2024年9月29日日曜日

キモい人への接し方

※回答した時点では質問者さんの年齢を知りませんでした。10代の女性には厳し過ぎる&早過ぎる内容になっていてすみませんでした。これからはちゃんと年齢等をしっかり確認してから回答させていただきます。

【質問】19歳・女性 ペンネーム:シロ
noteを何度も読んでいます。読む度に感動して、心がけて生活しても、数日後には卑屈な自分に戻っているので、何度も何度も読んでいます。

質問ですが、真也さんに嫌いな人はいますか?「いい加減にしろよ!」と痺れを切らして怒る事はありますか?もしないなら、なぜないんですか?

悪役に好かれても全然嬉しくないですし不愉快です。悪役には「キモ!」「お前クズだな!」と思いっきり怒鳴りつけたいです。こうやって自分の気持ちに正直になるのはいけないことですか?ひたすら我慢しています。無条件で愛せば、どんどん相手が図に乗ってくる様な気がして腹が立ちます。

難しい質問ですみません。どうしたらいいでしょうか?

【回答】
noteを愛読していただき、ありがとうございます。とても嬉しいです。

>難しい質問ですみません。
いえ。ご質問ありがとうございます。

もし一般的な「嫌いな人」への対処法の話であれば、誰でも自信満々になれる方法等々、noteや質問箱で何度もご説明させていただいていて、説明の重複での長文化は極力避けたいので、今回は誠に勝手ながら「生理的に気持ちが悪い人との接し方」ということでトピックを限定してお話しさせていただきますね。そこについては確かに難しく、まだnoteや質問箱でも詳しくは書いていなかったので。

ただあなたが「キモい人」というのは、相手側の性質ではなくあなた側の感情なので、具体的にどんな人なのかわかりません。客観的な基準はない話であり、人それぞれに「キモい人」がいるわけで、対策を語るのには仮にでも定義しないとキリがありません。

なので今回は「意図的・積極的に嫌がらせをして来る人」「大多数の女性から見て不快に感じるぐらいに下品で、相手の気持ちを全く気遣わず、いくら女性側から拒絶されても下心丸出しでしつこくグイグイくる感じの男性」に限定し、なおかつ「こちら側から拒絶しにくい状況」を想定します。

もし同じ「気持ちが悪い人」でも例えば「ビクビクオドオドしていて気持ちが悪い」といった感じで「こちら側から容易に拒絶できるような関係性・状況」なのなら、そんなに悩むほどの問題にはならないと思いますし、実際女性からの相談で「気持ちの悪い男性からつけまとわれて困っている」というのは非常に多いので、今回はその回答としても答えていきたいと思います。

まず、僕が言っている「無条件の愛」というのは「慈愛の愛」であって「恋愛の愛」のようなものではありません。「慈愛の愛」は出会う人に無条件で拡大していくことに価値があるものであり、「恋愛の愛」は出会う人の中から限定することに価値があるものです。

この違いはみんなわかっているようで、明確に「真逆である」とまで認識している人は少なく、X上でも「出会った人を無条件で愛さなきゃならないのなら、自分を求めてくる男性全員とSEXしなければならないんですか?」みたいなイチャモンをつけられ、いくら説明しても理解する気がなくラチがあかないのでブロックしたことがあります(苦笑)

そこまで極端ではなくても、自分と他人の愛し方に書いた通り、多くの人は愛というのを好きの強意の「大好き」ぐらいの意味で使っています。しかしそういう愛はエゴの愛であって、出会うみんなを「大好き」という感じで愛そうと思っても無理があるのは当然なのです。人間には対象を好き嫌いで二分することで、それをしている自分の個性・存在を確認しようとする本能があるのですから。

無条件の愛(慈愛)というのは「心の奥底でお互いを許し(和解し)、存在を肯定し、慈愛(思いやり)を持ち、幸せ(魂的成長)を心から願うこと」ができて、それが自分の考え方や態度や行動(生き方)に反映されるようになれば良いのであり、今現在生理的に苦手な人まで無理に大好きになろうとする必要はないのです。

結局「許せていないのに愛そうとする」から無理が生じて我慢(負の感情の抑圧)が必要になるのでしょう。我慢というのは読んで字の如く「己の心をエゴで漫々にすること」であり、それは動機に愛がなく、心の奥底で和解が成立していないということなのです。それは「自分に都合の悪い相手も、こっちが我慢してやっていればいつか自分に都合良くなるだろう。もしならなければ相手が悪いのだから攻撃・排除してやれ」という感じの、結果(見返り)を期待したエゴの努力であり、ワンネスが本質の世界において報われないのは当然なのです。

我慢(負の感情の抑圧)は自分の中にマグマのように蓄積し、いつか爆発することが必然なのであり、ただ課題を先送りにして蓄積するだけの無駄な努力なのです。なのに多くの人は許すことを努力と考えず、我慢することを努力と考えてそればっかりやってるんですね。人間関係は完全に鏡ですから、当然それは自分自身に対しても許さず我慢してばかりで愛せないという事に繋がるのです。

我々に必要なのは我慢ではなく忍耐です。忍耐とは「お互いを心の底で許し、お互いの幸せ(魂的成長)を祈りながら、与えられた苦難(成長課題)を耐え忍び、乗り越えていくこと」であり、動機が愛なのです。それは我慢とは似ているようで真逆のものなのです。すべては動機次第であり、せっかくの努力も動機が愛かエゴかで真逆のものになり得るということです。

「許し」というのは「自分は正しい・相手が間違っている」という上から目線では成立しません。分離意識を乗り越えて相手のことを自分の前世や未来世のように考え「私自身と同じように、この人の欠点や過ちにもこの人なりの事情があるだから仕方がない」と同じ目線で同情して許すことです。そうすれば人を許すほど自分を許せるようになります。実際、個性・分離意識というのは幻であり、世界の本質はワンネスで、我々は同一人物のようなものなのです。個性・分離意識・エゴを乗り越えて許し愛することが魂の成長であり、その成長経験のために人生というのはあるのです。

「許し=愛」というのを、「他人から何をされてもOK」というように勘違いしないで下さいね。自分がされて本気で嫌なことを相手に何も伝えずにただ無理に我慢するというのは自分への愛の欠如であり、自分が本気で嫌だと思うことはきちんと相手に伝えることも愛なのです。そしてそれでも防げずに本気で嫌なことをされたら、それもきちんと相手に伝えて注意しなければなりません。直に話し合えるだけの「愛と勇気」を持たず、黙って耐えるしかないような関係性・環境に身を置いているのなら、それは完全に自分が蒔いた種です。

そして過去に自分がされてしまった嫌なことは、自分に必要だから起きたこと(引き寄せたこと)であり、創造主がどういう意図(愛)を持ってその人・出来事と出会わせたのかをポジティブに解釈して気づきにつなげなければいけません。

嫌なことをされた時に相手に怒ってしまって許せなくなるのは自然なことです。それでも過去についていつまでも許さず怒り続けていたら、自分の人生が恨みに満たされ、被害者意識に陥って成長できず、自分が不幸に導かれてしまいます。その場では怒ってしまって許せない自分も許しつつ、相手を許すベクトルで考え、自分の成長の糧にしていくことが大事なのです。

「過去のことをいつまでも許さない」というのでは自分が恨みに満たされて被害者意識の塊になってしまいます。被害者意識(=許さない意識)というのは恐ろしいもので「自分は被害者であり、相手のせいで自分は不幸である」と、自分が「不幸な存在」であることを自ら認めてクリエイターに宣言しているようなものであり、クリエイターは「自分とはどんな存在か」に合わせて物語を展開しますから、どんどん許せないようなことが起きて、自分がどんどん不幸な存在になってしまいます。どれだけ相手が悪くてこちらが全くのイノセントでも、被害者意識を持ったら不幸になるのは自分なのです。

運命への呪いにも書いていますが、被害者意識というのは成長拒否なので、成長のために与えられた人生において不幸に導かれるのが必然なのです。幽霊というのは被害者意識の成れの果てだからこそ「恨めしや~」と出て来るわけで、もしあなたが幸せになりたいのなら、人を許さないこと(=被害者意識)で、そんな幽霊みたいな存在になってはいけないのです。※鬱や統合失調症になると被害妄想が強くなるのは霊障の仕業なのです。

「意図的・積極的に嫌がらせをする人」は幸せでないからこそ、そうせずにはいられないのでしょう。まして「多くの異性から生理的に嫌われる人」が幸せなわけはありません。それは可哀そうな人たちなのであり、みんなの幸せを願う主人公(あなた)にとって「より救いが必要な人たち」なのです。もしあなたが分離意識(エゴ)を乗り越えてワンネス(私=あなた)に目覚めはじめ、嫌な人たちもあなたという存在を構成する一部なのだと気づけば、せめて心の中で憐れみ・許し・幸せを願うだけでもできるはずです。

どうか、どんなに嫌な人・出来事との出会いも「創造主は自分にどんなことに気づかせどんな成長を願ってこの人・この出来事と出会わせたのか」とポジティブに愛で解釈してみて下さい。その方向性(ベクトル)で努力できるのであれば、ちゃんと無条件の愛に向かっているということであり、今すぐには無理でも時間差だけでいつかはそこに辿り着けるのです。


>質問ですが、真也さんに嫌いな人はいますか?「いい加減にしろよ!」と痺れを切らして怒る事はありますか?もしないなら、なぜないんですか?

ないわけないでしょう(笑)僕も人間なんですから。その質問は「あなたの人生には成長課題がないのでしょうか?」と聞いているのと同じです。

僕のXを見ていただけたらわかると思いますが、スピ系の詐欺師・アヤワスカの自称シャーマンに対してとか、いつも「いい加減にしろよ!」って感じでキレまくってますよ。悪影響が大きすぎるので甘い顔はできません。それでも実際僕は彼らのことも心の中で「彼らなりの事情がある」と憐れみ、いつか覚り・幸せに導かれることを祈っています。

僕の乞食修業時代なんて周囲はジャンキーとか気持ち悪く感じる浮浪者だらけでしたが、心の底で同情して許し、思いやりの気持ちを持って笑顔で挨拶し、話を聞き、親切にし、お金がなくても常にお布施していました(今もしています)。

その後に成り行きでバイトをすることになって乞食修業を一時終了したら、今度は「積極的・意図的に嫌がらせをしてくる人たち」と共同生活をすることになり、立場上注意する事も拒絶する事も難しく、大変な思いをしました。僕の言語力の関係でうまく気持ちを伝えることもできず、何を言っても曲解されて余計に攻撃されてしまうような状態でした。それでも許し、奉仕していたら徐々に関係が改善し、そのうち人がほぼ全員入れ替わって、今はもう状況がすこぶる改善されています。

また僕は最近までアヤワスカ界隈にドップリだったのですが、この界隈は同性愛者が多いために必然的に僕の友人も同性愛者が多くなり、もちろん僕に彼らを差別する気など全くないのですが、僕が異性愛者であることを尊重せずにめちゃくちゃ気持ち悪い感じでグイグイ来る人と出会ってしまい、拒絶して逃げたことがあります。しかもそれをそれまで仲の良かった他の同性愛者の友人から「差別だ」とか「普段『愛の無条件化』とか言ってるくせに」とか批判されて距離を置かれ、界隈での立場も悪くなり、更に気分が悪くなりました。そうしたことも最近は全然ないですけどね。

界隈では魔にとり憑かれつかれておかしくなっているような人とたまに会いますし、やっぱり愛は常に試され鍛えられるものなんだなと感心します。

誰でも自信満々になれる方法に書いた通り、僕は「嫌いな人ゼロ作戦」を5年続けていますが、それは「常に意識していなければ、誰かを許さず・怒り・嫌ってしまう方向へ容易に流される」というのが前提の話であり、絶対に完璧にはできない死ぬまで未達のテーマだからこそ死ぬまで成長を続けられるのです。そしてその成長過程にこそ幸せがあるのです。

あなたはきっと「許さない・愛さない」という選択を安易にしてしまって成長を拒否してしまう自分」を「真也さんでもできてないのだから」ということで正当化したいのでしょう。しかし人生はあなたがプレイヤー(主人公)のRPGなんですから、僕やその他のログインプレイヤーのゲームの進捗は関係ありません。進捗を比較するべきは昨日までの自分です。

「慈愛の愛」というのは無条件化(拡大)していく方向(成長のベクトル)で努力すべきものであり、最初から完璧にできないからといって条件化(限定)する方向(退化のベクトル)で生きてはいけないのです。


どんなに苦手な人との出会いあっても、人生というRPGのストーリー上で意味(役割)があって、クリエイターが何か大切なメッセージを気づかせるため・成長させるために課題として愛で与えられているのです。だからものすごく苦手な相手でも「許し難きを許し・愛し難きを愛するRPGにおけるレベルの高い課題」と考え、例え今のレベルでは敗走・逃走することが多くても、常に乗り越えようとする成長ベクトルの中で試行錯誤していかなければならないのです。相手を痛めつけることなく、愛で無敵(敵がいなくなる)を目指して下さい。


ベクトルが成長方向ならポジティブな経験を通じて学ぶことが多くなり、ベクトルが退化方向ならネガティブな経験を通じて学ぶことが多くなります。どちらも貴重な学びなのですが、人はネガティブな経験が続くと往々にして自分を守るためにネガティブで誤った悟り方をして益々ベクトルを退化方向に向けてしまい、不幸に導かれてしまうものなのです。

時間というのは幻ですから、今現在完璧にできていないことでも、最後までやりきろうという覚悟が強固なのなら、それは未来においてできるようになっていることであり、それは既にそれができる「存在」になっているも同然なのです。逆に「今現在完璧にできないからやらない」と決断することは「難しいことは何もやらない存在に既になっている」ということであり、それは自分が「成長を拒否する存在=不幸な存在である」と自認しているに等しいのです。そしてクリエイターはその人が「どんな存在か?」に応じて物語を展開しますので、どんどん不幸な出来事が訪れるようになってしまいます。

たった一人でも「この人は本当に嫌な人だから、許し愛するのは絶対に無理だ」などと考えて諦める例外を作ってしまうと「自分は愛(許し・思いやり)を条件化する存在である」と自ら認めたことになってしまうのです。そうすれば一つのヒビが拡大してダムが決壊するようにどんどん嫌いな人が増えていってしまうでしょう。

そして「理由さえあれば人を嫌っても仕方がない」と考える人が、誰よりも欠点や過ちを知っている自分自身を許し愛せなくなるのは必然なのです。まさに人間関係は鏡ということです。そしてそれこそあなたが「卑屈な自分に戻される」ことの主要因かと思います。「自分に都合の良いものだけを愛する」「都合の悪いものは嫌って愛さない」という「エゴの愛」は成長を必要としないものであり、成長経験を目的に作られている人生というRPGにおいて・ワンネスが本質の世界において、不幸に導かれるのは当たり前のことなのです。



>無条件で愛せば、どんどん相手が図に乗ってくる様な気がして腹が立ちます。

僕が「愛の無条件化」というのは八方美人になって「誰に対しても無理して大好きなフリをしてご機嫌取りをする」ということではありません。それは相手一人ひとりを本当に尊重(愛)しているのではなく、自分が深く考えることを放棄して、一つの手法だけでラクに全ての人間関係を乗り切ろうとしているだけのエゴ(怠惰・成長拒否)でしょう。

そのように心が全く伴っていない八方美人みたいな安易な手法を「愛の無条件化」だと誤解しないで下さいね。八方美人というのはみんなにも自分自身にも嘘をついて心の声を抑圧しながら、他者評価・自己利益のためにみんなにおもねっているだけです。それは自分の心を偽っているので自分が苦しくなり、他人に振り回された挙句、矛盾が生じ嘘を見抜かれて嫌われ、また気持ちの悪い人から勘違いされ調子に乗られたりもして、行き詰まるか事故るかになるのは必然なのです。ただ八方美人なだけでは誰も幸せになどなれないということです。

人との接し方(慈愛の発揮し方)というのは自分と相手との関係性に応じて自然かつ柔軟に変えていくべきであり、お互いにとって一番心地良い接し方・関係性を模索していくべきなのです。そしてそれが本当の意味でお互いを尊重する(愛する)ということなのです。

だから「積極的・意図的に嫌がらせをしてくる人」や「下心のある気持ち悪い男性」に対してあなたが無理に「大好き」みたいな接し方をする必要はありませんし、そんなものは無条件の愛ではありません。本気で嫌な事をされたらその場では怒って拒絶して距離を取るのは当然のことであり、それによって「自分は人を無条件で愛せていない」などと落ち込む必要は全くありません。

あくまでも愛を無条件化するベクトルで生きている人間にとって、自分と相手との関係性によって接し方を変えるということは、分け隔てをするということではないのです。分け隔てというのは「こういう人は愛せるけど、こういう人は愛せない」と愛を条件化して、自分に都合の良いものだけを愛し自分に都合の悪いものには愛(思いやり)を持たず、嫌って排除するような態度のことであり、それは成長拒否・退化のベクトルですから不幸に導かれるのが必然なのです。自分に都合の良いものだけを愛する条件付きの愛(エゴ)は、どんな悪人でも赤ん坊の頃から持っているものであり、成長は必要ないのです。

そして関係性・接し方というのは決して不変ではなく、改善していく(愛を無条件化していく)ベクトルで努力すべきものであり、関係性が改善されてくればそれはお互いに成長しているということですから、必然的にだんだん嫌なことはされなくなっていきますし、だんだん心の底で許せるようになってくれば、嫌なことをされてもあまり嫌には感じなくなっていきます。


>「キモ!」「お前クズだな!」と思いっきり怒鳴りつけたいです。こうやって自分の気持ちに正直になるのはいけないことですか?ひたすら我慢しています。

あなたが許しと慈愛の心を己の中に育てられていたら、いくら苦手な人だからといってもそんなに思いやりのないひどい言い方にはならないはずです。あなたが相手からどれだけ嫌な事をされたのかわかりませんが、もしそれが犯罪レベルではなくあなたが個人的に不快に感じるだけなのなら、明らかに過剰反応です。そしてそのようにひどい言い方で注意(というより侮辱)された方は確実に心が傷ついてあなたに反発し、過ちを改めようとか欠点を乗り越えようなんて絶対に考えず、ますます嫌なことをしてくるでしょう。例え一時的には言いたいことを言って自分がスッキリしたとしても、完全に逆効果です。

そのように過剰反応してしまうのは、恐らくあなたがまだ自分に自信が持てないために「自分は正しい」というのをプライドの根拠とし、意見に過ぎないものを自分と思い込み、常に批判し嫌悪する対象を引き寄せ、傷つけられないよう己を守る卵の殻の如きプライドのバリアがその人たちから割られそうになるからではないでしょうか?もしそうなら同じ過ちを繰り返してしまうに書いた通り、プライドの根拠を「成長していける自分への愛」に置いて下さい。

もし注意するならお笑いのツッコミ的に、言われた相手が苦笑いして周囲がそれを笑ってくれるぐらいの感じで伝えるべきでしょう。お笑いのツッコミというのは相手への嫌悪が動機ではなく、みんなを笑顔にするための愛が動機なのであり、批判もお笑いに昇華できるようになれば人生は格段に明るく楽しくなります。常にどうやったら笑いに変えられるかを考え、嫌なことがある度にシリアスにならず、オイしいネタができたと考えて下さい。

そしてもしあなたが内心怒りっぽい人なのなら、心の中に長州小力を住ませておくといいですよ(笑)そしてキレそうになったら「長州さん、キレてますよね?」と自問し、脳内モノマネで「・・・キレてないですよ」と自答します。更に「俺キレさしたら大したもんスよ」と被せ、相手の悪役っぷりを讃えます。そうやってまだまだ痩せ我慢しているレベルにある自分を自分で笑うのです。そうしたら自分を客観視できて、心に余裕が出てくることでしょう。

僕が「自分の心に正直になる」というのは、「魂の声を抑圧せずに耳を傾ける」ということであり、それはつまり自分の中の愛(思いやり)に正直になるということです。エゴに正直になって湧き上がる負の感情をそのまま表に出し、相手にぶつけたり誰かに八つ当たりすることではありません。負の感情というのは大小便と同じで溜め込まずに一人でこっそり処理するものです。そしてできればその負のエネルギーを何かポジティブなことに使って昇華して下さい。

実態の伴わない努力に効果はあるか?もぜひ読んでみて下さいね。多くの人が魂の声を無視し、ポジティブな考え方(認識方法・世界観)が魂レベルで腑に落ちていないのにポジティブを演じ、湧き上がる負の感情を無理やり押さえつけことばかりやっているから諸々うまく行かず心を病んでしまっているのだと思います。

男性の下心というのはエゴそのものであり、大抵は女性から拒絶され傷つけられるのが宿命なのですが(苦笑)、さりとて女性が「気持ちが悪い」という自分の感情のままに無慈悲に男性を傷つけてしまってばかりいては、あなたが引き寄せたい男性も遠ざけることになるでしょうし、周囲の人間まで巻き込んで雰囲気を悪くし、仕事もプライベートも人間関係全般がうまくいかなくなるでしょう。逆上されでもしたら事件になりかねませんし、結局一番損をするのは自分です。

そのように「嫌いな人(間違っている人)がどれだけ傷つこうと自業自得だから構わない」というような残酷で無慈悲な考えこそが世の不幸の元凶なのであり、戦争なども究極はその連鎖で起きていることなのです。

ホステスみたいに男性の下心を積極的に自己利益のために利用するのもどうかと思いますが、さりとてあまりに無慈悲に拒絶していたら仕事(営利活動)は成り立ちません。

僕の経験を話すと、かつてフリーランスで働いていた頃、とても良くしてくれる年上の女性が何人かいたのですが、明らかに恋愛感情もあって過剰に親切にされている感があり、こちらが不快に感じるほどグイグイ来られたりもして、さりとてこちらも生活があるので(エゴですが)無碍にもできず困ったことがあります。今は基本的に営利活動はしていないのでそのような状況にはなっておらず「やっぱり資本主義は覆さなければいけないものなんだな」と思っているわけですが。余談でした。

自分が本気で嫌なことをされたとしても、相手に対する最低限の慈愛の気持ちは忘れてはいけませんし、傷つけないように伝え方はよくよく考えるべきでしょう。人間とは愛されたい生き物なのであり、嫌われる人もその人なりに事情があってそうなっているのですから、憐れみの心は最低限持つべきです。

そして自分も相手がされて嫌なことを積極的に学んでそれをしないよう努力していないのであれば、自分がされて嫌なことを人に伝えることがただのわがままになってしまいます。

嫌な人間というのはゴキブリの如くどこにでも現れます。それは成長課題としてカルマ(シナリオ)があって出会っているのです。すべての存在・すべての出会いにはちゃんと役割があり、ゴキブリという悪役は人間に嫌がられることで、人間に自発的に衛生を心がけるようにさせる(成長させる)という役割があるわけです。嫌いな人をゴキブリに例えるのはひど過ぎますけども(笑)

もちろんゴキブリも生類なのですから慈愛の心を持つべきですが、だからといって台所にゴキブリが繁殖しているのに、生理的嫌悪感を抑え込んで我慢して無理やり好きになろうとして、退治もせずにそのままにしておくことは自分自身への愛の欠如です。かといって退治するのに不必要に苦痛を与えたり、また絶滅させようと無理に追い詰めるのも生類に対する慈愛の欠如です。役割があって存在しているのに無理に絶滅させようとしたら、必ず人間にも悪い影響があります。蚊などはまさにそうなっていますし、ゴキブリもきっとそうです。

みんなゴキブリを嫌がりますが、ゴキブリが繁殖する要因というのは必ず人間側が作っているのです。もちろんどれだけ衛生的にしようと人間が住める環境である限り全くゴキブリに出会わないようにはできないのですが、衛生を常に心がけることで格段に出会いにくくなるのです。

同じように、嫌な人と多く出会うのならそれは自分が引き寄せているのであり、まず要因が自分側にあるのだと認識しなければ、根本的な対策はできないのです。嫌な人間と出会う度にどう対応するかを考えるのは後手の対策であり、根本的な対策にはならないということです。

問題を相手のせいにして文句を言うのはRPGの設定に文句を言うのと同じであり、それは成長拒否であって不幸に導かれるのが必然なのです。ゴキブリに「キモい!」「出て来るな!」などと文句を言っても仕方がありませんし、出くわす度に後手で対応していてもキリがありません。

同じように、嫌な人間とできるだけ出会わないようにするには、良い環境(道)を選択し、常に精神的衛生を心がけること=自分と周囲の心の波動を上げることが必要であり、それが魂的成長につながるのです(嫌な人間との出会いは成長を促しているのです)。

対策として最悪なのは、人を避けて引きこもることです。実際世の中が嫌な人だらけに思えるようになって人間関係そのものが嫌になり、鬱になって引きこもりになる人は多いです。またそこまではいかなくても、精神的にひきこもって誰にも心を開かなくなる人もたくさんいます。人間関係こそが創造主から与えられた修行の場ですから、人を避けては成長のしようがなく、人生というRPGが最悪につまらないものになり、不幸に導かれるのは当然のことなのです。

創造主は人生というRPGをすべて主人公である自分次第に創ってくれています。自分が変わればすべてが変わるということです。しかしそれを「問題の原因が自分にある」と責められているように誤解しないで下さいね。答えはいつでも「誰も何も悪くない」「でも自分が変わらなければ何にもらない」です。あなたの過去は全てシナリオ通りであり、ゲームの設定のようなもの(必然)なのです。だからその良し悪しを判断して自分や誰かを責めたりせず、それを自分に与えられた課題なのだと解釈して乗り越え、未来に用意されたより良いシナリオを選択していって下さい。

いつも使っている例えですが、ゲームのバイオハザードでゾンビが出てくるのは主人公が悪いからではありません。ゾンビになった人やゾンビウイルスを作ったアンブレラ社やゲームそのものを作ったカプコンを責めてもゲームは進みません。ただ目の前の課題をクリアすることで自分が主人公のゲームを前に進めて下さい。他のプレイヤーと自分を比べる意味はなく、ゲームにおける自分の成長を楽しめればそれで良いのです。人生もそれと同じです。

だいたい嫌な人に多く出会う人というのは、嫌なことを誰かのせいにして被害者意識に陥って成長を拒否しているから、更に心の波動が下がってネガティブな人や出来事をこれでもかと引き寄せ、更に心の波動が下がる悪循環を起こしているのでしょう。そして人を嫌って孤独に陥るのですね。僕も目覚める前は完全にそうでした。

悪循環と言うのは様々な要因(カルマ)が複雑に絡み合い、原因と結果が循環して起きているわけで、何か一つの要素だけを改善してもホメオスタシス(恒常性)が働いて元に引き戻されるので、なかなか簡単には良くはなりません。問題は人それぞれの部分も大きく、それを解決する方法というのも一口に語ることはできません。

そもそも僕のnoteも質問箱もいわば全て「人が幸せになるためのメソッド」を書いたものであって、言い換えればそれは「心の波動を下げる要因分析と対策」を書いたものなのです。もしそれを読ん下さっている方々がまだ幸せに導かれているのを実感できず、心の波動が低いままで嫌な人をたくさん引き寄せているのだとしたら、まだ僕の伝えたいことが伝わってないということになります。とても厳しい言い方になってしまいますが、きっと自分に都合の悪い部分・自分にはできそうにないと諦めている部分は飛ばして読んで、ちゃんと実践する中で理解しようとはせず、自分に都合の良いように曲解し、頭で理解した気になっているだけだからうまく行かないのでしょう。

誰でも自信満々になれる方法
悪いカルマの解消法
罪と恥の存在意義
自分と他人の愛し方
同じ過ちを繰り返してしまう
実態の伴わない努力に効果はあるか?
等々、あらためて「魂レベルで腑に落ちるまで」読み直して実践に繋げていただけると幸いです。

そして
「嫌な人とできるだけ出会わないようにするには?」
「女性が気持ちの悪い男性を引き寄せないようにするには?」
については、また機会を改めてもっと深堀してご説明差し上げたいと思います。
あまりに長文化すると誰にも読んでいただけなくなるので、今回は申し訳ありません。
既にだいたい頭の中で言語化できてはいるので、近日中にアップします。

【後日記】
キモい男性を引き寄せない方法

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。


2024年9月19日木曜日

家族の統合失調症(再々々質問)

【質問】20代男性 ペンネーム:まほ
姉が病院に行きたくないというため、病院には行けずもう諦めました。姉は精神病棟に入院するということが、どこかに幽閉されて薬漬けにされることのように思ってひどく恐れていて絶対に行こうとしないんです。

姉は統合失調症なのか境界性パーソナリティー障害なのかわかりませんが、気分が良い時と悪い時の差が激しいです。措置入院は私や母が姉から大きなケガでもさせられない限り不可能です。私も母もその前に危なくて逃げてしまいますから。

病院に行く以外でできる克服法は自分の浄霊力を高めておく、自分が仕事をする、母と共に引っ越すしかないのでしょうか?統合失調症は一人では治しにくいと言われていますが、姉は毎回外に一人で出るのを恐れてほとんど出ませんし、私と母がいなくなって一人にしてしまうと余計に症状が悪化してしまい、どうなるか見当もつきません。

私は姉から暴言を吐かれても何も言い返せず、暴力を振るわれるても逆らわずに殴られっぱなしになり、永遠にこのようなイジメ状態が続いてしまう気がして、どうすればいいか分かりません。

ラインメッセージも姉から数分おきに来るので怖いです。姉は他に話す人を見つけるべきだと思うのですが、今はそれがいないように思えます。メッセージの内容は猫の動画や画像や愚痴がほとんどです。そして姉は部屋にいる時もすぐに自分を呼んで手伝いを命令したりしてくるため、自分の好きなことに集中ができません。

どれくらいの時間で姉の精神病が治るか見当がつかずに、永遠にこのような状態が続く場合は、母や自分を守るために姉を抹消するべきでしょうか?魂は永遠で輪廻転生を繰り返すのであれば、記憶がなくなった状態で再び新しい人生を迎えるのも良い方法だと思いました。

※質問文はこちらでわかりやすいように修正しています。

【回答】
>姉は統合失調症なのか境界性パーソナリティー障害なのかわかりませんが、気分がいい時と悪い時の差が激しいです。

明らかに統合失調症です。何度も言っているように、まず緊急事態なのだということをあなたは認識して下さい。良い状態の時もあるからといって、専門医を頼らずにあなたや母だけで何とかできると考えるのは大間違いです。

僕は薬物治療には懐疑的・反対の立場ですが、さりとて緊急事態においては専門医を頼る以外にありません。あなたにそれを何とかできるほどの霊的な知識と研鑽があったら、そもそもそのような状況にはなっていません。

>措置入院は私や母が姉から大きなケガでもさせられない限り不可能です。私も母もその前に危なくて逃げてしまいますから。

それは明白な誤解です。まず、家族の同意があれば医療保護入院という選択肢があります。そしてその可否を判断するのは精神保健指定医であり、実際に大きなケガをさせられるまで強制入院させられないということはありません。あなた自身が入院を過度に恐れているから、ちゃんと調べずに思い込みだけで勝手に選択肢から外しているのでしょう。

以下引用です。
「精神保健指定医が、精神障害のために自身を傷つけ、または他人を害する恐れが著しいと認めた場合には、知事の命令により入院させることができます。」

ですから精神保健指定医を呼んで下さい。そのお医者さんがあなたの姉に実際に会って病状を知り、あなたや母が姉から日常的に暴力を振るわれ刃物まで向けられたこともあるという事実と「殺す」などというラインでの脅迫内容を知り、あなたや母がここまで追い詰められているということを知れば、いくら姉の病状が落ち着いている時期だったとしても、強制入院にならないということは考えにくいです。

ただそれはあくまであなたが訴えている姉からの被害が全部本当であれば、ですが。あなたの重症度から行くと、あなた自身の統合失調症による妄想がかなり含まれている可能性があり、あなたはそれが内心わかっているからこそ、医者に見抜かれることを恐れ、またあなた自身が入院させられることを恐れ、強制入院をどうしても選択肢から外したがっているのではないでしょうか?

確かに世の中にはあなたやあなたの姉がイメージするように精神病患者を幽閉して薬漬けにして死ぬまで出さないようにするような悪質な施設もあるでしょうけども、今時そういうところに患者を送るような医師が都道府県指定の精神保健指定医になれるということはまずないでしょうから心配は要りません。もし心配なら信頼できるお医者さんに出会えるまで根気よく探してみて下さい。

>病院に行く以外でできる克服法は自分の浄霊力を高めておく、自分が仕事をする、母と共に引っ越すしかないのでしょうか?

いったい誰がそんなアドバイスをしましたか?僕はあなたに今すぐ仕事をすべきだとか、引っ越すべきだとか言った覚えがありません。何より今の状態の姉を一人にして良いわけがありません。

僕はあなたに専門医を頼る以外どうこうできる状況にはない緊急事態だと言っているのです。断言しますが、今のあなたに他の選択肢はありません。あなたは何度も「それ以外の方法はありませんか?」と質問されていますが、ないものはないのです。他にもっと良い方法があったら僕にそれを隠す理由はありません。僕が日本にいて直接お会いできるのならもっとやりようもあるでしょうけど、ここブラジルにいては入院を勧めることと祈ること以外できることはありません。この緊急事態では。

あなたも母も統合失調症についてほぼ何も知らないのですし、そこまでひどい状況になっているわけですから、より深刻な事態を防ぐために、あなたの霊的成長が間に合うとは思えません。あなたが僕からのスピリチュアル的なアドバイスを聞くだけでどうこうしようと思っても無理です。そもそもあなたは霊的成長が必要なアドバイスを全部まるっと無視して「ラクにできる方法」を探しているだけですから、話になりません。

僕があなたに浄霊を勧めたのはあなたの姉の問題を直接的に解決するためではなく、あなた自身の(中・長期的な)霊的成長のためであり、カルマを乗り越えるのためです。あなたはまず世界救世教でも真光でも訪ねて浄霊を受けてみて下さい。浄霊を受けたこともない・効果を感じたこともないのに、自分の浄霊力を高めようとかは話になりません。あなたが自分のカルマを解消できないのに、姉のカルマを解消しようと思っても無理です。逆にあなたが自分のカルマを解消できれば、周囲の人のカルマも自然と解消されるのです。そしてもしあなたが浄霊を受けたからと言って、ここまで悪化している姉やあなたの問題がそんな急に劇的に解決できるということはありません。時間がかかります。覚悟して下さい。

>どれくらいの時間で姉の精神病が治るか見当がつかずに、永遠にこのような状態の場合は、母や自分を守るために姉を抹消するべきでしょうか?魂は永遠で輪廻転生を繰り返すのであれば、記憶がなくなった状態で再び新しい人生を迎えるのも良い方法だと思いました。

抹消???姉を殺そうと思っているということですか?
あなたがそのように考えるほど追い詰められている時点で、あなたも姉も相当に重症なのであり、もはやあなたや母だけでどうこうできる状況ではないのは明白です。あなたにも姉にも自覚がないだけで、既に自我を霊障に乗っ取られているのでしょう。

姉どうこう以前にあなた自身がかなりの重症なのであり、まずあなたが専門医を頼って姉のことも含めて相談すべきです。そしてもし信頼できる専門医が見つかったら、どうやったら姉を説得して通院ないし入院させられるのか?または措置(強制)入院が必要なのか、相談した方が良いと思います。

まずもってあなたも母も精神的におかしくなっているのにその自覚を持つ勇気を持たないから、余計に姉も自分がおかしくなっていると自覚する勇気が持てないのでしょう。あなた自身が自分の病気を認め、信頼できる専門医を見つけ、自分の状況が改善されたら、姉もきっと同じ医師に安心して相談できるようになるでしょう。あなたが自分の病気を認め、専門医を頼り、良くなっているところを見せて安心させて下さい。

あなたが姉から逃げようとか殺そうとか考えている時点で、あなたが姉の病気を治したいと考える動機は自分が平穏無事にヒキニートを続けたいというだけのエゴであるということであり、全く愛が感じられません。あなたは「母と自分を守るため」などと書かれていますが、あなたの母に対する愛は4度の質問を通じても全く伝わってきません。そのようなエゴ動機で霊的知識・研鑽を積んだところで何も良い影響はないでしょう。むしろ悪い影響があるのが目に見えているので、僕は浄霊を受ける以上のことはあなたに教えられないのです。まだその段階にはない、ということです。

あなたがいつまでも愛に目覚めようとしないから、神仏も不動明王のようにどんどん手段が手荒になるのでしょう。

あなたはもう以前の平穏無事なヒキニート生活には戻れないのだと覚って下さい。そこに未練があってその生活に戻りたいというエゴ(成長拒否)が動機になってるから、あなたに成長を促すためケツを叩くように不幸がもたらされているのであり、小手先で何をやろうともうまく行くはずがないのです。あなたに愛がないからこそ良い医者にも出会えず、例え出会っても良い影響を受けられないのでしょう。今まで通りエゴにまみれたままで物事がうまく行ったら、あなたは成長を拒否してヒキニートを続けるのが目に見えていますからね。

家に引き込もったら追い詰められるのですから、散歩でもいいのでとにかく外に出て下さい。そうする中で少しずつでも人と交流し、自分の中の愛(思いやり)を育てていって下さい。そのために六波羅蜜・新六波羅蜜を行じることをアドバイスしたはずですが、あなたは丸っきり無視しているわけで、僕が何をアドバイスしても話にならないのです。あなたがエゴを乗り越え愛に目覚めない限り、そして心からの信心と感謝を持たない限り(それがカあなたのカルマ=課題です)、小手先のテクニックとして霊的な行法など学んでも、それはカルマ(課題)から逃げるためのものであり、悪い影響しかありません。

そして何より統合失調症について学んで下さい。統合失調症関連の本はだいたい安いですので、まずは良さそうな本を選んで読んで知識をつけてみて下さい。ぜひあなたの母と一緒に。統合失調症とは何か?統合失調症の人とどう接するべきか?もし自分が統合失調症ならどうすべきか?見えてくるでしょうから。

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とにかく僕がどれだけアドバイスしようとあなたは全く実践する気がないようですから、同じ質問を何度送って来ても意味がありません。何度も言っていますが、再度質問するなら前回の回答への感想と実際に僕のアドバイスを実践みてどうだったかを書いてからにして下さい。あなたはできない言い訳ばかりしては同じ質問を繰り返すだけなので話になりません。僕はあなたにできないようなことは一切書いていません。あなたが「やりたくない」ってだけで勝手に無理だと思い込んでいるだけです。

どうか事態の緊急性だけでも認識し、殺し合いになるとか事件に発展する前に必ず専門医を頼って下さい。話はそこからです。よろしくお願いします。

2024年9月12日木曜日

同じ過ちを繰り返してしまう

【質問】20代後半・男性(アヤワスカチャレンジャー)
謙虚さを忘れず、傲慢さを無くすにはどうしたら良いでしょうか?

私は謙虚さを忘れて傲慢になって後悔し、また謙虚さを忘れることを人生で繰り返してしまっています。人に対して、出来事に対して何らかの対立や不満が出てきては、後で「なんであんなことをしてしまった / 言ってしまったんだろう?」となってしまいます。

日頃を思い返すと自分にも他人にも「こうあるべき」という考えが強くて、あるべきでないとイライラしてしまったり、他にも生かされていることへの感謝を忘れていたり、与えられていることの価値を忘れていることも原因と考えています。

真也さんは怒らない修行を続けているとのことで、謙虚さを忘れないための心構えをぜひお聞きしたいです。


【回答】
ご質問ありがとうございます。実に、実に良い質問だと思います(感動してます)。あなたのことがよりいっそう愛おしく感じました。本当に、今すぐ抱きしめたいぐらいに。普通、人というのは己の欠点や過ちがわかっていても自分では認められないものなのです。


それなのにそこを自分で認めるというのはとても勇気の要ることだと思います。そしてまた僕を信頼して質問して下さったのですから、僕にとってもすごくありがたいことであり、心して回答させていただきたいと思います。

それにしてもつくづく人の悩みというのは共通だなと思いました。あなたのその素晴らしい気づき(=目覚め・覚り・成長)は、とても多くの人の素晴らしい気づきにつながると思います。

本来的に言って、自分の欠点に気づいた時(=目覚めた時・覚った時)というのは、もう既にその欠点を克服しているということなのです。欠点というのは本来的に、気づけば直るものだからです。それゆえ己の欠点への気づき=目覚め・覚り・成長なのです。

それなのに人はなぜわかっていながら同じ過ちを繰り返してしまうのでしょうか?それはほぼ人類に共通した課題かと思います。決してあなただけではなくほぼほぼみんな同じですから、決して自分だけのように考えて自分を責めて落ち込んだりしないで下さいね。

成長とは本来的に喜びなのであり、人生はその「覚り=目覚め・気づき・成長」の喜び(感動)を経験的に知るために存在するものであって、愚かさ(無明)というのはそのために創造主からの100%の愛によって人間に与えられているものなんですね。人間が終生「覚り=目覚め・気づき・成長」を楽しめるように、生きている限り尽きることなく与えられ続けるのです。とてもありがたいことに(ちょっと皮肉w)。

ただし「覚り=目覚め・気づき・成長」というのは、言い換えればある点において過去の自分が愚かだったと認めることであり。そこには痛みを伴うのです(成長痛)。その痛みを痛快に感じられるようになれば、人間はどんどん成長していってどんどん幸せになれるものなのですが、世の多くの人がその成長痛を拒否し、成長できないままでいるのです。その痛みを乗り越えて成長するところに人生の喜びがあり、そのために生まれて来たのにも関わらず、です。

なぜそのようになってしまうかというと、まず、みんな幼い頃から知らず知らずのうちに他者評価へ依存させられていて、自分で自分を評価できない=愛せないようになっています。いつも他人と自分を比べてばかりいて、必然的に劣等感に苛まれ、それでも何とか自尊心を保とうと、能力とその実績(富や名声やモテなど)を伸ばして他人に示そうとしてしまい、それができないと(できないのが普通です)「自分は正しい(独善)・相手は間違っている(劣っている)」ということで他人に対して優位を示すことで自尊心を保とうとしてしまうのです。正しさに能力は要りませんからね。

その点は周囲のみんなも同じなので、それが当たり前(常識)になってしまっていて、みんな「自尊心を保つために自分より間違っている人間を責めて蹴落とそうとすることで自ら地獄に落ちる『蜘蛛の糸』のカンダタになっている」という自覚さえがないのです。まるで「間違った人間は不幸になって当然だ・自業自得だ」「もし地獄で裁きを受けるのだとしたらあいつの方が先だ」と言わばんばかりのその無慈悲さを。

これは既に誰でも自信満々になれる方法などに詳しく書いていることですが、「自分は正しい」というのをプライドの根拠とすると、人は必然的に誰かの非を常に見つけて責めることで己のプライドを守らなくてはならなくなってしまうのです。それが「みんなが他人の傲慢さを嫌いながら、自らの傲慢さ(独善性)を改められない理由」であり、人間関係が上手くいかない理由の根源なのです。

そしてそのように「自分は正しい」ということを根拠に自分のプライドを守ろうとすると、「自分は間違っている」ということを認めたらプライドの根拠が崩壊してしまいますから、必然的に自分の欠点や過ちに気づいても、意地でも認められない=成長できないことになってしまうのです。

人間のプライドというのは2種類あります。
①成長するまで傷つかないよう自分を守る卵の殻のようなプライド(エゴ)と、
②その殻を突き破って成長する支えになる背骨のようなプライド(愛)です。
多くの人は前者のプライドばかりで殻に閉じこもっているんですね。そうやって自分が傷つかないよう自分を守ろうとすることに必死で、過去の自分の考え(意見)に過ぎないものをまるで自分自身であるかのように思い込み、それをプライドの根拠としてしまって(意見のプライド化)、自分を守る卵の殻のような牙城を意見(正しさ・独善)によって構築してしまい、いつまでもそれを打ち破ることができず、成長できないのです。

人間の成長というのは「愛」が原動力でなくてはありえないものなのです。あなたは自分のことを愛さず否定してくるような経営者のために一生懸命働きたいと思うでしょうか?思いませんよね?人間というのは霊的意思の集合体であり、それらは自分たちを嫌い否定するような愛のないエゴにまみれた主(主人格・あなた)のために、一致団結して一生懸命働こう・成長しようとはせず、逆に「隙あらば」と事あるごとに反発してくるのです。

わかりますか?あなたがいくら「自分のこういう所が嫌いで直したい」と己の自己嫌悪・自己否定(エゴ)を原動力に成長しようと思っても、自分の中の霊的意思たちがそれを阻んでしまうのです。多くの人はそのようにしてネガティブな霊(霊障)を自ら創り出し、同じ波動で外からも呼び集めているということです。霊障というのは自分自身のシャドウですから、自分自身と同じように「否定されたくない・傷つきたくない」という意思を持っていて、あなたが否定し攻撃すればするほど反発して猛威を奮うのです。そしてそれが「わかっているのに同じ過ちを繰り返してしまう」のメカニズムなのです。

そうしてネガティブな霊的意思たち(霊障)を主人格によってコントロールできなくなって、後から「なんであんなことをしてしまったんだろう?」になるんですね。主人格であるあなたがいくら「謙虚になろう」と思っても、それは自分自身に対して愛がなく、傲慢かつ独善的に否定して無理やり抑圧しているのであり、それによって自分の中にある霊障たちの自尊心が常に傷つけられ、「否定されたくない・消されたくない」と反発して、その存在を主張するかのように暴れてしまうんです。傲慢かつ独善的に。

その目先の解決方法としては浄霊があるわけですが(真剣に続けてますか?)、霊障を創り出しているのが自分自身なのでは根本的な解決にはなり得ません。霊障というのは自分が人生で味わった苦しみ(被害者意識・成長拒否による不幸)を宿主にも味あわせることで強制的に同情を引こうとするものなので、解決するには自分がその不幸の原因を覚り成長することであり、霊障をも許し愛することで霊障に自ら覚らせ、一緒に成仏することです。

つまり自分の中にある「傲慢で否定的な態度で他人を否定してしまう」という霊的意思たちをまるで他人のように敵対視して嫌悪し否定するのではなく(それが霊障を人格化させます)、まず自分自身で「自分にはそういう部分もある」ということで一旦丸ごと受け止め・受け入れ・許し・愛することが大事だということです。

欠点や過ちというのは誰にでもあるものです。それがなければ人生は成長の物語にはなりません。ですからまずは自分の欠点や過ちを自分のものとして受け止め、「成長して行ける存在としての自分」を愛することです。それはつまり「許し難き(自分と他人)を許し、愛し難き(自分と他人)を愛せるように成長努力を終生続けていく自分」を愛するということであり、自尊心の根拠を能力や実績ではなく愛(努力して魂的に成長していける自分)に置くことです。

「成長していける存在としての自分」に価値を置いて自分で愛せていれば、欠点や過ちを素直に認めて改めることで、自分の価値を上げることができます。逆に「自分の正しさ(意見)」に価値を置いて自尊心の根拠にしていれば、己の欠点や過ちを認められず、間違いを指摘されると傷ついて猛反発して意地になって改めようとせず、また他人の欠点や過ちを責めることで猛反発され、人間関係がうまく行かなくなって不幸になるのが当然なのです。

「自分でも嫌なのに、他人に対して傲慢で否定的な態度を取るのを止められない」などというのは決してあなただけではなく、誰にでもある欠点・過ちであり、成長課題・過程なんです。もちろん僕自身もかつて限りなく犯して来た過ちであり、今でもたまにそんな失敗をしてしまうことがあります。もしあなたがそういう成長過程にある自分を許し愛せないないなら、あなたと同じような他人のことも同情して許し愛せず(そういう人をあなたが同じ波動で引き寄せて、鏡のようにして自分自身を見させられているのです)必然的に衝突ばかりになってしまうでしょう。許し=愛であり、許せないのに愛せるということは本来的にありえないのです。

自分に対して愛のなく無理やり押し付けるような謙虚さというのは、必然的に自分が他人から傲慢さを指摘されて傷つかないように先回りして自分を無理やり押し下げるだけの「卑屈さ」になってしまいます。そんなことをしても自分の自尊心を無理やり抑圧して苦しめることにしかならず、結局はその卑屈さに乗じてこちらを傷つけて来た相手に烈火の如く怒っていつまでも恨むような、謙虚とはまるで正反対の傲慢・独善と化してしまうのです。

しかし世の中の殆どの人は、自分に対しても他人に対しても愛がなく、イコールの関係で考えられないために、本物の謙虚さ(愛)を身に着けることができず、傲慢(独善)になるか・あるいは謙虚を装った卑屈(我慢)になるかしかなくなるのです。まるで双極性障害のように。

ドラクエのようなRPGなら、レベルの低い現在の自分がどれだけ弱く・何も持たず・何もわからなくても、追々成長し・必要なものは必要に応じて手に入り・全ての謎が解けることが最初からわかっていますから、劣等感に苛まれることなくゲームを楽しめます。そこは人生もRPGも同じなのだと心から腑に落ちれば、自分(プレイヤー・主人公)と他人(他プレイヤー)を一切比べることなく、自分に与えられたシナリオを全うしていくその過程を楽しむことができるようになると思います。

「成長して行ける存在としての自分」を愛するというのはとても大切なことで、それによって過去の欠点や過ちも、成長の喜びを経験するために必要な過程だったと愛せるようになるんですね。成長というのは決して今までの自分を否定することではないのです。そもそも欠点や過ちというのは成長を期待されて創造主から主人公であるあなたに与えられたオリジナルの成長課題(問題集・ドリル)であり、決して意地悪で与えられているのではなく、またあなたが悪いから罰として与えられているのではないのです。だからその欠点や過ち(課題)の存在を理由にして「自分はダメだ」などと考えたり、自分に与えられた課題の重さやその解決の進捗具合を他人と比べて劣等感や罪悪感に陥る必要はないのです。難しい課題はレベルの高い魂にこそ与えられるものなのですから。

人生は桃鉄みたいに「周囲の人間よりたくさんお金を稼いで先にゴールすれば勝ち」のようなシミュレーションゲームとは違います。あなたという主人公が起点となってこのディストピアな世界を覚りの連鎖によってひっくり返し、世界に光(愛・智慧)を取り戻すRPGなのです。

エヴェレット解釈の通り、世界は「一人一宇宙」であり、あなたの認識世界はあなたを主人公とするRPGなのです。そしてあなたのその認識世界はあなたの心の反映であり、完全にあなた次第にできているのです。

そしてあなたが出会う全ての人(NPC)・出来事が、あなたという主人公に何か大切なことに気づいて欲しいがためにクリエイターがあなたに与えているメッセージだと気づくことが大事です。もし「自分は正しい」ということで自分のプライドを守ろうとしていたら、何か問題が生じれば常に「悪いのは相手」「変わるべきは相手」と考えて腹を立て、成長を拒否してしまうようになります。

それは自分を被害者として意識する「被害者意識」につながり、相手が悪いせい・変わらないせいで「自分は不機嫌=不幸である」と認識するようになります。それはクリエイター(設定側)に対して文句を言い、その設定のせいで「自分は不幸な存在である」と宣言しているようなものです(NPC思考)。クリエイターはその人が「どんな存在か?」に合わせてストーリーを展開しますから、それでは必然的に不幸な出来事ばかり訪れるようになってしまいます。スラムダンクのクリエイターである井上雄彦さんが「キャラクター設定さえきちんとしていれば、物語は勝手に生まれる」というようなことをおっしゃっていましたが、現実もそれと全く同じであり、だからこそ被害者意識(成長拒否)というのは自分を悲劇の主人公にしてしまう恐ろしいものなのです。

RPGにおいてクリエイターの使いであるNPCに文句を言うのは、ゲームの設定に文句を言うようなものでナンセンスなのです。そのように悪者探しをして批判し自分がその被害者になることは成長拒否であり、己を不幸にするだけです。あなたが認識できる世界のあらゆる存在があなたという主人公のために存在する「設定・課題」であり、全てはあなた次第なのです。あなたが変わればすべてが変わります。

バイオハザードでゾンビが出てくるのは主人公が悪いからではありません。それは成長を楽しませるための課題なのです。ゾンビやゾンビを製造するアンブレラ社やゲームそのものを作ったカプコンを責めてもゲームは進みません=成長しません。誰かを否定し憎むのではなく、ただただ自分の成長のみ考えて下さい。ただこのRPGの攻略法はゾンビに銃をぶっ放して攻撃することではなく、自分が覚りを実践すること(許し・愛すること)で、相手に自ら覚らせ成仏させることですから決してお間違えのないように。

まだまだ若いあなたはエゴ(分離意識・自己保存欲求)に捉われ、自分の中にある愛(思いやりの心)を育てられていないのだと思います。僕も若い時はそうでした。自分と他人を本来イコールの存在として認識し、自分も他人も許しありのままに愛せるようになって下さい。そのヒントは自分と他人の愛し方に書いています。ぜひ熟読して日々実践してみて下さいね。

本物の謙虚さというのは、プライドを押し殺して無理に自分を押し下げることではなく、愛(思いやり)に目覚め、自分が才能と努力で得たと思えるようなものでさえもお陰様と考えて、自分とイコールの存在であるみんなと無償で分かち合う姿勢のことなのです。

もし心から・魂レベルで腑に落ちていることなら、それを基軸として自動的に行動に反映されます。しかし例えば「謙虚になろう」などと思っても、「謙虚になる考え方」が心から・魂レベルで腑に落ちてなくて自分にも他人にも愛がないままなのなら、それは心(魂)から納得していないことを無理やり押しつけようとしているということ(傲慢)ですから、心(魂)が反発してうまくいかないのが当然なのです。

傲慢さというのは人間に与えられた分離意識(私と他は別の存在であるという意識)がもたらすものであり、もしあなたがそれを乗り越えてワンネスに目覚め、自分も他人も同じように愛せていたら、わざわざ「謙虚になろう」などと心がけなくても、傲慢になどなりようがないのです。

どうか「自分は正しい」「自分が間違っていると認めて傷つきたくない」という自己防衛本能に捉われず、僕を通じてあなたを幸せに導きたいという創造主の思いを信じて、その愛を素直に受け入れ、実践を通じてみんなと共有して下さることを切に願います。

最後に、創造主からの大事なメッセージ(福音)をあなたに贈ります。
1.偉くなろうとするな。(自他全ての存在が)尊いと知れ。
2.特別になろうとするな。特別(主人公)であると知れ。
3.日々愛(覚り)を実践し、特別ではなくなること(ワンネス)を目指せ。
4.幸せになりうとするな、幸せであると知れ。

このメッセージはさとり(=差取り・ワンネス)の真髄であり、謙虚を装った卑屈さとは違う「本物の謙虚さ(愛)」とはここにあるのです。とても大切なことなので一つ一つ解説したいところですが、あまり伝え過ぎても経験して覚ることに意味がなくなってしまい、RPGがつまらなくなりますから、自分の人生経験の中でその意味を覚って下さい。そもそも人生は経験しなければ覚れないようにできてますしね。

これは僕が自分で完璧にできて、あなたに偉そうに上から申しているわけではなく、あくまでも創造主からあなたへの伝言であって、もちろん僕自身も全然まだまだ成長過程で、問題があったときについつい「悪いのは相手だ」と考えて相手側を変えようとしてしまうレベルにあります。だからこれは僕も終生心がけ続けることになると思います。お互い頑張りましょうね。

それでは、あなたの幸せを心から祈っています。

2024年8月30日金曜日

(再々質問)家族の統合失調症

【質問】20代男性 ペンネーム:まほ

元質問はこちら
https://salvadorshinya.blogspot.com/2024/08/blog-post.html
https://salvadorshinya.blogspot.com/2024/08/blog-post_1.html

こんにちは。私もお金のない時代が来ればいいなと思っています。理由としてはバイトや就職の面接に全部落ちてしまったことです。睡眠時間も毎日長く、朝寝て夜起きるような昼夜逆転した生活を送ってしまいます。せっかく大学を出たにも関わらず、家に引きこもってパソコンをする時間が長いです。在宅で稼げる能力も何もありませんが、とりあえず本を読んだりして色々勉強してはいます。

お金のない時代が今後20年以内に来ると確定するために人の価値観を変えていきたいのですが、誰もそんな未来を信じてくれませんし、神仏を信じてもらうのも難しいです。

薬を使わずに精神病を治すには、他人が喜ぶことをする、許す、マッサージする、頼まれたことをする、一緒に行動する、マントラを聞かせる以外あるのでしょうか?

※質問文は読みやすくするためにこちらでかなり修正しています。

【回答】
あなたは精神科に通院歴があるわけですから、ご自身が精神病であること自体は自覚されているのですよね?病気の程度にもよりますけども、例えどんな学歴でどんな能力があっても、精神を病んでいたら仕事の面接で落ちるのはごく当たり前のことです。世の中に大卒なんて腐るほどいますし、業務への多大な支障が目に見えていますから、雇用前から精神を病んでいる人をわざわざ雇う理由がありません。世の殆どの仕事は、勉強ができるかどうかなどより、まともに話が通じてちゃんと働いてくれるかどうかの方がずっと大事なのです。あなたはあくまで病気のせいで面接に落ちているのであって、落ち込む必要はないですから、今はとにかく無理をしないことです。

あなたの質問文は今回もこちらでかなり修正させていただいていますが、毎回文章としておかしなところがいくつもあり、大変失礼ながらとても大卒の方の文章とは思えず、あなたの現在の状態はかなり悪いと思われます。だからあなたの姉のことは一旦お医者さんに任せて、あなたも精神科に行って診断書を書いて貰って、とりあえず生活保護を受けた方が良いかと思います。母子家庭で成人している子供が二人とも病んでいたらお母さんの負担も大変でしょうし、お母さんまで病んでしまいかねません(既に病んでいるかも知れません)。そうなったらあなたはヒキニートどころではなくなり、一家共々、より破滅的な状況に陥ってしまうでしょう。

そしてあなたは少し病気が良くなったら何かボランティアでもして、人に無償で奉仕し、人に喜ばれる経験を積んで下さい。利益を上げなければならない仕事では、どうしても上司・同僚とお客さんの双方からキツく当たられることが多くなり、元々ミスが多くてしかも精神が病んでいる状態では厳しいでしょうから、避けるべきです。

あなたは今までの僕からの回答に対して、その内容をほぼスルーして再質問をされているので、僕が今のあなたに何かを言っても正直全く伝わりそうな手ごたえがありません。再質問の前には必ず「前回の回答の感想」と「どう実践につなげているか」を教えて下さい。厳しいようですが、もしあなたが僕の話を聞いて受け入れる気も実践する気もないのなら、再質問にお答えする意味がありません。あなたのご相談の内容も、どこまでを事実として言葉通りに受け取っていいのかわからなくなっています。

>>お金のない時代が今後20年後に来ると確定するために人の価値観を変えていきたいのですが、誰もそんな未来を信じてくれませんし、神仏を信じてもらうのも難しいです。

僕も鬱の頃も睡眠障害があってまともに働けなかったので、あなたのお気持ちはよくよくわかるのですが、人の価値観を変えるというのは、まず自分の価値観が変わっているのが大前提であり、あなたはまだ霊障に犯されてエゴに埋没している状態なのですから、他人に新しい価値観を背中で語れるような状態にはないと思います。悪いのは霊障であってあなたではないので落ち込まなくて良いですから、自分の自尊心を守るというエゴのために、自分でもできてないことを他人を指導しようなんて考えないで下さい。それは傲慢であり、絶対反発を受けてうまく行かずにあなたが余計に落ち込むようになるのが目に見えています。

そもそも僕が言っている「お金の要らない時代」というのは、人と人とが無償で助け合って愛し合う時代のことです。その実現のために僕は全財産を放棄して修行生活に入ったのであり、お金を目的に働かず、愛によって人のために無償で尽くしているのです。この質問箱もnoteもその一環であり、愛によって完全無償でやっています。

僕は今のあなたのように単に「働きたくない(働けない)」というエゴを動機としてお金のない時代を目指しているのではありません。そのようにエゴが動機なのでは、人と人とが無償で助け合う愛を連鎖させる運動がうまくいくわけありません。ただでさえ資本主義・物質主義(無神論)に支配された今の世の中では受け入れられるのが難しい価値観なのに、まして今あなたは誰が見ても病んでいるとわかるような状態なのですから、誰からも聞く耳を持たれないのは当たり前のことです。余計に精神がおかしくなっていると思われるだけなので、今やるべきことではありません。それはあなたが愛(感謝・信心)に目覚めて病気をのりこえてからやるべきことであり、まだ先の話です。

そんなことよりもあなたはまずは日々霊障(エゴの穢れ)を清めて行くべきかと思います。それは前回の回答にも書いていますが、とりあえず世界救世教か真光か靈氣で手かざし浄霊を受けてみて下さい。入信する必要はありません。最初は効果が感じられなくても、暫く通って見て下さい。できるだけ毎日。あなたは精神病によって自己成長しようという気力さえない状態にあるのですから、まずはその状態から脱する必要があると思います。

あなたは神仏を信じ、他の人にも信心を勧めているようにおっしゃっていますが、あなたが具体的にどのような神仏をどのように信じ、どのように奉仕・修行しているか全く書いていないので、こちらからはあなたの信心のほどが全くわからず、どうしても口先だけの信心のように感じてしまいます。それというのは単に何かの本やネットでかじった程度の知識なのではないでしょうか?もし本当に心からの信心があって愛と感謝に生き、日々それを形に表している人が、何の加護も導きも受けれないということはありえないと思います。まず自分自身に心からの信心がないのに、他人に神仏を信じてもらおうなどと考えること自体がナンセンスです。

もしあなたが本当に神仏を心から信じる気があるのなら、どこかのお寺にでも頼んで修行生活に入らせてもらうのも良いかと思います。その不規則な生活も否応なく改善されるでしょう。あなたやご家族の霊的な問題も解決に導かれるかも知れません。

病んでいる今のあなたに自力での修業はおすすめできませんが、少し病状が落ち着いたら、とりあえず六波羅蜜を実践してみて下さい。そしてお金の時代の終わらせ方に書いたように、僕の提案の新六波羅蜜を実践してみて下さい。否応なく愛に目覚めると思うので。

>>薬を使わずに精神病を治すには、他人が喜ぶことをする、許す、頼まれたことをする、一緒に行動する、マッサージする、マントラを聞かせる以外あるのでしょうか?

僕は「薬を使わずに精神病を治す方法」としてそのように提案をした覚えがありません。そのうちのいくつかは僕が「人との接し方のヒントにして下さい」という意味で言ったのです。そしてマッサージとかマントラとかに至ってはあなたに言った覚えがないです。

あなたは現在ご病気なのですから仕方がないとは思いますが、あなたの僕の話に対する理解の仕方が非常に短絡的であり、まるで「薬を使わずに精神病を治す方法」であると僕が言ったような前提で話をされるのは、こちらすれば不本意です。そしてあなたが僕の提案したことを何も実践せずにただサラッと箇条書きにして流し、その効果も全くわからないうちからその他の方法を聞くのは失礼だと思います。何より「心から感謝し、それを形にする(=愛)」という肝心の部分が抜けていては何をやろうと話になりません。あなたの行動にはその動機に愛が感じられず、単にあなたがヒキニートを続けるために、姉がまともに戻らないと困るという動機のようにしか感じられません。

それと「頼まれたことをする」「一緒に行動する」「マッサージする」「マントラを聞かせる」などというのは誰に対してですか?あなたはまだ自分のカルマと立ち向かおうとせず、そこから目を逸らそうと姉の病気の方を直接どうこうしようと考えているのでしょうか?

あなたの姉は明らかに重度の統合失調症であり、今病んでいるあなたの手に負える状態ではないのです。そしてあなたの母にも手に負えないのは明らかです。姉のことはどうかまずお医者さんに任せて、その指示を仰いで下さい。何度僕が言ってもあなたの認識は甘いようですが、これは姉の一生に関わる重大な問題であり、母やあなたや他の人が深刻な被害を受けないとも限りません。事態は緊急を要するのです。手遅れになる前に専門医を頼って下さい。

泳ぎ方がわからず溺れている人は、今溺れている人を助けられません。そのような無理な努力をして共倒れになってはいけません。姉のことはひとまず専門家に相談して、あなたは少しずつでもこの世界の泳ぎ方を実践から覚えていくべきです。

繰り返しますが、あくまであなたの人生の主人公はあなたであり、あなた自身が変わらない限り何も変わりませんし、逆にあなたが自分のカルマに立ち向かって乗り越えて行けば、周囲の人たちのカルマも自然と解消されていくのです。あなたがそこから逃げては話にならないのです。

どうしても伝わらないようなので今回は大分言い方が厳しくなってしまいましたが、ここまで無償で時間を割いて真剣にお応えしているのですから、どうか無駄にせずにちゃんと受け止めて下さいね。

2024年8月26日月曜日

(再質問)家族の統合失調症

元質問はこちら
「家族の統合失調症」
https://salvadorshinya.blogspot.com/2024/08/blog-post.html

【質問】20代男性 ペンネーム:まほ
私自身は高校・大学では部活には所属せず、大学を卒業をしてからの就労経験は単発のバイトを年に数回ほど経験したのみで、定職についたことはありません。精神的に鬱になった時もありましたが、鬱が治って平和になったと思った時に姉が実家に戻ってきました。実は3年程前も同じように私の鬱が治って平和になったと思った頃にいとこが来て、それから2年ほど私の家でヒキニートをしていました。その後いとこは自分の実家に戻ったのですが、姉ほど私に対して何か言ってくるようなタイプではなく、私と同じようにただひたすら部屋に引きこもっているだけだったので、姉よりはまだマシでした。

私は朝に寝て、夜までスマホやパソコンを見て一日終わるか、散歩をして本屋くらいに行くというような生活を数年しています。

私がくしゃみをすると姉がとても怒るのは、大きい音に対して敏感だからなのでしょうか?それともくしゃみになにかあるのでしょうか?

姉の行動で特に問題なのは、家が汚いと言われ物を捨てられることと、母の行動に対して反抗してくることです。姉は家の1階に姉が住んでいて、姉の部屋はとても物が散らかっていて、脱いだ服も脱ぎっぱなしであったりごちゃごちゃしているのですが、姉の部屋以外は猫のためにものを捨てられまくって困っています。最近は猫が2階にも多く来るようになったので、今度は2階も姉が猫のために勝手にものを捨てまくってしまうのではないかと母が恐れています。

以前姉は一人では外出できないと言うので私が一緒に外出したりしていましたが、猫が来てからは一人でも外出できています。だから姉の統合失調症はまだ入院が必要なレベルにまではなっていないと思いますが、言われた悪口や幻想のようなことや理不尽に家のものを壊されたりすることを聞くのは本当に忍耐の要る修行です。

姉を普通に戻すために自分のできることは何がありますでしょうか?例えば、マッサージ、自分の浄霊力を高めるためにマントラを聞く、神仏を学ぶ。自分の時間を姉のためにできることに向けていきます。

※質問文は読みやすいようにこちらでかなり修正しています。

【回答】
ええとですね、あなた自身がかなり病んでいるようなので仕方のないことなのですけども、やはり前回僕が伝えようとしたことがほとんど伝わってないみたいです😅

夢の中でそれが夢だと自覚することは困難ですし、それが夢だと気づいてさえも、起きている時の意識を思い出すことさえできません。起きている時の意識に戻れるのは、目が覚めた後です。同じように、現在病んでいるあなたは、病んでいない時の思考を思い出すことさえできなくなっているのです。

あなたが現在も病んでいるということに劣等感や罪悪感を感じる必要はありません。まずは自分を許し愛し受け入れるところからです。すべては必然であり、なるべくしてなっているのですから、誰も責める必要はありません。それでも自分が何とかしなければどうにもならないのです。

夢の中で出会った人を変えようとして何か変わるでしょうか?この世界もあなたが見ている夢の如きものであり、変わるならまず自分自身からということです。姉の問題を直接的に解決しようとするよりも、まずあなたのカルマを解消することに主眼を置いて下さいってことです。

>>私自身は高校・大学では部活には所属せず、大学を卒業をしてからの就労経験は単発のバイトを年に数回ほど経験したのみで、定職についたことはありません。精神的に鬱になった時もありましたが、鬱が治って平和になったと思った時に姉が実家に戻ってきました。実は3年程前も同じように私の鬱が治って平和になったと思った頃にいとこが来て、それから2年ほど私の家でヒキニートをしていました。

ですからね、あなたが自分の人生を前に進めようとしないでひきこもろうとするから、そういう出来事がケツを叩くように必然的にどんどん悪化しながら起きているのだとわかりませんか?あなたがそのいとこの姿を見てもまだ自分のカルマと立ち向かおうとしないから、姉が統合失調症になってやってきたのでしょう。僕は「あなたが出会う人のカルマは、あなたのカルマの鏡であり、自分のカルマを乗り越えれば、出会った人のカルマも自然と解消される」と伝えたのですが、あなたはまだそれを受け入れる気がなく、理解することを拒絶し、まだ姉の問題を直接解決しようとしているのです。それではうまく行くわけがないのです。

あなたは「鬱が治った」と書いていますが、それはただ「(一時的に)気分が良くなった」ぐらいの意味であり、治ってはいないと思います。鬱というのは霊障が原因であり、霊障というのは成長のために与えられている課題なのですから、成長を拒否してヒキニート生活を続けながら霊障が解決するわけがないのです。

>>私は朝に寝て、夜までスマホやパソコンを見て一日終わるか、散歩をして本屋くらいに行くというような生活を数年しています。

なぜそこを何とかしようとは考えないのでしょうか?そんな生活を一生続けられると思いますか?成長を拒否して幸せにはなれないということがなぜわかっていただけないのでしょう?

>>私がくしゃみをすると姉がとても怒るのは、大きい音に対して敏感だからなのでしょうか?それともくしゃみになにかあるのでしょうか?

音に敏感になるのは既にお伝えした通りであり、統合失調症の症状の原因や対応を僕が全部解説するわけにはいかないので、調べてみて下さいね。くしゃみはゲップやおならと同じで生理現象です。くしゃみにもし何かスピリチュアル的な意味があったとして、あなたがそれを知ったとして、くしゃみをやめることができるのでしょうか?極力音を抑えるぐらいしかできることはないでしょう。

>>姉は一人では外出できないと言うので、以前は私が一緒に外出したりしていましたが、猫が来てからはたまに一人でも外出できています。だから姉の統合失調症はまだ入院が必要なレベルにまではなっていないと思いますが、言われた悪口や幻想のようなことや理不尽に家のものを壊されたりすることを聞くのは本当に忍耐の要る修行です。

それだけ被害があるのなら最低でも通院が必要なレベルであることは確実で、入院が必要かどうかはあなたが判断すべきことではなく、担当医が判断すべきことです。全く知識もないのに勝手な判断をしないで下さい。これはあなたの姉の一生に関わることであり、緊急性を認識して下さい。もし先日のように刃物を向けた勢いで人を殺したり自殺したりしたらどうするんですか?そして通院の際は必ずあなたも母も姉と一緒について行って、統合失調症患者とどう接すればいいのかを担当医から学んで下さい。

>>姉を普通に戻すために自分のできることは何がありますでしょうか?例えば、マッサージ、自分の浄霊力を高めるためにマントラを聞く、神仏を学ぶ。自分の時間を姉のためにできることに向けていきます。

姉を普通に戻すためではなく、あなた自身のカルマを解消するために、自分に縁がある宗教施設(寺・神社・教会など)に通って、自分の犯して来た罪に許しを請い、そして姉だけでなくみんなの幸せを祈ってみて下さい。そして世界救世教や真光や靈氣などに行って無料で浄霊・お清め・靈氣を受けてみることをお勧めします。そしてあなたが姉に浄霊・お清め・靈氣ができるようになれば良いかと思います。神仏について学んで心からの信心を持つことは大事ですし、心を込めてマントラを唱えるなどの宗教行為によって良い方向に導かれることはきっとあるでしょう。

ただしそれがあなたの「自分のカルマから目を逸らしたい」という思いが主目的なのであれば、きっと何をしてもうまくは行かないでしょう。そのようにあなたが心からの感謝・信心を持つことなくご利益だけ期待して小手先で宗教行為をしたところで、神仏はきっとあなたの期待には応えないと思います。繰り返しますが、あなたの姉のカルマはあなたのカルマの鏡だということを認識して立ち向かって下さいね。ボランティアでもして、自分の時間をもっとみんなの役に立つことに使って下さい。

あなたは僕の言うことが頭で理解できないのではなく、心が理解することを拒否しているのです。理解したら己のカルマに立ち向かわざるを得なくなるから無意識に逃げているのです。逃げたくなる気持ちはよくわかりますが、そのように逃げ続ける限りあなたが幸せになることはあり得ません。あなたは20代でもう幸せを諦めているのでしょうか?僕はあなたの幸せを真に祈るがゆえに、厳しく言わざるを得ません。いい加減目を覚まして下さい。


自分と他人の愛し方

【質問】年齢不詳・男性
こんばんは。いつもnote拝見させていただいてます。ありがとうございます🙇‍♂️
自分と他人の愛し方がわかりません。愛とはなんでしょうか??

【回答】2024年10月23日更新
noteを読んでいただいてありがとうございます。

そうですね。「愛とは何か?」っていうことは、noteや質問箱などを通じて僕の考えを伝えさせていただいているのですが、そもそも人生は「愛とは何か?」の自己表現のためにあるようなものであり、それは自らが人生経験を通じて覚るべきことで、直接的に他人から教わるようなことではなく、言葉では理解できない・伝わらないのが普通なのだと思います。

きっと愛(真理)というのは、エゴという無明の闇(課題・愚かさ)に隠されていて見つけ難いものだからこそ、人生を通じて経験して知る価値があるのでしょう。もし愛(真理)が苦しみもなく簡単に見つかるものだったら、成長努力は必要なく、見つけた時の喜びもなく、人生に価値はなくなります。

しかしそれで話を終わらせては、わざわざ質問して下さったあなたに対して不親切過ぎる(愛がない)ので、過去記事と内容が被りながらも、あなたが自分も他人も愛せるヒントになるように、創造主の教えをよりわかりやすく深堀りしてご説明差し上げたいと思います。

まず、多くの人は「愛」という概念に対して「恋愛」や「家族愛」などに限定されたイメージを持っていて、「好き」の強意の意味合いでしか考えておらず、愛という言葉を「めっちゃ嫌い」の反対の「めっちゃ好き」ぐらいの意味で使っています。相手が自分にとって好ましい存在で、何の努力をしなくても好きな気持ちが勝手に心の底から湧き上がってきて、好きで好きでどうしようもなくなってしまうような情熱的な気持ちを愛だと思っているのですね。

しかしそのような「自分に都合の良い存在だけ愛そうとする(それ以外は愛さず嫌っても平気)」という意識は、愛よりエゴに近いものなのです。その「エゴの愛」は、成長努力を必要としないものであり、赤ん坊でもどんな悪人でも持っています。その「エゴの愛」こそが人間というアバターに初期設定として与えられた無明(課題・愚かさ)の根幹なのですね。

きっと僕らが愛を経験的に知り、それを自己表現するためには、この圧倒的にエゴに支配されたディストピアな世界において、無明(愚かさ・エゴ)を乗り越えて愛を発揮し、成長し続けていかなければならないのでしょう。

陰陽二元でできているこの世界全体が、あなたに対して、創造主より愛で与えられているのであって、それを本能に従ってただ自分に好ましいものだけを愛して好ましくないものを嫌うというのはエゴなんですね。それは魂の成長とは真逆のベクトルであり、創造主の大きな愛に反するのでしょう。愛・幸せを経験的に知るにはそれとは真逆の存在・経験も必要なのであり、愛し難い存在や不幸な経験も愛せるようになっていくところに魂の成長があるのでしょう。そしてその成長経験こそが創造主からの贈り物なのでしょう。

決してエゴが悪いというわけではありません。エゴというのは人間に根源的に与えられた分離意識・自己保存欲求であり、これがないと「他者」と関わることができず、人生という物語は成立しないのです。自他のエゴに対して良いとか悪いとか考えるのもまた人間のエゴによる解釈であり、エゴというのは人間にとってなくそうと思ってもなくせるものではなく、もしエゴを嫌えば自他みんな嫌うことになってしまいます。

ただ「エゴはなくせないし、みんながエゴのままに生きているのだから、自分もエゴのまま我利我利に生きてOK」というのでは成長はあり得ないのです。愛というのはエゴという成長課題を乗り越えなければ辿り着かないように創られているからです。

人間はエゴを動機にして(我利だけで)生きようとすると、深い部分で自分を嫌いになってしまうようにできています。それが鬱の根本的な原因であり、鬱になると自尊心を病んでますますエゴに埋没し(その自覚もなく)、ますます自分を嫌いになって自尊心を病む悪循環にハマるのです。

世界は本当は一つ(ワンネス)なのですから、自分という個体にだけ利益になるように思考・行動すれば、必ず自分を嫌いになって不幸になるように創られているのは当たり前の話なのです。だから人間の脳は得をしても損をしてもダメージを受けるようにできています。損得勘定で生きれば不幸は必然だということです。しかし脳は得をした時に快楽物質が出てそのダメージに気づけないように創られているのです。

今の資本主義の世の中では損得勘定で我利のために生きることが肯定(むしろ推奨)されていますから、必然的に我利ばかり求めて愛を失う「エゴジャンキー」だらけになっています。

そしてみんな思春期に失われた自尊心を回復するために富や名声や権力や正義を得てそれをアピールすることに必死になり、それでも自尊心が満たされず深い部分で自分も人生も嫌いになって鬱になっているわけです。しかしこのディストピアな舞台設定がなければ人生は愛と成長の物語として成立しないのです。

人間には「世界を何でも自分の好き嫌いで二分することによって、それをしている主体者である自分(個性・アイデンティティー)を認識しようとする本能」があります。しかしこの世界は自分という個体(アバター)にとって都合の悪いものに溢れているのですから、すべての存在をエゴによって「めっちゃ好き」という感じで愛そうと思っても無理があり、逆にどうしても愛せないものだらけの人生が嫌になってしまうのは当たり前のことなのです。

そして人間というのは例外なく欠点があり過ちを犯す存在なのですから、そのような「エゴの愛」によっては自分も他人も愛せなくなるのは当然なのです。特に自分自身については他人からは見えないような欠点や過ちも全部自分で知っている(他人のそれは知り難い)わけですから、自分というのは最も愛するのが困難な存在だと言えるでしょう。

だから自分に都合の良いものだけを愛そうとすると、いつかは自分自身さえも自分にとって都合が悪い存在だと認識するようになり、自分を消し去りたい=死にたいなどと考えてしまうようになるのが必然なのです。どれだけ富や名声や権力を得ようと、自分を嫌いな人生というのは地獄であり、幸せなはずがないのです。


本当の愛というのは「慈愛」のことであり、思いやりの心なのです。それは欠点や過ちに対する「許し」がなくては存在し得ません。「許せないけど愛してる」「許してるけど愛せない」というのは本来的にあり得ないことなのです。愛せないというのは、心の底で許し(和解)が成立していないということであり、自分も他人も心の底では許せていないのに愛そうとするから無理が生じるのです。それは許せない感情を無理やり抑え込んで「我慢」しているだけであり、それよって一時しのぎはできても、許せない気持ちがどんどんマグマのように蓄積していって、いつかは爆発することが必然なのです。

だから誰かを許さず我慢して愛そうと努力するのは無駄な努力であり、不幸のフラグみたいなものです。すべての人間関係の問題の原因はここにあると言って過言ではありません。逆に自分も他人も許すことができれば、すべての問題は自ずと解決するのです。

「許し」というのは苦しみを伴うものであり、それを乗り越える努力が必要なのです。そしてそれこそが魂の成長をもたらすのです。簡単に許せる人を許しても成長には繋がりませんし何の価値もありません。人生にはいつも自分がギリギリ許せる人との出会いが用意されているのです。それをすぐ「許せない」と判断するのは成長努力の放棄なのです。そのように成長を拒否する人というのは創造主の愛に反していますから、愛を失って孤独で不幸になっていくのが必然なのだと思います。

だいたい不幸な人というのは、許すことを努力とは認識せず、感情を無理やり抑え込んで我慢することを努力だと勘違いし、そればっかりやっているのだと思います。それは「自分が相手のことを我慢してやっていれば(傲慢)相手はいつか自分にとって都合の良い存在になってくれるだろう(ならなかったら相手が悪いのだから見放せば良い)」という、自分に都合の良い結果(見返り)を求めた努力(エゴ)なのですから、ワンネス(愛)が本質の世界で報われないのは当然のことなのです。

「許し」というのは「自分は正しい(善)」「相手は間違っている(悪)」という感じの上から目線では成立しません。それこそ心の底では許さずにただ我慢しているだけということなのです。存在の本質はワンネスであり、すべての魂は同源で、出会う人はあなたと同一人物のようなものですから、相手のことを自分と同一人物(自分の過去世や未来世)のように考えて、完全に同じ目線に立って相手を許すことが大事なのです。自分の欠点や過ちにやむにやまれぬ事情があるように、相手の欠点や過ちにもやむにやまれぬ事情というものがあるのですから、許す以外にないのです。答えはいつでも「誰も何も悪くない(許す)」であり、「でも自分が何とかしないとどうにもならない」です。バイオハザードで自分やゾンビやアンブレラ社やカプコンを責めてもゲームが進まないのと同じです。

「人を例外なく許し愛する」と言っても、実際に出会ってもない凶悪な犯罪者や価値観の違う時代の歴史上の人物などを許せるかどうかを考える必要はありません。あなたとは別の宇宙の住民でカルマが遠いのですから。そういう実際に出会ってもいない「悪い人」が世の中にいる(らしい)ことを、自分が人を許せないことの言い訳に使わないで下さいね。どんどん世の中が嫌になって自分が不幸になるだけですから。あくまでも実際に出会った人ひとりひとりを許し愛せるようになっていけば良いのです。

慈愛というのは我々の心に最初は見えないほど小さなからし種のように与えられているものであり、人生を通じて自分で苦労しながら大事に育てないなら決して育つことはないのです。「許す」のが苦しいからといって「許す」という成長努力を放棄し、その場しのぎの我慢ばかりして内心はいつでも「許さない」という選択肢を常に保留したまま、己のエゴによってすべてを「めっちゃ好き」という意味で愛そうとしても、世の中が許せない存在ばかりで苦しくなり、自分も他人もみんな嫌いになってしまうのは当然のことです。人生は「許し=愛」を経験的に知るために存在しているのですから。

ただ「許し」というのは他人から何をされてもOKという意味ではありません。自分がされて本当に嫌なことを我慢するのは自分への愛の欠如であり、本当に嫌なことはきちんと嫌だと伝えてそれを未然に防ぎ、それでも嫌なことをされたら注意するのは自分への愛です(もちろんその際には相手を傷つけないように気を配る愛が大切ですが)。

それでも自分が過去にされた嫌なことについていつまでもその相手を許さないのでは、自分の人生が恨みに満たされて自分が不幸になってしまいます。既に起きた出来事はすべからく創造主が愛(許し)を経験させるために与えてくれたものなのです。だから過去については最終的には「許さない」という選択肢はないと思って下さい。その場では怒ってしまってすぐには許せない自分も許しつつ、最終的には「許そう」というベクトルで考えるということです。

被害者意識(=許さない意識)というのは恐ろしいもので「自分は被害者であり、相手のせいで自分は不幸である」と、自分が「不幸な存在」であることを自ら認めてクリエイターに宣言しているようなものであり、クリエイターは「自分とはどんな存在か」に合わせて物語を展開しますから、どんどん許せないようなことが起きて、自分がどんどん不幸な存在になってしまいます。相手がどれだけ悪く、自分がいかに善良であっても、被害者意識を持ったら不幸になるのは自分なのです。

運命への呪いにも書いていますが、被害者意識というのは成長拒否なので、成長のために与えられた人生において不幸に導かれるのが必然なのです。幽霊というのは被害者意識の成れの果てだからこそ「恨めしや~」と出て来るわけで、もしあなたが幸せになりたいのなら、人を許さないこと(=被害者意識)で、そんな幽霊みたいな存在になってはいけないのです。※鬱や統合失調症になると被害妄想が強くなるのは、そういう霊障の仕業なのです。

今の世の中では、みんな「エゴの愛(条件付きの愛)」しか知らないのが普通です。親というのは基本的に子供が生まれた時には無条件で愛しているものですが、子供の物心がつく頃には教育期間が始まっていて、特に日本の親は将来子供が困らないようにという愛情を建前に、子供が間違ったこと(親が気に入らないこと)をすれば叱り、正しいこと(親が気に入ること)をすれば褒めます。しかし子供は無条件に愛されていた頃の記憶がなく、家族の愛ですら条件付きのものだと本能レベルで学習してしまうのです。

そうして自分に都合の良いものだけ愛し、自分に都合の悪いものは愛さないという「エゴの愛(条件付きの愛)」が当たり前だと思ってしまうんですね。また、相手に気に入られなければ愛されないと思って、本当の自分を隠したり偽ったりしてでも人に気に入られようとすることを生きる術として身に着けてしまうんですね。そうしてそれを大人になっても続けてしまい「ありのままの自分」が何なのかさえわからなくなってしまうのです。

そしてただ職場や家庭での役割をこなすだけで「自分らしさ」を深く考えることからも逃げ、自信がないために個性が邪魔になるような仕事を選んで、嫌なことの我慢代で駄賃を稼ぐ奴隷のようになり、自分も他人も世の中もみんな嫌になってしまうのです。また「許す=愛する」という努力を放棄して慈愛の心を育てていないために、自分も他人もありのままに愛するということができなくなってしまうのです。それが今の世の中では普通(舞台設定)なのであり、きっとそのカルマを断ち切るのが主人公であるあなたの使命なのでしょう。

多くの人は周囲に気遣って嫌われないように(社会から排除されないように)自分のエゴを無理くり押さえつけて我慢しているので、「自分らしく生きよう」と考えると、突然自分のエゴを解放しようとするのですね。そしてアドラーの「嫌われる勇気」みたいな感じで、嫌われても平気なフリをして心に愛を失くし、本当に嫌われて不幸になっていくのです。人に嫌われる幸せなんてありはしないのに。

「自分に正直に生きる」というのは「自分の中の愛に正直になる」ということなのです。ところが普段から愛を育てずエゴを抑圧しているだけだけの人が「自分の愛に正直になる」と言われても、どうしていいかイメージすらできないのですね。ただただ自分もみんなも愛して(許し、尊敬し、感謝し)幸せになるように生きればいいだけなんですけど。

また愛というのを自己犠牲的なものだと勘違いして、自分自身に対して愛がなく、相手の愛を自己犠牲の見返りとして請い願うような卑屈な「エゴの愛」になっている人もまた多いです。それは相手からすれば愛情を強要されているようなもので、重く息苦しくさせていつか逃げられてしまうことでしょう、

愛の対義語は憎悪ではなくエゴなのですね。本物の愛というのは本質的に無条件のものであり、もし何か条件があるのならそれは愛ではなくエゴなのです。そして本当の愛というのは相手を最も自由にするものであり、何かを強制・強要・束縛したりするのは愛ではなくエゴなのです。もしあなたの愛が相手の反発を受けるなら、それは愛ではなくエゴであるということの証明なのです。

自分のエゴによって愛していると思っていた人も、後になって実は自分にとって色々都合が悪いところがわかってきたり、時が経つうちに相手側がこちらの都合が悪いように変わってしまったりします(それも自分側のエゴによる解釈ですが)。それなのに「めっちゃ好き」という「エゴの愛」を持ち続けようとすれば、必然的に無理が生じるのです。それで相手の欠点や過ちを許して愛さず、我慢ができなくなったらそれを全部相手のせいにして「愛が冷めた」などと考え、創造主より与えられた運命の出会いから逃げ出すようなら、成長はありえず不幸に導かれるのは必然です。(特に今離婚しようとしている方はよくよく考えて下さいね)

与えられたものに感謝しない人に、もっと良いものを与えたいと思う人はいないでしょう。そこは我々の統合意識である創造主も同じであり、そういう真理に従ってこの世は創られているのです。だから欠点や過ちを理由にして相手や自分自身の存在に感謝しない・愛さない人間の人生は、既に与えられたものまではぎ取られ続け、失うことでその価値に気づかされるような悲惨な人生になるのは必然なのです。

人生を始めとして、みんなにも与えらえれているように感じられるものを当たり前のものだと思って少しも感謝せず、魂の成長努力もなしに、他人と比べてもっと良いものが与えられないと喜ばない・感謝しないという人の感謝に何の価値があるでしょうか?そのような人間がどれだけ価値を与えられようと、他人に与えられたものと比べて価値が低いと思い、不平不満ばかり言って愛さないでしょうし、与えられているものの価値には気づかず感謝しないことでしょう。そのような人にいくら与えようと際限がなく、ただ成長努力を放棄するようになるだけで逆効果です(だから与えません)。

あなたが欲しいと思うものは、何も言わなくても全知全能たる創造主はみんな知っています。それなのに創造主がそれを敢えて与えないのは、
1.まだシナリオの伏線の回収(課題の克服・カルマの解消)ができていないから
2.信心がなく、既に与えらえれているものへの感謝がないから
3.願望がエゴでしかなく、愛がないから
です。

創造主からあなたに与えられた最大価値はあなた自身なのであり、創造主の価値(存在意義)というのはあなたが自分(人生)に価値(存在意義)を感じられるかどうかに依存しているのです。与えられた自分(人生)というものの価値に気づかず、本当は借り物である自分をまるで自分のものだからいくらぞんざいに構わないかのように考えて大事に扱わず、自分の欠点や過ちを責めてイジメるのが趣味みたいになって「どうせ自分なんて」と成長を拒否していたら、鬱(不幸)に導かれるのは当然のことです。それでそこから成長する気がないまま人生を終えたら、文字通り人生は地獄だったということになり、せっかく創造主から成長を期待されて授けられた自分を自分で台無しにしてしまったことになります。

あなたがもし著名な演奏家で、ストラディバリウスのような何億円もする高価な楽器を貸与されていたら、それはそれは大事に扱うことでしょう。しかし「そのストラディバリウスをタダであげるから、明日臓器提供のために死んで欲しい」と言われてもきっと死なないでしょう。つまりあなたは今まで何億円もする楽器よりも遥かに価値がある「自分」を創造主から貸与されていながら、その価値をわかろうとせず、まるで自分のものだからどのように扱っても構わないかのように考えて少しも大事に扱わずに平気で傷つけ、また同じように他人の価値もわからないために大切に扱わずに平気で傷つけ、お互いに傷つけ合ってきたのではないでしょうか?僕はまさにそうでした。わかっていると思いますが、これは体よりもむしろ心の話ですからね。

人生が与えられているということは「自分とはどんな存在か?」を知り、更新(成長)していける機会を与えられているということです。その人生において「自己受容」というのは最大かつ最難易度の課題であり、そこには死よりも辛い苦しみがあるのです。だから人が自殺する原因のほぼすべてがいわば「自己受容の拒絶」だとも言えるでしょう。

しかしその「ありのままの自分を受け入れる=許し愛する」という苦しみから逃れるために「理想の自分になろう」などと考えても、それは自己否定が動機なので成長することは難しいのです。人の魂というのは、自分を愛してもいない主のために成長努力をしようという意欲は湧かないようにできているからです。自分をイジメてばかりの人というのは、自分(人生)という創造主からの最高の贈り物を感謝で受け取っていないのですから、成長意欲が湧かず不幸に導かれるのは当然と言えるでしょう。

僕の言っている「自己成長」というは「魂の成長」のことであって、決して「能力を高めてよりお金を稼ぎ、より他人から評価されるようになること」だと誤解しないで下さいね。エゴのためにいくらお金を稼いで他者評価を得ようと、深い部分で自分を嫌いになり、周囲の人間からも嫌われて愛を失うことになるでしょう。社会的成功を目指してはいけないということではなく、自他への愛が動機でなければ、仮に社会的に成功しても幸せにはならないのが道理だということです。

自己成長(魂の成長)というのはあくまでも「自分も他人も許し、全てをありのままに愛せるようになること」であり、「自分も含めてみんなに対して愛を実践して示せるようになっていくこと」です。真理というのはワンネスであり、それは自分も他人もみんなを幸せにするものであって、ネガティブな覚りは全部間違いなのです。

自分の価値を他者比較・他者評価で考え、「自分は生まれつき能力が低くて何の才能もなく、容姿にも恵まれてないから自分を愛せない」などと考えるような人は、己の境遇を憐れんでそれを言い訳に怠惰に陥ってるだけです。それはRPGで「最初からレベル99で装備も揃っている主人公じゃないと愛せない・プレイしたくない」というようなもので、すこぶるナンセンスなのです。

どうか誰しもがそれぞれ自分の魂の成長にとってベストな人生が与えられてるのだと知って下さい。それはガチャのように偶然与えられるものではなく、難易度が高い人生というのはレベルの高い魂に与えられるのです。それは優秀な生徒にはより難しい課題が与えられるのと同じです。そして今現在の未熟で愚かな自分も愛しながら次々と与えられる困難を乗り越え、より素晴らしい自分へとレベルアップしていくことがこの人生というRPGのシナリオの要であり楽しみなのです。

目の前にある課題を先延ばしにせず、成長を目指して今日一日を精一杯生きれば気持ちよく眠れて、次の日にはきっと昨日より成長した自分に出会えます。そうやって「成長していく存在としての自分」を愛するのです。そうすれば、過去の自分の欠点や過ちも「自分が成長を経験するために必要だった」と許し愛せるようになります。

自分がどんな存在かを知るには、他者と関わる必要があります。他人と紡ぐ物語がなければ、自分(主人公)がどんな存在かはわかりません。だからこそ人生という他人と関わる機会が与えられているのです。一人で家に引きこもっているようでは「自分とはどんな存在か?」などわかりようがありません。

ただ人と関わる上で、自分が主人公であるということだけは決して忘れないで下さい。自分をNPCである他人(他プレイヤー)と比較するのは意味がありません。舞台設定が近いというだけで、シナリオが違う別なゲームをしているんですから。ゲームの価値は自分がどれだけ楽しめたかであり、どれだけ他人よりレアアイテムをゲットしてハイスコアを出して先にクリアできたかではありません。

誰にとっても「一生の間全ての要素で誰が見ても世界一であり続ける」などということは不可能ですから、他者比較・他者評価に依存していれば劣等感に苛まれるようになるのは必然です。特に日本では他者比較・他者評価依存が当たり前になっていて、自分がそうなっている自覚さえない人が多いです。そして自分で自分を評価し愛する人を「独りよがりでいけ好かないナルシストのバカ」としか考えられず、無意識に嫉妬して攻撃してしまうんですね。そしてこのSNS全盛の時代、他人と自分を比較して劣等感と嫉妬に苛まれながら、一生懸命に他者評価を求めている人だらけなのです。

エヴェレット解釈の通り、世界は一人一宇宙なのであり、自分の認識世界は自分という主人公次第に創られているのです。ただそれは「行動の選択」ではなく「解釈の選択」が人生を作るということです。前述した通り、自分に起きる出来事は「自分はどんな存在か?」に対応して与えられているものです。自分自身と世界をネガティブに解釈している人は、何かを選ぶことで人生を良くしようと思っても、その選択肢は自分のネガティブな解釈で作り出した世界の中にあるのであり、何を選んでも悲惨な結果しか訪れません。そして自己効力感のなさに苦しみ、「どうせ自分なんて何をしても結局ダメな人間だ」などと落ち込んで、またそれを言い訳にして努力を怠るようになり、成長を拒否することでどんどん不幸に導かれてしまうのです。だからポジティブな自分観・世界観がとても重要なのです。

本当に価値があるものは、最終的にその価値を最もよく知り最も大切にする者の元に必ず辿り着くものなのです。優れた人物が必ず優れた師の元に辿り着くように。富や名声や権力など、この仮想現実における幻の如き価値に目を奪われて執着し、他人とそれらを奪い合い、自分と他人を比較して他者評価に依存し劣等感に苛まれ、手に入らないものを嘆き、それでも自分の自尊心を保つために誰かを責めて見下して人とぶつかり合ってばかりいるような人間の元に、愛という目には見えない本物の価値は辿り着かないということです。

どうかこの世界が創造主の100%の愛で創られていることを信じ、どんなに嫌な事・苦しい事・痛い事・辛い事・悲しい事も、成長のために(同情し合い・許し合い・補い合い・愛し合えるように)愛で与えられているものだと信じて下さい。そのようにポジティブに世界を解釈し、創造主の分身である自分にも他人にも愛を与えることができれば、どんな選択をしようと必ず幸せに導かれるのです。

自分が嫌いなのに幸せという人もいなければ、自分が好きなのに不幸という人もいません。自分を好きでいられることが幸せであり、それが人生最大の価値なのです。

すべての魂は同源で、自分と他人は本来はイコールの存在であり、ありのままの自分を許し愛せなければ他人もありのままに許し愛せません。エゴ(分離意識・自己保存欲求・我利)を乗り越え、自分と他人の欠点や過ちを許して愛せるよう成長して行くなら、それは態度と行動に反映され、きっとみんなに愛されて幸せになることでしょう。あなたが人生を通じてエゴを乗り越えて愛を発揮するエピソードを積み重ね続けるなら、あなたはきっと自分も他人も揺るぎなく愛することができるようになるに違いありません。

自分を許し愛せるようになる最善の方法は、出会った人を一人ひとり許し愛していくことです。そうやって「自分(人生)大好き」というパズルを1ピース1ピース完成させていって下さい。決してエゴによって「この人がこうなれば(自分に都合よくなれば)愛せるのに」などと条件付きで人を愛さないで下さいね。相手を変えようとせず、ありのままに愛することが大事です。

あなたは人生というRPGの主人公であり、あなたが出会う人は全員、創造主があなたに何か大切なことに気づかせるためにあなたの元に派遣しているNPCなのです。それなのに「許せない」などと言って、NPCである相手の側を変えようとしても絶対に上手く行きません。その人・その言葉・その出来事との出会いによって、創造主があなたに何を覚らせようとしているかを愛で考えて下さい。

そして出会った人から何か嫌なことをされる度に「他にもっと愛せる人が現れるだろうし、別にこの人じゃなくてもいいや」などと考えないで下さい。それは目の前の人を全力で愛さないことに繋がり、結局は自分も全力で愛さることなく、必ず人生が不幸になります。すべての出会いを運命と信じ、人生という自分が主役の物語において常にベストなキャストが与えられていると信じて、常に目の前の人を全力で(自然に)愛を示して下さい。前述した通り、相手に反発されるようなものはエゴであって愛ではありませんからね。ただありのままを愛して下さい。お金で所有欲を満たそうとすれば限界がありますが、ただ相手をありのままに愛することができれば、その人はあなたの心の世界(仏国土)に写し取られ、全てあなたのものになったも同然なのです。

あなたも他人もみんな創造主とその分身たる神々のアバターなのであり、あなたは魂という「存在」を与えらえれ、そして肉体というアバターと共に人生という自分が主人公の貴重な経験機会を与えられている偉大な存在なのです。そしてあなたというアバターは自分の偉大さに目覚めたあなたの魂からの愛を一番に待っているのです。どこかの有名人や金持ちや権力者に価値があって自分には価値がないなどと考えないで下さいね。あなたというアバターは、あなたが価値がないと思って全力で愛さないから全力で働いていないだけなのに、あなたはそれを自分の実力だと思ってしまっているのです。

ただそのようにあなたが他者評価に依存し、自分と他人とを比較して劣等感と自己嫌悪に苛まれて自分を愛せないという経験も、成長の喜びを感じられるように愛で与えられた課題なのだと知って感謝して下さいね。そして自分に自信を持って、自分も他人も愛して幸せに生きて下さい。

創造主は言いました。「樹が鳥を愛するように人を愛しなさい」と。自分というものが存在して今を生きられていることに感謝し、天・地・人の恵みを感謝と共に受け取って豊かに成長して果実(愛・覚り)を実らせ、その実りをみんなに無償で分け与え、自分の元に集まる者たちが喜びに歌うのを我が喜びとし、決して己の自己正当化のために他人を批判・説教して傷つけたりせず、来る者拒まず・去る者追わずで、ただただ「存在」をありのままに愛することです。そして結果(見返り)を求めて被害者意識に陥らず、どんな運命も感謝と共に受け入れることです。そうすればあなたの愛(覚り)の種を鳥たちが運んで世界中に広がっていくことでしょう。そんなことができる自分をあなたが愛せないわけがなく、また愛されないわけもないのです。

それでは、あなたが自分も他人もありのままに愛せるようになって幸せになることを心から祈っています。

後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...