2022年6月28日火曜日

善と悪とは?

【質問】
善と悪は、いろんな立場や状況によって変わると思いますが、善行を積もうなどと言われたときにどのような善を行えばよいでしょう。また、善や悪とはなんでしようか。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

創造主曰く「正義=悪」だそうです。それはつまり善=悪ということでもあるでしょうね。正義は必然的に批判対象として何かを悪者としなければなりません。この世界のすべては二元的(相対的)にできていて、善悪は陰陽であり表裏一体の存在です。あなたのおっしゃる通り何が善(正義)で何が悪かは立場によって異なるものであり、相手には相手の正義があって、それは必ず衝突するのです。そして正義の大義名分は建前であり、必ずその陰で誰かがエゴのために利用しているものなのです。アメリカの起こした戦争なんか見てるとわかりやすいですね。でもだからといってそれを何が善行かを考えない・善行を積まない・何もしない怠惰の言い訳として使ってはいけません。

もし世界中の人が正義より愛を優先するなら、それだけで世界から争いはなくなり、みんなが救われることになるでしょう。だからそれが僕の世界救済に向けた価値観改革の核なのです。

>善行を積もうなどと言われたときにどのような善を行えばよいでしょう。

他人に言われて仕方なく嫌々やるようでは意味がありません。心に愛があれば、それは誰に言われずとも自発的に発揮せずにはいられないものなのです。愛は誰でも心の中に持っていて、それは出せば減るものではなく、発揮すれば発揮するほど連鎖的に(指数関数的に)増えていくものなのです。

愛は自発的でなくては価値がありません。そして見返りを求めればただのエゴになってしまいます。日々無償で無条件にただただ与え続けて下さい。自分が好きな人・正しいと思う人・可哀そうだと思う人、見返りが期待できる人だけを助けるのではなく、関わる人みんなを愛してそれを発揮し続けて下さい。

全ての行動においてエゴ(我欲と保身)を動機とせず、その純粋で無条件な愛を動機として下さい。そして常に正義より愛を優先して下さい。それを世界に連鎖させることができれば、あなたが真の主人公・メシアです。善悪の二元的な世界を愛一元に変えていくことが僕らメシアの使命です。

友人がスピ詐欺にハマりそう

【質問】
友人が悪質な自称スピリチュアル系の人物にハマりかけてます。
手口が巧妙で、いきなり金を取ると警戒される為、最初は信用させる為に無料で徐々に警戒心を解いて、深く洗脳し信者に仕立て上げたところで何らかの理由をつけて金を取り始めるんです。最初は少額で、段々と額を大きくしていくようです。
どうすれば友人を助け出せるでしょうか?
シンヤさんはこういう知識や教訓を他者に分け与えるのにお金を取ったりするエセ詐欺極悪スピリチュアル系の人間達をどう思いますか?

【回答】※2025年02月11日更新
ご質問ありがとうございます。

スピ詐欺は本当に増えてますね。ネット上もスピ詐欺系の広告・スパムが多くて僕もうんざりしております。

最初から高額な料金を請求すると騙しにくいのは詐欺師たちも学習しているので、大抵は無料・低料金を謳っています。しかし諸々実費がかかっているのに、それを回収しないというのはありえません。何らかの形で回収せず赤字が続けば継続しようがないですからね。最初が無料ならその分回収しなければいけない経費が嵩んでいるはずです。

今の社会は「人の存在(感情・愛)」より「お金(権力の分譲券・強制力・能力の指標)」を価値としていて、お金が生き延びるため・将来の安心のため・自尊心を保つための手段になっているのですから、悪いことをしてでもお金を稼ごうとする人がたくさんいるのは必然です。だから社会の価値観・システムを主人公である自分が起点となって変えて行かなければならないのです。それはお金の時代の終らせ方に書いた通りです。

スピリチュアル・宗教というのは、お金を目的とする時点で純粋なスピリチュアル・宗教ではなく「スピリチュアル・宗教を利用したお金儲け」なのです。もちろん必要最低限の経費を何らかの形で回収しなければ活動の継続は難しいわけですが、決してお金(費用の回収・利潤の追求)が目的化してはいけないのです。このあたりについてはスピリチュアル・ビジネスについてに書きました。スピリチュアル・宗教に限らず、我々は本物と偽物(詐欺)をしっかり見分ける目を持たなければいけません。そして世の中は偽物だらけだからこそ本物には価値があるのです。

ちなみに僕の救済活動は自己利益を目的としていないので、最初から最後まで無料です。販売も勧誘も一切ありません。自発的な寄付は感謝して受け取りますが、こちらから対価を要求することはありませんし、寄付するしないで人を差別することはありません。僕は清貧を愛していますし、乞食でも生活できていますからね。まぁ信じる信じないは相手側の自由ですけども。

今はモノが売れない時代であり、「人の悩みにつけこんで不安を煽り、それを自分たちが解決できるかのように偽ってお金を騙し取ろうする人」が増えているのは自然なことかと思います。お金を儲けるために必死なのですから、彼らも一見するともっともらしく素晴らしいことを主張しています。そうじゃなきゃ誰も騙せませんからね。しかしどんな薬も一滴の毒を含めばそれは毒なのです。


本物の霊能力というのは神々が世界を救うためにその人を通じて発揮する愛の力であり、エゴ(我欲・保身・虚栄)とは対極にある力なのです。逆にエゴ(我欲・保身・虚栄)により発揮しようとする霊能力は「呪い」の如きもので、必ず人を不幸に導くものなのです。だからその人の霊能力が本物であれ偽物であれ、それをエゴのために使おうとしている時点で、お互いに不幸になるのは自明だということです。

騙す側もエゴ動機なら、騙される側もエゴ動機なのです。「お金を払うことで霊的な問題を解決しよう」「霊能力者から霊能力を得て特別な人間になろう」などと考えているわけで、それはエゴ動機であると共に成長拒否なのですから、双方ともに負のカルマを積み上げることになり、遅かれ早かれいずれは破綻します。

霊能力というのは本来愛の力なのですから、その力が本物であればあるほど(強ければ強いほど)、それをエゴのために使うとかえって多大な負のカルマを積み上げることになるのです。例え今生ではうまく儲けて逃げ切れたとしても、魂は永遠ですから、いずれ必ず清算する時がきます。どれだけ時間差があったとしても、因果応報という宇宙法則は絶対なのです。

本当に神を信じて守られているという確信があったら虚栄や将来の不安や自尊心のために蓄財する必要などなくなりますから(実際僕は貯蓄ほぼゼロです)、清貧でない霊能者に本物の信心などあるわけがありません。愛よりエゴを圧倒的に優先するプロセスにいるのは明白でしょう。キリストが「神と金の両方に仕えることはできない」と言った通りです。それに騙されるのは、金を払って自分(信者)だけが救われればいいというエゴが愛より圧倒的に強いプロセスにいる人たちなのです

さて、なぜあんなにも胡散臭いスピリチュアル・宗教の詐欺にハマる人がいるのでしょうか?それはみんな自尊心を病んでいて鬱状態だからです。現代の競争社会において、今はみんな他者評価に依存させられ、自尊心が下がるように社会的に洗脳されているので、必然的にみんな(程度の差こそあれ)心を病んでいるのです。

人の価値とは?に書きましたが、今の社会ではお金(を稼ぐ能力)が価値とされていて、人の存在そのものが価値とされていません。みんな「お金を稼ぎ続け、能力を他人に認められ続けなければ、自分の価値が認められない・社会から排除される」と考えるようになって他者評価依存になっています。しかしそうなると自分より高い能力の人を知ったり、何かに失敗したり、自分の能力の衰えを感じたりする度に自信を失うことになります。能力を自身の根拠とすると自信を失い自尊心の病気になるのは必然なのです。精神疾患の多くは自尊心の病気(自己嫌悪)であり、その友人も自尊心を病んでいるのです。だから相手が詐欺師であろうと何だろうと、とにかく自分の存在を承認してくれて自尊心を高めてくれる人に依存するのです。そして霊能力を手に入れることで自尊心を満たそうとしているのです。それはエゴなのですから、うまく行くわけがないのは前述の通りです。

今の世の中、自尊心というものを「他人より優位を示すことでしか満たせないもの」だと勘違いしている人ばかりであるがゆえに、他人からの評価によって常に自尊心を揺るがされて余裕のない人ばかりです。みんな能力に自信がないために「自分は正しい」ということを価値としなければならなくなり、そのために常に他人の欠点や過ちをあげつらって責めなければならなくなっているのです。そしてそれが鏡のように自分に返って来て結局お互いに自尊心が下がるという「負の無限循環」を起こしているのです。だから誰でも自信満々になれる方法に書いた通り、お互いの自尊心を上げ合う世の中を、主人公である自分がその起点となって実現していかなければならないのです。自尊心と他尊心は正比例するものであり、同時にしか上がらないものだと知って下さい。

そして自尊心のレベルと行動のレベルは正比例するものであり、悪癖のある人というのは、それが悪いと知らないのではなく、自尊心が低くなっているために「どうせ自分なんて・・・」と考えて自分を大事にできないために、その悪癖(自分イジメ)がやめられないのです。だからその悪癖がいかに良くないかを説明し、説教することによって止めさせようとしても、かえって相手の自尊心を下げ、ますます悪癖に走らせるように追い詰めていくことになります。そうなると余計に自尊心を上げてくれる人に依存せざるを得なくなり、ますます詐欺師の餌食となりやすくなるのです。このあたりの話は反省してはいけないに書きました。

人は自尊心が高くなれば、自然と悪い行動は取らなくなります。だから悪癖を止めさせようとするよりも「どうやったら相手の自尊心が高くなるか」を考えて日々実践し続けることが大事なのです。それは誰に対してもです。人の自尊心を上げるためにすべきことはたった二つだけで、
「①心からの笑顔で挨拶し、相手への承認が自然と態度に表れるようにすること」
「②相手の話を否定せず、肯定的・同情的に聞くこと」
なのです。
これは罪悪感との向き合い方など、僕が本当にいつも伝えようとしていることです。

あなたはその友人をいつも笑顔で存在を承認し、否定せずに真剣に話を聞けていたでしょうか?身近な友人を内心見下すことで、自分の自尊心を保とうとはしていませんでしたか?そういうのは態度に出て相手に覚られて自尊心を下げ、同時に自分の自尊心も下げてしまうのです。我々の魂は同一・同源であり、違う役を演じているだけで同一人物のようなものですから、他人に対する思考・行動は全部自分に返って来るのが必然なのです。


人生というのは自分を主人公とするRPGであり、クリエイターは「経験(出来事や人との出会い)」を通じて大切なメッセージに気づかせようとしてくれているのです。もうお気づきのことかと思いますが、あなたが考えなければならないことは、「他人側をどうするか」ではなく「自分がどう考え、どう実践するか」です。他人はNPC側(設定側)なのですから、あなたが直接変えようとしても決して変わらないようにできているのです。変わるべき・成長すべきは常に主人公たる自分なのです。

どうか正義より愛を優先して実践することを常に心がけて下さいね。もちろんスピ詐欺は悪いことなのですが、騙される人に説教なんかして「相手側を変えようとしても」ますます相手の自尊心を下げて嫌われ、ますます詐欺にのめり込ませることになるだけでしょう。

人生というゲームは、プレイヤー(主人公)たる自分が、失敗と試行錯誤を繰り返し、自分で納得しながら前に進むのでなければ楽しめないものなのです。その友人の人生の主人公はその友人なのであり、求められてもいないのに他人が答えを教えるのは楽しみを妨害する行為であって、相手の心が反発してしまうのは当然なのです。

だからあなたがその友人に「あいつは詐欺師だ、騙されるな」などと説得しても、きっと心が反発して嫌われるだけになることでしょう。悪い男に騙されて恋に落ちている女性に、その男の悪口を言ったところであなたが嫌われるだけで、本人が騙されていたことに気づいた後でも決して感謝されることはないのと同じ事です。

「何を信じて生きるか?」が「自分とは何者であるか?」を決めるのであり、それは人生の選択の要なのです。「何を信じて生きるか?」を他人の意見によって決めては意味がないのです。何を信じるにせよ、信じないにせよ、その結果責任を負うのは主人公である自分自身ですからね。人間にとって人生はわからないことだらけですから、人は何かを信じずに生きるということはできません。「何を信じて生きるか」という選択が「人生そのもの」とも言えます。何も信じてないと思っている人は、自分が自分の常識を信じているということの自覚さえないだけなのです。

「何を信じるか」という判断を「何が正しく何が間違っているか」というアプローチで考えると必ず失敗します。それは信じる信じないの基準に書いた通り、それを信じることによって自分も周囲もみんなが幸せになるかどうかでわかります。逆に自分も周囲もみんなが幸せになる思考・行動であるなら、それを誰かから「間違っている」と言われようとどうでも良いことです。

あなた自身は何を信じて生きていますか?それを信じることによって幸せになっていますか?自分と関わる人を幸せにできてますか?あなたに関わる人はすべてあなたの鏡であり、主人公であるあなた次第なのです。だから関わる人のカルマはすべてあなた自身のカルマでもあるということです。

あなたが何を信じているか(自身の価値観)によって、あなたが幸せそうにしていたら、あなたの周囲の人はあなたがどうしてそんなに幸せなのか気になって尋ねるようになり、周囲の人たちもそれを信じるようになるでしょう。

あなたが他人の自尊心を上げられる人なら、みんなから愛されて周囲の人も幸せになっているはずです。だからあなた自身が自分の価値観により幸せになり、周囲の人をどんどん幸せにできる人間になっていくほど、周囲の人が詐欺に遭うような問題は起きにくくなるでしょう。

その友人は「常識的な世界観」に魅力がなくて息苦しく、そこにいると自尊心が下がって自分自身が無価値に感じられて不幸だからこそスピリチュアル詐欺にハマっているのでしょう。その友人を元の常識的世界観へ無理やり引きずり戻そうとするのではなく、あなた自身が主人公としてもっと魅力ある幸せな人生観・世界観を持って自尊心高く生き、周囲の人間の自尊心も高められる人間へと成長していかなければならないのです。人生観・世界観に魅力があれば、あなたの認識世界(仏国土)にどんどん人が集まってきますし、逆ならどんどん遠ざかって行くものなのです。

人生というRPGはすべからく主人公であるあなた次第に作られています。相手を無理に変えようとしても絶対にうまくいきません。自分自身が変わること(成長すること)が大事です。

2022年6月22日水曜日

潜在意識の浄化方法

【質問】
いつも真也さんの文章を読ませてもらっており、とても感謝しております。ありがとうございます。

○潜在意識の浄化の仕方が知りたいです。
巷で色んな見解があり、何が本当かわからないです。

○夢や目標は持った方が良いでしょうか?


【回答】

潜在意識の浄化というのは、エゴから愛に目覚める事なのです。まず人生の主人公として、衆生を救う菩薩・メシアとして目覚めることです。それなしに潜在意識を浄化しようとしたところで、目的がエゴですから、効果は知れています。むしろ器が育ってないのに劇的に良い事を引き寄せてしまったら、それは莫大な借金のようにカルマを悪化させます。

夢や希望もそうです。世界=自分であり、衆生を救う=出会った人みんなを救うという意識がなければ、夢や希望もエゴに過ぎないもので、仮にそれが現実になっても幸せになることはあり得ません。

どうか方法論に囚われないで下さい。目的が愛でなくエゴではダメなのです。

仏教では六波羅蜜や十波羅蜜などというありがたい教えがありますが、それはそれを行じるほどにエゴから少しずつ離れて愛に目覚めるためのものなのです。それこそが潜在意識の浄化なのです。

心を誰に見られても良いようにしてみて下さい。創造主は存在の全てであり、あなた自身でもありますから、すべてを見ています。自分と他人を責めるのを同時に止めて許し、和解して下さい。我慢は心では許していないので和解ではありません。

お金儲けのためのスピリチュアルに騙されないで下さい。彼らもお金を儲けるためですから必死に良い事を言いますが、目的がダメなものはダメなのです。

>夢や目標は持った方が良いでしょうか?
逆に夢や目標がない方が良いというのはありえないでしょう。人生というのは成長を楽しむためのRPGであり、夢や目標がなければ事象に振り回されるだけになってしまいます。

自分を主人公(メシア・菩薩)とする「世界(衆生・あなたの仏国土の住民)を救う」RPGなのですから、目覚めさえすれば、夢や目標は自ずと明らかにります。主人公の夢や目標が「世界を救うこと」であるのは自明で、人による違いは「どのように」世界を救うか(ロールプレイングのロール)です。自分に与えられた特質と、己のカルマ(課題・シナリオ)が経験から見えてくれば、それがおのずから見えてくるでしょう。


2022年6月21日火曜日

信じる信じないの基準

【質問】
私は、キリスト教を信仰してます。あなたが信じるかどうかの基準は、正しいかどうかではなく幸せになれるかどうかということですか?真理は愛だとすれば、幸せになれることを信じれば、それは真理になるということでしょうか?


【回答】2025年1月2日更新
ご質問ありがとうございます。

>あなたが信じるかどうかの基準は、正しいかどうかではなく幸せになれるかどうかということですか?

はい、基本的にはそうですね。

何が正しく何が間違っているか?(何が正義で何が悪か?)というアプローチでは必ず対立・争いが生まれます。

何をどう考えどう実践するのが自分と相手とみんなに対する愛(思いやり)か?どうすればみんなが幸せになれるか?それを考えることが真理(ワンネス)への道だと思います。常に正義より愛(思いやり)を優先すれば対立は生まれないのです。そして世界中の人が正義より愛(思いやり)を優先したら世界が救われるのは自明です。

キリストは「良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。」と言ったそうですが、それが真理かと思います。つまりそれを信じ実践することによって実際に自分も周囲もみんなが幸せになるかどうかで、その考えが良いか悪いか(正しいか間違っているか)がわかるということです。全ての存在は一つ(ワンネス)なんですから、誰かが幸せになるために誰かが不幸になるような考えが真理なわけはないのです。

仏教には「八正道」という大事な教えがあるのですが、何が正しいかわからなければ実践しようがなく、無意味です。「正しい」という言葉を「みんなが幸せになる」という言葉に置き換えて考えれば、何が正しいかがわかるのです。

みんなが幸せになる真理を、誰かが真理だと認めなかろうと、それはどうでも良いことです。それが本当に真理なのであれば、自分が揺るぎなくその真理通りに実践できる人間にさえなれば、遅かれ早かれそれは他人にも受け入れられ、いつか世界の果てまで連鎖してみんなが幸せになるのです。それはガンジーの非暴力・不服従運動の成功を見てもわかることでしょう。

真理というのは実践さえすれば必ずみんなが幸せになるとわかるものなのですから、相手がそれを真理だと自ら悟りさえすれば自発的に従う以外の選択肢はなく、他人に押し付ける必要はないのです。逆に何かを他人に押し付けようとする時点で、それは真理から外れているのです。ガンジーの非暴力・不服従運動も、もしそれが政治力によって(心から納得していない人にまで)強制されるようなものであったら、それは成功していなかったはずです。

エゴ(欲)とは何か?に書きましたが、真理とは愛であり、エゴを乗り越えて愛を発揮するところに魂の成長があり、ワンネスへの道があるのです。

創造主曰く「正義(正しい・正しくないの判断)=エゴ」とのことです。正義は必ず攻撃対象としての悪を必要とします。しかし相手には相手の正義があって必ず争いが生まれるのです。そして正義は必ずエゴの隠れ蓑になっていて、誰かが必ず自己利益に誘導しているものなのです。アメリカが正義を語って戦争を煽り、他国を侵略して軍需産業で儲けつつ利権を奪っているのはその典型でしょう。正義を押し通せば争いはなくなりません。愛が天使であり、正義は悪魔なのです。世界中のみんなが正義よりも愛を優先させれば争いはなくなり、それだけで世界は救われるのです。

人生は魂成長のプログラムであり、真理を実践すればするほど成長し幸せになるように世界は創られているのです。もしそうでなければ誰も真理など求めず、成長しようとはしないでしょうから、人生は魂成長のプログラムとは成り得ないのです。創造主が世界をそのようにプログラムするわけがありません。

僕は色んな宗教を同時に学んでいて、イエス・キリストのことも心から信じています。ただどこかのキリスト教系の宗教団体を信じているわけではありません。キリスト教という正義を隠れ蓑にしたエゴの連鎖がどれだけ悲しい歴史を積み上げてきたかはご存知の通りです。もちろんキリスト教は歴史上長きに渡って信者数が多いからそれが目立つだけであって、他の宗教もそこは同様です。この世界のあらゆる存在には個性があり、それは欠点や過ちと不可分です。どんな宗教・どんな神様にも個性があり、そこに欠点と過ちはつきものなのです。だから一つの宗教だけを妄信し、自分で主体的に考えるのをやめれば、必ずどこかで道を誤るように世界はできているのです。だから色んな宗教を学んで共通する真理を探すことが大事なんだと思います。信仰というのは自分で考えることの放棄ではありません。だから僕はどんな神や宗教家の言う事でも心から納得できなければ従いません。

同時に僕は神様も人も出会ったみんなの個性を尊重し、愛するように心がけています。もちろんとても難しいですけどね。出会ってもない人は愛せません。逆に出会った人ひとりひとりを例外なく無条件で愛することができるようになっていけば、出会いさえすれば愛せるように成長しているわけですから、それは世界中の人を愛せるようになったことに等しいのです。

いつでも本物の笑顔が僕らのコンパスです。船が北極星を目印に航海するように、本物の笑顔を目印にしてみんなが幸せになるように進めばいいのです。ベクトルさえあっていれば道を誤ることはなく、どれだけ時間がかかってもいつかは目的地に辿り着けるということです。

「信じることの意義」にも書きましたが、我々はわからないからこそ何かを信じることができ、逆に何かを信じずに生きることはできません。「自分は何も信じていない」という人は自分の勝手な常識を信じていることを意識もしていないだけです。「何を信じるか」が「自分とはどんな存在か」を形作るのです。人生は己が何者かを知り表現するための芸術であり、「何を信じているか」がその人の存在そのものなのです。

全知全能の創造主は真理を全て知っていて、何かを信じるということができません。我々はわざと無明の闇を与えられ、真理がわからず迷い・苦しみますが、そうして人生経験を積んで真理に辿り着くからこそ真理には価値が生じるのであり、真理は存在するだけでは概念に過ぎず、何の価値もないのです。だから真に価値があるのは真理そのものよりもそこに至るまでの我々の経験・物語であり、だからこそ全知全能の創造主はわざわざ大変な苦労をして無知で愚かな人間とその人生・世界を創ったのです。概念は経験を伴わなければただの言葉に過ぎませんから。

>真理は愛だとすれば、幸せになれることを信じれば、それは真理になるということでしょうか?

その考えを元に実際に実践してみて誰も幸せにならないのに、その考えを真理だと信じること(思い込むこと)によって真理にできるわけではないです。真理というのはあなたや誰かが信じる信じないに関係なく無条件に真理として存在しているのです。それは人間が思い込みでねじまげられるようなものではありません。

僕は真理に近づくのを感じるほどに僕も周囲もどんどん幸せになっているのを実感しているので、真理とはみんなを幸せにするもの=愛だと確信しています。

自殺をきっかけに目覚める人がいるのはなぜ?

【質問】年齢・性別不詳
私の知り合いにも自殺未遂をして一回死んで戻って生き返った人がいますが、その人はその日を境に他人の感情が読めるという特殊能力と霊が見えるようになったそうです。悟りも得られたと言いました。その方は自殺をしたい人を止める人になりました。自殺をきっかけに向こうの世界で悟りやら特殊能力が得られるという現象が起きる人がいるのはナゼですか?



【回答】
人にはそれぞれ役割・使命があり、人生には因縁・シナリオがあるようです。僕もあなたのその知り合いも最初からそういう役割・使命であり、そういう因縁・シナリオだったということでしょう。

基本的に自殺とはエゴに埋没して生きた結果の逃避行為であり、自分であれば殺しても良いと考える事自体が究極のエゴです。そしてそれは大きな過ちであり、絶対にやってはいけないことです。

でも創造主からその大きな過ちを許されて救われた僕は「一度捨てた命を救われたのだから、残りの人生はエゴのためではなく自分を救ってくれた創造主のため、世の為人の為に生きようと決心したのです。つまりある意味で自我を超越したのです。

だから人に偉そうに説教したいからとか、有名になりたいとかお金持ちになりたいとか自分の宗教に勧誘したいとかそういうエゴの動機で今の活動はしていません。純粋にかつての自分と同じように苦しんでいる人を救いたいのです。

時間は循環するものであり、過去が未来に影響を及ぼしているだけではなく、現在・未来の思念・行動が過去に影響を及ぼしてその原因になっていることもあるわけです。創造主は僕が未来にそのようにエゴを捨ててみんなのために生きる志を持つ人間だとわかっていたからこそ、僕に許しと救いを与えてくれたのでしょう。そしてメシアとしての使命を果たすのに必要な覚りや能力をどんどん与えてくれているのでしょう。

盲人の目を開かせたキリストが言った「私が救ったのではない、あなたの信仰があなたを救ったのだ」という言葉はそういう意味です。その人が救われたのは信仰心を持つ前であり、救ったら信仰を持つ人間だからこそキリストを通じて創造主から救われたのです。

自殺すれば覚りが与えられるとか特殊能力が身につくというわけではありません。そこを絶対に勘違いしないで下さい。普通は自殺すればただ死んでしまうか、運よく未遂で終わっても何の能力も得られず、むしろ障害が残る可能性の方が高いと思います。特に苦しいことから逃れたいというエゴの自死は最悪です。クリエイターから主人公として与えられたPRGなのに、勝手に主人公をゲーム機ごと壊すのことですから、クリエイターからすればそれ以上に悲しいことはなく、殺人以上の罪なのです。

ただ僕やあなたの知人のシナリオ上、自殺がトリガーになったことが共通していたというだけで、自殺すれば覚りが開けるように短絡的に考えるのは、昔話「はなさかじいさん」の老夫婦の犬が「ここ掘れわんわん」で小判を見つけたのを、「この犬に探し物をさせれば自分も金持ちになれる」と考えて、犬を横取りした隣の意地悪じいさんのような発想かと思います。

自殺についてはこちらの記事「自殺・安楽死するとどうなるか?」に詳しいです。

創造主は絶望の淵から希望を与えて、人を救うことで自分が救われるように・自らの意志で覚りに向かうように導いてくれているのです。だから人生は素敵なのです。

ネットゲームにログインしている人が全員主人公であるがごとく、本当は人生を与えられた一人一人が主人公でありメシアなのです。あなたが主人公なのだってことを絶対に忘れないで下さい。他のログインプレイヤーと覚りの進捗を競い合うのではなく(神通力やその他の能力の高低で優劣を感じるのではなく)ただただ物語を愛して、ゲームクリア(世界救済)に向かって下さい。みんなの魂を救う連鎖を起こして下さい。

あなたももし信仰心を持ち、覚りに向かう菩提心を起こし、すべての人を救うメシア(主人公)を志すのであれば、きっと成長段階に応じた覚りや能力が与えれれることでしょう。主人公として目覚めなければ、自分が生き延びるためのつまらない能力しか与えられず、人を救う能力が成長していかないのは当然のことです。

そして既に与えられたものの価値に気付き、自分の魂の成長のために常にベストなものが与えられていると信じて愛で解釈して、どうか感謝に生きて下さいね。感謝=幸せであり、感謝の心がすべての存在の源たる創造主に存在意義を与えているのですから。

2022年6月20日月曜日

人にどんなことをされると嬉しいですか?

【質問】
人にどんなことをされると嬉しいですか?

【回答】
心から笑顔になってくれること。
幸せになってくれること。
家族みたいに仲良くなってくれること。
主人公(メシア)として目覚め、一緒に覚り(世界救世)を目指してくれること。
信じ合い、尊敬し合い、許し合い、補い合い、愛し合えるようになること。

霊感は何のためにありますか?

【質問】
霊感ある人って何のために霊感があると考えますか?全員に霊感を与えず特定の人間だけが霊感を持つのは何故ですか?

霊感がある人が占いとかのお店をしてお金儲けに使うのはどう思いますか?



【回答】
ご質問ありがとうございます。

そもそも人間というアバターは霊の集合体であり、肉体は霊のパッケージングみたいなものです。自我を持った人間というアバターに、意志を持った無数の霊が出入りし、それを己の魂が統括しているような感じです。

だから単に現時点での感度の差だけで、霊感の全くない人というのは基本的にいないと思います。人間は肉体を持った霊なのです。

人間というアバターの松果体は上位次元との交信のアンテナのようなものであり、自我(無明の闇)がその交信をしにくくすることで、この修行の場である仮想現実世界を唯一のチャンネル・本当の現実と感じるようにできています。

そして自我(無明の闇)が濃い人ほど現実主義的でスピリチュアルなことを一切信じず、試そうともせずに否定し、意識を変容させる(チャンネルを切り替える)人間を悪者のように攻撃してきて相手を無理やりこの仮想現実世界のチャンネルに閉じ込めようと無意識にしてきます。ちょうどマトリックスのエージェント・スミスのようですね。

無明の闇が晴れるほどに上位次元との交信がしやすくなります。この仮想現実世界とは異なるチャンネルとの交信感度が強ければ霊感が強い、ということになります。そして交信する上位次元の存在の応援を受けられれば、その神通力を借りれるわけです。

でも魂のレベルによって、交信できるチャンネル・つながれる存在は異なります。そしてそれにより上位次元の存在が自分を通じて発揮する神通力も異なります。そして人それぞれ個性・役割・使命・シナリオがあるので、魂のレベルが上がっても人それぞれ発揮できる神通力は異なります。ドラクエで職業によって特性・覚える呪文が違う感じですね。最初から全員レベルMAXで同じ呪文が使えたら誰も成長しませんし、ゲームが面白くなるわけがありません。神通力は自分の役割と成長レベル次第なのです。

このRPGはあくまでもログインしているあなたが主役であり、勇者です。霊感が強く神通力を手に入れた人間が主役なのではありません。あなた以外は全員がNPCのようなもので、あなたの協力プレイヤーであったり仮想敵であったりするわけです。

主役であるあなた自身が修行を通じて感覚を研ぎ澄ませ覚りを進めていかなければいけません。自分が主役であるゲームの進捗を他のログインプレイヤーと比べる必要はないのです。ただただ楽しみながらレベルアップしてゲームクリアに向かっていけばいいのです。

でも修行の目的が神通力を手に入れる事になっていてはいけません。それはあくまでゲームクリア(世界救済)のための手段でなくてはならないのです。「お金を稼ぎたい」「他人から評価されて自尊心を高めたい」などといったエゴのために神通力を手に入れたり行使したりすれば、それはそれだけカルマを積むことになります。それは主役である勇者ではなく悪役のやることなのです。悪役が最終的に報われるRPGのシナリオはありません。破滅のフラグみたいなものです。

実際、神通力をエゴのために使う人間は最終的に必ずうまくいかなくなります。例えこの世では逃げきれてもあの世ではそうではありません。神通力を与えられた人間というのは巫女のような役割であり、本当はそれによって最低限に必要な以上の利益を得てはいけないのです。例え大きな利益を得てもそれをみんなと分かち合わなければ、自己利益を得た分だけカルマを積み、そのうち神通力を失ったり因果応報で様々なトラブルや災難に見舞われたりするのです。

神通力で人を救おうとするのは素晴らしい事ですが、それは覚りの本質ではなく、本質はあくまでも真理を実践によって伝えて人を幸せにする連鎖を起こすことです。自分のカルマと正面から戦ってゲームクリア(世界救済)を目指し、目的もわからずこの世界の問題と戦うことを最初から諦めているような臆病で怠惰な他のログインプレイヤーたちにゲームクリア(世界救済)に向けて戦う勇気を与える事です。

鯨肉を食べてしまいました

【質問】
鯨も霊感が強いですか?私は昔、鯨肉を食べてしまいました。


【回答】
海の生き物の霊感は、彼らと日常的に一緒に過ごしているわけじゃないので僕はわかなんないです(笑) まぁかなりざっくりと言って霊性と知能は比例します。だから人間や猿は霊長類なのです。

人間は菜食のみでも健康に生きれるのですが、敢えて動物の肉を食べるならば、霊の長として生態系全体のバランスを考えた上で、自分たちからできるだけ遠い種族で知能が低く、放っておくと増えすぎてしまうものを選んだ方が良いでしょう。具体的には魚介類や鶏などです。その意味では昆虫食も良いのですが、個人的には大の苦手です(笑)

現代の工場制畜産は効率的大量生産の為に大量の畜産動物をモノ以下に扱い、生命の尊厳を完全に奪っています。それは病気の蔓延や環境破壊などの形で自分たちに確実に返ってきています。地球は一つの生命体でありホメオスタシスがあるのですから当然です。現代の工場制畜産で生み出された肉を金さえ出せば手に入るモノのように考えて毎日食べるのと、生きる喜びを味わった動物たちを自然の恒常性の範囲で適度に捕獲したり養殖したりして動物と自然と神々への感謝・慰霊しながら食べるのとは訳が違うのです。

我々は肉食そのものに罪悪感を持つことよりも、今の経済システムの中で必然的に生じた悪魔的な工場制畜産を排することを考えるべきで、そのためにはまず自分の価値観から考え直さなければなりません。肉食への罪悪感から無理に菜食主義を徹底し、肉食主義を責めて自分の考えを他人に押し付けたり、それに対して「菜食主義は体に悪い、肉は健康に必要だ」などと科学的根拠のない話で菜食主義者に反発したりで、人間同士お互い責め合っているのは愛がなくバカバカしい話です。

鯨はあなたが殺したわけでもなく、虐待的に養殖されたものでもなく、むやみに乱獲されたものでもないでしょう。その肉の一部を昔食べたことがあるっていう程度で悪影響はまず考えられません。基本的に人から出されたものは神様がくれたものだと思って感謝と共にいただけば良いのです。好き嫌いを言って自分を喜ばせようとしている人をガッカリさせてはいけません。

釈迦は出家後死ぬまでほぼ托鉢(乞食)のみで生活し、自分で選択できる時は基本的に菜食主義だったようですが、人様から頂く時は肉でも何でも感謝して食べていたと聞きます。僕もそれにならっています。

罪悪感を行動の動機とすると必ず自分も他人も傷つけます。だから罪悪感ではなく慈愛を動機として人間にも動物にも自然にも神々にも慈愛を発揮することです。

肉食の是非そのものよりも、一方を悪者にして自分が正義の立場に立ち、自分自身や他人を嫌ったり傷つけることが愚かなのです。そういうことをすることで人や動物に宿る霊を怒らせ、許し・感謝・尊敬・愛の心なく、創造主の愛に自ら背を向け、霊障を溜めてカルマを悪化させてしまってはいけません。出会った存在・出来事を例外なく許し尊敬し感謝し愛することの方がずっと大事です。そして霊障をためないように心と体と生活の場を常に清く保つ努力をすることです。

カルマとは我々を罪に誘い出して罰する意地悪の為にあるのではなく、自ら過ちに気付き、自らの意志で成長を目指させるためにある課題なのです。創造主が直接強制しては人間に自由意志を与えた意味がありません。

「悪いカルマの解消法」

そしてあなたが克服すべき課題は、昔に食べた動物のことでいまだに気に病んでいるその罪悪感の強さと、報復を恐れるその臆病さです。

すべては創造主の愛によって与えられたものであり、罪悪感が存在しなければ許しに価値はありません。罪悪感が強い分だけ、そこを乗り越えて人を許し自分を許し運命に感謝することに価値があるのです。

「罪と恥の存在意義」

臆病さがなければ勇気に価値はありません。生まれた時から何一つ恐れない人間の勇気に価値などあるわけがありません。臆病さを乗り越えて愛のために勇気を発揮するからこそ勇気には価値があるのです。

人生は物語であり、あなたが主役です。役者として一番ダメな要素は臆病と怠惰です。そして与えらえれた役・シナリオに感謝せず監督に恨みで返していたら主役を降ろされて悪い配役・シナリオを掴むのは当然です。そしてそんな役者は共演者にも感謝がなく人の気持ちがわからずに人間関係で失敗を重ね、苦手な人を恐れたり嫌ったりして避けるでしょうから、どんどんシナリオが悪化するのは自明なのです。ですからやはり、出会った人や出来事に例外なく感謝し愛することの方がずっと大事なのです。

「誰でも自信満々になれる方法」

鬱の良い点はありますか?

【質問】
鬱の良いところってありますか?


【回答】
乗り越えて初めてわかることですが、鬱は真の幸せ・真の覚りに必要な成長過程(経験)であり、大人の「はしか」みたいなものです。今の僕は鬱(無明の闇)を与えられた経験にとても感謝しています。

鬱(無明=愚かさ・迷いによる不幸)を経験せずに幸せ(覚り・真理の素晴らしさ)を感じられるわけがないのです。僕は鬱を経験したお陰で今とても幸せになれています。今どんな不幸を経験しようと「鬱だった頃に比べれば全然幸せ」という感じになりますしね。

この世界のすべては二元的に存在していて、両方を経験した上で相対的に見なければその価値がわからないのです。真理は人を幸せにするものであり、鬱は真理を覚るために・真に幸せになるために必要な過程です。

覚りに向けた修行を「お坊さんが山に籠ってやる苦行」みたいにイメージして、自分には縁のない他人事だと思わないで下さい。あなたは魂の修行(成長)のために生まれてきたのであり、今までの苦しみはすべてあなたの成長のために必要な経験だったのです。ただあなたが自覚してないだけで、あなたは真理の覚りを求めて生きてきたのです。

人生はあなたが主人公のRPGであり、あなたのためだけに用意されたシナリオがあります。決して他人と比べて不平不満を言わないで下さい。他人はNPCのような存在であり、あなたと創造主の関係は一対一です。自分に与えられているものは当然他人にも与えられていると考えて、与えられていないものばかりを見て創造主を恨んではいけません。当たり前が当たり前でないことに気づいて一つ一つ感謝することで創造主に愛され、必ず導かれるようになります。他人より与えられないと感謝できない人の感謝に価値などないのです。

自分に都合の良いものは誰でも愛せます。成長するということは、自分にとって都合の悪いものも「自分の魂の修行のためにベストなものが与えられている」と信じて愛し、与えられた課題(カルマ)に立ち向かい続けることです。

何十年と苦しみ続けたので、鬱の苦しみはよくわかります。霊障に翻弄されて悪い事ばかり考えて自尊心が地に落ちて自己嫌悪の塊になり、まともな思考ができなくなるんです。でもいつまでも立ち止まって鬱にどっぷり浸からず、ただひたすら真理(覚り・幸せ)を目指し、誰が何と言おうと自分の納得のいく道を進んで下さい。他者評価依存で他人に振り回され、世間という幻の常識に捉われてやりたいことをやらず、自らの魂が納得していない常識に合わせて自分を無理やり押さえつけようとし続け、自尊心が下げ続けることが鬱の根源的な原因の一つです。

真理(真の覚り・真の幸せ)は概念に過ぎず、経験を伴わなければ価値がありません。あなたがさんざん苦しんできた真理に至る過程(経験)が真理を価値ならしめるのです。経験がなければ真理は概念に過ぎないのです。全てを知っている全知全能の創造主にとって、経験を伴わない真理に価値はないのです。真に価値があるのはあなたの経験だということです。

繰り返しますが、真の幸せを知るのに不幸の経験は必要不可欠です。鬱も経験せずに真に幸せになれるなどということは有り得ません。一過性の快楽を追求する日々の連続に幸せがあると考える愚かさが、人間を真の幸せ・真の覚りから遠ざけるのです。

鬱で心の針が下げ止まりになる苦しい経験がなければ、感情豊かに心の針を自在に振れるような日々の幸せはわかりません。覚りを「感情をなくすこと」のように勘違いしないで下さいね。喜びと同じように悲しみにも価値があり、ネガティブな感情も存在するからこそポジティブな感情は素晴らしいのです。そして考え方によってその感情はコントロールすることが可能なのです。トランプから嫌いなカードを除いたらゲームになりません。ジョーカーがいなければババ抜きはできません。苦しみや悲しみを嫌って無理に排除しようとするのではなく、人生を物語のように監督目線で見てトータルに愛することです。

とにかく悲しみや苦しみから逃げ回ろうとしないで、しっかりと受け止めて下さい。カルマというのは逃げる事で追試や補講のように追いかけてきていつか追い詰められます。鬱というものをネガティブに捉えず、自分が成長するために与えられた課題(カルマ)なのだと思って、覚悟を決めて正面から向き合うことが大事です。カルマはドラクエのモンスターやバイオハザードのゾンビと同じで、クリエーターがプレーヤーを楽しませるために作った幻なのだとわかれば怖くも何ともないものです。そしてカルマに立ち向かうことでしか魂はレベルアップしていかないのです。

「悪いカルマの解消法」こちらをご参照下さい。

秘密を隠すのが辛い

【質問】
人にどうしても言いたく無い秘密があります。その秘密を隠しながら生活するのが罪悪感で辛いのでその人達との関係を切ろうと思うのですがこれは間違った考えでしょうか?


【回答】
ご質問ありがとうございます。

まず罪(罪悪感)が何のために存在するかを知って下さい。
「罪と恥の存在意義」

キリストは「この中で一度も罪を犯した事のない者だけが石を投げなさい」と言いました。みんな多かれ少なかれ罪を犯しながら生きているのです。そしてあなた一人だけの罪など存在しません。きっと同じ罪を犯している人はたくさんいるでしょう。

そしてどれだけ隠そうと我々の人生を映画の様に見ている創造主・宇宙意志には全部バレています。

心を解放して幸せになるには、まず自分と他人を責めるのを同時に止める事が大事です。

縁は全て創造主の贈り物であり、出会いにはちゃんと意味があるのです。出会った人(共演者)を避けるのは与えられたカルマ(配役・伏線)の放棄であり、やってはいけません。

あなたが出会った人を許す度にあなたは自分で自分を許せるようになるでしょう。罪はお互いに許し合うことでより深く愛し合えるよう人間にだけ与えられた贈り物です。

まず神に許しを乞うて下さい。神はあなたが悔い改め、同じ様に罪を犯した人を許すならきっとあなたを許すでしょう。より大きい罪を犯した人間ほど、神に許された時により多く神を愛するでしょう。それは聖書の言葉でもあります。そしてあなたがより大きい罪を犯した人間を許すなら、あなたは菩薩になるでしょう。出会ったらもう無条件で許すと先に決めておいて下さい。実際に出会ってない人を許す必要はありません。

あなたがどうしても神が信じられないとしても、一人で抱え込まず僕にDM下さい。プライバシーは厳守します。あなたがどんな罪を犯したのか知りませんが、僕は必ずあなたを許します。例え世間や法があなたを許さなくても、あなたの罪が許されるよう一緒に祈ります。

罪は幻です。全ての悪業はカルマであり、悪霊がシナリオ上やらせていることです。人の悪行は基本的に全部悪霊のせいにして良いので(笑)自分や他人を責めて恨んだり運命を呪って悪役に陥らず、日々霊的浄化に努め、どうか人を救うメシア・主人公として目覚めて下さい。大きな罪を犯した人や臆病な人がメシアとして目覚めるにはよりたくさんの勇気が要ります。だからこそ大きな罪を犯した人や臆病な人ほど目覚める勇気は尊いのです。

決して自分を責めて自己イメージを下げてはいけません。また自分より罪深い人間を探し出して責めてはいけません。自尊心と行動のレベルは正比例します。

「反省してはいけない」

悔い改めるって事は過去の自分や誰かを責める事ではなく、過ちから学んで成長し、より良い未来を掴むって事です。

みんなが例外なく未来の菩薩であることを信じて、自分も他人もどんどん許して下さいね。

別宇宙は存在すると思いますか?

【質問】
太陽の黒点の先に別宇宙は存在すると思いますか?


【回答】
「宇宙の仕組み」を読んでみて下さい。これが理解できればそのあたりのことはご理解いただけるかと思います。

その冒頭に書いた通り、人間は基本的にこの世界を思い切り楽しめるように敢えてその仕組みを理解できないように作られており、理解できないのが普通です。勿論全力でご説明させていただきますが、人類に理解できるように説明するのはとても困難です。まして文章のみでは。もし僕の説明が全然意味がわからないとしても、怒ったり落ち込んだりしないで下さいね。それは現段階の貴方には必要ないというだけの事ですから。

まず貴方は別宇宙というものがどこか物理的に遠く離れた場所にあると思っているようですが、それは誤りです。別宇宙は我々の宇宙と重ね合わせの状態で並行し偏在しているのです。

我々は自分を客観的世界の中に生きていると思うように作られていますが、実際はそれぞれ自分の心の世界(仏国土)に住んでいて、肉体というのは魂の入れ物であり、アバターのごときものです。本当は貴方の認識できるすべてが貴方自身なのです。

ただ我々が自分=世界=創造主であると完全に認識できてしまったら、自分が唯一の存在であるという創造主の究極の孤独に逆戻りしてしまいますから、創造主は自分の分身である分け御霊に、それぞれ自我(自分以外の存在は自分とは別のものであるという分離意識)と個性と物語上の役割(配役)を与え、この仮想現実世界に送り込んでいるのです。

ちょうどネットゲームのようにログインしているプレイヤーは全員が主人公であり、プレイヤー同士は同じゲームをしていて一つの世界にいるように感じていますが、それは重ね合わせの状態であり、実際は一人ひとり別な部屋でそれぞれ同種のゲーム機とモニターでゲームしているのです。

我々の時間・大きさ・距離はすべてこのゲーム内(次元内)でのみで通用する共通のルールです。僕らが好きな映画のDVDをいつでも好きな時間から見始めることができるように、DVDの外側(虚数時間軸)にいる上位次元の存在からすれば、いつでも僕らの世界の時間・場所に移動できるのです。

僕らの時間も物理的な存在は全てDVDのリーダー&ライターのように我々の魂の光(認識)によって生み出される仮想的なものであり、本当は存在しないのです。時間が存在しなければどこに行くのも時間ゼロですから、全てはくっついているのと同じであり、大きさや距離に意味はないのです。意味があるのは比率(形・デザイン)であり、どういう存在か(役割・存在意義)という事です。イラストレーターの画像が拡大縮小により劣化せず大きさがユーザーの任意であるのと同じイメージです。

別宇宙というのは我々の世界と重ね合わせ状態にあるのであり、時間や距離が離れて存在しているわけではありません。超弦理論では10の500乗というとんでもない数の宇宙が存在する可能性が理論上明らかにされていますが、それが重ね合わせの状態にあるのです。つまり認識者の数だけ宇宙があるのです。その数も全知全能たる創造主の任意であり、創造主がその気になれば無限に増やせます。みんなに共通した限界(ルール)を作らないと芸術・物語は成立しないのであえて限界を作っているだけです。トランプだってみんなが違うルールだったら一緒に遊べないでしょう。

僕らは共通したルールのもとにあるゲームだからこそ一緒に楽しめているのであり、別なルールでできている別なゲーム世界(別宇宙)には、我々の次元の肉体に紐づけられたままでは行けないように作られているのです。それができたらドラクエの主人公がいきなりFFの世界にワープするようなものです。そのように自分のゲームがクリアできてないうちに他所のゲームに行こうとすること自体がナンセンスであり、今のゲームをクリアしてもまだまだ他のゲームがあって、クリアしても楽しみは終わらないのだということさえ理解できれば、現段階でそれを実際に求めることに労力を割く必要はないのです。

「宇宙の仕組み」に書いた通り、太陽の黒点は中心核の膨大な熱と核融合反応を起こしている高圧ガス層との温度差があまりに大きいために気泡の如く生み出されているものであり、そこにはガス層で冷やされて相対的に冷えたガスの塊の中にダイレクトに突き抜けきれなかった電磁波がダマになって他のガス層の表面より多く発せられているのです。

別宇宙の出入り口は太陽の黒点ではなくブラックホールであり、それがDVDのスピンドルのように宇宙を重ね合わせているのです。その強大な重力・電磁波・熱にこの物理次元の肉体を持ったままの我々が耐えきれるわけもなく、実際物理的にそこに行って真実を科学的に確かめることはまず不可能でしょう。

宇宙人(別宇宙の存在)たちは遥か未来の存在であり、我々の物理次元の法則に従う・従わないを選択できる科学を持っているからこそ、時空を超えて我々の地球に顔を出し、他の恒星や地球の火山の中など過酷な状況も無視して住めるのでしょうね。

我々の生まれてきた最大の目的は愛すること・感謝することであり、魂を成長させる経験を積む事です。そしてそれが創造主に存在意義を与えているのです。それをはき違えて感情よりも科学的に真理を探ること(興味を満たすこと・便利さ)を追求してしまうと、どれだけ科学が進んでも不幸にしかなりません。グレイなどは僕らが間違った方向に行った場合の行く末であり(だから幸せそうなグレイなんていないのでしょう笑)、並行世界から時空を超えて我々のこの次元・この時代に時空を超えてやってきているのですが、その干渉も創造主のシナリオ通りであり、干渉には限度(因果律)が設けられているので、宇宙人による地球支配など恐れる必要は微塵もないのです。

多分理解されていないと思いますが、ただ貴方の覚りが進めば僕に教わらなくても全部理解できるでしょうし、逆に覚りが進んでいなければ僕がいくら懇切丁寧に説明しても理解することはないでしょう。どうか覚り(真理)を求め続ける覚悟(菩提心)を持って下さい。

最も影響を受けた人物

【質問】
しんやさんがもっとも影響を受けた人物は誰ですか?

【回答】
そりゃ両親でしょうね。僕に人生の基本設定を与えるために創造主が遣わした人たちですから。というか、育てくれた人以上の影響を他人から受けるっていうことはまずあり得ないことだと思います。

親とは徹底して考え方が合いませんでした。でも高校卒業までずっと一緒に暮らしたわけですし、遺伝子的な意味も含めて、多大な影響を受けているのは間違いないです。

あまりにも考え方が合わないために反抗期は特に逆らいまくりましたが、今はすごく申し訳なく思ってます。考え方が合わなくても愛せれば良かったんですけどね。いつも否定され考え方を押し付けられるようで一緒にいるのが耐えがたかったのです。目覚めてからは生み育てていただいたことに感謝しかありません。あの世で会えたら謝り倒します。

もちろん僕は両親以外からも色んな人から影響を受けています。出会った人から全く影響を受けないという事は基本的にないです。出会った人はみんな僕の人生という物語の共演者であり、僕という宇宙の一部ですからね。もちろん僕は彼らの宇宙の一部でもあります。いわゆる仏教の大千三千世界の宇宙観ですね。

多分誰か有名人の名前を挙げる事を期待してのご質問なのだと思いますが、釈迦とキリストぐらいしか思いつきません。本当はみんな全員同一人物みたいなものですしね。出会った人みんなから何がしかの影響を受けてますが、両親以上に影響を受けた事は一度もないです。

「人物」に限定しなければ、もちろん創造主が一番ですが。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...