2024年7月16日火曜日

罪悪感との向き合い方(失恋・鬱)

【質問】20代・男性 ペンネーム:ハイロ
人の心を、魂を踏みつけにして見捨てた罪はどう向き合えばいいでしょうか?

私には以前とある縁で出会い、付き合っていた女性がいました。その子は家庭環境が悪く、いわゆる父親が酒乱気味で母親はそんな父に依存して言いなりになり実の子より父の肩を持つというような毒家庭出身で、心に深い傷を抱え愛や承認に飢えていて薄ら希死念慮を感じているようなタイプの女性でした。

そして、周りの友人たちも、そのような境遇を経験してないことからその子の辛さを本当の意味で分かってくれる人がおらず、孤独感を常に感じていたそうです。それゆえに悲観的思考の持ち主で、自他に対して否定的な言動が多く、世間一般の物差しでは決して魅力的とは言えないような女性でした。

ただ、私自身も家庭環境には問題はありませんが、自身の考えや気持ちが他人に理解されずに否定されて辛さや疎外感を感じたことが過去にたくさんあったので彼女の心情や苦しみを多少は理解していました。そして彼女自身も生い立ちとそこから形成された考え方こそネガティブであれど、自分が多く傷ついてきた分、繊細で他人の痛みに共感できる心根が優しいという一面もありそこが自分にとって魅力的に映りました。何より、自分と良くも悪くも考え方が似ている部分が多く、強烈にシンパシーを感じていました。もしかして、自分と価値観や着想が似ているこの子の傷ついた心を塗り替えて、自尊心を育てて幸せに導くことが自分の試練でありカルマなのではないか?と直感的に考えて若干の使命感も感じつつ交際を始めました。

ただ、交際はお世辞にも上手くは行きませんでした。彼女は根っこは優しくも重度のネガティブ思考の持ち主なので話す内容も行動も基本的には後ろ向きでこちらの気力を削ぐものでした。初めこそ、自分も痛みがわかるゆえに寄り添い共感に努めました。しかし、自分の場を和ませる発言や、前向きになれそうな提案はほとんど否定されるような状態で「生きてる意味がわからない」「産まれたくなかった」「誰も分かってくれない」というようなことも何度も言われて会話の内容は8割は愚痴や言い合いといった形です。

自分が愛する女性から、自己の存在を否定することを言われ続けて真剣に向き合えば向き合うほど自分の精神も侵されていくのを感じていました。最初は純粋に幸せになってほしいと思っていたものの、どんどん彼女に対しての気持ちも揺らいでいきました。

さらに、当時は仕事でもプレッシャーやストレスを感じていて仕事のことと彼女のこと、さらに自分自身少しだけ鬱傾向にあることが災いして精神崩壊の一歩手前まで一時は追い詰められました。これ以上まともに彼女と付き合っていたら自分が壊れてしまうと直感的に感じた私はその子と別れました。彼女は号泣しつつも了承してくれました。

別れたその時は、正直申し訳なさ云々よりも解放されて肩の荷が降りて良かったとすら思いました。しかし、別れた後しばらくして冷静になった後、私は彼女にものすごく深い傷を負わせてしまったことを自覚しました。家庭環境が悪く、親兄弟や友人からも理解されずに常に孤独感に苦しみ欠乏感を感じていた彼女にとっておそらく自分は数少ない拠り所だったのでしょう。それなのに、自分はその子を振って間接的にその子の居場所を奪いました。

確かにその子と付き合うのは苦楽で言えば苦の方が明らかに多かったし結婚前の男女の関係なので継続するもしないも選択は自由なので自分にだけ非があるとは思いません。ただ、その子が苦しんでいて、自分のことを拠り所にしていたのを自覚しつつも突き放すことになってしまったのもまた事実です。大きな居場所を失くした彼女は悲しみ、絶望したかもしれません。元々希死念慮があったので、取り返しがつかないことにならないとも言い切れません。当然そんなことを望んではいませんが、不安になってしまうこともあります。共通の知り合いがいないので今は連絡が取れませんが、自分のやったことに後悔と責任を感じざるを得ません。客観的に見れば、自分のやったことは世間的には間違ったことはしていないし罪悪感を感じる必要はないかもしれませんがそれでもやはり感じてしまう部分はあります。

思い返せば、自分にも至らないところがあり、愛すと決めたはずなのに自分のエゴで彼女に寄り添いきれていなかった部分もありました。もしかしたら、自分はあの子の心を壊してしまったのでは?カルマから自分が楽になりたいからと逃げて償いきれない罪を犯してしまったのでは?情けないですがそう感じてしまうこともあります。間接的ではあれ人の心、魂を踏み躙るような下手な犯罪よりも罪深いことをしてしまったのかもしれません。

この罪にどう向き合えば良いでしょうかご教示いただきたいです。個人的にはよりを戻したいとは思いませんしそんな都合いい話はないとは思いますので、今後はより自分のエゴと弱さへの理解を深めて出会った人たちをもっともっと大切にしていきたいとは考えています。ただ、それだけで私のやったことのケジメがつけれるのでしょうか。彼女につけた傷の分、罪悪感を持ち続けて私も苦しむべきなのでしょうか?

Shinyaさんは反省も罪悪感も感じる必要はないと仰っていましたが、本当にいいのでしょうか?厳しい意見でも構いませんので、助言をお願いします。


【回答】
ご質問ありがとうございます。僕も長年鬱を患ってましたし、恋愛に関しても似たような経験があるので、お気持ちお察しします。

現在とても苦しんでいるあなたにこう言うのは良くないかも知れませんが「交際相手がメンヘラで耐え切れなくなって別れた」っていうのはめちゃくちゃよくある話で、ゆえに同じように苦しんでいる人も多いかと思いますので、そういう方々のために電話相談ではなく質問箱で回答させていただきます(もし解決しないようなら電話相談下さい)。

>Shinyaさんは反省も罪悪感も感じる必要はないと仰っていましたが、本当にいいのでしょうか?
僕が反省してはいけないで書いたことは、問題の原因を究明して反省し、罪悪感に浸ったり自分や他人を責めたりすることよりも、より良い選択をすることを優先すべきだという意味です。それは「真っ当な人間ならどうやったって心の中で反省し罪悪感を感じてしまうものである」ということが前提なのであり、実際あなたは僕に「罪悪感を感じなくてもいいです」と言われて「そうですか」と罪悪感を感じるのをやめることはできないでしょう。

失敗も過ちも犯さない人間はおらず、それに対する罪悪感というのはどうやっても消えないように設定されているからこそ、我々人間はそれを許し合うことでより深く愛し合うことができるのです。そこは「罪と恥の存在意義」に書いた通りです。あなたが罪悪感を感じているのなら、今はそれを逃げることなく感じきって胸に刻み、いつか同じように罪悪感に苦しむ人を許し救える存在になって下さい。そして「あなたが悪いんじゃないよ」と言ってあげて下さい。それが愛です。

>精神崩壊の一歩手前まで一時は追い詰められました。
元彼女の話の前に、あなた自身の今の考え方は非常にネガティブで鬱傾向が顕著であり、峠は越えていたとしても鬱状態にあるのです。それはあなたの質問文を読めば(僕自身の経験上)如実にわかります。まずはそこを自覚することからかと思います。それは夢の中でそれが夢だと気づくぐらい難しいことかとは思いますが。

鬱というのは社会病理であって、今の世の中では程度の差こそあれ基本的に鬱じゃない人はほぼいません。そして鬱は覚りに必須の過程・経験であって、現在自分が鬱状態にあるということに劣等感や罪悪感などを感じる必要はありません。誰しもが通る道ですし、必要じゃない経験は与えられないのですから。

そして鬱というのは基本的に自尊心の病なのです。特に日本人は幼い頃から「他者から評価されないと価値がない」という感じで、自分で自分を評価することが独りよがりで意味がないかのように刷り込まれ、他者評価に依存させられているのです。

でも全てを見ていない他人の評価なんていい加減なもので、評価基準も人それぞれですから、当然評価する人もいれば、評価しない人もいますし、評価してくれる人も何かをきっかけに掌を返すこともよくあります。そんな他者評価に依存したら、自尊心など保ちようがありません。そのようにして自信のない人ほど権力・常識に対して従順になるので、権力側がそれを意図的にやっているかどうかはさておき、そのような「他者評価に依存させて自信を失わせる」ベクトルで今の世の中は動いているのです。

しかし人生というRPGにおいて、プレイヤー(主人公)が自尊心を病んで自分も世界も価値がないと考えてしまう状態から、自分の価値・全ての存在の価値を覚って(目覚めて)いくことがシナリオ上必須の過程だからそのような舞台設定になっているのであり、決して陰謀論で被害妄想に陥らないで下さい。人生というRPGはあなたが世界を救う物語なのです。

あなたは全知全能ゆえに何も経験できず何も感じることができない創造主本体の代理であり、物語を経験し感情を感じる機会を与えられている偉大な主人公なのです。自意識(主人公資格)というのが他の人みんなにも与えられている価値のないものだと思わないで下さい。他人というのは夢の中で出会った人と同じで、本当に自意識があるかどうかあなたには永遠に確認できません。「男はつらいよ」の寅さんと同じで、あなたは人生という映画の中で庶民役をやってるだけで、その外の世界ではスターなのです(世代的に伝わらなかったらすみません)。


どんなシナリオの人生も尊い物語なのであり、学び・成長・愛を経験する機会を与えられたことにもっと感謝の気持ちを持って、主人公として自尊心高くポジティブに生きて下さい。そしてこの世界において誰にも理解されず、誰にも評価されなくても、自分自身だけは最後まで自分のファンでいて下さい。他人に理解され評価されなければ自分を愛せないのなら、いつまでたっても自分を愛せませんし、自分を愛せない人間は他人も愛せないのです。

創造主はあなたを通じて(あなたと一緒に)人生を体験しているのであり、当然あなたが生まれてからずっと心の中まで全て見て全てを理解しています。表面的にしか見えていない他人の評価を求めて右往左往するのではなく、全てを見ている創造主が自分をどう評価するかを考えて下さい。


そして「他人に理解されずに疎外感を感じる」などというのはみんなに共通して与えられている課題であり、ごく普通のことです。他人に全てを理解されている人なんていません。また他人に簡単に理解されるようなら生きる意味がありません。あなたが誰かを理解できていると思っているのは、その人のごく一部を見て理解しているつもりになっているだけです。愛されるためにキャラを演じて自分を単純化して見せている人もたくさんいますしね。

だから相手に理解されることよりも、出会った相手を理解することに努めて下さい。相手を本気で理解しようとしていない人が相手から理解されないのは当然なのです。相手を理解することに努めている人はそういう自分を愛することができますし、人からも愛されます。

我々は長年鬱を患うとそれを本人の本来の性質のように考えてしまいますが、世の中に暗くネガティブな赤ん坊なんていませんから、ネガティブな性格はすべて後天的に蓄積したものであり、鬱を克服すればみんな明るくポジティブな性格を取り戻すのです。

きっとあなたの元彼女もいわゆる鬱で、世の大多数の人と同じように自尊心をどう保って良いかわからない人だったのでしょう。しかしあなた自身も自尊心を病んで鬱な状態だったのですから、元彼女のことを救えなかったことは致し方のないことです。溺れている人が目の前で同じく溺れている人を救えるわけありませんから、あなたが元彼女を救えなかったことに何の罪もありません。ただ本当に誰かを救える存在になりたいと思うのなら、まだ誰も救えないその悔しさを胸に刻んで、強くなっていかなければならないのです。

失敗や過ちは誰でも犯すものであり、その経験にこそ価値があるのです。最初から謎解きの答えが全部わかっていて全ての課題を初見でクリアできるようなゲームなんて面白いわけがありません。試行錯誤&成長要素がゼロなわけですからね。ですから自身の失敗や過ちで罪悪感にかられて落ち込んで自己嫌悪に陥らず、自分を愛して自尊心を高く保って下さい。欠点や過ちを理由に愛さないと言うなら誰も愛せません。この経験をきっと今後に生かして下さい。


さて、あなたが元彼女について書いていることですが、
>家庭環境が悪く
⇒元彼女の解釈であり鬱特有の被害妄想の可能性。
 もし本当でも虐待というレベルではなく、普通。
親兄弟や友人からも理解されずに常に孤独感に苦しみ欠乏感を感じ
⇒普通
>心に深い傷を抱え愛や承認に飢えていて
⇒普通(そうじゃない人いるの?というレベル)
>薄ら希死念慮を感じているようなタイプ
⇒鬱ならそう見えるのが普通。
 そして実際に本格的な自殺未遂を起こしてないのなら、
 あなたが自分の鬱により元彼女をそのように思い込んでいるだけの可能性。

あなたの元彼女は全く特殊なタイプではなく、石を投げたら当たるレベルで今の世の中に溢れた鬱型思考の人の典型例だと思いますし、自殺する可能性に関してはむしろあなたより低いと思われます。あなたと付き合っていつも対等に口論できるだけの気力があったわけですし、むしろ鬱病の人の中でもたくましい部類でしょう。別れが原因で自殺するような人は未練がある相手に対して自分の方から連絡先は変えないはずで、恐らくすぐ次の依存相手を見つけてあなたの存在が邪魔になったのではないかと思います。万が一その元彼女が自殺していたとしても、全くあなたのせいではありませんし、それを自分のせいだと考えるのは自意識過剰です。

ちなみにうちの姉もまさにあなたの元彼女ような感じで心を病んでいて被害妄想が強く、男とすぐ共依存関係になってはケンカばかりして、僕から見れば全く魅力的ではなく超メンヘラなのに絶対男が途切れないタイプの女性でした。その男たちも変な使命感に燃えていて、姉に逃げられてもうちの実家まで追いかけて来たりしましたし、姉の虚言(親による虐待など)を真に受けてうちの親に立ち向かってくる男までいました。当時の僕には異様に映りましたが、あなたの質問文を読んで今頃腑に落ちた感があります。

>自分と価値観や着想が似ているこの子の傷ついた心を塗り替えて、自尊心を育てて幸せに導くことが自分の試練でありカルマなのではないか?と直感的に考えて若干の使命感も感じつつ交際を始めました。
そもそも恋愛というのは、純粋に好きになった人とするべきもので、「魅力に欠ける」なんて失礼なことをわざわざここで言うほどハナから見下していて本気で好きではない・尊敬できない人とするべきものではないと思います(特に20代の若者なら)。失礼な言い方で大変申し訳ないですが、あなたは鬱状態で自分に自信がないために恋に積極的になれず、自分と同じように鬱で自信がなくてすぐにこちらを頼って依存してくれるような「魅力に欠ける」女性と成り行きで付き合うことになっただけなのに、それを自分に都合よく「カルマの解消のためと直感したから」と後付けで解釈しているように見えてしまいます。まぁ実際それも含めてカルマなのでしょうけども。出会いというのは自分の魂の成長にとって常にベストな相手が与えられるようになっているのですからね。

あなたが「自分よりもっと自尊心の低い女性の自尊心を上げることで、自分の自尊心の低さも解消できるかも知れない」などと考えるのは、泳げない人がもっと泳げない人を指導して泳げるようにできて、それによって自分も泳ぎが上手になると考えるようなもので、無理があり過ぎます。実際お互いを沈め合うように自尊心を下げ合うだけの結果になったのは必然としか思えません。

ただ、人生は実際に失敗や過ちを経験して試行錯誤して自分で真実を覚っていくことに意義があるので、この経験で得た貴重な学びに感謝しつつ、次はもっと自分に自信を持って、純粋に好きでお互いに自尊心を高め合えるような人と付き合えるように頑張って下さい。

あなたが向き合うべきは罪悪感などではなく、己のエゴ(自尊心の保ち方の歪み)だと思います。あなたは恋愛の問題にフォーカスしていますが、あなたの問題はエゴに埋没していて己の愛を育てられていないがゆえに自尊心が下がっていて、人間関係全般がうまく行かず、交際相手を見下しつつそれを救おうとしている自分の方が上の存在であると優越感を感じることによって何とか自尊心を満たそうとしていることが問題なのだと思います。

鬱というのはエゴに埋没する病気なのですが、鬱の人はだいたいその「自分はエゴに埋没している」という自覚もないのです。エゴは欲だけではなく「いつも自分の殻に閉じこもって自分のことばかり考え、他人を心から思いやる慈愛がない」というのもエゴであり、鬱の人というのはそれを自覚してないのです。そしてその自分の歪んだエゴに都合よく物事を捻じ曲げて解釈する癖が強く、当然それも自覚していません。それで他人を無自覚・無神経に傷つけて傷つけ返され、人間関係がうまくいかなくなって鬱を悪化させる悪循環にハマるのです。もちろん僕もかつて鬱の頃はそうでした。

あなたは鬱になる人に共通の考え方をしています。その一つは「①原因を見つければ問題を解決できる」という考え方です。

例えば野球の下手な少年が、自分が下手な原因を分析することで上手くなると思いますか?まだ下手な状態な人が自分が下手である原因を分析したところでわかるわけがないんですね。わからないからこそ下手なのですから。実際、あなたは自分を責めて落ち込みつつも自分の何を改善すべきかを具体的には一つも分析できておらず、自尊心を保つために「自分は世間的には間違ったことは何もしていない」と勝手に世間をバックにして自己正当化し、結局は全部元彼女のせいにしています。それで成長はあり得ません。

どうしてうまくいかないのか(何が原因か)?という仮説を立ててそれを実証するのに手間と時間をかけていればどんどんダメになっていくのは必然なのです。そしてそんなことをしていれば自尊心は下がり続け、ネガティブな気持ち・考え方になってネガティブな経験を引き寄せて何をやってもうまくいかず、結局は自分に才能がないせいにして「どうせ自分はダメだ」と諦め、それでも自尊心を保つ為に他人や環境のせいにして被害妄想に陥って、自己成長を怠るようになるのが目に見えています。

鬱状態のあなたには反省してはいけないの内容が全く伝わってないようなのですが、あなたはまさにそこに書いたように、うまくいかない原因を求める⇒「〇〇が悪い」と結論付けてとりあえず論理的にはスッキリする(誤った問題解決方法)⇒自分や相手の非を心の中で責めて罰を与えるようにイジメる⇒自分と相手の自尊心が下がる⇒「どうせ〇〇なんて」と考えて思考も行動もネガティブになり、益々悪い出来事を引き寄せる、という悪循環を繰り返しているんですね。

だからダメな原因を探そうとすることではなく、どうやったらその課題を乗り越えられるかという仮説をポジティブに考え・実践し・試行錯誤を繰り返していくことが大事なのです。例え自分の立てた仮説が間違っていたとしても、試行錯誤の間に成長し、いつかは必ずうまくいくのです。そうして以前より成長したら、かつて自分がうまくいかなかった原因などは必然的に見えてくるのです。

そしてもう一つの鬱になるの人に共通の考え方は「②自分自身であればいくらイジメても構わない」という考え方です。これは本当に典型的であり、あなたにもその傾向が顕著に見受けられます。しかしそれは存在の全てである創造主の視点で見れば右手が左手をイジメるようなものであり、自分をイジメるのも他人をイジメるのも同じことなのです。自分という存在を自分の所有物のように考え「自分のものだからどのように扱っても構わない」という、本当の所有者である創造主から見ればあまりにも不遜な考えを持つから自分をイジメるのであり、そういう考え方が最終的には自殺という不幸に繋がっていくのでしょう(自殺は殺人です)。

あなたがもし著名な演奏家で数億円するストラディバリウスのような高級な楽器を貸与されて毎日取り扱う立場にあったら、それはそれは傷つけないように大事に扱うでしょう。しかしもし「そのストラディバリウスをタダであげるから明日臓器提供の為に死んで欲しい」と頼まれたらあなたは死にますか?つまりあなたはどんな高級な楽器よりも価値のある「自分」を無償で貸与されながら、少しも感謝せず大事に扱わずに平気で傷つけているということです。そして自分の価値がわからず大切にできない人が、他人の価値を理解して大切にできるわけがありませんから、きっと他人のことも無自覚に傷つけてきたのでしょう。それで恋愛も何も人間関係がうまくいくわけないのです。

そしてもう一つ鬱になる人の考え方の特徴は「③自分が変わろうとせず、相手側を変えようとする」です。まぁこれは鬱の人に限らず人間関係がうまく行かない人のほぼ全員に当てはまるものですが。人生というRPGにおいて、全ての問題は自分という主人公の成長のためにクリエイターから与えられている課題であり、相手を鏡として自分の課題に気づかせるためにクリエイターがその人と出会わせてくれているのに、相手の問題は相手が解決すべき問題と考え、相手側を変えようとするのですね。それでアドバイスしたり説教したり批判したりして反発されて人間関係がうまくいかくなるのです。そのように相手側を変えようとするのはNPC(ノンプレイキャラクター)思考の最たるものです。人生というRPGが「主人公である自分の成長の物語である」ということを全く理解しないんですね。

<メシア(主人公)救世三原則>
1.指摘せず気づかせる(傷つけない)
2.教えず覚らせる(相手に答えを出させるよう誘導する)
3.自らの学びとする(自分が実践して背中で語る)

>前向きになれそうな提案はほとんど否定されるような状態
相手も相手の人生というRPGのプレイヤー(主人公)なのであり、何事も「経験して知るために」このRPG世界にプレイヤーとしてログインして(生まれて)きているのです。それで自分がプレイしている時に、頼んでもないのに横から色々答えを提案されたら心が反発するのは当たり前です。あなたの元彼女はあなたに気持ちを分かって欲しかった・共有したかったのであって、改善策を求めていたのではないと思います。

どんなに鬱でネガティブな人も、そのネガティブな考え方を「正しい」と思っているからこそネガティブなのであり、それに対してあなたがポジティブなことを言えば、それは相手からは「自分(の存在)を否定されている」と受け止められ、傷けて反発され、あなたも否定され傷つけ返されるループにハマるのは当然なのです。それは無意識の自己防衛であり、溺れてる人が助けに来てくれた人を(悪意なく無意識に)沈めてしまうのと同じです。

鬱の人がネガティブなことを言うのは猫が「ニャー」と鳴くぐらい自然なことであり、それに対してポジティブになるような提案をするというのは猫に「ワン」と鳴くように提案するぐらいに無意味であり、それではお互いストレスになって関係性がうまく行くわけがありません。それは今風邪をひいている人に「咳をするな」と言うようなもので、思いやりがなく無慈悲なのです。今溺れている人に泳ぎ方を提案して意味あるでしょうか?


ましてあなた自身が明らかに鬱でネガティブな段階にあって、その「前向きになれそうな提案」を自分でも実践できていないのは自明なのですから、余計に相手から反発されるのは至極当り前なことで、それは相手の鬱の炎に油を注ぐようなものです。

あなたも相手も本当は全知全能の創造主の分け御霊なのですから、自尊心とやる気さえ取り戻せば、問題の解決方法などは自分でプレイ(試行錯誤)している間に自ら覚るのです。鬱というのは自尊心を病んで心がやさぐれてやる気を失う病気なのですから、どうすれば自分も相手も自尊心が上がってやる気になるか以外考えてはならないのです(それは鬱じゃない人に対しても同じです)。その方法は誰でも自信満々になれる方法と同じですから、ぜひ読んでみて下さい。


まずはあなたが人と会ったら心から嬉しいと感じて、心から笑顔になるように考え方を変えることです。相手は人生の共演者なのですから、悪役だろうと端役だろうと肯定的に受け入れて、物語を一緒に紡いでくれることに感謝することです。その感謝を示すのに心からの笑顔で挨拶するなんていうのはごく当たり前のことです。それによって相手は「この人から私は存在を肯定されている」と心で感じて自尊心とやる気を取り戻すのです。


あなたは自分の元彼女を「魅力的ではない」なんて見下しているぐらいですから、きっと元彼女と会う度に心からの笑顔で嬉しそうにしていたのではないでしょう。それが元彼女の自尊心をたくさん傷つけていたと思います。だから元彼女もきっとあなたと会う時に笑顔ではなかったのだと思います。だからあなたの自尊心は「自分はこんな魅力のない人としか付き合えないのだろうか?(早く次を見つけて別れたい)」という感じで下がったのではないでしょうか?人間関係は本当に鏡なのです。元彼女にとってあなたは自尊心を下げる原因になっていたのですから、別れたら「もう会いたくない」と思われて当然です。

そしてもう一つ大切なことは、相手の話を一切否定せず肯定的に聞いて同情・共感できるようになることです。

あなたは男性ですから当然「問題解決型」の脳をしていて、「どうやったら問題を解決できるか?」という姿勢でしか人の話を聞けないのでしょう。だから「気持ちを理解して欲しい」という女性に対して余計な提案なんてして、相手を否定し傷つけることになってしまうのですね。

相手の話を聞く時には「相手に心から同情・共感する(同じ気持ちを味わう)」ということに主眼を置いて下さい。相手の話を一切否定せず、余計な提案やアドバイスなどもせず、ただただその気持ちに寄り添うのです。そうやって相手と経験・感情を共有して下さい。問題は解決しなくていいに書いた通り、そこにこそ魂の成長があるのであり、それが人生の価値なのです。そうして気持ちがわかってもらえた相手はきっと人生のやる気を取り戻し、きっと自分で問題を乗り越えて行くでしょう。


男性は特に「相手の話を肯定的に聞く」というのを「相手の意見に自分が従うこと」みたいに考えるから、ただ相手の意見が気に入らないってだけでケンカになり、嫌い合い避け合うようになったりして、お互いに存在そのものまで否定し合うようになってしまうのでしょう。日常会話というのは裁判(どちらが正しいかを争う戦い)ではないのです。「同情・共感する」というのは相手と同じ目線に立って同じ感情を味わうということであり、「あなたはそのような経験をしてそのような気持ちになったのですね。私は同じ経験をしていないのであなたの意見には同意しかねますが(ここは言わなくて良いです)、あなたのその気持ちは良くわかります」という感じで心から同情・共感を示すいうことです。

相手と目線を同じにするには、あらゆる想像力を駆使し、相手ことを自分自身の過去世や未来世であるかのように考えることです。実際僕らの魂は同源であり、全く同じ条件で同じ経験をすれば当然同じ感情・同じ考え方・同じ行動になるのです。「自分だったら絶対そうしない」などと考えるのは単に想像力の不足であり、同じ目線には立てていないということなのです。


鬱の人はネガティブですから当然こちらを否定するようなことを言ってくるわけですが、それに対していちいち傷つき腹を立てて自己正当化のために相手を否定していたら、戦争ループ状態になるのは必然です。そしてネガティブの波動共鳴が起きてどんどん関係性が破滅に向かっていき、例えその場の議論に勝っても愛を失うだけなのです(勝者なき虚しい戦いです)。そのように自分や相手に対する愛(思いやり)よりも正義(何が正しいか・何が悪いかの判断)を優先して、自分も相手も責めていることが人間の不幸の元凶(カルマ・課題)なのです。

だから常に正義よりも愛を優先して下さい。どっちが正しいかよりも思いやりを優先して下さい。ネガティブなことを言ってこちらを否定してくる相手もやんわりと受け止めてあげて、その「ネガティブな気持ち」「他人を否定したくなる気持ち」に同情するのです。それは特に問題解決型の脳をしている男性にはかなり忍耐の要る修行なのですが、人生は修行なのですから正面から立ち向かう以外にありません。相手にもそのようなネガティブな考え方・性格になるだけのやむにやまれぬ事情(歴史、傷⇒自己防衛)があるのですから、そこに対する同情なしに相手を救うことはできないのです。

>愛すと決めたはずなのに自分のエゴで彼女に寄り添いきれていなかった
それを悔いているのなら、自分を責めて落ち込んで罪悪感と感傷に浸るのではなく(それもエゴです)、今回の学びを生かして、これからはちゃんと相手の存在に感謝して心からの笑顔で接し、相手の話(存在)を否定せずに同情的・共感的に聞ける人になって下さいね。そしてそれを最初からうまくできないからといってすぐ「自分はダメだ」と勝手に結論づけて諦めないで下さいね。カルマ(課題)というのは逃げれば逃げるほど雪だるま式に大きくなりながら追いかけて来ますから。うまくできない今の自分も許しながら少しずつ上達していけばいいのです。

>人の心を、魂を踏みつけにして見捨てた罪
自分イジメは鬱の時なら誰でもやりがちで、もちろん僕にも経験があるのでよくわかります。ただあなたは別に何の悪気もなく「彼女と関係がどうしてもうまくいかなくなって別れた」というだけなのに、そこまで大げさに自分を責めて見せるのは、いくらあなたが鬱状態だとしてもかなり不自然です。そしてあなたは自分を責める割には具体的に自分の何が悪かったのかは一切わかっておらず、「元彼女がこんなにも理不尽だった」ということばかりを詳細に書いて、自分は被害者であるかのように主張して自己正当化しています。

それはあなたが悲劇に酔いつつ「自分は善良な人間だからこそ、悪いのは相手なのにこんなにも自責の念で苦しんでいるのだ」ということで自尊心を守り、また先回りして自分を責めることで相手の慰めを期待しているように見えてしまいます。そういう自分イジメも「歪んだナルシシズム」であり、エゴなのではないかと僕は思うのです。そしてそのエゴこそがあなたが最も立ち向かうべきものでしょう。


>結婚前の男女の関係なので継続するもしないも選択は自由なので
もちろんあなたや僕が言うまでもなく、恋愛関係というのは家族・保護者の立場ではありませんから、最後まで面倒を見るような責任などありません。男女の仲は常に50%&50%です。

それゆえ恋愛における別れというのは「愛し合う=心配し合い・助け合う」という権利の放棄であり、それは縁の糸(世界線)を断ち切ったということです。坂本冬美の「夜桜お七」じゃないですが、基本的に恋愛の別れは死別と同じかと思います。あなたにはもうその元彼女を心配する権利はなく、例え自殺していたとしてもそれを自分のせいだと考える権利もありません。恋愛の別れとはそういうものなのです。だから完全に気持ちが切れるまで手を放してはいけませんし、手を放したらもうその人の現状を心配するのはキッパリやめるべきです。

もし元彼女の方から連絡先を変えてあなたに連絡がない状態なのなら、その時点で元彼女側はもう既に切り替えが済んでいるということであり、あなたの物語からはもう卒業したということなのでしょう。まだ自分の人生のシナリオ上必要な相手なら必ず何かしらの絡みが生じますからね。

もしそれが辛いと感じてあなたがいつまでもその過去にこだわっているのなら、鬱で相手に依存していたのはむしろあなたの方だったということでしょう。そして恐らく鬱状態のあなたは自信がなくて新しい彼女ができないために、元彼女(初めてできた彼女?)を別れた後もまだ自尊心の糧にしようとしていて、「元彼女にはまだ自分への未練・依存心があるに違いない・あって欲しい」と思っているのに、元彼女の方から連絡先を変えられてキッパリと連絡を取られなくなったことに傷つき、その傷を罪悪感に転嫁するために、そんなにも大げさな表現で「自分はこんなに罪悪感に苦しんでいるのだ」と主張して自らそう思い込もうとしているのではないかと思います。そして元彼女がいなくなれば自分の問題は解決されてラクになれると思ったのに、全く解決されていなくて苦しいから、その苦しみを元彼女への罪悪感ということにしているのでしょう。もしそうならそれはとても自然なことだと思いますし、僕にも似た経験がありますのでお気持ちはとても良くわかります。

感情というのは論理では割り切れないように創られているのであり、だからこそ感情には存在意義があるのです。苦しみは時間が解決してくれますが、逆にまだ時間が経たないうちに苦しみから逃れる術はないのです。僕らは感情を経験するために生まれてきているのですから、今の段階で何か論理的に結論を出して無理に気持ちを整理しようとしたり変に胡麻化そうとするのではなく、今の苦しい気持ちをしっかり胸に刻んで、他人の苦しみに同情できる優しい人になって下さい。

人間関係はすべからく鏡であり、己のカルマの時間差付き拡大鏡なのです。その時間差と拡大率の高さゆえに「相手は自分とは別の存在である」という分離意識が成立しているのです。あなたは「元彼女と違って家庭環境に問題はない」とか「自分は彼女のせいで精神的に追い詰められたが元々病んではいない」みたいに元彼女と違いを強調していますが、本質的には変わりません。そのように相手と自分は違うと考える分離意識こそが、人間に与えられた無明(愚かさ)なのです。

自分を責める人というのは必ず他人も責めます。それも無自覚に。実際あなたは「自分が悪い事をした」と自分を責めるのと同時に「相手も悪かったのだから仕方なかった」と相手も責めることで罪悪感から逃れて自分を納得させようとしているわけですからね。

自分を責めることと相手を責めることがイコールなのですから、本来は自分を許すことと相手を許すこともイコールなのです。ただ人間にはエゴ(分離意識・自己保存欲求)が与えられているがゆえに、自分が許されるために自分より悪い人を探して蹴落とそうとしてしまうのです。カンダタのように。そして自分の自尊心を保つために相手の自尊心を下げようとしてしまうんです。それこそが人間同士がぶつかりあう理由の根源であり、それは人間に与えられた無明(愚かさ・課題)の最たるものなのです。

自覚がないようですが、あなたは自分のネガティブさ、魅力のなさにコンプレックスがあって、そこから目を伏せるために元彼女に対して「ネガティブで魅力に欠ける」などと考え、常に自分を元彼女より優位において自尊心の糧にし、元彼女と対等に向き合っていなかったのでしょう。別れた後まで「別れを切り出したのは自分」ということで優位を示そうとしていますからね。そういう意識が知らず知らず元彼女の自尊心を下げ、ぶつかりあう原因になっていたんだと思います。人は対等に向き合うことなしに、本当の意味で愛し合うことなどできないのです。

あなたは別れた理由を「元彼女がものすごく理不尽だったせいだ」と考えているようですが、僕に言わせれば理不尽でも何でもなく全てが必然に思えますし、実際この仮想現実世界において必然以外は起こりません。この人生というRPGの世界は一見理不尽に見えることの中に巧妙に真理が隠されているのであり、世の中が最初っから全てが誰でも理解できるような理屈通り・常識通りだったら「真理を見つけて(覚って)成長していく」というゲームは成立しないのです。

あなたは勝手に「世間」という言葉を持ち出し、それをバックにして自分のネガティブな考え方を常識だと思っていますが、それは真理ではなく乗り越えるべき課題なのです。そして本当の真理というのは常にポジティブなもので、自分と他人を同時に幸せにするものであり、誰も幸せにせず誰かを不幸にするようなネガティブな解釈というのはすべからく間違いなのです。

運命への呪いに書いた通り、この世界は魂の成長プログラムであり、成長に反する要素はすべからく不幸に導かれるのが必然なのです。あなたは主に元彼女との関係だけで悩んでいるように解釈しているようですが、恋愛も人間関係の一部であり、その一部に全体が現れているのです。あなたは職場でもプライベートでも人間関係が上手くいってないはずです。共通の友人がいないっていうのはつまり二人とも他に親しい友人がいなかったということでしょう。そして自分の問題を元彼女のせいにしていたのに、元彼女がいなくなっても自分の問題は少しも変わらず追試験のように追いかけてきていて、余計に孤独で退屈になり、元彼女との問題を引き延ばすことで恋愛している気分だけでも延長しようと懸命になっているのでしょう。しかしそれを逆に言えば、元彼女との関係で自分がどう成長すべきかをあなたがしっかりと理解し、改善案を実践し、試行錯誤を繰り返していくのなら、きっと全ての人間関係が上手くようになり、きっと幸せに導かれることでしょう。

バイオハザードでゾンビが出てくるのを自分のせいだと考えて原因分析して自分を責めて落ち込む人はいないでしょう。そしてゾンビになった人やウイルスを開発したアンブレラ社やゲームそのものを作ったカプコンを責めてもゲームは進みません。そこは人生というRPGも同じであり、自分も他人も責めることなく、ただ己の目の前の課題に正面から立ち向かうのみです。


今回あなたのご希望された通りに大分厳しくなってしまい、鬱で落ち込んでいる今のあなたにはキツ過ぎたかも知れませんが、どうぞご容赦下さい。あなたの幸せを心から祈っています。

2024年6月5日水曜日

新人医師の悩み

【質問】20代・男性・新人医師
いつも大変お世話になっております。医師生活二年目になり、日々祈ったり・神社参拝したり・真光の道場に通ったりしながら頑張っておりますが、たまにどうしても看護師に強く当たられたりなどがあり、その事がずっと脳内でループしてしまい気が滅入り鬱っぽくなってしまいます。ただ悩みの大半は思考のぐるぐるから来るものであるとメタ認知できるようになり頻度は劇的に減りましたが、それでもたまに身体が重くなったりだるくなったりどうしてもグルグルから脱せなかったりして辛いです。人一倍思慮深くあれこれ考えてしまう性格なのはわかっていますが、それでもどうしても深く考えこんでしまいます。これもやはり霊障によるものなのでしょうか?病院は特にカルマが多い場所なので自分は人一倍影響を受けてしまっているのかなとか最近考えたりします。掃除、断捨離、霊札を買う、塩を身体に振りかけて清める、祈るなど霊障の対策は自分なりにやっておりますがグルグルと鬱が辛いときは辛いです。こういう時はどうしたらいいのでしょうか。これも全て神が与えた課題なのでしょうか?何かアドバイス頂けたら幸いです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

僕もあなたの歳の頃は会社の新人で何もかもうまく行かずに悩んで鬱状態だったので、あなたのお気持ちはよくわかるのですが、あなたからは既に何度か電話相談を受けさせていただいていて、それでもなかなか真意が伝わってなくてうまく行っていないようですので、今回はちょっと厳し目に行かせていただきます。鬱の時にはキツ過ぎるかも知れませんが、100%の愛であなたの幸せを願ってのことですので、どうか落ち込んだり怒ったりしないで下さいね。

まずもってあなたはカルマというものを綿飴みたいにぐるぐる外からもらうもののようなイメージを持っているようですが、それを棒で巻き取っているのが自分自身であるように、カルマは基本的に自らが生んでいるものであり、霊障を外からもらってしまうのも自分の人生のカルマ(課題・シナリオ)なのです。

自分の成長課題なのに悪い事を何でも他人の霊障のせいにするような思考(被害者意識)では益々己のカルマを深めてしまうことでしょう。被害者意識は成長に反する要素ですから、不幸に導かれるのが当然なのです。

カルマ(課題・シナリオ)というのは逃げれば逃げるほど雪だるま式に大きくなっていくものです。そして学校の追試と補講のようにどこまでも追いかけてきて楽しいはずの夏休みをどんどん目減りさせていつか落第してしまいます。もちろん霊障対策も大事ではあるのですが、いくら霊障対策を一生懸命やっていたとしても、その目的が自分の本質的な課題からの逃げなのでは、根本的なカルマの解消にはなるわけがありません。きっとあなたは何が一番の課題なのか心の奥底では薄々気づいていながら無意識に目を逸らしているでしょう。

あなたはまだ若いのですから当たり前のことなのですが、あなたのご質問や電話相談の内容からはエゴしか感じられず、愛が感じられません。厳しい言い方になりますが、あなたは人がエゴのために生きるのが当たり前だと思っていて、自分がエゴに埋没しているという自覚さえがない感じがします。若い頃の僕も思いっきりそうでしたが、今の僕から見ればそこがあなたの一番の問題(課題)なのだとすぐにわかります。自分の愛(思いやり)の心を育てていないのです。

あなたにはエゴ(欲)とは何か?を読んでいただきたいです。あなたがもっと愛(思いやり)を持って人と接していれば、そんなにキツく当たってくる人はそうそういなくなるはずです。きっとあなたはエゴに埋没し、相手に対し愛(思いやり)がなく、興味関心すらあまりないために、相手が傷つき怒るようなことを無自覚に(平気で)言ったりやったりしているんだと思います。

何よりあなたにはもっと純粋に人を救いたいという信念を持って欲しいです。医療というのは別に偉くならなくてもたくさんの人を救わせてもらうことができる有難く尊い仕事です。なのに出世や高収入などの結果・見返りを求めてやろうとするから苦しくなるのでしょう。

あなたのミスの多さも、看護師さんたちを必要以上に怒らせるのも、慈愛(思いやり)の足りなさに起因しているところが大きいと思います。自分のことばかり考えて他人に対する興味関心・慈愛が薄ければ、実務でも人間関係でもよくしくじるのは当然です。もっと真剣に目の前の苦しんでいる人を救いたいという思いを持ち、慈愛の深さで人から尊敬され感謝され愛されるお医者さんになって下さいね。

僕の勝手なイメージではありますが、あなたはみんなから「先生!先生!」ともてはやされ、自信満々で肩で風を切って歩き、金持ちでデカい家に住んで女にモテまくりで、美女を高級車の助手席に乗せたりして能力・権力・金・女を常に見せびらかそうとしている感じの、僕からすれば詐欺師にしか見えないような胡散臭い有名インフルエンサーの成金医師に憧れている感じの人のような気がします。要するに愛(思いやり)がなく、他人のことなんか本心では自分のエゴのために利用することしか考えてなくて、己の自尊心の低さを他人から評価され羨ましがられることで補おうとしている感じです。もしそのイメージ通りなのであれば、そういうエゴへの埋没が存在のすべて(創造主)から愛を受け取り難くして不幸を招いている最大の要因(課題)かと思います。

基本的にアピールというのは「このように見られたい」という思いがあるのに実態はそうではないからするものであり、実態通りなら誰が見てもわかるのでわざわざアピールする必要はないのです。それなのに何かを必死でアピールしてくるような人たちは、その意図的な演出による虚像によって他人の我欲や不安を煽って自己利益に誘導し、こちらをその養分化してくる詐欺師なのです。決してそんな人たちの虚像を羨んでその餌食になってはいけません。現代の資本主義でお金を稼ぐには、相手のエゴ(我欲・保身・虚栄)を煽るのが常套手段なのです。そして世の中はそのために平気で嘘をつきながらアピールしてくる人たちだらけなのです。

>>どうしても看護師に強く当たられたりなどがあり

恐らくあなたにはADHD的な傾向があり(僕も含め、スターシードはだいたいそうです)、きっと不注意のミスが多いのだと思います。あえて苦労するように創られているんですね。しかし創造主から与えられる課題の難易度は魂のレベルと比例しているのであり、それはより成長を期待されているということなのです。

だいたい新人なんてどこでも怒られるのが仕事みたいなものであり、給料の半分は怒られ代のようなものです。それなのにあなたはプライドばかり肥大させ、他者評価依存症のために早く偉くなりたい・カッコ良くなりたい・モテたいなどと焦るから現状とのギャップが必要以上に苦痛に感じてしまうのでしょう。そして怒られ恥をかいて傷つくのを恐れてちゃんと納得できるまで質問できず、余計にミスを重ねて自尊心を喪失し、いつもミスを隠すことで心労を重ね、結果的に更に被害を大きくし、余計に怒られ、逃げることしか考えられなくなっているのでしょう。そのような感じではいつまでも成長できないのです。決して偉くなろうとかカッコ良くなろうとかモテようとか考えず、たくさん怒られることに愛を感じながら、泥臭く・愛情深く頑張って下さい。そっちの方がずっとカッコ良いです。前述のような詐欺師たちが演出する虚像に憧れないで下さいね。それは愛に目覚めている側から見ればとてもみっともないことなのです。

医療の現場では新人医師のミスを多めに見て成長を見守るなんていうのは難しいこともあるでしょうし、看護師さんたちはあなたと患者さんたちのことを思って、実務では自分より圧倒的に後輩ながら組織上は上の立場であるあなたから嫌われて不利益を被ることを覚悟で一生懸命アドバイスしてくれていて、またあなたのミスをカバーもしてくれているのですから、敵対心や恐怖心や被害者意識のようなネガティブな感情を一切持つことなく、もっと感謝と尊敬の念を持って下さい。うわべだけでなく、心の底から。

看護師さんたちに何度怒られても決して恐れて逃げたりふてくされたりなどネガティブな反応で返さず、ノートをとりながら真剣に話を聞き、相手からどれだけバカだと思われそうな質問でも自分がちゃんと理解できるまで決して恐れず何度でも質問して下さい(実務でミスを繰り返されるより、同じ質問を何度もされる方がずっと良いのです)。それが相手へのリスペクトを示す一番の方法でもあります。そうやって恐れて逃げずに相手の懐に飛び込んで行って下さい。

そして「いつも私のためを思ってご指導いただき、またいつも私のミスをカバーしていただいてありがとうございます。私も同じミスをしないように気を付けていますが、自分はドジでどうしても不注意なところがあるので、今後ともご指導よろしくお願いします」という感じで、謙虚に協力をお願いしてみて下さいね。そしてマメに差し入れでもしてみて下さい。どれだけ仕事ができなくてもきっと愛されますから。

看護師さんたちは本当は医者になりたかった人も多いでしょうから、医師に対しては嫉妬のような気持ちがある人も多いのかも知れません。それで自分よりまだ圧倒的に仕事ができずミスばかりなのにプライドだけは高い新人医師が自分より立場が上でたくさん給料を貰って将来有望っていうのが気に入らなくて、あら捜しをしてはキツく当たって来るような人もいることでしょう。実際あなたも看護師さんたちを無自覚に見下しているところがあって、相手からもそれを敏感に感じとられて反発されているのかも知れません。そしてあなたも内心見下している相手からやりこめられて、それでも自分に明らかな非があるために自己正当化もできず、深く落ち込ん自己嫌悪に陥っているのでしょう。

でも看護師の方々からでも認められ尊敬され愛されている若い医師もたくさんいるはずです。あなたがそうなれていないのは、ミスの多さよりも精神的な理由(エゴへの埋没・慈愛の欠如・相手の鼻につくプライドの高さ)の方が大きいのではないかと思います。ミスが多い上に指摘したらすぐ深く傷ついてダウンしてしまうようでは周囲は本当にどうしようもないのです。どれだけ怒られても決してめげないで下さいね。

プライドというのは2種類あるのです。それは①傷つきやすい自分を守るための卵の殻のような脆いプライドと、②その殻を打ち破って成長する自分を支える背骨のような力強いプライドの2つです。あなたは前者のプライドを打ち破って成長し、後者のプライドにシフトしていかなければならないのです。そしてたくさん傷つくことでヤスリのように己の魂を磨き、他人の傷に心から同情できるような愛(思いやり)のある強く優しい人になって下さいね。いずれはあなたも現在のあなたと同じように職場で不適合を起こして心を病んでいるような新人医師も育てなければならない立場になるのでしょうし。

コミュ障を克服したいもぜひ読んでみて下さい。あなたはコミュ障というレベルではないと思いますが、参考になるところはたくさんあると思います。そしてそこに書いている
・お年寄りインタビュー
・自分大好きエピソード

この二つは必ず実践して下さい。愛する心というのはいきなり一朝一夕に育てられるようなものではないのですが、もしあなたがこれを日々実践したなら、きっと他人に対しても自分自身に対しても愛して思いやる気持ちが育ち、抜群に愛されるようになって自尊心が高まると思います。特に病院は話を聞いて欲しい・助けが必要なお年寄りだらけなんですから、これらを実践するのにはものすごく恵まれた環境ではないかと思います。相手を自分の過去世や末来世のように考えて、本当の意味で同じ目線で同情・共感できるようになって下さい。

>>人一倍思慮深くあれこれ考えてしまう性格なのはわかっていますが、それでもどうしても深く考えこんでしまいます。

嫌な記憶を反芻するというのは人間の初期設定であり、決して特別なもの(個性)ではありません。それはみんなに共通して与えられた課題なのです。それで特に鬱の時は自己嫌悪に陥るような嫌な記憶だけをを選択的に思い出して「自分はどうせダメなヤツだ」と結論づけて(ネガティブな自己同一化)落ち込むループにハマってしまうのです。それを人一倍わかっている鬱寛解後の僕自身でも年に一度ぐらいは数日間そういうモードにハマる時があります。あなたはそれを特別なことのように考えているようですが、ごくごく普通のことでありみんな苦しんでいるんです。それを乗り越えて自分を愛せるようになるところに魂の成長があるのであり、そういう苦しみを同情・共感し合えるからこそ愛し合えるのです。その負の反芻思考が自分に特別なことだと思っていること自体、自分のことしか考えてなくて人の気持ちを思いやれていない証拠です。そしてそれは思慮深さではなく自己に埋没しているだけなのです。あなたはそれによって鬱という一時的な心の風邪をこじらせ慢性化させてしまっているのでしょう。

実は世の中にはそんな人だらけで、「自分は他人より傷つきやすいHSPだ」などと主張し、他人に気を使わせるようなプレッシャーを与え、そのくせ自分は全然人の気持ちを考えていないために人を傷つけ怒らせるようなことを無自覚にやって嫌われ、やり返されて更に傷ついて被害者意識に陥り、人を避けたり避けられたりして益々孤独になってエゴに埋没し、もう傷つかないようにと自分の殻に閉じり、益々人の気持ちがわからなくなるという悪循環に陥ってしまっているんですね。それはやはりみんなに共通した課題なんです。

負の反芻思考から抜け出すには、他者評価に一切関係なく自分を好きになれるようなエピソードを積み重ねることです。エゴを乗り越え、一切見返りを求めず人に奉仕することです。そういうことが自然とできるようになったら、どんな時でも揺るぎなく自分を好きになり、自尊心が高くなり、思考・行動がポジティブになって人生が好転し、鬱・霊障に悩まされることはなくなってきます。そしてそういう慈愛に満ちた人間は、すべての存在の根源である創造主からの愛を受け取りやすくなり、何事も自然とうまくいくようになるのです。

あなたは過去や未来に捉われて過去を悔やんだり未来を悲観したり、自分と他人と比べて劣等感に陥ったり、自分を責めて蔑んで自己嫌悪に陥ったり、他人を責めて被害者意識に陥ったり、そういう脳内(左脳)から来るネガティブなおしゃべりを止めて、もっと「今」に集中して下さい。未来のために今嫌な事を我慢するのではなく、今やっていることを愛せるようになって下さい。大切なのは過去でも未来でもなく「今」なのです。このあたりの話はネドじゅんさんの本がわかりやすいかと思います。

鬱の人は自分ならいくらイジめても構わないかのようにイジめますが、自分をイジめる主のために自分の脳や体がフルパフォーマンスを発揮してくれるわけがありません。まして周囲の人間関係もうまくいってなくてイジめられて気分が最悪な状態では。全ての存在の根源である創造主から見れば自分をイジめるのも他人をイジめるのも同じことです。まず自他の欠点や過ちを責めるのをやめて許し、愛することに努めて下さい。

またこれは電話相談でも言ったことですが、あなたはまだ霊障というものを幽霊のようなおどろおどろしいものと考え、絶対に勝てないから逃げ回るしかないと思い込んで過剰に恐れているようです。しかし霊障というのはゲームのバイオハザードのゾンビウイルスみたいなもので、霊障に立ち向かうのが我々の宿命(カルマ=課題・シナリオ)なのです。


憑依現象(霊障)については読んで下さっていますか?病気というのは読んで字の如く気(エネルギー)の病であり、それは霊障(穢れ=気枯れ)が原因なのですから、病に犯されている人が集まる病院が霊障だらけなのは当たり前の話で、医療に携わるのならは自分の霊障も患者や職場の人達の霊障もまとめて浄霊・成仏させられるぐらいの慈愛と覇気を持っていなければ人の魂は救えません。人生というRPGは愛と勇気を試して成長を促すためのものであり、いつまでも臆病なままで霊を恐れて逃げてばかりいたら先に進めるわけがありません。

何事も逃げ回るのをやめて正面から立ち向かえば大したことはないのです。結局、逃げ道があると思うから逃げたくなるのでしょう。そして逃げるから怖くなるのでしょう。しかしすべての逃げ道の先は必ず行き止まりなのです。立ち向かう以外にないのだと腹を決めれば腹が据わり、恐れはなくなります。正面突破が最短・最善ルートなのです。

ただ僕は「いつでも絶対に逃げてはいけない」とあなたを追い詰めているのではありませんからね。RPGだって弱っている時・今の自分のレベルの相応しくない強敵に遭遇した時は、一時的に逃げるのが得策って場合もあります。でも力を回復し、レベルを上げ(成長し)、いずれは立ち向かっていかなければならないのだと覚悟を決めなければ、いつまでも人生というゲームは進まないのです。だから逃げなければいけない時もベクトルは常に立ち向かう方に向けておいて下さい。

あなたはいまだに医者という職業からも逃げることも選択肢として考えているようですが、例えば学校から逃げることを考えながら授業を受けていても勉学が身に付くわけがありませんし、試験会場から逃げることを考えながら試験を受けても合格できるわけがありません。退路を考える者は必ずその退路へと追い込まれる運命なのです。だから人生は必ず退路を断つ必要があるのです。例え何となく環境に流されて医者になったのだとしても、天命を信じて覚悟を決めて下さい。

僕らは成長修行のために生まれてきたのですから、どの道を行こうと死ぬまで苦労するのは当たり前です。そのように達観して、同じ苦労をするなら自分の好きなこと・得意なことで、人を喜ばせ幸せにするために苦労しましょう。喜びも幸せも逃げたりラクをしたりしていては得られないものなのです。そして人生という芸術の素材であなたの愛を思い切り表現してみて下さい。

そして運命への呪いに書いた通り、成長に反する5要素を断って頑張って下さいね。
1.怠惰
  (自尊心・自己効力感の低さ、諦め、やさぐれ)
2.臆病
  (自信のなさ、エゴによる不安の強さ)
3.被害者意識
  (相手・運命・創造主への恨み、不平不満・感謝の不足)
  (自分に与えられた課題を相手の問題として考える)
4.自己正当化
  (自分は正しい=価値があるという自己防衛手段=批判・愚痴)
5.依存(逃避)

最初から何も恐れない人の勇気に価値はありません。だから赤ん坊はみな臆病です。臆病なあなたが振り絞る一握りの勇気にこそ価値があるのです。愛と信心でエゴ(我欲・保身・虚栄・怠惰)を乗り越えればきっと恐れはなくなります。

人はいつか必ず死にますが、魂は永遠です。我々は長生きをするために生まれたのではありません。あなたには使命があって生かされているってことを忘れないで下さい。医者は人の今生での命を救うことが第一の使命ですが、永遠たる人の魂を救える存在になって下さい。

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

2024年5月23日木曜日

秘薬による心霊現象について

【質問】
Amazonでコパイバマリマリという樹液を買って数ヶ月飲んだら、不幸の連続や心霊現象が起こるようになりました。3年経つ今も治りません。抗精神病薬も一切効きません。

コパイバを飲んだら、急に無能扱いされて職場で毎日怒鳴られるようになりました。店長からも首と言われましたが、コパイバが原因と気付きやめた途端に店長や悪口を言ってきた人全員が一斉に辞めたので現在もそこで働いています。その後周りからは「無口だけど仕事はちゃんとやる人」という評価で普通に働けています。

ですが、コパイバをやめてもラップ音現象や電化製品の誤作動や悪霊からの悪口があるのですが、どうすれば良いのでしょうか?因みに職場でも怪奇現象が起きるので、職場の人が気味悪がって入口に塩を盛っています。なので、自分だけの妄想とかでは無いです。

【回答】
ご質問有難うございます。それは大変ですね。

コパイバ マリマリというのはアマゾンの秘薬だそうですが、僕はブラジルに長く住んでいても名称さえ聞いたことがなく、それそのものについての具体的な回答はできません。

ただあなたの症状を僕の経験から察するに、それは恐らく脳の受信機であり人生という物語(現実)の映写機でもある松果体の受信周波数・感度を変化させるようなものであり、その点についてはアヤワスカやヨポなどの秘薬と同じようなものではないかと思います。それによって恐らくあなたは魑魅魍魎の蠢く次元の低い異世界と通じてしまったのでしょう。人生の難易度が急上昇した感じですね。

だとすればそれは精神薬などで治るようなものではないので、精神薬治療は早急に止めて下さい。それはスピリチュアル的には悪魔に魂を売るのと同じような行為です。

人生というのは愛と勇気を試すことで成長を促すRPGですから、世界というのはあなたをこぞって怒らせたり不安にさせたりしてきます。そうしないと愛と勇気は試せないからです。しかしそれは(人によってカタチは違えど)伏線上不可避のことなので、まずは覚悟して立ち向かう勇気を持って下さい。

ただ「覚悟して立ち向かう勇気を持って下さい」と言っても、今のあなたがそのままで立ち向かおうとしてもレベル1で魔物に対抗する武器も呪文も何もない状態でしょうから、まだ立ち向かう術はないでしょう。RPGでもレベルに相応しくない敵に出会ったらまずは逃げるのが得策です。しかしいつまでも逃げてばかりいてもゲームは進みませんから、今はまず「自分がレベルアップして、いずれは立ち向かわなければならない相手なのだ」という意識を持って下さいということです。

心霊現象というのは基本的に信心への導きであり、だいたい心霊現象に困っている人というのは心霊というネガティブな霊的存在は経験上疑いようもなく信じているのにも関わらず、神仏・天使のようなポジティブな霊的存在は全く信じていないんですね。そこが問題(課題)なのです。それを解決しないこと(信心を持たないこと)には先に進めないのです。

人生に偶然は存在せず、そのような怪しげな秘薬に手を出してしまったご自分を責める必要はありません。あなたの魂の成長に必要だから与えられている経験なので、自分も誰も責めないで下さい。決して神仏や運命を呪わないで下さいね。人生というRPGはすべて自分次第にできていますので、悪く解釈すれば悪い運命が待っています。

きっとあなたがいつまでも信心に目覚めないために、神仏がしびれを切らしてあなたにその秘薬を求めさせたというシナリオなのでしょう。その点については神への不敬で当たったバチの方と同じだと思いますので、ぜひご参照下さい。

僕個人としては、特定の宗教に所属せずに幅広く学んでいる身であり、どこの宗教が良いとか悪いとか言って特定の宗教に勧誘するようなことはしていません。あなたが縁を感じる宗教に顔を出して相談してみるのが一番かと思います。寄付や勧誘や奉仕など何かを無理に強制されるような宗教なら一目散に逃げて下さいね。

憑依現象(霊障)について」「浄霊効果の高め方」「第三の目の覚醒方法などに書いた通り、霊的な問題に対しては小手先の対処法(塩を盛るなど)では根本的な解決にならず、心からの信心・感謝というものが必要なのです。何か奇跡的な現象を目の当たりにせず心からの信心・感謝というものは生じにくいですから、ぜひそれを経験していただければと思います。

まずは浄霊(お清め・ハンドヒーリングなど手かざし系)をやってくれる宗教を試されることをお勧めします。日蓮系の仏教や修験道系も、寺社が家や会社に近い・身内に信者がいる・家が代々の檀家などなど、何かそういう縁があれば行ってみて下さい。そして人に奉仕し、もし「ここだ」と思う宗教があれば、そこで宗教的研鑽を積んで下さい。僕のようにフリーランスであちこち通って修行を積むのも良いと思います。

カルマというのは霊障(霊的な穢れ)という形で我々に与えられ、それが人を愚かにし、不幸に導くような様々な悪さをしてきます。

カルマ(因果)というのは前世や未来世も含めてどこでどうつながっているかがわからないがゆえに、自分のカルマ(課題)が何かを考えて、考え得る一つ一つのカルマ(課題)に立ち向かって解決していくことが尊いのです。

あなたにはきっと逃げ続けているがゆえに雪だるま式に膨らんでいるカルマ(課題)があるはずです。いただいたご質問だけではあなたがどんなカルマを抱えているのか推察することはとても困難なので、もしよろしければ電話にてご相談下さい。完全無料です。僕は微塵も怖いなどと思いませんので(決してナメているわけではありません)ご安心下さいね。そしてもし経済的・時間的に余裕があれば僕の所に来て一緒に解決を目指しましょう。

2024年5月15日水曜日

コミュ障を克服したい

【質問】30代前半・男性 ペンネーム:脳汁
真也さんこんにちは。最近Xやnote、質問箱を見させていただいてます。

真也さんの考えはとても素晴らしく自分に取り入れようとするのですが、なかなか理解力不足でうまくいかないです。私は昔からいわゆるコミュ障です。友達も少ないですし、職場の人間関係もあまり良いとは言えません。

後輩に話しかけるのも緊張するといいますか、ぎこちない感じになってしまいます。女性だけかなと思っていたら男性にも変な感じになってしまっています。

大勢の人がいる飲み会とかが苦手で、いつも途中でぼっちになってしまいます。最初の方で質問されて終わりなことが多いです。彼女いない暦=年齢で、色恋話になると何も話せず気まずくなってしまいます。

次第に飲み会に行くのも億劫になり、あまり参加しなくなりました。新人歓迎の飲み会にも参加せず、職場の新人の子には絡んでもいないのに嫌われてるんじゃないかと疑心暗鬼になってしまっています。後輩が男女関係なくキャッキャやってると羨ましい限りです。

話は飛ぶのですが、私は人生で彼女がいたことがないので、とにかく女性と絡みたい、ヤリたい気持ちが強いです。

このままだとまずいと思い真也さんにメールさせていただきました。コミュニケーションを円滑にとりたいです。飲み会で浮くことなくその場になじみたいです。 女性はもちろん男性ともうまく絡みたいです。性欲もなんとかしたいです。

まとまりなく申し訳ないです。私はまずどうしたら良いのでしょうか?ご教示いただけたら幸いです。

【回答】
僕もかつてはいわゆるコミュ障で、幼い頃からいつも周囲から浮いて仲間外れで、中学では全くモテずにバカにされて辛い思いをしましたし、高校は男子校で女性と絡むことすらできず(大学ではハジけましたが)、サラリーマン時代は職場の人間関係でとても苦労したので、あなたの辛いお気持ちはよくよくわかります。

悩んでいる時というのは、その問題で悩んでいるのが世界で自分一人だけであるかのように思えて孤独に感じてしまうものですが、あなたと同じように悩んでいる人は他にもたくさんいるのです。職場の人もあなたとうまく接することができず成長させられていないという時点であなたとそこまで大差はないレベルにいるということであり、きっとそれぞれ人間関係に悩んでいることでしょう。

日本では30歳での童貞率が30%を超えるという調査もあります。あまり統計などの数字に捉われるのは良くないことですが、同じ問題で悩んでいる人がたくさんいるということだけは認識しておいて下さい。そしていつか同じように悩んでいる人に心から同情して救える存在になって下さい。

悲しみへの同情を伴わない愛は愛ではありません。悲しみというのは我々が同情し合い深く愛し合えるように与えられているものなのですから。

あなたには具体的な方法に入る前に説明しなければならないことがたくさんあり過ぎて長文にならざるを得ないのですが、どうか最後までついてきて下さいね。キツい部分も多々あるかと思いますが、あなたの幸せを願う100%の愛ゆえですのでどうぞご了承下さい。

>>真也さんの考えはとても素晴らしく自分に取り入れようとするのですが、なかなか理解力不足でうまくいかないです。
いえ、あなたが理解できないのは理解力の不足ではなく、何でも自分に都合よく解釈して経験せずに頭の中ですべてを自己完結し、言われたことを素直に試してみて経験を積む勇気を持とうとしていないからだと思います。僕らは情報を集める為ではなく、経験を積むために生まれたのです。厳しいようですが、あなたがもし理屈で己の臆病と怠惰を正当化するような感じを続けるのなら、僕が苦労してまた説明を重ねたところであなたが理解することはないでしょう。

誰でも自信満々になれる方法は僕からの究極のアンサー(愛)であり、僕は100mを10秒で走るように言っているわけではなく、覚悟さえあれば誰にでもできることしか書いていないのですが、あなたと同じように「自分には無理です」っていう感じの感想が結構多いんですね。なのでそのように主人公としての目覚めがまだ遠いNPC状態にいる魂の同志達に対して、もっと容易で実践的な上達方法を伝えておきたいと思います。

あなたはもう30歳を超えているということで(焦ってはいけませんが)今何とかしなければもう後がないのはあなたが感じている通りだと思います。そして僕以外であなたの悩みに的確な導きを伝えられる人にあなたが出会える可能性は、何度輪廻転生を繰り返そうときっと限りなくゼロに近いと思います。偉そうに思われるかも知れませんが、ラストチャンスだと思ってよくよく聞いていただけると幸いです。

あなたは異性からも同性からもモテたいようですが(人として当たり前ですが)、あなたが欲しいと思うものは、何も言わなくても全知全能たる創造主はみんな知っています。創造主がその人の欲しいものを知っていながら与えないのは、
1.まだシナリオの伏線の回収(課題の克服・カルマの解消)ができていないから
2.信心がなく、既に与えらえれているものへの感謝がないから
3.願望がエゴでしかなく、愛がないから
です。

あなたに必要なのは、まず己が今現在不幸であることを逃げずに認めること(自己正当化・言い訳=成長拒否をやめること)だと思います。考え方が正しければ人は幸せになるようにできているのであり、今現在あなたが不幸なのは根本的にどこか絶対に間違えていて、それを改めなければならないことに気づかせるためなのです。つまり成長を期待されているってことです。

今現在のあなたは広義では確実に鬱状態(霊障に憑りつかれ、無明の闇に閉ざされている状態)であり、不幸なのです。しかし幸せを実感するためには不幸の経験が必要悪であり、不幸は過程に過ぎないのです。不幸は乗り越えるべき課題を教えてくれているのであり、成長には必要なもので、それを欠点や神(運命)の意地悪のように考えて、恨みで返さないで下さいね。

いわゆるコミュ障の人というのは、コミュニケーション能力の問題以前に愛(思いやり)に欠けているんですね。エゴに捉われて自分の都合しか考えてなく、そしてそれを当たり前のように思っていてその自覚もなく、出会った人に対して関心があまりないのです。それで無神経に相手を傷つけたり怒らせたりするようなことを言ったりやったりしてしまい、そのことに気づきさえしないで嫌われてイジめられて被害者意識に陥っている人が多いです。それで運命を呪い自分自身・人生を愛していないために他人に対しての関心が更に薄くなり、常に自分の魂の成長にとってベストな出会いが与えられているというのに感謝の気持ちも湧かず、必然としてエゴが愛を圧倒的に上回り、人間関係がうまくいかないのです。

人生というRPGはすべて自分次第であり、人間関係は鏡ですから、エゴばかりで愛(思いやり)がない人というのは愛されないのです。エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、エゴがなければ愛は存在し得ません。だからエゴ自体が悪いわけではありません。ただエゴ同士は反発するのが必至であり、自分のエゴを乗り越えて相手のエゴを少しだけ優先して愛で満たすことが良いコミュニケーションには必要なのです。

コミュニケーション能力などより愛(思いやり)の方が絶対に大切です。愛(思いやり)に欠けている人にいくらコミュニケーション能力があっても、エゴ(自己利益)のために他人をうまく利用する詐欺師のようにしかならず、それでは結局は誰からも愛されないのです。逆にどれだけ不器用だろうと、愛(思いやり)のある人間はみんなから愛され、コミュニケーション能力の低さなど障害にはならないのです。つまり世間にコミュ障だと思われているものは単に愛情不足であり、小手先のコミュニケーションスキルを身に着けることなどより、己の中にある愛(思いやり)を育てていくことがずっと大事だということです。

野球が下手でも野球障害とは言いませんし、ギターが下手でもギター障害とは言いません。でもコミュニケーションが下手な人はコミュ障と言われます。まるで自分には生まれつき脳に克服不可能な問題でもあるかのように。

しかしコミュニケーションだって野球などのスポーツやギターなどの楽器と同じで、毎日少しずつでも成長を楽しみながら続けていれば否応なく上達していくのです。

それなのに自分自身や他人への愛(思いやり)がなく、自分(プレイヤー・主人公)を条件(才能など)の違う他人(他プレイヤー・NPC)と比べ、自分自身ならいくらイジめても構わないかのようにイジめて愛さず、他者評価に依存して傷つきやすいままで、傷つくのを恐れて「コミュ障」を言い訳にして、いつも逃げ回って精神的に引きこもって成長を拒否し、自尊心が低いままでいつも「どうせ自分なんて・・・」と考えて悪い思考・行動が止められず、嫌な記憶を何度も反芻して追体験し、自身に対してネガティブなイメージを強く持ってしまって鬱状態に陥っていてエゴにまみれ人を思いやる余裕(愛)をなくしているから、いつまでもコミュニケーションが上達しないままなのでしょう。

何事もそうですが、できない理由を探しても、できない言い訳探しになりがちで、できるようにはならないものです。ギターを始めたばかりの人が現在自分が下手な理由を分析しても弾けるようにはならないでしょう。そしてできない状況を詳しく分析したところで現状のみじめさに落ち込むようになるだけで意味がないでしょう。できない理由・状況はできるようになった後で必然的にわかるものであり、できないうちにそれを知ってもしょうがないのです。

ですから反省してはいけないに書いた通り、反省して自尊心を下げることなく、まず自分を許して愛して下さい。ワンネスである創造主からすれば、あなたが自分を傷つけるのも他人を傷つけるのも同じことなのです。自分を嫌い他人を嫌っていたら、全ての存在の根源である創造主の愛を受け取れず不幸に導かれるのは必然なのです。

あなたの人生というのはあなたを主人公(プレイヤー)とするRPGであり、自分以外はすべてNPC(ノンプレイキャラクター)なのです。それはテキトーに扱っても良いという話ではなく、人・出来事との出会いはすべてシナリオに沿った必要なものであり、出会う人・出来事のすべてがあなた自身でもあるということです。だからエゴに捉われず、誰の事も責めずに許し、愛をもって他人と関わることが必要なのです。

人生は愛と勇気を試し成長を促すためのプログラムです。ですからあなたが出会うあらゆる人・出来事があなたを怒らせ、また不安にさせてきます。そうしないと愛と勇気は試せませんからね。プレイヤー(主人公)であるあなたは常にそれに打ち勝っていかなければならないのです。そうしないと成長はありえず、不幸に導かれますからね。

不安になる人は他人もその不安に巻き込みます。みんなそこに引きずり込まれたくないから臆病な人は人から避けられるのでしょう。

我々が事故や病気で死ぬ確率を全部足したらとっくに死んでいます。確率で考えるなら、僕らの人生もこの世も生まれていません。使命があって「生かされている」っていうことに感謝と信頼の念を持って下さいね。そこに対する信頼(信心)がないから不安になるのでしょう。もっと信心を持ち、神に仕え、神の分身たる人に奉仕し、いつも堂々として人を安心させられる存在になって下さい。

他人の顔色を伺うのを止め、どうやったら自分が気分良くいられるか・笑顔になれるかを考えて実践して下さい。笑顔を幸せの副産物と考えるのではなく目的化するのです。自分が幸せで笑顔なら人も寄ってきます。今現在不幸な状態にあるあなたはきっと不幸な表情をして不幸オーラをまき散らしているために人が寄ってこないのでしょう。不幸な人の言うことは、どれだけ正論だろうと「こう考え・こう行動すれば不幸になる(自分は間違っている)」と教えてくれているようなものですから。

僕は「絶対に逃げてはいけない」と言ってあなたを追い詰めているのではありません。RPGでも自分が弱っている時やレベルに相応しくない強敵に出会った時は逃げるべきです。でもいつまでも逃げていてはゲームが進まず、永遠にクリアできません。人生というRPGにおいて苦手な相手も、いつかは対峙して乗り越えていかなければならない課題なのだと認識して下さい。

僕がいわゆるコミュ障の頃は、自分に対してだけ世界が閉じられているかのように感じていました。でも乗り越える過程で、世界は自分が心を閉ざしていたから閉じられていたのであり、自分が心を開けば世界のすべての扉が開かれて行くということに気づかされました。心を開くというのは、自分と他人をありのままに受け入れ、許し、人生という物語の共演者として尊敬し、存在に感謝し、愛することです。

人間関係は完全に鏡であり、あなたの苦手な相手は時間差のある拡大鏡です。宇宙の仕組みに書いた通り、あなたの認識世界のすべてがあなた自身の反映なのです。だから誰かを嫌うほど自分自身が嫌いになるのは当然と言えます。だから愛を無条件化していくことが大事だと常々僕は言っているわけです。

自尊心は幸せの根幹であり、あなたは自分自身を嫌っているから他人も嫌いになるのであり、あなたは相手が嫌な対応をしたくなるような態度を無自覚にしているのでしょう。そういう相手を嫌っていたら自分自身も嫌いになる無限ループに陥るのは当然です。すべての存在・事象は創造主なのですから、自分も他人も嫌いではすべての存在・事象があなたの敵になってしまいます。

人は「風の谷のナウシカ」の腐海の植物のように、己の心の水がエゴの毒で汚れているから、己の心の住民である相手は毒を生じるのであり、己の心を愛で満たして綺麗にしたなら、相手も毒を出さなくなっていくのです。

だからまずは自分も他人も責めず許すことです。あなたが嫌な人は嫌な人になるだけの心の傷を抱えているのです。あなた自身と同じように。本当は愛されたいのに止むに止まれず嫌な人になってしまっているのですから、その原因となっている心の傷にまず同情して思いやって下さい。

>>大勢の人がいる飲み会とかが苦手で、いつも途中でぼっちになってしまいます。最初の方で質問されて終わりなことが多いです。
コミュニケーションの基本は「質問」です。関心は愛の入り口であり、関心がないのに愛しているということはありえません。そして関心があるのに質問もしないということもありえません。関心→質問なしに愛は生まれないのです。

今までのあなたのように相手の質問に誠意を持って応えず、相手に関心がなくて質問もせず、相手を愛そうという試みさえしないようなら、コミュニケーションが成り立つわけがありません。もし経験に乏しい人間であることを自覚しているのなら、なおさら経験豊富な他人に関心を持って質問してたくさん吸収すべきだと思います。

あなたは恋愛経験がないことがコンプレックスになっているようですが、経験に乏しいことも一つの経験であり、モテる人にはモテる人の学びの道があり、モテない人にはモテない人の学びの道があるのです。

サブカルの教祖で女子にモテまくったみうらじゅんが今一番なりたいものは「童貞」だそうです(「童貞再生手術」ってネタを書いてます)。僕も結構そう思ったりすることがあります(笑)妄想は楽しいですからね。

すべてはあなたという魂の成長に必要だから与えられている経験であり、主人公(プレイヤー)なのに、条件が違う他のプレイヤー(NPC)と自分とを比べてその経験や能力や富や名声などに優劣をつけてひがんだり劣等感に陥ったりせず、もっと堂々としていて下さい。

あなたにはあなただけにアレンジして与えられている課題(カルマ・シナリオ)があり、あなたは他人とは違うあなただけのゲームをしているのです。あなたにはとても難しい課題が与えられているようですが、それは魂のレベルが高いからであり、課題を欠点のように考え、他人と己を比べて他人を羨み己を蔑んだり、運命を創造主の意地悪であるかのように呪ったり、被害者意識に陥って親や誰かを恨んだりせず、ただ己の目の前の課題から逃げずに立ち向かって下さい。

創造主は全知全能のままでは何も経験できず何も楽しめないので人間を創ったのです。あなたという存在は、全知全能たる創造主があなたという人生を経験したいと思ったから存在しているのであり、尊い存在なのです。そして人生の不幸を経験し、試行錯誤して乗り越えて成長して幸せになっていく過程こそに価値があるのです。自分の思い通りにならないのは人生のデフォルトであり、それによって自分に価値がないなどと思わないで下さい。


他人と比べ他人の評価ばかり気にして己の尊さに気づけなければ、あなたの認識する世界全体が暗いままになってしまいます。どうか己という存在の尊さに気づき、世界を救う主人公であることにいつか目覚めて下さい。(菩提心・天上天下唯我独尊)

あなたが何のお仕事をしていらっしゃるかわかりませんが、職場で浮いているのならあなたはその仕事に向いていない可能性が高いと思います。どんな仕事であれ周囲とコミュニケーションを取れないというのは致命的です。その状態でクビにならないのはあなたに余程それを補う能力があってまだ成長を期待されているかも知れませんし、あなたが今の仕事を本当に好きでその先に夢や目標があるのなら続けるべきかと思いますが、もしそのような周囲から浮いている状態を続けていたらあなたの自尊心は下がり続けてどんどん精神を病んでしまうでしょう。

例えば介護や清掃のように、能力よりも誠心誠意・一生懸命やることの方が喜ばれる仕事をした方が良いのではないかと思います。能力・利益重視の環境で、コミュニケーション能力が職場のみんなより圧倒的に低いという環境では出世するはずもなく、自尊心を保つのは難しいことでしょう。あなたは介護や清掃のような仕事を奴隷の仕事のように下に見ているかも知れませんが、そういう人に奉仕する仕事こそが神事なのあり、お金にしがみついて嫌な仕事の我慢代の駄賃にしがみついている人こそが奴隷であり、もしそのようになっているのなら早くやめた方が良いかと思います。

>>とにかく女性と絡みたい、ヤリたい気持ちが強いです。
性欲は必要があるからこそ健康なら誰にでも例外なくあるもので、本来その存在自体に罪悪感や羞恥心を感じる必要はありません。ただ、僕も経験があるのでお気持ちはよくわかるのですが、あなたの問題(課題)は性欲をどうすべきか以前に、あなたには愛(思いやり)が欠けていて、女性を性欲の対象としてしか見れていないことなのです。まぁ童貞なら無理もないことではあるのですが。

もしあなたに愛があるのなら、ご質問内容は「どうしようもなく好きな人がいるのですが、どうコミュニケーションを取れば良いかわからず悩んでいます」のようになると思います。なのにあなたの御質問内容からは「ヤりまくりたい(エゴのために他人を利用したい)けど、コミュ力が低くてできずに悩んでいます」という印象を受けてしまいます。それではコミュ力を手に入れたところで結局は誰とも心から愛し合えることはないでしょう。

あなたは自身の性欲(エゴ)に捉われて見えなくなっていると思いますが、あなたのモテたい・ヤりまくりたいという願望は、単なる性的な欲求だけではなく、誰かと深く結びつきたいという孤独感と、他者評価依存が根源なのです。自分で自分を嫌っていて、価値のない自分に評価されても嬉しくなれず、他者に評価されないと自分を評価できず、他者から評価されない自分には価値がないと思ってしまっているのでしょう。(だから風俗で性行為をしても決して満たされることはないのです。相手女性の目的は金であって、あなたを愛しているわけではありませんからね)

特に日本人は家庭でも学校でも社会でも、幼い頃から他者評価に依存して自尊心が低くなるように育てられています。自尊心の低い人間は権力に対して従順になりますからね。他人の評価というのは人それぞれで、気まぐれかついい加減なものであり、そんなものに自分の評価を委ねたら、必然的に些細なことでも他人からの評価に傷つけられて振り回されて、自分にも他人にも嘘をつくようになって、自尊心など育みようがないのです。

どうしたらモテますか?に書いた通り、自信はモテに最重要な要素であり、モテることで自信をつけたくても、自信がなければモテるようにはなりません。現状モテていない人が無理にモテようとすると、益々モテなくなる(嫌われる)上に本物の愛も遠ざけます。

30歳過ぎまで全くモテてこなかったコミュ障の人が、何かしたからといって突然モテまくりヤリまくりになるなんてことはありえません。歩ける前に走ろうとすればケガをするのが目に見えています。

だからまずモテようとする前に、自分の中にある「人を愛する(思いやる)気持ち」の種を大切に育て、そしていつでも自分らしくあることを大事にして、みんなと一緒に幸せになることを目指して下さい。

前述した通りスポーツにしたって楽器にしたって、どれだけ才能がなかろうと、それをやること自体を愛して毎日楽しみながら続けていれば、必ず上達するのです。なのに上達を他プレイヤーである他人と比べて落ち込んで内心成長を諦めているから楽しくならないのでしょう。あなたが幸せになるためにはかなり長い過程が必要になるかと思いますが、どうか諦めずに目の前の乗り越えられるハードルを一つ一つクリアしていくことに集中して下さい。

あなたがどうしてもヤりまくりたいのならば、女性にも性欲はあるわけですから、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」で、己の性欲を恥ずかしがらずに堂々として女性に声をかけまくれば良いと思います(職場では今のあなたがやると総スカンを喰らう可能性が高いので、外でやって下さいね)。

「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」を実践する過程で痛い思いもたくさんすると思いますし、予後のことを考えるとおすすめはし難いのですが(自尊心を求めてキリなく女性を求め続け、いずれそれができなくなって鬱屈するか破綻することになるのは確実ですからね)、本当にヤりまくらなければ気が済まないのでしたら、無理に我慢して鬱屈するのは良くないことだと思いますし、ネガティブなエネルギーをポジティブなエネルギーに昇華させることは青春の必要な過程だと思いますし、それが仕事に活かされるってこともあると思うので。

それと清潔感はとても大事です。それは体だけでなく生活環境も心も所作も美しくしていくということです。

ただ多くの男性は「清潔感」というのを誤解しています。どれだけ衛生的に清潔にしてようと、内心はエゴまみれでヤること・相手を自尊心の踏み台にすることしか考えてなく、いつも他者評価に依存して自分でも自分を嫌い、恥ずかしがって傷つくのを恐れてビクビク・オドオドしてゴキブリみたいにコソコソ・カサカサしていたら不潔に見えてしまうものなのです。だから例え最初は虚勢であっても「堂々とすること(どんなことがあっても自分を愛し抜く覚悟・自尊心)」ってとても大事なのです。ゴキブリが気持ち悪いのはその生態であって、ゴキブリがいかに衛生に気を配ろうとも清潔には感じられませんし、人から好かれるようにはなりません。生態そのものを変えていく必要があるってことです。

人生は愛と勇気を試し成長を促すプログラムですから、ビクビク・オドオドはその愛と勇気(成長)と相反する心理状態であり、そういうオーラがどんどん不幸を招き入れてしまうのは当然です。

今のあなたは女性に声をかけるのも性欲ムンムンで恥ずかしくて過緊張して躊躇する状態でしょうから、まずは街で女性に道を聞きまくることから始めてみて下さい。きっと驚くほどみんな親切に答えてくれるはずです(そうでない人もたまにいるかも知れませんが)。教えて貰ったら丁重にお礼を言いましょうね。

あなたは職場で疎んじられているために世の人は冷たい人ばかりだと思っているのかも知れませんが、それはあなた自身に愛がなく冷たいからです。人間には「人の役に立ちたい・人を喜ばせたい」という根源的な欲求があるのであり、あなたが考えているよりも多くの人は愛(思いやり)を持っているのです。そのことに実践を通じて気づくことが大事です。

職場では「この人にはこう接するべき」という暗黙のルールみたいなのができあがってしまっていて、それに反するのは面倒なことが予想されるので、みんな無意識に同じような接し方をしてくるのです。あなたは現在職場で浮いた存在になっているのでしょうから、まずは職場の外で知らない人と積極的にコミュニケーションをとってみて下さい。あなたが変われば職場での扱いも変わってきます。

そしてどうか「六波羅蜜」を実践してみて下さい。六波羅蜜で重要なことは「見返りを求めず人に無償で奉仕する」ということです。それがあなたの中にある小さな小さな愛の種を育てることになるのです。

「布施」というのは何も金銭を寄付することだけを指すのではありません。人に笑顔で接し、話を否定せずに肯定的かつ真剣に聞き、親切にすることこそが大事な布施なのです。それが相手に承認欲求というエゴを満たすことになり、相手の存在を肯定し自尊心を上げることになるのです。相手は「自分は愛されている」「自分はここにいて良いのだ」という無言のメッセージを受け取ることになるのですからね。それ以上の奉仕・功徳というのは僕には思いつきません。

六波羅蜜には「八正道」というのがありますが、「何が正しいのか?」がわからなければ実践しようがありません。「何が正しいか?」は、その考え・行動が自分と他人を同時に笑顔(幸せ)にするものかどうかでわかるのです。いつだって人生のコンパスはみんなの心からの笑顔なのです。

そして自己嫌悪・厭世観・希死念慮で辛いにも書いてますが、是非ノートとペンを手にお年寄りにインタビューしてみて下さい。身近にいなければ公園や神社仏閣や老人ホームなどお年寄りがいそうなところに行ってみて下さい。何かの成功体験を聞かせてもらうためではないので、本当にどこにでもいそうな人で構いません。どっちみち今あなたに一番必要な人と出会いますから。

いきなりノートを取ろうとすると怪しまれるので、話しかけてある程度慣れてから「自分の人生勉強用に、何でもいいのでお話を聞かせて下さい。どこかに載せる訳ではありません」という感じでインタビューをお願いしてみて下さい。

まだ若く、しかも鬱で孤独に陥っている状態にあるあなたの人間関係はきっと狭く、付き合いがあるのは同年代の若い人が割合としては圧倒的に多いことでしょう。しかし若い時というのはどうしてもエゴが強く、それは反発し合うのが必然なんですね。それでお互いに責め合い、争い合い、奪い合い、マウントを取り合ったり意地を張り合ったりしてしまうものなのです。

もちろん歳をとってもそのまんまっていう魂のレベルの低い人も多いんですけど、全般的に見ればお年寄りというのは欲が下がって角が丸くなり寛容で優しくなっているものなので、あなたが好き嫌いなどのエゴを前面に出さなければぶつかる事は少ないでしょう。

お年寄りというのは往々にして周囲に話を聞いて貰えないことに不満を抱いているもので、もう死期が近づいているのにせっかくの自分の人生経験を若い人達に伝えられず、自分の存在意義に苦しみがちなのです。だからこそ、お年寄りというのはただ話を聞くだけでこちらを好きになってくれて、自分の経験を生かして貰いたいために話を聞いてくれた人を応援してくれるものなのです。

あなたには人を愛し愛されるという経験が圧倒的に不足しているために今の状況に陥っているのでしょうから、まずはあなたの心(仏国土)に、あなたを愛してくれる住民を増やすことが大事です。きっと彼らがあなたの大応援団になってくれることでしょう。魂は永遠ですから、彼らが亡くなったからといってあなたの心から消えるわけではなく、むしろ天界から応援してくれる存在が多い方が人生はうまく行くのです。

インタビューさせてもらう際に留意すべきことは、
『出会ったら心からの尊敬・感謝・慈愛を笑顔の挨拶で示すこと
(嫌われるかもなどと心配してビクビク・オドオドしないこと)
『感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に接すること
(決して見下したり批判したりしないこと)
『聞きに徹して相手の話を一切否定せず、肯定的・共感的に話を聞くこと
(好き嫌い・良し悪し・正しい間違ってる・面白い面白くないなどを判断しないこと)
話を聞く目的をジャッジしたり改善したりすることから、経験と感情を共有することに置いて下さい。

相手は自分の鏡であり、悪い感情を向ければすべて自分に返ってきますからね。お年寄りを見下せば、自分が歳をとるのが苦しくなるだけです。必ず感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に接して下さい。

そして自分の話は極力しない方が良いです。特に相手が鬱っぽい人の場合、自分と意見が違うというだけで、自分の意見が否定された=自分の存在が否定されたと感じてしまうものなので。あくまでもインタビューの主役は相手であり、相手と共感し肯定する時にだけ最小限自分のエピソードを話せば良いのです。

相手はあなたに替わってあなたにはできない貴重な経験をして、それを無料で共有してくれて気づき・学びを与えてくれているのですから、無条件で尊敬・感謝すべきなのは当然です。決して否定したり自分の意見で相手の話の腰を折ってはいけません。

そうして感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に話を聞かせて貰えば、きっと素晴らしい気づき・学びが得られるだけでなく、人を許し愛することを覚えて、愛されて自尊心が高まることでしょう。

あなたがおばあちゃんたちの話を聞いてモテモテになれば、きっと若い女性からもモテモテになるに違いありません。逆に話を聞くだけで好きになってくれるようなおばあちゃんたちからモテないようでは若い女性にモテようと思っても話になりません。あなたがおばあちゃんたちから「人を愛し愛される経験」を積ませてもらえば、コミュ障の問題はいつの間にか解消されてみんなから愛される存在になっていくことでしょう。

そしてこの「人との接し方」はお年寄りだけではなく、あらゆる年代の人に対してもこうあるべき「人間関係の基本」であるということに気づいて下さいね。

次にこれも自己嫌悪・厭世観・希死念慮で辛いにも書いてますが、「自分大好きエピソード」を積み上げていって下さい。誰が見ていなくても、自分で「この人好きだなぁ」と自分を好きになれるようなエピソードです。

それは他人からの評価は一切関係なく、一切結果(見返り)を求めず、自分のエゴより少しだけ相手のエゴを優先して満たしてあげるというエピソードです。人のために無償で奉仕をすると、それを誰にも見られず評価もされず何の見返りがなくても、自分で自分を好きになれる「自尊心」という最大の見返りが即得られるのです。

人は深層心理ではエゴを醜いと感じていますから、エゴを動機に行動してばかりいると、心の深い部分に自己嫌悪がマグマのようにどんどん蓄積してどんどん自分を嫌いになってしまうのです。人間は得をしても損をしても脳にダメージを受けるようにできていることは科学的に証明されています。世界はワンネスなのですから当たり前なのですが。

しかし自己利益を得てエゴが満たされると、快楽物質が分泌されてそのことに気づけないようになっているのです。あなたは女性とSEXできればエゴを満たされて問題が全部解決されて自分を好きになって幸せになれると勘違いしているようですが、決してそうはならないのです。

いわゆるコミュ障の人というのは相手を都合よくエゴのために利用することしか考えていないのに、心の奥底ではそのことに罪悪感と羞恥心を感じていて、エゴのために人に嫌われることを恐れてていつも本心を隠さなければならなくなっているから、臆病になってうまく人と関われないのでしょう。ヤりたい(エゴまみれ)→恥ずかしい→本心を見せられない、嫌われるのが怖い、といった感じで。

「本当の自分を知られたら終わりだ」とビクついて必死に自分を隠しながら(自分も他人も欺きながら)人と接していては心を開けるわけがなく、コミュニケーションが楽しくなるわけがありません。心を誰に見られても大丈夫なように愛で満たしてみて下さい。どっちみち創造主には全部見られているのですから。いつも人に愛を与えることしか考えないようになったら、己のエゴによる罪悪感や羞恥心は小さくなり、むしろ本心を見て欲しいと思うようになり、楽しく堂々と人と接することができるようになります。

前述したように、人と人がぶつかり合うのは磁石の同極同士のようにエゴがぶつかり合うからなのです。だから人を愛し自分を愛することが大事なのです。つまり相手のエゴという極に対してこちらの愛という極を向けることです。

鬱というのは自尊心の病であり、人は鬱状態に陥ると、反芻思考で何度も嫌なエピソードだけを選択的に繰り返し思い出して自分も他人も世の中も全部嫌いになる高速回路みたいなものができあがってしまいます。その高速回路を断ち切って自分を救い出してくれるもの、それがこの「自分大好きエピソード」なのです。あなたの過去にそういうエピソードが一つもなくても、これから一つ一つ積み上げていけば良いのです。どんどん目の前の人に無償で親切にして、困っている人がいたら助けてあげて下さい。

誰でも自信満々になれる方法にも書いてますが、能力とその他者評価を高めることで自信を持とうとしても無理なのです。器の大きいポジティブな人間になりたいのなら、もっと人を無条件で愛することです。出会った人に対して例外なく慈愛・思いやりの心を持つことです。

次にこれは悪いカルマの解消法について詳しく書いていることなので省略しますが、カルマの浄化に努めて下さい。あなたはあまりスピリチュアルなものを信じない方なのかも知れませんが、半信半疑でもとりあえず信じてやってみる、という姿勢がなくては、今あなた自身を不幸にしているあなたの常識に捉われたままになり、成長する機会が一切なくなります。

とりあえず信じてやってみて悪い結果になっても、必ず経験は手に入ります。僕らは情報を集めるためではなく、経験するために生まれてきたのであり、経験(感情)こそが価値なのです。

人間は成長のために敢えてわからないことだらけに創られているのですから、何も信じずに生きるということは不可能です。何も信じていないという人は自分が自分の勝手な常識を信じているだけであることに無自覚なだけです。そしてその常識というのはスピリチュアルを配した唯物主義・資本主義(金拝主義)であり、それは人がエゴのために生きるのが当たり前だという考えであり、それは悪魔教を信奉しているに等しいのです。

カルマというのは霊障(霊的な穢れ)という形で与えられているもので、あなたの今「自分はこういう人間である」と思っているものは、霊障に深く犯されている人に共通する特徴であり、あなたの本当の性質ではないのです。でもあなたは「自分らしさを大切に」と言われても、「コミュ障」のようなネガティブな自己イメージしか持てず、本当の自分がどういう人間なのか想像する事さえできなくなっていることと思います。

「エゴ(欲)とは何か?」に書いた通り、エゴと愛は相反する要素であり、あなたはエゴに捉われ切っているように感じられます。それは憑依現象(霊障)についてに書いた通り、霊障に犯され切っているということでもあります。霊障に犯されるとカルマが雪だるま式に大きくなっていき、それが自分を追試験のようにどんどん追い詰めて、楽しい夏休みをどんどん目減りさせてしまうことになります。

人間には自意識があるために、自分を一つの意思で動いているかのように錯覚していますが、実際は複数の霊的意思に翻弄されているのであり、コミュ障の人というのは自分自身(霊的意思同士)とのコミュニケーションがうまく行っていないのです。それで常にエゴ(欲望)・ネガティブな感情に振り回され、流されているのです。

霊障に深く犯された人間というのは、エゴまみれになって愛がなくなり、まるで心に壁を敷き立てられたように他人の気持ちがわからず、相手の気に障るようなことをピンポイントで言って傷つけて嫌われて避けられるようになります。知らず知らず人から気持ち悪がられるような趣向になり、それが常態化して容姿までが悪化し、当然異性にもモテず、他者評価に依存しているために他人に振り回されて自分を見失い、人から何か言われる度に傷ついてひどく落ち込み、人に嫌われたり蔑まれたりして傷つけられるのを恐れて孤独で暗い性格になり、自分自身であればどれだけイジメても構わないかのように自分を蔑んで嫌い、そんな自分を何とか正当化して自尊心を保つために他人の欠点や過ちを責めて見下し、己の欠点や過ちを許せなくなってますます自分を蔑み嫌うようになります。そのようにして霊障に深く犯された人は精神を病んでいくのです。

それを自分のせいだと考えたくないために脳の障害だと考えて精神科に行って薬づけにされてますますおかしくされ、自我を霊障に完全に奪われ、霊障そのものみたいな人間になってしまうのです。そして最悪のケースは自死に至ります。

長年精神を病んでいると、自分も他人もそれが己の本来の性格のように考えてしまいますが、決してそうではないのです。それは霊障であり、その人の覚りに必要な過程であり、その人がその経験なく覚りを開けないから与えられている課題なのです。

千年暗闇に閉ざされた部屋を照らすのに千年分の明かりが必要なわけではありません。あなたは自分をコミュ障で暗い人間だと決めつけているのだと思いますが、目覚めれば本来の自分をきっと取り戻せると思います。生まれた時から暗い赤ん坊はいません。そしてエゴにまみれていない赤ん坊もいません。今のあなたの暗い性格はあなたが今まで自分の愛を育てることなくカルマを雪だるま式に積み上げて来たことが原因であり、それは覚りの一過程なのです。

だからあなたがやるべきことは、まず信心を持ち、それを形に表すことです。つまり神とその分身たる人間に無償で奉仕することです。どこかの信者になる必要はありませんが、浄霊は受けた方が良いと思います。それもできるだけ毎日。それが日々霊障を祓うことであり、霊的成長につながるのです。

創造主は言いました。「樹が鳥を愛するように人を愛せよ」と。大地と空から愛を受け取り、花を咲かせ、豊かに実り、何も結果(見返り)を求めず、鳥達が集い喜びに歌うのを我が喜びとするのです。そうすれば鳥たちがその実りの種(愛・覚り)を運んでいき、この世界は愛に満ちた幸せなものになっていくことでしょう。

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最後に、あなたの歳の頃の僕もまったくNPC思考そのものでしたから、あなたが今のような状況に陥っている苦しみはよくわかります。しかしそれも必要な経験だから与えられているのです。人とうまく関われない苦しみを知るあなたは、一刻も早くそれを乗り越えて、同じように苦しんでいる人たちに心から同情して救いたいと思って下さい。そして僕が創造主の代弁としてここまで苦労して書いたことをきっと無駄にせず、覚悟を持って実践し続け、いつかきっと主人公として目覚め、周囲の人も主人公として目覚めさせられる本物のメシアになって下さいね。そうなる覚悟を持てば、そう遠くない将来にきっと乗り越えられると思います。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...