2022年9月26日月曜日

話を聞かない人をどう救う?

【質問】 30代前半・女性

いつもTwitterや質問箱を見て色々勉強させてもらってます。今日は思いきって質問してみたいと思います。

私はアルコール依存性、薬物乱用、摂食障害、反抗挑戦性障害などの精神疾患を抱えて生きてきました。人付き合いを苦痛に感じ、生き辛く、20代後半で自殺を考えるまでになりました。愚かな私はそんな絶望の淵までいって、やっと自分の今までの行いを反省するようになりました。

そんなある日ふと目に止まった『腸内細菌や腸内環境が脳と密接に関連している』旨の記事を読みました。そこからは毎日論文を読み、人体における腸の重要さを思い知り、徹底的に食事や生活を見直し、5年経った今は全ての精神疾患、更にたくさんあったアレルギーや、息子のアトピー性皮膚炎まで完治させる事が出来ました。以前とは比べ物にならないほど家庭が明るくなりました。

そして自分が元気になって初めて気付いた事があります。それは自分以外の多くの人も精神疾患やアレルギー疾患などの腸と深く関わる疾患に苦しんでいるという事でした。

自分が元気になったから、今まで人に迷惑かけた分人の役に立ちたいと考えています。しかし、悩んでいる人に対して腸の重要さ、食事療法を提案しても、なかなか踏み切る人はいません。

やはり食事療法は本人がやる気にならなければ実践不可能であり、やはり自分の体は自分で治すという意思がないと体も治っていかないとも感じています。

それともう一つ思うのが、今思えばどん底に生きた日々も、私自身が成長するために必要な経験だったと思っている事です。そうなると、目の前で苦しんでいる人がいても『この経験もこの人の成長のために必要なものなのか?』それとも『苦しんでいる人を救うために何度でも説得した方が良いのか?』どちらがその人のためになるのかわからなくなってしまいます。

しかし、唯一食事療法に踏み切った方は日々元気になっており、その姿に本当に生きがいを感じます。過去の自分のように、苦しんでいる人が目の前にいたら、私はどう対応したら良いと思いますか?


【回答】
いつもメッセージを受け取って下さって、信頼して質問して下さってありがとうございます。大変光栄です。

とても貴重な経験をされていますね。それを無償で共有していただいて、誠にありがとうございます。

本当に、腸内環境は超重要ですよね。「憑依体質の存在意義」に書かせていただいた通り、世界は超弦波動・霊的意思によってできており、細胞・ウイルスというのはその結晶です。腸内細菌も霊的意思の塊であり、その霊的な穢れによって我々の自我は全く気付かない間に犯されて悪い思考・行動・運命(カルマ)へと導かれているのです。それが精神病の本当の原因です。だから(腸内環境改善に限らず)日々その霊的穢れの浄化に努めることで自我・カルマが改善されるのは当然のことなのです。

僕は腸内環境についてはまだ他人様に詳細を語れるほど詳しくはないので、あなたのように貴重な実体験を通じてその改善策を提案して下さる方がいらっしゃることはとてもありがたいことです。

さて、「目の前の苦しんでいる人を救いたいのに、話を聞いて貰えない、理解してもらえない、信用してもらえない、まして実践して習慣化して貰えない⇒救えない」というのは、まさに覚醒後の僕のほぼ唯一にして最大の課題でもあります。

たくさんの人を救いに導ける素晴らしい覚りを得ているというのに、全然伝わらなくてまだ全く人を救えていません。本当にもどかしい日々です。ので、残念ながら現在その完璧な答えなどはありません。あったら既に世界を救えているでしょう。そう簡単じゃないんです。

人生、どん底に落ちる経験が必要なのは、その通りだと思います。本当の不幸を経験しなければ本当の幸福を感じることはできませんし、人の痛みもわからないでしょう。どん底から救われなければ、本気で人を救いたいとも思わないでしょう。

ただし相手がこちらの改善案を受け入れないからといって「相手が落ち切るのをただ指を咥えながら待つしかない」というのは違うと思うのです。

確かに相手の苦しみはその人に必要だからこそ与えられているものであり、僕も目の前で苦しんでいる人を見て、本当に救うべきかどうか一瞬は悩んだりします。それでも苦しんでいる人を見て何もしないということはありません。出会ったという事は、相手は自分の人生のカルマ(シナリオ・課題)の一部であり、人生という映画の共演者だからです。

あなたはきっと腸内環境のことを非常に科学的に分析されて、スピリチュアル的・宗教的なことはあまり信じない方なのかも知れませんが、信心はとても大事です。神々は自発的な信心・霊的成長に導くために敢えて霊的な穢れという困難な課題を我々に与えているからです。

僕は様々な宗教の勉強をしています。そのお経・祝詞・マントラは「神の御心のままに・幸あれ」という意味の言葉で終わることが多いです。仏教ならそわか(梵語ではSvaha)祝詞なら惟神霊幸倍坐世(かんながらたまちはえませ)、キリスト教ならアーメン、ブラジルのシャーマニズムならハウシ(Haux)などです。

僕らの「相手を救いたい」「この世に生を受けた恩・苦しみから救われた恩に報いたい」という純粋な気持ち・祈りと、創造主・神々との意思が通じた時に、初めて相手は神々の力を通じて救われるのです。(仏教では感応道交・哀愍納受と言います)

基本的に準備のできていない相手(様々な経験を通じ、本気で話を聞く気になっていない相手)にいきなりこちらから何かを教えることで相手を救う事はできません。相手から自発的に話を聞いて貰えるようにこちらが人間的なレベルを上げ、相手から自発的に愛され尊敬されるようになっていかなければならないのです。基本的に人は尊敬していない・愛していない人からのアドバイスなど聞かないからです。あなた自身が本当に幸せになっているように見えたら、相手の方から話を聞こうとしてくるはずです。

人生はRPGそのものであり、コントローラーを握っているのは相手自身です。勝手に答えを教えることは、自分だけの冒険(経験)を求めている相手に本能で反発されます。相手は自分なりに失敗を重ねて紆余曲折を経て自分なりに納得した上でゲームを前に進めたいのです。正解に価値があるのではなく、そこにいたるまでの経験(失敗・紆余曲折)にこそ価値があるのです。いきなり正解を教えられるクイズ番組など何も面白くありません。

答えを教えること(自分が成長せず相手の方を変えようとすること)で相手を救おうとするのは結局こちら側のエゴなのです。このRPGは自分だけに完璧にアレンジされたシナリオがあり、すべてが自分次第にできているのです。出会った相手はすべからく自分の鏡であり、NPCであり、自分が変われば相手も変わるようにできているのです。「離婚について」に詳しく書きましたが、人間関係の問題の多くはこの「自分が成長せずに相手の方を変えようとすること」に原因があり、それにより人はイラつくのです。

そして人の悪い行動というのは基本的に霊障・カルマのせいであり、それは過去の傷により自尊心が低くなっていることが原因なのです。自尊心が低いと行動のレベルが下がり、悪い行動・思考が止められず、それが更に自尊心を下げて悪い出来事を引き寄せる悪循環にハマります。そこから助け出すには、相手の悪い所を指摘したり改善方法を教えることではなく、自尊心を上げてあげることです。そのためにはいつも心からの笑顔で承認し、話を否定せずに真剣に聞くことです。相手は自尊心が高まれば、自然と良い行動をとるようになって自然と問題が解決されますし、あなた自身も相手から愛されることでしょう。人は自尊心を高めてくれる相手を愛するのです。自尊心が低く「自分なんて」と思っている状態の人に健康の改善策など提案しても聞き入れられる訳がありません。

そして因果・カルマというものはどこでつながっているかわかりません。「鏡の法則」というページに「子供がずっと学校でいじめられていたのが、自分がずっと不仲だった親に感謝を伝えたらいじめがパッタリと止んだ」というエピソードがありましたが、このようにあなたが「目の前の人を救えない」ということについても、どこで因果・カルマがつながっているかわからないのです。だからこそ常に相手ではなく自分の課題が何かを考えて解決していく必要があるのです。

「教えずに導く」ということは非常にレベルが高く難しいことです。しかしそれこそが創造主のやり方であり、世界を救う主人公(勇者・メシア・菩薩)であることに目覚めた僕らはそれに倣わなければいけません。

真理とは愛そのものであり、それが幸せでもあります。真理(愛)というものはそれを「正義」だとして他人に振りかざしたり押し付けたりすると、それがどれだけ正しかろうとエゴになってしまうのです。逆に正しければ正しいほどそれを相手に押し付けることでかえって反発されて相手を真理から遠ざけてしまいます。ガンジーの非暴力・不服従運動のように、真理(愛)は自ら信念を持って実践し続けさえすれば、それを見て理解する人間は自発的に従う以外の選択肢がなくなり、図らずも連鎖していくものなのです。

70数億人全員をあなた一人で救う必要はありません。目の前の二人を救う事ができたら、その二人はきっと更に二人を救い、それが50連鎖するだけで1000兆という途方もない数字になるのです。その頃には自分自身にもその功徳が返ってきて、人だけでなく御霊御霊のすべてが救われ、世界が救われるのです。それがメシア(主人公)であるあなたの使命です。

どうかあなたのその貴重な経験と知識を「苦しんでいる人を救いたい」という純粋な愛によって無償で共有して下さい。僕も是非それを知りたいです。過去の罪が大きいほど自分を晒すのは辛いと思いますが、実名や顔なども含めて自分を晒さずに人を救うということは難しいと思います。特にネット上では、言うだけなら誰でもどうとでも無責任に言えますから、全く信用できないのです。

また、もし本気で人を救おうとしていても、それで対価を得ようとするなら、相手に疑いをもたれるでしょうし、様々な詐欺や不正確な情報に紛れて伝わらず、きっとうまくいかないと思います。どうしてもそれで生計を立てざるを得ない状況にあるのであれば、本当にミニマムな生活をして、最低限の経費以上には請求しないで下さい。できれば報酬は相手に自由に決めさせて下さい。そしてお金のない人は無償で救ってあげて下さい。

僕はそのようにして神々に愛され、守られ、力を得て、ゲームクリア(真理・覚り・幸せ・解脱)へと導かれています。あなたもそうなることを祈っています。

2022年9月22日木曜日

愛の力の弱さに反吐

 【質問】(23歳・男性)
いつも本質を付いたメッセージありがとうございます。

質問なのですが、何故愛はこれほどまでに弱くて、耐え忍ぶ必要があり、多数決如きに負けてしまう脆い存在なのでしょうか

誰かがイジメてる時、黙って見過ごす。加担するなど、皆んなが何もしないからといって悪事に手を染めるゴミもいます。

勿論善悪など宇宙に存在せず、ただある方向からの視点しかないのでしょうが、余りにも愛(あえて自分が正しいと思う自然の理を愛と呼ばせてもらいます)が弱すぎて絶望しかありません。

NPCの存在も意味不明です。自由意志など持たないロボットの様な愚民どもが、騙されている事も知らずに盲目的に悪意に加担し(加担している意識すらないでしょうが)世界や愛をぶっ潰す方向に向いている事に怒りを通り越して人類も宇宙も創造主も全て滅んでしまえと思えます。

ワクチンもfuckingSDGsもイジメも無責任も、事なかれ主義も全てクソ喰らえ。気付いた奴におんぶに抱っこ、人の忠告も聞く耳持たない、他人は変えられないとは言えコチラはドンドン変わっている。が奴等は何も変わらない、変わろうとしない。

私も昔は純粋で愛に溢れ正しい事は貫き、自他を活かす生き方ができていましたが、今は騙され裏切られ愛ある世界を作る邪魔をされ、ほとほと人間の邪悪さ、醜さ、愚かさの極みにガッカリし悪側に堕ちるのは時間の問題です。だから信念を持って愛の力で立ち向かうシンヤさんが羨ましく、また最期に本音の質問に答えてもらえると幸いです。

正直愛の弱さにうんざりしています。もう愛を持って人を導くのは限界だと感じています。

🔷何故、愛を信じる者が利用され嘲笑されるのでしょうか?愛が不十分な者は何もしない方が良いのでしょうか?中途半端な愛でも今持てる愛で向き合っているというのに。

🔷何故、愛は数の原理に負け多数決如きで世界の方向性が決まってしまうのでしょうか?

🔷何故、愛は苦しみ耐え忍び目醒めていない者どもの為にガマンを虐げられるのでしょうか?苦労するのは我々ばかりで奴等は思考停止の無責任、変わろうとしない。いい加減にしてほしい

🔷何故、愛は暴力を受けた時、暴力で返してはならないのでしょうか?手を出してくるならせめてやられた分くらいは殴ってやらないと気が済みません

🔷何故、愛を目指す者達に愛の偉大な力と激励の恩恵がなく、悪にばかりやりたい放題の力と恩恵を創造主は与えるのでしょうか?不公平、卑怯、やってられない

こんなに苦しいのなら愛など要らぬとサウザーの名言が頭によぎります。いくら創造主が気付いた魂達に多少の恩恵を施そうが、悪が持つ多大な恩恵と数の力と暴力を比較すると、創造主はよっぽど悪の方がお気に入りで愛などただの飾りの様に思えて悔しくて夜も眠れません。

私も貴方の様に愛の力を持つ救世主になりたい。しかし、余りにもクソな現実とクソどもに嫌気が差し、こんな事なら、愛の力ではなく奴等の持つ権力暴力恐怖で世界を愛に塗り替えた方が手っ取り早く感じます。矛盾してますが。

愛が出来ないことを汚れ役の自分が補う。汚い仕事は全て引き受ける。暴力肯定と呼ばれようが愛の為に身を汚して行動する。問題は悪側の力で悪を潰す以上、汚い仕事をこなしているうちに自らも悪に染まっていくことでしょう。

しかしそれでも誰かがやらないといけないのであれば、ダークヒーローの役割を果たすべきなのでしょう。

本当は愛の力で世界を救いたかった。しかしもう限界です。

【回答】
ご質問ありがとうございます。(多忙につき乱文ご容赦下さい。随時加筆修正します)


世の中の多くの人は、現在のあなたやかつての僕のように世の中に絶望し、それによってエゴに埋没しながら生きる自分を自己肯定し、この世界を創った創造主たる神を恨みながら生きていることでしょう。その愚かさは人間の初期設定なのですから当たり前です。そこから己=世界の尊さに目覚めること、主人公として目覚めることこそがこの人生というRPGのシナリオの要ですからね。

まだNPCとして眠ったままの魂の同志たちの目覚めを促すため、今回ご質問を下さったあなたには彼らを代表してこっぴどく叱られていただきましょう(笑) 僕は人に説教をされるのと強制をされるのを好みませんので、このように説教みたいなことをするのは大変心苦しいのですが、世界を救うために心ならずも避けては通れない道です。どうぞご容赦下さいませ。僕のメッセージが本質を突いているのだとご理解下さっている方なのであれば、きっとこのメッセージもその本質をご理解いただけるのではないかと思います。

まず、人生というのはRPGそのものです。これは例えではなくそのものズバリです。僕らはドラゴンクエストとまったく同じようなシナリオのあるゲームの世界の中にいます。

RPGというのは不幸なディストピアから始まるのが当たり前であり、最初から幸せな世界だったら誰も成長しませんし、何も面白くありませんし、主人公(勇者・メシア)が世界を救うという設定自体が成り立たなくなってしまいます。

世界というのは、あなたという主人公に救われるためにわざと不幸多く作られているのです。みんなが愚かで、不正が蔓延り、エゴのために生きているのは当然の初期設定であり、最初から愛に満ちていたら愛の価値を知る物語にはなりません。むしろ最後の大逆転劇を盛り上げるために一度極限まで堕ちていくようにプログラムされているのです。

それを見て「悪者ばかり得している」と誤解し、自分も悪い事をしてでも得をしようと悪側に加担するようでは主人公には成り得ません。それは脇役・悪役の発想そのものです。悪人は幸せでないからこそ悪人なのであり、主人公の救いの対象なのです。

世界はネットゲームの如くログインしている全員が主人公です。詳しくは「世界の仕組み」をお読み下さい。しかし世のほとんどの人は客観的世界が存在すると勝手に(設定通りに)錯誤し、何事も他人を基準にして考え、自分が世界の主人公であることにも気づかず、ゲームの基本設定に文句ばかり言って、世界を救うことなどあっさりと諦めています。

あなたはドラクエで「なんで世界はこんなに魔物ばかりで悪が蔓延り暗くて腐っているのでしょうか?それに対しなぜ愛の力はこんなにも弱いのでしょうか?反吐が出ます。こんなことならいっそ自分が魔物になって愛ではなく強制力によって世界を支配してやりましょうか?」などと言ってるキャラクターを主人公としてプレイしたいと思いますか?

あなたのその考えは脇役NPCの発想そのものであり、あなたは気づかない間にNPCそのものに成り下がっているのです。あなたが言い貶すクソNPCとはまさに現在のあなたのことです。そしてもし僕の言う事に反発して目覚める気が全くないのならいつまでも脇役NPCのままになってしまうでしょう。

>NPCの存在も意味不明です。自由意志など持たないロボットの様な愚民どもが、騙されている事も知らずに盲目的に悪意に加担し(加担している意識すらないでしょうが)世界や愛をぶっ潰す方向に向いている事に怒りを通り越して人類も宇宙も創造主も全て滅んでしまえと思えます。

既に目覚めた僕からすれば、これはまったくあなた自身のことであり、あなたの文章は全体的にNPC(ロボットの様な愚民ども)である自分の自己紹介としか思えません。主人公として目覚めないあなたの自由意志は幻であり、初期設定通りに社会の奴隷となって自覚もなく悪に加担しています。霊障(悪魔の手先)に犯されて悪いカルマにハマっていることを全く自覚できていないのです。このあたりの話は「憑依体質の存在意義」をお読み下さい。霊障は常に宿主を悪い思考・行動に駆り立てて自尊心を下げ、自分自身・人生・世界を嫌にさせ、「そんなに要らないなら私が貰ってあげるよ」と自我を乗っ取って宿主を脇役に引きずり降ろそうとしてくる悪魔の手先(という役割・設定)なのです。

上位次元の存在(神々)からすれば設定に文句ばっかり言って世界を救おうともしないあなたというキャラクターをプレイする(導く)のは面白くないので、下位次元の存在(霊障)に任せて自動運転のような状態、つまり脇役NPC(AI)にしているのです。実際、現在のあなたはこの世界の主役を張る気はゼロでしょう?あなたが言い貶す脇役・悪役NPC達は現在のあなた自身のことだと気づいて下さい。

落ち込まなくて良いですからね。それが初期設定であり、そこから目覚めるからこそこのゲームは面白いのです。創造主はあなたを見放しているのではなく、目覚める日を楽しみにしながらずっとあなたを見守っているのです。全知全能の創造主が直接手や口を出してしまうと意味がなくなってしまうので、導きを与えながら見守るしかないのです。

世の中でどんなに悪者とされる人達も、必ず自分を正当化して生きています。つまりみんな(自分勝手な)正義を背負っているのです。それはエゴ(我欲と保身)のために生きる自分を自己肯定し、自己利益に誘導するための建前に過ぎません。エゴは愛とは対極にある力です。

純粋な悪が存在するなら、それはみんなが嫌がるので連鎖しません(みんなから嫌われるので基本的に単独犯となり、社会全体を悪化させるような巨悪とは成り得ません)。悪魔は悪魔の顔をして近寄っては来ないのです。世に蔓延る悪というのは常に正義を隠れ蓑にして善や愛を偽装して行われています。こちら側にこちら側の正義があるように、相手には相手側の正義があります。そしてそれは必ず衝突するのです。あなたはヒトラーを悪の権化のように思っているでしょうが、発想は今のあなたと基本的に変わりません。自分の勝手な正義を「愛」と称して独善的に他人に押し付け、受け入れない人間を「悪」として、犠牲になっても構わないと考えているのですから。

創造主は言いました。正義=悪であると。正義とは必ず批判・攻撃対象としての悪を必要とし、常に相手の正義との衝突を生みます。そしてそれは必ずエゴの隠れ蓑になっているのです。その正義の陰に隠れたエゴの連鎖こそが恐ろしい巨悪を生んでいるのです。あなたの愛が他人に伝わらず他人のエゴに利用されてしまうのは、あなた自身が愛より正義(エゴ)を優先しているからです。そしてあなたが愛だと思っているものがそもそもエゴでしかないからです。

あなたは愛というものを根本的に誤解していると感じます。だからそのように周囲から反発を受けるのでしょう。愛も正義もそのように独善的に他人に振りかざしたり押し付けたり何かの見返りとして求めるべきものではありません。愛は相手を最も自由にするものです。そして愛は自由な状態で自発的に発するものでなくては意味がありません。愛を他人に強制・強要・束縛しては必ず失われるのです。このあたりの話は「離婚について」をお読み下さい。

本物の愛は冒頭の画像に表したように、自分自身と他人に対する許し・感謝・尊敬・忍耐・勇気が伴っていなければいけません。現在のあなたの愛とは呼べないものです。それどころか愛とは対極にあるとても危険なものです。他人の悪を言い訳にして己のエゴ(臆病と怠惰)を肯定し、その偽りの愛(エゴ)を他人に押し付ける強制力を手にするために悪事に手を染めようとまでしていますからね。

あなたの問題の根本的な原因は自尊心の低さだと思うので、こちらを必ずお読み下さい。「誰でも自信満々になれる方法」大切なのは出会った人を自分の人生の共演者として例外なく無条件で許し、尊敬し、感謝し、愛することです。

自尊心の低い人は、必ずと言っていいほど正義を振りかざし(自分の欠点や過ちは棚に上げ)常に誰かを批判してばかりいます。正しさに能力は必要なく、誰かを批判してれば正義の人になれるからです。そのように間違った方法で自尊心を回復しようとして人に嫌われて愛を失って自尊心を更に失う悪循環に陥っているのです。正義は常に愛とは対極にあるものなのだということです。勝手に他人に押し付けておいて見返りがなければキレるようなものが本物の愛であるわけがありません。

だから大切な事は常に正義より愛を優先することです。それが世界中に連鎖したなら、世界はそれだけで必ず救われるのです。絶対に忘れないで下さい。

脇役NPCたちはみんな「一人で70数億人を救うのは無理だから、最初から誰も救わなくてもOK」「みんな世界を救おうとしないのだから、自分が世界を救わなくても誰に責められる筋合いはない」「愛があってもお金を稼がなければ生きていけないのだから、愛よりお金が大事で、合法なら(バレなければ)不道徳も止む無し」というように考えて、世界を救う主人公になることを最初から諦め、エゴに埋没して我欲と保身のために生きています。

主人公のあなたは、ただただ目の前の人を救って下さい。それは必ず連鎖するのです。もしあなたが人生でたった二人の人を救えたとしたら、その二人はまた人生で二人救うことでしょう。それがたった50連鎖するだけで何人になると思いますか?何と1000兆人なのです。その頃には世界が救われ、必ずあなた自身にその功徳が返ってくることでしょう。

世界を政治のような「権力=強制力」でもって変えようなどと思わないで下さい。価値観の革命を世界の隅々まで行きわたらせれば、政治体制など勝手に変わっていきますから。ただただ目の前の人を救う事に集中して下さい。それが主人公の世界の救い方です。

「現在」というのはあなたも世界も「過程」に過ぎず、最終的な結果ではありません。現時点での多数決に魂まで屈して負けを認めているようでは話になりません。そこを絶対に諦めずに最後には大逆転するところがこの人生というRPGのストーリーの要であり、だからこそ面白いのです。

最初から善が多数派ならあなたという主人公に存在意義はありません。世界はあなたなしに勝手に良くなっていくでしょうから。悪の方が一見圧倒的に強いから、愛が大逆転する物語が面白くなるのです。世界中の人が倒せば愛に変わるエゴのドミノをせっせと積み上げて、大逆転劇のフラグを立ててくれているのです。そしてその愛の連鎖の最初のドミノを倒す役割があなたという主人公に与えられているということです。

世界はフラクタル(相似形)にできていて、それは異分子を排除すべく同調圧力をかけてきます。それが社会・常識です。NPCたちは基本的にマトリックスのエージェント・スミスのような存在です。主人公はそれに屈せず、愛の力ですべてを自分のフラクタルに変えることが使命なのです。

決して「愛の力」が弱いのではなく、ただ単に現在のあなた力が弱いだけです。現在のあなたの愛は本当の愛すらありません。主人公として目覚めない現在のあなたのレベルは1にも達していませんから、家のすぐ外にいるスライムにも多数責めで易々とやられて家に引きこもって愚痴ばかり言っている「魂のヒキニート状態」なのです。そんな状態でレベルアップするわけがありませんし、神々が力を与えるわけがありません。RPGはまず主人公として目覚めなければゲームがスタートすらせず、一生NPCのままです。

>>こんなに苦しいのなら愛など要らぬとサウザーの名言が頭によぎります。

サウザーの名言て(笑) あなたは本当に23歳ですか?30年以上前のアニメ「北斗の拳」のワンシーンを、僕が当然知っているという前提で話されているので、かなり違和感があります。それに「昔の自分は○○だった」などと言うのもおかしな感じがします。本当に23歳なら「昔」というのは幼少期ということになってしまいますから。まぁそこは流すにしても、サウザーは思いっきり脇役ですからね。同じように考えたら(主人公に倒されて諭される)脇役にしかなれず、主人公には成り得ません。主人公のケンシロウの如く本物の愛で世紀末の世界を救いに導いて下さいね。


この人生というRPGは愛と勇気を試すためのものであり、当然世界はありとあらゆる手段であなたを常に怒らせ、不安と絶望に陥れてきます。主人公(勇者・あなた)は決してそれに負けてならないのです。「勇気なき愛は欺瞞であり、愛なき勇気は蛮勇である」あなたの愛と勇気を他人に見下されたり笑われたりした程度であっさりと手放し、多数派に加わるようではどうしようもありません。相手が愛を腐すのはその人の愛が腐っているからであり、心が傷つきグレていて、愛より金を信じているのですが、本当は愛(救い)を必要としているのです。

>>🔷何故、愛は苦しみ耐え忍び目醒めていない者どもの為にガマンを虐げられるのでしょうか?苦労するのは我々ばかりで奴等は思考停止の無責任、変わろうとしない。いい加減にしてほしい

冒頭の画像にも書いていますが、愛に忍耐が必要なのは当たり前じゃないですか?忍耐の要らない愛に何の価値があるのかわかりません。

人(主人公)にはそれぞれ創造主からの愛(激励)が平等に与えられています。その愛に気づかず感謝しないから、あなたは自らNPCに成り下がり、創造主からの愛(激励)が十分に受け取れず、年齢と共にはぎ取られ続けることで失ったものの価値に気づかされるような悲しい人生となっているのでしょう。創造主は我々自身でもあり、与えられたものに感謝できない人間にもっと与えたいとは思わないのです。

>>🔷何故、愛は暴力を受けた時、暴力で返してはならないのでしょうか?手を出してくるならせめてやられた分くらいは殴ってやらないと気が済みません

暴力に暴力で返してはいけない理由は聖書を読めばわかるでしょうし、ガンジーの非暴力・不服従運動が成功した理由を考えればわかるでしょう。暴力に暴力で返したらその連鎖は増幅しながら悪化し続けていつまでも終わりません。相手の心の中にある仏性を目覚めさせることが大事なのです。教えを乞うていない相手に何かを教えようとすれば必ず反発されます。だから自らが鏡となって相手という主人公に自ら覚らせるのです。

僕らは成長を楽しむために生まれてきているのであり、成長に痛みや苦しみが伴うのは当たり前です。筋トレに痛みや苦しみが伴わないなら何の価値もありません。痛みや苦しみを理由に創造主を恨むなどというのは馬鹿げた話です。

あなたは悪人を憎んでいるようですが、もし正しい者しか救わないなら世界は絶対に救えません。欠点もなく過ちも犯さない人間は一人もいません。悪い人間は救われなくて良いと考えるなら世界を救えないのは自明です。悪い人ほど不幸に苦しみ本心では救いを求めているのです。

現在の支配者たちが現在の支配体制を作ったのではなく、ただそういう家に生まれた業を背負って生きているだけです。彼らは先代より悪どいことをしなければ先代の資産を減らしてしまうのでその業から逃れられず、罪悪感に苦しみ、悪魔に心を売ったことにして自らの罪悪感に目を向けないようにしているのです。そしてそれは主人公であるあなたの救済対象なのです。誰一人例外なく救おうという覚悟があなたという主人公を世界救済というゲームクリアへと導くということを忘れないで下さい。この世界に悪役はいても悪人はいないのです。彼らを悪魔から救い悪役から解放しなくてはいけません。それが主人公(メシア)の使命です。

あなたはゲームクリアをあっさり諦めたまま、エゴに埋没するだけの脇役・悪役NPCの人生を繰り返すつもりでしょうか?あなたは「自分はどんどん変わっている」と言いますが、少しも良くなっている感じがしません。そしてゲームの初期設定やシナリオに文句ばかり言って成長しようとしない「脇役の発想」から逃れられない限り、あなたは他のNPCと大同小異であり、誰か他の主人公の物語における伏線の奴隷にしかなれません。

反省してはいけない」に書いた通り、自尊心を下げると行動のレベルも下がる悪循環に陥りますから、どうか反省して自尊心を下げないで下さいね。気づきさえすれば治りますから。そしてただより良い未来を選択すれば良いだけです。

というわけで、創造主からのメッセージ、しっかり代弁させていただきました。あなたがきっと主役に目覚め、このご自分の質問文を読み返して赤面する日が来ることを願ってやみません。

このメッセージを受け取る魂の兄弟たちよ、決して他人事だと思うな!
世界(衆生)を救う主人公(メシア・菩薩)として、
一刻も早く目覚めよ!目覚めよ!目覚めよ!

本門八品所顕 上行所伝 本因下種の 
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経!

2022年9月10日土曜日

離婚について

【質問】
初めまして。noteを見させてもらってとても感動しています。読んで沢山勉強しようと思います!

さて、質問なんですが「結婚、離婚」についてです。

ただ今離婚に向けて進めているところです。(離婚調停申し込みました) 離婚理由は相手の女性関係、モラハラ、性格の不一致等です。妊婦になってから不仲になっていきました。

私も未熟者で今では「どっちもどっちだな」とも思いますが、どうも話が通じず、我慢するしかない間柄で、愛もないなと。自分を正当化するためにストーリーを変えたり嘘や虚言も気になります。妊婦出産産後と大変だったので精神的にももたず、そうゆう環境で子供にも悪影響だと思い離婚を決意しました。

ですがノートを読んでいると離婚をせず愛で解釈して頑張った方がいいのかなぁとも思ったりして(やってるつもりでしたが、なかなか難しいし持たない…)  恨む気持ちを持たずに、自分のことを反省して愛で包み込んだり、なかなか私のような未熟者には難しかったです。

今は自分の課題を教えてくれた人で感謝してます。自分がどんなに未熟な人なのかも分かりましたし、成長したいと思ってます。でも一緒にいたら精神をどうにかするのに集中してしまい、成長どころではなく(自分の度量のなさかも知れませんが)それぞれ違う道で成長するのがいいのかなと思ってしまいました。また仕方がないと思いつつも、子供と離れてしまうのは辛いと思うので申し訳ないと罪悪感もあります。

離婚についてはどう思いますか?それでも頑張るのが良かったのでしょうか。良かったらお答えして頂ければ幸いです。


【回答】※10月15日更新
ご質問ありがとうございます。そしていつもnoteを読んで下さってありがとうございます。それは本当に嬉しいことです。

さて、離婚調停中ということで、あなたの心の痛みに心から同情いたします。幸か不幸か僕には結婚も離婚も経験がありませんが、かつては心から愛し合っていた関係が壊れることの痛みはよくわかります。きっとあなたは母親として社会人として強くあろうとして自分の心の傷に目を向けないようにしていることかとお察ししますが、どうかまず心の傷を癒すことに専念して下さい。

問題の渦中にある時、心が傷ついている時、自分で自分の課題を正しく(クリエイター目線で)見つめることはとても難しいことです。もちろん僕もそこは何度も経験しているのでよくわかります。だからこれから僕が書くことを理解しようとするのは、もう少し心の傷が癒えてからの方が良いと思います。

どうか僕が偉そうな説教をしてあなたを責めているのだと誤解しないで下さいね。僕はただ魂の同志としてあなたを尊敬し、純粋にあなたを幸せに導きたいだけなのです。

成長とは基本的に失敗・過ちを通じてもたらされるもので、それは必ず痛みを伴うものです。そして魂のレベルが高い人の人生ほど難易度高く、失敗・過ちの痛みが大きく作られているのです。

人生というRPGにおいて、失敗・過ち・不幸は誰しもが通る道であり、避けては通れません。そもそもそれがなければストーリーとして成立してません。全てを愛によって与えてくれている創造主が、失敗・過ち・不幸から我々に何を学ばせようとしているのか、一緒に考えていきましょう。

どんなに辛い経験も、我々に起きる全ては我々の学びにとって必要な経験だからこそ起きているのであり、常に我々にとってベストなのです。あなた自身もあなたなりのベストを尽くして起きた結果なのですから「もっと頑張るのが良かったのでしょうか?」などと考えて自分を責めることはありません。本当に大切なのは選択可能な現在でありこれからです。

あなたの人生で起きる全ての出来事があなたに必要な過程であって最終的な結果ではありませんので「自分とは(結婚とは・人生とは・世界とは)こんなものだ」というネガティブな決めつけで結論を出して変な悟り方をせず、これから幸せになるために克服すべき課題なのだと理解して下さい。本当の不幸を経験せずに本当の幸せを感じることは不可能ですから。

誰しも深く傷ついた時にはとりあえずは自分を守らなければいけませんから「どっちもどっちかも」と内心では薄々わかっていても、一旦は全てを相手のせいにして恨み「自分は悪くない」と整理をつけるのも必要な過程だと思います。心の傷に綺麗事は通用しませんからね。

実際、あなたは何も悪くありません。しかしながら、相手も何も悪くないのです。あなたの人生に起きたことは全て、その登場人物が無自覚に創造主の用意したシナリオ通りに役割を演じた結果なのです。どうか自分自身もパートナーの事も責めずに、いつかは許してあげて下さい。

恋愛・結婚などの成功体験が全くない人もたくさんいる中で、あなたは結婚を手にして子供まで授かりました。ただし結婚に限らず、何かの成功というのは、新入社員が査定前に貰う最初の夏のボーナスのようなもので、創造主から更に大きな成長が期待されているということなのです。それなのに一つの成功をゴールのように捉え、また自分の実力・努力への正当な報酬だと驕り、既に幸せの保証でも得たかのように考え、あとは周囲と同程度に頑張っていれば大丈夫(何か悪い事があれば自分のせいではない)だろうと考え、その成功の上にあぐらをかいて成長努力を怠ると、先取りの成功がまるで借金のようになり、成功の喜びの大きさに応じて利子付きで幸せの返済を要求され、大きな落差の不幸が待っているのです。では創造主はあなたにどんな成長を期待しているのでしょうか?

人間関係というのは(夫婦関係に限らず)相手の方を変えようとしても決してうまくいきません。そのように自分が成長することなく相手を変えようとするのは人間の初期設定であり、それがエゴなのです。それは磁石の同じ極のように必ず反発し合ってうまくいかないようにできています。だからこそ自ら気づいて自発的に成長を目指すことが尊いのです。そしてそれこそが愛であり、それはエゴとは対極にあるものなのです。

相手は相手の人生というRPGをプレイしているプレイヤーであり、そのコントローラーを他人が奪うことはできないように創造主はこの世界をプログラムしているのです。自分の人生(自分の認識世界)はすべからく自分次第にできています。つまり相手も世界もあなたが変われば(時間差こそあれ)全てが変わるように作られているということです。

あなたが出会う人はみんなあなたが主人公のRPGにおいて無自覚にあなたの脇役としてクリエイターの設定した通りに動かされているNPCなのです。それはあなたの家族や友人であっても、どんな有名人であっても同じです。あなたが出会う人は例外なくあなたが主人公のゲームのNPCなのです。

そしてあなたが出会う人はみんなあなた自身の鏡のようなものです。ですからあなたが相手の自尊心を下げれば自分の自尊心も下がります。note記事「反省してはいけない」に書いた通り、自尊心が下がればそれに応じて悪い思考・行動が止められなくなる悪循環にハマるということを知っておいて下さい。

これも人間の初期設定であり、殆どの人がハマっている悪循環なのです。相手の欠点や過ちを許せずに逐一責めて相手の自尊心を下げ続け、その結果反発し合い、自分の欠点や過ちも許せずに自分の自尊心も下げ続け、お互い更に悪い思考・行動が止められなくなるという悪循環です。きっとあなたの離婚もその結果として起きていることなのではないかと推測します。(これはみんなに共通した課題であり、決してあなただけではないので、落ち込んで自尊心を下げないで下さいね)

決して夫婦関係に限らず、全ての人間関係において「どうやったら相手の自尊心が上がるか?」を考えて実践し続けることが大事です。それは変にお世辞をいったり遜ったりしておべっかを使う事ではありません。基本は相手(の欠点や過ち)を許し、存在に心から感謝して心からの笑顔で承認し、自分には決してできない貴重な経験をしている存在として尊敬し、愛することです。

あなたも他人も出会う人はすべて創造主の分身であり、自分も他人も尊敬しないということは創造主(すべての存在)を尊敬しないということであり、当然それは悪い運命・シナリオを引き寄せることになります。社会の中で他者比較に晒されてみんな自尊心が低くなっているのが初期設定ですから、努力して出会った人みんなと自分自身を尊敬し、お互いの自尊心を上げる必要があるのです。

そしてどんなに相手の意見が気に入らなくても、その場では話を否定せずに真剣に聞くことです。こちらが少しでも否定したら「この人は話を聞かないタイプだ」と、相手は心を開かなくなり、本音を言わなくなります。つまらない話ほど真剣に聞かなければいけません。人はつまらない話も真剣に聞いてくれる人にしか大事な話をしないものだからです。相手は自分で美味しい(正しい)と思って自分の料理(言葉)をプレゼントしてくれているのに、それを口に合わないからとその場で吐き捨てるようでは人間関係がうまくいくわけがないのです。必ず味見はさせてもらってとりあえずは「美味しそう(面白そう)・興味がある」と言うことで、いったんテイクアウトにする癖をつけて下さい。あとはあなたのDisposable(取捨選択自由)です。

相手の言う事が正しいか間違っているか・好きか嫌いかを判断するのは後回しにして、創造主がどういう意図(伏線)をもってあなたとその人・その言葉・その出来事とを出会わせたのか(何に気づかせたいのか)を考えてみて下さい。そしてそれは必ず愛により成長を願って与えられている出会いなのだと理解して下さい。

人生はRPGそのものであり、RPGにおいて行き詰まる原因は常に「人の話を聞いていないこと」なのです。クリエイターからのメッセージをNPCを通じて受け取れていなければゲームがうまくいかず悪いシナリオに導かれる(行き詰まる・事故る)のは当たり前なのです。

人生というRPGは全て予めプログラム済みなのであり、僕らは既に用意されている無数のシナリオを選択しているに過ぎません。悪く解釈すればどんどん悪いシナリオに導かれますし、良く解釈すればどんどん良いシナリオに導かれます。だから大切なのは行動の選択より解釈の選択なのです。

>離婚理由は相手の女性関係、モラハラ、性格の不一致等です。妊婦になってから不仲になっていきました。

画像の「離婚原因TOP5」の通りですね。離婚に至る人の多くは、その理由をあなたと同じように自分のせいではない(相手のせい・相性のせい)と解釈しているということなのでしょう。

もちろん傷を癒すためには相手のせいにするのも必要な過程ではあるのですが、いつまでも相手のせいにしていては自らの成長の糧にならず、例え再婚したとしても恐らくはまた同じことを繰り返すことになるでしょう。

「離婚原因TOP5」にあるようなものは男性のネガティブな性質(反発心)の表れ方の典型(霊障・カルマ)であって、原因ではなく結果なのです。男性は環境・状況次第では誰でもそのようになる可能性があります。

例えば外で女を作ることにしても(もちろん男性側の元々の播種本能の強さも原因としてあるのでしょうが)男性が家でも職場でも友人関係でも自尊心を下げるようなことばかり言われて、外に女を作って肉体的に受け入れられる事で自尊心を満たす他なくなったことの結果でしょう。

人間とは「風の谷のナウシカ」の腐海の植物と同じで、土が汚れているから(霊障にまみれ、自尊心が下がっているから)毒を出すのです。ですから人は常に自他の毒を浄化(浄霊)し、心の水やりを怠らないこと(愛情欲求・自尊心を満たしてあげる事)が大事なのです。そしてそれこそが霊的成長なのです。このあたりの話は「憑依体質の存在意義」と「悪いカルマの解消法」を読んで下さいね。

みんな決まって離婚の際は「性格の不一致」と言いますが、人間の性格は一致していないのが初期設定であり、最初から性格が一致していたら相手は自分そのものですから存在意義がありません。性格が一致していない者同士が失敗・紆余曲折・試行錯誤を経て歩み寄る過程に物語があり存在価値を生んでいるのです。「最初は努力しなくても一致していた」などと思うのは恋愛のマジックであり幻想です。それによってきちんと話し合わなくてもわかって貰えているものと勝手に期待し、問題が次々に出てくれば「最初から性格が合っていなかったことが原因」と考えて諦め、自分から歩み寄ってきちんと話し合っていないから相手も意地になって歩み寄ろうとせず反発するのでしょう。みんなが離婚の原因だと考えることはすべからく純粋に愛情(尊敬・感謝・許し・忍耐)不足の結果なのだと思います。

全ての事象は因果によりどこまでも果てしなく結びついており、それは常に循環・上書き更新されているものです。相手の性癖を問題の原因として断定することは、その因果を自分に都合の良いようにブツ切りにすることなのです。

例えばあなたが自分の不幸を親が原因だとするとします。でもそうだとしたら、その親があなたを不幸にしてしまうように人間になったのは、きっとその親(あなたの祖父)が原因でしょう。その責任追及の連鎖は「親⇒その親⇒その親⇒その親・・・」と創造主の人間創造まで果てしなく続くことになります。つまり親を責めるのは創造主を責めるのと同じなのです。その因果を「自分の親が悪い」という自分にとって都合の良いところでブツ切りにし、自分の親の不幸な境遇に思いを巡らさないようにしなければ、自分の親個人を責めることはできません。それはもちろんあなた自身についても元パートナーについても同じ事が言えます。あらゆる人・出来事への不平不満は全てを与えし創造主への不平不満なのです。それは必ず悪業となって自分自身に返ってきます。

夫婦関係に限らず、人間関係の問題の原因はほぼ二つに集約されると思います。それは前述の「自尊心の下げ合い」と後述の「感情の強要」です。

殆どの人は感情(愛)の存在理由とその仕組みが理解できていません。詳しくは他の方の質問「片思いの存在意義」に書かせていただいたので、そちらをご覧下さい。今回はかなりそれと内容が重複します。非常に根源的な所から説明が必要なので大変なのですが…。

全知全能の創造主からすれば、同じように全知全能の存在を創ることはたやすいことなのです。また個性のない(欠点も過ちもない)完全なコピーを無限に創ることも容易です。でもそれでは存在に意義がありません。

愛というのはそれぞれの存在に個性(欠点や過ちを含む)があってそれをお互い許し合い・補い合うからこそ生じるものなのです。我々は個性がなければ愛し合う事はできません。我々の誰しもが個性を持つ存在であり、それは欠点や過ちと不可分です。ですから欠点や過ちを理由に人を愛さないというなら、自分自身も誰も愛することはできないのは自明なのです。欠点や過ちには価値があり、それなくして愛は生じ得ません。そしてその愛という概念こそが存在意義なく生じた創造主が自ら創った存在意義なのです。

相手の欠点や過ちが自分に存在意義を与え、自分の欠点や過ちが相手に存在意義を与えているのに、人間は欠点や過ちを理由に他人を許さず・愛さず、その結果自分自身も許せない・愛せなくなるようにわざと愚かに初期設定されています。だからこそそれを課題として乗り越え、お互い許し合い・補い合い・愛し合えるようになる過程の物語が、愛を価値ならしめるのです。その経験がなければ愛はただの概念に過ぎません。

だいたい離婚する夫婦の奥さんというのは、旦那や子供たちが家を散らかしたり汚したりする度にキレて相手に片付けさせようとするような人が多いです。相手の欠点を許し補ってあげて自分が成長することなく、相手側を変えよう(教育しよう)という基本姿勢なのですね。相手の欠点や過ちが自分に存在意義を与えてくれているのですから、相手を許して補ってあげればいいのに、便座が下りてないぐらいでブチ切れる女性とか、もう処置なしなのです。相手に欠点や過ちがなく何でも完璧にできるようになったら自分に存在意義はなくなって必要とされなくなるのは自明でしょう。まして家事などはほとんど機械がやってくれる時代ですからね。そのように逐一相手の欠点や過ちを責めて自尊心を下げて悪い行動を繰り返させて、お互い鬱になってお互いの気持ちを考えられなくなって関係が破滅に至るのではないでしょうか?

許すということは我々が創造主から与えられた最大の権限委譲であり、許し=愛なのです。だから僕らは許しを経験するために生まれたとも言えます。逆に言えば誰かを責めることは最大の越権行為なのです。それはすべてを与えし創造主を責めることですからね。

人の悪い行動はすべて過去の傷により誤った悟り方をして、自尊心が低くなっていることが原因なのです。すべての人の性格にはちゃんとそれなりの原因があって、すべての出来事はみんな止むに止まれずやってしまった結果なのだということです。そういう自分や他人に対する許しがなくては、きっと自尊心を下げて反発が起こり、問題が根本的に解決されることはありません。

「許し」と「我慢」とは違います。我慢するというのは読んで字の如く我(エゴ)で己の心を漫々にすることであり、心では和解が成立していないのです。我慢している間は相手を心の底では許しておらず、その場凌ぎをしているに過ぎません。本当は嫌だけど我慢「してやっている」のだ、と。そしてそれはマグマのように蓄積していつか爆発するのが自明なのです。相手を許し、自発的な成長を信じ、相手の幸せのために耐え忍ぶ「忍耐」が大事なのです。このあたりの話はnote記事「信じることの意義」に書きました。

さて、感情を強要することの問題点について詳しく解説しますね。

全知全能の創造主にとって、自分を愛するように人間を創ることなど造作もないことです。でもあなたがクリエイターだとして、自分を愛するようにAIをプログラムしてそのAIから愛されて嬉しいでしょうか?そもそもそれは愛と呼ぶことすらできないでしょう。

自由意志というのは愛(感情)を存在価値ならしめるために人間へ与えられたものであり、わざと他人(神々も含む)の思い通りにはならないように作られているのです。感情を他人が強制できてしまったら感情自体に存在意義がなくなってしまうのです。

だから感情というのは他人から強要されると必ず反発するようにできているのです。例えば「私を愛しなさい」「私を尊敬しなさい」「私に感謝しなさい」というように言われたら逆の感情が湧きますよね?もちろんそこまでダイレクトに感情を他人に強要するような愚かな人はなかなかいないでしょうが、みんな無意識かつ遠回しにやっているのです。

我々は家族や恋人に愛情を当然の権利のように強要していたり、自慢話をして尊敬を強要していたり、自分の勝手な愛情を押し付けては「〇〇してあげたのに」などと恩着せがましく考えて感謝を強要していたりするように初期設定されているのです。もちろんあなたも例外ではなく、誰しも必ず気づかない間にやっているものなのです。だからあなたにも必ず心当たりがあるものとお察しします。

人間は愛(尊敬・感謝)を求めて生きるようにプログラムされているのですから、これは宿命と言って良いでしょう。それは神々でさえそのように作られているのですから、人間が愛(尊敬・感謝)を求める本能を否定することは誰にも不可能なのです。(だからあなたが悪いわけでも相手が悪いわけでもありません)

「無意識に感情を相手に強要して反発される」夫婦関係に限らず人間関係の問題の根幹はここにあると言って良いでしょう。あなたの離婚の主要因もここにあるのだと思います。

愛は自由な状態で自由意志により発したものでなければ意味も価値もありません。そして本物の愛というのは相手の心を最も自由にするものであり、相手に愛を強要したり束縛するのは愛ではなくエゴなのです。(世の中の多くの人がエゴを愛だと勘違いしています)そうやって愛を強要したり束縛したりすれば、相手の「自由を求める心」に必ず反発が生じて心が反発し、いつか愛は失われてしまうのです。愛は自由な状態で自由意志により自発的に発するものであり、強要・束縛すれば必ず逆の結果が待っているということです。

じゃあどうすれば良いかというと、note記事「誰でも自信満々になれる方法」に書いた通り、愛(尊敬・感謝)というものを絶対に相手には強要せず、一切見返りを求めずに無条件で自分から与え続けることです。そうすることで自然と人から自発的に愛され尊敬され感謝されるようになるのです。

世のほとんどの人はまだ感情を相手に強要してしまっている段階にあります。(もちろん覚醒前の僕もそうでしたし、今も常に気を付けてないとすぐそうなってしまいます)それにより人間関係全体があまりうまくいかずに自尊心が下がり続け、その愛の不足分を全部パートナーだけに求めようとして余計に反発され、結果として上記に離婚の理由として挙げられているようなことをされ続けてしまったのではないでしょうか?あなたはパートナーとの関係だけにフォーカスしているようですが、他の人間関係がうまくいってるのにパートナーとだけうまく行かないということは恐らくないと思います。

これは万人に共通した課題であり過程なのです。ですから決してご自分を責めて自尊心を下げないで下さいね。反省も後悔も必要ありません。ただ過ちから学んで成長すれば良いだけなのです。過去はすべて成長のために必要な過程だったのですから。そしてその成長経験こそが生きる喜びであり、生まれてきた意味なのです。

前述した通り、愛という概念は経験を伴わなければただ言葉に過ぎません。僕らは愛という概念を経験を通じて価値ならしめるために存在しているのです。失敗と試行錯誤なくいきなり正解(愛)に至るなら経験に存在意義はありません。あなたは失敗経験を通じて「愛とは何か?」ということをより深く学んでいるのです。

相手も自分自身も責めて反省を求めて落ち込ませると自尊心が下がって悪い行動がやめられなくなる悪循環にハマるので、決して相手も自分自身も責めないで下さい。誰が悪いというわけではなく、課題に気づいて克服しようとする経験が尊いからこそ、創造主からカルマによってその経験に導かれたのです。克服した後から見れば「ああ、あの経験・過程があったからこそ今の素晴らしい自分があるのだ」と愛しく思い出すことができるようになります。

あなたの人生はすべからくあなた次第に作られています。しかしそれはあなたの過去に起きたことが全てあなたのせいという意味ではありません。あなたの過去に起きたことはすべてあなたの学び・成長経験に必要だからクリエイターの意図によりもたらされたことなのです。ゲームのバイオハザードで、ゾンビが出てくるのはあなたが悪いからだと思いますか?ゾンビ達やゾンビを生んだアンブレラ社やゲームを作ったクリエイターを恨んで意味があるでしょうか?あなたの過去に起きたことは全てゲームの設定(伏線・シナリオ)のようなものであり、ゲームの設定(伏線・シナリオ)に良し悪しをつけて誰かに文句を言ってもゲームが進みません。過去のすべてを自分が主人公のRPGの設定・課題と捉え、そこを起点に選択可能な現在どうするかを考え、既に未来に用意されているシナリオ中でより良いものを選んでいくべきなのです。あなたはRPGの世界ならそうしているはずです。この人生というRPGでも同じようにしてみて下さい。

人生というゲームにおいて過去の問題を自分のせいだとか相手のせいだとか考えることがいかに愚かで無意味なことかに気づいて下さいね。そしてその人間の愚かさもこのゲームの基本設定であり、成長に必要な過程なので、落ち込む必要はないのです。

問題点というのは本当に自ら気づき(覚り)さえすれば(課題を自覚し、自尊心を下げなければ)無理に解決しようとしなくても勝手に治っているものであり、だからこそ気づき(覚り)とは尊いのです。我々は気づき(覚り)の喜びを得るため・成長を楽しむためにわざと愚かに生まれてきているのです。全知全能では成長の物語は経験できません。

そして逆説的に聞こえるでしょうが、決して自分も相手も責めずに、それでも自分が悪かったと相手に誠心誠意謝ることが大事です。もし自分や相手が悪いと思っていたら自己防衛本能が働いて誠意ある謝罪などできません。答えはいつでも「誰も何も悪くない」であり、そう考えるからこそ、全ての事象を与えし創造主の代理として、起きた負の出来事をまるで全ては自分の責任であるかのように相手に謝罪できるのです。そして創造主の代理として頭を下げられる人間は創造主からより愛されて、より素敵なシナリオへと導かれるのです。

蛇足ながら「妊婦になってから不仲になった」という点についてですが、妊娠すると男性にとって女性は母になり、大なり小なり性的関心が薄れるのは不可避ですし、女性側も女性側で愛情が旦那より子供に移ってしまうのは自然なことです。子育ての責任がほとんど母親だけに押し付けられる価値観の社会ではとても難しいことなのですが、美意識(恥じらい)を失って「女」であることを放棄した色気ゼロの「子育てマシーン」みたいな「所帯じみたおばちゃん」にならない努力というのはとても大切なのです。

大分長くなってしまいましたが、どうか偉そうな説教だと解釈しないで下さいね。冒頭に書いた通り僕は結婚も離婚も経験がなく、それを経験しているだけでもあなたは凄いと尊敬しています。くどいようですが、尊いのは経験であり、他人は誰でも口だけでならどうとでも言えるのです。「言うは易く行うは難し」と言われる通りです。

すべての魂は同一ですから、僕はあなたとして生まれていたら絶対に同じことをしています。当然です。だから僕は決してあなたを責めたり説教をしているのではないのです。でももし仮に「僕が今の自我を持ったままあなたに成り代わったら」という無茶な設定で考えるとするなら、僕はそのパートナーと一旦距離を置いて落ち着いてよく考えた後、愛が不足していたことを真剣に謝って復縁をお願いすると思います。もし相手が本当にどうしようもない人なのであれば、別な人を探して同じ過ちを繰り返さないように気を付けると思いますが。あなたがどちらの運命にあるかは僕にはわかりません。お二人のことはお二人にしかわからないでしょうし、僕はあなたに会ったこともなく、そのパートナーの方に至っては全く何も知りませんからね。

ただあなたもパートナーも恐らく霊障に犯されて鬱状態になっていて、気づかない間に自分が自分ではなくなっているのだと思います。そうしてとても傷つきやすくなり、溺れている人が助けに来てくれた人を沈めてしまうように、お互いエゴの海に溺れて相手のことを考えてあげられる状態じゃなくなっているのでしょう。だからやはり一度実家に帰るなどして距離をとってお互い冷静になった方が良いと思います。そして離婚などの重大な決断は、鬱が解決してからの方が良いと思います。日本では難しいかも知れませんが、カウンセラーに間に入ってもらうなどの方法もあるでしょう。

人生のカルマ(課題)というのは、逃げれば逃げるほどに雪だるま式に大きくなりながら、追試や補講のようにどんどん果てしなく追いかけてきます。どれほど輪廻転生を繰り返してさえも。だからあなたの離婚という決断が「逃げ」なのか「勇気」なのかをよくよく自問して考えてみて下さいね。

僕が言うまでもなくどうするかはあなた次第なのですが、ここに書かせていただいた内容をあなたが本当に理解し納得して下さるのであれば(僕の言うことが本当に創造主の代弁なのだと信じて下さるのであれば)どうすべきかは自明なような気がします。

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

2022年9月6日火曜日

神への不敬で当たったバチ

【質問】
いつも拝見させていただいております。

海外某所で神聖な場所だと深く認識せず、神聖だと言われている場所(日本でいう伊勢神宮のような神聖な場所)で悪ふざけをしたらその後意味不明な偶然が重なり、幼少期にあった辛い記憶を突然思い出して精神崩壊しました。今は立ち直りましたが神聖な場所での悪行に大変反省しています。これは悪いカルマというか自業自得の罰なのでしょうか?それとも想像主が与えた幼少期のトラウマに向き合う課題なのでしょうか?教えていただけましたら有り難いです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

まず、note記事悪いカルマの解消法に書いた通り、カルマというのはすべからく克服すべき課題であり、創造主が我々に自発的な成長を促すために与えているものであって、決して悪行の罰として与えられているものではありません。

人生というのはすべからくあなた次第に作られています。しかし過去に起きた悪い出来事を「全て自分が悪いせいで与えられた罰だ」と考えて自分を責めるのは誤りです。

ゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのはあなたのせいでしょうか?それはあなたを主人公とするゲームの初期設定なのです。カルマとは創造主からあなただけにアレンジして与えられた有難い課題(シナリオ)なのです。創造主は全知全能なのですから、失敗・過ちを犯さないように人間を創ろうと思えば造作もないことです。しかし創造主は我々が学び成長する喜びを与えるために敢えて失敗・過ちを経験させてくれているのです。

真理とは概念に過ぎず、経験を伴って初めて意味を成すものです。真理そのものに価値があるのではなく、真理を目指す中で失敗と試行錯誤を繰り返す我々の経験にこそ本当の価値があり、それが真理を価値ならしめているのです。いきなり正解(真理)に辿り着いては意味がないのです。あなたのその「神への不敬」という失敗経験はとても価値のあるものだということです。

そして別な方の質問片思いの存在意義に詳しく書きましたが、全知全能の創造主からすれば自分を愛するように人間を創ることなど造作もないことです。でもあなたがクリエイターだとして、自分を愛するようにAIをプログラムしてそのAIから愛されて嬉しいでしょうか?そもそもそれは愛と呼ぶことすらできないでしょう。

自由意志というのは愛(感情)を存在価値ならしめるために人間へ与えられたものであり、わざと他人(神々も含む)の思い通りにはならないように作られているのです。感情を他人が強制できてしまったら感情自体に存在意義がなくなってしまうのです。

最初から神を信じるように人間を創ったら信心に存在意義はなく、信じないというネガティブな選択がデフォルト設定になっています。神は科学的に存在証明されないように周到に世界を作っています。証明されたら「信じる」ということに価値はなくなるからです。創造主は宗教に間違いを犯させ、また宗教を利用した詐欺などを横行させて、神を信じる人間は気違いだとすら思わせます。そういう中で人間が自由意志により自発的に信心を起こすからこそ信心には存在価値が生まれ、神々は嬉しくなれるのです。

あなたのその「神への不敬」による失敗は、あなたを自発的な信心へと導くものであり、あなたは導きのままに信心を起こせば良いのです。過去を悔いて反省などする必要は全くありません。それはnote記事反省してはいけないに書いた通りです。与えられた課題・経験(失敗と試行錯誤)に感謝しながら課題を克服していくことです。

問題は必ずしも解決しなくても良いのです。その問題を喜んで受け取って、それを人と共有し合い・許し合い・補い合うことで、問題はいつの間にか問題にはならなくなっているものなのです。そしてその問題は愛のマテリアルだということに気づかされることでしょう。それはnote記事問題は解決しなくていいに書いた通りです。

トラウマは「許し」によってのみ克服が可能なものです。「許し」とは創造主が人間のみに与えた最大の権限移譲であり「愛」そのものなのです。僕らは「許し=愛」を経験するために生まれてきたとも言えます。

あなたに起きた全ての出来事は主人公であるあなたにとって必要(ベスト)だから起きたことであり、過去は全て現在のあなたの人生というRPGの伏線(必然)なのです。全ては壮大な因果の中にあり、それぞれが自らのカルマと戦いながらベストを尽くした結果(やむにやまれぬ事情があった結果)で起きたことです。

人の悪い言動・行動はすべからくトラウマ(心の傷)が原因なのですから、その自分と他人の心の傷を思いやり、自分と他人の過去の悪い言動・行動(過ち)を一つ一つ許していくことです。鬱克服のカギは自分と他人を責めるのを同時にやめて許すことです。あなたを責めているのは神ではなくあなた自身だということに気づいて下さいね。そして欠点や過ちというのは我々が許し合い・補い合い・愛し合うためのマテリアルだということを忘れないで下さい。欠点や過ちは人間に例外なく与えられているものであり、それを理由に人を許さない・愛さないというなら許される・愛されるに足る人間など存在しません。

あなたの幼少期のトラウマがどのようなものだったかはわかりませんが、それをもたらした相手や自分自身を許すことができたなら、あなたもきっと神々から許されることでしょう。

人はみな創造主の分身であり、創造主はあなたに自分と他人のその尊さに自ら気づいて神のように大切に扱って欲しいのです。自分も他人も等しく創造主の子供として許し合い尊敬し合い感謝し合い愛し合って欲しいのです。そうすることが我々に全てを与えてくれている創造主に対する愛の表現であり、あなたがそれを発揮した分だけ必ず創造主の分身たるあなた自身に期せずとも返ってくるのです。

どうか既に与えられているものの価値に気づいて一つ一つ感謝してみて下さい。与えられたものに対して感謝できない人間には、何を与えても不平不満で返されることが自明なので、創造主はより多くを与えようとは思わないのです。そして逆に与えられたものまではぎ取られ続けて失い続けることで、与えられていたものの価値に気づかされるような悲惨な人生になってしまいます。

いつも言っていることですが、自分に都合の良いものなら赤ん坊でも愛せます。本当の意味で大人になるということは、自分にとって都合の悪いものも(自分に与えられた課題・経験だと)愛せるようになることなのです。

2022年8月28日日曜日

この世界は人間農場?

【質問】
真也さんはヴォイニッチ手稿についてご存知ですか?こちらのブログで言っているような上位世界やプラグが抜けた感覚はありますか?(二十代前半男性)
「人間電池コードのつながる先」
https://ameblo.jp/nadarra0835/entry-12751560910.html
https://ameblo.jp/nadarra0835/entry-12751518042.html

【回答】
ヴォイニッチ手稿の存在は知っています。プラグが抜けた感じとかはないです。

大変失礼ですが、基本的に僕の質問箱は「悩み相談室」であって、暇つぶしではないのです。とりあえず「〇〇についてどう思いますか?」と聞くのなら、「質問者さんがどう思うのか」「どこがどうわからないのか」がわからないと、こちらも何を切り口にどう語っていいかがわかりません。言い方が悪くて大変申し訳ないですが、なぜいきなり僕がそのスピ系妄想ブログを読まされて一方的に感想を求められるのか意味がわかりません。

何度も書いてますが、この人生というRPGは愛と勇気を試すためのものであり、ありとあらゆる存在があなたを脅し不安にさせ、また怒らせてきます。そうでなくては愛と勇気は試せないからです。

主人公(メシア)の仕事は、人を安心させること・勇気づけることです。(他人事みたいに思わないで下さい。この世界はログインしている時点であなたも主人公です)

件のブロガーのように不安を煽る人はマトリックスのエージェント・スミスのような脇役・悪役を無自覚にやらされているのであって、それに影響されて不安に陥るということはもうその一員になってしまっているも同然なのです。ヴォイニッチ手稿の内容は誰も全く解読できていないのに、勝手な妄想で「この世界は人間農場である証拠」みたいに不安を伝染するのですから。

人生、辛い事が多いからって不平不満ばかり言って恨みで返して、この世界を牢獄・罰ゲームみたいに解釈するから、実際あなたの世界は本当にそうなってしまっているのでしょう。あなたの世界はあなたの解釈が作っているのです。

実は新約聖書にも人間に対して「収穫の時が来た」などという表現よく出てきます。それって「人間農場」そのものですよね?神はいったい我々を育てて何を収穫しようとしているのでしょうか?それはエネルギーではありません。自分でエネルギーを生むことなど造作もない全知全能の神が、人間を電池にしてエネルギーを得るなんて非効率で意味のないことをするわけがないのです。

全知全能の創造主は当然全ての真理を知っています。真理に価値があるのなら全ての真理を知っている創造主にとってこの世界を創る意味はありません。経験を伴わない真理は単なる言葉であり何の存在価値もないのです。愛も経験しなければ概念に過ぎないのです。

真理・愛に至るまでの様々な経験(失敗・紆余曲折・試行錯誤・成長)こそがドラマ・芸術であり、存在価値があり、創造主に存在意義を与えているのです。つまり創造主は我々の経験を自らの存在意義として収穫しようとしているのです。

あなたがクリエイターなら、自分を愛するようにプログラムしたAIから愛されて嬉しいでしょうか?それは愛と呼ぶことすらできないでしょう。全知全能の創造主が強制的にやらせたら人間に感情や自由意志を与えた意味はありません。そしてデフォルトで「愛さない」というネガティブな選択をするように作られているからこそ、愛には価値が生じるのです。愛だけでなく、人間はデフォルトでネガティブな感情を選択してしまうように作られているからこそ、それを乗り越えてポジティブな感情を選択することに価値があるのです。

体は感情の楽器です。腹は立ったりムカついたり、胸はつかえたり締め付けられたりして人間は出来事に対して感情を音のように波動で感じます。当然放っておけばネガティブな出来事があればネガティブな波動(感情)を生じます。感情は受動的なものです。放っておけばどんどんネガティブな方向に感情が流され、どんどんネガティブな出来事を引き寄せる悪循環にハマってしまいます。そのような感情に流される「出来事の奴隷」になってはいけないのです。

だからこそ我々は普段から自分なりにネガティブな事が起きても自分の成長の為に与えられた試練なのだとポジティブに解釈して乗り越えるように、能動的に自分を日々作り上げていく必要があるのです。自分という楽器を調整し、どんな時も美しい旋律を奏でられるようにいつも調律しておくことです。何が起きてもいつでも心からの笑顔でいられるように考え方の方を修正していくことが、成長するということなのです。

毎回言ってますが、自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。真に大人になるということは、自分に都合の悪いものも自分の成長のために与えられたものだと愛せるように成長していくことなのです。

実際、支配者層が金という手段で人々からエネルギーを吸い上げる世界のピラミッド化・人類奴隷化が究極まで進んでいるのは事実ですが、それはこの人生というRPGの設定なのです。世界を救うRPGはディストピアから始まらなければ成立しません。人類奴隷化計画が完成一歩前まで進むことは、大逆転劇(アセンション)前に必要なフラグなのです。あなたが目の前の人を救いそれが連鎖することで世界は救われるようにこのRPGは作られているのです。

「人間農場」結構じゃないですか?人生を与えられたことに感謝し、創造主に存在意義を与えて喜ばせるため、最後の一瞬まで人生経験・成長の物語を楽しみましょう。それが我々自身の存在価値を高めるのです。我々は創造主の一部なのですから当然です。

2022年8月27日土曜日

人生は自分で決めてきたの?

【質問】
数年前から喋る事が出来なくなってしまいました。喋れないというよりも喋ろうとすると舌に力が入って上手く言葉を発する事が出来ません。仕事も出来なくなり、一時は生きているのが凄く辛くて波動もかなり下がっていました。(今はこの出来事のお陰で目覚められたので感謝しています) 

これは自分で引き寄せてしまったのか?カルマなのか?自分でブループリントに書いてきたのか?…と頭の中をグルグルしています。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

僕も一時的ではありますが究極にストレスが溜まった時に声が出せなくなりました。きっと思ったことが言えず、心が納得していないことに無理やり自分を従わせなきゃいけない環境に長くいることで魂が抑圧されてストレスが限界に来ていたのでしょう。僕も結局鬱で仕事も止めました。ので、お気持ちお察しします。そして今は目覚められたとのことで、それに貢献できたのであればとても嬉しいです。

>自分で引き寄せてしまったのか?カルマなのか?自分でブループリントに書いてきたのか?
はい。全部正解です(笑)

(アバターである今生の)自分が引き寄せることも含めて、(高位自己である)自分が青写真を描いて来たのであり、それはカルマ(今生で克服すべき課題・シナリオ)でもあるのです。

創造主は存在意義もなく生じた思念体であり、唯一の存在のために究極に孤独で、全知全能のため究極に退屈です。そこで創造主の作り出した存在意義は愛なのです。愛は経験を伴わなければ概念に過ぎず存在意義がありません。

創造主は愛を経験するために敢えて自分が創造主であることを忘れ、自分が作ったRPGをアバター(主人公)に入り込んで、それぞれの見地からそのシナリオ・経験を楽しんでいるのです。

一度クリエイター目線であなたの人生を見てみて下さい。あなたが小説のシナリオを描くとして、最初から最後までただ幸せなだけのシナリオを描くでしょうか?そんなの少しも面白くないですし、そもそも不幸を経験せずに幸せを経験することはできません。だからあなたは自分という主人公に困難な課題(カルマ)を与え、それを乗り越え続ける成長の物語にするはずです。そして実際にそうなっているということです。

人生というRPGは成長の物語ですから、愚かで何もわからず最弱のレベル1の状態から始まるのは当たり前です。最初から賢く強く答えが全部わかっていたら答えを見つける喜びも成長する喜びもありません。最初から視聴者全員が正解を全部知っているクイズ番組には存在意義がありません。解答者がいきなり答えを出したら何も面白くありません。みんなが自分なりの答えに至るまでのたくさんの失敗・紆余曲折・試行錯誤の経験にこそ価値があるのです。

人生はネットゲームの如くログインしている時点で主人公なのであり、そのプレイヤーであるハイヤーセルフは創造主の分け御霊なのです。与えられたものに不平不満ばかり言い、様々な困難を恨みで返すような主人公がクリエイターやプレイヤーに愛されるわけがありません。プレイしたいと思われるわけがありません。脇役として下位次元の存在に任せて自動運転状態にされてしまいます。でもそこからの逆転劇だからこそ人生は面白いのです。僕の人生はまさにそうなっています。不幸が大きければ大きいほど乗り越えた時に感じられる幸せは大きいのです。カルマが重ければ重いほど、それは乗り越えれば大きな財産となるのです。それは「悪いカルマの解消法」に書いた通りです。

カルマがとても重く、現在大きな不幸に直面している人に「それも幸せになるために必要な過程なのです」「すべては創造主の愛によって与えられたものです」「すべては自分次第にできています」などと言うのはとても心苦しいのですが、それは思いっきり事実なので創造主の代弁者(預言者)としてそう伝えないわけにはいかないのです。

実際に会っていない・直接知らない人はNPCのようなものです。あなたが主役のゲーム上でNPCに起きることは設定であり、仮想であり、「そういう物語の設定なのだ」と思って下さい。そして実際に出会った人の幸せに貢献することに全力を尽くして下さい。乗り越えた不幸の大きさの分だけ出会った人に優しくなれる素敵な人でいて下さい。それは必ず指数関数的に連鎖していつか世界が救われますから。この世界が不幸なディストピアなのはRPGなのですから当たり前であり、あなたが幸せにするためにわざと不幸多く作られているのです。

プログラムされたこのRPG世界に偶然は一切なく、あなたに起きたこともすべて必然であり、設定であり、必要な過程なのです。自分自身も他人も一切責める必要はありませんし、後悔する必要もありません。すべてベストなことが起きているのです。自分の欠点や過去の失敗などつらい体験も全部成長の為に必要だから起きたことだと自分を許し、他人も許し、運命に感謝し、お互い前を向いて生きて行きましょう。

どこまでが仮想現実?

 【質問】
仮想現実は、この地球だけなのでしょうか?
それとも死後の世界や、他の星に生まれた所も全て仮想現実なのでしょうか?

【回答】
ご質問ありがとうございます。

仮想現実が何かという定義にもよりますが、「存在」の本当の姿は全て思念体である創造主のみであり、そこは僕らが目を閉じた時に垣間見れるような、思念・概念しか存在しない世界です。僕らはその創造主の思念・意識を分離された分け御霊です。それが人間というアバターを与えられて仮想現実を経験させてもらっているのであり、我々分け御霊の分離意識(自分というものが存在し、他の存在とは違うものだという意識)・自意識自体が仮想のものですから、その僕らが経験しうる全ては(僕の定義上)他の銀河でもあの世でも丸ごと仮想現実ということになります。

我々の分離意識がなくなれば我々は創造主そのもの(完全なワンネス)に戻ってしまいます。その創造主の思念・概念のみの世界こそが本物の現実と言えるでしょうが、全ての存在が完全に一つに戻ることはありえないことなので、本当の現実がどういう世界かを考えることにあまり意味はありません。創造主は唯一の存在で全知全能であることが究極に退屈で孤独で存在意義がないからこそ我々(分離意識)とこの物質世界を創ったのであり、また完全なワンネスに戻るようなことをわざわざすることはありえないのです。

分離意識はそれぞれ個性を与えられ、欠点があり過ちを犯す存在だからこそ、それを補い合うことで愛は生まれます。創造主の思念しかない状態では愛は生じ得ません。元々の姿は創造主の魂であり光そのもののような存在です。それは完全な智慧の光です。それは細かく砕かれ、磁石のように極性と波動を持ち、お互い引かれたり反発したりします。その引力こそが愛であり、それは反発力があることにより存在意義が生まれているのです。だから通常人は反発するのがデフォルトなのです。

分離された我々にはちょうど一つの小麦粉の塊を製麺してから粉をまぶして簡単には一つにならないようにする感じで無明の闇(エゴ・愚かさ・迷い・霊障・不完全性)が与えられています。簡単に一つに戻ったら分離した意味がなくなるのです。

我々が砕かれた磁石のように個性を保ちながら数珠つなぎにまた一つ(ワンネス)に戻っていく過程が物語であり芸術であり我々の存在意義なのです。完全なワンネスには戻れませんし戻る意味もありません。与えられた自分と他人の個性を尊重し、許し合い補い合い愛し合うことが我々の存在意義です。そしてそれは流れる砂絵の如く永遠に繰り返されるのです。

我々がまた一つになるためには無明の闇(エゴ・愚かさ・迷い・霊障・不完全性)を乗り越えることです。エゴが完全になくなったら分離意識がなくなり完全なワンネスになってしまいますから、それはありえません。エゴなくして愛は生じ得ないということです。だから完全にエゴがなくなることはありません。だからこそ我々は全力でエゴとは反対方向に向かうことができます。それが愛なのです。己のエゴを極力下げて他人のエゴを満たしてあげることです。その連鎖が我々を数珠つなぎにまた一つにするのであり、その過程に生まれる物語こそが、存在意義なく生まれた創造主に存在意義を与えられているのです。我々は創造主に存在意義を与えている偉大な存在なのです。

だから我々はこの世界に自分として生まれたことに感謝しながら、成長の物語・愛の物語を楽しむことです。感謝するほど、成長するほど、愛し合うほど、創造主により存在意義を与えてより愛されて、自分自身も出会ったみんなもより幸せになるのです。全ての存在は一つであり創造主なのに好き嫌いを言えば創造主の愛から離れることになります。それで人生がうまくいくわけがないのです。あなたが出会い認識し思考・想像できるすべてが(あなた自身も含めて)その正体は創造主なのであり、例外なく愛することです。

あなたが嫌だと思うものもあなたの成長のために与えられている課題であり、それを経験させてもらえていることに感謝しながら愛することです。全ては創造主の愛によりあなたにベストなものが与えられているのです。それを不平不満で返すと創造主の愛が受け取りにくくなるのです。創造主は僕ら自身でもあり、与えられたものに感謝できないような人間に、もっと与えたいとは思わないのです。今あるものに感謝できないなら、既に与えられたものまではぎ取られてその価値を思い知らされるような悲しい人生になってしまうでしょう。

いつも言っている事ですが、自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。真に大人になるということは、自分に都合の悪いものも愛せるように成長していくことなのです。

2022年8月25日木曜日

霊と憑依体質の存在意義

 【質問】10代女性
憑依体質で低級霊に憑かれやすい人はどうしたらいいのでしょうか?
また憑依体質とはなぜ存在するのですか?

この記事はnoteに移行しました。
https://note.com/shinyays/n/na570d764e0ab

2022年8月20日土曜日

片思いの存在意義

 【質問】
真也さん、いつもありがとうございます! note、ツイッター、質問箱を繰り返し読ませていただいてます。色々な気づきがあって、起こる現象を前向きに捉えられるようになりました! 

質問があるのですが、片思いはどのような意味があるのでしょうか?

【回答】※9月5日更新
ご質問ありがとうございます。

それを理解してもらうためには創造主がどういう存在なのか・感情とはどのような仕組みになっているのかをかなり深く理解してもらわないといけなくなるため、説明がとても大変な上に伝わるかどうか全くわからないのですが、いつも通り全力でトライしてみます。

創造主は存在の全てであり、全知全能で全てが思い通りになる存在です。それがどれほど退屈なことかを我々に想像することは難しいのですが、例えば何かのRPGにおいて主人公であるあなたが全知全能だったらどれほど退屈でしょうか?すべてのルール(設定・制約)やシナリオや登場人物などすべてが無意味になり、結局それらを一から自分で再構築しなければならなくなります(つまり自分がプレイヤーではなくクリエイターになります)。それを考えれば少しはイメージできることでしょう。

僕らは創造主の分け御霊であり創造主の一部なのですから、深く瞑想したり明晰夢を見ればそのような全知全能の魂の記憶を垣間見ることができたりします。また臨死体験で何でも思い通りになってすぐつまらなくなるという経験を話す人は結構多いです。何でも思い通りになることが楽しめるのは思い通りにならない経験を思い出せるうちだけです。我々の「思い」自体が、思い通りにならないこの世の経験を起点にして構成されているものであり、それがなければ思いは生まれないのです。

僕らは思い通りにならない人生を経験し、魂の成長を楽しむために生まれてきているのであり、そのためにわざと世界は制約だらけになっており、人間には能力に制限があって、欠点が多く必ず過ちを犯すようにできています。それが個性の基盤です。「宇宙の仕組み」の冒頭に書いた通り、自分で作ったRPGは全てを忘れた上でレベル1から始めなければ楽しめないのです。

唯一の存在である創造主にとって他の存在は存在しないので、そのままでは愛したり愛されたりはできません。そもそも欠点がなく過ちを犯さない存在なので、愛を必要ともしません。欠点や過ちは愛の必要条件なのです。創造主は自らの存在意義として愛という概念を生み出し、それを経験するためにこの世界を創ったのです。

そして意識を無数に分離し、神々や人間などのアバターを創って自分が創造主であることを忘れ、欠点がたくさんあってたくさん過ちを犯す次元の低い存在として、そしてそれらを許し合い助け合い愛し合う存在として、それぞれの見地から愛・成長の物語を楽しんでいるのです。もちろんそれはあなた自身もあなたが出会う人々もあなたの知る神々も同じです。

どんな概念も経験が伴わなければそれは言葉に過ぎません。愛も経験が伴わなければただの言葉です。創造主は自らが生み出した愛という概念を自ら経験するために人間と世界を生み出したのです。あなたの人生=愛であり、世界はあなたが自分=愛を経験するためにあるってことです。

決して次元が低い=存在価値が低いということではなく、すべての存在がひとつなぎで等しく価値があるのだということは大事な点なので忘れないで下さい。神々に存在価値があるのはそれを尊敬し感謝し愛する人々がいるからであり、それは人間同士の関係においても同じだということです。

さて、インド神話にこんな話があります。宇宙の創造主であるブラフマーがサラスバティーを創り、そのあまりの美しさに妻に娶ろうとしたのですが、父親と結婚などしたくないサラスバティーは逃げ続けます。しかしブラフマーは自らの顔を四方に増やし、常にサラスバティーを見れるようにして地の果てまで追いかけます。そしてついにサラスバティーは観念してブラフマーの求婚を受け入れたのでした。

全知全能の創造主からすれば自分を愛するように人間を創ることなど造作もないことです。でもあなたがクリエイターだとして、自分を愛するようにAIをプログラムしてそのAIから愛されて嬉しいでしょうか?そもそもそれは愛と呼ぶことすらできないでしょう。

自由意志というのは愛(感情)を存在価値ならしめるために人間へ与えられたものであり、わざと他人(神々も含む)の思い通りにはならないように作られているのです。感情を他人が強制できてしまったら感情自体に存在意義がなくなってしまうのです。(だから誰かに愛されなくてもそれが初期設定であり起点なのですから凹む必要はないのです)

最初から神を信じるように人間を創ったら信心に存在意義はなく、信じないというネガティブな選択がデフォルト設定になっています。だから神は科学的に存在証明されないように周到に世界を作っています。宗教に間違いを犯させ、また宗教を利用した詐欺などを横行させて、神を信じる人間は気違いだとすら思わせます。そういう中で人間が自由意志により自発的に信心を起こすからこそ信心には存在価値が生まれ、神々は嬉しくなれるのです。

そして我々は先ほどのサラスバティーの例のように「愛さない」という選択がデフォルト設定に作られているからこそ愛には価値があるのです。尊敬や感謝などポジティブな感情というのは全てそのようになっています。やはり「尊敬しない」「感謝しない」というネガティブな選択がデフォルトなのです。

繰り返しますが他人が感情を強制できたら感情に存在意義はありません。だから感情というのは他人から強制されると必ず反発するようにできているのです。例えば「私を愛しなさい」「私を尊敬しなさい」「私に感謝しなさい」というように言われたら逆の感情が湧きますよね?もちろんそこまでダイレクトに感情を他人に強要するような愚かな人はなかなかいないでしょうが、みんな無意識かつ遠回しにやっているのです。我々は家族や恋人に愛情を当然の権利のように強要していたり、自慢話をして尊敬を強要していたり、「〇〇してあげたのに」などと恩着せがましく考えて感謝を強要していたりするように初期設定されているのです。人間は愛(尊敬・感謝)を求めて生きるようにプログラムされているのですから、これは宿命と言って良いでしょう。それは神々でさえそのように作られているのですから、愛(尊敬・感謝)を求める本能を否定することは誰にも不可能なのです。「無意識に感情を相手に強要してしまう」多くの人間関係の問題の根幹はここにあると言って良いでしょう。

じゃあどうすれば良いかというと「誰でも自信満々になれる方法」に書いた通り、愛(尊敬や感謝などのポジティブな感情)というものを絶対に相手には強要せず、一切見返りを求めずに無条件で自分から与え続けることです。そうすることで自然と人から自発的に愛され尊敬され感謝されるようになるのです。

あなたが出会う人はきっと許しがたい人、尊敬しがたい人、感謝しがたい人、愛しがたい人が多いことでしょう。でもそれはあなたの成長のために与えられた課題であり、それを一人ひとり克服するのが魂の成長なのです。あなたが出会う人の正体はすべて創造主の分身であることを忘れないで下さい。そしてあなた自身も本当は創造主の分身なのですから、自尊心を高く持つと同時に、出会った人を同じように尊敬して出会いに感謝して愛して下さい。

反省してはいけない」に書いた通り、「どうせ自分なんて」などと考えると行動のレベルが下がってますます自己嫌悪に陥るので、決して自分の自尊心も相手の自尊心も下げずに、どうやったら自分と相手の自尊心が上がるかを考えて実行・改善し続けて下さい。そうすれば必ず人から愛されますし、自分でも自分を好きになります。

片思いというのが過剰に苦しくなる理由は他者評価依存による自尊心の低さなのです。自分自身を愛せていないのに自分の好きな人に愛されることによって自分の自尊心を満たそうとしても決してうまくいかないのです。エゴによって自分に都合の良いものだけを愛そうとし、出会うすべての存在・出来事を許し愛せないなら、すべての存在の根幹たる創造主の愛を十分には受け取れないのです。

創造主曰く、この世界は自分で自分に都合の良い相手を探して選ぼうとするとうまくいかず、ただ無条件で人を愛した方が自然にベストな人から選ばれ結ばれるようにできているそうです。すべての縁は創造主が与えているものですから当然ですね。だから創造主(すべての存在)に愛されるような生き方をした方が素敵な縁に恵まれるのでしょう。このあたりは今独身で修行中の僕が言うと全く説得力がありませんけども。

恋がうまくいくかいかないかは最初から決まっていて、成就する時は(わざとダメにするようなことをしなければ)どうやっても成就しますし、成就しない時はどうやっても成就しないなのです。でも向こうから来ない場合はこちらから行かない限り確実に成就しません。だからウジウジ悩むよりとりあえず行くべきなのです。それはいきなり告白するという意味ではなく、コミュニケーションを取るという意味です。それだけでどうやったって好意は伝わりますから。

存在の全ては創造主であり、ひとつなぎ(ワンネス)なのです。なのに自らの愛情に条件をつけて身勝手に好き嫌いを言うから逆に他人から条件を付けられて愛から弾かれるのでしょう。創造主の愛は基本的に人を通じて与えれるものであり、自分に都合の良いものだけを愛そうとすると創造主の愛が十分に受け取れなくなるのです。

全ての存在の大元(デフォルト)は無限の可能性が無限にあるだけの、まるで芸術の素材だけが無限にあって芸術が存在しないような、とてつもなく退屈で無意味な世界です。可能性というのは結実点があって初めて意味を成すものであり、それを意味によってつなげたものが芸術なのです。

この世界は芸術を創るためのものだとも言えます。芸術が世界の存在意義を成しているのです。人生とは芸術そのものであり、全ての要素が無限では芸術には成り得ません。芸術とは人々に共通して与えられたルール(制約・可能性の制限)と可能性の結実によって作られるものなのです。これは素材を削って作る彫刻のような芸術を思い浮かべればわかるはずです。ただ素材(可能性)が無限にあるだけでは意味がないのです。

物質世界というのは人々に共通した制約(ルール)を与えて、可能性を結実・事象を具現化することで様々なドラマを生み出し、そこを起点に更に想像を広げさせて精神世界を豊かにするためにあるマテリアルなのです。

人々に共通ルールがなくてはドラマは生まれませんし、他者と何も伝達・共有することができません。トランプにしても共通のルールがあるから楽しめるのであって、一方がポーカーをやってもう一方がブラックジャックをやるというのでは成立しません。そして制約(ルール)がなく全知全能のままでは、思い(想像)を広げる起点すらがなく、存在意義のない無限のカオスになってしまいます。

だから前述の通り、元々の世界は思い通りになるのがデフォルトであり、そのままでは全ての存在に意義がなく退屈なだけなので、思い通りにならないように作られているのです。片思い(思い通りにならない経験)があることにより、両想い(願いが叶う経験)に価値が生まれているのです。この世界のすべては陰陽のように二元的に存在するものであり、両想いに価値があるなら片思いにも価値があるのです。片恋の痛みにはちゃんと意味があり、両想いになった相手をより大切にするようになるとか、人の悲しみや痛みに同情してより愛し合うことができるようになるとか、成長の為に与えらえているものなのです。そしてそれゆえに人生は芸術として成立しているのです。

そして人間はみんな個性(欠点と過ち)のある存在であり、憧れの人であればあるほど実際に付き合ったら大なり小なりそのギャップに失望するものです。片恋で終われば相手が年老いて醜くなっていく姿も見ないで済むわけで、それは自分に都合の良いものしか愛せないような人にとってある意味では幸いなこととも言えます。

片思いをしていれば実際のその人を起点に様々な想像を広げることができます。それが人の精神世界を美しく豊かにしているのであり、憧れには価値があるのです。それは「相手を自分にとって都合よく理想化して勝手に憧れる気持ち」というただのエゴのようでも、実は価値があるものなのです。思いが叶うばかりが幸せなことではありません。失恋すればそれと引き換えに憧れ(豊かな精神世界)が手に入ると考えて下さい。現実のその人よりあなたのイメージの方が絶対に美しいのですから。

そして現実のパートナーを創造主が与えてくれたベストな運命の人だと信じ、ひたすら尽くして相手と自分の自尊心を同時に上げ、相手を世界で最高のパートナーにして下さい。そうすればきっとお互いに世界一幸せになります。決して身勝手に現実のパートナーと憧れの人(自分の勝手な想像の産物)を比べて不平不満を言いませんように。「恋敵 譲れば良かった 今の妻」というサラリーマン川柳みたいな人生になりませんように。相手の欠点や過ちはあなたがそれを許し補い愛するためにあり、あなたに存在意義を与えているのです。

何度も言いますが、全ての存在はワンネスなのであり、パートナーはまさに自分の鏡であり、その人に段々幻滅したりするのは自分の成長が足りないからです。人間は歳をとって醜くなるほどより純粋な愛情を必要とする生き物であり、決してSEXや結婚などをゴールだなどとは考えず、成長を続けなければならない(愛を与え続けなければならない)定めなのです。

因果は時空を超えたものであり、常に上書き更新が行われています。もしあなたの恋がずっと実っていないのだとしたら、過去や未来で現実のパートナーと勝手な憧れ像を比較して欠点や過ちを責めて不平不満ばかり募らせて不幸にするような人だからかも知れません。

もしそれを悲しい事だと思うのであれば、魂のトレーニングだと思って出会った人を(恋愛とは関係なく)無条件で例外なくひたすら愛する日々を重ねて下さい。すべての正体は創造主であり、好き嫌いを言っていると全ての存在から愛されなくなります。周囲の人から愛されないことで自尊心が下がっているのを全部恋人に補ってもらおうとしても無理があるのです。

愛情に条件をつけて自分に都合の良いものだけを愛そうとすると、自分も他人から条件付きでしか愛されなくなり、いつか都合が悪くなれば捨てられて孤独に陥るのです。自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。真に大人になるということは、自分に都合の悪いものも含めてすべてを愛せるように成長していくことなのです。

実るばかりが恋ではありませんし、片思い・失恋も価値がある経験なのですが、あなたは年齢を重ねてもただ単にエゴで己の想像をたくましくしてよく知りもしない異性に勝手な妄想で憧れ、拒絶され失望させられ孤独になるために生まれてきたのか、欠点も過ちもある現実の人間(他人=自分)を心から愛し抜いて幸せになるために生まれてきたのか、よくよく考えて、幸せな人生にして下さいませ。

2022年8月14日日曜日

自然災害の予言

【質問】
富士山は最近爆発の兆しがあると聞きましたが、それは本当ですか?

【回答】
ご質問ありがとうございます。

まず僕は預言者(神の言葉を預けられている者)であって予言者(占い師・予想屋)ではありません。

災害の日時の予言なんてまったく意味がないのです。なぜなら人の寿命というのは生まれる前から決まっていて、せいぜい死因が何になるかの違いしかないからです。キリストも「あなたたちが何を心配しようとあなたがたのうちの誰が、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ他の事まで思い悩むのか」というように言っていましたが、まさにその通りなのです。

僕らがあらゆる病気や事故などで死ぬ確率を全部合わせたらとっくに死んでいます。というか確率で考えたら生まれていませんし、この世界自体が生じていません。我々は創造主の愛なしには一秒たりとも存在できないのです。それなのに信心を持たず、理由(使命・存在意義)があって「生かされている」ってことに対して感謝と信頼の念がないから不安になるのでしょう。

もちろん災害対策というのは必要なものではありますが、災害以外の理由で明日死ぬかも知れませんし、どっちみち人間は例外なくいつか死ぬわけで、当たるか外れるかわからないたくさんの占い師や予想屋を頼って恐れおののいて右往左往しながら対策を講じるなどいうのは馬鹿げた話です。

僕は決して占いなどを否定しているわけではありません。ただ占いっていうのは本来人を幸せに導くためにあるべきもので、ネガティブな出来事を予想してそこに導かれるように暗示をかけるようなものは「呪い」であって占いではありません。もしその暗示通りに悪い出来事が起きたら、その後は常にその人の思いつきに振り回され、エゴに利用されることになるだけでしょう。

災害の予言というものは、「この人の過去の予言が的中していたことがわかった」と過去形でしか世間に知られないものであり、「この人の過去の予言の多くが的中していたから、この人の未来予言についても的中するに違いない」という安易な予想は人生というRPGのトラップであって、愛と勇気と信心のない人間を散々惑わせた挙句、結果的には必ずハズれるようにできているのです。この世界はRPGであり、愛と勇気と信心を試すためのものであって、エゴにまみれて臆病で信心のない人間が報われるシナリオなど有り得ないのです。実際「この人の予言が事前に世間に知られていたおかげで多くの人が難を逃れた」という例は一つたりともないでしょう。「世間に知られた災害予言は絶対に当たらない」と覚えておいて下さい。

世間に知られた予言者の予言より、予言者として世間に知られていない一般人の予感の方がよっぽど当たる可能性の方が高いのです。それは人生というRPGのプレーヤー(主人公)個人に向けて与えられる啓示なのですから、自分に与えられる直感の方を信じて下さい。

僕は天に対して災害の(具体的な日時や場所の)予言が与えられることを拒絶しています。なぜならもし災害のようなネガティブな出来事の予言なんてして実際にそれが起きなかったら、僕は結果的に嘘で人々を惑わしたことになり、オオカミ少年みたいに人々の信頼を失い、もっと大切な覚りの内容をみんなに伝えても信じてもらえないようになってしまうからです。それで僕自身は災害など起きて欲しくないのに、起きて欲しいような願いを深層心理で持つことになってしまうようになってしまうでしょう。そしてそのような願いがカルマを積むことになり、別な形でネガティブな出来事を具現化してしまうことになるでしょう。この世界の全ては我々の認識・解釈により生じているのですから、僕はただただ災害などの惨事が起きないように祈っています。ただ災害は遅かれ早かれ必ず起きるものですから、それによって大切な人が失われないように祈り、過去の災害で被災された方々の成仏を祈っています。

神通力についてに書いていますが、僕は「神通力」によってではなく「覚りの連鎖」によって世界は救われると思っています。浄霊以上の過度な神通力は、かえって人々を覚りから遠ざけます。それは奇跡ばかり求められて結局は弟子全員に裏切られたキリストの事例を見ればわかりますし、釈迦もいたずらに神通力を使うなと弟子をたしなめていたことからもわかります。人々がみんな他人である覚者の神通力だけを他力本願的に求めるようになったら、当人の覚りに向けた魂の成長を妨げてしまうのです。

例えば僕がキリストのように死者を生き返らせるような神通力を得てしまったら、今生きている70数億人がいつか必ず死ぬわけですから、大挙して人々が押し寄せて蘇生ばかりしなければいけなくなりますし、対応しきれなくて死んだ人全員が僕が見殺しにしたから死んだということになってしまいます。同様に僕が災害予言のような神通力を得てしまったら、僕が予言を伝えないことで被災した人は全員僕が見殺しにしたことが原因ということになってしまいます。そんなの僕個人で耐えきれるわけがありません。だから僕はそういう神通力を与えられることは拒絶していますし、例え与えられても人に言うことは決してありません。

僕の使命は奇跡によって一過性の命を救うことではなく、覚りによって永遠の魂を救うことです。死を過度に恐れるのは、信心がなく、魂の永遠性を信じず、命を一度限りのものだと思っているからでしょう。しかし何かに怯えながら「本当の幸せ」というのはありえません。だから僕の使命は人々の不安を取り除くことであり、愛と勇気と信心に導き、不安の元になっているエゴ・執着から離れせしめることだと言えます。

安心させることが天使側の仕事であり、不安に陥れるのが悪魔側の仕事です。人生は愛と勇気と信心を試すためのRPGであり、ビクビクして恐れ波動を出すことは無自覚に悪魔側に加担することになり、自分自身を主人公としての地位から遠ざけてNPCにするのです。

仏教では臆病を人間の最大の罪の一つとしていますが、それはやはり人生というのが愛と勇気と信心を試すためのRPGであり、主人公意識=菩提心(衆生を救う菩薩になる覚悟)を持つことがこの人生というRPGの本当のスタートだからです。

覚りが開けてくれば執着がなくなり、死だけでなく老いや病や別れや失敗など何も恐れなくなり、心に平安がもたらされます。恐れとは例外なくエゴ(我欲と保身)が根本原因なのです。僕らは真理(覚り)を求めて魂を成長させるために生まれてきています。そして人生というRPGはそのために愛と勇気と信心が試されるようにプログラムされているのです。だから僕は自分の覚りを進め、人の覚りを手助けすることしか考えていません。災害の予言なんかして人を惑わすことはそれと逆行する道なので、決してすることはありません。

どうか自然災害などネガティブな出来事が起きても、神の愛により我々の魂の成長のため・愛と勇気を試すために与えられているのだと愛で解釈して下さい。全ては神から与えられたものであり、与えられたものに不平不満や恨みで返すとより悪いものが与えられ、既に与えられたものまではぎとられる人生になってしまいます。全てを愛で解釈して感謝の気持ちで受け取れば、より素晴らしいものが与えられることでしょう。

自然災害は我々がどれだけ祈ろうと遅かれ早かれいつか必ず起きるものです。もしそれが起きたなら、勇気をもって無償の愛によってみんなで助け合うことです。そしてそれを試練だと信じて乗り越えることです。人生というRPGは全て愛と勇気と信心が試されているのですからね。

ですから最善の災害対策とは、エゴに埋没して「いつ大災害が起きて巻き込まれるだろうか」とビクビクして伝聞情報に振り回されながら対策を講じることではなく、愛と勇気と信心を発揮し、覚りを求めて魂を成長させ続けることであり、みんなで助け合い愛し合って、最後の最後まで悔いなく幸せに生きることです。

それでは、あなたの悟りの進捗=幸せを心から祈っています。

2022年6月28日火曜日

善と悪とは?

【質問】
善と悪は、いろんな立場や状況によって変わると思いますが、善行を積もうなどと言われたときにどのような善を行えばよいでしょう。また、善や悪とはなんでしようか。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

創造主曰く「正義=悪」だそうです。それはつまり善=悪ということでもあるでしょうね。正義は必然的に批判対象として何かを悪者としなければなりません。この世界のすべては二元的(相対的)にできていて、善悪は陰陽であり表裏一体の存在です。あなたのおっしゃる通り何が善(正義)で何が悪かは立場によって異なるものであり、相手には相手の正義があって、それは必ず衝突するのです。そして正義の大義名分は建前であり、必ずその陰で誰かがエゴのために利用しているものなのです。アメリカの起こした戦争なんか見てるとわかりやすいですね。でもだからといってそれを何が善行かを考えない・善行を積まない・何もしない怠惰の言い訳として使ってはいけません。

もし世界中の人が正義より愛を優先するなら、それだけで世界から争いはなくなり、みんなが救われることになるでしょう。だからそれが僕の世界救済に向けた価値観改革の核なのです。

>善行を積もうなどと言われたときにどのような善を行えばよいでしょう。

他人に言われて仕方なく嫌々やるようでは意味がありません。心に愛があれば、それは誰に言われずとも自発的に発揮せずにはいられないものなのです。愛は誰でも心の中に持っていて、それは出せば減るものではなく、発揮すれば発揮するほど連鎖的に(指数関数的に)増えていくものなのです。

愛は自発的でなくては価値がありません。そして見返りを求めればただのエゴになってしまいます。日々無償で無条件にただただ与え続けて下さい。自分が好きな人・正しいと思う人・可哀そうだと思う人、見返りが期待できる人だけを助けるのではなく、関わる人みんなを愛してそれを発揮し続けて下さい。

全ての行動においてエゴ(我欲と保身)を動機とせず、その純粋で無条件な愛を動機として下さい。そして常に正義より愛を優先して下さい。それを世界に連鎖させることができれば、あなたが真の主人公・メシアです。善悪の二元的な世界を愛一元に変えていくことが僕らメシアの使命です。

友人がスピ詐欺にハマりそう

【質問】
友人が悪質な自称スピリチュアル系の人物にハマりかけてます。
手口が巧妙で、いきなり金を取ると警戒される為、最初は信用させる為に無料で徐々に警戒心を解いて、深く洗脳し信者に仕立て上げたところで何らかの理由をつけて金を取り始めるんです。最初は少額で、段々と額を大きくしていくようです。
どうすれば友人を助け出せるでしょうか?
シンヤさんはこういう知識や教訓を他者に分け与えるのにお金を取ったりするエセ詐欺極悪スピリチュアル系の人間達をどう思いますか?

【回答】※2025年02月11日更新
ご質問ありがとうございます。

スピ詐欺は本当に増えてますね。ネット上もスピ詐欺系の広告・スパムが多くて僕もうんざりしております。

最初から高額な料金を請求すると騙しにくいのは詐欺師たちも学習しているので、大抵は無料・低料金を謳っています。しかし諸々実費がかかっているのに、それを回収しないというのはありえません。何らかの形で回収せず赤字が続けば継続しようがないですからね。最初が無料ならその分回収しなければいけない経費が嵩んでいるはずです。

今の社会は「人の存在(感情・愛)」より「お金(権力の分譲券・強制力・能力の指標)」を価値としていて、お金が生き延びるため・将来の安心のため・自尊心を保つための手段になっているのですから、悪いことをしてでもお金を稼ごうとする人がたくさんいるのは必然です。だから社会の価値観・システムを主人公である自分が起点となって変えて行かなければならないのです。それはお金の時代の終らせ方に書いた通りです。

スピリチュアル・宗教というのは、お金を目的とする時点で純粋なスピリチュアル・宗教ではなく「スピリチュアル・宗教を利用したお金儲け」なのです。もちろん必要最低限の経費を何らかの形で回収しなければ活動の継続は難しいわけですが、決してお金(費用の回収・利潤の追求)が目的化してはいけないのです。このあたりについてはスピリチュアル・ビジネスについてに書きました。スピリチュアル・宗教に限らず、我々は本物と偽物(詐欺)をしっかり見分ける目を持たなければいけません。そして世の中は偽物だらけだからこそ本物には価値があるのです。

ちなみに僕の救済活動は自己利益を目的としていないので、最初から最後まで無料です。販売も勧誘も一切ありません。自発的な寄付は感謝して受け取りますが、こちらから対価を要求することはありませんし、寄付するしないで人を差別することはありません。僕は清貧を愛していますし、乞食でも生活できていますからね。まぁ信じる信じないは相手側の自由ですけども。

今はモノが売れない時代であり、「人の悩みにつけこんで不安を煽り、それを自分たちが解決できるかのように偽ってお金を騙し取ろうする人」が増えているのは自然なことかと思います。お金を儲けるために必死なのですから、彼らも一見するともっともらしく素晴らしいことを主張しています。そうじゃなきゃ誰も騙せませんからね。しかしどんな薬も一滴の毒を含めばそれは毒なのです。


本物の霊能力というのは神々が世界を救うためにその人を通じて発揮する愛の力であり、エゴ(我欲・保身・虚栄)とは対極にある力なのです。逆にエゴ(我欲・保身・虚栄)により発揮しようとする霊能力は「呪い」の如きもので、必ず人を不幸に導くものなのです。だからその人の霊能力が本物であれ偽物であれ、それをエゴのために使おうとしている時点で、お互いに不幸になるのは自明だということです。

騙す側もエゴ動機なら、騙される側もエゴ動機なのです。「お金を払うことで霊的な問題を解決しよう」「霊能力者から霊能力を得て特別な人間になろう」などと考えているわけで、それはエゴ動機であると共に成長拒否なのですから、双方ともに負のカルマを積み上げることになり、遅かれ早かれいずれは破綻します。

霊能力というのは本来愛の力なのですから、その力が本物であればあるほど(強ければ強いほど)、それをエゴのために使うとかえって多大な負のカルマを積み上げることになるのです。例え今生ではうまく儲けて逃げ切れたとしても、魂は永遠ですから、いずれ必ず清算する時がきます。どれだけ時間差があったとしても、因果応報という宇宙法則は絶対なのです。

本当に神を信じて守られているという確信があったら虚栄や将来の不安や自尊心のために蓄財する必要などなくなりますから(実際僕は貯蓄ほぼゼロです)、清貧でない霊能者に本物の信心などあるわけがありません。愛よりエゴを圧倒的に優先するプロセスにいるのは明白でしょう。キリストが「神と金の両方に仕えることはできない」と言った通りです。それに騙されるのは、金を払って自分(信者)だけが救われればいいというエゴが愛より圧倒的に強いプロセスにいる人たちなのです

さて、なぜあんなにも胡散臭いスピリチュアル・宗教の詐欺にハマる人がいるのでしょうか?それはみんな自尊心を病んでいて鬱状態だからです。現代の競争社会において、今はみんな他者評価に依存させられ、自尊心が下がるように社会的に洗脳されているので、必然的にみんな(程度の差こそあれ)心を病んでいるのです。

人の価値とは?に書きましたが、今の社会ではお金(を稼ぐ能力)が価値とされていて、人の存在そのものが価値とされていません。みんな「お金を稼ぎ続け、能力を他人に認められ続けなければ、自分の価値が認められない・社会から排除される」と考えるようになって他者評価依存になっています。しかしそうなると自分より高い能力の人を知ったり、何かに失敗したり、自分の能力の衰えを感じたりする度に自信を失うことになります。能力を自身の根拠とすると自信を失い自尊心の病気になるのは必然なのです。精神疾患の多くは自尊心の病気(自己嫌悪)であり、その友人も自尊心を病んでいるのです。だから相手が詐欺師であろうと何だろうと、とにかく自分の存在を承認してくれて自尊心を高めてくれる人に依存するのです。そして霊能力を手に入れることで自尊心を満たそうとしているのです。それはエゴなのですから、うまく行くわけがないのは前述の通りです。

今の世の中、自尊心というものを「他人より優位を示すことでしか満たせないもの」だと勘違いしている人ばかりであるがゆえに、他人からの評価によって常に自尊心を揺るがされて余裕のない人ばかりです。みんな能力に自信がないために「自分は正しい」ということを価値としなければならなくなり、そのために常に他人の欠点や過ちをあげつらって責めなければならなくなっているのです。そしてそれが鏡のように自分に返って来て結局お互いに自尊心が下がるという「負の無限循環」を起こしているのです。だから誰でも自信満々になれる方法に書いた通り、お互いの自尊心を上げ合う世の中を、主人公である自分がその起点となって実現していかなければならないのです。自尊心と他尊心は正比例するものであり、同時にしか上がらないものだと知って下さい。

そして自尊心のレベルと行動のレベルは正比例するものであり、悪癖のある人というのは、それが悪いと知らないのではなく、自尊心が低くなっているために「どうせ自分なんて・・・」と考えて自分を大事にできないために、その悪癖(自分イジメ)がやめられないのです。だからその悪癖がいかに良くないかを説明し、説教することによって止めさせようとしても、かえって相手の自尊心を下げ、ますます悪癖に走らせるように追い詰めていくことになります。そうなると余計に自尊心を上げてくれる人に依存せざるを得なくなり、ますます詐欺師の餌食となりやすくなるのです。このあたりの話は反省してはいけないに書きました。

人は自尊心が高くなれば、自然と悪い行動は取らなくなります。だから悪癖を止めさせようとするよりも「どうやったら相手の自尊心が高くなるか」を考えて日々実践し続けることが大事なのです。それは誰に対してもです。人の自尊心を上げるためにすべきことはたった二つだけで、
「①心からの笑顔で挨拶し、相手への承認が自然と態度に表れるようにすること」
「②相手の話を否定せず、肯定的・同情的に聞くこと」
なのです。
これは罪悪感との向き合い方など、僕が本当にいつも伝えようとしていることです。

あなたはその友人をいつも笑顔で存在を承認し、否定せずに真剣に話を聞けていたでしょうか?身近な友人を内心見下すことで、自分の自尊心を保とうとはしていませんでしたか?そういうのは態度に出て相手に覚られて自尊心を下げ、同時に自分の自尊心も下げてしまうのです。我々の魂は同一・同源であり、違う役を演じているだけで同一人物のようなものですから、他人に対する思考・行動は全部自分に返って来るのが必然なのです。


人生というのは自分を主人公とするRPGであり、クリエイターは「経験(出来事や人との出会い)」を通じて大切なメッセージに気づかせようとしてくれているのです。もうお気づきのことかと思いますが、あなたが考えなければならないことは、「他人側をどうするか」ではなく「自分がどう考え、どう実践するか」です。他人はNPC側(設定側)なのですから、あなたが直接変えようとしても決して変わらないようにできているのです。変わるべき・成長すべきは常に主人公たる自分なのです。

どうか正義より愛を優先して実践することを常に心がけて下さいね。もちろんスピ詐欺は悪いことなのですが、騙される人に説教なんかして「相手側を変えようとしても」ますます相手の自尊心を下げて嫌われ、ますます詐欺にのめり込ませることになるだけでしょう。

人生というゲームは、プレイヤー(主人公)たる自分が、失敗と試行錯誤を繰り返し、自分で納得しながら前に進むのでなければ楽しめないものなのです。その友人の人生の主人公はその友人なのであり、求められてもいないのに他人が答えを教えるのは楽しみを妨害する行為であって、相手の心が反発してしまうのは当然なのです。

だからあなたがその友人に「あいつは詐欺師だ、騙されるな」などと説得しても、きっと心が反発して嫌われるだけになることでしょう。悪い男に騙されて恋に落ちている女性に、その男の悪口を言ったところであなたが嫌われるだけで、本人が騙されていたことに気づいた後でも決して感謝されることはないのと同じ事です。

「何を信じて生きるか?」が「自分とは何者であるか?」を決めるのであり、それは人生の選択の要なのです。「何を信じて生きるか?」を他人の意見によって決めては意味がないのです。何を信じるにせよ、信じないにせよ、その結果責任を負うのは主人公である自分自身ですからね。人間にとって人生はわからないことだらけですから、人は何かを信じずに生きるということはできません。「何を信じて生きるか」という選択が「人生そのもの」とも言えます。何も信じてないと思っている人は、自分が自分の常識を信じているということの自覚さえないだけなのです。

「何を信じるか」という判断を「何が正しく何が間違っているか」というアプローチで考えると必ず失敗します。それは信じる信じないの基準に書いた通り、それを信じることによって自分も周囲もみんなが幸せになるかどうかでわかります。逆に自分も周囲もみんなが幸せになる思考・行動であるなら、それを誰かから「間違っている」と言われようとどうでも良いことです。

あなた自身は何を信じて生きていますか?それを信じることによって幸せになっていますか?自分と関わる人を幸せにできてますか?あなたに関わる人はすべてあなたの鏡であり、主人公であるあなた次第なのです。だから関わる人のカルマはすべてあなた自身のカルマでもあるということです。

あなたが何を信じているか(自身の価値観)によって、あなたが幸せそうにしていたら、あなたの周囲の人はあなたがどうしてそんなに幸せなのか気になって尋ねるようになり、周囲の人たちもそれを信じるようになるでしょう。

あなたが他人の自尊心を上げられる人なら、みんなから愛されて周囲の人も幸せになっているはずです。だからあなた自身が自分の価値観により幸せになり、周囲の人をどんどん幸せにできる人間になっていくほど、周囲の人が詐欺に遭うような問題は起きにくくなるでしょう。

その友人は「常識的な世界観」に魅力がなくて息苦しく、そこにいると自尊心が下がって自分自身が無価値に感じられて不幸だからこそスピリチュアル詐欺にハマっているのでしょう。その友人を元の常識的世界観へ無理やり引きずり戻そうとするのではなく、あなた自身が主人公としてもっと魅力ある幸せな人生観・世界観を持って自尊心高く生き、周囲の人間の自尊心も高められる人間へと成長していかなければならないのです。人生観・世界観に魅力があれば、あなたの認識世界(仏国土)にどんどん人が集まってきますし、逆ならどんどん遠ざかって行くものなのです。

人生というRPGはすべからく主人公であるあなた次第に作られています。相手を無理に変えようとしても絶対にうまくいきません。自分自身が変わること(成長すること)が大事です。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...