2024年5月6日月曜日

継父との関係

【質問】20代・男性 ペンネーム:ラガー
真也さん初めまして、過去に匿名という形でご質問させていただいて、鬱に近い心の状態だったのですが、noteの記事を見させていただいたり、仏教の教えにとても救われました。今回は相談というか、今心の中ですごく悩みがあります。

自分の家は再婚で僕と兄は父親と血が繋がっていないです。記憶では僕が2歳〜3歳頃に母親と父親が出会っていたと思います。僕が5歳ごろに妹が産まれました。この記憶が正しい記憶なのかもわからないですが、妹が産まれて暫くしてから僕への教育(躾)がとても厳しくなりました。ほっぺを力一杯握力を使い締め上げ痛みで泣くほど締め上げられたり、朝起きないというだけで小学生の自分を真冬の外に肌着のまま放り出されたり、暴力を振るわれた記憶がたくさんあります。こんな家庭は腐るほどあるのはわかっています。何度も手を出された記憶があり、警察に通報したいけど小学生ながら家族の生活の事を考え出来ず、包丁で刺してやろうかと考える事もあり、正直追い詰められていました。

高校でラグビー部に入り見た目的にも実力的にも父親に力で勝てるようになり、手を出されなくなりました。本当に卑怯で気の小さく友達が過去にいないような奴だったんだろうなと思います。正しさでしか自分の価値を表現できない自己肯定感が本当に低いまま生きてきたんだと、真也さんの記事を見て感じました。

僕は本当に父親のことが嫌いなのですが、今家族内で父親の事を好きなのは妹と弟だけです。これが本当に不憫でモヤモヤします。

父親の事を救いたいです。僕がここで動かなければ家族仲はもう一生仲良くなれないと思いました。恐らく弟妹が成人したら母親は離婚したがると思っています。ですが仕事は超真面目で食事のマナーや常識的な事をきちんとしている人で、タバコも即禁煙(妹が産まれた時に。なぜ結婚した時にしなかったのかは謎、既に兄と僕がいるのに←これはエゴかもしれないです)

少なくとも父親がいなければここまで裕福に暮らせていないですし、とても感謝しています。子供目線で見たら嫌いですが、人間的にはとても尊敬しています。何十年も家族のために働いて頑張っているのにた、またま治せなかった性格のせいで孤立していくのが可哀想と感じてしまいます。

ここで父親を救えば、母親も兄も僕も、今中高生の弟妹も大人になった時にもっといい未来があるはずです。母親が父親の悪口(文句に近い)事をよく喋り、口喧嘩の多い現状も弟妹には聞かせたくないですし、父親の存在意義がお金だけになっていて、父親の事を好きな弟妹は僕や母親の父親への対応を見て、どちらの味方につけばいいのかと考えさせてしまうと思います。

文章を読む限り劣悪な関係に思われるかも知れませんが、僕が朝早い時には職場まで車で送ってくれたり一緒に出かけたり普通に会話して笑い合ったりする時もあります。ハリボテの関係に近いですが表面上は仲良くできています。

僕は父親に何を伝えてどんな話し合いをするべきでしょうか?是非アドバイスをいただきたいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。noteを読んでいただけてとても嬉しいです。

何よりもまず、あなたの「過酷な運命」と「幼い日の心に刻まれた心の傷」に深く同情致します。心の傷というのは数値化できるものではなく、他人と比較はできませんし、比較する意味もありません。

ただ我々は似た経験を通じて相手の感情(痛み・悲しみ・苦しみなど)を察して同情し合うことができます。僕らはより深く愛しあえるように、痛み・悲しみ・苦しみなどが与えられているのです。

僕は親の離婚や継父・継母に育てられた経験、実子と比べて明らかに愛情薄く育てられた経験はありませんし、親には生み育てて貰ったことへの感謝と散々迷惑をかけてきたことへの罪悪感以外にありませんが、さりとて虐待としか思えない理不尽な折檻も結構ありましたし、嫌っていた時期も長かったので、あなたの心の傷を慮ることはできます。

そしてそれだけのことをした継父を救おうとしているあなたはとても魂のレベルの高い方だと思います。だからこそより大きな成長を期待され、より難しい課題が与えられているのでしょう。

悪いカルマの解消法に書いた通り、課題(カルマ)の大きさ・重さというのは意地悪で与えられるものではなく、それだけその人の'魂のレベルが高いということであり、より大きな成長を期待され、それを成し遂げた先にはその課題の大きさ・重さに応じた幸せが用意されているのです。ですから決して運命(創造主)を恨まないで下さいね。人生はすべからく自分次第に創られているもので、それを罰ゲーム・クソゲーのように解釈しては、本当にそのようになってしまいますから。

この人生というRPGは成長(覚り・ゲームの進捗)に応じてどんどん楽しく幸せになるようにできています。課題の大きさ・重さを理不尽と考えて自分を傷つけた相手やクリエイター(運命)を恨まず感謝して、いつか幸せになって下さいね。

あなたに何よりもまずお伝えしたいことは「自分が嫌っている・許せない相手を救うことはできない」ということです。世の中の問題の原因はすべからく愛の不足であり、逆に言えば全ての問題の解決策は愛なのです。愛なく問題が根本的に解決されるということはないのです。

許せない相手を愛そうとしても無理があります。「許し」とは「愛」の構成要素であり、許し(同情・尊敬・感謝)を伴わない愛は愛ではないのです。僕らは「愛とは何か」を経験的に知り表現するために生まれたのであり、それは「許しとは何か」を経験的に知り表現するために生まれたいうこととイコールです。どうか誰でも自信満々になれる方法に書いた僕の「嫌いな人ゼロ作戦」にあなたも参加してみて下さい。きっと幸せになりますから。

今のあなたはまだ継父に対し「嫌い」なのに「我慢」している段階にあり、「許し」は成立していないのです。「許し」とは心の底で和解が成立していることであり、「我慢」は負の感情を無理やり抑え込んでいるだけの状態です。その「我慢」はマグマのように蓄積し、遅かれ早かれいつかは噴火することが自明なのです。

あなたは今現在表面上は継父と良好な関係だと書かれていますが、人間の好き嫌いというのはどうやったって態度に出るもので、お互い常に心の内では嫌い合いながら疑心暗鬼になっている状態では、お互いに存在するだけで自尊心を削られ、あからさまに嫌い合うよりかえってストレスになったりするのです。そして嫌い合っている人同士が何を言い合おうと、お互い素直に聞くわけがありません。だから感情を押し殺して表面的にうまくやる努力などよりも、悪く思わない努力(心から許し愛する努力)が必要なのです。

被害者である自分を高い位置(正・善)に置き、加害者である相手を低い位置(誤・悪)に置いて上から目線で相手を許そうとしても、責める気持ちがなくなるわけがなく、「我慢」にしかなりません。それは相手に対するシンパシー(同情・共感=愛)ではなく、嫌悪・非難・侮蔑を無理やり押さえつけているだけなのです。

自分を嫌って懐かない連れ子2人を含め、4人も成人まで育てるってきっとすごく大変なことだと思います。それも仕事で毎日嫌なことを我慢しながら(あなたにできますか?)。

もちろん幼かったあなたが母の再婚相手である継父に懐けなかったこと・実子に嫉妬してしまったことは無理のないことだと思いますし、継父があなたに対して実子に対するよりも厳しく当たってしまったことも無理のないことだと思います。物事にはすべてそのように止むに止まれぬ事情というものがあるのであり、誰が悪いというわけではなく、お互い許し合う以外にないかと思います。

世界というのは一つ(ワンネス)であり、我々は分離意識を与えられることで自分と他人とは別の存在だと思い込み、愛憎劇を経験させてもらっているだけなのです。あなたの継父もあなた自身の一部なのであり、また鏡でもあるのです。僕らはすぐ他人の非を責めて「自分だったらそんなことはしない」と短絡的に考えてしまいがちですが、僕らの魂は同一・同源であり、同じ時代に同じ環境で同じ遺伝子で生まれ同じ経験をしたら同じことをしてしまうのです。

だから本当に相手と同じ目線に立って考えるということは、想像力をフルに使って相手のことを自分の過去生や未来生として考えるということであり(実際、僕らは自分がしてきたことを逆の立場で経験させられます)あなたが継父のことを自分の過去や未来の自分自身のように、まるで実子に対するように、大いなる愛を持って許すということです。相手は自分自身の鏡なのですから、相手と目線を同じにして自分自身のこととして考えられるようにならなければ、本当の意味で「許し」は成立しないのです。

人間の歪んだ思考や行動というのは、すべからく心の傷が原因であり、自己防衛によりもたらされるものです。あなたは継父から受けた心の傷の深さ・恨み・嫌悪感から、まだ継父の経験と心の傷を深く知って理解し、心の底から同情して許し、ありのままを愛そうとするところにまでは至っていないのでしょう。あなたのご質問内容は全体を通じて継父を嫌うご自分を正当化しているように感じられます。

ですからあなたのやるべきことは「話し合うこと」ではなく「相手の話をよく聞くこと」です。相手の話に対して、良い悪い・正しい間違っている・面白い面白くないなど、あらゆるジャッジをせず、「同情・共感し、経験を共有すること」を目的として、決して否定せず「肯定的に」話を聞くことです。

「肯定的に」というのは相手の意見にこちらが従うことではなく「あなたはそういう経験をして、そういう気持ち・そういう考え方になったのですね。私と考え方は違いますが、気持ちはよくわかります」という感じで、ありのままを受け入れ、相手の気持ちにそっと寄り添うことです。

あなただって自分の話を聞いて気持ちを理解しようとしない人からでは、何を言われても心が反発してしまって聞き入れる気がしないでしょう。それはみんな同じなのです。まず何かを伝えるよりも、相手の話をよく聞いて気持ちを理解し、心から同情することを目指して下さい。そうすれば相手は自尊心が上がり、こちらから直接何かを教えなくても、相手は自分の課題に気づいて自分で乗り越えて行く力を得るのです。だから人間というのはわかりあえた時点で、もう問題が解決されているに等しいのです。

決して「ああ、だから親父はこんなダメな人間になったのだ(自分は正しい=価値がある)」などという己を高みに置きつつ己の被害者意識を正当化するための理由探しをするのではなく、自分の過去生の記憶を蘇らせるように、かつての自分自身の話だと思って話を聞き、例え心の中であっても決して相手を否定したりせず、心からの同情・共感に努めて下さい。あなたが察している通り、きっとその継父には計り知れない心の傷があるのだと思います。

「許し」というものは、創造主より人間に与えられた最大の権限移譲であり、逆に相手を責めるのは最大の越権行為なのです。あなたが許した罪が大きければ大きいほど、あなたは自分自身が知らず知らず犯してきた罪(今生だけではない)を許せるようになり、成長し幸せに導かれていくのです。

もちろん人間というのは何か実害を被れば被害者意識に陥ってしまい、相手を簡単に許すことができないのは誰にとっても初期設定であって当り前のことです。だから僕はあなたにひどいことをしてきた継父を許せないあなたを責めているのではありません。でもいつかそれを乗り越えて自分に害を成した相手を許し愛せるようにならない限り、成長・幸せというのはあり得ないのです。

人生というのはあなたをプレイヤー(主人公)とする仮想現実RPGです。ネットゲームを想像すればわかるかと思いますが、あなたが出会う人はすべて本人そのものではなく、あなたのパーソナルコンピューターの中のゲーム(認識世界・夢)に、ネットを通じてやってきているコピーAIのようなものなのです。それは本人の意思で動いているように思われますが、本当は見えない糸でクリエイターによりあなたの人生の設定・シナリオに沿って動かされているのです。あなたが愛(許し)とは何かを経験的に知り、それを表現するために。人生というのは「許せない」を素材にした「許し(愛)」を表現するための芸術なのです。

この人生というRPGにおいて、プレイヤー(主人公)であるあなたはNPC(自分以外のノンプレイキャラクター)を直接的に変えることはできない設定・シナリオになっています。あなたはゲームで出会ったNPCが自分に対して何か嫌な事をしてきたからといって、その相手(NPC)に対して本気で怒ったり嫌ったりしますか?そんな愚かな人はあまりいないでしょう。プレイヤー(主人公)である自分とそのキャラクターとの出会い・絡みはあくまでシナリオに沿ったものであり、クリエイターの「プレイヤーに自己成長を楽しませたい」という愛情により与えられた、乗り越えるべき課題なのだと誰でもわかりますからね。

バイオハザードでゾンビが出てくるのはプレイヤーが悪いからではありません。ゾンビやゾンビウイルスを作ったアンブレラ社やゲームそのものを作ったカプコンを恨んでもゲームは進みません。結局、己に与えられた目の前の課題(カルマ)を一つ一つクリアして成長してクリアを目指す以外にないのです。それは人生というRPGでも全く同じだということです。

「自分が出会うすべての人・出来事は自分の成長のために与えられた課題である」それが人生というRPGでも全く同じということには人はなかなか気づけず、「課題を解決(成長)すべきは相手(NPCやクリエイター)である」と考えて愚痴を言い(僕も気を付けていてもすぐそうなります)、結局は何も解決されずに「理不尽だ」と、己の不幸を誰かのせいにして恨んでしまうものです。

しかし運命への呪いに書いた通り、それはゲームクリアに向けた成長のベクトルとは真逆(被害者意識・自己正当化・怠惰・臆病・逃避)であり、クリエイターの愛に反した思考なので、そのままでは人生というRPGは進まず行き詰まるか事故るかしかなくなり、必ず不幸に導かれる定め(設定・ルール)なのです。

人生というRPGはすべてプレイヤー(主人公)次第にプログラムされているのですが、何でも思い通りになったらゲームは成立しませんので、基本的には思い通りにならないように作られているのです。だから自分の思い通りにならないのは当たり前であり、プレイヤー(主人公)である自分とNPCである他人とを比べたりして、NPCやクリエイターが用意したゲームの設定・シナリオに「理不尽だ」と文句をつけるのはナンセンスなのです。

そしてそのナンセンスさは人間に初期設定された無明(愚かさ)であり、無明(愚かさ)がないと成長のシナリオは描けないのです。その無明(愚かさ)を乗り越えてすべての存在を許し・感謝し・尊敬し・愛せるように自己成長していくこと以外に考えなくなるようになることが覚りの過程において必須の要素であり、人類のマニフェスト・デステニー(明白なる使命・シナリオ)なのです。

僕らが自分にとって嫌なことを言ったりやったりしてくる相手(NPC)に対して怒ってもゲームは進みません。クリエイターがどういう意図を持ってその人・その出来事と出会わせたのか、我々は愛で解釈しなくては課題が正確に見えてこないのです。あなたがどれだけ理不尽に感じることでも、きちんと理由(縁起・カルマ)があり、それはクリエイターから愛によって与えられた課題なのです。クリエイターのメッセージは、物語中のキャラクターや出来事を通じて伝えられるものです。だからどんな人・出来事との出会いも無碍にせず、クリエイターの真意を愛で解釈することが大事なのです。

わかりますか?あなたが継父(NPC)の解決すべき問題だと考えていることは、あなた個人にクリエイターから愛で与えられたメッセージであり課題なのです。そして問題は解決しなくていいに書いた通り、課題を乗り越えるということは、必ずしも無理に問題を解決することではなく、相手を許しありのままに愛することができればもはや問題は問題ではなくなっているのです。

あなたは継父を「正しさでしか自分の価値を表現できない自己肯定感が本当に低いまま生きてきた」と考えているようですが、それは非常に多くの人に当てはまることであり、あなた自身もきっとそうなのであって、相手側を自分に都合の良いように変えたいというのは愛ではなくエゴなのです。創造主は継父を鏡としてあなたにそれを気づかせようとしてくれているのでしょう。

エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、正義というものはエゴであり、エゴは斥力(反発力)なので反発し合うのは必至で、あなたの正義を相手に押し付ければ押し付けるほどあなたの期待とは逆の結果になるのは目に見えています。まして「正しさ」を価値として生きているような相手に直接間違いを指摘したり正解を教えようとするのは、必ず相手のプライドを傷つけ反発を招く愚行なのです。

<メシア三原則>
1.指摘せず気づかせる
(相手のプライドを傷つけない。問題は自ら気づけば勝手に直る)
2.教えず覚らせる
(真理・愛は教えるのではなく実践して背中を見せて覚らせる)
3.自らの学びとする
(主人公は自分であり、出会った相手の問題は自分の課題)

とても忍耐の要ることですが、忍耐を伴わない愛は愛ではありません。

反省してはいけないに書いた通り、人というのは他人から間違いを指摘されて責められれば責められるほど自尊心が下がり、「どうぜ自分なんて・・・」と、行動の悪化に歯止めが効かなくなり、更に自尊心が下がるという悪循環を繰り返すものなのです。

あなたはまだ継父に対して、悪い所を指摘して反省と改善を求めることで救おうとしているようですが、それは逆効果にしかなりません。欠点や過ちは誰にでも例外なくあるもので、それを責めては相手も自分自身も決して自尊心が上がることはありません。

自尊心と他尊心というのは連動するものなのですが、人は往々にして自分の自尊心を保つために他人を責めたり蔑んだりして自尊心を下げようとしてしまいがちで、それが人間関係がうまくいかない根本的な原因なんですね。正義を主張し、間違っている相手を見下し、反省と改善を求めて責めることで自尊心を保とうとしてしまうのです。それもまた人間に与えられた無明(愚かさ)なのですが。

その無明(愚かさ)を乗り越え、ただ相手の自尊心を上げることだけ考えて実行して下さい。相手は自尊心さえ上がれば自ずと良い方向に導かれるものなのです。相手の自尊心を上げるには、心にもないお世辞をいったりこびへつらったりすることではなく、「心からの笑顔(許し・愛)で相手の存在を肯定すること」であり、前述したように「相手の話を肯定的・同情的に聞くこと」です。この2つはとても重要なので絶対に忘れず実行して下さい。相手を変えようとするのではなく、相手を深く理解して同情して許し、ありのままを愛することが救いなのです。

人生というのはまさにRPGであり、プレイヤー(主人公)はあなたなのです。しかしその継父の人生においては継父がプレイヤー(主人公)なのです。あなたがゲームをしている時に横で友人に逐一答えを教えられたらどう感じるでしょうか?きっと心が反発しますよね?そこは人生というRPGにおいてもまったく同じなのです。

あなたが自分の答えを教えたり押し付けたりして相手側を変えようとするのは、相手のゲームのコントローラーを奪う行為であり、相手から反発されるのは当然なのです。人は何でもあくまで自分の力でやって失敗もして試行錯誤しながらゲームを進めたい生き物なのですから、相手に答えを教えるのではなく、相手自身に考えさせ気づかせなければなりません。そうでなくては人生というRPGに存在価値はないのです。

人にはそれぞれプライドがあり、自分は正しいと考えています。まして嫌いな相手の言うことには逆らいたくなるのが人間の性であり、そこはあなたも同じだからわかるはずです。ですからあなたが正しいことを言えば言うほど相手から嫌われてその正しさから遠ざけてしまうことになるのです。

だから決して相手の側を変えようとしてはいけないのです。上から何かを教えることで相手を救おうとするのではなく、話を聞くこと・実践を通じて背中を見せることで相手に自ら覚らせることを大事にして下さい。

人生は自分を主人公とするRPGであり、すべからく自分次第に創られています。あなた自身が変われば、自ずと相手も変わるのです。自分が認識している相手は自分のゲームのNPC(コピーAI)なのですから当然です。

憑依現象(霊障)についてに書いた通り、人間には複数の意思が存在しているのであり、あなたの継父はあなたに対して罪悪感を感じている意識がきっとあるはずです。その意識では「何であんなことをしてしまったのだろう」と後悔していることでしょう。でも罪悪感が強く「許されるはずがない」と考えているからこそ、あなたへの接し方を自らを改めるということができず、意地になって悪役を続けてしまっているのだと思います(あなたにも経験ありませんか?)。もしあなたが継父に対して許し・愛を態度で示すなら、きっとその継父も自分の愛に素直になって自らを改められるに違いありません。

でも決して結果を期待せず、ただただ与えられた経験と自分のする行為を愛して下さい。つまり継父の人生を深く知り同情し愛すること自体を目的化して愛して下さい。ただ継父に奉仕して態度で許し・愛を示して下さい。「父親を救いたい」と思うこと自体は素晴らしいことです。しかし「救われる」という結果を期待するということは、すべてを与えし創造主に対して見返りを求めることなのです。これをしたからあれをして下さいというように。

真理に適った思考・行動は期待せずとも(期待しないからこそ)自ずと良い結果がついてきます。それを信じる事が創造主たる神を信じるということです。

相手に何かを話す(教える)ことで、相手を自分の都合の良いように変えようとしないで下さいね。それは傲慢であり、クリエイターの愛に反するのです。

あなたが今現在嫌っている継父は、あなたの解釈(世界観・人生観)が創り出す認識世界においてあなたにとって好ましくない人なのであり、妹さんや弟さんの認識世界では別人であって、そこではきっと本当に良き父親なのでしょう。それなのに彼らが父親の悪い所が見えていないとか騙されていて哀れだなどと考えるのはあなたのエゴであり、人間観・世界観の押し付けであり、余計なお世話であり、やってはいけないことなのです(カルマを深めます)。

それとあなたの母親と継父の関係は長年連れ添った男女間の話であり、他人には知り得ない愛憎の入り混じった複雑な感情があるのは当然で、あなたに愚痴を言ってはいても、あなたと同じように継父を見ているわけではないと思います。

あなたは誰かが言っていた悪口を(「私はあなたの味方だから」と親切を装いつつ)わざわざその相手本人に伝えてしまう「人間関係クラッシャー」に会ったことはありませんか?あなたの今までの考え方だとそれと同じ愚行をしかねない感じがするので、どうぞご注意下さい。

もしあなたが継父を許し愛することができれば、継父の人生も夫婦仲も勝手に改善されることでしょう。本当です。あなたがいる世界はすべてがあなた次第の認識世界なのですから。一か月でもやってみればわかります。人「間」というのは関係性によって創られるものなのだと如実にわかることでしょう。そしてここまで僕が書いてきたことがあらゆる人間関係に通じる真理であることに気づかれることでしょう(他の人にも同じようにして下さい)。

自分に都合の良いものなら赤ん坊でも愛せます。それがエゴなのです。真に大人になるということは、自分に都合の悪いものも「自分の成長に必要だから与えられた課題なのだ」と愛し感謝しながら受け取って、乗り越えていけるようになることなのです。

簡単に許せる人を許し、簡単に愛せる人を愛しても価値はありません。許し難い人を許し、愛し難い人を愛せることに価値があるのであり、もしそれができたあなたは、きっとより自分を許して愛することができ、より大きな幸せを感じることができるようになることでしょう。

それでは、あなたとご家族の幸せを心より祈っています。

2024年4月16日火曜日

大学を辞めるか悩む

【質問】21歳・男性
シンヤさんこんばんは!いつも記事の方楽しく読ませて頂いてます🙇‍♂️

私は、21歳(男)の大学4年生です!大学に編入するまでは、地元のスポーツ系の専門学校に通っていてました。専門学校に入学した経緯としては、大学受験時に全落ちし、高校卒業後すぐ働きたく無かったからです。プラス、その当時トレーニングをする事が好きだったので、その専門学校に進みました。入学当初は、トレーニングが大好きでトレーナーを志していたのですが、在学中にトレーニング熱が冷めてしまいトレーナーの道は諦めました。その後卒業後の進路を考えたところ自分にスキルも無いかつ、今の自分のまま社会に出れる自信がなかったので、進学しようと思いました。

その結果、編入試験に合格し今の大学に通うことになりました。今の大学は地元を離れて1人暮らしをしています。通ってみたら思っていたキャンパスライフとは違い学校に行くのがとても億劫です。何も目的も無しに入学してしまった為、このような事になってしまいました。この生活に嫌気がさしており、若い時の時間をここで過ごしてもいいのかと心配になります。地元を離れた為、友達もろくにおらず1人で過ごす事が多いです。1人で過ごす事は苦ではないのですが、何も変化の無い日々がとても辛いです。人生1度きりなので、自分のやりたいこと(格闘技・ナンパ)を思いっきりやって後悔しない人生を送りたいとも思っております。大学受験に全落ちした僕ですが、編入試験は何も対策無しに落ちる気満々で受けたのですが何故か受かってました。人生は全て必然とシンヤさんは仰っておられますが、これは僕への試練なんでしょうか?

お忙しいかと思われますが、何かアドバイスをいただけたら嬉しい限りであります😆

【回答】
ご質問ありがとうございます。

僕も若い頃は早々に勉強のやる気を失い、格闘技と女のことしか考えてないバカで、友人も少なくて(地元にも)、何のスキルもなく将来何もしたいことがないままつまらない大学生活を送っていたので、お気持ちはよくわかります。

しかし、当時の僕に今の僕がアドバイスしたところで伝わるとはとても思えず、だからこそ今のあなたにもきっと伝わらないということが事前にわかってしまうので、とてももどかしいです。ご質問の内容から察するに、残念ながらあなたは僕のnoteをせっかく読んで下さっていてもほとんど何も理解されていないようですから。

人生で起きる事はすべて成長のための課題であり、また試練でもあります。すべてはあなたの魂にとって必要だから与えられている経験であり、他人が何を説明したところで、あなたは自分の経験を通じて覚らなければ理解できないでしょうし、またそうでなくては人生の存在意義がありません。

ただそれで終わらせてしまっては質問箱になりませんので、一応回答させていただきます。どうしても過去の自分に言い聞かせるように、厳しい・説教臭い言い方を避ける事はできないのですが、どうぞご了承下さい。僕はあなたに心から同情していて、決して責めているわけではないということをご理解いただけると幸いです。僕はいつでも100%の愛でお答えしています。

決してあなたに限らず、若い時というのはみんなエゴにまみれているもので、他人への思いやり・慈愛が欠けているものなんですね。正直に言うと、あなたの文章から感じられるのはエゴのみであり、与えられているものを当たり前のように考えているようで、愛(感謝・報恩)の気持ちが微塵も感じられません。当然、信心などは全くないのでしょう。

僕がいつも書いていることですが、与えられたものに感謝できない人にもっと良いものを与えたいと思う人はいないでしょう。そこは創造主も同じなのであり、感謝のない人は既に与えられたものまではぎ取られ続け、失うことでありがたみに気づかされるような悲しい人生に導かれるのは当然のことです。

あなたは将来やりたいことが見つからないようですので目標がないをご参照下さい。端的に言ってあなたには愛が不足しているからやりたいことに導かれないのだと思います。そしてそれもあなたに必要な経験なのでしょう。

主人公(人生というRPGのプレイヤー)にとって、本当にやりたいことというのはまず主人公であることに目覚め(主体者意識)、与えられたものに感謝し、愛(感謝・報恩)の気持ちで「人の役に立ちたい・世の中を救いたい」と考えることによって、はじめて「ではどのように?(己の才能をどう生かすか?)」という形で見えてくるものです。

あなたがエゴによってやりたいことを見つけようと思っても、「こうしたい」という強い願望もなければ、堪え性もないわけで、今大学を辞めたところで状況は変わらないどころか余計に悪くなっていくでしょう。

あなたは自分自身の問題を環境のせいのように考え、解決策は環境を変えることしかないかのように考えているようですが、それは自己成長からの逃避であり、魂の成長プログラムであるこの世界において不幸に導かれるのは当然のことです。どうかそこに気づいて下さい。

格闘技にしろナンパにしろ、あなたが「今の大学にいることが原因でできない」と考えるのは僕には理解し難いです。むしろ大学は格闘技やナンパを思う存分できる唯一とも言える期間であり、4年生というのはもう就活の時期で、そういう「若気の至り」的なことからぼちぼち卒業しなければならない時期です。どっちにしろ格闘技もナンパも結局いつまでも続けられるものではありません。やりたいことが見つからないからと言って「今しかできないから」と目先のエゴに没頭することで人生の課題から逃避しようとしても将来余計に苦労するだけかと思います。

あなたが今大学を辞めることでそのモラトリアム期間を延ばそうとするつもりなのなら、それは賢明なことではないと思います。あなたのやりたいことがはっきりして、大学生活・卒業資格が邪魔になるようでしたらやめるべきでしょうけども。あなたがまだやりたいこともなければ何のスキルもないのに、大学の卒業資格まで放棄するというのは、ちょっと僕には意味がわかりません。

大学4年まで親に学費を払って通わせてもらって、今さら大学を辞めて、何のスキルもなく働き始めてもまともな就職先はなく、格闘技を続けるのは時間的にも経済的にも体力的にも難しくなるでしょう。それでは「嫌な事の我慢代で駄賃をもらってただ生きる奴隷」にしかなりようがないと思います。あなたはきっと中卒・高卒で早くから働き始めている歳下の先輩たちから使えない新人として毎日コキ使われて叱られ、また同世代の大卒の人達の高待遇と出世に嫉妬したりして、プライドをズタズタにされることでしょう。あなたがこれまでのように根性を発揮できない人間なのであれば、そんな状況にも長く耐え切れるわけもなく、すぐに辞めてしまって、何のスキルもステータスもお金もないただのニートになってしまうことでしょう。

そしてあなたは大学に友達がいないそうですが、大学生って大概地元を離れて通っている人の方が多数派なのに、それが理由で4年にもなって友人ができないっていうのはありえないと思います。社会の底辺的なステータスに加えてそのコミュニケーション能力では、余程容姿に恵まれない限り、ナンパなどしてもうまくいくとは思えません。まぁ数撃てば当たる事もあるでしょうし、結局は何事も経験して学ぶ以外にないんですけどね。

あなたはかつての自分と同じなので、厳しい言い方にならざるを得ないのですが、あなたはすべてに於いて愛がなく、何に対してもナメてるんですね。リスペクトがなく、その自覚さえがないのです。勉強に対しても、職業に対しても、家族に対しても、女性に対しても、スポーツ・格闘技に対しても、世の中に対しても、人間・人生自体に対しても。(この記事の読者の方も恐らくはそう感じているかと)

目の前のことを全力でやらない限り、運というものは開けて来ないものなんですね。あなたは理由をつけて怠ける癖・己の問題(課題)から逃げる癖を直さない限り、環境を変えても何も変わらないと思います。

>人生は全て必然とシンヤさんは仰っておられますが、これは僕への試練なんでしょうか?

はい。すべてが必然であり、試練です。そしてすべてが因果応報です(あなたが苦しんでいるのは全部自分で蒔いた種でしょう)。

あなたには僕が味わったような悲惨な目に遭う前に気づいて素敵な人生にして欲しいのですが、結局は僕も今は幸せになっていてその経験に感謝しているので、やっぱりアドバイスしようがないですね。やはり何事も必要だから与えられている経験であり、痛い・苦しい・悲しいことも経験して学ぶしかないです。

もしアドバイスできるとしたら、六波羅蜜を行じて慈愛の精神に目覚めて下さいってことぐらいでしょうか。心に仏性を宿すあなたが、いつか覚って幸せになる日が来ると信じて祈っていますので、どうか負けないで下さいね。

2024年2月24日土曜日

スピリチュアル・ビジネスについて


【質問】年齢不詳・女性・霊能者
初めまして。霊能者で術師の者です🙏しんやさんのノート全て読ませて頂きました🙏私がアセンデッドマスターに教えてもらった内容とほとんど一致していて、本当にびっくりというより、私が言語化できなかった事を全て言語化できる能力に感服しました🙏

私は仏教徒でもなければ、神道にも通じてる者(行者さんや拝み屋さん、阿闍梨等)でもない…普通の人間です💦しいて言うなら、先祖代々信仰している民間宗教があるくらい…です💦私は最近、その宗教から距離を置いています💦

自分自身の霊能力を信じており、その霊能力で真理に辿り着きたい…と思ってます🙏そんな状況の中で、霊能力者や魔術師、錬金術師で言われている等価交換の法則に対する疑問が生まれています💦私のアセンデッドマスターからは、物質界と精神世界の逆転が始まっている…との情報も入ってきていて、しんやさんのノートと内容がドンピシャ😳

特にお金に対する価値が揺るぐ事になる事態が起こることのイメージが強く入ってきていて、私に今…何ができる?私の使命とは?を最近ずっと模索してます💦

私の話も多分…気違いや精神病者の戯言だと捉えられるかも知れないですが…→精神疾患は患ってないです(既往歴、現病歴なし)スピリチュアルすぎる…というか、霊能力を勘違いだと思われる方もいらっしゃっるので、私の話しの内容もしんやさんにそう捉えられるかも知れないのですが…。

私は肉体と霊体を分離させることができ、肉体は地球(物質界)で活動していて霊体は精神世界で活動しています🙏精神世界から地球(物質界)に変化をもたらすためにはどうしたら良いのでしょうか…?霊力を物質界のエネルギーに変換できないか?など。錬金術の考え方や魔術などで再現しようと。

精神世界では試行錯誤ができても、物質界のエネルギー(お金など)を精神世界のエネルギー(霊力など見えないエネルギー)に変えることは現実問題として…かなり難しいな…と感じています💦

物質界のエネルギーが唯一…精神世界のエネルギーに変わるとしたら、感謝の気持ちをたくさんの人に伝えることや神様に祈りを捧げること(願いが叶いますように…とか、世界が平和になりますように…とかの願い事をするのではなく神と繋がるという意味の祈り)。ポジティブな言葉を使うこと。落ちているゴミを人知れず拾ったり、公共の場にあるトイレや洗面台などを可能な範囲で掃除したりすること。

日常でできる事プラスとして、私は占いもしているので、無料で人の相談にたまに乗ったりする企画をしたりしています🙏でもこれだけでは実際、足りない…

本当なら出家して仏に身を捧げた方がいいんだろうな…と思うこともありますが、私には家族もいるので、俗世を捨てる事はできないので、在家でもできる事はありますか🙏?

我が家には神棚があるのと、私には水子がいるので毎日、ご神仏にはご参拝しています🙏

私は霊能者でもあり、術師でもあり、占い師です。最近のスピリチュアル界隈、占い界隈では高額なものほど価値があるとされる傾向が強く、占いで月収◯千万円達成しました💰✨や、占いや開運講座などで稼がせる人を作ります💰みたいな事を言っている人が増えてきています。

また、そういう事を言っている人達は最初こそ無料占いなどで人を助けているつもりになっている→無料占いする変わりに参加条件として無料占いの企画のリツイート、主催者のフォロー、参加表明をさせるという3つの条件を提示して、フォローワー(顧客)集めをしている実態があります。

スピリチュアル界隈だとこれが無料占いではなく、無料の縁結びヒーリング(本当に効果あるのかは不明)→主催者のフォロー&企画のリツイートと、受け取ります🙏でヒーリングの効果が発揮されると謳われている事が多いです。

ここで仮説として
①本当に等価交換の法則があるなら、無料のヒーリングに同じ条件で参加した人、全てに同等のヒーリング効果ないし、変化が起きないと、ヒーリングがウソ→等価交換として成立しないのではないか?

②等価交換の法則がないと本当にヒーリングや魔術の効果が出ない…というなら、無料でヒーリングや魔術などを使えること事態が禁忌などとして情報が広まってないとおかしいのではないか?

➂私はたまに、無料のヒーリング画像を作って配布しているのですが、(これは愛を表現するための方法の1つとして等価交換ガン無視でよくある、フォロー&リツイートみたいな条件を外し、受け取りたい方だけご自由にどうぞという形で企画をしています)受け取った方から良いことがあったや、上司からアイスを奢ってもらった…や、ちょっとしたクジに当たったなど、報告を頂くこともあり、等価交換の法則が必ずしもお金の金額=ヒーリングや魔術の効果ではなく、愛情の深さ=ヒーリングや魔術の効果なのではないか…?

という3つの疑問と仮説が浮かんできました🙏

最近のスピリチュアル界隈や占い界隈では高額な占い、ヒーリング(特に縁結び系や引き寄せ系のもの)が蔓延っているようで、私も縁結び系のヒーリングを扱っている方のメニューを見たときに、1ヶ月30万円〜や呪術師さん(呪い代行)のメニューをみても1回10万円〜など、高額なものほど、成果報告のツイートみると望んでいた結果が出やすいのかな…とは思いました💦

ただ、私の相談者さんも縁結びや占いのために累計で100万円以上使った…と聞いたこともありかなり経済的にはキツかったと話されていました😥💦

私は有料で縁結び系の魔術を使います。少額の最低料金を設定した上で、相談内容の難易度によって金額が変動します。相談者さんのお財布事情と相談して必ず経済的な負担などのしわ寄せが来ないように配慮しています🙏(効果を保証するために必ず週に1回✕5クールでやっていて、縁結びの魔術が終わるまでに約1ヶ月程度かけています)このスピリチュアル界隈のヒーリングや魔術などと、神社仏閣で行っているご祈願やご祈祷と同一視をしていいのか…😥?

神社仏閣に対して不敬な気がして比較対象にすべきではないと思うのですが、しんやさんの視点からお考えを聞かせて頂きたくご質問させていただきました。

【回答】
noteを熱心に読んで下さり、DMまで下さってありがとうございます。読んでいただけたのであれば、僕があなたの話をスピリチュアル過ぎるだの精神障害だなどと思うわけがないことはわかっていただけているかと思います。僕にはあなたのおっしゃっていることも、そのお気持ちもすごくよくわかります。

回答が順不同になりますが、とうぞご容赦下さい。

本来的に言えば、スピリチュアルとビジネスという言葉自体が矛盾を孕んでいるいると言いますか、僕はスピリチュアルの知識や能力をどうマネタイズするかという話自体に違和感・嫌悪感を感じてしまうのですね。

もちろん今の社会では、お金無しに生きて行くことは不可能ですし、僕も基本的に他人様からの寄付で生活している身であり、それは何かの対価ではなく無償の寄付なのですが、僕に「救われました」と言って寄付して下さる方も多く、見方によっては僕のスピリチュアルの知識や能力をマネタイズしていると言えなくもないので、「スピリチュアルをビジネスにしている」というだけで誰かを居丈高に批判するつもりは毛頭ありません(ハゲなだけに)。

ただ本当にスピリチュアルな人間だったら、この物質世界でのお金や権力や名声に執着して、お金と人気を稼ぐのに必死だったり、他人を支配してうまく自己利益のために利用するなんてことはあり得ないと思うんですね。天使(愛)と悪魔(エゴ)の二極的に言えば、明らかに彼らは悪魔側の人たちだと思います。そういう人たちはだいたいすぐ偉そうにしてきたり威圧してきたりキレてきたりするのですが、愛に溢れた天使がそういう態度なのはあり得ないので、すぐ悪魔側の人間だとわかります。

もし何かスピリチュアルなことが自分のやりたいこと・使命だと確信していて、しかもそれで生活せざるを得ない、ということであれば、生活はミニマムにして、それ以上の収益は社会に還元するのが良いと思います。そうでなくては確実にカルマを積んで不幸に導かれるのが必然ですので。

アマゾンでも「家族を失うからシャーマンはやるべきではない」ということがよく言われていて、実際シャーマンは本人よりも先に家族に不幸があることが多く、じわじわと苦しめられて自ら覚らされるようになっている感じがします。きっとお金に執着しないでひたすら神に尽くし人に尽くすようなシャーマンだったらそうはならないと思うのですけどね。

あなたは既にスピリチュアルな知識・能力を生かして無償でも奉仕されているようですが、もしあなたがご結婚されて旦那様の稼ぎで生活に困っていないようでしたら、他のスピリチュアルな活動でも採算度外視で人に尽くし、利益はできるだけ人を喜ばせるために使って社会に還元した方が良いのではないかと僕は思います。例え無償で仕事をしていても、他の仕事のお金儲けに繋げてしまったら、それは無償奉仕ではなくお金儲けのための撒き餌ってことになってしまいます。それはスピリチュアル的には大損です。

最低料金を決めておきつつ、相手の経済状況によって応相談、というのは良い方針かと思います(最低料金の金額と実際にかかっている経費の関係にも依りますが)。

ちなみに僕はスピ系の仕事は基本的に無料奉仕であり、自発的に寄付したいという方にはその額をご本人に決めていただいています。それが例えいくらでもそれは神が決めた事ですから、僕はいつも心から感謝しています。そして元々ご奉仕のつもりですからお金やモノが何も得られなくても「損をした」などと感じることはありません。し、結局他の方からいただいているので、生活に困る事もありません。これなら相手から不満が出たりしてお互いに波動を下げ合うようになるケースもまず生じません。相手が自発的に感謝を込めて払ってくれたお金と、嫌々払うお金・騙し取ったお金では、物質世界では全く同じお金に見えても精神エネルギー的には全く別物であり、価値が違うものなのです。

すべての存在は一つ(ワンネス)であり、それが真理です。我々(全ての存在)はみんな創造主の分身であり、だから神に仕えることと人に仕えることは同じなのです。愛で純粋に相手を救いたいと思う人が、悩んでいる人の心の隙につけこむようにして精神的に支配し、大金を巻き上げるようなことをするわけがありません。それがワンネス(真理)に反しているのは明白ですからね。

もし本当に信心がある人ならその加護を信じているはずで、それなら将来を恐れてお金と収入源を確保することに奔走する必要はないはずです。将来を恐れて神の力を金に換えようとする人は、神より金を愛し金に仕えているのです。キリストの言う通り、人は神と金の両方に仕えることはできません。だから心からの信心を持ち、存在するということに感謝し、自分の使命を愛して、神に尽くし人に尽くすのが良いかと思います。

対価交換という概念は必然的に損得勘定を生みます。比較して等価でないと感じれば損したと感じるようになるのですから当然です。しかしエゴ(欲)とは何か?に書いた通り、真理はワンネスなのですから、我々は得をしても損をしても脳がダメージを受けるように創られています。ところがエゴが満たされた時には脳内快楽物質が出るので、そのダメージに気づかず、損得勘定によって自己利益的に生きてカルマを積み続けることになってしまうのです。


そして心の深い部分で自分を嫌いになり、富を見せびらかしたり権力を行使したり他人を責めたり見下したりすることで自尊心を回復しようとしますが、それによって周囲に愛されず孤独で不幸な人生を送ることになってしまうのです。つまり対価交換・損得勘定に捉われることが不幸の元凶だということです。

真理がワンネスとわかれば、対価交換・損得勘定という考え方を捨てて、自分から無償で人を助け喜ばせる以外に世界が救われる方法はないとわかるはずです。対価交換などという概念をスピリチュアルに持ち込んできてどうこう話をすること自体がもうナンセンスなんですね。

物質世界(資本主義)における価値(お金)と精神世界における価値(愛)は比較できるものではなく、価値観は人それぞれです。それに乗じてスピ詐欺師たちは「スピリチュアルで相手にいくら請求したとしても、本人が納得して払ったのだったら違法ではない」という感じで、スピリチュアルの知識や能力を使って相手を自分のマインドコントロール下に置き、大金をせしめています。

確かに「原価いくらに対して、いくらからが詐欺である」なんて線引きはありませんし、悩んでいる人は藁をもすがる思いで一旦は同意しているわけですから、刑事裁判に持ち込むのは難しく、また民事裁判で勝ったとしても被害額と裁判費用・時間に見合うだけの賠償金を勝ち取るのは難しいですし、万が一払ったお金が戻ってきても精神的な被害は算出しようがありません。現状、このような裁判は裁判官の良心(リーガルマインド)に期待するしかないという感じです。

ただし、この世界はワンネスなのですから、エゴによる自己利益追求は必ずカルマを積んで逆方向への反動を生みます。創造主はすべてを見ているのですからね。そして今生であれ来世であれ、カルマはいずれ必ず清算させられるのです。この因果応報という絶対法則が支配する宇宙で「逃げ得」というのは存在しないのです。本当は自分も相手も一つ(ワンネス)であり、自分自身なのですから当然です。

それを信じないのはこの世界を創った創造主を信じないのと同じことであり、もしそれでも彼らが得をして自分が損をしているかのように感じるのであれば、まだ等価交換・損得勘定に自分が縛られているということかと思います。霊能者としての価値を稼いだお金で評価しないで下さい。

だいたい詐欺師に「詐欺をやめなさい」と言ってもやめるわけがありませんからね。直接的にスピリチュアル詐欺師たちを批判したところで猛反発を受けてお互い傷つけあうだけになるのが自明で得策ではありません。

彼らも世界の価値観が変わってお金に価値がなくなれば、そんな悪事に手を染める事はないでしょう。僕らライトワーカーはそのようにお金の要らない時代の到来のために、ただ自分が目の前からワンネス(愛)の目覚めの連鎖を起こして行けば良いだけです。どうか彼らの不幸を願ったりして心の波動を下げないで下さいね。それはこの世界の典型的な罠なので。

僕もシャーマンを自称する日本人のスピ詐欺師たちとXでバチバチにやりあったことがありましたが、それは彼らが他人をマインドコントロール下に置いて金儲けをするためにアヤワスカなどの幻覚剤を使っていて、それによって精神が壊れたり自殺する人が出ても全く責任を負わずに逃げて同じ事を続けているからです。騙されたお金は取り返しがつきますが、人生そのものを破壊されてしまっては取り返しがつきません。もちろん詐欺師に「詐欺を止めなさい」と言うだけ野暮で、本人と信者たちから猛反発を喰らうことはもちろんわかっていたのですが、これ以上被害者が増えないように啓蒙活動として彼らの悪事を暴く必要があったのです。

しかし本当に疲弊しました。僕を支持して下さっている方々からも「攻撃的な人だ」「言行不一致だ」「愛がない・怖い」「争いは同レベルでしか起こらない。どっちもどっちなのだろう」「どっちが正しかろうと罵り合いにしか見えず醜い」「結局羨ましくてひがんでるんじゃないの?」等々ネガティブに受け取られることがありました。今では「確かに信心と愛が足りていなかった」と反省しています。

>>本当なら出家して仏に身を捧げた方がいいんだろうな…と思うこともありますが、

いえいえ、出家なんか全然する必要はないと思います。というか我々ライトワーカーにとって出家などはかえって使命の邪魔になるかと思います。人生自体が覚りの修行であり、人間関係がその修行の場なのですから。

例えば人気のない山奥などに行っていくら修行したところで、人間関係なしに魂の成長などするわけがなく、その修行がどれだけ精神的・肉体的にハードだろうと人を救うことはなく、むしろそれは俗世の煩わしさからの逃げじゃないかと思います。

人間関係が存在しないところに行っては覚りを連鎖させることができません。この世界の平和と幸福の実現こそが人生というRPGにおける我々プレイヤー(主人公)の究極の課題であり、自分からみんなに救い・幸福・覚りの連鎖を行き渡らせられないのなら、何度輪廻転生を繰り返そうと彼岸(ゲームクリア)に達することはないと僕は思います。

そして仮にどこかの宗教に入信して出家したとしても、そこの人間関係は俗世の人間関係なんかよりずっと煩わしいのではないかと思います。宗教界はどこもヒエラルキーがありピラミッド型の組織ですから、余程の事がない限りそこでトップにはなれずに上の人のエゴに隷従させられ振り回されるでしょうし、トップになったから覚りが開け世の中を救えるわけではなく、上に行こうという上昇志向(エゴ)がかえってあなたを覚りから遠ざけてしまうでしょう。

僕はどの宗教にも(完全な詐欺でない限りは)リスペクトを持っていますが、どこの宗教の信者にもならず、しがらみに巻き込まれないようにしながら幅広く学んで、己の信心を深めながら真理を追求しています。

>>最近のスピリチュアル界隈や占い界隈では高額な占い、ヒーリング(特に縁結び系や引き寄せ系のもの)が蔓延っている

スピ詐欺に騙されるのは、自発的な信心と愛と霊的成長に目覚めさせるためにカルマが与えられているのに、自らは信心を持とうとせず、己のカルマに立ち向かって成長しようともせず、エゴにまみれたままで、ただ霊能力者などにお金を払って解決してもらおうとする浅はかさが根本的な原因であり、そんな人からお金を貰って一時的に霊能力で救ったとしても、相手も霊能者もカルマを深めて不幸に導かれるのが必然かと思います。

騙す方も騙す方ですが、大金を払えば問題が解決するとかお金が儲かるとか超能力が身につくとか良縁に導かれるとか、そんな馬鹿な話に引っかかる方も引っかかる方です。人は己のエゴゆえに騙されるのですね。そして霊能力というものをまるでブランド品のように考え、値段が高いほど価値や効果があると思い込み、霊能者・成功者を偽装する詐欺師たちにコロッと騙されて大金を差し出すのは本当に愚かなことであり、それは資本主義に心まで犯されきっているのです。残念ながら本人が痛い思いをして失敗経験からそこに気づいて学ばない限り、周りがどうこう言っても無駄でしょう。

>>私は肉体と霊体を分離させることができ、肉体は地球(物質界)で活動していて霊体は精神世界で活動しています🙏

あなたは霊能力者とのことで、もしかしたらご自身の霊能力を高めることで世界を救いたいと考えているのかも知れませんが(お気持ちはよくよくわかるのですが)僕はそれとは真逆の考え方をしています。それは神通力についてに書いた通りです。

あなたにどんな特別な力があろうと、あなたが周囲の人からその力に依存されるようになるだけで、相手の魂は成長することもなく、成長しない魂は救われませんから、魂が作りだしている世界も当然救われません。

霊能力でお金を稼いだり、他人から評価されたいとか支配して利用したいなどと考えるスピ詐欺師みたいな人たちなら、他人から依存されることは好ましいと考えるかも知れませんが、それは世界を救う主人公であるあなたにとって好ましいことではないでしょう。

霊能力というのはその人個人の能力ではなく、創造主が神仏を通じ、神仏がその人の祈りに合わせて発揮するものであり、そんなものを自分のモノのように考えてエゴ(個人利益)のために使えば、それで短期的には利益が得られたように見えても、それはカルマを積むことになっていずれは必ず清算させられると思います。

我々は特別な霊能力など何もなくても、本来誰でも持っている浄霊能力さえ高めて行けばいいのです。それで相手を浄霊してカルマを軽くしてあげることさえできれば、相手は神仏により救い・幸せに導かれます。そしてみんなが信心に目覚め、浄霊し合い・助け合い・許し合い・愛し合い・心の波動を高め合うような連鎖を起こすことができれば、それが指数関数的に広がって、いつか必ず世界は救われます。それを自分から起こしていくのが主人公の使命です。まったく自分一人でこの世界の霊魂全てを救うなんてことはできません。この物語のキャスト全員の協力を得ながら物語を完成させていくのです。

人生はRPGですから、プレイヤー(主人公・ライトワーカー)である限り、必ず「世界を救う」という使命があります。しかし「どのように(何を通じて)世界を救うか?」というのは主人公それぞれに個性・役割があって道(ストーリー)が異なります。

>>特にお金に対する価値が揺るぐ事になる事態が起こることのイメージが強く入ってきていて、私に今…何ができる?私の使命とは?を最近ずっと模索してます💦

まったく同意です。ただ人生というRPGはすべてプレイヤー(主人公)次第に作られているので、お金に対する価値観の変化も、クリエイター側が直接起こしたり自然発生的に起きるものではなく、プレイヤー(主人公)である自分から起こしてくものじゃないかと思います。RPGはクリアできることがゲームする前から決まっていますが、プレイヤー(主人公)がやり通さないのなら、何度リスタートしてもクリアはできません。人生もそれと同じだと思います。

使命を模索中ということですが、人生は「愛とは何か?」というお題の芸術ですから、あなたの愛をこの世の中というキャンバスに表現してみて下さい。あなたがあなたの愛を表現するのに最もふさわしいと感じる手段こそがあなたの使命かと思います。世の中というキャンバスは、あなたが思う存分愛を表現できるようにわざとその反対のエゴだらけになっているのです。

>>物質界のエネルギー(お金など)を精神世界のエネルギー(霊力など見えないエネルギー)に変えることは現実問題として…かなり難しいな…と感じています💦

物質世界というのは精神が作り出す幻影のようなものであって、あなたのおっしゃることは投影されているホログラム側をいじって、投影元のプロジェクター側(元データ)を変えようと言っているようなもので、難しいのではなく不可能だと思います。あなたはまだ(世間の大半の人と同じように)「精神と物質」の主従関係を真逆に考えていらっしゃるように感じられます。

みんなの意識エネルギーがこの物質界のエネルギーを生み出しているのですから、あなたの意識エネルギーの変化が連鎖してみんなの意識エネルギーが変われば、この物質界のエネルギーは変わります。それには物質界のエネルギー(お金やモノのエネルギー)を我々がどのように捉えるか、つまりエゴ(自己保存欲求=我欲・保身・虚栄)のためにあると認識するのか、愛の為に分かち合うものだと認識するのかで、意識エネルギーが変わります。しかしそれは物質エネルギーが意識エネルギーを変えているわけではありません。逆です。

心が変わればそれが必ず行動に反映されます。ワンネスに目覚め(精神界)、誰が見てなくても・何の得にならなくても、神に奉えて信心を形にし、お金やモノや奉仕を無償で分かち合うこと(物質界)を通じて、人の意識(精神界)がより良く変わっていくこと。そういう循環を自分が実践を通じて連鎖させていけば、世界は救われると思います。全部繋がっているのですから。

みんなこの人生というRPGを楽しむため、つまり失敗を経験し、試行錯誤し、成長していく物語をの楽しむためにわざと愚かに生まれてきているので、他プレイヤーに答えを教えたり、欠点や過ちを指摘して責めたりするのが正解ではないのです。

ゲームしている脇で答えを全部言われたら面白くないですから、無意識に心が反発してしまうのです。だから答えを教えると相手を傷つけてしまってこちらが嫌われ、人間は嫌いな人の言うことには逆らいたくなりますから、こちらの言う事が正しければ正しいほど相手は逆のことをやってしまうので、かえってその正しさから相手を遠ざけてしまうことになります。

そして霊能者の使命というのは、超能力で相手の問題を解決してしまうことではありません。それはゲームの難しいステージで相手のコントローラーを奪ってステージクリアしてしまうことに等しく、相手は成長していないのに更に難しいステージに進むことになり、また行き詰まって霊能者に依存してくるでしょう。その人はお金を失ってカルマを積むでしょうし、霊能者はそんなことで大金を稼いで、しかもまた更に多くの人を自分に依存させてカルマを積むことになるでしょう。

霊能者のやるべきことは、浄霊してあげてその人の人生を救い・幸せに導くこと(お手本を見せること・背中で語ること)で、その人が自発的に信心を起こし、愛(ワンネス)に目覚め、霊的に成長していくように手助けしてあげることです。自分が超能力を手に入れてそれを高めて相手の霊的・カルマ的な問題を解決することでは決して人は救えません。それでは相手が霊的に成長しませんから。

>>神社仏閣に対して不敬な気がして比較対象にすべきではないと思うのですが、

いえいえ、現代では仏道も神道も完全に資本主義の内側にあって、ほぼお金稼ぎが目的化したビジネスであり、衆生を救おうという「愛」と自分たちが生き延びようという「エゴ(自己保存)」が完全に逆転してほぼ死んでいます(それを生き返らせるのが主人公の役割です)。今の仏教や神道とその他のスピリチュアル・ビジネスと比較対象にするのに何の問題もないと思います。宗教のビジネス化は人間側の問題であって、それを指摘したからといって神仏を貶めることにはなりません。むしろ彼らに「これはビジネスではない」という思いがあるなら、それは大きな勘違いだと思います。そしてもし彼らに「神様・人様からのお恵みで生活している乞食である」という謙虚さがなく、偉そうにしているのであれば、それは本当に神仏のご意志に反していると思います。

>>私は有料で縁結び系の魔術を使います。

縁結び系の魔術というのが具体的にどういうものなのか僕は存じ上げませんし、的外れなことを言ってあなたを傷つけることになっていたら大変申し訳ないのですが、私見を述べさせていただきます。

大変キツい言い方になって心苦しいのですが、僕は個人的に、魔術だの呪いだのは金額云々以前に「論外」かと思っています。それは神仏の力をエゴのために使うモノであり、人を呪えば穴二つと言われる通り、一時的には得をしたように思えても後で高い代償を払わされ、ロクな結果にならないことは明白です。これもワンネス(私=あなた)が真理だとわかれば当たり前のことです。

良縁を望むということは、今までいただいているご縁に満足し感謝していないということであり、縁結び系の魔術をするというのは、もし人生が映画ならその監督の意向を無視してプロデューサーに「もっと良い俳優をキャスティングして下さい」とお願いするのと同じではないでしょうか?

それは完全に越権行為であり、映画監督たる創造主の愛に反すると思います。まして縁結びが元々結ばれる運命でないはずの人たち同志を(お金をもらって)無理やり結ぶようなものなのであれば、僕は懐疑的です。

全知全能である創造主のやることはすべて(魂の成長のため・物語を良いものにするために)完全であり、人間は俳優目線でしか物事を見てなくてエゴに捉われているからそれがわからないのでしょう。

そして「他にもっと良い人がいるのでは?」と考えることは、目の前の人を全力で愛さないことに繋がり、それは不幸の元凶なんですね。自分に与えられた出会いを全て自分にとってベストだと信じて感謝しながら常に全力で愛する以外に、幸せになる方法はないと僕は思います。

あなたは与えられたものに感謝しない人間に、もっと良いものを与えたいとは思わないでしょう。それは創造主も同じことなのです。その人間が何を望んでいるかぐらい、全知全能の神は全部知っています。創造主が人間の望みを知った上でそれを与えていないのは、その人間が与えられたものに感謝してないからであり、またその人間が回収すべき伏線を回収していない・クリアすべき課題をクリアしていない(霊的に成長していない)ために、それを今与えることがその人間の使命上(役割上・物語上)良くないとわかっているからでしょう。そこもRPGと同じです。

すべては創造主から与えられたものなのに、自分の能力・努力で手に入れたものをまるで自分のもののように考えて驕り、創造主に向かって「あれをするからこれをして下さい」などと対価交換を望むこと自体がナンセンスであり、創造主の愛に反しているということをどうか知って下さい。

我々が望むべきことは世界平和と幸福のみであり、あとはただ与えられているものに感謝して、出会った人ひとりひとりを創造主の分身と信じ、自分に与えられたものをフル活用して見返り(結果)を一切期待せずに奉仕し、使命を果たすのみではないかと僕は思います。

2023年12月5日火曜日

占いで疲れを感じる

【質問】年齢不詳・女性
こんにちは。きょんともうします。

私は占いが好きで易者に見てもらったりするのです。自分でも占ってみたくて、中学生時代の誕生日プレゼントにタロットカードを買ってもらいました。たまに占ったりしていたのですが、結果に関わらず占い後にとても疲れてしまうのです。

本来なら、いろいろ占ってみたくて買ってもらったのに、あまり手に取ることができず残念です。タロットカードを使う事で疲れを感じなくなるようになるにはどうしたら良いか、教えていただけたら嬉しいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

占いについてはエンジェルナンバーについてで回答させていただいているのですが、残念ながら僕は占いや数秘術の類はまったく興味がなく、知識もありません。ので、僕はあなたの質問に対する回答者としては適任ではないと思います。

なぜ僕が占いに興味がないかというと、大きくは三つ理由があります。
一つ目は占いが覚りの本質とは関係がないと覚っていること。
二つ目は運命を完全に天に任せていること。(僕は一度捨てた命を助けられているため、自分個人の運勢には全く興味がわきません)
三つ目は自分の使命とこの世界のシナリオの大枠を既に覚らされていること。(些末な運勢で一喜一憂する理由がありません)

もしあなたが占いをすることに疲れを感じるのであれば、そこに本質がないことをあなたの魂も気づいているからではないでしょうか?

僕は決して占いを信じていないということではありません。すべてが創造主の意図によって生まれているのですから、あらゆる存在・事象からその意図を汲み取ることはできると思います。そしてそれをうまく汲み取って人を良い方向に導ける易者というのは素晴らしい存在だと思っています。

あなたがこの世界のすべてが創造主の愛によってもたらされているということに感謝の気持ちがあり、出会う全ての人を幸せに導こうという思いがあって占いをやるのであれば、きっとそのような疲れは生じないのではないかと思います。

もしこの世界が偶然性に支配されているなどと考え、人が偶然によって不幸になったり、また創造主が意地悪で人を不幸にしたりすることがありえると考えながら占いをするのであれば、そこに「不幸な未来が待っているかも知れない」なとどいう恐れ・負の感情が自分にも相手にも生じますし、人を不安にさせ・悪い暗示をかけて・不幸な方にミスリードする可能性があるので、僕はやめた方が良いのではないかと思ってしまいます。


もし占いをやるのであれば、まず信心を持ち、与えられたものの価値に気づいて感謝できるようになってからの方が良いと思います。もしよろしければ人の価値とは?」「悟りとは何か?もご参照下さい。

あなたが占い師としての使命を感じるのであれば、ぜひ人を安心させ、良い方向(幸せ)に導ける素敵な占い師になって下さい。もし友人たちのためにお金を取らずにそれをやるのであれば、とても素晴らしいことかと思います。

【感想】
まず、回答ありがとうございました。
質問の仕方が良くなかったと反省しました。【占いについて】というよりは、好きなものに取り組みたいのに疲れてしまうのは何か意味があるのではないかというのが質問の骨子でした。

私は収入を得る手段があるので、占いなど他に何かをすることに対して収入を得なくても良い環境にいます。言い方が難しいですが、無報酬に乗じて他の方に利用されるのも好みません。そのバランスがうまく取れたらいいなと思っています。

【回答】
ありがとうございます。

僕も趣味で柔術をやったり、無報酬で靈氣・マッサージ・掃除などをしていますが、もちろん好きな事でも疲れは感じますよ。それが充実感でもありますが。

結果を求めると、それが得られなかったときにガッカリしてしまいます。その結果というのが自己利益でなく相手の幸せを願ってのことであっても。だから行為(善行)そのものを愛するようにしてみて下さい。

それでも異様に疲れを感じるようならそれが本当は好きではないのか、霊障が溜まっているからだと思うので、それであれば浄霊を受けるようにしてみて下さい。世界救世教や真光などでは自発的な寄付のみで浄霊してくれます。

>無報酬に乗じて他の方に利用される
これもお気持ちは非常にわかります。(それが疲れの原因の一つでもあるかも知れません)人の親切に乗じてくる図々しい人はやっぱりいますからね。僕は乞食なので自発的な少額の寄付だけ受けるようにしていているのですが「こっちはお金を払っているのだから」と横柄な態度を取られたり「少額のお金にもしがみついているような卑しい乞食」みたいなモロに軽蔑した態度を取られたりします。

ですからそういう嫌な依頼はキッパリ断ります。それができることが心の自由ですから。仕事では嫌な人からの依頼も受けなければいけないため、お金を払う人がどんどん横柄・傲慢になりますし、こちらにもストレスがかかりますから、趣味でまでそれをやる必要はないと思います。

性格が歪んでいる人ほど救いが必要ではあるのですが、嫌だと感じたらキッパリ断るのが良いと思います。あくまでも愛情を持って、なぜ嫌だと感じたのかも相手に伝えてみて下さい。あまり厳しいと誰も依頼してくれなくなりますから、本当に愛情を持って伝えて下さいね。

2023年9月27日水曜日

自立できない大人に対して

【質問】年齢性別不詳(旧質問箱からの転載)
ニート・子供部屋おじさん・彼女の家に居候して生活費も彼女持ちのヒモ・友達の家を転々としていたり実家暮らしで、遊び金だけバイトして稼いでるだけのフリーターなどをどう思いますか?

【回答】
どう思うも何も、僕自身が筋金入りのニートなので(笑)そして彼女一人に依存はしていないだけで、男女問わず多くの人のヒモであります(笑)今の寮に入るまではホームレスで友人宅を転々としたり野宿したりしていましたしね。

世の中「大人になっても働かずに養われていて自立できない人間が気に入らない」方はたくさんいるでしょう。しかしもし自分が「大好きで得意な事で社会に貢献し、高い評価と収入を得ている人」なのなら「働かない人(働けない人)たち」を可哀そうだと思うはずです。

それなのにわざわざそういう人たちをやり玉に挙げて責めようとする人は、恐らくお金のために嫌な仕事を我慢しながらやっていて、それでも十分な評価と収入が得られず、生活保護受給者と大差のない生活しかできない状態なのではないでしょうか?

もしそうなら「こっちはこんなに嫌な仕事を我慢しながら働いているのに、ラクしやがって(不幸になれ)」と、働きもしないで生活できている人たちを腹立たしく感じるのは当然で、そのような人たちを責めることによって「自分は彼らよりはマシな人間だ」と、自分が奴隷的な仕事を続けるせいで失っている自尊心を回復せざるを得なくなっているのでしょう。そして働けない人を思いやれる心など完全に失っているのですね。

しかし誰しも病気や事故などで働けなくなったり、何かの事情で財産を失ったりする可能性は多々あります。またいつか誰しも歳をとって働けずに介護を受けるようになるでしょう。

「働いてよりお金を稼ぐことが人間の価値であり、働けない人・お金のないの存在は迷惑であり排除すべき」などと考える人は、もし鬱などで働けなくなって(お金のために嫌な仕事を我慢してしがみついていたら鬱になる可能性は大です)お金もなくなったら、自分が無価値で不要で迷惑な存在だと感じるようになり、自分を責めて人を頼れず、きっと自殺に追い込まれることでしょう。

また歳をとって介護が必要になったら迷惑だと思われながらお金のために嫌々世話をされ、財産だけ残して早く死んで欲しいと思われるようになるでしょう。

現代の価値観の社会では、多くの人にとってそのような生き地獄の如き未来が待っているのです。人間関係は完全に鏡であり、すべて自分に返ってくるのです。

現代は「お金を持たない人間は役に立たずで、社会の負担で迷惑なので排除すれば良い」などという「適者生存的な考え方」を多くの人が持つことにより、排除されることを恐れ、嫌な仕事も嫌々我慢しながらやって、嫌な人間になって心に愛を失い人に嫌われ、結局いつかは働けなくなって社会から排除されるのです。

それは支配者側にとっては非常に都合の良い状況であり、多くの人がそうして自ら奴隷となり、その支配体制を支える一員になっているのです。

僕はそんな地獄のような社会には生きたくないので、社会の価値観ごと変えてしまおうと思っています。価値観が社会システムを作っているのですから、価値観が変われば社会システムは必ず変わります。note記事「宇宙の仕組み」に書いた通り、自分の認識世界は主人公である自分自身が作り出しているものであり、全てはフラクタルにできているので自分が変われば必ずそれは連鎖するのです。

人の価値って一体何でしょうか? note記事人の価値とは?に書きましたが、人の価値は存在そのものなのです。すべての存在に意味と役割があり、価値のない存在などどこにもないのです。すべての存在・出来事は一つなぎであり、すべてが壮大な因果でつながっていて、独立して存在しているものなど何一つないのです。それなのに自分がただ他人から命じられた仕事をこなしてお金を稼いでるってだけで自立した人間だなどと考えるのは無知かつ傲慢であり、自立を人生の目標にするのは大間違いだと僕は思います。

猫は人に飼われなくても生活できるのに、素直に人に甘えてくれて世話する喜びをくれます。一切働かず一日中食う・寝る・遊ぶだけですが、生きる喜びを素直に表現するだけで人を幸せにし、孤独を癒してくれます。あなたは誰かにとってそういう存在になれているでしょうか?それはお金稼ぎよりずっと大事なことだと思います。

note記事誰でも自信満々になれる方法に書いた通り、僕は例外なく出会いに感謝し、出会った人を例外なく愛し・尊敬し・感謝し・許すことを決めているので、どんどん人に愛され、自分自身を大好きになっています。

「こういう種類の人間(働かない人間など)は気に入らない」と出会う前から人間をカテゴリー分けして先に嫌うことを決めてしまう人は、過去だけでなく未来の出会いまで既に失っているのです。

もちろん「働かずに養われている人」の多くは幸せではないと思います。人生は成長のためのプログラムであり、ラクして成長はできませんから、ラクして生きているように見える人は不幸であり可哀そうなのです。

人は基本的に人を幸せにすることでしか幸せになれないようにプログラムされているのに、ラクをして怠惰に生きている人というのは基本的にエゴイストで、人を幸せにせず不幸になっているのです。人に何かしてもらって素直に感謝し喜べる人は人を幸せにしていると思いますが、多くの人は自分に与えられるものを当然と考えて感謝していません。

そういう人たちに対して説教などしても、自尊心を下げて自己嫌悪に陥らせて「どうせ自分なんて…」と考えて悪い思考・行動がやめられず逆効果になりますから、自分自身が無償で人に貢献し、人を愛し人に愛され幸せに生きている背中を見せることで、「他人を幸せにすることなく自分が幸せになることなどできない」ということ(ワンネス)を覚らせなければならないのです。

僕は働かずに生活していますが、それはお金を稼ぐために働いていないだけで、人を救う為に勉強し、その果実を人と共有し、また一日中人に奉仕して、人を幸せにしています。そうして多くの人に存在を喜ばれて愛され、助けられてそれを素直に心から感謝することでまた人を幸せにしながら幸せに生きているのです。

本当は僕らはもうほとんど働かなくても生きていける時代に生きています。それなのにエゴで争い合い奪い合ってばかりいるからいくらあっても足りないようになっているのです。AIが進化によって本来僕らはどんどん働かなくてよくなっているはずなのに、仕事能力と稼いだ金を価値とする価値観のせいで、AIに仕事を奪われ存在価値まで奪われることに戦々恐々としています。それは本当にバカげた話です。

本当に愛があればみんなが無償で助け合いますからお金を稼ぐ必要などないのです。結局多くの人は愛される自信がないから嫌な事をしてでもお金を稼いで自立を目指し、エゴ(我欲・保身・虚栄)まみれになって益々愛されない人間になってしまっているのでしょう。

特に女性がそうして自立を目指して人に愛されず婚期を逃してどんどん意地悪な人間になっていくのを見るのは辛いです。

だいたい仕事をするのにも人を頼れなければ大きな仕事はできませんし、他人でもできるようなつまらない仕事を嫌々奴隷のようにしなければならなくなります。嫌々仕事をしていて人から愛される人間・社会的に成功する人間などいません。

愛の存在要件は「他者の必要性」です。創造主は存在の全てであり、完璧な存在であるがゆえに他者が存在せず、必要ともしないために、存在意義がなく、愛を経験できないのです。だから創造主は愛を経験するために人間とこの世界を創り出したのです。

誰かの助けを必要とする人がいるから、それを満たしてあげることで愛は生まれ、自分にも相手にも存在意義が生じるのですから、人に頼られる(必要とされる)のは光栄なことであり、それを迷惑だなどと思って見下すから、自分が人に迷惑をかけて見下されることを恐れて人を頼れないのです。そうやって人を見下しているために、人に見下されることを恐れて嫌な仕事にもしがみつかなければならなくなっているのでしょう。

欲は悪いものですか?に書いた通り、エゴをなくせば良いというわけではありません。愛とエゴは磁石の両極のようなもので、片側だけでは存在し得ないのです。何かを欲してくれる存在がいるから、それを満たすことで愛は生まれるのであり、みんなが出会った人のエゴを自分のエゴよりほんの少し優先して満たすようになれば、現代社会のようにエゴは肥大化せず愛に満ちた社会になるのです。自分が主人公(勇者・メシア・菩薩)としてその連鎖反応の起点とならなければなりません。

どうかお金など無視して、無償で見返りを求めずに、あなたの大好きで得意なことで人を喜ばせてみて下さい。例え最初はお金を稼げず生活が不安定になり、例え国や誰かに養われることになってでも、長期的にはきっと人生が好転するでしょう。どっちみち人が嫌がる仕事は遠からずAIにとって代わられます。

みんな貧困を恐れますが、貧乏なんてゲームだと思えば楽しいものですよ。素直に人を頼り、無償で人に奉仕し、清潔を心がけ、本当に愛と感謝に生きている人は飢え死になんてしません。必ず幸せになります。僕は経験上それを確信しています。

季節が原因の希死念慮

【質問】年齢不詳・女性
私は気候と季節でメンタル左右されてしまいます。先週まで日本も物凄い暑さで終わらない日差しと湿度に絶望してたら今週に入ったら朝晩は寒いくらいです。直ぐに極寒の冬がくると思うと体がシンドくて生きてるのが辛いと感じてますが、希死念慮の対象が自然現象の場合はどうしたら良いでしょう?

【回答】
ご質問ありがとうございます。

僕も暑さ寒さは苦手ですし(それもサンパウロにいる理由の一つです)、暑さ寒さが大好きだという人はあまりいないと思います。ただ大抵の人は暑さ寒さを「しんどい」とは思うでしょうけど「死にたい」とまでは思わないでしょう。

季節の変わり目などに郷愁を感じるのはごく普通のことですが、それも鬱状態の人からすれば死にたいぐらいの気持ちになってしまうのでしょうね。「季節性鬱病」なんてものもあったりするぐらいですからね。あなたの年齢は存じ上げませんが、更年期障害が起きるような年代の方であれば猶更そのようになりやすいと思います。

気候は同じ地域に住む人に平等に与えられるものであり、もしそれが希死念慮の原因なのなら、同じ地域に住む人全員が死にたくなっていることでしょう。そしてあなたはもし年中快適な気候の土地で生活していたら心底幸せで死にたくなってはいないのでしょうか?

結局、季節変動はトリガーであってあなたの希死念慮の原因そのものではないのでしょう。暑さ寒さによって希死念慮まで行きついてしまうあなたは、少なくとも広義では完全に鬱状態にあるのだと思います。問題(課題)は決して暑さ寒さなどの自然現象側にあるのではなく、あなた側の鬱にあるのです。そしてそれはあなたが諦めたいだけで解決可能なものです。

鬱というのはそれぞれの形でそれぞれに与えられる、覚り(幸せ)に必要な過程(課題)なんですね。だからどうか鬱状態に陥っている自分を責めないで下さい。ただ乗り越えていけば良いだけなのです。不幸を経験せずに幸せは経験できません。幸せになるためには、まず現時点において不幸なら不幸であると認め、幸不幸は自分次第なのだと認めるところからです。

あなたのことはよく知らないので違っていたら大変失礼なのですが、あなたはきっと解決可能である自分の様々な問題(課題)に対し「自分には無理」と立ち向かわず逃げ続けているために、カルマ(課題)を解消できずに積み重ね、成長とは逆のベクトルに進んでいるために、死にたくなるぐらいの鬱(不幸)に導かれているのでしょう。そしてそんな自分からも目を逸らし責任回避したいために、鬱の原因を自分ではどうしようもない自然現象と生まれ持った生理・気質に転嫁しているのではないかと思います。

もちろんそれも含めてあなたにとって必要な経験・乗り越えるべき課題だから与えられているのであり、それは多くの人が同じですから、落ち込む必要はありません。ただより良い現在・未来を選択すれば良いだけです。

我々が出会うすべての問題(課題)は何か大切なことに気づかせるため・成長させるために創造主から愛によって与えられているものです。そして苦しみというのは、間違った方向に進んでいることに自ら気づかせるために与えられているものなのです。(直接教えてしまっては魂が成長しません)

人間の体というのは感情の楽器であり、どんな出来事(暑さ寒さ・悲しみや苦しみ)が生じてもそれぞれに美しい音色(感情)を奏でる人もいれば、死にたくなるような不協和音を生じてしまう人もいるのですね。

楽器で音色(感情)が出てしまった後からその音色(感情)を無理やり抑え込んでも自分も周囲も苦しくなるだけで、調律の乱れは整いません。また何かが起きる度にまた不協和音を出して自分も周囲も苦しめるだけです。

心の楽器の調律を整えるには、①体という楽器を整えること(健康に気を付け・体調を整えること)と、②考え方(思考・解釈の仕方)を整えることです。

どんな出来事に出会っても素敵な音色(感情)を発することができるように調律を整え、喜びも悲しみも全部含めて人生をオーケストラのように楽しめるようになることこそが魂の成長なのです。

あなたは年齢なりに体をきちんとケアされていますか?食事(特に食事量と精製糖や塩分や肉の取り過ぎ)に気を付け、毎日適度に運動することを楽しまれていますか?人それぞれ個性がありますし、肉体的なケアについてここで細かいことまでは書きませんが、特にあなたがそれなりの年齢になっているのであれば、十分ご自愛なさって下さい。体調が悪い時にポジティブに考えたり他人を思いやったりというのは困難ですから。

そして考え方(心)のケアはされていますか?究極の真理というのは愛でありワンネスです。魂成長のためのプログラムであるこの仮想現実世界は、真理(愛)に近づくほど幸せになるようにプログラムされています。暑さ寒さ程度のことで死にたくなるほど幸不幸が左右されてしまうあなたの考え方はどこかがズレているのでしょう。自分もみんなも幸せになるような考え方こそが真理であり、そのような考え方に向かって成長していたら、暑さ寒さ程度で死にたくなるところまでは行かないはずです。

自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。真に大人になるということは、自分に都合の悪いものも自分の成長のために愛によって与えらえれた課題だと感謝しながら乗り越えて行けるようになることです。与えられたものに感謝できない人に、創造主がより良いものを与えたくなるわけはなく、既に与えらたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのは必然です。

人間には自己防衛本能(エゴ)がありますから、誰でも自分が傷つかないために「自分は正しい」と考えていつでも自己正当化してしまうものです。そう、自己正当化というのはエゴなのです。エゴを乗り越えることが成長であり、エゴに捉われていては成長せず不幸になるのが必然です。

特に自分の能力に自信のない人は、「自分は正しい」ということを自信の根拠とするために(正しさに能力は要らないので)必然的に他人の間違っているポイントを探しては責めて愛さず、周囲からも嫌われて愛されず、不幸(鬱・希死念慮)へと導かれることになってしまいます。

人間が成長するのは、自分が間違っているということに気づけた時であり、それを傷つくことだと考えて喜べずにいつでも「自分は正しい」と意地になって、常に自分が傷つかないこと・プライドを守ることを優先してしまっては、成長するわけがありませんし、愛されるわけもありません。

「愛より優先される正義(正しさ)」こそがこの世の苦しみの元凶なのです。多くの人が、己を守るために正しさを主張して誰かを否定・批判して傷つけ、傷つけ返されて苦しめ合っています。その修羅道から離れるには「何が正しいか思考」を捨てて、愛(思いやり)に生きることです。

多くの人が「自分は正しい=価値がある」と思い込むために、自分自身の考え方の誤りが原因で自分が現在不幸になっていることさえ認められずに、水面下で無自覚に鬱になっているのでしょう。運命への呪いに書いた通り、自己正当化と被害者意識は成長拒否の最たるものです。人生という成長のためのプログラムにおいて、成長に反するベクトルは不幸に導かれるのが必然なのです。

反省してはいけないに書いた通り、決して自分を責めないで下さいね。それはみんなに共通した成長課題であり、覚り(真理)への道なのです。自分も他人も責めることなく許し、何か間違いに気づいたら、スティーブ・ジョブズのようにまるで最初から正解を知っていたかのような顔でただただ今現在正解だと思う方を選択すればいいのです。人生は答え(真理)に価値があるのではなく、そこに至る過程(経験)が答え(真理)を価値ならしめるのです。

人間は成長を楽しむためにわざと愚かに創られているのですから、失敗や過ちを恥ずかしいと思う必要は全くないのです。どんな過ちも、成長した後から見れば「あの時の経験(間違い)があったからこそ、今の自分がいるのだ」と失敗や過ちを犯した自分を愛せるようになります。そして己の過ちを認められた時には、既に成長しているのです。

あなたが具体的にどんなカルマ(課題)から逃避しているかはわかりかねますが、鬱の原因は自分自身と相手に対する愛情不足なのですから、ただ自分も相手も愛してそれを実践すればいいだけなのです。

自尊心を下げることは自分自身への愛に反する思考であり、「どうせ自分なんて・・・」と考えて悪い思考や行動がやめられなくなり不幸に導かれますから、決して自尊心を下げないで下さい。人生の苦しみを知り、他人の苦しみを思いやれるあなたは、愛で世界を救うために生まれた天使なのですから。

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

2023年9月25日月曜日

自己嫌悪・厭世観・希死念慮で辛い

【質問】20代前半・男性
はじめまして。人生相談があるのですが、お願いできますでしょうか。

死にたい気持ちや厭世観、自己嫌悪の気持ちが止まらないのですが、どうしたら器の大きいポジティブな人間になれるでしょうか?

悲しくなったり、それを誤魔化すためにいつもイライラしてしまうのですが、もう最近は自暴自棄を止められずに、誰かと殴り合いでもしてしまいそうな始末です。(本当はとても小心者なのですが、突っ張ることで虚勢を張らないと自分が潰されてしまいそうで、それが今でも続いてしまっています)

誰でも自信満々になれる方法を読んで、試そうと思っても、いざ嫌いな人を前にするとイライラでそれどことではなくて、相手と距離を取って心を閉ざしてしまいます。誰かを傷つけたり、犯罪を犯すくらいなら、もう消えてしまいたいという気持ちが消えません。

【回答】
ご質問ありがとうございます。僕もあなたの歳の頃はまさにそんな感じでしたので、お気持ちはよくわかります。それは狭義の鬱ではなくても広義では完全に鬱状態であり、霊障に犯されている状態なんです。ただそれは成長(覚り)に必要な過程ですから、どうか落ち込まないで下さいね。

まず、自殺・安楽死するとどうなるか?に書いた通り、人の痛みのわかる魂に成長するには死にたくなる経験も必要なのですが、「いざとなれば死ねばいい」と自殺を問題解決の選択肢のようにして考えるのを止めて下さいね。そこに導かれるような悲惨な人生になってしまうので。

誰でも自信満々になれる方法は僕からの究極のアンサー(愛)であり、僕は100mを10秒で走るように言っているわけではなく、覚悟さえあれば誰にでもできることしか書いていないのですが、あなたと同じように「自分には無理です」っていう感想が結構多いんですね。

楽器の演奏と同じで、最初からできないのは当たり前です。そういう自分も愛しながら少しずつ続けて成長していくことを楽しむのが大事なのであって、最初からできないからといって、既にできている人と自分を比べて「自分には無理です」と諦めてしまっては話にならないのです。あなたの質問は僕からすれば、バイオハザードで「私はゾンビが怖いから逃げてしまうのですが、どうやったらクリアできますか?」と聞かれているような感じです。

僕は「絶対に逃げてはいけない」と言ってあなたを追い詰めているのではありません。RPGでも自分が弱っている時やレベルに相応しくない強敵に出会った時は逃げるべきです。でもいつまでも逃げていてはゲームが進まず、永遠にクリアできません。人生というRPGにおいて苦手な相手も、いつかは対峙して乗り越えていかなければならない課題なのだと認識して下さい。

人間関係は完全に鏡であり、あなたの苦手な相手は時間差のある拡大鏡です。宇宙の仕組みに書いた通り、あなたの認識世界のすべてがあなた自身の反映なのです。だから誰かを嫌うほど自分自身が嫌いになるのは当然と言えます。だから愛を無条件化していくことが大事だと常々僕は言っているわけです。

自尊心は幸せの根幹であり、あなたは自分自身を嫌っているから他人も嫌いになるのであり、あなたは相手が嫌な対応をしたくなるような態度を無自覚にしているのでしょう。そういう相手を嫌っていたら自分自身も嫌いになる無限ループに陥るのは当然です。すべての存在・事象は創造主なのですから、自分も他人も嫌いではすべての存在・事象があなたの敵になってしまいます。

人は「風の谷のナウシカ」の腐海の植物のように、己の心の水がエゴの毒で汚れているから、己の心の住民である相手は毒を生じるのであり、己の心を愛で満たして綺麗にしたなら、相手も毒を出さなくなっていくのです。

だからまずは自分も他人も責めず許すことです。あなたが嫌な人は嫌な人になるだけの心の傷を抱えているのです。あなた自身と同じように。本当は愛されたいのに止むに止まれず嫌な人になってしまっているのですから、その原因となっている心の傷にまず同情して思いやって下さい。

ただ確かに誰でも自信満々になれる方法」「宇宙の仕組みはこれからピアノを始めようとしている人に対してショパンの弾き方を解説しているような厳しさもあるので、まだ主人公としての目覚めが遠いNPC状態にいる魂の同志達に対しては、もっと容易で実践的な上達方法を伝えなければならないとは常々感じておりました。ので、その「もっと容易で実践的な上達方法」をお伝えしたいと思います。

僕に相談してくれたのですから、まずは僕を信じてただ実行してみて下さい。大事なことは、結果(見返り)を求めずにただ実行するということです。

1.お年寄りにインタビューする
2.自分大好きエピソードを重ねる
3.浄霊し、カルマを軽くし、己の信心
(感謝の心)を育てる

それぞれ解説していきますね。

1.お年寄りにインタビューする

ノートとペンを手に、ぜひお年寄りにインタビューしてみて下さい。(失礼ながら)できるだけ余命が少なそうな人が良いです。身近にいなければ公園や神社仏閣や老人ホームなどお年寄りがいそうなところに行ってみて下さい。何かの成功体験を聞かせてもらうためではないので、本当にどこにでもいそうな人で構いません。どっちみち今あなたに一番必要な人と出会いますから。

いきなりノートを取ろうとすると怪しまれるので、話しかけてある程度慣れてから「自分の人生勉強用に、何でもいいのでお話を聞かせて下さい。どこかに載せる訳ではありません」という感じでインタビューをお願いしてみて下さい。

まだ若く、しかも鬱で孤独に陥っている状態にあるあなたの人間関係はきっと狭く、付き合いがあるのは同年代の若い人が割合としては圧倒的に多いことでしょう。しかし若い時というのはどうしてもエゴが強く、それは反発しあうのが必然なんですね。それでお互いに責め合い、争い合い、奪い合い、マウントを取り合ったり意地を張り合ったりしてしまうものなのです。

もちろん歳をとってもそのまんまっていう魂のレベルの低い人も多いんですけど、全般的に見ればお年寄りというのは欲が下がって角が丸くなり寛容で優しくなっているものなので、あなたが好き嫌いなどのエゴを前面に出さなければぶつかる事は少ないでしょう。

お年寄りというのは往々にして周囲に話を聞いて貰えないことに不満を抱いているもので、もう死期が近づいているのにせっかくの自分の人生経験を若い人達に伝えられず、自分の存在意義に苦しみがちなのです。だからこそ、お年寄りというのはただ話を聞くだけでこちらを好きになってくれて、自分の経験を生かして貰いたいために話を聞いてくれた人を応援してくれるものなのです。

あなたには人を愛し愛されるという経験が圧倒的に不足しているために今の状況に陥っているのでしょうから、まずはあなたの心(仏国土)に、あなたを愛してくれる住民を増やすことが大事です。きっと彼らがあなたの大応援団になってくれることでしょう。

インタビューさせてもらう際に留意すべきことは、『感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に接すること(決して見下したり憐れんだりしないこと)』と、『聞きに徹して(相手と違う自分の意見は言わない)相手の話を一切否定せず、肯定的・共感的に話を聞くこと(好き嫌い・良し悪し・正しい間違ってる・面白い面白くないなどを判断しないこと)』です。話を聞く目的をジャッジしたり改善したりすることから、経験と感情を共有することに置いて下さい。

相手は自分の鏡であり、悪い感情を向ければすべて自分に返ってきますからね。お年寄りを見下せば、自分が歳をとるのが苦しくなるだけです。必ず感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に接して下さい。

そして自分の話は極力しない方が良いです。特に相手が鬱っぽい人の場合、自分と意見が違うというだけで、自分の意見が否定された=自分の存在が否定されたと感じてしまうものなので。あくまでもインタビューの主役は相手であり、相手と共感し肯定する時にだけ最小限自分のエピソードを話せば良いのです。

相手はあなたに替わってあなたにはできない貴重な経験をして、それを無料で共有してくれて気づき・学びを与えてくれているのですから、無条件で尊敬・感謝すべきなのは当然です。決して否定したり自分の意見で相手の話の腰を折ってはいけません。

そうして感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に話を聞かせて貰えば、きっと素晴らしい気づき・学びが得られるだけでなく、人を許し愛することを覚えて、愛されて自尊心が高まることでしょう。

鬱で自己嫌悪と厭世観に満ち、希死念慮に陥っている人がモテるわけがありませんが、あなたがおばあちゃんたちの話を聞いてモテモテになれば、きっと若い女性からもモテモテになるに違いありません。人を愛し愛される経験を積めば、自己嫌悪・厭世観・希死念慮など霧散してしまうことでしょう。

そしてこの「人との接し方」はお年寄りだけではなく、あらゆる年代の人に対してもこうあるべき「人間関係の基本」であるということにきっと気づかされることでしょう。


2.自分大好きエピソードを重ねる

あなたはきっと他の大多数の人と同じように、他者評価に捉われていることでしょう。特に日本人は基本的にそのように育てられるのですから仕方のないことです。それは初期設定の課題であり、乗り越えなければ魂の成長はないのです。

他人の評価は一切関係なく、誰が見ていなくても、自分で「この人好きだなぁ」と自分を好きになれるようなエピソードを重ねていって下さい。

今のあなたに言っても通じるとは思えませんが、すべての存在はひとつ(ワンネス)なのです。エゴを動機に行動すると、マグマのように深い部分に自己嫌悪が溜まってどんどん自分を嫌いになってしまうのです。

欲は悪いものですか?に書いた通り、エゴをなくせば良いという話ではないのです。愛とエゴは磁石の両極のようなものであり、片側だけでは存在し得ないのです。何かを求める(他者の必要性がある)からこそ、それを満たすことで愛は生まれるものなのですから。

エゴで反発し合って嫌な人を排除しようとしても、それは磁石を削り落すのと同じでどんどん己を小さく孤独にしていくだけです。

人と人がぶつかり合うのは、必ず磁石の同極同士のようにエゴがぶつかり合うからなのです。

だから自分を好きになるには、相手のエゴという極に対し愛という極を向けることです。一切結果(見返り)を求めず完全に無償で自分のエゴより少しだけ相手のエゴを優先して満たしてあげるというエピソードを重ねることです。それが愛ですからね。

具体例として僕のエピソードを話しますね。

全財産を放棄してホームレス乞食を始めた頃、乞食の調子が良くなくて、晩御飯代を稼ぐのに3時間ほどかかったことがありました。ようやく手にした数百円分のレアルを手にして晩御飯を食べに行こうとしたところ、創造主の声を聞きました。「それを全部乞食にあげてごらん。きっと素敵なものが手に入るよ」と。

僕は「えーっ」と思いましたが、ご飯屋さんへの道の途中で僕と同じ歳の日系ブラジル人の乞食友達に会い、まだ晩御飯を食べれてないというので、創造主に言われるがままに持ち金を全部彼に渡してしまいました。彼は驚き「え?真也さんのご飯はどうするんですか?」と聞いてきたので、笑いながら「あ、僕は一か月とか断食したことあるし、一食抜くぐらい全然余裕だから」と答えました。

すると彼は泣きながら土下座して「ありがとうございます!このお金はいつか絶対返します!」と言いました。しかしアル中の彼は結局そのお金で酒を買い、翌日会ったらまた土下座して謝ってきたのでまた笑いました(笑)

まぁでもそんなことは僕には関係ないのです。僕は彼から感謝してもら貰おうとか、お金を返して貰おうとか、何か見返りを求めてしたわけではありませんからね。

またあなたや読者さんからの他者評価が欲しいために良い人アピールがしたくてこのエピソードを書いたわけでもありません。だからあなたや読者さんがこの話を信じず評価しなくても僕にとってはどうでも良いのです。

この話の大事なところは、僕自身が「なんてヤツだ。彼にどんな欠点があって過去にどんなに罪や恥を重ねていようとも、こんなことができる彼が悪い人間のわけがない。僕は彼が大好きだ。彼はきっと多くの人を幸せにする人間に違いない。絶対に生き延びるべきだ」と、自分自身を大好きになれたことなんですね。創造主の言っていた「素敵なもの」というのが「自分のことが大好きである」という「揺るぎない自尊心・自己肯定感」だったのです。誰からも評価されず誰に否定されようと、僕は僕自身を好きでその価値を知っているから関係ないのです。

もちろんその時はただ創造主に言われたからやったことなのですが、人のために何かをすると、それを例え相手にも誰にも評価されず何の見返りがなくても、自分で自分を好きになれる「自尊心」という最大の見返りが即得られるということが実感を持ってわかったので、今ではそういう一切結果(見返り)を求めず人に奉仕する(エゴを乗り越えて愛を発揮する)「自分大好きエピソード」を日々自発的に重ねているのです。

鬱というのは自尊心の病であり、人は鬱状態に陥ると、反芻思考で何度も嫌なエピソードだけを選択的に繰り返し思い出して自分も他人も世の中も全部嫌いになる高速回路みたいなものができあがってしまいます。その高速回路を断ち切って自分を救い出してくれるもの、それがこの「自分大好きエピソード」なのです。あなたの過去にそういうエピソードが一つもなくても、これから一つ一つ積み上げていけば良いのです。どんどん目の前の人に無償で親切にして、困っている人がいたら助けてあげて下さい。

誰でも自信満々になれる方法にも書いてますが、能力とその他者評価を高めることで自信を持とうとしても無理なのです。器の大きいポジティブな人間になりたいのなら、もっと人を無条件で愛することです。出会った人に対して例外なく慈愛・思いやりの心を持つことです。

コミュ障の人と接して感じる事は、コミュニケーション能力以前に愛(思いやり)に欠けていて、自分の都合ばっかり考えてエゴに埋没しているということです。そしてまたそれを当たり前だと思っているのか、自分には愛(思いやり)が欠けているという自覚もなく、相手の気持ちを考えずに相手が嫌がることをして嫌われるんですね。そして他者評価に依存しているがゆえに嫌われる度に逐一深く傷ついて自尊心を持てず精神的に引きこもっているのです。

コミュニケーション能力なんかより愛(思いやり)を育てることの方が大事です。心に愛(思いやり)がなくコミュニケーション能力ばかり高くても、きっと自己利益の為に相手を利用することしか考えない人間になり、結局は誰からも愛されず不幸になっていくのです。愛(思いやり)の心を育てるということは、エゴ(欲)とは何か?」に書いた通り、エゴを乗り越えて愛を発揮する(自分のエゴより相手のエゴをほんの少しだけ優先して満たしてあげる)経験を積むことなのです。


3.浄霊し、カルマを軽くし、己の信心(感謝の心)を育てる

これについては悪いカルマの解消法に既に書いていることなので割愛します。

あなたはあまりスピリチュアルなものを信じない方なのかも知れませんが、半信半疑でもとりあえず信じてやってみる、という姿勢がなくては、今あなた自身を不幸にしているあなたの常識に捉われたままになり、成長する機会が一切なくなります。

とりあえず信じてやってみて悪い結果になっても、必ず経験は手に入ります。そして経験(それを感じる感情)こそが僕らが生まれてきた意味であり価値なのです。

人間は成長のために敢えてわからないことだらけに創られているのですから、何も信じずに生きるということは不可能です。何も信じていないという人は自分が自分の勝手な常識を信じているだけであることに無自覚なだけです。そしてその常識というのはスピリチュアルを配した唯物主義・資本主義(金拝主義)であり、エゴのために生きるのが当たり前だという考えであり、それは悪魔教を信奉しているに等しいのです。

何でも疑ってかかる懐疑主義によっては決して真理(愛・幸せ)には至らないのです。まずは経験してみて、実感を通して何が真理で何が間違っているのかを知ることに意味があるのです。真理(答え)に意味があるのではなく、それを求める過程(経験)が真理(答え)を価値ならしめるのです。

創造主は信心というものを価値ならしめるために、あえて神を信じるに足りないもののように環境設定しています。その初期設定の常識に負けてはいけません。あらゆる常識は初期設定であり、それは必ず乗り越えるべき課題を含んでいるものなのです。常識が真理ならあなたという主人公の存在意義はありません。

最後に、あなたの歳の頃の僕もまったくNPC思考そのものでしたから、あなたが今のような状況に陥っている苦しみはよくわかります。しかしそれもあなたに必要な経験だから与えられているのです。同じ苦しみを味わっている人たちに心から同情できる人間になり、いつかきっと主人公として目覚め、周囲の人も主人公として目覚めさせられる本物のメシアになって下さいね。

それでは、あなたがあなたの望み通りポジティブで器の大きい人間になって、幸せになることを心から祈っています。

2023年9月13日水曜日

愛の条件を外すには?

【質問】30代・男性
自分を愛するとはどういうことですか?色々調べたのですが腑に落ちません。自分に対しての条件付けをするから、他人に対しても条件付けをしてしまう。自分を愛せないから、他人を愛せない。こういう条件を外せる方法はありますか?

【回答】
ご質問ありがとうございます。僕の悪い癖で、後回しにしている間に回答がとても遅くなって申し訳ありません。

まず多くの人が「愛とは何か」についてぼんやりとしか考えておらず、ほぼ確実に誤解しています(それも初期設定通りで当たり前のことなのですが)。「愛」を「すごく好き」ぐらいの意味に捉えていて、「すごく嫌い」の対義語のように考えているのです。それで愛=性愛・家族愛のようにイメージしてしまっているのですね。

しかしそのような「二元的で条件付きの愛」というのは「エゴ」であり、それを「愛」だと勘違いしてしまっているところが、人間に初期設定された苦悩の元凶であり課題(無明=愚かさ)なのです。エゴというものは満たそうとするほどに肥大し、ますます渇いて永遠に満たされることはなく、とても苦しいものです。

人間は誰しも例外なく幸せになりたいように創られているのに、己のエゴを愛と勘違いし、エゴの充足を求めてばかりで永遠に満たされないという餓鬼道に陥り、魂(心のコンパス)が本当に地獄に向かってしまっているのです。


あなたの認識世界にいるNPCたちは、常識通り周囲の人達と同じようにエゴ(自己保存=我欲と保身)を満たそうとするために生き、死ぬまで決して満たされず、自ら愛より遠ざかり続けてしまっています。そこで主人公(勇者・メシア)たるあなたが本物の愛に目覚め、それを目の前から世界の隅々まで指数関数的に連鎖させてすべての魂を救うところが、人生というRPGのシナリオの骨子なのです。

最初からみんなが愛に満ちていたら物語は生まれず愛に価値は生じないのです。経験というのはすべてが二元的に創られたこの世界の両極を経験して感じることができるものであり、「存在」の意味(意義)・価値が生じるのです。

世界の真の姿は一つ(ワンネス)であり、自分や他人というのは幻の如きもので、本当はその境界線などは存在していないのです。僕らに与えられた自意識・分離意識・自己同一意識と個性が自分と他人とを別な存在だと認識させられているだけです。それがなければ人生という物語は生まれようがないのです。

そしてエゴの歯車の回転(我欲と保身→欲望充足と安心の確保)のために日々好きでもないのにやらねばならないことに追い立てられるようにして生きて人生を空費し、何のために生きているかさえわからなくなり、まるで幸せを諦めたかのような人生を送ってしまうのです。もちろん僕もかつてはそうして鬱になって死ぬことばかり考えていた脇役NPCの一人でした。

僕らは世界を好き嫌いで二分することにより、その主体者としての「自分(自らの存在は他の存在と分かれたものであるという分離意識)」というものを実感しようという、とても強固な本能が与えられています。それがエゴの本質の一つです。

僕はよく「存在」をトランプに例えます。どんなカードも裏返せば同じ柄であるように、すべての存在は個性を与えられているだけで同一なのです。ゲームに必要だからこそそれぞれのカードに個性が与えらえれているのであって、カードに個性がなくすべてがジョーカー(オールマイティーカード)だったらトランプは成立しません。そしてゲームの中でカードの価値の上下や好き嫌いはあっても、存在としての価値は同一(等価)であり、どのカードが一枚なくなってもトランプは成立しません。それは人間やその他の存在であっても同じ事なのです。

トランプを愛するということはその存在全体を愛するということです。そして自分を愛するということは、存在のすべてを愛するということとイコールなのです。

しかし人生というのは成長の物語であり、愚かで無力なところからスタートしなければ成長は経験することができません。それゆえ人間には光(智慧)の如き魂に、無明の闇(愚かさ)が初期設定として与えられているのです。

その初期設定の愚かさゆえに、人間は他人の個性(欠点や過ち)を責めて見下し価値の低い存在だと思うことで、自分はそれよりは価値のある存在であると思い込もうとします。それゆえに人生というゲームの中で価値が高いように見える人たちを羨んで嫉妬し、他人から価値の低い存在であると見下されることに傷つき、劣等感に苦しみ、自分も他人も愛せなくなるのです。このワンネスの世界において自尊心と他尊心(僕の造語であり、そういう言葉はないと思いますが)は連動し、同時にしか上がらないものなのです。

劣等感をバネにして己の能力を伸ばそうとすることも、若い時は大事なことです。しかしその能力を自己利益のためだけに使っても幸せにはなりません。すべての存在は同一なのですから当然です。本当に成長するということは、己の能力を全体利益のために使うことであり、自分も他人も無条件で愛せるようになることなのです。

完全無欠な存在は他の存在を必要としませんから、愛は生まれようがありません。愛というのは、自分や他人という存在に不完全性(欠けたもの)があり、それゆえに他者の必要性が生じ、それを補いあうことで生まれるものです。それは古事記のイザナギ・イザナミの神話にお互いの余った部分と足りない部分をつなぎ合わせて国土を生み出したという記述に象徴されています。

だから人間の不完全性には本来価値があり、人間の価値に上下などないのです。不完全性こそが愛という最も価値あるものを生み出すからです。しかし愛の価値を経験して知るためには、愛とは真逆の経験をする必要があります。それゆえ人間社会は、他人から何かを補ってもらうのにお金がかかり、より能力が高くてより他人の要望を満たせる人間がよりお金を稼ぎ、他人から何かをしてもらう権利(強制力=愛とは真逆のもの)を得ます。能力の低い人はお金を稼げず、エゴ(欲求)を満たして貰えません。そして人間としての価値まで低い存在だとみなされます。だから欠点や過ちがそのまま価値の低さとされ、みんな己の欠点や過ちを隠して他人の欠点や過ちを責め合って見下し合い、自分も他人も愛せなくなっています。また他人の不完全性・劣等感につけこみ、それを満たせるかのように装ってお金を稼ごうとします。

我々の人生というPRGはそのようなディストピアが初期設定なのであり、それは乗り越えるべき課題なのです。最初から愛に満ちた社会では、愛の価値を経験的に実感することはできません。

そのような初期設定の無明(愚かさ・課題)を乗り越えさせるものが、無条件の愛であり、「愛の無条件化」こそが「魂の成長」なのです。ではどうすれば愛を無条件化できるのでしょうか?

愛とは許しです。自分も他人も許せていないのにいきなり愛そうとするから無理が生じるのでしょう。だからまずは許すことです。ただ「許し」は「我慢」することとは違います。我慢というのは文字通り心を我(エゴ)で満々にすることであり、心の奥底で和解が成立していないのです。そして我慢はマグマのように蓄積するものであり、いつか暴発することが自明なのです。

どんな過ちも、その人なりの宿命(カルマ)があって、やむにやまれずやってしまっていることなのであり、本当はすべての魂が同一なのですから、あなたもその相手として生まれていたら絶対に同じ事をしているのです。それに対する許しがなくては、自分も他人も本当の意味で愛することなどできるわけがないのです。

例えばある人が自分の不幸を親のせいだと考えて許さなかったとします。しかしもしその親のせいでその子供が不幸になったのなら、そういう親に育ったのはそのまた親(祖父母)のせいでしょう。そしてその親(祖父母)がそういう風に育ったのは、そのまた親(曾祖父母)のせいでしょう。その原因追及の連鎖は創造主の天地創造・人間創造まで続くのであり、自分の不幸を親のせいにするということは創造主のせいにしているのと同じ事なのです。そしてそれは自分の親だけでなく、すべての不幸に当てはまり、誰を責めても創造主を責めているのと同じなのです。それでは創造主からの愛を受け取れなくて当然です。そして自分の不幸を他人のせいにして責める被害者意識は成長と真逆のベクトルであり、不幸に導かれるのが必然です。

罪と恥の存在意義に書いた通り、罪や恥というのは許し合うことでより深く愛し合えるよう創造主から愛によって人間にだけ与えられた課題であり、罪や恥・欠点や過ちを理由に人を許さず嫌うのなら、自分のことも他人のことも愛せなくなるのは当然でしょう。

簡単に許せる人を許し、簡単に愛せる人を愛しても成長などありません。許し難きを許し、愛し難きを愛するところに魂の成長があるのです。

会ったこともない他人の悪事をあげつらって人を許さない自分を正当化する人が多いですが、会ったこともない人は完全なNPCであり舞台設定の一部のようなものです。あくまでも実際に会った人を一人ひとり許し愛することです。出会う人はみんな自分の反映なのですから、それを許し愛することで自分を許し愛せるようになるのです。

宇宙の仕組みに書いた通り、あなたはあなたを主人公とする物語の世界の中を生きているのであり、客観的世界は存在しません。偶然は存在せず、あなたが出会うすべての人・出来事は創造主が何か大切なことに気づかせるために送られた愛のメッセージなのです。

どんなに嫌な人・嫌な出来事との出会いもネガティブに解釈せず、「もしこれが創造主からの愛によって送られたメッセージなのだとしたら、どういう意味があるのだろう?」と考えてみて下さい。

誰でも自信満々になれる方法は必ず何度も読み返してみて下さい。「どうすれば愛情を無条件化できるか?」僕の答えはほとんどここに書かれています。

人生は自分を主人公とする映画であり、出会う人はみんな監督たる創造主から派遣された共演者です。その物語に悪役はいても悪人はいないのです。あなたが嫌いな人も、人から愛されたいに違いないのに、あなたに何か大切な事を気づかせるために、敢えて悪役を無自覚に演じさせられているのです。映画には悪役も絶対必要なのです。それを嫌ったり避けたりしていては良い物語になるわけがありません。嫌な人だと思っていた人も実は良い人(仏)でした、というシナリオを成就させて下さい。今まで「嫌い」だった人も「苦手」から「攻略難易度の高い悪役」「レベルの高い悪役」のように言葉を心の中で置き換えてみて下さい。

相手を嫌っていれば、必ず態度に出て相手を疑心暗鬼に陥れ、確実に敵に回し、それは自分に返ってきます。自分自身が鏡のように相手を敵にしているのです。ですから最初はぎこちなくても、あなたが主役の物語に共演してくれている共演者の「存在」そのものに尊敬と感謝の気持ちを持って下さい。本気でそういう気持ちを持つことができるようになってくれば、ぎこちない笑顔も本物の笑顔になっていきます。

例え口論になっても、それはストーリー上(役柄上)のことであり、次に会った時は舞台の楽屋で共演者に会った感じで笑顔で挨拶して下さい。相手は最初面食らうかも知れませんが、気まずい思いをしなくて良くなって内心ホッとするはずです。愛の大切さに比べれば「どちらが正しいか」なんて議論は巨人阪神戦の結果ぐらいどうでも良い事です。酒の肴にはしても、それによって関係性を壊すなんてことはバカバカしいことです。

そして「六波羅蜜」を調べて行じてみて下さい。これはエゴを乗り越える上で大事な人生の修行法です。欲は悪いものですか?に書いた通り、欲(エゴ)は愛のマテリアルですから、自分のエゴより相手のエゴを少しだけ優先できる人間になって下さい。そうすればすべてがうまく行くようになりますから。

楽器の演奏と同じで、最初からうまくはいきませんが、「自分には無理だ」とベクトルを諦める方に向けないで下さいね。反省してはいけないに書いた通り、自分も相手も責めず、最初から完璧にはできない自分も愛しながら、毎日ほんの少しずつでも良いので続けて、日々成長を楽しんで下さい。

出会う人はみんな時間差のある拡大鏡です。あなたが心を開けば世界があなたに開かれます。無条件で出会った人を次々に尊敬し感謝し許し愛せるようになれば、「自分大好き」というパズルがどんどん完成されていきます。どうかあなたも「嫌いな人ゼロ作戦」を決行して、きっと幸せになって下さい。

2023年8月30日水曜日

友人の生き霊

 【質問】20歳・女性
はじめまして。突然のメール失礼致します。個人的な相談で申し訳ないのですが、アドバイスをいただけると嬉しいです。

とある友人に最近すごく好かれていて困っています。その友人はニートでポンコツといわれるようなタイプで、私以外に友達がいないようです。あまり意志みたいなのがなく、全てのことに口だけで同調してくることに強い違和感を感じ、ひょっとしたら魂がないのでは?という感覚があります。ちょうど真也さんのnoteで人間は幽霊の集合体だという話を読んだ後だったので、その子自体が幽霊みたいに思えてきて怖くなりました。

友人は人格的に少し気になる部分があってもともと私が好きなタイプの人ではありませんでしたが、音楽の趣味なども合って楽しかったですし、私しか友達がいないと言うので私も仲良くしてあげたいと思っていましたし、悪い部分は指摘して直してあげようみたいな気持ちでいて、何度か一緒に遊びました。

しかしそれから私自身最近不安定な気持ちになることが多い気がして、もしかしたら友人の生き霊が取り憑いたりしてる(または今後取り憑かれたりする)のではないかと不安になっています。その友人と会うようになった期間で、私の付き合う直前だった恋愛が突然終わってしまったり、気分の波があり鬱っぽい状態になったり、大事なことに気をかけれなくなったりしました。

その友人は以前にも精神を病んで除霊を受けたことなどもあるそうで、それも気になります。私の元彼がすごくスピリチュアルに生きてるタイプの人でエネルギーなどに敏感なのですが、彼も最初からその子に違和感を感じていて触れたくもないと感じていたそうです。またその友人の元彼も付き合っていた期間は怒りのエネルギーが強くあって、おかしくなっていたそうです。

私は信心などはありません。

とりあえずその子とは会わないと決めたのですが、どうにかしてあげないといけないのかもという気持ちも少しあります。こういう場合はどうしたら良いでしょうか?ご教示いただけると嬉しいです。よろしくお願い致します。

※個人が特定されるような情報は真也側で省いて要約してあります。

【回答】
ご質問ありがとうございます。そもそもここは個人的な相談を受け付けるための場ですので、大歓迎です。

「困った人に依存され大変な思いをする」という経験は多くの人に共通してあると思います。もちろん僕もあります。ので、お気持ちはよくわかります。

あなたは誰も友達がいないような人から頼りにされ、たくさん嫌な思いをさせられてもう会わないことを決めてさえも、その友人のことを心配し、それで思い悩んでご相談までなさっているわけですから、きっととても心根の優しい天使なのだと思います。

かつての僕もその友人のような人たちに対して逃げ腰だったのですが、今の僕はそういう人たちこそ救いが必要だと考えていますし、覚悟を決めていて絶対に引きずられない自信もあるので、逃げることはありません。基本的に「去る者は追わず、来る者は拒まず」です。それはこの世界の本質(仕組み)を知れば、当然の帰結です。偶然は存在せず、全ての出会い・出来事には意味があって創造主より与えられているのですから。

まだ信心のないあなたに僕が信心を根拠にしてこの世界の仕組み(本質)について話すのはとても難しいのですが(そもそもあなたが神の存在は信じていないのに悪霊の存在は信じて恐れているというのは本来おかしな話なのですが)あなたは基本的には僕を信じて下さっているからこそ僕に相談して下さっているのだと思いますので、あなたの中に眠る信心の種を信じてお話しさせていただきます。今のあなたにはとても信じられない・受け入れがたい話ばかりになるかも知れませんが、どうか最後までついてきて下さいね。

あなたにはまず憑依体質の存在意義を読んでいただきたいです。そして宇宙の仕組みにも書いた通り、この世のすべては素粒子=波動=霊的思念=創造主の思念でできているのです。それはトランプを裏返せばみんな同じ柄であるようなものです。

すべての存在が霊(霊的意思)でできているのですから、あなたが霊を怖がるのは、霊が霊を怖がるようなもので、それも本来的に言えばおかしな話なのです。

人間の体は霊の容器でありクッキーの型の如きものなのです。そして霊障とはネガティブな霊(霊的穢れ)の現れなのです。それは霊というものの現れ方のごく一部であり、霊自体を単純に何か恐ろしい幽霊・怨霊のようにイメージして怖がらないで下さいね。

あなたもその友人も重いカルマを背負っているようです。ただカルマというのは前世の罰のようなものではなく、創造主の愛によって与えられている魂成長のための課題であり、誰でも例外なく背負っているものです。そしてそれが人生というシナリオの伏線を成しているのであり、僕らは成長・愛の物語を紡ぐために、カルマを乗り越え続けなければならないのです。

「なんでそんなことをしなくちゃならないの?」と思われるかも知れませんが、成長も愛も何も経験できずに存在だけが永遠に続くなどということがあなたに耐えられるでしょうか?あなたは間違いなく望んでこの世界を創り、すべてを忘れた上でこの世界に生まれてきたのです。

そのカルマを形成しているのが霊障(霊的穢れ)です。そして日々霊的な穢れを祓っていくことが魂の成長につながり、より良いシナリオを選択することにもなるのです。それは悪いカルマの解消法に書いた通りです。

バイオハザードでゾンビが出て来なくなったらゲームになりません。そして主人公がゾンビを恐れ、世の中と自分の境遇を嘆き、ゾンビウイルスを作ったアンブレラ社やゲームを作ったカプコンを責めてもゲームは進みません。人生というゲームも主人公である自分が霊障・生き霊などを恐れて逃げ回っていては進まない(魂が成長しない)のです。

人生は魂成長のためのプログラムですから、成長するほど人は幸せになり、成長と逆方向に進めば(与えられた課題から逃げ続ければ)不幸になるようにこの世は創られています。それは創造主の意地悪ではなく、自分で気づいて自発的に努力しなければ魂の成長はないからです。

人生は主人公である本人の解釈次第に創られていますから、与えられた苦難(カルマ・課題)を罰や意地悪のように解釈すれば、本当に罰ゲームのような人生になってしまいます。だからどうか恨まないで下さいね。そして創造主がいったいあなたに何を気づかせ(覚らせ)どのように成長して欲しいのか、出来事や出会いを通じて与えられる愛のメッセージに気づいて下さい。

「運命への呪い」に書いた通り、被害者意識というのは成長を阻害する最たるものであり、あなたが自分の不幸を「友人の生き霊のせいだ」と考えてその友人を避けるというのは得策ではありません。それは成長とは真逆のベクトルなので、不幸に導かれるのが必然です。因果というのは時空を超えて循環するものであり、その友人の生き霊のせいにするあなたの被害者意識が生き霊を本当に実体化させ、あなた自身を苦しめているのです。

人生という学校において、創造主は我々にそれぞれのレベルにあった課題を与えているのであり、その人に絶対に乗り越えられない課題というのは与えられないのです。そして課題を与えている側の創造主が答えを教えたり、課題を解決してしまっては意味がありません。あくまで我々が自発的に課題に気づいて、自発的に成長し、人生という自分だけの物語を作り上げていかなければ意味がないのです。

あなたに今言っても通じないと思いますが、すべての存在は一つ(ワンネス)であり、それゆえに人間関係というのは完全な鏡なのです。そして人生における課題というのはRPGと同じように常に人や出来事との出会いを通じて与えられるものであり、「自分に与えられている課題は何か?」というのを、自分に似た人と出会わされることでその人を鏡として気づかされるようになっているのです。

我々が最初からワンネス(相手も自分自身である)を完全に意識できてしまっては物語は生まれようがないので、我々には分離意識(自分と他の存在は別のものである)と個性(欠点や過ちを含む)が与えられているのです。

そして我々はお互いに欠けたものがあるからこそ、お互いの存在を必要とし、満たし合うことで愛は生まれるのです。欠点や過ちを許し、補い合うことが魂の成長であり、欠点や過ちを責めてそれを理由に人を嫌ったり避けたりするのは、成長とは逆のベクトルであり、不幸に導かれるのが必然なのです。

簡単に許せる人を許し、愛せる人を愛しても成長はありません。許し難きを許し、愛し難きを愛するところに成長があるのです。そうすることで自分を許し愛せるようになって幸せに導かれるように世界は創られているのです。

我々が嫌だとか許せないとか思う人は、必ず自分自身の嫌で許せない部分を投影した存在です。人間関係は完全な鏡なのは前述の通りですが、それは時間差のある拡大鏡であり、我々の本能(分離意識)は、相手が自分自身であるわけがないという証拠(違っている部分)を集め、そこを嫌って責めるように創られています。

しかし創造主はあなたにその友人との出会いを通じて、あなたの課題(カルマ)に気づかせようとしてくれているのです。その時間差と拡大率の高さゆえにあなたはその友人が自分の鏡だなどとは絶対に思いたくないと思いますが、よくよく考えてみて下さい。

あなた自身もその友人と同じように霊障の影響を受けやすく(精神を病みやすく)、臆病でネガティブな思い込みが強く、若干ポンコツ気味(ADHD的)で意思が弱く、人に心を開けず、依存体質で被害者意識が強く、仕事や友人関係や家族関係や恋愛もうまくいっておらず、自己嫌悪感や厭世観が強いのかも知れません。

それはあなたの元々の性格の問題ではなく、霊障に犯されると人はみんなそのようになりますし、それは多くの人に共通した課題ですから、もしそうでも(そうでなくても)落ち込んだり怒ったりしないで下さいね。目覚める前の僕も思いっきりそうでしたし、スターシードはそのような兆候があるのが普通ですから。あなたや誰かが悪いのではなく、自分に与えられた課題だと認識して下さいね。

そして課題(カルマ)というものは、乗り越えるべきものであって、必ずしも解決すべきものではないのです。それは「問題は解決しなくていい」に書いた通りです。問題を許し、愛することができれば、問題は問題にならなくなります。苦手な相手は拡大鏡なんですから、許し愛することができればその倍率で自分自身を許し愛せることになるのです。

出会う人は自分自身の投影なのですから、その一人ひとり許し愛せるようになることで「自分大好き」というパズルが完成していくような感じになります。そのパズルが進むごとにどんどんカルマは解消されて幸せになっていくように人生は創られているのです。

霊障には時空は関係なく、物理的に逃げたからといって、逃れられるものではないことはあなたも実感しておられることでしょう。対抗手段なく放っておけばどんどん増殖しますから、愛と勇気を振り絞って早めに立ち向かった方が良いのです。夏休みの課題と同じで放置して逃げれば逃げるほど苦しくなり楽しいはずの夏休み(人生)が目減りしてしまいますからね。逃げ道があるかも知れないと考えるから怖くなるのであって、立ち向かう以外にないとわかれば腹が据わります。

ただ僕が「絶対に逃げてはいけない」とあなたを追い詰めているように勘違いしないで下さいね。ゲームでも自分が弱っている時に強敵と遭遇したら逃げるのが賢明です。実際そのご友人は今の状態のあなたに手に負えるレベルではない感じがしますしね。でもいつかは立ち向かわなければならないのだということだけ理解し、傷ついた自分をいたわりつつ成長を続けてさえいれば大丈夫なのです。ただ生涯逃げ続ける方向にベクトルを向けないで下さいってことです。それではいつまでたっても成長せずクリアできませんし、不幸に導かれるのが必然なので。

人生は経験を通じて愛とは何かを知るために与えられているものです。愛は経験を伴わなければ概念に過ぎません。いきなり自分を許そう愛そうと思っても許せませんし愛せません。出会った人を一人ひとり許し、愛していくことで、自分自身を許し愛せるようになるのであり、それは「罪と恥の存在意義」に書いた通りです。

あなたが恐れる幽霊というのは、被害者意識から逃れられず、誰かを恨み続け、成長を拒否することで不幸な人生を送り続けた魂のなれの果てであり、それが自分に似た波動を持つ人間に憑りついて、自分と同じように被害者意識に陥し入れて、誰かを恨ませ、自ら地獄に落ちる仲間を増やし、強制的に同情させようとしてくるのです。


主人公であり天使であるあなたはその幽霊(霊障)に負けて自分も幽霊のようになってしまってはいけません。人間関係は鏡ですから、その友人が幽霊のように見えるならあなた自身もそうなりかけているということです。だから霊障に犯された人に心から同情し許し愛することで真の幸せに導き、霊障ごと成仏に導いてあげてください。

日々心身を清めて魂を成長させ、心の波動を常に高く保ってその負の連鎖を断ち切り、ポジティブな(愛の)連鎖を目の前から起こしていかなければならないのです。

そして信心がなくては霊障とは戦えません。自力で霊障を解決などできるわけがないのです。あなたは対抗手段がないから恐ろしくなり、逃げるしかなくなっているのです。「悪いカルマの解消法」をよく読んで、信心を起こして霊障を解決して下さいね。

神々はあなたに信心を起こして頼って欲しいのですが、それは自発的でなければ意味がないので、あなたに霊的な苦難を与えているのです。あなたの周囲はきっと神を信じるなんて馬鹿げているという感じで信心のない人ばかりでそれが当たり前になっているかも知れませんが、そういう状況だからこそ信心には価値があるのです。そしてだからこそあなたはそういう状況にあるのです。その苦難に負けずにどうか信心を起こして下さいね。


>私しか友達がいないと言うので私も仲良くしてあげたいと思っていましたし、悪い部分は指摘して直してあげようみたいな気持ちでいて、何度か一緒に遊びました。

お気持ちはよくよくわかるのですが、相手を変えようと思ってもうまくいかないように人生はプログラムされているのです。常に「変わるなら自分から」であり、自分が変わればすべてが変わるのです。

「反省してはいけない」に書いた通り、悪い思考・行動をやめられない人というのは、それを悪いと知らないからやめられないのではなく、自尊心が下がっているから「どうせ自分なんて」と思ってやめられないのです。逆に自尊心さえ上がれば、思考と行動がポジティブになって自発的にネガティブな思考や行動は控えるようになります。

欠点や過ちを指摘して直させようとすることは相手を傷つけ自尊心を下げて逆効果になるだけです。人は自分なりに失敗もして試行錯誤して納得して前に進みたいようにプログラムされているのであり、尋ねてもいないのに他人から答えを教えられると反発するようにできているのです。答えに価値があるのではなく、答えに至る過程(経験)が答えを価値ならしめるということを覚えておいて下さい。

相手の自尊心を上げるということは、思ってもないお世辞を言ったりすることではありません。あなたが主演の映画に共演者として出演してくれているのですから、ちゃんとリスペクトして存在に感謝し、欠点や過ちを許し、愛することです。そしてそれを態度で表すことです。相手を避けることなく(無理に追いかけず)出会ったら決して嫌な顔をしないで心からの笑顔で挨拶することです。最初はぎこちない作り笑顔になっても、心から笑顔になれるように考え方を調律することが大事なのであり、作り笑顔をすることが本質ではありません。


笑顔というのはみんなが思っているより遥かに大事なものなのです。会った時に笑顔でいるだけで「この人に愛されている」「自分の存在が認められている」「自分はここにいて良いのだ」という愛・存在の承認・肯定が伝わるのです。心からの笑顔ほど、相手の自尊心を上げるものはないのです。

>あまり意志みたいなのがなく、全てのことに口だけで同調してくることに強い違和感を感じ、ひょっとしたら魂がないのでは?という感覚があります。

魂がない人はいません。まだお互いに心を開けていないだけだと思います。だからとにかく相手の話をよく聞いて下さいね。内容が正しいかどうか・重要かどうかではなく、創造主が何に気づかせたくてあなたとその言葉を出会わせたのかを考えて下さい。心が弱っている人というのは自分と違う意見を言われただけで自分を否定されたように感じてしまって傷ついて話を聞けなくなりますから、そういう人には自分の意見を言うことなく、ひたすら聞きに徹して下さい。

徳川家康の言う通り、人はつまらない話も真剣に聞いてくれる人に大事な話をするものであり、こちらがつまらないと感じるような話を相手がしてくれたら、その人と仲良くなるチャンスなのです。

正しいことを言えばいうほど相手は傷ついてこちらを嫌ってくるでしょう。みんな嫌いな人の言うことには逆らいたくなりますから、こちらの言うことが正しければ正しいほど相手をその正しさから遠ざけることになります。だから正論というのは悪なのです。

人というのは愛より正義(何が正しく何が間違っているか)を優先してしまって、それゆえに他者とぶつかるように初期設定されているのです。だから常に正義より愛を優先させて下さい。それが成長のベクトルなのであり、初期設定(常識)のままに思考・行動しては成長はないのです。

例え他人とぶつかっても、それは物語上(役上)のことであり、次に会った時は楽屋で共演者に会ったかのように笑顔で挨拶して下さい。相手は最初面食らうかも知れませんが、気まずい思いをしなくて済むようになって内心ホッとするはずです。どちらが正しいかなんていう議論は「巨人と阪神のどちらが強いか」みたいなもので、酒の肴にはなったとしても、それによって人間関係を壊すようなものにしてはならないのです。

その友人は友達が全然いないということは、自分の存在を肯定できていないということでしょう。あなたが肯定してあげないで、誰が肯定してあげるのでしょうか?天使であるあなたに与えられた偉大なる使命に気づいて下さいね。すべての出来事・出会いには意味があり、他の人がやらないことは、主人公であるあなたがやらなければならないということなのです。そしてあなたを必要としてくれる人が、あなたに存在意義を与えているのです。

それではあなたの幸せを心から祈っています。参照が多くて申し訳ありませんが、「誰でも自信満々になれる方法」は必ず読んで下さい。出会った人を一人ひとり例外なくリスペクトし、存在に感謝し、欠点や過ちを許し、心からの笑顔で承認して愛することで、「自分大好き」というパズルを完成させて幸せになって下さいね。

2023年8月4日金曜日

真也への個人的質問(まとめ)

旧質問箱の僕への私的な質問のまとめ(ショートのみ)です。正直言って「それ聞いてどうするん?」って思うような質問も多く(笑)、恐らく質問箱運営のBOT質問も含まれていると思います。僕は僕個人より覚りの内容に関心を持っていただきたいのですが、質問していただけること自体はありがたく、読者の方にも楽しんでいただけると幸いです。追加があれば随時更新します。どんな質問でも歓迎しています。

NEW
Q:師匠みたいな人はいますか?
A:人はいません。師匠は創造主です。全ての存在は創造主の分身であり、常に出来事から何か大切なことに気づかせようとしてくれています。誰かとてつもなく悟りを開けている人に弟子入りしたい気持ちは正直少しだけあるのですが、それは甘え(NPC思考)であり、僕には許されていないようです。そんな人と出会いそうな気配すらありませんからね。

NEW
Q:アヤワスカで怖くなった時はどうしていますか?
A:もう700回ほどやってますが、一度たりとも怖いと思ったことがありません。一度死んでいると執着がなくなるので怖いものナシになります。アヤワスカでチャレンジャーが怖がってもその気持ちを真に理解できず、「すごい経験をしていてうらやましい」としか思えず心から同情できないのが難点です。

Q:覚りは創造主が直接教えてくれた方が簡単だと思うのですが、なぜ真也さんを通じてみんなを覚らせようとしているのでしょうか?
A:全知全能の創造主が直接やったらお話になりません。課題を与えている側が問題を解決したら課題を与えた意味がありません。あなたも目覚めればきっとみんなを目覚めさせる役割が与えられることでしょう。

Q:何か国語話せますか?
A:日本語の他はポルトガル語と英語を多少話しますが、語学の才能は悲しいほど全くないです。長年ブラジルにいるのですが、僕の発音・イントネーションが絶望的に悪いので、知っている単語を並べても全く通じなかったりします。一応日常生活で必要なことはだいたい伝えられるようにはなっていますが、ネイティブ同士の会話には全くついていけていません。

Q:どんな音楽が好きですか?
A:洋楽・邦楽問わずロック・ポップスが好きです。ここ数年はBABYMETALが多いです。アヤワスカを覚えてからは儀式で使われるマントラの曲・讃美歌などが大好きになっています。日本にも紹介できたら嬉しいです。YouTubeにプレイリストがあるので是非聞いてみて下さいね。

Q:何か楽器はできますか?
A:ほぼ何もできません。音楽の才能についてはカスです(笑)

Q:弟子はとっていますか?
A:とっていません。希望者がいてもお断りしています。今後も取りません。上下関係を作るのが嫌いですし、相互依存になっては修行にならないからです(修行は死ぬまで続きます)。対等な関係でのソウルメイトは常時募集しております。

Q:私もブラジルで一緒に修業できますか?
A:短期なら大歓迎ですが、僕がお世話をさせていただくのは長くても3週間が限度です。ブラジルは物価が高いので生活コストも高いですし、治安も良くなく、日本語も英語もほぼ通じないので言語の壁も高いです。ビザは3カ月以内なら要りませんし、+3カ月で6カ月に延長できますが、それ以上になると結構大変です。ポルトガル語は必須ですし、こちらで働ける予定がまだないのでしたら、ブラジル国籍の人との結婚やブラジルでの出産がないと厳しいと思います。

Q:電話で相談できますか?
A:大歓迎です。時差が12時間あるので、予定を合わせましょう。

Q:どうすれば悟れますか?
A:僕も究極の悟りに至ったわけでは全然ないのですが、ご自身の悟りを進めたいのでしたら悟りとは何か?をご覧下さい。

Q:ブラジルの食事は合いますか?
A:結構おいしいものが多いですよ、ブラジルは。フルーツは安くて種類も豊富で美味しいです。アサイーのアイスは中毒かってほど食べます。ブラジルのお菓子は甘すぎるのが多くて苦手なんですが、誕生日ケーキはいつも日系のお店で買います。料理ではムケッカっていうバイーア地方のデンデ油を使った魚介類の料理が大好きです。ブラジルに来たばかりの頃は、食事にほぼ必ずついてくる豆(フェイジョン)や、ファロッファっていう芋の粉があまり好きじゃなかったんですが、今は大好きです。フェイジョアーダって豆料理は脂っぽくて苦手なんですが、ベジタリアンバージョンのは凄く好きです。でも自宅で食べるのは専ら日本食です。日本の食材が簡単に(高いですけど)手に入るのがサンパウロの良い所かと。

Q:目覚める前はどんな性格でした?
A:うーん。いつも人や世の中を斜めから見てましたね。エゴのために悪いこともしてましたし、目立ちたくないのに悪目立ちして、友達に呆れられるぐらい人間関係でのトラブルが多かったです。根暗でネガティブで、罪と恥も感じやすくて凹みやすく、消極的な性格だったと思います。長い間半ひきこもり状態で寝てるかネットサーフィンするかみたいな生活でした(今もネット好きでオタク気質です。アニメとかアイドルとかゲームにはあまり興味はないですけど)。長年の鬱で欲が下がっていたので、ガツガツはしていませんでしたが、己に埋没しているという意味でエゴが強かったです。元々体育会系(格闘技)で年功序列的な意識も強かったですし、失礼な人がいるとすぐブチキレてました。手を出すまで行くことは殆どありませんでしたが、内心キレやすくてすぐ人を避けていました。ADHD的なところは今も変わりません。あまり時間に追われることがない生活なので目立ちませんが、忘れ物が多いのは今も大変です。ブラジルだとそのまま盗られちゃうことが多いので。

Q:自分の体で好きなところは?
A:覚醒以降の自分の目が好きです。

Q:何がきっかけで覚醒したのですか?
A:きっかけは自殺未遂ですが、自殺すれば覚りが開けるかのように誤解する人がいるのであまり詳細は語りたくないです。因果は超時空的に循環するものであり、創造主は僕が救われたらみんなを救う存在を目指すと知っていたから、救ってくれて覚りを与えて下さったのでしょう。

Q:アヤワスカがなかったら、今の真也さんの性格になっていたと思いますか?
A:はい。なっていると思います。
僕の人格は覚醒時に完全に入れ替わるレベルで変わってしまい、その後は基本的に変わってないです。アヤワスカには覚醒して数ヶ月後に導かれるようにして出会いました。アヤワスカとの出会いには本当に感謝していますし、素晴らしいものだと確信していますが、僕の人格の基礎はアヤワスカによって形成されているわけではありません。アヤワスカに期待過剰になっている人が多い感じがするんですけど、アヤワスカを飲めば覚れるとか、人生の諸々の問題が解決するとか、そういうものではないです。もちろん精神病や依存症が解決したり、性格がエゴから解放されて利他的に変わる人もいますけどね。アヤワスカは苦しみの元になっている自我からの解放を長年の苦行もなく仮経験させてくれて上位次元の世界を垣間見せ、上位次元の存在からの導きを得やすくしてくれるものであり、実際に救われるかどうかは本人の資質とシャーマンの力量次第です。他所ではかえって悪くなる人もいると聞きます。

Q:理由もなくイライラした時はどうしますか?
A:イライラする時は必ず理由があるので、理由もなくイライラすることはありません。
創造主はこちらが何に対して一番腹を立てるか全部知った上でピンポイントに攻めてきますし、修行が進めばその分攻め方もキツくなるので、全くイライラしたり怒ったりしなくなるわけではありません。「愛と勇気」を試すには「怒らせるか不安にさせるか」しかないのです。

Q:今まで一番お金をかけてきた趣味は?
A:一番はカメラですかね。写真は一時期仕事でもありましたが。覚醒後に全部手放しました。今もほんの少し未練があって、Fujifilmの新製品なんか出ると記事を読んじゃったりします。

Q:別れた相手と友達に戻れますか?
A:ケースバイケース。基本的に無理ですが、たまーに連絡を取る仲の人もいるにはいます。

Q:シャーマン歴はどのぐらいですか?
A:心からの信心に生き、それなりの宗教的研鑽を積み、たくさんの人を救いに導いて、人からシャーマンと呼ばれる人がシャーマンなのであって、自称するようなものじゃないと思っています。僕は自分をシャーマンとは思っていませんし、客観的に見ても仲間内のごく少人数の儀式しか主催していないので、シャーマンとは言えないと思います。幻覚剤を調達して偉そうにしながらお金儲けするだけの自称シャーマンにお気をつけ下さい。シャーマンを自称する時点で偽物と断定して差し支えありません。

Q:今年の内にチャレンジしたいことは?
A:宗教・スピ的なこと以外だと語学ですかね。ずっと先延ばしです。苦手です。

Q:真也さんに会うことはできますか?
A:サンパウロに来ていただければ会えます!お会いできるを楽しみにしています。

Q:今まで有名人に会ったことはありますか?
A:長年ブラジルにいるのであんまりないです。「見たことがある」って程度の「会った」ならそれなりにいますが、ちゃんと会話したとかのレベルならほぼ格闘技界に限られます。K-1とかPrideとか好きだった人なら「あー」ってなるような方々。あんまり個人名は出したくないです。そういえば先日Braking Downで人気を博してブラジルに逃亡してきた(という設定の)人が儀式を受けに来てくれました。それ以外だと現役大臣二人に仕事で会ったことがあります。

Q:自分に矛盾を感じることはありますか?
A:覚醒前は矛盾だらけでしたが、今は感じませんね。常に本音で話していますし、僕が覚らされている真理には完璧に一貫性があります。逆に僕のnoteや質問箱やツイッターを見て矛盾を感じるところがあったらご指摘下さいませ。ウザくなるぐらい全力でご説明します(笑)

Q:今一番会いたい人は誰ですか?
A:一番は決められないです。言ってもここの読者は知らない人でしょうし。有名人で会ってみたい人はパッと思い浮かびません。臨死体験者の木内鶴彦さんとか会いたいですが、一番かと言われるとちょっと微妙です。聖者と呼ばれる人たちにはみんな会ってみたいです。

Q:どんな洋服を着ている人にグッときますか?
A:洋服を着てない人。

Q:友達だった人が恋人候補に変わる時はどんな時?
A:元々意識してなかった人を意識するようになった経験はないです。

Q:どこに住んでいるのですか?
A:三年半ホームレスで、友人の家やアヤワスカの家を転々としたり、バスターミナルとか銀行のATMで寝たりしていましたが、2023年は日系の団体の施設に住み込みでバイトしています。金稼ぎの仕事をするつもりはなかったのですが、色々あって成り行きで。今は運命だと受け入れています。

Q:守りたいものは何ですか?
A:みんなの魂。

Q:注目している人はいますか?
A:イーロン・マスクですかね。彼が創造主から与えられている役割が気になります。

Q:キュンとくる異性の匂いは?
A:中学校の頃のプールの後の教室の匂いですね。今思い出してもキュンとしますが、今それを実際に求めたら変態ロリコンになってしまうので来世に期待です(笑)

Q:何でも話せる友人って何人ぐらいいます?
A:覚醒後の僕の話は友人に理解できるものではないので、何でも話せるとしたら創造主のみです。

Q:理想のプロポーズは?
A:考えた事ないです。

Q:いつもだいたい何時間寝ますか?
A:儀式が夜通しなこともあり、睡眠時間は一定じゃないですが、一日平均8~9時間ぐらいは寝てるんじゃないかと。ナルコレプシーなので、ちゃんと寝てないとすぐ寝落ちします。柔術を練習した日の夜は10時間ぐらい寝ます。

Q:最後に泣いたのはいつですか?
A:儀式では不意に涙が出ていることがよくあります。それ以外はあんまりないです。目覚めた時は三日間泣きっぱなしでした。人生であんなに泣いたことはないです。

Q:どんな風に告白されたいですか?
A:考えたことがないですし、考える意味がわからず、今後も考えることはないと思います。

Q:暇な時は何してますか?
A:時間が空いてる時もnoteや質問箱やXで発信したり、本やお経を読んだりして常に何かはしているので、純粋な意味での暇はないのですが、忙しいかというとそういうわけでもないです。自分次第という意味で自由な時間が多いので。基本のんびり屋で、焦るのが嫌いです。質問・電話相談・ZOOMやスペースなどのお誘いお待ちしています。

Q:あなたの人生で最も重要な体験は何ですか?
A:覚醒・メシア使命

Q:関わり合いたくない人はどんな人?
A:全ての出会いは創造主より理由あって与えられていると思っているので、自分から誰かを避けたりすることはないです。嫌な性格になっている人ほど救いが必要だと思っています。

Q:アヤワスカをする目的は何ですか?
A:自らの覚りの加速。他の方々の目覚めのお手伝い。

Q:なんでそんなにアヤワスカを飲むのですか?
A:「そんなに」というのはあなたの基準であり、恐らくあなたはアヤワスカに対して「アマゾンに短期旅行で行って1~2回やれば十分なもの」というイメージを持っていて、毎週のようにアヤワスカをするのは異常なことのように思えるのでしょうが、現地でアヤワスカをしている人たちにとっては日常であり習慣なのです。シャーマンは毎日のように飲みます。健康のためにマイクロドーズで毎日微量のアヤワスカを飲む人たちもたくさんいます。

Q:真也さんぐらいアヤワスカを飲んでも吐きますか?
A:めっちゃ吐きます。たまに吐かないこともありますが、そういう時は腸が浄化を欲しているらしく、下痢します。

Q:スープはコンポタ派ですか?コンソメ派ですか?
A:俄然コンポタ好きです。

Q:普段どんなものを食べてますか?
A:乞食時代は誰かからいただいたものを食べるだけでしたが、今は玄米と納豆・味噌汁・漬物が基本です(ブラジルだと高くつきます)。毎食本当に美味しくいただいています。感謝。

Q:今までで一番おいしかったものは?
A:食にしても何にしても快感っていうのは思い出して快感に浸れるものではないので、純粋な食事の味って意味でおいしかったもののはあまりパッと思い浮かびませんが、蒲田の某中華料理店のマンゴープリンとか、金沢で食べた大トロとか、現地で食べた松坂牛とかですね。食事って「誰と食べるか」とか、純粋な食事の味よりそちらの方が大事かと思います。

Q:お勧めのラーメン屋・温泉を教えて下さい。
A:ずっとブラジルにいるので、そういうことは日本にいる人に聞いて下さい。ブラジルにもラーメン屋は増えてきました。結構高いので(2000円ぐらいで、ドリンクやギョーザなども含めるとその倍ぐらい)、誰かに奢っていただける時以外はほぼ食べません。

Q:結婚願望・子供願望はありますか?
A:ないです。異性愛者なので女性は好きですが、ものすごい飽き性な上に自由を愛しているので結婚はしたくないです。子供も好きですが、自分の遺伝子を残したいとかそういう願望はないです。責任感が強すぎるがゆえに、強制的に責任を負わされるような状況は避けてしまう性格です。当然独身の自由は孤独とのトレードオフですけども、別次元の存在と話せるとあまり孤独は感じないです。

Q:何をしている時が楽しいですか?
A:基本いつでも楽しく幸せですが、やっぱり儀式が楽しいです。大好きな歌手のライブがある儀式だと幸せ過ぎて恍惚としてます。

Q:人生において大切にしている価値観とかありますか?
A:Love is all.

Q:最近どうですか?
A:最高です!ブラジルのComo vai?(最近どう?)に対しても、常にTudo ótimo!(全部最高!)と答えています。

Q:肉は食べますか?
A:数年べジやヴィーガンをしていましたが、乞食修業生活に入ってからはしていません。乞食生活中断中の今も肉は積極的には食べてませんし、特に牛・豚などの四つ足の肉は避けています。ただ人様に出していただいたものは余程苦手なものでない限りは何でもありがたくいただいています。

Q:自慰や性交はしますか?
A:僕は別に禁欲主義者じゃないですよ。禁欲的な修行をすることもありますが。だいたいアヤワスカの儀式では直前の性行為が禁止で、僕は週3ペースで儀式をしているわけで、必然的に禁欲的な生活になります。

Q:毎日一緒にいたい人ってどんな人?
A:正直言うと、どんな人とも毎日はいたくないです。ありがたみがなくなりますしね。色んな人と交流するのが好きです。

Q:目覚める前はどんな仕事をしていましたか?
A:大学卒業後は普通にサラリーマン。ブラジルでは主に日系人や駐在員とそのご家族向けにマッサージ師・パソコン屋・カメラマン・パーソナルトレーナーなどをフリーランスでやってました。何でも屋って感じでした。

Q:今まで異性で好きになった人に共通点はありますか?
A:明るい・優しい・天然・地頭が良い・読書家。外見的な好みも一応ありますが、それに当てはまらない人も好きになったりするので自分でもわかりません。年齢のせいか覚りのせいか、もう恋に「落ちる」とか「ハマる」って感覚はないですし、その必要性も感じません。

Q:最近お金を何に使っていますか?
A:食費以外だと、スピグッズの購入。その他は宗教施設や乞食などへの寄付、お世話になっている人へのお礼。

Q:最近気になったニュースは?
A:ツイッターを見ていただけると幸いです。

Q:アーミッシュみたいな生活に憧れますか?
A:僕が目指しているのはアーミッシュとは真逆です。価値観は他人に押し付けるべきものではなく、真理は実践を通じて相手に覚らせるべきものだと思います。僕は自由を愛し、他人の自由も尊重します。

Q:自由に使える時間とお金があったら何をしますか?
A:自由な時間は既に手に入れているので、お金が好きなだけ使えたらって事ですね?土地を買って国を作ります。無償でみんなが家族みたいに助け合う国です。完全な循環型社会で自然と調和した国にします。

Q:温泉は好きですか?
A:長風呂が苦手ですが、温泉地は好きです。日本にいた頃は水着で入れる大きな温泉施設が好きでした。スパワールドとかスパリゾートハワイアンズとか。サンパウロにはあんまりそういうところが近くにないので、少し恋しいです。

Q:現実世界に呼びたいアニメのキャラは?
A:僕がリアルワンパンマンです(笑)「僕の名はシンヤ。趣味でメシアをしている者だ」

Q:好きな映画は何ですか?
A:いっぱいあるんですが、この世界を知るヒントになっているような作品が特に好きですね。マトリックスとか、トゥルーマンショーとか。フォレスト・ガンプも好きです。宮崎アニメも好きです。

Q:ご自分の過去世はどのぐらい思い出していますか?
A:説明が難しいですが、ワンネスに目覚めて過去世を思い出せるようになってくると、自分の過去世なのか誰の過去世なのかその区別すら曖昧になります。そしてあまり偉大な人について語ると誤解や反発を受けるのが必至なので言いたくないです。

Q:何を目標に頑張っていますか?
A:世界の平和と幸福。全霊魂の救済・成仏。

Q:最近ケンカしました?
A:暴力沙汰はないです。神仏に守られていますし、かなり格闘技をやってるのが雰囲気で察せられるのでケンカを売られるようなこともないです。知らない人からいきなり「格闘技を教えてくれ」と頼まれたりします。覚醒後はずっと怒らない修行中ですが、イラつくことはよくありますし、口論っぽくなることもたまにあります。今は温和そのものですが、思春期は怒りっぽくてケンカっぱやく、よくケンカしていました。

Q:挫折したことはありますか?乗り越え方も教えて下さい。
A:かつては挫折だらけでした。覚醒すれば乗り越えられます。覚醒の仕方は説明しても理解されません。眠っている人に起き方を教えても伝わりません。早く目が覚めるのを祈りながら待つのみです。

Q:好きな言葉は何ですか?
A:愛・尊敬・感謝・許し・信心・覚悟(覚りと悟り=差取り)・忍耐・思いやり。
格言って意味でなら、聖書やお経で好きな言葉があり過ぎて選べません。

Q:今の髪形は気に入っていますか?
A:BOT質問ですかね?髪がないので髪形も何も・・・。坊主頭は気に入ってますが、フサフサの頃が懐かしくもあります。

Q:服装を決める時は何を大切にしていますか?
A:基本、今は選ぶほど持ってないです。清潔さ以外はあまり気にしません。作務衣を着ることが多いですが、寺に通うと「ウチの坊さんだと誤解されるからやめてくれ」って怒られたりしました。最近はなくなりましたが。

Q:恋愛には安心感とドキドキ感、どちらを求めますか?
A:「何だそのファニーな質問は!?」(バイキング小峠風ツッコミ)BOTですかね?

Q:日本にいた時に違法薬物の経験はありますか?
A:日本にいた時は一切ないです。今もブラジルでは合法のアヤワスカだけしています。※後日LSDを経験しました。LSDはブラジルでも一応違法なんですが、実質ほぼ野放し状態です。よくアヤワスカとLSDの違いについて説明を求められますが、全く別物で、共通点を探す方が難しいです。後日記事にしようかと思っています。ちなみにマジックマッシュルームは全然自分に効かなくてダメでした。乾燥したものを15gも食べてようやく少し意識変性する程度でした。DMT結晶も同様で全く効きませんでした。色んな意味でコスパ悪すぎます。

Q:子供時代はどんなことに興味がありましたか?
A:ケンカ、格闘技、科学、野球、釣り、拳銃、アクション映画、音楽、女の子などです。
興味の対象だけ見ると割と典型的な男の子ですよね?(笑)野球と音楽は才能がなくて下手の横好きでしたが、格闘技は才能があったので結構活躍しました。

Q:お酒は飲みますか?
A:今は好きではなくほとんど飲みません。
日本にいた頃はそこそこ飲んでましたし、飲み会では盛り上げるために率先して飲む方でした。

Q:好きな本は?
A:いっぱいありますが、特には法華経と聖書です。
宗教・スピ系や科学の本を好みますが、広いジャンル読んでます。日本の本を読むには専らKINDLEですが、常にアマギフ残高が不足している状態なので、ご喜捨いただけると大変ありがたいです。

Q:なぜ日本ではなくブラジルでホームレスをされているのですか?
A:ホームレスになることは目的ではなく成り行き・過程であり、ホームレスになることを目的にブラジルを選んだのではありません。ブラジルにずっと住んでいて、ホームレスになったのです。働くつもりはまったくなかったのですが、ここ1年半は成り行きで住み込みバイトをやっているのでホームレスはしていません。ブラジルに来た理由は表向きは柔術の修行のためでしたが、実際はとにかく日本が嫌になって飛び出したかったのです。ブラジルなら日本食が食べれて日本語が通じる人も結構いるのでハードルが低かったのです。フレンドリーな国民性も好きでしたしね。

Q:noteや質問箱の内容、素晴らしいです。本にする予定はありますか?
A:ありがとうございます。具体的には決めてないです。本にしたい気持ちはもちろんありますが、天(成り行き)に任せます。業界関係者でご興味を持たれた方がいらっしゃいましたらぜひご連絡お願いします。

Q:イエス・キリストを信じますか?
A:はい。

Q:男だけでディズニー行くのってどう思います?
A:別にどうも思いません。日本人は人目を気にし過ぎだと思います。

Q:彼女はいますか?
A:いません。長らく乞食修業中だったのでそれどころじゃありませんでした。素直に人を頼り頼られる連鎖・世界を救う連鎖を起こすために乞食修業をしているのに、彼女ができたらただのヒモになるのは確実ですしね。今も募集はしていません。独身ゆえに修行に没頭できて幸せに生きてますし、一生独身でも全く構わず、一度捨てた命を救ってくれた天に任せてます。自分の家庭を養う責任ができてしまうと、なかなか「みんなを救うために残りの人生のすべてをかける」ってわけにもいられなくなるでしょうしね。

Q:仲良くしていただけますか?
A:ネット上で素性が全くわからない人からそう言われましても…。僕は天の配材を信じているので、常に「来るもの拒まず・去る者追わず」で、会った人を例外なく全力で愛するがモットーですが、もし仲良くしていただけるならまずあなたがどんな方なのか教えて下さい。

Q:香水は使ってますか?
A:使ってません(無資格でも一応坊主ですよ?)。お香・アルマはよく使います(儀式では必須のものなので)。好きな香りは色々ありますが、ユリや白バラの香りが特に好きです。

Q:人にどんなことをされると嬉しいですか?
A:心から笑顔になってくれること。幸せになってくれること。家族みたいに仲良くなってくれること。主人公(メシア)として目覚め、一緒に覚り(世界救世)を目指してくれること。信じ合い、尊敬し合い、許し合い、補い合い、愛し合えるようになること。

Q:眉毛はどうやって手入れしてますか?
A:基本、気にしてないです。顔剃るついでに少し整えたりする程度です。

Q:どんな子供でしたか?
A:心根は自分でも優しかったと思いますが、ADHDで変わり者だったのでどこに行っても浮いている感じでした。周囲も自分自身もその才能に全く気づかず変人でバカだと思っていました(今は天才だと思っています)。人をよく怒らせ、周囲と(同級生とも先輩後輩とも先生とも家族とも)全くうまくいきませんでした(それは4年前に覚醒するまでずっと同じでした)。いじめられたこともいじめたこともあり、繊細でよく傷ついていて、自分が存在すること自体に違和感と罪悪感を覚え、希死念慮が強く、誰とも共感し合えず孤独でした(それは40代で覚醒するまで同じでした)。そんな感じだったので子供の頃の恋愛の経験は殆どなく、高校は男子校で、初めて交際したのは大学に入ってからですが、僕の精神上の問題が多すぎたのであまり長続きしたことがありません。思春期には既に精神を病み、鬱や睡眠障害に苦しみ、突然変な顔をしたり叫んだりするので周囲からは奇異の目で見られていたと思います(今も睡眠障害はありますし、独り言が多いので驚かれます)。当時は普通の人を演じるのに疲れ果てていた感じです。大学時代から精神科にも長く通いました。子供の頃はケンカっぱやかったですが、3歳上の兄とのほぼ毎日の兄弟喧嘩と格闘技で鍛えられていたので、外で負けたことはないです。格闘技は鬱であまり練習に身が入らない時も多かったですが、その割には子供の頃から結構活躍したと思います。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...