2025年9月7日日曜日

自分の浮気で失恋

【質問】23歳・男性

真也さん!こんばんは!23歳の大学生です。昨日彼女に振られてすごく悲しいです。交際歴は1年くらいでした。振られた原因は、僕のせいだと思っています。その理由は、僕が別の女の子とヤってしまったことです。その時、初めて彼女にめちゃくちゃ怒られて泣かれてすごく反省し罪悪感でいっぱいでした。彼女は、こんな未熟な僕をしっかってくれたりして、とても良い子だと思います。すごくこの1年で色々学びも楽しいことや悲しいことも沢山ありました。もうヨリが戻ることはないと思いますし、前を向かないといけないのは分かっているのですが、今はただただ悲しいです。こんな女々しい僕に何かアドバイスや喝を入れてくれたら嬉しいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。回答が遅くなって申し訳ありません。

質問箱をしていると本当に人の悩みというのは共通で、僕らの魂は同源同一のものなのだと実感します。今回も「お前は俺か!?」って言いたくなるぐらい、僕も全く同じような経験があります。だから質問者さんの心の痛みはよくわかりますし、本当に心から同情申し上げます。 


誰でも若い時にはエゴまみれなのが普通です。僕もあなたと同じ歳の頃は完全にそうでした。僕は「みんな(程度の差こそあれ)同じだよ」とあなたに心から同情して元気づけたいのであり、偉そうに上から目線で喝を入れる(叱る?)ようなことをするつもりは毛頭ありません(ハゲなだけに)。だからどうか今回の失恋を自分だけのことのように思い悩まないで下さいね。大事な人からの愛を失えば落ち込むのは自然なことであって、それで落ち込まない方が問題であり、僕は女々しいなどとは全く思いません。逆に別れても全然落ち込まず「これ幸い」と女遊びをしまくるような人ではどうしようもないですからね。あなたが今感じているその痛みこそあなたが元来愛情深い人間であることの証しなのです。

この質問箱を客観的に見ている読者様(特に女性)は「自業自得だ」とあなたを責めたくなっているかも知れませんが、僕は決してそのようにあなたを責めたりはしません。他人に相談できずに孤独に苦しむ人というのは、自業自得だと思っているからこそ他人に相談できないのであり、そういう人たちを救いに導けなければ世界(全霊魂)は救いに導けません。

あなたが浮気して彼女を傷つけ、別れられて自分自身を傷つけてしまったのも、あなたの魂成長にとって必要な経験だったのであり、僕らはそのようにして「愛とは何か?」を人生経験によってより深く学んでいるのです。ネガティブな経験と感情も、幸せを感じるためには必要なことですから、逃げたり胡麻化したりせず、正面から感じ切って下さい。それも大事な人生の味なのです。別れがそんなにも痛いと感じるほど誰かと愛し合えたことはとても貴重な財産だと思います。 

きっと心の痛みは時間が解決してくれることでしょう。しかし時間が問題(課題)そのものを勝手に解決してくれるわけではありません。人生の全ての問題は全て創造主から与えられた成長課題なのですから、きちんと正面から向き合って乗り越えない限り同じ失敗を繰り返すばかりでいつまでも幸せにはなれないのです。

課題というのは何が問われているのかを正確に把握できなければ解決しようがありませんから、大変僭越ながらあなたが正確に課題を把握して解決できるようにお手伝いさせていただきたいと思います。それが幸せ(成長・悟り)に導くということですから。 

我々は愛を知るために生まれて来ているのですから、人生の問題は全て「愛の不足」が原因であり、逆に言えば全ての問題の解決策は「愛」なのです。

 

誤解している人が非常に多いのですが、何があっても(失恋しても)痛みや悲しみや怒りなどの感情を感じず(心の針が振れず)平然としていられるようになることが悟りではありません。「無執着」というのが傍から見ればそのように見えてしまうのでしょうけどもね。

 

僕らは経験を通じて実感を伴って悟る(成長する)ために生まれてきたのであり、それこそが人間の存在意義なのです。創造主というのは全知全能であり、真理など全部最初から知っているのであって、そのままでは経験ができないからこそ、創造主はわざと人間を無明(愚か)に創り、その人間に自らの意識を分離して宿し、創造主としての記憶を無明の闇に隠し、人間を通して成長経験を積んでいるのです。だから人間は経験・実感もなく頭だけで悟れるようには創られていないのです。

恋愛・人間関係の問題も全て自他への愛情不足(成長不足)が原因なのであり、それによって起きるネガティブな出来事と感情は、経験と実感を通じて成長課題を覚らせてくれているのです。それなのに精神薬や酒・ドラッグや瞑想などで負の感情を誤魔化して逃げたり我慢して無理に抑え込もうとしたりすることは実感・成長の拒否なのであり、悟りのベクトルとは逆行しているのであって、不幸に導かれるのが必然なのです。そのように負の感情だけを無理やり抑え込もうとすると、感情が鈍くなって「経験を通じて実感を伴って悟る(成長する)」ということが困難になってしまい、人生が無感動で空虚で不幸なものになってしまいます。だからどうかネガティブな経験・感情から逃げようとせずに、しっかり感じきって成長を目指して下さいね。それ以外に幸せになる方法はないのですから。 

決して自分を責めて自尊心を下げないで下げないで下さいね。あなたを浮気願望があるように創ったのも、あなたを気に入る浮気相手を創ったのも、浮気する機会を創ったのも、それによって傷ついて別れを決意してしまうように彼女を創ったのも、全て創造主なのです。そして人生はRPGであり、答えはいつでも「誰も何も悪くないけど、自分が何とかするしかない」です。すべては自分の成長課題なのですから。

男女というのは成長課題としてデフォルトですれ違うように創られているのです。もし男女がデフォルトで何の問題も生じず何の努力もなく死ぬまで愛し合えるように創られていたら、成長要素がなくなってしまうでしょう。だから男女が良好な関係性を維持するにはお互いのたゆまぬ成長努力が不可欠なように創られているのです。そのあたりがわかっていない人は、結婚をゴール(安泰)のように考えて成長努力を怠り、恋愛初期のラブラブ状態をデフォルト(基準)として考え、どちらかの(あるいはお互いの)恋愛感情が冷めたら関係性がすぐに破綻してしまうのでしょう。まるで自分の愛情に見返りを求めるように、義務のように愛情を強要して逆効果になるのですね。愛は無償で自由でなければならないものであり、相手の愛情を見返りのように求めて自分の愛情を押し売りして相手を束縛すれば(それは愛ではなくエゴ)、逆効果になるのが必然なのです。

離婚についてに書いた通り、全ては自分に与えられた成長課題なのに、問題を全部相手のせいにするのは成長拒否・主人公意識の拒否であり、魂成長のためにあるRPGにおいて不幸に導かれるのは必然なのです。実際、離婚する人はほぼ確実に相手側を変えようとしてうまくいかず、離婚原因が相手側にあると考えて被害者意識に陥っているものです。成長拒否は運命への呪いに書いた通り、怠惰・臆病・被害者意識・自己正当化・依存(逃避)で、分けて書くのが難しいほど全部繋がっているのです。

 

今回は男性からの相談なので男性主人公目線で書いていますが、女性の読者様は「やっぱり男が悪い」 などと考えないで下さいね。人生は自分が主人公のRPGなのですから、相手(設定)側を変えようとしても決してうまくいきませんし、相手(設定)側に文句を言ってもゲームは進みません。今回は男性の本能を良く知り、自分がどう成長していくべきかを考えるきっかけにしていただければ幸いです。女性向けには女性から相談があったら回答しますね。

男性がパートナーにすぐ飽きて次々に女性を求めてしまう播種本能も、成長課題として創造主が男性に与えたものであり、基本的にあなただけでなくみんなが持っているものです。だから浮気願望があること自体によって自分を責める必要はありませんが、だからといってもし開き直って欲望(エゴ)のままに次々に女性に手を出して良いわけではありません。それは課題の無視であり、成長とは真逆のベクトルで、不幸に導かれるのが必然なのですから。

次々に女性を求める人というのは、性欲・播種本能が異常に強くて常に性的に飢えているというよりも自尊心に飢えているのであり、次々に女性を踏み台にし続けないと自尊心を保てず、梯子を上るように次々と女性を求める病的状態なのです。そして自分が抱いた女性はすぐ用済みになって飽きてぞんざいに扱うようになり、また相手からの愛情を計り優位を感じるためにどんどん露悪的になったりもして、浮気して捨てたり捨てられたりするわけです。しかしそんなことを続けていてもキリがないのは予めわかりきっていることであり、永遠に満たされることなく、そのうち加齢などでそういうこともできなくなって、自尊心が壊滅的になり、悲惨な老後が待っているだけです。 「エゴとは何か?」に書いた通り、人はエゴで行動すればするほど深い部分で自分を嫌いになるのであり、浮気をすればするほど逆に自尊心は深い部分で下がり続けてしまうのです。その自尊心を無意識に埋めようとして浮気するのでは本当にキリがありません。

自尊心というのは自他への無条件の愛によってしか満たされないものであり、本当の愛というのは対等に向き合うことでしか感じられないものなのです。女性を次々と性欲のはけ口と自尊心の踏み台にしている男性というのは性欲と自尊心の「餓鬼」なのであり、モテているつもりで永遠に満たされることがないのです。そして男性というのはなまじモテるとエゴのままに次々女性を求めても得られてしまい、男女が真剣に向き合えば当然生じるはずの成長課題から逃避し続け、相手を運命の人と信じて愛を育てる努力を怠りがちなので、不幸に導かれやすいんですね。だいたいこうなる人というのは、思春期に女性から相手にされないことで自尊心を傷つけられてきたために、大人になってもその心の隙間を埋めようとして彷徨い続けている場合が多いですね。それはより多くの女性から性的に求められることを通じてしか自尊心を感じられない病気であり、本物の愛を育てられるわけもなく、将来的な破綻は目に見えています。

我々はあくまでも魂成長のために生まれて来ているのであり、それが我々の存在に存在意義を生んでいるのです。それがわかれば、成長努力を怠ることによって不幸に導かれるように人生が創られているのは至極当然だとわかるでしょう。そして僕ら人間は、成長を経験できるように、わざと無明(愚かさ・迷い・エゴ・霊的穢れ・カルマなど)を与えられているのです。だから僕らはただ失敗経験から学んで、一歩一歩でも成長を目指していけばいいだけのことです。 もし人生というRPGが失敗経験なく初見でクリアできるような容易なものなら何も面白くなく、存在意義がありません。

僕らに与えられている無明の最たるものが「何でもすぐに『当たり前』と考えて感謝もしなくなる本能」です。 それが成長課題として与えられているからこそ、感謝には価値が生じるのです。「有難い」の対義語は「当たり前」なんです。当たり前だと思ってしまう本能と戦って、意図的に「有難い」と思えるように、日々感謝に生きられるようになっていくことが魂の成長なのです。

創造主は我々が生まれてから一秒も休むことなく我々の心の中まで見ているのであり(我々を通して人生を経験しているのであり)、誤魔化しは一切効きません。エゴにまみれているために深い部分で自分(人生・世界)を嫌っている人間というのは、心から感謝の気持ちなどわきようがないのです。そんな人間の感謝というのは「相手から嫌われないように」「常識に反して社会から排除されないように」「もっと自己利益を得られるように」というエゴによって形だけやっているだけなのであり、そんな感謝では魂が成長するわけがなく、幸せになれるわけがないのです。創造主は我々を、心から感謝できるように成長し続けることによって幸せを感じ続けられるように創っているのですからね。

 

いつも言っている通り、与えられたものに感謝できない人間に、より良いものを与えたいと思う人間はいないでしょう。 そこは創造主も同じなのであり、彼は世界をそのような原理(因果応報)によって創って運営しているのです。エゴにまみれた人間は、どれだけ与えられても他人と比べて不平不満に感じて感謝しないのが自明であり、既に与えられているものまではぎ取られ続け、失い続けることでその価値に気づかされるような悲しい人生になるのが自明なのです。

あなたは彼女の存在を(与えられた初期設定のままに)「当たり前」だと思い、日々意識して「有難い」と思う努力を怠り、「釣った魚に餌はやらない」という感じで本気で大切には扱っていなかったのでしょう。そして飽きて浮気願望が抑え切れず、別な女性に手を出したくなり、実際に手を出して「失うことでその価値に気づかされる」を実体験から実感を通して学んでしまったのでしょう。僕もあなたと同じ失敗を経験しているので、あなたの心の痛みはよくわかるのですが、どうか逃げずに正面から受け止めて成長に繋げて下さいね。恋愛に限らず、日々「当たり前」のように感じてしまうことに対して一つ一つ意図的に感謝し、日常を「あたりまえ体操」ではなく「ありがたい体操」に変えて下さい。

彼女のことを自尊心の糧にするタイプの自尊心の低い男性は、女性と対等に向き合おうとせず、常に優位を示そうとします。女性は自尊心の高い男性を好む(&他人が欲しがるものを価値があると思って欲しがる本能がある)ためにそういう男性がモテたりもするのですが、その自尊心は仮初めのものであり、その自尊心の土台になっている彼女と別れると、自尊心が壊滅的になって急にモテなくなったりします。あなたがもしそうなったとしたら、それはあなたが成長できるように覚らせてくれているのであり、もしそれでもモテモテだったら成長機会が失われて不幸に導かれてしまいます。誰でも自信満々になれる方法自分と他人の愛し方を参考に、自他をありのままに愛し、本物の自尊心(愛)を育てて下さい。 

この人生という創られたRPGの世界に「偶然」は一切存在しません。自由意志の仕組みと存在意義に書いた通り、人間に「偶然」が存在しているように感じさせられないと自由意志の存在意義がなくなるので、創造主は全力でこの世界に「偶然」が存在すると我々に思わせるように「演出」しているだけです。だから「因果応報」という宇宙の大原則に時間差を設けて、わざと因果を見えにくくしているのです。

わかりますか?「確率」は創造主による「演出」であり、実際「確率」によって(偶然・自然に)世界も我々の人生も生じ得ないのです。全てがそういうありえない奇跡を土台にして創られているのであり、その上にある「確率」によって世界と我々の人生が偶然・自然に(無意味に)存在しているなどと考えてしまうのは人間に成長課題として与えられた「無明」なのです。くれぐれも「たまたま浮気してしまった」「たまたまバレてしまった」などと考えて成長を拒否して不幸に導かれないで下さいね。


さて、あなたに用意された選択肢は二つだけです。

①今後も自他の存在を当たり前のように考えて心から感謝せず(意識もせず・成長せず)、失い続けることでその有難みに気づかされるような不幸な人生を選択するのか。

②今回の痛い失敗経験を糧にし、「何に対しても当たり前だと感じてしまう本能(無明)」と戦って有難みを噛みしめ、日々心から自他の存在に感謝し(=愛し)、それを実践し続けることで成長し続ける「信心と感謝報恩」の幸せな人生を選択するのか。

・・・です。よくよく考えて、あなたに与えられた自由意志によって選択して下さいね。


それでは、あなたの幸せ(成長・覚り)を心から祈っています。 

2025年9月1日月曜日

身内がガンで余命宣告

【質問】20代男性・大学生 ペンネーム:たかゆう

真也さんお疲れ様です。今、僕の叔母が癌で、いま昼寝してたら叔母が出てきてすごい悲しい夢を見ました。叔母は、闘病中で医者から余命宣告を受けています。僕の母や祖母は西洋医学以外の治療を勧めているんですけど、叔母の家族がすごく医者を頑なに信じていて、他の治療法を伯母にやらせるのを止めているんです。どうにかして叔母の家族を説得して他の治療法を受けてもらいたいと思っています。今の夢ですごく悲しかったからこのまま何もせずに見ているだけでは、何か後悔する気がしたから、真也さんに相談させてもらいました。何かアドバイスいただけたら嬉しいです。

【回答】
ご質問ありがとうございます。

かなり前の話ですが、僕も学生時代に叔母を交通事故で突然亡くしました。人の死はとても悲しいものですよね。

生は死と表裏一体で不可分のものであり、命あるものは必ずいつか死にます。でも魂というのは永遠のものなのです。もし死が存在せず、生命が永遠に続いて終わりのないものなら、人生は芸術(物語)として成立しません。魂の成長要素も感動要素もなくなってしまいますからね。終わりのない物語は芸術にならないのです。

もちろんそうは言っても人の死は悲しいものです。もし人が死を全く悲しまず、またそれを恐れないように創られていたら、やはり人生は芸術として成立しません。人の死が悲しいのは、そういう尊い感受性が与えられているということであり、それにより人生という素晴らしい物語の経験機会を与えられているということなのであって、まずそこに感謝の気持ちを持たなくてはいけません。

命=必死 魂=永遠 なのですから、本来的に我々が救うべきは命よりも魂の方なのです。それはつまり愛するということです。その愛し方(表現)が人生という芸術なのです。

世の中は一人一宇宙であって、あなたの叔母が夢の中に出てくるということは、その叔母は既にあなたという主人公(経験主体者)の認識宇宙(仏国土)の住民になっているということであり、ただのNPCとは違う尊い存在なのであり、きっとあなたの魂という永遠の存在の中に永遠に生き続けるのです。どうか人生を通じて、家族だけでなく、出会う人みんなを愛し、あなたの心(仏国土)の住民をたくさん増やしていって、あなたの心(仏国土)・人生を豊かにしていって下さいね。そしてあなたも出会った人の心(仏国土)の住民として、彼らの心(仏国土)もまた豊かにしていって下さいね。

キリストは「あなたたちが何を心配しようとあなたがたのうちの誰が、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ他の事まで思い悩むのか」というようなことを言っていましたが、まさにその通りで、人の寿命というのは生まれる前から決まっていて、せいぜい死因が何になるかの違いしかないのです。

実際、末期になってからどんな治療法をしようと大概の場合は手遅れで、場合によっては逆効果になってしまい、かえって苦しめて(死期を早めたように見えて)しまうことさえあります。もちろん末期のガンから奇跡的に回復する例も稀にありますが、そうなるのはその人がそこで死ぬ運命ではない時だけです。それにもしあなたの勧め通りに治療法を変えて逆効果になったりしたら、あなたは叔母の家族の恨みを買い、責任を感じて心の荷物を余計に背負うことになってしまうでしょう。

だから叔母に別な治療法を勧めても叔母の家族が受け入れないなら、残り少ない叔母との貴重な時間を叔母の治療法をめぐって叔母の家族と揉めることに使うべきではないと僕は思います。そんなことをしてもあなたと叔母の家族との愛が失われるだけで、叔母は余計に悲しむことになるでしょう。

叔母の責任を本当に負っているのは叔母の家族であり、あなたではありません。彼らに「やれることはやった」という納得感(慰め)を与えてあげることも救いです。どうか悲しみを誰かへの怒りや恨みに転嫁せず、愛に昇華して下さい。

あなたの叔母との残りの時間は、僕の叔母のようにもし交通事故などで突然亡くなっていたら与えられていない貴重な時間です。どうかその時間に感謝して、決して叔母の家族と揉めることに使わず、叔母に愛を示すこと(話を聞くこと)に使って下さいね。

基本的にガン細胞というのは「風の谷のナウシカ」の腐海の植物と同じで、生命体(全ての生命が一体)における自浄作用なのであり、「不調和」を逆説的に覚らせてくれているのです。実際ガンは基本的には食物の過剰摂取などによる血の穢れを原因としているのです。だからガンは早期なら断食⇒玄米菜食によって解消されるそうです。しかし末期だとトドメを刺すことになる可能性があります。人間の食べ物を食べて肥満に陥った猿も、ダイエットをさせるとすぐ亡くなるそうです。あなたも若くしてガンにならないよう、全ての存在との調和を考えて、節度ある暮らしを心がけて下さいね。

現代医療はガンを「悪性新生物」と呼んで「異常・異物」とみなして退治しようとしていますが、それはクシャナが巨神兵を使って蟲を焼き払おうとした如くで、とても愚かなことです。現代医療はガンを金儲けの道具にするために、敢えてガンを創り出し、治らないとわかっている延命で稼ぎ続けているフシがかなりあると思います。だからあなたが叔母の治療法を変えて欲しいと願う気持ちも僕にはよくわかります。

ただそういう現代医療を信奉してしまう愚かさも、人間に成長を経験させるために与えられた無明(愚かさ)であり、我々はまず自分からエゴを愛に昇華させ続け、成長していかなければなりません。それが世界に遍く連鎖してみんながワンネスに目覚めれば、いずれ全ての魂が救われるのです。

それでは、あなたとあなたの心(仏国土)の住民の方々みんなの幸せ(魂の救済)を心から祈っています。







2025年7月29日火曜日

逃げ癖への対処法

【質問】アラフォー:男性 無職 ペンネーム:日月

しんやさん、お久しぶりです。
アヤワスカのセッションやその後のメッセージを通じて、希死念慮がなくなり、「まだやり残したことがある」と気づけました。サンパウロではご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。アヤワスカや様々な体験を通じて救われ、心から感謝しています。

2年前の相談をきっかけに、苦手だった母と向き合い、関係を改善できました。現在も親子で話し合いを続け、問題を解決中です。最近は母と一緒に食事や映画を楽しみ、心から幸せを感じています。被害者意識や義務感、罪悪感が減り、母の喜ぶ姿を見て純粋に幸せを感じられるようになりました。しんやさんとの出会いがなければ、この変化はなかったです。

私はADHD、双極性障害I型、コミュニケーション障害、人間関係リセット症候群、軽度の閉所恐怖症、高所恐怖症、パニック障害、左右識別困難を抱えています。現在、薬は服用していませんが、しんやさんのおかげで病気と向き合い、症状が軽減していると感じています。

質問です。

1.やりたいことができない課題

やりたいことは小説執筆、写経、筋トレ、瞑想、断食、絵を描くことです。
一方で、創作に不要な読書、ネットサーフィン、ジャンクポルノ、ジャンクフード、酒、タバコをやめたいです。
特に小説執筆は幼い頃からの夢ですが、最近はスラスラ書けず、書いては消すを繰り返しています。執筆意欲も高くありません。書きたい理由は、自分を理解し向き合うこと、言語化能力を高めてコミュニケーションを改善すること、そして本や映画、漫画、絵画に救われた恩を返すことです。
◦執筆意欲を高め、没頭するにはどうすればいいですか?
◦自分と向き合うのが怖く、意図と異なる解釈をされる不安もあります。どうすれば克服できますか?
◦しんやさんのように難しい内容を言語化する能力を身につけるにはどうすればいいですか?
◦おすすめの書籍や文章術の参考があれば教えてください(現在、好きな小説の読み直しや文章技術の本を読んでいます)。

2.計画通りに行動できない課題

コツコツ努力することが苦手で、試験や論文は一夜漬けで対応し、いつもギリギリでした。教授には「もっと面白いものを期待していた」と言われ、後悔しました。夏休みの宿題も計画は立てるものの、生活リズムが崩れて中だるみし、クオリティが低下します。
◦計画通りに行動し、納得のいく作品を作るにはどうすればいいですか?

3.自制心と周囲の影響への対処

過剰な睡眠、飲酒や自慰行為に走りがちで、周囲の影響を受けやすいです。食の嗜好や飲酒量も周囲に流されます。現在、友人に現状を説明し、飲み会や連絡を断っていますが、断りきれず長電話になることもあります。
◦自制心を高め、過剰な欲望を抑える方法はありますか?
◦周囲に流されないためにはどうすればいいですか?

4.文章のわかりやすさ

質問文をよりわかりやすくするにはどうすればいいですか?気になった点があれば教えてください。

5.カルマについて

しんやさんから見て、私のカルマはどのようなものだと思いますか?
喫緊の悩みではないので、お時間のあるときにお答えいただければ幸いです。いつも言いづらいことを指摘していただきありがとうございます。厳しめのご意見いただけたら嬉しいです。

長くなりましたが、アヤワスカや仏縁、しんやさんとの出会いに心から感謝します。

大変な状況の中で、僕のところを選んでブラジルまでアヤワスカを受けに来てくれて本当にありがとうございました。良い方向に導けているみたいで、導き手としてとても嬉しく思います。そして天より与えられた重いカルマを乗り越えようという覚悟を持ったあなたを心より尊敬し、また誇りに思います。

さて、ご質問の回答です。

【回答】
>1.やりたいことができない課題


酒・タバコはともかく、その他の悪癖は僕にもあり、そういうのは程度の差こそあれ誰にでもあるものだと思いますので、それを自分や誰かを責めたり嫌ったりする理由にしないで下さいね。自分への許しと愛が全ての根幹です。自分を許し愛せないのに、他者は許し愛せません。自分と他人の愛し方はとても大切なことなので、読んでみて下さいね。

そして同じ過ちを繰り返してしまうもぜひご参照下さい。あなたの文章から、とても良い方向に進んでいるのは感じられるのですが、それでもまだあなたは自分を許し愛せる段階まで来ていないのだと思います。あなたは嫌いな経営者のために一生懸命仕事をしたいと思いますか?あなたの肉体も霊魂もあなたからの愛を感じられないから、全力で仕事をせず、ますます自分自身を嫌いになるような行動を繰り返すのでしょう。それが「ポジティブな意欲がわかず、逃避してしまう」ことの根本的な原因かと思います。それは僕も長年経験しているのでよくよくわかります。

自分を他人と比較することなく、大きなカルマを乗り越えようとしている自分をもっと心から褒めて尊敬し、欠点や過ちを許し愛して下さい。それは出会った人ひとり一人を心から許し愛することで可能になっていきます。出会う人はみんな自分の鏡であり、拡大鏡です。嫌いな人であればあるほど、許し愛せるようになっていくことで、その拡大率で自分をより許し愛せるようになっていきます。だから嫌な人にあったらチャンスです。その人を許し愛せるようになっていくことで(克服することで)、人生というRPGの経験値は一気に高まり、レベルアップして、物語がどんどん前に進んで行きます。それこそが魂の成長なのです。苦手な人を許すのが難しいも読んでみて下さいね。

さて、今あなたはそれらのやりたいことがすべてできる環境にありますよね?それなのにできないのは、きっとそれらが本当にやりたいことではないからか、まだ本当にやりたいところまで気持ちが高まっていない段階にあるからなのでしょう。

あなたが創作の邪魔になると思っているそれらの悪癖は純粋に逃避なのであって、やりたくないことをやろうとしているから逃げたくなるのだと思います。いつも言っていることですが、与えられているものに感謝の気持ちがなければ、それをはぎ取ら続け失い続けることでその価値に気づかされるような悲しい人生になってしまうことでしょう。まずあなたにやりたいことがあって、それがやれる環境にあることに心から感謝の気持ちを持ってみて下さいね。そうすれば恩返ししたいと意欲が湧くようになりますから。

聖書の「ヨブ記」のように、どんな試練を与えられても被害者意識に陥らず、自分個人へ成長を期待されているがゆえに与えられた贈り物だと感謝して受け取り、乗り越えて行くことが大事です。そうすればその試練はきっとあなたにとって宝物となります。どんな試練があろうと、人生という経験機会が与えられていること自体が、とても尊く有難いことなのだと気づいて下さいね。

そして読書にしても、あなたが純粋に読みたい本を読めばよいのであって、創作に役立つかどうかなんて考えながら他者の評価を気にして見栄を張って強迫観念で読んでも楽しいわけないですよ。だから僕から本のおすすめなどはしません。好きな本を読んで行けば、数珠つなぎ的にもっと読みたい本が必ず出てくるはずです。そしてそこにこそあなたの個性が表れるのであって、それこそがあなたという存在を意義(価値)ならしめているのだと思います。

とにかく純粋に今大好きなこと・それをしている自分を好きになれることに時間を使うことが大事です。それができることに感謝の気持ちを感じながら。逆に他者評価に依存し、他人から評価されなければ自分を好きになれない・価値がないなどと考えて脅迫観念を持ちながら嫌々やっているようでは何をするにも意欲など湧きようがないと思います。

>◦しんやさんのように難しい内容を言語化する能力を身につけるにはどうすればいいですか?

僕は「文章術」なんてものは意識したことがありませんので、当然それを得ようとか高めようとか考えたこともありません。一生懸命伝えようと努力しているだけです。もし僕にあなたが言ってくれているような能力があるのだとしたら、それを得ようとして与えられたものではなく、人を救いたいという純粋な思いに応じて天から与えられているものだと思います。もしあなたもそういう思いを高めて行くことができたら、きっとあなたにも与えられるものではないかと思います。能力も、創作意欲もです。

ただ僕にとって違和感があるのは、よく僕の能力を「文章力」「言語化能力」という風に(小手先の「述」のように)捉えられてしまうことです。しかし自分が正しく深く理解できていないことは、他人に対して正しくわかりやすく言語化することはできません。「理解力・論理的思考能力」が「言語化能力」に先立ってあるのであって、それらは不可分のものなのです。そこが見えずに「言語化能力」と切り離して捉えてしまう人というのは、本質が理解できていないのだと思います。

そして僕は僕に与えられた経験を通して説明しているのであって、違う経験をしているあなたが何かを言語化すれば当然別な形になるでしょう。だからこそ(あなただけの)経験・存在に価値があるのです。それと同時に、多くの人は本質的に同じような経験をしているからこそ、共感・同情し合ってわかり合うことができるのです。

大事なのは「文章力」「言語化能力」ではなく、他者に対する「慈愛」であり、「共感能力(同情能力)」の方です。それが養われれば「文章力」「言語化能力」などは自動的についてくるものであり、逆にそれが養われていないのに文章(術?)がうまくなったところで誰も感動させることはできないでしょう。だから「文章力」「言語化能力」ではなく、他者に対する「慈愛」「共感能力(同情能力)」の方を養ってみて下さいね。それはコミュ障を克服したいに書いた通り、お年寄りインタビューをしてみることが一番の近道じゃないかと思います。

魂が若く分離意識(自分と他人は違う存在であるという意識)が強過ぎるプロセスにある人というのは、他人に慈愛をもってその気持ちを慮ることができていないのです。特にADHDの人というのはその傾向が強く、他人の気持ちに対してまるで壁が存在しているかのように相手の立場に立って考える事ができず、エゴに埋没し、人間関係がうまく行かずに孤独と自己嫌悪に陥ってしまうものなのですが(以前の僕は完全にそうでした)、それはADHDの人が極端なだけで人間は基本的にそのようにできているのですから、落ち込む必要はありませんからね。他人と比較することなく、ただそれを自分個人に与えられた課題として乗り越えて行けば良いのです。成長の物語のシナリオ・プロセス・速度も、キャラクターの個性・特性も、人それぞれなのですから。

>2.計画通りに行動できない課題
それはまさに僕も同じですよ(笑)やらなきゃいけないことでもやりたい気持ちがないと本当にギリギリになるまでできません。

ただこれも基本は1.と同じで、やはり自分で自分を心から愛せていないから、自分の肉体や霊魂が逆らってしまっているのだと思います(僕も自分を愛せているつもりで、まだまだのレベルにあるのでしょう)。

やりたくないけどやるべきことは、やってしまってスッキリしている自分の快感を先に想像しながら、最初のハードルを5分だけとか思いっきり下げてやることが大事かと思います。何事も最初が一番エネルギーがいるのであって、最初の一歩と最後の一歩ではエネルギーが指数関数的に異なるのです。慣性の法則はどこにでも働くものであり、一度勢いに乗ればどんどんスピードが上がって止めるのが難しいぐらいになります。それが習慣化してやるのが当たり前になっている頃には、やりたくなかったこともやりたいことになっていたりします。

>3.自制心と周囲の影響への対処
とても正直ですね。ただそれもやはり逃避ゆえの悪癖であり、基本的には1.への回答と同じになります。

逃げは最も安易な選択であり、RPGというのは基本的に愛と勇気を試し成長を促すベクトルで創られていますから、逃げれば逃げるほどかえって遠回りになり苦しくなってしまいます。そしてその先は全て行き止まりになっているのです。最初から「逃げ道などない」と腹を括れば腹が据わります。

ただ心は天邪鬼に出来ていますから「絶対に逃げてはいけない」と自分を追い詰めると、逆に逃げてしまいやすくなります。だから時には逃げることで逆に遠回りしてしまう自分も許し愛することです。人生はRPGと同じで、時には逃げも必要なものではありますが、例え逃げる時でも気持ちを「いつか乗り越えよう」というベクトルに向け続けていなければ、いつまでも人生というゲーム(ストーリー)が進まないのです。

そして同調圧力に屈してしまいやすいのは、やはり自分も他人もありのままに愛せていないというところが大きいと思います。同調しないと嫌われる⇒自分が無価値に思える・自己嫌悪に陥るという不安があるのでしょう。

自己嫌悪の強い人というのは、価値のない自分から褒められても嬉しくなれないために、自尊心を上げるための手段として他者評価を必要としますが、基本的に他者はこちらを表面的にしか知らないんですから、その評価なんていうのはいい加減かつ気まぐれなものです。そんなものに左右されていたらいつまでたっても自分を評価できず好きにはなれません。他者評価は関係なく、誰も見ていなくても無償で利他的な行動をして、自分で自分を褒められるように・揺るぎなく自分を好きになれるようになって下さいね。

誰でも自信満々になれる方法は僕に与えられた悟りの核ですから、何度も読んで実践してみて下さいね。あくまでも自分を愛し抜こうとしている人を嫌い切れる人などいないのですから、あなたの側が相手を愛し抜く覚悟さえ持てば、人から嫌われることを恐れ、顔色を窺ってビクビクする必要などないのです。だから大切なのは、自分の愛情から「出会うこと」以外の条件を外して無条件化していくことです。条件付きの愛というのはエゴであって愛ではないのです。自分も他人も無条件で愛せるようになったら、無条件で必ず幸せになります。

4.文章のわかりやすさ

あなたの質問は僕からすればとてもわかりやすいですよ。他の人にとってどうかはわかりませんが。

5.カルマについて

カルマというのは人生の課題であり、それこそが人生のテーマ・シナリオを構成しているものなのです。他人に自分のカルマが何であるかを尋ねるのは「私の人生のテーマは何ですか?」と他人に尋ねるのと同じであり、それは主人公であるあなたが自分で覚っていくべきものなのです。

ただカルマの良化法に書いた通り、僕らの魂は同源同一なので、抽象化して見れば人のカルマ(課題)というのは本質的に同じなのです。それは自分が一番目を背けたいところにあるのであって、みんな自分のカルマがわからないのではなく、わかりたくなくて目を逸らしてしまっているものなのです。そこは人間ならほぼ誰でもそうで、自分のカルマに正面から向き合えている人というのはそうそういるものではありません。だからカルマから逃げている自分を責める必要はありません。でも主人公たるあなたがいつまでもカルマと向き合わないのなら、最後まで脇役(被害者)の人生になってしまいます。

世界の本質はワンネスであり、自尊心と他尊心は同時にしか上がらないものだと知って下さいね。会ったこともない他人ではなく、出会いを大事にして、出会った一人ひとりを許し、人生の共演者として存在に感謝・尊敬し、愛せるようになって行って下さい。そうすれば自分自身もより深く愛せるようになります。自他共に愛せるようになれば、それは単なるナルシストとは違うのです。ナルシストは嫌われますが、自他共に愛せる人が嫌われるわけがありません。人に嫌われて幸せなんてことは有り得ません。しかし人に好かれようとして自分のエゴをごまかすのではなく、お互いのエゴを許して愛し、エゴのエネルギーを愛に昇華できるように日々実践を頑張ってみて下さい。そこはエゴとは何か?に書いた通りです。

それでは、あなたの幸せを心よりお祈り申し上げております。


2025年7月8日火曜日

LSD&MDMAでのバッドと後遺症

【質問】20代・男性 学生 ペンネーム:END
まず一度僕は、一年前くらいにLSDでバッドに入りました。その時のバッドが、その時3人いたんですけど、ループに入ると言うバッドで、そこから抜け出せず、自殺しようとしました。そのバッドの時には時間感覚も全くなく、本当に地獄のようなものでした。そして、そのことをずっと何だったのかを考えるようになって、シラフの時でもあれは何だったのかをずっと考えていました。そして、1カ月前にその地獄のようなバッドの夢を見ました。そこから、メンタルがおかしくなって、シラフでも入るのか、と、そして、真也さんのLSD後遺症の記事をたまたま目にして、自分は統合失調症ではないのか、と考えるようになって、そこから、起きてから頭の中で負の思考のループが止まりません。自分がやってることは結局ループしてるとか、ゲームの世界なのではないかとか、自分以外の人がキャラクターのような感覚になってしまったりとか、また、シラフで自分がおかしくなってあのバッドに入ってしまうのではないのかと、考えてしまいます。どうしたらいいでしょうか、真也さんに相談のDMをするのもなんか怖くてためらってましたが、もう限界です。僕を助けてください。よろしくお願いします。

 ■1回目のバッド(LSD)
三人でループしてた。
脳が麻痺して、現実にバグが起きている感じ。
仮想現実を受け入れなければいけなかったが、受け入れられなかった。
怖くて受け止めることができなくて自殺をしようとしてしまった。
なんか見てはいけないものを見てしまった感覚。
時間・環境・気温・気候・・・記憶が途切れ途切れでバラバラ。
電話も音楽も、何もかもが途絶え途切れで、私以外の意識が全く不安定に見えた。
三人ともみんな同じ感覚で笑った

■2回目のバッド(MDMA)
1回目のLSDの記憶がフラッシュバックした。
忘れてたループの記憶が、突然鮮明に蘇ってきて絶望した。
LSDでバッド入った時ループした記憶が殆ど消えていたけどそれを思い出した。
このバッドはシラフに戻ったら記憶が消されてる。
この日、意識だけでは1年ぐらい時間をループをしていた。
簡単に言ったら5億年ボタンみたいな感じ。
とにかくループをして、最後死を悟る。絶望。
身体は現実だったけど、意識は違う場所に閉じ込められていた。
今回も、同じように時間が狂った。
このループは結局おれもずっと終わりを探していて、何が終わりなのか、分からない。
精神と時の部屋みたいな感覚で、現実の10分が、意識では何時間も何日も続いてた。
それからは恐らく「死」が答えないんじゃないかと思ったけど、受け入れるのが怖くて、途中またループに戻って感じ。あ、同じ現象が起きたのが怖かった。
毎回誰かにいろはすの水を買ってるし、未来が分かる感覚もある。
今から誰が何を言うか、どのタイミングで動くかが先にわかる。
全てが繋がっている感覚。
バッドに入ってる時は確実に仮想世界にいると確信できる。
次の日になると、その記憶は消されている。
この世界は仮想現実。仮想世界じゃないわけがないと思う。
もう絶対に何があってもケミカルはいらない。一生。
で、これは結局なんなのか?

■3回目のバッド(LSD)
また来たってすぐわかった。

背筋がゾッとするあの感じ、あれが来た瞬間がスタートだった。
今日は、もう一人の自分の声がずっと頭に響いてた。
「抜けられそうで」「また始まったね」って。
完全にループの中に入った。
感覚としては点が3つあって、そして糸で引っ張られるような不気味な引力がある。
未来が見える感じも強くて、隣にいる奴が何を言うか、何をするか、全部わかってしまう。
それでも、だからこそ「これって録画された現実なんじゃね?」って思った。
「これからの本質」がもしこれなら、すげぇ悲しいって思った。
生きてるのが録画再生みたいだったら、一応落胆する。
それを受け入れられなかったんだと思う。

▶結論というか、今の感覚
3回も同じ悪い事があった。
薬が違っても、入る場所は一緒。
意識だけが取り残される場所、ループ、そして「終わらない問い」。
毎回「死」を考えるところまでは行くけど、結局実行の手前で立ち止まる。
終わりが分からないままループして、その記憶は次の日には薄くて。
でもどこかにちゃんと残っている。
もうやりたくないけど、全部忘れたくない。

システムっていうか、絶望感っていうか、
考えれば考えるほど背筋が凍るって言うか、ループだよね。ループに入るんだよね。
思考のループに入り込んでしまうと、現実世界から、切り離されるような。
恐らく、人間か、自分自身のシステムとしか考えられない。バッドの類じゃない。
あれが、この世の本質だとしたら、落胆する。
あの瞬間、思考に入ってしまう、瞬間、背筋が凍る瞬間、スタートしてしまう。
恐らく薬物やってる人はもしかしたら、みんな入ってるのかも。
で、記憶がみんななくなるのかも。
毎回吐いてる。
頭の中からもう1人の声が、ずっと聞こえる。それは何?
思考が現実化する。って、本当なんやと思った。
考える、妄想する→未来が見える→その通りになる


【回答】
ご質問と詳細なレポどうもありがとうございます。既に電話相談で回答済みなのですが、同じように苦しんでいる人はきっと多いと思うので、敢えて質問箱でも回答させていただきますね。

あなたと同じような体験はLSDを体験した人ならほとんどの人が経験していることかと思います。あなたのレポを読んでうなずいている人はかなり多いことでしょう。決してあなただけではないのだと知って下さい。もちろん僕もあなたが経験したような絶望的な恐怖や混乱も経験しています。それが未経験者の想像を絶するものであることもちゃんとわかっています。そして僕はその経験のひとつ一つの意味も今は全部理解できますし、その上でそれを乗り越え、何も恐れることなく悟りを進め、通常の日常生活を営んでいます。そういうことが可能なのだということをまず知って、勇気と希望の糧にしていただけると幸いです。

アヤワスカとLSDの違い
LSDの後遺症について
極度の人見知り(大麻・LSD)

を読んでいただいた上でもピンと来ていないようですから、改めてよりわかりやすくご説明差し上げたいと思います。

まず、あなたは「とても受け入れがたい」と書いていらっしゃいますが、LSDで経験することというのは夢幻ではなく、現実の一つの見方であり真実なのです。それで恐怖してしまうのは、信心が足りないからであり、愛と勇気が足りないからなのです。そして絶望してしまうのは、あなたがまだ若く、悟りが進んでいないからなのです。しかしそれもプロセスですから、受け入れて乗り越えて行く以外にないんです。

<この世界は仮想現実=あなたが主人公>
宇宙の仕組み(仮想現実と創造主)
を読んでみて下さいね。「この世界が仮想現実である」というのは紛れもない事実であり、それは現代科学でもほぼ証明済みのことであり、また般若心経など仏教で再三伝えられてきたこと(唯識)でもあるのです。それはもう受け入れる以外にありません。同意ボタン以外は存在しないと思って下さい。あなたが今まで信じて来た「誰の意思も介在せず自然発生した世界」というのは元々存在し得ないものなのです。それは進化論vs創造論の結論に書いた通りです。

「事象が認識(意識)によって結実する」というこの宇宙の仕組みは、この宇宙が丸ごと創造主の意識の中に存在しているからこそ成立するものなのです。そして僕ら個人個人の意識はその創造主の仮想的な分離なのです。そしてあなたの認識世界は、丸ごとあなたの意識の中にあるのです。本当の現実というのは一人一宇宙であり、一人ひとりがプレイヤー(主人公)の世界がネットゲームのように重なり合わせの状態にされているのです。あなたは人生というRPGのプレイヤー(主人公)であり、創造主の一人子だという事実は(他にもプレイヤーがいるかも知れないという理由によって)揺らぎません。他人に本当に意識があるのか、あなたには永遠に確認ができませんからね。あなたは全知全能の創造主に代わって人生を経験させて貰っている偉大な存在であり、創造主はあなたを通じて人生を経験しているのです。一人ひとりを主人公(経験主体者)として成立させるために、創造主はここまで壮大な仕組み(一人一宇宙の多重)を創っているのであって、創造主がここまでしてあなたにわざわざ実質的に選択の自由のない脇役NPCをやらせるわけがないのです。

だからあなたにとってあなた以外の人間はNPCの如きであり、あなたの「自分以外の人がキャラクターのような感覚になってしまったり」という感覚は現実の一つの見方として全く正しいのです。他人は全員あなたが主人公の物語に必要だからあなたに与えられているサブキャラクターなのです。

ただその感覚だけでは究極に孤独でしょう。だからこそ創造主は他のログインプレイヤー(主人公)と同等の存在だという感覚を強く与えてくれているのです。その「他人を自分と同等の存在として捉える=相手も相手の世界で主人公なのだと考えて尊重する」感覚を両立させることもとても大事なのです。そうでなければたちまち孤独に心を病んでしまうでしょう。

この現実世界というのは現象世界であり、それは概念次元にある概念(データ・情報)の具現化であって、それはゲームと全く同じ仕組みです。だからあなたがこの世界がゲーム世界だと感じたのも、現実の一つの見方として全く正しいのです。ゲームのデータディスクの情報が、プレイ中の時空を超越して存在しているように、概念次元におけるデータ・情報は時空を超えて存在しているのであり、意識が幻覚剤でその次元に飛んだ場合、この現象世界の未来や過去が見えたり、時間がループしたりという現象は普通に起きるのです。この人生というRPGのプログラムを開発者モードで読み取るようなものですからね。そのシステムが見える感じがするのも当前のことです。それが絶望的に感じられるのは、LSDというのがせっかく自分に与えられたプレイヤーとしての権利の放棄行為だからです。

<愛と勇気と信心>
どれだけ絶望を経験したとしても、どうか自殺だけは絶対にしないで下さいね。LSDというのは究極に愛と勇気と信心を試すために究極の恐怖が与えられるのであり、この人生という経験機会がいかにありがたいものなのかを逆説的に覚らせるためのものなのです。自殺はその試練に負けたことになります。そして魂というのは永遠のものであって、死んでも逃げることはできません。人生は魂成長のプログラムですから、逃げることで報われるようには決して創られていません。意識というのが時間を超越して存在することをあなたはもう経験的に知ったのですから、自殺によって逃げれるなどとは決して思わないで下さいね。

恐れれば恐れるほどLSDはその意識を拡大して更に恐ろしくなるだけです。臆病は主人公のあるべき姿に反し、魔を引き寄せるものです。あなたは創造主の一人息子であり主人公なんですから、どうかビクビク恐れないで勇気を持って、主人公らしくもっと堂々としていて下さい。


そして創造主の代理として人生という経験機会が与えられたことに、もっと誇りと感謝の気持ちを持って下さい。LSDで負の体験が与えられる理由は、この人生という経験機会が与えられていることへの感謝の気持ちがないからであり、それが存在しない次元を「仮経験」させられることで、この人生という経験機会のありがたみを覚らせられているのです。

自分が存在し、自分と同等の他人が存在し、人生とその舞台の世界が存在すること。それらは何一つ当たり前のことではなく、創造主の偉大なる創造なのです。孤独を感じさせないため、コミュニケーションを楽しませるために他人と同等の存在だと思わせて貰えているのに、それをもって殆どの人は自分を社会のつまらない脇役であるかのように錯覚して自らNPC人生を選択してしまっています。しかしそこから主人公として目覚めるからこそ、この人生というRPGは素晴らしく面白いのです。

<勇気=信心の大切さ>
勇気というものは、創造主から神仏を通して生かされ守られていることへの心からの「感謝と信頼」から生じるものであり、それこそが信心なのです。彼らは我々の心の奥底まで見ているのであり、建前や嘘や誤魔化しなどは一切通用しません。人間は敢えて無知に創られた存在であり、明日死ぬかも死んだあとどうなるかも何もわからない存在です。LSDの恐怖は極限の状況で信心を試されているのであり、心からの信心がなければその恐怖に屈してしまうのは当たり前のことです。僕はLSD後遺症の人たちから日々相談を受けていますが、皆一様に信心がありません。僕がLSDの恐怖に打ち勝てているのは、心からの信心(感謝と信頼)があり、「自分は絶対に守られている」「幸せ(成長)を経験させるために人生が与えられている」という確信があり、それゆえに揺るぎない勇気を得ていて、何も恐れないでいられるからなのです。

今の日本にいたら、宗教というのが気休めやインチキのようにしか思えず、宗教を信じていたら周囲から見下されバカにされたり、気持ち悪がられて疎んじられるような状況ですし、実際ヤバいカルト・邪教もふんだんに存在していますから、とても心からの信心などは持ちようがないと思いますが、そういう環境の中で持つ信心だからこそ、より価値があるのです。

まだとても信じられないと思いますが、神仏というのは概念次元に思いっきり実在しているのです。そもそも概念次元に存在していないものを現象世界にいる僕らは想像することさえ不可能なのであり、我々にとって想像上の存在も概念次元には確実に存在していて、この現象世界にも影響を与えているのです。そしてその影響は自分(主人公)がどれだけ強くその存在を信じるかに依存しているのです。

ウルトラマンファミリーだって、地球にやってきて怪獣と戦って地球を救わずに、平和なウルトラマンの母星にただずっとうじゃうじゃといるだけでは存在意義がないでしょう。かといって誰からも望まれていないのにやってきて、地球に到着する前の怪獣を人知れず倒しても、誰からも存在を認知されず、やはり存在意義が感じられないでしょう。

同じように完全に平和な概念次元(空)の世界にいる神仏たちも、魔物が暴れてたくさんの不幸をもたらしているこの次元へ人間たちから望まれてやってきて、魔物と戦い世を救うからこそ存在意義が生じるのです。だから自分のことを心から信じ愛していない人間の認識世界に望まれてもないのにやってきて、気づかない間に救ってくれたりはしないのです。もとい、神仏は本当は人間が気づかない間に我々に必要なすべてを与え、生かして守り救ってくれているのですが、それに気づいて感謝し尊敬し愛してくれる人間のためにより救いを発揮してくれるのです。あなたが神仏でもきっとそうするでしょう?

どうか心からの信心を持って下さい。あなたに必要なすべてを与えて生かして守り救ってくれている存在に感謝と信頼の念を持って下さい。僕はどんな神仏を通してあなたが生かされ守られているか知りません。ただあなたに縁がある神仏というのは、あなたが気づかず無視しているだけで、いつでもあなたを導いてくれているのです。だから家の宗教とか、家や学校や職場から近かったり通いやすい場所に施設がある宗教とか、本やメディアで何となく目にして何となくピンと来た宗教とか、そういう小さな縁を大事にしてみて下さい。神仏があなたを導きやすくなりますから。LSDの恐怖さえも、あなたを真の信心に導くための「逆縁」なのです。

ただ実際、世の中には悪しきカルトや邪教や宗教・スピを悪用した詐欺も多いですから、宗教を学ぶ理由に書いたように、これはヤバいと思った宗教からはなりふり構わず逃げて下さい。そして一つの宗教だけを妄信すると必ず道を誤りますから、色んな宗教を並行して学ぶようにしてみて下さい。

信心から遠ざける周囲のNPCたちに負けず、きっと日々信心を強くして行って下さい。そのためには心から思うだけでなく、それを日々形にしていくこと(神仏について学び、神仏とその分身たる人間みんなに奉仕すること)です。

信心の実践って色々な形がありますし、最初はなかなかどうしていいかわからないと思いますが、入り口としては宗教施設通いとマントラを唱えることをお勧めします。詳しくはマントラのすすめをご覧下さい。そして六波羅蜜(&新六波羅蜜)を行じてみて下さい。やる前に色々考えるより、実践から魂レベルで学ぶことが大切です。我々は情報を集めて理解するためではなく、実体験から感情を伴って魂レベルで学ぶために生まれてきているのですから。


<愛とエゴ>
LSD後遺症は、信心のなさ=勇気のなさを原因とし、またこの人生という貴重な経験機会が与えられているということへの感謝のなさを原因としています。LSD後遺症になる人というのは信心がなく、感謝がなく、厭世観により現実逃避や憂さ晴らし・退屈しのぎなどを動機としてLSDを使うから、創造主は逆説的に「別次元の恐怖・存在意義のない虚無感」を経験させることで、人生の価値に気づかせようとしているのでしょう。

なぜ人は世の中がイヤになり逃げたくなるんだと思いますか?それは自分自身を嫌っているからです。世の中は自分の認識が生み出しているものなのですから、自分を嫌いになれば、それをプロジェクターのようにして映し出される世界も嫌なものになるのです。

ではなぜ人は自分を嫌いになるのでしょうか?それはエゴとは何か?に書いた通り、エゴに埋没しているからなのです。世界というものはワンネスであり、本当は全てが一つなのです。それをエゴによって人生を損得勘定で捉え、自分という個体だけに都合の良いように考え行動すれば、深い部分で自分を嫌いになってしまうように人間はできているのです。だから実際に人間の脳というのは得をしても損をしてもダメージを受けるようになっています。

だから損得勘定で生きること自体が不幸なことなのです。しかし人間は得をした時に脳に快楽物質が分泌されて、自分が受けているダメージに気づけなくされているのです。それでこの資本主義の世の中で、みんな「エゴジャンキー」と化しているのです。そのエゴの連鎖による暴走が、まさに今世界を滅ぼそうとしています(人生はそういうディストピアからスタートするRPGですから、主人公のあなたが覆して世界を救って下さい)。

決してエゴの存在自体が悪いというわけではありません。エゴは愛のマテリアル(エネルギー弦)であり、エゴなしに愛は存在し得ません。エゴを愛に昇華していくことが大事なのです。エゴはなくそうと思って失くせるものでもなく、自分のエゴよりほんの少しだけ愛を優先することが、人生が続く限り続く人間に与えら続ける成長課題なのです。そしてそれだけがエゴの暴走を防ぎ、その愛の連鎖が世の中を救うのです。主人公である自分はその連鎖反応の核にならなくてはなりません。若い時は誰でもエゴに埋没してしまっているものですが(必要なプロセスなので)、早く愛に目覚めるほど人生は早く幸せになります。

ただ自分への愛も忘れてはいけませんからね。自己犠牲的になり過ぎるのは己への愛の不足です。鬱の人はだいたい「自分であればどれだけいじめても構わない」かのようにいじめますが、それもエゴであり、全ての存在である創造主からすれば、他人をいじめるのも自分をいじめるのも同じことなのです。

そして誰でも自信満々になれる方法に書いた通り、自尊心が低い人ほど、「自分が正しい=価値がある」と示そうとして、他人を責めたり見下したりしがちですが、そういう考え方だとLSDによる思考の混乱で何もかも信じられなくなった時に、自尊心が壊滅してしまいます。人の価値は正しさや能力や富や名声にあるのではなく、存在そのものにあるのだと知って下さい。心からそう思えなければ、LSDの混乱には打ち勝てません。創造主は「答えを一つに限定しない」という原理によってこの世界の創造を豊かに広げているのであって、どんな愚かな存在にも価値があるのだと知って下さい。


頭の中からもう1人の声が、ずっと聞こえる。それは何?
それはきっと本当のあなた=創造主の声かも知れませんね。創造主は愛100%の存在ですから、もしその声の伝えていることが愛に満ちたなら創造主のものだとわかるでしょう。そうでないのなら、きっと違う意識(本当は全てが創造主なんですけどね)でしょう。

古くから一霊四魂と言われるように、人間は複数の人格からできていますし、普段人間の脳にはセーブがかかっているだけで
、内外の他の人格と交信することというのは普通にあるのです統合失調症患者などは、自己嫌悪ゆえに自我を統一できなくなっているためにそのような状態になるのです。それはありふれた現象であって、むしろまるで一つの人格であるかのように自意識が統合されている仕組みの方がすごいのです。憑依現象(霊障)についてを読んでみて下さいね。

そしてもしも決定未来論的に考えて、人間に自由意志など存在しないなどと思い込んでいるのであれば、自由意志の仕組みと存在意義を読んでみて下さい。答えは全部そこにかいてあります。

<カルマ的解決>
これもすごく大事なことなんですけど、長くなるのでカルマの良化法をご参照下さい。


それでは、あなたがLSDの恐怖と混乱に打ち勝ち、主人公として目覚め、そして心からの信心に目覚め、幸せに導かれることを心から祈っています。




後悔・自己嫌悪ばかりで努力できない

【質問】20代・男性 ペンネーム:ロダン 普段noteを拝見させていただいて「宇宙の仕組み」「ピラミッドの存在意義と仕組み」の二つは、これまで読んできたnoteの中で一番衝撃的かつ興味深い内容で、何度も読み返してしまうほどの内容の素晴らしさでした。 これまでの人生、何か成し遂げた...