2023年12月5日火曜日

占いで疲れを感じる

【質問】年齢不詳・女性
こんにちは。きょんともうします。

私は占いが好きで易者に見てもらったりするのです。自分でも占ってみたくて、中学生時代の誕生日プレゼントにタロットカードを買ってもらいました。たまに占ったりしていたのですが、結果に関わらず占い後にとても疲れてしまうのです。

本来なら、いろいろ占ってみたくて買ってもらったのに、あまり手に取ることができず残念です。タロットカードを使う事で疲れを感じなくなるようになるにはどうしたら良いか、教えていただけたら嬉しいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

占いについてはエンジェルナンバーについてで回答させていただいているのですが、残念ながら僕は占いや数秘術の類はまったく興味がなく、知識もありません。ので、僕はあなたの質問に対する回答者としては適任ではないと思います。

なぜ僕が占いに興味がないかというと、大きくは三つ理由があります。
一つ目は占いが覚りの本質とは関係がないと覚っていること。
二つ目は運命を完全に天に任せていること。(僕は一度捨てた命を助けられているため、自分個人の運勢には全く興味がわきません)
三つ目は自分の使命とこの世界のシナリオの大枠を既に覚らされていること。(些末な運勢で一喜一憂する理由がありません)

もしあなたが占いをすることに疲れを感じるのであれば、そこに本質がないことをあなたの魂も気づいているからではないでしょうか?

僕は決して占いを信じていないということではありません。すべてが創造主の意図によって生まれているのですから、あらゆる存在・事象からその意図を汲み取ることはできると思います。そしてそれをうまく汲み取って人を良い方向に導ける易者というのは素晴らしい存在だと思っています。

あなたがこの世界のすべてが創造主の愛によってもたらされているということに感謝の気持ちがあり、出会う全ての人を幸せに導こうという思いがあって占いをやるのであれば、きっとそのような疲れは生じないのではないかと思います。

もしこの世界が偶然性に支配されているなどと考え、人が偶然によって不幸になったり、また創造主が意地悪で人を不幸にしたりすることがありえると考えながら占いをするのであれば、そこに「不幸な未来が待っているかも知れない」なとどいう恐れ・負の感情が自分にも相手にも生じますし、人を不安にさせ・悪い暗示をかけて・不幸な方にミスリードする可能性があるので、僕はやめた方が良いのではないかと思ってしまいます。


もし占いをやるのであれば、まず信心を持ち、与えられたものの価値に気づいて感謝できるようになってからの方が良いと思います。もしよろしければ人の価値とは?」「悟りとは何か?もご参照下さい。

あなたが占い師としての使命を感じるのであれば、ぜひ人を安心させ、良い方向(幸せ)に導ける素敵な占い師になって下さい。もし友人たちのためにお金を取らずにそれをやるのであれば、とても素晴らしいことかと思います。

【感想】
まず、回答ありがとうございました。
質問の仕方が良くなかったと反省しました。【占いについて】というよりは、好きなものに取り組みたいのに疲れてしまうのは何か意味があるのではないかというのが質問の骨子でした。

私は収入を得る手段があるので、占いなど他に何かをすることに対して収入を得なくても良い環境にいます。言い方が難しいですが、無報酬に乗じて他の方に利用されるのも好みません。そのバランスがうまく取れたらいいなと思っています。

【回答】
ありがとうございます。

僕も趣味で柔術をやったり、無報酬で靈氣・マッサージ・掃除などをしていますが、もちろん好きな事でも疲れは感じますよ。それが充実感でもありますが。

結果を求めると、それが得られなかったときにガッカリしてしまいます。その結果というのが自己利益でなく相手の幸せを願ってのことであっても。だから行為(善行)そのものを愛するようにしてみて下さい。

それでも異様に疲れを感じるようならそれが本当は好きではないのか、霊障が溜まっているからだと思うので、それであれば浄霊を受けるようにしてみて下さい。世界救世教や真光などでは自発的な寄付のみで浄霊してくれます。

>無報酬に乗じて他の方に利用される
これもお気持ちは非常にわかります。(それが疲れの原因の一つでもあるかも知れません)人の親切に乗じてくる図々しい人はやっぱりいますからね。僕は乞食なので自発的な少額の寄付だけ受けるようにしていているのですが「こっちはお金を払っているのだから」と横柄な態度を取られたり「少額のお金にもしがみついているような卑しい乞食」みたいなモロに軽蔑した態度を取られたりします。

ですからそういう嫌な依頼はキッパリ断ります。それができることが心の自由ですから。仕事では嫌な人からの依頼も受けなければいけないため、お金を払う人がどんどん横柄・傲慢になりますし、こちらにもストレスがかかりますから、趣味でまでそれをやる必要はないと思います。

性格が歪んでいる人ほど救いが必要ではあるのですが、嫌だと感じたらキッパリ断るのが良いと思います。あくまでも愛情を持って、なぜ嫌だと感じたのかも相手に伝えてみて下さい。あまり厳しいと誰も依頼してくれなくなりますから、本当に愛情を持って伝えて下さいね。

2023年9月27日水曜日

自立できない大人に対して

【質問】年齢性別不詳(旧質問箱からの転載)
ニート・子供部屋おじさん・彼女の家に居候して生活費も彼女持ちのヒモ・友達の家を転々としていたり実家暮らしで、遊び金だけバイトして稼いでるだけのフリーターなどをどう思いますか?

【回答】
どう思うも何も、僕自身が筋金入りのニートなので(笑)そして彼女一人に依存はしていないだけで、男女問わず多くの人のヒモであります(笑)今の寮に入るまではホームレスで友人宅を転々としたり野宿したりしていましたしね。

世の中「大人になっても働かずに養われていて自立できない人間が気に入らない」方はたくさんいるでしょう。しかしもし自分が「大好きで得意な事で社会に貢献し、高い評価と収入を得ている人」なのなら「働かない人(働けない人)たち」を可哀そうだと思うはずです。

それなのにわざわざそういう人たちをやり玉に挙げて責めようとする人は、恐らくお金のために嫌な仕事を我慢しながらやっていて、それでも十分な評価と収入が得られず、生活保護受給者と大差のない生活しかできない状態なのではないでしょうか?

もしそうなら「こっちはこんなに嫌な仕事を我慢しながら働いているのに、ラクしやがって(不幸になれ)」と、働きもしないで生活できている人たちを腹立たしく感じるのは当然で、そのような人たちを責めることによって「自分は彼らよりはマシな人間だ」と、自分が奴隷的な仕事を続けるせいで失っている自尊心を回復せざるを得なくなっているのでしょう。そして働けない人を思いやれる心など完全に失っているのですね。

しかし誰しも病気や事故などで働けなくなったり、何かの事情で財産を失ったりする可能性は多々あります。またいつか誰しも歳をとって働けずに介護を受けるようになるでしょう。

「働いてよりお金を稼ぐことが人間の価値であり、働けない人・お金のないの存在は迷惑であり排除すべき」などと考える人は、もし鬱などで働けなくなって(お金のために嫌な仕事を我慢してしがみついていたら鬱になる可能性は大です)お金もなくなったら、自分が無価値で不要で迷惑な存在だと感じるようになり、自分を責めて人を頼れず、きっと自殺に追い込まれることでしょう。

また歳をとって介護が必要になったら迷惑だと思われながらお金のために嫌々世話をされ、財産だけ残して早く死んで欲しいと思われるようになるでしょう。

現代の価値観の社会では、多くの人にとってそのような生き地獄の如き未来が待っているのです。人間関係は完全に鏡であり、すべて自分に返ってくるのです。

現代は「お金を持たない人間は役に立たずで、社会の負担で迷惑なので排除すれば良い」などという「適者生存的な考え方」を多くの人が持つことにより、排除されることを恐れ、嫌な仕事も嫌々我慢しながらやって、嫌な人間になって心に愛を失い人に嫌われ、結局いつかは働けなくなって社会から排除されるのです。

それは支配者側にとっては非常に都合の良い状況であり、多くの人がそうして自ら奴隷となり、その支配体制を支える一員になっているのです。

僕はそんな地獄のような社会には生きたくないので、社会の価値観ごと変えてしまおうと思っています。価値観が社会システムを作っているのですから、価値観が変われば社会システムは必ず変わります。note記事「宇宙の仕組み」に書いた通り、自分の認識世界は主人公である自分自身が作り出しているものであり、全てはフラクタルにできているので自分が変われば必ずそれは連鎖するのです。

人の価値って一体何でしょうか? note記事人の価値とは?に書きましたが、人の価値は存在そのものなのです。すべての存在に意味と役割があり、価値のない存在などどこにもないのです。すべての存在・出来事は一つなぎであり、すべてが壮大な因果でつながっていて、独立して存在しているものなど何一つないのです。それなのに自分がただ他人から命じられた仕事をこなしてお金を稼いでるってだけで自立した人間だなどと考えるのは無知かつ傲慢であり、自立を人生の目標にするのは大間違いだと僕は思います。

猫は人に飼われなくても生活できるのに、素直に人に甘えてくれて世話する喜びをくれます。一切働かず一日中食う・寝る・遊ぶだけですが、生きる喜びを素直に表現するだけで人を幸せにし、孤独を癒してくれます。あなたは誰かにとってそういう存在になれているでしょうか?それはお金稼ぎよりずっと大事なことだと思います。

note記事誰でも自信満々になれる方法に書いた通り、僕は例外なく出会いに感謝し、出会った人を例外なく愛し・尊敬し・感謝し・許すことを決めているので、どんどん人に愛され、自分自身を大好きになっています。

「こういう種類の人間(働かない人間など)は気に入らない」と出会う前から人間をカテゴリー分けして先に嫌うことを決めてしまう人は、過去だけでなく未来の出会いまで既に失っているのです。

もちろん「働かずに養われている人」の多くは幸せではないと思います。人生は成長のためのプログラムであり、ラクして成長はできませんから、ラクして生きているように見える人は不幸であり可哀そうなのです。

人は基本的に人を幸せにすることでしか幸せになれないようにプログラムされているのに、ラクをして怠惰に生きている人というのは基本的にエゴイストで、人を幸せにせず不幸になっているのです。人に何かしてもらって素直に感謝し喜べる人は人を幸せにしていると思いますが、多くの人は自分に与えられるものを当然と考えて感謝していません。

そういう人たちに対して説教などしても、自尊心を下げて自己嫌悪に陥らせて「どうせ自分なんて…」と考えて悪い思考・行動がやめられず逆効果になりますから、自分自身が無償で人に貢献し、人を愛し人に愛され幸せに生きている背中を見せることで、「他人を幸せにすることなく自分が幸せになることなどできない」ということ(ワンネス)を覚らせなければならないのです。

僕は働かずに生活していますが、それはお金を稼ぐために働いていないだけで、人を救う為に勉強し、その果実を人と共有し、また一日中人に奉仕して、人を幸せにしています。そうして多くの人に存在を喜ばれて愛され、助けられてそれを素直に心から感謝することでまた人を幸せにしながら幸せに生きているのです。

本当は僕らはもうほとんど働かなくても生きていける時代に生きています。それなのにエゴで争い合い奪い合ってばかりいるからいくらあっても足りないようになっているのです。AIが進化によって本来僕らはどんどん働かなくてよくなっているはずなのに、仕事能力と稼いだ金を価値とする価値観のせいで、AIに仕事を奪われ存在価値まで奪われることに戦々恐々としています。それは本当にバカげた話です。

本当に愛があればみんなが無償で助け合いますからお金を稼ぐ必要などないのです。結局多くの人は愛される自信がないから嫌な事をしてでもお金を稼いで自立を目指し、エゴ(我欲・保身・虚栄)まみれになって益々愛されない人間になってしまっているのでしょう。

特に女性がそうして自立を目指して人に愛されず婚期を逃してどんどん意地悪な人間になっていくのを見るのは辛いです。

だいたい仕事をするのにも人を頼れなければ大きな仕事はできませんし、他人でもできるようなつまらない仕事を嫌々奴隷のようにしなければならなくなります。嫌々仕事をしていて人から愛される人間・社会的に成功する人間などいません。

愛の存在要件は「他者の必要性」です。創造主は存在の全てであり、完璧な存在であるがゆえに他者が存在せず、必要ともしないために、存在意義がなく、愛を経験できないのです。だから創造主は愛を経験するために人間とこの世界を創り出したのです。

誰かの助けを必要とする人がいるから、それを満たしてあげることで愛は生まれ、自分にも相手にも存在意義が生じるのですから、人に頼られる(必要とされる)のは光栄なことであり、それを迷惑だなどと思って見下すから、自分が人に迷惑をかけて見下されることを恐れて人を頼れないのです。そうやって人を見下しているために、人に見下されることを恐れて嫌な仕事にもしがみつかなければならなくなっているのでしょう。

欲は悪いものですか?に書いた通り、エゴをなくせば良いというわけではありません。愛とエゴは磁石の両極のようなもので、片側だけでは存在し得ないのです。何かを欲してくれる存在がいるから、それを満たすことで愛は生まれるのであり、みんなが出会った人のエゴを自分のエゴよりほんの少し優先して満たすようになれば、現代社会のようにエゴは肥大化せず愛に満ちた社会になるのです。自分が主人公(勇者・メシア・菩薩)としてその連鎖反応の起点とならなければなりません。

どうかお金など無視して、無償で見返りを求めずに、あなたの大好きで得意なことで人を喜ばせてみて下さい。例え最初はお金を稼げず生活が不安定になり、例え国や誰かに養われることになってでも、長期的にはきっと人生が好転するでしょう。どっちみち人が嫌がる仕事は遠からずAIにとって代わられます。

みんな貧困を恐れますが、貧乏なんてゲームだと思えば楽しいものですよ。素直に人を頼り、無償で人に奉仕し、清潔を心がけ、本当に愛と感謝に生きている人は飢え死になんてしません。必ず幸せになります。僕は経験上それを確信しています。

季節が原因の希死念慮

【質問】年齢不詳・女性
私は気候と季節でメンタル左右されてしまいます。先週まで日本も物凄い暑さで終わらない日差しと湿度に絶望してたら今週に入ったら朝晩は寒いくらいです。直ぐに極寒の冬がくると思うと体がシンドくて生きてるのが辛いと感じてますが、希死念慮の対象が自然現象の場合はどうしたら良いでしょう?

【回答】
ご質問ありがとうございます。

僕も暑さ寒さは苦手ですし(それもサンパウロにいる理由の一つです)、暑さ寒さが大好きだという人はあまりいないと思います。ただ大抵の人は暑さ寒さを「しんどい」とは思うでしょうけど「死にたい」とまでは思わないでしょう。

季節の変わり目などに郷愁を感じるのはごく普通のことですが、それも鬱状態の人からすれば死にたいぐらいの気持ちになってしまうのでしょうね。「季節性鬱病」なんてものもあったりするぐらいですからね。あなたの年齢は存じ上げませんが、更年期障害が起きるような年代の方であれば猶更そのようになりやすいと思います。

気候は同じ地域に住む人に平等に与えられるものであり、もしそれが希死念慮の原因なのなら、同じ地域に住む人全員が死にたくなっていることでしょう。そしてあなたはもし年中快適な気候の土地で生活していたら心底幸せで死にたくなってはいないのでしょうか?

結局、季節変動はトリガーであってあなたの希死念慮の原因そのものではないのでしょう。暑さ寒さによって希死念慮まで行きついてしまうあなたは、少なくとも広義では完全に鬱状態にあるのだと思います。問題(課題)は決して暑さ寒さなどの自然現象側にあるのではなく、あなた側の鬱にあるのです。そしてそれはあなたが諦めたいだけで解決可能なものです。

鬱というのはそれぞれの形でそれぞれに与えられる、覚り(幸せ)に必要な過程(課題)なんですね。だからどうか鬱状態に陥っている自分を責めないで下さい。ただ乗り越えていけば良いだけなのです。不幸を経験せずに幸せは経験できません。幸せになるためには、まず現時点において不幸なら不幸であると認め、幸不幸は自分次第なのだと認めるところからです。

あなたのことはよく知らないので違っていたら大変失礼なのですが、あなたはきっと解決可能である自分の様々な問題(課題)に対し「自分には無理」と立ち向かわず逃げ続けているために、カルマ(課題)を解消できずに積み重ね、成長とは逆のベクトルに進んでいるために、死にたくなるぐらいの鬱(不幸)に導かれているのでしょう。そしてそんな自分からも目を逸らし責任回避したいために、鬱の原因を自分ではどうしようもない自然現象と生まれ持った生理・気質に転嫁しているのではないかと思います。

もちろんそれも含めてあなたにとって必要な経験・乗り越えるべき課題だから与えられているのであり、それは多くの人が同じですから、落ち込む必要はありません。ただより良い現在・未来を選択すれば良いだけです。

我々が出会うすべての問題(課題)は何か大切なことに気づかせるため・成長させるために創造主から愛によって与えられているものです。そして苦しみというのは、間違った方向に進んでいることに自ら気づかせるために与えられているものなのです。(直接教えてしまっては魂が成長しません)

人間の体というのは感情の楽器であり、どんな出来事(暑さ寒さ・悲しみや苦しみ)が生じてもそれぞれに美しい音色(感情)を奏でる人もいれば、死にたくなるような不協和音を生じてしまう人もいるのですね。

楽器で音色(感情)が出てしまった後からその音色(感情)を無理やり抑え込んでも自分も周囲も苦しくなるだけで、調律の乱れは整いません。また何かが起きる度にまた不協和音を出して自分も周囲も苦しめるだけです。

心の楽器の調律を整えるには、①体という楽器を整えること(健康に気を付け・体調を整えること)と、②考え方(思考・解釈の仕方)を整えることです。

どんな出来事に出会っても素敵な音色(感情)を発することができるように調律を整え、喜びも悲しみも全部含めて人生をオーケストラのように楽しめるようになることこそが魂の成長なのです。

あなたは年齢なりに体をきちんとケアされていますか?食事(特に食事量と精製糖や塩分や肉の取り過ぎ)に気を付け、毎日適度に運動することを楽しまれていますか?人それぞれ個性がありますし、肉体的なケアについてここで細かいことまでは書きませんが、特にあなたがそれなりの年齢になっているのであれば、十分ご自愛なさって下さい。体調が悪い時にポジティブに考えたり他人を思いやったりというのは困難ですから。

そして考え方(心)のケアはされていますか?究極の真理というのは愛でありワンネスです。魂成長のためのプログラムであるこの仮想現実世界は、真理(愛)に近づくほど幸せになるようにプログラムされています。暑さ寒さ程度のことで死にたくなるほど幸不幸が左右されてしまうあなたの考え方はどこかがズレているのでしょう。自分もみんなも幸せになるような考え方こそが真理であり、そのような考え方に向かって成長していたら、暑さ寒さ程度で死にたくなるところまでは行かないはずです。

自分に都合の良いものは赤ん坊でも愛せます。真に大人になるということは、自分に都合の悪いものも自分の成長のために愛によって与えらえれた課題だと感謝しながら乗り越えて行けるようになることです。与えられたものに感謝できない人に、創造主がより良いものを与えたくなるわけはなく、既に与えらたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうのは必然です。

人間には自己防衛本能(エゴ)がありますから、誰でも自分が傷つかないために「自分は正しい」と考えていつでも自己正当化してしまうものです。そう、自己正当化というのはエゴなのです。エゴを乗り越えることが成長であり、エゴに捉われていては成長せず不幸になるのが必然です。

特に自分の能力に自信のない人は、「自分は正しい」ということを自信の根拠とするために(正しさに能力は要らないので)必然的に他人の間違っているポイントを探しては責めて愛さず、周囲からも嫌われて愛されず、不幸(鬱・希死念慮)へと導かれることになってしまいます。

人間が成長するのは、自分が間違っているということに気づけた時であり、それを傷つくことだと考えて喜べずにいつでも「自分は正しい」と意地になって、常に自分が傷つかないこと・プライドを守ることを優先してしまっては、成長するわけがありませんし、愛されるわけもありません。

「愛より優先される正義(正しさ)」こそがこの世の苦しみの元凶なのです。多くの人が、己を守るために正しさを主張して誰かを否定・批判して傷つけ、傷つけ返されて苦しめ合っています。その修羅道から離れるには「何が正しいか思考」を捨てて、愛(思いやり)に生きることです。

多くの人が「自分は正しい=価値がある」と思い込むために、自分自身の考え方の誤りが原因で自分が現在不幸になっていることさえ認められずに、水面下で無自覚に鬱になっているのでしょう。運命への呪いに書いた通り、自己正当化と被害者意識は成長拒否の最たるものです。人生という成長のためのプログラムにおいて、成長に反するベクトルは不幸に導かれるのが必然なのです。

反省してはいけないに書いた通り、決して自分を責めないで下さいね。それはみんなに共通した成長課題であり、覚り(真理)への道なのです。自分も他人も責めることなく許し、何か間違いに気づいたら、スティーブ・ジョブズのようにまるで最初から正解を知っていたかのような顔でただただ今現在正解だと思う方を選択すればいいのです。人生は答え(真理)に価値があるのではなく、そこに至る過程(経験)が答え(真理)を価値ならしめるのです。

人間は成長を楽しむためにわざと愚かに創られているのですから、失敗や過ちを恥ずかしいと思う必要は全くないのです。どんな過ちも、成長した後から見れば「あの時の経験(間違い)があったからこそ、今の自分がいるのだ」と失敗や過ちを犯した自分を愛せるようになります。そして己の過ちを認められた時には、既に成長しているのです。

あなたが具体的にどんなカルマ(課題)から逃避しているかはわかりかねますが、鬱の原因は自分自身と相手に対する愛情不足なのですから、ただ自分も相手も愛してそれを実践すればいいだけなのです。

自尊心を下げることは自分自身への愛に反する思考であり、「どうせ自分なんて・・・」と考えて悪い思考や行動がやめられなくなり不幸に導かれますから、決して自尊心を下げないで下さい。人生の苦しみを知り、他人の苦しみを思いやれるあなたは、愛で世界を救うために生まれた天使なのですから。

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

2023年9月25日月曜日

自己嫌悪・厭世観・希死念慮で辛い

【質問】20代前半・男性
はじめまして。人生相談があるのですが、お願いできますでしょうか。

死にたい気持ちや厭世観、自己嫌悪の気持ちが止まらないのですが、どうしたら器の大きいポジティブな人間になれるでしょうか?

悲しくなったり、それを誤魔化すためにいつもイライラしてしまうのですが、もう最近は自暴自棄を止められずに、誰かと殴り合いでもしてしまいそうな始末です。(本当はとても小心者なのですが、突っ張ることで虚勢を張らないと自分が潰されてしまいそうで、それが今でも続いてしまっています)

誰でも自信満々になれる方法を読んで、試そうと思っても、いざ嫌いな人を前にするとイライラでそれどことではなくて、相手と距離を取って心を閉ざしてしまいます。誰かを傷つけたり、犯罪を犯すくらいなら、もう消えてしまいたいという気持ちが消えません。

【回答】
ご質問ありがとうございます。僕もあなたの歳の頃はまさにそんな感じでしたので、お気持ちはよくわかります。それは狭義の鬱ではなくても広義では完全に鬱状態であり、霊障に犯されている状態なんです。ただそれは成長(覚り)に必要な過程ですから、どうか落ち込まないで下さいね。

まず、自殺・安楽死するとどうなるか?に書いた通り、人の痛みのわかる魂に成長するには死にたくなる経験も必要なのですが、「いざとなれば死ねばいい」と自殺を問題解決の選択肢のようにして考えるのを止めて下さいね。そこに導かれるような悲惨な人生になってしまうので。

誰でも自信満々になれる方法は僕からの究極のアンサー(愛)であり、僕は100mを10秒で走るように言っているわけではなく、覚悟さえあれば誰にでもできることしか書いていないのですが、あなたと同じように「自分には無理です」っていう感想が結構多いんですね。

楽器の演奏と同じで、最初からできないのは当たり前です。そういう自分も愛しながら少しずつ続けて成長していくことを楽しむのが大事なのであって、最初からできないからといって、既にできている人と自分を比べて「自分には無理です」と諦めてしまっては話にならないのです。あなたの質問は僕からすれば、バイオハザードで「私はゾンビが怖いから逃げてしまうのですが、どうやったらクリアできますか?」と聞かれているような感じです。

僕は「絶対に逃げてはいけない」と言ってあなたを追い詰めているのではありません。RPGでも自分が弱っている時やレベルに相応しくない強敵に出会った時は逃げるべきです。でもいつまでも逃げていてはゲームが進まず、永遠にクリアできません。人生というRPGにおいて苦手な相手も、いつかは対峙して乗り越えていかなければならない課題なのだと認識して下さい。

人間関係は完全に鏡であり、あなたの苦手な相手は時間差のある拡大鏡です。宇宙の仕組みに書いた通り、あなたの認識世界のすべてがあなた自身の反映なのです。だから誰かを嫌うほど自分自身が嫌いになるのは当然と言えます。だから愛を無条件化していくことが大事だと常々僕は言っているわけです。

自尊心は幸せの根幹であり、あなたは自分自身を嫌っているから他人も嫌いになるのであり、あなたは相手が嫌な対応をしたくなるような態度を無自覚にしているのでしょう。そういう相手を嫌っていたら自分自身も嫌いになる無限ループに陥るのは当然です。すべての存在・事象は創造主なのですから、自分も他人も嫌いではすべての存在・事象があなたの敵になってしまいます。

人は「風の谷のナウシカ」の腐海の植物のように、己の心の水がエゴの毒で汚れているから、己の心の住民である相手は毒を生じるのであり、己の心を愛で満たして綺麗にしたなら、相手も毒を出さなくなっていくのです。

だからまずは自分も他人も責めず許すことです。あなたが嫌な人は嫌な人になるだけの心の傷を抱えているのです。あなた自身と同じように。本当は愛されたいのに止むに止まれず嫌な人になってしまっているのですから、その原因となっている心の傷にまず同情して思いやって下さい。

ただ確かに誰でも自信満々になれる方法」「宇宙の仕組みはこれからピアノを始めようとしている人に対してショパンの弾き方を解説しているような厳しさもあるので、まだ主人公としての目覚めが遠いNPC状態にいる魂の同志達に対しては、もっと容易で実践的な上達方法を伝えなければならないとは常々感じておりました。ので、その「もっと容易で実践的な上達方法」をお伝えしたいと思います。

僕に相談してくれたのですから、まずは僕を信じてただ実行してみて下さい。大事なことは、結果(見返り)を求めずにただ実行するということです。

1.お年寄りにインタビューする
2.自分大好きエピソードを重ねる
3.浄霊し、カルマを軽くし、己の信心
(感謝の心)を育てる

それぞれ解説していきますね。

1.お年寄りにインタビューする

ノートとペンを手に、ぜひお年寄りにインタビューしてみて下さい。(失礼ながら)できるだけ余命が少なそうな人が良いです。身近にいなければ公園や神社仏閣や老人ホームなどお年寄りがいそうなところに行ってみて下さい。何かの成功体験を聞かせてもらうためではないので、本当にどこにでもいそうな人で構いません。どっちみち今あなたに一番必要な人と出会いますから。

いきなりノートを取ろうとすると怪しまれるので、話しかけてある程度慣れてから「自分の人生勉強用に、何でもいいのでお話を聞かせて下さい。どこかに載せる訳ではありません」という感じでインタビューをお願いしてみて下さい。

まだ若く、しかも鬱で孤独に陥っている状態にあるあなたの人間関係はきっと狭く、付き合いがあるのは同年代の若い人が割合としては圧倒的に多いことでしょう。しかし若い時というのはどうしてもエゴが強く、それは反発しあうのが必然なんですね。それでお互いに責め合い、争い合い、奪い合い、マウントを取り合ったり意地を張り合ったりしてしまうものなのです。

もちろん歳をとってもそのまんまっていう魂のレベルの低い人も多いんですけど、全般的に見ればお年寄りというのは欲が下がって角が丸くなり寛容で優しくなっているものなので、あなたが好き嫌いなどのエゴを前面に出さなければぶつかる事は少ないでしょう。

お年寄りというのは往々にして周囲に話を聞いて貰えないことに不満を抱いているもので、もう死期が近づいているのにせっかくの自分の人生経験を若い人達に伝えられず、自分の存在意義に苦しみがちなのです。だからこそ、お年寄りというのはただ話を聞くだけでこちらを好きになってくれて、自分の経験を生かして貰いたいために話を聞いてくれた人を応援してくれるものなのです。

あなたには人を愛し愛されるという経験が圧倒的に不足しているために今の状況に陥っているのでしょうから、まずはあなたの心(仏国土)に、あなたを愛してくれる住民を増やすことが大事です。きっと彼らがあなたの大応援団になってくれることでしょう。

インタビューさせてもらう際に留意すべきことは、『感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に接すること(決して見下したり憐れんだりしないこと)』と、『聞きに徹して(相手と違う自分の意見は言わない)相手の話を一切否定せず、肯定的・共感的に話を聞くこと(好き嫌い・良し悪し・正しい間違ってる・面白い面白くないなどを判断しないこと)』です。話を聞く目的をジャッジしたり改善したりすることから、経験と感情を共有することに置いて下さい。

相手は自分の鏡であり、悪い感情を向ければすべて自分に返ってきますからね。お年寄りを見下せば、自分が歳をとるのが苦しくなるだけです。必ず感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に接して下さい。

そして自分の話は極力しない方が良いです。特に相手が鬱っぽい人の場合、自分と意見が違うというだけで、自分の意見が否定された=自分の存在が否定されたと感じてしまうものなので。あくまでもインタビューの主役は相手であり、相手と共感し肯定する時にだけ最小限自分のエピソードを話せば良いのです。

相手はあなたに替わってあなたにはできない貴重な経験をして、それを無料で共有してくれて気づき・学びを与えてくれているのですから、無条件で尊敬・感謝すべきなのは当然です。決して否定したり自分の意見で相手の話の腰を折ってはいけません。

そうして感謝・尊敬・慈愛の念を持って真摯に話を聞かせて貰えば、きっと素晴らしい気づき・学びが得られるだけでなく、人を許し愛することを覚えて、愛されて自尊心が高まることでしょう。

鬱で自己嫌悪と厭世観に満ち、希死念慮に陥っている人がモテるわけがありませんが、あなたがおばあちゃんたちの話を聞いてモテモテになれば、きっと若い女性からもモテモテになるに違いありません。人を愛し愛される経験を積めば、自己嫌悪・厭世観・希死念慮など霧散してしまうことでしょう。

そしてこの「人との接し方」はお年寄りだけではなく、あらゆる年代の人に対してもこうあるべき「人間関係の基本」であるということにきっと気づかされることでしょう。


2.自分大好きエピソードを重ねる

あなたはきっと他の大多数の人と同じように、他者評価に捉われていることでしょう。特に日本人は基本的にそのように育てられるのですから仕方のないことです。それは初期設定の課題であり、乗り越えなければ魂の成長はないのです。

他人の評価は一切関係なく、誰が見ていなくても、自分で「この人好きだなぁ」と自分を好きになれるようなエピソードを重ねていって下さい。

今のあなたに言っても通じるとは思えませんが、すべての存在はひとつ(ワンネス)なのです。エゴを動機に行動すると、マグマのように深い部分に自己嫌悪が溜まってどんどん自分を嫌いになってしまうのです。

欲は悪いものですか?に書いた通り、エゴをなくせば良いという話ではないのです。愛とエゴは磁石の両極のようなものであり、片側だけでは存在し得ないのです。何かを求める(他者の必要性がある)からこそ、それを満たすことで愛は生まれるものなのですから。

エゴで反発し合って嫌な人を排除しようとしても、それは磁石を削り落すのと同じでどんどん己を小さく孤独にしていくだけです。

人と人がぶつかり合うのは、必ず磁石の同極同士のようにエゴがぶつかり合うからなのです。

だから自分を好きになるには、相手のエゴという極に対し愛という極を向けることです。一切結果(見返り)を求めず完全に無償で自分のエゴより少しだけ相手のエゴを優先して満たしてあげるというエピソードを重ねることです。それが愛ですからね。

具体例として僕のエピソードを話しますね。

全財産を放棄してホームレス乞食を始めた頃、乞食の調子が良くなくて、晩御飯代を稼ぐのに3時間ほどかかったことがありました。ようやく手にした数百円分のレアルを手にして晩御飯を食べに行こうとしたところ、創造主の声を聞きました。「それを全部乞食にあげてごらん。きっと素敵なものが手に入るよ」と。

僕は「えーっ」と思いましたが、ご飯屋さんへの道の途中で僕と同じ歳の日系ブラジル人の乞食友達に会い、まだ晩御飯を食べれてないというので、創造主に言われるがままに持ち金を全部彼に渡してしまいました。彼は驚き「え?真也さんのご飯はどうするんですか?」と聞いてきたので、笑いながら「あ、僕は一か月とか断食したことあるし、一食抜くぐらい全然余裕だから」と答えました。

すると彼は泣きながら土下座して「ありがとうございます!このお金はいつか絶対返します!」と言いました。しかしアル中の彼は結局そのお金で酒を買い、翌日会ったらまた土下座して謝ってきたのでまた笑いました(笑)

まぁでもそんなことは僕には関係ないのです。僕は彼から感謝してもら貰おうとか、お金を返して貰おうとか、何か見返りを求めてしたわけではありませんからね。

またあなたや読者さんからの他者評価が欲しいために良い人アピールがしたくてこのエピソードを書いたわけでもありません。だからあなたや読者さんがこの話を信じず評価しなくても僕にとってはどうでも良いのです。

この話の大事なところは、僕自身が「なんてヤツだ。彼にどんな欠点があって過去にどんなに罪や恥を重ねていようとも、こんなことができる彼が悪い人間のわけがない。僕は彼が大好きだ。彼はきっと多くの人を幸せにする人間に違いない。絶対に生き延びるべきだ」と、自分自身を大好きになれたことなんですね。創造主の言っていた「素敵なもの」というのが「自分のことが大好きである」という「揺るぎない自尊心・自己肯定感」だったのです。誰からも評価されず誰に否定されようと、僕は僕自身を好きでその価値を知っているから関係ないのです。

もちろんその時はただ創造主に言われたからやったことなのですが、人のために何かをすると、それを例え相手にも誰にも評価されず何の見返りがなくても、自分で自分を好きになれる「自尊心」という最大の見返りが即得られるということが実感を持ってわかったので、今ではそういう一切結果(見返り)を求めず人に奉仕する(エゴを乗り越えて愛を発揮する)「自分大好きエピソード」を日々自発的に重ねているのです。

鬱というのは自尊心の病であり、人は鬱状態に陥ると、反芻思考で何度も嫌なエピソードだけを選択的に繰り返し思い出して自分も他人も世の中も全部嫌いになる高速回路みたいなものができあがってしまいます。その高速回路を断ち切って自分を救い出してくれるもの、それがこの「自分大好きエピソード」なのです。あなたの過去にそういうエピソードが一つもなくても、これから一つ一つ積み上げていけば良いのです。どんどん目の前の人に無償で親切にして、困っている人がいたら助けてあげて下さい。

誰でも自信満々になれる方法にも書いてますが、能力とその他者評価を高めることで自信を持とうとしても無理なのです。器の大きいポジティブな人間になりたいのなら、もっと人を無条件で愛することです。出会った人に対して例外なく慈愛・思いやりの心を持つことです。

コミュ障の人と接して感じる事は、コミュニケーション能力以前に愛(思いやり)に欠けていて、自分の都合ばっかり考えてエゴに埋没しているということです。そしてまたそれを当たり前だと思っているのか、自分には愛(思いやり)が欠けているという自覚もなく、相手の気持ちを考えずに相手が嫌がることをして嫌われるんですね。そして他者評価に依存しているがゆえに嫌われる度に逐一深く傷ついて自尊心を持てず精神的に引きこもっているのです。

コミュニケーション能力なんかより愛(思いやり)を育てることの方が大事です。心に愛(思いやり)がなくコミュニケーション能力ばかり高くても、きっと自己利益の為に相手を利用することしか考えない人間になり、結局は誰からも愛されず不幸になっていくのです。愛(思いやり)の心を育てるということは、エゴ(欲)とは何か?」に書いた通り、エゴを乗り越えて愛を発揮する(自分のエゴより相手のエゴをほんの少しだけ優先して満たしてあげる)経験を積むことなのです。


3.浄霊し、カルマを軽くし、己の信心(感謝の心)を育てる

これについては悪いカルマの解消法に既に書いていることなので割愛します。

あなたはあまりスピリチュアルなものを信じない方なのかも知れませんが、半信半疑でもとりあえず信じてやってみる、という姿勢がなくては、今あなた自身を不幸にしているあなたの常識に捉われたままになり、成長する機会が一切なくなります。

とりあえず信じてやってみて悪い結果になっても、必ず経験は手に入ります。そして経験(それを感じる感情)こそが僕らが生まれてきた意味であり価値なのです。

人間は成長のために敢えてわからないことだらけに創られているのですから、何も信じずに生きるということは不可能です。何も信じていないという人は自分が自分の勝手な常識を信じているだけであることに無自覚なだけです。そしてその常識というのはスピリチュアルを配した唯物主義・資本主義(金拝主義)であり、エゴのために生きるのが当たり前だという考えであり、それは悪魔教を信奉しているに等しいのです。

何でも疑ってかかる懐疑主義によっては決して真理(愛・幸せ)には至らないのです。まずは経験してみて、実感を通して何が真理で何が間違っているのかを知ることに意味があるのです。真理(答え)に意味があるのではなく、それを求める過程(経験)が真理(答え)を価値ならしめるのです。

創造主は信心というものを価値ならしめるために、あえて神を信じるに足りないもののように環境設定しています。その初期設定の常識に負けてはいけません。あらゆる常識は初期設定であり、それは必ず乗り越えるべき課題を含んでいるものなのです。常識が真理ならあなたという主人公の存在意義はありません。

最後に、あなたの歳の頃の僕もまったくNPC思考そのものでしたから、あなたが今のような状況に陥っている苦しみはよくわかります。しかしそれもあなたに必要な経験だから与えられているのです。同じ苦しみを味わっている人たちに心から同情できる人間になり、いつかきっと主人公として目覚め、周囲の人も主人公として目覚めさせられる本物のメシアになって下さいね。

それでは、あなたがあなたの望み通りポジティブで器の大きい人間になって、幸せになることを心から祈っています。

2023年9月13日水曜日

愛の条件を外すには?

【質問】30代・男性
自分を愛するとはどういうことですか?色々調べたのですが腑に落ちません。自分に対しての条件付けをするから、他人に対しても条件付けをしてしまう。自分を愛せないから、他人を愛せない。こういう条件を外せる方法はありますか?

【回答】
ご質問ありがとうございます。僕の悪い癖で、後回しにしている間に回答がとても遅くなって申し訳ありません。

まず多くの人が「愛とは何か」についてぼんやりとしか考えておらず、ほぼ確実に誤解しています(それも初期設定通りで当たり前のことなのですが)。「愛」を「すごく好き」ぐらいの意味に捉えていて、「すごく嫌い」の対義語のように考えているのです。それで愛=性愛・家族愛のようにイメージしてしまっているのですね。

しかしそのような「二元的で条件付きの愛」というのは「エゴ」であり、それを「愛」だと勘違いしてしまっているところが、人間に初期設定された苦悩の元凶であり課題(無明=愚かさ)なのです。エゴというものは満たそうとするほどに肥大し、ますます渇いて永遠に満たされることはなく、とても苦しいものです。

人間は誰しも例外なく幸せになりたいように創られているのに、己のエゴを愛と勘違いし、エゴの充足を求めてばかりで永遠に満たされないという餓鬼道に陥り、魂(心のコンパス)が本当に地獄に向かってしまっているのです。


あなたの認識世界にいるNPCたちは、常識通り周囲の人達と同じようにエゴ(自己保存=我欲と保身)を満たそうとするために生き、死ぬまで決して満たされず、自ら愛より遠ざかり続けてしまっています。そこで主人公(勇者・メシア)たるあなたが本物の愛に目覚め、それを目の前から世界の隅々まで指数関数的に連鎖させてすべての魂を救うところが、人生というRPGのシナリオの骨子なのです。

最初からみんなが愛に満ちていたら物語は生まれず愛に価値は生じないのです。経験というのはすべてが二元的に創られたこの世界の両極を経験して感じることができるものであり、「存在」の意味(意義)・価値が生じるのです。

世界の真の姿は一つ(ワンネス)であり、自分や他人というのは幻の如きもので、本当はその境界線などは存在していないのです。僕らに与えられた自意識・分離意識・自己同一意識と個性が自分と他人とを別な存在だと認識させられているだけです。それがなければ人生という物語は生まれようがないのです。

そしてエゴの歯車の回転(我欲と保身→欲望充足と安心の確保)のために日々好きでもないのにやらねばならないことに追い立てられるようにして生きて人生を空費し、何のために生きているかさえわからなくなり、まるで幸せを諦めたかのような人生を送ってしまうのです。もちろん僕もかつてはそうして鬱になって死ぬことばかり考えていた脇役NPCの一人でした。

僕らは世界を好き嫌いで二分することにより、その主体者としての「自分(自らの存在は他の存在と分かれたものであるという分離意識)」というものを実感しようという、とても強固な本能が与えられています。それがエゴの本質の一つです。

僕はよく「存在」をトランプに例えます。どんなカードも裏返せば同じ柄であるように、すべての存在は個性を与えられているだけで同一なのです。ゲームに必要だからこそそれぞれのカードに個性が与えらえれているのであって、カードに個性がなくすべてがジョーカー(オールマイティーカード)だったらトランプは成立しません。そしてゲームの中でカードの価値の上下や好き嫌いはあっても、存在としての価値は同一(等価)であり、どのカードが一枚なくなってもトランプは成立しません。それは人間やその他の存在であっても同じ事なのです。

トランプを愛するということはその存在全体を愛するということです。そして自分を愛するということは、存在のすべてを愛するということとイコールなのです。

しかし人生というのは成長の物語であり、愚かで無力なところからスタートしなければ成長は経験することができません。それゆえ人間には光(智慧)の如き魂に、無明の闇(愚かさ)が初期設定として与えられているのです。

その初期設定の愚かさゆえに、人間は他人の個性(欠点や過ち)を責めて見下し価値の低い存在だと思うことで、自分はそれよりは価値のある存在であると思い込もうとします。それゆえに人生というゲームの中で価値が高いように見える人たちを羨んで嫉妬し、他人から価値の低い存在であると見下されることに傷つき、劣等感に苦しみ、自分も他人も愛せなくなるのです。このワンネスの世界において自尊心と他尊心(僕の造語であり、そういう言葉はないと思いますが)は連動し、同時にしか上がらないものなのです。

劣等感をバネにして己の能力を伸ばそうとすることも、若い時は大事なことです。しかしその能力を自己利益のためだけに使っても幸せにはなりません。すべての存在は同一なのですから当然です。本当に成長するということは、己の能力を全体利益のために使うことであり、自分も他人も無条件で愛せるようになることなのです。

完全無欠な存在は他の存在を必要としませんから、愛は生まれようがありません。愛というのは、自分や他人という存在に不完全性(欠けたもの)があり、それゆえに他者の必要性が生じ、それを補いあうことで生まれるものです。それは古事記のイザナギ・イザナミの神話にお互いの余った部分と足りない部分をつなぎ合わせて国土を生み出したという記述に象徴されています。

だから人間の不完全性には本来価値があり、人間の価値に上下などないのです。不完全性こそが愛という最も価値あるものを生み出すからです。しかし愛の価値を経験して知るためには、愛とは真逆の経験をする必要があります。それゆえ人間社会は、他人から何かを補ってもらうのにお金がかかり、より能力が高くてより他人の要望を満たせる人間がよりお金を稼ぎ、他人から何かをしてもらう権利(強制力=愛とは真逆のもの)を得ます。能力の低い人はお金を稼げず、エゴ(欲求)を満たして貰えません。そして人間としての価値まで低い存在だとみなされます。だから欠点や過ちがそのまま価値の低さとされ、みんな己の欠点や過ちを隠して他人の欠点や過ちを責め合って見下し合い、自分も他人も愛せなくなっています。また他人の不完全性・劣等感につけこみ、それを満たせるかのように装ってお金を稼ごうとします。

我々の人生というPRGはそのようなディストピアが初期設定なのであり、それは乗り越えるべき課題なのです。最初から愛に満ちた社会では、愛の価値を経験的に実感することはできません。

そのような初期設定の無明(愚かさ・課題)を乗り越えさせるものが、無条件の愛であり、「愛の無条件化」こそが「魂の成長」なのです。ではどうすれば愛を無条件化できるのでしょうか?

愛とは許しです。自分も他人も許せていないのにいきなり愛そうとするから無理が生じるのでしょう。だからまずは許すことです。ただ「許し」は「我慢」することとは違います。我慢というのは文字通り心を我(エゴ)で満々にすることであり、心の奥底で和解が成立していないのです。そして我慢はマグマのように蓄積するものであり、いつか暴発することが自明なのです。

どんな過ちも、その人なりの宿命(カルマ)があって、やむにやまれずやってしまっていることなのであり、本当はすべての魂が同一なのですから、あなたもその相手として生まれていたら絶対に同じ事をしているのです。それに対する許しがなくては、自分も他人も本当の意味で愛することなどできるわけがないのです。

例えばある人が自分の不幸を親のせいだと考えて許さなかったとします。しかしもしその親のせいでその子供が不幸になったのなら、そういう親に育ったのはそのまた親(祖父母)のせいでしょう。そしてその親(祖父母)がそういう風に育ったのは、そのまた親(曾祖父母)のせいでしょう。その原因追及の連鎖は創造主の天地創造・人間創造まで続くのであり、自分の不幸を親のせいにするということは創造主のせいにしているのと同じ事なのです。そしてそれは自分の親だけでなく、すべての不幸に当てはまり、誰を責めても創造主を責めているのと同じなのです。それでは創造主からの愛を受け取れなくて当然です。そして自分の不幸を他人のせいにして責める被害者意識は成長と真逆のベクトルであり、不幸に導かれるのが必然です。

罪と恥の存在意義に書いた通り、罪や恥というのは許し合うことでより深く愛し合えるよう創造主から愛によって人間にだけ与えられた課題であり、罪や恥・欠点や過ちを理由に人を許さず嫌うのなら、自分のことも他人のことも愛せなくなるのは当然でしょう。

簡単に許せる人を許し、簡単に愛せる人を愛しても成長などありません。許し難きを許し、愛し難きを愛するところに魂の成長があるのです。

会ったこともない他人の悪事をあげつらって人を許さない自分を正当化する人が多いですが、会ったこともない人は完全なNPCであり舞台設定の一部のようなものです。あくまでも実際に会った人を一人ひとり許し愛することです。出会う人はみんな自分の反映なのですから、それを許し愛することで自分を許し愛せるようになるのです。

宇宙の仕組みに書いた通り、あなたはあなたを主人公とする物語の世界の中を生きているのであり、客観的世界は存在しません。偶然は存在せず、あなたが出会うすべての人・出来事は創造主が何か大切なことに気づかせるために送られた愛のメッセージなのです。

どんなに嫌な人・嫌な出来事との出会いもネガティブに解釈せず、「もしこれが創造主からの愛によって送られたメッセージなのだとしたら、どういう意味があるのだろう?」と考えてみて下さい。

誰でも自信満々になれる方法は必ず何度も読み返してみて下さい。「どうすれば愛情を無条件化できるか?」僕の答えはほとんどここに書かれています。

人生は自分を主人公とする映画であり、出会う人はみんな監督たる創造主から派遣された共演者です。その物語に悪役はいても悪人はいないのです。あなたが嫌いな人も、人から愛されたいに違いないのに、あなたに何か大切な事を気づかせるために、敢えて悪役を無自覚に演じさせられているのです。映画には悪役も絶対必要なのです。それを嫌ったり避けたりしていては良い物語になるわけがありません。嫌な人だと思っていた人も実は良い人(仏)でした、というシナリオを成就させて下さい。今まで「嫌い」だった人も「苦手」から「攻略難易度の高い悪役」「レベルの高い悪役」のように言葉を心の中で置き換えてみて下さい。

相手を嫌っていれば、必ず態度に出て相手を疑心暗鬼に陥れ、確実に敵に回し、それは自分に返ってきます。自分自身が鏡のように相手を敵にしているのです。ですから最初はぎこちなくても、あなたが主役の物語に共演してくれている共演者の「存在」そのものに尊敬と感謝の気持ちを持って下さい。本気でそういう気持ちを持つことができるようになってくれば、ぎこちない笑顔も本物の笑顔になっていきます。

例え口論になっても、それはストーリー上(役柄上)のことであり、次に会った時は舞台の楽屋で共演者に会った感じで笑顔で挨拶して下さい。相手は最初面食らうかも知れませんが、気まずい思いをしなくて良くなって内心ホッとするはずです。愛の大切さに比べれば「どちらが正しいか」なんて議論は巨人阪神戦の結果ぐらいどうでも良い事です。酒の肴にはしても、それによって関係性を壊すなんてことはバカバカしいことです。

そして「六波羅蜜」を調べて行じてみて下さい。これはエゴを乗り越える上で大事な人生の修行法です。欲は悪いものですか?に書いた通り、欲(エゴ)は愛のマテリアルですから、自分のエゴより相手のエゴを少しだけ優先できる人間になって下さい。そうすればすべてがうまく行くようになりますから。

楽器の演奏と同じで、最初からうまくはいきませんが、「自分には無理だ」とベクトルを諦める方に向けないで下さいね。反省してはいけないに書いた通り、自分も相手も責めず、最初から完璧にはできない自分も愛しながら、毎日ほんの少しずつでも良いので続けて、日々成長を楽しんで下さい。

出会う人はみんな時間差のある拡大鏡です。あなたが心を開けば世界があなたに開かれます。無条件で出会った人を次々に尊敬し感謝し許し愛せるようになれば、「自分大好き」というパズルがどんどん完成されていきます。どうかあなたも「嫌いな人ゼロ作戦」を決行して、きっと幸せになって下さい。

2023年8月30日水曜日

友人の生き霊

 【質問】20歳・女性
はじめまして。突然のメール失礼致します。個人的な相談で申し訳ないのですが、アドバイスをいただけると嬉しいです。

とある友人に最近すごく好かれていて困っています。その友人はニートでポンコツといわれるようなタイプで、私以外に友達がいないようです。あまり意志みたいなのがなく、全てのことに口だけで同調してくることに強い違和感を感じ、ひょっとしたら魂がないのでは?という感覚があります。ちょうど真也さんのnoteで人間は幽霊の集合体だという話を読んだ後だったので、その子自体が幽霊みたいに思えてきて怖くなりました。

友人は人格的に少し気になる部分があってもともと私が好きなタイプの人ではありませんでしたが、音楽の趣味なども合って楽しかったですし、私しか友達がいないと言うので私も仲良くしてあげたいと思っていましたし、悪い部分は指摘して直してあげようみたいな気持ちでいて、何度か一緒に遊びました。

しかしそれから私自身最近不安定な気持ちになることが多い気がして、もしかしたら友人の生き霊が取り憑いたりしてる(または今後取り憑かれたりする)のではないかと不安になっています。その友人と会うようになった期間で、私の付き合う直前だった恋愛が突然終わってしまったり、気分の波があり鬱っぽい状態になったり、大事なことに気をかけれなくなったりしました。

その友人は以前にも精神を病んで除霊を受けたことなどもあるそうで、それも気になります。私の元彼がすごくスピリチュアルに生きてるタイプの人でエネルギーなどに敏感なのですが、彼も最初からその子に違和感を感じていて触れたくもないと感じていたそうです。またその友人の元彼も付き合っていた期間は怒りのエネルギーが強くあって、おかしくなっていたそうです。

私は信心などはありません。

とりあえずその子とは会わないと決めたのですが、どうにかしてあげないといけないのかもという気持ちも少しあります。こういう場合はどうしたら良いでしょうか?ご教示いただけると嬉しいです。よろしくお願い致します。

※個人が特定されるような情報は真也側で省いて要約してあります。

【回答】
ご質問ありがとうございます。そもそもここは個人的な相談を受け付けるための場ですので、大歓迎です。

「困った人に依存され大変な思いをする」という経験は多くの人に共通してあると思います。もちろん僕もあります。ので、お気持ちはよくわかります。

あなたは誰も友達がいないような人から頼りにされ、たくさん嫌な思いをさせられてもう会わないことを決めてさえも、その友人のことを心配し、それで思い悩んでご相談までなさっているわけですから、きっととても心根の優しい天使なのだと思います。

かつての僕もその友人のような人たちに対して逃げ腰だったのですが、今の僕はそういう人たちこそ救いが必要だと考えていますし、覚悟を決めていて絶対に引きずられない自信もあるので、逃げることはありません。基本的に「去る者は追わず、来る者は拒まず」です。それはこの世界の本質(仕組み)を知れば、当然の帰結です。偶然は存在せず、全ての出会い・出来事には意味があって創造主より与えられているのですから。

まだ信心のないあなたに僕が信心を根拠にしてこの世界の仕組み(本質)について話すのはとても難しいのですが(そもそもあなたが神の存在は信じていないのに悪霊の存在は信じて恐れているというのは本来おかしな話なのですが)あなたは基本的には僕を信じて下さっているからこそ僕に相談して下さっているのだと思いますので、あなたの中に眠る信心の種を信じてお話しさせていただきます。今のあなたにはとても信じられない・受け入れがたい話ばかりになるかも知れませんが、どうか最後までついてきて下さいね。

あなたにはまず憑依体質の存在意義を読んでいただきたいです。そして宇宙の仕組みにも書いた通り、この世のすべては素粒子=波動=霊的思念=創造主の思念でできているのです。それはトランプを裏返せばみんな同じ柄であるようなものです。

すべての存在が霊(霊的意思)でできているのですから、あなたが霊を怖がるのは、霊が霊を怖がるようなもので、それも本来的に言えばおかしな話なのです。

人間の体は霊の容器でありクッキーの型の如きものなのです。そして霊障とはネガティブな霊(霊的穢れ)の現れなのです。それは霊というものの現れ方のごく一部であり、霊自体を単純に何か恐ろしい幽霊・怨霊のようにイメージして怖がらないで下さいね。

あなたもその友人も重いカルマを背負っているようです。ただカルマというのは前世の罰のようなものではなく、創造主の愛によって与えられている魂成長のための課題であり、誰でも例外なく背負っているものです。そしてそれが人生というシナリオの伏線を成しているのであり、僕らは成長・愛の物語を紡ぐために、カルマを乗り越え続けなければならないのです。

「なんでそんなことをしなくちゃならないの?」と思われるかも知れませんが、成長も愛も何も経験できずに存在だけが永遠に続くなどということがあなたに耐えられるでしょうか?あなたは間違いなく望んでこの世界を創り、すべてを忘れた上でこの世界に生まれてきたのです。

そのカルマを形成しているのが霊障(霊的穢れ)です。そして日々霊的な穢れを祓っていくことが魂の成長につながり、より良いシナリオを選択することにもなるのです。それは悪いカルマの解消法に書いた通りです。

バイオハザードでゾンビが出て来なくなったらゲームになりません。そして主人公がゾンビを恐れ、世の中と自分の境遇を嘆き、ゾンビウイルスを作ったアンブレラ社やゲームを作ったカプコンを責めてもゲームは進みません。人生というゲームも主人公である自分が霊障・生き霊などを恐れて逃げ回っていては進まない(魂が成長しない)のです。

人生は魂成長のためのプログラムですから、成長するほど人は幸せになり、成長と逆方向に進めば(与えられた課題から逃げ続ければ)不幸になるようにこの世は創られています。それは創造主の意地悪ではなく、自分で気づいて自発的に努力しなければ魂の成長はないからです。

人生は主人公である本人の解釈次第に創られていますから、与えられた苦難(カルマ・課題)を罰や意地悪のように解釈すれば、本当に罰ゲームのような人生になってしまいます。だからどうか恨まないで下さいね。そして創造主がいったいあなたに何を気づかせ(覚らせ)どのように成長して欲しいのか、出来事や出会いを通じて与えられる愛のメッセージに気づいて下さい。

「運命への呪い」に書いた通り、被害者意識というのは成長を阻害する最たるものであり、あなたが自分の不幸を「友人の生き霊のせいだ」と考えてその友人を避けるというのは得策ではありません。それは成長とは真逆のベクトルなので、不幸に導かれるのが必然です。因果というのは時空を超えて循環するものであり、その友人の生き霊のせいにするあなたの被害者意識が生き霊を本当に実体化させ、あなた自身を苦しめているのです。

人生という学校において、創造主は我々にそれぞれのレベルにあった課題を与えているのであり、その人に絶対に乗り越えられない課題というのは与えられないのです。そして課題を与えている側の創造主が答えを教えたり、課題を解決してしまっては意味がありません。あくまで我々が自発的に課題に気づいて、自発的に成長し、人生という自分だけの物語を作り上げていかなければ意味がないのです。

あなたに今言っても通じないと思いますが、すべての存在は一つ(ワンネス)であり、それゆえに人間関係というのは完全な鏡なのです。そして人生における課題というのはRPGと同じように常に人や出来事との出会いを通じて与えられるものであり、「自分に与えられている課題は何か?」というのを、自分に似た人と出会わされることでその人を鏡として気づかされるようになっているのです。

我々が最初からワンネス(相手も自分自身である)を完全に意識できてしまっては物語は生まれようがないので、我々には分離意識(自分と他の存在は別のものである)と個性(欠点や過ちを含む)が与えられているのです。

そして我々はお互いに欠けたものがあるからこそ、お互いの存在を必要とし、満たし合うことで愛は生まれるのです。欠点や過ちを許し、補い合うことが魂の成長であり、欠点や過ちを責めてそれを理由に人を嫌ったり避けたりするのは、成長とは逆のベクトルであり、不幸に導かれるのが必然なのです。

簡単に許せる人を許し、愛せる人を愛しても成長はありません。許し難きを許し、愛し難きを愛するところに成長があるのです。そうすることで自分を許し愛せるようになって幸せに導かれるように世界は創られているのです。

我々が嫌だとか許せないとか思う人は、必ず自分自身の嫌で許せない部分を投影した存在です。人間関係は完全な鏡なのは前述の通りですが、それは時間差のある拡大鏡であり、我々の本能(分離意識)は、相手が自分自身であるわけがないという証拠(違っている部分)を集め、そこを嫌って責めるように創られています。

しかし創造主はあなたにその友人との出会いを通じて、あなたの課題(カルマ)に気づかせようとしてくれているのです。その時間差と拡大率の高さゆえにあなたはその友人が自分の鏡だなどとは絶対に思いたくないと思いますが、よくよく考えてみて下さい。

あなた自身もその友人と同じように霊障の影響を受けやすく(精神を病みやすく)、臆病でネガティブな思い込みが強く、若干ポンコツ気味(ADHD的)で意思が弱く、人に心を開けず、依存体質で被害者意識が強く、仕事や友人関係や家族関係や恋愛もうまくいっておらず、自己嫌悪感や厭世観が強いのかも知れません。

それはあなたの元々の性格の問題ではなく、霊障に犯されると人はみんなそのようになりますし、それは多くの人に共通した課題ですから、もしそうでも(そうでなくても)落ち込んだり怒ったりしないで下さいね。目覚める前の僕も思いっきりそうでしたし、スターシードはそのような兆候があるのが普通ですから。あなたや誰かが悪いのではなく、自分に与えられた課題だと認識して下さいね。

そして課題(カルマ)というものは、乗り越えるべきものであって、必ずしも解決すべきものではないのです。それは「問題は解決しなくていい」に書いた通りです。問題を許し、愛することができれば、問題は問題にならなくなります。苦手な相手は拡大鏡なんですから、許し愛することができればその倍率で自分自身を許し愛せることになるのです。

出会う人は自分自身の投影なのですから、その一人ひとり許し愛せるようになることで「自分大好き」というパズルが完成していくような感じになります。そのパズルが進むごとにどんどんカルマは解消されて幸せになっていくように人生は創られているのです。

霊障には時空は関係なく、物理的に逃げたからといって、逃れられるものではないことはあなたも実感しておられることでしょう。対抗手段なく放っておけばどんどん増殖しますから、愛と勇気を振り絞って早めに立ち向かった方が良いのです。夏休みの課題と同じで放置して逃げれば逃げるほど苦しくなり楽しいはずの夏休み(人生)が目減りしてしまいますからね。逃げ道があるかも知れないと考えるから怖くなるのであって、立ち向かう以外にないとわかれば腹が据わります。

ただ僕が「絶対に逃げてはいけない」とあなたを追い詰めているように勘違いしないで下さいね。ゲームでも自分が弱っている時に強敵と遭遇したら逃げるのが賢明です。実際そのご友人は今の状態のあなたに手に負えるレベルではない感じがしますしね。でもいつかは立ち向かわなければならないのだということだけ理解し、傷ついた自分をいたわりつつ成長を続けてさえいれば大丈夫なのです。ただ生涯逃げ続ける方向にベクトルを向けないで下さいってことです。それではいつまでたっても成長せずクリアできませんし、不幸に導かれるのが必然なので。

人生は経験を通じて愛とは何かを知るために与えられているものです。愛は経験を伴わなければ概念に過ぎません。いきなり自分を許そう愛そうと思っても許せませんし愛せません。出会った人を一人ひとり許し、愛していくことで、自分自身を許し愛せるようになるのであり、それは「罪と恥の存在意義」に書いた通りです。

あなたが恐れる幽霊というのは、被害者意識から逃れられず、誰かを恨み続け、成長を拒否することで不幸な人生を送り続けた魂のなれの果てであり、それが自分に似た波動を持つ人間に憑りついて、自分と同じように被害者意識に陥し入れて、誰かを恨ませ、自ら地獄に落ちる仲間を増やし、強制的に同情させようとしてくるのです。


主人公であり天使であるあなたはその幽霊(霊障)に負けて自分も幽霊のようになってしまってはいけません。人間関係は鏡ですから、その友人が幽霊のように見えるならあなた自身もそうなりかけているということです。だから霊障に犯された人に心から同情し許し愛することで真の幸せに導き、霊障ごと成仏に導いてあげてください。

日々心身を清めて魂を成長させ、心の波動を常に高く保ってその負の連鎖を断ち切り、ポジティブな(愛の)連鎖を目の前から起こしていかなければならないのです。

そして信心がなくては霊障とは戦えません。自力で霊障を解決などできるわけがないのです。あなたは対抗手段がないから恐ろしくなり、逃げるしかなくなっているのです。「悪いカルマの解消法」をよく読んで、信心を起こして霊障を解決して下さいね。

神々はあなたに信心を起こして頼って欲しいのですが、それは自発的でなければ意味がないので、あなたに霊的な苦難を与えているのです。あなたの周囲はきっと神を信じるなんて馬鹿げているという感じで信心のない人ばかりでそれが当たり前になっているかも知れませんが、そういう状況だからこそ信心には価値があるのです。そしてだからこそあなたはそういう状況にあるのです。その苦難に負けずにどうか信心を起こして下さいね。


>私しか友達がいないと言うので私も仲良くしてあげたいと思っていましたし、悪い部分は指摘して直してあげようみたいな気持ちでいて、何度か一緒に遊びました。

お気持ちはよくよくわかるのですが、相手を変えようと思ってもうまくいかないように人生はプログラムされているのです。常に「変わるなら自分から」であり、自分が変わればすべてが変わるのです。

「反省してはいけない」に書いた通り、悪い思考・行動をやめられない人というのは、それを悪いと知らないからやめられないのではなく、自尊心が下がっているから「どうせ自分なんて」と思ってやめられないのです。逆に自尊心さえ上がれば、思考と行動がポジティブになって自発的にネガティブな思考や行動は控えるようになります。

欠点や過ちを指摘して直させようとすることは相手を傷つけ自尊心を下げて逆効果になるだけです。人は自分なりに失敗もして試行錯誤して納得して前に進みたいようにプログラムされているのであり、尋ねてもいないのに他人から答えを教えられると反発するようにできているのです。答えに価値があるのではなく、答えに至る過程(経験)が答えを価値ならしめるということを覚えておいて下さい。

相手の自尊心を上げるということは、思ってもないお世辞を言ったりすることではありません。あなたが主演の映画に共演者として出演してくれているのですから、ちゃんとリスペクトして存在に感謝し、欠点や過ちを許し、愛することです。そしてそれを態度で表すことです。相手を避けることなく(無理に追いかけず)出会ったら決して嫌な顔をしないで心からの笑顔で挨拶することです。最初はぎこちない作り笑顔になっても、心から笑顔になれるように考え方を調律することが大事なのであり、作り笑顔をすることが本質ではありません。


笑顔というのはみんなが思っているより遥かに大事なものなのです。会った時に笑顔でいるだけで「この人に愛されている」「自分の存在が認められている」「自分はここにいて良いのだ」という愛・存在の承認・肯定が伝わるのです。心からの笑顔ほど、相手の自尊心を上げるものはないのです。

>あまり意志みたいなのがなく、全てのことに口だけで同調してくることに強い違和感を感じ、ひょっとしたら魂がないのでは?という感覚があります。

魂がない人はいません。まだお互いに心を開けていないだけだと思います。だからとにかく相手の話をよく聞いて下さいね。内容が正しいかどうか・重要かどうかではなく、創造主が何に気づかせたくてあなたとその言葉を出会わせたのかを考えて下さい。心が弱っている人というのは自分と違う意見を言われただけで自分を否定されたように感じてしまって傷ついて話を聞けなくなりますから、そういう人には自分の意見を言うことなく、ひたすら聞きに徹して下さい。

徳川家康の言う通り、人はつまらない話も真剣に聞いてくれる人に大事な話をするものであり、こちらがつまらないと感じるような話を相手がしてくれたら、その人と仲良くなるチャンスなのです。

正しいことを言えばいうほど相手は傷ついてこちらを嫌ってくるでしょう。みんな嫌いな人の言うことには逆らいたくなりますから、こちらの言うことが正しければ正しいほど相手をその正しさから遠ざけることになります。だから正論というのは悪なのです。

人というのは愛より正義(何が正しく何が間違っているか)を優先してしまって、それゆえに他者とぶつかるように初期設定されているのです。だから常に正義より愛を優先させて下さい。それが成長のベクトルなのであり、初期設定(常識)のままに思考・行動しては成長はないのです。

例え他人とぶつかっても、それは物語上(役上)のことであり、次に会った時は楽屋で共演者に会ったかのように笑顔で挨拶して下さい。相手は最初面食らうかも知れませんが、気まずい思いをしなくて済むようになって内心ホッとするはずです。どちらが正しいかなんていう議論は「巨人と阪神のどちらが強いか」みたいなもので、酒の肴にはなったとしても、それによって人間関係を壊すようなものにしてはならないのです。

その友人は友達が全然いないということは、自分の存在を肯定できていないということでしょう。あなたが肯定してあげないで、誰が肯定してあげるのでしょうか?天使であるあなたに与えられた偉大なる使命に気づいて下さいね。すべての出来事・出会いには意味があり、他の人がやらないことは、主人公であるあなたがやらなければならないということなのです。そしてあなたを必要としてくれる人が、あなたに存在意義を与えているのです。

それではあなたの幸せを心から祈っています。参照が多くて申し訳ありませんが、「誰でも自信満々になれる方法」は必ず読んで下さい。出会った人を一人ひとり例外なくリスペクトし、存在に感謝し、欠点や過ちを許し、心からの笑顔で承認して愛することで、「自分大好き」というパズルを完成させて幸せになって下さいね。

2023年8月4日金曜日

真也への個人的質問(まとめ)

旧質問箱の僕への私的な質問のまとめ(ショートのみ)です。正直言って「それ聞いてどうするん?」って思うような質問も多く(笑)、恐らく質問箱運営のBOT質問も含まれていると思います。僕は僕個人より覚りの内容に関心を持っていただきたいのですが、質問していただけること自体はありがたく、読者の方にも楽しんでいただけると幸いです。追加があれば随時更新します。どんな質問でも歓迎しています。

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Q:師匠みたいな人はいますか?
A:人はいません。師匠は創造主です。全ての存在は創造主の分身であり、常に出来事から何か大切なことに気づかせようとしてくれています。誰かとてつもなく悟りを開けている人に弟子入りしたい気持ちは正直少しだけあるのですが、それは甘え(NPC思考)であり、僕には許されていないようです。そんな人と出会いそうな気配すらありませんからね。

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Q:アヤワスカで怖くなった時はどうしていますか?
A:もう700回ほどやってますが、一度たりとも怖いと思ったことがありません。一度死んでいると執着がなくなるので怖いものナシになります。アヤワスカでチャレンジャーが怖がってもその気持ちを真に理解できず、「すごい経験をしていてうらやましい」としか思えず心から同情できないのが難点です。

Q:覚りは創造主が直接教えてくれた方が簡単だと思うのですが、なぜ真也さんを通じてみんなを覚らせようとしているのでしょうか?
A:全知全能の創造主が直接やったらお話になりません。課題を与えている側が問題を解決したら課題を与えた意味がありません。あなたも目覚めればきっとみんなを目覚めさせる役割が与えられることでしょう。

Q:何か国語話せますか?
A:日本語の他はポルトガル語と英語を多少話しますが、語学の才能は悲しいほど全くないです。長年ブラジルにいるのですが、僕の発音・イントネーションが絶望的に悪いので、知っている単語を並べても全く通じなかったりします。一応日常生活で必要なことはだいたい伝えられるようにはなっていますが、ネイティブ同士の会話には全くついていけていません。

Q:どんな音楽が好きですか?
A:洋楽・邦楽問わずロック・ポップスが好きです。ここ数年はBABYMETALが多いです。アヤワスカを覚えてからは儀式で使われるマントラの曲・讃美歌などが大好きになっています。日本にも紹介できたら嬉しいです。YouTubeにプレイリストがあるので是非聞いてみて下さいね。

Q:何か楽器はできますか?
A:ほぼ何もできません。音楽の才能についてはカスです(笑)

Q:弟子はとっていますか?
A:とっていません。希望者がいてもお断りしています。今後も取りません。上下関係を作るのが嫌いですし、相互依存になっては修行にならないからです(修行は死ぬまで続きます)。対等な関係でのソウルメイトは常時募集しております。

Q:私もブラジルで一緒に修業できますか?
A:短期なら大歓迎ですが、僕がお世話をさせていただくのは長くても3週間が限度です。ブラジルは物価が高いので生活コストも高いですし、治安も良くなく、日本語も英語もほぼ通じないので言語の壁も高いです。ビザは3カ月以内なら要りませんし、+3カ月で6カ月に延長できますが、それ以上になると結構大変です。ポルトガル語は必須ですし、こちらで働ける予定がまだないのでしたら、ブラジル国籍の人との結婚やブラジルでの出産がないと厳しいと思います。

Q:電話で相談できますか?
A:大歓迎です。時差が12時間あるので、予定を合わせましょう。

Q:どうすれば悟れますか?
A:僕も究極の悟りに至ったわけでは全然ないのですが、ご自身の悟りを進めたいのでしたら悟りとは何か?をご覧下さい。

Q:ブラジルの食事は合いますか?
A:結構おいしいものが多いですよ、ブラジルは。フルーツは安くて種類も豊富で美味しいです。アサイーのアイスは中毒かってほど食べます。ブラジルのお菓子は甘すぎるのが多くて苦手なんですが、誕生日ケーキはいつも日系のお店で買います。料理ではムケッカっていうバイーア地方のデンデ油を使った魚介類の料理が大好きです。ブラジルに来たばかりの頃は、食事にほぼ必ずついてくる豆(フェイジョン)や、ファロッファっていう芋の粉があまり好きじゃなかったんですが、今は大好きです。フェイジョアーダって豆料理は脂っぽくて苦手なんですが、ベジタリアンバージョンのは凄く好きです。でも自宅で食べるのは専ら日本食です。日本の食材が簡単に(高いですけど)手に入るのがサンパウロの良い所かと。

Q:目覚める前はどんな性格でした?
A:うーん。いつも人や世の中を斜めから見てましたね。エゴのために悪いこともしてましたし、目立ちたくないのに悪目立ちして、友達に呆れられるぐらい人間関係でのトラブルが多かったです。根暗でネガティブで、罪と恥も感じやすくて凹みやすく、消極的な性格だったと思います。長い間半ひきこもり状態で寝てるかネットサーフィンするかみたいな生活でした(今もネット好きでオタク気質です。アニメとかアイドルとかゲームにはあまり興味はないですけど)。長年の鬱で欲が下がっていたので、ガツガツはしていませんでしたが、己に埋没しているという意味でエゴが強かったです。元々体育会系(格闘技)で年功序列的な意識も強かったですし、失礼な人がいるとすぐブチキレてました。手を出すまで行くことは殆どありませんでしたが、内心キレやすくてすぐ人を避けていました。ADHD的なところは今も変わりません。あまり時間に追われることがない生活なので目立ちませんが、忘れ物が多いのは今も大変です。ブラジルだとそのまま盗られちゃうことが多いので。

Q:自分の体で好きなところは?
A:覚醒以降の自分の目が好きです。

Q:何がきっかけで覚醒したのですか?
A:きっかけは自殺未遂ですが、自殺すれば覚りが開けるかのように誤解する人がいるのであまり詳細は語りたくないです。因果は超時空的に循環するものであり、創造主は僕が救われたらみんなを救う存在を目指すと知っていたから、救ってくれて覚りを与えて下さったのでしょう。

Q:アヤワスカがなかったら、今の真也さんの性格になっていたと思いますか?
A:はい。なっていると思います。
僕の人格は覚醒時に完全に入れ替わるレベルで変わってしまい、その後は基本的に変わってないです。アヤワスカには覚醒して数ヶ月後に導かれるようにして出会いました。アヤワスカとの出会いには本当に感謝していますし、素晴らしいものだと確信していますが、僕の人格の基礎はアヤワスカによって形成されているわけではありません。アヤワスカに期待過剰になっている人が多い感じがするんですけど、アヤワスカを飲めば覚れるとか、人生の諸々の問題が解決するとか、そういうものではないです。もちろん精神病や依存症が解決したり、性格がエゴから解放されて利他的に変わる人もいますけどね。アヤワスカは苦しみの元になっている自我からの解放を長年の苦行もなく仮経験させてくれて上位次元の世界を垣間見せ、上位次元の存在からの導きを得やすくしてくれるものであり、実際に救われるかどうかは本人の資質とシャーマンの力量次第です。他所ではかえって悪くなる人もいると聞きます。

Q:理由もなくイライラした時はどうしますか?
A:イライラする時は必ず理由があるので、理由もなくイライラすることはありません。
創造主はこちらが何に対して一番腹を立てるか全部知った上でピンポイントに攻めてきますし、修行が進めばその分攻め方もキツくなるので、全くイライラしたり怒ったりしなくなるわけではありません。「愛と勇気」を試すには「怒らせるか不安にさせるか」しかないのです。

Q:今まで一番お金をかけてきた趣味は?
A:一番はカメラですかね。写真は一時期仕事でもありましたが。覚醒後に全部手放しました。今もほんの少し未練があって、Fujifilmの新製品なんか出ると記事を読んじゃったりします。

Q:別れた相手と友達に戻れますか?
A:ケースバイケース。基本的に無理ですが、たまーに連絡を取る仲の人もいるにはいます。

Q:シャーマン歴はどのぐらいですか?
A:心からの信心に生き、それなりの宗教的研鑽を積み、たくさんの人を救いに導いて、人からシャーマンと呼ばれる人がシャーマンなのであって、自称するようなものじゃないと思っています。僕は自分をシャーマンとは思っていませんし、客観的に見ても仲間内のごく少人数の儀式しか主催していないので、シャーマンとは言えないと思います。幻覚剤を調達して偉そうにしながらお金儲けするだけの自称シャーマンにお気をつけ下さい。シャーマンを自称する時点で偽物と断定して差し支えありません。

Q:今年の内にチャレンジしたいことは?
A:宗教・スピ的なこと以外だと語学ですかね。ずっと先延ばしです。苦手です。

Q:真也さんに会うことはできますか?
A:サンパウロに来ていただければ会えます!お会いできるを楽しみにしています。

Q:今まで有名人に会ったことはありますか?
A:長年ブラジルにいるのであんまりないです。「見たことがある」って程度の「会った」ならそれなりにいますが、ちゃんと会話したとかのレベルならほぼ格闘技界に限られます。K-1とかPrideとか好きだった人なら「あー」ってなるような方々。あんまり個人名は出したくないです。そういえば先日Braking Downで人気を博してブラジルに逃亡してきた(という設定の)人が儀式を受けに来てくれました。それ以外だと現役大臣二人に仕事で会ったことがあります。

Q:自分に矛盾を感じることはありますか?
A:覚醒前は矛盾だらけでしたが、今は感じませんね。常に本音で話していますし、僕が覚らされている真理には完璧に一貫性があります。逆に僕のnoteや質問箱やツイッターを見て矛盾を感じるところがあったらご指摘下さいませ。ウザくなるぐらい全力でご説明します(笑)

Q:今一番会いたい人は誰ですか?
A:一番は決められないです。言ってもここの読者は知らない人でしょうし。有名人で会ってみたい人はパッと思い浮かびません。臨死体験者の木内鶴彦さんとか会いたいですが、一番かと言われるとちょっと微妙です。聖者と呼ばれる人たちにはみんな会ってみたいです。

Q:どんな洋服を着ている人にグッときますか?
A:洋服を着てない人。

Q:友達だった人が恋人候補に変わる時はどんな時?
A:元々意識してなかった人を意識するようになった経験はないです。

Q:どこに住んでいるのですか?
A:三年半ホームレスで、友人の家やアヤワスカの家を転々としたり、バスターミナルとか銀行のATMで寝たりしていましたが、2023年は日系の団体の施設に住み込みでバイトしています。金稼ぎの仕事をするつもりはなかったのですが、色々あって成り行きで。今は運命だと受け入れています。

Q:守りたいものは何ですか?
A:みんなの魂。

Q:注目している人はいますか?
A:イーロン・マスクですかね。彼が創造主から与えられている役割が気になります。

Q:キュンとくる異性の匂いは?
A:中学校の頃のプールの後の教室の匂いですね。今思い出してもキュンとしますが、今それを実際に求めたら変態ロリコンになってしまうので来世に期待です(笑)

Q:何でも話せる友人って何人ぐらいいます?
A:覚醒後の僕の話は友人に理解できるものではないので、何でも話せるとしたら創造主のみです。

Q:理想のプロポーズは?
A:考えた事ないです。

Q:いつもだいたい何時間寝ますか?
A:儀式が夜通しなこともあり、睡眠時間は一定じゃないですが、一日平均8~9時間ぐらいは寝てるんじゃないかと。ナルコレプシーなので、ちゃんと寝てないとすぐ寝落ちします。柔術を練習した日の夜は10時間ぐらい寝ます。

Q:最後に泣いたのはいつですか?
A:儀式では不意に涙が出ていることがよくあります。それ以外はあんまりないです。目覚めた時は三日間泣きっぱなしでした。人生であんなに泣いたことはないです。

Q:どんな風に告白されたいですか?
A:考えたことがないですし、考える意味がわからず、今後も考えることはないと思います。

Q:暇な時は何してますか?
A:時間が空いてる時もnoteや質問箱やXで発信したり、本やお経を読んだりして常に何かはしているので、純粋な意味での暇はないのですが、忙しいかというとそういうわけでもないです。自分次第という意味で自由な時間が多いので。基本のんびり屋で、焦るのが嫌いです。質問・電話相談・ZOOMやスペースなどのお誘いお待ちしています。

Q:あなたの人生で最も重要な体験は何ですか?
A:覚醒・メシア使命

Q:関わり合いたくない人はどんな人?
A:全ての出会いは創造主より理由あって与えられていると思っているので、自分から誰かを避けたりすることはないです。嫌な性格になっている人ほど救いが必要だと思っています。

Q:アヤワスカをする目的は何ですか?
A:自らの覚りの加速。他の方々の目覚めのお手伝い。

Q:なんでそんなにアヤワスカを飲むのですか?
A:「そんなに」というのはあなたの基準であり、恐らくあなたはアヤワスカに対して「アマゾンに短期旅行で行って1~2回やれば十分なもの」というイメージを持っていて、毎週のようにアヤワスカをするのは異常なことのように思えるのでしょうが、現地でアヤワスカをしている人たちにとっては日常であり習慣なのです。シャーマンは毎日のように飲みます。健康のためにマイクロドーズで毎日微量のアヤワスカを飲む人たちもたくさんいます。

Q:真也さんぐらいアヤワスカを飲んでも吐きますか?
A:めっちゃ吐きます。たまに吐かないこともありますが、そういう時は腸が浄化を欲しているらしく、下痢します。

Q:スープはコンポタ派ですか?コンソメ派ですか?
A:俄然コンポタ好きです。

Q:普段どんなものを食べてますか?
A:乞食時代は誰かからいただいたものを食べるだけでしたが、今は玄米と納豆・味噌汁・漬物が基本です(ブラジルだと高くつきます)。毎食本当に美味しくいただいています。感謝。

Q:今までで一番おいしかったものは?
A:食にしても何にしても快感っていうのは思い出して快感に浸れるものではないので、純粋な食事の味って意味でおいしかったもののはあまりパッと思い浮かびませんが、蒲田の某中華料理店のマンゴープリンとか、金沢で食べた大トロとか、現地で食べた松坂牛とかですね。食事って「誰と食べるか」とか、純粋な食事の味よりそちらの方が大事かと思います。

Q:お勧めのラーメン屋・温泉を教えて下さい。
A:ずっとブラジルにいるので、そういうことは日本にいる人に聞いて下さい。ブラジルにもラーメン屋は増えてきました。結構高いので(2000円ぐらいで、ドリンクやギョーザなども含めるとその倍ぐらい)、誰かに奢っていただける時以外はほぼ食べません。

Q:結婚願望・子供願望はありますか?
A:ないです。異性愛者なので女性は好きですが、ものすごい飽き性な上に自由を愛しているので結婚はしたくないです。子供も好きですが、自分の遺伝子を残したいとかそういう願望はないです。責任感が強すぎるがゆえに、強制的に責任を負わされるような状況は避けてしまう性格です。当然独身の自由は孤独とのトレードオフですけども、別次元の存在と話せるとあまり孤独は感じないです。

Q:何をしている時が楽しいですか?
A:基本いつでも楽しく幸せですが、やっぱり儀式が楽しいです。大好きな歌手のライブがある儀式だと幸せ過ぎて恍惚としてます。

Q:人生において大切にしている価値観とかありますか?
A:Love is all.

Q:最近どうですか?
A:最高です!ブラジルのComo vai?(最近どう?)に対しても、常にTudo ótimo!(全部最高!)と答えています。

Q:肉は食べますか?
A:数年べジやヴィーガンをしていましたが、乞食修業生活に入ってからはしていません。乞食生活中断中の今も肉は積極的には食べてませんし、特に牛・豚などの四つ足の肉は避けています。ただ人様に出していただいたものは余程苦手なものでない限りは何でもありがたくいただいています。

Q:自慰や性交はしますか?
A:僕は別に禁欲主義者じゃないですよ。禁欲的な修行をすることもありますが。だいたいアヤワスカの儀式では直前の性行為が禁止で、僕は週3ペースで儀式をしているわけで、必然的に禁欲的な生活になります。

Q:毎日一緒にいたい人ってどんな人?
A:正直言うと、どんな人とも毎日はいたくないです。ありがたみがなくなりますしね。色んな人と交流するのが好きです。

Q:目覚める前はどんな仕事をしていましたか?
A:大学卒業後は普通にサラリーマン。ブラジルでは主に日系人や駐在員とそのご家族向けにマッサージ師・パソコン屋・カメラマン・パーソナルトレーナーなどをフリーランスでやってました。何でも屋って感じでした。

Q:今まで異性で好きになった人に共通点はありますか?
A:明るい・優しい・天然・地頭が良い・読書家。外見的な好みも一応ありますが、それに当てはまらない人も好きになったりするので自分でもわかりません。年齢のせいか覚りのせいか、もう恋に「落ちる」とか「ハマる」って感覚はないですし、その必要性も感じません。

Q:最近お金を何に使っていますか?
A:食費以外だと、スピグッズの購入。その他は宗教施設や乞食などへの寄付、お世話になっている人へのお礼。

Q:最近気になったニュースは?
A:ツイッターを見ていただけると幸いです。

Q:アーミッシュみたいな生活に憧れますか?
A:僕が目指しているのはアーミッシュとは真逆です。価値観は他人に押し付けるべきものではなく、真理は実践を通じて相手に覚らせるべきものだと思います。僕は自由を愛し、他人の自由も尊重します。

Q:自由に使える時間とお金があったら何をしますか?
A:自由な時間は既に手に入れているので、お金が好きなだけ使えたらって事ですね?土地を買って国を作ります。無償でみんなが家族みたいに助け合う国です。完全な循環型社会で自然と調和した国にします。

Q:温泉は好きですか?
A:長風呂が苦手ですが、温泉地は好きです。日本にいた頃は水着で入れる大きな温泉施設が好きでした。スパワールドとかスパリゾートハワイアンズとか。サンパウロにはあんまりそういうところが近くにないので、少し恋しいです。

Q:現実世界に呼びたいアニメのキャラは?
A:僕がリアルワンパンマンです(笑)「僕の名はシンヤ。趣味でメシアをしている者だ」

Q:好きな映画は何ですか?
A:いっぱいあるんですが、この世界を知るヒントになっているような作品が特に好きですね。マトリックスとか、トゥルーマンショーとか。フォレスト・ガンプも好きです。宮崎アニメも好きです。

Q:ご自分の過去世はどのぐらい思い出していますか?
A:説明が難しいですが、ワンネスに目覚めて過去世を思い出せるようになってくると、自分の過去世なのか誰の過去世なのかその区別すら曖昧になります。そしてあまり偉大な人について語ると誤解や反発を受けるのが必至なので言いたくないです。

Q:何を目標に頑張っていますか?
A:世界の平和と幸福。全霊魂の救済・成仏。

Q:最近ケンカしました?
A:暴力沙汰はないです。神仏に守られていますし、かなり格闘技をやってるのが雰囲気で察せられるのでケンカを売られるようなこともないです。知らない人からいきなり「格闘技を教えてくれ」と頼まれたりします。覚醒後はずっと怒らない修行中ですが、イラつくことはよくありますし、口論っぽくなることもたまにあります。今は温和そのものですが、思春期は怒りっぽくてケンカっぱやく、よくケンカしていました。

Q:挫折したことはありますか?乗り越え方も教えて下さい。
A:かつては挫折だらけでした。覚醒すれば乗り越えられます。覚醒の仕方は説明しても理解されません。眠っている人に起き方を教えても伝わりません。早く目が覚めるのを祈りながら待つのみです。

Q:好きな言葉は何ですか?
A:愛・尊敬・感謝・許し・信心・覚悟(覚りと悟り=差取り)・忍耐・思いやり。
格言って意味でなら、聖書やお経で好きな言葉があり過ぎて選べません。

Q:今の髪形は気に入っていますか?
A:BOT質問ですかね?髪がないので髪形も何も・・・。坊主頭は気に入ってますが、フサフサの頃が懐かしくもあります。

Q:服装を決める時は何を大切にしていますか?
A:基本、今は選ぶほど持ってないです。清潔さ以外はあまり気にしません。作務衣を着ることが多いですが、寺に通うと「ウチの坊さんだと誤解されるからやめてくれ」って怒られたりしました。最近はなくなりましたが。

Q:恋愛には安心感とドキドキ感、どちらを求めますか?
A:「何だそのファニーな質問は!?」(バイキング小峠風ツッコミ)BOTですかね?

Q:日本にいた時に違法薬物の経験はありますか?
A:日本にいた時は一切ないです。今もブラジルでは合法のアヤワスカだけしています。※後日LSDを経験しました。LSDはブラジルでも一応違法なんですが、実質ほぼ野放し状態です。よくアヤワスカとLSDの違いについて説明を求められますが、全く別物で、共通点を探す方が難しいです。後日記事にしようかと思っています。ちなみにマジックマッシュルームは全然自分に効かなくてダメでした。乾燥したものを15gも食べてようやく少し意識変性する程度でした。DMT結晶も同様で全く効きませんでした。色んな意味でコスパ悪すぎます。

Q:子供時代はどんなことに興味がありましたか?
A:ケンカ、格闘技、科学、野球、釣り、拳銃、アクション映画、音楽、女の子などです。
興味の対象だけ見ると割と典型的な男の子ですよね?(笑)野球と音楽は才能がなくて下手の横好きでしたが、格闘技は才能があったので結構活躍しました。

Q:お酒は飲みますか?
A:今は好きではなくほとんど飲みません。
日本にいた頃はそこそこ飲んでましたし、飲み会では盛り上げるために率先して飲む方でした。

Q:好きな本は?
A:いっぱいありますが、特には法華経と聖書です。
宗教・スピ系や科学の本を好みますが、広いジャンル読んでます。日本の本を読むには専らKINDLEですが、常にアマギフ残高が不足している状態なので、ご喜捨いただけると大変ありがたいです。

Q:なぜ日本ではなくブラジルでホームレスをされているのですか?
A:ホームレスになることは目的ではなく成り行き・過程であり、ホームレスになることを目的にブラジルを選んだのではありません。ブラジルにずっと住んでいて、ホームレスになったのです。働くつもりはまったくなかったのですが、ここ1年半は成り行きで住み込みバイトをやっているのでホームレスはしていません。ブラジルに来た理由は表向きは柔術の修行のためでしたが、実際はとにかく日本が嫌になって飛び出したかったのです。ブラジルなら日本食が食べれて日本語が通じる人も結構いるのでハードルが低かったのです。フレンドリーな国民性も好きでしたしね。

Q:noteや質問箱の内容、素晴らしいです。本にする予定はありますか?
A:ありがとうございます。具体的には決めてないです。本にしたい気持ちはもちろんありますが、天(成り行き)に任せます。業界関係者でご興味を持たれた方がいらっしゃいましたらぜひご連絡お願いします。

Q:イエス・キリストを信じますか?
A:はい。

Q:男だけでディズニー行くのってどう思います?
A:別にどうも思いません。日本人は人目を気にし過ぎだと思います。

Q:彼女はいますか?
A:いません。長らく乞食修業中だったのでそれどころじゃありませんでした。素直に人を頼り頼られる連鎖・世界を救う連鎖を起こすために乞食修業をしているのに、彼女ができたらただのヒモになるのは確実ですしね。今も募集はしていません。独身ゆえに修行に没頭できて幸せに生きてますし、一生独身でも全く構わず、一度捨てた命を救ってくれた天に任せてます。自分の家庭を養う責任ができてしまうと、なかなか「みんなを救うために残りの人生のすべてをかける」ってわけにもいられなくなるでしょうしね。

Q:仲良くしていただけますか?
A:ネット上で素性が全くわからない人からそう言われましても…。僕は天の配材を信じているので、常に「来るもの拒まず・去る者追わず」で、会った人を例外なく全力で愛するがモットーですが、もし仲良くしていただけるならまずあなたがどんな方なのか教えて下さい。

Q:香水は使ってますか?
A:使ってません(無資格でも一応坊主ですよ?)。お香・アルマはよく使います(儀式では必須のものなので)。好きな香りは色々ありますが、ユリや白バラの香りが特に好きです。

Q:人にどんなことをされると嬉しいですか?
A:心から笑顔になってくれること。幸せになってくれること。家族みたいに仲良くなってくれること。主人公(メシア)として目覚め、一緒に覚り(世界救世)を目指してくれること。信じ合い、尊敬し合い、許し合い、補い合い、愛し合えるようになること。

Q:眉毛はどうやって手入れしてますか?
A:基本、気にしてないです。顔剃るついでに少し整えたりする程度です。

Q:どんな子供でしたか?
A:心根は自分でも優しかったと思いますが、ADHDで変わり者だったのでどこに行っても浮いている感じでした。周囲も自分自身もその才能に全く気づかず変人でバカだと思っていました(今は天才だと思っています)。人をよく怒らせ、周囲と(同級生とも先輩後輩とも先生とも家族とも)全くうまくいきませんでした(それは4年前に覚醒するまでずっと同じでした)。いじめられたこともいじめたこともあり、繊細でよく傷ついていて、自分が存在すること自体に違和感と罪悪感を覚え、希死念慮が強く、誰とも共感し合えず孤独でした(それは40代で覚醒するまで同じでした)。そんな感じだったので子供の頃の恋愛の経験は殆どなく、高校は男子校で、初めて交際したのは大学に入ってからですが、僕の精神上の問題が多すぎたのであまり長続きしたことがありません。思春期には既に精神を病み、鬱や睡眠障害に苦しみ、突然変な顔をしたり叫んだりするので周囲からは奇異の目で見られていたと思います(今も睡眠障害はありますし、独り言が多いので驚かれます)。当時は普通の人を演じるのに疲れ果てていた感じです。大学時代から精神科にも長く通いました。子供の頃はケンカっぱやかったですが、3歳上の兄とのほぼ毎日の兄弟喧嘩と格闘技で鍛えられていたので、外で負けたことはないです。格闘技は鬱であまり練習に身が入らない時も多かったですが、その割には子供の頃から結構活躍したと思います。

2023年7月31日月曜日

どうしたらモテますか?

【質問】20代・男性
どうしたらモテますか?

【回答】
ご質問ありがとうございます。(女性が恋愛対象である男性向けの回答ですが、多くは女性やLGBTの方々にも通じることですし、皆さんに楽しんでいただける内容かと思います)

モテたいのは人間としてとても自然なことです。特に性欲が強く播種本能に振り回されがちな若い男性なら猶更です。人間はそのように初期設定されているのですから、あなたが悪いわけではありません。ただ初期設定というのは成長のための課題が含まれているものなのです。

どれだけモテても本命と結ばれなければ意味がありませんし、日本では重婚禁止ですから一人としか結婚できません。本命の人と結ばれて良好な関係性を維持するにはモテることが逆に邪魔になることも多々あることでしょう。なのになぜ人はそんなにもモテたくなるのでしょうか?

僕も若い頃というか、目覚めるまでは普通に「モテたい」と思っていた普通の男でした。今だからわかりますが、かつての僕は自分に全く自信がなく、他人から評価されることで自分が価値ある存在だと思おうとして、自分を偽って無理やり別な誰かになろうとする努力ばかりして、人から好かれる(褒められる・モテる)ことを主目的に人に気遣いし、謙虚さを装うただの卑屈な人間で、常に他者からの評価を求めていたのです。自分に価値がないと思っていたために、価値のない自分から評価されても全く嬉しくなれず、他人から評価されないと自分を評価できなかったんですね。つまり「モテたい」っていうのは他者評価依存ということなのでしょう。

自分で自分を愛せないから、異性から受け入れられ愛されることで自分を愛そうとするのは愚かなことなのです。自分で自分を受け入れられずに愛せないような人間が、モテようとしたからってモテるわけがありません。他者評価に依存する限り、決して本当に自信がつくようにはならないのです。他人の言うことに振り回され、自分を評価しない人・自分より優れた人がいる度に傷ついて自信を失うようになりますからね。そして自信はモテの最大要素であり、自信がない人がモテるわけがありませんから、現状自分に自信がなくてモテてない人がモテることで自信をつけようとしても、モテるようにならないのは自明なのです。

本当に素でモテる人というのは生まれ持った色気があり、自分に自信があって、ただ自分らしくあるだけでありのままを愛されるような人です。そういう人は過剰にモテることはかえって邪魔にもなるので、わざわざ苦しい思いをしてまで不特定多数の好みに合わせて自分を偽るようことはしないでしょう。

もちろんアイドルなど人気商売の人の場合は、より多数の好みに合わせて演じるのが利益に繋がる仕事なので、特にメディアの前では当然そうしていると思いますが。

努力によって外見や能力・実績を高めることに成功することで自信が高まり、また知名度が高まることによって多くの女性に知られ、それにより多くの女性に好かれるということはあるでしょう。しかしその分自分を評価しない人や否定・批判・侮辱してくる人にも数多く出会って、他者評価依存で傷つきやすい人はより傷つくことになります。そしてそのようにしてモテたとしてもそれはあくまでも一過性のものであって、早々に失われてしまうこともありますし、加齢とともにいずれは失われることが確実です。それに怯えながらモテてもいつもどこか不安で、本当の意味で自信満々で幸せにはなれないでしょう。

もしあなたの「モテたい」が単に「たくさんの女性と肉体関係を持ちたい」ってだけなのなら、女性にも性欲はあるわけですから、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」で、相手の容姿や性格や年齢や職業など一切お構いなしで、周囲からの冷ややかな目にもめげずに次々とアタックしまくれば、数撃つうちにその方向でのスキルが身に付き、肉体関係を持ち易い相手にも鼻が利くようになり、どんなにモテない人でもそれなりにはありつけることでしょう(清潔感にさえ気を付けていれば)。※もし緊張して女性と話せないようなら、街で知らない女性に道を聞きまくることから始めてみて下さい。

ただそれは単に「性的に奔放な肉食系女子」「押しに弱く受け身な非モテ女子」「男に依存したいメンヘラ女子」(総じて霊障が原因・基本的に相手は誰でも良い)などを見つけて「時間・手間・金というコストをかけて自分から喰われに行ってる」ってだけでしょう。まぁそれはそれで一つの奉仕であり社会貢献かもしれませんが(皮肉)、本当に「モテている」わけではありません。

また他者評価依存の人は当然傷つきやすいですから「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」を実行する中で、多くの女性からひどい拒否のされ方をしながら自尊心を保つのは難しい気がします。ある意味でそれも修行だと言えるかも知れませんが、そのあたりの自分の感覚を麻痺させてゲーム感覚で楽しめないのならお勧めしません。

妊娠等のリスクがあって男性より結婚適齢期の短い女性に対して「割り切った関係を結ぶ」「あと腐れなく別れる」というのは難しいことが多く、素でモテない人が女性にガツガツしようとしたら、大して好きでもない相手に本気を装って相手側を本気にさせるような「女を騙す」アプローチをすることになるでしょうし、そんな男に騙される女性は元々心を病みやすいメンヘラ(霊障に犯されやすい人)だったりすることが多く、必然的にトラブルをたくさん抱えるようになるでしょう。そしてそういう思考・行動が骨の髄まで染み付いた人間が結婚を機にすべて清算してうまくやっていけるとは思えず、将来的な破綻が目に見えている感じがします。

そのように女性にガツガツして、自分がモテるということを執拗にアピールする男性というのは、大体「思春期にモテなかったことによる心の傷」があって、その傷を必死で埋めようとしているのでしょう。そういう人の必死なモテアピール・自慢話を真に受けて本当にその人がモテているのだと勘違いし、羨んで悔しがって落ち込み「あわよくば自分も」などと考えてやり口を学ぼうとするのは愚かなことなのです。アピールというのは基本的に「このように見られたい」という思いがあるのに実態がその通りではないからするものであり、実態通りなら誰が見てもすぐわかるのでアピールする必要はないのです。ネイマールも本当に痛い時はゴロゴロしません。モテアピールのシミュレーションプレーにひっかからないようにして下さいね。

そうして「抱いた女の数が男の甲斐性」といった感じで女性を「自分が自信をつけて価値を感じるための踏み台」にするような男性は、既に自分に惚れた女性に対してはすぐに用済みになり、「自分の方が相手から惚れられて仕方なく付き合っている」という感じで常に自分の優位を示そうとして相手と対等に向き合おうとせず、また惚れさせるために嘘で塗り固めた自分を愛されてもまったく充実感がなく、「釣った魚には餌をやらない」といった感じになって関係性がすぐに破綻し、ひたすら「他にもっと素敵な女性がいるのでは?」と新たな女性を追い求めるようになるでしょう。それがキリがないってことは最初からわかりきったことであり、そのうち加齢などで女性から求められにくくなったり、結婚や仕事の関係等で社会的に「手あたり次第」というのは難しくなったりして、きっとまだまだ「モテたい」と思いながら鬱屈した寂しい中年・老年時代を過ごすことになることでしょう。

もし幸せになりたいのなら、女性にモテることなんかより、結ばれた女性を運命の人だと信じ、創造主に感謝しながら全力で愛することの方が遥かに大事だと思います。モテたいなどと思ってキリなく女性を求めていては幸せになどなりようがないです。あなたが相手を世界一だと信じて愛し抜くことで本当にあなたにとっての世界一にして下さい。世界一の女性から愛されるあなたは世界一の幸せ者になることでしょう。それはモテることなんかよりずっと難しいでしょうけども、そういう修行なのだと思って下さい。

恋愛に限った話ではなく「全ての出会いは天から与えられた自分にとってベストな出会いである」と信じず、常に「他にもっと素敵な人がいるのでは?」と考えることは、目の前の人を全力で愛さないことにつながり、人からも全力で愛されず不幸になるのが自明なのです。

ただモテないことに対して本当に強いコンプレックスがあるのにそれを自分の中でごまかし、ポジティブなエネルギーに変換できずに鬱屈しながら怠惰に青春を空費し「あの時もっとやっておけば」と歳をとってから後悔するぐらいなら、若い時は人目も憚らず女性に思う存分ガツガツする方が「積極性」「人生経験」「女性の一面を知る」と言う意味では良いことかと思います。(僕も大学時代は結構やってました)それが仕事で活かされるってこともあるでしょうしね。

何事もそうですが、答えに価値があるのではなく、経験が答えを価値ならしめるのです。自分なりに間違いを犯しながら納得して前に進むことが大事なのであり、最初から伝聞情報で答えだけを求めて心から納得していないことを無理やり自分に押し付けては、経験する(生きる)意欲が損なわれて怠惰になり、残念な人生になるだけです。

多くの男性がモテようとしてカッコつけをやっちまってますが、「カッコをつける」というのは「自分」という存在に対して文字通りカギカッコをつけて無理やり任意の型にハメてしまうことです。


英語で「カッコ」のジェスチャーは”Air Quotes”で、それを自分につけるとしたら「”いわゆる自分”」みたいになって、自分がアピールしているのが本当の自分ではないような、すごく皮肉な感じになりますね。

そうして本当の自分ではない自分を演じることで、例え女性から愛されたとしても、それは自分ではない誰かを愛されているのであり、本当の自分が愛されているわけではないのですから、きっと心の充足は得られないでしょう。そしていつかそこに気づかれて破綻するのは時間の問題です。

人が幸せになるには「自分が自分らしくあること」が不可欠であり、モテたいという動機で自分ではない別な誰かになろうと努力すること自体が苦しく不幸なことなのです。「本当の自分を知られたら幻滅され嫌われるだろう」なんて思って他人を演じながら愛されても辛いだけです。

女性の男性に対する好みというのは、男性の女性に対するそれより遥かに人それぞれであり、その個性を尊重せず十把一絡げに見て、不特定多数からモテたいなどと思い「こういうタイプがモテる」と勝手なプロトタイプを自分の中に作り、自分をそこに合わせようとすれば、必然的に無理が生じて自分を見失い、そこに合わせきれない自分を嫌悪するようになり、自信などつきようがありません=モテるようになるわけありません。

今時は「外見が良くなればモテる」と思い込んで、必死で美顔・エステ・コスメなどに精を出しているような男性も増えているようですが、それで元々モテていない人がモテるようになるとは到底思えません。外見の好みは本当に人それぞれですし、女性もそれなりに人生経験を重ねれば純粋に外見だけで男性を選ぶ人は少なくなり、外見重視を公言するようなごく一部の知性に欠けた女性でさえも成長と共に男性の外見に滲み出たものを無意識に見るようになります。

世の女性だけでなく自分の深層心理だってそういう表面的なカッコつけばかりして中身のない自分自身をダサいと思うでしょうし、それでは自分自身を嫌いになって余計に自信を失うと思います。

そして脳というのは右脳的直観でやったことを左脳的論理で後付けで理由をこしらえるようにできているものであり、例え女性が「外見に惹かれた」と理由付けしていたとしても、それが先か後かは本人でさえわからないのです。実際、歴代彼氏のルックスが全然違うタイプだという女性は多いです。要するに女性は直観で好きになった人をカッコいいと思い込むだけなのに、不特定多数の女性の外見的な好みを推測してそこに自分を合わせようとするのは本当に無駄な努力かと思います。

女性の好みなんてものは人それぞれですし、本当に気まぐれなもので、出会い・人生経験によって変わっていく可能性も高いのです。将来具体的に自分がどういう人を好きになって付き合うのかは女性自身でさえ事前に予測できることではなく、往々にして女性は元々の好みを覆された時にこそハマるものであり、実際に付き合うのはそれまでの好みとは程遠いということも多いのです。

そしてその女性が現時点で「カッコいい」「タイプだ」と思う男性に対しても「付き合いたいな」「まぁ寝てもいいかな」「見た目は良いけど寝たいとか付き合いたいとかまでは思わないな・遊ばれそうでイヤだからパスだな」など、どこまで思うかは人それぞれです。そんな女性の言うことにいちいち振り回されるのは本当に愚かなことだと思います。

人間関係は完全に鏡であり、自分の外見に捉われている男性というのは、自分が世の女性をみんな外見のみで見ているからこそ、自分も世の女性みんなから外見のみで見られているに違いないという勝手な思い込みをしているのです。そして外見を理由に女性から傷つけられる体験を思春期から多く引き寄せてその思い込みを強化し、同時に知らず知らず外見に関することで多くの女性を傷つけ、魂の成長を怠ってカルマを積み、そうしてすべての存在の根源である創造主からの愛を受け取れずに、必然的に女性からもモテなくなるのです。

大抵全くモテない人というのは、モテない理由をそのようにして外見のコンプレックスに求めて「自分はダメだ」とネガティブな思い込みを強めて屈折し、本当は大して外見など悪くないのに「どうせ自分なんて」と自尊心が下がって、知らず知らず女性を不快にさせるような思考や行動が習慣化し、身なりや体型に無頓着になって実際に外見まで悪くなって益々モテなくなるという悪循環にハマっているのですね。そのようにして健全な恋愛をハナから諦めてアイドルやアニメなどに救いを求めるようなオタクというのは量産されるのでしょう。(外見のせいにするぐらいなら整形した方がマシだと思いますが、本質的な問題が整形で解決することはきっとないでしょう)

いかに外見が悪くてもお金持ち(ハイステータス)になればモテるかも知れませんが、モテているのはお金(ステータス)であってその人本人ではありません。お金(ステータス)がなくなれば人が離れていくのは自明であり、「紀州のドンファン」のようにお金だけ残して早く死んで欲しいと望まれるだけでしょう。それが幸せであるはずがありません。金(ステータス)に寄ってくるような女が本当に自分を愛するわけもなく、彼が友人からも家族からも嫌われて孤独で、最後は愛犬を溺愛してその愛犬に遺産を残そうとし、結局は遺産目当ての女に殺されたことは哀れでしかありません。お金持ち(ハイステータス)になってモテようと思っている人は彼の人生を見てよくよく考えて欲しいです。

そもそも不特定多数の好みに合わせてモテようとすること自体が、創造主が自分に与えし尊い個性に対する価値の否定であり、それではすべての存在の根源である創造主から愛を受け取りにくくなって、創造主の分身たる女性たちからも愛されにくくなるのは当然です。

そうやって「モテる人に価値があり、モテない人には価値がない」などと人の価値に序列をつける考え方をしているから、ちょっと女性から評価されなかったっていうだけで「自分には価値がない」などと落ち込んで自信を失ってしまうのでしょう。まず人の価値とは?を読んで、天から与えられた価値に気づいて下さいね。もしあなたが「モテれば必ず幸せ」「モテなければ必ず不幸せ」というように、幸せというものを何か条件付けして考えているのなら、その考え方こそが不幸の元凶であって、そこから改めるべきかと思います。

結婚できれば幸せになれるかのように幻想を抱き、結婚できなければ幸せを諦めなければならないように考えている人も(特に中年以降の女性に)多いですが、それも幸福の条件化であり、不幸の元凶なのです。僕らは性行為と子孫繁栄のために生まれて来たのではなく、魂の成長のために生まれてきたのであり、結婚することで成長する道もいれば、結婚しないことで成長する道もあるのです。結婚してラク(成長放棄)しようとしている人は結婚できないことが多く、結婚してもうまく行かないのです。

不幸な人というのはだいたい魂の成長を放棄しているのであり、他人に対する愛(思いやり・許し)がなく、自分が目の前の人間を全力で愛さずぞんざいに扱う「嫌な人間」になっていることに気づいてもいません。

そしてそういう人は今までの出会いを運命を信じて感謝する気持ちがなく、今が幸福じゃないからに誰かに幸福にしてもらおうとして焦って相手を探そうとするために、断られる度に自信・自尊心を失い、より魅力を失っていくのです。そのように結果(見返り=モテや結婚)を求めた努力というのは醜く、報われないようにできているのです。

何よりモテようとすることの最大のデメリットは本物の愛を遠ざけてしまうことです。もし本物の愛が「あなただけを生涯愛し抜きます」という無言のメッセージだとしたら、モテたい人というのは「不特定多数から愛されたいです(あなたに愛されても満足しません。例えあなたに愛されなくなっても他がいるので大丈夫です)」という無言のメッセージを発しているワケですからね。そういう人が魂レベルで誰かに愛されるはずもなく、例えモテたとしても自分と同じように安っぽくて軽い女性しか寄って来なくなり、お互いすぐに飽きることは自明なのです。

結局、不特定多数の女性から性的にモテる必要など全くないのに、現状モテていない人が無理にモテようとすることは、余計モテなくなる上に本物の愛も遠ざけるという悲惨な状況に自分を追いやることになるのです。

例えどれだけモテようと本命の人から愛されなければ意味がないのに、それでもモテようとしてしまうのは、女性の選択肢が多いことを「自分に価値がある証拠である=幸せである」と勘違いしているからです。常に自分が選べる立場に身を置いて、フラれても「他がいるから大丈夫」と安心し、傷つくリスクを下げたいのでしょう。

だから「モテたい人」というのは「自分が愛する前に相手側から愛されよう」「自分が取捨選択できるような優位な立場にいよう」と考えて、相手と対等に向き合って全力で愛そうとしないんですね。それは要するに自信がなく臆病であるがゆえに安全を確保したがっているワケで、それ故に本物の愛を自ら遠ざけているのです。人生は愛と勇気を試す為のRPGですから、臆病者が本当にモテるなんてことは有り得ません。

これは夢(職業)についても同じで、本命の夢が叶わなかった時のことを恐れて選択肢を増やす為の努力に時間と労力を費やす臆病者が、退路を絶って夢に殉じている勇者に勝てるワケがありません。選択肢の確保に奔走する臆病さが本物の夢も愛も遠ざけるのです。退路を確保すれば必ず退路へと追い込まれるのです。これはいざという時に死んで逃げれば良いという選択肢を常に確保している臆病者が、いつか必ず自殺して逃げるという退路へと導かれるのと同じです。だから人生というのは必ず退路を断つ必要があるのです。どっちみち人はいつか死にますし、魂は永遠です。人生はRPGなのですから、死も何も恐れず、退路を断ってただ前に突き進んで下さい。

ベンジャミン・フランクリンが「安全を得る為に自由を手放した者は、その両方を失う」と言った通り、モテ(安全)のために心の自由(自分らしくあること)を手放した人は、余計モテなくなる上に心の自由も失うのです。それは早めに気づかないと、本当の自分らしさを知りありのままに愛するということ(幸せ)がより困難になっていくのです。

冒頭に書いた通り、モテの最大要因は自信です。でもみんなどうやったら自信を身に着けられるか知らないのです。そこを僕は誰でも自信満々になれる方法において既にnoteで公開しています。それは「誰でもモテるようになる方法」とイコールなワケです。いやー、そんな素晴らしい方法を無料でみんなに教えてくれる僕は何て天使なんでしょう?(笑)この内容を真実だと信じて全て実行する人がモテない理由がありません。

大事なのは「モテよう」などという結果(見返り)は一切求めず、「自分が自分らしくあること」を最優先し、自分の個性も他人の個性も「ありのままに愛すること」であり「出会ったら無条件で常に自分から愛すること」です。ここでの愛というのは愛欲(エゴ)ではなく万人に向けた慈愛(思いやり)ですので誤解のありませんように。

そして結局は「本当にやりたいことを通して人に貢献して生きること」ということに尽きます。それなくしてモテようと愛されようと本当に幸せになることは有り得ません。やりたいことで人に貢献できていたらそれだけで楽しく幸せなのであり、女性から性的にモテる必要などないのです。そんなものはかえって邪魔ですからね。

ただありのままに自分と他人を愛し、人に貢献して楽しく幸せに生きている人は、すべての存在の根源である創造主から愛されるので、その分身たる女性たちが放っておくわけがないのです。例えどんなにブサイクであろうとも。

逆に仮にルックスが良かったとしても、仕事も趣味も全然楽しくなくて嫌々生きて嫌な人間になって人間関係がうまく行かず不幸で鬱になって人生を恨みで返しているような人は創造主の愛を受け取れず、モテるわけがありませんし、女性と付き合ってもうまくいくわけがなく、遅かれ早かれ関係が破綻します(実体験済)。モテたいのにモテないならモテようとせず、モテなくても楽しく幸せに生きればモテるのです(実体験済)。「モテ」は幸せの副産物のようなものであり、「引き寄せの法則」と同じように、目的化しない方がうまく行くのです。

鬱抜けのためにも、他者評価に依存せず、結果(見返り)を一切期待せず、自分のエゴより出会った人のエゴを満たしてあげることを優先し(無償奉仕し)、自分も他人も責めたり蔑んだりするのをやめて無条件で愛し、自分で自分のことを「この人大好きだなぁ」と思えるようなエピソード(人に無償で奉仕すること)を日々重ねていって下さい。そうすれば自分を大好きになって幸せになります。そしてそんな人は必ず周囲に愛され、女性からだけ全くモテないなんてことがあるわけがないのです。

不特定多数の女性の好み通りの人物を演じてオシャレして、社会的評価の高い職業に就いて仕事がデキてお金持ちになって良い暮らしをしていれば、モテて自信満々に生きれて幸せになれるなどと考えるのは幻想に過ぎないことを僕は実体験として知っています。

そういうのは一見真実であるかのように見えても、実際は人の「モテたい願望」を利用してお金を儲けたい人達の流布するデタラメであり、「こういう人がモテる・モテない」というクソみたいな分析やランキング(伝聞情報・他者評価)などに振り回されてはいけません。それはヤクザの夜店のクジの景品みたいなもので、どれを選ぼうとそこには初めから当たりなどないのです。「モテ幻想」で社会の奴隷にならないで下さい。


自信は幸せとイコールであり、自信とモテはイコールで、誰でも自信満々になれる方法をみんなが実行したら、みんなが自信満々で幸せでモテモテになるワケで、そうなったら世界が幸福で平和になり救われることになります。つまり誰でも自信満々になれる方法とは「世界を救う方法」でもあるということです。ですから必ず読んで実行して下さい。

それでは、あなたが自信満々で幸せでモテモテになることを心から祈っています。独身の中年のクセに上から目線で偉そうにと不快に思われるかも知れませんが、これは創造主から直々に教わった真理であり、何とか否定してやろうと揚げ足を取ることに躍起にならず、信じて頂けると幸いです。この教えは創造主の愛そのものなのですから。

2023年7月29日土曜日

神通力(超能力)について

 【質問】年齢・性別不詳
何か神通力は手に入りましたか?

【回答】
ご質問ありがとうございます。

僕は神通力を求めて修行をしているわけではなく、また浄霊能力(本当は誰でも持っている能力)の向上以外は求めていませんし、手に入ってしまってもそれは公にしません。相手が誰かから浄霊を受けてくれてその効果を感じ、その人も他人を浄霊してあげるようになれば、それが連鎖してみんなが神々から幸せに導かれるとわかっているので、僕は浄霊以外の能力を必要としてはいないのです。

もし僕だけに特別な能力があっても、僕に多くの人が依存するようになるだけで魂を成長に導けず、それでは生まれてきた意味がありません。一人ひとりみんなに自分自身が主人公(メシア)であることに目覚めさせ、人がみんな神々を通じて人を幸せに導く能力があることを理解してもらい、それを連鎖させていかなければならないのです。

もし超能力のようなものを人に見せれば、きっと僕に与えられている覚りももっと簡単に人に信じて受け入れてもらえるのかも知れません。それ(ラク)をしたいって気持ちは正直あるんですけど、超能力は覚りの本質ではなく、むしろ覚りから人々を遠ざけてしまうものなのです。

なぜなら超能力も権力と本質は同じで、もし手に入れればそれをエゴ(金や名声や権力)のために使わないわけがないですから。エゴを満たし、自分以外の存在に何かを強制する力というのは、それ自体が真理(愛・ワンネス)に反するものなのです。だから己の器を超えて超能力や権力、それに付随する金や名声を得ようとすることは、得れば得るほどカルマを積むことになってしまいます。そうすればやがてその力も失って不幸に導かれることでしょう。そういったケースのカルマはまず自分自身ではなく家族から重大な悪影響が出るということを知っておいて下さい。悲惨です。

そして例えば仮に死人を生き返らせる能力を僕が手に入れたとします。キリストの時代に他言を禁じてさえ噂が一気に広まってみんながその恩恵を求めてキリストの元を訪れたのですから、人口77億人で情報化が進んだ今の時代、もしそんな能力が僕にあるということが知れ渡ってしまったら、世界中の人が僕を訪れ、僕はその対応だけに人生を費やすことになり、また人々は僕に超能力だけを求めて覚りなどどうでも良くなるでしょう。そして死にそうな家族のいる人たちがこぞって僕の傍に住み、気持ち悪く我先にと取り入ろうとしてくるでしょう。そして世界中の人の死因が「死に際に真也に会えなかった事」みたいなデタラメな状況になってしまうでしょう。また医療・医薬もあまり意味がなくなり、医療・医薬業界の多くのが仕事を失って業界人から恨まれることにもなるでしょう。人口が更に爆発して支配者層から命も狙われかねません。それでもし僕がうまく生き返らせられなかったり間に合わなかったりしたら遺族から恨まれ、覚りを信じてもらえなくなるでしょう。

キリストも人々が自分に奇跡だけを求めて覚りを求めないことに憤り、最後は神通力を封印していました。神の声である聖書が予めちゃんと「こういう理由で間違っている」と教えてくれていることに敢えて逆らうのは愚かなことなのです。

ちなみに釈迦も弟子たちにみだりに神通力を使わないよう戒めていたそうです。神通力は決して覚りの本質ではなく、神通力を身に着けることで悟りを開こうなどという考え自体がエゴなのです。そして自分や誰かの神通力によって悟りのレベルを測ろうなどと考える人は、信心のなんたるかが全くわかっていないのです。

世の多くの人が神通力・超能力のようなものを求めるのは、みんな他者評価・他者比較により自信を失い、自分など価値のない存在だと思って心を病んでいるからでしょう。動機が「世の人を救いたい」という純粋な愛ではなく、それを手に入れることによって自分が救われたいとか、特別な人間になって他人に称賛されて自尊心を満たしつつ、お金を稼いで他人を支配する力を手に入れたいという魂胆によるもので、それはエゴ(分離意識)そのものであり、愛とは真逆のベクトルなのです。

スピリチュアル詐欺というのは、そういう歪んだ心理につけこんで、誰彼構わず「あなたには霊的な才能があります」などとおだて、まるで自分に仕えて金を払えば超能力が手に入るように見せかけて、セミナーや霊感商法で多額の金を騙し取ろうとするのが常套手段です。そうして騙し取った大金で成功者を装い「私は正しいから神々に応援され成功している」といった感じでうらやましがらせてカモを更に引き寄せるのでしょう。それは情報商材詐欺と同じ手法であり、引っ掛かる方も己のエゴゆえに騙されているのであり、どっちもどっちなのです。そこに自分で気づくまでは騙され続けるしかないというのは残念なことです。

この世界のテーマは「愛は地球を救う」であり、「超能力は世界を救う」ではありません。あくまでも愛(真理)を実践により伝え、世界中に連鎖させていくことです。超能力はその役に立つどころか邪魔になることの方が多いものなのです。

「救いの本質」というのは誰かの「命」や「生活」を救うことではありません。人間はどっちみちいつか死にます。キリストが生き返らせた人たちももちろんとっくに死んでます。「救いの本質」は永遠不滅である「魂」の救済であり、自分の認識世界に存在するすべての御霊・御魂をそれぞれに成長・幸福・成仏へと導くことです。

どうか自分が主人公(世界を救う存在)であることに目覚めて下さい。エヴェレット解釈の通り世界は一人一宇宙であり、あなたは自分の脳というパーソナルコンピューターの中の、自分のためだけに用意されたシナリオのゲームの中にいるのです。それがネットで他のプレイヤーと繋がっているからといって、自分を客観的世界の脇役と考えて、欠点や過ち(罪・恥)や能力のなさゆえに自尊心を下げてはいけません。そう考えてしまうのはこのゲームの初期設定であり、それを乗り越える勇気を持たなければ本当の意味でゲームが始まらないのです。

僕らは全知全能である創造主の分身なのであり、本当は同じく全知全能なのです。つまり思っただけで何でも実現できてしまう存在なのです。ただそれではつまらないから創造主は我々の能力を大幅に制限し、様々な共通ルール・限界のある世界を楽しませているのです。思い通りにいかないこの世界で、願い・祈り・努力することにより思い通りになった・成長したという喜びを僕らを通じて経験したいのです。

それなのに(みんなのために)願わず・祈らず・努力せず、魂を成長させず、超能力というチートだけを求めることは間違いなのです。逆に魂を成長させれば、能力はそのレベルに合わせて自動的に与えられるものであり、魂のレベルに合わない能力を手に入れればカルマを積み上げてかえって人生の難易度は上がってしまうのです。そしてみんなの幸せのための願い・祈り・努力はいつか必ず実ることが設定上自明なのです。

最後に創造主の声を代弁します。
「偉くなろうとするな、(すべての存在が)尊いと知れ。特別になろうとするな、特別(主人公)であると知れ。そして日々愛を実践し連鎖させることを通じてワンネス(特別ではなくなること)を目指せ」

2023年7月25日火曜日

なぜ「創造主教」を作らないのか?

【質問】性別・年齢不詳
はじめまして。

真也さんは創造主(絶対神?ゴッドオブゴッド?)の声を聞いているとおっしゃっていましたが、それであればなぜ色んな宗教を同時に信仰されているのでしょうか?

また真也さんは創造主とどのようにしてチャネリングされているのでしょうか?

そして真也さんはご自分の宗教「創造主教」のようなものを作るご予定はあるのでしょうか?また政治家になったりはしないのですか?

【回答】
ご質問ありがとうございます。

あははははは・・・・。とても面白いご質問ですね。

僕らは創造主の創りし壮大な神話の舞台に立っている役者のようなものです。そして創造主というのはその舞台における監督であり劇作家みたいなものですね。

その神話の舞台において役者である我々が困難な場面に直面した時に「監督様、助けて下さい!」「劇作家様、もっと幸せなシナリオにして下さい!」などと劇中でお願いしたらどうなるでしょうか?きっと興ざめでしかないでしょう。そしてもしそれによって監督や劇作家が本当に役者を直接助けてしまったら、舞台そのもの全てに存在意義がなくなってしまうでしょう。

この人生というRPGは神話なのですから、役者である僕らはこの劇中においては監督や劇作家ではなく彼に創造された劇中の神を信じ・学び・祈り・救いを求めなければ神話(芸術)にはならず、全てに存在意義がなくなってしまいます。

それがおわかりいただければ、僕が(創造主とコンタクトを取りながらも)既存の諸宗教を信じて学んでいる理由がおわかりいただけるかと思います。新たに「創造主教」のようなものを作る気が全くないことも。

この人生という物語を与えてくれた創造主(監督・劇作家)に対して僕らができることは、役者として物語を楽しみ・感謝しながら、与えられた配役(使命)を全うすることだけです。

あらゆる宗教は創造主が我々にヒントを与えて真理に導くために存在しているのであり、答えそのものではありません。一つの宗教を答えそのもののように考えて妄信しては道を誤るのが必然なのです。

僕の使命はすべての宗教に通じる真理の探究であり、それによって世界中の魂を救い、物語を完遂させることです。新たな宗教を作って乱立する宗教の一つとなって「教祖様」などと崇められながら偉そうに説法して信者をお金儲けと権威誇示のために利用することではありません。

そしてこの使命はきっと他人事ではなく、あなたにとっても同じなのです。もしあなたが脇役NPCではなく主人公として生きるのであれば。

多くの人が誤解していますが、創造主というのは本当に存在の全てであって、創造主ではないものというのは存在していないのです。創造主の視点からすれば「自」と「他」という概念すらがなく、我々も・動物も・自然も・非生命の物質も・時空も、その中のあらゆる事象も、概念次元とそこにいる神仏たちも、森羅万象の全てが創造主自身なのです。人間が創造したと思われているものも、全て創造主が人間を通じて創造したものです。人間は創造主が経験をし、想像=創造を広げ、人生という経験機会をより豊かにするため存在しているとも言えます。創造主を愛すると言うことは、全ての存在と和解し、愛するということです。自分も他人も動物も自然も非生命も出来事も「人生という物語全体を」愛するということです。存在・事象の全てが創造主の偉大なる創造であり、彼の存在意義なのですから。そして彼の創造のすべてはあなた個人を楽しませるために与えてくれたものなのですから。

個性というのは欠点や過ちと不可分です。欠点があるからこそお互いに必要性が生じ、過ちがあるから許し合うことができ、愛し合うことができるのです。創造主は何も欠けたものがないので、必要性自体が生じません。だからこそ創造主は我々にただ与えるだけの偉大なる贈与者なのであり、僕らは感謝する以外に創造主のために直接的にできることはなく、もしその感謝を形にするのであれば、個性ある(欠点や過ち)存在として生まれた神々や人々(全ては創造主の分身)に奉仕して、その個性(欠点や過ち)を許し合い・助け合い・愛し合うことのみです。

個性(欠点や過ち)があるのは、遥か上位次元の神々であっても同じ事です。神々でさえも個性があり、欠点もあれば過ちも犯すのです。まして人間が作った宗教団体であれば言うにも及びません。完全無欠であれば存在意義を失うのです。

神々や宗教の個性(欠点や過ち)を理由に信心を持たないというのであれば、信心を持つことは不可能です。多くの人がそのようにして神々や宗教の欠点や過ちを理由に信心を持とうとしませんが、それは宗教について学ばない怠惰な自分の自己正当化であり言い訳なのです。

完全無欠の創造主が物語中に登場して強制的に創造主を信じさせては、誰もそれを「信じない」という選択肢を持ちようがありませんから、信心に意味・価値はなくなります。「信じる」という選択を価値ならしめるために、創造主は人間が神を信じないように、むしろ宗教など信じる人間は気違いだとすら思わせるようにこの舞台を設定しているのです。その初期設定通りに信心を持たないままであれば、人生の主人公にはなりえないのです。宗教の欠点や過ちが気に入らないのなら、自分が様々な宗教を原典から学んでその欠点や過ちを補えば良いのです。

創造主をいわゆる「善神」のように誤解し「この世には悪い存在・出来事がいっぱいあるから、創造主なんているわけがない」などと考える人が多いですが、善だけでは物語になりません。善も悪も含めて本当に全ての全てが彼の創造なのです。創造主などいないという考え方も創造主の創造であり、唯物主義・無神論というはクリフォトの樹により設計された人間の無明(愚かさ)なのです。それは成長課題であり、プレイヤー(主人公)である我々はまず自らが目覚め、みんなが目覚める連鎖を起こしていかなければならないのです。


>また政治家になったりはしないのですか?

僕は政治家になるつもりは全くありません。権力に近づくこと自体を考えていません。権力とか組織とかはそれ自体が腐敗の元であって大っ嫌いなので。「真理は組織化できない」というのは創造主直々に教えられた真理の一つです。

もし僕や誰か良い人が政治家になれば、あなたが努力しなくても世の中が勝手に良くなっていくとお考えなのならそれは怠惰であり、主体性(主人公)の放棄(NPC思考)です。

政治(権力)というのは強制力であり、真理ではないからこそ(愛ではなくエゴだからこそ)相手にそれを強制する力が要るのです。そして権力を手にした人間は正義を盾前にしながら必ずエゴのためにその権力を使うのです。金は権力の分譲券ですから、それを手にした人間がエゴのために使わないわけがないのです。

例えどれだけ世の中を良くしようと考えている人でも、その理想を政界において実現するためには権力を握らなければならず、権力を握るためには支持と金を集めなければならないと考えるでしょうし、そのためには支持者のエゴを満たさなければならず、己の欠点や過ちを隠し嘘をついてでも多くの人の支持を得なければのし上がれません。そうしているうちに権力に溺れ、のし上がったらのし上がったでその権力を全くエゴのために使わないということはありえず、どんな正義も権力を得ることを正当化するための建前に過ぎなくなってしまうのです。僕はそれを予めわかっているので、権力を求める(政治家になる)気はないのです。

もしあなたが本気で「政治を変えれば世の中が良くなる」とお考えなら、ぜひ好きな政治家の選挙の手伝いでもしてみて下さい。きっと如実に現実がわかりますから。政治が世の中(人心)を良くするのではなく、世の中(人心)が良くなれば政治は連動して自動的に良くなっていくのです。

真理というのは体験を通じて理解さえすれば自発的に従う以外の選択肢をなくすものであり、強制力など要らないのです。真理というのはそれは見つけた時点で勝利は確定しているようなもので、あとはそれを実践を通じて伝えていくのみなのです。

逆に何かを他人に強制すればたとえそれが真理であっても伝わらないものなので、あくまでも相手に自由に選択させなければならないのです。ガンジーの非暴力・不服従運動でも、もしそれが他人から強制されるようなものだったら成功はしなかったでしょう。

電車の(乗客の)ドアは左右に作られ、前後には作られません。それは前後に(乗客の)ドアを作ってはいけないという法律があって会社がそれに従っているわけではなく、それが道理だと誰でもわかるからです。前後に(乗客の)ドアがあっては乗客が牽かれてしまうリスクが高くなりますからね。しかし人類という列車はそのようにして同胞である乗客を轢き殺しながら進んでいるのです。僕らはその愚かさに気づき、気づかせなくてはいけません。

僕に助言を与え導いてくれている創造主は、自らが「創造主である」と名乗っているわけではありません。この世界を創造した存在でなければ知り得ないことを教えてくれているから僕が便宜上その存在を「創造主」と呼んでいるだけです。それは名前ではありませんし、その存在の呼び方・解釈の仕方は「至高者」「ワンネス」「宇宙意識」「サムシング・グレート」など人によって様々であり、別に統一する必要はないと思います。そして彼は存在のすべてであって姿・形があるわけではなりません。きっと創造主は僕に対して僕よりも上位次元の存在(ハイヤーセルフ)を通じて語り掛けて導いてくれているのでしょう。

僕は別にチャネリングのような、何か特別な手法を通じて創造主とつながっているわけではありません。そもそもすべての存在が創造主自身なのですから、創造主と繋がっていない存在などありません。違いはその繋がりを感じられるかどうか、その導きに従えるかどうかです。

僕が他の多くの人より創造主との繋がりを感じられるようになったのは、きっと他の多くの人よりエゴから離れられたからだと思います(自殺未遂を機に、全財産と仕事を放棄し、奉仕のために生きる決意をしました)。そして人生の苦難に対し、自分や誰かや運命を呪うのを止め、成長課題として感謝するようになったからだと思います。全知全能の創造主は僕がそうなることを予め知っていたがゆえに、時機を見計らって僕を助け、悟りを与えて下さったのでしょう。

敢えて「手法」というならそれ(自殺未遂、全財産放棄、完全無償の奉仕、主人公・救世主としての目覚め)ですが、それをみんなに求めることはできませんし、そもそも僕は創造主とのチャネリングなどという「結果・見返り」を求めてそれをしたわけではなく、もしそういう「結果・見返り」を求めて真似したとしても多分うまくいかないと思います。

もし僕と同じ事をして「創造主と全然繋がれないし救われない」などと苦情を言われても困りますし、またそこまでやらなければ創造主とは繋がれないなどと誤解を受けても「自分はそこまでして覚りなど目指そうとは思わない」と言われるのが目に見えていますから、他人に僕と同じことをするように薦めることはしていないのです。特にイチかバチかみたいな感じで自殺を決行されることは絶対に避けたいですし。

だから僕にとっては「手法」的なことを教えることよりも、僕が創造主からいただいた貴重な覚りをどう人に連鎖させていくか、それの方が大事なのです。そして主人公として目覚めさせることはその根幹です。

質問箱には「真也さんから教わるより、創造主から直接教わりたい」「創造主は真也さんを通じて教えるより直接みんなに教えた方が簡単なのでは?」という感じの御意見ご要望や疑念の声も時々いただきます。そう考えてしまうお気持ちはよくよくわかるのですが、それでは僕が存在意義を失います。僕がみんなの代わりに大変な思いをしながら覚りをいただいて命がけでシェアしているのですから、あなたが全財産放棄とかそんな無茶なことまでしなくても創造主から僕を通じて覚りについて無償で教えてもらえるということに対し、できれば感謝の気持ちを持っていただけると幸いです。

何より「悟りとは何か?」に書いた通り、答えは結局自分が経験を通じて自分で出したものでなくては意味がありません。他人に聞いて済ませようとするのは怠惰であり成長の放棄なのです。僕らは魂の成長のために生まれてきているのですから、成長に反するベクトルはすべからく不幸に導かれるように世界は創られているのです。

それでは、お互いに成長を目指して人生を頑張りましょう。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...