2025年3月20日木曜日

LSDの後遺症について

【質問】30代・男性 ペンネーム:ビタミンD
こんにちは。突然ですが真也さんに相談したいことがあります。

過去の人間関係(元彼女)のことが、ずっと頭から離れなくて苦しんでいます。

僕は過去に、強い不安やパニックに襲われることがありました。そういうとき、助けを求めても「なんでそうなるの?」「子供みたい」「もう嫌いになった」「帰って」と突き放されました。

でも、相手(元彼女)がパニックになったときは「ちゃんとケアしてほしい」「見捨てないでほしい」と求められました。僕が同じようにしんどくなったときは冷たくされるのに、相手がしんどいときは支えることを求められる――その理不尽さが受け入れられなくて、今でもずっと頭から離れません。

最後には「好きだった気持ちが壊れた」と言われて終わったのですが、僕の中では納得できなくて、何度もその出来事を繰り返し考えてしまいます。そのせいで「僕はクズだ」「何の価値もない」「消えたい」と思うことが増えました。でも、本当は「みんなに優しくしたい」と思っています。振り返ると、自分も防御しすぎて、相手とちゃんと向き合えなかった部分がありました。だから、これからは少しずつでも変わりたいと思っているのですが、どうすればこの苦しさを乗り越えて、人とちゃんと向き合えるようになれるのか分かりません。

現在、この相談について考え続けてしまい、仕事が手につかず、実家で引きこもっている状態です。外出や入浴もできず、毎日朝起きた瞬間から思考のループが始まり、寝るまで止まりません。睡眠中も夢の中でこのことを考えてしまい、心が休まる時間がまったくありません。

今の僕の気持ちを、誰かに聞いてほしくて送らせてもらいました。もし何か思うことがあれば、教えてもらえると嬉しいです。

※後から僕とのメッセージのやりとりで、質問者様は
・元々躁鬱病を患っていること(今は通院しておらず)
・LSDの使用歴があること(躁鬱と憂さを晴らすため・遊び)
・LSD使用のきっかけはシャーマンRという有名詐欺師であること
・元彼女にも勧めて、一緒にLSDを使っていたこと
などを正直に告白してくれました。


【回答】
ご質問ありがとうございます。お気持ち、心よりお察し申し上げます。

この件に限らず、僕は僕に救いを求めて相談してくれる質問者の方を責めることは決してありません。欠点も過ちもない人は存在しませんので「何か落ち度がある人は自業自得だから救わなくて良い」みたいに考えたら、誰のことも救えませんからね。僕に救う使命のある人だけが、僕の元に訪れるのだと信じています。だからどんな悩みでも気軽にご相談下さい。

さて、あなたのその症状は典型的なLSDの後遺症であり、ほぼ統合失調症状態になっているのだと思います。あなたの元々の性格は直接的には関係ありません。そしてそれは元彼女の理不尽さが直接的な原因でもありません。もしあなたの元々の性格がどうだったとしても、もしその元彼女と出会っていなかったとしても、あなたはきっと何かをぐるぐる考え続けて苦しんでいたことでしょう。もう二度とLSDには手を出さないで下さいね。他の幻覚剤にも。


LSDの後遺症である「思考のループ」というのは、まさに目が覚めているはずなのに悪夢の中に閉じ込められるようなものです。その辛さは僕も何度も経験しているのでよくわかります。それは程度の差こそあれ誰にでもあるような「反芻思考(嫌な過去を選択的に何度も思い出して追体験して自分を責めてクヨクヨしたり他人を恨んで怒りを増幅する)」とはレベルの違うものなのです。あれがずっと続いている状態というのはさぞかし辛いことでしょう。

あなたはまず冷静になって、それがLSDの後遺症(悪夢)なのだということを認識して下さい。「これは元々の自分の性格が原因だ」とか「元彼女の理不尽さが原因だ」などと考えないで下さい。

そしてそのように「今の自分の考えは正しい」と考えるのを止めて「今は病んでいてまともな思考能力は無くしている」ということを自分で認めることです。それは夢の中でそれが夢だと気づくぐらい・酔っぱらっている人が酔っぱらっていると自覚するぐらい難しいことです。そして例えそれを自覚してさえも、醒めるまでは普段の思考回路には戻らないのです。

人は誰でも「自己防衛のプライド」があって、どうしても自分で自分を正当化してしまうので、「今の自分の考えは(LSDのせいで)おかしくなっている」などとは認められないものなのですね。しかしLSD以外の原因を探し、その今の自分の考えを「まともである」と正当化しようとすればするほど思考ループの深みにハマってしまうので、まずそれをやめることが肝心なのです。今の思考パターンを続けることでその回路が脳で固定化されるのは非常に良くありません。

人の価値とは?に書いた通り、あなたの価値は存在そのものにあるのであって、あなたの考えが正しいかどうかにあるわけではないのだと知って下さい。そして過去について考えることは止めてください。とにかく思考よりも感覚・感情を大切にすることです。自然や動物に触れたり、散歩程度から運動を始めたり、音楽や工作などの集中力が要るような・気が紛れるような趣味に没頭してみて下さい。

僕も自分で試さないと気が済まない性分のため、1年程LSDを修行目的で使用していましたが、もう既に必要な経験は得られて「LSDとは何か?」ということもよくわかりましたし、あなたのようになっている人たちからもう何件も相談を受けていて、今は完全に反対派です。

かつてLSD使用者を救い・悟りに導く目的でアヤワスカとLSDの違い(※加筆修正中)」という記事を書いたのですが、思ったより反響が大きく、またそれによって使用を抑制するどころか余計に興味を引いてしまった部分があり、余計に「後遺症に苦しむ人たちを救わなければいけない」という因縁を自分で生じさせてしまった責任を強く感じています。だからこの記事が本当にLSD使用者の救い・悟りに繋がるように心から願っています。

あなたの過去の出来事はすべてあなたの悟りの過程として必要だから起きた必然なのであり、あなたなりのベストを尽くした結果なのですから、自分の過去について「何が悪かったのか?どうするべきだったのか?」などと自分一人で思い悩みながら、原因や解決策を探さないで下さい。特に病んでいる状態の時には、決していい考えにはつながりませんから。問題というのは別に解決などしなくても、自分も他人も許す事で乗り越えることができるのです。

だから決して自分を責めてはいけません。同じように元彼女のこと誰も責めてはいけません。まして自分の運命や創造主を責めて恨んでもいけません。誰を責めてもただ自分自身が苦しくなるだけです。あなたが自分や誰を否定しようと、それはそれを創った創造主の否定になるのであり、全部自分自身に返ってくるだけなのです。

あなたの人生RPGに起きることは全て必然であり、クリエイターがあなたの魂の成長のために必要だから与えている経験なのですから、誰のことも責めず、決してネガティブに解釈しないで下さいね。「問題の原因(犯人)探しをして誰かを責めることで思考と感情の整理をつけようとするのを止める(自分の経験を物語として愛する)」ということです。これはLSDとは関係なく、真理です。

そして以下の文章を読むのは、もう少し落ち着いて「思考ループ」が止んでからにして下さい。必ずです。







さて、前述したように、あなたは自分も誰も責めてはいけないのですが、しかしそれと同時に、あなたの人生の主人公はあなたなのですから、結局はあなたが変わらなければ何も変わらないということをあなたは知らなければいけません。「すべての因縁は今の自分を(超時空的に)起点としている」のです。そうでなければ自由意志を与えられた意味がありません。悪い因縁を断ち切ることができるのは主人公たるあなただけなのです。

人生というのは魂の成長プログラムなのであり、あなたが自分の因縁(カルマ・成長課題)を悪化させている理由は、究極的に言うと「自他に対する愛(慈愛・思いやり)の欠如」であり、「存在に対する(創造主への)感謝の欠如」です。

逆に言えば自他の存在に対して慈愛と感謝の心を持ち、生き方を通じてそれを示せるようになれば、あなたの悪夢は終わります。それが魂の成長(人生の目的)なのですから。

僕らはこの仮想現実世界において「自分は孤独ではない」という夢のように素晴らしい経験をさせて貰っているのです。「自分」が存在し、それと同等の「他者」が存在し、愛を経験させて貰っています。そしてまるで「孤独ではない」というのがデフォルトのように錯覚させられて貰っています。基本的にはみんな両親の愛によって生まれ、血縁という強い絆が存在し、周囲に愛されて育つのですからね。もし誰からも愛されていなければ、子供というのは育たないのです。あなたが育っているということ自体が、みんなに愛されてきたという証なのです。

ただそれは「愛」というものを僕らに経験させるため・実感を通じてその価値を知るために「創られた幻想」でもあるのです。本当は僕らは唯一の存在である創造主自身なのであり、絶対的に孤独な存在なのです。つまり本当は「孤独である」方がデフォルトなのです。

我々は創造主意識の分離意識なのであり、本当は絶対的に孤独な存在であることを敢えて忘れさせられ、人生の中で愛を経験させて貰いつつ、それとは相対にある孤独感を創造主と共有し、また「孤独ではない」という経験をさせて貰っていることへのありがたみを理解し、その感謝を通じて、創造主と繋がっているのです。

僕らは「孤独ではない」ということの方を「デフォルト(当たり前)である」と錯覚させられていて、自分がみんなに生かされているということを「当然である」と考えて意識さえできないものなのですが、その傲慢さを乗り越え、感謝できるようになることが魂の成長なのです。

人がLSDによって強い不安・パニックに陥る根源的な理由は「他人というのは全員が自分の鏡のような存在であり、本当は自分が唯一の存在である」という事実に、人間としての心が耐え切れなくなってショートするからなのです。

あなたは「自分と他者が存在することの本当の意義・価値」が全然わかっていないから、創造主がそれを悟らせるために、そのような経験を与えたのでしょう。全ての出会いは自分自身の反映なのであり、自分自身を覚らせるため、そして愛を経験させるために、創造主が派遣している存在なのだと知って、まずはそこに心から感謝することが大事です。

僕ら意識にとって人生を与えられるということは非常に稀なことなのであり、人生を与えられていない意識(霊)たちは常に人生(肉体)を欲しがり、人を被害者意識から自己嫌悪・厭世観に陥れて「そんなに要らないなら貰ってやる」と常に乗っ取りを狙っているのです。だから自他が存在することに感謝のない人間が「自我を手放させる幻覚剤」を使うことはその乗っ取り行為を助長することになり、非常に危険なのです。それは憑依現象(霊障)についてに書いた通りです。

孤独に苦しむ人はみんな「誰も自分を理解してくれない」などと言いますが、当たり前です。何かを言葉で説明をしたぐらいで、自分という存在とその経験・感情とそこから築いた自分の考え方について本当に他人から理解されるぐらいなら、「自分」という「経験主体者」に存在意義はありません。それを本当の意味で理解できるのはあなたと一緒に人生を経験している創造主だけだからこそ、創造主には存在意義があるのです。

孤独との向き合い方に書いた通り、人は孤独感に苛まれていると、まるで「こんなに孤独を感じているのはこの星で自分だけなんじゃないか」みたいな感じに思ってしまうものですが、孤独感というのは人間に平等に与えられているものなのです。もし人間に孤独感が与えられずに、独りぼっちでも幸せになれるように創られていたならば、無理して人付き合いをする必要はなくなり、人間関係から逃げてしまう人ばかりになって、愛も成長も経験できないでしょう。「孤独感」こそが人生という愛と成長の物語を成り立たせているマテリアルなのであり、僕らをつないでいる接着剤なのです。

実際、僕が質問箱・電話相談をやっていても孤独に関する質問・相談はとても多いです。そしてみんな一様にそれをまるで自分だけのことのように思い込んでいます。しかしそれこそが孤独に陥っている根本的な原因なのではないかと思うんですね。

実に多くの人が「誰も私のことを理解してくれない」などと考えて、人付き合いをしていても心を開けずに精神的に引きこもっていて、他人の気持ちを全然理解しようとしないために傷つきやすいくせに平気で他人を傷つけ、他人からも自分の気持ちを理解されず、理解したいとも思われないのでしょう。他人の孤独を心から思いやれるような思いやりに満ちた人から、孤独に関する相談を受けた例がありません。

そういう人たちはきっと他人の孤独など全く眼中になく、孤独そうな人を見ても「この人は嫌な人で自業自得だから仕方がない」とか「この人はきっと孤独に強い人で、自ら孤独を求めているのだろう」などと考えて、自分がその孤独を救おうなどという考えは完全に思考の枠外なのでしょうね。まるで自分だけが救われようとして自ら地獄に落ちる「蜘蛛の糸」のカンダタの如くに。なぜ自分の孤独とばかり向き合って、周囲の人たちの孤独とは向き合おうとしないのでしょうか?

そのように自分の孤独に埋没している人というのは、エゴの卵の殻に閉じこもってそこから出られず、その卵の殻が割れないように自己防衛に必死で、些細なことも悪く受け取っていちいち傷つき、人目ばかり気にして疲れ果て、自尊心を保つ為に誰かを見下したり責めたりして嫌われ、内心自分を責めて罪悪感と劣等感に苛まれ、どんどん独りぼっちになって心を病んでしまうのですね。鬱というのは自分のエゴに埋没することを原因としており、同時にそれを症状(結果)ともしている悪循環構造なのです。かつての僕もまさにそのようでした。

わかりますか?「他人から理解されたい」というのもエゴなのです。「エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、エゴはそれ自体が悪いものではないのですから、なくすべきではなく、なくそうと思ってなくせるものでもないのです。エゴを乗り越え続けるその過程にこそ成長があり、愛は生まれるものだからです。

自分が他人から理解されないことを嘆くより、ただただ他人を理解することに努めて下さい。それが愛なのです。そうすることであなたはより自分自身を深く理解し、自分も他人も愛することができるようになるのです。そういう人間こそが他人から理解され、愛されるのです。

愛は無償でなければ意味がありません。創造主は僕らに何も強制・強要せず、完全に自由にして(自主性に任せ)、ただありのままを愛しくれています。何の見返りも求めず、ただ与え続けてくれています。僕らも創造主の子供として、その「愛し方」を「自発的に」見習っていかなければなりません。

「私があなたを理解するので、そのかわりに私を理解して下さい」というのは「私が愛する代わりにあなたも私を愛して下さい」というのと同じであり、相手からの愛を交換条件のようにして強要していることになり、心は何かを強制・強要されると反発するようにできているのですから、反発は必至なのです。

「こいつは俺が辛い時に助けてくれようとしなかったクセに、自分が辛い時ばっかり助けを求めやがって。絶対に助けてなんかやるもんか」などと考えるのはあまりにも愛が欠如していると思います。それで相手からの愛を失って別れに至るのは理不尽ではなく至極当然のことかと思います。どうかあなたが辛い思いをした分だけ、あなたに助けを求めて当たるしかなかった元彼女の辛さをわかってあげて許してあげて下さいね。元彼女があなたを支えられなかったのは、その時は経験がなくてわからなかったのですから仕方がないですし、あなたもその時既に正常な状態ではなかったのですから、そのような愛に欠けた考え方をしてしまったのは致し方のないことなのです。

あなたの症状は本当に典型的であり(同じような状態で苦しんでいる人がたくさんいます)明らかにLSDのせいでおかしくなっているのです。「今の自分はおかしくなっている」と自分で認めることがどれだけ勇気の要ることなのかはよくわかります。きっとあなたは優しい人だからこそ、自分の思考ループや不安やパニックの直接的な原因がLSDだと認めると、元彼女のことを引きずり込んでしまったことへの罪悪感に耐え切れなくなるために、自分の元々の性格がダメだからこうなっているのだと考えたり、罪悪感を元彼女の理不尽さへの怒りに転嫁してたりしているのでしょう。

しかしLSDというのは厳しいもので、その「自己正当化」を許さず、思考ループに陥れて深みにハマらせるのです。だからその「自己正当化」を止めない限り(自他共に許さない限り)その悪夢から出ることができず、良くなりようがないのです。

全ての創造は、創造主が内なる己を知る(内観する)ため・愛を経験するために創造したものであり、「自己正当化」というのは深い内観・許し(愛)に反する意識であって、それに対してLSDはとても厳しいのです。だから深く内観し、自他を許す以外にないのです。

鬱状態の時にあなたがLSDという気分を変えれるものと出会い、そのデメリットを良く知らずに良いものだと思って彼女にも勧めてしまったことは、カルマであり仕方のないことだと僕は思います。全ては運命であり、実際あなたも誰も何も悪くありません。もし僕があなたと同じように鬱まっ盛りだった頃にLSDに出会っていたら、きっと同じ事をしていると思います。欠点も過ちもない人はいませんし、罪を犯さない人間もいません。だからまず自分を許し、元彼女のことも許すことです。許すことが愛です。

あなたは自分を責めて落ち込んでいる場合ではありません。ただ自分が主人公としてその経験から学んで、他人の苦しみに心から同情して許し愛せるように成長し、その悪い因果のループを(愛を悟り・実践することにより)断ち切らなくてはならないのです。強くなって下さいね。

もう他人が自分に何かしてくれる(理解してくれる・辛い時に支えてくれる)などという期待は一切しないことです(もし相手が気持ちを一部でも理解してくれたり、自分に対して何か自発的に良いことをしてくれたら、心から感謝することです)。

そしてただひたすら「自他が存在すること」「人生という経験機会・世界という経験舞台が与えられていること」への感謝を、「出会うすべてをありのままに愛すること(相手が欲するものを与え続けること)」で示し続けることです。それは自分が理解されなくても相手を理解しようと努めることであり、どんな話にも共感・同情を素直に示せるようになることです。

そして何より、信心を持って下さいね。何の宗教でも良いので。何の神様であれ、それは創造主の分身であり、あなたが神仏とその教えに対して尊敬と感謝を示すなら、その存在を通じてあなたをきっと救いに導いてくれますから。

あなたに今まで信心がなかったとしても、それはあなたが悪いからではありませんから、それを神仏や誰かから咎められて救われないなどということはありません。むしろカルマに負けずに改心して信心を持ってくれたことをきっと喜んで迎えてくれて、救いに導いてくれることだと思います。それは聖書の「放蕩息子の譬え」や法華経の「長者窮子の譬え」が証明してくれています。どうか改心して「自発的に」信心を起こして下さい。誰かに強制されたりして信心を起こしても意味がないのです。

混乱が収まるまで「南無妙法蓮華経」を唱えてみて下さい。そして混乱が収まったら般若心経の究極解説をぜひ読んでみて、日々般若心経を唱えてみて下さい。きっとあなたを悪いカルマに引きずり込んでいる霊障が祓われますから。

それでは、あなたがそのようにしてLSDの後遺症である「思考ループ」の地獄から抜け出し、愛(慈愛・尊敬・感謝)に満ちた自分に目覚め、幸せ・悟りに導かれることを、心よりお祈り致しております。

※祈りが伝わりますように、ぜひ僕の読経動画も見てみて下さいね。

2025年3月7日金曜日

孤独との向き合い方

【質問】40代後半 女性 独身
私はもう40代も半ばを過ぎていますが、恋愛経験も乏しく、いまだに独身です。鬱で何もする気が起きず、人付き合いが億劫で仕方がありません。このままずっと死ぬまで独りぼっちなんじゃないかと不安になります。一人で眠る時、呼吸が苦しくなるほどの孤独を感じます。この孤独とどのように向き合って行ったら良いのでしょうか?

【回答】
ご質問ありがとうございます。お気持ち心よりお察し申し上げます。

孤独感に苛まれている時、まるで「こんなに孤独を感じているのはこの星で自分だけなんじゃないか」みたいな感じに思ってしまうものですが、孤独感というのは人間に平等に与えられているものなのです。

もし人間に孤独感が与えられずに、独りぼっちでも幸せになれるように創られていたならば、無理して人付き合いをする必要はなくなり、人間関係から逃げてしまう人ばかりになって、愛も成長も経験できないでしょう。「孤独感」こそが人生という愛と成長の物語を成り立たせているマテリアルなのであり、僕らをつないでいる接着剤なのです。

実際、僕が質問箱・電話相談をやっていても孤独に関する質問・相談はとても多いです。そしてみんな一様にそれをまるで自分だけのことのように思い込んでいます。しかしそれこそが孤独に陥っている根本的な原因なのではないかと思うんですね。

実に多くの人が「誰も私のことを理解してくれない」などと考えて、人付き合いをしていても心を開けずに精神的に引きこもっていて、他人の気持ちを全然理解しようとしないために傷つきやすいくせに平気で他人を傷つけ、他人からも自分の気持ちを理解されず、理解したいとも思われないのでしょう。他人の孤独を心から思いやれるような思いやりに満ちた人から、孤独に関する相談を受けた例がありません。きっと他人の孤独など全く眼中になく、孤独そうな人を見ても「この人は嫌な人で自業自得だから仕方がない」とか「この人はきっと孤独に強い人で、自ら孤独を求めているのだろう」などと考えて、自分がその孤独を救おうなどという考えは完全に思考の枠外なのでしょうね。まるで自分だけが救われようとして自ら地獄に落ちる「蜘蛛の糸」のカンダタの如くに。なぜ自分の孤独とばかリ向き合って、周囲の人たちの孤独とは向き合おうとしないのでしょうか?

そのように自分の孤独に埋没している人というのは、エゴの卵の殻に閉じこもってそこから出られず、その卵の殻が割れないように自己防衛に必死で、些細なことも悪く受け取っていちいち傷つき、人目ばかり気にして疲れ果て、自尊心を保つ為に誰かを見下したり責めたりして嫌われ、内心自分を責めて罪悪感と劣等感に苛まれ、どんどん独りぼっちになって心を病んでしまうのですね。鬱というのは自分のエゴに埋没することを原因としており、同時にそれを症状(結果)ともしている悪循環構造なのです。かつての僕もまさにそのようでした。

孤独感というのは、愛によって癒されるようにはできているものなのですが、寝溜め食い溜めができないのと同じように、一度満たされたらOKというものではなく、人間は生きている限り愛を必要とし続ける=常に孤独感を抱えて愛に飢えている存在なのです。

家庭や仕事やプライベートで人間関係が良好だからといって、他人から完全に自分を理解されるなどということはありえませんし、他人を完全に理解できることもありえませんから、孤独感というものが完全になくなることなどきっとないのでしょう。死ぬ時は例外なく(心中しようと)あの世には一人で行くわけですしね。

僕らはこの一人一宇宙の仮想現実世界において「自分は孤独ではない」という夢のように素晴らしい経験をさせてもらっているのです。「自分」が存在し、それと同等の「他者」が存在し、愛を経験することができます。そしてまるで「孤独ではない」というのがデフォルトのように錯覚させられています。とてもありがたいことに。基本的にはみんな両親の愛によって生まれ、血縁という強い絆が存在し、周囲に愛されて育つのですからね。もし誰からも愛されていなければ、子供というのは育ちません。

しかしそれは「愛」というものを経験させるため・実感を通じてその価値を知るために「仮想的に創られた幻想」なのです。本当は僕らは唯一の存在である創造主自身なのであり、絶対的に孤独な存在なのです。つまり「孤独である」方がデフォルトなのであり、他者というのは幻であって、本当は自分の鏡のような存在なのです。我々は創造主意識の分離意識なのであり、本当は絶対的に孤独な存在であることを敢えて忘れさせられ、人生の中で愛を経験させて貰いつつ、それとは相対にある孤独感を創造主と共有し、また他者が存在する人生を経験をさせて貰っていることへの感謝を通じて、創造主と繋がっているのです。

創造主は我々分離意識の人生経験を通じて愛を実感しようとしているのです。しかし愛を実感するためには、その相対的な概念である孤独を経験的に知る必要があるのです。ただしそれは必要悪のものであって、主目的はあくまで我々と共に経験を通じて愛を実感することにあるのです。

あなたは人類というものが確かに存在し、自分をその社会の中のつまらない脇役の一人だと思っているのでしょう。でもそれは幻想なのです。あなたは創造主の一人娘(息子)なのであり、経験主体者(プレイヤー・主人公)なのであり、他者はみんなあなた自身の反映(NPC)なのです。我々は分離意識と個性を与えられているために「私と他者とは別な存在である」と思わせられているだけなのです。そしてそれは愛を経験的に知るために必要な仕組みなのです。

「見えないものに向かう時 人は誰も孤独」
創造主との関係は誰しも一対一なのです。世界中に何十億人いようと、誰の背中にも隠れることはできないのです。そして人の孤独を思いやることこそが愛です。

自分が本当は究極に孤独な存在なのだとわかると、他者の存在というのが実にありがたいものだとわかって心からの感謝の気持ちが湧きます。人生はRPGであり、クリエイターからのメッセージは常に他者・出来事との出会いとインスピレーション・感情・経験を通じて伝えられるのです。偶然の出会いというのは存在せず、すべての出会いはあなたの人生のシナリオ上必要だから与えられているのです。

孤独に陥る人というのは、きっと他者の存在のありがたみ・人生のありがたみというのを真に理解していないのでしょう。個性というのは欠点や過ちと不可分なものなのにそれを許し合い補い合うことで愛し合おうとせず、出会いをないがしろにして平気で他人を嫌って避けて感謝せず、何か良くないことがあれば思いっきり自分が原因なのに誰かのせいにして恨みで返して運命を呪い、気に入らないこと・傷つけられることがあればすぐに人間関係を切り捨ててしまっているために、孤独・不幸に誘われてしまうものなのです。


嫌な人を避けたら物語というのは成立しません。のび太はどれだけバカにされてイジメられても友達をやめませんし、学校に行かなくなったりもしません。だから物語が成立しているのです。

人を避けるのは他者の存在に対する感謝のなさと被害者意識が原因であり、それは物語の拒否・成長の拒否なのですから、この人生という「魂成長のプログラム」において、どんどん自分を不幸な方に追いやってしまうのが必然なのです。与えられらたものに感謝できず、成長しようとせず、ラクをしよう・逃げようとしているような人間により良いものを与えて幸せにしたら「魂成長のプログラム」は成立しませんからね。

すべてが創作であるこの世界に偶然などというものは存在せず、全ての出会いが創造主からの贈り物なのです。それを偶然だなどと考えて心から感謝していなければ、目の前の人を全力で愛さなくなるでしょうし、欠点や過ちを理由に嫌って避けてばかりいるようでは、他人からも愛されずに孤独・不幸に陥るのが必然なのです。

あなたは今鬱なのでしたら、あまり無理をせずちょっとずつでいいので、どうか自分も他人も許して愛せるよう、愛情を無条件化していく方向で努力してみて下さいね。もし働くのが無理なら、診断書を書いて貰って堂々と生活保護を受け、できるだけ利害関係が発生しない趣味やボランティアから人付き合いを始めてみて下さい。

あなたが愛した人はどんどんあなたの心の仏国土に写し取られ、どんどんあなたの心が豊かになっていきます。次の世に持ち越せるのは、その住民たちだけなのです。欠点や過ちは誰にでもあるもので、それを理由に嫌ったら誰も愛せません。人の価値に序列をつけず、優越感や劣等感を感じようとせず、ただただフラットに愛して下さい。

そして鬱の人は自分を責めることで気持ちの整理をつけがちですが、そのようなことはもうやめて下さいね。全ての存在である創造主からすれば、あなたが自分をイジメるのも他人をイジメるのも、右手が左手をイジメるようなもので、同じ事なのです。自分ならいくらイジメても構わないという考え方は、創造主からすれば不遜な考え方なのです。どうか創造主より与えられし「自分」というかけがえのない宝物を最後の最後まで見放さずに大事にして下さいね。

あなたがご結婚されるかどうかはもちろん僕にはわかりませんが、結婚・出産などを幸せの条件のように考えないで下さいね。幸せというのは自分の考え方(世界観)によってしかもたらされないものなのです。幸せというものを条件化して考えることこそが不幸の元凶なのです。結婚できない=不幸のように考えないで下さいね。そういう自分以外のものに幸せを依存する考え方では、自分以外のものに振り回され、また相手の負担になって避けられて良縁も益々逃してしまうようになってしまいます。どうか結婚しようがしまいが幸せになれる考え方(世界観)を手に入れて下さい。そしてどんな相手にもどんな結果にも振り回されず揺るぎなく感謝し幸せになれる強い人になって下さい。あなたを幸せにできるのはあなただけなのです。

ちなみに日本の生涯未婚率(50歳時未婚率)は2020年の調査で、男性が約28.3%・女性が約17.8%であり、上昇傾向にあって、2030年までに男性の3人に1人・女性の4人に1人が生涯未婚者になると推測されています。一方離婚率は2022年の統計で婚姻件数504,930件に対し、離婚件数179,099件で約35%となっています。そして生涯未婚者と離婚後再婚しない人を合わせた「生涯独身率」は、男性で約50%、女性で約40%と推定されています。そして死別して再婚しない人や、離婚まではしていなくても精神的には断絶していて別居状態のまま生涯を終える人はかなりいるでしょうから、日本人の過半数が「実質的に独身」で生涯を終えるのです。仲間だらけですね(苦笑)。

少なくとも結婚さえすれば孤独じゃなくなる・幸せになれるというものでは全然ないのです。幸せというのをステータスか何かと勘違いして、見下されないように見栄を張って幸せを装い、人から慕われ愛されているかのようにアピールする人は多いですが、本当に幸せかどうかは本人以外にはわからないものです。

まだ孤独なのは自分だけだと思いますか?お互い思いやり合える人間になって幸せに行きましょうねね。実際に僕はアラフィフの独身ですが、考え方(世界観)・生き方によって幸せに生きています。これは強がりではなく心からそう思っているので、かつての自分と同じように不幸に陥っている人みんなを心から(無償で)救いたくてたまらないのです。今の僕は出会った人をみんな兄弟姉妹のように思って助けることしか考えていませんが、これは正直結婚していたらどうなっているかわかりません。あなたももし結婚できないようであれば、僕と同じような使命・シナリオにあるのかも知れませんよ。

それでは、あなたの幸せを心からお祈りしております。

■本日の処方箋
誰でも自信満々になれる方法
自分と他人の愛し方

2025年3月6日木曜日

奉仕活動に専念すべきか?

【質問】アラサー男性 ペンネーム:ユウ 

初めまして。いつも気づきを与えていただき感謝します。シンヤさんのnote及び質問箱を読ませていただくにあたり、疑問が湧いたので質問いたします。シンヤさんの説明、記述の意図を汲み取れ切れずに誤解をしている可能性もありますがご容赦いただきたいです。

私には趣味がいくつかありまして、仕事をしつつそれらの趣味に勤しみながらそこそこ人生を楽しんでいるというような状態です。上記の趣味を行うにあたり、自分が楽しいから、面白いと思うからやるという動機があると自認しておりますが、やはり魂の成長や愛の発揮という観点で考えるとこういう自分本位な思考や言動は悪手ですか?

人生の存在意義は自他へ愛を発揮して、魂を成長させていくことであるならば「自分が楽しいから〜」とか、「自分が〜したいから」という自分本位かつ他者視点が欠けている行為は良くないのでしょうか。

基本的に私の行うもの以外でも趣味は自己完結であり、自分がそれをすることによって自分は良くても誰かの心を救うことには繋がらないのであまり良くないのか…?と考えてしまいました。

一応ギリ若者に当てはまる年齢ではあるので自分の感情起点でまだ人生を楽しみたいと思ってしまいますが、やはりこれは精神性や魂のレベルが低い故のエゴでしょうか。

本気で魂を成長させるなら、趣味に使う時間とお金を断捨離して自分の能力や特性を分析して、人への奉仕貢献につながる活動に専念すべきなのかと感じました。それともこういう義務感的発想は主体性を伴わないから逆効果なのか…?

シンヤさんの記事の意図を曲解していたら申し訳ありませんが、ご教示下さい。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

>シンヤさんの記事の意図を曲解していたら申し訳ありませんが、ご教示下さい。

う~ん、ご質問内容から察するに、確かに僕が伝えたいことが全然僕が伝えたいようには全く伝わっていないようですね(苦笑)。それは決してあなたが悪いからではなく、あなたはまだ僕の伝えたいことが伝わるプロセスにはいないのでしょう。

カッコいい車が欲しいに書いた通り、僕が伝えたいことの基本は「ご自分の好きなように生きて下さい」ってことです。僕らは経験したいことを経験するために生まれてきたのですから。ただもし今の考え方で幸せではないのなら「(幸せになっている)僕の考え方を参考にしてみては?」という感じであって、僕は何一つ他人様に向けて自分の考え方を押し付けたりするつもりは毛頭ありません(ハゲなだけに)。


あなたはまだ実年齢的にも魂的にも若いのであり、僕もあなたの年代の頃は思いっきりエゴに埋没しながら生きていました。悟りを焦る必要はないのです。あなたの人生の主人公はあなたであって、あなただけに用意されたオリジナルの人生のシナリオがあるのですから、他人と何かを比べる必要などないのです。

人生というのは答え(真理)に価値があるのではなく、過程(経験)が答え(真理)を価値ならしめるのです。だからどうか経験する前に答え(真理)を頭だけで理解しようとして、心から納得してもいないことを「この人がこう言ってるから」みたいな感じで自分に無理やり押し付けないで下さいね。それが不幸の元凶なんですから。そのあたりの話は実態が伴わない努力に意味はあるか?に書きました。決していわゆる「意識高い系」みたいに意識の高さを演じてそれを他人に向けてアピールしようとしないで下さいね。やっても絶対に息切れしますから。

実に多くの人が、自分で経験して悟ったわけでもないのに、悟りというものを自己犠牲的で禁欲的なものだという勝手に思い込んで、それを自分に無理に押し付けようとするから、自分の中のエゴが反発し、ただ苦しいだけでうまくいかないんですね。

悟り(真理)というのは、自分もみんなも幸せにするものです。だから悟りの道というのは幸せになる道であり、焦ったり、心から納得できていないことを無理やり自分に強いたりしたら、ただ苦しいだけで全然楽しくない(幸せじゃない)でしょう。それは悟りの道からズレているということなのです。

悟りとは何か?に書いた通り、人生という試験においてはどれだけ他人の答えを参考にしても構わないのですが、他人の出した答えを自分に強制しようとするのは、その試験をカンニングで済ませるようなものです。そんなことをすれば人生に意味がなくなってしまいます。自分で経験し、失敗し、試行錯誤を続けて自分なりに納得しながら前に進まなければ、自分の人生を生きていることにはならず、それでは生まれてきた意味がないのです。


>上記の趣味を行うにあたり、自分が楽しいから、面白いと思うからやるという動機があると自認しておりますが、やはり魂の成長や愛の発揮という観点で考えるとこういう自分本位な思考や言動は悪手ですか?

自分のやってることが楽しくて面白いなら最高じゃないですか?なぜそれが悪手だと考えるのでしょう?自分に対する愛なくして、他人に愛など発揮できるでしょうか?

若いうちは思いっきり自分の心を我が子のように思って楽しませて育てて下さい。その経験なく、愛・感謝報恩の気持ちなど生まれようがありませんから。例えば、親が幼児に「物欲を捨てて愛に生きろ」などといって何も買い与えずに禁欲と奉仕を強いるようでは子供の心(愛)が育まれないでしょうし、そんな親ではどうしようもないでしょう。それと同じことです。


エゴ(欲)とは何か?
に書いた通り、エゴそのものが悪いのではありません。エゴを無くすことはできませんし、なくす必要もないのです。少しずつでも損得勘定・執着から離れ、愛情の条件を一つ一つ外していき、エゴを乗り越えて愛を発揮できるようになっていくところに成長があるのです。


人生を「エゴのために生きるか・愛のために生きるか」の二者択一しかないかのように考えるのは極端であり、それによって「やっぱりエゴを捨てるのは無理だ」「愛でメシは食えない」「将来が不安だ」「他人から見下されたくない」などと考えて、エゴ(我欲・保身・虚栄)に埋没する短絡的な人ばかりだから今の世の中は荒んでいるのでしょう(人生はそういう舞台設定のRPGです)。

そして魂の成長(愛)というのは、自発的だからこそ価値があるのであって、他人に言われてしょうがなく愛するとか、神様や誰かに評価されようして愛するとか、逆に責められて罰せられるのを恐れて愛するとか、何かの結果(見返り)を求めてするものは愛ではありません。不安(エゴ由来)を動機にしては、愛は愛にはならず、楽しくもならず、成長にも繋がらず、意味がないのです。

僕はエゴによる楽しみは十分経験しましたし、自己嫌悪・自尊心の低さに苦しみ精神を病みながら人生を彷徨ったからこそ、同じような人を救いたいというモチベーションがあって、それゆえに自発的に愛を発揮して人を救おうとしているのであり、別に自分の魂の成長を目指して人を救っているわけではありません。望まずとも必然的にそうなっている(導かれている)という感じです。

人の心というのはそうなるようにできているのですし(できていない人もいるかも知れませんが)僕のnoteや質問箱を読んで人生の参考にしようとするような人の心がそのようにできていないわけがないので、安心して下さい。


世界はワンネスですから、人間の心というのは損をしても得をしてもダメージを受けて自分を嫌いになるようにできているのです。だから損得勘定で生きること自体が不幸なのです。でも人間というのは得をした時に快楽物質が出てそのダメージに気づけないようにできているのです。

あなたは「そこそこ人生を楽しんでいる」と書いていますが、わざわざ「そこそこ」と書く時点で、そんなには楽しくはなく特に幸せでもないのでしょう。本当に楽しく幸せだったらこんな相談はしていないはずですからね。だからあなたももうじきエゴのために生きることに飽きて、今の生き方があんまり楽しくなく・虚しくなってくる日が来るはずです。そうしていつか無条件で人に愛を発揮して無償で貢献することを心から嬉しいと感じ、そんな自分を心から好きになれる日が来るはずです。だからその日が来るまでは、自分を楽しませることがメインで良いのだと思います。


>人生の存在意義は自他へ愛を発揮して、魂を成長させていくこと

それは人生の存在意義そのものではななく、僕は「愛を発揮するベクトルが魂の成長につながる」という話をしているのです。人生の存在意義は経験すること・感情を味わうこと自体であり、人生という物語の中で、自他を愛しつつ、「自分とは何者であるか?」を自分の好きなように更新していくことです。

人生という映画を俳優目線からクリエイター目線で見るようにしてみて下さい。あなたは自分という愛すべき主人公に、どんな物語の中で、どんな経験をさせてげたいですか?そしてどんな存在にしてあげたいですか?そう考えれば、あなたにとっての最適解がわかるはずです。


お金の時代の終らせ方に書いた通り、僕は心の愛を育てて欲しい・魂を成長させて欲しいという願いを込めて活動しているのであって、僕は他人様に向けていきなり資本主義と正面から戦うような無茶は言っていませんからね。もし自発的に愛を育てたい・魂を成長させたいと思うのであれば、ここに書かれている「新六波羅蜜」をどうか日々実践してみて下さい。今の仕事や趣味を辞めなくてもできることばかりです。もちろんいきなり完璧になんてできるわけないですし、僕も完璧にはできていません。あなたは自分という主人公の人生を生きているのですから、他人と比べることなく、本当に少しずつでも自分の成長を楽しめればそれで良いのです。


それでは、あなたの人生の幸せを心から祈っています。

2025年2月15日土曜日

アヤワスカと霊視能力

【質問】年齢不詳・女性

お久しぶりです、しんやさん。

最近、霊視能力があるという方とネットで知り合いました。

 
それでこんなこと言われたんですが、意味分かったりしますか?🥹アヤワスカをたくさん飲んでこんなに見えるようになったとかなってないとか..🤔

【回答】
ご質問ありがとうございます。

そういう霊視ができる本物の霊能力者もきっと世の中にはいるのでしょうけども、その方が本物かどうかはその内容だけでは判断しかねます。動機が純粋な愛(衆生救済)なのかエゴ(自己利益=富・名声・精神的支配・性的搾取など)なのかもわかりませんし、何よりあなたがそれを自分で判断できるようにならなければ意味がありません。

ただ、もし本物の霊能者であれば、宣伝なんかしなくても口コミだけで依頼が殺到して手に負えなくなるはずであり、ネット上で不特定多数に向けて依頼者を募集するなんてことがあるはずはないでしょう。しかも己の素性も隠したままで。よって「自称霊能力詐欺師」による、詐取のためのネット上の撒き餌である可能性が非常に高いと僕は思います。

例えばエドガー・ケイシーみたいな(恐らく)本物の霊能力者の存命中にネットがあったとして、彼が素性を隠しながらネット上の素性もわからない人間に対して霊視なんてすると思いますか?それを考えればわかることでしょう。

詐欺師というのは大抵まともな人が見ればすぐ怪しいと気づけるものに、往々にして人が自らその疑念から目を逸らして騙されてしまうのは、人というものが物事を自分のエゴ(願望)に都合よく考えるように作られているからです。だから詐欺師は相手のエゴ(願望)を刺激することさえできれば、あとは相手が自ら勝手に騙されてくれるものなのです。なまじ知能がある人ほど、物事を自分のエゴ(願望)に都合よく解釈し、それがデタラメでももっともらしく理論構築して他人まで納得させて被害を拡大する能力が高いのであり、決して詐欺師より知能が低いから騙されるのではないのです。このあたりの話は詐欺被害に遭って悔しいを読んで下さい。

人はみんな自分を賢い・正しいと思って生きています。しかしそのこと自体が騙される隙になるのです。創造主は成長経験を積ませるためにわざと人間を愚かに創ったのであり、程度の差はあってもみんな等しく愚かなのです。もちろん僕もあなたもです。

しかし世の中、実に多くの人が「他者評価依存」のために「己の自尊心の脆さ」に苛まれていて、それを支えるために「自分は正しい=価値がある」という感じで自己防衛しており、そのために他人とぶつかって自尊心を下げ合ってしまうのです。そして己の正しさを価値とするために、己の間違いを認めることができず意固地になってしまい、それによっていつまでも成長できないものなのです。成長というのは、今までの己が愚かだと気づくことによってしかもたらされないものなのです。このあたりの話は同じ過ちを繰り返してしまうに書きました。

そしてカルマの良化法に書いた通り、カルマというのは自分の人生の課題でありテーマなのであって、それは基本的に自分で見つけるものなのです。それを他人に頼るのは「私の人生のテーマは何でしょうか?」と他人に聞くようなもので、ナンセンスなのです。まして実際に会ったこともない、素性も知れない自称霊能者を頼るなどというのは。だから問題はその自称霊能者が本物かどうかではなく、あなたのカルマに対する向き合い方なのです。そこに依存体質がある場合、悪い人たちから容易に餌食にされてしまうのです。あなたが相変わらず依存体質から脱却しようとせず、自分の課題から目を背け続けるなら、また同じような不幸に巻き込まれ続けるだけになってしまうことでしょう。

「もしアヤワスカでそのような霊能力が本当に手に入るのなら自分でもやってみたい」とあなたは思っているのかも知れません。しかしあなたからの今までの相談内容から見て、大変失礼ながら統合失調症(霊障による自我の乗っ取り・制御不全)の傾向があり、そのような人が幻覚剤に手を出すと取り返しのつかないなる(廃人のようになる)恐れがあるため、まだ自尊心が脆く傷つきやすい今の状況を克服できるまでは、決して幻覚剤に手を出してはいけないと思います。幻覚剤というのはいつでも誰に対してもポジティブな影響があるというものではなく、条件によってはとてもリスクが高くなるものなのです。どうか誰でも自信満々になれる方法を実践し、愛によって揺るぎない自尊心を手に入れて下さい。

僕自身、700回以上儀式を受けてみて、自分自身や一緒に儀式を受けた人の霊的問題・カルマが見えたり感じられたりすることはありましたが、それは僕の方から意図的に見ようと思って見えるわけではなく、向こう側から(僕の課題・使命として)一方的に受信させられる感じです。ネット上でよく知りもしない人の霊視などとてもできませんし、それができるという人も(少なくともリアルでは)一人も知りません。

日本の自称シャーマン詐欺師たちは、幻覚剤で霊能力を手に入れていると勘違いしていますが、例え本当に能力があったとしても、それはエゴが目的の「呪い」のようなもので、そんな人を頼って良い結果につながることはありえないのです。ぜひ友人がスピ詐欺にハマりそうを読んで下さいね。

実に多くの人が己の中に抱えた劣等感ゆえに「他人にはない特殊能力を手に入れ、他人から評価されお金を稼ぎ、ちやほやされて偉そうにすることで自尊心を満たしたい」というエゴによって霊能力を求めています。そういうエゴの方が「人・世の中を救いたい」という愛よりも圧倒的に強いんですね。しかしそのようなエゴは神仏の意思(愛)に反しますから、例えそのような思い出霊能力を手に入れたとしても、それはネガティブな存在によるエゴの力なので、ロクな結果にはならないのです。

特殊な霊能力など手に入れようとしなくても、本当に霊的に成長すれば、どんな人・どんな物事でもその本質を見抜き、創造主が何を覚らせようとしているのかを正確に理解できるようになります。僕は神通力(超能力)についてに書いた通り、浄霊能力以外の能力を求めていません。そして浄霊能力というのは誰でも持っているものであり、特殊能力ではないのです。みんなが浄霊し合ってその能力を高め合ってお互いの存在に感謝できるようになれば、みんなが自ずから幸せに導かれるので、世界が救われるためにはそれ以外の能力など必要ないのです。

浄霊能力を高めるには?に書いた通り、浄霊能力というのは霊的成長・信心の強さに連動して必然的に高められるものです。だから僕は浄霊能力を高めて人からちやほやされて自尊心を高めることを目的に修行をしているわけではなく、あくまでも目的は「みんなが幸せに導かれること=全霊魂の救済(愛)」なのです。それゆえに自らも幸せに導かれているのであり、あなたにも心の底からそのような思いを持って幸せに導かれて欲しいのです。どうか相手を自分の自尊心のために利用することしか考えていないようなエゴの強い霊能力詐欺師たちの餌食になることなく、日々浄霊を受けて、人にも浄霊してあげられるようになって下さいね。あなたがその意思さえ持てば、必ずできることなので。

人生はRPGであり、能力は必要な者に必要な時に必要なだけ与えられるものですから、今持ってない能力を求めるよりも、今ある能力を駆使し、世界を救う為に目の前から自分の使命を果たしていこうという意思の方が大事なのです。

それでは、あなたの幸せを心よりお祈り申し上げております。

2025年2月14日金曜日

双極性障害など

【質問】30代・男性 ペンネーム:つる  無職 双極性障害 生活保護

突然のご連絡失礼いたします。私は現在、グループホームに住んでおり、生活保護を受けながら生活しています。双極性障害を患っており、過去にはいくつかの困難な経験がありました。借金を抱えたり、宗教に没頭したり、ネットワークビジネスや自己啓発に強く影響される時期がありました。介護福祉士として人との交流が好きだったのですが、ある日、酒と睡眠薬を摂取したことで飛び降り未遂を起こし、その後、仕事を辞めて生活保護を受けるようになりました。金銭的にも非常に苦しい状況で、部屋も片付けられず、ゴミ屋敷のようになってしまいました。

現在のグループホームに住み始めてから約7年が経ちました。しかし、スタッフとの関係があまり良好ではなく、些細な行動や仕草が気になり、イライラしてしまいます。そのせいで仕事にも集中できずに困っています。

私としては、このような状況は自分のカルマとして受け入れ、好かれようとせず、淡々と生活した方が良いのか、それとも前の行動が今に影響しているのかについて、ご助言をいただければと思います。

どうか、よろしくお願いいたします。

【回答】
ご質問ありがとうございます。とてもお辛い状況のようで、心より同情申し上げます。

私としては、このような状況は自分のカルマとして受け入れ、好かれようとせず、淡々と生活した方が良いのか、それとも前の行動が今に影響しているのかについて、ご助言をいただければと思います。

恐らくあなたはカルマというものを前世から背負った罪や今生の罪に対する罰のように考え、ただただ粛々と受け入れなければいけないもののように思い込んでいる感じがしますが、そうではないのです。悪いカルマの解消法」「カルマの良化法をよく読んでいただけると幸いです。僕たちは魂の成長のために生まれてきているのであり、カルマというのはその成長に必要だからこそ与えられている課題なのです。そしてこの世界は苦難を乗り越えず・成長せずに幸せになれるようには創られていないのです。あなたはとても重いカルマ(課題)を抱えておいでのようですが、重いカルマ(課題)というのはレベルの高い魂にこそ与えられるものなのです。そしてカルマ(課題)というものは重ければ重いほど、乗り越えた時に感じられる幸せも大きいのです。

僕らは成長を経験するために生まれてきたのであり、成長すればするほど幸せを感じられるように自分も世界も創られているのです。辛いことを「罰を受け入れること」のように考えてただ我慢するというのはカルマ(課題)の先送りであり、それはどんどん雪だるま式に大きくなっていってしまうものなのです。

創造主というのは、あなたが生まれた時から行動だけでなく心の中まですべてを見てすべてをわかった上で完全に情状を酌量してくれていますから、決して自分を他人と比べることなく、今よりほんの少しずつでも成長を続け、ほんの少しずつでも幸せを感じられるようになって下さいね。

きっと他者比較によって自尊心が下がり、不幸な経験から被害者意識に陥っているのではないかとお察ししますが、あなたは全知全能である創造主の代理として(プレイヤー・主人公として)人生を経験しているのであり、ちゃんと理由があって全力の愛によって存在させられているのだということをどうか信じて、忘れないで下さい。

あなたのカルマ(課題)が具体的にどのようなものか僕にはわかりませんし、そもそもカルマ(課題)というのは、自分の人生のテーマを構成するものでもあって、「あなたの人生のカルマ(テーマ)はこれです」と他人から直接教えられるようなものではなく、最終的には自分で判断しなければならないのです。あなたの人生はあなたの芸術作品なのですから。

人生というのはすべからく自分次第に創られているので、あなたが今のような状況になっているのはあなたに原因があるのです。だからといって自分で自分を責めることはありません。それは「反省してはいけない」に書いた通りです。

いつも言っていることですが、バイオハザードでゾンビが出てくるのは主人公が悪いからではありません。だからといってゾンビやゾンビウイルスを作ったアンブレラ社やゲームそのものを作ったカプコンを責めてもゲームは進みません。今の困難の原因が自分であろうと他人であろうと結局それは天から与えられた課題であることに変わりはなく、目の前の課題を一つ一つクリアして自分のゲーム(人生)を前に進めるしかないのです。あなたにはあなただけに与えらたオリジナルのシナリオがあるのであり、違うシナリオのゲームをしている他人とその進捗を比べる必要はなく、自分がプレイヤー(主人公)の人生というRPGの成長過程を楽しめればそれで良いのです。

「全ての問題の原因が自分にある」というのはとてもありがたいことで、自分に原因があるからこそ自分次第で状況を打開できるのであり、自分が変われば全てが変わるのです。逆にもし問題の原因が自分以外にあるのならどうしようもありません。この世界は直接的に他人を変えることはできないように創られているのですから。そしてすべての問題の原因は究極「(自他に対する)愛の不足」にあるのであり、すべての解決策は「愛」なのだと知って下さい。

「人から好かれようとする」のではなく、あなたが出会った一人ひとりを無条件で愛せるように努力して下さいね。誰でも自信満々になれる方法に書いた通り、あなた側があくまでも相手を愛し抜く覚悟を持つなら、人から嫌われることを恐れてビクビクし、相手の顔色を伺ってどんな態度・対応をするかあれこれと思い悩み、相手から好かれるために自分を偽ったりする必要はないのです。

>過去にはいくつかの困難な経験がありました。借金を抱えたり、宗教に没頭したり、ネットワークビジネスや自己啓発に強く影響される時期がありました。

そのような類のものにハマってしまったのは、あなたの中にいくつもある人格(霊的意思)の中で、エゴの強い人格(霊的意思)に主導されていたからでしょう。どうか愛(慈愛)に目覚めて下さいね。そのために仏教の六波羅蜜を行じてみて下さい。そうして毎日少しずつ自分のエゴより愛を優先する体験を増やしていって下さい。そうすれば段々と自分を好きになっていきます。世界の本質はワンネスであり、エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、人は損をしても得をしてもダメージを受けるようにできているのです。だから逆に損得勘定抜きで愛を発揮する経験を重ねることが、自己嫌悪心・厭世観を克服するカギになるのです。


>介護福祉士として人との交流が好きだったのですが、

この一文だけでも、本来のあなたはとても素晴らしい人なのだとわかります。介護福祉士はきっとあなたの天職なのではないでしょうか?ぜひ復帰を目指して下さいね。そして自分の生活・お金のためではなく、純粋に感謝報恩・奉仕の気持ちで頑張って下さい。その点についてはお金の時代の終らせ方の新六波羅蜜をご参照下さい。


>ある日、酒と睡眠薬を摂取したことで飛び降り未遂を起こし、

それはきっとあなたが深層心理に(普段意識していなくても)自己嫌悪心と厭世観が強くあったからでしょう。自殺するとどうなるか?に書いた通り、自殺というのは問題解決の手段の一つとして考えるだけで、そこに導かれるというペナルティーがあるのです。人生を与えられているということ自体に感謝がないということは、人生を与えた創造主にとって一番悲しいことだからです。

心の病というのは基本的に自尊心の病であり、心を病んでいる人というのは「自分は自分のものだから、どのように扱っても構わない」かのような(創造主視点で見ると)とても不遜な考え方をしているために、自分イジメが趣味になっていて、誰にでもあるような欠点や過ち・罪や恥を許せなくなっているものなのです。罪と恥の存在意義に書いたように、どうか己が抱えた罪や恥の分だけ、他人を許し愛せる人になって下さいね。すべての存在の根源である創造主からすれば、あなたが自分をイジメるのは右手が左手をイジメるようなものなのです。つまりあなたが自分を愛さないのも、他人や世界を愛さないのも、創造主を愛さないのと同じことであり、それは必ず自分自身に返って来て、まるで運命に愛されずに呪われているように不幸が続いてしまうのは当然のことなのです。どうか自分と他人の愛し方を読んで、もっと自分も他人も許し愛せるようになって下さいね。

あなたはまだ今までの己の不幸に対して被害者意識を持っている段階にあるような感じがします。自分に与えられた人や出来事との出会い・才能を愛そう・成長しようとせずに、幸せな人生を自ら拒否してその難易度を上げて来たのに、被害者意識で人生に不平不満を持って嘆いていていれば、ますます悪い方向に導かれてしまいます。因果というのは時空を超えて循環するものであり、その被害者意識が自分に不幸をもたらしているのだということに気づいて下さい(僕のかつての人生もまさにそのようでした)。ほんの少しずつでも自分も他人もみんなを許して愛し、生まれたことに心から感謝できるようになれば、存在のすべてから自然と(必然的に)愛が返って来るようになってきます。このあたりの話は人の価値とは?に書きました。

他人と比べてより素晴らしいものが与えられていなければ感謝できないという人の感謝には何の価値もありません。とても難しいこととは思いますが、どんな困難も成長を願って与えられているものだと気づいて、今を生かせて貰えていることに感謝してみて下さい。きっと人生が劇的に良い方向に変わりますから。

僕らは成長するために生まれてきているので、ずっと苦労を続ける宿命です。どうか与えられた困難を恨みで返さないで下さいね。困難を乗り越えて成長し続ける過程にこそ幸せがあるのであり、困難にただ打ちひしがれて成長せずに落ちていく一方みたいな人生が幸せなわけはないのです。スポーツなどのトレーニングと同じで苦労というのはまず主体的に受け入れ、更に能動的にしていくからこそ楽しめるものであり、やってくる苦労を受動的にするのみで「この苦労は誰のせいだろうか?」「この苦しみはいつ終わるのだろうか?」なんて考えていたら楽しめるわけがないのです。


>スタッフとの関係があまり良好ではなく、些細な行動や仕草が気になり、イライラしてしまいます。そのせいで仕事にも集中できずに困っています。

それはあなた自身(主人格)の性格ではなく、霊障がもたらす負の性格なのです。あなたの状況から察するに、霊的な問題がとても大きいように思えます。双極性障害というのも、複数ある意識をうまく統括できなくなるから起きるものであり、端的に言って霊障が原因なのです。憑依現象(霊障)についてを読んでみて下さいね。あなたを不幸に引きずりおろそうとする悪霊に同情し、一緒に成長することで成仏させてあげて下さい。脳内の様々な人格とうまくやる方法については、ネドじゅんさんの本をおススメします。

そして「浄霊」を受けてみることをお勧めします。僕はどこの宗教にも属しておらず、どこにも勧誘するつもりはありませんし、あなたが縁を感じるところから通い始めれば良いと思うのですが、あなたは「(悪い)宗教にハマっていた」と書いていて、変なところに導かれてしまう人なのかも知れないので、通おうとしている宗教がどこかを事前に僕に知らせて下さいね。詐欺要素の強い宗教に通って歪んだ信仰心を持つと信仰心を全く持たないよりもかえって良くない運命に導かれてしまいますから。そしてどうかどこの信者にもならずに(依存せずに)、淡々と日々浄霊を受けてみて下さい。最初は効果が感じられなくても、日課にして1~2か月は続けてみて下さい。そしてお題目口唱をお勧めします。毎日できるだけたくさん「南無妙法蓮華経」と唱えてみて下さい。日蓮系のお寺に通ってみるのも良いかと思います。きっと良い導きがあるかと思います。

あなたはとても酷な状況にいて、あまり他人の話を聞き入れられる状況じゃないかも知れませんが、あなたが自分自身への愛・他人への愛・創造主と神仏への愛を大事にして、今の状況を脱して幸せに導かれますよう、心からお祈りしております。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...