えていることの価値を理解して受け入れられる人がほとんどいません。

主人公(メシア)っていうのはとても大変な役割です。本当は創造主と繋がっていない人などいないのに「創造主と繋がる方法を教えて下さい」とか言われたり、僕が人生を投げ出してまで得た覚りを無償で一生懸命伝えても全く価値が理解されず「あなたから教わるより直接創造主から教わりたいです」みたいな頓珍漢な文句を言われたりするのも、いつかその人の覚りが開けるのを信じて耐え忍んで聞いて、真理・幸せに導かなければなりません。主人公(メシア)として目覚めるっていうのは幸せなことなのですが、同時にとても辛いことでもあるのです。いつかあなたも目覚めてこの大変さに同情して貰いたいです。

noteや質問箱で僕はいつも一生懸命説明していますが、結局のところ「覚り」というのは説明することで手渡しにはできないものなのです。人生という覚りの登山をしているのは本人であり、本人が登るのでなければ(経験し・成長し・覚りを開いていかなければ)生まれてきた意味がないのです。いきなり答えを教えられるクイズ番組など面白いわけがなく、過ち・失敗・試行錯誤の経験が答えを価値ならしめるのです。

だから僕にできることは一人でも多くの人に覚りのヒントを与え、自ら覚りを実践する事で背中を見せ、困難に負けないように励まし、祈る事だけです。RPGのコントローラーを本人から奪うようにしては覚りは与えられないのです。

どうか主人公として、魂を成長させ、世界を救う使命を果たす勇気を持って下さい。臆病なことは恥ずかしいことではありません。そう作ったのは創造主ですから。最初から何も恐れない人の勇気に価値はありません。己の臆病さを乗り越える勇気を発揮して成長するところに価値があるのです。

2023年4月22日土曜日

ピラミッドの存在意義と仕組み

※この記事はnoteに加筆修正して転載していますので、そちらをご参照下さい。
https://note.com/shinyays/n/n762df74cbc67

【質問】50代後半・女性
Twetterとnoteで色々シェアして下さってありがとうございます。

宇宙の仕組み」を「RPG…なるほど、そうだったのね…」と思いながら、わからないところはフィーリングで読んでいます。繰り返して読んで更に理解を深めたいと思います。

さて、ピラミッドが命をつないでまた出会えるような役割をしているという話について、ぜひぜひ詳しく教えていただきたくご連絡致しました。待っています。楽しみです。全然急いでいませんし、構想がまとまった時に書いてくだされば十分です。

「オリオン・ミステリー」という本で、ギザのピラミッドの並びはオリオン座のベルトの3つ星の並びと同じ、と読んだ時に、私の想像できる範囲にはない未知なる叡智を感じました。私が理解できる話ではないのかも知れませんね…。

10数年前に「ダ・ヴィンチコード」を読んでから、関連本などを読み漁り、ネット検索をしているうちに、今まで受けていた教育は洗脳だった…?と思うようになりました。明治以降、日本は見えない彼らに支配されていることにも気付きました。

一般から逸脱した話でも、私はトンデモとは思いません。よろしくお願いします。


2023年4月16日日曜日

未来に絶望したくなる

【質問】10代男性
ここ最近真也さんの発信を見始めさせていただきました。自分はTwitterやYouTubeでよく情報収集をするのですが、最近の日本の状況に関して不安でネガティヴなことばかり目にします。

例えば、日本は今後数年の内に中国と戦争をする、憲法改正による余波で国民を縛り付けてより搾取出来るような体制を整える(マイナンバーカードで個人情報把握、預金封鎖でお金を取られるなど)、物価や生活コストがどんどん上がり続ける反面自分達の給料は上がらず国民がどんどん圧迫されていく等暗い情報をよく目にします。これらの情報のいくつかにはいわゆる陰謀論と言われるものも混ざってると思いますが、個人的には上記に記したような状態になる可能性は否定出来ないと考えています。

真也さんの以前の質問で答えていらしたグローバリスト達の凄まじい資産と権威性、各国政府や財閥との繋がりを考えればあり得る話です。私的には陰謀論そのものに対して興味はないのですが、日本を巻き込んでの戦争や憲法改正による圧政ひいては国民の奴隷化は自分の生活にも関わってくるので無視できない問題だと思ってます。

でも、陰謀論の大元や勢力図的なものを知っていく内に、どう考えても個人が何かして変えられるものではないという現実ばかり見えて来てしまいます。しかしこのような情報を知ってしまったのでここ最近は自分の人生はこれから暗いものになってしまうのかとネガティブな気持ちになってしまいます。

もちろん自分の解釈次第ではあるとは思っていますが、流石に戦争が起きたり、預金封鎖されて問答無用でお金を取られたりする圧倒的な専制政治下では明るく生きるのがかなり難しそうです。

このように自分ではどうすることもできない世の中や現実ばかり考えてしまうことに関して真也さんから助言を頂けたら幸いです。それとも、もしそういう暗い未来が待っていたとしても、それもまた自分に課されたカルマなのでしょうか。長い文章で申し訳ありません。


【回答】
ご質問ありがとうございます。

うーん、「生まれの格差について(陰謀論)」をもう一度しっかり読んでいただきたいですね。その上でそのようにおっしゃっるのなら、僕が伝えようとした意図とは全く違った読み方をされているということです。きっとあなたには「【再質問】優生思想も創造主のシナリオですか?」の質問者さんと同じように、僕の言うことを理解したくない動機があるのではないかと思います。

「人生はRPGそのものである」という点だけはご納得いただけていますでしょうか?それは例えではなくそのものズバリなのです。それはオンラインゲームの如く、ログインしている時点(自意識が存在していると自覚できる時点)で主人公なのであり、あなたが認識できる世界はあなたというたった一人の主人公の為に創られたRPGなのです。当然そのシナリオはあなただけにアレンジされたオリジナルのものです(だから他人との比較に意味はありません)。


認識者それぞれの物語で共通のフィールド(設定)が使われ、それがP2Pのようなメインサーバー(客観的世界)不在のネットワークにより重層しているために我々からすると世界は一つに見えているのですが、それによって自分を「他人と同じように客観的世界に生きている脇役の一人である」と錯覚してしまうところが、人間に与えられた無明(課題・愚かさ・迷い)の最たるものであり、それはまるで無数にあるアミダくじを真横から見て一本の線だ(自分がどんな選択をしようと未来は変わらない)と思い込むようなものなのです。


あなたの文章を読むと「自分は客観的・中立的な立場で情報を集めて適正に判断した上で暗くなっている」と思い込んでいるようですが、自分が主人公の世界に客観など存在しないのです。RPGはあなたという主人公次第に作られているということを決して忘れないで下さい。

RPGにおいて情報というのは前に進みながら(経験を積んでレベルアップしながら)目的に対する必要性に応じて集めていくべきものです。そこはこの人生というRPGも同じであり、パソコンの前に座って情報を集めているだけでは物語(覚り・幸せ)が進んでいくわけがありません。僕らは経験するために生まれてきたのであって、情報を集めるために生まれてきたのではありませんからね。

行動しようとしない後ろ向きな姿勢で情報を集めていたら、更に後ろ向きになるような情報ばかりが集まり、行動する気が失せるのはのとても自然なことです。それは「エゴ(我欲と保身)のために生きる臆病で怠惰な自分を正当化するために世の中に絶望したい」という動機ありきで「自分みたいな大したことのない人間が個人で何をしたところで世の中が変わるわけがない。努力するだけ無駄だ」というネガティブな思い込み(常識)を強化するような情報ばかりを集めているわけですから、実際に自分の世界が絶望的になるのは当然でしょう。創造主は我々に自発的成長を促すためにそう人生をプログラムしているのです。

前述した通り、人間というNPCは皆とても(主人公として)目覚めがたく初期設定されているのであり、僕も目覚めるまではあなたと全く同じように思いっきりNPC思考で自分を社会のつまらない脇役の一人と考えて生きてきました。まして僕が10代の頃なんて鬱で超根暗で勉強も全くせず女と格闘技のことぐらいしか考えてないようなどうしようもないバカで自分と世界の未来に絶望していましたから、絶望することに逃げたい・目覚めを拒否したいあなたの気持ちもよくわかります。でもどうか、いつかは目覚めて大逆転劇を起こして下さいね。

結局のところ人生は何事もまず自分でやってみて、たくさん過ちや失敗も経験し試行錯誤しながら、自分なりに納得してストーリーを進めなければ意味がありません。答え(結果)に価値があるのではなく、過程(経験)が答え(結果)を価値ならしめるのです。そして絶望も人生には必要な過程であり、本当の希望は絶望の淵のほんの少しだけ向こう側にあるのです。きっとあなたには絶望の経験が必要だから与えられているのでしょうから、もし僕の言うことが全く理解できないのなら、今は無理に理解しなくて良いってことだと思います。

僕は常に質問者さんと読者の皆さんを覚り・幸せ・救いに導こうと全力で説明していますが、ひょっとしたらあなたは既に鬱で他人の話を聞いて受け入れられる状態じゃないのかも知れませんし、どれだけ一生懸命説明しようとあなたをただ傷つけたり怒らせたりしてしまうだけになるかも知れません。文章で伝えるにはどうしても限界がありますしね。

まぁただそれで話を終わらせては質問箱の回答にはなりませんし、僕は使命を放棄するのと同じことになってしまいますから、あなたと同じように「生まれの格差について(陰謀論)」を読んでもまだ世の中に絶望し、主人公としての目覚めを拒否していてそれを自覚さえしない魂の兄弟たちに向けて、今一度よりわかりやすくご説明を試みたいと思います。

あなたが主人公であるRPGにおいて、家族や友人のような身近な人であろうと、どんなに有名人であろうと、またあなたが嫌いな人や価値が低いように見える人であっても、他人は例外なく全員があなたの世界のNPCであり、あなたが縁あって出会う人はみんなあなたの人生という物語を盛り上げるために天から派遣された共演者なのです。



クリエイターからプレイヤーに対するメッセージは基本的にNPCや出来事を通じて覚らされるのですから、NPCの言うことや起きた出来事をネガティブに解釈していたら物語が進むわけがなく、行き詰まるか事故るかしかなくなります。

そして人や出来事に出会ったら例外なく「創造主から自分のために贈られた出会いである」と信じて、例外なく愛する(許し・感謝し・尊敬する)ことが大事です。そしてあなた自身も他人の世界においてはNPCでありその人が主役の人生の共演者だということを忘れないで下さいね。


あなたが簡単に主人公であることに目覚めてしまってはゲーム性がなくなるので、あなたの周囲の人たちもマスコミなどもNPCはみんなこぞってみんなあなたの目覚めを阻もうとしてきます。様々な悲観的情報を与えてあなたを不安に陥れ、自分勝手な常識を押しつけてバカにして怒らせたり傷つけたりして、あなたの夢を「そんなこと無理だからやめておけ」と否定してきます。それは映画マトリックスのエージェント・スミスと同じなのです。エージェントというのは誰にでも成り代われるので、あなたの周囲の人はみんな「あなたが主人公などであるわけがない」「私もあなたもみんな同じように大した人間ではないのだから大人しく支配者に従い、社会の奴隷としてただ真面目に堅実に生きるべきだ」と脇役NPCのコピーにしてこようとしてきます。それはこのPRGの初期設定通りであり、主人公であるあなたはそれに立ち向かわなければならないという避けられない(inevitable)運命にあるのです。


あなたという主人公と創造主の関係は一対一であり、世界に何十億人のNPCキャストが用意されていようと、彼らの言う事・やる事・考える事(常識)は創造主に対して一切言い訳には使えないのです。そして主人公であるあなたを捉えるカメラは常にオンであり、創造主はあなたの物語を一秒も休むことなく(心の中まで)常に記録しながら、神々と共に見ているということを忘れないで下さい。(映画トゥルーマンショーはまさに真実に気づかせるための創造主からのメッセージです)


もちろん僕もあなたの世界のNPCの一人です。ただし、あなたの世界においてみんながあなたのために自分の役を「無自覚に」演じているのに対し、僕だけが「意図的に」あなたを主人公として目覚めさせる役割(映画マトリックスのモーフィアスやオラクルの役)を演じているのです。


あなたがこの話を信じようと信じまいと、あなたが他人に自意識があるかどうかを実際に確認することは永遠に不可能であることだけは確実です。他人に対して「あなたに自意識はありますか?」と尋ねても「あるにきまってるじゃないか?バカじゃない?」みたいに答えるようにプログラムされているAIだという可能性は決してゼロには成り得ませんからね。それは宇宙の仕組みに書いた通り、夢の中で出会った人に「これは夢ですか?」と尋ねるが如くですからね。あなただけに自意識がある(主人公である)という仮説を否定証明することはあなたにとって不可能です。それはあなたが「水槽の中の脳」で仮想現実の中を生きているのだとしても、自分で気づくことは絶対に不可能なのと同じ事です。


実際、この世界は魂成長のための仮想現実プログラム(RPG)であり、創造主があなたという自分の分身(分け御霊)に対し「愛と勇気」を試すことを通じて成長を促すようプログラムしているものなのです。もしこのレベルから納得ができないのなら話になりませんので、これ以上読み進める必要はありません。時間の無駄です。


人間というのは魂(=神・プレイヤー)のアバターなのです。あなたはドラゴンクエストのような(主人公が世界を救うシナリオの)RPGの世界において、生まれた街にひきこもってネットや本などでボスキャラたちの悪事の情報集めばかりして「自分ではまるで敵いっこない」と絶望してエゴ(我欲と保身)に埋没して生きているようなキャラクターを主人公としてプレイしたいと思いますか?そんなキャラではゲームにはなりませんから、そのように目覚めを拒否するのが常識だと信じて疑わないアバターたちは、自動運転状態のAI・脇役NPCとしての人生を繰り返すだけになってしまうのです。NPCの自由意志は幻であり「自分の道は自分で選択している」という気分だけ味合わせてもらっているに過ぎず、主人公に目覚めないNPCは他の主人公の脇役・伏線上の受動的な奴隷にしかなれず、大同小異のつまらない未来しかありません。ゲームの本当のスタートは「主人公として目覚め、世界を救う覚悟(菩提心)を持つところ」なのです。


このRPGの世界において、未来のシナリオも最初から既に存在しており、死の苦痛は幻で、死んでも永遠にリスタートがありますから、本当はすべてが大丈夫なのであり、何も恐れるべきではないのです。どっちにしても大丈夫なのなら、やりたいことをやるべきでしょう。


ただしアバター(プレイヤー)の目線で全部が大丈夫だと完全にわかってしまったら、いたずらに死を恐れなくなって自分や他人の時間・命・資源の全てを大切にしないようになり、成長の物語・芸術として成立しません。みんな「世界は創造主により勝手に救われるから大丈夫だ」ってことで、エゴに埋没して自堕落的・退廃的に生き、誰一人主人公として目覚めて成長努力をせず、祈りさえしないことになるでしょうからね。それでは我々がこの世界に生まれてきた意味がなくなります。だから創造主はあらゆる手段を通じてまるで大丈夫じゃないかのように敢えて我々を不安に陥れているのです。

そして創造主は因果(善因善果・悪因悪果)というルールによってこの世を支配し、良いことをすれば幸せになり、悪いことをすれば不幸になるよう人生をプログラムしているのです。これは因果は創造主の天地開闢以来の絶対不変(普遍)の法則であり、あらゆる魂に対して公平なのです。

ただあまりに善因善果・悪因悪果がダイレクトに反映され過ぎると、創造主が人間に善行を強制しているに等しくなり、自由意志を与えた意味がなくなってしまいます。それでは人々は善果を期待して善行をするようになり、動機がエゴになってしまいますからね。もし人に親切にすれば必ず見返りが得られるのなら、親切の動機がエゴになるのは容易に想像できるでしょう。見返りを求めない親切だからこそ美しいのです。それゆえ創造主は因果に時間差などのギャップを設けてわざとわかりにくくしています。

そのために今現在だけを見れば良い事をしていても全く報われず不幸な人がいたり、悪い事をしているのに得をしたりしているように見える人がいたりしますが、それはこのRPGにおける必要悪のトラップのようなものであり、設定の要なのだと気づいて下さい。

これらの仕組みは決して我々に対する意地悪や嫌がらせで作られたものではなく、あくまでも創造主がその愛により、我々の自発的な成長を願って作り上げたシステムなのです。自由意志とは自発的な成長のために与えられているものなのです。世界は自分の解釈次第に創らていますから、その創造主からの愛を悪く解釈すれば、本当に罰ゲームみたいな人生になってしまいますし、不安に捉われればきっと本当にその不安が実体化してしまうのは当然なのです。あなたは「もちろん自分の解釈次第ではあるとは思っていますが」とおっしゃっていますが、ご質問内容から察するに、まるで理解されているようには思えません。

僕らは創造主の分け御霊であり、彼自身でもあります。創造主が自分に対する意地悪や嫌がらせでこの世界を創るわけがないのです。もちろん創造主には全人類、全霊魂の救済計画・メシア(菩薩・仏陀)化計画のシナリオがあるのです。でもそのシナリオ通りに創造主が全てを直接やってしまったり、プレイヤーたちに直接答えを教えて半ば選択を強制したりしたら、ゲーム要素(成長要素・芸術要素)がなくなります。それは美術の先生が生徒の課題をやってしまうようなものですからね。だから創造主は世界を本人次第に創っているのであり、あなたが世界を絶望的だと思うのは、信心・感謝の気持ちを持たず不平不満や恨みで解釈しているから、実際にそのようになってしまっているだけです。

創造主が世界をその主人公次第に創っているのは、自分の分身である我々に「願いが叶った」「祈りが通じた」「努力が実った」という経験をさせたいからです。なぜならそれは全知全能の「思っただけですべてが実現する」創造主には直接的には経験できないことだからです。だからこそ創造主は人間の能力を大幅に抑制し、因果の法則をはじめとしてたくさんの法則(ルール=制約)を設けて、簡単には人間の思い通りにならないよう、願わない・祈らない・成長しない人間は不幸に陥るようにプログラムし、様々な人や出来事との出会いを通じて、我々に自発的に気づかせ成長努力をさせようと導いているのです。ですから当然ながら創造主は世界が救われるよう本気で願わない・祈らない(神を信じない)・成長努力もしない人間をその意思とは無関係に勝手に救って幸せにすることはありません。世界はあなたという主人公が救わずとも勝手に救われるようにはプログラムされていないのです。逆にあなたが救おうとしなければ世界は悪くなっていく一方になるでしょう。

人生は「愛と勇気」を試して成長を促すためのRPGなのですから、このRPGの世界全体があらゆる手段を通じてあなたを怒らせ、また脅して不安にさせ、絶望させ、エゴ(我欲と保身)に埋没して堕落するように差し向けてきます。そうしなきゃ「愛と勇気」は試されませんから、至極当然のことです。

例えばあなたに巨大なプールの水を運び出すという課題が与えられたとしましょう。ところが最初はおちょこのような小さな器しか与えられていません。今のあなたはとりあえずその小さな器で水を運び出し始めるのではなく、一生懸命に情報を集め、プールの水の量と自分の現在の排水能力を計算・推測し「時間的にも労力的にも絶対に無理だ」と何も始める前から絶望しているようなものです。


しかし人間の器というのは成長と共にどんどん大きくなっていくものなのです。RPGというのは主人公の成長に合わせてシナリオ上必要な時に必要なものが必要なだけ与えられるようにできていて、それは人が冒険を始める前に計算・推測できるようなものではないのです。そしてドラゴンクエストと全く同じ様にあなたの人生というすべてがプログラムされたこのRPGの世界において、やり始めればいつか成長して目標を達成できることはシナリオ上最初から確定しているのです。

ドラゴンクエストだって初期設定のレベル1ではボスキャラとは途方もない実力差があるのは当前であり、最初からボスを倒せるだけの能力・アイテム・仲間・情報が与えられていて見込みが完全に立っていたら何の成長要素も芸術要素もなく何も面白くないでしょう。それらを冒険して経験を積みながら得て行き、その圧倒的な差を覆す大逆転劇を起こすところがRPGの醍醐味なのです。それなのにあなたは初期設定である「自分とボスキャラたちとの実力差」を嘆いて「自分が何をしても無駄だ」と勝手に絶望しているわけで、それがいかにナンセンスなのかってことに気づいて下さいね。

「自分なんて能力も価値もなく大した人間じゃないから世界なんて救えるわけがない」「最初から幸せな世界が実現されてないならゲームをしたくない」というのは典型的なNPC思考であり、そこを改めなければ決して主人公になれませんし、成長も覚りも幸せもないのです。RPGで課題を用意している側のクリエイターが自分で用意した課題を自分でクリアして、最初から平和で幸せな世界を実現してしまったら、ゲームの電源を入れた瞬間にエンドロールになるようなもので、ゲームとして成立しないのです。


どんなRPGも世界が悪者に支配される一歩手前の絶望的なディストピアから始まって、そこから主人公を起点に大逆転を起こすシナリオになっているのは当たり前のことであり、だからこそ面白いのです。そしてあなたの人生のシナリオもきっとそうなっているのです。あなたが主人公なのであり、すべてがあなた次第という点において、夢と現実に本質的な差はないのです。もちろん「信じる信じないはあなた次第」ですけども、自分を主人公だと信じないことが典型的なNPC思考なのです。


さて、ボスキャラの実力に絶望し、主人公としてどうやって世界を救えば良いか見当もつかないあなたに、重要なヒントを差し上げましょう。まぁこれも既に「生まれの格差について(陰謀論)」で書いていることなのですけど、あなたは全く理解できずスルーしている感じなので、よりわかりやすく説明します。

世界は創造主により、すべてがフラクタル(相似形)に創られています。フラクタルというのは異分子の存在を許さず、すべてを自分と同じ型にしようとするフラクタル連鎖を起こします。ただし全部が最初から一つの型のフラクタルなのでは物語は生まれませんから、創造主はこの世界を陰陽二元的に作り、その覇権を争わせているのです。つまり天使と悪魔を作り、その代理戦争をこの次元においてやらせることで物語を生み出しているのです。それは磁石の両極のようなもので、この次元においてはどちらか一方がなくなるということはありません。RPGで敵がいなくなったらゲームにはなりませんからね。ゾンビの出て来ないバイオハザードはゲームになりません。だからこそこの世界のNPCたちはエージェント・スミスのようにみんなを自分たちと同じ脇役NPCのコピーにすべく迫ってくるのであり、それもフラクタル連鎖なのです。だから主人公であるあなたは決してそれに屈せず、みんなを主人公として目覚めさせるフラクタル連鎖を起こさなくてはならないのです。

我々の目には見えないだけで、世界は本当に天使(光・愛・智慧・真理・ワンネス)と悪魔(無明の闇・エゴ・愚かさ・迷い・我欲・保身・分離意識)の戦いの場なのです。そしてそのフラクタルの覇権争いが、それが我々の心や体の中でも地球上でも全宇宙でもフラクタルに行われているのであり、まさにそこに「このRPGのシナリオの核」があるのです。


オンラインゲームのように、あなたは他の人と重ね合っているフィールドは共有していても、別な世界に生きています。ただしそれはフラクタルに創られており、あなたが出会った人はみんなあなたの世界の住民であり、あなたは他のログインプレイヤーの世界の住民なのです。だからあなたが主人公として目覚め、自分の中の悪魔と闘い、自分の世界の住民たちも目覚めさせて幸せに導くことができたら、それはフラクタルに連鎖していつか世界が目覚め、必ずみんなの世界が救われる時代が来るのです。

このフラクタル連鎖というのは指数関数的に広がるもので、最初はゆっくりに見えても、果てはとんでもないスピードで広がっていくものなのです。この指数関数的な倍々ゲームの増え方というのは我々の感覚と全く違い、例えば新聞紙を50回折るとその厚みは月に到達し、100数回も折るともう観測宇宙の限界460億光年すら軽く超えてしまうのです。(細菌・ウイルス・がん細胞などの増え方も倍々ゲームだから凄まじいのです)


あなたはどこか遠くに巨悪が存在して自分にはどうしようもない存在だと思っているようですが、巨悪というのはすべからく我々みんなの心に住む悪魔(無明の闇・エゴ・愚かさ・迷い・我欲・保身・分離意識)がフラクタル連鎖することによりなされているものなのです。

あなたが現在恐れて絶望している巨悪もまさにそのように一人ひとりの悪魔が連鎖して生まれているものなのであり、もし我々がイメージするような純粋な悪が存在するならそれはみんなに嫌われて連鎖せず基本的に単独犯になり、巨悪には成り得ないのです。

この世界の巨悪はとてつもなく強大に見えてとても太刀打ちできそうになく絶望的なように感じますが、元々は一人ひとりの心に住む悪魔(エゴ)がフラクタル連鎖してできたものですから、一人一人が自分の心に住む天使(愛)をフラクタル連鎖させていけばいつか巨悪も必ず倒せるのです。そしてその大逆転劇の起点となるのが主人公であるあなたの使命なのです。

例えばあなたという主人公がゴミを拾えば、それが最初は全然見えなくても世界にフラクタル連鎖するのです。寄付などもそうです。現時点でお金をいくら出せるかは関係ありません。現時点で持っているお金から何パーセント出せるかというのが大事で、それが世界にフラクタル連鎖するのです。わかりやすい例を挙げましたが、実際はあなたのありとあらゆる思考・行動が、最初からは見えないだけで必ずフラクタル連鎖するのですから、今現在のあなたのネガティブな思考・行動がどれだけ世界に悪影響を与えているか考えて、ポジティブな思考・行動に切り替えて下さいね。

この戦いはとてもスピリチュアルであり、すべてが他人事ではなく主人公である自分の戦いなのだと理解して下さい。自分が成長せずに他人を変えようとしても変わらないようにこの世界はプログラムされているのです。そして物質世界において権力(強制力)でもって権力者(他人)に立ち向かおうとしても、相手の力は強大ですから必ず潰され、余計に権力者は権力を増してしまうのです。

お金は権力(強制力)の分譲券であり、今の世の中みんなお金という見返り・強制力によって安易に他人を動かす権利を得ようとして、それが常識(仕方のない事)として正当化されています。それはこのRPGの初期設定であり乗り越えるべき課題ですから。そしてお金を多く得てエゴ(我欲と保身)を満たすために嫌な事・悪い事でも平気でやる悪魔になります。でもそこまでしてみんながお金を欲しがれば欲しがるほど、お金とお金を牛耳っている人たちの権力を増してしまうだけになるのは当然でしょう。だからまず自分からエゴを乗り越えて、お金の為に働くというのをやめ、ミニマムな生活をして、本当に人の役に立ててお互いに嬉しくなれることを、どれだけ収入が低くてもやるべきなのです。そしてお金に困っている人と出会ったらどんどん無償で助けてあげることです。お金を取ったら愛は伝わらないのです。セックスでお金を取ったら売春になって愛が伝わるわけがないのと同じ事です。

だから僕は常に無料で人助けをしています。いくらお金がなくても生活なんてどうにかなるのがわかってますからね。もちろん今の社会のシステムの中では最低限お金がないと生きることは非常に難しいのですが、僕は断食・乞食・ホームレスをして過ごしましたから、お金がまるで空気のように必要不可欠なものであり一番大切なものであるという金拝主義的(悪崇拝的)な価値観からは脱しています。最低限の収入で僕は幸せに生きてますし、もし国民の大半がその最低限の収入以下になるほど体制側が国民を圧迫するのなら暴動が起きて支配体制は転覆するでしょう。資本主義は限界を迎えており、みんながワンネスに目覚めて完全な共存共栄の世界が実現する日を楽しみにしているぐらいなので、僕は何も心配していません。

キリストが「神と富の両方に使えることはできない」と言った通りで、お金というのは悪魔が人を悪魔にするフラクタル連鎖を起こすためのツールであり、悪魔そのものともいえるものなのです。もちろんそれは磁石の片極のようなものであり、このRPGにおいてはゴールに至るまで完全になくすことはできませんが、だからといって主人公であるあなたが最初から諦めて、エゴ(我欲と保身)のために生きる脇役NPCとして生きてはいけないのです。

あなたが世界の平和と幸福を願い、神を信じて祈り、そして六波羅蜜を行じてエゴを乗り越えて目の前の人を無償で助け、許し・尊敬し・感謝し・愛することができるよう日々実践を通じて成長努力を続けるなら、それは指数関数的にフラクタル連鎖し、いつか強大な悪魔にも勝てるのです。(仏教の修行を全て出家が必要な厳しいものであるかのようにイメージしないで下さい。人生そのものが修行なのです)

楽器の演奏と同じで最初からうまくできないのは当たり前ですから、最初からうまくできないからといってすぐ諦めないで下さいね。どんな困難に直面しても、ゲームクリア(真の覚り・アセンション・地上天国実現)を簡単に諦め、ベクトルを後ろに向けてはならないのです。

世界を救うのに最初から権力者や有名人になる必要はありませんし、最初から高い能力は必要ありません。それぞれにシナリオがあって、能力や富や名声などはそのシナリオ上必要な時に必要なだけ与えられる副産物のようなものであって、主人公が課題クリアする上での絶対条件ではありません。むしろそのように能力を価値だと勘違いし、権力を目指せば必ず他人を見下すようになり、より大きな権力と能力を持つ者のエゴの餌食にされる(フラクタル連鎖に取り込まれる)だけです。権力(強制力)そのものが悪魔だとも言えます。世の中を良くしようと理想に燃えて政治家や実業家になった人たちはほとんどが権力欲(金銭欲・名誉欲)という悪魔に憑りつかれるのです。そうでなければ世界はとっくに救われているでしょう。今の世界が不幸なのはあなたが主人公の物語の伏線なのだと気づいて下さい。

大切なのは実際に出会った人の許し難き罪・欠点・過ちを許し、補い、愛し難き人も愛することです。あなたはただ目の前の人と愛により無償で助け合う連鎖を目の前から起こしていけばいいのです。エゴ(我欲・保身・分離意識)を乗り越え、日々実践を通じて愛(真理・ワンネス)に目覚めて行く連鎖です。それを起こした人間は、例え世間的にまるで何の権威・権力もなく有名人ではなくても、世界を救うメシア(主人公)なのです。

そして常に正義より愛を優先させることです。みんながそれをしたなら世界が救われるのは容易に想像ができるでしょう。逆に真理(愛)の実践の連鎖を通じてしか世界は決して救われないのです。実際に出会ってもない人の不幸や悪事を言い訳にして絶望して諦めないで下さいね。

ガンジーの非暴力・不服従運動と同じで、真理(愛)というのは他人に強制しなくても、自ら実践するだけで連鎖してくものなのです。


この世界は魂の成長プログラムなのですから、成長方向と逆のことをすればどんどん不幸になっていくようにできています。そういう世界で創造主は我々に自発的に気づいて思考と行動を改めて成長して欲しいと願っているのです。創造主はそのために我々に自由意志と無明(愚かさ・迷い・課題・試練・カルマ)を与えているのですからね。だから成長すればするほど、真理に近づけば近づくほど自分も周囲も幸せになるように創造主は世界を作っているのであり、今あなたが不幸なのなら、それはどこか考え方が間違っていることに創造主が気づかせようとしているということなのです。

あなたが僕の言うことを創造主からのメッセージだと信じて受け入れてくれるかはわかりませんが「信じる信じないの基準」に書いた通り、その思考・行動によって自分も周囲も幸せになるかどうかでそれが真理に近いかどうかは判断できるのです。

覚りとはまず与えられた人や出来事との出会いを縁(運命)だと信じ、自分の成長にベストなものが与えられていると心から感謝し、全力で愛することです。もっと良い人・出来事と出会えるのでは?とか縁に対して不平不満に思っって目の前の人を全力で愛さなかったり、今までの自分がしてきたことや自分に起きたことを「自分の成長に必要な過程だった」と愛せずに後悔し、また誰かを恨んだりしているようでは幸せにはなりようがないのです。

何かを感じ、愛し、そういう経験ができる「存在」として「現在」が与えられていること。そういうことに心から感謝できるようになることです。あなたはそれが他人にも与えられている当たり前のものだと考えているのでしょうが、それが他人に本当に与えられているかどうかは究極わかりません。そしてすべてを与えし創造主にとって、そのように他人と比較してより良いものが与えられなければ感謝できないという人の感謝には価値がないのです。今与えられているものに不平不満ばかりで感謝できない人間にもっと与えたところで不平不満しか返ってこないのは目に見えていますしね。「当たり前」は「有難い」の反対であり、何事も意識して当たり前だと考えないことが大事なのです。

臆病さ・怠惰さというのもエゴ由来であり、自己保存本能(保身)ゆえなのです。分離意識を乗り越えて愛に目覚めみんなが無償で助け合い補い合い愛し合うワンネス連鎖が世界の隅々まで行き渡れば、戦争・貧困など世界の大きな問題はすべて解決して地上天国が実現(ゲームクリア)するのです。

決してあなただけでなく、人間というのはみんなとても臆病かつ怠惰に初期設定されています。なぜなら最初から何も恐れずどんどん前に進めるような人の勇気には価値がないからです。臆病者が振り絞る一握りの勇気にこそ価値があるのです。そして創造主はあなたが愛と勇気を振り絞って前に進み成長するところが見たいのです。

「勇なき愛は欺瞞であり、愛なき勇は蛮勇である」真也(創造主の代弁)
彼女を愛してると言いながら彼女が暴漢に襲われている時に一目散に逃げ出すような男性の愛は欺瞞であり、しかるべき準備もなく名声目的で冬季のエベレスト登山にチャレンジするような単に無謀で愛が動機ではない勇気は蛮勇だということです。

もし今後何かの選択肢が目の前に現れたら、常に「より愛と勇気が必要な方」を選んで下さい。必ずそちらが正解ですから。そのことに経験的に気づいていければ、あなたはブレーキが壊れたかのようにものすごい勢いで前に進めるはずです。

それでは、あなたの目覚めと幸せを心から祈っています。

2023年4月4日火曜日

優生思想も創造主のシナリオですか?(再質問)

【質問】20代後半・男性
先の質問優生思想も創造主のシナリオ通りですか?において、優生思想(人に上下をつけて序列付ける考え)は乗り越えるべき課題であると仰られていたと思いますが、個人的には優生思想は人間及び全ての生き物の本質なので完全瓦解は不可能だと考えています。

人類も今まで優生思想で相対的により良い遺伝子を残し、そうでない者は排除(積極的に虐げる訳でなく、受胎者である女性が遺伝子を受け入れないため自滅)して来たために、ここまで人類は発展したと考えています。どこの国でもどの時代でも人間は階級制を築いて序列を築いて国家やコミュニティを運営して争いや悲劇を繰り返して来ました。このような本能的な部分が人類に与えられた無明(課題)であるというのは肌感で理解しています。

しかし、社会性においても人間の本質そのものでもある子孫繁栄にも優生思想はかなり深く関わっているので、優生思想を乗り越える=人間の存在そのものの否定に繋がるのではと思いました。

また、子孫繁栄そのものが人間の愚かさや無明の象徴であり、乗り越えるべき課題で共栄共存社会を目指すなら人類という種が子孫を繋がずに滅ぶことも受容するということでしょうか?

個人的に人間が子孫繁栄という行為で種を繋ぐ以上、仕組み的にどうやっても人の優劣というものを無くすのは不可能であると思いますが、そこに関しては真也さんはどのような意見を持っていますか?

そもそも私たちが生きている現世での勝敗には大した価値は無く、全て魂の成長を促す過程でしかないという認識でしょうか?

批判ではなく、単純な疑問ではありますが気を悪くされたら申し訳ありません。

【回答】2024年9月1日更新
ご質問ありがとうございます。このように感想や再質問など反応をいただけることはとてもありがたいことです。反応がないと質問者さんにちゃんと伝わったかどうかがわからず、こちらも説明の仕方を改善しようがないので。

ただ、僕が前回あれだけ一生懸命ご説明したことがあなたには何一つ伝わってないようで、とても残念に思います。あなたには僕の言うことを理解し受け入れようとする姿勢が全くなく、認めたくない・反論したい動機が先にあって、意図的に曲解・誤解しているようですし、あなたがおっしゃってることは僕からするとあなた個人の理不尽な思い込みの産物であって全く論理的ではないと感じます。

>>個人的には優生思想は人間及び全ての生き物の本質なので完全瓦解は不可能だと考えています。

あなたがあくまでも個人的にそう考えたいのでしたらご自由にどうぞ。あなたの世界はあなたの世界観・価値観(解釈)が創っているんですから、あなたの人生はきっとその通りになるでしょう。まさにこれ↓です。

「世の中は自分の思い通りにならない」と思う人にとって、実際世の中は思い通りにはならないのであり、それはやっぱり「世の中は自分の思い通りにならない」という思いの通りになっているということです。

しかしあなたはそのような世界観・価値観(解釈)で生きていて幸せなのでしょうか?「人の価値に序列をつけるような考え方」では、あなた自身も周囲の人もきっと幸せにはならないでしょう。

信じる信じないの基準に書きましたが、真理というのはそれを覚り実践する人を幸せにするようにできているのです。だからその考え方が真理かどうかは、それを覚り・実践することにより、みんなが幸せになるかどうかでわかります。もしあなたの考え方や行動によってあなた自身も周囲の人たちも幸せにならないのなら、それはどこかが間違っているってことだと僕は思います。そのレベルからあなたが信じたくないというのでしたら、まぁそれもご自由にどうぞ。

しかしもしあなたの考えが正しくて真理なのなら、きっと幸せに生きているはずであり、なぜわざわざ僕に質問をされるのかわかりません。僕がどう考えるかも僕の自由であり、僕は幸せに生きていて、討論など望んでいません。ここは質問箱であって、討論箱ではありません。あなたがあくまで自分の考えの方が正しいという前提で、こちらの話を受け入れる気が最初からないのなら、わざわざ僕に質問・相談をする意味がないと思います。

どうやってもあなたを傷つけずに伝える手段が見つからないので単刀直入に言いますが、あなたが「優生思想」を「覆すことが不可能な本質・真理」だと頑なに主張する動機は、異性から愛されずにやさぐれて「どうせ自分なんかダメだ」と考えて、大した努力もしない自分を被害者として自己正当化し、世を憂いて自己憐憫したいからかと思います。しかし創造主は我々に自発的な成長を願ってこの世界の仕組みを創っているのであり、そのように被害者意識で成長を拒否すると不幸に陥るようにこの人生というRPGをプログラムしているのです。

人のネガティブな思考・行動というのはすべからく過去の傷から逃避するために誤った悟り方をしているからであり、あなたにはきっと「異性から受け入れられず愛されない」という心の傷を世の中のせいにしたいという動機があるわけで、それが変わらない限りいくら僕が「世界は自分の解釈次第にできている」と論理的にあなたを諭して「覚り(幸せ)」に導こうとしてもきっと無駄でしょう。あなたは「どうせ自分は努力しても無駄だ」と自分の「成長努力の放棄」を自己正当化したいのですから。

それでも僕はあなたの理不尽な質問にあらためてきちんと全力で論理的に回答させていただこうと思います。それが使命ですからね。

全ての存在の根源は創造主なのですから、あなたのようにネガティブな世界観(解釈)で生きていれば、異性も含めみんな(人・神々・運命・縁)から愛されなくなるのは当然であり、あなたの容姿や能力などがその直接的な原因ではないと思います。

あなたは「人が容姿や能力で優劣をつけるのは当然のことで、生物の本質である」と考えているわけですから、仮にあなたと一緒になってもいつか年老いて容姿や能力が衰えればあなたから愛されなくなり、あなたも自分自身を愛せなくなるのは確実であり、そのように暗い未来が目に見えているのですから、異性から避けられるのは当然でしょう。(落ち込まずに考え方を改めて明るい未来を選択して下さいね)

この世界はすべてが陰陽二元的に存在しているのであり、磁石のようにポジティブもネガティブも片極だけでは存在し得ないのです。ネガティブ(課題)側だけが「完全瓦解」してしまっては、人生という魂成長のゲームは成立しません。

例えばゲームする前からゾンビが完全瓦解していて出て来ないバイオハザードに存在意義はないでしょう。バイオハザードにおいてゾンビは克服すべく与えらえれた課題であり、世界がゾンビウイルスに支配されることが「完全瓦解は不可能な真理」ではありません。人生も無明の闇(課題・愚かさ・迷い・エゴ)があるからこそ光(智慧・真理・愛)は存在でき、存在意義(価値)が生じているということです。優生思想というのはその無明の闇の最たるものであり、進化論という虚構を根拠とした、人類が克服すべき課題なのです。

無明というのは般若心経に「無無明 亦無無明尽」とある通りであり、それを僕に解説させるならば「我々の魂は元々光(智慧・真理・愛)そのもののような存在であり、本来は無明(課題・愚かさ・迷い・エゴ)など存在しないのですが、そのままでは魂は成長できないので、あえて無明という幻が尽きることなく存在するこの仮想現実世界へ魂の成長修行のために来ている」ということです。だからこそ般若心経は「我々の人生にどれだけ苦しいことがあっても、何も恐れたり迷ったりせず、ただひたすら真の覚りを目指すべきである」という主旨で書かれているお経なのであり、我々を真の覚りに導く応援歌なのです。

ですから、あなたが「無明(課題)は尽きることがなく、完全瓦解は不可能である」と決めつけて「優生思想は全ての生き物の本質である」「優生思想を否定することは人間を否定することにつながる」などと主張するのは論理が破綻していると思います。無明がない世界は目指すべきゴール(エンドロール)であり、それ(真理・悟り・彼岸)は航海における北極星のように目印にして進むべきものであって、実際に我々の次元において無明(課題)のない世界が実現されてしまったら、魂の成長の物語は成立しません。あなたのおっしゃることは「北極星には辿り着けるわけがないから北極星は目指さない」と言っているようなものです。真理(覚り)というものが我々の次元で完全に実現することは不可能だからって、初期設定として与えられている無明(課題)の方が真理だと考えるのはナンセンスだってことです。

どうか主人公として真理(愛)に目覚めて下さいね。他人(NPC)を基準にして考え、思い込みに過ぎない「常識(課題・初期設定)」を「絶対に変えられない真理」だと誤解し、人間はこういう生き物できっと変わらないから、自分もそれに合わせて生きていこう、みたいに考えていたのでは、いつまでもNPCを脱することができず、ゲームが始まりさえしないのです。

>>また、子孫繁栄そのものが人間の愚かさや無明の象徴であり、乗り越えるべき課題で共栄共存社会を目指すなら人類という種が子孫を繋がずに滅ぶことも受容するということでしょうか?

「子孫繁栄が無明の象徴である」なんて僕は一言も言ってません。あなたは何とか僕に反論したいという感情・動機が先にありきで、勝手に僕の主張を無理やり捻じ曲げて明らかな嘘を書いています。

僕は「子孫繁栄がみんなに共通する人生の絶対的な目標と考え、人の価値に優劣をつけ、異性から受け入れられない・子供が作れない人には価値がないと考えるその差別的な考え方こそが人類の乗り越えるべき無明(課題)である」と言っているのです。

人(主人公)それぞれにシナリオ・課題が与えられているのであり、子孫繁栄がその一部だという人もいれば、そうではない人もいるのです。しかし人の価値とは?に書いた通り、人にはそれぞれ等しく価値があるのです。人の価値に能力で序列をつけるような考え方を我々はまず主人公である自分自身から乗り越えて行かなければならないということです。

あなたは「共存共栄の社会を目指すと(優生思想よりも早く)子孫を繋げなくなって人類は滅ぶ」と考えているのでしょうか?おっしゃってることがあまりに理不尽過ぎて殆ど意味不明です。あなたは本当は僕の言うことが心の奥底では真理だと気づいているのに受け入れられないから、僕の言うことをわざと無理やりに曲解し・論理を放り捨ててまで反論してくるのでしょう。

>>個人的に人間が子孫繁栄という行為で種を繋ぐ以上、仕組み的にどうやっても人の優劣というものを無くすのは不可能であると思いますが、そこに関しては真也さんはどのような意見を持っていますか?

これも、あなたは「無明(課題)」というものを「無くすのが不可能である」ということを大前提として、それを乗り越える努力を最初から諦め、無明(乗り越えるべき課題)を「本質・真理」のように決めつけていますが、前述した通り、その論法自体が論理的に破綻しているのです。

何かの優劣というのは人それぞれが勝手に判断・解釈していることであり、絶対的な優劣が人それぞれの判断・解釈なしに最初から独立して存在しているわけではなく、優劣の絶対的な基準などどこにも存在していません。

能力などで「人の存在価値」にまで優劣を決めることこそが無明(課題)であり、それは人類が乗り越えるべき課題であって、実際に僕はその課題を自ら実践を通じて乗り越える修行の日々を送っているのです。それを他人であるあなたから一方的に「不可能」と決めつけられて否定されるのは心外です。

僕は優生思想・進化論が誤った解釈であり虚構であることについては、あなたの先の質問優生思想も創造主のシナリオですか?の中でとても論理的にご説明差し上げているのですが、それでもあなたがまだそれを理解し受け入れられないために、あなたを救いに導けないのはとても残念なことです。

>>人類も今まで優生思想で相対的により良い遺伝子を残し、そうでない者は排除(積極的に虐げる訳でなく、受胎者である女性が遺伝子を受け入れないため自滅)して来たために、ここまで人類は発展したと考えています。

それも単なるあなたの解釈であって客観的事実ではありません。あなたのおっしゃることはすべてにおいてそのように「客観的事実」ではなく「あなた個人の思い込み」を前提・根拠にしているからお話にならないのです。

あなたは世の女性がみんな優生思想によって常に男性を容姿や能力などで序列をつけ、その中で相対的に一番優秀そうな男性から順番に愛することでより優秀な遺伝子を残していると思っているのでしょうか?そして遺伝的に劣る男性は絶対に女性から愛されずみんなハブられると思っているのでしょうか?そしてそれが生物の本質であり、どの生物もみんなそうだと思っているのでしょうか?

もしそれが正しいのだとしたら、今生き残っている人たちはみんなそのような厳しい生存競争を何万年と勝ち抜いて進化してきた勝ち組の遺伝子を持つ優秀な者ばかりということになるでしょう。もちろんあなた自身も含めて。それではなぜ人間より能力が劣る猿が世界中でこんなに多種多様に栄えているのでしょうか?そして勝ち残ってきた遺伝子を持つはずのあなたが異性から受け入れられない理由は何でしょう?たまたま不運で容姿や能力や財力などが人類最低レベルに生まれたからですか?

もしそのように考えているのなら、あなたは本当に不幸な考え方をされていますね。それでは異性から避けられるも無理はないでしょう。(クドいようですが、落ち込まずに考え方を改めて明るい未来を選択して下さいね)

確かに世の中にはあなたが考えているように、男性を容姿やステータスなど表面的なもので判断する女性もそれなりにいるにはいるのでしょうが、僕はそういうタイプの人が本当に幸せになっているのを見たことがありません。愛のない結婚は、例えどれだけ他の面で恵まれていても地獄ですから。

女性は実際に結婚するとなったら、運命(縁)・感性(直感・相性)を最も大事にする人が圧倒的に多数派だと僕は思いますよ。もし優生思想が生物の本質だというなら、誰かと結ばれても常に「もっと他に良い人がいるのではないか」と考えることにつながり、それは当然「出会った人を全力では愛さない」ということに繋がります(まぁそういう人は世の中に結構いるんでしょうけどねw)。そのような考え方は愛(真理)とは相反するものであって、そのような考え方では結婚などしても幸せになるわけがなく、いつか破綻するのは目に見えています。

全ての人や出来事との出会いは天より与えられし縁であり、あなたはネガティブな思い込みが強過ぎるために何でもネガティブに解釈し、それゆえに天の愛を受け取れず、良縁を自ら遠ざけているのでしょう。人の価値に序列をつけるのが当たり前だと思っているような人は、どれだけ容姿や能力や財力に恵まれていても心から愛されるわけがないのです。あなたが女性から愛されないのは、決して容姿や能力や財産などが原因ではなく、単にあなたのネガティブな考え方が原因でしょう。

人にはそれぞれ個性が与えられています。個性というのは必ず長所と短所を含むものであり、それは補い合い・助け合い・愛し合うためのマテリアルなのです。僕は個性(長所や短所)をなくそうなんて考えていません。自分や他人の価値に優劣をつけ、蔑んだり排除しようとしたりする差別主義的な価値観をなくし、みんながお互いの個性を尊重し合える世の中を実現したいのです。(僕はこういう考え方をしているからブサイクでハゲでお金も仕事も語学能力も全くないオッサンでもモテちゃうんでしょうねw)

>>そもそも私たちが生きている現世での勝敗には大した価値は無く、全て魂の成長を促す過程でしかないという認識でしょうか?

仕事やスポーツなどで勝敗を競い合う勝負事も人間に与えられた楽しみの一つであり、多くの人の人生に共通したシナリオ(カルマ)の一部です。どんな勝負事も本来は我々が鎬を削り合い、またチームで協力し合い、みんなで応援し合い、お互いの成長を楽しめるように与えられたものです。そのような「能力×努力×協力」の勝負は、人の存在価値の優劣まで決めるものではありません。何かの勝敗によって存在価値まで左右されると考える愛のなさが不幸の元だと僕は思います。真理はワンネス(すべての存在は一つ=創造主)であり、価値があるのは存在(感情・経験)であり、それは真理に至るべく試行錯誤を続ける道の途中にあるのです。

それにしても「魂の成長を促す『程度でしかない』」とは、まるで魂の成長になど大した価値はないと言わんばかりですね。ではあなたが生きる上での最大価値は何ですか?あなたは自分がいったい何のために生まれてきたと思っているのですか?

「半身の英雄」ザイオンさんの背中には「No Excuses(言い訳はしない)」と書かれています。これを見たら生まれを言い訳にすることは恥ずかしいことだとわかるでしょう。


>>批判ではなく、単純な疑問ではありますが気を悪くされたら申し訳ありません。

いえ、こちらこそ気を悪くされたら申し訳ありません。せっかく創造主が僕を通じてあなたに真理を伝えて救おうとしているのに、僕の未熟さゆえにきっとあなたを傷つけてしまって意地でも理解したくなくなるような書き方をせざるを得ず、結局全く伝わらないであろうことはとても残念に思います。どうかあなたに神仏の導きと救いがありますように。

僕自身も長年鬱の経験があるので、あなたのお気持ちも考え方もよくよくわかるのですが、今のあなたの考え方は鬱状態に陥る人(霊障に犯されている人)に見られる典型的なもののように感じます。そして鬱状態の人というのは他人の話が聞ける状態にはないのです。だからなたがもしリアルで出会った友人であるなら、僕はあなたの言うことを否定せず、真剣に聞いてあなたの存在を承認し(許し・感謝し・尊敬し・愛し)、あなたの自尊心を上げることだけに徹していたでしょう。

ただネット上の「質問箱」ではその性質上、僕が意見を言わずに相手の話を聞くだけでは成立しません。鬱状態の人は、相手の意見が自分と違うというだけで自分の存在まで否定されたと感じて傷ついてしまいますから、鬱状態の人を傷つけずに僕が意見を言うことはできないのです。どうぞご容赦下さいませ。

僕はただあなたを幸せに導きたいだけで、決してあなたを論破して勝ち誇りたいわけではないのです。あなたは議論を勝ち負けと捉え、自分の考え方が否定された=自分は劣っていると感じてプライドが傷つき、無理やり曲解・誤解して論理をかなぐり捨ててでも僕を否定せずにはいられなくなっているのでしょうけども。

しかしあなたの本体は魂であり、あなたの意見=あなた自身ではありません。今までの考え方の間違いに気づいたらどんどんそれを更新して魂を成長させていけばいいだけのことです。自分の今までの考え方を更新し、成長する経験こそが人生の醍醐味なのですから。今までの自分の考え方に固執しそれを自分自身であるかのように考えて常に防衛しようとし続けたら、いつまでも成長できなくなってしまいます。成長を目指すことは過去の自分を否定することではなく、過去の自分も成長を経験するのに必要な過程だったと愛することです。蝶を愛でることは芋虫を否定することを意味しません。

ただ単に現在のネガティブな自分の思い込み(常識)を守ってそれをより強化していくだけで更新することがない人生なんてつまらないですよ。この人生というRPGは愛と勇気を試し成長を促すためのものなのですから。

もしよろしければ他の質問生まれの格差について(陰謀論)」「未来に絶望したくなる」「ルックスに対する劣等感」「どうしたらモテますか?の回答もご覧いただけると幸いです。

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

2023年4月2日日曜日

ルックスに対する劣等感

 【質問】20代前半・男性
初めまして。

不幸自慢ではありませんが、自分は生まれつき体の線が細く、身長も160cm代と低く学生の頃からかなり揶揄われて来ました。中高生の時は自分が好きになった女子が陰で自分の体についてバカにしてたり、クラスの男たちからチビなのは男としてダサいwwみたいに言われたりしました。

こういう経験をしたからか、自分は今でも人から見下されるのがめちゃくちゃ怖いです。行動や意思決定の際に自分がしたいかどうかより人から見てどう映るのか、馬鹿にされたりしないか?ということばかり気にしてしまいます。気にしても仕方ないのは分かっていますが、どうしても人から見下されたくないという気持ちを改善することができません。自分の悪癖に対するシンヤさんのアドバイスをお聞かせ願いたいです。

また、男として〜〜みたいな意見に縛られるのは良くないと思いますか?


【回答】
ご質問ありがとうございます。僕もコンプレックスによって目覚める前までの人生の大半をスポイル(台無しに)してきた人間なので、お気持ちはよくよくわかります。

まず、特にあなたはまだ若いので、もう少し自身のコンプレックスというものに対して反発心を持ってもらいたいです。

コンプレックスに苛まれている時は、己の不幸をすべてそのせいにしてしまい、自然と孤独になって周囲が見えなくなるものですが、世の中にコンプレックスが何もない人間というのはいないのです。それはあなたがうらやましいと思うような世の成功者たちにも必ずあるのです。実際、政界・経済界・芸能界などを見ても、世の成功者というのは背が低い人がかなり多いですし、そうでなくても貧困など何らかの理由で恵まれない幼少期を過ごしてきた人がとても多いのです。

悪いカルマの解消法」にも書きましたが、コンプレックスは創造主が人それぞれみんなに与えているプレゼントであり、それがカルマ(=魂の成長のために与えられた課題)なのです。世の成功者の多くはコンプレックスに負けないようそれをエネルギー(原動力)に変えて努力を続けてきた人であり、逆にコンプレックスが弱くてそういう反発エネルギーがない人はきっと成功しないでしょう。コンプレックスは創造主から成長を期待されて与えられている宝物なのです。だから己のコンプレックスをポジティブなエネルギーに変えられず、バカにされる度に傷ついて気落ちし、我が身の不幸を嘆くばかりで努力しない自分をコンプレックスを理由に正当化し、最初から負けを認めて諦めているような人は、そういう人生になる定めなのです。


ボールは圧力をかけられることで反発して前に飛ぶものであり、凹んだまま穴が開いて空気が抜けてしまうボールの様になってはいけません。そしてあなたをバカにしてくる人はたいまつのように火をつけてくれているのであり、湿気ってばかりで全く燃えないのでは時代の暗闇は照らせません。

ポジティブさ・明るさってものすごく大事ですよ。あなたは無自覚にいわゆる鬱状態に陥っていて、自分が暗くてダメな人間だと思っているかも知れませんが(僕も鬱の頃は自分をそう思っていました)生まれつきネガティブで暗い人間などいないのです。もしあなたがネガティブで誤った考え方を積み上げてきたことに気づいてそれを乗り越えて赤子のように屈託のない明るさを取り戻すのなら、きっと同じようにネガティブで暗くなっている人を明るくして救えるメシアになれるでしょう。というか、そうなることが使命なのであり、今までコンプレックスにスポイルされ残念な青春を過ごしてきたのも、あなたなりに衆生を救うという使命を果たすために与えられたカルマ(課題・設定)なのだと愛で解釈して下さい。

宇宙の仕組み」に書いた通り、世界はP2Pのネットゲームのようなもので、ログインしている時点(自意識が存在する時点)で、自分が世界の主人公なのです。それがぴったり重なり合っているためにみんな客観的世界が存在すると錯覚し、自分をその世界のわき役のように思っていますが、その錯覚こそが人間に与えらえた無明なのです。そしてその無明による劣等感・無価値感を乗り越えて自分が主人公であること・自他の存在にとてつもない価値があることに目覚めるところが尊く素晴らしいのであって、それがこの人生というRPGのシナリオの核なのです。人生というRPGはすべからく主人公である自分次第にデザインされているのですから、変わるならまず自分からです。

創造主は因果応報という法が支配している世界を作り、あなたの魂が自分に与えられた自由意志により自発的に成長しようとする姿を一秒も休むことなく見守っているのです。あなたのことを表面的にしか見えていない他人の評価を気にして自分を偽るのではなく、あなたのすべてを見ている創造主が自分をどう評価するかを考えて下さい。そして創造主があなたに移譲した「自分自身を評価する」という最も尊い権限を、易々と他人に譲り渡さないで下さい。

人生はRPGであり、また映画でもあります。主演の自分を勝手に端役だと勘違いし、自分に与えられた配役・シナリオに不平不満ばかり言って全力で演じようとしない俳優に、監督(創造主)がより良い配役・シナリオを用意してくれるなどということはありえないのです。

自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。真に大人になるということは、自分に与えられた困難も、自分の魂の成長に必要だから与えられたのだと感謝しながら乗り越えられるようになることなのです。他人が羨ましいと思うものが与えられなければ感謝できないという人の感謝に価値はありません。既に与えられているものに感謝できない人間に、創造主はもっと与えようとは思わないのです。それどころか既に与えられたものまではぎとられ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうことでしょう。まず何かを経験し、感じることができる主体者として人生を与えられていることに感謝できるようになって下さい。「そんなの他人にも与えられている当たり前のものじゃないか」と他人との比較で幸不幸を判断し、感謝するかしないか決めようとすることが不幸の元凶だと気づいて下さいね。「当たり前」は「有難い(感謝)」の対義語なのです。

あなたにはあなたという主人公だけにアレンジされた魂の成長のためのシナリオがあるのであり、自分を他人と比べて不平不満に思うこと自体が贈与者たる創造主への不義なのですから、それは当然その分身たる自分に返ってくるのです。

主人公のあなたにはそのシナリオ上で最もふさわしい外見が衣装のように与えられているのですから、それに文句を言うのではなく愛で解釈し、感謝しながら、未来に用意されているシナリオの中で、よりよいシナリオを掴んでいくことが大事です。「自由意志は存在するか?」に書いた通り、人生は行動の選択ではなく解釈の選択(世界観)により創られるのですからね。愛で解釈するか恨みで解釈するかでシナリオは全く違ったものになります。

外見を誰かにバカにされても、それは衣装のようなものであなた自身(魂)ではありません。与えられた衣装が面白いなら一緒に笑えば良いだけです。自分の人生を俳優目線ではなく創造主目線で見られるようになって下さいね。「詐欺被害に遭って悔しい」にも書いていますが、自分を笑う視点を持つことは幸せに生きる上でとても大切なことなのです。外見に対する他者評価ぐらいでいちいち傷ついているようでは幸せになりようがないです。

特に日本人は幼少期から常に他者評価に依存するように洗脳されています。「人の価値とは?」に書いていますが、世の中みんな他者評価依存で、人間の価値が「存在」にではなく「能力」にあると思って人の価値に序列をつけるような差別主義者だらけになっています。それがあまりに常識になり過ぎていて、誰もそれを疑う視点すら持てていないのです。そしてそれこそが我々に共通した乗り越えるべきカルマ(課題)なのです。

人生というRPGにおいて、他人はすべからく脇役のNPCであり、タチの悪い常識を押し付けて、映画マトリックスのエージェント・スミスのようにみんなを自分のコピーのようにして脇役に引きずり下ろし、主人公として目覚めることを阻止してきます。そしてこのRPGはあなたの愛と勇気を試し、魂の成長を促すためのものなのですから、世界はありとあらゆる手段であなたを脅し、傷つけ、怒らせ、失望させ、堕落させてきます。しかし主人公であるあなたは、決してそれに屈してはいけないのです。思考・行動の選択肢があるのなら、常により愛と勇気が必要な方を選んで下さい。最終的には必ずそれが正解になりますから。

あなたは体が小さく華奢な男には価値がないかのように思い、自分を蔑むのが趣味みたいになっているようですが、それは世の中に山ほどいる体が小さく華奢な男みんなを蔑んでいるのと同じなのです。まずあなた自身が「能力などにより人に序列をつける考え方」をしている差別主義者になっていることに気づかなくてはいけません。あなたも他人も等しく創造主の分身であり、自分を蔑むのも他人を蔑むのも同じ事で、それは全部自分自身に返ってくるのです。

他人から評価されなければ価値がないと思って傷つき、自分を偽ってまで他人に評価されようとするのは社会病理です。このあたりの話は「嫉妬・劣等感で苦しい」にも書きました。特に日本人は幸せでさえもステータス(他者評価)と誤解し、見下されて傷つかないために幸せを装い、幸せそうに見られることで幸せを感じようとし、いつも他者評価を気にして自分を偽るために逆に本当の幸せからどんどん遠ざかっています。

どうかもっと自分自身も他人も無条件で許し愛せるようになって下さい。「反省してはいけない」にも書いてますが、人が良い思考・行動をし、悪い思考・行動に自ら歯止めをかけるのは自尊心が原動力なのであり、自尊心が高まれば自然と人は自分をもっと好きになるように思考・行動するようになり、嫌いになるような思考・行動は自重するようになるのです。だから自尊心を育てることが何よりも大事で、自分の自尊心も他人の自尊心も下げてはいけないのです。世界はすべてが同一の存在(ワンネス)なのであり、自尊心と他尊心は同時にしか上がりません。

あなたをバカにした同級生たちは誰かの欠点や過ちをバカにして相手の自尊心を下げることによって自尊心を上げようとし、いつかそれが自分に返ってきて傷つき不幸になることになるのが必然なのであり、他人をバカにする人は可哀そうなNPCなのです。人の価値に外見や能力で序列をつけるような考え方をする限り、幸せになることはありえないのです。あなたは嘲笑する側が最終的に幸せになるシナリオの物語を見たことがあるでしょうか?嘲笑は負けのフラグなのです。本当に自信があって幸せな人は他人をバカにして偽りの安心感にすがる必要はないのです。だからあなたは決して他人からの嘲笑に屈せず、また決して嘲笑する側にならず、あなたを嘲笑する人たちにも慈愛の気持ちを持って幸せに導いて救って下さい。あなたが主人公のRPGに、あなたの救いの対象でない人はいないのです。

コンプレックスというのは自分で受け入れられれば、相手を安心させる長所になるのです。逆に自分で受け入れられず身構え、バカにされたら傷つきビクつくようでは益々バカにしてくるような人を引き寄せてしまうことでしょう。これも僕はよく容姿をバカにされて傷ついてきたのでよくわかります。今はイジられても一緒に笑うだけで、バカにされているとは全く感じません。

自分のコンプレックスを自分で受け入れてありのままを愛せない人が、こちらのコンプレックスを受け入れてありのままを愛してくれるわけがないことは確実なので、自然と人から避けられて孤独に陥り、気づかない間に自分の人生の物語をどんどんつまらなくしてしまうのです。

相手は自分のコンプレックスゆえにあなたをバカにしてくるのでしょうから、あなたがバカにされてもあなたがいつも自分のコンプレックスを受け入れ、堂々としていてバカにされても気にせず、むしろ乗っかって笑いに変えれるような人間になれば、相手も自分のコンプレックスが気にならなくなるでしょう。それが救いなのです。

体が小さいことをバカにされたら「時代は省エネなんだよ」「長生きするのはみんなチビや。200まで生きたるわ!」「誰がリトルグレイやねん?お前アダプションしたろか?」って感じで、いっぱい持ちネタを増やしていって下さい。それができるようになれば、ずっと周囲から愛され、また幸せにもなるでしょう。逆にせっかく容姿や能力に恵まれ、たゆまぬ努力によって世間的に成功している人でも、それをひけらかして周囲をバカにするような人間は愛されませんし、不幸に吸い寄せられる定めなのです。

人生というRPGにおいて常識というのは初期設定であり、必ず過ちを含んでいます。常識(初期設定)がそのまま真理ならそのRPGにプレイ要素はありません。間違った常識に立ち向かって真理に向かうところにこのRPGのプレイ要素はあるのです。ただ我々は常識(コモンセンス)があるから他人と気持ちを共有できるのですから、闇雲に常識に逆らえば良いというものではありません。真理というのは人を幸せにするものであり、ある常識があなたの心を苦しめ不幸にするのなら、その常識はあなたが乗り越え覆すべき課題なのだと理解して下さい。容姿で人の価値を判断しようとすること自体が人間に与えられた無明なのであり、たった数人にバカにされただけで「背が低く華奢な男はダメ男」などと勝手に常識化して己を蔑むようでは自分の魂のレベルを下げるだけです。

世界はあなたの解釈(世界観)が創っているのですから、もっと素敵な世界観を持って下さいね。今はあなたがネガティブな解釈によりネガティブな世界・物語を創り出しているために、人からも神様からも愛されず、みんなが無意識にあなたの世界の住民になりたくない・あなたの物語には出演したくないと拒否されている状態なのでしょう。それはあなたのルックスが原因なのではなく、あなたの解釈がネガティブさが原因なのです。ですからみんながあなたに会いたい(あなたの世界の住民になりたい・あなたの物語に出演したい)と無意識に感じて引き寄せられるぐらいに、すべてを愛で解釈し、素敵な世界を創り出して下さい。

リンクが多くて恐縮なのですが「誰でも自信満々になれる方法」は必ず読んで欲しいです。そこに書いたようにあなたが出会った人を例外なく許し、尊敬し、感謝し、愛せるようになっていけば、どんどん自分を許し、尊敬し、感謝し、愛せるようになります。欠点や過ちがない人間はいませんから、それを理由に自分や他人を愛さないというなら、誰も愛することはできません。欠点や過ちは許し合い・補い合い・助け合うことで愛し合えるためのマテリアルだということを忘れないで下さい。

というわけで、不幸自慢は不幸を乗り越えて幸せになってからにしましょう。

>また、男として〜〜みたいな意見に縛られるのは良くないと思いますか?

ここまで書けば言わずもがなと思いますが、他人の意見・常識に縛られること自体がナンセンスです。そんなことをしているから人生が自分のものではなくなり、脇役NPCとしてつまらない人生を送らなければならなくなるのです。早く主人公であることに目覚め、タチの悪い常識を覆し、大逆転劇を起こして人生を素晴らしいものにして下さい。

最後に、クドいようですが最も大切なのは自尊心なのですから、今までの自分を責めて落ち込んではいけません。あなたの魂の成長の為に必要な過程だったのだと愛しながら、よりよい自分に既になったかのように思考・行動し、より良い未来のシナリオを選択することを心がけて下さいね。

2023年3月22日水曜日

デジャブの存在理由

【質問】
「デジャブ」前にもどこかで見たことある気がする光景を見る等の出来事は、どんな理由だと考えていますか?

【回答】
ご質問ありがとうございます。

お手数ですが、できればご質問は基本的に新質問箱の方にメールで送って下さい。そしてご説明するにはせめてご質問者さんの年齢(年代)・性別ぐらいはわからないと、例え話などを用いて的確に説明することが難しくなります。どうしても素性を完全に隠しておきたいような深い悩みであれば、旧質問箱でも受け付けていますが、今回はそういう質問内容でもないわけですしね。

さて、ご質問の「デジャブの存在理由」について、「どのような理由だと考えていますか?」というあなたの尋ね方は「相手が真実を知らないことを前提とした尋ね方」ではあるのですが、実際自分の世界は自分の解釈が創っているものなので、その尋ね方は決して間違ってはいません。そしてあなたがデジャブの「仕組み」ではなく「存在理由」を知ろうとしているのであれば、それはとても賢明なことです。

世の殆どの人が受け入れられていないのですが、この世界はクリエイターによって完全に「意図されて」創られた仮想現実であり、存在理由のないものなど一つもありはしないのです。

クリエイターは全知全能であり、我々が認識しうるすべての存在・事象は超弦をスクリーンのようにしてあたかも実体があるかのように映し出されたものです。超弦はバイブレーションであり、クリエイターの意思の乗り物です。つまりクリエイターは思うだけですべてを実現させてしまう全知全能の存在です。何でも思うだけで実現するのですから、我々が「どのようになっているか(仕組み)」を知ることにあまり意味はありません。我々が認識できる世界における何かの仕組みというのはすべてアニメやRPGにおける後付けの設定のようなものですから。大事なのはやはりあなたが認識されている通り「なぜそれが存在するか(理由)」の方です。

アニメやRPGの世界にどっぷりと浸かって心から楽しんでいる子供たちは、主人公の必殺技の仕組みなどを知りたがるでしょうし、大抵の場合クリエイターは作品の中でそれを説明しているでしょう。しかしそれはそのアニメやRPGにおける後付け・つじつま合わせの設定のようなものであって、本当の仕組みではありません。本当はクリエイターのイメージの世界ですべてが予め創られた上で、後から様々な独自のルール(制約・基本設定)のあるアニメ・RPGの作品として再現されているのです。我々の認識できる世界における何かの仕組みというのはすべて物語の伏線上必要な後付け・つじつま合わせの設定であり、本当の仕組みではないということです。

例えばワンピースでは「悪魔の実」や「覇気」など作中で仕組みや存在理由の説明がされていると思いますが、それは後付けで考えられた設定であり、実際は作者が「この方が(主人公の成長の物語として)より面白い(美しい・感動的だ)」と思って既にイメージの世界の中で創作したものを作品において再現しただけであり、それはこの我々のいる仮想現実も同じだということです。そしてその設定は基本的にその作品の中でだけ通用するものなのです(もちろん面白い設定は他の作品にも応用されていることでしょうが)。

だからすべての設定(制約)の本当の存在理由は、非常に大ざっぱに言えば「その方がより物語として面白いから(芸術として美しいから・成長を楽しめるから)」なのです。

本当の「存在」とは、創造主(自分)の思念・概念のみでそれ以外の「もの」は一切存在せず、創造主は全知全能で、すべての構成要素が無限で一切の制約がなく、また事象が何一つ結実しない世界であり、そこは芸術の素材だけが無限にあって芸術が存在しないような、無限が無限にあるだけの完全で退屈な世界です。そこでは芸術・物語は生まれようがないのです。全知全能で唯一の存在というのはかくも退屈で孤独なものなのです。制約・制限なしには「存在」の輪郭すら描けないのですから。

芸術・物語とは、事象の結実(それをデータとして再現可能な形で残す)・独自に自意識と個性(必ず有限性・欠点を含む)と感情(感性)を持った自分以外のものの存在(分離意識を持ったものの存在)・設定(共通ルール・制約・共感手段)などがあって初めて成立するものなのです。そして芸術には全体を通じてクリエイターが訴えたいメッセージがあるのです。

この僕らがいる仮想現実もクリエイターの作品であり、この物語(神話RPG)全体を通じてクリエイターが訴えたいメッセージがあるのです。そしてすべての存在・事象は、全知全能たるクリエイターがイメージの中でありとあらゆる試行錯誤・上書き更新を重ねた結果、一番面白い(美しい・楽しい)と思ったから選び取られ、また更新され続けている設定(制約・仕組み)なのです。

RPGにおいてそのクリエイターがプレイヤーに答えを直接的に教えてしまうと、それは思考や行動を強制しているのと同じになってしまいますから、それではゲーム要素がなくなり、プレイヤーに対して自由意志と選択肢を与えた意味がなくなってしまいます。だからクリエイターはあくまでもプレイヤーに対し作品中の存在・事象を通じて、自ら気づかせ自発的に覚らせようとこれでもかってぐらいヒントを与え続け導き続けているのです。つまりすべての存在・事象がクリエイターからのメッセージだということです。当然デジャブもその伝達手段の一つです。我々にとっては何かの「仕組み」や「答え(真理)」そのものよりも(失敗)経験からもたらされる「気づき」が重要なのであって、自分なりに答えを出して行く過程(経験)に物語が生まれているのです。そしてそれこそが創造主=我々の存在意義なのです。

デジャブだけでなく、あなたが認識できる存在・事象の全てがクリエイターから何かを気付かせ覚らせるためのあなた個人宛てのメッセージであり、その存在理由はクリエイター目線で大雑把に言えばやはり前述の通り「その方がより物語として面白いから(芸術として美しいから・成長を楽しめるから)」なのです。そしてあなたというプレイヤー自身が様々な存在・事象を通じて気づきを得ながら、自発的に覚って行かなければならないということなのです。つまり今回の話であればデジャブという事象に対してあなたが「どのように解釈するか」が大事だってことです。

我々プレイヤー目線で見ればデジャブは様々な仕組み(後付けの設定)でもたらされ、その個々に様々な意味があります。デジャブだけでなく、あなたの身に起きることは全て物語の主人公であるあなた個人へのクリエイターからのメッセージなのですから、そのすべての意味を他人である僕が読み解いてしまうことに意味はありません。主人公であるあなた自身が認識できる存在・事象からどのような気づき・覚りを得て、自分に与えられた自由意志によってどのように解釈し、どのように自発的に思考・行動をより良くしていく(カルマの解消・伏線の回収)か、試行錯誤するところにゲーム(成長・芸術)の楽しみがあるのです。

しかし「全てあなたの解釈次第です」だけで回答を終わらせてしまってはほとんど何も答えていないのと同じになってしまいますから、今回はあなたに起きたデジャブやその他すべての存在・事象の存在意義をよりうまく読み解けるようにヒントを差し上げたいと思います。

宇宙の仕組み」でご説明させていただいている通り、時間というのは本来存在せず、映画のDVDでリーダー&ライターの光を当てたところが「現在時間」を生み出すように、僕らの認識が現在時間という体験を生み出しているのであり、DVDの外側(虚数時間軸)の存在(クリエイター)からすれば、DVDの中の時空に捉われることなくいつでも好きなように上書きしてつじつまを合わせることができるのです。しかし僕らは「現在時間に張り付いている存在」のために、基本的には現在時間しか上書き行為ができないという制約が(人生というRPGの設定・伏線上)あるのです。

ただ実際は現在に連動して未来だけでなく過去もつじつまを合わせるようにして変わります。つまり過去から未来へ・過去から未来へ循環する因果を、現在あなたが更新することが可能だということです(マンデラ効果などはそれに気づかせるための一手段なのです)。そしてその因果更新・カルマ解消・成長の物語が我々の存在意義なのです。


虚数時間軸から見れば過去も現在も未来も前世もメディア(アカシックレコード)にデータ(魂の記憶)として記録されており、一度に存在しているのです。そして我々人間はアバターであり松果体はアンテナのごときものですから、前世や未来の情報が我々の認識する現在に送られてくることなどは(伏線上必要であれば)当たり前の様に日常的に起きるのです。

伏線上なぜデジャブや予知夢が必要になるかというと、やはりそれは前述の通り「その方が物語として面白いから(芸術として美しいから・成長を楽しめるから)」です。

人生というのは、創造主の一つの魂から分離された分け御霊が、今の自分の人生も他人の人生も繰り返し生きているのです。だから仏教では一人の人生を「一生」ではなく「一劫」と表現します。そのキャラクターとしてミッションクリアするまでが一劫(一ゲーム)であり、できなければ当然リスタートとなるのです。

リスタートの際は記憶の殆どを消されるため、そのままでは何度でも同じ過ちを繰り返してしまい、因果(カルマ)の更新ができません。だからデジャブや予知夢は基本的に一歩前に進むため、因果更新のためのターニングポイントで起きることが多いと思います。

なぜ前世の記憶が殆ど消されるかというと、記憶が残ったままではゲームが簡単になり過ぎて魂の成長につながらないからであり、因果があまりにも簡単に上書きできるとひっちゃかめっちゃかになって人生の存在意義が薄れてしまうからでもあり、あまりにも繰り返しが多いので記憶が残っていると飽きてしまうからでもあり、いたずらに死を恐れなくなってドラマが成立しなくなるからでもあります。記憶を殆ど全て消された上で、あくまでデジャブや予知夢など様々な手段を通じてヒントを与えられて導かれるぐらいがちょうど良いのです。全知全能の存在が途方もない試行錯誤を繰り返した上でこうなっているのですから、本当はすべてがベストなのです。

プレイヤー目線でデジャブや予知夢を個別に解釈すればその意味するところは様々であり、(すべての存在・事象に意味があるのです)前述の様に因果を更新(成長)させるための気づきを与えるためであったり、因果・輪廻転生・カルマ(シナリオ・課題・運命・神の導き)の存在そのものに気づかせるためであったり、これから起きることの精神的なショックを和らげるためであったり、深い郷愁を味合わせるためであったりします。本当にただの気のせいってこともあるかも知れませんが、この創られたRPG世界に偶然は存在せず、何がしかの意味を持った創造主からのメッセージであることに違いはありません。それらをどのように解釈するかはあなた次第であり、その解釈があなたの世界(あなた自身)を作り上げているのです。

ただそれらの様々なデジャブ・予知夢の存在理由も、やはりクリエイター目線で大雑把に言えば「その方が物語として面白いから(芸術として美しいから・成長を楽しめるから)」です。「悪いカルマの解消法」に書いてますが、与えられた困難(カルマ・課題)を決して悪く解釈せず、すべての存在・事象はあなたの魂の成長に必要だから与えられていると感謝しながら乗り越えていくことを忘れないで下さい。そして我々は過去も未来も同時に変えられるのですから、タチの悪い常識・他人の意見・価値観や、自分や誰かの過去の罪や恥に引きずり込まれず、より良い未来を選択して下さい。

2023年3月16日木曜日

アルコール・薬物依存

【質問】58歳・男性
今日ツイッターで拝見し、世界の仕組みを読み、この世界が仮想現実だと言うことが分かりました。今まで悶々としていて、この世界おかしいぞ!と思っていましたがやはり神様が世界を創ったことが自分の中で確定しました。

私は教会には通っていませんがイエス様を信じています。最高神であり宇宙も全て神がかかわっていることが良くわかりました。

私は結婚して子供ももうけましたが、20年ほど前に離婚し、今は身体障害者年金と、生活保護を受給しながら生活しています。アルコール、薬物依存のため今も完全に止めることが出来ず、苦しんでいます。妻との離婚の原因も同じ問題です。

ご指導、いい案、対策があれば教えて下さい。よろしくお願いします!

【回答】
ご質問ありがとうございます。そして世界の仕組みを読んでいただいてありがとうございます。

とてもお辛い状況にあるのですね。心より同情申し上げます。僕はアルコールは苦手ですが、鬱の末期(自殺直前の一年間)は完全に薬物依存になっていた経験があります。また日本にいた頃はギャンブル(麻雀)依存症で、注意力欠陥障害でド下手なくせに毎日のように寝ぼけながら打ってお金だけでなく膨大な時間を無駄にしました。あなたが薬物よりアルコール依存症を先に書いているあたり、きっとそれほど強い薬物には手を出していないのでしょう。それはとても幸いなことです。

あなたは依存症になった直接のきっかけ・原因を書いていませんが、実際それは重要ではありません。抽象化すれば依存症の原因はすべからく自己嫌悪と厭世観による逃避ですから。あなたはきっと自責の念にかられ、他人や世の中を恨む気持ちを持ちながらも自責の念によってそれを封じ込めているのでしょう。もちろん僕もかつてはそうでした。

大切なことは、今の状況はあなたのせいではなく、誰のせいでもないということです。全てはみんながそれぞれ与えられた役割をこなした結果であり、それぞれにやむにやまれぬ事情があって起きた必然のことなのです。あなたのアルコール・薬物依存もそうして与えられたカルマであり、乗り越えるべき課題なのです。だからまず自分の事も親やその他の人の事も責めず許すことが肝心です。そのためなら一切他人の考え・常識に捉われず、どんなに自分にとって都合の良い言い訳・屁理屈を考えても構いません。またそれを他人に説明して自己弁護する必要もありません。他人から許されずとも、自分自身が自分とみんなを許すことができればそれで良いのです。決して自尊心も他尊心も失ってはいけません。我々は一つ(ワンネス)ですから、自尊心と他尊心は連動してしか上がらないものなのです。

人間の悪い思考・行動はすべて霊障のせいであり、それがカルマを構成しているのです。詳しくは「憑依体質の存在意義」を読んで下さい。あなたのアルコール・薬物依存もまさに霊障の仕業なのです。だから自分がやってしまったことも他人がやってしまったことも責めずにただ全部霊障のせいにさせてもらえば良いのであり、あなたが罪悪感や自己嫌悪心を持つ必要はないのです。どうぞ自分を罪悪感と自己嫌悪の檻から解放して下さい。他人を許した分だけ自分も許せるようになりますから。

霊障とは生命が積み重ねてきた悲しみの集合体であり、本人の自我を乗っ取るべく、考えや行動をネガティブにして徐々に自分自身と世の中を嫌いにさせ、「そんなに要らないならもらってあげるよ」と言わんばかりに自我を乗っ取り、その人の人生を使って自分の悲しみを表現し、強制的に同じ気持ちを味合わせ、同情させようとしてきます。だから霊障に犯されて悪いことをやってしまった自分自身も他人も創造主の見地から見て同情し許し愛することが大事なのです。

できれば浄霊は極力毎日受けるようにしてみて下さい。世界救世教や真光では毎日無料で浄霊を受けることができます。信者になる必要は無いですので、ただ浄霊だけ受けに通って下さい。万が一無理に勧誘されたり寄付や奉仕を強制されるようでしたらすぐ逃げて下さい。「浄霊効果の高め方」に書いた通り、キリストが起こした奇跡も基本的には浄霊によるものです。あなたもぜひ浄霊がもたらす奇跡を実感してみて下さい。

あなたの思考・行動は深く霊障に犯され、自分が本当の自分から遠ざかっているのです。しかし夢の中で自分がいつもの思考とは違っていることを自覚できないように、あなたは自分の意識が顛倒していることを自覚できず、自分を責めているわけです。

依存症になったのは決してあなたのせいではありませんが、それはあなたに与えられた乗り越えるべき課題であり、あなたが変わらなければ何も変わりません。あなたの人生はあなただけに与えられたシナリオがあり、課題(カルマ・困難)があるのです。決して他人と比べてはいけません。

より大きな困難はよりレベルの高い魂に与えられているのであり、乗り越えた時の報酬(幸せ)もより大きいのです。自分に与えられた困難を他人と比べて欠点のように考えてはいけません。レベルの高い学校の入学試験ほど難易度が高いのと同じことです。

反省してはいけない」に書いた通り、決して自尊心を下げず、自分と他人を責めるのを同時にやめて下さい。自分や誰かを責めて問題が解決するということは決してなく、かえって逆効果なのです。自尊心が下がれば人はいくらダメだと自分でわかっていても悪い思考・行動がやめられなくなる悪循環に入ってしまうのですから。

決してあなただけではなく、多くの人がアルコールや薬物などの依存症になっています。競争社会・適者生存的な価値観の社会の中で、多くの人が自分も世の中も嫌いになり、自己嫌悪と厭世観の中で、大なり小なり何がしかの逃避手段というものに依存しているのです。

自己嫌悪と厭世観で死にたい気分になっている時に、それを忘れさせてくれるものと出会ってしまったら、誰でも手を出してしまうことでしょう。そして一度それを逃避手段にしてしまったら、誰にとってもそれを止めることは困難なのです。まずそこに対する自分や他の依存症の人たちに対する許しが必要です。あなたがもし許しを望むのであれば、少なくとも僕は創造主の代理としてあなたを許しています。

「一体あなたに何の権限があってそんなことを言うのか?」と思われるでしょうが、「罪と恥の存在意義」に書いた通り、許しというのは創造主から我々に与えられた最大の権利移譲であり、逆に人を責めることは最大の越権行為なのです。森羅万象は創造主の意図により生み出されているものなのですから。

あなたが聖書を読んでいるのでしたらご理解いただけると思うのですが、この人生という壮大な神話のストーリーの最も根源的な部分には「罪と許し」というテーマがあり、許しこそが愛なのです。創造主は人が過去を悔い改め、許しを願った瞬間に許してくれます。そして許された罪の大きさの分だけ人を許し、愛して下さい。あなたの罪を責めて許さないような人たちでさえも。

あなたが自分のせいだと思っている依存症も、ちゃんと理由があって創造主があなたに与えた課題なのですから、自分や誰かを責めるよりもまず許すことが大事なのです。

ゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのはプレイヤーのせいではありません。あなたが過去にやってしまったことは、あなたの人生というゲームの設定・伏線のようなものであり、必然であり、課題なのです。だから自分のせいだと考えて過去を嘆いたり責めたりするよりも、そこを起点にどうすればより良い未来(シナリオ)を選択できるか(ゴールに近づけるか)を考えなくてはいけません。この人生のゴールというのは覚りであり、幸せであり、解脱・アセンション(次元上昇)なのです。あなたが今どんな状況にあろうと、そこを目指さなければなりません。

そしてあなたの人生という映画の主役はあなたであり、すべてがあなた次第に創られています。「男はつらいよ」の寅さんのように、映画の中においてはしがない庶民でどうしようもない落ちこぼれのように思えても、それはそういう設定・配役なのであり、すべて(心の中まで)常に見られ記録されているのです。シナリオや配役に文句を言って全力で使命を果たさないようでは、監督である創造主の愛は受け取れません。例えどれだけみじめなストーリーになろうと最後の最後まで演じ切る覚悟が、あなたをきっと悪いカルマから解放してくれることでしょう。「自殺・安楽死するとどうなるか?」に書きましたが、決して自殺など考えないで下さいね。

信心がない人に創造主の存在を信じてもらうことはとても難しいことなのですが、あなたが既に神を信じていらっしゃることは非常に幸いなことです。

そしてあなたが既に生活保護を受けていることも幸いなことです。「人様に迷惑はかけてはいけない」という洗脳により変なプライドに捉われて他人の力を借りることを恥だと思うような人を救う方が難しいですから。実際、日本のホームレスは他人の力を借りることを恥だと思って生活保護すら頼れない人が多いのです。そういう人たちに僕の言葉を伝えることは困難を極めます。あなた=世界なのであり、すべての存在は支えあって関係性の中で生じているのですから(仏教の縁起思想)、自立など目指さず、人を頼り人から頼られるような人間になることを目指して下さい。あなたが依存症を克服したら、いったいどれだけの人が勇気を与えられることでしょう?

また、徹底して断捨離して生活をミニマムにして下さい。生きるのにお金がほとんど要らなくなれば、生活・将来の不安は軽減されます。そして今はアルコールや薬物を買うお金がなくなるまで、どんどん他人のために寄付したりしてお金を使って下さい。そのようにして仏教における六波羅蜜を日々実践することです。他人のためにどんどん無償で奉仕して下さい。そうしているうちにエゴを少しずつ乗り越えられるようになります。苦しみの根源がエゴなのですから、そこから離れることができたらどんどん幸せに導かれていきます。

そうして「自分大好きエピソード」をどんどん積み上げていって下さい。鬱の時は自分の嫌な部分や嫌な思い出だけを選択的に思い出して何度も反芻して追体験し、自分を大嫌いになる高速回路が出来上がってしまいます。エゴに捉われれば捉われるほど人は段々と自分を嫌いになるのです。そうなればアルコールや薬に逃げたくなるのは当然のことです。カンダタが蜘蛛を助けたように、あなたが他人の為に無償で尽くし「自分大好きエピソード」を積み上げれば、自己嫌悪の高速回路を断ち切ることができます。そして神の視座から自分を見た時に「この人には欠点が多くたくさんの過ちを犯してきたけど、今はこんな良いこともしてきたのだから、絶対に悪い人間ではない。どんな欠点や過ちがあっても許してあげたい」と自分で思えるようになっていきます。

いきなり完全に断酒・断薬しようとしても恐らくうまくいかないでしょうから、まずは曜日を決めて、飲むのを週1回にして下さい。それから隔週⇒月一ぐらいに減らしていって下さい。期限の決まっていない「死ぬまでの我慢」というのは誰にとっても耐え難いものです。だからまず最初は断酒・断薬状態に体を徐々に慣らしていく必要があるのです。

結局、薬物にせよ何にせよ依存症というのは、本人が本気でやめたいと思わなければやめることはできないものなのだと思います。坂口安吾の「堕落論」の如く、堕ちきらなければ這い上がれないものなのです。あなたが既にもう堕ちきって本気でお酒や薬物が嫌になったのなら、きっとやめることができることでしょう。逆にまだやりたい気持ちがあるのなら、今はまだやめることが難しいかも知れません。

ダルクのような更生施設は実際に見たことがないのでおすすめしていいかどうかはわからないのですが、同じ悩みを抱えた人同士で許し合い励まし合うのは良いことだと思います。なかなかまだ依存症から抜け切れていないうちに健常者と良いコミュニケーションを取ることは難しいでしょうからね。でもめげずに人とコミュニケーションをとって「誰でも自信満々になれる方法」に書いた通り出会った人を例外なく無条件で心からの笑顔で接し、尊敬し、感謝し、許し、愛せるように日々努力してみて下さい。

アヤワスカはアルコール・薬物の依存症に対して効果があるケースが非常に多く、私の友人の何人かもアヤワスカによって深刻なアルコール・薬物依存症から立ち直っています(時間がかかった場合が多いですが)。だから本当はあなたにブラジルまでアヤワスカの儀式を受けに来ていただきたいのですが、生活保護受給中で旅費を貯めるのはきっと難しいでしょうから、内密にアヤワスカ・アナログ(疑似物)を提供してくれる人を探すか、作り方を調べて自作してみて下さい。そしてできれば信頼できる人に見て貰いながら決して無理のない量から始めて下さい。現在の日本ではアヤワスカは違法なのですが、既に違法薬物に手を出している人なのですから抵抗はないでしょう(笑)。

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

詐欺被害に遭って悔しい

【質問】40代・男性
突然失礼いたします。いつもツイッターとノートでシンヤさんのありがたいお話を読ませていただいています。今回は質問があります。

最近ネットの取引き(合法ドラッグ)で2万円ほど詐欺に遭いました。詐欺られるのは初めてのことでショックで結構メンタルが落ちます。金銭面は落としたものと思って諦めれますが、精神的な悔しさやもどかしさが残ります。

そこで業者に対して返還を求めて抗議したりネット上で相手を晒したり報復じみた行為をすべきか、それとも「まあいいか」「よくあることで仕方ない」と許し、忘れる方がよいか(実際に郵送の詐欺は多いです)思案しています。

詐欺されたお金やモノが返ってくることはまずありません。怒って詐欺師を相手に交渉することが無為なことなのはわかっているのですが、今後被害者を増やさないためにも皆に周知させた方がいいのかなとも思ってしまいます。

心の持ちようをどうすればいいか、アドバイスよろしくお願いします。

【回答】ご質問ありがとうございます。心中お察しします。

人から騙されて悔しい経験っていうのはきっと誰にでもあると思います。もちろん僕自身も何度もあります。今の世の中、40代まで一度も詐欺に遭わずに生きている人なんてまずいないでしょう。

そう、あなたも絶対に今まで何度も騙された経験があるはずです。あなた自身「実際に郵送の詐欺は多いです」「詐欺されたお金やモノが返ってくることはまずありません」などと書いているのは、きっと実際に騙された経験があるからでしょう。

なのになぜあなたは「詐欺られるのは初めて」などと書いたのでしょうか?そこにあなたの「心の持ちよう」の課題が見て取れます。

恐らくあなたには自分の愚かさを認め「自分を笑う視点」というのが欠けているのでしょう。誰かにバカにされて傷つきたくない自己防衛本能・「自分は賢い」と思いたいし思われたいという願望が強いために、今まで騙されてきたことすら自分で認められないのではないでしょうか?

もちろんそういう本能・願望は人間のデフォルトとして共通して設定されているのであり、我々はそこを乗り越えて自分の愚かさを笑える心の余裕が持てるようにならなければならないのです。

普段から人に序列をつけるような考え方をして、人の愚かさを本気でバカにして嘲笑していると、自分がドジを踏んだ時にそれが全部そのまま自分に返ってきて本気で傷つき凹むことになります。だからまずそこから改めていかなければなりません。(自分と他人に無条件のリスペクトを持つということです)

創造主は全知全能であるがために超絶に退屈であるがゆえ、分け御霊たちを通じて愚かさを楽しむ(楽しませる)ために愚かさを与えているのですから、「愚か=価値がない」などと考えず、己の愚かさを楽しみ、自分で笑ってみて下さい。

そして「罪と恥の存在意義」に書いた通り、罪や恥(愚かさ)は我々が許し合い補い合うことで愛し合えるように与えられたものであり、自分と他人の罪や恥(愚かさ)を責めず同時に許すことが大事です。

あなたは「騙される人はバカ」で「賢い人は騙されない」みたいな感じに思っているようですが、日々ニュースになっているような巨額の詐欺に遭っている人たちは、たった2万円のことでそんなにも悔しがるあなたよりきっと遥かに賢いからこそ巨額の投資ができる資産を持っているのでしょう。それでも騙されているんです。また学歴も職歴も収入も高くて「賢い人」が、高校もまともに出ていないような知能の女性による結婚詐欺にひっかかったなんていうのはよくある話です。なぜだと思いますか?

いわゆる知能の高い人というのは、エゴによって自分に都合よく解釈し理屈を構築する能力も強く、特に何かの成功体験があったりすると自分を「賢い成功者」だと思い込んで持論に自信を持ち過ぎるために他人の意見を聞けなくなり、例え「ひょっとしたら騙されているかも」と感じていても、その自分の直感すらエゴでねじ伏せて自分に都合よく考える傾向が強いからです。

そのように知能が高い人の多くは、猜疑心が強くて他人を疑う割には自分自身を疑うということができないのです。そして前述の通り知能の高い人ほどその「自分に都合の良い見方」が絶対正しいと理屈づける能力が高いので、騙す側からすれば相手のエゴ(我欲と保身⇒期待と不安)を刺激してやるだけでよく、後は相手の方から勝手に自ら騙されてくれるのです。そして知能の高い人ほどプライドが高い=傷つきやすいことが多く、最後の最後まで自分が騙されているということを認めたがりません。だから実は知能の高い人の方が騙しやすいのです。

逆に知能が低くてもバカにされた時に一緒に笑える・他人の話に耳を傾けられる「心に余裕がある人」というのは自然と人から愛されますし、騙されにくいのです。

・自分を笑う視点を持てない
(プライドが脆く、傷つきやすい・怒りやすい・凹みやすい)
・猜疑心が強くて人を信じることができない、人の話を聞かない
・エゴが強くいつも自分に都合よく考え、自分を疑うことができない

このような性格を放置すると自然と人から避けられて孤独に陥り、寂しさ故に更に騙されやすくなるのです。あなたは自分が現在そうなっているということを認めて改められないなら、きっとまた騙されてしまうか、余計に猜疑心が強くなってまた騙されないため・バカにされないために人を信じられず精神的に引きこもってより消極的な人格になり、更に孤独に陥って結局は余計に騙されやすくなってしまうことでしょう。

人の価値とは?」に書いた通り、人の価値は「能力(賢さ)」ではなく「存在」だということを忘れないで下さい。そして「誰でも自信満々になれる方法」に書いたように、本物の自尊心を手に入れて下さい。

そしてエゴの強さが騙される根本原因の一つなのですから(自己利益より他人の利益を優先できる人間はそうそう騙されません)六波羅蜜を行じて、エゴを乗り越える修行をして下さいね。無償で人に奉仕するってことです。

さて、本当に詐欺被害に遭ったのなら警察に訴えるべきだと僕は思いますが、あなたがそれを考えもしないのはなぜでしょうか?それはあなたが購入しようとしたのがいわゆる脱法ドラッグで、後ろめたいからではないかと思います。相手はそれ(罪悪感・共犯者意識)を利用し、相手が訴えてこないのを見越した上で詐欺をやっているのであり、あなたはそれにまんまとひっかかったのですから、あっぱれってことで良いのではないでしょうか?思いっきり「身から出た錆」ってヤツです。錆猫ちゃんです。

脱法ドラッグを売っているようないかがわしいサイトに、実際の人間関係や過去の取引実績もないのにいきなり大金を突っ込むのは、飢えた野良猫の溜まり場で魚を無人販売するようなものです。あなたは「お金をただ持っていかれるだけかも知れない」とわかった上で取られてもそんなに痛くない金額「2万円」にしたはずで、それで案の定持っていかれただけなのに、そんなにも執着して悔しがるのはおかしな話です。

あなたは「金銭面は落としたものと思って諦めれますが」と書かれていますが、諦められてないからこそ悔しくてたまらず僕にご相談までなさっているわけで、やはりそういう自分のおかしい部分を認められない・笑えないあなたの心の余裕のなさが一番の課題かと思います。

はい、歌ってみましょう。
♪お魚咥えたドラ猫 追っかけて 裸足で駆けてく 陽気なサザエさん みんなが笑ってる お日様も笑ってる ルールルルル・ルー 今日は良い天気

あなたが主人公の物語において他人は全員NPCであり、ストーリー上必要な役割を無自覚に果たしているに過ぎないのです。詐欺師は役割通り詐欺をやっているのです。彼らは決してあなた個人を特別バカにしているわけではなく、自己保存(エゴ)のためにAIの如く自動的にやっていて、そこには悪意・罪悪感すらがないのです。そして詐欺師がお金を騙し取るのは、猫が目の前の魚を取るのと変わらず自然の摂理であり、それに文句を言っても何にもなりません。

現在の社会システムにおいてはお金が最上価値であり、騙し取ったお金でも普通に働いて稼いだお金と同じように機能するのですから、詐欺が横行するのは当然です。だから主人公であるあなた=僕はみんなをワンネスへと目覚めさせ、人が無償で助け合えるように・お金というシステムが要らなくなるように価値観から社会を変えていかなければならないのです。2万円程度のお金を騙し取られてそんなにも凹んでいるようでは主人公は務まりません。もっとどっしりと構えて下さい。

あなたが既に理解している通り、相手に文句を言ったところでお金が戻ってくるわけはないですし、相手を晒して誰かに注意喚起なんてしたところで、恐らくは現在世間的に無名のあなたが無料で手間暇かけてやってもほとんど訴求力はなく(有料なら更に傷口を広げ)、そのおかげで救われる人がいるかどうかなんて全くわかりません。(そもそも脱法ドラッグを購入しようとする人自体が割合から言えばかなり少数派です)仮に救われた人がいたとしてもそれであなたの怒りが収まるわけじゃないでしょう。

だいたい相手はネット上の素性もまるでわからない野良猫なのですから、そのような行為はやるだけ無駄です。例え詐欺サイトであることがバレてもサイトを変更するだけでOKなのですし、いくらでも逃げようがあります。万が一逮捕につながったとしても、社会が変わらない限りそのような野良猫は次々と湧いて出て来るだけでしょう。

あなたが素性を晒さずネット上で不特定多数の人に注意喚起をしても見ている人はライバルサイトへの攻撃と見分けがつきませんし、もしあなたが素性を晒して攻撃すればあなたはより大きな痛手を被るでしょう。あなたの会社や家族などに脱法ドラッグに手を出していることがバレても大丈夫なのですか?特に相手は反社なんですから、もしあなたからの反撃に効果があったらあったで下手すれば報復されて大変なことになるかも知れません。

思いっきり身から出た錆なのに、たかが2万円のことに執着してそこまでムキになって報われるはずのない反撃をして、我が身を危険に晒すのはバカバカしいことです。大人しく諦めましょう。

あなたは詐欺師が得をしていると思っているのでしょうが、詐欺師が幸せなわけはありません。人からお金を騙し取らないと生きていけないというのは哀れですし、カルマを更に深くしているという意味でも哀れです。この世界は完全な因果応報ですから、遅かれ早かれ報いを受けるのはかわいそうなことなのです。

でも彼らが報いを受けることを祈らないで下さいね。今回は可哀そうな飢えた野良猫たちに美味しい高級魚を大盤振る舞いしてあげた(良いことをした)と考えて下さい。そう考えることであなたの魂は成長するのです。

それなのに今のあなたは恨むことにより魂のせっかくの成長のチャンスを棒に振り、イライラして凹んで波動を下げて自分自身だけでなく周囲の人間まで不幸にしようとしています。魂の成長において大切なのはすべての存在に対する慈愛であり、相手がいつか成仏することを願う気持ちです。

あなたが今回の事から学ばなければ将来きっとまた騙されて、また「初めて詐欺に遭った」などと言いかねません。常に「小事は大事を防いでくれている」のであり、すべての出来事は「成長する為に与えられた課題」であり、偶然は存在せず、それは創造主からのメッセージなのですから、どうぞしっかり学んで下さい。2万円、本当に初めての詐欺被害なのでしたらめちゃくちゃ安い勉強料です。

今回のように騙されていたという結果がすぐわかる少額の詐欺ならまだ全然マシで、投資やスピリチュアル系の詐欺だったら騙されていたと気づけるまでに時間がかかり、被害がもっと甚大かつ継続的で、場合によっては人格・人生を破壊されてやり直しが効かなくなることもあります。

今回かなり厳しかったかも知れませんが、人は失敗を通じて学び成長するものであり、それには必ず痛みを伴うのです。失敗を経験せずに学べるのなら、僕らは生まれてきた意味がありません。経験を伴わない真理は概念に過ぎず、価値がありません。真理そのものに価値があるのではなく、失敗経験が真理を価値ならしめるのであり、本当に価値があるのは失敗経験なのです。初めから答えを教えられるクイズ番組など何も面白くありません。

僕はちゃんとあなたを魂の兄弟として尊敬していますから、どうかバカにされたとキレず己の愚かさを笑って下さい。もちろん僕も含め、人はみなどこか愚かなのですから。

最後にご質問の「心の持ち方」をまとめると

1.自分を笑う視点を持つこと
(バカにされたら一緒に笑う 己のバカさを楽しむ 愚かさも天からのプレゼント)

2.自分を疑う視点を持つこと
(人を例外なく尊敬し、話を真摯に聞く 己のエゴの強さに気づく 
現実を自分に都合よく考えず物事の本質を捉える)

3.自分と他人の罪と恥(愚かさ)を責めるのをやめて同時に許すこと
(罪と恥は許し合い補い合うことで愛を生むために与えられたマテリアル)

4.無償で人に奉仕し、エゴを乗り越えること

5.主人公意識と信心を持つこと
(全ての存在・出来事は主人公である自分の魂の成長の為に創造主から与えられたもの)

6.全ての存在に慈愛の心をもつこと
(悪いことをする人は哀れ。慈しみの心を持って成仏を願うこと)

ということです。それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...